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該当力士:30 名
第52代横綱 北の富士 勝昭
北海道旭川市十条通出身、九重部屋の元力士で最高位は横綱。長身の美男子で左四つから一気に出る速攻相撲は大いにファンを魅了した。また引退後は九重親方として弟弟子でもあった千代の富士と直弟子の北勝海を横綱へと導いた。
野球少年だった竹沢少年は北海道巡業中の千代の山に「相撲をやって東京見物をしないか?」と誘われる。これがきっかけで相撲に興味を持ち始めた竹沢少年は中学卒業と共に上京、出羽海部屋の門を叩いた。
しかし出世は遅く序二段では2年間も足踏み状態。ようやく三段目に上がったが今度は北海道巡業中に急性虫垂炎と腹膜炎を併発してしまい入院生活を余儀なくされた。後輩たちにも追い抜かれていったんは力士を辞めようかとも思ったが奮起して復帰、四股名も北の冨士へと改めてからは順調に番付を上げていき昭和38年(1963)3月場所で新十両昇進となった。
十両5場所目となる昭和38年11月場所は15戦全勝で十両優勝をあげ翌場所での新入幕を決める。その新入幕場所では新入幕力士最多勝新記録となる13勝2敗をあげて敢闘賞を受賞、一気に小結へと番付を進めた。以降、三役と平幕を往復しながら地力を蓄えていった北の冨士は昭和41年(1966)7月の場所後に新大関昇進の使者を迎える。しかし直近3場所28勝で、本人もまさかの昇進であったため何の準備もしていなかった北の富士は、兄弟子の佐田の山から紋付きを、足袋は柏戸から借りて何とか大関昇進伝達式を迎えることができた。
大関3場所目の昭和42年1月場所後、11代九重(元横綱・千代の山)が出羽海部屋からの独立を申し入れたことから北の冨士の力士人生は大きく変わる。角界入りのきっかけをつくってくれた九重か、育ててくれた出羽海かで大きく揺れ動いた北の冨士だったが、九重と行動を共にすることを決意。出羽海一門からの破門を受けてのほろ苦い船出となった。
高砂一門の九重部屋として初めて迎えた昭和42年(1967)3月場所では大いに活躍、かつての兄弟子だった横綱・佐田の山への「恩返し」も果たすなど14勝1敗で初優勝を決めた。
「ライバル」である片男波部屋の玉乃島との切磋琢磨の猛稽古が実り、北の富士は昭和44年(1969)11月と翌1月場所で連続優勝、場所後に玉乃島改め玉の海とともに横綱へと推挙された。
- 四股名 :北の富士 勝昭(きたのふじ かつあき)
- 最高位 :第52代横綱
- 年寄名跡:12代井筒⇒12代九重⇒18代陣幕
- 出身地 :北海道旭川市
- 本 名 :竹沢 勝昭
- 生年月日:昭和17年(1942)3月28日(84歳)
- 所属部屋:出羽海⇒九重部屋
- 改名歴 :竹沢⇒竹美山⇒北の冨士⇒北の富士
- 初土俵 :昭和32年(1957)1月(14歳10ヵ月)
- 新十両 :昭和38年(1963)3月(21歳0ヵ月)
- 新入幕 :昭和39年(1964)1月(21歳10ヵ月)
- 新三役 :昭和39年(1964)3月(22歳0ヵ月)
- 新大関 :昭和41年(1966)9月(24歳6ヵ月)
- 横綱昇進:昭和45年(1970)3月(28歳0ヵ月)
- 最終場所:昭和49年(1974)7月(32歳4ヵ月)
- 生涯戦歴:786勝427敗69休/1208出場(105場所)
- 生涯勝率:64.8%
- 優勝等 :幕内優勝10回(同点1・次点3),十両優勝1回,三段目同点1回
- 成 績 :殊勲賞2回,敢闘賞1回,技能賞3回,金星1個
- 幕内戦歴:592勝294敗62休(64場所)勝率:66.8%
- 横綱:247勝84敗62休(27場所)勝率:74.6%
- 大関:208勝107敗(21場所)勝率:66.0%
- 関脇:75勝60敗(9場所)勝率:55.6%
- 小結:14勝16敗(2場所)勝率:46.7%
- 前頭:48勝27敗(5場所)勝率:64.0%
- 十両戦歴:49勝26敗(5場所)勝率:65.3%
第58代横綱 千代の富士 貢
千代の富士 貢(ちよのふじ みつぐ)は北海道松前郡福島町出身、九重部屋の元力士で、最高位は第58代横綱。
昭和45年(1970)9月場所に15歳3ヶ月で初土俵を踏み、平成3年(1991)5月場所を最後に引退(35歳11ヶ月)。
通算成績は1045勝437敗170休1473出場。生涯勝率.705。通算125場所中、95場所を勝ち越した(勝ち越し率.766)。
主な成績は幕内優勝31回(次点11),幕下優勝1回。殊勲賞1回,敢闘賞1回,技能賞5回,金星3個(三重ノ海2個、若乃花1個)。
本名は秋元 貢。昭和30年(1955)6月1日生まれ。平成28年(2016)7月31日逝去(享年61歳)。
80年代の大相撲界を支えた国民的な大横綱、角界初となる国民栄誉賞も受賞、引退後は九重部屋を継承し多くの関取を育てた。
- 四股名
- 千代の富士 貢(ちよのふじ みつぐ)
- 最高位
- 第58代横綱
- 年寄名跡
- 17代陣幕 貢 → 13代九重 貢
- 出身地
- 北海道松前郡福島町
- 本名
- 秋元 貢
- 生年月日
- 昭和30年(1955)6月1日
- 没年月日
- 平成28年(2016)7月31日(享年61歳)
- 所属部屋
- 九重部屋
- 改名歴
- 秋元 貢 → 大秋元 貢 → 千代の冨士 貢 → 千代の富士 貢
- 初土俵
- 昭和45年(1970)9月 前相撲(15歳3ヶ月)
- 新十両
- 昭和49年(1974)11月(所要25場所)
- 19歳5ヶ月(初土俵から4年2ヶ月)
- 新入幕
- 昭和50年(1975)9月(所要30場所)
- 20歳3ヶ月(初土俵から5年0ヶ月)
- 新小結
- 昭和53年(1978)7月(所要47場所)
- 23歳1ヶ月(初土俵から7年10ヶ月)
- 新関脇
- 昭和55年(1980)11月(所要61場所)
- 25歳5ヶ月(初土俵から10年2ヶ月)
- 新大関
- 昭和56年(1981)3月(所要63場所)
- 25歳9ヶ月(初土俵から10年6ヶ月)
- 横綱昇進
- 昭和56年(1981)9月(所要66場所)
- 26歳3ヶ月(初土俵から11年0ヶ月)
- 最終場所
- 平成3年(1991)5月(35歳11ヶ月)
- 大相撲歴
- 125場所(20年8ヶ月)
- 通算成績
- 1045勝437敗170休1473出場(勝率.705)
- 通算125場所
- 勝ち越し95場所(勝ち越し率.766)
- 優勝等
- 幕内優勝31回(次点11),幕下優勝1回
- 受賞・金星
- 殊勲賞1回,敢闘賞1回,技能賞5回,金星3個
- 幕内戦歴
- 807勝253敗155休1052出場(勝率.761)
- 在位81場所(在位率.648)
- 勝ち越し63場所(勝ち越し率.778)
- 横綱戦歴
- 625勝112敗148休730出場(勝率.848)
- 在位59場所(在位率.472)
- 勝ち越し48場所(勝ち越し率.814)
- 大関戦歴
- 38勝7敗0休45出場(勝率.844)
- 在位3場所(在位率.024)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率1.000)
- 三役戦歴
- 46勝29敗0休75出場(勝率.613)
- 在位5場所(在位率.040)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率.600)
- 関脇戦歴
- 25勝5敗0休30出場(勝率.833)
- 在位2場所(在位率.016)
- 勝ち越し2場所(勝ち越し率1.000)
- 小結戦歴
- 21勝24敗0休45出場(勝率.467)
- 在位3場所(在位率.024)
- 勝ち越し1場所(勝ち越し率.333)
- 前頭戦歴
- 98勝105敗7休202出場(勝率.483)
- 在位14場所(在位率.112)
- 勝ち越し9場所(勝ち越し率.643)
- 十両戦歴
- 130勝120敗5休249出場(勝率.520)
- 在位17場所(在位率.136)
- 勝ち越し12場所(勝ち越し率.706)
- 関取戦歴
- 937勝373敗160休1301出場(勝率.715)
- 在位98場所(在位率.784)
- 勝ち越し75場所(勝ち越し率.765)
- 幕下以下歴
- 108勝64敗10休172出場(勝率.628)
- 在位26場所(在位率.208)
- 勝ち越し20場所(勝ち越し率.769)
第61代横綱 北勝海 信芳
北勝海 信芳(ほくとうみ のぶよし)は北海道広尾郡広尾町出身、九重部屋の元力士で、最高位は第61代横綱。
昭和54年(1979)3月場所に15歳8ヶ月で初土俵を踏み、平成4年(1992)3月場所を最後に引退(28歳9ヶ月)(※番付上は平成4年5月場所が最後)。
通算成績は591勝286敗109休874出場。生涯勝率.674。通算79場所中、59場所を勝ち越した(勝ち越し率.756)。
主な成績は幕内優勝8回(同点2,次点6),十両優勝1回,幕下優勝1回,序二段優勝1回。殊勲賞3回,敢闘賞3回,技能賞5回,金星1個(北の湖1個)。
昭和38年(1963)6月22日生まれ。本名は保志 信芳。
千代の富士との稽古で強くなった努力家。引退後は八角部屋を興す。第13代日本相撲協会理事長。
- 年寄
- 8代・八角 信芳
- 四股名
- 北勝海 信芳(ほくとうみ のぶよし)
- 最高位
- 第61代横綱
- 年寄名跡
- 五年年寄 北勝海 信芳 → 8代八角 信芳
- 出身地
- 北海道広尾郡広尾町
- 本名
- 保志 信芳
- 生年月日
- 昭和38年(1963)6月22日(62歳)
- 所属部屋
- 九重部屋
- 改名歴
- 保志 信芳 → 富士若 信芳 → 保志 信芳 → 保志 延芳 → 北勝海 信芳
- 初土俵
- 昭和54年(1979)3月 前相撲(15歳8ヶ月)
- 新十両
- 昭和58年(1983)3月(所要24場所)
- 19歳8ヶ月(初土俵から4年0ヶ月)
- 新入幕
- 昭和58年(1983)9月(所要27場所)
- 20歳2ヶ月(初土俵から4年6ヶ月)
- 新小結
- 昭和59年(1984)1月(所要29場所)
- 20歳6ヶ月(初土俵から4年10ヶ月)
- 新関脇
- 昭和59年(1984)3月(所要30場所)
- 20歳8ヶ月(初土俵から5年0ヶ月)
- 新大関
- 昭和61年(1986)9月(所要45場所)
- 23歳2ヶ月(初土俵から7年6ヶ月)
- 横綱昇進
- 昭和62年(1987)7月(所要50場所)
- 24歳0ヶ月(初土俵から8年4ヶ月)
- 最終場所
- 平成4年(1992)3月(28歳9ヶ月)※番付上は平成4年5月場所
- 大相撲歴
- 79場所(13年0ヶ月)
- 通算成績
- 591勝286敗109休874出場(勝率.674)
- 通算79場所
- 勝ち越し59場所(勝ち越し率.756)
- 優勝等
- 幕内優勝8回(同点2,次点6),十両優勝1回,幕下優勝1回,序二段優勝1回
- 受賞・金星
- 殊勲賞3回,敢闘賞3回,技能賞5回,金星1個
- 幕内戦歴
- 465勝206敗109休668出場(勝率.693)
- 在位52場所(在位率.658)
- 勝ち越し40場所(勝ち越し率.769)
- 横綱戦歴
- 250勝76敗109休323出場(勝率.767)
- 在位29場所(在位率.367)
- 勝ち越し21場所(勝ち越し率.724)
- 大関戦歴
- 56勝19敗0休75出場(勝率.747)
- 在位5場所(在位率.063)
- 勝ち越し5場所(勝ち越し率1.000)
- 三役戦歴
- 118勝77敗0休195出場(勝率.605)
- 在位13場所(在位率.165)
- 勝ち越し10場所(勝ち越し率.769)
- 関脇戦歴
- 84勝51敗0休135出場(勝率.622)
- 在位9場所(在位率.114)
- 勝ち越し7場所(勝ち越し率.778)
- 小結戦歴
- 34勝26敗0休60出場(勝率.567)
- 在位4場所(在位率.051)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率.750)
- 前頭戦歴
- 41勝34敗0休75出場(勝率.547)
- 在位5場所(在位率.063)
- 勝ち越し4場所(勝ち越し率.800)
- 十両戦歴
- 26勝19敗0休45出場(勝率.578)
- 在位3場所(在位率.038)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率1.000)
- 関取戦歴
- 491勝225敗109休713出場(勝率.686)
- 在位55場所(在位率.696)
- 勝ち越し43場所(勝ち越し率.782)
- 幕下以下歴
- 100勝61敗0休161出場(勝率.621)
- 在位23場所(在位率.291)
- 勝ち越し16場所(勝ち越し率.696)
千代大海 龍二
千代大海 龍二(ちよたいかい りゅうじ)は大分県大分市出身、九重部屋の元力士で、最高位は大関。
平成4年(1992)11月場所に16歳6ヶ月で初土俵を踏み、平成22年(2010)1月場所を最後に引退(33歳8ヶ月)。
通算成績は771勝528敗115休1288出場。生涯勝率.594。通算104場所中、76場所を勝ち越した(勝ち越し率.738)。
主な成績は幕内優勝3回(同点1,次点6),十両優勝2回,三段目優勝1回,序ノ口優勝1回。殊勲賞1回,敢闘賞1回,技能賞3回,金星1個(貴乃花1個)。
昭和51年(1976)4月29日生まれ。本名は須藤 龍二。
13代九重(千代の富士)が育てた初の幕内力士、入幕9場所目の初優勝で大関に昇進。大関在位65場所は魁皇と共に歴代1位。千代の富士の急逝によって九重部屋を継承。
- 年寄名跡
- 14代・九重 龍二
- 四股名
- 千代大海 龍二(ちよたいかい りゅうじ)
- 最高位
- 大関
- 年寄名跡
- 20代佐ノ山 龍二 → 14代九重 龍二
- 出身地
- 大分県大分市
- 本名
- 廣嶋 龍二→須藤 龍二
- 生年月日
- 昭和51年(1976)4月29日(49歳)
- 所属部屋
- 九重部屋
- 改名歴
- 廣嶋 龍二 → 千代大海 龍二
- 初土俵
- 平成4年(1992)11月 前相撲(16歳6ヶ月)
- 新十両
- 平成7年(1995)7月(所要16場所)
- 19歳2ヶ月(初土俵から2年8ヶ月)
- 新入幕
- 平成9年(1997)9月(所要29場所)
- 21歳4ヶ月(初土俵から4年10ヶ月)
- 新小結
- 平成10年(1998)5月(所要33場所)
- 22歳0ヶ月(初土俵から5年6ヶ月)
- 新関脇
- 平成10年(1998)7月(所要34場所)
- 22歳2ヶ月(初土俵から5年8ヶ月)
- 新大関
- 平成11年(1999)3月(所要38場所)
- 22歳10ヶ月(初土俵から6年4ヶ月)
- 最終場所
- 平成22年(2010)1月(33歳8ヶ月)
- 大相撲歴
- 104場所(17年2ヶ月)
- 通算成績
- 771勝528敗115休1288出場(勝率.594)
- 通算104場所
- 勝ち越し76場所(勝ち越し率.738)(勝ち越し星324)
- 優勝等
- 幕内優勝3回(同点1,次点6),十両優勝2回,三段目優勝1回,序ノ口優勝1回
- 受賞・金星
- 殊勲賞1回,敢闘賞1回,技能賞3回,金星1個
- 持給金
- 286円(勝ち越し星324個 優勝3回 金星1個)
- 幕内戦歴
- 597勝402敗115休988出場(勝率.598)
- 在位75場所(在位率.721)
- 勝ち越し54場所(勝ち越し率.720)
- 大関戦歴
- 515勝345敗115休850出場(勝率.599)
- 在位65場所(在位率.625)
- 勝ち越し46場所(勝ち越し率.708)
- 三役戦歴
- 51勝28敗0休78出場(勝率.646)
- 在位6場所(在位率.058)
- 勝ち越し5場所(勝ち越し率.833)
- 関脇戦歴
- 43勝21敗0休63出場(勝率.672)
- 在位5場所(在位率.048)
- 勝ち越し4場所(勝ち越し率.800)
- 小結戦歴
- 8勝7敗0休15出場(勝率.533)
- 在位1場所(在位率.010)
- 勝ち越し1場所(勝ち越し率1.000)
- 前頭戦歴
- 31勝29敗0休60出場(勝率.517)
- 在位4場所(在位率.038)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率.750)
- 十両戦歴
- 104勝91敗0休195出場(勝率.533)
- 在位13場所(在位率.125)
- 勝ち越し10場所(勝ち越し率.769)
- 関取戦歴
- 701勝493敗115休1183出場(勝率.587)
- 在位88場所(在位率.846)
- 勝ち越し64場所(勝ち越し率.727)
- 幕下以下歴
- 70勝35敗0休105出場(勝率.667)
- 在位15場所(在位率.144)
- 勝ち越し12場所(勝ち越し率.800)
北瀬海 弘光
北海道瀬棚郡北桧山町(現・久遠郡せたな町新成)出身、九重部屋の元力士で最高位は関脇。旭國、鷲羽山と共に「小兵トリオ」と呼ばれた。
出羽海部屋の部屋付親方だった11代九重(元横綱・千代の山)に勧誘されて出羽海部屋に入門、昭和39年(1964)7月場所で初土俵を踏んだ。のちに九重の独立に従って九重部屋へと移籍する。
稽古熱心で知られており、特に高砂部屋の富士櫻との猛稽古が有名であった北瀬海は、昭和44年(1969)9月場所で新十両へと昇進。その後、小兵故に苦労した時期もあったが昭和46年(1971)11月場所での十両優勝で弾みがつき、翌年3月場所には新入幕となった。
新入幕の昭和47年(1972)3月場所は9日目まで8勝1敗と絶好調。幕尻ながら三役との対戦も組まれたが、見事に関脇・三重ノ海(のち横綱)を倒している。昭和51年(1976)3月場所では横綱・輪島を破って金星と殊勲賞を受賞。同じく小兵の小結・鷲羽山が敢闘賞、関脇・旭國が優勝同点と技能賞受賞という活躍ぶりで小兵力士たちへの注目が高まった。翌場所、新小結に昇進、さらに7月場所には関脇昇進と北瀬海は全盛期を迎えていた。
昭和54年(1979)5月場所を最後に現役を引退。大銀杏を結えるのか?と、髪の薄さが話題になったこともあった北瀬海だが、これは鋭い立ち合いでのぶちかましを武器にしていたため髪が擦れてしまったことが原因であり、小兵力士の稽古量を物語るものでもあった。
- 四股名 :北瀬海 弘光(きたせうみ ひろみつ)
- 最高位 :関脇
- 年寄名跡:10代君ヶ濱
- 出身地 :北海道瀬棚郡北桧山町(現・久遠郡せたな町新成)
- 本 名 :土谷 孝
- 生年月日:昭和23年(1948)7月2日
- 所属部屋:出羽海⇒九重部屋
- 改名歴 :土谷⇒若狭山⇒北瀬海
- 初土俵 :昭和39年(1964)7月(16歳0ヵ月)
- 新十両 :昭和44年(1969)9月(21歳2ヵ月)
- 新入幕 :昭和47年(1972)3月(23歳8ヵ月)
- 新三役 :昭和51年(1976)5月(27歳10ヵ月)
- 最終場所:昭和54年(1979)5月(30歳10ヵ月)
- 生涯戦歴:536勝526敗6休/1060出場(90場所)
- 生涯勝率:50.5%
- 優勝等 :十両優勝1回,幕下優勝1回
- 成 績 :殊勲賞2回,技能賞1回,金星1個
- 幕内戦歴:266勝310敗6休(39場所)勝率:46.2%
- 関脇:6勝18敗6休(2場所)勝率:25.0%
- 小結:10勝5敗(1場所)勝率:66.7%
- 前頭:250勝287敗(36場所)勝率:46.6%
- 十両戦歴:135勝120敗(17場所)勝率:52.9%
北勝力 英樹
北勝力 英樹 (ほくとうりき ひでき)は栃木県大田原市出身、九重 → 八角部屋の元力士で、最高位は関脇。
平成5年(1993)3月場所に15歳4ヶ月で初土俵を踏み、平成23年(2011)5月場所を最後に引退(33歳6ヶ月)。
通算成績は573勝566敗53休1137出場。生涯勝率.504。通算109場所中、60場所を勝ち越した(勝ち越し率.556)。
主な成績は幕内(同点1 次点2)、三段目優勝1回、殊勲賞1回、敢闘賞3回、金星1個(朝青龍1個)。
昭和52年(1977)10月31日生まれ。本名は木村 英樹。
強烈な諸手突きとのど輪を武器に幕内上位で活躍し、横綱・朝青龍と優勝決定戦を演じた北勝力は、気迫あふれる取り口でファンを魅了した名力士である。現役時代はポーカーフェイスを貫いたが、引退後は「筋肉親方」として親しまれ、古巣で後進の指導にあたっている。
入門と八角部屋への移籍
東京都大田区に生まれ、両親の故郷である栃木県大田原市(旧・那須郡黒羽町)で育つ。中学生のころに父親の勧めで柔道を経験し、卒業後の平成5年(1993年)3月場所に、13代九重(第58代横綱・千代の富士)が率いる九重部屋から初土俵を踏んだ。
当時、九重部屋の部屋付き親方であった8代八角(第61代横綱・北勝海)の内弟子として「北勝力」の四股名をもらい、同年10月に八角が独立して八角部屋を創設すると、それに伴い移籍した。
長い下積みを経ての関取昇進
出世の足取りは決して早いものではなく、じっくりと地力を蓄える時期が長く続いた。突き押し相撲に磨きをかけ、初土俵から約9年の歳月を経た平成14年(2002年)1月場所において、24歳2ヶ月で新十両へ昇進する。
約9年という長い下積みを経験したが、関取昇進後は一気に才能が開花する。十両の地位をわずか2場所で通過し、同年5月場所では新入幕を果たした。この新入幕の場所で持ち前の馬力を発揮し、11勝4敗の好成績を挙げる。優勝力士に次ぐ成績を残したことが評価され、自身初となる三賞(敢闘賞)を獲得し、一躍幕内のホープとして注目を集めた。
豪快な相撲と朝青龍との死闘
幕内上位に定着すると、強烈な諸手突きと右のど輪から一気に押して出る怪力型の取り口で存在感を示した。ツボにはまれば電車道で勝負を決める豪快さを見せる一方で、四つ相撲への脆さや、突っ掛けによる立合いの不成立でブーイングを受けるなど、不器用で粗削りな面も持ち合わせていた。
強みと弱みがはっきりとしたその気迫あふれる相撲で、土俵人生の大きなハイライトとなったのが、西前頭筆頭で迎えた平成16年(2004年)5月場所である。初日から白星を重ねて13勝2敗の好成績を挙げ、全盛期の横綱・朝青龍と優勝決定戦を争った。惜しくも敗れて優勝同点となったものの、その堂々たる戦いぶりが高く評価され、殊勲賞と敢闘賞をダブル受賞している。この活躍により、続く同年7月場所では自己最高位となる西関脇へと昇進を果たした。
大怪我による引退と「筋肉親方」
その後も長きにわたり気迫あふれる相撲を見せ続けたが、晩年は怪我に苦しめられた。平成22年(2010年)9月場所での取組中に脳震盪で倒れるアクシデントに見舞われ、途中休場を余儀なくされる。翌場所以降も連続休場となったことで、平成23年(2011年)5月場所(技量審査場所)には幕下へ陥落してしまう。
10年前から痛めていた首の状態が限界に達し、医師から相撲をやめるよう進言されたこともあり、同年5月14日に現役引退を発表。引退後は年寄「谷川」を襲名した。現役時代は土俵上で感情を出さないポーカーフェイスとして知られていたが、引退後にNHKの大相撲中継で解説を務めると、筋肉への並々ならぬこだわりと巧みな話術を披露。「筋肉親方」の愛称でファンから広く親しまれる存在となった。長く八角部屋で指導にあたっていたが、平成30年(2018年)6月には自身が初土俵を踏んだ古巣の九重部屋へと転籍し、現在も裏方として若い力士たちの育成に情熱を注いでいる。
- 四股名
- 北勝力 英樹 (ほくとうりき ひでき)
- 最高位
- 関脇
- 年寄名跡
- 13代谷川 英樹(八角) → 13代谷川 英樹(九重)
- 出身地
- 東京都大田区 → 栃木県那須郡黒羽町 → 栃木県大田原市
- 本名
- 木村 英樹
- 生年月日
- 昭和52年(1977)10月31日(48歳)
- 所属部屋
- 九重 → 八角部屋
- 改名歴
- 北勝力 英樹
- 初土俵
- 平成5年(1993)3月 前相撲(15歳4ヶ月)
- 新十両
- 平成14年(2002)1月(所要53場所)
- 24歳2ヶ月(初土俵から8年10ヶ月)
- 新入幕
- 平成14年(2002)5月(所要55場所)
- 24歳6ヶ月(初土俵から9年2ヶ月)
- 新関脇
- 平成16年(2004)7月(所要68場所)
- 26歳8ヶ月(初土俵から11年4ヶ月)
- 最終場所
- 平成23年(2011)5月場所(33歳6ヶ月)
- 大相撲歴
- 109場所(18年2ヶ月)
- 通算成績
- 573勝566敗53休1137出場(勝率.504)
- 通算109場所
- 勝ち越し60場所(勝ち越し率.556)(勝ち越し星198)
- 優勝等
- 幕内(同点1 次点2),三段目優勝1回
- 受賞・金星
- 殊勲賞1回,敢闘賞3回,金星1個(朝青龍1個)
- 持給金
- 112円(勝ち越し星198個 金星1個)
- 幕内戦歴
- 329勝383敗23休710出場(勝率.463)
- 在位49場所(在位率.450)
- 勝ち越し24場所(勝ち越し率.490)
- 三役戦歴
- 3勝12敗0休15出場(勝率.200)
- 在位1場所(在位率.009)
- 勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
- 関脇戦歴
- 3勝12敗0休15出場(勝率.200)
- 在位1場所(在位率.009)
- 勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
- 前頭戦歴
- 326勝371敗23休695出場(勝率.469)
- 在位48場所(在位率.440)
- 勝ち越し24場所(勝ち越し率.500)
- 十両戦歴
- 47勝28敗15休75出場(勝率.627)
- 在位6場所(在位率.055)
- 勝ち越し4場所(勝ち越し率.667)
- 関取戦歴
- 376勝411敗38休785出場(勝率.479)
- 在位55場所(在位率.505)
- 勝ち越し28場所(勝ち越し率.509)
- 幕下以下歴
- 197勝155敗15休352出場(勝率.560)
- 在位53場所(在位率.486)
- 勝ち越し32場所(勝ち越し率.604)
北勝力 英樹の更に詳細なデータは力士名鑑で!
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- ✅ 勝った決まり手1位:押し出し(199回 / 34.7%)
- ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(167回 / 29.5%)
- ✅ 得意な相手:普天王(13勝3敗 / 勝率.812)
- ✅ 苦手な相手:琴欧洲(0勝13敗 / 勝率.000)
孝乃富士 忠雄
東京都大田区出身、九重部屋の元力士で最高位は小結。身体が大きかったことから九重(元横綱・北の富士)に勧誘され、昭和54年(1979)3月場所で初土俵を踏む。保志(のち横綱・北勝海)とは同部屋同期であり、のちに北勝海の土俵入りの際には太刀持ちを務めた。昭和60年(1985)3月場所で新十両昇進、約1年後の昭和61年(1986)5月場所で新入幕を果たす。
横綱・双羽黒には何故か強く、生涯2度の対戦でいずれも金星を奪った。東前頭9枚目で迎えた平成2年(1990)5月場所では11勝4敗と活躍し敢闘賞を受賞、翌場所には小結に昇進したが僅か2勝に終わり三役経験はこの1場所のみであった。
長身で懐が深く、右上手を取れば万全であったが立ち合いに迫力がなかったことから幕内上位には歯が立たなかった。引退後は本名の安田忠夫でプロレスに転向。
- 四股名 :孝乃富士 忠雄(たかのふじ ただお)
- 最高位 :小結
- 出身地 :東京都大田区
- 本 名 :安田 忠夫
- 生年月日:昭和38年(1963)10月9日
- 所属部屋:九重部屋
- 改名歴 :安田⇒富士の森⇒孝乃富士
- 初土俵 :昭和54年(1979)3月(15歳5ヵ月)
- 新十両 :昭和60年(1985)3月(21歳5ヵ月)
- 新入幕 :昭和61年(1986)5月(22歳7ヵ月)
- 新三役 :平成2年(1990)7月(26歳9ヵ月)
- 最終場所:平成4年(1992)5月(28歳7ヵ月)
- 生涯戦歴:418勝459敗4休/876出場(80場所)
- 生涯勝率:47.7%
- 優勝等 :三段目同点1回
- 成 績 :敢闘賞1回,金星2個
- 幕内戦歴:212勝281敗2休(33場所)勝率:43.0%
- 小結:2勝13敗(1場所)勝率:13.3%
- 前頭:210勝268敗2休(32場所)勝率:43.9%
- 十両戦歴:52勝68敗(8場所)勝率:43.3%
巴富士 俊英
千代の富士の内弟子 下手投げが得意だった
- 四股名 :巴富士 俊英(ともえふじ としひで)
- 最高位 :小結
- 出身地 :秋田県鹿角市
- 本 名 :黒澤 俊英
- 生年月日:昭和46年(1971)1月27日
- 所属部屋:九重部屋
- 改名歴 :黒澤⇒巴富士⇒巴冨士
- 初土俵 :昭和61年(1986)5月(15歳4ヵ月)
- 新十両 :平成2年(1990)7月(19歳6ヵ月)
- 新入幕 :平成3年(1991)1月(20歳0ヵ月)
- 新三役 :平成4年(1992)7月(21歳6ヵ月)
- 最終場所:平成10年(1998)9月(27歳8ヵ月)
- 生涯戦歴:354勝307敗97休/657出場(75場所)
- 生涯勝率:53.6%
- 優勝等 :十両同点1回,幕下同点1回,序二段優勝1回
- 成 績 :敢闘賞1回
- 幕内戦歴:112勝117敗26休(17場所)勝率:48.9%
- 小結:0勝2敗13休(1場所)勝率:0.0%
- 前頭:112勝115敗13休(16場所)勝率:49.3%
- 十両戦歴:86勝82敗27休(13場所)勝率:51.2%
千代天山 大八郎
新入幕から3場所連続の三賞受賞は史上初
- 四股名 :千代天山 大八郎(ちよてんざん だいはちろう)
- 最高位 :小結
- 出身地 :大阪府大阪市東住吉区
- 本 名 :角 大八郎
- 生年月日:昭和51年(1976)2月6日
- 所属部屋:九重部屋
- 改名歴 :角⇒千代天山
- 初土俵 :平成3年(1991)3月(15歳1ヵ月)
- 新十両 :平成9年(1997)1月(20歳11ヵ月)
- 新入幕 :平成11年(1999)1月(22歳11ヵ月)
- 新三役 :平成11年(1999)7月(23歳5ヵ月)
- 最終場所:平成20年(2008)1月(31歳11ヵ月)
- 生涯戦歴:519勝541敗33休/1055出場(102場所)
- 生涯勝率:49.0%
- 優勝等 :十両優勝1回(同点1),序二段同点1回
- 成 績 :殊勲賞1回,敢闘賞2回,金星3個
- 幕内戦歴:144勝181敗20休(23場所)勝率:44.3%
- 小結:3勝12敗(1場所)勝率:20.0%
- 前頭:141勝169敗20休(22場所)勝率:45.5%
- 十両戦歴:184勝206敗(26場所)勝率:47.2%
千代鳳 祐樹
千代鳳 祐樹 (ちよおおとり ゆうき)は鹿児島県志布志市出身、九重部屋の元力士で、最高位は小結。
平成20年(2008)5月場所に15歳7ヶ月で初土俵を踏み、令和3年(2021)11月場所を最後に引退(29歳1ヶ月)。
通算成績は430勝363敗104休785出場。生涯勝率.548。通算80場所中、43場所を勝ち越した(勝ち越し率.544)。
主な成績は十両優勝1回、幕下(同点2)、序二段優勝1回。
平成4年(1992)10月11日生まれ。本名は木下 祐樹。
幼少期から柔道と相撲で鍛え上げた身体を武器に、若くして関取の座を掴んだ千代鳳は、突き押しと叩きへの強さを持ち味に三役まで昇進した名力士である。度重なる大怪我に苦しめられながらも、不屈の闘志で土俵を務め上げたその歩みは、多くの相撲ファンの記憶に刻まれている。
幼少期の活躍と九重部屋への入門
鹿児島県志布志市で育ち、小学生の頃から柔道と相撲に打ち込んだ。柔道では黒帯を取得して全国大会に出場する腕前を持ち、相撲でも小学6年次にわんぱく相撲全国大会でベスト16に入るなど、早くから類まれな格闘センスを示していた。
中学校卒業後の平成20年(2008年)5月場所、一足先に入門していた兄(のちの千代丸)を追うように、13代九重(第58代横綱・千代の富士)が率いる九重部屋へと入門。「大木下」の四股名で初土俵を踏んだ。入門後は順調に番付を上げ、平成21年(2009年)9月場所では序二段優勝を飾る。翌11月場所での三段目昇進を機に、四股名を「千代鳳」へと改名した。
10代での新十両と幕内への出世
改名後も着実に地力をつけ、初土俵から約4年となる平成24年(2012年)3月場所に新十両へ昇進。このとき19歳5ヶ月であり、10代での関取昇進という見事なスピード出世であった。さらに、初土俵から丸5年となる平成25年(2013年)5月場所では新入幕を果たし、幕内の土俵へと駆け上がった。
幕内と十両を行き来する時期もあったが、東十両2枚目で迎えた平成25年(2013年)11月場所では、13勝2敗の好成績で十両優勝を果たす。翌平成26年(2014年)1月場所では兄の千代丸が十両優勝を飾っており、史上初となる「兄弟による十両連続優勝」の歴史的快挙へと繋がる、価値ある賜杯であった。
新三役への飛躍と怪我との闘い
再び幕内へ定着すると、容易なことでは前に落ちない足腰の良さと、相手の叩きに滅法強い突き押し相撲を武器に白星を重ねた。その実力が結実し、平成26年(2014年)5月場所では自己最高位となる西小結へ昇進し、新三役の座を掴み取った。
しかし、三役昇進後は度重なる怪我との闘いとなる。右肩の脱臼や左膝の怪我などの影響により休場が重なり、幕内から幕下、さらには三段目へと大きく番付を落とす試練を味わった。それでも決して土俵を諦めることなく、猛稽古で再び十両へ復帰するなど、執念の相撲を取り続けた。長年にわたり怪我と向き合いながら土俵を務めたが、東幕下12枚目で迎えた令和3年(2021年)11月場所を最後に現役引退を発表した。
引退後は年寄「佐ノ山」を襲名し(のちに大山、錦島へと名跡変更)、日本相撲協会に残って後進の指導にあたっている。怪我に泣きながらも相撲に懸けたその情熱と確かな技術は、指導者となった現在も若い力士たちへと受け継がれている。
- 四股名
- 千代鳳 祐樹 (ちよおおとり ゆうき)
- 最高位
- 小結
- 年寄名跡
- 23代佐ノ山 祐樹(九重) → 13代大山 祐樹(九重) → 20代錦島 祐樹(九重)
- 出身地
- 鹿児島県志布志市
- 本名
- 木下 祐樹
- 生年月日
- 平成4年(1992)10月11日(33歳)
- 所属部屋
- 九重部屋
- 改名歴
- 大木下 祐樹 → 千代鳳 祐樹
- 初土俵
- 平成20年(2008)5月 前相撲(15歳7ヶ月)
- 新十両
- 平成24年(2012)3月(所要22場所)
- 19歳5ヶ月(初土俵から3年10ヶ月)
- 新入幕
- 平成25年(2013)5月(所要29場所)
- 20歳7ヶ月(初土俵から5年0ヶ月)
- 新小結
- 平成26年(2014)5月(所要35場所)
- 21歳7ヶ月(初土俵から6年0ヶ月)
- 最終場所
- 令和3年(2021)11月場所(29歳1ヶ月)
- 大相撲歴
- 80場所(13年6ヶ月)
- 通算成績
- 430勝363敗104休785出場(勝率.548)
- 通算80場所
- 勝ち越し43場所(勝ち越し率.544)(勝ち越し星154)
- 優勝等
- 十両優勝1回,幕下(同点2),序二段優勝1回
- 持給金
- 80円(勝ち越し星154個)
- 幕内戦歴
- 125勝138敗22休259出場(勝率.483)
- 在位19場所(在位率.237)
- 勝ち越し8場所(勝ち越し率.421)
- 三役戦歴
- 5勝10敗0休15出場(勝率.333)
- 在位1場所(在位率.013)
- 勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
- 小結戦歴
- 5勝10敗0休15出場(勝率.333)
- 在位1場所(在位率.013)
- 勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
- 前頭戦歴
- 120勝128敗22休244出場(勝率.492)
- 在位18場所(在位率.225)
- 勝ち越し8場所(勝ち越し率.444)
- 十両戦歴
- 164勝143敗53休303出場(勝率.541)
- 在位24場所(在位率.300)
- 勝ち越し11場所(勝ち越し率.458)
- 関取戦歴
- 289勝281敗75休562出場(勝率.514)
- 在位43場所(在位率.537)
- 勝ち越し19場所(勝ち越し率.442)
- 幕下以下歴
- 141勝82敗29休223出場(勝率.632)
- 在位36場所(在位率.450)
- 勝ち越し24場所(勝ち越し率.667)
千代鳳 祐樹の更に詳細なデータは力士名鑑で!
名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。
- ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(148回 / 33.9%)
- ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(99回 / 27.0%)
- ✅ 得意な相手:徳真鵬(9勝0敗 / 勝率1.000)
- ✅ 苦手な相手:美ノ海(0勝10敗 / 勝率.000)
千代大龍 秀政
千代大龍 秀政(ちよたいりゅう ひでまさ)は東京都荒川区出身、九重部屋の元力士で、最高位は小結。
平成23年(2011)5月場所に22歳5ヶ月で初土俵を踏み、令和4年(2022)11月場所を最後に引退(34歳0ヶ月)。
通算成績は463勝483敗50休938出場。生涯勝率.489。通算69場所中、32場所を勝ち越した(勝ち越し率.464)。
主な成績は十両優勝1回。技能賞1回,金星3個(日馬富士2個、稀勢の里1個)。
昭和63年(1988)11月14日生まれ。本名は明月院 秀政。
葛飾区の白鳥相撲教室出身。平成22年(2010)には全国学生相撲選手権大会で優勝を果たして学生横綱のタイトルを獲得、これは元小結垣添に次ぐ日体大2人目の学生横綱だった。幕下15枚目格付出での初土俵は蜂窩織炎のため途中休場となったが、その後3場所連続勝ち越しで十両に昇進、その新十両場所を優勝で飾った。強烈な立ち合いからの叩き込みは「MSP(明月院スペシャル)」と巷で呼ばれる強烈な武器。
令和4年(2022)11月場所8日目の朝に引退届を提出。
- 四股名
- 千代大龍 秀政(ちよたいりゅう ひでまさ)
- 最高位
- 小結
- 出身地
- 東京都荒川区
- 本名
- 明月院 秀政
- 生年月日
- 昭和63年(1988)11月14日
- 出身高校
- 足立新田高校
- 出身大学
- 日本体育大学
- 所属部屋
- 九重部屋
- 改名歴
- 明月院 秀政 → 千代大龍 秀政
- 初土俵
- 平成23年(2011)5月 幕下15枚目格付出(22歳5ヶ月)
- 新十両
- 平成24年(2012)1月(所要4場所)
- 23歳1ヶ月(初土俵から0年8ヶ月)
- 新入幕
- 平成24年(2012)5月(所要6場所)
- 23歳5ヶ月(初土俵から1年0ヶ月)
- 新小結
- 平成26年(2014)9月(所要20場所)
- 25歳10ヶ月(初土俵から3年4ヶ月)
- 最終場所
- 令和4年(2022)11月(34歳0ヶ月)
- 大相撲歴
- 69場所(11年6ヶ月)
- 通算成績
- 463勝483敗50休938出場(勝率.489)
- 通算69場所
- 勝ち越し32場所(勝ち越し率.464)(勝ち越し星100)
- 優勝等
- 十両優勝1回
- 受賞・金星
- 技能賞1回,金星3個
- 持給金
- 114円50銭(勝ち越し星100個 金星3個)
- 幕内戦歴
- 384勝433敗46休810出場(勝率.470)
- 在位58場所(在位率.841)
- 勝ち越し24場所(勝ち越し率.414)
- 小結戦歴
- 5勝21敗4休25出場(勝率.192)
- 在位2場所(在位率.029)
- 勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
- 前頭戦歴
- 379勝412敗42休785出場(勝率.479)
- 在位56場所(在位率.812)
- 勝ち越し24場所(勝ち越し率.429)
- 十両戦歴
- 63勝42敗0休105出場(勝率.600)
- 在位7場所(在位率.101)
- 勝ち越し5場所(勝ち越し率.714)
- 関取戦歴
- 447勝475敗46休915出場(勝率.485)
- 在位65場所(在位率.942)
- 勝ち越し29場所(勝ち越し率.446)
- 幕下以下歴
- 16勝8敗4休23出場(勝率.667)
- 在位4場所(在位率.058)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率.750)
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第11代・九重 雅信 (元横綱・千代ノ山)
在任期間(昭和42年(1967年)1月31日~昭和52年(1977年)10月29日)
千代の山 雅信 (ちよのやま まさのぶ)は北海道松前郡出身、出羽海部屋の元力士で、最高位は横綱。
昭和17年(1942)1月場所に15歳7ヶ月で初土俵を踏み、昭和34年(1959)1月場所を最後に引退(32歳7ヶ月)。
通算成績は403勝158敗147休2分557出場。生涯勝率.724。通算54場所中、39場所を勝ち越した(勝ち越し率.750)。
主な成績は幕内優勝6回(次点6)、十両優勝2回、殊勲賞1回、敢闘賞1回、金星3個(羽黒山1個、照國1個、田山1個)。
本名は杉村 昌治。大正15年(1926)6月2日生まれ。昭和52年(1977)10月29日逝去(享年51歳)。
部屋の継承を巡って耐え忍んだが出羽海一門からの破門を条件に独立、大関だった北の富士らを連れて九重部屋を興す。
- 四股名
- 千代の山 雅信 (ちよのやま まさのぶ)
- 最高位
- 横綱
- 年寄名跡
- 11代九重 雅信(出羽海) → 11代九重 雅信
- 出身地
- 北海道松前郡
- 本名
- 杉村 昌治
- 生年月日
- 大正15年(1926)6月2日
- 没年月日
- 昭和52年(1977)10月29日(享年51歳)
- 所属部屋
- 出羽海部屋
- 改名歴
- 杉村 昌治 → 千代ノ山 昌治 → 千代ノ山 雅信 → 千代の山 雅信
- 初土俵
- 昭和17年(1942)1月 本中(15歳7ヶ月)
- 新十両
- 昭和19年(1944)11月(所要6場所)
- 18歳5ヶ月(初土俵から2年10ヶ月)
- 新入幕
- 昭和20年(1945)11月(所要8場所)
- 19歳5ヶ月(初土俵から3年10ヶ月)
- 新関脇
- 昭和22年(1947)6月(所要10場所)
- 21歳0ヶ月(初土俵から5年5ヶ月)
- 新大関
- 昭和24年(1949)10月(所要16場所)
- 23歳4ヶ月(初土俵から7年9ヶ月)
- 新横綱
- 昭和26年(1951)9月(所要22場所)
- 25歳3ヶ月(初土俵から9年8ヶ月)
- 最終場所
- 昭和34年(1959)1月場所(32歳7ヶ月)
- 大相撲歴
- 54場所(17年0ヶ月)
- 通算成績
- 403勝158敗147休2分557出場(勝率.724)
- 通算54場所
- 勝ち越し39場所(勝ち越し率.750)(勝ち越し星257)
- 優勝等
- 幕内優勝6回(次点6),十両優勝2回
- 受賞・金星
- 殊勲賞1回,敢闘賞1回,金星3個(羽黒山1個、照國1個、田山1個)
- 持給金
- 404円50銭(勝ち越し星257個 優勝6回 金星3個)
- 横綱戦歴
- 239勝103敗137休1分337出場(勝率.709)
- 在位32場所(在位率.593)
- 勝ち越し21場所(勝ち越し率.656)
- 大関戦歴
- 67勝23敗0休90出場(勝率.744)
- 在位6場所(在位率.111)
- 勝ち越し6場所(勝ち越し率1.000)
- 幕内戦歴
- 366勝149敗147休2分511出場(勝率.716)
- 在位46場所(在位率.852)
- 勝ち越し33場所(勝ち越し率.717)
- 三役戦歴
- 24勝14敗10休1分39出場(勝率.615)
- 在位4場所(在位率.074)
- 勝ち越し2場所(勝ち越し率.500)
- 関脇戦歴
- 24勝14敗10休1分39出場(勝率.615)
- 在位4場所(在位率.074)
- 勝ち越し2場所(勝ち越し率.500)
- 前頭戦歴
- 36勝9敗0休45出場(勝率.800)
- 在位4場所(在位率.074)
- 勝ち越し4場所(勝ち越し率1.000)
- 十両戦歴
- 14勝3敗0休17出場(勝率.824)
- 在位2場所(在位率.037)
- 勝ち越し2場所(勝ち越し率1.000)
- 関取戦歴
- 380勝152敗147休2分528出場(勝率.720)
- 在位48場所(在位率.889)
- 勝ち越し35場所(勝ち越し率.729)
- 幕下以下歴
- 23勝6敗0休29出場(勝率.793)
- 在位4場所(在位率.074)
- 勝ち越し4場所(勝ち越し率1.000)
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- ✅ 勝った決まり手1位:突き出し(75回 / 20.3%)
- ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(56回 / 37.6%)
- ✅ 得意な相手:若葉山(11勝0敗 / 勝率1.000)
- ✅ 苦手な相手:鏡里(8勝15敗 / 勝率.348)
第12代・九重 勝昭 (元横綱・北の富士)
在任期間(昭和52年(1977年)10月30日~平成4年(1992年)3月31日)
北海道旭川市十条通出身、九重部屋の元力士で最高位は横綱。長身の美男子で左四つから一気に出る速攻相撲は大いにファンを魅了した。また引退後は九重親方として弟弟子でもあった千代の富士と直弟子の北勝海を横綱へと導いた。
野球少年だった竹沢少年は北海道巡業中の千代の山に「相撲をやって東京見物をしないか?」と誘われる。これがきっかけで相撲に興味を持ち始めた竹沢少年は中学卒業と共に上京、出羽海部屋の門を叩いた。
しかし出世は遅く序二段では2年間も足踏み状態。ようやく三段目に上がったが今度は北海道巡業中に急性虫垂炎と腹膜炎を併発してしまい入院生活を余儀なくされた。後輩たちにも追い抜かれていったんは力士を辞めようかとも思ったが奮起して復帰、四股名も北の冨士へと改めてからは順調に番付を上げていき昭和38年(1963)3月場所で新十両昇進となった。
十両5場所目となる昭和38年11月場所は15戦全勝で十両優勝をあげ翌場所での新入幕を決める。その新入幕場所では新入幕力士最多勝新記録となる13勝2敗をあげて敢闘賞を受賞、一気に小結へと番付を進めた。以降、三役と平幕を往復しながら地力を蓄えていった北の冨士は昭和41年(1966)7月の場所後に新大関昇進の使者を迎える。しかし直近3場所28勝で、本人もまさかの昇進であったため何の準備もしていなかった北の富士は、兄弟子の佐田の山から紋付きを、足袋は柏戸から借りて何とか大関昇進伝達式を迎えることができた。
大関3場所目の昭和42年1月場所後、11代九重(元横綱・千代の山)が出羽海部屋からの独立を申し入れたことから北の冨士の力士人生は大きく変わる。角界入りのきっかけをつくってくれた九重か、育ててくれた出羽海かで大きく揺れ動いた北の冨士だったが、九重と行動を共にすることを決意。出羽海一門からの破門を受けてのほろ苦い船出となった。
高砂一門の九重部屋として初めて迎えた昭和42年(1967)3月場所では大いに活躍、かつての兄弟子だった横綱・佐田の山への「恩返し」も果たすなど14勝1敗で初優勝を決めた。
「ライバル」である片男波部屋の玉乃島との切磋琢磨の猛稽古が実り、北の富士は昭和44年(1969)11月と翌1月場所で連続優勝、場所後に玉乃島改め玉の海とともに横綱へと推挙された。
- 四股名 :北の富士 勝昭(きたのふじ かつあき)
- 最高位 :第52代横綱
- 年寄名跡:12代井筒⇒12代九重⇒18代陣幕
- 出身地 :北海道旭川市
- 本 名 :竹沢 勝昭
- 生年月日:昭和17年(1942)3月28日(84歳)
- 所属部屋:出羽海⇒九重部屋
- 改名歴 :竹沢⇒竹美山⇒北の冨士⇒北の富士
- 初土俵 :昭和32年(1957)1月(14歳10ヵ月)
- 新十両 :昭和38年(1963)3月(21歳0ヵ月)
- 新入幕 :昭和39年(1964)1月(21歳10ヵ月)
- 新三役 :昭和39年(1964)3月(22歳0ヵ月)
- 新大関 :昭和41年(1966)9月(24歳6ヵ月)
- 横綱昇進:昭和45年(1970)3月(28歳0ヵ月)
- 最終場所:昭和49年(1974)7月(32歳4ヵ月)
- 生涯戦歴:786勝427敗69休/1208出場(105場所)
- 生涯勝率:64.8%
- 優勝等 :幕内優勝10回(同点1・次点3),十両優勝1回,三段目同点1回
- 成 績 :殊勲賞2回,敢闘賞1回,技能賞3回,金星1個
- 幕内戦歴:592勝294敗62休(64場所)勝率:66.8%
- 横綱:247勝84敗62休(27場所)勝率:74.6%
- 大関:208勝107敗(21場所)勝率:66.0%
- 関脇:75勝60敗(9場所)勝率:55.6%
- 小結:14勝16敗(2場所)勝率:46.7%
- 前頭:48勝27敗(5場所)勝率:64.0%
- 十両戦歴:49勝26敗(5場所)勝率:65.3%
第13代・九重 貢 (元横綱・千代の富士)
在任期間(平成4年(1992年)4月1日~平成28年(2016年)7月31日)
千代の富士 貢(ちよのふじ みつぐ)は北海道松前郡福島町出身、九重部屋の元力士で、最高位は第58代横綱。
昭和45年(1970)9月場所に15歳3ヶ月で初土俵を踏み、平成3年(1991)5月場所を最後に引退(35歳11ヶ月)。
通算成績は1045勝437敗170休1473出場。生涯勝率.705。通算125場所中、95場所を勝ち越した(勝ち越し率.766)。
主な成績は幕内優勝31回(次点11),幕下優勝1回。殊勲賞1回,敢闘賞1回,技能賞5回,金星3個(三重ノ海2個、若乃花1個)。
本名は秋元 貢。昭和30年(1955)6月1日生まれ。平成28年(2016)7月31日逝去(享年61歳)。
80年代の大相撲界を支えた国民的な大横綱、角界初となる国民栄誉賞も受賞、引退後は九重部屋を継承し多くの関取を育てた。
- 四股名
- 千代の富士 貢(ちよのふじ みつぐ)
- 最高位
- 第58代横綱
- 年寄名跡
- 17代陣幕 貢 → 13代九重 貢
- 出身地
- 北海道松前郡福島町
- 本名
- 秋元 貢
- 生年月日
- 昭和30年(1955)6月1日
- 没年月日
- 平成28年(2016)7月31日(享年61歳)
- 所属部屋
- 九重部屋
- 改名歴
- 秋元 貢 → 大秋元 貢 → 千代の冨士 貢 → 千代の富士 貢
- 初土俵
- 昭和45年(1970)9月 前相撲(15歳3ヶ月)
- 新十両
- 昭和49年(1974)11月(所要25場所)
- 19歳5ヶ月(初土俵から4年2ヶ月)
- 新入幕
- 昭和50年(1975)9月(所要30場所)
- 20歳3ヶ月(初土俵から5年0ヶ月)
- 新小結
- 昭和53年(1978)7月(所要47場所)
- 23歳1ヶ月(初土俵から7年10ヶ月)
- 新関脇
- 昭和55年(1980)11月(所要61場所)
- 25歳5ヶ月(初土俵から10年2ヶ月)
- 新大関
- 昭和56年(1981)3月(所要63場所)
- 25歳9ヶ月(初土俵から10年6ヶ月)
- 横綱昇進
- 昭和56年(1981)9月(所要66場所)
- 26歳3ヶ月(初土俵から11年0ヶ月)
- 最終場所
- 平成3年(1991)5月(35歳11ヶ月)
- 大相撲歴
- 125場所(20年8ヶ月)
- 通算成績
- 1045勝437敗170休1473出場(勝率.705)
- 通算125場所
- 勝ち越し95場所(勝ち越し率.766)
- 優勝等
- 幕内優勝31回(次点11),幕下優勝1回
- 受賞・金星
- 殊勲賞1回,敢闘賞1回,技能賞5回,金星3個
- 幕内戦歴
- 807勝253敗155休1052出場(勝率.761)
- 在位81場所(在位率.648)
- 勝ち越し63場所(勝ち越し率.778)
- 横綱戦歴
- 625勝112敗148休730出場(勝率.848)
- 在位59場所(在位率.472)
- 勝ち越し48場所(勝ち越し率.814)
- 大関戦歴
- 38勝7敗0休45出場(勝率.844)
- 在位3場所(在位率.024)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率1.000)
- 三役戦歴
- 46勝29敗0休75出場(勝率.613)
- 在位5場所(在位率.040)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率.600)
- 関脇戦歴
- 25勝5敗0休30出場(勝率.833)
- 在位2場所(在位率.016)
- 勝ち越し2場所(勝ち越し率1.000)
- 小結戦歴
- 21勝24敗0休45出場(勝率.467)
- 在位3場所(在位率.024)
- 勝ち越し1場所(勝ち越し率.333)
- 前頭戦歴
- 98勝105敗7休202出場(勝率.483)
- 在位14場所(在位率.112)
- 勝ち越し9場所(勝ち越し率.643)
- 十両戦歴
- 130勝120敗5休249出場(勝率.520)
- 在位17場所(在位率.136)
- 勝ち越し12場所(勝ち越し率.706)
- 関取戦歴
- 937勝373敗160休1301出場(勝率.715)
- 在位98場所(在位率.784)
- 勝ち越し75場所(勝ち越し率.765)
- 幕下以下歴
- 108勝64敗10休172出場(勝率.628)
- 在位26場所(在位率.208)
- 勝ち越し20場所(勝ち越し率.769)
第14代・九重 龍二 (元大関・千代大海)
在任期間(平成28年(2016年)8月3日~ )
千代大海 龍二(ちよたいかい りゅうじ)は大分県大分市出身、九重部屋の元力士で、最高位は大関。
平成4年(1992)11月場所に16歳6ヶ月で初土俵を踏み、平成22年(2010)1月場所を最後に引退(33歳8ヶ月)。
通算成績は771勝528敗115休1288出場。生涯勝率.594。通算104場所中、76場所を勝ち越した(勝ち越し率.738)。
主な成績は幕内優勝3回(同点1,次点6),十両優勝2回,三段目優勝1回,序ノ口優勝1回。殊勲賞1回,敢闘賞1回,技能賞3回,金星1個(貴乃花1個)。
昭和51年(1976)4月29日生まれ。本名は須藤 龍二。
13代九重(千代の富士)が育てた初の幕内力士、入幕9場所目の初優勝で大関に昇進。大関在位65場所は魁皇と共に歴代1位。千代の富士の急逝によって九重部屋を継承。
- 年寄名跡
- 14代・九重 龍二
- 四股名
- 千代大海 龍二(ちよたいかい りゅうじ)
- 最高位
- 大関
- 年寄名跡
- 20代佐ノ山 龍二 → 14代九重 龍二
- 出身地
- 大分県大分市
- 本名
- 廣嶋 龍二→須藤 龍二
- 生年月日
- 昭和51年(1976)4月29日(49歳)
- 所属部屋
- 九重部屋
- 改名歴
- 廣嶋 龍二 → 千代大海 龍二
- 初土俵
- 平成4年(1992)11月 前相撲(16歳6ヶ月)
- 新十両
- 平成7年(1995)7月(所要16場所)
- 19歳2ヶ月(初土俵から2年8ヶ月)
- 新入幕
- 平成9年(1997)9月(所要29場所)
- 21歳4ヶ月(初土俵から4年10ヶ月)
- 新小結
- 平成10年(1998)5月(所要33場所)
- 22歳0ヶ月(初土俵から5年6ヶ月)
- 新関脇
- 平成10年(1998)7月(所要34場所)
- 22歳2ヶ月(初土俵から5年8ヶ月)
- 新大関
- 平成11年(1999)3月(所要38場所)
- 22歳10ヶ月(初土俵から6年4ヶ月)
- 最終場所
- 平成22年(2010)1月(33歳8ヶ月)
- 大相撲歴
- 104場所(17年2ヶ月)
- 通算成績
- 771勝528敗115休1288出場(勝率.594)
- 通算104場所
- 勝ち越し76場所(勝ち越し率.738)(勝ち越し星324)
- 優勝等
- 幕内優勝3回(同点1,次点6),十両優勝2回,三段目優勝1回,序ノ口優勝1回
- 受賞・金星
- 殊勲賞1回,敢闘賞1回,技能賞3回,金星1個
- 持給金
- 286円(勝ち越し星324個 優勝3回 金星1個)
- 幕内戦歴
- 597勝402敗115休988出場(勝率.598)
- 在位75場所(在位率.721)
- 勝ち越し54場所(勝ち越し率.720)
- 大関戦歴
- 515勝345敗115休850出場(勝率.599)
- 在位65場所(在位率.625)
- 勝ち越し46場所(勝ち越し率.708)
- 三役戦歴
- 51勝28敗0休78出場(勝率.646)
- 在位6場所(在位率.058)
- 勝ち越し5場所(勝ち越し率.833)
- 関脇戦歴
- 43勝21敗0休63出場(勝率.672)
- 在位5場所(在位率.048)
- 勝ち越し4場所(勝ち越し率.800)
- 小結戦歴
- 8勝7敗0休15出場(勝率.533)
- 在位1場所(在位率.010)
- 勝ち越し1場所(勝ち越し率1.000)
- 前頭戦歴
- 31勝29敗0休60出場(勝率.517)
- 在位4場所(在位率.038)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率.750)
- 十両戦歴
- 104勝91敗0休195出場(勝率.533)
- 在位13場所(在位率.125)
- 勝ち越し10場所(勝ち越し率.769)
- 関取戦歴
- 701勝493敗115休1183出場(勝率.587)
- 在位88場所(在位率.846)
- 勝ち越し64場所(勝ち越し率.727)
- 幕下以下歴
- 70勝35敗0休105出場(勝率.667)
- 在位15場所(在位率.144)
- 勝ち越し12場所(勝ち越し率.800)