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平成15年(2003年)が初土俵の力士一覧!出世頭は誰?

平成15年(2003)が初土俵の力士の番付や成績を一覧表にしてご紹介しています。

表の下のボタンによって月ごとに表示を切り替えることも出来ますよ。 初土俵が同じ同期力士のなかで、誰が一番出世しているのかがひと目で分かります。

2003年初土俵力士一覧(番付・星取表・成績・経歴)(6日目)

No 四股名 直近7場所 成績 直近7場所 勝率 番付 (令8.5) 5月場所 成績 令和8年5月場所星取表 S1 番付 推移 変動 枚数 番付 (令8.3) 3月場所 成績 令和8年3月場所星取表 S2 番付 推移 変動 枚数 番付 (令8.1) 1月場所 成績 令和8年1月場所星取表 S3 番付 推移 変動 枚数 番付 (令7.11) 11月場所 成績 令和7年11月場所星取表 S4 番付 推移 変動 枚数 番付 (令7.9) 9月場所 成績 令和7年9月場所星取表 S5 番付 推移 変動 枚数 番付 (令7.7) 7月場所 成績 令和7年7月場所星取表 s6 番付 推移 変動 枚数 番付 (令7.5) 5月場所 成績 令和7年5月場所星取表 初日 2日目 3日目 4日目 5日目 6日目 7日目 中日 9日目 10日目 11日目 12日目 13日目 14日目 千秋楽 最高位 出身地 部屋 一門 年齢 生年月日 大相撲歴 本名 旧四股名 旧所属 身長(㎝) 体重(㎏) BMI 出身高校 出身大学 初土俵 初土俵 年齢 新十両 新十両 年齢 新入幕 新入幕 年齢 新小結 新小結 年齢 新関脇 新関脇 年齢 大関昇進 大関昇進 年齢 横綱昇進 横綱昇進 年齢 幕内 優勝 十両 優勝 幕下 優勝 三段目 優勝 序二段 優勝 序ノ口 優勝 技能賞 殊勲賞 敢闘賞 金星 通算 勝利数 通算 敗数 通算 休数 出場回数 通算 勝率(%) s誕生日 s初土俵 s新十両 s新入幕 s新小結 s新関脇 s大関昇進 s横綱昇進 s初土俵年齢 s新十両年齢 s新入幕年齢 s新小結年齢 s新関脇年齢 s大関昇進年齢 s横綱昇進年齢 s7場所勝敗 s1勝敗 s2勝敗 s3勝敗 s4勝敗 s5勝敗 s6勝敗 s7勝敗 s2順 s3順 s4順 s5順 s6順 s7順 s1シフト s2シフト s3シフト s4シフト s5シフト s6シフト sしこな s最高位 s出身ふりがな s部屋ふりがな s7勝率 s勝 s敗 s休 s出 s勝率 s幕優 s十 s下 s三 s二 s口 s技 s殊 s敢 s金

平成15(2003)年初土俵力士を検索

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平成15(2003)年初土俵の最高位:小結

普天王 水

普天王 水 (ふてんおう いずみ)熊本県玉名市出身、出羽海部屋の元力士で、最高位は小結

平成15年(2003)1月場所に22歳4ヶ月で初土俵を踏み、平成23年(2011)1月場所を最後に引退(30歳4ヶ月)※番付上は平成23年(2011)5月場所

通算成績は326勝347敗14休670出場。生涯勝率.487。通算49場所中、23場所を勝ち越した(勝ち越し率.469)。

主な成績は幕下(同点1)敢闘賞1回、技能賞1回

昭和55年(1980)8月28日生まれ。本名は内田 水。

熊本県玉名郡天水町(現・玉名市)出身の普天王は、アマチュア相撲で数々のタイトルを獲得して角界入りし、最高位は小結まで昇進した力士である。突き押しや左四つからの力強い攻めを武器に活躍したほか、現役力士として初めて個人ブログを開設して大相撲の裏側や日常を発信し、ファンから広く親しまれた。引退後は年寄・稲川を襲名し、複数の部屋での指導を経て、現在は木瀬部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたっている。

アマチュア横綱から角界へ

恵まれた体格であったことから自然な流れで相撲を始め、天水町立小天小学校(当時)4年次に出場したわんぱく相撲全国大会で優勝を果たしてわんぱく横綱に輝くなど、早くから才能を発揮した。文徳高校時代には、当時明徳義塾高校へ相撲留学していた同い年の朝青龍と対戦して勝利を収めている。日本大学へ進学後も実力を伸ばし、2年次には全日本相撲選手権大会を制してアマチュア横綱のタイトルを獲得。大学時代に計14ものタイトルを獲得した。

この実績により幕下15枚目格付出の資格を取得。「自分の実力が角界でどれだけ通用するか」という挑戦心を胸に出羽海部屋へ入門し、平成15年(2003年)1月場所において本名の「内田」で初土俵を踏んだ。入門時は名門部屋の重圧を問われたが、「やるのは自分だからプレッシャーはない」と、後先を考えず強心臓ぶりを見せていた。

記録的昇進の逸機と新入幕

初土俵の場所では持ち味の左四つからの速攻で6連勝とし、史上初となる「所要1場所での十両昇進」の快挙に王手をかける。しかし、運命の7番相撲で琴乃峰の下手投げに敗れて偉業達成はならず、その後の7人による優勝決定戦でも黒海に敗れて幕下優勝を逃した。それでも翌3月場所で6勝1敗の好成績を収め、初土俵から所要2場所となる同年5月場所で新十両への昇進を果たす。この時に四股名を、世の全てを意味する「普天」と牛頭天王にちなんで父親が名付けた「普天王」へと改めた。十両の土俵でも着実に白星を重ね、平成16年(2004年)3月場所で新入幕を果たした。

幕内上位の壁に跳ね返される時期もあったが、平成17年(2005年)5月場所では東前頭10枚目で11勝4敗の好成績を収めて自身初となる敢闘賞を受賞。続く7月場所でも10勝を挙げて技能賞を獲得し、翌9月場所で自己最高位となる新小結への昇進を決めた。この小結昇進の場所では、初日に横綱・朝青龍から白星を挙げて大いに館内を沸かせている。

現役力士初のブログ開設と苦闘の晩年

土俵での活躍の一方で、新小結に昇進した平成17年(2005年)には現役力士として初めて自身の個人ブログを開設。巡業の様子や力士の素顔など、大相撲の裏側を親しみやすい文章で発信し、インターネットを通じて新たな相撲ファンを獲得する先駆けとなった。

しかし土俵上では、小結昇進の場所で初日から連勝したのちに8連敗を喫するなど大きく負け越し、平幕へ降下する。その後も大関陣を破る活躍を見せながらも上位には定着できず、怪我の影響もあって幕内中位から下位にかけて長く定着するものの、再び三役の座へ戻ることは叶わなかった。

関取陥落と現役引退

平成21年(2009年)には年間を通じて負け越しが続き、同年11月場所で十両へ陥落する。翌平成22年(2010年)には関取の座を失い、さらに同年7月場所では大相撲野球賭博問題への関与による謹慎処分を受けて全休を余儀なくされた。番付を幕下下位まで落としたのちに勝ち越して復活の兆しを見せたものの、平成23年(2011年)5月の技量審査場所を前に「八百長問題による春場所中止で気持ちが続かなくなった」として現役引退を表明。初土俵から49場所、幕内を33場所務めた土俵人生に幕を下ろした。

指導者としての歩みと部屋移籍

引退後は年寄名跡を取得して「稲川」を襲名し、出羽海部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたっていた。その後、平成26年(2014年)6月に同門の千賀ノ浦部屋(現・湊川部屋)へと移籍する。しかし、その千賀ノ浦部屋が出羽海一門を離脱して貴乃花一門(当時)へと合流することになると、自身は行動を共にせず平成28年(2016年)5月に木瀬部屋へと転籍して出羽海一門に留まった。現在は相撲教習所の指導員を務めるなど、アマチュア相撲での経験も生かしながら弟子の育成に情熱を注いでいる。

四股名
普天王 水 (ふてんおう いずみ)
最高位
小結
年寄名跡
13代稲川 有樹(出羽海) → 13代稲川 有樹(千賀ノ浦) → 13代稲川 有樹(木瀬)
出身地
熊本県玉名郡天水町 → 熊本県玉名市
本名
内田 水
生年月日
昭和55年(1980)8月28日(45歳)
出身高校
文徳高校
出身大学
日本大学
所属部屋
出羽海部屋
改名歴
内田 水 → 普天王 水
初土俵
平成15年(2003)1月 幕下15枚目付出(22歳4ヶ月)
新十両
平成15年(2003)5月(所要2場所)
22歳8ヶ月(初土俵から0年4ヶ月)
新入幕
平成16年(2004)3月(所要7場所)
23歳6ヶ月(初土俵から1年2ヶ月)
新小結
平成17年(2005)9月(所要16場所)
25歳0ヶ月(初土俵から2年8ヶ月)
最終場所
平成23年(2011)1月場所(30歳4ヶ月)※番付上は平成23年(2011)5月場所
大相撲歴
49場所(8年0ヶ月)
通算成績
326勝347敗14休670出場(勝率.487)
通算49場所
勝ち越し23場所(勝ち越し率.469)(勝ち越し星78)
優勝等
幕下(同点1)
受賞・金星
敢闘賞1回,技能賞1回
持給金
42円(勝ち越し星78個)
幕内戦歴
231勝260敗4休489出場(勝率.472)
在位33場所(在位率.673)
勝ち越し14場所(勝ち越し率.424)
三役戦歴
5勝10敗0休15出場(勝率.333)
在位1場所(在位率.020)
勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
小結戦歴
5勝10敗0休15出場(勝率.333)
在位1場所(在位率.020)
勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
前頭戦歴
226勝250敗4休474出場(勝率.477)
在位32場所(在位率.653)
勝ち越し14場所(勝ち越し率.438)
十両戦歴
72勝75敗3休146出場(勝率.493)
在位10場所(在位率.204)
勝ち越し6場所(勝ち越し率.600)
関取戦歴
303勝335敗7休635出場(勝率.477)
在位43場所(在位率.878)
勝ち越し20場所(勝ち越し率.465)
幕下以下歴
23勝12敗7休35出場(勝率.657)
在位6場所(在位率.122)
勝ち越し3場所(勝ち越し率.500)

普天王 水の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

  • ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(193回 / 59.0%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(110回 / 31.6%)
  • ✅ 得意な相手:栃乃洋(12勝2敗 / 勝率.857)
  • ✅ 苦手な相手:北勝力(3勝13敗 / 勝率.188)

平成15(2003)年初土俵の最高位:前頭

佐田の海 貴士

佐田の海 貴士(さだのうみ たかし)は熊本県 熊本市東区出身、境川部屋の力士で最高位は前頭筆頭。令和8年5月場所の番付は東 十両2枚目。

右四つの速攻相撲で活躍した出羽海部屋所属の元小結・佐田の海の長男として東京都に生まれ育つ。幼稚園の頃から力士を志していたが、父親からは「勉強はしなくていいから、何でも好きなことをやれ」と言われ、あえて相撲のアマチュア経験を積まずに野球に打ち込んでいた。小学6年次から中学2年次までは父親の相撲協会退職に伴い愛知県犬山市で過ごした。

中学卒業が近づくと父親の現役時代に憧れ、角界入りを決意する。本人は当初、当然のように父親の古巣である出羽海部屋へ進むものと考えていた。しかし、父親から「男を磨くならこの部屋だ」と熱心な説得を受け、出羽海部屋時代に父親の弟弟子であった13代境川(元小結・両國)が師匠を務める境川部屋への入門を決断した。

平成15年(2003年)3月場所において、本名の「松村」で初土俵を踏む。日本相撲協会には父親の故郷である熊本県熊本市(現在の東区)を出身地として届け出ている。入門当初は軽量に苦労しながらも、師匠の厳しくも愛情あふれる指導のもとで着実に実力を身につけていった。

父の四股名継承と怪我の試練

平成16年(2004年)1月場所において、父親の現役時代の四股名である「佐田の海」を継承した。本人は当初「名乗るのは恐れ多い」と遠慮したものの、師匠から「来場所から佐田の海で行くぞ。親父さんには俺から言っておくから」と力強く背中を押され、父親の四股名を背負うこととなった。

長らく幕下の土俵で実力を磨き、平成22年(2010年)1月場所において幕下優勝を飾り、同年7月場所において念願の新十両昇進を果たす。栃東親子以来14年ぶりとなる史上9組目の親子関取誕生であった。十両昇進後は8場所にわたり十両に定着したが、平成23年(2011年)9月場所千秋楽に大きな悲劇が襲う。7勝7敗で迎えたこの一番で、寄り倒されそうになりながらも勝ち越しへの執念から無理な体勢で残そうとした結果、右足首を脱臼骨折する大怪我を負い、十両からの陥落を余儀なくされた。

陥落後は豪栄道の付け人やちゃんこ番をこなす生活へと戻り、関取経験者でありながら雑務をこなす惨めさや辛さを味わったが、父親からの温かい励ましを受けて再起を図っていた。ところが、平成25年(2013年)3月場所では左目の眼底骨折という更なる不運に見舞われ、一度は引退も頭をよぎった。しかし、懸念された手術が無事に成功したことに加え、知人から浴びせられた手厳しい叱咤の言葉に発奮して現役続行を決断する。本人は怪我の要因を「下がりながらの投げ技が足首に負担をかけていた」と分析し、稽古を重ねて出足を重視した相撲へと磨き上げ、翌平成26年(2014年)1月場所に13場所ぶりとなる十両復帰を果たした。

新入幕と史上初の「親子三賞」

十両復帰後は好調を維持し、平成26年(2014年)5月場所において初土俵から所要66場所で新入幕を果たした。これにより史上8組目の親子幕内力士となる。幕内昇進会見では「父を超えることが親孝行」と意欲を語り、師匠の13代境川も「お父さんから15歳の彼を預かった時からの男の約束だった」と感慨深げに語った。

新入幕の同場所では、持ち味を存分に発揮して10勝5敗の好成績を収め、自身初となる敢闘賞を受賞した。父親も新入幕の場所に敢闘賞を受賞しており、この受賞によって大相撲史上初となる「親子での新入幕場所三賞獲得」という歴史的な快挙を成し遂げた。

幕内の土俵に定着した翌平成27年(2015年)5月場所では、東前頭3枚目の地位で横綱・日馬富士を取り直しの末に破り、自身初となる金星を獲得して場内を大いに沸かせた。

ベテランとしての存在感と取り口

その後も長く幕内と十両の土俵を務め、平成30年(2018年)3月場所では11勝4敗の好成績で自身初の十両優勝を飾っている。令和4年(2022年)5月場所では西前頭12枚目で千秋楽まで優勝争いに絡み、11勝4敗の優勝次点の成績を残して2度目の敢闘賞を受賞した。さらに令和7年(2025年)5月場所でも西前頭13枚目で10勝5敗の好成績を挙げて3度目の敢闘賞を受賞するなど、衰えぬ実力を証明し続けている。

取り口は、父親と同じく右四つに組んでからの速攻や力強い寄り、真っ向勝負を最大の持ち味とする。一方で父親よりも手足が長いため、「俺にはない投げがある」と父親から評されている。厳しい稽古で培われた足の裏の感覚が良く、土俵際での並外れた粘り腰を見せることから「行司泣かせ」の異名をとることもある。

ベテランとなってからは引き技に沈む場面も指摘されるが、父親譲りの四股名と伝統の相撲型を胸に、持ち前のしぶとさと豊富な経験を生かして最高峰の土俵で長きにわたり奮闘を続けている。

💡 熊本県出身一覧💡 境川部屋の力士

四股名
佐田の海 貴士(さだのうみ たかし)
最高位
前頭筆頭
最新番付
東 十両2枚目
出身地
熊本県 熊本市東区
本名
松村 要
生年月日
昭和62年(1987)5月11日(39歳)
身長・体重
183cm・144kg
所属部屋
境川部屋
改名歴
松村 → 佐田の海
初土俵
平成15年(2003)3月(15歳10ヵ月)
新十両
平成22年(2010)7月(23歳2ヵ月)
新入幕
平成26年(2014)5月(27歳0ヵ月)
優勝
十両優勝1回,幕下優勝1回,三段目優勝1回
受賞・金星
敢闘賞3回,金星1個
通算成績
781勝803敗22休/1584出場(勝率:49.3%)
直近7場所
18勝18敗(幕内:24勝36敗)
7場所勝率
43.8%
得意技
右四つ・寄り
決まり手傾向(直近7場所)
佐田の海が勝ちの決まり手(40勝)
寄り切り17
押し出し7
上手投げ3
寄り倒し3
突き落とし2
引っ掛け1
その他7
佐田の海が負けの決まり手(50敗)
寄り切り16
押し出し7
突き出し5
叩き込み5
掬い投げ3
送り出し3
その他11
令8年5月
東 十両2枚目(半枚降下)
2勝4敗
●●●○○|●    |     
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年3月
西 十両筆頭(2枚半上昇)
7勝8敗
○●●○●|●○○●○|●●●○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年1月
東 十両4枚目(4枚半降下)
9勝6敗
○○○○●|●○○○○|●●●○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

▼ さらに過去の成績(4場所分)を見る
令7年11
西 前頭16枚目(2枚半降下)
4勝11敗
●○●●●|●○●○●|●●○●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年9月
東 前頭14枚目(6枚降下)
6勝9敗
○●○○●|●●●●○|●○●○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年7月
東 前頭8枚目(5枚半上昇)
4勝11敗
●●●○●|●○●●●|●●○○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年5月
西 前頭13枚目
10勝5敗(敢闘賞)
●○●○○|○○●○○|●○○○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

徳瀬川 正直

  • 四股名 :徳瀬川 正直(とくせがわ まさなお)
  • 最高位 :前頭筆頭
  • 出身地 :モンゴル オブス県
  • 本 名 :バダムサンボー・ガンボルド
  • 生年月日:昭和58年(1983)8月6日
  • 所属部屋:桐山⇒朝日山部屋
  • 初土俵 :平成15年(2003)7月(19歳11ヵ月)
  • 新十両 :平成21年(2009)7月(25歳11ヵ月)
  • 新入幕 :平成22年(2010)3月(26歳7ヵ月)
  • 最終場所:平成23年(2011)5月(27歳9ヵ月)
  • 生涯戦歴:223勝163敗9休/386出場(46場所)
  • 生涯勝率:57.8%
  • 優勝等 :十両同点1回,幕下優勝1回,三段目優勝1回
  • 幕内戦歴:48勝42敗(6場所)勝率:53.3%
  • 十両戦歴:33勝27敗(4場所)勝率:55.0%

佐田の富士 哲博

長崎県南島原市出身、境川部屋の元力士で最高位は前頭2枚目。小学5年生から柔道を始め、長崎の小浜高校柔道部では県大会準優勝の成績をあげた。卒業後に境川部屋に入門すると柔道の「お家芸」である投げ技を封印、突きと押し相撲に徹した。境川部屋初の長崎出身関取。入幕後は一進一退を繰り返して幕内と十両を往復。やがて股関節の状態は悪化し、日常生活に支障をきたすまでとなり引退を決意。

  • 四股名 :佐田の富士 哲博(さだのふじ あきひろ)
  • 最高位 :前頭2枚目
  • 年寄名跡:12代中村⇒14代山科
  • 出身地 :長崎県南島原市
  • 本 名 :山本 哲博
  • 生年月日:昭和59年(1984)12月25日
  • 所属部屋:境川部屋
  • 改名歴 :山本⇒佐田の富士
  • 初土俵 :平成15年(2003)1月(18歳1ヵ月)
  • 新十両 :平成22年(2010)3月(25歳3ヵ月)
  • 新入幕 :平成23年(2011)11月(26歳11ヵ月)
  • 最終場所:平成29年(2017)5月(32歳5ヵ月)
  • 生涯戦歴:434勝459敗14休/893出場(86場所)
  • 生涯勝率:48.6%
  • 優勝等 :十両優勝1回,幕下同点1回
  • 幕内戦歴:137勝193敗(22場所)勝率:41.5%
  • 十両戦歴:124勝131敗(17場所)勝率:48.6%

蒼国来 栄吉

蒼国来 栄吉 (そうこくらい えいきち)中国 内モンゴル自治区出身、荒汐部屋の元力士で、最高位は前頭2枚目

平成15年(2003)9月場所に19歳8ヶ月で初土俵を踏み、令和2年(2020)3月場所を最後に引退(36歳2ヶ月)※番付上は令和2年(2020)7月場所

通算成績は466勝440敗49休902出場。生涯勝率.517。通算86場所中、46場所を勝ち越した(勝ち越し率.541)。

主な成績は幕内(次点1)、十両優勝1回、幕下優勝1回(同点1)、三段目優勝1回、序二段(同点1)、序ノ口優勝1回技能賞1回、金星1個(日馬富士1個)

昭和59年(1984)1月9日生まれ。本名は恩和图布新(エンヘトゥプシン)→エンクートプシン(日本国籍)。

中国内モンゴル自治区出身で荒汐部屋に所属した蒼国来は、右四つの体勢から繰り出す寄りや投げを武器に幕内を務めた力士である。不当な解雇処分から裁判を経て土俵へ復帰を果たすという、大相撲の歴史においても特異な歩みを残し、引退後は師匠として部屋を継承した。

直談判による入門と初期の試練

平成15年(2003年)4月、中国を訪問していた7代荒汐(元小結・大豊)が目当ての弟子候補との交渉がまとまらず帰国が迫っていた際、自ら親方の滞在先ホテルへ足を運び、入門を直談判した。その熱意に折れた7代荒汐が入門を許可し、同年6月に来日した。当初のテストでは必死の思いで股割りをこなして合格したものの、来日直後は再び股割りができなくなっていたという。相撲で失敗した際は元のレスリングに復帰する手筈も整えられた上で、当時弟子が1人しかいなかった荒汐部屋から同年9月場所において初土俵を踏んだ。

平成16年(2004年)1月場所を右上腕骨折で全休したが、同年11月場所で幕下へ昇進する。同年末に内モンゴルへ一時帰郷した際、師匠らはそのまま戻らないのではと危惧したが、本人は途中で投げ出すことを良しとせず、部屋へ戻り稽古を続けた。

幕下での苦悩と関取昇進

幕下昇進後は上位の壁に跳ね返され、平成20年(2008年)には十二指腸潰瘍を患い番付を大きく落とした。また、レスリング時代の「よく噛んで食べる」習慣が染み付いていたため、相撲特有の一気に飲み食いして増量する行為が苦手であり、体重増加にも苦労した。

それでも地道に体をつくり、平成21年(2009年)11月場所を東幕下筆頭で勝ち越し、翌平成22年(2010年)1月場所において新十両昇進を果たした。中国生まれ・育ちの力士としては初の関取であり、創立8年目の荒汐部屋にとっても初の関取誕生であった。同年9月場所においては新入幕を果たしている。

解雇処分と裁判、そして土俵復帰

幕内に定着しつつあった平成23年(2011年)4月、大相撲八百長問題への関与を認定され、日本相撲協会から引退勧告を受けた。本人は身の潔白を主張して引退届の提出を拒否したため、解雇処分となる。退職金の受け取りも拒否し、東京地方裁判所へ地位保全を求める仮処分を申請した。

解雇期間中は協会から部屋の退去を命じられ、友人宅を転々とする苦労を味わいながらも、日野自動車ラグビー部や代々木公園でのモンゴル相撲の稽古に参加して勝負勘と体力を維持した。そして平成25年(2013年)3月、同地裁より解雇無効の判決が下される。協会側が控訴を断念したことで、同年7月場所において西前頭15枚目の地位で約2年ぶりの現役復帰を果たした。

復帰後の躍進と技能賞、金星獲得

復帰直後は約2年のブランクにより負け越しが続いたものの、温和な性格により周囲の力士たちとの関係を徐々に修復していった。地道な鍛錬によって体重を142キロまで増やし、平成26年(2014年)5月場所で再入幕を果たす。

平成29年(2017年)1月場所では西前頭10枚目で12勝3敗の好成績を収め、自身初となる技能賞を受賞した。この際、師匠から「オレだって技能賞なんてもらったことないんだぞ」と羨まれる一幕もあった。翌3月場所では自己最高位となる東前頭2枚目へと番付を上げ、横綱・日馬富士を破って初となる金星を獲得した。

怪我との戦いと十両優勝

その後は腰痛の影響などにより十両へ陥落するが、西十両7枚目で迎えた平成29年(2017年)11月場所では調子を取り戻し、14勝1敗の圧倒的な成績で十両優勝を飾った。

平成30年(2018年)5月場所で右足の甲を骨折し、その影響で十両を全休して再び幕下へ陥落する試練も味わったが、同年11月場所で7戦全勝の幕下優勝を果たし、関取の座へと返り咲いた。

日本国籍取得と引退・部屋継承

令和元年(2019年)9月に日本国籍を取得した。同年11月には、不当解雇により土俵から離れていた期間のすべてが幕内在位として記録されることが協会より発表された。

師匠の停年退職を目前に控えた令和2年(2020年)3月26日、現役引退を発表するとともに年寄・荒汐(8代)を襲名し、荒汐部屋を継承した。最終的な幕内戦歴は、解雇期間の13場所を加算した38場所として記録されている(実際土俵に上がったのは25場所)。※通算場所数は99場所として記録されている。

四股名
蒼国来 栄吉 (そうこくらい えいきち)
最高位
前頭2枚目
年寄名跡
9代荒汐 栄吉
出身地
中国 内モンゴル自治区
本名
恩和图布新(エンヘトゥプシン)→エンクートプシン(日本国籍)
生年月日
昭和59年(1984)1月9日(42歳)
所属部屋
荒汐部屋
改名歴
苍國来 栄吉 → 蒼国来 栄吉
初土俵
平成15年(2003)9月 前相撲(19歳8ヶ月)
新十両
平成22年(2010)1月(所要38場所)
26歳0ヶ月(初土俵から6年4ヶ月)
新入幕
平成22年(2010)9月(所要42場所)
26歳8ヶ月(初土俵から7年0ヶ月)
最終場所
令和2年(2020)3月場所(36歳2ヶ月)※番付上は令和2年(2020)7月場所
大相撲歴
86場所(16年6ヶ月)
通算成績
466勝440敗49休902出場(勝率.517)
通算86場所
勝ち越し46場所(勝ち越し率.541)(勝ち越し星136)
優勝等
幕内(次点1),十両優勝1回,幕下優勝1回(同点1),三段目優勝1回,序二段(同点1),序ノ口優勝1回
受賞・金星
技能賞1回,金星1個(日馬富士1個)
持給金
81円(勝ち越し星136個 金星1個)
幕内戦歴
170勝190敗15休357出場(勝率.476)
在位25場所(在位率.291)
勝ち越し10場所(勝ち越し率.400)
前頭戦歴
170勝190敗15休357出場(勝率.476)
在位25場所(在位率.291)
勝ち越し10場所(勝ち越し率.400)
十両戦歴
137勝142敗21休278出場(勝率.493)
在位20場所(在位率.233)
勝ち越し11場所(勝ち越し率.550)
関取戦歴
307勝332敗36休635出場(勝率.483)
在位45場所(在位率.523)
勝ち越し21場所(勝ち越し率.467)
幕下以下歴
159勝108敗13休267出場(勝率.596)
在位40場所(在位率.465)
勝ち越し25場所(勝ち越し率.625)

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  • ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(175回 / 37.5%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(186回 / 42.1%)
  • ✅ 得意な相手:英乃海(11勝1敗 / 勝率.917)
  • ✅ 苦手な相手:琴勇輝(2勝9敗 / 勝率.182)

富士東 和佳

富士東 和佳(ふじあずま かずよし)は東京都 足立区出身、玉ノ井部屋の力士で最高位は前頭4枚目。令和8年5月場所の番付は東 幕下59枚目。

東京都足立区に生まれ、小学校6年次に出場したわんぱく相撲全国大会で大関(2位)となるなど、幼少期から確かな実績を残した。地元の中学校に在学中から玉ノ井部屋の稽古に通い、卒業と同時となる平成15年(2003年)3月場所において、13代玉ノ井(元関脇・初代栃東)が率いる玉ノ井部屋から本名の「渋谷」で初土俵を踏んだ。

順調に番付を上げ、入門から約2年半となる平成17年(2005年)7月場所に新幕下へ昇進する。しかし、その後は首などの怪我に苦しめられ、幕下から三段目で長く低迷する時期を経験した。

悲願の関取昇進と新入幕

怪我に耐えながら地道な努力を重ね、平成23年(2011年)1月場所において新十両昇進を果たし、初土俵から約8年をかけて念願の関取の座を掴み取った。十両昇進後も持ち味を発揮し、西十両8枚目で迎えた同年5月の技量審査場所を9勝6敗と勝ち越す。この時期は大相撲八百長問題の影響で多数の力士が引退しており、その番付編成の背景も重なって、翌7月場所において新入幕を果たした。

網膜剥離の試練と十両優勝

幕内や十両の土俵で活躍を続けていたが、平成26年(2014年)2月に左目の網膜剥離が判明し、手術を受けた。これにより翌3月場所をやむなく全休し、十両へと陥落する大きな試練に見舞われた。

それでも不屈の闘志で土俵へ復帰し、東十両3枚目で迎えた平成27年(2015年)3月場所において12勝3敗の好成績を挙げ、見事に十両優勝を飾った。この復活劇により、翌5月場所での再々入幕を果たしている。なお、土俵外の話題として、平成26年(2014年)に公開された映画『テルマエ・ロマエⅡ』に力士役として出演した経歴も持つ。

執念の関取復帰と現在の土俵

再々入幕となった平成27年(2015年)5月場所を3勝12敗と大きく負け越して以降は、徐々に番付を下げる苦しい土俵が続いた。平成28年(2016年)11月場所で幕下へ陥落し、翌平成29年(2017年)3月場所に一度十両へ復帰したものの1場所で再び陥落。以降は長らく関取の座から遠ざかることとなる。

しかし、ベテランとなっても決して諦めることなく相撲を取り続け、西幕下3枚目で迎えた令和2年(2020年)3月場所で5勝2敗と勝ち越しを決める。この成績により、実に19場所ぶりとなる関取(十両)復帰を果たし、執念を見せた。

その後は再び幕下や三段目へと番付を落としたが、初土俵から20年以上が経過した現在においても、現役力士として黙々と土俵に立ち続けている。

💡 東京都出身一覧💡 玉ノ井部屋の力士

四股名
富士東 和佳(ふじあずま かずよし)
最高位
前頭4枚目
最新番付
東 幕下59枚目
出身地
東京都 足立区
本名
渋谷 和由
生年月日
昭和62年(1987)4月19日(39歳)
身長・体重
180.4cm・160kg
所属部屋
玉ノ井部屋
改名歴
渋谷 → 富士東
初土俵
平成15年(2003)3月(15歳11ヵ月)
新十両
平成23年(2011)1月(23歳9ヵ月)
新入幕
平成23年(2011)7月(24歳3ヵ月)
優勝
十両優勝1回
通算成績
611勝613敗35休/1222出場(勝率:50%)
直近7場所
23勝19敗3休
7場所勝率
56.1%
得意技
押し
決まり手傾向(直近7場所)
富士東が勝ちの決まり手(21勝)
押し出し7
寄り切り7
突き落とし2
引き落とし1
寄り倒し1
押し倒し1
その他2
富士東が負けの決まり手(18敗)※不戦敗1含む
寄り切り8
押し出し4
下手投げ2
上手投げ1
上手出し投げ1
突き落とし1
令8年5月
東 幕下59枚目(10枚半上昇)
2勝1敗
●--○-|○    |     
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年3月
西 三段目8枚目(12枚上昇)
4勝3敗
○-●--|●-●-○|-○-○-
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年1月
西 三段目20枚目(23枚上昇)
4勝3敗
-●○-○|-○--●|-●○--
取組詳細(対戦相手・決まり手)

▼ さらに過去の成績(4場所分)を見る
令7年11
西 三段目43枚目(22枚半降下)
5勝2敗
-●-○○|--○-○|●---○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年9月
東 三段目21枚目(25枚半上昇)
2勝5敗
-○●--|●-○●-|●-●--
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年7月
西 三段目46枚目(36枚半降下)
5勝2敗
-○-○-|○●-●-|-○-○-
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年5月
東 三段目10枚目
1勝3敗3休
-●-●■|-やややや|やや○--
取組詳細(対戦相手・決まり手)

将司 昂親

青森県西津軽郡深浦町出身、入間川部屋の元力士で最高位は前頭8枚目。「昂親」は交通事故で亡くなられた長男の名前。

  • 四股名 :将司 昂親(まさつかさ こうしん)
  • 最高位 :前頭8枚目
  • 出身地 :青森県西津軽郡深浦町
  • 本 名 :小野 正仁
  • 生年月日:昭和59年(1984)6月7日
  • 所属部屋:入間川部屋
  • 改名歴 :小野⇒将司
  • 初土俵 :平成15年(2003)1月(18歳7ヵ月)
  • 新十両 :平成17年(2005)9月(21歳3ヵ月)
  • 新入幕 :平成20年(2008)7月(24歳1ヵ月)
  • 最終場所:平成23年(2011)5月(26歳11ヵ月)
  • 生涯戦歴:305勝266敗21休/570出場(49場所)
  • 生涯勝率:53.4%
  • 優勝等 :十両優勝1回,幕下同点1回,序ノ口優勝1回
  • 幕内戦歴:32勝43敗15休(6場所)勝率:42.7%
  • 十両戦歴:197勝188敗5休(26場所)勝率:51.2%

鏡桜 秀興

鏡桜 秀興(かがみおう ひでおき)モンゴル・ウブルハンガイ県出身、鏡山 → 伊勢ノ海部屋の元力士で、最高位は前頭9枚目

平成15年(2003)7月場所に15歳4ヶ月で初土俵を踏み、令和5年(2023)3月場所を最後に引退(35歳1ヶ月)。

通算成績は437勝408敗65休834出場。生涯勝率.517。通算107場所中、50場所を勝ち越した(勝ち越し率.472)。

主な成績は十両優勝1回(同点2),幕下優勝1回三段目優勝1回

昭和63年(1988)2月9日生まれ。本名はバットフー ナンジッダ。

十両昇進まで苦節10年。平成29年(2017)9月場所、全勝同士で迎えた幕下7番相撲の相手はモンゴルの後輩で幕下付出デビュー3場所目の水戸龍、結果は貫禄勝ち。以前名乗っていた下の名前「南二」はモンゴル名のナンジッダから。

鏡山部屋の閉鎖に伴い、伊勢ノ海部屋へと移籍した。

四股名
鏡桜 秀興(かがみおう ひでおき)
最高位
前頭9枚目
出身地
モンゴル・ウランバートル市 → モンゴル・ウブルハンガイ県
本名
バットフー ナンジッダ
生年月日
昭和63年(1988)2月9日
所属部屋
鏡山 → 伊勢ノ海部屋
改名歴
鏡桜 南二 → 鏡桜 秀興
初土俵
平成15年(2003)7月 前相撲(15歳4ヶ月)
新十両
平成25年(2013)1月(所要56場所)
24歳11ヶ月(初土俵から9年6ヶ月)
新入幕
平成26年(2014)1月(所要62場所)
25歳11ヶ月(初土俵から10年6ヶ月)
最終場所
令和5年(2023)3月(35歳1ヶ月)
大相撲歴
107場所(19年8ヶ月)
通算成績
437勝408敗65休834出場(勝率.517)
通算107場所
勝ち越し50場所(勝ち越し率.472)(勝ち越し星148)
優勝等
十両優勝1回(同点2),幕下優勝1回三段目優勝1回
持給金
74円(勝ち越し星148個)
前頭戦歴
43勝62敗0休105出場(勝率.410)
在位7場所(在位率.065)
勝ち越し1場所(勝ち越し率.143)
十両戦歴
109勝92敗9休198出場(勝率.542)
在位14場所(在位率.131)
勝ち越し7場所(勝ち越し率.500)
関取戦歴
152勝154敗9休303出場(勝率.497)
在位21場所(在位率.196)
勝ち越し8場所(勝ち越し率.381)
幕下以下歴
285勝254敗56休531出場(勝率.529)
在位85場所(在位率.794)
勝ち越し42場所(勝ち越し率.494)


平成15(2003)年初土俵の最高位:十両

城ノ龍 康允

モンゴル・トゥブ市出身、境川部屋の元力士で最高位は十両筆頭。鳥取城北高校から師匠の人望に魅せられて入門。

  • 四股名 :城ノ龍 康允(しろのりゅう やすまさ)
  • 最高位 :十両筆頭
  • 出身地 :モンゴル・トゥブ市
  • 本 名 :エレデンツォグト・オドゲレル⇒小林 光星
  • 生年月日:昭和58年(1983)9月7日
  • 出身高校:鳥取城北高校
  • 所属部屋:境川部屋
  • 改名歴 :城錦⇒城ノ龍
  • 初土俵 :平成15年(2003)1月(19歳4ヵ月)
  • 新十両 :平成22年(2010)9月(27歳0ヵ月)
  • 最終場所:平成25年(2013)9月(30歳0ヵ月)
  • 生涯戦歴:261勝234敗18休/493出場(64場所)
  • 生涯勝率:52.7%
  • 優勝等 :なし
  • 十両戦歴:51勝76敗8休(9場所)勝率:40.2%

魁 猛

魁 猛(さきがけ たけし)モンゴル・ウランバートル市出身、放駒 → 芝田山部屋の元力士で、最高位は十両10枚目

平成15年(2003)5月場所に17歳1ヶ月で初土俵を踏み、令和4年(2022)3月場所を最後に引退(35歳11ヶ月)。

通算成績は417勝408敗0休825出場。生涯勝率.505。通算112場所中、56場所を勝ち越した(勝ち越し率.505)。

主な成績は幕下優勝1回

昭和61年(1986)4月5日生まれ。本名はヤガーンバートル・バトトゥシグ。

母親の熱心な勧めもあり医者になるため猛勉強をしていたが、ウランバートル市で行われた旭鷲山主催の相撲オーディションに合格、親に相談せずに日本行きを決めた。

放駒部屋入門当初の四股名は若虎だったが放駒親方(元大関・魁傑)に改名を申し出ると「魁傑の四股名をやろうか」と打診、これは恐れ多いと1字を受け継ぎ「魁」とした。四股名が上も下も1字の関取経験者は昭和以降2人目。

四股名
魁 猛(さきがけ たけし)
最高位
十両10枚目
出身地
モンゴル・ウランバートル市
本名
ヤガーンバートル・バトトゥシグ
生年月日
昭和61年(1986)4月5日
所属部屋
放駒 → 芝田山部屋
改名歴
若虎 猛 → 魁 猛
初土俵
平成15年(2003)5月 前相撲(17歳1ヶ月)
新十両
平成26年(2014)1月(所要63場所)
27歳9ヶ月(初土俵から10年8ヶ月)
最終場所
令和4年(2022)3月(35歳11ヶ月)
大相撲歴
112場所(18年10ヶ月)
通算成績
417勝408敗0休825出場(勝率.505)
通算112場所
勝ち越し56場所(勝ち越し率.505)
優勝等
幕下優勝1回
十両戦歴
35勝55敗0休90出場(勝率.389)
在位6場所(在位率.054)
勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
幕下以下歴
382勝353敗0休735出場(勝率.520)
在位105場所(在位率.938)
勝ち越し56場所(勝ち越し率.533)


平成15(2003)年初土俵の最高位:幕下

克乃富士 修一

克乃富士 修一(かつのふじ しゅういち)は青森県 つがる市出身、境川部屋の力士で最高位は幕下15枚目。令和8年5月場所の番付は西 序二段10枚目。

初土俵から約2年半で幕下昇進も稽古中の大怪我で4場所連続全休、一時は序二段にまで番付を下げた。しかし復帰から6場所目には再び幕下へと戻った実力者

💡 青森県出身一覧💡 境川部屋の力士

四股名
克乃富士 修一(かつのふじ しゅういち)
最高位
幕下15枚目
最新番付
西 序二段10枚目
出身地
青森県 つがる市
本名
鶴賀 修一
生年月日
昭和59年(1984)5月4日(42歳)
身長・体重
181cm・146kg
出身高校
五所川原商業高校
所属部屋
境川部屋
改名歴
鶴賀⇒克の富士 → 克乃富士
初土俵
平成15年(2003)1月(18歳8ヵ月)
優勝
無し
通算成績
480勝436敗46休/915出場(勝率:52.5%)
直近7場所
21勝24敗
7場所勝率
46.7%
得意技
右四つ・寄り
決まり手傾向(直近7場所)
克乃富士が勝ちの決まり手(20勝)
寄り切り10
押し出し3
寄り倒し2
引き落とし1
下手投げ1
上手出し投げ1
その他2
克乃富士が負けの決まり手(22敗)
寄り切り9
押し出し7
引っ掛け1
上手投げ1
掬い投げ1
叩き込み1
その他2
令8年5月
西 序二段10枚目(27枚半降下)
1勝2敗
○--●-|●    |     
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年3月
東 三段目63枚目(21枚半降下)
2勝5敗
-○-○-|●-●-●|-●●--
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年1月
西 三段目41枚目(17枚上昇)
3勝4敗
-●-●-|○-○-○|-●-●-
取組詳細(対戦相手・決まり手)

▼ さらに過去の成績(4場所分)を見る
令7年11
西 三段目58枚目(35枚上昇)
4勝3敗
○-○-●|-●-○-|●-○--
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年9月
西 序二段13枚目(36枚半降下)
5勝2敗
○-●--|○-○-○|-●-○-
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年7月
東 三段目57枚目(19枚半上昇)
2勝5敗
-●●-●|-○-●-|●-○--
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年5月
西 三段目76枚目
4勝3敗
●--○-|●-○-○|-●-○-
取組詳細(対戦相手・決まり手)

平成15(2003)年初土俵の最高位:序二段

森麗 勇樹

森麗 勇樹(もりうらら ゆうき)は千葉県 千葉市若葉区出身、大嶽部屋の力士で最高位は序二段56枚目。令和8年5月場所の番付は西 序ノ口8枚目。

小学校の頃から相撲を始め、中学3年だった平成14年(2002年)夏に当時の大鵬部屋へ体験入門する。本来は1週間の予定であったが、居心地の良さから3週間に延長するほど相撲への愛着を見せた。その縁から部屋付きの12代二子山(のちの17代大嶽・大竜)にスカウトされ、平成15年(2003年)5月場所に本名の「森川」の四股名で初土俵を踏む。旧大鵬部屋に入門した最後の力士であり、元横綱・大鵬の直弟子としては最後の現役力士となった。

不屈の連敗・負け越し記録

入門当初は「茶碗一つろくに洗えず、箒も使えなかった」と言われるほど不器用であり、土俵でも初めて番付に載った平成15年(2003年)7月場所から32連敗を喫した。その後も白星は増えたものの勝ち越しには至らず、平成19年(2007年)5月場所において「新出世から24場所連続負け越し」という昭和以降のワースト記録を更新してしまう。師匠格の元・大竜からは何度も引退を勧められたが、その度に「やめたくない」と涙ながらに訴え、当時の師匠であった16代大嶽(元関脇・貴闘力)の「引退後も責任を持つ」という後押しもあって土俵に踏みとどまった。

「森麗」への改名と悲願の勝ち越し

連続負け越し記録が38場所に達して迎えた平成21年(2009年)11月場所前、デビューからの連敗記録で全国的なブームを巻き起こしていた地方競馬の「ハルウララ」にあやかり、四股名を「森麗(もりうらら)」へと改名する。序ノ口力士としては異例となる約20人の報道陣を集めた改名会見を経て、この場所の7番相撲に勝利し、見事自身初の勝ち越しを決めた。

平成25年(2013年)1月場所の7日目には、部屋の創設者である大鵬が死去する悲報に見舞われる。訃報の翌日となった中日(なかび)の取組では、同部屋の力士たちが相次いで黒星を喫する中、ただ一人白星を挙げて大鵬へと捧げ、自身もこの場所を勝ち越しへと繋げる勝負強さを見せた。

部屋の生き字引としての土俵人生

体験入門に来た未経験の高校生や、当時小学6年生であった納谷幸之介(のちの王鵬)に稽古場で敗れるなど、実力面での苦闘は続いた。それでも、元幕内・大砂嵐の十両昇進から引退まで一貫して付け人を務め上げ、大鵬から貴闘力、大竜、玉飛鳥と延べ4人の師匠に仕え続けるなど、長年にわたり部屋を陰から支え続けている。

平成29年(2017年)3月場所からは、部屋の世話人である勇鵬と17代大嶽(元・大竜)から一字ずつをもらった「勇竜 麗(いさみりゅう れい)」へと四股名を改めた。同年7月場所から再び「森麗」へと戻しているが、その直後の同年9月に世話人の勇鵬が急逝しており、結果として恩人への深い思いを込めた数場所の改名となった。

怪我による休場で番付外への転落危機を味わいながらも土俵を守り続け、令和7年(2025年)9月場所に四股名の由来となった競走馬のハルウララが死去した際には「供養のために勝ちたかった」と悼む言葉を残した。令和8年(2026年)3月場所では「39場所連続負け越し」となり自身の持つワースト記録をさらに更新してしまったが、相撲に対する純粋な愛情と執念を胸に、今日も土俵に上がり続けている。

💡 千葉県出身一覧💡 大嶽部屋の力士

四股名
森麗 勇樹(もりうらら ゆうき)
最高位
序二段56枚目
最新番付
西 序ノ口8枚目
出身地
千葉県 千葉市若葉区
本名
森川 勇樹
生年月日
昭和62年(1987)6月16日(38歳)
身長・体重
167.8cm・134.2kg
所属部屋
大鵬 → 大嶽部屋
改名歴
森川⇒森麗⇒勇竜 → 森麗
初土俵
平成15年(2003)5月(15歳11ヵ月)
優勝
無し
通算成績
292勝645敗13休/936出場(勝率:31.2%)
直近7場所
11勝34敗
7場所勝率
24.4%
決まり手傾向(直近7場所)
森麗が勝ちの決まり手(11勝)※不戦勝1含む
寄り切り4
押し出し3
寄り倒し2
押し倒し1
森麗が負けの決まり手(31敗)
寄り切り12
押し出し9
押し倒し2
引き落とし2
寄り倒し1
突き出し1
その他4
令8年5月
西 序ノ口8枚目(6枚上昇)
0勝3敗
-●-●●|-    |     
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年3月
西 序ノ口14枚目(2枚半降下)
2勝5敗
-●-●-|○●--○|●--●-
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年1月
東 序ノ口12枚目(6枚上昇)
1勝6敗
●-●--|●●-●-|●-○--
取組詳細(対戦相手・決まり手)

▼ さらに過去の成績(4場所分)を見る
令7年11
東 序ノ口18枚目(5枚半降下)
3勝4敗
-●●--|●○--○|-□●--
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年9月
西 序ノ口12枚目(2枚上昇)
1勝6敗
-●-●-|●-●○-|-●●--
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年7月
西 序ノ口14枚目(12枚半降下)
3勝4敗
-●○-●|-○--○|-●●--
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年5月
東 序ノ口2枚目
1勝6敗
●-●--|○●--●|●-●--
取組詳細(対戦相手・決まり手)

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カテゴリー : 初土俵別

公開日:2018-10-08
投稿者:レイ