大相撲十両力士一覧【令和8年(2026年)5月場所】

令和8年(2026年)5月場所の十両力士一覧です。

力士のプロフィールと共に基礎情報をまとめました。昇進がいつだったのか、またその時の年齢なども分かります。また、これまでの成績もまとめておりますので、ぜひ相撲観戦にお役立てください。


相撲部屋や出身地ごとの場所の成績からランキングを作成しております。初場所、好調な相撲部屋や力士の出身地はどこ?

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番付:十両筆頭

阿武剋 一弘

阿武剋 一弘(おうのかつ かずひろ)はモンゴル オブス県出身、阿武松部屋の力士で最高位は前頭3枚目。令和8年5月場所の番付は東 十両筆頭。

モンゴルのオブス県に生まれ、幼少期から中学時代にかけてはサッカーに親しんだ。数学オリンピックのオブス県大会で優勝するほどの頭脳明晰な一面を持っていたが、15歳で来日し、新名学園旭丘高校(神奈川県)の相撲部留学生1期生として本格的に相撲を始めた。語学も堪能で、高校2年次には日本語のノートをつける必要がなくなるほど習熟していたという。

学生横綱のタイトルと幕下付出

相撲においても高校3年次に全国高校総体(インターハイ)の個人戦で優勝力士に次ぐ成績を収めた。高校卒業後は日本体育大学へ進学し、中村(横綱・大の里)ら強力な同期たちと切磋琢磨した。4年次に全国学生相撲選手権大会で優勝して「学生横綱」のタイトルを獲得し、これにより幕下15枚目格付出の資格を取得した。大学3年時に大相撲の土俵へ進むことを決心しており、卒業後は阿武松部屋の門を叩いた。

恩師の名を刻んだ四股名とスピード出世

令和5年(2023年)9月場所に新弟子検査に合格し、興行ビザの取得を経て同年11月場所に幕下15枚目格付出で初土俵を踏んだ。同年9月の理事会で付出資格が改定され、幕下付出が最下位(60枚目)格に一本化されたことに伴い、旧制度である「幕下15枚目格付出」として初土俵を踏む最後の力士となった。四股名は「自分に打ち勝つ」という意味を込めて下剋上の「剋」の字を入れ、下の名前である「一弘」は、日体大相撲部の齊藤一雄監督の「一」と、旭丘高校相撲部の岸田光弘監督の「弘」からそれぞれ一字を頂戴したものであり、自身を育ててくれた二人の恩師への感謝が込められていた。

初土俵の場所を5勝2敗で勝ち越すと、続く令和6年(2024年)1月場所は東幕下8枚目で6勝1敗の成績を収めた。同年3月場所を西幕下2枚目で5勝2敗とし、所要3場所での新十両昇進を確定させた。

十両通過と幕内の土俵での戦い

同年5月場所、東十両12枚目で迎えた新十両の土俵では13勝2敗という優勝力士に次ぐ成績を挙げた。続く7月場所も西十両筆頭で9勝6敗と勝ち越し、十両をわずか2場所で通過して同年9月場所において西前頭14枚目で新入幕を果たした。新入幕の場所は7勝8敗と負け越したものの、続く11月場所で9勝6敗と勝ち越すなど、右四つからの力強い寄りや突き押しを武器に前頭の地位に定着した。

令和7年(2025年)3月場所から2場所連続で10勝5敗の2桁勝利を挙げ、上位陣との対戦圏内へと番付を伸ばした。令和8年(2026年)3月場所では左足を負傷し、途中休場と再出場を挟んで再び休場するという初土俵以来初の休場を経験した。

入幕間もない頃、13代二所ノ関(元横綱・稀勢の里)からは、左の使い方の巧さを高く評価される一方で、「圧力のない日馬富士関」とかつてのライバルに例えてパワー不足を指摘されたこともあった。この課題を克服し、自身の四股名に込めた「自分に打ち勝つ」という信念を胸に、日々の激しい稽古に励みながら厳しい勝負の世界で踏ん張り続けている。

大相撲の歴史や教養を学ぶ相撲教習所を「優等賞」で卒業するなど、数学オリンピックの県大会で優勝した経歴に違わぬ知性を角界でも発揮している。昇進会見では流暢な日本語で受け答えを行い、好きな日本の歌に河島英五の『時代おくれ』を挙げるなど、日本の文化にも深く馴染んでおり、今後のさらなる飛躍が期待されている。

💡 モンゴル出身一覧💡 阿武松部屋の力士

四股名
阿武剋 一弘(おうのかつ かずひろ)
最高位
前頭3枚目
最新番付
東 十両筆頭
出身地
モンゴル オブス県
本名
バトジャルガル・チョイジルスレン
生年月日
平成12年(2000)5月5日(26歳)
身長・体重
185cm・171kg
出身高校
新名学園旭丘高校
出身大学
日本体育大学
所属部屋
阿武松部屋
初土俵
令和5年(2023)11月・幕下15付出(23歳6ヵ月)
新十両
令和6年(2024)5月(24歳0ヵ月)
新入幕
令和6年(2024)9月(24歳4ヵ月)
優勝
無し
通算成績
109勝84敗8休/191出場(勝率:57.1%)
直近7場所
(幕内:38勝44敗8休)
7場所勝率
47.5%
得意技
右四つ・寄り
決まり手傾向(直近7場所)
阿武剋が勝ちの決まり手(38勝)※不戦勝2含む
寄り切り25
押し出し4
寄り倒し2
突き落とし1
反則1
上手出し投げ1
その他2
阿武剋が負けの決まり手(44敗)※不戦敗2含む
寄り切り17
押し出し10
叩き込み3
送り出し3
寄り倒し2
突き落とし2
その他5
令8年5月
東 十両筆頭(11枚降下)
0勝0敗
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年3月
西 前頭6枚目(変動なし)
1勝6敗8休
●■やや●|○●●■や|ややややや
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年1月
西 前頭6枚目(変動なし)
7勝8敗
●●○●○|○●●●○|○□□●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

▼ さらに過去の成績(4場所分)を見る
令7年11
西 前頭6枚目(半枚降下)
7勝8敗
●○●●○|●○●○●|○●●○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年9月
東 前頭6枚目(3枚降下)
7勝8敗
○○●○●|●○○●●|●●●○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年7月
東 前頭3枚目(5枚上昇・最高位更新)
6勝9敗
●●○●●|●○●○○|○●●○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年5月
東 前頭8枚目
10勝5敗
○○●●○|●●○○○|○○○●○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

大青山 大介

大青山 大介(だいせいざん だいすけ)は中国 内モンゴル自治区出身、荒汐部屋の力士で最高位は十両筆頭。令和8年5月場所の番付は最高位に並ぶ西 十両筆頭。

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中国内モンゴル自治区に生まれ、幼少期はモンゴル相撲やレスリングなどの格闘技に親しんで育った。中学2年次に中国代表として白鵬杯に出場したことをきっかけに本格的に相撲を始め、平成28年(2016年)に日本へ相撲留学する。

この留学は、父親がレスリング時代に蒼国来(のちの8代荒汐)の先輩にあたるという深い縁があったことから、同郷の蒼国来を頼って実現したものであった。静岡県の飛龍高校へと進学し、2年次に出場した全国大会の団体戦では、途中出場ながら同校の全国優勝に大きく貢献するなど確かな実績を残した。

高校卒業後は荒汐部屋への入門を希望したが、当時は蒼国来が現役力士として在籍しており、「外国出身力士は1部屋につき1人まで」という規定によりすぐには入門できなかった。そのため、在留資格(留学ビザ)を維持する事情から、約3年間にわたって部屋の研修生として生活することとなる。

日本語学校やスポーツ専門学校に通いながら稽古を積むという苦労を重ね、令和2年(2020年)3月に蒼国来が引退して親方となり外国枠が空いたことで正式に入門。興行ビザの取得を待って令和4年(2022年)1月場所の前相撲において初土俵を踏んだ。

「大青山」としての歩みと同世代との対戦

四股名は、自身の故郷にある陰山山脈の「大青山」と、飛龍高校時代の恩師の名に由来して「大青山 大介」と名付けられた。初めて番付に名前が載った令和4年(2022年)3月場所は序ノ口で6勝1敗の好成績を挙げる。

続く同年5月場所は序二段で七番相撲に敗れて6勝1敗となったが、この時の対戦相手は初土俵同期生の琴手計(のちの琴栄峰)であった。さらに翌7月場所でも七番相撲で出場停止明けの大関経験者・朝乃山に敗れて6勝1敗となるなど、実力者との対戦を経験しながら順調に番付を上げていった。

右手首の骨折と新十両昇進

令和4年(2022年)9月場所では三段目上位まで番付を上げたが、場所前の稽古中に右手首を骨折して手術を受けた影響で、2場所連続の全休を余儀なくされる。復帰場所となった翌令和5年(2023年)1月場所では、七番相撲で尊富士に敗れて6勝1敗となるなど、同世代の出世頭たちと鎬を削りながら実力を伸ばした。

同年7月場所で新幕下に昇進し、着実に上位へと定着していく。東幕下2枚目の地位で迎えた令和6年(2024年)7月場所においては、初日から持ち前の力強い相撲で白星を重ねて見事に7戦全勝で幕下優勝を飾った。

この好成績が評価され、場所後の番付編成会議にて念願の新十両昇進が決定した。中国出身の関取は、湊部屋の仲の国(元十両12枚目)以来4人目で、内モンゴル自治区出身としては師匠である8代荒汐以来2人目の関取誕生となった。

十両での奮闘と取り口

新十両として迎えた令和6年(2024年)9月場所では、関取の壁にぶつかり7勝8敗と負け越したものの、番付運に恵まれて翌11月場所も東十両12枚目に据え置かれる。この場所を9勝6敗の成績で終え、十両での初勝ち越しを決めた。

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その後は十両の土俵に定着し、一進一退の攻防を続けながらも実力を伸ばしていく。令和7年(2025年)7月場所では西十両6枚目で10勝5敗の好成績を収め、翌9月場所には東十両筆頭にまで番付を上げた。

取り口は、190センチを超える長身と160キロ以上の恵まれた体格を生かした右四つからの寄りや、強烈な押しを最大の武器とする。長い下積み期間や怪我による休場という試練を乗り越え、持ち前のスケールの大きな相撲で上位の土俵を目指している。

💡 中国出身一覧💡 荒汐部屋の力士

四股名
大青山 大介(だいせいざん だいすけ)
最高位
十両筆頭
最新番付
西 十両筆頭
出身地
中国 内モンゴル自治区
本名
アスハダ
生年月日
平成12年(2000)5月22日(25歳)
身長・体重
192cm・165kg
出身高校
飛龍高校
所属部屋
荒汐部屋
初土俵
令和4年(2022)1月(21歳8ヵ月)
新十両
令和6年(2024)9月(24歳4ヵ月)
優勝
幕下優勝1回
通算成績
146勝95敗14休/241出場(勝率:60.6%)
直近7場所
48勝42敗
7場所勝率
53.3%
得意技
押し・右四つ・寄り
決まり手傾向(直近7場所)
大青山が勝ちの決まり手(48勝)※不戦勝2含む
寄り切り20
上手投げ4
叩き込み4
押し出し4
掬い投げ3
押し倒し2
その他9
大青山が負けの決まり手(42敗)
寄り切り12
押し出し7
突き落とし5
寄り倒し4
叩き込み4
送り出し3
その他7
令8年5月
西 十両筆頭(1枚半上昇)
0勝0敗
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年3月
東 十両3枚目(1枚降下)
8勝7敗
○●●○○|○○●○●|○●●●○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年1月
東 十両2枚目(1枚半上昇)
7勝8敗
○●●○●|○●○●□|●○○●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

▼ さらに過去の成績(4場所分)を見る
令7年11
西 十両3枚目(2枚半降下)
9勝6敗
○○□●○|○○○○●|●○●●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年9月
東 十両筆頭(5枚半上昇・最高位更新)
7勝8敗
○●●○○|●●●●○|●○●○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年7月
西 十両6枚目(変動なし)
10勝5敗
●○○○○|○○○●○|○●○●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年5月
西 十両6枚目
7勝8敗
○●●○○|●○○●●|○●●○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

番付:十両2枚目

佐田の海 貴士

佐田の海 貴士(さだのうみ たかし)は熊本県 熊本市東区出身、境川部屋の力士で最高位は前頭筆頭。令和8年5月場所の番付は東 十両2枚目。

右四つの速攻相撲で活躍した出羽海部屋所属の元小結・佐田の海の長男として東京都に生まれ育つ。幼稚園の頃から力士を志していたが、父親からは「勉強はしなくていいから、何でも好きなことをやれ」と言われ、あえて相撲のアマチュア経験を積まずに野球に打ち込んでいた。小学6年次から中学2年次までは父親の相撲協会退職に伴い愛知県犬山市で過ごした。

中学卒業が近づくと父親の現役時代に憧れ、角界入りを決意する。本人は当初、当然のように父親の古巣である出羽海部屋へ進むものと考えていた。しかし、父親から「男を磨くならこの部屋だ」と熱心な説得を受け、出羽海部屋時代に父親の弟弟子であった13代境川(元小結・両國)が師匠を務める境川部屋への入門を決断した。

平成15年(2003年)3月場所において、本名の「松村」で初土俵を踏む。日本相撲協会には父親の故郷である熊本県熊本市(現在の東区)を出身地として届け出ている。入門当初は軽量に苦労しながらも、師匠の厳しくも愛情あふれる指導のもとで着実に実力を身につけていった。

父の四股名継承と怪我の試練

平成16年(2004年)1月場所において、父親の現役時代の四股名である「佐田の海」を継承した。本人は当初「名乗るのは恐れ多い」と遠慮したものの、師匠から「来場所から佐田の海で行くぞ。親父さんには俺から言っておくから」と力強く背中を押され、父親の四股名を背負うこととなった。

長らく幕下の土俵で実力を磨き、平成22年(2010年)1月場所において幕下優勝を飾り、同年7月場所において念願の新十両昇進を果たす。栃東親子以来14年ぶりとなる史上9組目の親子関取誕生であった。十両昇進後は8場所にわたり十両に定着したが、平成23年(2011年)9月場所千秋楽に大きな悲劇が襲う。7勝7敗で迎えたこの一番で、寄り倒されそうになりながらも勝ち越しへの執念から無理な体勢で残そうとした結果、右足首を脱臼骨折する大怪我を負い、十両からの陥落を余儀なくされた。

陥落後は豪栄道の付け人やちゃんこ番をこなす生活へと戻り、関取経験者でありながら雑務をこなす惨めさや辛さを味わったが、父親からの温かい励ましを受けて再起を図っていた。ところが、平成25年(2013年)3月場所では左目の眼底骨折という更なる不運に見舞われ、一度は引退も頭をよぎった。しかし、懸念された手術が無事に成功したことに加え、知人から浴びせられた手厳しい叱咤の言葉に発奮して現役続行を決断する。本人は怪我の要因を「下がりながらの投げ技が足首に負担をかけていた」と分析し、稽古を重ねて出足を重視した相撲へと磨き上げ、翌平成26年(2014年)1月場所に13場所ぶりとなる十両復帰を果たした。

新入幕と史上初の「親子三賞」

十両復帰後は好調を維持し、平成26年(2014年)5月場所において初土俵から所要66場所で新入幕を果たした。これにより史上8組目の親子幕内力士となる。幕内昇進会見では「父を超えることが親孝行」と意欲を語り、師匠の13代境川も「お父さんから15歳の彼を預かった時からの男の約束だった」と感慨深げに語った。

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新入幕の同場所では、持ち味を存分に発揮して10勝5敗の好成績を収め、自身初となる敢闘賞を受賞した。父親も新入幕の場所に敢闘賞を受賞しており、この受賞によって大相撲史上初となる「親子での新入幕場所三賞獲得」という歴史的な快挙を成し遂げた。

幕内の土俵に定着した翌平成27年(2015年)5月場所では、東前頭3枚目の地位で横綱・日馬富士を取り直しの末に破り、自身初となる金星を獲得して場内を大いに沸かせた。

ベテランとしての存在感と取り口

その後も長く幕内と十両の土俵を務め、平成30年(2018年)3月場所では11勝4敗の好成績で自身初の十両優勝を飾っている。令和4年(2022年)5月場所では西前頭12枚目で千秋楽まで優勝争いに絡み、11勝4敗の優勝次点の成績を残して2度目の敢闘賞を受賞した。さらに令和7年(2025年)5月場所でも西前頭13枚目で10勝5敗の好成績を挙げて3度目の敢闘賞を受賞するなど、衰えぬ実力を証明し続けている。

取り口は、父親と同じく右四つに組んでからの速攻や力強い寄り、真っ向勝負を最大の持ち味とする。一方で父親よりも手足が長いため、「俺にはない投げがある」と父親から評されている。厳しい稽古で培われた足の裏の感覚が良く、土俵際での並外れた粘り腰を見せることから「行司泣かせ」の異名をとることもある。

ベテランとなってからは引き技に沈む場面も指摘されるが、父親譲りの四股名と伝統の相撲型を胸に、持ち前のしぶとさと豊富な経験を生かして最高峰の土俵で長きにわたり奮闘を続けている。

💡 熊本県出身一覧💡 境川部屋の力士

四股名
佐田の海 貴士(さだのうみ たかし)
最高位
前頭筆頭
最新番付
東 十両2枚目
出身地
熊本県 熊本市東区
本名
松村 要
生年月日
昭和62年(1987)5月11日(38歳)
身長・体重
183cm・144kg
所属部屋
境川部屋
改名歴
松村 → 佐田の海
初土俵
平成15年(2003)3月(15歳10ヵ月)
新十両
平成22年(2010)7月(23歳2ヵ月)
新入幕
平成26年(2014)5月(27歳0ヵ月)
優勝
十両優勝1回,幕下優勝1回,三段目優勝1回
受賞・金星
敢闘賞3回,金星1個
通算成績
779勝799敗22休/1578出場(勝率:49.4%)
直近7場所
16勝14敗(幕内:24勝36敗)
7場所勝率
44.4%
得意技
右四つ・寄り
決まり手傾向(直近7場所)
佐田の海が勝ちの決まり手(40勝)
寄り切り17
押し出し7
上手投げ3
寄り倒し3
突き落とし2
引っ掛け1
その他7
佐田の海が負けの決まり手(50敗)
寄り切り16
押し出し7
突き出し5
叩き込み5
掬い投げ3
送り出し3
その他11
令8年5月
東 十両2枚目(半枚降下)
0勝0敗
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年3月
西 十両筆頭(2枚半上昇)
7勝8敗
○●●○●|●○○●○|●●●○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年1月
東 十両4枚目(4枚半降下)
9勝6敗
○○○○●|●○○○○|●●●○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

▼ さらに過去の成績(4場所分)を見る
令7年11
西 前頭16枚目(2枚半降下)
4勝11敗
●○●●●|●○●○●|●●○●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年9月
東 前頭14枚目(6枚降下)
6勝9敗
○●○○●|●●●●○|●○●○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年7月
東 前頭8枚目(5枚半上昇)
4勝11敗
●●●○●|●○●●●|●●○○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年5月
西 前頭13枚目
10勝5敗(敢闘賞)
●○●○○|○○●○○|●○○○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

尊富士 弥輝也

尊富士 弥輝也(たけるふじ みきや)は青森県 五所川原市出身、伊勢ヶ濱部屋の力士で最高位は前頭4枚目。令和8年5月場所の番付は西 十両2枚目。

アマチュア相撲経験者であった祖父の影響を受け、幼少期から相撲に親しむ。親元を離れて強豪の鳥取城北高校へ進学したが、2年次の金沢大会において左膝前十字靱帯を断裂する大怪我を負う。その後、3年次に全国高校総体個人3位などの実績を残して復帰を果たしたが、秋の国民体育大会の個人準決勝における納谷幸之介(のちの王鵬)との取組中に再び左膝を負傷した。

度重なる怪我との闘いと伊勢ヶ濱部屋入門

高校卒業後は日本大学法学部へと進学し、2年次には全国学生選手権の団体優勝などに貢献するも、決勝戦で今度は右膝を負傷する。懸命なリハビリを経て再び土俵へ戻ると、3年次にも全国学生選手権での団体優勝を果たして連覇に貢献し、4年次には全国学生相撲個人体重別選手権大会無差別級でベスト16に入った。大学卒業後、同郷の9代伊勢ヶ濱(元横綱・旭富士)が師匠を務め、高校の先輩でもある横綱・照ノ富士(現10代伊勢ヶ濱)が在籍する伊勢ヶ濱部屋の門を叩いた。

初土俵からの快進撃

令和4年(2022年)9月場所に本名の「石岡」で初土俵を踏む。翌11月場所からは、「尊富士」へと改名。「尊」は高い地位を目指すという意味も込めて日本武尊(ヤマトタケル)から一字を取ったもの。この場所を7戦全勝で序ノ口優勝で飾ると、続く令和5年(2023年)1月場所でも序二段優勝を果たした。スピードと力強い突き押しを武器に各段を駆け上がり、幕下上位を通過して令和6年(2024年)1月場所で新十両へ昇進する。

記録尽くしの新入幕優勝

東十両10枚目で迎えた新十両の場所を13勝2敗の好成績で制して十両優勝を果たし、わずか1場所で十両を通過する。新入幕となった続く同年3月場所では、初日から快進撃を続け、昭和の大横綱・大鵬以来64年ぶりとなる新入幕力士としての初日からの11連勝を記録した。14日目の取組で右足首の靱帯を負傷、車いすで退場する事態となったものの、師匠からの叱咤激励を受けて千秋楽も強行出場した。その千秋楽では豪ノ山を押し倒しで破って見事に勝利を収め、13勝2敗で自身初となる幕内最高優勝を飾った。

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この優勝は、大正3年(1914年)の夏場所における両国以来、110年ぶりとなる新入幕での賜杯であった。また、初土俵から所要10場所での幕内最高優勝は優勝制度が制定されて以降で史上最速の記録となり、同場所では殊勲賞・敢闘賞・技能賞の三賞をすべて独占している。

試練と復活の歩み

歴史的な快挙を成し遂げた後は、右足の怪我等の影響により苦しい時期が続いた。令和6年5月場所を全休し、東十両2枚目へ陥落した同年7月場所でも途中休場を余儀なくされる。しかし、西十両11枚目まで番付を下げた同年9月場所において13勝2敗で2度目の十両優勝を果たし、再び幕内へと返り咲いた。

その後も再び怪我による休場が重なり、十両の土俵へ下がる経験をしている。度重なる試練に見舞われながらも、持ち味である圧倒的なスピードと鋭い突き押しは色褪せない。大記録を打ち立てた強靱な精神力とともに、さらなる高みを目指して土俵に立ち続けている。

💡 青森県出身一覧💡 伊勢ヶ濱部屋の力士

四股名
尊富士 弥輝也(たけるふじ みきや)
最高位
前頭4枚目
最新番付
西 十両2枚目
出身地
青森県 五所川原市
本名
石岡 弥輝也
生年月日
平成11年(1999)4月9日(27歳)
身長・体重
187cm・148kg
出身高校
鳥取城北高校
出身大学
日本大学
所属部屋
伊勢ヶ濱部屋
改名歴
石岡 → 尊富士
初土俵
令和4年(2022)9月(23歳5ヵ月)
新十両
令和6年(2024)1月(24歳9ヵ月)
新入幕
令和6年(2024)3月(24歳11ヵ月)
優勝
幕内優勝1回,十両優勝2回,序二段優勝1回,序ノ口優勝1回
受賞・金星
殊勲賞1回,敢闘賞1回,技能賞1回
通算成績
148勝67敗44休/213出場(勝率:69.5%)
直近7場所
24勝21敗(幕内:11勝17敗17休)
7場所勝率
48.6%
得意技
突き・押し
決まり手傾向(直近7場所)
尊富士が勝ちの決まり手(35勝)
寄り切り13
押し出し12
突き出し2
叩き込み2
押し倒し1
掬い投げ1
その他4
尊富士が負けの決まり手(38敗)※不戦敗1含む
叩き込み10
突き落とし9
押し出し3
上手投げ3
掬い投げ2
寄り切り2
その他8
令8年5月
西 十両2枚目(2枚上昇)
0勝0敗
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年3月
西 十両4枚目(1枚上昇)
8勝7敗
●○○●●|●●○●○|○○○●○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年1月
西 十両5枚目(1枚半上昇)
8勝7敗
●○○●○|●●○○●|○○●○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

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令7年11
東 十両7枚目(12枚半降下)
8勝7敗
●○●○○|●○○●○|●●●○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年9月
東 前頭12枚目(6枚降下)
0勝0敗15休
休場
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年7月
東 前頭6枚目(2枚降下)
5勝8敗2休
○○●●○|○●●○●|●●■やや
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年5月
東 前頭4枚目
6勝9敗
○○○●●|●●●●○|●●○●○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

番付:十両3枚目

出羽ノ龍 和希

出羽ノ龍 和希(でわのりゅう かずき)はモンゴル ウランバートル市出身、出羽海部屋の力士。令和8年5月場所の番付は最高位更新となる東 十両3枚目。

モンゴル ウランバートル市に生まれ、小学生の頃から相撲を始めた。中学生の頃はバスケットボールにも打ち込んでいたが、8歳の頃から春日山部屋に所属した北春日(元三段目18枚目)に相撲の基礎を教わり、朝青龍杯で団体優勝を経験する。中学時代には高田川部屋に所属した前乃雄(元幕下25枚目)から指導を受けて白鵬杯の団体優勝を経験するなど、大相撲を経験したモンゴル出身の力士たちから直接の薫陶を受けて育った。

「いつか日本で相撲取りになりたい」との強い思いから、より高いレベルでの稽古を求めて日本の希望が丘高校へ相撲留学する。同校の相撲部では、2年次に高校総体でベスト16に入り、3年次には金沢大会と十和田大会で団体8強、世界ジュニア相撲選手権大会の重量級で準優勝という優秀な成績を残した。主要なタイトル獲得には一歩届かなかったものの、全国的な実力者として頭角を現した。

高校卒業後は知人の伝手を通じて16代高崎(元前頭2枚目・金開山)を紹介されたことが縁となり、名門・出羽海部屋への入門を決意する。研修期間を経て、令和元年(2019年)11月場所の前相撲で初土俵を踏んで、本格的に角界での歩みを開始した。

四股名の由来と幕下での苦闘

四股名の「出羽ノ龍」は、出羽海部屋の「出羽」と、番付が上に昇っていくようにという思いを込めた「龍」を合わせたものである。下の名の「和希」は、師匠である11代出羽海(元小城乃花)の本名・現役名・年寄名に共通する「昭和」の「和」と、母校・希望が丘高校の「希」に由来している。

初めて番付に名前が載った令和2年(2020年)1月場所は序ノ口で6勝1敗の好成績を収めると、続く同年3月場所では7戦全勝で見事に序二段優勝を飾った。その後も順調に番付を上げて幕下へ昇進したが、令和3年(2021年)1月場所に新幕下で入門以来初の負け越しを喫するなど、上位の厚い壁にぶつかる時期を経験する。

三段目への陥落を経て復帰した同年5月場所では、7番相撲で三役経験者の阿炎に敗れて幕下優勝こそ逃したものの、6勝1敗の好成績を残した。しかし、勝ち越せば関取昇進が見える西幕下3枚目まで番付を上げた令和4年(2022年)3月場所では、直前に首を痛めた影響で全休を余儀なくされるなど、一進一退の攻防が続いた。

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度重なる壁の突破と関取昇進

その後も幕下上位へ進出しては跳ね返される悔しさを味わう。令和6年(2024年)9月場所では東幕下3枚目で2勝5敗、翌令和7年(2025年)5月場所でも西幕下2枚目で迎えた最後の相撲で十両・大奄美に敗れて負け越すなど、幕下5枚目以内の壁に幾度も阻まれた。

しかし、決して腐ることなく稽古に邁進し、西幕下3枚目で迎えた令和7年(2025年)11月場所についに殻を破る。10日目の取組で十両の日向丸を破って5勝目を挙げ、場所後の番付編成会議にて念願の新十両昇進が決定した。初土俵から約6年をかけて掴み取った関取の座であった。

新十両として迎えた令和8年(2026年)1月場所では8勝7敗と勝ち越しを決めると、続く同年3月場所では東十両10枚目の地位で11勝4敗という好成績を収める。同場所の千秋楽では若ノ勝との優勝決定戦を制し、自身初となる十両優勝を飾った。

御嶽海を慕う押し相撲

取り口については、アマチュア時代は四つ相撲を主体としていたものの、大相撲入門後は同部屋の兄弟子である大関経験者・御嶽海を目標として押し相撲主体へとスタイルを大きく変化させた。

序二段時代にはもろ差しから寄り切る取組を見せるなど四つに組む技術も持ち合わせているが、基本的には恵まれた体格を生かした力強い突き押しを最大の持ち味としている。

長い幕下での下積みと怪我による試練を経て開花した実力を武器に、偉大な兄弟子の背中を追いかけながら、上位の土俵を目指してスケールの大きな相撲を展開している。

💡 モンゴル出身一覧💡 出羽海部屋の力士

四股名
出羽ノ龍 和希(でわのりゅう かずき)
最高位
十両3枚目
最新番付
東 十両3枚目
出身地
モンゴル ウランバートル市
本名
トムルバートル・テムレン
生年月日
平成13年(2001)3月7日(25歳)
身長・体重
181cm・152kg
所属部屋
出羽海部屋
初土俵
令和1年(2019)11月(18歳8ヵ月)
新十両
令和8年(2026)1月(24歳10ヵ月)
優勝
十両優勝1回,序二段優勝1回
通算成績
163勝102敗10休/264出場(勝率:61.7%)
直近7場所
19勝11敗(幕下以下:16勝12敗)
7場所勝率
60.3%
得意技
突き・押し
決まり手傾向(直近7場所)
出羽ノ龍が勝ちの決まり手(35勝)
寄り切り19
押し出し5
寄り倒し3
上手投げ2
送り出し1
下手投げ1
その他4
出羽ノ龍が負けの決まり手(23敗)
寄り切り8
突き落とし3
小手投げ2
下手出し投げ2
上手投げ2
叩き込み1
その他5
令8年5月
東 十両3枚目(7枚上昇・最高位更新)
0勝0敗
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年3月
東 十両10枚目(3枚半上昇・最高位更新)
11勝4敗(十両優勝)
●○●○○|○○○○○|○○○●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年1月
西 十両13枚目(4枚上昇・最高位更新)
8勝7敗
○○○○●|●●○○○|●●○●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

▼ さらに過去の成績(4場所分)を見る
令7年11
西 幕下3枚目(11枚半上昇)
5勝2敗
-○○-●|-○-○○|----●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年9月
東 幕下15枚目(10枚半降下)
6勝1敗
○-●-○|-○--○|-○--○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年7月
西 幕下4枚目(2枚降下)
2勝5敗
-○●-●|-●-●-|○-●--
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年5月
西 幕下2枚目
3勝4敗
-●●-○|●--○-|○●---
取組詳細(対戦相手・決まり手)

羽出山 将

羽出山 将(はつやま しょう)は東京都 東村山市出身、玉ノ井部屋の力士で最高位は前頭17枚目。令和8年5月場所の番付は西 十両3枚目。

東京都東村山市に生まれ、小学6年生の頃から立川錬成館で相撲を始めた。その後、東京都立足立新田高校へ進学し、3年次に出場した高等学校相撲金沢大会において団体2位、個人優勝という優れた実績を残した。

付出資格の失効と再取得

高校卒業後は東洋大学へ進学し、相撲部でさらに実力を伸ばす。2年次に全国学生相撲選手権大会でベスト8、全日本相撲選手権大会でもベスト8に入り、大相撲の三段目付出資格を獲得した。しかし、大学での競技生活を優先したためこの権利は行使せず失効する。それでも3年次に再び全日本選手権でベスト8に入り、同資格を再取得した。4年次には東日本学生相撲個人体重別選手権大会で3位、全国学生選手権でベスト16に入るなど活躍を続けた。

大学卒業後は、東洋大学OBの東白龍に誘われて玉ノ井部屋への入門を決意。令和4年(2022年)3月場所において、3年次に獲得した全日本選手権ベスト8の実績から三段目100枚目格付出で初土俵を踏んだ。全国に20人程度しかいないと言われる非常に希少な苗字であり、「本名とその読みを知ってほしい」という思いから、本名の「羽出山」を四股名としている。

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幕下での奮闘と全勝優勝

順調に星を重ねて初土俵から4場所で幕下へ昇進したが、そこからは幕下の分厚い壁に挑む時期が続いた。一進一退の攻防を繰り返しながらも、長身と恵まれた体格を活かした相撲に磨きをかけ、着実に地力を養っていく。

初土俵から約2年半となる令和6年(2024年)9月場所において、東幕下16枚目の地位で7戦全勝の快進撃を見せ、見事に幕下優勝を飾った。この好成績により番付を大きく上げ、西幕下筆頭で迎えた同年11月場所で5勝2敗と勝ち越して十両昇進を決定づけた。

関取昇進から幕内の土俵へ

令和7年(2025年)1月場所での新十両昇進により、東村山市からの関取誕生は元小結・黒瀬川(厳密には旧東村山町出身)以来、史上2人目となった。昇進会見では同郷のスターである志村けんを憧れに挙げ、「東村山と言ったら、志村けんさんと自分の名前が出るくらいに活躍したい」と決意を語っている。

新十両昇進後も持ち味を発揮して白星を先行させ、東十両5枚目で迎えた同年11月場所では11勝4敗の好成績を挙げる。これにより、翌令和8年(2026年)1月場所において新入幕を果たし、前頭17枚目まで番付を上げた。この場所は2勝13敗と幕内の厚い壁に跳ね返されて十両へ陥落したものの、続く3月場所では西十両9枚目で10勝5敗と二桁勝利を挙げて地力を示している。

💡 東京都出身一覧💡 玉ノ井部屋の力士

四股名
羽出山 将(はつやま しょう)
最高位
前頭17枚目
最新番付
西 十両3枚目
出身地
東京都 東村山市
本名
羽出山 将
生年月日
平成11年(1999)11月5日(26歳)
身長・体重
195cm・142kg
出身高校
足立新田高校
出身大学
東洋大学
所属部屋
玉ノ井部屋
初土俵
令和4年(2022)3月(22歳4ヵ月)
新十両
令和7年(2025)3月(25歳4ヵ月)
新入幕
令和8年(2026)1月(26歳2ヵ月)
優勝
幕下優勝1回
通算成績
135勝103敗1休/237出場(勝率:57%)
直近7場所
46勝29敗(幕内:2勝13敗)
7場所勝率
53.3%
得意技
突き・押し
決まり手傾向(直近7場所)
羽出山が勝ちの決まり手(48勝)
叩き込み11
押し出し11
寄り切り6
送り出し4
上手出し投げ3
突き落とし3
その他10
羽出山が負けの決まり手(42敗)
押し出し21
寄り切り8
突き落とし3
引き落とし2
押し倒し2
叩き込み2
その他4
令8年5月
西 十両3枚目(6枚上昇)
0勝0敗
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年3月
西 十両9枚目(9枚降下)
10勝5敗
○●○●○|○○●●○|●○○○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年1月
西 前頭17枚目(4枚半上昇・最高位更新)
2勝13敗
●●●●●|●●●○●|●●○●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

▼ さらに過去の成績(4場所分)を見る
令7年11
東 十両5枚目(3枚上昇・最高位更新)
11勝4敗
○●○●○|○○○○●|○○○○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年9月
東 十両8枚目(5枚上昇・最高位更新)
9勝6敗
●○●○○|○●○●●|○●○○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年7月
東 十両13枚目(2枚半降下)
10勝5敗
○○○○●|○●○○○|●●●○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年5月
西 十両10枚目
6勝9敗
○○●●●|●●●●○|○●●○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

番付:十両4枚目

旭海雄 蓮

旭海雄 蓮(きょくかいゆう れん)はモンゴル バヤンホンゴル出身、大島部屋の力士。令和8年5月場所の番付は最高位更新となる東 十両4枚目。

14歳の時に柔道とブフ(モンゴル相撲)を始めて実績を残し、当初は柔道での日本留学を志していた。しかし、新名学園旭丘高校(神奈川県)が現地で実施した相撲部の留学生選抜試験に成り行きで参加して合格を果たし、同校の相撲留学1期生として来日する。その後、日本体育大学へと進学して相撲部で研鑽を積んだ。のちに幕内力士となる大の里や阿武剋、朝翠龍とは大学の同級生であり、特に阿武剋とは高校時代からの同期にあたる。大学卒業後、6代大島(元関脇・旭天鵬)が率いる大島部屋へ入門し、角界への道を歩み始めた。

部屋伝統の四股名と各段での躍進

令和5年(2023年)11月場所で初土俵を踏む。四股名の「旭海雄」は、大島部屋伝統の「旭」の字に、本名(ダライバートル=モンゴル語で「海の英雄」)の意味に由来する「海」と「雄」を組み合わせて名付けられた。

初めて番付に名前が載った令和6年(2024年)1月場所から順調に勝ち星を重ね、同年5月場所には7戦全勝で三段目優勝を飾る。その後も幕下で着実に勝ち越しを続け、番付を上げていった。

新十両昇進と部屋初の快挙

令和7年(2025年)7月場所において、東幕下筆頭で5勝2敗の好成績を挙げる。この結果が評価され、場所後の番付編成会議を経て翌9月場所での新十両昇進が決定した。これは6代大島が部屋を継承して以降、直弟子としては初めての関取誕生であった。

しかし、新十両として迎えた9月場所は6勝9敗と負け越し、1場所で幕下へ陥落する試練を味わうこととなった。だが、翌11月場所を西幕下筆頭で5勝2敗と勝ち越し、すぐさま十両復帰を決めた。

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関取の土俵に舞い戻ったあとはコンスタントに白星を重ねており、持ち前の地力を存分に発揮している。学生時代から切磋琢磨した同級生たちに続くべく、さらなる上位への定着を目指して大相撲の土俵で奮闘を続けている。

💡 モンゴル出身一覧💡 大島部屋の力士

四股名
旭海雄 蓮(きょくかいゆう れん)
最高位
十両4枚目
最新番付
東 十両4枚目
出身地
モンゴル バヤンホンゴル
本名
シャグダルスレン・ダライバートル  
生年月日
平成12年(2000)4月4日(26歳)
身長・体重
183cm・164kg
出身高校
旭丘高校
出身大学
日本体育大学
所属部屋
大島部屋
初土俵
令和5年(2023)11月(23歳7ヵ月)
新十両
令和7年(2025)9月(25歳5ヵ月)
優勝
三段目優勝1回
通算成績
83勝39敗0休/122出場(勝率:68%)
直近7場所
25勝20敗(幕下以下:15勝6敗)
7場所勝率
60.6%
得意技
押し・左四つ・寄り
決まり手傾向(直近7場所)
旭海雄が勝ちの決まり手(40勝)
寄り切り20
寄り倒し5
押し出し5
引っ掛け1
浴せ倒し1
押し倒し1
その他7
旭海雄が負けの決まり手(26敗)
寄り切り9
上手投げ4
押し出し4
掬い投げ2
下手投げ2
上手出し投げ1
その他4
令8年5月
東 十両4枚目(3枚半上昇・最高位更新)
0勝0敗
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年3月
西 十両7枚目(5枚上昇・最高位更新)
9勝6敗
○○○○●|●○○●○|●●○○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年1月
西 十両12枚目(3枚上昇・最高位更新)
10勝5敗
○●○○○|●○●●○|●○○○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

▼ さらに過去の成績(4場所分)を見る
令7年11
西 幕下筆頭(2枚半降下)
5勝2敗
●-○-○|-●-○-|○--○-
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年9月
東 十両13枚目(2枚上昇・最高位更新)
6勝9敗
●○○●●|●○●●●|●○○○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年7月
東 幕下筆頭(4枚上昇・最高位更新)
5勝2敗
●-○-●|-○-○-|○--○-
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年5月
東 幕下5枚目
5勝2敗
-○-○●|-●-○○|---○-
取組詳細(対戦相手・決まり手)

朝翠龍 涼馬

朝翠龍 涼馬(あさすいりゅう りょうま)は大阪府 四條畷市出身、高砂部屋の力士で最高位は十両2枚目。令和8年5月場所の番付は西 十両4枚目。

大阪府四條畷市で生まれ育ち、3歳上の実兄(現在の朝紅龍)の背中を追うように幼少期から相撲に親しんだ。中学卒業後は兄と同じ明徳義塾高校へ進学し、日本体育大学でも相撲部で研鑽を積む。アマチュア時代には全日本相撲選手権大会において個人3位の成績を収め、幕下最下位格付出の資格を取得した。

高砂部屋への入門と幕下での試練

大学卒業後、先んじて角界入りしていた兄の所属する高砂部屋へ入門し、令和6年(2024年)7月場所に本名の「石崎」を名乗り、幕下最下位格付出で初土俵を踏んだ。この場所を6勝1敗で終えると、その後も勝ち越しを続けて順調に番付を上げていく。

令和7年(2025年)3月場所では西幕下筆頭まで番付を上げたが、3勝4敗と角界入り後初の負け越しを喫し、上位の壁に跳ね返された。それでも腐ることなく稽古に励み、続く5月場所で勝ち越して立て直すと、同年7月場所では東幕下2枚目で6勝1敗の好成績を挙げ、翌9月場所での新十両昇進を決めた。

「朝翠龍」への改名と兄弟関取の誕生

この昇進を機に、四股名を本名の「石崎」から「朝翠龍」へと改名した。「朝」は高砂部屋の伝統、「龍」は明徳義塾高校にちなみ、間には兄の「朝紅龍」と対になるような色鮮やかな「翠(みどり)」の字を据え、兄弟揃っての関取誕生となった。また、この場所は同部屋の朝白龍が新十両、朝乃山が再十両に昇進しており、高砂部屋から3人が同時に十両昇進を果たすという活気に満ちた話題の場所ともなった。

十両の土俵と持ち味の突き押し相撲

西十両12枚目で迎えた、令和7年(2025年)9月の新十両場所は7勝8敗と負け越したものの、続く11月場所では9勝6敗と関取として初めての勝ち越しを経験した。令和8年(2026年)1月場所でも10勝5敗と二桁の勝ち星を挙げるなど、関取の土俵にも定着している。

持ち味である出足の鋭さと、勢いのある速い相撲を武器に土俵を沸かせている。同じ部屋に所属する兄・朝紅龍と切磋琢磨しながら、自らの四股名のごとく瑞々しい躍動感にあふれる取り口を磨いている。

💡 大阪府出身一覧💡 高砂部屋の力士

四股名
朝翠龍 涼馬(あさすいりゅう りょうま)
最高位
十両2枚目
最新番付
西 十両4枚目
出身地
大阪府 四條畷市
本名
石崎 涼馬
生年月日
平成12年(2000)8月9日(25歳)
身長・体重
174cm・117kg
出身高校
明徳義塾高校
出身大学
日本体育大学
所属部屋
高砂部屋
改名歴
石崎 → 朝翠龍
初土俵
令和6年(2024)7月・幕下60付出(23歳11ヵ月)
新十両
令和7年(2025)9月(25歳1ヵ月)
優勝
無し
通算成績
67勝42敗0休/109出場(勝率:61.5%)
直近7場所
32勝28敗(幕下以下:10勝4敗)
7場所勝率
56.8%
得意技
押し
決まり手傾向(直近7場所)
朝翠龍が勝ちの決まり手(42勝)
寄り切り24
押し出し10
寄り倒し4
下手投げ2
上手捻り1
掬い投げ1
朝翠龍が負けの決まり手(32敗)
叩き込み11
押し出し5
寄り切り3
小手投げ3
突き落とし2
押し倒し2
その他6
令8年5月
西 十両4枚目(2枚半降下)
0勝0敗
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年3月
東 十両2枚目(5枚半上昇・最高位更新)
6勝9敗
●○●●○|●○○●●|○●●●○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年1月
西 十両7枚目(5枚上昇・最高位更新)
10勝5敗
●●●●○|○○○○○|●○○○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

▼ さらに過去の成績(4場所分)を見る
令7年11
西 十両12枚目(変動なし)
9勝6敗
○●○●○|●○○●○|○●○●○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年9月
西 十両12枚目(3枚半上昇・最高位更新)
7勝8敗
○●○●○|○●●○○|●○●●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年7月
東 幕下2枚目(2枚上昇)
6勝1敗
-○○-○|-●-○-|○--○-
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年5月
東 幕下4枚目
4勝3敗
●-○-○|-○●--|○---●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

番付:十両5枚目

友風 想大

友風 想大(ともかぜ そうだい)は神奈川県 川崎市川崎区出身、中村部屋の力士で最高位は前頭3枚目。令和8年5月場所の番付は東 十両5枚目。

神奈川県川崎市に生まれ、幼少期は極真空手やバスケットボール、中学時代は柔道に打ち込むなど多くのスポーツを経験した。中学の柔道部顧問が相撲経験者であった縁から大会に出場し、関東大会で団体優勝を経験する。進学した向の岡工業高校から本格的に相撲へ打ち込み、2年次に出場した全国選抜高校相撲弘前大会において準優勝を果たした。なお、この時の優勝者はアルタンホヤグ・イチンノロブ(のちの関脇・逸ノ城)であった。

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高校卒業後は日本体育大学へと進学し、4年次に全日本大学選抜宇和島大会で優勝を飾るなど数々の実績を残した。大学時代から同校の先輩にあたる嘉風(元関脇、のちの13代中村)より技術指導を受けており、その深い縁から尾車部屋への入門を決断する。入門にあたり「嘉風関と同じ、初土俵から所要9場所での十両昇進」という目標を掲げ、平成29年(2017年)5月場所において本名の「南」で初土俵を踏んだ。

驚異のスピード出世と大記録

翌場所から四股名を「友風 勇太」と改名して本格的に角界での歩みを開始し、序ノ口と三段目で全勝優勝を飾る。入門時の思いを胸に快進撃を続け、平成30年(2018年)11月場所において見事に目標通りの所要9場所で新十両への昇進を果たし、そのまま12勝3敗で新十両優勝を飾った。

さらに十両も所要2場所で通過し、平成31年(2019年)3月場所において初土俵から所要11場所という史上4位タイのスピード記録で新入幕を果たす。これは「嘉風関の所要12場所での新入幕記録を抜く」という目標を見事にクリアするものであった。令和元年(2019年)7月場所では横綱・鶴竜から初金星を獲得し、初土俵から所要14場所という当時の史上最速タイ記録を打ち立て、殊勲賞を受賞した。翌9月場所でも鶴竜を破って2場所連続で金星を獲得し、同場所中に引退した兄弟子・嘉風への恩返しを果たした。

凄絶な大怪我と絶望の淵

しかし、西前頭3枚目で迎えた令和元年(2019年)11月場所の2日目、取組中に土俵下へ転落して右膝に凄絶な大怪我を負ってしまう。4本の靭帯断裂や大腿骨・脛骨の骨折、半月板損傷などに加え、右膝から下は皮膚と内側側副靭帯、血管1本だけが繋がっているような状態であった。「切断寸前の重傷で、一生歩くことができない可能性もある」と医師から宣告されるほどの深刻な事態であった。

初土俵以来初の休場から計4回の大手術を受け、5ヶ月にも及ぶ入院生活を余儀なくされる。腓骨神経麻痺の後遺症が残り、装具の支えがなければ日常の歩行にも支障をきたす状態で、後に身体障害者手帳の交付も受けた。当初は引退を疑わず、日常生活に戻れるかどうかの不安に苛まれる絶望の淵に立たされた。

不屈の復活劇と恩師との歩み

それでも、毎日看病に駆けつけた母親の献身的な支えや、リハビリ施設で懸命に頑張る小さな子供たちの姿に勇気をもらい、現役続行を決意する。過酷なリハビリ期間中には、同じく怪我で引退した13代中村からの科学的な指導にも支えられ、痛みに耐え抜いて再び土俵へと向かった。

令和3年(2021年)3月場所、1年4ヶ月の長期休場を経て西序二段55枚目の地位で土俵への復帰を果たす。その後、令和4年(2022年)2月に尾車部屋の閉鎖に伴って二所ノ関部屋へと移籍する。新しい師匠となった二所ノ関親方(元横綱・稀勢の里)からも「ケガをしてなかったら三役に上がっていただろう」と何度も励まされ、恐怖心と闘いながら白星を重ねていった。

令和5年(2023年)1月場所後の番付編成会議で17場所ぶりとなる再十両昇進が決定し、幕内経験力士が序二段まで降格した後に再十両となる史上3人目の快挙を達成する。同年11月場所においてはついに幕内の土俵へと復帰し、大相撲史に残る奇跡の復活劇を成し遂げた。令和6年(2024年)6月には、恩師である13代中村が中村部屋を創設したことに伴い同部屋へと転籍している。四股名も「友風 想大」へと改め、大怪我の後遺症を抱えながらも押し相撲を主体としつつ、機を見た叩き込みなどの引き技を交えながら、不屈の精神で土俵を務め上げている。

異色の「ピアノ力士」

趣味は小学2年次から始めたピアノの演奏である。一時は音楽大学への進学を勧められたほどの腕前を持ち、小学生時代に作曲した運動会の曲は卒業後も母校で使われ続けているという。トークショーで「引退後はピアニストを目指す」と語ったこともある。

リチャード・クレイダーマンやX JAPANのYOSHIKIを好み、大相撲入門後も巡業先の食事会場に置かれたピアノで見事な演奏を披露して関取衆からのリクエストに応えるなど、角界では異色の「ピアノ力士」として多くのファンに親しまれている。

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💡 神奈川県出身一覧💡 中村部屋の力士

四股名
友風 想大(ともかぜ そうだい)
最高位
前頭3枚目
最新番付
東 十両5枚目
出身地
神奈川県 川崎市川崎区
本名
南 友太
生年月日
平成6年(1994)12月2日(31歳)
身長・体重
185cm・179kg
出身高校
向の岡工業高校
出身大学
日本体育大学
所属部屋
尾車 → 二所ノ関 → 中村部屋
改名歴
南 → 友風
初土俵
平成29年(2017)5月(22歳5ヵ月)
新十両
平成30年(2018)11月(23歳11ヵ月)
新入幕
平成31年(2019)3月(24歳3ヵ月)
優勝
十両優勝1回,幕下優勝1回,三段目優勝1回,序ノ口優勝1回
受賞・金星
殊勲賞1回,金星2個
通算成績
297勝218敗73休/513出場(勝率:57.9%)
直近7場所
25勝20敗(幕内:20勝25敗)
7場所勝率
50.0%
得意技
突き・押し
決まり手傾向(直近7場所)
友風が勝ちの決まり手(45勝)※不戦勝1含む
叩き込み28
押し出し10
寄り切り1
突き落とし1
上手投げ1
掬い投げ1
その他2
友風が負けの決まり手(45敗)
押し出し25
叩き込み5
引き落とし4
押し倒し4
寄り倒し2
寄り切り2
その他3
令8年5月
東 十両5枚目(2枚半降下)
0勝0敗
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年3月
西 十両2枚目(6枚降下)
6勝9敗
●●○●●|○●●○●|○○●○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年1月
西 前頭13枚目(1枚降下)
4勝11敗
●○●●○|○●●●○|●●●●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

▼ さらに過去の成績(4場所分)を見る
令7年11
西 前頭12枚目(3枚半上昇)
7勝8敗
●●●●●|○●○○●|○○●○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年9月
東 前頭16枚目(4枚上昇)
9勝6敗
○●○○○|○●●○●|○●○○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年7月
西 十両2枚目(4枚半上昇)
9勝6敗
○●○●○|○●○●○|●○○●○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年5月
東 十両7枚目
10勝5敗
●○●○○|○○●○○|○●□●○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

北の若 大輔

北の若 大輔(きたのわか だいすけ)は山形県 酒田市出身、八角部屋の力士で最高位は前頭14枚目。令和8年5月場所の番付は西 十両5枚目。

酒田市立宮野浦小学校の3年次から地元の酒田相撲教室に通い始めて相撲の基礎を学んだ。4年次からは3年連続でわんぱく相撲全国大会に出場する活躍を見せ、4年次には全国3位、6年次には全国2位に輝くなど、早くから全国トップクラスの実力を誇っていた。

中学校卒業後は、さらなる高みを目指して相撲の名門である埼玉栄高校へと相撲留学する。3年次には高校総体の個人戦で優勝して高校横綱のタイトルを獲得したほか、高校総体の団体優勝、国体の個人・団体優勝、全日本選手権への出場など輝かしい実績を残した。

高校横綱の栄光と八角部屋入門

小学生時代に同部屋へ宿泊した際に大岩戸ら関係者に優しくしてもらった思い出や、8代八角(元横綱・北勝海)の師匠にあたる第52代横綱・北の富士の親族が酒田市で営むちゃんこ料理店で、北の富士本人から直接声を掛けられた縁から、八角部屋への入門を決意した。平成31年(2019年)3月場所に、北の富士にちなんで命名された「北の若」の四股名で初土俵を踏んだ。

鳴り物入りで角界入りしたが、すぐにプロの壁に直面する。序二段では大学出身の実力者や相撲未経験者の力士にも敗れ、高校横綱経験者が序二段で2敗を喫し、さらに2場所以上にわたり在位するという史上初の屈辱を味わった。三段目でも優勝決定の7番相撲で敗れるなど、もどかしい足踏みが続いた。

プライドの呪縛とプロの壁

入門当初は差しに行ったり、変化気味に深い上手を取りに行ったりする安易な相撲が目立っていた。師匠の8代八角からは「高校横綱としてのプライドが邪魔をして、前に出る押し相撲の重要性を理解するのに2年かかった」と指摘されるほどであったが、部屋の厳しい指導によって次第に前に出る相撲へとモデルチェンジしていった。

前へ出る相撲に徹するようになると着実に星を伸ばし、令和3年(2021年)11月場所に念願の新十両昇進を決めた。酒田市からの関取昇進は史上4人目であり、入門の世話をした大師匠の北の富士からは「努力すれば普通に三役になれる」と大きな期待を寄せられた。

足踏みと北の富士からの辛口エール

しかし十両昇進後もプロの壁に苦しみ、実に11場所にわたって足踏み状態が続いた。北の富士からもその停滞ぶりを嘆かれていたが、令和5年(2023年)9月場所で勝ち越して翌11月場所でついに新入幕を果たした。酒田市からの幕内昇進は史上2人目であったが、入幕の報告を受けた北の富士からは「遅い」と辛口の激励を受けている。

新入幕の場所は5勝10敗と負け越し、1場所で十両へと陥落する。その後も幕内への復帰と十両陥落を繰り返すなど、上位の分厚い壁に跳ね返される苦しい土俵が続いていた。

大師匠への誓いと大怪我からの復活

幕内定着を目指す中、令和6年(2024年)11月場所中に自身を気にかけてくれた北の富士がこの世を去る。北の富士の命日は奇しくも北の若の誕生日であり、場所後に地元で開催された激励会で「亡くなった日は自分の誕生日でもあり、何かメッセージを残してくれたように感じる。来年は幕内で初めての勝ち越しを地元に届けたい」と恩返しへの強い決意を語った。

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その誓いを胸に、令和7年(2025年)1月場所で4度目の入幕を果たし、序盤は4勝3敗と白星を先行させた。しかし、中日の取組で敗れた際に右腓骨骨幹部を骨折する大怪我を負い、無念の途中休場を余儀なくされてしまう。

この深刻な怪我の影響は長引き、続く同年3月場所を全休したことで幕下へと陥落する。東幕下筆頭で迎えた同年5月場所でも抜け抜けの星から13日目に敗れて負け越すなど、関取復帰を逃す大きな試練を味わった。

それでも決して腐ることなく土俵に立ち続け、同年7月場所で勝ち越しを決めると、続く9月場所では西幕下筆頭の地位で5勝2敗の好成績を収め、4場所ぶりとなる十両復帰を果たした。高校横綱のプライドを捨てて身につけた相撲と、亡き大師匠への報恩の思いを胸に、持ち前のスケールの大きな相撲で幕内への定着を目指して奮闘を続けている。

💡 山形県出身一覧💡 八角部屋の力士

四股名
北の若 大輔(きたのわか だいすけ)
最高位
前頭14枚目
最新番付
西 十両5枚目
出身地
山形県 酒田市
本名
齋藤 大輔
生年月日
平成12年(2000)11月12日(25歳)
身長・体重
191cm・161kg
出身高校
埼玉栄高校
所属部屋
八角部屋
初土俵
平成31年(2019)3月(18歳4ヵ月)
新十両
令和4年(2022)1月(21歳2ヵ月)
新入幕
令和5年(2023)11月(23歳0ヵ月)
優勝
無し
通算成績
244勝199敗28休/440出場(勝率:55.5%)
直近7場所
24勝21敗(幕下以下:12勝9敗)
7場所勝率
54.5%
得意技
突っ張り・右四つ・寄り・上手投げ
決まり手傾向(直近7場所)
北の若が勝ちの決まり手(36勝)
押し出し8
寄り切り8
叩き込み6
突き出し3
突き落とし3
寄り倒し2
その他6
北の若が負けの決まり手(30敗)
押し出し8
寄り切り8
叩き込み3
突き落とし2
寄り倒し2
掬い投げ2
その他5
令8年5月
西 十両5枚目(3枚上昇)
0勝0敗
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年3月
西 十両8枚目(変動なし)
9勝6敗
●○○○○|○●○●●|○●○○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年1月
西 十両8枚目(3枚半上昇)
7勝8敗
●○○○●|○●●●●|●●○○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

▼ さらに過去の成績(4場所分)を見る
令7年11
東 十両12枚目(3枚半上昇)
8勝7敗
○●○●●|○○○○●|○●●○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年9月
西 幕下筆頭(2枚上昇)
5勝2敗
○-○-○|-○-○-|●-●--
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年7月
西 幕下3枚目(2枚半降下)
4勝3敗
-●○-○|-○○--|●---●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年5月
東 幕下筆頭
3勝4敗
●-○-●|-○-●-|○-●--
取組詳細(対戦相手・決まり手)

番付:十両6枚目

一意 虎風

一意 虎風(かずま とらかぜ)は大阪府 大阪市港区出身、木瀬部屋の力士。令和8年5月場所の番付は最高位更新となる東 十両6枚目。

幼少期は東大阪相撲道場に通って相撲の基礎を学び、小学4年次に出場した全日本小学生相撲優勝大会で優勝を飾るなど、早くから全国にその名を轟かせていた。中学校からは親元を離れ、石川県の犀生中学校へ相撲留学した。

中学卒業後は金沢学院高等学校(のちの金沢学院大学附属高等学校)へ進学する。高校時代もインターハイで上位進出を果たすなど、安定した実力を示して全国的な強豪選手として活躍した。

日本大学へ進学したが、2年次に出場した全国学生選手権で左膝の前十字靱帯を断裂する大怪我を負う。この深刻な怪我により、復帰までに1年という長いリハビリ生活を余儀なくされた。

アマチュア6冠と木瀬部屋入門

苦しい時期を乗り越えて迎えた大学4年次の令和5年(2023年)には、ブランクを感じさせない圧倒的な強さで国体を含む6冠を達成する大活躍を見せる。この輝かしい実績により、幕下最下位格付出(60枚目格)の資格を獲得した。

大学卒業後は、少年時代からの夢であった力士になることを決意する。当時、実の兄である川渕一誠(元幕下52枚目、令和7年引退)が錣山部屋に所属する現役力士であったが、熟考の末に、師匠をはじめ日本大学相撲部のOBが多く在籍している木瀬部屋を入門先に選んだ。

本名の下の名前である「一意(かずま)」に、友人の名前に因んだ「虎風」を下の名とした「一意 虎風」を四股名とし、令和6年(2024年)7月場所に幕下最下位格付出で初土俵を踏んだ。入門当初は、能登半島地震に見舞われた相撲留学先への思いを背負い、出身地の届け出を「石川県金沢市」としていたが、のちに本来の出身地である「大阪府大阪市港区」へと変更している。

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試練の初土俵と奇跡の復活劇

鳴り物入りで初土俵を踏み、初日から順調に白星を重ねていった。しかし、迎えた5番相撲で今度は右膝の前十字靱帯を断裂するという悲劇に見舞われ、無念の途中休場となる。

左右の膝の靭帯を断裂するという過酷な運命を背負い、この怪我の影響で翌場所から4場所連続の全休を余儀なくされた。番付は幕下から序ノ口へと大きく降下したが、決して諦めることなく懸命なリハビリに耐え抜いた。

長い休場を経て、令和7年(2025年)5月場所でついに土俵への復帰を果たす。東序ノ口7枚目の地位で迎えたこの場所で7戦全勝の圧倒的な強さを見せ、見事に序ノ口優勝を飾って復活の狼煙を上げた。続く同年7月場所の序二段では1敗を喫したものの、同年9月場所では三段目の地位で7戦全勝の三段目優勝を果たし、さらに同年11月場所でも西幕下15枚目で7戦全勝の幕下優勝を飾り、恐るべきスピードで快進撃を続けた。

新十両昇進と不屈の相撲

幕下での全勝優勝が大きく評価され、場所後の番付編成会議で念願の新十両昇進が決定した。初土俵の場所での大怪我から序ノ口への陥落という絶望的な状況から、わずか半年余りで関取の座を掴み取るという驚異的な復活劇であった。

新十両として迎えた令和8年(2026年)1月場所は、西十両14枚目で8勝7敗と勝ち越して関取としての第一歩を踏み出す。続く同年3月場所でも10勝5敗の好成績を収め、十両の土俵にしっかりと定着した。

恵まれた体格を生かした力強い相撲を最大の持ち味とする。アマチュア時代と初土俵の場所で経験した両膝の靱帯断裂という大きな試練を不屈の精神で乗り越え、さらなる上位の土俵を目指してスケールの大きな相撲を展開している。

💡 大阪府出身一覧💡 木瀬部屋の力士

四股名
一意 虎風(かずま とらかぜ)
最高位
十両6枚目
最新番付
東 十両6枚目
出身地
大阪府 大阪市港区
本名
川渕 一意
生年月日
平成13年(2001)11月12日(24歳)
身長・体重
185cm・199kg
出身高校
金沢学院高校
出身大学
日本大学
所属部屋
木瀬部屋
初土俵
令和6年(2024)7月・幕下60付出(22歳8ヵ月)
新十両
令和8年(2026)1月(24歳2ヵ月)
優勝
幕下優勝1回,三段目優勝1回,序ノ口優勝1回
通算成績
49勝14敗30休/63出場(勝率:77.8%)
直近7場所
18勝12敗(幕下以下:27勝1敗)
7場所勝率
77.6%
得意技
突き・押し・左四つ・寄り
決まり手傾向(直近7場所)
一意が勝ちの決まり手(45勝)※不戦勝1含む
押し出し20
寄り切り11
突き出し3
突き落とし2
押し倒し2
寄り倒し2
その他4
一意が負けの決まり手(13敗)
寄り切り5
突き落とし2
叩き込み2
押し出し1
肩透かし1
引き落とし1
その他1
令8年5月
東 十両6枚目(5枚上昇・最高位更新)
0勝0敗
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年3月
東 十両11枚目(3枚半上昇・最高位更新)
10勝5敗
○○○○○|●○○○○|●●●○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年1月
西 十両14枚目(15枚上昇・最高位更新)
8勝7敗
●●●○●|○○○○●|○○○●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

▼ さらに過去の成績(4場所分)を見る
令7年11
西 幕下15枚目(70枚半上昇・最高位更新)
7勝0敗(幕下優勝)
-○-○○|--○○-|○-○--
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年9月
東 三段目26枚目(59枚上昇)
7勝0敗(三段目優勝)
○--○-|○○-○-|○-○--
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年7月
東 序二段5枚目(108枚上昇)
6勝1敗
-□○--|○○-○-|○-●--
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年5月
東 序ノ口7枚目
7勝0敗(序ノ口優勝)
○--○○|-○-○-|○-○--
取組詳細(対戦相手・決まり手)

明生 力

明生 力(めいせい ちから)は鹿児島県 大島郡瀬戸内町出身、立浪部屋の力士で最高位は関脇。令和8年5月場所の番付は西 十両6枚目。

鹿児島県大島郡瀬戸内町(奄美大島)の出身。本名は川畑明生(めいせい)である。5歳の時に地元の相撲道場に通い始めたが、小学1年次に道場が活動停止となり、一時相撲から離れる経験をした。

小学2年の終わりに隣町の相撲クラブへ移籍して稽古を再開し、6年次には全日本小学生相撲優勝大会で優勝を果たす。中学時代も全国大会へ出場したが目立ったタイトルはなく、大相撲で通用するか不安を抱いて高校進学も検討した。しかし、父親から厳しく一喝されたことで腹を括り、立浪部屋への入門を決意した。

平成23年(2011年)5月場所で初土俵を踏む。順調に番付を上げて幕下へ昇進したが、腰のヘルニアを患い成績が低迷した。本気で引退を考えるほど苦しんだが、父親から「やめたら家には戻ってくるなよ」「気持ちが弱いんだ」と厳しく突き放されたことで奮起する。

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日馬富士の言葉と大怪我

独学で食事法やプロテインの摂取法を学んで健康な肉体を取り戻し、体重を増やして幕下へ定着する。10代での関取昇進という目標には届かなかったものの、親孝行を胸に猛稽古へ邁進した。

出稽古先で横綱・日馬富士から「チャンスは誰にでもある。ただ何回もやって来るものじゃない。来たチャンスを自分でつかみなさい」と声をかけられ、その言葉に発奮して平成28年(2016年)11月場所で新十両へ昇進する。

平成30年(2018年)7月場所で新入幕を果たす。幕内へ定着し始めた矢先、令和元年(2019年)の年末に稽古で左上腕部と肘の筋肉を部分断裂する大怪我を負った。翌場所を途中休場し、長らく守っていた幕内の座から陥落する。

異例の巴戦と三役昇進

令和2年(2020年)7月場所は東十両筆頭に陥落したが、怪我を乗り越えて10勝5敗の成績を挙げる。この場所は6人の力士による優勝決定戦にもつれ込み、最後は明生、豊昇龍、天空海という立浪部屋の力士3人による異例の巴戦となった。この混戦を制して見事に自身初となる十両優勝を決めた。

幕内へ復帰すると、令和3年(2021年)7月場所で新三役となる小結へ昇進する。入門当初から公の場で「師匠の番付を抜くこと」を目標に掲げており、まずは師匠(元小結・旭豊)と肩を並べた。続く同年9月場所では新関脇へと番付を上げ、ついに恩師の最高位を超えて長年の目標を達成した。

令和5年(2023年)春には、医師から「このまま放っておくと目が見えなくなる」と宣告されたため、長年悩まされていた逆さまつ毛の手術に踏み切った。これにより目の違和感が消え、相撲に集中できる環境が整った直後の同年5月場所では、横綱・照ノ富士を破って自身初となる金星と殊勲賞を獲得した。

再びの怪我と図太い相撲

その後も上位で奮闘していたが、令和7年(2025年)10月に腰椎椎間板ヘルニアの手術を受ける。ご当地である九州での同年11月場所は初日から休場したものの、十両陥落が濃厚となる中で10日目から途中出場し、意地の1勝をもぎ取って地元の声援に応えた。翌令和8年(2026年)1月場所では5年半ぶりとなる十両への陥落を余儀なくされた。

取り口はスピードと腰の重さを生かした左四つからの寄りを最大の武器としている。上手からも下手からも投げを打つが、相手を抱えたり掬ったりする相撲は少ない。

立合いでは相手が横綱であっても先に手を付かせてから自分が仕切るこだわりがあり、先輩力士にも平気で張り手を放つ図太い土俵態度を見せる。度重なる怪我による番付の乱高下を経験しながらも、決して折れない強い心で土俵を務め上げている。

💡 鹿児島県出身一覧💡 立浪部屋の力士

四股名
明生 力(めいせい ちから)
最高位
関脇
最新番付
西 十両6枚目
出身地
鹿児島県 大島郡瀬戸内町
本名
川畑 明生
生年月日
平成7年(1995)7月24日(30歳)
身長・体重
180cm・150kg
所属部屋
立浪部屋
初土俵
平成23年(2011)5月(15歳10ヵ月)
新十両
平成28年(2016)11月(21歳4ヵ月)
新入幕
平成30年(2018)7月(23歳0ヵ月)
新小結
令和3年(2021)7月(26歳0ヵ月)
新関脇
令和3年(2021)9月(26歳2ヵ月)
優勝
十両優勝1回
受賞・金星
殊勲賞1回,敢闘賞1回,金星2個
通算成績
527勝505敗16休/1031出場(勝率:51.1%)
直近7場所
16勝14敗(幕内:18勝33敗9休)
7場所勝率
42.0%
得意技
左四つ・寄り
決まり手傾向(直近7場所)
明生が勝ちの決まり手(34勝)
寄り切り8
叩き込み5
突き落とし4
押し出し4
寄り倒し3
引き落とし2
その他8
明生が負けの決まり手(47敗)
叩き込み9
寄り切り7
押し出し6
押し倒し5
上手投げ3
突き出し3
その他14
令8年5月
西 十両6枚目(半枚上昇)
0勝0敗
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年3月
東 十両7枚目(1枚上昇)
8勝7敗
●●●○○|○●○○●|○●○○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年1月
東 十両8枚目(7枚降下)
8勝7敗
○○○●●|○●●○○|●●●○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

▼ さらに過去の成績(4場所分)を見る
令7年11
東 前頭18枚目(5枚降下)
1勝5敗9休
ややややや|やややや●|○●●●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年9月
東 前頭13枚目(7枚半降下)
5勝10敗
○●●○●|●●●○●|●●○○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年7月
西 前頭5枚目(4枚半上昇)
3勝12敗
●●○●○|●●○●●|●●●●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年5月
東 前頭10枚目
9勝6敗
○●○●○|●○○○○|●●○○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

番付:十両7枚目

輝 大士

輝 大士(かがやき たいし)は石川県 七尾市出身、高田川部屋の力士で最高位は前頭3枚目。令和8年5月場所の番付は東 十両7枚目。

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石川県金沢市に生まれ、小学1年次から穴水少年相撲教室で相撲の基礎を学び始めた。西南中学校の3年次には全国都道府県中学生選手権に出場して団体と個人の双方で優勝を飾る。なお、この時の団体戦で共に戦ったチームメイトの中村は、のちに宮城野部屋へ入門する炎鵬(現・伊勢ヶ濱部屋)であった。

足のサイズが32センチに達するほどの規格外の体格を持ち、入門前から「1日も早く横綱になりたい」と力強く公言していた。新弟子検査前には三段目と互角に渡り合い、9代高田川(元関脇・安芸乃島)から「しこやてっぽうの音が違う。骨から出している」と絶賛される鳴り物入りで、平成22年(2010年)3月場所に本名の「達(たつ)」で初土俵を踏んだ。

幕下での挫折と若の里との絆

初土俵から所要8場所で幕下へ昇進する順調な滑り出しを見せたが、そこから上位の壁に阻まれ、3年もの長きにわたり足踏みを経験する。「このまま一生勝ち越せないのではないか」と自暴自棄になりかけた時期もあったが、師匠からの「初心に戻れ」という助言で立ち直り、基本運動を徹底して苦境を乗り越えていった。

この苦しい時期を支えたのが、二所ノ関一門の同門であった関脇・若の里(のちの12代西岩)の存在であった。若の里の付け人を務める中で相撲のイロハや力士としての心構えを学び取っていたが、ある日、若の里から「付け人が関取になって巡業で飯を奢ってもらうのが夢」と聞かされた達は、「自分が関取になったら必ずご馳走しよう」と心に強く誓い、それを厳しい稽古のモチベーションの一つとした。

努力が実を結び、平成26年(2014年)11月場所で念願の新十両昇進を果たす。そして翌年夏の巡業中、かつての約束を果たすべく若の里を食事に誘い、自ら支払いをしようとした。実際には若の里が「昔言ったことを覚えていて、声を掛けてくれただけで嬉しいんだよ。本気で金を出してもらおうなんて思ってないから」と語って自ら支払いを済ませたが、関取として成長した姿で立派な恩返しとなった。また、若の里の現役最後の巡業では自ら志願して最後の締込を締めるなど、偉大な先輩との間には深い絆が結ばれていた。

新幹線由来の四股名と幕内定着

関取昇進を機に、四股名を「輝 大士」へと改名する。「輝」は翌春に地元・石川県まで延伸開業する北陸新幹線の最速列車「かがやき」に因み、「大士」は親戚にあたる第54代横綱・輪島大士にあやかったものである。

改名にあたり、師匠の9代高田川は輪島の下の名を「たいし」と勘違いして命名の許可を申し入れた。輪島からは「いいよ。でも、これはひろしって読むんだぞ」とやんわり指摘されつつも快諾を得ており、輪島が現役時代に愛用した金色の廻しも受け継ぐなど、周囲の絶大な期待を背負って関取の土俵に上がった。

十両の土俵で着実に勝ち星を重ね、平成28年(2016年)1月場所において新入幕を果たす。最高位は東前頭3枚目を記録し、長身と長いリーチを存分に生かした突っ張りと、左のおっつけから相手を土俵外へ出す正攻法の相撲で長く幕内の土俵に定着した。一方で、腰の高さから相手に潜り込まれての寄り切りや、叩きにばったりと落ちる脆さも課題として指摘されている。

稽古熱心な素顔と不屈の闘志

角界屈指の稽古熱心な力士として知られている。場所中であっても、夜のちゃんこを食べ終えると自発的に稽古場へ足を運び、四股やすり足、鉄砲、さらにはその日の取組の反省を繰り返すというストイックな習慣を持ち、その真摯な姿勢は他の力士たちにも大きな影響を与えている。

上位陣とも激しい取組を重ねていたが、令和3年(2021年)には年6場所すべてで負け越しを喫するという極度の不振に陥った。この結果、平成28年(2016年)7月場所から32場所連続で務めてきた幕内の地位から陥落し、大きな試練を迎えることとなった。

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それでも決して相撲への情熱を失うことなく、十両へ陥落した後も地道に白星を積み重ねて幾度となく幕内への復帰を果たした。令和6年(2024年)7月場所では、得意の突き押しだけでなく土俵際での逆転技なども見せて10場所ぶりの幕内勝ち越しを決めるなど、ベテランらしいしぶとさも発揮している。

近年は番付の昇降を繰り返す苦しい土俵が続いているが、大相撲の伝統と基本を大切にする姿勢は入門時から変わらない。偉大な先輩や横綱から受け継いだ魂と、故郷からの大きな期待を胸に秘め、愚直なまでに真っ直ぐな突き押し相撲で今なお奮闘を続けている。

💡 石川県出身一覧💡 高田川部屋の力士

四股名
輝 大士(かがやき たいし)
最高位
前頭3枚目
最新番付
東 十両7枚目
出身地
石川県 七尾市
本名
達 綾哉
生年月日
平成6年(1994)6月1日(31歳)
身長・体重
192cm・175kg
所属部屋
高田川部屋
改名歴
達 → 輝
初土俵
平成22年(2010)3月(15歳9ヵ月)
新十両
平成26年(2014)11月(20歳5ヵ月)
新入幕
平成28年(2016)1月(21歳7ヵ月)
優勝
無し
通算成績
597勝605敗0休/1202出場(勝率:49.7%)
直近7場所
45勝45敗
7場所勝率
50.0%
得意技
突き・押し
決まり手傾向(直近7場所)
輝が勝ちの決まり手(45勝)
押し出し18
引き落とし6
突き落とし5
寄り切り5
突き出し3
浴せ倒し2
その他6
輝が負けの決まり手(45敗)
押し出し13
寄り切り8
叩き込み7
突き落とし7
引き落とし2
引っ掛け1
その他7
令8年5月
東 十両7枚目(2枚降下)
0勝0敗
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年3月
東 十両5枚目(2枚半降下)
7勝8敗
○●○●●|●●●●○|○○●○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年1月
西 十両2枚目(1枚半上昇)
6勝9敗
●○●●○|●●○●○|○●●●○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

▼ さらに過去の成績(4場所分)を見る
令7年11
東 十両4枚目(変動なし)
9勝6敗
●○○○●|○○○●○|●○●●○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年9月
東 十両4枚目(3枚上昇)
8勝7敗
●○○○●|●●●●○|○○○●○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年7月
東 十両7枚目(2枚半降下)
9勝6敗
○●○○○|●●●○○|○●○○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年5月
西 十両4枚目
6勝9敗
●●○●●|○●●○●|○○●●○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

寿之富士 大聖

寿之富士 大聖(としのふじ たいせい)はモンゴル ウランバートル市出身、伊勢ヶ濱部屋の力士。令和8年5月場所の番付は最高位更新となる西 十両7枚目。

恵まれた長身を活かした右四つからの力強い相撲で土俵を沸かせる寿之富士。モンゴルの名門相撲一家に生まれ、日本の大学相撲を経て角界入りを果たした若武者は、部屋の移籍という激動を乗り越え、同志社大学出身者として29年ぶりとなる関取の座を掴み取った。

「モンゴル相撲の血」と「白鵬杯」での相撲との出会い

相撲のルーツは確固たる血脈にある。父はモンゴル相撲で4度の優勝を誇る横綱であり、45歳まで現役を退かなかった鉄人。さらに曽祖父は、元横綱・白鵬の父であるムンフバト氏にモンゴル相撲を指導したという深い縁を持つ。

幼少期はバスケットボールを中心に多彩なスポーツに取り組んでいたが、平成29年(2017年)2月に日本で開催された「白鵬杯」観戦に訪れた際、鳥取城北高校からスカウトを受ける。同年4月に同校の2年生として編入し、ここから本格的に相撲の道を歩み始めた。その後は同志社大学神学部へ進学し、大学4年次には全国学生相撲選抜金沢大会で優勝を飾るなど、着実に実績を積み上げた。

宮城野部屋への入門と、激動の移籍

父からの強い勧めもあり、縁の深い元横綱・白鵬が師匠を務めていた宮城野部屋への入門を決意する。令和6年(2024年)3月場所、聖白鵬の四股名で初土俵を踏んだ。恵まれた体格を武器に、同年7月場所では序二段で7戦全勝の優勝を飾るなど順調に番付を上げていく。

しかしその直後、宮城野部屋の事実上の閉鎖という予期せぬ事態に見舞われ、伊勢ヶ濱部屋へと移籍。環境が大きく変わる激動の最中にあっても、真面目にコツコツと努力を重ねる持ち前の性格で、ひたむきに稽古へ打ち込み続けた。

「寿之富士」への改名と新十両昇進

幕下上位の壁に直面していたが、伊勢ヶ濱親方(元横綱・旭富士)から指導された下半身強化やベンチプレスなどの筋力トレーニングを中心に行ったことが大きな転機となる。昇進を懸けた令和8年(2026年)1月場所を前に、四股名を「聖白鵬」から「寿之富士」へと改名。自身の名前に「聖」の字を残したい思いがあったが、同部屋に兄弟子の聖富士がいたため、師匠と話し合いを重ねて新たな名で再出発を切った。

心技体が噛み合い始めたこの1月場所、西幕下2枚目の地位で5勝2敗と見事に勝ち越し、初土俵から所要12場所で悲願の新十両昇進を決定づけた。

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同志社大学出身力士の新十両昇進は、平成9年(1997年)5月場所の大碇(のちの甲山親方)以来、実に29年ぶりという歴史的な大快挙として大学関係者をも大いに沸かせた。師匠からの「立ち合いが高くなるので、低く立つように」という教えを胸に、右四つからの寄りや強烈な上手投げにさらなる磨きをかけ、関取としての新たな戦いへ挑んでいく。

💡 モンゴル出身一覧💡 伊勢ヶ濱部屋の力士

四股名
寿之富士 大聖(としのふじ たいせい)
最高位
十両7枚目
最新番付
西 十両7枚目
出身地
モンゴル ウランバートル市
本名
ウスフバヤル・デミデジャムツ
生年月日
平成12年(2000)8月24日(25歳)
身長・体重
195cm・145kg
出身高校
鳥取城北高校
出身大学
同志社大学
所属部屋
伊勢ヶ濱部屋
改名歴
聖白鵬 → 寿之富士
初土俵
令和6年(2024)3月(23歳7ヵ月)
新十両
令和8年(2026)3月(25歳7ヵ月)
優勝
序二段優勝1回
通算成績
64勝28敗0休/92出場(勝率:69.6%)
直近7場所
10勝5敗(幕下以下:23勝12敗)
7場所勝率
66.0%
得意技
右四つ・寄り・上手投げ
決まり手傾向(直近7場所)
寿之富士が勝ちの決まり手(33勝)
寄り切り9
下手投げ4
送り出し3
上手出し投げ3
上手投げ3
押し出し3
その他8
寿之富士が負けの決まり手(17敗)
押し出し6
寄り切り6
叩き込み2
引き落とし1
上手出し投げ1
浴せ倒し1
令8年5月
西 十両7枚目(4枚上昇・最高位更新)
0勝0敗
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年3月
西 十両11枚目(5枚上昇・最高位更新)
10勝5敗
○○○●●|○●○○○|○○●●○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年1月
西 幕下2枚目(3枚上昇・最高位更新)
5勝2敗
-○○-○|-○-●-|●--○-
取組詳細(対戦相手・決まり手)

▼ さらに過去の成績(4場所分)を見る
令7年11
西 幕下5枚目(4枚半上昇・最高位更新)
4勝3敗
-○-○○|--●-●|●---○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年9月
東 幕下10枚目(11枚上昇・最高位更新)
5勝2敗
●-○--|●-○-○|○--○-
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年7月
東 幕下21枚目(7枚半上昇・最高位更新)
5勝2敗
-○○--|○○-●-|●---○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年5月
西 幕下28枚目
4勝3敗
-●○-○|-○-○-|-●●--
取組詳細(対戦相手・決まり手)

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カテゴリー : 十両

公開日:2023-01-04
投稿者:レイ

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