北海道出身の過去から現在までの主な力士をご紹介する北海道の大相撲力士まとめ!この記事では北海道出身の関取を中心に、北海道の郷土力士をご紹介していきます。
過去の力士については最高位や改名歴、初土俵や各段の昇進時期と最終場所、さらに生涯戦歴と生涯勝率、成績等を中心にご紹介していきます。また、現役力士については最高位と昇進時期、主な成績などを載せています。
なお、年寄名跡欄の
現役の北海道出身力士の最新番付や成績、詳細なデータをご覧になりたい方はこちら
相撲部屋や出身地ごとの場所の成績からランキングを作成しております。初場所、好調な相撲部屋や力士の出身地はどこ?
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北海道出身の優勝力士
優勝制度が制定された明治42年(1909)6月場所以降、13人の北海道出身の幕内最高優勝力士が誕生しています。総優勝回数はなんと120回にもなるんですよ。
北海道出身初優勝はいつで誰?
北海道出身力士で初の優勝は、昭和24年(1949)10月場所での大関・千代ノ山でした。その後も千代ノ山は優勝を重ね横綱へも昇進、通算で6度の優勝を飾りました。
北海道出身の優勝力士一覧
では北海道出身の幕内優勝力士を年月順で一覧表にして見てみましょう。
№ | 四股名 | 優勝場所 | 回数 | 優勝時の番付 | 部屋 | 出身地 | 最高位 | 成績 | 四股名 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 千代ノ山 | 昭和24年10月 | 初 | 西大関 | 出羽海 | 北海道 | 41代横綱 | 13勝2敗 | 千代ノ山 | 北海道出身力士初の優勝 |
2 | 千代ノ山 | 昭和25年1月 | 2回目 | 東大関 | 出羽海 | 北海道 | 41代横綱 | 12勝3敗 | 千代ノ山 | |
3 | 千代ノ山 | 昭和26年5月 | 3回目 | 東大関 | 出羽海 | 北海道 | 41代横綱 | 14勝1敗 | 千代ノ山 | 3度目の優勝後、横綱へと昇進 |
4 | 吉葉山 | 昭和29年1月 | 初 | 東大関 | 高島 (現・友綱) |
北海道 | 43代横綱 | 15勝0敗 | 吉葉山 | 全勝で悲願の初優勝。大雪のなか行われた優勝パレードは 「雪の全勝行進」と称され、大勢のファンが歓喜した |
5 | 千代の山 | 昭和30年1月 | 4回目 | 東横綱 | 出羽海 | 北海道 | 41代横綱 | 12勝3敗 | 千代の山 | 横綱昇進から3年余り、13場所目にて初の横綱での優勝 |
6 | 千代の山 | 昭和30年3月 | 5回目 | 東横綱 | 出羽海 | 北海道 | 41代横綱 | 13勝2敗 | 千代の山 | |
7 | 千代の山 | 昭和32年1月 | 6回目 | 西横綱(張出) | 出羽海 | 北海道 | 41代横綱 | 15勝0敗 | 千代の山 | |
8 | 安念山 | 昭和32年5月 | 初 | 西小結 | 立浪 | 北海道 | 関脇 | 13勝2敗 | 安念山 | のちに羽黒山へと改名 |
9 | 大鵬 | 昭和35年11月 | 初 | 東関脇 | 二所ノ関 2013 |
北海道 | 48代横綱 | 13勝2敗 | 大鵬 | 当時の史上最年少記録である20歳5ヵ月での幕内優勝 |
10 | 大鵬 | 昭和36年7月 | 2回目 | 東大関 | 二所ノ関 2013 |
北海道 | 48代横綱 | 13勝2敗 | 大鵬 | |
11 | 大鵬 | 昭和36年9月 | 3回目 | 東大関 | 二所ノ関 2013 |
北海道 | 48代横綱 | 12勝3敗 | 大鵬 | 場所後に21歳3ヵ月で横綱へと昇進。(柏戸との同時昇進) |
12 | 大鵬 | 昭和36年11月 | 4回目 | 西横綱 | 二所ノ関 2013 |
北海道 | 48代横綱 | 13勝2敗 | 大鵬 | |
13 | 大鵬 | 昭和37年1月 | 5回目 | 東横綱 | 二所ノ関 2013 |
北海道 | 48代横綱 | 13勝2敗 | 大鵬 | |
14 | 大鵬 | 昭和37年7月 | 6回目 | 東横綱 | 二所ノ関 2013 |
北海道 | 48代横綱 | 14勝1敗 | 大鵬 | |
15 | 大鵬 | 昭和37年9月 | 7回目 | 東横綱 | 二所ノ関 2013 |
北海道 | 48代横綱 | 13勝2敗 | 大鵬 | |
16 | 大鵬 | 昭和37年11月 | 8回目 | 東横綱 | 二所ノ関 2013 |
北海道 | 48代横綱 | 13勝2敗 | 大鵬 | |
17 | 大鵬 | 昭和38年1月 | 9回目 | 東横綱 | 二所ノ関 2013 |
北海道 | 48代横綱 | 14勝1敗 | 大鵬 | |
18 | 大鵬 | 昭和38年3月 | 10回目 | 東横綱 | 二所ノ関 2013 |
北海道 | 48代横綱 | 14勝1敗 | 大鵬 | 大鵬、10回目の優勝 |
19 | 大鵬 | 昭和38年5月 | 11回目 | 東横綱 | 二所ノ関 2013 |
北海道 | 48代横綱 | 15勝0敗 | 大鵬 | 昭和37年(1962)7月場所からの6連覇を初の全勝優勝で飾る |
20 | 北葉山 | 昭和38年7月 | 初 | 東大関(張出2) | 時津風 | 北海道 | 大関 | 13勝2敗 | 北葉山 | 大関・佐田乃山(のち横綱・佐田の山)との優勝決定戦を制して初優勝を果たす |
21 | 大鵬 | 昭和39年1月 | 12回目 | 東横綱 | 二所ノ関 2013 |
北海道 | 48代横綱 | 15勝0敗 | 大鵬 | |
22 | 大鵬 | 昭和39年3月 | 13回目 | 東横綱 | 二所ノ関 2013 |
北海道 | 48代横綱 | 15勝0敗 | 大鵬 | 柏戸との全勝同士相星決戦を制して優勝 |
23 | 大鵬 | 昭和39年9月 | 14回目 | 西横綱 | 二所ノ関 2013 |
北海道 | 48代横綱 | 14勝1敗 | 大鵬 | |
24 | 大鵬 | 昭和39年11月 | 15回目 | 東横綱 | 二所ノ関 2013 |
北海道 | 48代横綱 | 14勝1敗 | 大鵬 | |
25 | 大鵬 | 昭和40年3月 | 16回目 | 東横綱 | 二所ノ関 2013 |
北海道 | 48代横綱 | 14勝1敗 | 大鵬 | |
26 | 大鵬 | 昭和40年7月 | 17回目 | 西横綱 | 二所ノ関 2013 |
北海道 | 48代横綱 | 13勝2敗 | 大鵬 | |
27 | 大鵬 | 昭和40年11月 | 18回目 | 東横綱(張出) | 二所ノ関 2013 |
北海道 | 48代横綱 | 13勝2敗 | 大鵬 | |
28 | 大鵬 | 昭和41年3月 | 19回目 | 東横綱(張出) | 二所ノ関 2013 |
北海道 | 48代横綱 | 13勝2敗 | 大鵬 | |
29 | 大鵬 | 昭和41年5月 | 20回目 | 東横綱 | 二所ノ関 2013 |
北海道 | 48代横綱 | 14勝1敗 | 大鵬 | 大鵬、20回目の優勝 |
30 | 大鵬 | 昭和41年7月 | 21回目 | 東横綱 | 二所ノ関 2013 |
北海道 | 48代横綱 | 14勝1敗 | 大鵬 | |
31 | 大鵬 | 昭和41年9月 | 22回目 | 東横綱 | 二所ノ関 2013 |
北海道 | 48代横綱 | 13勝2敗 | 大鵬 | |
32 | 大鵬 | 昭和41年11月 | 23回目 | 東横綱 | 二所ノ関 2013 |
北海道 | 48代横綱 | 15勝0敗 | 大鵬 | |
33 | 大鵬 | 昭和42年1月 | 24回目 | 東横綱 | 二所ノ関 2013 |
北海道 | 48代横綱 | 15勝0敗 | 大鵬 | 5度目の全勝優勝 2度目の6連覇(1966年3月場所から) |
34 | 北の冨士 | 昭和42年3月 | 初 | 東大関 | 九重 | 北海道 | 52代横綱 | 14勝1敗 | 北の冨士 | 出羽海部屋からの移籍後初の本場所を、自身初の幕内優勝で飾った |
35 | 大鵬 | 昭和42年5月 | 25回目 | 東横綱 | 二所ノ関 2013 |
北海道 | 48代横綱 | 14勝1敗 | 大鵬 | |
36 | 大鵬 | 昭和42年9月 | 26回目 | 東横綱(張出) | 二所ノ関 2013 |
北海道 | 48代横綱 | 15勝0敗 | 大鵬 | |
37 | 大鵬 | 昭和43年9月 | 27回目 | 西横綱 | 二所ノ関 2013 |
北海道 | 48代横綱 | 14勝1敗 | 大鵬 | |
38 | 大鵬 | 昭和43年11月 | 28回目 | 東横綱 | 二所ノ関 2013 |
北海道 | 48代横綱 | 15勝0敗 | 大鵬 | |
39 | 大鵬 | 昭和44年1月 | 29回目 | 東横綱 | 二所ノ関 2013 |
北海道 | 48代横綱 | 15勝0敗 | 大鵬 | 8度目の全勝優勝(当時歴代1位タイ) |
40 | 大鵬 | 昭和44年5月 | 30回目 | 西横綱 | 二所ノ関 2013 |
北海道 | 48代横綱 | 13勝2敗 | 大鵬 | 大鵬、30回目の優勝 |
41 | 北の富士 | 昭和44年11月 | 2回目 | 西大関 | 九重 | 北海道 | 52代横綱 | 13勝2敗 | 北の富士 | |
42 | 北の富士 | 昭和45年1月 | 3回目 | 東大関 | 九重 | 北海道 | 52代横綱 | 13勝2敗 | 北の富士 | 場所後に玉乃島と共に横綱へと昇進 |
43 | 大鵬 | 昭和45年3月 | 31回目 | 東横綱(張出) | 二所ノ関 2013 |
北海道 | 48代横綱 | 14勝1敗 | 大鵬 | |
44 | 北の富士 | 昭和45年5月 | 4回目 | 西横綱 | 九重 | 北海道 | 52代横綱 | 14勝1敗 | 北の富士 | |
45 | 北の富士 | 昭和45年7月 | 5回目 | 東横綱 | 九重 | 北海道 | 52代横綱 | 13勝2敗 | 北の富士 | |
46 | 大鵬 | 昭和46年1月 | 32回目 | 西横綱 | 二所ノ関 2013 |
北海道 | 48代横綱 | 14勝1敗 | 大鵬 | 大鵬、現役最後となる32回目の優勝 (白鵬に抜かれるまで歴代最多記録) |
47 | 北の富士 | 昭和46年5月 | 6回目 | 東横綱(張出) | 九重 | 北海道 | 52代横綱 | 15勝0敗 | 北の富士 | |
48 | 北の富士 | 昭和46年9月 | 7回目 | 西横綱 | 九重 | 北海道 | 52代横綱 | 15勝0敗 | 北の富士 | |
49 | 北の富士 | 昭和46年11月 | 8回目 | 東横綱 | 九重 | 北海道 | 52代横綱 | 13勝2敗 | 北の富士 | |
50 | 長谷川 | 昭和47年3月 | 初 | 東関脇 | 佐渡ヶ嶽 | 北海道 | 関脇 | 12勝3敗 | 長谷川 | |
51 | 北の富士 | 昭和47年9月 | 9回目 | 東横綱 | 九重 | 北海道 | 52代横綱 | 15勝0敗 | 北の富士 | 3度目の全勝優勝 |
52 | 北の富士 | 昭和48年3月 | 10回目 | 西横綱 | 九重 | 北海道 | 52代横綱 | 14勝1敗 | 北の富士 | |
53 | 北の湖 | 昭和49年1月 | 初 | 東関脇 | 三保ヶ関 2013 |
北海道 | 55代横綱 | 14勝1敗 | 北の湖 | 北の湖初の優勝 |
54 | 北の湖 | 昭和49年5月 | 2回目 | 東大関 | 三保ヶ関 2013 |
北海道 | 55代横綱 | 13勝2敗 | 北の湖 | |
55 | 北の湖 | 昭和50年1月 | 3回目 | 東横綱 | 三保ヶ関 2013 |
北海道 | 55代横綱 | 12勝3敗 | 北の湖 | |
56 | 北の湖 | 昭和50年5月 | 4回目 | 東横綱 | 三保ヶ関 2013 |
北海道 | 55代横綱 | 13勝2敗 | 北の湖 | |
57 | 金剛 | 昭和50年7月 | 初 | 西前頭筆頭 | 二所ノ関 2013 |
北海道 | 関脇 | 13勝2敗 | 金剛 | |
58 | 北の湖 | 昭和51年1月 | 5回目 | 東横綱 | 三保ヶ関 2013 |
北海道 | 55代横綱 | 13勝2敗 | 北の湖 | |
59 | 北の湖 | 昭和51年5月 | 6回目 | 西横綱 | 三保ヶ関 2013 |
北海道 | 55代横綱 | 13勝2敗 | 北の湖 | |
60 | 北の湖 | 昭和51年11月 | 7回目 | 西横綱 | 三保ヶ関 2013 |
北海道 | 55代横綱 | 14勝1敗 | 北の湖 | |
61 | 北の湖 | 昭和52年3月 | 8回目 | 西横綱 | 三保ヶ関 2013 |
北海道 | 55代横綱 | 15勝0敗 | 北の湖 | |
62 | 北の湖 | 昭和52年9月 | 9回目 | 西横綱 | 三保ヶ関 2013 |
北海道 | 55代横綱 | 15勝0敗 | 北の湖 | |
63 | 北の湖 | 昭和53年1月 | 10回目 | 西横綱 | 三保ヶ関 2013 |
北海道 | 55代横綱 | 15勝0敗 | 北の湖 | 北の湖、10回目の優勝を3回目の全勝で飾る |
64 | 北の湖 | 昭和53年3月 | 11回目 | 東横綱 | 三保ヶ関 2013 |
北海道 | 55代横綱 | 13勝2敗 | 北の湖 | |
65 | 北の湖 | 昭和53年5月 | 12回目 | 東横綱 | 三保ヶ関 2013 |
北海道 | 55代横綱 | 14勝1敗 | 北の湖 | |
66 | 北の湖 | 昭和53年7月 | 13回目 | 東横綱 | 三保ヶ関 2013 |
北海道 | 55代横綱 | 15勝0敗 | 北の湖 | |
67 | 北の湖 | 昭和53年9月 | 14回目 | 東横綱 | 三保ヶ関 2013 |
北海道 | 55代横綱 | 14勝1敗 | 北の湖 | |
68 | 北の湖 | 昭和54年1月 | 15回目 | 東横綱(張出) | 三保ヶ関 2013 |
北海道 | 55代横綱 | 14勝1敗 | 北の湖 | |
69 | 北の湖 | 昭和54年3月 | 16回目 | 東横綱 | 三保ヶ関 2013 |
北海道 | 55代横綱 | 15勝0敗 | 北の湖 | 5回目の全勝優勝 |
70 | 北の湖 | 昭和54年9月 | 17回目 | 西横綱 | 三保ヶ関 2013 |
北海道 | 55代横綱 | 13勝2敗 | 北の湖 | |
71 | 北の湖 | 昭和55年3月 | 18回目 | 西横綱 | 三保ヶ関 2013 |
北海道 | 55代横綱 | 13勝2敗 | 北の湖 | |
72 | 北の湖 | 昭和55年5月 | 19回目 | 東横綱 | 三保ヶ関 2013 |
北海道 | 55代横綱 | 14勝1敗 | 北の湖 | |
73 | 北の湖 | 昭和55年7月 | 20回目 | 東横綱 | 三保ヶ関 2013 |
北海道 | 55代横綱 | 15勝0敗 | 北の湖 | 北の湖、20回目の優勝を6回目の全勝で飾る |
74 | 千代の富士 | 昭和56年1月 | 初 | 東関脇 | 九重 | 北海道 | 58代横綱 | 14勝1敗 | 千代の富士 | 千秋楽本割は北の湖に敗れたが優勝決定戦では見事破り、 自身初の幕内優勝を遂げた。優勝決定の瞬間視聴率65.3%は大相撲中継歴代最高記録 |
75 | 北の湖 | 昭和56年3月 | 21回目 | 東横綱 | 三保ヶ関 2013 |
北海道 | 55代横綱 | 13勝2敗 | 北の湖 | |
76 | 北の湖 | 昭和56年5月 | 22回目 | 東横綱 | 三保ヶ関 2013 |
北海道 | 55代横綱 | 14勝1敗 | 北の湖 | |
77 | 千代の富士 | 昭和56年7月 | 2回目 | 東大関 | 九重 | 北海道 | 58代横綱 | 14勝1敗 | 千代の富士 | |
78 | 千代の富士 | 昭和56年11月 | 3回目 | 東横綱(張出) | 九重 | 北海道 | 58代横綱 | 12勝3敗 | 千代の富士 | |
79 | 北の湖 | 昭和57年1月 | 23回目 | 西横綱(横綱大関) | 三保ヶ関 2013 |
北海道 | 55代横綱 | 13勝2敗 | 北の湖 | |
80 | 千代の富士 | 昭和57年3月 | 4回目 | 西横綱 | 九重 | 北海道 | 58代横綱 | 13勝2敗 | 千代の富士 | |
81 | 千代の富士 | 昭和57年5月 | 5回目 | 東横綱 | 九重 | 北海道 | 58代横綱 | 13勝2敗 | 千代の富士 | |
82 | 千代の富士 | 昭和57年7月 | 6回目 | 東横綱 | 九重 | 北海道 | 58代横綱 | 12勝3敗 | 千代の富士 | |
83 | 千代の富士 | 昭和57年11月 | 7回目 | 東横綱 | 九重 | 北海道 | 58代横綱 | 14勝1敗 | 千代の富士 | |
84 | 千代の富士 | 昭和58年3月 | 8回目 | 東横綱 | 九重 | 北海道 | 58代横綱 | 15勝0敗 | 千代の富士 | 千代の富士、初の全勝優勝 |
85 | 北天佑 | 昭和58年5月 | 初 | 東関脇 | 三保ヶ関 2013 |
北海道 | 大関 | 14勝1敗 | 北天佑 | |
86 | 千代の富士 | 昭和58年11月 | 9回目 | 西横綱 | 九重 | 北海道 | 58代横綱 | 14勝1敗 | 千代の富士 | |
87 | 北の湖 | 昭和59年5月 | 24回目 | 西横綱 | 三保ヶ関 2013 |
北海道 | 55代横綱 | 15勝0敗 | 北の湖 | 北の湖、現役最後となる24回目の優勝を7回目の全勝で飾る |
88 | 千代の富士 | 昭和59年11月 | 10回目 | 西横綱 | 九重 | 北海道 | 58代横綱 | 14勝1敗 | 千代の富士 | 千代の富士、10回目の優勝 |
89 | 千代の富士 | 昭和60年1月 | 11回目 | 東横綱 | 九重 | 北海道 | 58代横綱 | 15勝0敗 | 千代の富士 | |
90 | 千代の富士 | 昭和60年5月 | 12回目 | 東横綱 | 九重 | 北海道 | 58代横綱 | 14勝1敗 | 千代の富士 | |
91 | 北天佑 | 昭和60年7月 | 2回目 | 東大関(張出) | 三保ヶ関 2013 |
北海道 | 大関 | 13勝2敗 | 北天佑 | |
92 | 千代の富士 | 昭和60年9月 | 13回目 | 東横綱 | 九重 | 北海道 | 58代横綱 | 15勝0敗 | 千代の富士 | |
93 | 千代の富士 | 昭和60年11月 | 14回目 | 東横綱 | 九重 | 北海道 | 58代横綱 | 14勝1敗 | 千代の富士 | |
94 | 千代の富士 | 昭和61年1月 | 15回目 | 東横綱 | 九重 | 北海道 | 58代横綱 | 13勝2敗 | 千代の富士 | |
95 | 保志 | 昭和61年3月 | 初 | 西関脇 | 九重 | 北海道 | 61代横綱 | 13勝2敗 | 保志 | のちに北勝海へと改名 |
96 | 千代の富士 | 昭和61年5月 | 16回目 | 東横綱 | 九重 | 北海道 | 58代横綱 | 13勝2敗 | 千代の富士 | |
97 | 千代の富士 | 昭和61年7月 | 17回目 | 東横綱 | 九重 | 北海道 | 58代横綱 | 14勝1敗 | 千代の富士 | |
98 | 千代の富士 | 昭和61年9月 | 18回目 | 東横綱 | 九重 | 北海道 | 58代横綱 | 14勝1敗 | 千代の富士 | |
99 | 千代の富士 | 昭和61年11月 | 19回目 | 東横綱 | 九重 | 北海道 | 58代横綱 | 13勝2敗 | 千代の富士 | |
100 | 千代の富士 | 昭和62年1月 | 20回目 | 東横綱 | 九重 | 北海道 | 58代横綱 | 12勝3敗 | 千代の富士 | 千代の富士、20回目の優勝 5連覇を達成(1986年5月場所から) |
101 | 北勝海 | 昭和62年3月 | 2回目 | 西大関 | 九重 | 北海道 | 61代横綱 | 12勝3敗 | 北勝海 | 10場所連続、九重部屋力士が幕内優勝 (1985年9月場所から) |
102 | 大乃国 | 昭和62年5月 | 初 | 西大関 | 放駒 2013 |
北海道 | 62代横綱 | 15勝0敗 | 大乃国 | |
103 | 千代の富士 | 昭和62年7月 | 21回目 | 東横綱 | 九重 | 北海道 | 58代横綱 | 14勝1敗 | 千代の富士 | |
104 | 北勝海 | 昭和62年9月 | 3回目 | 西横綱 | 九重 | 北海道 | 61代横綱 | 14勝1敗 | 北勝海 | 北勝海、横綱昇進後初の優勝 |
105 | 千代の富士 | 昭和62年11月 | 22回目 | 東横綱(張出) | 九重 | 北海道 | 58代横綱 | 15勝0敗 | 千代の富士 | |
106 | 大乃国 | 昭和63年3月 | 2回目 | 東横綱(張出) | 放駒 2013 |
北海道 | 62代横綱 | 13勝2敗 | 大乃国 | |
107 | 千代の富士 | 昭和63年5月 | 23回目 | 東横綱(張出) | 九重 | 北海道 | 58代横綱 | 14勝1敗 | 千代の富士 | |
108 | 千代の富士 | 昭和63年7月 | 24回目 | 東横綱 | 九重 | 北海道 | 58代横綱 | 15勝0敗 | 千代の富士 | 千代の富士、5度目の全勝優勝 |
109 | 千代の富士 | 昭和63年9月 | 25回目 | 東横綱 | 九重 | 北海道 | 58代横綱 | 15勝0敗 | 千代の富士 | |
110 | 千代の富士 | 昭和63年11月 | 26回目 | 東横綱 | 九重 | 北海道 | 58代横綱 | 14勝1敗 | 千代の富士 | 千秋楽、大乃国に敗れるまで53連勝 |
111 | 北勝海 | 平成元年1月 | 4回目 | 東横綱(張出) | 九重 | 北海道 | 61代横綱 | 14勝1敗 | 北勝海 | 平成初の優勝 |
112 | 千代の富士 | 平成元年3月 | 27回目 | 西横綱 | 九重 | 北海道 | 58代横綱 | 14勝1敗 | 千代の富士 | |
113 | 北勝海 | 平成元年5月 | 5回目 | 東横綱(張出) | 九重 | 北海道 | 61代横綱 | 13勝2敗 | 北勝海 | |
114 | 千代の富士 | 平成元年7月 | 28回目 | 東横綱(張出) | 九重 | 北海道 | 58代横綱 | 12勝3敗 | 千代の富士 | |
115 | 千代の富士 | 平成元年9月 | 29回目 | 西横綱 | 九重 | 北海道 | 58代横綱 | 15勝0敗 | 千代の富士 | 千代の富士、7度目の全勝優勝 |
116 | 千代の富士 | 平成2年1月 | 30回目 | 東横綱 | 九重 | 北海道 | 58代横綱 | 14勝1敗 | 千代の富士 | 千代の富士、30回目の優勝 |
117 | 北勝海 | 平成2年3月 | 6回目 | 西横綱 | 九重 | 北海道 | 61代横綱 | 13勝2敗 | 北勝海 | |
118 | 北勝海 | 平成2年9月 | 7回目 | 東横綱(張出) | 九重 | 北海道 | 61代横綱 | 14勝1敗 | 北勝海 | |
119 | 千代の富士 | 平成2年11月 | 31回目 | 東横綱(張出) | 九重 | 北海道 | 58代横綱 | 13勝2敗 | 千代の富士 | 千代の富士、現役最後となる31回目の優勝(歴代3位) |
120 | 北勝海 | 平成3年3月 | 8回目 | 東横綱 | 九重 | 北海道 | 61代横綱 | 13勝2敗 | 北勝海 |
北海道出身の優勝力士ランキング
次は北海道出身力士の優勝回数と成績のランキングです。
順位 | 四股名 | 優勝 | 最高位 | 部屋 | 出身地 | 勝数 | 敗数 | 横綱 | 大関 | 関脇 | 小結 | 前頭 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1位 | 大鵬 | 32回 | 48代横綱 | 二所ノ関 2013 |
北海道 | 443勝 | 37敗 | 29回 | 2回 | 1回 | 0回 | 0回 |
2位 | 千代の富士 | 31回 | 58代横綱 | 九重 | 北海道 | 427勝 | 38敗 | 29回 | 1回 | 1回 | 0回 | 0回 |
3位 | 北の湖 | 24回 | 55代横綱 | 三保ヶ関 2013 |
北海道 | 332勝 | 28敗 | 22回 | 1回 | 1回 | 0回 | 0回 |
4位 | 北の富士 | 10回 | 52代横綱 | 九重 | 北海道 | 139勝 | 11敗 | 7回 | 3回 | 0回 | 0回 | 0回 |
5位 | 北勝海 | 8回 | 61代横綱 | 九重 | 北海道 | 106勝 | 14敗 | 6回 | 1回 | 1回 | 0回 | 0回 |
6位 | 千代の山 | 6回 | 41代横綱 | 出羽海 | 北海道 | 79勝 | 11敗 | 3回 | 3回 | 0回 | 0回 | 0回 |
7位 | 大乃国 | 2回 | 62代横綱 | 放駒 2013 |
北海道 | 28勝 | 2敗 | 1回 | 1回 | 0回 | 0回 | 0回 |
7位 | 北天佑 | 2回 | 大関 | 三保ヶ関 2013 |
北海道 | 27勝 | 3敗 | 0回 | 1回 | 1回 | 0回 | 0回 |
9位 | 吉葉山 | 1回 | 43代横綱 | 友綱 | 北海道 | 15勝 | 0敗 | 0回 | 1回 | 0回 | 0回 | 0回 |
9位 | 北葉山 | 1回 | 大関 | 時津風 | 北海道 | 13勝 | 2敗 | 0回 | 1回 | 0回 | 0回 | 0回 |
9位 | 安念山 | 1回 | 関脇 | 立浪 | 北海道 | 13勝 | 2敗 | 0回 | 0回 | 0回 | 1回 | 0回 |
9位 | 金剛 | 1回 | 関脇 | 二所ノ関 2013 |
北海道 | 13勝 | 2敗 | 0回 | 0回 | 0回 | 0回 | 1回 |
9位 | 長谷川 | 1回 | 関脇 | 佐渡ヶ嶽 | 北海道 | 12勝 | 3敗 | 0回 | 0回 | 1回 | 0回 | 0回 |
最高位が前頭の現役力士
北青鵬 治
北青鵬 治(ほくせいほう おさむ)は北海道 札幌市東区出身、宮城野部屋の力士で最高位は前頭6枚目。令和6年3月場所の番付は東 十両3枚目。
生まれはモンゴル・ウランバートル市。5歳の頃に母親の語学留学のために来日した。相撲を始めたきっかけは6歳のときに韓国の空港で偶然白鵬関に会ったこと。この時に白鵬から相撲をやるように勧められたダワーニンジ少年は札幌相撲スポーツ少年団で相撲を始めた。小4から3年連続でわんぱく相撲全国大会に出場。
その後、白鵬関の紹介で鳥取市立西中学へと相撲留学、さらに「相撲の名門」鳥取城北高校へと進学した。数々の大会での団体優勝に貢献。また、個人でも優秀な成績をおさめて名を上げてきたダワーニンジは、10年以上日本に住んでいることもあり、日本人扱いとして宮城野部屋への入門が決まった。
- 四股名
- 北青鵬 治(ほくせいほう おさむ)
- 最高位
- 前頭6枚目
- 最新番付
- 東 十両3枚目
- 出身地
- 北海道 札幌市東区
- 本名
- アリューナー・ダワーニンジ
- 生年月日
- 平成13年(2001)11月12日(23歳)
- 出身高校
- 鳥取城北高校
- 所属部屋
- 宮城野部屋
- 初土俵
- 令和2年(2020)3月(18歳4ヵ月)
- 新十両
- 令和3年(2021)9月(19歳10ヵ月)
- 新入幕
- 令和5年(2023)3月(21歳4ヵ月)
- 優勝
- 幕下優勝1回,三段目優勝1回,序二段優勝1回,序ノ口優勝1回
- 通算成績
- 134勝72敗44休/204出場(勝率:65.7%)
- 直近7場所
- (幕内:41勝40敗9休)
- 7場所勝率
- 51.3%
- 令6年3月
- 東 十両3枚目(11枚半降下)
- 0勝0敗
- | |
- 令6年1月
- 東 前頭8枚目(1枚降下)
- 2勝4敗9休
- ●○●●○|■やややや|ややややや
- 令5年11月
- 東 前頭7枚目(4枚半上昇)
- 7勝8敗
- ○○●●●|●○●○●|○○●○●
- 令5年9月
- 西 前頭11枚目(5枚半降下)
- 10勝5敗
- ●○●○●|●○○○○|○○○○●
- 令5年7月
- 東 前頭6枚目(5枚上昇・最高位更新)
- 5勝10敗
- ○●●○○|●●○●●|○●●●●
- 令5年5月
- 東 前頭11枚目(4枚上昇・最高位更新)
- 8勝7敗
- ○●○○○|○●○○○|●●●●●
- 令5年3月
- 東 前頭15枚目
- 9勝6敗
- ○○○○●|●●○●○|○●●○○
旭大星 託也
旭大星 託也(きょくたいせい たくや)は北海道 旭川市出身、大島部屋の力士で最高位は前頭8枚目。令和6年11月場所の番付は東 幕下40枚目。
入門は3代大島(元大関・旭國)の大島部屋。平成24年(2012)4月の部屋閉鎖に伴い友綱部屋へと移籍。平成26年(2014)の新十両昇進は若天狼以来、約13年ぶりの道産子関取。平成30年(2018)5月場所での新入幕は、平成4年(1992)初場所の立洸以来26年ぶりの北海道出身力士による新入幕となった。
- 四股名
- 旭大星 託也(きょくたいせい たくや)
- 最高位
- 前頭8枚目
- 最新番付
- 東 幕下40枚目
- 出身地
- 北海道 旭川市
- 本名
- 大串 拓也
- 生年月日
- 平成1年(1989)10月18日(35歳)
- 出身高校
- 旭川大学高校
- 所属部屋
- 大島⇒友綱⇒大島部屋
- 改名歴
- 大串⇒旭大星
- 初土俵
- 平成20年(2008)1月(18歳3ヵ月)
- 新十両
- 平成26年(2014)7月(24歳9ヵ月)
- 新入幕
- 平成30年(2018)5月(28歳7ヵ月)
- 優勝
- 無し
- 受賞・金星
- 敢闘賞1回
- 通算成績
- 483勝434敗80休/910出場(勝率:53.1%)
- 直近7場所
- 21勝21敗7休
- 7場所勝率
- 51.2%
- 令6年11月
- 東 幕下40枚目(14枚降下)
- 0勝0敗7休
- 休場
- 令6年9月
- 東 幕下26枚目(7枚降下)
- 2勝5敗
- -●-●-|●-○-○|-●■--
- 令6年7月
- 東 幕下19枚目(6枚上昇)
- 3勝4敗
- -○-●-|○-●-○|-●●--
- 令6年5月
- 東 幕下25枚目(30枚半上昇)
- 4勝3敗
- -○-●-|●-●-○|-○○--
- 令6年3月
- 西 幕下55枚目(10枚降下)
- 6勝1敗
- -●○--|○-○-○|-○○--
- 令6年1月
- 西 幕下45枚目(10枚半降下)
- 3勝4敗
- -○-●-|○-●-○|-●●--
- 令5年11月
- 東 幕下35枚目
- 3勝4敗
- -●-○-|●-●-●|-○○--
一山本 大生
一山本 大生(いちやまもと だいき)は北海道 岩内郡岩内町出身、放駒部屋の力士で最高位は前頭7枚目。令和6年11月場所の番付は東 前頭10枚目。
町役場勤務から一転、力士への夢を追って二所ノ関部屋へと入門。この入門は、平成28年(2016)9月に新弟子の年齢規定が従来の23歳未満から改正、「相撲など各競技で実績がある」と理事会が認めた場合には、付出資格が無くとも25歳まで受検可能となったことが後押し。同制度の適用第1号力士。令和元年(2019)7月場所にて新十両昇進。令和3年(2021)7月場所で新入幕。
- 四股名
- 一山本 大生(いちやまもと だいき)
- 最高位
- 前頭7枚目
- 最新番付
- 東 前頭10枚目
- 出身地
- 北海道 岩内郡岩内町
- 本名
- 山本 大生
- 生年月日
- 平成5年(1993)10月1日(31歳)
- 出身高校
- 北海道大野農業高校
- 出身大学
- 中央大学
- 所属部屋
- 二所ノ関⇒放駒部屋
- 初土俵
- 平成29年(2017)1月(23歳3ヵ月)
- 新十両
- 令和1年(2019)7月(25歳9ヵ月)
- 新入幕
- 令和3年(2021)7月(27歳9ヵ月)
- 優勝
- 十両優勝2回,序ノ口優勝1回
- 受賞・金星
- 敢闘賞1回
- 通算成績
- 281勝221敗28休/499出場(勝率:56.3%)
- 直近7場所
- 54勝51敗
- 7場所勝率
- 51.4%
- 令6年11月
- 東 前頭10枚目(1枚降下)
- 8勝7敗
- ○○○●●|○●●○○|○●●●○
- 令6年9月
- 東 前頭9枚目(2枚上昇)
- 7勝8敗
- ○●●○●|●●○●○|○○○●●
- 令6年7月
- 東 前頭11枚目(1枚上昇)
- 8勝7敗
- ●○○○●|●●○○●|●○●○○
- 令6年5月
- 東 前頭12枚目(1枚降下)
- 8勝7敗
- ●○●○○|●●○●●|□○○●○
- 令6年3月
- 東 前頭11枚目(4枚降下)
- 7勝8敗
- ●○●●○|○●○●○|○●●●○
- 令6年1月
- 東 前頭7枚目(7枚上昇・最高位更新)
- 5勝10敗
- ●●●●○|○○●●○|○●●●●
- 令5年11月
- 東 前頭14枚目
- 11勝4敗(敢闘賞)
- ○○○○○|○●○○●|●○●○○
矢後 太規
矢後 太規(やご たかのり)は北海道 河西郡芽室町出身、押尾川部屋の力士で最高位は前頭10枚目。令和6年11月場所の番付は西 三段目39枚目。
中央大学4年次に全国学生相撲選手権でベスト8、全日本相撲選手権大会優勝でアマチュア横綱のタイトルを獲得し幕下15枚目格付出資格を得た。大学の先輩にあたる豪風(現・押尾川親方)がいた尾車部屋へと入門。所要2場所での新十両昇進は最速タイ。その後は地道に相撲力を蓄えて平成31年初場所で新入幕を果たした
- 四股名
- 矢後 太規(やご たかのり)
- 最高位
- 前頭10枚目
- 最新番付
- 西 三段目39枚目
- 出身地
- 北海道 河西郡芽室町
- 本名
- 矢後 太規
- 生年月日
- 平成6年(1994)7月8日(30歳)
- 出身高校
- 埼玉栄高校
- 出身大学
- 中央大学
- 所属部屋
- 尾車⇒押尾川部屋
- 初土俵
- 平成29年(2017)5月・幕下15付出(22歳10ヵ月)
- 新十両
- 平成29年(2017)9月(23歳2ヵ月)
- 新入幕
- 平成31年(2019)1月(24歳6ヵ月)
- 優勝
- 幕下優勝1回
- 通算成績
- 234勝253敗21休/487出場(勝率:48%)
- 直近7場所
- 14勝14敗21休
- 7場所勝率
- 50.0%
- 令6年11月
- 西 三段目39枚目(40枚半降下)
- 0勝0敗7休
- 休場
- 令6年9月
- 東 幕下59枚目(43枚降下)
- 0勝0敗7休
- 休場
- 令6年7月
- 東 幕下16枚目(4枚降下)
- 0勝0敗7休
- 休場
- 令6年5月
- 東 幕下12枚目(8枚上昇)
- 3勝4敗
- ●--○●|-●--●|-○○--
- 令6年3月
- 東 幕下20枚目(14枚降下)
- 5勝2敗
- ○-○-○|-○-●-|●---○
- 令6年1月
- 東 幕下6枚目(3枚上昇)
- 2勝5敗
- ●--●-|●-●●-|○-○--
- 令5年11月
- 東 幕下9枚目
- 4勝3敗
- -○○--|●-○-●|-○--●
北海道出身の横綱
吉葉山 潤之輔
伸び盛りの時期に応召、6年間の戦地で銃弾を浴びたことも。自身初であり唯一の優勝は全勝優勝、大雪降るなか行われた優勝パレードは全国からファンが集まり「雪の全勝行進」と呼ばれた
- 四股名 :吉葉山 潤之輔(よしばやま じゅんのすけ)
- 最高位 :第43代横綱
- 年寄名跡:横綱特権・吉葉山⇒
8代宮城野 - 出身地 :北海道厚田郡
- 本 名 :池田 潤之輔
- 生年月日:大正9年(1920)4月3日
- 没年月日:昭和52年(1977)11月26日(享年57歳)
- 所属部屋:高島部屋
- 改名歴 :北糖山⇒吉葉山
- 初土俵 :昭和13年(1938)5月(18歳1ヵ月)
- 新十両 :昭和22年(1947)6月(27歳2ヵ月)
- 新入幕 :昭和22年(1947)11月(27歳7ヵ月)
- 新三役 :昭和25年(1950)9月(30歳5ヵ月)
- 新大関 :昭和26年(1951)5月(31歳1ヵ月)
- 横綱昇進:昭和29年(1954)3月(33歳11ヵ月)
- 最終場所:昭和33年(1958)1月(37歳9ヵ月)
- 生涯戦歴:357勝171敗85休1預/521出場(47場所)
- 生涯勝率:67.6%
- 優勝等 :幕内優勝1回(同点1・次点4),十両同点1回,幕下優勝1回
- 成 績 :殊勲賞3回,金星2個
- 幕内戦歴:304勝151敗85休1預(37場所)勝率:66.8%
- 横綱:109勝67敗79休(17場所)勝率:61.9%
- 大関:109勝34敗6休1預(10場所)勝率:76.2%
- 関脇:26勝4敗(2場所)勝率:86.7%
- 前頭:60勝46敗(8場所)勝率:56.6%
- 十両戦歴:9勝1敗(1場所)勝率:90.0%
千代の山 雅信
千代の山 雅信(ちよのやま まさのぶ)は北海道松前郡出身、出羽海部屋の元力士で、最高位は第41代横綱。
昭和17年(1942)1月場所に15歳7ヶ月で初土俵を踏み、昭和34年(1959)1月場所を最後に引退(32歳7ヶ月)。
通算成績は407勝158敗147休2分561出場。生涯勝率.720。通算54場所中、39場所を勝ち越した(勝ち越し率.750)。
主な成績は幕内優勝6回(次点6),十両優勝2回。殊勲賞1回,敢闘賞1回,金星3個(羽黒山1個、前田山1個、照國1個)。
本名は杉村 昌治。大正15年(1926)6月2日生まれ。昭和52年(1977)10月29日逝去(享年51歳)。
部屋の継承を巡って耐え忍んだが出羽海一門からの破門を条件に独立、大関だった北の富士らを連れて九重部屋を興す。
- 四股名
- 千代の山 雅信(ちよのやま まさのぶ)
- 最高位
- 第41代横綱
- 年寄名跡
- 特権年寄 千代の山 雅信 →
11代九重 雅信 - 出身地
- 北海道松前郡
- 本名
- 杉村 昌治
- 生年月日
- 大正15年(1926)6月2日
- 没年月日
- 昭和52年(1977)10月29日(享年51歳)
- 所属部屋
- 出羽海部屋
- 改名歴
- 杉村 昌治 → 千代ノ山 昌治 → 千代ノ山 雅信 → 千代の山 雅信
- 初土俵
- 昭和17年(1942)1月 本中(15歳7ヶ月)
- 新十両
- 昭和19年(1944)11月(所要5場所)
- 18歳5ヶ月(初土俵から2年10ヶ月)
- 新入幕
- 昭和20年(1945)11月(所要7場所)
- 19歳5ヶ月(初土俵から3年10ヶ月)
- 新関脇
- 昭和22年(1947)6月(所要9場所)
- 20歳11ヶ月(初土俵から5年5ヶ月)
- 新大関
- 昭和24年(1949)10月(所要15場所)
- 23歳4ヶ月(初土俵から7年9ヶ月)
- 横綱昇進
- 昭和26年(1951)9月(所要21場所)
- 25歳3ヶ月(初土俵から9年8ヶ月)
- 最終場所
- 昭和34年(1959)1月(32歳7ヶ月)
- 大相撲歴
- 54場所(17年0ヶ月)
- 通算成績
- 407勝158敗147休2分561出場(勝率.720)
- 通算54場所
- 勝ち越し39場所(勝ち越し率.750)
- 優勝等
- 幕内優勝6回(次点6),十両優勝2回
- 受賞・金星
- 殊勲賞1回,敢闘賞1回,金星3個
- 幕内戦歴
- 366勝149敗147休2分511出場(勝率.711)
- 在位46場所(在位率.852)
- 勝ち越し32場所(勝ち越し率.696)
- 横綱戦歴
- 239勝103敗137休1分337出場(勝率.699)
- 在位32場所(在位率.593)
- 勝ち越し20場所(勝ち越し率.625)
- 大関戦歴
- 67勝23敗0休90出場(勝率.744)
- 在位6場所(在位率.111)
- 勝ち越し6場所(勝ち越し率1.000)
- 関脇戦歴
- 24勝14敗10休1分39出場(勝率.632)
- 在位4場所(在位率.074)
- 勝ち越し2場所(勝ち越し率.500)
- 前頭戦歴
- 36勝9敗0休45出場(勝率.800)
- 在位4場所(在位率.074)
- 勝ち越し4場所(勝ち越し率1.000)
- 十両戦歴
- 14勝3敗0休17出場(勝率.824)
- 在位2場所(在位率.037)
- 勝ち越し2場所(勝ち越し率1.000)
- 関取戦歴
- 380勝152敗147休2分528出場(勝率.714)
- 在位48場所(在位率.889)
- 勝ち越し34場所(勝ち越し率.708)
- 幕下以下歴
- 27勝6敗0休33出場(勝率.818)
- 在位6場所(在位率.111)
- 勝ち越し5場所(勝ち越し率.833)
大鵬 幸喜
大鵬 幸喜(たいほう こうき)は北海道川上郡弟子屈町出身、二所ノ関部屋の元力士で、最高位は第48代横綱。
昭和31年(1956)9月場所に16歳3ヶ月で初土俵を踏み、昭和46年(1971)5月場所を最後に引退(30歳11ヶ月)。
通算成績は872勝182敗136休1045出場。生涯勝率.827。通算87場所中、72場所を勝ち越した(勝ち越し率.837)。
主な成績は幕内優勝32回(同点2,次点10),十両優勝1回,幕下同点1回,三段目優勝1回。敢闘賞2回,技能賞1回,金星1個(朝潮1個)。
本名は納谷 幸喜。昭和15年(1940)5月29日生まれ。平成25年(2013)1月19日逝去(享年72歳)。
6連覇2回を含む優勝32回など数々の記録を樹立、柏戸と共に「柏鵬時代」を築く。没後に角界2人目となる国民栄誉賞が贈られた。
- 四股名
- 大鵬 幸喜(たいほう こうき)
- 最高位
- 第48代横綱
- 年寄名跡
一代年寄 大鵬 幸喜 - 出身地
- 北海道川上郡弟子屈町
- 本名
- 納谷 幸喜→住吉 幸喜→納谷 幸喜
- 生年月日
- 昭和15年(1940)5月29日
- 没年月日
- 平成25年(2013)1月19日(享年72歳)
- 所属部屋
- 二所ノ関部屋
- 改名歴
- 納谷 幸喜 → 大鵬 幸喜
- 初土俵
- 昭和31年(1956)9月 前相撲(16歳3ヶ月)
- 新十両
- 昭和34年(1959)5月(所要14場所)
- 18歳11ヶ月(初土俵から2年8ヶ月)
- 新入幕
- 昭和35年(1960)1月(所要18場所)
- 19歳7ヶ月(初土俵から3年4ヶ月)
- 新小結
- 昭和35年(1960)7月(所要21場所)
- 20歳0ヶ月(初土俵から3年9ヶ月)
- 新関脇
- 昭和35年(1960)9月(所要22場所)
- 20歳3ヶ月(初土俵から4年0ヶ月)
- 新大関
- 昭和36年(1961)1月(所要24場所)
- 20歳7ヶ月(初土俵から4年4ヶ月)
- 横綱昇進
- 昭和36年(1961)11月(所要29場所)
- 21歳5ヶ月(初土俵から5年2ヶ月)
- 最終場所
- 昭和46年(1971)5月(30歳11ヶ月)
- 大相撲歴
- 87場所(14年8ヶ月)
- 通算成績
- 872勝182敗136休1045出場(勝率.827)
- 通算87場所
- 勝ち越し72場所(勝ち越し率.837)
- 優勝等
- 幕内優勝32回(同点2,次点10),十両優勝1回,幕下同点1回,三段目優勝1回
- 受賞・金星
- 敢闘賞2回,技能賞1回,金星1個
- 幕内戦歴
- 746勝144敗136休881出場(勝率.838)
- 在位69場所(在位率.793)
- 勝ち越し56場所(勝ち越し率.812)
- 横綱戦歴
- 622勝103敗136休716出場(勝率.858)
- 在位58場所(在位率.667)
- 勝ち越し46場所(勝ち越し率.793)
- 大関戦歴
- 58勝17敗0休75出場(勝率.773)
- 在位5場所(在位率.057)
- 勝ち越し5場所(勝ち越し率1.000)
- 三役戦歴
- 36勝9敗0休45出場(勝率.800)
- 在位3場所(在位率.034)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率1.000)
- 関脇戦歴
- 25勝5敗0休30出場(勝率.833)
- 在位2場所(在位率.023)
- 勝ち越し2場所(勝ち越し率1.000)
- 小結戦歴
- 11勝4敗0休15出場(勝率.733)
- 在位1場所(在位率.011)
- 勝ち越し1場所(勝ち越し率1.000)
- 前頭戦歴
- 30勝15敗0休45出場(勝率.667)
- 在位3場所(在位率.034)
- 勝ち越し2場所(勝ち越し率.667)
- 十両戦歴
- 44勝16敗0休60出場(勝率.733)
- 在位4場所(在位率.046)
- 勝ち越し4場所(勝ち越し率1.000)
- 関取戦歴
- 790勝160敗136休941出場(勝率.832)
- 在位73場所(在位率.839)
- 勝ち越し60場所(勝ち越し率.822)
- 幕下以下歴
- 82勝22敗0休104出場(勝率.788)
- 在位13場所(在位率.149)
- 勝ち越し12場所(勝ち越し率.923)
北の富士 勝昭
北海道旭川市十条通出身、九重部屋の元力士で最高位は横綱。長身の美男子で左四つから一気に出る速攻相撲は大いにファンを魅了した。また引退後は九重親方として弟弟子でもあった千代の富士と直弟子の北勝海を横綱へと導いた。
野球少年だった竹沢少年は北海道巡業中の千代の山に「相撲をやって東京見物をしないか?」と誘われる。これがきっかけで相撲に興味を持ち始めた竹沢少年は中学卒業と共に上京、出羽海部屋の門を叩いた。
しかし出世は遅く序二段では2年間も足踏み状態。ようやく三段目に上がったが今度は北海道巡業中に急性虫垂炎と腹膜炎を併発してしまい入院生活を余儀なくされた。後輩たちにも追い抜かれていったんは力士を辞めようかとも思ったが奮起して復帰、四股名も北の冨士へと改めてからは順調に番付を上げていき昭和38年(1963)3月場所で新十両昇進となった。
十両5場所目となる昭和38年11月場所は15戦全勝で十両優勝をあげ翌場所での新入幕を決める。その新入幕場所では新入幕力士最多勝新記録となる13勝2敗をあげて敢闘賞を受賞、一気に小結へと番付を進めた。以降、三役と平幕を往復しながら地力を蓄えていった北の冨士は昭和41年(1966)7月の場所後に新大関昇進の使者を迎える。しかし直近3場所28勝で、本人もまさかの昇進であったため何の準備もしていなかった北の富士は、兄弟子の佐田の山から紋付きを、足袋は柏戸から借りて何とか大関昇進伝達式を迎えることができた。
大関3場所目の昭和42年1月場所後、11代九重(元横綱・千代の山)が出羽海部屋からの独立を申し入れたことから北の冨士の力士人生は大きく変わる。角界入りのきっかけをつくってくれた九重か、育ててくれた出羽海かで大きく揺れ動いた北の冨士だったが、九重と行動を共にすることを決意。出羽海一門からの破門を受けてのほろ苦い船出となった。
高砂一門の九重部屋として初めて迎えた昭和42年(1967)3月場所では大いに活躍、かつての兄弟子だった横綱・佐田の山への「恩返し」も果たすなど14勝1敗で初優勝を決めた。
「ライバル」である片男波部屋の玉乃島との切磋琢磨の猛稽古が実り、北の富士は昭和44年(1969)11月と翌1月場所で連続優勝、場所後に玉乃島改め玉の海とともに横綱へと推挙された。
- 四股名 :北の富士 勝昭(きたのふじ かつあき)
- 最高位 :第52代横綱
- 年寄名跡:
12代井筒 ⇒12代九重 ⇒18代陣幕 - 出身地 :北海道旭川市
- 本 名 :竹沢 勝昭
- 生年月日:昭和17年(1942)3月28日(82歳)
- 所属部屋:出羽海⇒九重部屋
- 改名歴 :竹沢⇒竹美山⇒北の冨士⇒北の富士
- 初土俵 :昭和32年(1957)1月(14歳10ヵ月)
- 新十両 :昭和38年(1963)3月(21歳0ヵ月)
- 新入幕 :昭和39年(1964)1月(21歳10ヵ月)
- 新三役 :昭和39年(1964)3月(22歳0ヵ月)
- 新大関 :昭和41年(1966)9月(24歳6ヵ月)
- 横綱昇進:昭和45年(1970)3月(28歳0ヵ月)
- 最終場所:昭和49年(1974)7月(32歳4ヵ月)
- 生涯戦歴:786勝427敗69休/1208出場(105場所)
- 生涯勝率:64.8%
- 優勝等 :幕内優勝10回(同点1・次点3),十両優勝1回,三段目同点1回
- 成 績 :殊勲賞2回,敢闘賞1回,技能賞3回,金星1個
- 幕内戦歴:592勝294敗62休(64場所)勝率:66.8%
- 横綱:247勝84敗62休(27場所)勝率:74.6%
- 大関:208勝107敗(21場所)勝率:66.0%
- 関脇:75勝60敗(9場所)勝率:55.6%
- 小結:14勝16敗(2場所)勝率:46.7%
- 前頭:48勝27敗(5場所)勝率:64.0%
- 十両戦歴:49勝26敗(5場所)勝率:65.3%
北の湖 敏満
北の湖 敏満(きたのうみ としみつ)は北海道有珠郡壮瞥町出身、三保ヶ関部屋の元力士で、最高位は第55代横綱。
昭和42年(1967)1月場所に13歳7ヶ月で初土俵を踏み、昭和60年(1985)1月場所を最後に引退(31歳8ヶ月)。
通算成績は951勝350敗107休1293出場。生涯勝率.731。通算109場所中、87場所を勝ち越した(勝ち越し率.806)。
主な成績は幕内優勝24回(同点5,次点11),序二段同点1回。殊勲賞2回,敢闘賞1回,金星1個(北の富士1個)。
本名は小畑 敏満。昭和28年(1953)5月16日生まれ。平成27年(2015)11月20日逝去(享年62歳)。
「怪童」と呼ばれ史上最年少での横綱昇進を果たす。「憎らしいほど強い」と評された。引退後は一代年寄を贈られて自身の部屋を創設、理事長としても手腕を発揮した。平成27年の九州場所中である11月20日に急逝、享年62歳。
- 四股名
- 北の湖 敏満(きたのうみ としみつ)
- 最高位
- 第55代横綱
- 年寄名跡
一代年寄 北の湖 敏満 - 出身地
- 北海道有珠郡壮瞥町
- 本名
- 小畑 敏満
- 生年月日
- 昭和28年(1953)5月16日
- 没年月日
- 平成27年(2015)11月20日(享年62歳)
- 所属部屋
- 三保ヶ関部屋
- 改名歴
- 北の湖 敏満
- 初土俵
- 昭和42年(1967)1月 前相撲(13歳7ヶ月)
- 新十両
- 昭和46年(1971)5月(所要26場所)
- 17歳11ヶ月(初土俵から4年4ヶ月)
- 新入幕
- 昭和47年(1972)1月(所要30場所)
- 18歳7ヶ月(初土俵から5年0ヶ月)
- 新小結
- 昭和48年(1973)1月(所要36場所)
- 19歳7ヶ月(初土俵から6年0ヶ月)
- 新関脇
- 昭和48年(1973)11月(所要41場所)
- 20歳5ヶ月(初土俵から6年10ヶ月)
- 新大関
- 昭和49年(1974)3月(所要43場所)
- 20歳9ヶ月(初土俵から7年2ヶ月)
- 横綱昇進
- 昭和49年(1974)9月(所要46場所)
- 21歳3ヶ月(初土俵から7年8ヶ月)
- 最終場所
- 昭和60年(1985)1月(31歳8ヶ月)
- 大相撲歴
- 109場所(18年0ヶ月)
- 通算成績
- 951勝350敗107休1293出場(勝率.731)
- 通算109場所
- 勝ち越し87場所(勝ち越し率.806)
- 優勝等
- 幕内優勝24回(同点5,次点11),序二段同点1回
- 受賞・金星
- 殊勲賞2回,敢闘賞1回,金星1個
- 幕内戦歴
- 804勝247敗107休1043出場(勝率.765)
- 在位78場所(在位率.716)
- 勝ち越し64場所(勝ち越し率.821)
- 横綱戦歴
- 670勝156敗107休818出場(勝率.811)
- 在位63場所(在位率.578)
- 勝ち越し53場所(勝ち越し率.841)
- 大関戦歴
- 36勝9敗0休45出場(勝率.800)
- 在位3場所(在位率.028)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率1.000)
- 三役戦歴
- 36勝24敗0休60出場(勝率.600)
- 在位4場所(在位率.037)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率.750)
- 関脇戦歴
- 24勝6敗0休30出場(勝率.800)
- 在位2場所(在位率.018)
- 勝ち越し2場所(勝ち越し率1.000)
- 小結戦歴
- 12勝18敗0休30出場(勝率.400)
- 在位2場所(在位率.018)
- 勝ち越し1場所(勝ち越し率.500)
- 前頭戦歴
- 62勝58敗0休120出場(勝率.517)
- 在位8場所(在位率.073)
- 勝ち越し5場所(勝ち越し率.625)
- 十両戦歴
- 43勝32敗0休75出場(勝率.573)
- 在位5場所(在位率.046)
- 勝ち越し4場所(勝ち越し率.800)
- 関取戦歴
- 847勝279敗107休1118出場(勝率.752)
- 在位83場所(在位率.761)
- 勝ち越し68場所(勝ち越し率.819)
- 幕下以下歴
- 104勝71敗0休175出場(勝率.594)
- 在位25場所(在位率.229)
- 勝ち越し19場所(勝ち越し率.760)
千代の富士 貢
千代の富士 貢(ちよのふじ みつぐ)は北海道松前郡福島町出身、九重部屋の元力士で、最高位は第58代横綱。
昭和45年(1970)9月場所に15歳3ヶ月で初土俵を踏み、平成3年(1991)5月場所を最後に引退(35歳11ヶ月)。
通算成績は1045勝437敗170休1473出場。生涯勝率.705。通算125場所中、95場所を勝ち越した(勝ち越し率.766)。
主な成績は幕内優勝31回(次点11),幕下優勝1回。殊勲賞1回,敢闘賞1回,技能賞5回,金星3個(三重ノ海2個、若乃花1個)。
本名は秋元 貢。昭和30年(1955)6月1日生まれ。平成28年(2016)7月31日逝去(享年61歳)。
80年代の大相撲界を支えた国民的な大横綱、角界初となる国民栄誉賞も受賞、引退後は九重部屋を継承し多くの関取を育てた。
- 四股名
- 千代の富士 貢(ちよのふじ みつぐ)
- 最高位
- 第58代横綱
- 年寄名跡
- 17代陣幕 貢 →
13代九重 貢 - 出身地
- 北海道松前郡福島町
- 本名
- 秋元 貢
- 生年月日
- 昭和30年(1955)6月1日
- 没年月日
- 平成28年(2016)7月31日(享年61歳)
- 所属部屋
- 九重部屋
- 改名歴
- 秋元 貢 → 大秋元 貢 → 千代の冨士 貢 → 千代の富士 貢
- 初土俵
- 昭和45年(1970)9月 前相撲(15歳3ヶ月)
- 新十両
- 昭和49年(1974)11月(所要25場所)
- 19歳5ヶ月(初土俵から4年2ヶ月)
- 新入幕
- 昭和50年(1975)9月(所要30場所)
- 20歳3ヶ月(初土俵から5年0ヶ月)
- 新小結
- 昭和53年(1978)7月(所要47場所)
- 23歳1ヶ月(初土俵から7年10ヶ月)
- 新関脇
- 昭和55年(1980)11月(所要61場所)
- 25歳5ヶ月(初土俵から10年2ヶ月)
- 新大関
- 昭和56年(1981)3月(所要63場所)
- 25歳9ヶ月(初土俵から10年6ヶ月)
- 横綱昇進
- 昭和56年(1981)9月(所要66場所)
- 26歳3ヶ月(初土俵から11年0ヶ月)
- 最終場所
- 平成3年(1991)5月(35歳11ヶ月)
- 大相撲歴
- 125場所(20年8ヶ月)
- 通算成績
- 1045勝437敗170休1473出場(勝率.705)
- 通算125場所
- 勝ち越し95場所(勝ち越し率.766)
- 優勝等
- 幕内優勝31回(次点11),幕下優勝1回
- 受賞・金星
- 殊勲賞1回,敢闘賞1回,技能賞5回,金星3個
- 幕内戦歴
- 807勝253敗155休1052出場(勝率.761)
- 在位81場所(在位率.648)
- 勝ち越し63場所(勝ち越し率.778)
- 横綱戦歴
- 625勝112敗148休730出場(勝率.848)
- 在位59場所(在位率.472)
- 勝ち越し48場所(勝ち越し率.814)
- 大関戦歴
- 38勝7敗0休45出場(勝率.844)
- 在位3場所(在位率.024)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率1.000)
- 三役戦歴
- 46勝29敗0休75出場(勝率.613)
- 在位5場所(在位率.040)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率.600)
- 関脇戦歴
- 25勝5敗0休30出場(勝率.833)
- 在位2場所(在位率.016)
- 勝ち越し2場所(勝ち越し率1.000)
- 小結戦歴
- 21勝24敗0休45出場(勝率.467)
- 在位3場所(在位率.024)
- 勝ち越し1場所(勝ち越し率.333)
- 前頭戦歴
- 98勝105敗7休202出場(勝率.483)
- 在位14場所(在位率.112)
- 勝ち越し9場所(勝ち越し率.643)
- 十両戦歴
- 130勝120敗5休249出場(勝率.520)
- 在位17場所(在位率.136)
- 勝ち越し12場所(勝ち越し率.706)
- 関取戦歴
- 937勝373敗160休1301出場(勝率.715)
- 在位98場所(在位率.784)
- 勝ち越し75場所(勝ち越し率.765)
- 幕下以下歴
- 108勝64敗10休172出場(勝率.628)
- 在位26場所(在位率.208)
- 勝ち越し20場所(勝ち越し率.769)
大乃国 康
大乃国 康(おおのくに やすし)は北海道河西郡芽室町出身、花籠 → 放駒部屋の元力士で、最高位は第62代横綱。
昭和37年(1962)10月9日生まれ、本名は青木 康。
昭和53年(1978)3月場所に15歳5ヶ月で初土俵を踏み、平成3年(1991)7月場所を最後に引退(28歳9ヶ月)。通算81場所中、59場所を勝ち越した(勝ち越し率.728)。
通算成績は560勝319敗107休876出場。生涯勝率.637。
主な成績は幕内優勝2回(次点7),十両優勝1回。殊勲賞5回,敢闘賞2回,金星4個(千代の富士1個、隆の里2個、北の湖1個)。
北海道の芽室中学時代には柔道で活躍し、1年後輩の保志(現八角親方)と共に名が知れ渡っていた。元大関・魁傑(17代放駒)の熱心なスカウトにより内弟子として花籠部屋へと入門、放駒部屋の創設に伴って移籍した。十分な素質と出稽古先である二子山部屋での猛稽古によって頭角を現し22歳で大関へと昇進、25歳で横綱にまで昇りつめた。しかし周囲の期待に反して横綱昇進後は皆勤で負け越すなど成績は振るわず28歳で引退となった。相撲解説には定評がありスイーツ親方としても有名。
- 年寄
12代芝田山 康 - 四股名
- 大乃国 康(おおのくに やすし)
- 最高位
- 第62代横綱
- 年寄名跡
- 五年年寄 大乃国 康 →
12代芝田山 康 - 出身地
- 北海道河西郡芽室町
- 本名
- 青木 康
- 生年月日
- 昭和37年(1962)10月9日(62歳)
- 所属部屋
- 花籠 → 放駒部屋
- 改名歴
- 青木 康 → 大ノ国 康 → 大乃国 康
- 初土俵
- 昭和53年(1978)3月 前相撲(15歳5ヶ月)
- 新十両
- 昭和57年(1982)3月(所要24場所)
- 19歳5ヶ月(初土俵から4年0ヶ月)
- 新入幕
- 昭和58年(1983)3月(所要30場所)
- 20歳5ヶ月(初土俵から5年0ヶ月)
- 新小結
- 昭和58年(1983)9月(所要33場所)
- 20歳11ヶ月(初土俵から5年6ヶ月)
- 新関脇
- 昭和59年(1984)1月(所要35場所)
- 21歳2ヶ月(初土俵から5年10ヶ月)
- 新大関
- 昭和60年(1985)9月(所要45場所)
- 22歳10ヶ月(初土俵から7年6ヶ月)
- 横綱昇進
- 昭和62年(1987)11月(所要58場所)
- 25歳0ヶ月(初土俵から9年8ヶ月)
- 最終場所
- 平成3年(1991)7月(28歳9ヶ月)
- 大相撲歴
- 81場所(13年4ヶ月)
- 通算成績
- 560勝319敗107休876出場(勝率.637)
- 通算81場所
- 勝ち越し59場所(勝ち越し率.728)
- 優勝等
- 幕内優勝2回(次点7),十両優勝1回
- 受賞・金星
- 殊勲賞5回,敢闘賞2回,金星4個
- 幕内戦歴
- 426勝228敗105休651出場(勝率.651)
- 在位51場所(在位率.630)
- 勝ち越し38場所(勝ち越し率.745)
- 横綱戦歴
- 155勝79敗105休231出場(勝率.662)
- 在位23場所(在位率.284)
- 勝ち越し13場所(勝ち越し率.565)
- 大関戦歴
- 140勝55敗0休195出場(勝率.718)
- 在位13場所(在位率.160)
- 勝ち越し13場所(勝ち越し率1.000)
- 三役戦歴
- 89勝61敗0休150出場(勝率.593)
- 在位10場所(在位率.123)
- 勝ち越し8場所(勝ち越し率.800)
- 関脇戦歴
- 83勝52敗0休135出場(勝率.615)
- 在位9場所(在位率.111)
- 勝ち越し8場所(勝ち越し率.889)
- 小結戦歴
- 6勝9敗0休15出場(勝率.400)
- 在位1場所(在位率.012)
- 勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
- 前頭戦歴
- 42勝33敗0休75出場(勝率.560)
- 在位5場所(在位率.062)
- 勝ち越し4場所(勝ち越し率.800)
- 十両戦歴
- 26勝19敗0休45出場(勝率.578)
- 在位3場所(在位率.037)
- 勝ち越し2場所(勝ち越し率.667)
- 関取戦歴
- 452勝247敗105休696出場(勝率.647)
- 在位54場所(在位率.667)
- 勝ち越し40場所(勝ち越し率.741)
- 幕下以下歴
- 108勝72敗2休180出場(勝率.600)
- 在位27場所(在位率.333)
- 勝ち越し19場所(勝ち越し率.704)
北勝海 信芳
北勝海 信芳(ほくとうみ のぶよし)は北海道広尾郡広尾町出身、九重部屋の元力士で、最高位は第61代横綱。
昭和54年(1979)3月場所に15歳8ヶ月で初土俵を踏み、平成4年(1992)3月場所を最後に引退(28歳9ヶ月)(※番付上は平成4年5月場所が最後)。
通算成績は591勝286敗109休874出場。生涯勝率.674。通算79場所中、59場所を勝ち越した(勝ち越し率.756)。
主な成績は幕内優勝8回(同点2,次点6),十両優勝1回,幕下優勝1回,序二段優勝1回。殊勲賞3回,敢闘賞3回,技能賞5回,金星1個(北の湖1個)。
昭和38年(1963)6月22日生まれ。本名は保志 信芳。
千代の富士との稽古で強くなった努力家。引退後は八角部屋を興す。第13代日本相撲協会理事長。
- 年寄
8代・八角 信芳 - 四股名
- 北勝海 信芳(ほくとうみ のぶよし)
- 最高位
- 第61代横綱
- 年寄名跡
- 五年年寄 北勝海 信芳 →
8代八角 信芳 - 出身地
- 北海道広尾郡広尾町
- 本名
- 保志 信芳
- 生年月日
- 昭和38年(1963)6月22日(61歳)
- 所属部屋
- 九重部屋
- 改名歴
- 保志 信芳 → 富士若 信芳 → 保志 信芳 → 保志 延芳 → 北勝海 信芳
- 初土俵
- 昭和54年(1979)3月 前相撲(15歳8ヶ月)
- 新十両
- 昭和58年(1983)3月(所要24場所)
- 19歳8ヶ月(初土俵から4年0ヶ月)
- 新入幕
- 昭和58年(1983)9月(所要27場所)
- 20歳2ヶ月(初土俵から4年6ヶ月)
- 新小結
- 昭和59年(1984)1月(所要29場所)
- 20歳6ヶ月(初土俵から4年10ヶ月)
- 新関脇
- 昭和59年(1984)3月(所要30場所)
- 20歳8ヶ月(初土俵から5年0ヶ月)
- 新大関
- 昭和61年(1986)9月(所要45場所)
- 23歳2ヶ月(初土俵から7年6ヶ月)
- 横綱昇進
- 昭和62年(1987)7月(所要50場所)
- 24歳0ヶ月(初土俵から8年4ヶ月)
- 最終場所
- 平成4年(1992)3月(28歳9ヶ月)※番付上は平成4年5月場所
- 大相撲歴
- 79場所(13年0ヶ月)
- 通算成績
- 591勝286敗109休874出場(勝率.674)
- 通算79場所
- 勝ち越し59場所(勝ち越し率.756)
- 優勝等
- 幕内優勝8回(同点2,次点6),十両優勝1回,幕下優勝1回,序二段優勝1回
- 受賞・金星
- 殊勲賞3回,敢闘賞3回,技能賞5回,金星1個
- 幕内戦歴
- 465勝206敗109休668出場(勝率.693)
- 在位52場所(在位率.658)
- 勝ち越し40場所(勝ち越し率.769)
- 横綱戦歴
- 250勝76敗109休323出場(勝率.767)
- 在位29場所(在位率.367)
- 勝ち越し21場所(勝ち越し率.724)
- 大関戦歴
- 56勝19敗0休75出場(勝率.747)
- 在位5場所(在位率.063)
- 勝ち越し5場所(勝ち越し率1.000)
- 三役戦歴
- 118勝77敗0休195出場(勝率.605)
- 在位13場所(在位率.165)
- 勝ち越し10場所(勝ち越し率.769)
- 関脇戦歴
- 84勝51敗0休135出場(勝率.622)
- 在位9場所(在位率.114)
- 勝ち越し7場所(勝ち越し率.778)
- 小結戦歴
- 34勝26敗0休60出場(勝率.567)
- 在位4場所(在位率.051)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率.750)
- 前頭戦歴
- 41勝34敗0休75出場(勝率.547)
- 在位5場所(在位率.063)
- 勝ち越し4場所(勝ち越し率.800)
- 十両戦歴
- 26勝19敗0休45出場(勝率.578)
- 在位3場所(在位率.038)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率1.000)
- 関取戦歴
- 491勝225敗109休713出場(勝率.686)
- 在位55場所(在位率.696)
- 勝ち越し43場所(勝ち越し率.782)
- 幕下以下歴
- 100勝61敗0休161出場(勝率.621)
- 在位23場所(在位率.291)
- 勝ち越し16場所(勝ち越し率.696)
北海道出身の大関
太刀光 電右エ門
北海道三笠市幌内町出身、高砂部屋の元力士で最高位は大関。背は低かったが、組んでも離れても巧みな相撲で左右からの投げと足技も得意。さらに左からのおっつけは名人芸とまで言われた。大相撲史上初の北海道出身大関。
22代横綱・太刀山の内弟子として友綱部屋に入門、大正2年(1913)初場所で初土俵を踏む。太刀山が大正7年(1918)1月場所で引退、独立して東関部屋を興すと移籍した。しかし翌年、相撲界に嫌気がさした7代東関(太刀山)は部屋を閉鎖、部屋の施設ごと弟子たちは高砂部屋に譲られた。
紆余曲折あったが太刀光は大正12年(1921)1月場所で新入幕。幕内4場所目となる大正11年(1922)5月場所の千秋楽では、師匠太刀山に引導を渡した横綱・大錦卯一郎を突き出して破る大金星をあげた。この大錦は翌場所前に三河島事件の責任を取り、全盛期のまま突然の引退。文字通り「仇討ちの一番」となった。
太刀光は大正12年(1923)5月場所で大関に昇進、これは北海道出身の大関第1号となる快挙であった。その後、大正15年(1926)5月場所に出羽ケ嶽に浴びせ倒された際に右足を痛めたことで以降、満足に土俵に上がれなくなった太刀光は昭和2年(1927)10月場所を最後に現役引退、年寄鳴戸を襲名した。
頭脳明晰で協会では監事の要職を務め、また新聞では相撲評を執筆するなど活躍したが、高砂部屋を継承した前田山に反発して立浪部屋へと移籍。しかしその後も高砂との対立は続いたことで協会に嫌気がさして昭和26年(1951)角界を去った。
- 四股名 :太刀光 電右衛門(たちひかり でんえもん)
- 最高位 :大関
- 年寄名跡:8代鳴戸
- 出身地 :北海道三笠市幌内町
- 本 名 :八田 政次
- 生年月日:明治30年(1897)3月29日
- 没年月日:昭和27年(1952)5月15日(享年55歳)
- 所属部屋:友綱⇒東関⇒高砂部屋
- 初土俵 :大正2年(1913)1月(15歳10ヵ月)
- 新十両 :大正7年(1918)5月(21歳2ヵ月)
- 新入幕 :大正10年(1921)1月(23歳10ヵ月)
- 新三役 :大正12年(1923)1月(25歳10ヵ月)
- 新大関 :大正12年(1923)5月(26歳2ヵ月)
- 最終場所:昭和2年(1927)10月(30歳7ヵ月)
- 生涯戦歴:114勝53敗71休8分6預/181出場(32場所)
- 生涯勝率:68.3%
- 優勝等 :なし
- 成 績 :金星1個
- 幕内戦歴:67勝26敗69休6分2預(16場所)勝率:72.0%
- 大関:35勝14敗45休2分2預(9場所)勝率:71.4%
- 関脇:7勝1敗23休1分(3場所)勝率:87.5%
- 前頭:25勝11敗1休3分(4場所)勝率:69.4%
- 十両戦歴:19勝11敗1分1預(5場所)勝率:63.3%
名寄岩 静男
「病気のデパート」と呼ばれるほど様々な病に苦しめられたが40歳まで土俵を務め上げた
- 四股名 :名寄岩 静男(なよろいわ しずお)
- 最高位 :大関
- 年寄名跡:
15代春日山 - 出身地 :北海道名寄市
- 本 名 :岩壁 静雄
- 生年月日:大正3年(1914)9月27日
- 没年月日:昭和46年(1971)1月26日(享年56歳)
- 所属部屋:立浪部屋
- 初土俵 :昭和7年(1932)5月(17歳8ヵ月)
- 新十両 :昭和11年(1936)5月(21歳8ヵ月)
- 新入幕 :昭和12年(1937)1月(22歳4ヵ月)
- 新三役 :昭和13年(1938)5月(23歳8ヵ月)
- 新大関 :昭和18年(1943)1月(28歳4ヵ月)
- 最終場所:昭和29年(1954)9月(40歳0ヵ月)
- 生涯戦歴:337勝297敗33休/634出場(54場所)
- 生涯勝率:53.2%
- 優勝等 :幕下優勝1回,三段目優勝1回
- 成 績 :敢闘賞2回,金星2個
- 幕内戦歴:292勝279敗33休(44場所)勝率:51.1%
- 大関:26勝31敗22休(6場所)勝率:45.6%
- 関脇:110勝73敗11休(15場所)勝率:60.1%
- 小結:11勝4敗(1場所)勝率:73.3%
- 前頭:145勝171敗(22場所)勝率:45.9%
- 十両戦歴:9勝2敗(1場所)勝率:81.8%
北葉山 英俊
大関で年間46敗を記録したこともあったが30場所もの長きにわたって大関を務めた努力家
- 四股名 :北葉山 英俊(きたばやま ひでとし)
- 最高位 :大関
- 年寄名跡:11代枝川
- 出身地 :北海道室蘭市
- 本 名 :山田 英俊
- 生年月日:昭和10年(1935)5月17日
- 没年月日:平成22年(2010)7月20日(享年75歳)
- 所属部屋:時津風部屋
- 改名歴 :山田⇒北葉山
- 初土俵 :昭和29年(1954)5月(19歳0ヵ月)
- 新十両 :昭和33年(1958)3月(22歳10ヵ月)
- 新入幕 :昭和33年(1958)11月(23歳6ヵ月)
- 新三役 :昭和34年(1959)7月(24歳2ヵ月)
- 新大関 :昭和36年(1961)7月(26歳2ヵ月)
- 最終場所:昭和41年(1966)5月(31歳0ヵ月)
- 生涯戦歴:525勝327敗21休/850出場(66場所)
- 生涯勝率:61.6%
- 優勝等 :幕内優勝1回(次点3),十両優勝1回(同点1),幕下優勝1回,三段目優勝1回
- 成 績 :殊勲賞1回,敢闘賞2回
- 幕内戦歴:396勝273敗21休(46場所)勝率:59.2%
- 大関:250勝179敗21休(30場所)勝率:58.3%
- 関脇:82勝53敗(9場所)勝率:60.7%
- 小結:27勝18敗(3場所)勝率:60.0%
- 前頭:37勝23敗(4場所)勝率:61.7%
- 十両戦歴:45勝15敗(4場所)勝率:75.0%
旭國 斗雄
北海道上川郡愛別町出身、立浪部屋の元力士で最高位は大関。研究熱心で「相撲博士」とよばれた、引退後は大島部屋を創設、横綱・旭富士や旭天鵬を育てた。
- 四股名 :旭國 斗雄(あさひくに ますお)
- 最高位 :大関
- 年寄名跡:
2代大島 - 出身地 :北海道上川郡愛別町
- 本 名 :太田 武雄
- 生年月日:昭和22年(1947)4月25日
- 所属部屋:立浪部屋
- 初土俵 :昭和38年(1963)7月(16歳3ヵ月)
- 新十両 :昭和44年(1969)3月(21歳11ヵ月)
- 新入幕 :昭和44年(1969)7月(22歳3ヵ月)
- 新三役 :昭和47年(1972)11月(25歳7ヵ月)
- 新大関 :昭和51年(1976)5月(29歳1ヵ月)
- 最終場所:昭和54年(1979)9月(32歳5ヵ月)
- 生涯戦歴:635勝479敗57休/1108出場(98場所)
- 生涯勝率:57.0%
- 優勝等 :幕内同点1・次点3回,十両優勝1回,幕下優勝1回
- 成 績 :敢闘賞1回,技能賞6回,金星2個
- 幕内戦歴:418勝330敗57休(54場所)勝率:55.9%
- 大関:168勝122敗20休(21場所)勝率:57.9%
- 関脇:46勝32敗12休(6場所)勝率:59.0%
- 小結:22勝14敗9休(3場所)勝率:61.1%
- 前頭:182勝162敗16休(24場所)勝率:52.9%
- 十両戦歴:83勝52敗(10場所)勝率:61.5%
大受 久晃
- 四股名 :大受 久晃(だいじゅ ひさてる)
- 最高位 :大関
- 年寄名跡:13代楯山⇒
18代朝日山 - 出身地 :北海道瀬棚郡瀬棚町
- 本 名 :堺谷 利秋
- 生年月日:昭和25年(1950)3月19日
- 所属部屋:高島部屋
- 改名歴 :堺谷⇒大受
- 初土俵 :昭和40年(1965)3月(15歳0ヵ月)
- 新十両 :昭和44年(1969)9月(19歳6ヵ月)
- 新入幕 :昭和45年(1970)5月(20歳2ヵ月)
- 新三役 :昭和46年(1971)3月(21歳0ヵ月)
- 新大関 :昭和48年(1973)9月(23歳6ヵ月)
- 最終場所:昭和52年(1977)5月(27歳2ヵ月)
- 生涯戦歴:462勝388敗31休/845出場(74場所)
- 生涯勝率:54.4%
- 優勝等 :幕内次点1回,十両優勝1回
- 成 績 :殊勲賞4回,敢闘賞1回,技能賞6回
- 幕内戦歴:308勝296敗26休(42場所)勝率:51.0%
- 大関:30勝32敗13休(5場所)勝率:48.4%
- 関脇:74勝61敗(9場所)勝率:54.8%
- 小結:10勝5敗(1場所)勝率:66.7%
- 前頭:194勝198敗13休(27場所)勝率:49.5%
- 十両戦歴:42勝22敗5休(5場所)勝率:65.6%
北天佑 勝彦
相撲を取るために生まれてきたような男と期待された「北海の白熊」、引退後は二十山部屋を興すも癌のため45歳の若さで他界
- 四股名 :北天佑 勝彦(ほくてんゆう かつひこ)
- 最高位 :大関
- 年寄名跡:
13代二十山 - 出身地 :北海道室蘭市
- 本 名 :千葉 勝彦
- 生年月日:昭和35年(1960)8月8日
- 没年月日:平成18年(2006)6月23日(享年45歳)
- 所属部屋:三保ヶ関部屋
- 改名歴 :千葉⇒北天佑
- 初土俵 :昭和51年(1976)3月(15歳7ヵ月)
- 新十両 :昭和55年(1980)5月(19歳9ヵ月)
- 新入幕 :昭和55年(1980)11月(20歳3ヵ月)
- 新三役 :昭和56年(1981)7月(20歳11ヵ月)
- 新大関 :昭和58年(1983)7月(22歳11ヵ月)
- 最終場所:平成2年(1990)9月(30歳1ヵ月)
- 生涯戦歴:645勝413敗55休/1055出場(88場所)
- 生涯勝率:61.0%
- 優勝等 :幕内優勝2回(次点4),十両同点1回,幕下優勝1回
- 成 績 :殊勲賞2回,敢闘賞4回,技能賞1回,金星3個
- 幕内戦歴:513勝335敗52休(60場所)勝率:60.5%
- 大関:378勝245敗37休(44場所)勝率:60.7%
- 関脇:37勝8敗(3場所)勝率:82.2%
- 小結:30勝30敗(4場所)勝率:50.0%
- 前頭:68勝52敗15休(9場所)勝率:56.7%
- 十両戦歴:29勝16敗(3場所)勝率:64.4%