平成10年(1998年)が初土俵の力士一覧!出世頭は誰?

平成10年(1998)が初土俵の力士の番付や成績を一覧表にしてご紹介しています。

表の下のボタンによって月ごとに表示を切り替えることも出来ますよ。 初土俵が同じ同期力士のなかで、誰が一番出世しているのかがひと目で分かります。

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1998年初土俵力士一覧(番付・星取表・成績・経歴)(取組発表)

No 四股名 直近7場所 成績 直近7場所 勝率 番付 (令8.5) 5月場所 成績 令和8年5月場所星取表 S1 番付 推移 変動 枚数 番付 (令8.3) 3月場所 成績 令和8年3月場所星取表 S2 番付 推移 変動 枚数 番付 (令8.1) 1月場所 成績 令和8年1月場所星取表 S3 番付 推移 変動 枚数 番付 (令7.11) 11月場所 成績 令和7年11月場所星取表 S4 番付 推移 変動 枚数 番付 (令7.9) 9月場所 成績 令和7年9月場所星取表 S5 番付 推移 変動 枚数 番付 (令7.7) 7月場所 成績 令和7年7月場所星取表 s6 番付 推移 変動 枚数 番付 (令7.5) 5月場所 成績 令和7年5月場所星取表 初日 2日目 3日目 4日目 5日目 6日目 7日目 中日 9日目 10日目 11日目 12日目 13日目 14日目 千秋楽 最高位 出身地 部屋 一門 年齢 生年月日 大相撲歴 本名 旧四股名 旧所属 身長(㎝) 体重(㎏) BMI 出身高校 出身大学 初土俵 初土俵 年齢 新十両 新十両 年齢 新入幕 新入幕 年齢 新小結 新小結 年齢 新関脇 新関脇 年齢 大関昇進 大関昇進 年齢 横綱昇進 横綱昇進 年齢 幕内 優勝 十両 優勝 幕下 優勝 三段目 優勝 序二段 優勝 序ノ口 優勝 技能賞 殊勲賞 敢闘賞 金星 通算 勝利数 通算 敗数 通算 休数 出場回数 通算 勝率(%) s誕生日 s初土俵 s新十両 s新入幕 s新小結 s新関脇 s大関昇進 s横綱昇進 s初土俵年齢 s新十両年齢 s新入幕年齢 s新小結年齢 s新関脇年齢 s大関昇進年齢 s横綱昇進年齢 s7場所勝敗 s1勝敗 s2勝敗 s3勝敗 s4勝敗 s5勝敗 s6勝敗 s7勝敗 s2順 s3順 s4順 s5順 s6順 s7順 s1シフト s2シフト s3シフト s4シフト s5シフト s6シフト sしこな s最高位 s出身ふりがな s部屋ふりがな s7勝率 s勝 s敗 s休 s出 s勝率 s幕優 s十 s下 s三 s二 s口 s技 s殊 s敢 s金
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平成10(1998)年初土俵力士を検索

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平成10(1998)年初土俵の最高位:大関

雅山 哲士

雅山 哲士 (みやびやま てつし)茨城県水戸市出身、武蔵川~藤島部屋の元力士で、最高位は大関

平成10年(1998)7月場所に20歳11ヶ月で初土俵を踏み、平成25年(2013)3月場所を最後に引退(35歳7ヶ月)。

通算成績は654勝582敗68休1233出場。生涯勝率.530。通算88場所中、49場所を勝ち越した(勝ち越し率.557)。

主な成績は幕内(同点1 次点3)、十両優勝2回、幕下優勝2回殊勲賞2回、敢闘賞5回、技能賞1回、金星2個(朝青龍2個)

昭和52年(1977)7月28日生まれ。本名は竹内 雅人。

初土俵から所要12場所という戦後最速タイ記録で大関へと駆け上がり、「平成の新怪物」として土俵に旋風を巻き起こした雅山は、大相撲史に残る名力士である。怪我により短期間で大関の座を失った後も不屈の闘志で土俵に立ち続け、十両陥落から三役に返り咲くという史上初の快挙を成し遂げた。引退後は自ら部屋を創設し、師匠として後進の育成に情熱を注いでいる。

「平成の新怪物」と戦後最速の大関昇進

茨城県水戸市に生まれ、小学生の頃から地元の水戸尾曽相撲道場に通い、尾曽(のちの大関・武双山(18代藤島))の父から相撲の指導を受けた。明治大学に進学すると、2年次に東日本学生相撲個人体重無差別級で優勝、3年次に全日本大学選抜相撲宇和島大会で優勝して大学タイトル2冠を達成する。

この実績を引っ提げて大学を中退し、平成10年(1998年)7月場所に武蔵川部屋から幕下60枚目格付出で初土俵を踏んだ。入門当初は本名の「竹内」を名乗っていたが、幕下で2場所連続の全勝優勝を飾ると、同年11月場所での新十両昇進を機に「雅山」へと改名した。十両の地位も2場所連続優勝で通過し、初土俵から4場所連続優勝という圧倒的な強さで平成11年(1999年)3月場所に新入幕を果たす。

その強烈な突き押し相撲から「平成の新怪物(20世紀最後の怪童)」と称され、勢いそのままに番付を駆け上がった。平成12年(2000年)5月場所後に22歳で大関へ昇進。初土俵から所要12場所での大関昇進は、年6場所制となった昭和33年以降では豊山と並ぶ戦後最速タイという歴史的スピード出世であった。

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怪我による大関陥落と不屈の闘志

将来の横綱を嘱望されたが、大関昇進後は右肩の腱板断裂寸前という重傷や足の怪我に苦しめられることとなる。怪我を押して強行出場を続けたものの、大関在位中は一度も二桁勝利を挙げることができず、在位わずか8場所で大関から陥落してしまう。

一気に番付を駆け上がった勇姿から一転して苦難の道を歩むことになったが、雅山の真の凄みはここからの戦いざまにあった。「自分も大関の頃、下位力士の抵抗に苦しめられた。そういう存在になれればいい」とあえて敵役に徹し、若手力士たちに対して徹底的に「怖い存在」としてのプレッシャーを与え、彼らの高い壁となって立ちはだかった。また、「元大関」と呼ばれることを嫌って再び大関へ戻るという強い矜持を持っていたため、大関戦で勝利してもインタビュールームへは足を運ばなかった。

大関陥落後しばらくは四つ相撲も交えていたが、やがて突き押しと引き技に徹するようになる。特に、相手の足が揃うのを一瞬で見極めて繰り出す「叩き」には並々ならぬこだわりを持ち、「誰からも教わることができないからこそ、最高の技術なのではないかと自負している」と、自身の真骨頂として誇っていた。独自の相撲スタイルと強烈な意地を武器に幕内上位から中位の土俵で存在感を示し続け、平成18年(2006年)5月場所では14勝1敗の好成績を挙げて白鵬と優勝決定戦を演じている。結果的に、大関から陥落したのち、関脇以下の地位を68場所にわたって務め上げることとなる。

史上初の元大関による十両からの三役復帰

平成22年(2010年)に発覚した大相撲野球賭博問題に関与したとして、同年7月場所で1場所の出場停止処分を受け、翌9月場所では十両へ陥落する。大関経験者の十両陥落は大受以来、史上2人目のことであった。

この大きな試練の中にあっても自らの相撲と向き合い続け、陥落した十両を12勝3敗の好成績でわずか1場所で通過して幕内へ復帰する。その後も徐々に番付を上げ、平成24年(2012年)1月場所において小結に返り咲いた。十両に陥落した元大関が三役復帰を果たしたのは、大相撲史上初の快挙であった。

満身創痍の引退と二子山部屋の創設

晩年は両膝の慢性的な痛みや内臓疾患を抱え、満身創痍の状態で土俵を務めた。平成25年(2013年)3月場所で再び十両へ陥落し、東十両9枚目で3勝12敗となったこの場所を最後に、現役引退を決断。「まだ負けないという気力はあるが、体がついていかない」と心境を語り、波乱万丈な土俵人生に幕を下ろした。

引退後は年寄「二子山」を襲名し、藤島部屋(旧・武蔵川部屋)の部屋付き親方として後進の指導にあたったのち、平成30年(2018年)4月に独立して二子山部屋を創設した。解説者としては立ち合いの変化に厳しい苦言を呈するなど、真っ向勝負の突き押し相撲への強いこだわりを見せており、その信念は現在も自らの弟子たちへと熱く受け継がれている。

四股名
雅山 哲士 (みやびやま てつし)
最高位
大関
年寄名跡
14代二子山 雅人(藤島) → 14代二子山 雅高(藤島) → 14代二子山 雅高
出身地
茨城県水戸市
本名
竹内 雅人
生年月日
昭和52年(1977)7月28日(48歳)
出身高校
水戸農業高校
出身大学
明治大学・中退
所属部屋
武蔵川~藤島部屋
改名歴
竹内 雅人 → 雅山 哲士
初土俵
平成10年(1998)7月 幕下60枚目付出(20歳11ヶ月)
新十両
平成10年(1998)11月(所要2場所)
21歳3ヶ月(初土俵から0年4ヶ月)
新入幕
平成11年(1999)3月(所要4場所)
21歳7ヶ月(初土俵から0年8ヶ月)
新小結
平成12年(2000)1月(所要9場所)
22歳5ヶ月(初土俵から1年6ヶ月)
新関脇
平成12年(2000)3月(所要10場所)
22歳7ヶ月(初土俵から1年8ヶ月)
新大関
平成12年(2000)7月(所要12場所)
22歳11ヶ月(初土俵から2年0ヶ月)
最終場所
平成25年(2013)3月場所(35歳7ヶ月)
大相撲歴
88場所(14年8ヶ月)
通算成績
654勝582敗68休1233出場(勝率.530)
通算88場所
勝ち越し49場所(勝ち越し率.557)(勝ち越し星213)
優勝等
幕内(同点1 次点3),十両優勝2回,幕下優勝2回
受賞・金星
殊勲賞2回,敢闘賞5回,技能賞1回,金星2個(朝青龍2個)
持給金
159円50銭(勝ち越し星213個 金星2個)
大関戦歴
57勝58敗5休114出場(勝率.500)
在位8場所(在位率.091)
勝ち越し4場所(勝ち越し率.500)
幕内戦歴
599勝563敗68休1159出場(勝率.517)
在位82場所(在位率.932)
勝ち越し44場所(勝ち越し率.537)
三役戦歴
145勝125敗30休270出場(勝率.537)
在位20場所(在位率.227)
勝ち越し11場所(勝ち越し率.550)
関脇戦歴
104勝76敗30休180出場(勝率.578)
在位14場所(在位率.159)
勝ち越し9場所(勝ち越し率.643)
小結戦歴
41勝49敗0休90出場(勝率.456)
在位6場所(在位率.068)
勝ち越し2場所(勝ち越し率.333)
前頭戦歴
397勝380敗33休775出場(勝率.512)
在位54場所(在位率.614)
勝ち越し29場所(勝ち越し率.537)
十両戦歴
41勝19敗0休60出場(勝率.683)
在位4場所(在位率.045)
勝ち越し3場所(勝ち越し率.750)
関取戦歴
640勝582敗68休1219出場(勝率.525)
在位86場所(在位率.977)
勝ち越し47場所(勝ち越し率.547)
幕下以下歴
14勝0敗0休14出場(勝率1.000)
在位2場所(在位率.023)
勝ち越し2場所(勝ち越し率1.000)

雅山 哲士の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

  • ✅ 勝った決まり手1位:押し出し(179回 / 27.4%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(129回 / 22.1%)
  • ✅ 得意な相手:玉乃島(19勝3敗 / 勝率.864)
  • ✅ 苦手な相手:朝青龍(5勝34敗 / 勝率.128)

平成10(1998)年初土俵の最高位:関脇

玉乃島 新

玉乃島 新 (たまのしま あらた)福島県西白河郡泉崎村出身、片男波部屋の元力士で、最高位は関脇

平成10年(1998)3月場所に20歳6ヶ月で初土俵を踏み、平成23年(2011)11月場所を最後に引退(34歳2ヶ月)。

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通算成績は557勝583敗4休1138出場。生涯勝率.489。通算82場所中、36場所を勝ち越した(勝ち越し率.439)。

主な成績は幕内(次点2)、十両優勝1回敢闘賞5回、技能賞1回、金星2個(朝青龍1個、武蔵丸1個)

昭和52年(1977)9月15日生まれ。本名は岡部 新。

父は元プロボクサーでチャンピオンのタートル岡部、母は元大関・清國の実妹、兄は元十両の玉ノ国。育ったのは東京都文京区だが父親の故郷である福島県を出身地として名乗っていた。

竹内(雅山)とは中学時代からのライバルで切磋琢磨してきた。兄が在学していた東洋大学に進学したが2年で中退して片男波部屋へと入門。この入門は4年で卒業した兄と一緒であり、史上初の兄弟同時幕下付出となった。

初土俵から約2年で新入幕、一度は跳ね返されたがすぐに再入幕、このとき四股名を「玉乃島」と改めた。これは現役中に亡くなった51代横綱・玉の海が大関時代まで名乗っていた四股名であり、それだけ期待されての改名だった。

しかしその期待に充分答えることは出来なかった。平成13年(2001)9月場所の新小結をはじめ都合4度三役の座についた玉乃島だったが、一度も勝ち越すことは出来ずに平幕での土俵が多かった。

停年を間近に控えた12代二所ノ関(元大関・若島津)から12月24日付で部屋を継承、放駒部屋として部屋を率いることになった。

四股名
玉乃島 新 (たまのしま あらた)
最高位
関脇
年寄名跡
10代西岩 新(片男波) → 18代放駒 新(片男波) → 18代放駒 新(松ヶ根) → 18代放駒 新(二所ノ関) → 18代放駒 新
出身地
福島県西白河郡泉崎村
本名
岡部 新
生年月日
昭和52年(1977)9月15日(48歳)
出身高校
金沢市立工業高校
出身大学
東洋大学
所属部屋
片男波部屋
改名歴
玉ノ洋 新 → 玉乃島 新
初土俵
平成10年(1998)3月 幕下60枚目付出(20歳6ヶ月)
新十両
平成11年(1999)9月(所要9場所)
22歳0ヶ月(初土俵から1年6ヶ月)
新入幕
平成12年(2000)11月(所要16場所)
23歳2ヶ月(初土俵から2年8ヶ月)
新小結
平成13年(2001)9月(所要21場所)
24歳0ヶ月(初土俵から3年6ヶ月)
新関脇
平成16年(2004)1月(所要35場所)
26歳4ヶ月(初土俵から5年10ヶ月)
最終場所
平成23年(2011)11月場所(34歳2ヶ月)
大相撲歴
82場所(13年8ヶ月)
通算成績
557勝583敗4休1138出場(勝率.489)
通算82場所
勝ち越し36場所(勝ち越し率.439)(勝ち越し星152)
優勝等
幕内(次点2),十両優勝1回
受賞・金星
敢闘賞5回,技能賞1回,金星2個(朝青龍1個、武蔵丸1個)
持給金
122円50銭(勝ち越し星152個 金星2個)
幕内戦歴
395勝441敗4休835出場(勝率.473)
在位56場所(在位率.683)
勝ち越し21場所(勝ち越し率.375)
三役戦歴
25勝35敗0休60出場(勝率.417)
在位4場所(在位率.049)
勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
関脇戦歴
5勝10敗0休15出場(勝率.333)
在位1場所(在位率.012)
勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
小結戦歴
20勝25敗0休45出場(勝率.444)
在位3場所(在位率.037)
勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
前頭戦歴
370勝406敗4休775出場(勝率.477)
在位52場所(在位率.634)
勝ち越し21場所(勝ち越し率.404)
十両戦歴
117勝117敗0休233出場(勝率.502)
在位16場所(在位率.195)
勝ち越し7場所(勝ち越し率.438)
関取戦歴
512勝558敗4休1068出場(勝率.479)
在位72場所(在位率.878)
勝ち越し28場所(勝ち越し率.389)
幕下以下歴
45勝25敗0休70出場(勝率.643)
在位10場所(在位率.122)
勝ち越し8場所(勝ち越し率.800)

玉乃島 新の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

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  • ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(217回 / 19.0%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:押し出し(121回 / 31.0%)
  • ✅ 得意な相手:岩木山(15勝5敗 / 勝率.750)
  • ✅ 苦手な相手:朝青龍(4勝21敗 / 勝率.160)

追風海 直飛人

非凡なセンスを持っていたが度重なる怪我で引退

  • 四股名 :追風海 直飛人(はやてうみ なおひと)
  • 最高位 :関脇
  • 出身地 :青森県北津軽郡板柳町
  • 本 名 :齋藤 直飛人
  • 生年月日:昭和50年(1975)7月5日
  • 出身大学:日本大学
  • 所属部屋:追手風部屋
  • 改名歴 :齋藤⇒追風海
  • 初土俵 :平成10年(1998)3月・幕下60付出(22歳8ヵ月)
  • 新十両 :平成11年(1999)1月(23歳6ヵ月)
  • 新入幕 :平成12年(2000)3月(24歳8ヵ月)
  • 新三役 :平成12年(2000)11月(25歳4ヵ月)
  • 最終場所:平成18年(2006)1月(30歳6ヵ月)
  • 生涯戦歴:281勝223敗136休/498出場(48場所)
  • 生涯勝率:55.8%
  • 優勝等 :十両優勝1回(同点2)
  • 成 績 :技能賞1回
  • 幕内戦歴:126勝127敗77休(22場所)勝率:49.8%
  •   関脇:4勝5敗6休(1場所)勝率:44.4%
  •   前頭:122勝122敗71休(21場所)勝率:50.0%
  • 十両戦歴:120勝82敗38休(16場所)勝率:59.4%

平成10(1998)年初土俵の最高位:前頭

北太樹 明義

北太樹 明義 (きたたいき あけよし)東京都町田市出身、北の湖~山響部屋の元力士で、最高位は前頭2枚目

平成10年(1998)3月場所に15歳5ヶ月で初土俵を踏み、平成30年(2018)1月場所を最後に引退(35歳3ヶ月)。

通算成績は649勝649敗2休1298出場。生涯勝率.500。通算119場所中、58場所を勝ち越した(勝ち越し率.492)。

主な成績は十両優勝2回

昭和57年(1982)10月5日生まれ。本名は讃岐 明義。

中学校卒業後に角界へ飛び込み、初土俵から約9年半の歳月をかけて関取の座を掴み取った北太樹は、右四つからの力強い相撲で長く幕内を務めた大器である。偉大な恩師の教えを胸に、不屈の闘志で土俵に立ち続けたその歩みは、多くの相撲ファンの記憶に刻まれている。

大横綱との出会いと角界入り

東京都町田市で育ち、幼少期は水泳やサッカー、柔道など様々なスポーツに打ち込んだ。相撲の経験はなかったが、小学4年生の時に父の知人の紹介で第55代横綱・北の湖と対面したことが大きな転機となる。圧倒的な存在感を放つ大横綱から「相撲は私が教える。今は走るスポーツをやりなさい」と声をかけられ、その言葉に導かれるように角界への憧れを抱いた。

中学校卒業にあたり、「普通でない道を歩みたい」という決意を固め、北の湖が率いる北の湖部屋へ入門。平成10年(1998年)3月場所で本名の「讃岐」を四股名として初土俵を踏んだ。

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長きにわたる下積みと関取昇進

相撲未経験での入門ということもあり、出世の足取りは決して早いものではなかった。序二段や三段目の土俵で一進一退を続けながらも、師匠である北の湖から叩き込まれた四股やすり足といった基本動作を反復し、着実に地力を蓄えていく。平成12年(2000年)3月場所には「北大樹」へと改名し、徐々に番付を上げていった。

幕下上位の壁に跳ね返される時期も長く経験したが、決して腐ることはなかった。足踏みが続いていた平成19年(2007年)3月場所、四股名を「北太樹」へと改める。これには「地に根を張り、上に向かって大きく育つように」という父の願いが込められていた。本来は十両昇進を機に「大」の字を「太」に改める予定だったが、昇進を待たずしての改名であった。この親心のこもった改名が契機となったのか、同年5月場所を東幕下3枚目で5勝2敗の好成績で終えると、翌7月場所、初土俵から約9年半の歳月を経て、ついに悲願の新十両昇進を果たした。

幕内での飛躍と二度の十両優勝

関取昇進後は持ち味である右四つからの寄りや突き押しに磨きがかかり、平成20年(2008年)9月場所で新入幕を果たす。その後十両へ陥落したものの、平成21年(2009年)11月場所において10勝5敗の成績で初の十両優勝を果たし、再び幕内の土俵へ舞い戻った。

再入幕後は幕内中位から上位の土俵に定着し、平成25年(2013年)5月場所では自己最高位となる東前頭2枚目まで番付を上げた。その後、十両へ下がることもあったが、平成27年(2015年)1月場所では13勝2敗の好成績を挙げて2度目の十両優勝を飾るなど、確かな実力を示し続けた。

恩師との別れと指導者への道

平成27年(2015年)11月、本場所の開催中に師匠である北の湖が急逝するという歴史的な出来事に見舞われる。これに伴い、部屋付きの20代山響(元前頭筆頭・巌雄)が部屋を継承して山響部屋へと名称が変更された。

ベテランとなってからも十両や幕下上位で土俵を務め続けたが、東幕下3枚目で迎えた平成30年(2018年)1月場所の初日に不戦敗となって休場し、現役引退を発表。引退後は年寄「小野川」を襲名した。大横綱から直々に基本を叩き込まれたその相撲の型と精神は、指導者となった現在も後進へと受け継がれている。

四股名
北太樹 明義 (きたたいき あけよし)
最高位
前頭2枚目
年寄名跡
29代小野川 明義(山響)
出身地
東京都町田市
本名
讃岐 明義
生年月日
昭和57年(1982)10月5日(43歳)
所属部屋
北の湖~山響部屋
改名歴
讃岐 明義 → 北大樹 明義 → 北太樹 明義
初土俵
平成10年(1998)3月 前相撲(15歳5ヶ月)
新十両
平成19年(2007)7月(所要56場所)
24歳9ヶ月(初土俵から9年4ヶ月)
新入幕
平成20年(2008)9月(所要63場所)
25歳11ヶ月(初土俵から10年6ヶ月)
最終場所
平成30年(2018)1月場所(35歳3ヶ月)
大相撲歴
119場所(19年10ヶ月)
通算成績
649勝649敗2休1298出場(勝率.500)
通算119場所
勝ち越し58場所(勝ち越し率.492)(勝ち越し星182)
優勝等
十両優勝2回
持給金
94円(勝ち越し星182個)
幕内戦歴
255勝315敗0休570出場(勝率.447)
在位38場所(在位率.319)
勝ち越し15場所(勝ち越し率.395)
前頭戦歴
255勝315敗0休570出場(勝率.447)
在位38場所(在位率.319)
勝ち越し15場所(勝ち越し率.395)
十両戦歴
174勝156敗0休330出場(勝率.527)
在位22場所(在位率.185)
勝ち越し12場所(勝ち越し率.545)
関取戦歴
429勝471敗0休900出場(勝率.477)
在位60場所(在位率.504)
勝ち越し27場所(勝ち越し率.450)
幕下以下歴
220勝178敗2休398出場(勝率.553)
在位58場所(在位率.487)
勝ち越し31場所(勝ち越し率.534)

北太樹 明義の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

  • ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(223回 / 34.3%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(197回 / 30.4%)
  • ✅ 得意な相手:豊桜(11勝2敗 / 勝率.846)
  • ✅ 苦手な相手:豊響(4勝17敗 / 勝率.190)

春日王 克昌

韓国ではテコンドーとシルム(韓国相撲)で活躍、大相撲初の韓国出身幕内力士だったが八百長問題で引退

  • 四股名 :春日王 克昌(かすがおう かつまさ)
  • 最高位 :前頭3枚目
  • 出身地 :韓国仁川広域市
  • 本 名 :金 成澤
  • 生年月日:昭和52年(1977)7月1日
  • 所属部屋:春日山部屋
  • 改名歴 :金⇒春日王
  • 初土俵 :平成10年(1998)11月(21歳4ヵ月)
  • 新十両 :平成14年(2002)7月(25歳0ヵ月)
  • 新入幕 :平成15年(2003)1月(25歳6ヵ月)
  • 最終場所:平成23年(2011)5月(33歳10ヵ月)
  • 生涯戦歴:464勝452敗11休/913出場(74場所)
  • 生涯勝率:50.7%
  • 優勝等 :十両優勝2回,幕下優勝1回,序二段同点1回
  • 成 績 :敢闘賞1回
  • 幕内戦歴:199勝272敗9休(32場所)勝率:42.3%
  • 十両戦歴:171勝127敗2休(20場所)勝率:57.4%

玉飛鳥 大輔

玉飛鳥 大輔 (たまあすか だいすけ)愛知県名古屋市熱田区出身、片男波部屋の元力士で、最高位は前頭9枚目

平成10年(1998)3月場所に15歳1ヶ月で初土俵を踏み、平成28年(2016)9月場所を最後に引退(33歳7ヶ月)※番付上は平成28年(2016)11月場所

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通算成績は580勝569敗29休1146出場。生涯勝率.506。通算111場所中、61場所を勝ち越した(勝ち越し率.555)。

主な成績は十両優勝2回(同点1)、幕下優勝2回(同点1)

昭和58年(1983)1月26日生まれ。本名は高橋 大輔。

中学生横綱のタイトルを引っ提げて15歳で角界へ飛び込み、怪我や病と闘いながら関取の座を幾度も失い、そのたびに這い上がった不屈の土俵人生であった。押しや左四つからの寄りを得意とし、中学生横綱を獲得して中学卒業と同時に入門した力士としては、唯一の幕内力士となった。

中学生横綱から15歳での角界入り

父の勧めで小学生の頃から相撲に親しみ、わんぱく相撲などの大会に出場する。名古屋市立日比野中学校へ進学後も実力を伸ばし、3年次に出場した全国中学校相撲選手権大会で個人優勝を果たし、見事中学生横綱の栄冠に輝いた。卒業後は高校へ進学する予定であったが、当時の13代片男波(元関脇・玉ノ富士)からの熱心なスカウトに加え、相撲関係者から「同学年で一番強いのだから、早く角界に入るべきだ」と後押しを受け、中学卒業と同時に片男波部屋への入門を決意する。

四股名の「玉飛鳥(たまあすか)」は、入門の直前に亡くなった父が名付けたものである。「飛ぶ鳥を落とす勢い」で出世してほしいという願いと、日本古来の歴史を連想させる「飛鳥時代」に因んで命名された。父の思いを背負い、平成10年(1998年)3月場所において15歳1ヶ月で初土俵を踏んだ。

幕内昇進と襲いかかる怪我・病

入門後は着実に番付を上げ、平成16年(2004年)9月場所では西幕下4枚目の地位で7戦全勝の幕下優勝を飾り、翌11月場所での新十両昇進を決めた。その後も十両上位で好成績を収め、平成17年(2005年)7月場所で新入幕を果たす。東前頭14枚目で迎えた新入幕の場所は9勝6敗と勝ち越し、幕内の土俵にも適応する姿を見せた。

順調な出世に見えたが、幕内3場所目となる同年11月場所で足を骨折し、途中休場を余儀なくされる。この怪我は深刻であり、それまで糖尿病に罹っても挫けなかった玉飛鳥も引退を思い詰めるほどであった。しかし、師匠から「力士は一度引退したら二度と復帰できない」と説得され、土俵に踏みとどまる決意を固める。

不屈の復活劇と度重なる昇降格

足首の故障と糖尿病が重なり、幕下上位から一時は西幕下31枚目まで番付を下げるなど苦しい時期が続いた。しかし、平成20年(2008年)5月場所で2度目の幕下優勝を果たし、翌7月場所には地元・名古屋の地で10場所ぶりの関取復帰を果たす。さらに、平成21年(2009年)5月場所では12勝3敗で十両優勝を飾り、同年9月場所において23場所ぶりとなる幕内復帰を果たした。

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その後も怪我の影響などで番付を落とし、幕下から幕内までを往復する激動の土俵生活となる。それでも決して諦めることなく這い上がり、平成24年(2012年)5月場所では12勝3敗で2度目の十両優勝を飾り、再び幕内の土俵へ返り咲いた。現役生活を通して再十両と再入幕をそれぞれ7回ずつ経験する苦労人であったが、玉飛鳥は関取や幕内へ復帰した際の喜びについて「毎回(新十両や新入幕の時と)同じくらいうれしかった。辛かったことの方が多かったけど、うれしさの方が大きかった」と語っており、相撲への純粋な情熱を燃やし続けた。

引退と大嶽部屋継承

ベテランとなってからも若手の高い壁として奮闘を続けたが、平成27年(2015年)11月場所で大きく負け越し、翌場所での幕下陥落を喫した頃から引退の二文字がよぎるようになる。周囲からの「まだやれる」という励ましを受けながら土俵を務めたものの、関取復帰の壁は厚く、平成28年(2016年)9月場所を最後に現役引退を決断した。引退に際しては「父は横綱になってくれと言っていた。父からみればまだまだと言われるかもしれませんが、ここまでやれてよかった」と、亡き父への思いを口にしている。

引退後は年寄・15代荒磯を襲名して日本相撲協会に残り、のちに17代熊ヶ谷へと名跡を変更する。指導者として後進の育成に尽力していたが、令和7年(2025年)に転機が訪れる。同じ二所ノ関一門の大嶽部屋において、17代大嶽(元十両・大竜)の停年退職に伴う後継者問題が浮上し、部屋付き親方が不在であったことから、一門内で白羽の矢が立ったのである。同年9月1日付で大嶽部屋へ転籍し、同月29日付で18代大嶽を襲名して部屋を継承。新たな師匠として、部屋の歴史を紡いでいる。

四股名
玉飛鳥 大輔 (たまあすか だいすけ)
最高位
前頭9枚目
年寄名跡
15代荒磯 大輔(片男波) → 17代熊ヶ谷 大輔(片男波) → 17代熊ヶ谷 大輔(大嶽) → 18代大嶽 大輔
出身地
愛知県名古屋市熱田区
本名
高橋 大輔
生年月日
昭和58年(1983)1月26日(43歳)
所属部屋
片男波部屋
改名歴
玉飛鳥 大輔
初土俵
平成10年(1998)3月 前相撲(15歳1ヶ月)
新十両
平成16年(2004)11月(所要40場所)
21歳9ヶ月(初土俵から6年8ヶ月)
新入幕
平成17年(2005)7月(所要44場所)
22歳5ヶ月(初土俵から7年4ヶ月)
最終場所
平成28年(2016)9月場所(33歳7ヶ月)※番付上は平成28年(2016)11月場所
大相撲歴
111場所(18年6ヶ月)
通算成績
580勝569敗29休1146出場(勝率.506)
通算111場所
勝ち越し61場所(勝ち越し率.555)(勝ち越し星177)
優勝等
十両優勝2回(同点1),幕下優勝2回(同点1)
持給金
91円50銭(勝ち越し星177個)
幕内戦歴
54勝109敗17休161出場(勝率.335)
在位12場所(在位率.108)
勝ち越し1場所(勝ち越し率.083)
前頭戦歴
54勝109敗17休161出場(勝率.335)
在位12場所(在位率.108)
勝ち越し1場所(勝ち越し率.083)
十両戦歴
282勝291敗12休572出場(勝率.493)
在位39場所(在位率.351)
勝ち越し21場所(勝ち越し率.538)
関取戦歴
336勝400敗29休733出場(勝率.458)
在位51場所(在位率.459)
勝ち越し22場所(勝ち越し率.431)
幕下以下歴
244勝169敗0休413出場(勝率.591)
在位59場所(在位率.532)
勝ち越し39場所(勝ち越し率.661)

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  • ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(229回 / 39.5%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(134回 / 23.5%)
  • ✅ 得意な相手:安壮富士(7勝1敗 / 勝率.875)
  • ✅ 苦手な相手:時天空(0勝8敗 / 勝率.000)

平成10(1998)年初土俵の最高位:十両

大翔大 豪志

大翔大 豪志(だいしょうだい つよし)東京都江戸川区出身、友綱 → 追手風部屋の元力士で、最高位は十両筆頭

平成10年(1998)3月場所に22歳0ヶ月で初土俵を踏み、平成23年(2011)5月場所を最後に引退(35歳2ヶ月)。

通算成績は339勝306敗13休645出場。生涯勝率.526。通算79場所中、44場所を勝ち越した(勝ち越し率.564)。

主な成績は幕下同点1回,序二段優勝1回序ノ口優勝1回

昭和51年(1976)2月25日生まれ。本名は西野 豪。

小学生の頃から相撲を始める。埼玉栄高校を経て日本大学へと進学。同級生の齊藤(元関脇・追風海)と共に追手風親方(元前頭2枚目・大翔山)の内弟子として友綱部屋に入門し、平成10年(1998年)3月場所で初土俵を踏んだ。

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序ノ口・序二段で連続全勝優勝、三段目では6番相撲で敗れて序ノ口からの連勝は19でストップしたが、それでも三段目も1場所で通過した。平成14年(2002年)5月場所に十両に昇進。新十両場所は8勝7敗と勝ち越したが、翌7月場所では3勝12敗と大敗を喫して幕下に陥落してしまった。

1年以上幕下上位であがいていたが、次第に立合い押してからの四つ相撲に磨きがかかり、平成16年(2004年)3月場所に再十両を果たした。そこから徐々に番付を上げていき平成18年(2006年)年1月場所では自己最高位の西十両筆頭に番付を上げた。

いよいよ次は新入幕か!?との期待もあったがその1月場所では9日目に早々と負け越しが決定、結果4勝11敗と大敗を喫した。さらに翌3月場所でも初日から11連敗の3勝12敗と大敗し、幕下陥落が決定。同年11月場所には師匠の現役時代の四股名である「大翔山」を襲名して再起を図ったが関取復帰は果たせず平成23年(2011年)5月技量審査場所を最後に現役を引退した。引退後は追手風部屋のマネージャーに就任。

四股名
大翔大 豪志(だいしょうだい つよし)
最高位
十両筆頭
出身地
東京都江戸川区
本名
西野 豪
生年月日
昭和51年(1976)2月25日
出身高校
埼玉栄高校
出身大学
日本大学
所属部屋
友綱 → 追手風部屋
改名歴
西野 豪志 → 大翔大 豪志 → 大翔山 豪志
初土俵
平成10年(1998)3月 前相撲(22歳0ヶ月)
新十両
平成14年(2002)5月(所要25場所)
26歳2ヶ月(初土俵から4年2ヶ月)
最終場所
平成23年(2011)5月(35歳2ヶ月)
大相撲歴
79場所(13年2ヶ月)
通算成績
339勝306敗13休645出場(勝率.526)
通算79場所
勝ち越し44場所(勝ち越し率.564)(勝ち越し星104)
優勝等
幕下同点1回,序二段優勝1回序ノ口優勝1回
持給金
55円(勝ち越し星104個)
十両戦歴
95勝115敗0休210出場(勝率.452)
在位14場所(在位率.177)
勝ち越し7場所(勝ち越し率.500)
幕下以下歴
244勝191敗13休435出場(勝率.561)
在位64場所(在位率.810)
勝ち越し37場所(勝ち越し率.578)


魁道 康弘

  • 四股名 :魁道 康弘(かいとう やすひろ)
  • 最高位 :十両4枚目
  • 出身地 :東京都府中市
  • 本 名 :田中 康弘
  • 生年月日:昭和50年(1975)10月24日
  • 出身大学:中央大学
  • 所属部屋:友綱部屋
  • 改名歴 :田中⇒魁道
  • 初土俵 :平成10年(1998)3月・幕下60付出(22歳5ヵ月)
  • 新十両 :平成15年(2003)5月(27歳7ヵ月)
  • 最終場所:平成18年(2006)9月(30歳11ヵ月)
  • 生涯戦歴:222勝201敗29休/421出場(52場所)
  • 生涯勝率:52.5%
  • 優勝等 :なし
  • 十両戦歴:76勝89敗(11場所)勝率:46.1%

玉ノ国 光国

玉ノ国 光国(たまのくに みつくに)福島県西白河郡泉崎村出身、片男波部屋の元力士で、最高位は十両7枚目

平成10年(1998)3月場所に22歳2ヶ月で初土俵を踏み、平成20年(2008)1月場所を最後に引退(32歳0ヶ月)。

通算成績は244勝219敗31休461出場。生涯勝率.527。通算60場所中、32場所を勝ち越した(勝ち越し率.533)。

主な成績は幕下優勝2回(同点1)。

昭和50年(1975)12月28日生まれ。本名は岡部 光国。

放駒親方(元関脇・玉乃島)の実兄で大関・清國の甥。育ったのは東京都文京区だが父親の故郷である福島県を出身地として名乗っていた。

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東洋大学を卒業とともに片男波部屋から幕下60枚目格付出で初土俵を踏む。このとき実弟である玉乃島(当時は玉ノ洋)も東洋大学を中退して同部屋から初土俵を踏んでおり、これは史上初の兄弟同時幕下付け出しであった。

弟より1場所早い所要8場所で新十両昇進となったが椎間板ヘルニアを患ってからは精細を欠き、最高位は十両7枚目であった。あだ名は本名の光国(みつくに)にちなんで「黄門様」。

四股名
玉ノ国 光国(たまのくに みつくに)
最高位
十両7枚目
出身地
福島県西白河郡泉崎村
本名
岡部 光国
生年月日
昭和50年(1975)12月28日
出身高校
目黒高校
出身大学
東洋大学
所属部屋
片男波部屋
改名歴
玉ノ国 光国 → 玉光国 喜太郎
初土俵
平成10年(1998)3月 幕下60枚目格付出(22歳2ヶ月)
新十両
平成11年(1999)7月(所要8場所)
23歳6ヶ月(初土俵から1年4ヶ月)
最終場所
平成20年(2008)1月(32歳0ヶ月)
大相撲歴
60場所(9年10ヶ月)
通算成績
244勝219敗31休461出場(勝率.527)
通算60場所
勝ち越し32場所(勝ち越し率.533)
優勝等
幕下優勝2回(同点1)
十両戦歴
54勝80敗1休133出場(勝率.403)
在位9場所(在位率.150)
勝ち越し1場所(勝ち越し率.111)
幕下以下歴
190勝139敗30休328出場(勝率.578)
在位51場所(在位率.850)
勝ち越し31場所(勝ち越し率.608)


古市 貞秀

大阪府交野市出身、阿武松部屋の元力士で最高位は十両12枚目。阿武松部屋初の関取だったが野球賭博問題への関与によって解雇。

  • 四股名 :古市 貞秀(ふるいち さだひで)
  • 最高位 :十両12枚目
  • 出身地 :大阪府交野市
  • 本 名 :古市 貞秀
  • 生年月日:昭和51年(1976)2月21日
  • 出身高校:南京都高校
  • 出身大学:近畿大学
  • 所属部屋:阿武松部屋
  • 改名歴 :古市⇒小緑⇒古市
  • 初土俵 :平成10年(1998)3月(22歳1ヵ月)
  • 新十両 :平成13年(2001)1月(24歳11ヵ月)
  • 最終場所:平成22年(2010)9月(34歳7ヵ月)
  • 生涯戦歴:277勝243敗14休/520出場(75場所)
  • 生涯勝率:53.3%
  • 優勝等 :幕下同点2回,三段目優勝1回,序二段同点1回
  • 十両戦歴:7勝23敗(2場所)勝率:23.3%

平成10(1998)年初土俵の最高位:幕下

飛燕力 敬介

飛燕力 敬介(ひえんりき けいすけ)は新潟県 燕市出身、押尾川部屋の力士で最高位は幕下29枚目。令和8年5月場所の番付は東 序ノ口4枚目。

入門は押尾川部屋で、平成17年(2005)3月に部屋が閉鎖されたことで尾車部屋へと移籍。平成26年(2014)の名古屋場所では当時序ノ口から20連勝中だった安彦(現・剣翔)を降して31歳で三段目優勝。

💡 新潟県出身一覧💡 押尾川部屋の力士

四股名
飛燕力 敬介(ひえんりき けいすけ)
最高位
幕下29枚目
最新番付
東 序ノ口4枚目
出身地
新潟県 燕市
本名
吉川 敬介
生年月日
昭和58年(1983)3月6日(43歳)
身長・体重
178.5cm・120.4kg
所属部屋
押尾川 → 尾車 → 押尾川部屋
改名歴
吉川 → 飛燕力
初土俵
平成10年(1998)3月(15歳0ヵ月)
優勝
三段目優勝1回
通算成績
563勝588敗11休/1150出場(勝率:49%)
直近7場所
17勝18敗7休
7場所勝率
48.6%
得意技
右四つ・出し投げ
決まり手傾向(直近7場所)
飛燕力が勝ちの決まり手(17勝)
寄り切り7
押し出し3
叩き込み2
上手出し投げ1
寄り倒し1
突き落とし1
その他2
飛燕力が負けの決まり手(18敗)
寄り切り7
押し出し4
叩き込み3
小手投げ2
極め出し1
下手投げ1
令8年5月
東 序ノ口4枚目(51枚降下)
0勝0敗
     |     |     
令8年3月
東 序二段55枚目(25枚半降下)
0勝0敗7休
休場
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年1月
西 序二段29枚目(43枚半上昇)
3勝4敗
○--○-|●●--●|●--○-
取組詳細(対戦相手・決まり手)

▼ さらに過去の成績(4場所分)を見る
令7年11
東 序二段73枚目(23枚降下)
5勝2敗
-○●--|○○-○-|-○●--
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年9月
東 序二段50枚目(28枚降下)
3勝4敗
●-○-●|--●○-|○--●-
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年7月
東 序二段22枚目(23枚半降下)
3勝4敗
-○-●○|-●-○-|-●-●-
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年5月
西 三段目78枚目
3勝4敗
●-●--|○-●-●|-○--○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

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カテゴリー : 初土俵別

公開日:2018-10-08
投稿者:レイ

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