高砂部屋の力士一覧!過去から現在、高砂部屋の主な関取を網羅しました

高砂(たかさご)部屋の過去から現在までの主な所属力士をご紹介する高砂部屋の大相撲力士まとめ!

この記事では高砂部屋の主な関取を中心に紹介していきます。過去の力士については最高位や改名歴、初土俵や各段の昇進時期と最終場所、さらに生涯戦歴と生涯勝率、成績等を中心にご紹介していきます。また、現役力士については最高位と昇進時期、主な成績などを載せています。

なお、年寄名跡欄のマークは、その代で師匠(部屋持ち親方)になったことがあるという意味です。

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相撲部屋や出身地ごとの場所の成績からランキングを作成しております。初場所、好調な相撲部屋や力士の出身地はどこ?



高砂部屋の基本情報

この記事の目次

高砂部屋の優勝力士

優勝制度が制定された明治42年(1909)6月場所以降、高砂部屋の幕内最高優勝力士は11人が誕生しており、総優勝回数は46回にもなります。

高砂部屋の初優勝はいつで誰?

高砂部屋の初優勝力士は、明治42年(1909)6月場所、つまり栄えある初の幕内優勝力士は前頭筆頭だった高見山 酉之助(最高位・関脇)でした。さすがは「名門」高砂部屋ですね。

高砂部屋の優勝力士一覧

では、歴代の高砂部屋の幕内優勝力士を年月順で一覧表にして見てみましょう。

四股名 優勝場所 回数 優勝時の番付 出身 部屋 最高位 成績 四股名 備考
1 高見山 明治42年6月 東前頭7枚目 千葉県 高砂 関脇 7勝0敗3分 高見山 優勝(優勝額掲額)制度初の優勝力士
※髙見山酉之助
2 前田山 昭和19年11月 西大関 愛媛県 高砂 39代横綱 9勝1敗 前田山 愛媛唯一の優勝力士
3 東冨士 昭和23年5月 西大関2 東京都 高砂 40代横綱 10勝1敗 東冨士
4 東冨士 昭和24年1月 2回目 西横綱2張出 東京都 高砂 40代横綱 10勝2敗1分 東冨士
5 東冨士 昭和25年5月 3回目 西横綱1 東京都 高砂 40代横綱 14勝1敗 東冨士
6 東冨士 昭和26年9月 4回目 東横綱1 東京都 高砂 40代横綱 13勝1敗1預 東冨士
7 東富士 昭和27年5月 5回目 西横綱2張出 東京都 高砂 40代横綱 13勝2敗 東富士
8 東富士 昭和28年9月 6回目 西横綱1 東京都 高砂 40代横綱 14勝1敗 東富士
9 朝汐(3代) 昭和31年3月 東関脇 兵庫県 高砂 46代横綱 12勝3敗 朝汐(3代) のちに朝潮に改名
10 朝汐(3代) 昭和32年3月 2回目 西関脇 兵庫県 高砂 46代横綱 13勝2敗 朝汐(3代)
11 朝汐(3代) 昭和33年3月 3回目 東大関 兵庫県 高砂 46代横綱 13勝2敗 朝汐(3代)
12 朝汐(3代) 昭和33年11月 4回目 西大関 兵庫県 高砂 46代横綱 14勝1敗 朝汐(3代)
13 朝潮(3代) 昭和36年3月 5回目 西横綱 兵庫県 高砂 46代横綱 13勝2敗 朝潮(3代) 「大阪太郎」の大阪場所4度目の優勝
14 富士錦 昭和39年7月 西前頭9枚目 山梨県 高砂 小結 14勝1敗 富士錦
15 高見山 昭和47年7月 東前頭4枚目 ハワイ 高砂 関脇 13勝2敗 高見山 史上初の外国出身幕内優勝
※髙見山大五郎
16 朝潮(4代) 昭和60年3月 東大関(張出) 高知県 高砂 大関 13勝2敗 朝潮(4代)
17 小錦 平成元年11月 西大関(張出) ハワイ 高砂 大関 14勝1敗 小錦 ハワイ出身力士2人目の幕内優勝
18 小錦 平成3年11月 2回目 西大関 ハワイ 高砂 大関 13勝2敗 小錦
19 小錦 平成4年3月 3回目 東大関 ハワイ 高砂 大関 13勝2敗 小錦
20 水戸泉 平成4年7月 西前頭筆頭 茨城県 高砂 関脇 13勝2敗 水戸泉
21 朝青龍 平成14年11月 東大関2 モンゴル 高砂 68代横綱 14勝1敗 朝青龍 初土俵から歴代最速タイ(付出を除く)となる、所要24場所での幕内初優勝
モンゴル出身力士初の優勝
22 朝青龍 平成15年1月 2回目 東大関 モンゴル 高砂 68代横綱 14勝1敗 朝青龍
23 朝青龍 平成15年5月 3回目 東横綱 モンゴル 高砂 68代横綱 13勝2敗 朝青龍
24 朝青龍 平成15年9月 4回目 東横綱 モンゴル 高砂 68代横綱 13勝2敗 朝青龍
25 朝青龍 平成16年1月 5回目 東横綱 モンゴル 高砂 68代横綱 15勝0敗 朝青龍 自身初の全勝優勝
26 朝青龍 平成16年3月 6回目 東横綱 モンゴル 高砂 68代横綱 15勝0敗 朝青龍 2場所連続の全勝優勝
27 朝青龍 平成16年5月 7回目 東横綱 モンゴル 高砂 68代横綱 13勝2敗 朝青龍
28 朝青龍 平成16年7月 8回目 東横綱 モンゴル 高砂 68代横綱 13勝2敗 朝青龍 4場所連続優勝
29 朝青龍 平成16年11月 9回目 東横綱 モンゴル 高砂 68代横綱 13勝2敗 朝青龍
30 朝青龍 平成17年1月 10回目 東横綱 モンゴル 高砂 68代横綱 15勝0敗 朝青龍 朝青龍、10回目の優勝
31 朝青龍 平成17年3月 11回目 東横綱 モンゴル 高砂 68代横綱 14勝1敗 朝青龍
32 朝青龍 平成17年5月 12回目 東横綱 モンゴル 高砂 68代横綱 15勝0敗 朝青龍
33 朝青龍 平成17年7月 13回目 東横綱 モンゴル 高砂 68代横綱 13勝2敗 朝青龍
34 朝青龍 平成17年9月 14回目 東横綱 モンゴル 高砂 68代横綱 13勝2敗 朝青龍
35 朝青龍 平成17年11月 15回目 東横綱 モンゴル 高砂 68代横綱 14勝1敗 朝青龍 前年からの7連覇と
年間6場所完全制覇を達成
36 朝青龍 平成18年3月 16回目 東横綱 モンゴル 高砂 68代横綱 13勝2敗 朝青龍
37 朝青龍 平成18年7月 17回目 東横綱 モンゴル 高砂 68代横綱 14勝1敗 朝青龍
38 朝青龍 平成18年9月 18回目 東横綱 モンゴル 高砂 68代横綱 13勝2敗 朝青龍
39 朝青龍 平成18年11月 19回目 東横綱 モンゴル 高砂 68代横綱 15勝0敗 朝青龍 5度目の全勝優勝
地方場所9連覇達成
40 朝青龍 平成19年1月 20回目 東横綱 モンゴル 高砂 68代横綱 14勝1敗 朝青龍 4場所連続優勝
朝青龍、20回目の優勝
41 朝青龍 平成19年7月 21回目 東横綱 モンゴル 高砂 68代横綱 14勝1敗 朝青龍
42 朝青龍 平成20年3月 22回目 西横綱 モンゴル 高砂 68代横綱 13勝2敗 朝青龍
43 朝青龍 平成21年1月 23回目 西横綱 モンゴル 高砂 68代横綱 14勝1敗 朝青龍
44 朝青龍 平成21年9月 24回目 西横綱 モンゴル 高砂 68代横綱 14勝1敗 朝青龍
45 朝青龍 平成22年1月 25回目 西横綱 モンゴル 高砂 68代横綱 13勝2敗 朝青龍 朝青龍、現役最後となる25回目の優勝
46 朝乃山 令和元年5月 西前頭8枚目 富山県 高砂 大関 12勝3敗 朝乃山 太刀山以来、103年ぶりの富山出身力士の優勝
来日し国技館で観戦していたトランプ大統領から
「アメリカ合衆国大統領杯」が授与される

高砂部屋の優勝力士ランキング

次は高砂部屋力士の優勝回数と成績のランキングです。

順位 四股名 優勝 最高位 出身地 勝数 敗数 横綱 大関 関脇 小結 前頭
1位 朝青龍 25回 68代横綱 モンゴル 344勝 31敗 23回 2回 2回 0回 0回
2位 東富士 6回 40代横綱 東京都 74勝 8敗 5回 1回 1回 0回 0回
3位 朝潮(3代) 5回 46代横綱 兵庫県 65勝 10敗 1回 2回 2回 2回 0回
4位 小錦 3回 大関 ハワイ 40勝 5敗 0回 3回 3回 0回 0回
5位 富士錦 1回 小結 山梨県 14勝 1敗 0回 0回 0回 0回 0回
5位 朝潮(4代) 1回 大関 高知県 13勝 2敗 0回 1回 1回 0回 0回
5位 高見山 1回 関脇 ハワイ 13勝 2敗 0回 0回 0回 0回 0回
5位 水戸泉 1回 関脇 茨城県 13勝 2敗 0回 0回 0回 0回 0回
5位 朝乃山 1回 大関 富山県 12勝 3敗 0回 0回 0回 0回 0回
5位 前田山 1回 39代横綱 愛媛県 9勝 1敗 0回 1回 1回 0回 0回
5位 高見山酉之助 1回 関脇 千葉県 7勝 0敗 0回 0回 0回 0回 0回

高砂部屋の横綱

西ノ海 嘉治郎(初代)

鹿児島県薩摩川内市出身、高砂部屋の元力士で最高位は横綱。京都相撲の鯨波(ときのこえ)部屋に入門、西ノ海の四股名で明治7年(1875)に初土俵を踏み、明治14年(1881)には京都相撲で小結まで番付を上げていた。

この頃、改革をうたって東京相撲会所を脱退した初代高砂浦五郎率いる「高砂改正組」の巡業に参加した西ノ海は、高砂に大いに認められ、高砂が東京相撲会所に復帰するや乞われて上京、西ノ海は高砂部屋所属となる。

高砂のはからいで明治15年(1882)1月の初土俵は幕内格付け出しという特別待遇でのスタート。この期待に違わず西ノ海は順調に番付を上げていくと3年後の明治18年(1885)1月場所では当時の相撲界の「最高位」である大関にまで昇進した。

しかしここからが不運の始まり。翌場所も6勝1敗2分と好成績の西ノ海だったが、それを関脇・大達が8勝1敗と上回ると、なんと翌場所は大達に大関を譲る形で関脇に落とされてしまった。その後も好成績を上げても他の力士との兼ね合いでなかなか大関に戻れず、ようやく西ノ海が大関に復帰できたのは4年半後の明治23年(1890)1月場所だった。

大関復帰の場所を7勝2敗で終えた西ノ海は、場所後の天覧相撲に合わせて横綱免許が授与された。

こうして第16代横綱の「名誉称号」を得た西ノ海だったが翌場所の番付では他の優秀な大関候補に押される形で「張出大関」にさせられそうになる。これには「横綱を許されたのに張り出されるのは侮辱だ」と納得のいかない西ノ海。散々もめた末に編み出された解決策は、大関ではなく「横綱」として張り出すというものだった。

従来の階級では「大関」が番付の最高位であり「横綱」はあくまで名誉称号だったが、番付史上初めて「横綱」と明記されることとなった。こののち、横綱が「最高位」として認められて現代に至ることになる。

こうして横綱として6年12場所を務めた西ノ海は明治29年(1896)1月場所で引退。7代井筒を襲名した後、独立して井筒部屋を開くと西ノ海嘉治郎(2代)や駒ヶ嶽國力、大江山松太郎に逆鉾与治郎などを育て上げた。現代へと続く「井筒の系譜」の礎を築く。

  • 四股名 :西ノ海 嘉治郎(初代)(にしのうみ かじろう)
  • 最高位 :第16代横綱
  • 年寄名跡:7代井筒
  • 出身地 :鹿児島県薩摩川内市
  • 本 名 :小園 嘉次郎
  • 生年月日:安政2年(1855)1月3日
  • 没年月日:明治41年(1908)11月30日(享年53歳)
  • 所属部屋:鯨波(京都)⇒高砂部屋
  • 初土俵 :明治15年(1882)1月・幕内付出(27歳0ヵ月)
  • 新入幕 :明治15年(1882)1月(27歳0ヵ月)
  • 新三役 :明治16年(1883)5月(28歳4ヵ月)
  • 新大関 :明治18年(1885)1月(30歳0ヵ月)
  • 横綱昇進:明治23年(1890)5月(35歳4ヵ月)
  • 最終場所:明治29年(1896)1月(41歳0ヵ月)
  • 生涯戦歴:127勝37敗97休25分4預/193出場(29場所)
  • 生涯勝率:77.4%
  • 優勝等 :優勝相当2回
  • 幕内戦歴:127勝37敗97休25分4預(29場所)勝率:77.4%
  •   横綱:44勝13敗60休1分2預(12場所)勝率:77.2%
  •   大関:16勝3敗4休7分(3場所)勝率:84.2%
  •   関脇:38勝10敗10休10分2預(7場所)勝率:79.2%
  •   小結:15勝5敗17休3分(4場所)勝率:75.0%
  •   前頭:14勝6敗6休4分(3場所)勝率:70.0%

小錦 八十吉(初代)

新入幕から4年間で39連勝、立ち合い鋭くまた臨機応変で俊敏な取り口で絶大な人気を誇った。引退後は二十山部屋を興し、次期高砂の後継者に内定していたが先代の後を追うように亡くなる

  • 四股名 :小錦 八十吉(初代)(こにしき やそきち)
  • 最高位 :第17代横綱
  • 年寄名跡:6代二十山
  • 出身地 :千葉県山武郡
  • 本 名 :岩井 八十吉
  • 生年月日:慶応2(1866)年10月15日
  • 没年月日:大正3年(1914)10月22日(享年48歳)
  • 所属部屋:高砂部屋
  • 初土俵 :明治16年(1883)5月・序ノ口(16歳7ヶ月)
  • 新十両 :明治21年(1888)1月(21歳3ヶ月)
  • 新入幕 :明治21年(1888)5月(21歳7ヶ月)
  • 新三役 :明治22年(1889)5月(22歳7ヶ月)
  • 新大関 :明治23年(1890)5月(23歳7ヶ月)
  • 横綱昇進:明治29年(1896)5月(29歳7ヶ月)
  • 最終場所:明治34年(1901)1月(35歳3ヶ月)
  • 生涯戦歴:127勝26敗101休9分7預/169出場(27場所)
  • 生涯勝率:83.0%
  • 優勝等 :優勝相当7回
  • 幕内戦歴:119勝24敗101休9分7預(26場所)勝率:83.2%
  •   横綱:37勝17敗37休6分3預(10場所)勝率:68.5%
  •   大関:52勝7敗59休1分1預(12場所)勝率:88.1%
  •   小結:15勝0敗3休1分1預(2場所)勝率:100.0%
  •   前頭:15勝0敗2休1分2預(2場所)勝率:100.0%
  • 十両戦歴:8勝2敗(1場所)勝率:80.0%

前田山 英五郎

愛媛県西宇和郡出身、高砂部屋の元力士で最高位は横綱。休場中の日米野球観戦が問題となり引退勧告、横綱としては短命に終わったが名大関だったとの評価も

  • 四股名 :前田山 英五郎(まえだやま えいごろう)
  • 最高位 :第39代横綱
  • 年寄名跡:4代高砂
  • 出身地 :愛媛県西宇和郡
  • 本 名 :萩森 金松
  • 生年月日:大正3年(1914)5月4日
  • 没年月日:昭和46年(1971)8月17日(享年57歳)
  • 所属部屋:高砂部屋
  • 改名歴 :喜木山⇒佐田岬⇒前田山
  • 初土俵 :昭和4年(1929)1月(14歳8ヵ月)
  • 新十両 :昭和9年(1934)1月(19歳8ヵ月)
  • 新入幕 :昭和12年(1937)1月(22歳8ヵ月)
  • 新三役 :昭和13年(1938)1月(23歳8ヵ月)
  • 新大関 :昭和13年(1938)5月(24歳0ヵ月)
  • 横綱昇進:昭和22年(1947)11月(33歳6ヵ月)
  • 最終場所:昭和24年(1949)10月(35歳5ヵ月)
  • 生涯戦歴:306勝153敗50休/451出場(52場所)
  • 生涯勝率:66.7%
  • 優勝等 :幕内優勝1回(同点1・次点2),十両優勝1回,幕下優勝1回
  • 幕内戦歴:206勝104敗39休(27場所)勝率:66.5%
  •   横綱:24勝27敗25休(6場所)勝率:47.1%
  •   大関:155勝67敗14休(18場所)勝率:69.8%
  •   小結:11勝2敗(1場所)勝率:84.6%
  •   前頭:16勝8敗(2場所)勝率:66.7%
  • 十両戦歴:18勝4敗(3場所)勝率:81.8%

東富士 欽壹

左を差し、自慢の巨体を活かした重量感溢れる寄りは「怒涛の寄り身」と称された。若手の頃から大横綱双葉山にかわいがられて「キン坊!一丁来い!」と、よく稽古をつけてもらい「双葉山の後継者」としての期待が大きかった、史上初の「江戸っ子横綱」。

師匠からの大きな期待

12歳の頃にはすでに体重が75キロを超えていた勤一少年は、4代富士ヶ根親方(元小結・若湊)の熱心な誘いにひかれて富士ヶ根部屋へと入門、14歳で初土俵を踏んだ。その体格から周囲からの期待も大きかったが、いざ入ると自分より小さな新弟子にも勝てずになんと2年間も前相撲で足踏み。これには部屋の力士たちも呆れて勤一のことをバカにしていたが、素質に惚れ込んでいた師匠は「馬鹿野郎!俺はキン坊だけが頼りなんだ!」と兄弟子たちを叱った。

この師匠の言葉に発奮した勤一は前相撲を突破、昭和13年1月に「東冨士」の四股名が番付に載るとそこから順調に駆け上がっていき昭和17年1月場所での新十両を決めた。しかし残念なことではあるが、誰よりも東冨士のことを信じてくれていた師匠は、土俵上での晴れ姿を見ることなく前年の11月に亡くなっていた。

双葉山への恩返し

十両3場所目に14勝1敗で十両優勝、昭和18年5月場所で新入幕。小結を飛び越して関脇にあがった昭和19年11月場所も快調に5連勝し、迎えた6日目の対戦相手はあの双葉山。日頃の厚恩に報いようと思い切りぶつかっていった東冨士は右上手投げで快勝、その恩を返すことができた。取組後に挨拶にむかうと、双葉山から「これで安心して引退できるよ」と笑顔の祝福を受ける。その双葉山は翌日から休場、その後も1度土俵に上がっただけで翌年には引退することとなった。

初の江戸っ子横綱誕生

この場所を東冨士は9勝1敗で優勝同点、翌場所も好成績をあげ場所後に大関へと昇進した。そして昭和23年5月場所には10勝1敗で念願の初優勝。翌10月は大関・増位山との決定戦に敗れはしたが10勝1敗の好成績で場所後に横綱免許を授与された。これは大相撲史上初「江戸っ子横綱」の誕生となった。

ちなみにこの間、昭和22年6月場所を最後に5代富士ヶ根(元前頭3・若港)が部屋を閉じたこともあり、本家である高砂部屋所属へと変わっている。

あの双葉山が目を掛け、さらには最後の黒星をつけた相手でもある「新横綱」東富士への世間の期待は大きく、昇進初場所での優勝時には「東富士時代到来」と騒がれたが、その後は成績にムラがあり連敗も多かったため世間の期待にじゅうぶんには応えられなかった。

そんな東富士ではあったが昭和26年9月場所ではおおきな輝きをみせる。急性肺炎による高熱をおして出場を続けた東富士の病状は12日目にはいよいよ医師が制止するほどに。しかし東富士は「命に関わっても文句は言わぬ」と誓約書を出してまで出場、吉葉山との対戦をむかえた。この取組が「物言い取り直し、水入り、水入り後の取り直しでまた物言い」という稀にみる大熱戦となり、とうとう最後には協議の結果、これ以上の取組は危険と判断されて勝負預かりとなるほどだった。

  • 四股名 :東富士 欽壹(あずまふじ きんいち)
  • 最高位 :第40代横綱
  • 年寄名跡:7代錦戸
  • 出身地 :東京都台東区
  • 本 名 :井上 謹一
  • 生年月日:大正10年(1921)10月28日
  • 没年月日:昭和48年(1973)7月31日(享年51歳)
  • 所属部屋:富士ヶ根⇒高砂部屋
  • 改名歴 :東冨士⇒東富士
  • 初土俵 :昭和11年(1936)1月(14歳3ヵ月)
  • 新十両 :昭和17年(1942)1月(20歳3ヵ月)
  • 新入幕 :昭和18年(1943)5月(21歳7ヵ月)
  • 新三役 :昭和19年(1944)11月(23歳1ヵ月)
  • 新大関 :昭和20年(1945)11月(24歳1ヵ月)
  • 横綱昇進:昭和24年(1949)1月(27歳3ヵ月)
  • 最終場所:昭和29年(1954)9月(32歳11ヵ月)
  • 生涯戦歴:335勝137敗54休1分1預/466出場(46場所)
  • 生涯勝率:71.0%
  • 優勝等 :幕内優勝6回(同点2・次点4),十両優勝1回,幕下優勝1回
  • 幕内戦歴:261勝104敗54休1分1預(31場所)勝率:71.5%
  •   横綱:172勝74敗50休1分1預(20場所)勝率:69.9%
  •   大関:51勝15敗(6場所)勝率:77.3%
  •   関脇:15勝2敗(2場所)勝率:88.2%
  •   前頭:23勝13敗4休(3場所)勝率:63.9%
  • 十両戦歴:33勝12敗(3場所)勝率:73.3%

朝汐 太郎(3代)

鹿児島県大島郡徳之島町出身、高砂部屋の元力士。最高位は横綱。太い眉毛と胸毛がトレードマーク、横綱昇進後は脊椎分離症に悩まされた。引退後は部屋を継承し4代朝潮や小錦、水戸泉らを育てた。

  • 四股名 :朝汐 太郎(3代)(あさしお たろう)
  • 最高位 :第46代横綱
  • 年寄名跡:横綱5年・朝潮⇒13代振分5代高砂
  • 出身地 :鹿児島県大島郡徳之島町(出生地は兵庫県神戸市)
  • 本 名 :米川 文敏
  • 生年月日:昭和4年(1929)11月13日
  • 没年月日:昭和63年(1988)10月23日(享年58歳)
  • 所属部屋:高砂部屋
  • 改名歴 :米川⇒朝潮⇒朝汐⇒朝潮
  • 初土俵 :昭和23年(1948)10月・新序(18歳11ヵ月)
  • 新十両 :昭和25年(1950)9月(20歳10ヵ月)
  • 新入幕 :昭和26年(1951)1月(21歳2ヵ月)
  • 新三役 :昭和28年(1953)1月(23歳2ヵ月)
  • 新大関 :昭和32年(1957)5月(27歳6ヵ月)
  • 横綱昇進:昭和34年(1959)5月(29歳6ヵ月)
  • 最終場所:昭和37年(1962)1月(32歳2ヵ月)
  • 生涯戦歴:501勝270敗101休/766出場(59場所)
  • 生涯勝率:65.0%
  • 優勝等 :幕内優勝5回(次点3),十両優勝1回
  • 成 績 :殊勲賞4回,金星7個
  • 幕内戦歴:431勝248敗101休(52場所)勝率:63.5%
  •   横綱:102勝58敗95休(17場所)勝率:63.8%
  •   大関:117勝42敗6休(11場所)勝率:73.6%
  •   関脇:94勝56敗(10場所)勝率:62.7%
  •   小結:47勝43敗(6場所)勝率:52.2%
  •   前頭:71勝49敗(8場所)勝率:59.2%
  • 十両戦歴:14勝1敗(1場所)勝率:93.3%

朝青龍 明徳

初土俵から25場所での横綱昇進、史上初の7連覇達成など、賛否はあるが圧倒的な強さと人間味溢れる人柄は記憶にも記録にも残る横綱

  • 四股名 :朝青龍 明徳(あさしょうりゅう あきのり)
  • 最高位 :第68代横綱
  • 出身地 :モンゴル ウランバートル市
  • 本 名 :ドルゴルスレンギーン・ダグワドルジ
  • 生年月日:昭和55年(1980)9月27日
  • 所属部屋:若松⇒高砂部屋
  • 初土俵 :平成11年(1999)1月(18歳4ヵ月)
  • 新十両 :平成12年(2000)9月(20歳0ヵ月)
  • 新入幕 :平成13年(2001)1月(20歳4ヵ月)
  • 新三役 :平成13年(2001)5月(20歳8ヵ月)
  • 新大関 :平成14年(2002)9月(22歳0ヵ月)
  • 横綱昇進:平成15年(2003)3月(22歳6ヵ月)
  • 最終場所:平成22年(2010)1月(29歳4ヵ月)
  • 生涯戦歴:669勝173敗76休/838出場(67場所)
  • 生涯勝率:79.5%
  • 優勝等 :幕内優勝25回(同点1・次点7),幕下優勝1回(同点1),三段目優勝1回,序二段優勝1回
  • 成 績 :殊勲賞3回,敢闘賞3回,金星1個
  • 幕内戦歴:596勝153敗76休(55場所)勝率:79.6%
  •   横綱:463勝91敗76休(42場所)勝率:83.6%
  •   大関:38勝7敗(3場所)勝率:84.4%
  •   関脇:42勝18敗(4場所)勝率:70.0%
  •   小結:25勝20敗(3場所)勝率:55.6%
  •   前頭:28勝17敗(3場所)勝率:62.2%
  • 十両戦歴:20勝10敗(2場所)勝率:66.7%

高砂部屋の大関

朝汐 太郎(初代)

大阪相撲から東上の際、四股名が素人相撲のようだと改名を勧められたが「強くなればこの名もよい名になるでしょう」と答えた。これが今日まで続く高砂部屋の出世名に

  • 四股名 :朝汐 太郎(初代)(あさしお たろう)
  • 最高位 :大関
  • 年寄名跡:8代佐ノ山
  • 出身地 :愛媛県八幡浜市
  • 本 名 :増原 太郎吉
  • 生年月日:元治元年(1864)11月28日
  • 没年月日:大正9年(1920)8月26日(享年55歳)
  • 所属部屋:押尾川(大阪)⇒高砂部屋
  • 初土俵 :明治23年(1890)1月・十両付出(25歳2ヵ月)
  • 新入幕 :明治23年(1890)5月(25歳6ヵ月)
  • 新三役 :明治26年(1893)1月(28歳2ヵ月)
  • 新大関 :明治31年(1898)5月(33歳6ヵ月)
  • 最終場所:明治41年(1908)1月(43歳2ヵ月)
  • 生涯戦歴:144勝78敗103休32分12預/266出場(37場所)
  • 生涯勝率:64.9%
  • 優勝等 :優勝相当2回
  • 幕内戦歴:138勝76敗103休31分12預(36場所)勝率:64.5%
  •   大関:43勝24敗19休13分1預(10場所)勝率:64.2%
  •   関脇:60勝22敗35休7分6預(13場所)勝率:73.2%
  •   小結:8勝13敗4休5分(3場所)勝率:38.1%
  •   前頭:27勝17敗45休6分5預(10場所)勝率:61.4%
  • 十両戦歴:6勝2敗1分(1場所)勝率:75.0%

太刀光 電右エ門

北海道三笠市幌内町出身、高砂部屋の元力士で最高位は大関。背は低かったが、組んでも離れても巧みな相撲で左右からの投げと足技も得意。さらに左からのおっつけは名人芸とまで言われた。大相撲史上初の北海道出身大関。

22代横綱・太刀山の内弟子として友綱部屋に入門、大正2年(1913)初場所で初土俵を踏む。太刀山が大正7年(1918)1月場所で引退、独立して東関部屋を興すと移籍した。しかし翌年、相撲界に嫌気がさした7代東関(太刀山)は部屋を閉鎖、部屋の施設ごと弟子たちは高砂部屋に譲られた。

紆余曲折あったが太刀光は大正12年(1921)1月場所で新入幕。幕内4場所目となる大正11年(1922)5月場所の千秋楽では、師匠太刀山に引導を渡した横綱・大錦卯一郎を突き出して破る大金星をあげた。この大錦は翌場所前に三河島事件の責任を取り、全盛期のまま突然の引退。文字通り「仇討ちの一番」となった。

太刀光は大正12年(1923)5月場所で大関に昇進、これは北海道出身の大関第1号となる快挙であった。その後、大正15年(1926)5月場所に出羽ケ嶽に浴びせ倒された際に右足を痛めたことで以降、満足に土俵に上がれなくなった太刀光は昭和2年(1927)10月場所を最後に現役引退、年寄鳴戸を襲名した。

頭脳明晰で協会では監事の要職を務め、また新聞では相撲評を執筆するなど活躍したが、高砂部屋を継承した前田山に反発して立浪部屋へと移籍。しかしその後も高砂との対立は続いたことで協会に嫌気がさして昭和26年(1951)角界を去った。

  • 四股名 :太刀光 電右衛門(たちひかり でんえもん)
  • 最高位 :大関
  • 年寄名跡:8代鳴戸
  • 出身地 :北海道三笠市幌内町
  • 本 名 :八田 政次
  • 生年月日:明治30年(1897)3月29日
  • 没年月日:昭和27年(1952)5月15日(享年55歳)
  • 所属部屋:友綱⇒東関⇒高砂部屋
  • 初土俵 :大正2年(1913)1月(15歳10ヵ月)
  • 新十両 :大正7年(1918)5月(21歳2ヵ月)
  • 新入幕 :大正10年(1921)1月(23歳10ヵ月)
  • 新三役 :大正12年(1923)1月(25歳10ヵ月)
  • 新大関 :大正12年(1923)5月(26歳2ヵ月)
  • 最終場所:昭和2年(1927)10月(30歳7ヵ月)
  • 生涯戦歴:114勝53敗71休8分6預/181出場(32場所)
  • 生涯勝率:68.3%
  • 優勝等 :なし
  • 成 績 :金星1個
  • 幕内戦歴:67勝26敗69休6分2預(16場所)勝率:72.0%
  •   大関:35勝14敗45休2分2預(9場所)勝率:71.4%
  •   関脇:7勝1敗23休1分(3場所)勝率:87.5%
  •   前頭:25勝11敗1休3分(4場所)勝率:69.4%
  • 十両戦歴:19勝11敗1分1預(5場所)勝率:63.3%

朝潮 太郎(2代)

愛媛県西条市朔日市出身、高砂部屋の元力士で最高位は大関。8代佐ノ山(元大関・初代朝潮)の弟子。朝嵐の四股名で入幕し、のちに朝潮を名乗った。古武士を思わせる風貌で土俵態度も立派であり、「右差し五万石」と称されるほどに右を差すと強かった。大正3年(1914)夏場所9日目には無敵を誇った横綱・太刀山と右四つの大相撲を演じ、熱戦の末に胴体で倒れて預かりとなった。これが評価されて場所後に大関へと昇進。

前年に勃発していた高砂部屋の後継者争いでは弟弟子だった綾川と対立、裁判にまで発展するもこれに勝利し二枚鑑札で高砂を襲名している。

引退後は3代高砂として部屋の経営に専念、横綱・男女ノ川や前田山らを育て上げた。協会取締としても重責を担ったが、昭和7年(1932)の春秋園事件の責任を取って取締を辞した。

  • 四股名 :朝潮 太郎(2代)(あさしお たろう)
  • 最高位 :大関
  • 年寄名跡:3代高砂
  • 出身地 :愛媛県西条市朔日市
  • 本 名 :薦田 長吉⇒坪井 長吉
  • 生年月日:明治12年(1879)4月19日
  • 没年月日:昭和36年(1961)4月30日(享年82歳)
  • 所属部屋:高砂⇒佐ノ山⇒高砂部屋
  • 改名歴 :朝嵐⇒朝汐⇒朝潮
  • 初土俵 :明治34年(1901)5月・新序(22歳1ヵ月)
  • 新十両 :明治39年(1906)1月(26歳9ヵ月)
  • 新入幕 :明治40年(1907)1月(27歳9ヵ月)
  • 新三役 :明治42年(1909)1月(29歳9ヵ月)
  • 新大関 :大正4年(1915)1月(35歳9ヵ月)
  • 最終場所:大正8年(1919)5月(40歳1ヵ月)
  • 生涯戦歴:111勝67敗66休26分7預/211出場(28場所)
  • 生涯勝率:62.4%
  • 優勝等 :なし
  • 幕内戦歴:98勝64敗66休25分7預(26場所)勝率:60.5%
  •   大関:28勝13敗56休2分1預(10場所)勝率:68.3%
  •   関脇:21勝16敗5休5分3預(5場所)勝率:56.8%
  •   小結:12勝10敗1休5分2預(3場所)勝率:54.5%
  •   前頭:37勝25敗4休13分1預(8場所)勝率:59.7%
  • 十両戦歴:13勝3敗1分(2場所)勝率:81.3%

前乃山 太郎

大関昇進直後の稽古で右足を骨折、これが元で本来の相撲を失う

  • 四股名 :前乃山 太郎(まえのやま たろう)
  • 最高位 :大関
  • 年寄名跡:8代高田川⇒17代千田川
  • 出身地 :大阪府守口市
  • 本 名 :金島 和一⇒中矢 和一⇒清水 和一
  • 生年月日:昭和20年(1945)3月9日
  • 所属部屋:高砂部屋
  • 改名歴 :金島⇒金の島⇒前ノ山⇒前の山⇒前ノ山⇒前の山⇒前乃山⇒前の山
  • 初土俵 :昭和36年(1961)3月(16歳0ヵ月)
  • 新十両 :昭和40年(1965)11月(20歳8ヵ月)
  • 新入幕 :昭和41年(1966)9月(21歳6ヵ月)
  • 新三役 :昭和43年(1968)3月(23歳0ヵ月)
  • 新大関 :昭和45年(1970)9月(25歳6ヵ月)
  • 最終場所:昭和49年(1974)3月(29歳0ヵ月)
  • 生涯戦歴:487勝397敗48休/880出場(79場所)
  • 生涯勝率:55.1%
  • 優勝等 :幕内同点1・次点1回,十両優勝1回
  • 成 績 :殊勲賞3回,敢闘賞2回,金星1個
  • 幕内戦歴:343勝305敗34休(46場所)勝率:52.9%
  •   大関:67勝56敗27休(10場所)勝率:54.5%
  •   関脇:95勝70敗(11場所)勝率:57.6%
  •   小結:30勝30敗(4場所)勝率:50.0%
  •   前頭:151勝149敗7休(21場所)勝率:50.3%
  • 十両戦歴:46勝29敗(5場所)勝率:61.3%

朝潮 太郎(4代)

近大で2年連続アマチュア横綱と学生横綱を獲得し高砂部屋に入門、その風貌と話術で人気力士となりCMにも起用された。引退後は若松部屋継承の後、高砂部屋を継ぐことに。

令和2年11月26日付で17代錦島(元関脇・朝赤龍)と名跡を交換し18代錦島として部屋付き親方になった。

  • 18代・錦島 太郎
  • 四股名 :朝潮 太郎(4代)(あさしお たろう)
  • 最高位 :大関
  • 年寄名跡:15代山響⇒11代若松7代高砂⇒18代錦島
  • 出身地 :高知県室戸市
  • 本 名 :長岡 末弘
  • 生年月日:昭和30年(1955)12月9日(65歳)
  • 出身高校:高知小津高校
  • 出身大学:近畿大学
  • 所属部屋:高砂部屋
  • 改名歴 :長岡⇒朝汐⇒朝潮
  • 初土俵 :昭和53年(1978)3月・幕下60付出(22歳3ヵ月)
  • 新十両 :昭和53年(1978)7月(22歳7ヵ月)
  • 新入幕 :昭和53年(1978)11月(22歳11ヵ月)
  • 新三役 :昭和55年(1980)5月(24歳5ヵ月)
  • 新大関 :昭和58年(1983)5月(27歳5ヵ月)
  • 最終場所:平成元年(1989)3月(33歳3ヵ月)
  • 生涯戦歴:564勝382敗43休/943出場(67場所)
  • 生涯勝率:59.6%
  • 優勝等 :幕内優勝1回(同点3・次点1),十両同点1回,幕下優勝1回
  • 成 績 :殊勲賞10回,敢闘賞3回,技能賞1回,金星5個
  • 幕内戦歴:531勝371敗43休(63場所)勝率:58.9%
  •   大関:294勝203敗43休(36場所)勝率:59.2%
  •   関脇:82勝53敗(9場所)勝率:60.7%
  •   小結:44勝16敗(4場所)勝率:73.3%
  •   前頭:111勝99敗(14場所)勝率:52.9%
  • 十両戦歴:20勝10敗(2場所)勝率:66.7%

小錦 八十吉(6代)

入幕2場所目で千代の富士と隆の里から金星を獲得「黒船来襲」と騒がれた外国出身力士初の大関

  • 四股名 :小錦 八十吉(6代)(こにしき やそきち)
  • 最高位 :大関
  • 年寄名跡:15代佐ノ山
  • 出身地 :アメリカ ハワイ州オアフ島
  • 本 名 :サレバ・ファウリ・アティサノエ⇒塩田⇒小錦 八十吉
  • 生年月日:昭和38年(1963)12月31日
  • 所属部屋:高砂部屋
  • 初土俵 :昭和57年(1982)7月(18歳7ヵ月)
  • 新十両 :昭和58年(1983)11月(19歳11ヵ月)
  • 新入幕 :昭和59年(1984)7月(20歳7ヵ月)
  • 新三役 :昭和59年(1984)11月(20歳11ヵ月)
  • 新大関 :昭和62年(1987)7月(23歳7ヵ月)
  • 最終場所:平成9年(1997)11月(33歳11ヵ月)
  • 生涯戦歴:730勝498敗95休/1219出場(93場所)
  • 生涯勝率:59.4%
  • 優勝等 :幕内優勝3回(同点2・次点7),十両優勝2回(同点1),幕下同点1回,序二段優勝1回,序ノ口優勝1回
  • 成 績 :殊勲賞4回,敢闘賞5回,技能賞1回,金星2個
  • 幕内戦歴:649勝476敗89休(81場所)勝率:57.7%
  •   大関:345勝197敗43休(39場所)勝率:63.7%
  •   関脇:62勝48敗25休(9場所)勝率:56.4%
  •   小結:34勝11敗(3場所)勝率:75.6%
  •   前頭:208勝220敗21休(30場所)勝率:48.6%
  • 十両戦歴:39勝15敗6休(4場所)勝率:72.2%

朝乃山 英樹

朝乃山 英樹(あさのやま ひでき)は富山県 富山市出身、高砂部屋の力士で最高位は大関。令和3年5月場所の番付は最高位に並ぶ東 大関。

近畿大学では個人タイトルを7つ獲得、また全日本相撲選手権大会ベスト4などの実績により三段目付出資格を獲得し角界入り。

四股名の「山」の由来は、地元の“富山”に同郷の横綱“太刀山”そして亡くなった恩師の“浦山”から。下の名「英樹」も恩師から頂いた。

令和元年5月場所で幕内最高位優勝。富山出身としては太刀山以来、2人目の優勝力士であり103年ぶりとなる快挙。さらに令和初の優勝力士として相撲史に名を刻んだ。

大関昇進がかかった令和2年3月場所で11勝4敗の成績をあげて場所後に大関昇進を果たす。学生相撲出身力士としては琴光喜以来13年ぶりの大関昇進となった。大関昇進伝達式での口上は「大関の名に恥じぬよう、相撲を愛し、力士として正義を全うし、一生懸命努力します。」

四股名
朝乃山 英樹(あさのやま ひでき)
最高位
大関
最新番付
東 大関
出身地
富山県 富山市
本名
石橋 広暉
生年月日
平成6年(1994)3月1日(27歳)
出身高校
富山商業高校
出身大学
近畿大学
所属部屋
高砂部屋
改名歴
石橋⇒朝乃山
初土俵
平成28年(2016)3月・三段目100付出(22歳0ヵ月)
新十両
平成29年(2017)3月(23歳0ヵ月)
新入幕
平成29年(2017)9月(23歳6ヵ月)
新小結
令和1年(2019)11月(25歳8ヵ月)
新関脇
令和2年(2020)1月(25歳10ヵ月)
新大関
令和2年(2020)7月(26歳4ヵ月)
優勝
幕内優勝1回,幕下優勝1回
受賞・金星
殊勲賞2回,敢闘賞3回,技能賞1回,金星1個
通算成績
247勝143敗12休/389出場(勝率:63.5%)
直近7場所
55勝23敗12休
7場所勝率
71.4%
令3年5月
東 大関(半枚上昇)
0勝0敗
     |     |     
令3年3月
西 大関(半枚上昇)
10勝5敗
○●○○○|○●●○○|○○●●○
令3年1月
東 大関2(半枚降下)
11勝4敗
●○●○○|●○○○○|○●○○○
令2年11月
西 大関(半枚降下)
1勝2敗12休
○●■やや|ややややや|ややややや
令2年9月
東 大関(半枚上昇)
10勝5敗
●●●○○|○○□○□|○○○●●
令2年7月
西 大関(半枚上昇・最高位更新)
12勝3敗
○○○○○|○○○○●|○○●●○
令2年3月
東 関脇
11勝4敗
○○○○□|●○●○○|○○●●○

カテゴリー : 高砂一門

公開日:2018-07-21
投稿者:レイ

2 thoughts on “高砂部屋の力士一覧!過去から現在、高砂部屋の主な関取を網羅しました

  1. 匿名

    朝嵐大三郎は、福井県出身ではなく、大阪じゃないでしょうか?

    返信
    1. レイ 投稿作成者

      大変失礼いたしました。
      ご指摘の通り、朝嵐関は大阪府大阪市生野区出身が正しかったです。
      さっそく情報は修正させて頂きました。
      今回は申し訳ありませんでした。
      そして、ご指摘頂きまして、ありがとうございました。

      返信

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