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相撲の世話人ってなに?地方場所と巡業を支えている世話人についてご紹介!

相撲の世界の花形はなんといっても力士ですが、その陰には力士と相撲興行を支えてくれる裏方さんたちの存在があります。 裏方といえば行司や呼出、髷を結う床山などが有名ですが、その他にも世話人という職種があるのです。

今回は、この世話人について解説していきましょう。

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世話人の概要

世話人はどんな人がなれるの?

まずは世話人の採用基準から見ていきましょう。相撲未経験者でもなれる行司や呼出などとは違い、世話人は引退した力士であることが第一条件です。それでは条件を詳細に見ていきましょう。

世話人の採用基準

世話人の採用基準は、引退した十両・幕下経験力士で、適格であると認められる必要があります。現在、採用されている人の半数は幕下経験者のようです。20年近く現役を続けたような力士生活の長い人で、相撲に携わっていたいという熱意ある人物が採用される傾向にあると言われていますよ。

相撲協会における世話人の定員は13名、さらに停年は65歳となっています。世話人は相撲部屋に在籍するのですが、定員が13名と少数なので全ての部屋にいるわけではありません。

余談ですが、世話人と同じように引退した力士から採用される「若者頭」という職種があります。こちらの方の定員は8名と更に少ないのです。

若者頭(わかいものがしら)についての記事

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世話人はどんな仕事をしているの?

次に世話人の仕事内容を見ていきましょう。本場所中は力士や関係者入口での警備や支度部屋の管理、入場口で木戸係をしている親方のサポートとして、団体のお客さんの案内などをしている世話人ですが、いちばんの仕事は地方場所や巡業で発揮されます。

相撲用具の運搬や保管

年に3回ある地方場所はもちろん、巡業で各地をまわる相撲興行ですからその準備はとっても大変!本番に先駆けて相撲用具の運搬や保管、そして設営を取りしきっています。こうした下支えがあるからこそ、相撲はどこでも興行が打てるわけですね。

巡業では面会受付も担当

巡業地では力士の知り合いなど来客も多い為、その面会受付を担当します。また、手形の依頼が殺到する人気力士をサポートしてさばいていきます。

世話人一覧

陸奥北海 勝昭(伊勢ヶ濱部屋)

陸奥北海 勝昭 (むつほっかい かつあき)北海道三石郡三石町出身、安治川部屋の元力士で、最高位は十両6枚目

昭和56年(1981)3月場所に16歳8ヶ月で初土俵を踏み、平成15年(2003)11月場所を最後に引退(39歳4ヶ月)※番付上は平成16年(2004)1月場所

通算成績は526勝498敗8休1024出場。生涯勝率.514。通算137場所中、69場所を勝ち越した(勝ち越し率.507)。

主な成績は幕下優勝1回

本名は本間 勝明。昭和39年(1964)6月24日生まれ。令和8年(2026)4月2日逝去(享年61歳)。

初土俵から12年以上におよぶ長い下積みを経て関取の座を掴んだ陸奥北海は、師匠の交代という部屋の激動を乗り越えて奮起した力士である。180キロを超える巨体を活かして土俵を務め上げ、現役引退後は世話人として裏方から大相撲を支えたが、61歳の若さで惜しまれつつこの世を去った。

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安治川部屋への入門と初土俵

北海道三石郡三石町(現在の新ひだか町)に生まれ、昭和56年(1981年)3月場所において、3代安治川(元関脇・陸奥嵐)が率いる安治川部屋から初土俵を踏んだ。入門当初の四股名は「陸奥乃海」であった。

長い下積みと四股名の変遷

序二段や三段目の土俵で地力を養いながら、徐々に番付を上げていく。平成2年(1990年)9月場所に「陸奥の海」へ改名し、平成3年(1991年)5月場所からは最終的な四股名となる「陸奥北海」へと改名した。

幕下に定着する実力を身につけたものの、分厚い関取の壁に跳ね返される日々が続いた。そんな中、平成5年(1993年)4月に師匠の3代安治川が体調不良などの理由で廃業し、元横綱・旭富士が部屋を継承するという大きな転機が訪れる。

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悲願の新十両と先代師匠の言葉

長年指導を受けた先代師匠の廃業という出来事に直面し、これに強く奮起する。部屋の体制が変わった直後の平成5年(1993年)7月場所、東幕下11枚目の地位で7戦全勝の快進撃を見せ、自身初となる幕下優勝を飾った。

この好成績により、続く同年9月場所において新十両昇進を果たす。初土俵から約12年半の歳月をかけて掴んだ悲願の関取の座であった。この遅咲きの昇進に対して、部屋を去った先代師匠は「俺が居なくなったとたんに力を出しやがって」と笑って喜んだという。師弟の深い絆を感じさせるエピソードである。

現役引退と世話人への転身

関取としては通算10場所を務め、自己最高位は十両6枚目まで番付を上げた。十両から陥落したのちも、後進の壁として長く幕下から三段目の土俵に立ち続け、部屋を牽引するベテランとして重宝された。

40歳を目前にして、東三段目99枚目の地位にあった平成16年(2004年)1月場所を前に、同年1月1日より世話人の定員が増員されたことに伴い現役引退を発表し、世話人へと転身した。初土俵から実に138場所、約22年10ヶ月におよぶ息の長い現役生活であった。通算出場数は1023回を数え、相撲に捧げたそのひたむきな歩みは確かな記録として残されている。

引退後は世話人として日本相撲協会に採用され、引き続き安治川部屋に所属した。平成19年(2007年)12月に安治川部屋が伊勢ヶ濱部屋へと改称されたことに伴い、伊勢ヶ濱部屋の所属となって以降も、長年にわたり協会の裏方として業務に尽力した。しかし、令和8年(2026年)4月2日に61歳で死去。長く苦労を重ねて土俵を務め上げ、その後も裏方として大相撲を支え続けた功績は、人々の記憶に深く刻まれている。

四股名
陸奥北海 勝昭 (むつほっかい かつあき)
最高位
十両6枚目
出身地
北海道三石郡三石町
本名
本間 勝明
生年月日
昭和39年(1964)6月24日
没年月日
令和8年(2026)4月2日(享年61歳)
所属部屋
安治川部屋
改名歴
陸奥乃海 勝明 → 陸奥の海 → 陸奥北海 勝昭
初土俵
昭和56年(1981)3月 前相撲(16歳8ヶ月)
新十両
平成5年(1993)9月(所要75場所)
29歳2ヶ月(初土俵から12年6ヶ月)
最終場所
平成15年(2003)11月場所(39歳4ヶ月)※番付上は平成16年(2004)1月場所
大相撲歴
137場所(22年8ヶ月)
通算成績
526勝498敗8休1024出場(勝率.514)
通算137場所
勝ち越し69場所(勝ち越し率.507)(勝ち越し星161)
優勝等
幕下優勝1回
持給金
83円50銭(勝ち越し星161個)
十両戦歴
68勝82敗0休150出場(勝率.453)
在位10場所(在位率.073)
勝ち越し4場所(勝ち越し率.400)
関取戦歴
68勝82敗0休150出場(勝率.453)
在位10場所(在位率.073)
勝ち越し4場所(勝ち越し率.400)
幕下以下歴
458勝416敗8休874出場(勝率.524)
在位126場所(在位率.920)
勝ち越し65場所(勝ち越し率.516)

陸奥北海 勝昭の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

  • ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(82回 / 27.8%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(93回 / 30.0%)
  • ✅ 得意な相手:若風(6勝0敗 / 勝率1.000)
  • ✅ 苦手な相手:立田仲(0勝7敗 / 勝率.000)

隠岐の富士 和也(八角部屋)

隠岐の富士 和也 (おきのふじ かずや)島根県隠岐郡隠岐の島町出身、八角部屋の元力士で、最高位は幕下11枚目

平成18年(2006)3月場所に18歳1ヶ月で初土俵を踏み、令和6年(2024)3月場所を最後に引退(36歳1ヶ月)。

通算成績は380勝362敗0休742出場。生涯勝率.512。通算107場所中、52場所を勝ち越した(勝ち越し率.491)。

主な成績は幕下(同点1)

昭和63年(1988)1月26日生まれ。本名は竹谷 和也。

堂々たる体格を活かして初土俵から18年という長きにわたり土俵を務め、引退後は相撲協会の世話人として尽力している隠岐の富士は、関取の座には届かなかったものの、同郷の元関脇・隠岐の海らとともに部屋を支え続けたベテラン力士である。

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八角部屋への入門と数奇な縁

島根県隠岐郡隠岐の島町に生まれ、島根県立隠岐水産高校へ進学。同校を訪れた8代八角(第61代横綱・北勝海)から直接スカウトを受け、八角部屋へ入門し、平成18年(2006年)3月場所において本名の「竹谷」で初土俵を踏んだ。

なお、このスカウトの場には、知人に誘われて同席していた2年先輩の福岡(のちの関脇・隠岐の海)もおり、彼も八角から誘いを受けて共に入門に至ったというエピソードがある。

改名と幕下での奮闘

各段で地道に実力を培い、平成21年(2009年)3月場所で初めて幕下へ昇進する。そして平成22年(2010年)3月場所より、郷土である隠岐の島にちなんだ「隠岐の富士」へと四股名を改名した。

令和3年(2021年)1月場所には自己最高位となる西幕下11枚目まで番付を上げた。惜しくも関取(十両)への昇進を果たすことはできなかったが、181センチ、160キロを超える堂々たる体格を持ち、若手力士の厚い壁として、また部屋を支えるベテランとして大きな役割を果たした。

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隠岐古典相撲での「最後の取組」

ベテランとして土俵を務め続ける中、令和5年(2023年)9月に開催された兄弟子・隠岐の海の引退相撲では、同郷の縁から「隠岐古典相撲」の形式で行われた最後の取組の相手に指名された。土俵に大量の塩が投げ入れられる中での激しい取組は、館内を大いに沸かせた。

現役引退と世話人への就任

その後も土俵に上がり続けたが、東三段目25枚目で迎えた令和6年(2024年)3月場所を最後に現役を引退した。初土俵から107場所にわたり相撲を取り続け、その土俵人生の半分以上を幕下で戦い抜いた、約18年にわたる歩みであった。

引退後は世話人として日本相撲協会に採用され、引き続き八角部屋に所属している。この世話人就任には兄弟子である13代君ヶ濱(元関脇・隠岐の海)から、将来八角部屋を継承するにせよ、分家独立するにせよ、頼りになるサポート役として居てほしいと打診があったという。現在は用具の運搬や管理、巡業でのサポート業務など、協会の裏方として力士たちを支え続けている。

四股名
隠岐の富士 和也 (おきのふじ かずや)
最高位
幕下11枚目
出身地
島根県隠岐郡隠岐の島町
本名
竹谷 和也
生年月日
昭和63年(1988)1月26日
出身高校
隠岐水産高校
所属部屋
八角部屋
改名歴
竹谷 和也 → 隠岐の富士 和也
初土俵
平成18年(2006)3月 前相撲(18歳1ヶ月)
最終場所
令和6年(2024)3月場所(36歳1ヶ月)
大相撲歴
107場所(18年0ヶ月)
通算成績
380勝362敗0休742出場(勝率.512)
通算107場所
勝ち越し52場所(勝ち越し率.491)(勝ち越し星120)
優勝等
幕下(同点1)
持給金
63円(勝ち越し星120個)
幕下以下歴
380勝362敗0休742出場(勝率.512)
在位106場所(在位率.991)
勝ち越し52場所(勝ち越し率.491)

隠岐の富士 和也の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

  • ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(162回 / 42.4%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(98回 / 27.0%)
  • ✅ 得意な相手:克乃富士(4勝0敗 / 勝率1.000)
  • ✅ 苦手な相手:小城ノ正(0勝3敗 / 勝率.000)

海龍 元紀(出羽海部屋)

海龍 元生 (かいりゅう げんき)和歌山県海南市出身、田子ノ浦 → 出羽海部屋の元力士で、最高位は幕下2枚目

平成17年(2005)3月場所に15歳0ヶ月で初土俵を踏み、令和6年(2024)3月場所を最後に引退(34歳0ヶ月)。

通算成績は408勝367敗10休775出場。生涯勝率.526。通算113場所中、61場所を勝ち越した(勝ち越し率.545)。

主な成績は幕下優勝1回

平成2年(1990)3月1日生まれ。本名は山田 元紀。

突き押しを主体とした相撲で長く土俵を務め、引退後は相撲協会の世話人として尽力している海龍は、恩師の急逝という悲しみを乗り越えて幕下優勝を飾った不屈の力士である。惜しくも関取の座には届かなかったものの、初土俵から19年間にわたり真摯に土俵と向き合い続けた。

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田子ノ浦部屋への入門と3年越しの約束

和歌山県海南市に生まれ、小学4年生の頃に相撲を始めた。しかし、頭で当たることが苦手で相撲に自信を持てず、5年生の時には見学のみとなり、6年生になる頃には道場通いそのものを辞めていた。

相撲から心が離れかけていた小学6年生の時、14代田子ノ浦(元前頭筆頭・久島海)が地元へ勧誘に訪れる。その姿を見た山田(海龍)は思わず入門を直訴し、「3年後に入門する」という約束を交わした。中学時代はサッカーに打ち込んで体力を養い、約束通り中学校卒業直前に田子ノ浦部屋へ入門。平成17年(2005年)3月場所において、引退まで一貫して名乗ることになる「海龍」の四股名で初土俵を踏んだ。

恩師の急逝と手向けの幕下優勝

持ち前の突き押し相撲で地道に力をつけ、平成22年(2010年)1月場所で初めて幕下へ昇進する。しかし、平成24年(2012年)2月、入門時から目をかけてくれていた師匠の14代田子ノ浦が急逝し、所属していた田子ノ浦部屋が閉鎖されるという大きな悲しみに見舞われた。

これに伴って出羽海部屋へと移籍することとなったが、直後の同年3月場所において、亡き恩師への手向けとなる自身初の幕下優勝(7戦全勝)を見事に飾ってみせた。

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幕下での長きにわたる奮闘

以降も出羽海部屋のベテランとして長く幕下の土俵で活躍し、平成28年(2016年)1月場所には自己最高位となる東幕下2枚目まで番付を上げた。あと一歩のところで関取(十両)昇進には届かなかったものの、決して腐ることなく土俵に立ち続け、若手力士の厚い壁として、また部屋を牽引する存在としても大きな役割を果たした。

現役引退と世話人への就任

東幕下15枚目で迎えた令和6年(2024年)3月場所を最後に現役を引退した。本人としては関取昇進を未だ諦めていなかったが、世話人就任の話を打診されたことで裏方として残る道へと気持ちが傾き、引退を決断したという。初土俵から113場所にわたり相撲を取り続けた、丸19年間の歩みであった。

引退後は世話人として日本相撲協会に採用され、引き続き出羽海部屋に所属している。現在は本場所や巡業での競技用具の運搬・管理、各種サポート業務など、協会の裏方として力士たちを支え続けている。

四股名
海龍 元生 (かいりゅう げんき)
最高位
幕下2枚目
出身地
和歌山県海南市
本名
山田 元紀
生年月日
平成2年(1990)3月1日
所属部屋
田子ノ浦 → 出羽海部屋
改名歴
海龍 元氣 → 海龍 玄氣 → 海龍 元生
初土俵
平成17年(2005)3月 前相撲(15歳0ヶ月)
最終場所
令和6年(2024)3月場所(34歳0ヶ月)
大相撲歴
113場所(19年0ヶ月)
通算成績
408勝367敗10休775出場(勝率.526)
通算113場所
勝ち越し61場所(勝ち越し率.545)(勝ち越し星131)
優勝等
幕下優勝1回
持給金
68円50銭(勝ち越し星131個)
幕下以下歴
408勝367敗10休775出場(勝率.526)
在位112場所(在位率.991)
勝ち越し61場所(勝ち越し率.545)

海龍 元生の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

  • ✅ 勝った決まり手1位:押し出し(132回 / 32.4%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:押し出し(134回 / 36.5%)
  • ✅ 得意な相手:魁(6勝0敗 / 勝率1.000)
  • ✅ 苦手な相手:白鷹山(0勝5敗 / 勝率.000)

栃の山 博士(山響部屋)

栃の山 博士 (とちのやま ひろし)東京都立川市出身、春日野 → 千賀ノ浦部屋の元力士で、最高位は幕下2枚目

平成7年(1995)1月場所に21歳10ヶ月で初土俵を踏み、平成25年(2013)3月場所を最後に引退(40歳0ヶ月)※番付上は平成25年(2013)5月場所

通算成績は391勝364敗2休755出場。生涯勝率.518。通算109場所中、55場所を勝ち越した(勝ち越し率.509)。

主な成績は三段目優勝1回(同点1)

昭和48年(1973)2月24日生まれ。本名は山田 博士。

拓殖大学相撲部主将から春日野部屋の門を叩き、40歳まで現役を貫いた栃の山は、のちの大関や関取衆と名勝負を繰り広げた不屈の力士である。惜しくも関取の座には届かなかったが、引退後は世話人として裏方にまわり、角界を支え続けている。

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春日野部屋への入門と志賀(栃東)との因縁

東京都立川市に生まれ、拓殖大学相撲部では主将を務めるなど活躍した。大学卒業後、同大の先輩である19代千賀ノ浦(元関脇・舛田山)が部屋付き親方として所属していた春日野部屋へと入門。平成7年(1995年)1月場所において「栃ノ山 拓」の四股名で初土俵を踏んだ。

初めて番付に名前が載った翌3月場所では、序ノ口で初日から6連勝とするも、勝てば優勝となる7番相撲で同期入門の志賀(のちの大関・栃東)に敗れて優勝を逃す。さらに翌5月場所でも序二段で6連勝としたが、またしても13日目の7番相撲で志賀と対戦して敗れ、2場所連続で同じ相手に各段優勝を阻まれるという因縁を味わった。

三段目陥落からの再起と最高位での大一番

平成8年(1996年)5月場所では三段目の地位で7戦全勝の成績を挙げ、自身初となる三段目優勝を飾る。その後、幕下に昇進するも一進一退が続き、三段目へ陥落して迎えた平成10年(1998年)9月場所でも全勝したが、優勝決定戦で古市に敗れて2度目の優勝はならなかった。

その後は幕下に完全定着し、平成13年(2001年)9月場所では自己最高位となる西幕下2枚目まで番付を上げた。この場所、3勝3敗で迎えた12日目の7番相撲において十両の濱ノ嶋との対戦が組まれる。大銀杏を結い、勝ち越しと関取(十両)昇進を懸けて土俵に上がったが、突き倒しで敗れて惜しくも悲願はならなかった。なお、現役時代を通じて十両力士との対戦は延べ5回経験している。

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千賀ノ浦部屋への移籍と40歳での引退

四股名は「栃ノ山」から平成14年(2002年)1月場所に「栃之山」、平成16年(2004年)1月場所からは本名に由来する「栃の山 博士」へと改名した。同年9月、19代千賀ノ浦が独立して千賀ノ浦部屋を創設すると、内弟子としてそれに伴って移籍した。以降も幕下中位から三段目上位で若手力士と互角の勝負を演じ、部屋のまとめ役として師匠を支えた。

東三段目20枚目で迎えた平成25年(2013年)5月場所を前に、世話人就任の打診があったことを機に現役を引退した。初土俵から110場所、40歳まで現役を続けた長大な歩みであった。

出羽海一門への復帰

引退後は世話人として千賀ノ浦部屋(令和2年に常盤山部屋へと改称※貴乃花一門を経て二所ノ関一門へと合流)に所属し、協会の裏方として業務に尽力した。

その後、令和8年(2026年)1月26日付で常盤山部屋(同日付で湊川部屋に改称)から山響部屋へと転属した。山響部屋への移籍により、自身が初土俵を踏んだ春日野部屋と同じ出羽海一門へと復帰する形となった。現在も豊富な経験を活かし、大相撲の円滑な運営を支え続けている。

四股名
栃の山 博士 (とちのやま ひろし)
最高位
幕下2枚目
出身地
東京都立川市
本名
山田 博士
生年月日
昭和48年(1973)2月24日
出身高校
関東第一高校
出身大学
拓殖大学
所属部屋
春日野 → 千賀ノ浦部屋
改名歴
栃ノ山 拓 → 栃之山 拓 → 栃の山 博士
初土俵
平成7年(1995)1月 前相撲(21歳10ヶ月)
最終場所
平成25年(2013)3月場所(40歳0ヶ月)※番付上は平成25年(2013)5月場所
大相撲歴
109場所(18年2ヶ月)
通算成績
391勝364敗2休755出場(勝率.518)
通算109場所
勝ち越し55場所(勝ち越し率.509)(勝ち越し星135)
優勝等
三段目優勝1回(同点1)
持給金
70円50銭(勝ち越し星135個)
幕下以下歴
391勝364敗2休755出場(勝率.518)
在位108場所(在位率.991)
勝ち越し55場所(勝ち越し率.509)

栃の山 博士の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

  • ✅ 勝った決まり手1位:押し出し(203回 / 51.9%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:叩き込み(103回 / 28.2%)
  • ✅ 得意な相手:清の海(4勝0敗 / 勝率1.000)
  • ✅ 苦手な相手:大真鶴(0勝7敗 / 勝率.000)

錦風 真悟(押尾川部屋)

錦風 真悟 (にしきかぜ しんご)北海道石狩市出身、尾車部屋の元力士で、最高位は幕下筆頭

平成5年(1993)3月場所に15歳1ヶ月で初土俵を踏み、平成27年(2015)1月場所を最後に引退(36歳11ヶ月)※番付上は平成27年(2015)3月場所

通算成績は461勝449敗0休910出場。生涯勝率.507。通算131場所中、66場所を勝ち越した(勝ち越し率.508)。

主な成績は幕下優勝1回、三段目優勝1回

昭和53年(1978)2月14日生まれ。本名は足達 康之。

小学生の頃から部屋の稽古に参加して角界へ進み、初土俵から引退直前まで一度も休場することなく土俵を務め上げた錦風は、その誠実な人柄で誰からも愛された力士である。最高位は幕下筆頭と関取の座にはあと一歩届かなかったが、その人間性の素晴らしさを買われて引退後は世話人となり、裏方として大相撲を支え続けている。

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尾車部屋への入門と四股名の由来

東京都江戸川区に生まれ、小学生の頃からすでに尾車部屋の稽古に参加するなど、早くから相撲に親しむ環境で育った。中学校卒業直前の平成5年(1993年)3月場所において、8代尾車(元大関・琴風)が率いる尾車部屋から初土俵を踏んだ。

入門に合わせて「錦風」の四股名を名乗った。この四股名は、同郷である江戸川区出身の第44代横綱・栃錦から「錦」の字を、師匠の四股名である琴風から「風」の字をそれぞれ頂戴したものである。なお、番付上の出身地は当初「東京都江戸川区」としていたが、のちに祖父の出身地である「北海道石狩市」へと変更している。

各段での優勝と幕下筆頭での大一番

初土俵から地道に番付を上げ、平成10年(1998年)3月場所では東三段目46枚目で7戦全勝とし、自身初となる三段目優勝を飾る。さらに平成13年(2001年)3月場所においては西幕下43枚目の地位で7戦全勝の幕下優勝を果たし、幕下上位へと大きく躍進した。

そして同年7月場所では、自己最高位となる西幕下筆頭まで番付を上げる。勝ち越せば関取(十両)昇進が確実となる地位であったが、この場所は3勝4敗と惜しくも負け越し、悲願の関取昇進は叶わなかった。

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優しさと真面目さ、誰からも愛された人柄

関取の座を逃した後も決して腐ることなく、幕下や三段目の土俵で長く相撲を取り続けた。平成19年(2007年)3月場所からは下の名前の表記を「眞悟」から「真悟」へと改めている。

稽古場での実力は誰もが認めるものであったが、土俵上では持ち前の優しさや真面目さが災いし、勝負どころで本来の力を出し切れない不器用な面もあったという。しかし、誰に対しても思いやりを持って接するその誠実な人柄は、師匠である尾車や、豪風や嘉風といった弟弟子たちから深く愛され、絶大な信頼を集めていた。

無事息災な土俵と最後の一番

初土俵を踏んだ平成5年(1993年)3月場所から、ただの1度も休場することなく土俵に立ち続けた。現役最後の土俵となった平成27年(2015年)1月場所の最後の一番では鳥羽の山と対戦して白星を挙げたが、奇しくも鳥羽の山もこの一番を最後に引退を決めており、「最後が錦風で良かった」と語るなど、力士仲間からの人望の厚さを物語るエピソードを残している。

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世話人への転身と押尾川部屋への移籍

その真面目な人間性を高く評価され、翌3月場所を前に、師匠の尾車からの推薦で世話人への就任打診があったことを機に現役引退を決断。同年2月1日付で正式に採用され、22年にわたる現役生活に幕を下ろした。通算連続出場は910回を数えた。

世話人に就任してからは、自身が新弟子の頃から優しく接してくれた先輩世話人の友鵬を手本とし、協会の裏方業務や尾車部屋の若手力士のサポートに尽力した。その後、師匠の定年退職に伴って令和4年(2022年)2月7日付で尾車部屋が閉鎖されると、かつての弟弟子であり部屋付きの親方であった22代押尾川(元関脇・豪風)が新設した押尾川部屋へと移籍した。現在も大相撲の円滑な運営を支え続けている。

四股名
錦風 真悟 (にしきかぜ しんご)
最高位
幕下筆頭
出身地
東京都江戸川区 → 北海道石狩市
本名
足達 康之
生年月日
昭和53年(1978)2月14日
所属部屋
尾車部屋
改名歴
錦風 眞悟 → 錦風 真悟
初土俵
平成5年(1993)3月 前相撲(15歳1ヶ月)
最終場所
平成27年(2015)1月場所(36歳11ヶ月)※番付上は平成27年(2015)3月場所
大相撲歴
131場所(21年10ヶ月)
通算成績
461勝449敗0休910出場(勝率.507)
通算131場所
勝ち越し66場所(勝ち越し率.508)(勝ち越し星146)
優勝等
幕下優勝1回,三段目優勝1回
持給金
76円(勝ち越し星146個)
幕下以下歴
461勝449敗0休910出場(勝率.507)
在位130場所(在位率.992)
勝ち越し66場所(勝ち越し率.508)

錦風 真悟の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

  • ✅ 勝った決まり手1位:押し出し(187回 / 40.6%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:押し出し(108回 / 24.1%)
  • ✅ 得意な相手:黒澤(8勝0敗 / 勝率1.000)
  • ✅ 苦手な相手:出羽の郷(1勝7敗 / 勝率.125)

栃玄王 泰幸(春日野部屋)

栃玄王 泰幸 (とちげんおう やすゆき)福岡県福岡市東区出身、春日野部屋の元力士で、最高位は幕下26枚目

昭和56年(1981)3月場所に15歳5ヶ月で初土俵を踏み、平成7年(1995)3月場所を最後に引退(29歳5ヶ月)。

通算成績は296勝287敗5休583出場。生涯勝率.508。通算85場所中、44場所を勝ち越した(勝ち越し率.524)。

昭和40年(1965)9月28日生まれ。本名は茂渡 泰幸。

春日野部屋に所属した栃玄王は、初土俵から丸14年にわたり土俵を務め上げた力士である。惜しくも関取の座には届かなかったものの、幕下中位から三段目で長く奮闘を続け、引退後は世話人として裏方から大相撲を支え続けている。

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春日野部屋への入門と初土俵

福岡県福岡市東区に生まれ、昭和56年(1981年)3月場所において春日野部屋から初土俵を踏んだ。入門当初は、本名の「茂渡」を四股名として土俵に上がっていた。

改名と幕下への昇進

序ノ口、序二段と地道に実力を養い、昭和59年(1984年)7月場所で初めて三段目へ昇進する。その後、昭和60年(1985年)1月場所より、四股名を本名から「栃玄王」へと改名した。

三段目の土俵で一進一退の攻防を続けながら地力を蓄え、昭和63年(1988年)11月場所において念願の初幕下昇進を果たす。この場所を4勝3敗の勝ち越しで終え、着実に地力をつけていった。

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最高位到達と長きにわたる奮闘

その後は幕下と三段目を往復する時期が長く続いたが、決して土俵を諦めることなく相撲を取り続けた。平成4年(1992年)9月場所に西幕下42枚目で5勝2敗の好成績を挙げると、続く同年11月場所では自己最高位となる西幕下26枚目まで番付を上げた。関取(十両)の座には届かなかったものの、長年にわたり部屋の若手力士たちの高い壁として、また稽古相手として春日野部屋を支え続けた。

現役引退と世話人への就任

ベテランの域に入ってからも土俵に立ち続けたが、東三段目3枚目で迎えた平成7年(1995年)3月場所を最後に現役を引退した。この最終場所も4勝3敗と勝ち越しを決めており、自らの力で有終の美を飾っての引退であった。生涯戦歴は296勝287敗5休、初土俵から85場所にわたり相撲を取り続けた丸14年間の歩みであった。

引退後は世話人として日本相撲協会に採用され、引き続き春日野部屋に所属している。長年の土俵経験を活かし、現在は本場所や巡業での競技用具の運搬・管理、各種サポート業務など、協会の裏方として大相撲を支え続けている。

四股名
栃玄王 泰幸 (とちげんおう やすゆき)
最高位
幕下26枚目
出身地
福岡県福岡市東区
本名
茂渡 泰幸
生年月日
昭和40年(1965)9月28日
所属部屋
春日野部屋
改名歴
茂渡 泰幸 → 栃玄王 泰幸
初土俵
昭和56年(1981)3月 前相撲(15歳5ヶ月)
最終場所
平成7年(1995)3月場所(29歳5ヶ月)
大相撲歴
85場所(14年0ヶ月)
通算成績
296勝287敗5休583出場(勝率.508)
通算85場所
勝ち越し44場所(勝ち越し率.524)(勝ち越し星86)
持給金
46円(勝ち越し星86個)
幕下以下歴
296勝287敗5休583出場(勝率.508)
在位84場所(在位率.988)
勝ち越し44場所(勝ち越し率.524)

栃玄王 泰幸の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

  • ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(38回 / 47.5%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:押し出し(24回 / 31.6%)
  • ✅ 得意な相手:秀ノ花(5勝0敗 / 勝率1.000)
  • ✅ 苦手な相手:平城山(0勝4敗 / 勝率.000)

嵐望 将輔(湊川部屋)

嵐望 将輔 (らんぼー しょうすけ)東京都福生市出身、二子山 → 貴乃花部屋の元力士で、最高位は幕下13枚目

昭和63年(1988)3月場所に15歳8ヶ月で初土俵を踏み、平成25年(2013)3月場所を最後に引退(40歳8ヶ月)※番付上は平成25年(2013)5月場所

通算成績は502勝487敗54休989出場。生涯勝率.508。通算150場所中、70場所を勝ち越した(勝ち越し率.470)。

主な成績は三段目優勝1回、序二段優勝1回

昭和47年(1972)7月2日生まれ。本名は井上 高雄。

伝説の「花の六三組」の一人として初土俵を踏み、そこから四半世紀にも及ぶ25年間にわたり現役を務め上げた嵐望は、相撲への深い情熱で長く土俵を支え続けた力士である。関取の座には届かなかったものの、引退後は世話人として相撲協会に残り、裏方として大相撲の運営に尽力している。

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二子山部屋への入門と「花の六三組」

東京都福生市に生まれ、昭和63年(1988年)3月場所において、11代二子山(第45代横綱・初代若乃花)が率いる二子山部屋から初土俵を踏んだ。入門当初の四股名は「若井上」であった。

この場所で初土俵を踏んだ同期生には、のちに一時代を築く第65代横綱・貴乃花や第66代横綱・若乃花(当時は藤島部屋)、第64代横綱・曙、大関・魁皇など錚々たる顔ぶれが揃っており、大相撲史に輝く「花の六三組」の一人として角界への第一歩を踏み出した。

度重なる改名と各段での優勝

序二段や三段目の土俵で長く一進一退の攻防を続け、平成2年(1990年)5月場所から「福の隆」へ改名。平成9年(1997年)5月場所においては東序二段35枚目で7戦全勝の序二段優勝を飾る。さらに平成11年(1999年)1月場所では東三段目49枚目で7戦全勝とし、三段目優勝を果たした。この好成績により番付を上げ、同年5月場所では自己最高位となる東幕下13枚目に到達している。

平成12年(2000年)5月場所からは、出身地である福生市にちなんだ「福生乃花(ふさのはな)」へと改名。その後も長く幕下中位から三段目で相撲を取り続けた。

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花の六三組、最後の現役力士

ベテランの域に入ってからも後進の厚い壁として土俵に立ち続け、平成23年(2011年)5月場所からは四股名を「嵐望(らんぼー)」へと改名した。

同年7月場所において大関・魁皇が引退したことにより、嵐望は伝説の「花の六三組」として現役を続ける最後の力士となった。部屋の最古参としてちゃんこ長も務め、10代二子山(初代若乃花)、11代二子山(元大関・貴ノ花)、そして一代年寄・貴乃花と、3代の師匠に仕えた唯一の力士として部屋を支え続けた。また、初代若乃花が師匠を務めていた時代に入門した力士の中で、最も遅くまで現役を続行したのもこの嵐望である。

世話人への転身と部屋の移籍

同期の力士たちが次々と土俵を去る中、40歳を超えても不屈の闘志で相撲を取り続けたが、東序二段22枚目で迎えた平成25年(2013年)5月場所を前に、日本相撲協会の世話人に採用されたことを機に現役引退を決断した。初土俵から151場所にわたり土俵を務め上げ、実に25年間という非常に息の長い現役生活であった。通算勝利数は502勝を数えた。

引退後は世話人として、引き続き同期である貴乃花が率いる貴乃花部屋に所属し、長年の土俵経験を活かして若手力士のサポートに尽力した。

その後、平成30年(2018年)10月の貴乃花部屋閉鎖に伴い、千賀ノ浦部屋(現在の湊川部屋)へと移籍している。現在も本場所や巡業での競技用具の運搬・管理をはじめとした各種サポート業務を通じ、大相撲の円滑な運営を支え続けている。

四股名
嵐望 将輔 (らんぼー しょうすけ)
最高位
幕下13枚目
出身地
東京都福生市
本名
井上 高雄
生年月日
昭和47年(1972)7月2日
所属部屋
二子山 → 貴乃花部屋
改名歴
若井上 高雄 → 福の隆 高雄 → 福生乃花 高雄 → 福生乃花 奨輔 → 福生乃花 高雄 → 福生乃花 将輔 → 嵐望 将輔
初土俵
昭和63年(1988)3月 前相撲(15歳8ヶ月)
最終場所
平成25年(2013)3月場所(40歳8ヶ月)※番付上は平成25年(2013)5月場所
大相撲歴
150場所(25年0ヶ月)
通算成績
502勝487敗54休989出場(勝率.508)
通算150場所
勝ち越し70場所(勝ち越し率.470)(勝ち越し星161)
優勝等
三段目優勝1回,序二段優勝1回
持給金
83円50銭(勝ち越し星161個)
幕下以下歴
502勝487敗54休989出場(勝率.508)
在位149場所(在位率.993)
勝ち越し70場所(勝ち越し率.470)

嵐望 将輔の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

  • ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(113回 / 26.1%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:押し出し(156回 / 36.7%)
  • ✅ 得意な相手:福寿丸(6勝0敗 / 勝率1.000)
  • ✅ 苦手な相手:冠甲(1勝5敗 / 勝率.167)

大日岳 栄隆(玉ノ井部屋)

大日岳 栄隆 (おおひだけ えいりゅう)福島県双葉郡双葉町出身、春日野 → 玉ノ井部屋の元力士で、最高位は十両7枚目

昭和57年(1982)5月場所に15歳7ヶ月で初土俵を踏み、平成15年(2003)11月場所を最後に引退(37歳1ヶ月)※番付上は平成16年(2004)1月場所

通算成績は461勝461敗5休922出場。生涯勝率.500。通算130場所中、67場所を勝ち越した(勝ち越し率.519)。

主な成績は三段目(同点1)

昭和41年(1966)10月12日生まれ。本名は井戸川 栄隆。

バスケットボール部から未経験で角界へ飛び込み、初土俵から約11年の歳月をかけて関取の座を掴んだ大日岳は、のちの大横綱と語り継がれる熱戦を演じた不屈の力士である。長い下積みで培われた優しさを持ち、引退後は世話人として裏方から大相撲を支え続けている。

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春日野部屋への入門と玉ノ井部屋の創設

福島県双葉郡双葉町に生まれ、中学時代はバスケットボール部に所属していた。相撲は未経験であったが、知人の紹介を通じて、同じ福島県の浜通り出身であった春日野部屋の部屋付き親方・13代玉ノ井(元関脇・栃東)と縁を持つ。その玉ノ井の内弟子として中学卒業後に春日野部屋へ入門し、昭和57年(1982年)5月場所において本名の「井戸川」で初土俵を踏んだ。

その後、平成2年(1990年)1月に玉ノ井が独立して玉ノ井部屋を創設すると、それに伴って春日野部屋から玉ノ井部屋へと移籍し、部屋の歴史の黎明期を支えることとなった。

貴花田との死闘と四股名の変遷

幕下時代には、本人が「思い出の一番」として振り返る大一番を経験している。東幕下55枚目で迎えた平成元年(1989年)9月場所、6戦全勝の快進撃で幕下優勝を懸けて7番相撲の土俵に上がったが、その相手は当時飛ぶ鳥を落とす勢いで出世していた17歳の新鋭・貴花田(のちの第65代横綱・貴乃花)であった。熱戦の末に寄り倒しで惜しくも敗れて全勝優勝は逃したものの、相撲史に名を残す大横綱の若き日と交わえたこの一番は、土俵人生に深く刻まれている。

四股名は昭和63年(1988年)11月場所から「栃日岳」と改め、さらに平成3年(1991年)1月場所からは、最終的な四股名となる「大日岳」へと改名している。

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悲願の新十両と付け人への思いやり

187センチ、160キロを超える長身と恵まれた体格を生かして地道に実力をつけ、平成5年(1993年)7月場所には東幕下筆頭の地位で4勝3敗と勝ち越しを決める。続く同年9月場所において新十両昇進を果たし、初土俵から約11年の歳月をかけて念願の関取の座を掴み取った。

自身が長く厳しい下積み生活を経験してきたからこそ付け人の苦労を誰よりも知っており、十両昇進時には「自分でやれることは自分でやっていきたい」と付け人を思いやる温かい言葉を残している。

新十両の場所は見事に9勝6敗で勝ち越して自己最高位となる十両7枚目まで番付を上げたが、続く11月場所と翌年1月場所で負け越し、関取在位は通算3場所で幕下へと陥落した。

幕下での奮闘と世話人への転身

幕下へ陥落した後も、再び十両へ復帰することを目指して決して土俵を諦めず、長く相撲を取り続けた。また、弟弟子にあたる大関・栃東の付け人を長く務めるなど、部屋の屋台骨として後進を支え続けた。

平成16年(2004年)1月場所から相撲協会の世話人の定員が増員されることとなり、場所前に現役引退を発表し、世話人へと転身した。初土俵から実に131場所、約21年半という非常に息の長い土俵人生であり、生涯戦歴は461勝461敗(12休)と、勝敗の数が全く同数の五分で現役を終えている。

引退後は引き続き玉ノ井部屋に所属し、長年の土俵経験を活かして、現在も用具の運搬や管理、各種サポート業務など、協会の裏方として大相撲の円滑な運営に尽力している。

四股名
大日岳 栄隆 (おおひだけ えいりゅう)
最高位
十両7枚目
出身地
福島県双葉郡双葉町
本名
井戸川 栄隆
生年月日
昭和41年(1966)10月12日
所属部屋
春日野 → 玉ノ井部屋
改名歴
井戸川 栄隆 → 栃日岳 栄隆 → 大日岳 栄隆
初土俵
昭和57年(1982)5月 前相撲(15歳7ヶ月)
新十両
平成5年(1993)9月(所要68場所)
26歳11ヶ月(初土俵から11年4ヶ月)
最終場所
平成15年(2003)11月場所(37歳1ヶ月)※番付上は平成16年(2004)1月場所
大相撲歴
130場所(21年6ヶ月)
通算成績
461勝461敗5休922出場(勝率.500)
通算130場所
勝ち越し67場所(勝ち越し率.519)(勝ち越し星137)
優勝等
三段目(同点1)
持給金
71円50銭(勝ち越し星137個)
十両戦歴
19勝26敗0休45出場(勝率.422)
在位3場所(在位率.023)
勝ち越し1場所(勝ち越し率.333)
関取戦歴
19勝26敗0休45出場(勝率.422)
在位3場所(在位率.023)
勝ち越し1場所(勝ち越し率.333)
幕下以下歴
442勝435敗5休877出場(勝率.504)
在位126場所(在位率.969)
勝ち越し66場所(勝ち越し率.524)

大日岳 栄隆の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

  • ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(147回 / 55.9%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(93回 / 32.9%)
  • ✅ 得意な相手:梅乃里(5勝1敗 / 勝率.833)
  • ✅ 苦手な相手:羽黒海(1勝6敗 / 勝率.143)

荒ノ浪 二郎(雷部屋)

荒ノ浪 二朗 (あらのなみ じろう)東京都荒川区出身、武蔵川部屋の元力士で、最高位は幕下3枚目

昭和60年(1985)3月場所に15歳10ヶ月で初土俵を踏み、平成16年(2004)1月場所を最後に引退(34歳8ヶ月)。

通算成績は399勝366敗26休765出場。生涯勝率.522。通算114場所中、62場所を勝ち越した(勝ち越し率.549)。

主な成績は序ノ口優勝1回

昭和44年(1969)5月13日生まれ。本名は高橋 二朗。

初土俵から約19年という長きにわたり土俵を務め上げた荒ノ浪は、武蔵川部屋の屋台骨として長く幕下上位で奮闘した力士である。惜しくも関取(十両)の座には届かなかったものの、その恵まれた体格を活かして若手力士の厚い壁となり、引退後は世話人として現在も裏方から大相撲を支え続けている。

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武蔵川部屋への入門と序ノ口優勝

東京都荒川区に生まれ、昭和60年(1985年)3月場所において、元第57代横綱・三重ノ海が率いる武蔵川部屋から初土俵を踏んだ。入門当初は、本名の下の名前である「二朗」を四股名として土俵に上がっている。

序ノ口に番付が載ってから約1年後となる昭和61年(1986年)3月場所では、7戦全勝の好成績を挙げて見事に序ノ口優勝を飾った。この優勝を皮切りに順調に番付を上げ、着実に地力を養っていった。

四股名の変遷と幕下への定着

昭和63年(1988年)9月場所より、四股名を「堂堂山 大成」へと改名。その後も幕下と三段目を往復しながら力をつけ、平成元年(1989年)以降は幕下の土俵に主戦場を移した。

さらに平成5年(1993年)3月場所からは「荒ノ波 二朗」へ、翌平成6年(1994年)11月場所からは最終的な四股名となる「荒ノ浪 二朗」へと改名を行っている。183センチ、150キロという堂々たる体格を活かし、幕下の土俵で長年にわたり一進一退の激しい攻防を繰り広げた。

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最高位到達と現役引退

平成4年(1992年)7月場所には、自己最高位となる西幕下3枚目まで番付を上げた。勝ち越せば悲願の関取昇進が狙える地位であったが、惜しくも2勝5敗と負け越し、十両の座を掴むことはできなかった。

その後も決して腐ることなく、後輩力士たちの高い壁として、また稽古相手として長く土俵に立ち続けた。生涯戦歴における幕下在位は実に82場所(567回出場)を数え、武蔵川部屋のベテランとして部屋の隆盛を陰から支え続けた。

しかし、東三段目36枚目で迎えた平成16年(2004年)1月場所を全休し、同場所の番付を最後に現役を引退した。初土俵から114場所、約19年間にわたり相撲を取り続けた長大な歩みであり、通算勝利数は399勝を記録している。

世話人への転身と雷部屋への移籍

引退後は日本相撲協会の世話人に就任し、引き続き武蔵川部屋(平成22年に藤島部屋へと名称変更)に所属して協会の裏方業務にあたった。

長年にわたり同部屋を支えたのち、令和5年(2023年)2月に入間川部屋が雷部屋へと改称されたことに伴い、同月中に雷部屋へと転籍している。現在も豊富な土俵経験を活かし、若手力士のサポートや大相撲の円滑な運営に尽力している。

四股名
荒ノ浪 二朗 (あらのなみ じろう)
最高位
幕下3枚目
出身地
東京都荒川区
本名
高橋 二朗
生年月日
昭和44年(1969)5月13日
所属部屋
武蔵川部屋
改名歴
二朗 → 堂堂山 大成 → 荒ノ波 二朗 → 荒ノ浪 二朗
初土俵
昭和60年(1985)3月 前相撲(15歳10ヶ月)
最終場所
平成16年(2004)1月場所(34歳8ヶ月)
大相撲歴
114場所(18年10ヶ月)
通算成績
399勝366敗26休765出場(勝率.522)
通算114場所
勝ち越し62場所(勝ち越し率.549)(勝ち越し星134)
優勝等
序ノ口優勝1回
持給金
70円(勝ち越し星134個)
幕下以下歴
399勝366敗26休765出場(勝率.522)
在位113場所(在位率.991)
勝ち越し62場所(勝ち越し率.549)

荒ノ浪 二朗の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

  • ✅ 勝った決まり手1位:押し出し(56回 / 21.5%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:押し出し(95回 / 37.0%)
  • ✅ 得意な相手:福薗(6勝1敗 / 勝率.857)
  • ✅ 苦手な相手:駒光(1勝5敗 / 勝率.167)

勇輝 瞬臣(音羽山部屋)

勇輝 瞬臣 (ゆうき しゅんじ)宮崎県宮崎市出身、陸奥部屋の元力士で、最高位は幕下20枚目

平成17年(2005)3月場所に15歳6ヶ月で初土俵を踏み、令和6年(2024)3月場所を最後に引退(34歳6ヶ月)。

通算成績は378勝400敗6休778出場。生涯勝率.486。通算113場所中、54場所を勝ち越した(勝ち越し率.482)。

平成元年(1989)9月7日生まれ。本名は山崎 勇大。

根っからの相撲好きとして土俵への情熱を燃やし、19年という長きにわたり現役を務め上げた勇輝は、相撲甚句の名手や弓取り力士としても広く知られた力士である。惜しくも関取の座には届かなかったものの、その美声と相撲への深い愛情でファンを楽しませ続け、引退後は世話人として裏方から大相撲を支えている。

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陸奥部屋への入門と初土俵

宮崎県宮崎市に生まれ、平成17年(2005年)3月場所において、9代陸奥(元大関・霧島)が率いる陸奥部屋から初土俵を踏んだ。入門当初は本名に由来する「勇大 勇(ゆうだい いさむ)」の四股名を名乗った。

改名と自己最高位への到達

序二段や三段目の土俵で一進一退の攻防を続けながら地力を蓄え、平成22年(2010年)9月場所より四股名を「勇輝 瞬臣(ゆうき しゅんじ)」へと改名する。その後も各段で地道に相撲を取り続け、ベテランの域に入ってからも幕下と三段目を往復しながら奮闘した。

初土俵から丸17年が経過した令和4年(2022年)3月場所では、自己最高位となる西幕下20枚目まで番付を上げた。関取(十両)昇進には届かなかったが、長年にわたり部屋の若手力士たちの高い壁として、また稽古相手として陸奥部屋を支え続けた。

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相撲甚句の名手と弓取り力士への抜擢

自身がアマチュア相撲の観戦を好むほどの根っからの相撲好きであり、その深い愛情は土俵外でもいかんなく発揮された。大相撲の巡業や引退相撲などで披露される伝統的な唄「相撲甚句」の名手として非常に高い評判を得ており、持ち前の美声でファンを魅了した。唄うだけでなく自ら作詞も手掛けるなど、相撲文化の継承と普及にも大きく貢献している。

さらに令和4年(2022年)2月の花相撲からは弓取式も任されるようになり、以降は巡業などで相撲甚句と弓取の両方を担当した。令和5年(2023年)7月場所の途中(10日目)からは、休場した聡ノ富士の代役として本場所の土俵で弓取式を務め上げ、翌場所からは正式に弓取り力士として起用された。現役最終場所となった令和6年(2024年)3月場所でも、8日目から千秋楽まで弓取式を務め、本場所の土俵を鮮やかに締めくくっている。

現役引退と世話人への転身

東三段目9枚目で迎えた令和6年(2024年)3月場所を最後に現役を引退した。初土俵から113場所にわたり相撲を取り続け、丸19年間土俵に立ち続けた歩みであった。引退と同時に日本相撲協会の世話人に採用され、裏方として角界に残ることとなった。

引退直後の同年4月には、師匠の定年退職に伴う陸奥部屋の閉鎖により、音羽山部屋へと移籍している。土俵上での成績以上に、その美声と相撲に対する真摯な愛情は多くの相撲ファンや力士仲間の記憶に刻まれており、現在は協会のサポート役として大相撲の円滑な運営に尽力している。

四股名
勇輝 瞬臣 (ゆうき しゅんじ)
最高位
幕下20枚目
出身地
宮崎県宮崎市
本名
山崎 勇大
生年月日
平成元年(1989)9月7日
所属部屋
陸奥部屋
改名歴
勇大 勇 → 勇輝 瞬臣
初土俵
平成17年(2005)3月 前相撲(15歳6ヶ月)
最終場所
令和6年(2024)3月場所(34歳6ヶ月)
大相撲歴
113場所(19年0ヶ月)
通算成績
378勝400敗6休778出場(勝率.486)
通算113場所
勝ち越し54場所(勝ち越し率.482)(勝ち越し星100)
持給金
53円(勝ち越し星100個)
幕下以下歴
378勝400敗6休778出場(勝率.486)
在位112場所(在位率.991)
勝ち越し54場所(勝ち越し率.482)

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  • ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(117回 / 31.0%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(139回 / 34.8%)
  • ✅ 得意な相手:北大地(4勝0敗 / 勝率1.000)
  • ✅ 苦手な相手:栃登(0勝8敗 / 勝率.000)



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カテゴリー : 世話人

公開日:2018-03-24
投稿者:レイ

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