東京出身の過去から現在までの主な力士をご紹介する東京都の大相撲力士まとめ!この記事では東京出身の関取を中心に、東京の郷土力士をご紹介していきます。
過去の力士については最高位や改名歴、初土俵や各段の昇進時期と最終場所、さらに生涯戦歴と生涯勝率、成績等を中心にご紹介していきます。また、現役力士については最高位と昇進時期、主な成績などを載せています。
なお、年寄名跡欄の
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日本大相撲トーナメント第四十五回大会が2021年2月7日に開催されます。チケット発売は2020年11月15日より!
開催日:2021年2月7日(日)
開演 :11:00
会場 :両国国技館 (東京都)
2020年11月15日(日) 10:00より発売
この記事の目次
東京出身の優勝力士
優勝制度が制定された明治42年(1909)6月場所以降、東京出身の幕内最高優勝力士は7人が誕生しています。総優勝回数は48回にもなります。東京出身初優勝はいつで誰?
東京出身力士で初の優勝は、昭和3年(1928)1月場所で大関だった常陸岩(最高位・大関)でした。その後は東富士と栃錦の時代が訪れ、やがて平成の頃になると貴乃花と若乃花兄弟による快進撃が始まり一時代を築き上げたのでした。
東京出身最後の優勝力士は?
東京出身力士で最後の優勝力士は誰かというと大関・栃東(2代)で平成18年(2006)1月場所でした。この時以来、東京都出身の優勝力士は途絶えています。
東京都出身の優勝力士一覧
優勝回数が多い順にご紹介しましよう。優勝回数 | 四股名 | 所属部屋 | 最高位 | 優勝時の地位 と優勝回数 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
22回 | 貴乃花 | 藤島⇒二子山 | 横綱 | 前頭1回、小結1回、 大関5回、横綱15回 | 貴花田で3回 |
10回 | 栃錦 | 春日野 | 横綱 | 関脇1回、大関3回、横綱6回 | |
6回 | 東富士 | 高砂 | 横綱 | 大関1回、横綱5回 | |
5回 | 若乃花(3代) | 藤島⇒二子山 | 横綱 | 小結1回、大関4回 | 若花田で1回 |
3回 | 栃東(2代) | 玉ノ井 | 大関 | 大関3回 | |
1回 | 常陸岩 | 出羽海 | 大関 | 大関1回 | |
1回 | 三根山 | 高島 | 大関 | 大関1回 |
東京出身の横綱
東富士 欽壹
左を差し、自慢の巨体を活かした重量感溢れる寄りは「怒涛の寄り身」と称された。若手の頃から大横綱双葉山にかわいがられて「キン坊!一丁来い!」と、よく稽古をつけてもらい「双葉山の後継者」としての期待が大きかった、史上初の「江戸っ子横綱」。
師匠からの大きな期待
12歳の頃にはすでに体重が75キロを超えていた勤一少年は、4代富士ヶ根親方(元小結・若湊)の熱心な誘いにひかれて富士ヶ根部屋へと入門、14歳で初土俵を踏んだ。その体格から周囲からの期待も大きかったが、いざ入ると自分より小さな新弟子にも勝てずになんと2年間も前相撲で足踏み。これには部屋の力士たちも呆れて勤一のことをバカにしていたが、素質に惚れ込んでいた師匠は「馬鹿野郎!俺はキン坊だけが頼りなんだ!」と兄弟子たちを叱った。
この師匠の言葉に発奮した勤一は前相撲を突破、昭和13年1月に「東冨士」の四股名が番付に載るとそこから順調に駆け上がっていき昭和17年1月場所での新十両を決めた。しかし残念なことではあるが、誰よりも東冨士のことを信じてくれていた師匠は、土俵上での晴れ姿を見ることなく前年の11月に亡くなっていた。
双葉山への恩返し
十両3場所目に14勝1敗で十両優勝、昭和18年5月場所で新入幕。小結を飛び越して関脇にあがった昭和19年11月場所も快調に5連勝し、迎えた6日目の対戦相手はあの双葉山。日頃の厚恩に報いようと思い切りぶつかっていった東冨士は右上手投げで快勝、その恩を返すことができた。取組後に挨拶にむかうと、双葉山から「これで安心して引退できるよ」と笑顔の祝福を受ける。その双葉山は翌日から休場、その後も1度土俵に上がっただけで翌年には引退することとなった。
初の江戸っ子横綱誕生
この場所を東冨士は9勝1敗で優勝同点、翌場所も好成績をあげ場所後に大関へと昇進した。そして昭和23年5月場所には10勝1敗で念願の初優勝。翌10月は大関・増位山との決定戦に敗れはしたが10勝1敗の好成績で場所後に横綱免許を授与された。これは大相撲史上初「江戸っ子横綱」の誕生となった。
ちなみにこの間、昭和22年6月場所を最後に5代富士ヶ根(元前頭3・若港)が部屋を閉じたこともあり、本家である高砂部屋所属へと変わっている。
あの双葉山が目を掛け、さらには最後の黒星をつけた相手でもある「新横綱」東富士への世間の期待は大きく、昇進初場所での優勝時には「東富士時代到来」と騒がれたが、その後は成績にムラがあり連敗も多かったため世間の期待にじゅうぶんには応えられなかった。
そんな東富士ではあったが昭和26年9月場所ではおおきな輝きをみせる。急性肺炎による高熱をおして出場を続けた東富士の病状は12日目にはいよいよ医師が制止するほどに。しかし東富士は「命に関わっても文句は言わぬ」と誓約書を出してまで出場、吉葉山との対戦をむかえた。この取組が「物言い取り直し、水入り、水入り後の取り直しでまた物言い」という稀にみる大熱戦となり、とうとう最後には協議の結果、これ以上の取組は危険と判断されて勝負預かりとなるほどだった。
- 四股名 :東富士 欽壹(あずまふじ きんいち)
- 最高位 :第40代横綱
- 年寄名跡:7代錦戸
- 出身地 :東京都台東区
- 本 名 :井上 謹一
- 生年月日:大正10年(1921)10月28日
- 没年月日:昭和48年(1973)7月31日(享年51歳)
- 所属部屋:富士ヶ根⇒高砂部屋
- 改名歴 :東冨士⇒東富士
- 初土俵 :昭和11年(1936)1月(14歳3ヵ月)
- 新十両 :昭和17年(1942)1月(20歳3ヵ月)
- 新入幕 :昭和18年(1943)5月(21歳7ヵ月)
- 新三役 :昭和19年(1944)11月(23歳1ヵ月)
- 新大関 :昭和20年(1945)11月(24歳1ヵ月)
- 横綱昇進:昭和24年(1949)1月(27歳3ヵ月)
- 最終場所:昭和29年(1954)9月(32歳11ヵ月)
- 生涯戦歴:335勝137敗54休1分1預/466出場(46場所)
- 生涯勝率:71.0%
- 優勝等 :幕内優勝6回(同点2・次点4),十両優勝1回,幕下優勝1回
- 幕内戦歴:261勝104敗54休1分1預(31場所)勝率:71.5%
- 横綱:172勝74敗50休1分1預(20場所)勝率:69.9%
- 大関:51勝15敗(6場所)勝率:77.3%
- 関脇:15勝2敗(2場所)勝率:88.2%
- 前頭:23勝13敗4休(3場所)勝率:63.9%
- 十両戦歴:33勝12敗(3場所)勝率:73.3%
栃錦 清隆
東京都江戸川区出身、春日野部屋の元力士で最高位は横綱。若乃花との「栃若」はテレビを通じて全国のファンを熱狂させた。
- 四股名 :栃錦 清隆(とちにしき きよたか)
- 最高位 :第44代横綱
- 年寄名跡:
9代春日野 - 出身地 :東京都江戸川区
- 本 名 :大塚 清⇒中田 清
- 生年月日:大正14年(1925)2月20日
- 没年月日:平成2年(1990)1月10日(享年64歳)
- 所属部屋:春日野部屋
- 改名歴 :大塚⇒栃錦
- 初土俵 :昭和14年(1939)1月(13歳11ヵ月)
- 新十両 :昭和19年(1944)5月(19歳3ヵ月)
- 新入幕 :昭和22年(1947)6月(22歳4ヵ月)
- 新三役 :昭和25年(1950)1月(24歳11ヵ月)
- 新大関 :昭和28年(1953)1月(27歳11ヵ月)
- 横綱昇進:昭和30年(1955)1月(29歳11ヵ月)
- 最終場所:昭和35年(1960)5月(35歳3ヵ月)
- 生涯戦歴:578勝245敗44休1分1預/821出場(66場所)
- 生涯勝率:70.2%
- 優勝等 :幕内優勝10回(同点1・次点8)
- 成 績 :殊勲賞1回,技能賞9回,金星1個
- 幕内戦歴:513勝203敗44休1分(52場所)勝率:71.6%
- 横綱:292勝84敗44休(28場所)勝率:77.7%
- 大関:92勝28敗(8場所)勝率:76.7%
- 関脇:43勝17敗(4場所)勝率:71.7%
- 小結:22勝23敗(3場所)勝率:48.9%
- 前頭:64勝51敗1分(9場所)勝率:55.7%
- 十両戦歴:18勝14敗1預(3場所)勝率:56.3%
貴乃花 光司
平成初期相撲ブームの立役者。引退後は二子山部屋を継承して改称、貴乃花部屋を率いて独自の「相撲道」を探求していたが平成30年(2018)10月1日付けで相撲協会を退職。伝統ある部屋は閉鎖となった
- 四股名 :貴乃花 光司(たかのはな こうじ)
- 最高位 :第65代横綱
- 年寄名跡:
一代年寄・貴乃花 - 出身地 :東京都中野区
- 本 名 :花田 光司
- 生年月日:昭和47年(1972)8月12日(48歳)
- 所属部屋:藤島⇒二子山部屋
- 改名歴 :貴花田⇒貴ノ花⇒貴乃花
- 初土俵 :昭和63年(1988)3月(15歳7ヵ月)
- 新十両 :平成元年(1989)11月(17歳3ヵ月)
- 新入幕 :平成2年(1990)5月(17歳9ヵ月)
- 新三役 :平成3年(1991)7月(18歳11ヵ月)
- 新大関 :平成5年(1993)3月(20歳7ヵ月)
- 横綱昇進:平成7年(1995)1月(22歳5ヵ月)
- 最終場所:平成15年(2003)1月(30歳5ヵ月)
- 生涯戦歴:794勝262敗201休/1049出場(90場所)
- 生涯勝率:75.2%
- 優勝等 :幕内優勝22回(同点5・次点11),幕下優勝2回
- 成 績 :殊勲賞4回,敢闘賞2回,技能賞3回,金星1個
- 幕内戦歴:701勝217敗201休(75場所)勝率:76.4%
- 横綱:429勝99敗201休(49場所)勝率:81.3%
- 大関:137勝28敗(11場所)勝率:83.0%
- 関脇:33勝27敗(4場所)勝率:55.0%
- 小結:33勝12敗(3場所)勝率:73.3%
- 前頭:69勝51敗(8場所)勝率:57.5%
- 十両戦歴:44勝31敗(5場所)勝率:58.7%
若乃花 勝(3代)
小柄だったがおっつけと瞬発力、そして立ち合いの呼吸をはかる巧みさで横綱になった「お兄ちゃん」
- 四股名 :若乃花 勝(3代)(わかのはな まさる)
- 最高位 :第66代横綱
- 年寄名跡:16代藤島
- 出身地 :東京都中野区
- 本 名 :花田 勝
- 生年月日:昭和46年(1971)1月20日(50歳)
- 所属部屋:藤島⇒二子山部屋
- 改名歴 :若花田⇒若ノ花⇒若乃花
- 初土俵 :昭和63年(1988)3月(17歳2ヵ月)
- 新十両 :平成2年(1990)3月(19歳2ヵ月)
- 新入幕 :平成2年(1990)9月(19歳8ヵ月)
- 新三役 :平成3年(1991)11月(20歳10ヵ月)
- 新大関 :平成5年(1993)9月(22歳8ヵ月)
- 横綱昇進:平成10年(1998)7月(27歳6ヵ月)
- 最終場所:平成12年(2000)3月(29歳2ヵ月)
- 生涯戦歴:573勝286敗124休/850出場(73場所)
- 生涯勝率:66.7%
- 優勝等 :幕内優勝5回(同点3・次点6),十両優勝1回,三段目優勝1回,序ノ口優勝1回
- 成 績 :殊勲賞3回,技能賞6回,金星2個
- 幕内戦歴:487勝250敗124休(58場所)勝率:66.1%
- 横綱:61勝38敗57休(11場所)勝率:61.6%
- 大関:274勝101敗60休(29場所)勝率:73.1%
- 関脇:23勝7敗(2場所)勝率:76.7%
- 小結:21勝19敗5休(3場所)勝率:52.5%
- 前頭:108勝85敗2休(13場所)勝率:56.0%
- 十両戦歴:31勝14敗(3場所)勝率:68.9%
東京出身の大関
伊勢ノ濱 慶太郎
東京都墨田区両国出身、友綱~根岸部屋の元力士で最高位は大関。父親は明治10年代後半から20年代前半に幕内をつとめた伊勢ノ濱萩右ヱ門で親子関取として知られる。初土俵から新入幕までのあいだに負けたのはわずか6敗。これに慢心したのか相撲が疎かになり脱走してマゲを切ったこともあったが、周囲の説得により改心し土俵に専念した。小兵だったが力が強く、キビキビとした取り口で人気があり、また力水も一度しかつけない土俵態度は立派とも評された。
引退後は7代中立を襲名、相撲協会の理事などをつとめた。頭脳明晰で人格者でもあったことから人望も厚かったが、昭和3年(1928)5月17日に宿泊先の旅館で服毒自殺をしてしまった。
現役時代から趣味で小説を書いており、明け荷には原稿用紙を入れていたという。
- 四股名 :伊勢ノ濱 慶太郎(いせのはま けいたろう)
- 最高位 :大関
- 年寄名跡:
7代中立 - 出身地 :東京都墨田区両国
- 本 名 :中立 慶太郎
- 生年月日:明治16年(1883)11月9日
- 没年月日:昭和3年(1928)5月17日(享年44歳)
- 所属部屋:友綱⇒根岸⇒友綱⇒根岸部屋
- 初土俵 :明治35年(1902)1月(18歳2ヵ月)
- 新十両 :明治38年(1905)5月(21歳6ヵ月)
- 新入幕 :明治39年(1906)5月(22歳6ヵ月)
- 新三役 :明治42年(1909)6月(25歳7ヵ月)
- 新大関 :大正3年(1914)1月(30歳2ヵ月)
- 最終場所:大正8年(1919)1月(35歳2ヵ月)
- 生涯戦歴:112勝85敗58休9分16預/222出場(29場所)
- 生涯勝率:56.9%
- 優勝等 :幕内次点1回
- 成 績 :金星1個
- 幕内戦歴:98勝82敗58休9分13預(26場所)勝率:54.4%
- 大関:36勝33敗35休3分3預(11場所)勝率:52.2%
- 関脇:24勝13敗1休2預(4場所)勝率:64.9%
- 小結:12勝8敗(2場所)勝率:60.0%
- 前頭:26勝28敗22休6分8預(9場所)勝率:48.1%
- 十両戦歴:14勝3敗3預(2場所)勝率:82.4%
常陸岩 英太郎
東京都中央区出身、出羽海部屋の元力士で最高位は大関。昭和3年(1928)1月場所後に不戦勝制度が整備されたのは常陸岩の優勝がきっかけ。
- 四股名 :常陸岩 英太郎(ひたちいわ えいたろう)
- 最高位 :大関
- 年寄名跡:9代境川
- 出身地 :東京都中央区
- 本 名 :櫻井 英太郎
- 生年月日:明治33年(1900)3月9日
- 没年月日:昭和32年(1957)7月21日(享年57歳)
- 所属部屋:出羽海部屋
- 初土俵 :大正6年(1917)5月・新序(17歳2ヵ月)
- 新十両 :大正11年(1922)5月(22歳2ヵ月)
- 新入幕 :大正12年(1923)5月(23歳2ヵ月)
- 新三役 :大正14年(1925)5月(25歳2ヵ月)
- 新大関 :昭和2年(1927)5月(27歳2ヵ月)
- 最終場所:昭和6年(1931)3月(31歳0ヵ月)
- 生涯戦歴:190勝93敗47休3分3預/288出場(37場所)
- 生涯勝率:67.1%
- 優勝等 :幕内優勝1回(次点3),十両優勝1回
- 幕内戦歴:147勝74敗47休3分3預(25場所)勝率:66.5%
- 大関:87勝53敗35休1分(16場所)勝率:62.1%
- 関脇:25勝8敗11休(4場所)勝率:75.8%
- 前頭:35勝13敗1休2分3預(5場所)勝率:72.9%
- 十両戦歴:11勝3敗(2場所)勝率:78.6%
三根山 繼司
- 四股名 :三根山 繼司(みつねやま けいじ)
- 最高位 :大関
- 年寄名跡:
10代熊ヶ谷 ⇒10代高島 - 出身地 :東京都荒川区
- 本 名 :嶋村 嶋一
- 生年月日:大正11年(1922)2月7日
- 没年月日:平成元年(1989)8月15日(享年67歳)
- 所属部屋:高島部屋
- 初土俵 :昭和12年(1937)5月(15歳3ヵ月)
- 新十両 :昭和17年(1942)5月(20歳3ヵ月)
- 新入幕 :昭和19年(1944)1月(21歳11ヵ月)
- 新三役 :昭和20年(1945)6月(23歳4ヵ月)
- 新大関 :昭和28年(1953)9月(31歳7ヵ月)
- 最終場所:昭和35年(1960)1月(37歳11ヵ月)
- 生涯戦歴:479勝389敗35休/864出場(69場所)
- 生涯勝率:55.2%
- 優勝等 :幕内優勝1回(次点2),十両優勝1回,三段目優勝1回
- 成 績 :殊勲賞5回,敢闘賞2回,金星9個
- 幕内戦歴:407勝354敗35休(56場所)勝率:53.5%
- 大関:63勝52敗5休(8場所)勝率:54.8%
- 関脇:86勝54敗21休(11場所)勝率:61.4%
- 小結:39勝32敗2休(6場所)勝率:54.9%
- 前頭:219勝216敗7休(31場所)勝率:50.3%
- 十両戦歴:31勝14敗(3場所)勝率:68.9%
栃東 大裕
東京都足立区出身、玉ノ井部屋の元力士で最高位は大関。新大関での初優勝は史上2組目の親子幕内優勝でもあった。2度の大関陥落も史上初の2度返り咲き、脳梗塞によって引退を決意。
14代・玉ノ井 太祐 - 四股名 :栃東 大裕(とちあずま だいすけ)
- 最高位 :大関
- 年寄名跡:大関3年・栃東⇒
14代玉ノ井 - 出身地 :東京都足立区
- 本 名 :志賀 太祐
- 生年月日:昭和51年(1976)11月9日
- 所属部屋:玉ノ井部屋
- 改名歴 :志賀⇒栃東
- 初土俵 :平成6年(1994)11月(18歳0ヵ月)
- 新十両 :平成8年(1996)5月(19歳6ヵ月)
- 新入幕 :平成8年(1996)11月(20歳0ヵ月)
- 新三役 :平成9年(1997)7月(20歳8ヵ月)
- 新大関 :平成14年(2002)1月(25歳2ヵ月)
- 最終場所:平成19年(2007)5月(30歳6ヵ月)
- 生涯戦歴:560勝317敗169休/867出場(75場所)
- 生涯勝率:63.9%
- 優勝等 :幕内優勝3回(次点5),十両優勝1回,幕下優勝1回,三段目優勝1回,序二段優勝1回,序ノ口優勝1回
- 成 績 :殊勲賞3回,敢闘賞2回,技能賞7回,金星4個
- 幕内戦歴:483勝296敗166休(63場所)勝率:62.0%
- 大関:207勝125敗118休(30場所)勝率:62.3%
- 関脇:149勝88敗18休(17場所)勝率:62.9%
- 小結:45勝30敗(5場所)勝率:60.0%
- 前頭:82勝53敗30休(11場所)勝率:60.7%
- 十両戦歴:32勝13敗(3場所)勝率:71.1%