境川(さかいがわ)部屋の現役力士の番付と成績、そして基礎情報をまとめてご紹介します。
この記事では様々な情報を網羅した力士一覧表をご用意しております。
最新場所である令和8年(2026年)5月場所の番付はもちろん、過去6場所分の成績を確認することができます。
また、表の内容はボタンによって切り替えることができ、通算成績や力士の基礎情報などもシームレスに知るこができます。
最新場所については日々の対戦相手と勝敗が一目で分かる星取表もご覧頂けます。場所中は日々更新していきますので、観戦のお供にぜひご活用ください。
当サイトでは全ての部屋と出身地についても同様のページをご用意しております。
他の部屋の番付と成績も見てみたい方は部屋目次より選んでください。出身地毎の番付・成績は出身地別目次からどうぞ。
相撲部屋や出身地ごとの場所の成績からランキングを作成しております。初場所、好調な相撲部屋や力士の出身地はどこ?
この他にも境川部屋の過去から現在までの主な関取たちををまとめた記事もありますので併せてご覧ください。
力士一覧表(番付・星取表・成績・経歴)
| No | 四股名 | 直近7場所 成績 | 直近7場所 勝率 | 番付 (令8.5) | 5月場所 成績 | 令和8年5月場所星取表 | S1 | 番付 推移 | 変動 枚数 | 番付 (令8.3) | 3月場所 成績 | 令和8年3月場所星取表 | S2 | 番付 推移 | 変動 枚数 | 番付 (令8.1) | 1月場所 成績 | 令和8年1月場所星取表 | S3 | 番付 推移 | 変動 枚数 | 番付 (令7.11) | 11月場所 成績 | 令和7年11月場所星取表 | S4 | 番付 推移 | 変動 枚数 | 番付 (令7.9) | 9月場所 成績 | 令和7年9月場所星取表 | S5 | 番付 推移 | 変動 枚数 | 番付 (令7.7) | 7月場所 成績 | 令和7年7月場所星取表 | s6 | 番付 推移 | 変動 枚数 | 番付 (令7.5) | 5月場所 成績 | 令和7年5月場所星取表 | 初日 | 2日目 | 3日目 | 4日目 | 5日目 | 6日目 | 7日目 | 中日 | 9日目 | 10日目 | 11日目 | 12日目 | 13日目 | 14日目 | 千秋楽 | 最高位 | 出身地 | 部屋 | 一門 | 年齢 | 生年月日 | 大相撲歴 | 本名 | 旧四股名 | 旧所属 | 身長(㎝) | 体重(㎏) | BMI | 出身高校 | 出身大学 | 初土俵 | 初土俵 年齢 | 新十両 | 新十両 年齢 | 新入幕 | 新入幕 年齢 | 新小結 | 新小結 年齢 | 新関脇 | 新関脇 年齢 | 大関昇進 | 大関昇進 年齢 | 横綱昇進 | 横綱昇進 年齢 | 幕内 優勝 | 十両 優勝 | 幕下 優勝 | 三段目 優勝 | 序二段 優勝 | 序ノ口 優勝 | 技能賞 | 殊勲賞 | 敢闘賞 | 金星 | 通算 勝利数 | 通算 敗数 | 通算 休数 | 出場回数 | 通算 勝率(%) | s誕生日 | s初土俵 | s新十両 | s新入幕 | s新小結 | s新関脇 | s大関昇進 | s横綱昇進 | s初土俵年齢 | s新十両年齢 | s新入幕年齢 | s新小結年齢 | s新関脇年齢 | s大関昇進年齢 | s横綱昇進年齢 | s7場所勝敗 | s1勝敗 | s2勝敗 | s3勝敗 | s4勝敗 | s5勝敗 | s6勝敗 | s7勝敗 | s2順 | s3順 | s4順 | s5順 | s6順 | s7順 | s1シフト | s2シフト | s3シフト | s4シフト | s5シフト | s6シフト | sしこな | s最高位 | s出身ふりがな | s部屋ふりがな | s7勝率 | s勝 | s敗 | s休 | s出 | s勝率 | s幕優 | s十 | s下 | s三 | s二 | s口 | s技 | s殊 | s敢 | s金 |
|---|
境川部屋の情報
星取表
対戦相手と決まり手、勝敗が分かります。対戦相手をクリックすると、互いの詳細情報が確認できます。
日ごとの成績
日ごとの成績で、好不調が分かります。
| トータル | 初日 | 2日目 | 3日目 | 4日目 | 5日目 | 6日目 | 7日目 | 中日 | 9日目 | 10日目 | 11日目 | 12日目 | 13日目 | 14日目 | 千秋楽 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 176取組 86勝 90敗 勝敗差-4 |
13取組 7勝 6敗 +1 | 11取組 4勝 7敗 -3 | 13取組 4勝 9敗 -5 | 11取組 7勝 4敗 +3 | 9取組 1勝 8敗 -7 | 16取組 9勝 7敗 +2 | 8取組 6勝 2敗 +4 | 17取組 10勝 7敗 +3 | 12取組 5勝 7敗 -2 | 13取組 5勝 8敗 -3 | 9取組 3勝 6敗 -3 | 16取組 8勝 8敗 ±0 | 7取組 3勝 4敗 -1 | 11取組 7勝 4敗 +3 | 10取組 7勝 3敗 +4 |
📊 境川部屋 本場所成績
境川部屋の部屋付き親方
第20代・振分 泰成 (元関脇・妙義龍)
妙義龍 泰成 (みょうぎりゅう やすなり)は兵庫県高砂市出身、境川部屋の元力士で、最高位は関脇。
平成21年(2009)5月場所に22歳6ヶ月で初土俵を踏み、令和6年(2024)9月場所を最後に引退(37歳10ヶ月)。
通算成績は601勝597敗79休1193出場。生涯勝率.504。通算91場所中、48場所を勝ち越した(勝ち越し率.527)。
主な成績は幕内(次点1)、十両優勝3回、幕下優勝1回、三段目(同点1)、技能賞6回、金星6個(白鵬2個、日馬富士1個、稀勢の里1個、鶴竜2個)。
昭和61年(1986)10月22日生まれ。本名は宮本 泰成。
強豪・埼玉栄高校から日本体育大学を経て角界入りし、度重なる大怪我を乗り越えて長く幕内上位で活躍した妙義龍は、アスリート然とした洗練された押し相撲で土俵を沸かせた名力士である。新十両での大怪我による三段目への陥落というどん底から這い上がり、技能賞を6度獲得するなど、その不屈の闘志と卓越した技術は多くの相撲ファンの記憶に刻まれている。
「テッポウ」で培われた強靭な下半身とアマチュア時代
兵庫県高砂市に生まれ、相撲の強豪である埼玉栄高校へ進学した。高校時代は、同級生の澤井(のちの大関・豪栄道)らと共に主力としてチームを牽引し、手の皮が剥けて血が滲むほど一心不乱に鉄砲柱を打ち続ける稽古で、自身の相撲の土台となる強靭な足腰を築き上げた。
日本体育大学へ進学後も順調に実績を重ね、4年次には大分国体(成年の部)で個人の部優勝を果たし、幕下15枚目格付出の資格を獲得する。卒業後は、高校時代の同級生である豪栄道が所属する境川部屋への入門を決意し、平成21年(2009年)5月場所に本名の「宮本」で初土俵を踏んだ。
新十両での大怪我と、三段目からの劇的な復活
幕下付出から着実に星を伸ばし、所要4場所で新十両昇進を決める。この昇進を機に、「多彩な技を繰り出せるように」という願いを込めて四股名を「妙義龍」へと改名した。
しかし、関取として初めて土俵に上がった平成22年(2010年)1月場所の2日目に、左膝前十字靭帯断裂という選手生命を脅かす大怪我を負い、途中休場を余儀なくされる。その後3場所にわたり全休し、番付は西三段目94枚目まで陥落するという試練を味わった。
それでも決して腐ることなく怪我の完治と体作りに励み、同年9月場所で土俵に復帰すると、7戦全勝の三段目優勝を皮切りに破竹の勢いで勝ち星を重ねる。幕下と十両で計3度の優勝を飾る快進撃で一気に番付を駆け上がり、復帰からわずか7場所となる平成23年(2011年)11月場所で新入幕を果たした。
スピード感あふれる押し相撲と上位戦線での躍進
幕内の土俵においても、怪我を乗り越えてさらに凄みを増した妙義龍の相撲は旋風を巻き起こした。絶え間ない鍛錬により発達した、ふくらはぎの筋肉が生み出す鋭い出足と、膝を曲げた低い体勢からの一気呵成の押し相撲で、平成24年(2012年)1月場所には9勝を挙げて自身初となる技能賞を獲得する。
その後も勢いは止まらず、同年5月場所から3場所連続で技能賞を獲得し、7月場所には新小結、翌9月場所には新関脇へと昇進。従来の押し相撲のイメージを覆すようなスピード感と技術の高さで、三役の地位に定着していった。
平成25年(2013年)1月場所の3日目には、圧倒的な強さを誇っていた横綱・白鵬を初めて破り、自身初となる金星を獲得した。この一番を、のちに本人は「最も思い出に残る取組」として挙げている。
ベテランとしての奮闘と現役引退
その後も長く幕内上位で存在感を示し続け、最高位である関脇には通算8場所在位した。しかし、長年の激闘による左変形性膝関節症や網膜剥離など、相次ぐ怪我との戦いを強いられる土俵人生でもあった。
令和3年(2021年)9月場所では、西前頭10枚目で11勝4敗の好成績を挙げて優勝争いに加わり、通算6度目となる技能賞を獲得するなど、ベテランの意地を見せた。しかし怪我の影響で思うような相撲が取れなくなり、令和6年(2024年)5月場所で十両へ陥落。左膝の怪我により西十両9枚目で全休となった同年9月場所を最後に現役引退を決断した。
引退後は年寄・振分を襲名して日本相撲協会に残り、引き続き境川部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたっている。初土俵から15年余り、幕内在位71場所を数え、度重なる試練を不屈の精神力で乗り越えたその歩みは、後進の力士たちにとって大きな模範となっている。
- 四股名
- 妙義龍 泰成 (みょうぎりゅう やすなり)
- 最高位
- 関脇
- 年寄名跡
- 20代振分 泰成(境川)
- 出身地
- 兵庫県高砂市
- 本名
- 宮本 泰成
- 生年月日
- 昭和61年(1986)10月22日(39歳)
- 出身高校
- 埼玉栄高校
- 出身大学
- 日本体育大学
- 所属部屋
- 境川部屋
- 改名歴
- 宮本 泰成 → 妙義龍 泰成
- 初土俵
- 平成21年(2009)5月 幕下15枚目付出(22歳6ヶ月)
- 新十両
- 平成22年(2010)1月(所要4場所)
- 23歳2ヶ月(初土俵から0年8ヶ月)
- 新入幕
- 平成23年(2011)11月(所要14場所)
- 25歳0ヶ月(初土俵から2年6ヶ月)
- 新小結
- 平成24年(2012)7月(所要18場所)
- 25歳8ヶ月(初土俵から3年2ヶ月)
- 新関脇
- 平成24年(2012)9月(所要19場所)
- 25歳10ヶ月(初土俵から3年4ヶ月)
- 最終場所
- 令和6年(2024)9月場所(37歳10ヶ月)
- 大相撲歴
- 91場所(15年4ヶ月)
- 通算成績
- 601勝597敗79休1193出場(勝率.504)
- 通算91場所
- 勝ち越し48場所(勝ち越し率.527)(勝ち越し星152)
- 優勝等
- 幕内(次点1),十両優勝3回,幕下優勝1回,三段目(同点1)
- 受賞・金星
- 技能賞6回,金星6個(白鵬2個、日馬富士1個、稀勢の里1個、鶴竜2個)
- 持給金
- 161円(勝ち越し星152個 金星6個)
- 幕内戦歴
- 495勝539敗31休1030出場(勝率.481)
- 在位71場所(在位率.780)
- 勝ち越し35場所(勝ち越し率.493)
- 三役戦歴
- 76勝93敗26休168出場(勝率.452)
- 在位13場所(在位率.143)
- 勝ち越し6場所(勝ち越し率.462)
- 関脇戦歴
- 47勝58敗15休105出場(勝率.448)
- 在位8場所(在位率.088)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率.375)
- 小結戦歴
- 29勝35敗11休63出場(勝率.460)
- 在位5場所(在位率.055)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率.600)
- 前頭戦歴
- 419勝446敗5休862出場(勝率.486)
- 在位58場所(在位率.637)
- 勝ち越し29場所(勝ち越し率.500)
- 十両戦歴
- 63勝45敗27休107出場(勝率.589)
- 在位9場所(在位率.099)
- 勝ち越し5場所(勝ち越し率.556)
- 関取戦歴
- 558勝584敗58休1137出場(勝率.491)
- 在位80場所(在位率.879)
- 勝ち越し40場所(勝ち越し率.500)
- 幕下以下歴
- 43勝13敗21休56出場(勝率.768)
- 在位11場所(在位率.121)
- 勝ち越し8場所(勝ち越し率.727)
名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。
- ✅ 勝った決まり手1位:押し出し(220回 / 36.3%)
- ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(117回 / 19.6%)
- ✅ 得意な相手:宝富士(20勝10敗 / 勝率.667)
- ✅ 苦手な相手:白鵬(2勝20敗 / 勝率.091)
第20代・立田川 幸観 (元前頭14枚目・寶智山)
寶智山 幸観(ほうちやま こうかん)は青森県弘前市出身、中立~境川部屋の元力士で、最高位は前頭14枚目。
平成12年(2000)3月場所に18歳1ヶ月で初土俵を踏み、平成25年(2013)11月場所を最後に引退(31歳9ヶ月)※番付上は平成26年(2014)1月場所。
通算成績は399勝400敗0休799出場。生涯勝率.499。通算82場所中、41場所を勝ち越した(勝ち越し率.506)。
主な成績は十両優勝1回(同点1)、幕下(同点1)、三段目優勝1回、序二段(同点1)、序ノ口優勝1回。
昭和57年(1982)1月18日生まれ。本名は棟方 幸観。
相撲の名門校から先輩の熱烈なスカウトを受けて角界入りし、持ち前の馬力で幕内の土俵を経験した寶千山は、十両での優勝争いなど印象に残る活躍を見せた力士である。
舞の海のスカウトと角界入り
青森県弘前市に生まれ、相撲の名門である青森県立木造高校へと進学した。同校の相撲部で活躍していた頃、高校の先輩にあたる元小結・舞の海から直接「君は大学相撲よりもプロに向いている」とスカウトを受けたことが大きな転機となる。
この言葉に背中を押されて角界への挑戦を決意し、11代中立(元小結・両国)が率いる中立部屋(平成16年に境川部屋へと名称変更)へ入門。平成12年(2000年)3月場所において「寶智山 幸観(ほうちやま ゆきみ)」の四股名で初土俵を踏んだ。
序ノ口優勝と新十両への道
東序ノ口14枚目で迎えた同年5月場所では、7戦全勝優勝で幸先のよい船出となった。その後は幕下中位から下位の分厚い壁に挑み、じっくりと実力を養う時期が続いた。
初土俵から約6年となる平成18年(2006年)3月場所において新十両へ昇進し、念願の関取の座を掴む。ここから、蓄えていた実力が一気に開花することとなる。
十両での快進撃と新入幕
新十両の場所を8勝7敗と勝ち越すと、続く同年5月場所では10勝5敗の好成績を挙げて十両の優勝決定戦へと進出した。ここでは惜しくも敗れて優勝同点となったものの、さらに東十両6枚目で迎えた翌7月場所では、13勝2敗の素晴らしい成績で十両優勝を飾った。
関取となってから「優勝同点」「十両優勝」と急激に番付を駆け上がり、翌9月場所において新入幕を果たした。「先輩」舞の海の見立て通り、大相撲の厳しい世界で確かな結果を残してみせたのである。
糖尿病との闘いと三段目での有終の美
幕内の土俵では厚い壁に跳ね返され、平成20年(2008年)には糖尿病による体調不良が悪化して幕下への陥落も味わった。それでも不屈の闘志で体調を戻して関取へ復帰し、その後も3度の再入幕を果たすなど、長年にわたり十両や幕内下位の土俵で激闘を繰り広げた。
平成23年(2011年)9月場所より下の名前を「幸勘」へ改め、さらに平成25年(2013年)7月場所からは「寶智山」から「寶千山」へと1字を改めた。しかし、改名の場所で大きく負け越し、ついに同年11月場所では約11年ぶりとなる三段目への降格を経験する。それでも決して土俵を諦めることはなく、西三段目7枚目で迎えたこの場所で7戦全勝とし、優勝決定戦を制して自身初となる三段目優勝を飾った。
特例規定による引退と指導者への道
三段目優勝で有終の美を飾る形となり、翌平成26年(2014年)1月場所の番付に名前を残したまま、場所前の12月に現役引退を発表した。
引退にあたっては年寄「君ヶ濱」を襲名したが、当時の関取在位は28場所であり、従来の規定(在位30場所)を満たしていなかった。しかし、引退直前の理事会で「在位28場所でも要件を満たせば取得できる」とする規定が新たに追加されており、その特例の恩恵を受ける形での襲名となった。この規定は俗に「寶千山ルール」とも呼ばれている。
引退後は日本相撲協会に残り、境川部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたる道を選んだ。その後は「振分」「出来山」「立田川」と名跡を変更しながらも、一貫して力士たちの育成に尽力している。自らが病や不調を乗り越えて幕内まで登り詰めたその歩みと経験は、指導者となった現在も若い力士たちへの良き手本として受け継がれている。
- 四股名
- 寶智山 幸観(ほうちやま こうかん)
- 最高位
- 前頭14枚目
- 年寄名跡
- 11代君ヶ濱 幸観(境川) → 17代振分 幸観(境川) → 17代出来山 幸観(境川) → 20代立田川 幸観(境川)
- 出身地
- 青森県弘前市
- 本名
- 棟方 幸観
- 生年月日
- 昭和57年(1982)1月18日(44歳)
- 出身高校
- 木造高校
- 所属部屋
- 中立~境川部屋
- 改名歴
- 寶智山 幸観 → 寶智山 幸勘 → 寶千山 幸勘
- 初土俵
- 平成12年(2000)3月 前相撲(18歳1ヶ月)
- 新十両
- 平成18年(2006)3月(所要36場所)
- 24歳1ヶ月(初土俵から6年0ヶ月)
- 新入幕
- 平成18年(2006)9月(所要39場所)
- 24歳7ヶ月(初土俵から6年6ヶ月)
- 最終場所
- 平成25年(2013)11月場所(31歳9ヶ月)※番付上は平成26年(2014)1月場所
- 大相撲歴
- 82場所(13年8ヶ月)
- 通算成績
- 399勝400敗0休799出場(勝率.499)
- 通算82場所
- 勝ち越し41場所(勝ち越し率.506)(勝ち越し星115)
- 優勝等
- 十両優勝1回(同点1),幕下(同点1),三段目優勝1回,序二段(同点1),序ノ口優勝1回
- 持給金
- 60円50銭(勝ち越し星115個)
- 幕内戦歴
- 27勝63敗0休90出場(勝率.300)
- 在位6場所(在位率.073)
- 勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
- 前頭戦歴
- 27勝63敗0休90出場(勝率.300)
- 在位6場所(在位率.073)
- 勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
- 十両戦歴
- 169勝176敗0休345出場(勝率.490)
- 在位23場所(在位率.280)
- 勝ち越し11場所(勝ち越し率.478)
- 関取戦歴
- 196勝239敗0休435出場(勝率.451)
- 在位29場所(在位率.354)
- 勝ち越し11場所(勝ち越し率.379)
- 幕下以下歴
- 203勝161敗0休364出場(勝率.558)
- 在位52場所(在位率.634)
- 勝ち越し30場所(勝ち越し率.577)
名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。
- ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(132回 / 32.8%)
- ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(84回 / 20.8%)
- ✅ 得意な相手:龍巍(7勝1敗 / 勝率.875)
- ✅ 苦手な相手:皇司(0勝6敗 / 勝率.000)
第15代・山科 隆太 (元前頭2枚目・豊響)
豊響 隆太 (とよひびき りゅうた)は山口県下関市出身、境川部屋の元力士で、最高位は前頭2枚目。
平成17年(2005)1月場所に20歳1ヶ月で初土俵を踏み、令和3年(2021)5月場所を最後に引退(36歳5ヶ月)※番付上は令和3年(2021)7月場所。
通算成績は569勝565敗66休1134出場。生涯勝率.502。通算97場所中、47場所を勝ち越した(勝ち越し率.490)。
主な成績は幕内(次点1)、十両優勝3回(同点1)、序二段優勝1回、敢闘賞3回、金星1個(白鵬1個)。
昭和59年(1984)11月16日生まれ。本名は門元 隆太。
高校卒業後にトラック運転手などを経て角界へ飛び込み、初土俵からわずか2年半で幕内の土俵へ駆け上がった豊響は、「平成の猛牛」の異名で土俵を沸かせた名力士である。一度は入門が破談になりながらも師匠の男気に触れて角界入りを果たし、網膜剥離や不整脈といった幾多の病に見舞われながらも、自身の代名詞である突き押し相撲を頑なに貫き通した。
入門の破談と師匠の男気
幼少期に両親が離婚し、母の手一つで育てられた。小学2年生の時に山口県豊浦郡豊浦町(現在の山口県下関市)へ移り、地元のスポーツ少年団で相撲を始める。山口県立響高校に在学中、境川親方(元小結・両国)が勧誘に訪れたが、入門を勧める母に対して「だったらお前が行けよ」とぞんざいな口を利いてしまう。これを見た境川親方は「親に向かってそんな口を叩く奴はこっちからごめんだ」と激怒して席を立ち、入門は一度破談となった。
高校卒業後はすぐには相撲界へ進まず、造船所でのアルバイトやトラック運転手などをして生計を立てていた。しかし、平成16年(2004年)の埼玉国体(成年の部)で個人ベスト16に入ったことを機に、相撲への情熱が再燃する。自身の非を叱ってくれた境川親方の男気に惹かれていたこともあり、自ら部屋へ出向いて母への態度を詫びて入門を志願。「命を懸けて来い」と受け入れられ、平成17年(2005年)1月場所において、20歳で本名の「門元」を四股名として初土俵を踏んだ。
怒涛のスピード出世と「豊響」の誕生
社会人を経てからの遅咲きのスタートであったが、出世の足取りは驚異的であった。序二段優勝を飾るなど各段で結果を残し、初土俵からちょうど2年となる平成19年(2007年)1月場所において新十両昇進を果たす。この昇進に合わせて四股名を「豊響」へと改名した。「豊」の字は出身地である豊浦町と母である豊美さんの一字から、「響」の字は母校である響高校に由来しており、迷惑をかけた母と故郷への感謝が込められた四股名であった。
新十両の場所を見事に10勝5敗の成績で十両優勝で飾ると、続く同年7月場所では早くも新入幕を果たした。幕内として初めて臨んだこの場所でも11勝4敗の好成績を挙げて敢闘賞を受賞し、一気に上位戦線へと番付を駆け上がった。
網膜剥離の試練と大金星
立ち合いからの猛烈なぶちかましと、愚直なまでに前に出る突き押し相撲を武器とし、その迫力ある取り口からいつしか「平成の猛牛」と称されるようになった。しかし、自己最高位となる東前頭2枚目で迎えた平成20年(2008年)11月場所の直前、左目の網膜剥離という力士として致命的な病が判明し、自己最高位の場所を全休するという大きな試練に見舞われる。
それでも「相手に当たる怖さはあったが、押しへのこだわりがあった」と真っ向勝負を貫き通し、土俵へ復帰した。平成22年(2010年)1月場所では西前頭16枚目で12勝3敗の好成績を挙げて優勝争いに加わり、自身3度目となる敢闘賞を獲得する。さらに、東前頭3枚目で迎えた平成24年(2012年)5月場所では、圧倒的な強さを誇っていた横綱・白鵬を破り、自身初にして唯一の金星を獲得した。のちに本人は、この横綱戦での白星を引退会見にて「最も思い出に残る取組」として挙げている。
不整脈との闘いと母への恩返し
その後も幕内中位から上位の土俵で長く存在感を示し続けたが、現役生活の晩年は再び病に苦しめられた。平成30年(2018年)1月場所の直前に不整脈を発症して全休を余儀なくされ、この休場により長く守り続けた関取の座から陥落してしまう。
心臓への負担という大きなリスクを抱え、何度も引退が頭をよぎったというが、「家族に相撲を取る姿を見せたい」「母に恩返しをしたい」という強い思いから決して土俵を諦めることはなかった。その後も3年間にわたり幕下で現役続行への道を模索してもがき続けたが、次第に休場がちとなり、「幕下暮らしで気力がなくなった」と限界を悟る。三段目で全休した令和3年(2021年)5月場所の終了後に引退を決断した。初土俵から16年半、生涯戦歴は569勝565敗であった。
引退後は年寄「山科」を襲名し、日本相撲協会に残って後進の指導にあたっている。引退に際し、入門時の破談から見守り続けてきた師匠の境川親方からは「せっかく『平成の猛牛』という素晴らしいニックネームを頂いたので、『令和の猛牛』を育ててほしい」と愛のあるエールが送られた。度重なる不運や体の故障に泣きながらも、愚直に己の相撲道と家族への思いを貫き通したその歩みは、指導者となった現在も若い力士たちへと受け継がれている。
- 四股名
- 豊響 隆太 (とよひびき りゅうた)
- 最高位
- 前頭2枚目
- 年寄名跡
- 15代山科 隆太(境川)
- 出身地
- 山口県豊浦郡豊浦町 → 山口県下関市
- 本名
- 門元 隆太
- 生年月日
- 昭和59年(1984)11月16日(41歳)
- 出身高校
- 響高校
- 所属部屋
- 境川部屋
- 改名歴
- 門元 隆太 → 豊響 隆太
- 初土俵
- 平成17年(2005)1月 前相撲(20歳1ヶ月)
- 新十両
- 平成19年(2007)1月(所要12場所)
- 22歳1ヶ月(初土俵から2年0ヶ月)
- 新入幕
- 平成19年(2007)7月(所要15場所)
- 22歳7ヶ月(初土俵から2年6ヶ月)
- 最終場所
- 令和3年(2021)5月場所(36歳5ヶ月)※番付上は令和3年(2021)7月場所
- 大相撲歴
- 97場所(16年4ヶ月)
- 通算成績
- 569勝565敗66休1134出場(勝率.502)
- 通算97場所
- 勝ち越し47場所(勝ち越し率.490)(勝ち越し星147)
- 優勝等
- 幕内(次点1),十両優勝3回(同点1),序二段優勝1回
- 受賞・金星
- 敢闘賞3回,金星1個(白鵬1個)
- 持給金
- 86円50銭(勝ち越し星147個 金星1個)
- 幕内戦歴
- 347勝403敗30休750出場(勝率.463)
- 在位52場所(在位率.536)
- 勝ち越し21場所(勝ち越し率.404)
- 前頭戦歴
- 347勝403敗30休750出場(勝率.463)
- 在位52場所(在位率.536)
- 勝ち越し21場所(勝ち越し率.404)
- 十両戦歴
- 111勝84敗15休195出場(勝率.569)
- 在位14場所(在位率.144)
- 勝ち越し9場所(勝ち越し率.643)
- 関取戦歴
- 458勝487敗45休945出場(勝率.485)
- 在位66場所(在位率.680)
- 勝ち越し30場所(勝ち越し率.455)
- 幕下以下歴
- 111勝78敗21休189出場(勝率.587)
- 在位30場所(在位率.309)
- 勝ち越し17場所(勝ち越し率.567)
名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。
- ✅ 勝った決まり手1位:押し出し(262回 / 45.6%)
- ✅ 負けた決まり手1位:叩き込み(84回 / 14.8%)
- ✅ 得意な相手:北太樹(17勝4敗 / 勝率.810)
- ✅ 苦手な相手:宝富士(3勝11敗 / 勝率.214)
第18代・関ノ戸 竜太 (元小結・岩木山)
岩木山 竜太 (いわきやま りゅうた)は青森県弘前市出身、中立~境川部屋の元力士で、最高位は小結。
平成12年(2000)7月場所に24歳4ヶ月で初土俵を踏み、平成22年(2010)9月場所を最後に引退(34歳6ヶ月)。
通算成績は407勝365敗78休769出場。生涯勝率.529。通算62場所中、34場所を勝ち越した(勝ち越し率.548)。
主な成績は幕内(次点1)、十両優勝2回、三段目優勝1回、敢闘賞1回、技能賞1回、金星1個(朝青龍1個)。
昭和51年(1976)3月2日生まれ。本名は對馬 竜太。
青森大学相撲部出身として初めて幕内の土俵を踏んだ岩木山は、立ち合いからの圧倒的な馬力を武器に三役まで駆け上がった名力士である。社会人を経てからの入門でありながら猛スピードで出世を果たし、志半ばで病魔に倒れるまで、記憶に残る激しい相撲でファンを魅了し続けた。
親友の急逝と角界への挑戦
青森県に生まれ、青森大学へ進学して相撲部で活躍した。卒業後は青森山田高校の職員兼相撲部コーチとして働きながらアマチュア相撲を続け、平成10年(1998年)の全日本相撲選手権大会で8位入賞を果たすなど実績を重ねていた。
しかし、ともにアマチュア相撲で汗を流していた友人が、24歳で交通事故死を遂げるという悲しい出来事が起こる。これを機に自身の相撲への情熱と人生を見つめ直し、亡き友への思いを胸にプロ入りを決意した。
アマチュア時代の実績から幕下付出の資格を得て、11代中立(元小結・両国)が率いる中立部屋(のちの境川部屋)へ入門。平成12年(2000年)7月場所に本名の「對馬」で初土俵を踏んだ。
怒涛のスピード出世と「岩木山」の誕生
初土俵、翌場所から怪我で休場したこともあり一度は三段目へ番付を落としたが、平成13年(2001年)1月場所から故郷の山にちなんだ「岩木山」へと改名する。すると直後の3月場所において7戦全勝で三段目優勝を飾り、ここから一気に番付を駆け上がっていった。
翌平成14年(2002年)3月場所で新十両へ昇進し、続く5月場所では11勝4敗の好成績を挙げて十両優勝を果たす。勢いそのままに白星を重ね、同年11月場所において新入幕を果たした。青森大学出身者として初の幕内力士誕生という快挙であった。
規格外の破壊力と上位戦線での躍進
185センチ、170キロを超える巨体を活かした立ち合いのぶちかましと、突き押しの破壊力は幕内でも群を抜いていた。新入幕の場所で10勝5敗の好成績を挙げて敢闘賞を獲得すると、幕内上位の土俵へと定着していく。
平成15年(2003年)9月場所では東前頭5枚目で11勝4敗の成績を残し、優勝した横綱・朝青龍に次ぐ星を挙げて初の技能賞を獲得。この活躍により、翌11月場所では新小結へと昇進を果たした。さらに平成16年(2004年)9月場所では、圧倒的な強さを誇っていた横綱・朝青龍を破り、自身初にして唯一の金星を獲得するなど、上位陣を大いに脅かす存在となった。
首の負傷とベテランとしての奮闘
激しい相撲の代償として、現役後半は怪我に苦しめられた。主に首を負傷したことで得意のぶちかましができなくなり、膝にも爆弾を抱えるようになる。馬力に陰りが見え始めた平成18年(2006年)11月場所以降は負け越しが続き、十両陥落も経験したが、そのたびにベテランの意地で幕内へ復帰し、長く土俵を務め続けた。
病魔との闘いとイレギュラーな番付残留
その後も幕内と十両の土俵で存在感を示し続けたが、平成22年(2010年)4月に小脳梗塞という大病を発症してしまう。
命に関わる重篤な状態からは回復したものの、土俵への復帰は極めて困難な状況であった。この5月場所から連続で全休を余儀なくされ、7月場所を終えた時点で幕下への陥落が濃厚となり、引退の方向で話が進んでいた。しかし、この7月場所は大相撲野球賭博問題の影響で多数の謹慎力士が出た場所であり、「病気による全休と謹慎休場は区別する」という相撲協会の特例措置により、翌9月場所も十両の番付に留まることとなった。
この9月場所(西十両14枚目)も全休し、同場所の千秋楽に現役引退を発表。引退後はすでに取得していた年寄「関ノ戸」を襲名し、日本相撲協会に残って境川部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたっている。友人の死を乗り越えて遅咲きの花を咲かせ、規格外の馬力で土俵を沸かせたその歩みは、指導者となった現在も後輩力士たちへと受け継がれている。
- 四股名
- 岩木山 竜太 (いわきやま りゅうた)
- 最高位
- 小結
- 年寄名跡
- 18代関ノ戸 竜太(境川)
- 出身地
- 青森県中津軽郡岩木町 → 青森県弘前市
- 本名
- 對馬 竜太
- 生年月日
- 昭和51年(1976)3月2日(50歳)
- 出身高校
- 弘前実業高校
- 出身大学
- 青森大学
- 所属部屋
- 中立~境川部屋
- 改名歴
- 對馬 竜太 → 岩木山 竜太
- 初土俵
- 平成12年(2000)7月 幕下60枚目付出(24歳4ヶ月)
- 新十両
- 平成14年(2002)3月(所要10場所)
- 26歳0ヶ月(初土俵から1年8ヶ月)
- 新入幕
- 平成14年(2002)11月(所要14場所)
- 26歳8ヶ月(初土俵から2年4ヶ月)
- 新小結
- 平成15年(2003)11月(所要20場所)
- 27歳8ヶ月(初土俵から3年4ヶ月)
- 最終場所
- 平成22年(2010)9月場所(34歳6ヶ月)
- 大相撲歴
- 62場所(10年2ヶ月)
- 通算成績
- 407勝365敗78休769出場(勝率.529)
- 通算62場所
- 勝ち越し34場所(勝ち越し率.548)(勝ち越し星123)
- 優勝等
- 幕内(次点1),十両優勝2回,三段目優勝1回
- 受賞・金星
- 敢闘賞1回,技能賞1回,金星1個(朝青龍1個)
- 持給金
- 96円(勝ち越し星123個 金星1個)
- 幕内戦歴
- 293勝318敗34休608出場(勝率.482)
- 在位43場所(在位率.694)
- 勝ち越し20場所(勝ち越し率.465)
- 三役戦歴
- 10勝20敗0休30出場(勝率.333)
- 在位2場所(在位率.032)
- 勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
- 小結戦歴
- 10勝20敗0休30出場(勝率.333)
- 在位2場所(在位率.032)
- 勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
- 前頭戦歴
- 283勝298敗34休578出場(勝率.490)
- 在位41場所(在位率.661)
- 勝ち越し20場所(勝ち越し率.488)
- 十両戦歴
- 72勝33敗30休105出場(勝率.686)
- 在位9場所(在位率.145)
- 勝ち越し7場所(勝ち越し率.778)
- 関取戦歴
- 365勝351敗64休713出場(勝率.512)
- 在位52場所(在位率.839)
- 勝ち越し27場所(勝ち越し率.519)
- 幕下以下歴
- 42勝14敗14休56出場(勝率.750)
- 在位10場所(在位率.161)
- 勝ち越し7場所(勝ち越し率.700)
名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。
- ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(132回 / 32.1%)
- ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(132回 / 36.2%)
- ✅ 得意な相手:垣添(17勝1敗 / 勝率.944)
- ✅ 苦手な相手:朝青龍(1勝15敗 / 勝率.062)
境川部屋の師匠
第13代・境川 豪章 (元小結・両国)
両国 梶之助 (りょうごく かじのすけ)は長崎県長崎市出身、出羽海部屋の元力士で、最高位は小結。
昭和60年(1985)3月場所に22歳7ヶ月で初土俵を踏み、平成4年(1992)11月場所を最後に引退(30歳3ヶ月)※番付上は平成5年(1993)1月場所。
通算成績は316勝313敗20休626出場。生涯勝率.505。通算47場所中、25場所を勝ち越した(勝ち越し率.532)。
主な成績は十両優勝1回(同点2)、殊勲賞1回、敢闘賞1回、金星3個(千代の富士3個)。
昭和37年(1962)7月30日生まれ。本名は小林 秀昭。
日本大学相撲部で活躍し、幕下付出で角界入りした両国は、大横綱・千代の富士から3つの金星を奪うなど、持ち前の闘志あふれる相撲で幕内上位で活躍した力士である。引退後は自ら部屋を創設し、男気あふれる熱血親方として数多くの名力士を育て上げている。
アマチュア時代のライバルと角界への挑戦
長崎県長崎市で生まれ育ち、日本大学へ進学して相撲部で活躍する。同級生であり明治大学相撲部で活躍していた綛田(かせだ)(のちの関脇・栃乃和歌(11代春日野))とは、アマチュア時代から互いに鎬を削る良きライバル関係にあった。
大学時代の実績から幕下付出の資格を得て、出羽海部屋へ入門。昭和60年(1985年)3月場所において、本名を交えた「小林山」の四股名で、ライバルである綛田と共に幕下60枚目格付出として初土俵を踏んだ。
伝統の四股名襲名と新三役への飛躍
初めて大相撲の土俵に上がった場所は2勝5敗と負け越し、翌場所は三段目へ番付を落としたものの、そこから地力を発揮して一気に番付を駆け上がる。昭和61年(1986年)3月場所で新十両へ昇進。同年7月場所での再十両以降は関取の座に定着し、昭和62年(1987年)3月場所において新入幕を果たした。
この新入幕を機に、出羽海部屋に代々伝わる伝統の四股名である「両国」を襲名した。幕内の土俵でも持ち味を遺憾なく発揮し、同年7月場所では新小結へと昇進して三役の座を掴み取る。大関候補として期待を集めたが関脇にはあと一歩届かず、その後は幕内中位から上位の土俵で激闘を演じることとなる。
大横綱との激闘と3つの金星
幕内上位の土俵では、絶対的な強さを誇っていた第58代横綱・千代の富士に対して無類の強さを発揮した。平成元年(1989年)9月場所より四股名を「両国 梶之助」へと改めると、続く11月場所では東前頭3枚目で10勝5敗の好成績を挙げ、千代の富士から自身初となる金星を獲得し、殊勲賞を受賞する。
さらに、翌平成2年(1990年)3月場所では11勝4敗で敢闘賞と金星を獲得し、同年7月場所においても金星を奪ってみせた。自身が獲得した通算3個の金星はすべて大横綱・千代の富士から挙げたものであり、「千代の富士キラー」として館内を大いに沸かせた。
怪我との闘いと現役引退
その後も再度の三役昇進を目指して奮闘したが、平成4年(1992年)7月場所で左大腿部を挫傷する重傷を負って途中休場を余儀なくされる。さらに、大学時代から抱えていた腰の怪我も悪化したことで本来の相撲が取れなくなり、同年9月場所では2勝13敗と大きく負け越して十両へと陥落してしまう。
続く11月場所は西十両7枚目で迎えたが、初日から1勝5敗としたのち休場し、翌場所の幕下陥落が確定的となった。このため、場所後の12月に現役引退を発表した。
男気あふれる熱血親方として
引退後は年寄「中立」を襲名して出羽海部屋で後進の指導にあたったのち、平成10年(1998年)に独立して中立部屋を創設する。平成15年(2003年)には自身の名跡変更に伴い、部屋の名称を「境川部屋」へと改称した。
指導者としては、人情に厚い「熱血親方」として広く知られている。入門を志願した門元少年(のちの幕内・豊響)が母親にぞんざいな口を利いた際には激怒して入門を破談にしたが、2年後に非礼を詫びて再志願してきた際には「命を懸けて来い」と快く迎え入れた。また、「先人を敬う気持ち」を大切にし、部屋の旅行で訪れたサイパンで慰霊碑の落書きを見た際には、急遽予定を変更して弟子たちと共に汗だくになって清掃にあたったというエピソードも残る。
師匠としての矜持も強く、弟子に現役時代の番付を抜かれても「偉そうなことが言えなくなるからな」と奢られることは一切なかった。平成26年(2014年)7月、愛弟子である豪栄道の大関昇進を伝える使者を迎えた日は奇しくも自身の52歳の誕生日であったが、周囲が用意したケーキを「今日は豪太郎の日や」と固辞し、弟子の出世を祝うことを優先したという。厳しくも温かいその信念のもと、数多くの関取を育て上げ、現在も大相撲の発展に多大な貢献を果たしている。
- 四股名
- 両国 梶之助 (りょうごく かじのすけ)
- 最高位
- 小結
- 年寄名跡
- 12代中立 秀昭(出羽海) → 12代中立 秀昭 → 12代中立 嗣人 → 13代境川 豪章
- 出身地
- 長崎県長崎市
- 本名
- 小林 秀昭
- 生年月日
- 昭和37年(1962)7月30日(63歳)
- 出身高校
- 諫早農業高校
- 出身大学
- 日本大学
- 所属部屋
- 出羽海部屋
- 改名歴
- 小林山 秀昭 → 両国 秀昭 → 両国 梶之助
- 初土俵
- 昭和60年(1985)3月 幕下60枚目付出(22歳7ヶ月)
- 新十両
- 昭和61年(1986)3月(所要6場所)
- 23歳7ヶ月(初土俵から1年0ヶ月)
- 新入幕
- 昭和62年(1987)3月(所要12場所)
- 24歳7ヶ月(初土俵から2年0ヶ月)
- 新小結
- 昭和62年(1987)7月(所要14場所)
- 24歳11ヶ月(初土俵から2年4ヶ月)
- 最終場所
- 平成4年(1992)11月場所(30歳3ヶ月)※番付上は平成5年(1993)1月場所
- 大相撲歴
- 47場所(7年8ヶ月)
- 通算成績
- 316勝313敗20休626出場(勝率.505)
- 通算47場所
- 勝ち越し25場所(勝ち越し率.532)(勝ち越し星93)
- 優勝等
- 十両優勝1回(同点2)
- 受賞・金星
- 殊勲賞1回,敢闘賞1回,金星3個(千代の富士3個)
- 持給金
- 79円50銭(勝ち越し星93個 金星3個)
- 幕内戦歴
- 217勝252敗11休467出場(勝率.465)
- 在位32場所(在位率.681)
- 勝ち越し13場所(勝ち越し率.406)
- 三役戦歴
- 21勝39敗0休60出場(勝率.350)
- 在位4場所(在位率.085)
- 勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
- 小結戦歴
- 21勝39敗0休60出場(勝率.350)
- 在位4場所(在位率.085)
- 勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
- 前頭戦歴
- 196勝213敗11休407出場(勝率.482)
- 在位28場所(在位率.596)
- 勝ち越し13場所(勝ち越し率.464)
- 十両戦歴
- 64勝47敗9休110出場(勝率.582)
- 在位8場所(在位率.170)
- 勝ち越し6場所(勝ち越し率.750)
- 関取戦歴
- 281勝299敗20休577出場(勝率.487)
- 在位40場所(在位率.851)
- 勝ち越し19場所(勝ち越し率.475)
- 幕下以下歴
- 35勝14敗0休49出場(勝率.714)
- 在位7場所(在位率.149)
- 勝ち越し6場所(勝ち越し率.857)
名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。
- ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(109回 / 38.5%)
- ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(125回 / 41.5%)
- ✅ 得意な相手:薩洲洋(10勝2敗 / 勝率.833)
- ✅ 苦手な相手:大乃国(0勝12敗 / 勝率.000)
過去から現在までの境川部屋力士はこちら
ここまでは境川部屋の現役力士と親方などをご紹介してきましたが、この境川部屋の過去から現在までの所属力士をまとめた記事もご用意しています。興味を持たれた方はどうぞ。
出身地別、力士別、初土俵別など様々な方法で力士データをまとめています。
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