大関、関脇、小結を指して三役と総称されますが、このなかで大関だけは特別な地位として扱われています。
今回はこの大関についての解説、そして昭和から令和にかけて大関に昇進した力士たちを一覧表でご紹介していきます。
歴代大関の昇進前成績一覧表をまとめた記事もあります。
大関とは
大相撲力士の頂点に立つのは誰もが知るように横綱ですが、その横綱に次ぐ地位が大関です。実はこの大関の歴史は横綱よりも古く、明治42年(1909)に横綱が正式に最高位となるまでは大関が最高位でした。横綱よりも歴史のあるこの大関という地位ですが、番付には最低2名(東西)大関が必要とされているため、もしもいなくなった場合は横綱が大関を兼ねて「横綱大関」となります。
大関昇進の基準
大関昇進のための基準は明文化されておらず、相撲協会としても目安の存在は否定していますが、一般的には「関脇で連続三場所の安定した好成績」であるとか、「三場所連続で三役(関脇・小結)の地位にあり、そこで通算33勝以上」などと言われています。
また、勝敗数だけではなく相撲内容や優勝の有無などの印象も加味されて、総合的に判断されるため、勝星が足りていても昇進が見送られるケースもあります。
昇進伝達式は本場所3日後
基本的に、力士が自分の新たな番付を知るのは、本場所初日の13日前に行われる番付発表によってなのですが、いくつかの例外があります。
まず十両昇進者は関取として化粧廻しなどの準備が必要なため番付編成会議の当日に発表されます。この番付編成会議は本場所千秋楽の3日以内にひらくことになっており、通常では本場所後の水曜日に行われます。つまり本場所が終わった3日後には十両への昇進を知ることになるのです。
そして、ここからが今回の本題ですが、横綱と大関への昇進者もこの番付編成会議の当日に発表されます。
審判部による番付編成会議で横綱、大関への推挙があった場合には臨時の理事会が開かれ、そこでの満場一致の賛成を得ることで横綱、大関への昇進が決まります。
昇進が決まると相撲協会から理事と一門の審判委員の二名が使者として力士の所属部屋へと派遣され、推挙を伝える昇進伝達式が行われます。
ちなみに昇進伝達式を受けた力士は、番付発表を待たずにその時点から大関として扱われるようになります。
大関の特権、そしてカド番(角番)とは?
原則的に関脇以下の力士は、勝ち越せば翌場所の番付が上がり、負け越せば番付が下がるというように、常に地位が変動するわけですが、大関には1場所の負け越しでは番付が下がらないという特権が与えられています。
横綱は引退するまで横綱の地位が保証されるという強力な特権が与えられていますが、大関にもそれに継ぐ特権が付与されているわけです。では2場所連続して負け越した場合にはどうなるのか?
これについては「大関は、二場所連続して負け越したときは降下する」と『番付編成要領』に定められています。つまり、1場所は大目に見るが2場所続けて不甲斐ない成績だった場合には大関の地位を追われてしまうわけですね。
相撲用語では、先場所を負け越した次の本場所、つまりこの大関陥落がかかった場所のことを通称で「カド番」、その大関のことを「カド番大関」と呼んでいます。これは、囲碁や将棋の七番勝負で負けが決まる一局を「角番」ということから来ているらしいです。
この角番の場所を勝ち越すことができた大関は、その地位が保証されて、また翌場所を大関で迎えることができます。「二場所連続で負け越したときは降下する」とあるように、累積ではないので、翌場所ふたたび負け越してもまだ大丈夫。
強い大関を楽しむのが本流ですが、翌場所も大関の地位を保てるかどうか?というように、進退のかかった「よわい」カド番大関の勝敗も相撲観戦の見どころとなり得るのです。
大関復活のチャンス
健闘空しく二場所連続で負け越してしまった場合は関脇に降格となります。ちなみに大負けであっても関脇より下に落ちることはないです。さて、関脇になってしまったからには、また三場所連続で頑張らなきゃいけないのでしょうか?いいえ、実はまだ大関復活のチャンスが残されているんです。それは、次の場所で10勝以上した場合には大関に戻ることができるのです。
このように、大関はその地位を巡って見どころがたくさんあります。
大関は、二場所連続して負け越したときは降下する。降下は全休を含めて関脇に止め、次場所にて10勝以上した場合は、大関に復帰する。番付編成要領 第一章 力士番付編成 第八条より抜粋
大関経験者の引退後
大関だった力士は引退後も特別な待遇が待っています。
年寄名跡の襲名・継承資格については現役時の地位や場所数など細かく規定がなされていますが、横綱や大関経験者は無条件で襲名資格を得ることができます。
ただし年寄名跡は定員が決まっているため、引退時の名跡に空きがないと襲名することができません。これについても大関には特権があり、引退後3年間は現役時の四股名のままで委員待遇の年寄になることができます。
この特権は、大関の地位で現役引退した者だけではなく、地位が降下して引退した力士にも与えられます。この3年の間に正式に年寄名跡を取得し、襲名すればいいわけですね。
昭和以降昇進の歴代大関一覧・昇進前6場所成績付き
昭和~令和年間に大関に昇進した、歴代大関を一覧でご紹介します。この一覧では大関に昇進する直近3場所だけではなく、直前6場所分の成績もあわせて掲載してみました。
大関昇進の条件としてよく取り上げられるのは直近3場所での成績ですが6場所、つまり1年間の成績を流れで見てみると、満を持して大関へと昇進した力士や、急激に力をつけた力士との違いが見えてきて面白いですよ。
「昇進基準」とされている「三場所連続で三役(関脇・小結)の地位にあり、そこで通算33勝以上」を比較するために、3場所での勝ち星を掲載しております。吉葉山以降は現行と同じ場所15日制で3場所を戦っていますので、勝利数によって色分けもしてみました。プラス6場所合計での勝ち星も記載しております。3場所だけでは分からなかった力士の勢いが見えてくるかもしれません。
四股名は大関昇進時のもので、その後横綱に昇進した力士たちも含まれています。
表の補足
表の場所ごとの成績での表記について補足します。
まずは優勝同点です。これは本割で勝星が並び優勝決定戦に進んだが、惜しくも幕内最高優勝を逃した力士のことを指します。 つぎに優勝次点ですが、これは本割の成績が優勝力士に次ぐ者を指します。
大相撲では「準優勝」という概念はあまりなく、それほど大きく取り上げられませんが、力士の隠れた成績として追っていくと、成長の過程や昇進の必然性などが見えてきます。
歴代大関の昇進前成績一覧表をまとめた記事はこちら。