『相撲部屋』カテゴリー記事-Part8

大嶽部屋の力士一覧!大鵬~大嶽部屋の主な関取を網羅しました

大嶽(おおたけ)部屋に在籍した主な力士をご紹介する大嶽部屋の大相撲力士まとめ!

この記事では大嶽部屋と、その前身ある大鵬部屋の主な関取たちを、最高位や改名歴、初土俵や各段の昇進時期と最終場所、さらには生涯戦歴と生涯勝率、成績等を中心にしてご紹介していきます。

なお、年寄名跡欄のマークは、その代で師匠(部屋持ち親方)になったことがあるという意味です。

現役の大嶽部屋力士の最新番付や成績、詳細なデータをご覧になりたい方はこちら


相撲部屋や出身地ごとの場所の成績からランキングを作成しております。初場所、好調な相撲部屋や力士の出身地はどこ?

大嶽部屋の基本情報
一門
:二所ノ関一門
創設
:昭和46年(1971年)12月1日 大鵬部屋として創設
創設者
:一代年寄・大鵬 幸喜 (元横綱・大鵬 幸喜)
改称
:平成16年(2004年)1月1日 大嶽部屋へと改称
改称者
:第16代・大嶽 忠茂 (元関脇・貴闘力 忠茂)
現師匠
:第18代・大嶽 大輔 (元前頭9枚目・玉飛鳥 大輔)
所在地
:東京都江東区清澄2-8-3 📍地図
サイト
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大嶽部屋の系図

大嶽部屋は「昭和の大横綱」大鵬が創設した大鵬部屋がその前身となっています。大嶽部屋の成り立ちを図にしてみました。 大嶽部屋・相関図
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大鵬~大嶽部屋力士を検索

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大鵬部屋の最高位:関脇

巨砲 丈士

大鵬の内弟子で部屋創設とともに二所ノ関部屋から移籍、大鵬部屋初の関取と幕内、そして三役力士となった

  • 四股名 :巨砲 丈士(おおづつ たけし)
  • 最高位 :関脇
  • 年寄名跡:14代大嶽⇒14代楯山
  • 出身地 :三重県四日市市
  • 本 名 :松本 隆年
  • 生年月日:昭和31年(1956)4月18日
  • 所属部屋:二所ノ関⇒大鵬部屋
  • 改名歴 :大真⇒巨砲
  • 初土俵 :昭和46年(1971)5月(15歳1ヵ月)
  • 新十両 :昭和52年(1977)7月(21歳3ヵ月)
  • 新入幕 :昭和54年(1979)3月(22歳11ヵ月)
  • 新三役 :昭和55年(1980)3月(23歳11ヵ月)
  • 最終場所:平成4年(1992)5月(36歳1ヵ月)
  • 生涯戦歴:753勝809敗18休/1561出場(127場所)
  • 生涯勝率:48.2%
  • 優勝等 :幕内次点1回,十両優勝1回(同点1)
  • 成 績 :殊勲賞2回,敢闘賞1回,技能賞1回,金星10個
  • 幕内戦歴:533勝637敗(78場所)勝率:45.6%
  •   関脇:18勝27敗(3場所)勝率:40.0%
  •   小結:51勝69敗(8場所)勝率:42.5%
  •   前頭:464勝541敗(67場所)勝率:46.2%
  • 十両戦歴:84勝76敗5休(11場所)勝率:52.5%

大嶽部屋の最高位:関脇

王鵬 幸之介

王鵬 幸之介(おうほう こうのすけ)は東京都 江東区出身、大嶽部屋の力士で最高位は関脇。令和8年5月場所の番付は西 前頭3枚目。

第48代横綱・大鵬を祖父に、元関脇・貴闘力を父に持つ相撲一家の三男として育つ。幼少期より地元の相撲道場で稽古に励み、名門である埼玉栄高校へと進学。3年次には相撲部の主将を務め、国民体育大会での団体優勝に貢献するなどの実績を残した。

高校卒業を控えた平成30年(2018年)1月場所において、17代大嶽(元十両・大道)が師匠を務める大嶽部屋から初土俵を踏んだ。入門当初の四股名は、本名の「納谷」であった。

序ノ口優勝と三世代にわたる関取誕生

初めて番付に名前が載った翌3月場所では、高校時代から切磋琢磨してきた同期入門の豊昇龍を破り、7戦全勝で序ノ口優勝を飾る。その後も順調に白星を重ね、同年9月場所で幕下へ昇進した。

以降は幕下上位の分厚い壁に挑みながら着実に地力を蓄え、幕下筆頭で迎えた令和2年(2020年)11月場所において6勝1敗と勝ち越す。初土俵から丸3年となる令和3年(2021年)1月場所、20歳11ヶ月の若さで新十両へ昇進した。

この関取昇進を機に、四股名を「王鵬」へと改名する。祖父の四股名から「鵬」の一字を受け継ぎ、「王道を進んでほしい」という願いが込められたものであった。これにより、祖父、父に続く三世代にわたる関取が誕生した。

幕内での躍進と初金星

新十両の場所は5勝10敗と大きく負け越して幕下へ陥落したが、再起後は安定した成績を積み重ねて十両を突破し、令和4年(2022年)1月場所で新入幕を果たす。恵まれた体格を生かした突き押しや、四つに組んでも取れる相撲を武器に幕内に定着し、令和6年(2024年)3月場所では横綱・照ノ富士を破って自身初となる金星を獲得した。

因縁の優勝決定戦と新関脇への昇進

西前頭3枚目で迎えた令和7年(2025年)1月場所では、順調に白星を重ねて12勝3敗の好成績を挙げ、因縁のライバルである豊昇龍と優勝決定戦を争った。惜しくも敗れて優勝同点となったものの、その堂々たる戦いぶりから技能賞を受賞している。

続く同年3月場所では新関脇へと昇進した。この場所は6勝9敗と負け越して平幕へ番付を落としたが、直後の5月場所において、先の決定戦を制して横綱へと昇進していた豊昇龍から2つ目となる金星を奪う意地を見せた。その後も関脇や小結など三役の地位を含め、幕内上位で激闘を続けている。血脈の重圧を自らの力へと変え、さらなる高みを目指して現在の土俵を務めている。

💡 東京都出身一覧💡 大嶽部屋の力士

四股名
王鵬 幸之介(おうほう こうのすけ)
最高位
関脇
最新番付
西 前頭3枚目
出身地
東京都 江東区
本名
納谷 幸之介
生年月日
平成12年(2000)2月14日(26歳)
身長・体重
192cm・178kg
出身高校
埼玉栄高校
所属部屋
大嶽部屋
改名歴
納谷 → 王鵬
初土俵
平成30年(2018)1月(17歳11ヵ月)
新十両
令和3年(2021)1月(20歳11ヵ月)
新入幕
令和4年(2022)1月(21歳11ヵ月)
新小結
令和8年(2026)1月(25歳11ヵ月)
新関脇
令和7年(2025)3月(25歳1ヵ月)
優勝
序ノ口優勝1回
受賞・金星
技能賞1回,金星2個
通算成績
316勝268敗0休/583出場(勝率:54.2%)
直近7場所
42勝48敗
7場所勝率
46.7%
得意技
突き・押し
決まり手傾向(直近7場所)
王鵬が勝ちの決まり手(42勝)※不戦勝1含む
押し出し12
叩き込み10
肩透かし3
突き落とし3
寄り切り3
寄り倒し2
その他8
王鵬が負けの決まり手(48敗)
寄り切り16
押し出し7
上手投げ5
寄り倒し4
叩き込み4
突き出し2
その他10
令8年5月
西 前頭3枚目(変動なし)
0勝0敗
令8年3月
西 前頭3枚目(3枚半降下)
7勝8敗
●●○●●|○●○●○|○○●○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年1月
東 小結(半枚降下)
4勝11敗
●●●○○|●●○○●|●●●●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

▼ さらに過去の成績(4場所分)を見る
令7年11
西 関脇(3枚上昇)
7勝8敗
○○●●●|○●●○●|●●○○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年9月
西 前頭2枚目(半枚降下)
10勝5敗
●●○○●|●○○○○|○●○○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年7月
東 前頭2枚目(半枚降下)
7勝8敗(金星)
●●●○□|●●●○●|○●○○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年5月
西 前頭筆頭
7勝8敗
○○○●●|●●●●●|○●○○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

大嶽部屋の最高位:小結

露鵬 幸生

ロシア出身力士で初の三役も大麻陽性反応により協会より解雇処分に

  • 四股名 :露鵬 幸生(ろほう ゆきお)
  • 最高位 :小結
  • 出身地 :ロシア連邦北オセチア・アラニヤ共和国ヴラジカヴカーズ市
  • 本 名 :ソスラン・フェーリクソヴィッチ・ボラーゾフ
  • 生年月日:昭和55年(1980)3月9日
  • 所属部屋:大鵬⇒大嶽部屋
  • 初土俵 :平成14年(2002)5月(22歳2ヵ月)
  • 新十両 :平成16年(2004)1月(23歳10ヵ月)
  • 新入幕 :平成16年(2004)9月(24歳6ヵ月)
  • 新三役 :平成18年(2006)3月(26歳0ヵ月)
  • 最終場所:平成20年(2008)9月(28歳6ヵ月)
  • 生涯戦歴:267勝198敗18休/461出場(38場所)
  • 生涯勝率:57.4%
  • 優勝等 :十両同点1回,序二段優勝1回,序ノ口優勝1回
  • 成 績 :敢闘賞1回
  • 幕内戦歴:182勝160敗18休(24場所)勝率:53.2%
  •   小結:15勝30敗(3場所)勝率:33.3%
  •   前頭:167勝130敗18休(21場所)勝率:56.2%
  • 十両戦歴:37勝23敗(4場所)勝率:61.7%

大鵬部屋の最高位:前頭

嗣子鵬 慶昌

のんびり屋だったが巨砲と十両同時昇進で大鵬部屋初の関取に

  • 四股名 :嗣子鵬 慶昌(ししほう よしまさ)
  • 最高位 :前頭2枚目
  • 出身地 :長崎県北高来郡森山町
  • 本 名 :田中 修
  • 生年月日:昭和30年(1955)8月14日
  • 没年月日:平成18年(2006)10月7日(享年51歳)
  • 所属部屋:二所ノ関⇒大鵬部屋
  • 改名歴 :田中⇒豊大山⇒満山⇒嗣子鵬
  • 初土俵 :昭和46年(1971)1月(15歳5ヵ月)
  • 新十両 :昭和52年(1977)7月(21歳11ヵ月)
  • 新入幕 :昭和54年(1979)9月(24歳1ヵ月)
  • 最終場所:昭和62年(1987)5月(31歳9ヵ月)
  • 生涯戦歴:533勝527敗19休/1058出場(99場所)
  • 生涯勝率:50.3%
  • 優勝等 :十両優勝3回,幕下同点1回,序二段同点1回
  • 幕内戦歴:99勝147敗9休(17場所)勝率:40.2%
  • 十両戦歴:256勝221敗3休(32場所)勝率:53.7%

大乃花 武虎

5度目の十両昇進から奮起、入幕まで14年かかったスロー出世力士

  • 四股名 :大乃花 武虎(おおのはな たけとら)
  • 最高位 :前頭13枚目
  • 年寄名跡:12代佐ノ山⇒16代尾上
  • 出身地 :山梨県東八代郡八代町
  • 本 名 :大野 久好
  • 生年月日:昭和33年(1958)6月23日
  • 所属部屋:大鵬部屋
  • 改名歴 :大野⇒鵬龍⇒大野⇒大ノ花⇒大乃花
  • 初土俵 :昭和49年(1974)3月(15歳9ヵ月)
  • 新十両 :昭和58年(1983)7月(25歳1ヵ月)
  • 新入幕 :昭和63年(1988)3月(29歳9ヵ月)
  • 最終場所:平成2年(1990)11月(32歳5ヵ月)
  • 生涯戦歴:483勝428敗30休/909出場(100場所)
  • 生涯勝率:53.0%
  • 優勝等 :十両優勝2回,幕下優勝1回(同点2)
  • 幕内戦歴:5勝10敗(1場所)勝率:33.3%
  • 十両戦歴:212勝224敗14休(30場所)勝率:48.6%

大若松 好弘

10代浅香山親方時代の分かりやすいNHK解説が好評だった

  • 四股名 :大若松 好弘(おおわかまつ よしひろ)
  • 最高位 :前頭13枚目
  • 年寄名跡:16代音羽山⇒10代浅香山
  • 出身地 :埼玉県越谷市
  • 本 名 :若松 好弘
  • 生年月日:昭和41年(1966)11月17日
  • 所属部屋:大鵬部屋
  • 初土俵 :昭和57年(1982)3月(15歳4ヵ月)
  • 新十両 :昭和63年(1988)9月(21歳10ヵ月)
  • 新入幕 :平成2年(1990)7月(23歳8ヵ月)
  • 最終場所:平成8年(1996)3月(29歳4ヵ月)
  • 生涯戦歴:373勝351敗32休/722出場(85場所)
  • 生涯勝率:51.5%
  • 優勝等 :三段目優勝1回
  • 幕内戦歴:24勝32敗4休(4場所)勝率:42.9%
  • 十両戦歴:121勝116敗18休(17場所)勝率:51.1%

大嶽部屋の最高位:前頭

大砂嵐 金太郎

ムスリム初の大相撲力士、荒削りながらも強烈なかち上げは魅力的だったが、無免許運転などの不祥事により引退勧告

  • 四股名 :大砂嵐 金太郎(おおすなあらし きんたろう)
  • 最高位 :前頭筆頭
  • 出身地 :エジプト ダカリーヤ県
  • 本 名 :アブデラハム・シャーラン
  • 生年月日:平成4年(1992)2月10日
  • 所属部屋:大嶽部屋
  • 初土俵 :平成24年(2012)1月(19歳11ヵ月)
  • 新十両 :平成25年(2013)7月(21歳5ヵ月)
  • 新入幕 :平成25年(2013)11月(21歳9ヵ月)
  • 最終場所:平成30年(2018)3月(26歳1ヵ月)
  • 生涯戦歴:238勝178敗53休/407出場(37場所)
  • 生涯勝率:57.2%
  • 優勝等 :十両優勝1回(同点1),幕下優勝1回,序ノ口優勝1回
  • 成 績 :金星3個
  • 幕内戦歴:112勝100敗43休(17場所)勝率:52.8%
  • 十両戦歴:84勝72敗9休(11場所)勝率:53.8%

大鵬部屋の最高位:十両

榛名富士 新司

中学生の時に大鵬の内弟子として二所ノ関部屋へと入門、部屋創設とともに大鵬部屋へと移籍した

  • 四股名 :榛名富士 新司(はるなふじ しんじ)
  • 最高位 :十両2枚目
  • 出身地 :群馬県沼田市
  • 本 名 :飯島 新一
  • 生年月日:昭和34年(1959)2月3日
  • 所属部屋:二所ノ関⇒大鵬部屋
  • 改名歴 :飯島⇒榛名富士
  • 初土俵 :昭和46年(1971)5月(12歳3ヵ月)
  • 新十両 :昭和57年(1982)1月(22歳11ヵ月)
  • 最終場所:昭和62年(1987)1月(27歳11ヵ月)
  • 生涯戦歴:356勝341敗/697出場(95場所)
  • 生涯勝率:51.1%
  • 優勝等 :十両同点1回,幕下優勝1回(同点1)
  • 十両戦歴:94勝116敗(14場所)勝率:44.8%

大鷹 雅規

岡山県出身として昭和最後に関取に昇進した力士

  • 四股名 :大鷹 雅規(おおたか まさき)
  • 最高位 :十両4枚目
  • 出身地 :岡山県備前市
  • 本 名 :定久 正行
  • 生年月日:昭和35年(1960)9月16日
  • 所属部屋:大鵬部屋
  • 改名歴 :定久⇒暁鵬⇒堯公鵬⇒大鷹
  • 初土俵 :昭和51年(1976)3月(15歳6ヵ月)
  • 新十両 :昭和60年(1985)9月(25歳0ヵ月)
  • 最終場所:平成元年(1989)1月(28歳4ヵ月)
  • 生涯戦歴:327勝311敗5休/638出場(78場所)
  • 生涯勝率:51.3%
  • 優勝等 :幕下優勝1回
  • 十両戦歴:94勝101敗(13場所)勝率:48.2%

大竜 忠博

大竜 忠博 (だいりゅう ただひろ)大阪府大阪市西成区出身、大鵬部屋の元力士で、最高位は十両4枚目

昭和51年(1976)5月場所に15歳7ヶ月で初土俵を踏み、平成9年(1997)7月場所を最後に引退(36歳9ヶ月)。

通算成績は553勝508敗28休1060出場。生涯勝率.522。通算128場所中、72場所を勝ち越した(勝ち越し率.567)。

主な成績は幕下(同点1)、三段目(同点1)

昭和35年(1960)9月30日生まれ。本名は永本 忠博→佐藤 忠博。

大鵬部屋で長く修行し、10年近い幕下での足踏みを経て関取の座を掴んだ苦労人であった。左四つからの力強い寄りを武器に十両で長く活躍し、引退後は最高位が十両ながら年寄名跡を取得。後年は師匠である大鵬の思いを継いで大嶽部屋の師匠となり、部屋の存続と大鵬の孫たちの育成に相撲人生を捧げた。

入門と長い幕下生活

中学時代はサッカー部に所属していたが、卒業後に知人の紹介で角界入りを勧められる。昭和の大横綱である大鵬からの熱心な誘いを受けて上京し、入門を決意。昭和51年(1976年)5月場所において、本名の「永本」の四股名で初土俵を踏んだ。

順調に番付を上げ、昭和54年(1979年)7月場所には18歳で幕下へ昇進する。しかし、そこから9年近くにわたり幕下の壁に跳ね返される苦しい時期が続いた。

師匠の鉄拳と新十両昇進

転機となったのは、西幕下4枚目で迎えた昭和62年(1987年)9月場所であった。勝ち越せば関取という地位で負け越し、千秋楽のパーティーで自棄酒をあおっていたところ、後援者から「稽古が足りないからだ」と咎められる。これに対して「稽古を見たことがあるのか」と食って掛かったため、その様子を見た師匠の大鵬から激しい鉄拳制裁を受けた。一時は「こんな部屋辞めてやる」と荷物をまとめるほど反発したが、翌日に廃業の覚悟で謝罪へ向かうと、大鵬は「お前の努力は俺が一番知っている。悔しいだろう。辞めないで頑張れ。関取に上がって見返してやれ」と諭した。

師匠の深い愛情と期待の言葉に奮起し、昭和63年(1988年)3月場所において悲願の新十両昇進を果たす。本名から「大竜(だいりゅう)」へと改名し、十両の土俵に定着した。

最高位と不屈の現役晩年

左四つからの寄りを武器に長く活躍し、平成6年(1994年)11月場所では自己最高位となる東十両4枚目まで番付を上げる。幕内昇進の期待も懸かったが、この場所は6勝9敗に終わり、惜しくも入幕は果たせなかった。さらに翌平成7年(1995年)5月場所中に右膝を故障して途中休場となり、幕下へ陥落してしまう。それでも諦めずに2度の十両復帰を果たしたが、右膝の調子が戻らず関取の座に定着することは叶わなかった。平成9年(1997年)7月場所を最後に現役を引退した。

大嶽部屋継承と大鵬への忠誠

当時の規定には「十両以上連続20場所または通算25場所以上経験した力士に年寄資格を認める」というものがあり、大竜はこれを満たしていた。大鵬の尽力もあって最高位が十両でありながら年寄名跡の取得が叶い、日本相撲協会に残った。大鵬部屋から大嶽部屋へと名称が変わる中、部屋付き親方として指導にあたっていたが、平成22年(2010年)に当時の師匠である16代大嶽(元関脇・貴闘力)が不祥事により解雇処分となる重大な危機に直面する。この際、部屋の継承を打診されたが「自分の名前では弟子は入らない」と当初は2度固辞した。しかし、病床の大鵬から直々に頭を下げられ、「弟子が師匠にこんなことをさせてはいけない」と決意を固め、17代大嶽を襲名して部屋を継承した。

その後は大鵬の孫たち(のちの王鵬ら)を弟子として引き受け、周囲からの心ない声やバッシングも激励と受け止め、自身にとって人生のすべてである師匠の教えを愚直に守り抜いた。

大鵬の遺志と部屋の存続

令和7年(2025年)9月に自身の停年を迎えるにあたり、部屋の後継者問題が浮上する。一時は他部屋との合併案も進み、後援者らの了承も得ていたが、「大鵬親方から部屋を残してくれと託されているのに、潰してしまえば親方の気持ちに反してしまう」と思い留まり、大嶽部屋の存続を決断する。こうして、同じ二所ノ関一門で片男波部屋の部屋付き親方だった17代熊ヶ谷(元前頭・玉飛鳥)を招聘し、名跡交換して師匠の座を託すと、自身は18代熊ヶ谷を襲名して部屋付き親方として残った。自らの土俵人生のすべてを懸けて「大鵬の血脈と部屋の看板」を守り抜いたのである。

四股名
大竜 忠博 (だいりゅう ただひろ)
最高位
十両4枚目
年寄名跡
15代大嶽 忠博(大鵬) → 16代佐ノ山 忠博(大鵬) → 16代佐ノ山 忠博(大嶽) → 19代山響 忠博(大嶽) → 12代二子山 忠博(大嶽) → 17代大嶽 忠博 → 18代熊ヶ谷 忠博(大嶽)
出身地
大阪府大阪市西成区
本名
永本 忠博→佐藤 忠博
生年月日
昭和35年(1960)9月30日(65歳)
所属部屋
大鵬部屋
改名歴
永本 忠博 → 永本 忠晴 → 永本 忠博 → 永本 忠晴 → 永本 忠博 → 大竜 忠博 → 大竜 忠晴 → 大竜 忠博
初土俵
昭和51年(1976)5月 前相撲(15歳7ヶ月)
新十両
昭和63年(1988)3月(所要71場所)
27歳5ヶ月(初土俵から11年10ヶ月)
最終場所
平成9年(1997)7月場所(36歳9ヶ月)
大相撲歴
128場所(21年2ヶ月)
通算成績
553勝508敗28休1060出場(勝率.522)
通算128場所
勝ち越し72場所(勝ち越し率.567)(勝ち越し星156)
優勝等
幕下(同点1),三段目(同点1)
持給金
81円(勝ち越し星156個)
十両戦歴
173勝195敗7休367出場(勝率.471)
在位25場所(在位率.195)
勝ち越し12場所(勝ち越し率.480)
関取戦歴
173勝195敗7休367出場(勝率.471)
在位25場所(在位率.195)
勝ち越し12場所(勝ち越し率.480)
幕下以下歴
380勝313敗21休693出場(勝率.548)
在位102場所(在位率.797)
勝ち越し60場所(勝ち越し率.588)

大竜 忠博の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

  • ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(142回 / 50.9%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(89回 / 32.0%)
  • ✅ 得意な相手:維新力(8勝3敗 / 勝率.727)
  • ✅ 苦手な相手:陸奥北海(1勝6敗 / 勝率.143)

翔鵬 豪一

  • 四股名 :翔鵬 豪一(しょうほう こういち)
  • 最高位 :十両11枚目
  • 出身地 :新潟県新潟市
  • 本 名 :村山 修一
  • 生年月日:昭和32年(1957)1月5日
  • 所属部屋:二所ノ関⇒大鵬部屋
  • 改名歴 :村山⇒翔鵬⇒村山
  • 初土俵 :昭和46年(1971)9月(14歳8ヵ月)
  • 新十両 :昭和55年(1980)1月(23歳0ヵ月)
  • 最終場所:昭和57年(1982)9月(25歳8ヵ月)
  • 生涯戦歴:230勝208敗18休/438出場(67場所)
  • 生涯勝率:52.5%
  • 優勝等 :なし
  • 十両戦歴:4勝11敗(1場所)勝率:26.7%

草竹 幸一

東幕下25枚目での優勝が関取昇進への弾みとなった

  • 四股名 :草竹 幸一(くさたけ こういち)
  • 最高位 :十両11枚目
  • 出身地 :宮崎県串間市
  • 本 名 :草竹 幸一
  • 生年月日:昭和32年(1957)12月5日
  • 所属部屋:大鵬部屋
  • 改名歴 :草竹⇒若大翔⇒草竹
  • 初土俵 :昭和48年(1973)7月(15歳7ヵ月)
  • 新十両 :昭和57年(1982)1月(24歳1ヵ月)
  • 最終場所:昭和59年(1984)7月(26歳7ヵ月)
  • 生涯戦歴:244勝219敗7休/463出場(67場所)
  • 生涯勝率:52.7%
  • 優勝等 :幕下優勝1回(同点1),序ノ口同点1回
  • 十両戦歴:5勝10敗(1場所)勝率:33.3%

大嶽部屋の最高位:十両

夢道鵬 幸成

夢道鵬 幸成(むどうほう こうせい)は東京都 江東区出身、大嶽部屋の力士で最高位は十両14枚目。令和8年5月場所の番付は東 幕下15枚目。

祖父に昭和の大横綱・大鵬、父に元関脇・貴闘力を持つ相撲一家に生まれ、納谷4兄弟の末っ子として育つ。5歳の頃から江東青龍館に通って相撲を始め、中央区立有馬小学校6年次には全日本小学生相撲優勝大会に出場する。中学校はさいたま市立大宮西中学校へ進学し、3年次に全国都道府県中学生相撲選手権大会へ出場したほか、全国中学校相撲選手権大会では団体ベスト8、個人ベスト32の成績を残した。その後は相撲の名門である埼玉栄高校へ進学して腕を磨き、高校3年次には全国高校総体(インターハイ)の個人戦でベスト32に入った。卒業後は、三男の納谷幸之介(のちの幕内・王鵬)に続いて、祖父が創設した大鵬部屋を前身とする大嶽部屋の門を叩いた。

各段での躍進と幕下の壁

令和元年(2019年)11月場所に初土俵を踏む。四股名は「夢道鵬(むどうほう)」と名付けられた。これは、祖父の大鵬が好んで揮毫した「夢」、埼玉栄高校相撲部の恩師である山田道紀監督の「道」、そして大鵬の「鵬」の字を組み合わせたものである。

序ノ口、序二段とそれぞれ1敗の好成績で通過し、令和2年(2020年)5月場所では三段目で7戦全勝を記録するが、優勝決定戦で敗れて各段優勝は逃した。同年9月場所では早くも幕下へ昇進する。しかし、そこからは幕下の厚い壁に跳ね返されることとなる。令和4年(2022年)3月場所では東幕下33枚目で7戦全敗を喫して三段目へ陥落し、復帰した同年7月場所でも1番相撲で右肩を痛めて途中休場となり、再び三段目へ落ちるなど苦しい時期を経験した。

幕下全勝優勝と新十両昇進

怪我や不調を乗り越えて幕下に定着してからは、一進一退を繰り返しながらも地道に地力を蓄えていく。自己最高位を徐々に更新して迎えた令和7年(2025年)1月場所、東幕下44枚目の地位で自身初となる7戦全勝での幕下優勝を飾った。翌3月場所でも西幕下3枚目で4勝3敗と勝ち越しを決め、この連続した好成績が評価されて同年5月場所での新十両昇進を果たした。

悲願の関取昇進であったが、西十両14枚目で迎えた新十両の場所は5勝10敗と大きく負け越し、1場所で幕下へ陥落してしまう。幕下からの出直しとなった翌7月場所も3勝4敗と負け越し、関取定着の厳しさを突きつけられる結果となった。現在は再び関取の座へ返り咲くべく、幕下の土俵で巻き返しを期している。

💡 東京都出身一覧💡 大嶽部屋の力士

四股名
夢道鵬 幸成(むどうほう こうせい)
最高位
十両14枚目
最新番付
東 幕下15枚目
出身地
東京都 江東区
本名
納谷 幸成
生年月日
平成13年(2001)9月18日(24歳)
身長・体重
185.5cm・147kg
出身高校
埼玉栄高校
所属部屋
大嶽部屋
初土俵
令和1年(2019)11月(18歳2ヵ月)
新十両
令和7年(2025)5月(23歳8ヵ月)
優勝
幕下優勝1回
通算成績
141勝121敗5休/261出場(勝率:54%)
直近7場所
15勝20敗(十両:5勝10敗)
7場所勝率
40.0%
得意技
突き・押し
決まり手傾向(直近7場所)
夢道鵬が勝ちの決まり手(20勝)※不戦勝1含む
押し出し11
寄り切り3
押し倒し1
上手出し投げ1
叩き込み1
下手投げ1
その他1
夢道鵬が負けの決まり手(30敗)
寄り切り8
叩き込み5
寄り倒し3
上手出し投げ2
掬い投げ2
押し出し2
その他8
令8年5月
東 幕下15枚目(4枚半降下)
0勝0敗
令8年3月
西 幕下10枚目(4枚上昇)
3勝4敗
●-●--|□○--○|-●●--
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年1月
西 幕下14枚目(7枚半降下)
4勝3敗
●-○-○|--○●-|-●○--
取組詳細(対戦相手・決まり手)

▼ さらに過去の成績(4場所分)を見る
令7年11
東 幕下7枚目(2枚降下)
2勝5敗
-○-●-|●-●●-|●--○-
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年9月
東 幕下5枚目(2枚半降下)
3勝4敗
●--○-|○●-●-|○--●-
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年7月
西 幕下2枚目(2枚降下)
3勝4敗
●-●●-|-○-○-|●-○--
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年5月
西 十両14枚目
5勝10敗
○○●●○|○●○●●|●●●●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

大鵬部屋の最高位:幕下

友鵬 勝尊

引退後は世話人に就任し大鵬親方の良き右腕として部屋を支えた。大嶽部屋となってからも部屋には欠かせない人物だったが平成29年(2017)9月、稽古場で倒れて帰らぬ人に

  • 四股名 :友鵬 勝尊(ゆうほう まさたか)
  • 最高位 :幕下筆頭
  • 出身地 :沖縄県平良市
  • 本 名 :長崎 勝
  • 生年月日:昭和31年(1956)12月5日
  • 没年月日:平成29年(2017)9月8日(享年60歳)
  • 所属部屋:大鵬部屋
  • 改名歴 :宮古島⇒飛鳥王⇒勇鵬⇒友鵬
  • 初土俵 :昭和50年(1975)5月(18歳5ヵ月)
  • 最終場所:平成3年(1991)9月(34歳9ヵ月)
  • 生涯戦歴:347勝332敗7休/679出場(99場所)
  • 生涯勝率:51.1%
  • 優勝等 :なし

大鵬~大嶽部屋の歴代師匠

一代年寄・大鵬 幸喜 (元横綱・大鵬)

在任期間(昭和46年(1971年)12月22日~平成17年(2005年)5月28日)

大鵬 幸喜(たいほう こうき)北海道川上郡弟子屈町出身、二所ノ関部屋の元力士で、最高位は第48代横綱

昭和31年(1956)9月場所に16歳3ヶ月で初土俵を踏み、昭和46年(1971)5月場所を最後に引退(30歳11ヶ月)。

通算成績は872勝182敗136休1045出場。生涯勝率.827。通算87場所中、72場所を勝ち越した(勝ち越し率.837)。

主な成績は幕内優勝32回(同点2,次点10),十両優勝1回,幕下同点1回,三段目優勝1回敢闘賞2回,技能賞1回,金星1個(朝潮1個)。

本名は納谷 幸喜。昭和15年(1940)5月29日生まれ。平成25年(2013)1月19日逝去(享年72歳)。

6連覇2回を含む優勝32回など数々の記録を樹立、柏戸と共に「柏鵬時代」を築く。没後に角界2人目となる国民栄誉賞が贈られた。

四股名
大鵬 幸喜(たいほう こうき)
最高位
第48代横綱
年寄名跡
一代年寄 大鵬 幸喜
出身地
北海道川上郡弟子屈町
本名
納谷 幸喜→住吉 幸喜→納谷 幸喜
生年月日
昭和15年(1940)5月29日
没年月日
平成25年(2013)1月19日(享年72歳)
所属部屋
二所ノ関部屋
改名歴
納谷 幸喜 → 大鵬 幸喜
初土俵
昭和31年(1956)9月 前相撲(16歳3ヶ月)
新十両
昭和34年(1959)5月(所要14場所)
18歳11ヶ月(初土俵から2年8ヶ月)
新入幕
昭和35年(1960)1月(所要18場所)
19歳7ヶ月(初土俵から3年4ヶ月)
新小結
昭和35年(1960)7月(所要21場所)
20歳0ヶ月(初土俵から3年9ヶ月)
新関脇
昭和35年(1960)9月(所要22場所)
20歳3ヶ月(初土俵から4年0ヶ月)
新大関
昭和36年(1961)1月(所要24場所)
20歳7ヶ月(初土俵から4年4ヶ月)
横綱昇進
昭和36年(1961)11月(所要29場所)
21歳5ヶ月(初土俵から5年2ヶ月)
最終場所
昭和46年(1971)5月(30歳11ヶ月)
大相撲歴
87場所(14年8ヶ月)
通算成績
872勝182敗136休1045出場(勝率.827)
通算87場所
勝ち越し72場所(勝ち越し率.837)
優勝等
幕内優勝32回(同点2,次点10),十両優勝1回,幕下同点1回,三段目優勝1回
受賞・金星
敢闘賞2回,技能賞1回,金星1個
幕内戦歴
746勝144敗136休881出場(勝率.838)
在位69場所(在位率.793)
勝ち越し56場所(勝ち越し率.812)
横綱戦歴
622勝103敗136休716出場(勝率.858)
在位58場所(在位率.667)
勝ち越し46場所(勝ち越し率.793)
大関戦歴
58勝17敗0休75出場(勝率.773)
在位5場所(在位率.057)
勝ち越し5場所(勝ち越し率1.000)
三役戦歴
36勝9敗0休45出場(勝率.800)
在位3場所(在位率.034)
勝ち越し3場所(勝ち越し率1.000)
関脇戦歴
25勝5敗0休30出場(勝率.833)
在位2場所(在位率.023)
勝ち越し2場所(勝ち越し率1.000)
小結戦歴
11勝4敗0休15出場(勝率.733)
在位1場所(在位率.011)
勝ち越し1場所(勝ち越し率1.000)
前頭戦歴
30勝15敗0休45出場(勝率.667)
在位3場所(在位率.034)
勝ち越し2場所(勝ち越し率.667)
十両戦歴
44勝16敗0休60出場(勝率.733)
在位4場所(在位率.046)
勝ち越し4場所(勝ち越し率1.000)
関取戦歴
790勝160敗136休941出場(勝率.832)
在位73場所(在位率.839)
勝ち越し60場所(勝ち越し率.822)
幕下以下歴
82勝22敗0休104出場(勝率.788)
在位13場所(在位率.149)
勝ち越し12場所(勝ち越し率.923)


第16代・大嶽 忠茂 (元関脇・貴闘力)

在任期間(平成16年(2004年)1月1日~平成22年(2010年)7月3日)

現役時には気迫のこもった相撲で観客を大いに沸かせた。引退後は舅である大鵬の部屋を継承して大嶽部屋へと改称も、後に野球賭博への関与によって解雇処分に

  • 四股名 :貴闘力 忠茂(たかとうりき ただしげ)
  • 最高位 :関脇
  • 年寄名跡:16代大嶽
  • 出身地 :福岡県福岡市博多区 ⇒ 兵庫県神戸市
  • 本 名 :鎌苅 忠茂⇒納谷 忠茂
  • 生年月日:昭和42年(1967)9月28日
  • 所属部屋:藤島⇒二子山部屋
  • 改名歴 :鎌苅⇒貴闘力
  • 初土俵 :昭和58年(1983)3月(15歳6ヵ月)
  • 新十両 :平成元年(1989)5月(21歳8ヵ月)
  • 新入幕 :平成2年(1990)9月(23歳0ヵ月)
  • 新三役 :平成3年(1991)5月(23歳8ヵ月)
  • 最終場所:平成14年(2002)9月(35歳0ヵ月)
  • 生涯戦歴:754勝703敗/1456出場(118場所)
  • 生涯勝率:51.8%
  • 優勝等 :幕内優勝1回(同点1・次点1),十両同点1回,幕下優勝1回,序ノ口同点1回
  • 成 績 :殊勲賞3回,敢闘賞10回,技能賞1回,金星9個
  • 幕内戦歴:505勝500敗(67場所)勝率:50.2%
  •   関脇:113勝112敗(15場所)勝率:50.2%
  •   小結:74勝91敗(11場所)勝率:44.8%
  •   前頭:318勝297敗(41場所)勝率:51.7%
  • 十両戦歴:96勝97敗(13場所)勝率:49.7%

第17代・大嶽 忠博 (元十4・大竜)

在任期間(平成22年(2010年)7月4日~令和7年(2025年)9月28日)

大竜 忠博 (だいりゅう ただひろ)大阪府大阪市西成区出身、大鵬部屋の元力士で、最高位は十両4枚目

昭和51年(1976)5月場所に15歳7ヶ月で初土俵を踏み、平成9年(1997)7月場所を最後に引退(36歳9ヶ月)。

通算成績は553勝508敗28休1060出場。生涯勝率.522。通算128場所中、72場所を勝ち越した(勝ち越し率.567)。

主な成績は幕下(同点1)、三段目(同点1)

昭和35年(1960)9月30日生まれ。本名は永本 忠博→佐藤 忠博。

大鵬部屋で長く修行し、10年近い幕下での足踏みを経て関取の座を掴んだ苦労人であった。左四つからの力強い寄りを武器に十両で長く活躍し、引退後は最高位が十両ながら年寄名跡を取得。後年は師匠である大鵬の思いを継いで大嶽部屋の師匠となり、部屋の存続と大鵬の孫たちの育成に相撲人生を捧げた。

入門と長い幕下生活

中学時代はサッカー部に所属していたが、卒業後に知人の紹介で角界入りを勧められる。昭和の大横綱である大鵬からの熱心な誘いを受けて上京し、入門を決意。昭和51年(1976年)5月場所において、本名の「永本」の四股名で初土俵を踏んだ。

順調に番付を上げ、昭和54年(1979年)7月場所には18歳で幕下へ昇進する。しかし、そこから9年近くにわたり幕下の壁に跳ね返される苦しい時期が続いた。

師匠の鉄拳と新十両昇進

転機となったのは、西幕下4枚目で迎えた昭和62年(1987年)9月場所であった。勝ち越せば関取という地位で負け越し、千秋楽のパーティーで自棄酒をあおっていたところ、後援者から「稽古が足りないからだ」と咎められる。これに対して「稽古を見たことがあるのか」と食って掛かったため、その様子を見た師匠の大鵬から激しい鉄拳制裁を受けた。一時は「こんな部屋辞めてやる」と荷物をまとめるほど反発したが、翌日に廃業の覚悟で謝罪へ向かうと、大鵬は「お前の努力は俺が一番知っている。悔しいだろう。辞めないで頑張れ。関取に上がって見返してやれ」と諭した。

師匠の深い愛情と期待の言葉に奮起し、昭和63年(1988年)3月場所において悲願の新十両昇進を果たす。本名から「大竜(だいりゅう)」へと改名し、十両の土俵に定着した。

最高位と不屈の現役晩年

左四つからの寄りを武器に長く活躍し、平成6年(1994年)11月場所では自己最高位となる東十両4枚目まで番付を上げる。幕内昇進の期待も懸かったが、この場所は6勝9敗に終わり、惜しくも入幕は果たせなかった。さらに翌平成7年(1995年)5月場所中に右膝を故障して途中休場となり、幕下へ陥落してしまう。それでも諦めずに2度の十両復帰を果たしたが、右膝の調子が戻らず関取の座に定着することは叶わなかった。平成9年(1997年)7月場所を最後に現役を引退した。

大嶽部屋継承と大鵬への忠誠

当時の規定には「十両以上連続20場所または通算25場所以上経験した力士に年寄資格を認める」というものがあり、大竜はこれを満たしていた。大鵬の尽力もあって最高位が十両でありながら年寄名跡の取得が叶い、日本相撲協会に残った。大鵬部屋から大嶽部屋へと名称が変わる中、部屋付き親方として指導にあたっていたが、平成22年(2010年)に当時の師匠である16代大嶽(元関脇・貴闘力)が不祥事により解雇処分となる重大な危機に直面する。この際、部屋の継承を打診されたが「自分の名前では弟子は入らない」と当初は2度固辞した。しかし、病床の大鵬から直々に頭を下げられ、「弟子が師匠にこんなことをさせてはいけない」と決意を固め、17代大嶽を襲名して部屋を継承した。

その後は大鵬の孫たち(のちの王鵬ら)を弟子として引き受け、周囲からの心ない声やバッシングも激励と受け止め、自身にとって人生のすべてである師匠の教えを愚直に守り抜いた。

大鵬の遺志と部屋の存続

令和7年(2025年)9月に自身の停年を迎えるにあたり、部屋の後継者問題が浮上する。一時は他部屋との合併案も進み、後援者らの了承も得ていたが、「大鵬親方から部屋を残してくれと託されているのに、潰してしまえば親方の気持ちに反してしまう」と思い留まり、大嶽部屋の存続を決断する。こうして、同じ二所ノ関一門で片男波部屋の部屋付き親方だった17代熊ヶ谷(元前頭・玉飛鳥)を招聘し、名跡交換して師匠の座を託すと、自身は18代熊ヶ谷を襲名して部屋付き親方として残った。自らの土俵人生のすべてを懸けて「大鵬の血脈と部屋の看板」を守り抜いたのである。

四股名
大竜 忠博 (だいりゅう ただひろ)
最高位
十両4枚目
年寄名跡
15代大嶽 忠博(大鵬) → 16代佐ノ山 忠博(大鵬) → 16代佐ノ山 忠博(大嶽) → 19代山響 忠博(大嶽) → 12代二子山 忠博(大嶽) → 17代大嶽 忠博 → 18代熊ヶ谷 忠博(大嶽)
出身地
大阪府大阪市西成区
本名
永本 忠博→佐藤 忠博
生年月日
昭和35年(1960)9月30日(65歳)
所属部屋
大鵬部屋
改名歴
永本 忠博 → 永本 忠晴 → 永本 忠博 → 永本 忠晴 → 永本 忠博 → 大竜 忠博 → 大竜 忠晴 → 大竜 忠博
初土俵
昭和51年(1976)5月 前相撲(15歳7ヶ月)
新十両
昭和63年(1988)3月(所要71場所)
27歳5ヶ月(初土俵から11年10ヶ月)
最終場所
平成9年(1997)7月場所(36歳9ヶ月)
大相撲歴
128場所(21年2ヶ月)
通算成績
553勝508敗28休1060出場(勝率.522)
通算128場所
勝ち越し72場所(勝ち越し率.567)(勝ち越し星156)
優勝等
幕下(同点1),三段目(同点1)
持給金
81円(勝ち越し星156個)
十両戦歴
173勝195敗7休367出場(勝率.471)
在位25場所(在位率.195)
勝ち越し12場所(勝ち越し率.480)
関取戦歴
173勝195敗7休367出場(勝率.471)
在位25場所(在位率.195)
勝ち越し12場所(勝ち越し率.480)
幕下以下歴
380勝313敗21休693出場(勝率.548)
在位102場所(在位率.797)
勝ち越し60場所(勝ち越し率.588)

大竜 忠博の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

  • ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(142回 / 50.9%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(89回 / 32.0%)
  • ✅ 得意な相手:維新力(8勝3敗 / 勝率.727)
  • ✅ 苦手な相手:陸奥北海(1勝6敗 / 勝率.143)

第18代・大嶽 大輔 (元前頭9枚目・玉飛鳥)

在任期間(令和7年(2025年)9月29日~  )

玉飛鳥 大輔 (たまあすか だいすけ)愛知県名古屋市熱田区出身、片男波部屋の元力士で、最高位は前頭9枚目

平成10年(1998)3月場所に15歳1ヶ月で初土俵を踏み、平成28年(2016)9月場所を最後に引退(33歳7ヶ月)※番付上は平成28年(2016)11月場所

通算成績は580勝569敗29休1146出場。生涯勝率.506。通算111場所中、61場所を勝ち越した(勝ち越し率.555)。

主な成績は十両優勝2回(同点1)、幕下優勝2回(同点1)

昭和58年(1983)1月26日生まれ。本名は高橋 大輔。

中学生横綱のタイトルを引っ提げて15歳で角界へ飛び込み、怪我や病と闘いながら関取の座を幾度も失い、そのたびに這い上がった不屈の土俵人生であった。押しや左四つからの寄りを得意とし、中学生横綱を獲得して中学卒業と同時に入門した力士としては、唯一の幕内力士となった。

中学生横綱から15歳での角界入り

父の勧めで小学生の頃から相撲に親しみ、わんぱく相撲などの大会に出場する。名古屋市立日比野中学校へ進学後も実力を伸ばし、3年次に出場した全国中学校相撲選手権大会で個人優勝を果たし、見事中学生横綱の栄冠に輝いた。卒業後は高校へ進学する予定であったが、当時の13代片男波(元関脇・玉ノ富士)からの熱心なスカウトに加え、相撲関係者から「同学年で一番強いのだから、早く角界に入るべきだ」と後押しを受け、中学卒業と同時に片男波部屋への入門を決意する。

四股名の「玉飛鳥(たまあすか)」は、入門の直前に亡くなった父が名付けたものである。「飛ぶ鳥を落とす勢い」で出世してほしいという願いと、日本古来の歴史を連想させる「飛鳥時代」に因んで命名された。父の思いを背負い、平成10年(1998年)3月場所において15歳1ヶ月で初土俵を踏んだ。

幕内昇進と襲いかかる怪我・病

入門後は着実に番付を上げ、平成16年(2004年)9月場所では西幕下4枚目の地位で7戦全勝の幕下優勝を飾り、翌11月場所での新十両昇進を決めた。その後も十両上位で好成績を収め、平成17年(2005年)7月場所で新入幕を果たす。東前頭14枚目で迎えた新入幕の場所は9勝6敗と勝ち越し、幕内の土俵にも適応する姿を見せた。

順調な出世に見えたが、幕内3場所目となる同年11月場所で足を骨折し、途中休場を余儀なくされる。この怪我は深刻であり、それまで糖尿病に罹っても挫けなかった玉飛鳥も引退を思い詰めるほどであった。しかし、師匠から「力士は一度引退したら二度と復帰できない」と説得され、土俵に踏みとどまる決意を固める。

不屈の復活劇と度重なる昇降格

足首の故障と糖尿病が重なり、幕下上位から一時は西幕下31枚目まで番付を下げるなど苦しい時期が続いた。しかし、平成20年(2008年)5月場所で2度目の幕下優勝を果たし、翌7月場所には地元・名古屋の地で10場所ぶりの関取復帰を果たす。さらに、平成21年(2009年)5月場所では12勝3敗で十両優勝を飾り、同年9月場所において23場所ぶりとなる幕内復帰を果たした。

その後も怪我の影響などで番付を落とし、幕下から幕内までを往復する激動の土俵生活となる。それでも決して諦めることなく這い上がり、平成24年(2012年)5月場所では12勝3敗で2度目の十両優勝を飾り、再び幕内の土俵へ返り咲いた。現役生活を通して再十両と再入幕をそれぞれ7回ずつ経験する苦労人であったが、玉飛鳥は関取や幕内へ復帰した際の喜びについて「毎回(新十両や新入幕の時と)同じくらいうれしかった。辛かったことの方が多かったけど、うれしさの方が大きかった」と語っており、相撲への純粋な情熱を燃やし続けた。

引退と大嶽部屋継承

ベテランとなってからも若手の高い壁として奮闘を続けたが、平成27年(2015年)11月場所で大きく負け越し、翌場所での幕下陥落を喫した頃から引退の二文字がよぎるようになる。周囲からの「まだやれる」という励ましを受けながら土俵を務めたものの、関取復帰の壁は厚く、平成28年(2016年)9月場所を最後に現役引退を決断した。引退に際しては「父は横綱になってくれと言っていた。父からみればまだまだと言われるかもしれませんが、ここまでやれてよかった」と、亡き父への思いを口にしている。

引退後は年寄・15代荒磯を襲名して日本相撲協会に残り、のちに17代熊ヶ谷へと名跡を変更する。指導者として後進の育成に尽力していたが、令和7年(2025年)に転機が訪れる。同じ二所ノ関一門の大嶽部屋において、17代大嶽(元十両・大竜)の停年退職に伴う後継者問題が浮上し、部屋付き親方が不在であったことから、一門内で白羽の矢が立ったのである。同年9月1日付で大嶽部屋へ転籍し、同月29日付で18代大嶽を襲名して部屋を継承。新たな師匠として、部屋の歴史を紡いでいる。

四股名
玉飛鳥 大輔 (たまあすか だいすけ)
最高位
前頭9枚目
年寄名跡
15代荒磯 大輔(片男波) → 17代熊ヶ谷 大輔(片男波) → 17代熊ヶ谷 大輔(大嶽) → 18代大嶽 大輔
出身地
愛知県名古屋市熱田区
本名
高橋 大輔
生年月日
昭和58年(1983)1月26日(43歳)
所属部屋
片男波部屋
改名歴
玉飛鳥 大輔
初土俵
平成10年(1998)3月 前相撲(15歳1ヶ月)
新十両
平成16年(2004)11月(所要40場所)
21歳9ヶ月(初土俵から6年8ヶ月)
新入幕
平成17年(2005)7月(所要44場所)
22歳5ヶ月(初土俵から7年4ヶ月)
最終場所
平成28年(2016)9月場所(33歳7ヶ月)※番付上は平成28年(2016)11月場所
大相撲歴
111場所(18年6ヶ月)
通算成績
580勝569敗29休1146出場(勝率.506)
通算111場所
勝ち越し61場所(勝ち越し率.555)(勝ち越し星177)
優勝等
十両優勝2回(同点1),幕下優勝2回(同点1)
持給金
91円50銭(勝ち越し星177個)
幕内戦歴
54勝109敗17休161出場(勝率.335)
在位12場所(在位率.108)
勝ち越し1場所(勝ち越し率.083)
前頭戦歴
54勝109敗17休161出場(勝率.335)
在位12場所(在位率.108)
勝ち越し1場所(勝ち越し率.083)
十両戦歴
282勝291敗12休572出場(勝率.493)
在位39場所(在位率.351)
勝ち越し21場所(勝ち越し率.538)
関取戦歴
336勝400敗29休733出場(勝率.458)
在位51場所(在位率.459)
勝ち越し22場所(勝ち越し率.431)
幕下以下歴
244勝169敗0休413出場(勝率.591)
在位59場所(在位率.532)
勝ち越し39場所(勝ち越し率.661)

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  • ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(229回 / 39.5%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(134回 / 23.5%)
  • ✅ 得意な相手:安壮富士(7勝1敗 / 勝率.875)
  • ✅ 苦手な相手:時天空(0勝8敗 / 勝率.000)

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