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北海道出身の関脇
三杉礒 善七
昭和3年1月場所では大関と10勝1敗で並ぶ好成績だったが上位である大関の優勝となった。ところが大関には導入間もない不戦勝があり、以前であれば三杉磯が優勝となるはずだったので、浸透していない不戦勝制度が議論の的となる。これを契機に制度徹底が図られた
- 四股名 :三杉礒 善七(みすぎいそ ぜんしち)
- 最高位 :関脇
- 年寄名跡:
9代花籠 - 出身地 :北海道爾志郡
- 本 名 :小西 善七
- 生年月日:明治25年(1892)11月26日
- 没年月日:昭和26年(1951)4月22日(享年58歳)
- 所属部屋:尾車⇒峰崎⇒片男波⇒伊勢ノ海部屋
- 初土俵 :明治44年(1911)6月(18歳7ヵ月)
- 新十両 :大正6年(1917)1月(24歳2ヵ月)
- 新入幕 :大正7年(1918)1月(25歳2ヵ月)
- 新三役 :大正9年(1920)1月(27歳2ヵ月)
- 最終場所:昭和4年(1929)3月(36歳4ヵ月)
- 生涯戦歴:144勝125敗62休8分8預/284出場(40場所)
- 生涯勝率:53.5%
- 優勝等 :幕内次点1回
- 成 績 :金星1個
- 幕内戦歴:102勝108敗62休7分6預(27場所)勝率:48.6%
- 関脇:11勝15敗1休3預(3場所)勝率:42.3%
- 小結:1勝5敗5休(1場所)勝率:16.7%
- 前頭:90勝88敗56休7分3預(23場所)勝率:50.6%
- 十両戦歴:9勝2敗1預(2場所)勝率:81.8%
旭川 幸之丞
北海道旭川市出身、立浪部屋の元力士で最高位は関脇。立浪部屋の参謀格として弟弟子たちを指導、新弟子時代の双葉山も鍛え上げた。
- 四股名 :旭川 幸之丞(あさひかわ ゆきのじょう)
- 最高位 :関脇
- 年寄名跡:15代玉垣
- 出身地 :北海道旭川市
- 本 名 :宮坂 幸吉
- 生年月日:明治38年(1905)8月18日
- 没年月日:昭和53年(1978)1月31日(享年72歳)
- 所属部屋:立浪部屋
- 改名歴 :立ノ海⇒高浪⇒旭川
- 初土俵 :大正11年(1922)1月(16歳5ヵ月)
- 新十両 :昭和2年(1927)5月(21歳9ヵ月)
- 新入幕 :昭和7年(1932)2月(26歳6ヵ月)
- 新三役 :昭和11年(1936)5月(30歳9ヵ月)
- 最終場所:昭和17年(1942)5月(36歳9ヵ月)
- 生涯戦歴:243勝260敗22休1分2預/505出場(55場所)
- 生涯勝率:48.3%
- 優勝等 :幕下優勝1回
- 成 績 :金星1個
- 幕内戦歴:117勝155敗22休1分1預(24場所)勝率:43.0%
- 関脇:2勝11敗(1場所)勝率:15.4%
- 小結:7勝19敗(2場所)勝率:26.9%
- 前頭:108勝125敗22休1分1預(21場所)勝率:46.4%
- 十両戦歴:47勝58敗(11場所)勝率:44.8%
輝昇 勝彦
美男子と攻めまくる相撲ぶりで人気があった、敢闘賞制定場所では受賞第一号となる
- 四股名 :輝昇 勝彦(てるのぼり かつひこ)
- 最高位 :関脇
- 出身地 :北海道留萌市
- 本 名 :小林 良彦
- 生年月日:大正11年(1922)1月26日
- 没年月日:昭和42年(1967)2月20日(享年45歳)
- 所属部屋:高島部屋
- 初土俵 :昭和12年(1937)5月(15歳4ヵ月)
- 新十両 :昭和16年(1941)1月(19歳0ヵ月)
- 新入幕 :昭和17年(1942)1月(20歳0ヵ月)
- 新三役 :昭和18年(1943)5月(21歳4ヵ月)
- 最終場所:昭和31年(1956)3月(34歳2ヵ月)
- 生涯戦歴:289勝270敗50休/556出場(49場所)
- 生涯勝率:51.7%
- 優勝等 :十両優勝1回,三段目優勝1回,序二段優勝1回
- 成 績 :敢闘賞2回,金星1個
- 幕内戦歴:222勝226敗33休(35場所)勝率:49.6%
- 関脇:6勝13敗7休(2場所)勝率:31.6%
- 小結:23勝20敗10休(5場所)勝率:53.5%
- 前頭:193勝193敗16休(28場所)勝率:50.0%
- 十両戦歴:38勝35敗17休(7場所)勝率:52.1%
北の洋 昇
北海道網走市出身、立浪部屋の元力士で最高位は関脇。「白い稲妻」と評された速攻相撲で名横綱たちを悩ませた、奪った金星は10個。
- 四股名 :北の洋 昇(きたのなだ のぼる)
- 最高位 :関脇
- 年寄名跡:11代武隈
- 出身地 :北海道網走市
- 本 名 :緒方 昇
- 生年月日:大正12年(1923)2月1日
- 没年月日:平成14年(2002)1月8日(享年78歳)
- 所属部屋:立浪部屋
- 改名歴 :北ノ洋⇒北の洋
- 初土俵 :昭和15年(1940)1月(16歳11ヵ月)
- 新十両 :昭和23年(1948)10月(25歳8ヵ月)
- 新入幕 :昭和25年(1950)9月(27歳7ヵ月)
- 新三役 :昭和29年(1954)9月(31歳7ヵ月)
- 最終場所:昭和37年(1962)3月(39歳1ヵ月)
- 生涯戦歴:494勝473敗29休/962出場(77場所)
- 生涯勝率:51.1%
- 優勝等 :幕内次点1回
- 成 績 :殊勲賞4回,敢闘賞1回,技能賞5回,金星10個
- 幕内戦歴:368勝388敗24休(52場所)勝率:48.7%
- 関脇:12勝17敗1休(2場所)勝率:41.4%
- 小結:44勝46敗(6場所)勝率:48.9%
- 前頭:312勝325敗23休(44場所)勝率:49.0%
- 十両戦歴:58勝43敗(7場所)勝率:57.4%
安念山(羽黒山)治
北海道上川郡下川町出身、立浪部屋の元力士で最高位は関脇。立浪部屋を継承したが横綱・双羽黒の廃業騒ぎや、後継者・旭豊との名跡を巡った裁判沙汰などトラブルが目立った。
- 四股名 :安念山 治(あんねんやま おさむ)
- 最高位 :関脇
- 年寄名跡:9代追手風⇒
6代立浪 - 出身地 :北海道上川郡下川町
- 本 名 :安念 治
- 生年月日:昭和9年(1934)2月23日
- 所属部屋:立浪部屋
- 改名歴 :安念⇒安念山⇒羽黒山
- 初土俵 :昭和25年(1950)1月(15歳11ヵ月)
- 新十両 :昭和28年(1953)9月(19歳7ヵ月)
- 新入幕 :昭和29年(1954)5月(20歳3ヵ月)
- 新三役 :昭和32年(1957)5月(23歳3ヵ月)
- 最終場所:昭和40年(1965)3月(31歳1ヵ月)
- 生涯戦歴:544勝506敗30休1分/1047出場(74場所)
- 生涯勝率:51.8%
- 優勝等 :幕内優勝1回(次点1),幕下優勝1回
- 成 績 :殊勲賞3回,敢闘賞1回,金星10個
- 幕内戦歴:428勝427敗29休1分(59場所)勝率:50.1%
- 関脇:101勝107敗2休(14場所)勝率:48.6%
- 小結:49勝56敗(7場所)勝率:46.7%
- 前頭:278勝264敗27休1分(38場所)勝率:51.3%
- 十両戦歴:26勝19敗(3場所)勝率:57.8%
羽黒花 統司
北海道紋別郡西興部村出身、立浪部屋の元力士で最高位は関脇。素質充分で入幕2場所目には敢闘賞も受賞したが度重なる膝の怪我は大成を阻んだ。
- 四股名 :羽黒花 統司(はぐろはな とうじ)
- 最高位 :関脇
- 年寄名跡:6代大鳴戸⇒16代玉垣
- 出身地 :北海道紋別郡西興部村
- 本 名 :千葉 進
- 生年月日:昭和11年(1936)3月28日
- 没年月日:昭和59年(1984)6月3日(享年48歳)
- 所属部屋:立浪部屋
- 改名歴 :千葉⇒羽黒花⇒羽黒川⇒羽黒花
- 初土俵 :昭和30年(1955)9月(19歳6ヵ月)
- 新十両 :昭和35年(1960)3月(24歳0ヵ月)
- 新入幕 :昭和35年(1960)9月(24歳6ヵ月)
- 新三役 :昭和36年(1961)7月(25歳4ヵ月)
- 最終場所:昭和40年(1965)11月(29歳8ヵ月)
- 生涯戦歴:347勝255敗71休/601出場(58場所)
- 生涯勝率:57.6%
- 優勝等 :幕内次点1回,幕下優勝2回,三段目優勝1回(同点1),序二段優勝1回
- 成 績 :敢闘賞1回,金星3個
- 幕内戦歴:195勝195敗30休(28場所)勝率:50.0%
- 関脇:29勝46敗(5場所)勝率:38.7%
- 小結:41勝34敗15休(6場所)勝率:54.7%
- 前頭:125勝115敗15休(17場所)勝率:52.1%
- 十両戦歴:29勝19敗12休(5場所)勝率:60.4%
明武谷 力伸
長身で吊りには定評があった元祖イケメン力士、引退後は審判委員を務めていたがエホバの証人に入信したのをきっかけに廃業
- 四股名 :明武谷 力伸(みょうぶだに りきのぶ)
- 最高位 :関脇
- 年寄名跡:7代中村
- 出身地 :北海道阿寒郡阿寒町
- 本 名 :明歩谷 清
- 生年月日:昭和12年(1937)4月29日
- 所属部屋:高島⇒吉葉山⇒宮城野部屋
- 改名歴 :明歩谷⇒明武谷⇒吉葉洋⇒明武谷
- 初土俵 :昭和29年(1954)3月(16歳11ヵ月)
- 新十両 :昭和32年(1957)11月(20歳7ヵ月)
- 新入幕 :昭和34年(1959)7月(22歳3ヵ月)
- 新三役 :昭和36年(1961)11月(24歳7ヵ月)
- 最終場所:昭和44年(1969)11月(32歳7ヵ月)
- 生涯戦歴:624勝580敗6休/1202出場(88場所)
- 生涯勝率:51.8%
- 優勝等 :幕内同点2・次点2回,十両同点1回,序二段優勝1回
- 成 績 :殊勲賞4回,敢闘賞4回,金星3個
- 幕内戦歴:414勝450敗6休(58場所)勝率:47.9%
- 関脇:35勝40敗(5場所)勝率:46.7%
- 小結:57勝63敗(8場所)勝率:47.5%
- 前頭:322勝347敗6休(45場所)勝率:48.1%
- 十両戦歴:133勝92敗(15場所)勝率:59.1%
藤ノ川 武雄
北海道河東郡音更町出身、伊勢ノ海部屋の元力士で最高位は関脇。土俵を目一杯使った暴れっぷりは「今牛若」と称されるほどで上位陣を苦しめた。昭和46年名古屋場所で左足を痛め、持ち前の機敏な動きが活かせなくなり26歳の若さで引退。先代の没後に伊勢ノ海部屋を継承、理事としても事務能力を大いに発揮し、いまに続く「敢闘精神評価」アンケートの発案者としても知られる。
- 四股名 :藤ノ川 武雄(ふじのかわ たけお)
- 最高位 :関脇
- 年寄名跡:10代立川⇒
11代伊勢ノ海 ⇒12代勝ノ浦 - 出身地 :北海道河東郡音更町
- 本 名 :森田 武雄⇒森田 祥玄⇒森田 武雄
- 生年月日:昭和21年(1946)9月26日
- 所属部屋:伊勢ノ海部屋
- 改名歴 :森田⇒藤ノ川
- 初土俵 :昭和36年(1961)5月(14歳8ヵ月)
- 新十両 :昭和41年(1966)1月(19歳4ヵ月)
- 新入幕 :昭和41年(1966)11月(20歳2ヵ月)
- 新三役 :昭和42年(1967)5月(20歳8ヵ月)
- 最終場所:昭和47年(1972)11月(26歳2ヵ月)
- 生涯戦歴:403勝378敗23休/779出場(69場所)
- 生涯勝率:51.6%
- 優勝等 :幕内同点1・次点1回,幕下優勝1回
- 成 績 :殊勲賞1回,敢闘賞2回,技能賞4回,金星4個
- 幕内戦歴:209勝240敗16休(31場所)勝率:46.5%
- 関脇:11勝19敗(2場所)勝率:36.7%
- 小結:23勝52敗(5場所)勝率:30.7%
- 前頭:175勝169敗16休(24場所)勝率:50.9%
- 十両戦歴:81勝62敗7休(10場所)勝率:56.6%
高鐵山 孝之進
十両と幕内を何度も往復したが神経痛に悩んで引退、大鳴戸部屋を創設して板井と維新力を育てた
- 四股名 :高鐵山 孝之進(こうてつやま こうのしん)
- 最高位 :関脇
- 年寄名跡:
11代大鳴戸 - 出身地 :北海道小樽市
- 本 名 :菅 孝之進
- 生年月日:昭和17年(1942)7月9日
- 没年月日:平成8年(1996)4月14日(享年53歳)
- 所属部屋:朝日山部屋
- 改名歴 :葵龍⇒高鐵山⇒二瀬川⇒高鐵山⇒高鉄山
- 初土俵 :昭和32年(1957)3月(14歳8ヵ月)
- 新十両 :昭和38年(1963)1月(20歳6ヵ月)
- 新入幕 :昭和38年(1963)9月(21歳2ヵ月)
- 新三役 :昭和42年(1967)1月(24歳6ヵ月)
- 最終場所:昭和50年(1975)1月(32歳6ヵ月)
- 生涯戦歴:661勝668敗10休/1327出場(107場所)
- 生涯勝率:49.7%
- 優勝等 :幕内次点2回,十両優勝1回(同点2)
- 成 績 :敢闘賞1回,技能賞1回,金星2個
- 幕内戦歴:323勝425敗2休(50場所)勝率:43.2%
- 関脇:3勝12敗(1場所)勝率:20.0%
- 前頭:320勝413敗2休(49場所)勝率:43.7%
- 十両戦歴:193勝144敗8休(23場所)勝率:57.3%
長谷川 勝敏
北海道空知郡栗沢町出身、佐渡ヶ嶽部屋の元力士で最高位は関脇。史上初の幕内連続出場1000回、幾多の大関昇進のチャンスも番付運に恵まれなかった「戦後最強の関脇」。
- 四股名 :長谷川 勝敏(はせがわ かつとし)
- 最高位 :関脇
- 年寄名跡:11代秀ノ山
- 出身地 :北海道空知郡栗沢町
- 本 名 :長谷川 勝敏
- 生年月日:昭和19年(1944)7月20日
- 所属部屋:佐渡ヶ嶽部屋
- 初土俵 :昭和35年(1960)3月(15歳8ヵ月)
- 新十両 :昭和38年(1963)1月(18歳6ヵ月)
- 新入幕 :昭和40年(1965)1月(20歳6ヵ月)
- 新三役 :昭和40年(1965)11月(21歳4ヵ月)
- 最終場所:昭和51年(1976)5月(31歳10ヵ月)
- 生涯戦歴:678勝577敗/1254出場(98場所)
- 生涯勝率:54.0%
- 優勝等 :幕内優勝1回(次点2),十両優勝1回,幕下優勝1回
- 成 績 :殊勲賞3回,敢闘賞3回,技能賞2回,金星9個
- 幕内戦歴:523勝502敗(69場所)勝率:51.0%
- 関脇:164勝151敗(21場所)勝率:52.1%
- 小結:57勝78敗(9場所)勝率:42.2%
- 前頭:302勝273敗(39場所)勝率:52.5%
- 十両戦歴:50勝25敗(6場所)勝率:66.7%
金剛 正裕
ユーモアに溢れた奔放な発言が人気も二所ノ関部屋継承のため若くして引退、晩年は脳腫瘍を患い名門を閉じることとなった
- 四股名 :金剛 正裕(こんごう まさひろ)
- 最高位 :関脇
- 年寄名跡:
10代二所ノ関 - 出身地 :北海道深川市
- 本 名 :吉沢 正裕⇒北村 正裕
- 生年月日:昭和23年(1948)11月18日
- 没年月日:平成26年(2014)8月12日(享年65歳)
- 所属部屋:二所ノ関部屋
- 改名歴 :大吉沢⇒金剛
- 初土俵 :昭和39年(1964)5月(15歳6ヵ月)
- 新十両 :昭和44年(1969)5月(20歳6ヵ月)
- 新入幕 :昭和45年(1970)9月(21歳10ヵ月)
- 新三役 :昭和47年(1972)7月(23歳8ヵ月)
- 最終場所:昭和51年(1976)9月(27歳10ヵ月)
- 生涯戦歴:449勝414敗/863出場(74場所)
- 生涯勝率:52.0%
- 優勝等 :幕内優勝1回,十両優勝2回,幕下優勝1回,序ノ口優勝1回
- 成 績 :殊勲賞3回,金星3個
- 幕内戦歴:259勝281敗(36場所)勝率:48.0%
- 関脇:6勝9敗(1場所)勝率:40.0%
- 小結:26勝49敗(5場所)勝率:34.7%
- 前頭:227勝223敗(30場所)勝率:50.4%
- 十両戦歴:68勝52敗(8場所)勝率:56.7%
北瀬海 弘光
北海道瀬棚郡北桧山町(現・久遠郡せたな町新成)出身、九重部屋の元力士で最高位は関脇。旭國、鷲羽山と共に「小兵トリオ」と呼ばれた。
出羽海部屋の部屋付親方だった11代九重(元横綱・千代の山)に勧誘されて出羽海部屋に入門、昭和39年(1964)7月場所で初土俵を踏んだ。のちに九重の独立に従って九重部屋へと移籍する。
稽古熱心で知られており、特に高砂部屋の富士櫻との猛稽古が有名であった北瀬海は、昭和44年(1969)9月場所で新十両へと昇進。その後、小兵故に苦労した時期もあったが昭和46年(1971)11月場所での十両優勝で弾みがつき、翌年3月場所には新入幕となった。
新入幕の昭和47年(1972)3月場所は9日目まで8勝1敗と絶好調。幕尻ながら三役との対戦も組まれたが、見事に関脇・三重ノ海(のち横綱)を倒している。昭和51年(1976)3月場所では横綱・輪島を破って金星と殊勲賞を受賞。同じく小兵の小結・鷲羽山が敢闘賞、関脇・旭國が優勝同点と技能賞受賞という活躍ぶりで小兵力士たちへの注目が高まった。翌場所、新小結に昇進、さらに7月場所には関脇昇進と北瀬海は全盛期を迎えていた。
昭和54年(1979)5月場所を最後に現役を引退。大銀杏を結えるのか?と、髪の薄さが話題になったこともあった北瀬海だが、これは鋭い立ち合いでのぶちかましを武器にしていたため髪が擦れてしまったことが原因であり、小兵力士の稽古量を物語るものでもあった。
- 四股名 :北瀬海 弘光(きたせうみ ひろみつ)
- 最高位 :関脇
- 年寄名跡:10代君ヶ濱
- 出身地 :北海道瀬棚郡北桧山町(現・久遠郡せたな町新成)
- 本 名 :土谷 孝
- 生年月日:昭和23年(1948)7月2日
- 所属部屋:出羽海⇒九重部屋
- 改名歴 :土谷⇒若狭山⇒北瀬海
- 初土俵 :昭和39年(1964)7月(16歳0ヵ月)
- 新十両 :昭和44年(1969)9月(21歳2ヵ月)
- 新入幕 :昭和47年(1972)3月(23歳8ヵ月)
- 新三役 :昭和51年(1976)5月(27歳10ヵ月)
- 最終場所:昭和54年(1979)5月(30歳10ヵ月)
- 生涯戦歴:536勝526敗6休/1060出場(90場所)
- 生涯勝率:50.5%
- 優勝等 :十両優勝1回,幕下優勝1回
- 成 績 :殊勲賞2回,技能賞1回,金星1個
- 幕内戦歴:266勝310敗6休(39場所)勝率:46.2%
- 関脇:6勝18敗6休(2場所)勝率:25.0%
- 小結:10勝5敗(1場所)勝率:66.7%
- 前頭:250勝287敗(36場所)勝率:46.6%
- 十両戦歴:135勝120敗(17場所)勝率:52.9%
北海道出身の小結
巴潟 誠一
高嶋・友綱親方として横綱・吉葉山や大関・三根山を育てた。年寄引退後は両国に「ちゃんこ巴潟」を開く
- 四股名 :巴潟 誠一(ともえがた せいいち)
- 最高位 :小結
- 年寄名跡:
14代玉垣 ⇒初代安治川 ⇒9代高島 ⇒8代友綱 - 出身地 :北海道函館市
- 本 名 :工藤 誠一
- 生年月日:明治44年(1911)3月30日
- 没年月日:昭和53年(1978)12月24日(享年67歳)
- 所属部屋:高島⇒友綱部屋
- 初土俵 :大正15年(1926)5月(15歳2ヵ月)
- 新十両 :昭和7年(1932)2月(20歳11ヵ月)
- 新入幕 :昭和7年(1932)5月(21歳2ヵ月)
- 新三役 :昭和10年(1935)5月(24歳2ヵ月)
- 最終場所:昭和15年(1940)5月(29歳2ヵ月)
- 生涯戦歴:107勝129敗/236出場(21場所)
- 生涯勝率:45.3%
- 優勝等 :なし
- 成 績 :金星1個
- 幕内戦歴:95勝123敗(18場所)勝率:43.6%
- 小結:4勝7敗(1場所)勝率:36.4%
- 前頭:91勝116敗(17場所)勝率:44.0%
- 十両戦歴:12勝6敗(2場所)勝率:66.7%
大晃 定行
史上初の通算1000回連続出場を記録、額が広く四股名にかけて「大光り」といわれた
- 四股名 :大晃 定行(おおひかり さだゆき)
- 最高位 :小結
- 年寄名跡:11代阿武松
- 出身地 :北海道上磯郡上磯町
- 本 名 :柴田 定行
- 生年月日:昭和2年(1927)9月24日
- 没年月日:平成8年(1996)1月14日(享年68歳)
- 所属部屋:出羽海部屋
- 改名歴 :柴田⇒巴浦⇒大晃
- 初土俵 :昭和19年(1944)1月(16歳4ヵ月)
- 新十両 :昭和24年(1949)1月(21歳4ヵ月)
- 新入幕 :昭和25年(1950)9月(23歳0ヵ月)
- 新三役 :昭和33年(1958)7月(30歳10ヵ月)
- 最終場所:昭和38年(1963)11月(36歳2ヵ月)
- 生涯戦歴:526勝539敗15休3分/1068出場(79場所)
- 生涯勝率:49.4%
- 優勝等 :幕内同点1回,幕下同点1回
- 成 績 :敢闘賞1回,金星5個
- 幕内戦歴:455勝489敗15休1分(64場所)勝率:48.2%
- 小結:11勝19敗(2場所)勝率:36.7%
- 前頭:444勝470敗15休1分(62場所)勝率:48.6%
- 十両戦歴:41勝31敗1分(5場所)勝率:56.9%
沢光 幸夫
前頭の双ツ龍に憧れて角界を志す、新入幕から4場所で小結昇進もそのわずか2場所後に廃業
- 四股名 :沢光 幸夫(さわひかり ゆきお)
- 最高位 :小結
- 出身地 :北海道常呂郡佐呂間町
- 本 名 :沢向 幸夫⇒梅村 幸夫⇒沢向 幸夫
- 生年月日:昭和16年(1941)6月18日
- 所属部屋:時津風部屋
- 改名歴 :沢向⇒沢光
- 初土俵 :昭和31年(1956)9月(15歳3ヵ月)
- 新十両 :昭和37年(1962)1月(20歳7ヵ月)
- 新入幕 :昭和38年(1963)11月(22歳5ヵ月)
- 新三役 :昭和39年(1964)7月(23歳1ヵ月)
- 最終場所:昭和39年(1964)11月(23歳5ヵ月)
- 生涯戦歴:254勝211敗24休/464出場(48場所)
- 生涯勝率:54.6%
- 優勝等 :十両優勝1回
- 成 績 :殊勲賞1回,敢闘賞1回,金星1個
- 幕内戦歴:39勝51敗15休(7場所)勝率:43.3%
- 小結:2勝13敗(1場所)勝率:13.3%
- 前頭:37勝38敗15休(6場所)勝率:49.3%
- 十両戦歴:88勝73敗4休(11場所)勝率:54.7%
双津竜 順一
時津風の名門継承も「時津風部屋力士暴行死事件」によって解雇、実刑判決を受けて収監された
- 四股名 :15代・時津風 順一
- 四股名 :双津竜 順一(ふたつりゅう じゅんいち)
- 最高位 :小結
- 年寄名跡:13代錦島⇒
15代時津風 - 出身地 :北海道室蘭市
- 本 名 :山本 順一
- 生年月日:昭和25年(1950)2月28日
- 没年月日:平成26年(2014)8月12日(享年64歳)
- 所属部屋:時津風部屋
- 改名歴 :山本⇒山本川⇒双ツ竜⇒双津竜
- 初土俵 :昭和38年(1963)9月(13歳7ヵ月)
- 新十両 :昭和44年(1969)11月(19歳9ヵ月)
- 新入幕 :昭和47年(1972)3月(22歳1ヵ月)
- 新三役 :昭和54年(1979)7月(29歳5ヵ月)
- 最終場所:昭和57年(1982)11月(32歳9ヵ月)
- 生涯戦歴:676勝669敗30休/1344出場(116場所)
- 生涯勝率:50.3%
- 優勝等 :十両優勝2回(同点1),幕下優勝1回
- 幕内戦歴:186勝226敗23休(29場所)勝率:45.1%
- 小結:4勝11敗(1場所)勝率:26.7%
- 前頭:182勝215敗23休(28場所)勝率:45.8%
- 十両戦歴:343勝317敗(44場所)勝率:52.0%
大翔鳳 昌巳
北海道札幌市豊平区出身、立浪部屋の元力士で最高位は小結。膵臓がんによって引退、日大の同級生で親友でもあった舞の海らによって断髪式が行われるもそのわずか2か月後に逝去。
- 四股名 :大翔鳳 昌巳(だいしょうほう まさみ)
- 最高位 :小結
- 年寄名跡:準年寄・大翔鳳
- 出身地 :北海道札幌市豊平区
- 本 名 :村田 昌巳
- 生年月日:昭和42年(1967)5月7日
- 没年月日:平成11年(1999)12月4日(享年32歳)
- 出身大学:日本大学
- 所属部屋:立浪部屋
- 改名歴 :村田⇒大翔鳳
- 初土俵 :平成2年(1990)1月・幕下60付出(22歳8ヵ月)
- 新十両 :平成3年(1991)1月(23歳8ヵ月)
- 新入幕 :平成3年(1991)7月(24歳2ヵ月)
- 新三役 :平成5年(1993)1月(25歳8ヵ月)
- 最終場所:平成11年(1999)7月(32歳2ヵ月)
- 生涯戦歴:369勝380敗65休/746出場(58場所)
- 生涯勝率:49.3%
- 優勝等 :幕内次点1回,十両優勝1回
- 成 績 :敢闘賞2回
- 幕内戦歴:222勝261敗27休(34場所)勝率:46.0%
- 小結:11勝34敗(3場所)勝率:24.4%
- 前頭:211勝227敗27休(31場所)勝率:48.2%
- 十両戦歴:116勝108敗31休(17場所)勝率:51.8%