大嶽(おおたけ)部屋に在籍した主な力士をご紹介する大嶽部屋の大相撲力士まとめ!
この記事では大嶽部屋と、その前身ある大鵬部屋の主な関取たちを、最高位や改名歴、初土俵や各段の昇進時期と最終場所、さらには生涯戦歴と生涯勝率、成績等を中心にしてご紹介していきます。
なお、年寄名跡欄の
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大嶽部屋の系図
大嶽部屋は「昭和の大横綱」大鵬が創設した大鵬部屋がその前身となっています。大嶽部屋の成り立ちを図にしてみました。
大鵬~大嶽部屋の歴代師匠
一代年寄・大鵬 幸喜 (元横綱・大鵬)
大鵬 幸喜(たいほう こうき)は北海道川上郡弟子屈町出身、二所ノ関部屋の元力士で、最高位は第48代横綱。
昭和31年(1956)9月場所に16歳3ヶ月で初土俵を踏み、昭和46年(1971)5月場所を最後に引退(30歳11ヶ月)。
通算成績は872勝182敗136休1045出場。生涯勝率.827。通算87場所中、72場所を勝ち越した(勝ち越し率.837)。
主な成績は幕内優勝32回(同点2,次点10),十両優勝1回,幕下同点1回,三段目優勝1回。敢闘賞2回,技能賞1回,金星1個(朝潮1個)。
本名は納谷 幸喜。昭和15年(1940)5月29日生まれ。平成25年(2013)1月19日逝去(享年72歳)。
6連覇2回を含む優勝32回など数々の記録を樹立、柏戸と共に「柏鵬時代」を築く。没後に角界2人目となる国民栄誉賞が贈られた。
- 四股名
- 大鵬 幸喜(たいほう こうき)
- 最高位
- 第48代横綱
- 年寄名跡
一代年寄 大鵬 幸喜 - 出身地
- 北海道川上郡弟子屈町
- 本名
- 納谷 幸喜→住吉 幸喜→納谷 幸喜
- 生年月日
- 昭和15年(1940)5月29日
- 没年月日
- 平成25年(2013)1月19日(享年72歳)
- 所属部屋
- 二所ノ関部屋
- 改名歴
- 納谷 幸喜 → 大鵬 幸喜
- 初土俵
- 昭和31年(1956)9月 前相撲(16歳3ヶ月)
- 新十両
- 昭和34年(1959)5月(所要14場所)
- 18歳11ヶ月(初土俵から2年8ヶ月)
- 新入幕
- 昭和35年(1960)1月(所要18場所)
- 19歳7ヶ月(初土俵から3年4ヶ月)
- 新小結
- 昭和35年(1960)7月(所要21場所)
- 20歳0ヶ月(初土俵から3年9ヶ月)
- 新関脇
- 昭和35年(1960)9月(所要22場所)
- 20歳3ヶ月(初土俵から4年0ヶ月)
- 新大関
- 昭和36年(1961)1月(所要24場所)
- 20歳7ヶ月(初土俵から4年4ヶ月)
- 横綱昇進
- 昭和36年(1961)11月(所要29場所)
- 21歳5ヶ月(初土俵から5年2ヶ月)
- 最終場所
- 昭和46年(1971)5月(30歳11ヶ月)
- 大相撲歴
- 87場所(14年8ヶ月)
- 通算成績
- 872勝182敗136休1045出場(勝率.827)
- 通算87場所
- 勝ち越し72場所(勝ち越し率.837)
- 優勝等
- 幕内優勝32回(同点2,次点10),十両優勝1回,幕下同点1回,三段目優勝1回
- 受賞・金星
- 敢闘賞2回,技能賞1回,金星1個
- 幕内戦歴
- 746勝144敗136休881出場(勝率.838)
- 在位69場所(在位率.793)
- 勝ち越し56場所(勝ち越し率.812)
- 横綱戦歴
- 622勝103敗136休716出場(勝率.858)
- 在位58場所(在位率.667)
- 勝ち越し46場所(勝ち越し率.793)
- 大関戦歴
- 58勝17敗0休75出場(勝率.773)
- 在位5場所(在位率.057)
- 勝ち越し5場所(勝ち越し率1.000)
- 三役戦歴
- 36勝9敗0休45出場(勝率.800)
- 在位3場所(在位率.034)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率1.000)
- 関脇戦歴
- 25勝5敗0休30出場(勝率.833)
- 在位2場所(在位率.023)
- 勝ち越し2場所(勝ち越し率1.000)
- 小結戦歴
- 11勝4敗0休15出場(勝率.733)
- 在位1場所(在位率.011)
- 勝ち越し1場所(勝ち越し率1.000)
- 前頭戦歴
- 30勝15敗0休45出場(勝率.667)
- 在位3場所(在位率.034)
- 勝ち越し2場所(勝ち越し率.667)
- 十両戦歴
- 44勝16敗0休60出場(勝率.733)
- 在位4場所(在位率.046)
- 勝ち越し4場所(勝ち越し率1.000)
- 関取戦歴
- 790勝160敗136休941出場(勝率.832)
- 在位73場所(在位率.839)
- 勝ち越し60場所(勝ち越し率.822)
- 幕下以下歴
- 82勝22敗0休104出場(勝率.788)
- 在位13場所(在位率.149)
- 勝ち越し12場所(勝ち越し率.923)
第16代・大嶽 忠茂 (元関脇・貴闘力)
現役時には気迫のこもった相撲で観客を大いに沸かせた。引退後は舅である大鵬の部屋を継承して大嶽部屋へと改称も、後に野球賭博への関与によって解雇処分に
- 四股名 :貴闘力 忠茂(たかとうりき ただしげ)
- 最高位 :関脇
- 年寄名跡:
16代大嶽 - 出身地 :福岡県福岡市博多区 ⇒ 兵庫県神戸市
- 本 名 :鎌苅 忠茂⇒納谷 忠茂
- 生年月日:昭和42年(1967)9月28日
- 所属部屋:藤島⇒二子山部屋
- 改名歴 :鎌苅⇒貴闘力
- 初土俵 :昭和58年(1983)3月(15歳6ヵ月)
- 新十両 :平成元年(1989)5月(21歳8ヵ月)
- 新入幕 :平成2年(1990)9月(23歳0ヵ月)
- 新三役 :平成3年(1991)5月(23歳8ヵ月)
- 最終場所:平成14年(2002)9月(35歳0ヵ月)
- 生涯戦歴:754勝703敗/1456出場(118場所)
- 生涯勝率:51.8%
- 優勝等 :幕内優勝1回(同点1・次点1),十両同点1回,幕下優勝1回,序ノ口同点1回
- 成 績 :殊勲賞3回,敢闘賞10回,技能賞1回,金星9個
- 幕内戦歴:505勝500敗(67場所)勝率:50.2%
- 関脇:113勝112敗(15場所)勝率:50.2%
- 小結:74勝91敗(11場所)勝率:44.8%
- 前頭:318勝297敗(41場所)勝率:51.7%
- 十両戦歴:96勝97敗(13場所)勝率:49.7%
第17代・大嶽 忠博 (元十4・大竜)
大竜 忠博 (だいりゅう ただひろ)は大阪府大阪市西成区出身、大鵬部屋の元力士で、最高位は十両4枚目。
昭和51年(1976)5月場所に15歳7ヶ月で初土俵を踏み、平成9年(1997)7月場所を最後に引退(36歳9ヶ月)。
通算成績は553勝508敗28休1060出場。生涯勝率.522。通算128場所中、72場所を勝ち越した(勝ち越し率.567)。
主な成績は幕下(同点1)、三段目(同点1)。
昭和35年(1960)9月30日生まれ。本名は永本 忠博→佐藤 忠博。
大鵬部屋で長く修行し、10年近い幕下での足踏みを経て関取の座を掴んだ苦労人であった。左四つからの力強い寄りを武器に十両で長く活躍し、引退後は最高位が十両ながら年寄名跡を取得。後年は師匠である大鵬の思いを継いで大嶽部屋の師匠となり、部屋の存続と大鵬の孫たちの育成に相撲人生を捧げた。
入門と長い幕下生活
中学時代はサッカー部に所属していたが、卒業後に知人の紹介で角界入りを勧められる。昭和の大横綱である大鵬からの熱心な誘いを受けて上京し、入門を決意。昭和51年(1976年)5月場所において、本名の「永本」の四股名で初土俵を踏んだ。
順調に番付を上げ、昭和54年(1979年)7月場所には18歳で幕下へ昇進する。しかし、そこから9年近くにわたり幕下の壁に跳ね返される苦しい時期が続いた。
師匠の鉄拳と新十両昇進
転機となったのは、西幕下4枚目で迎えた昭和62年(1987年)9月場所であった。勝ち越せば関取という地位で負け越し、千秋楽のパーティーで自棄酒をあおっていたところ、後援者から「稽古が足りないからだ」と咎められる。これに対して「稽古を見たことがあるのか」と食って掛かったため、その様子を見た師匠の大鵬から激しい鉄拳制裁を受けた。一時は「こんな部屋辞めてやる」と荷物をまとめるほど反発したが、翌日に廃業の覚悟で謝罪へ向かうと、大鵬は「お前の努力は俺が一番知っている。悔しいだろう。辞めないで頑張れ。関取に上がって見返してやれ」と諭した。
師匠の深い愛情と期待の言葉に奮起し、昭和63年(1988年)3月場所において悲願の新十両昇進を果たす。本名から「大竜(だいりゅう)」へと改名し、十両の土俵に定着した。
最高位と不屈の現役晩年
左四つからの寄りを武器に長く活躍し、平成6年(1994年)11月場所では自己最高位となる東十両4枚目まで番付を上げる。幕内昇進の期待も懸かったが、この場所は6勝9敗に終わり、惜しくも入幕は果たせなかった。さらに翌平成7年(1995年)5月場所中に右膝を故障して途中休場となり、幕下へ陥落してしまう。それでも諦めずに2度の十両復帰を果たしたが、右膝の調子が戻らず関取の座に定着することは叶わなかった。平成9年(1997年)7月場所を最後に現役を引退した。
大嶽部屋継承と大鵬への忠誠
当時の規定には「十両以上連続20場所または通算25場所以上経験した力士に年寄資格を認める」というものがあり、大竜はこれを満たしていた。大鵬の尽力もあって最高位が十両でありながら年寄名跡の取得が叶い、日本相撲協会に残った。大鵬部屋から大嶽部屋へと名称が変わる中、部屋付き親方として指導にあたっていたが、平成22年(2010年)に当時の師匠である16代大嶽(元関脇・貴闘力)が不祥事により解雇処分となる重大な危機に直面する。この際、部屋の継承を打診されたが「自分の名前では弟子は入らない」と当初は2度固辞した。しかし、病床の大鵬から直々に頭を下げられ、「弟子が師匠にこんなことをさせてはいけない」と決意を固め、17代大嶽を襲名して部屋を継承した。
その後は大鵬の孫たち(のちの王鵬ら)を弟子として引き受け、周囲からの心ない声やバッシングも激励と受け止め、自身にとって人生のすべてである師匠の教えを愚直に守り抜いた。
大鵬の遺志と部屋の存続
令和7年(2025年)9月に自身の停年を迎えるにあたり、部屋の後継者問題が浮上する。一時は他部屋との合併案も進み、後援者らの了承も得ていたが、「大鵬親方から部屋を残してくれと託されているのに、潰してしまえば親方の気持ちに反してしまう」と思い留まり、大嶽部屋の存続を決断する。こうして、同じ二所ノ関一門で片男波部屋の部屋付き親方だった17代熊ヶ谷(元前頭・玉飛鳥)を招聘し、名跡交換して師匠の座を託すと、自身は18代熊ヶ谷を襲名して部屋付き親方として残った。自らの土俵人生のすべてを懸けて「大鵬の血脈と部屋の看板」を守り抜いたのである。
- 四股名
- 大竜 忠博 (だいりゅう ただひろ)
- 最高位
- 十両4枚目
- 年寄名跡
- 15代大嶽 忠博(大鵬) → 16代佐ノ山 忠博(大鵬) → 16代佐ノ山 忠博(大嶽) → 19代山響 忠博(大嶽) → 12代二子山 忠博(大嶽) → 17代大嶽 忠博 → 18代熊ヶ谷 忠博(大嶽)
- 出身地
- 大阪府大阪市西成区
- 本名
- 永本 忠博→佐藤 忠博
- 生年月日
- 昭和35年(1960)9月30日(65歳)
- 所属部屋
- 大鵬部屋
- 改名歴
- 永本 忠博 → 永本 忠晴 → 永本 忠博 → 永本 忠晴 → 永本 忠博 → 大竜 忠博 → 大竜 忠晴 → 大竜 忠博
- 初土俵
- 昭和51年(1976)5月 前相撲(15歳7ヶ月)
- 新十両
- 昭和63年(1988)3月(所要71場所)
- 27歳5ヶ月(初土俵から11年10ヶ月)
- 最終場所
- 平成9年(1997)7月場所(36歳9ヶ月)
- 大相撲歴
- 128場所(21年2ヶ月)
- 通算成績
- 553勝508敗28休1060出場(勝率.522)
- 通算128場所
- 勝ち越し72場所(勝ち越し率.567)(勝ち越し星156)
- 優勝等
- 幕下(同点1),三段目(同点1)
- 持給金
- 81円(勝ち越し星156個)
- 十両戦歴
- 173勝195敗7休367出場(勝率.471)
- 在位25場所(在位率.195)
- 勝ち越し12場所(勝ち越し率.480)
- 関取戦歴
- 173勝195敗7休367出場(勝率.471)
- 在位25場所(在位率.195)
- 勝ち越し12場所(勝ち越し率.480)
- 幕下以下歴
- 380勝313敗21休693出場(勝率.548)
- 在位102場所(在位率.797)
- 勝ち越し60場所(勝ち越し率.588)
名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。
- ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(142回 / 50.9%)
- ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(89回 / 32.0%)
- ✅ 得意な相手:維新力(8勝3敗 / 勝率.727)
- ✅ 苦手な相手:陸奥北海(1勝6敗 / 勝率.143)
第18代・大嶽 大輔 (元前頭9枚目・玉飛鳥)
玉飛鳥 大輔 (たまあすか だいすけ)は愛知県名古屋市熱田区出身、片男波部屋の元力士で、最高位は前頭9枚目。
平成10年(1998)3月場所に15歳1ヶ月で初土俵を踏み、平成28年(2016)9月場所を最後に引退(33歳7ヶ月)※番付上は平成28年(2016)11月場所。
通算成績は580勝569敗29休1146出場。生涯勝率.506。通算111場所中、61場所を勝ち越した(勝ち越し率.555)。
主な成績は十両優勝2回(同点1)、幕下優勝2回(同点1)。
昭和58年(1983)1月26日生まれ。本名は高橋 大輔。
中学生横綱のタイトルを引っ提げて15歳で角界へ飛び込み、怪我や病と闘いながら関取の座を幾度も失い、そのたびに這い上がった不屈の土俵人生であった。押しや左四つからの寄りを得意とし、中学生横綱を獲得して中学卒業と同時に入門した力士としては、唯一の幕内力士となった。
中学生横綱から15歳での角界入り
父の勧めで小学生の頃から相撲に親しみ、わんぱく相撲などの大会に出場する。名古屋市立日比野中学校へ進学後も実力を伸ばし、3年次に出場した全国中学校相撲選手権大会で個人優勝を果たし、見事中学生横綱の栄冠に輝いた。卒業後は高校へ進学する予定であったが、当時の13代片男波(元関脇・玉ノ富士)からの熱心なスカウトに加え、相撲関係者から「同学年で一番強いのだから、早く角界に入るべきだ」と後押しを受け、中学卒業と同時に片男波部屋への入門を決意する。
四股名の「玉飛鳥(たまあすか)」は、入門の直前に亡くなった父が名付けたものである。「飛ぶ鳥を落とす勢い」で出世してほしいという願いと、日本古来の歴史を連想させる「飛鳥時代」に因んで命名された。父の思いを背負い、平成10年(1998年)3月場所において15歳1ヶ月で初土俵を踏んだ。
幕内昇進と襲いかかる怪我・病
入門後は着実に番付を上げ、平成16年(2004年)9月場所では西幕下4枚目の地位で7戦全勝の幕下優勝を飾り、翌11月場所での新十両昇進を決めた。その後も十両上位で好成績を収め、平成17年(2005年)7月場所で新入幕を果たす。東前頭14枚目で迎えた新入幕の場所は9勝6敗と勝ち越し、幕内の土俵にも適応する姿を見せた。
順調な出世に見えたが、幕内3場所目となる同年11月場所で足を骨折し、途中休場を余儀なくされる。この怪我は深刻であり、それまで糖尿病に罹っても挫けなかった玉飛鳥も引退を思い詰めるほどであった。しかし、師匠から「力士は一度引退したら二度と復帰できない」と説得され、土俵に踏みとどまる決意を固める。
不屈の復活劇と度重なる昇降格
足首の故障と糖尿病が重なり、幕下上位から一時は西幕下31枚目まで番付を下げるなど苦しい時期が続いた。しかし、平成20年(2008年)5月場所で2度目の幕下優勝を果たし、翌7月場所には地元・名古屋の地で10場所ぶりの関取復帰を果たす。さらに、平成21年(2009年)5月場所では12勝3敗で十両優勝を飾り、同年9月場所において23場所ぶりとなる幕内復帰を果たした。
その後も怪我の影響などで番付を落とし、幕下から幕内までを往復する激動の土俵生活となる。それでも決して諦めることなく這い上がり、平成24年(2012年)5月場所では12勝3敗で2度目の十両優勝を飾り、再び幕内の土俵へ返り咲いた。現役生活を通して再十両と再入幕をそれぞれ7回ずつ経験する苦労人であったが、玉飛鳥は関取や幕内へ復帰した際の喜びについて「毎回(新十両や新入幕の時と)同じくらいうれしかった。辛かったことの方が多かったけど、うれしさの方が大きかった」と語っており、相撲への純粋な情熱を燃やし続けた。
引退と大嶽部屋継承
ベテランとなってからも若手の高い壁として奮闘を続けたが、平成27年(2015年)11月場所で大きく負け越し、翌場所での幕下陥落を喫した頃から引退の二文字がよぎるようになる。周囲からの「まだやれる」という励ましを受けながら土俵を務めたものの、関取復帰の壁は厚く、平成28年(2016年)9月場所を最後に現役引退を決断した。引退に際しては「父は横綱になってくれと言っていた。父からみればまだまだと言われるかもしれませんが、ここまでやれてよかった」と、亡き父への思いを口にしている。
引退後は年寄・15代荒磯を襲名して日本相撲協会に残り、のちに17代熊ヶ谷へと名跡を変更する。指導者として後進の育成に尽力していたが、令和7年(2025年)に転機が訪れる。同じ二所ノ関一門の大嶽部屋において、17代大嶽(元十両・大竜)の停年退職に伴う後継者問題が浮上し、部屋付き親方が不在であったことから、一門内で白羽の矢が立ったのである。同年9月1日付で大嶽部屋へ転籍し、同月29日付で18代大嶽を襲名して部屋を継承。新たな師匠として、部屋の歴史を紡いでいる。
- 四股名
- 玉飛鳥 大輔 (たまあすか だいすけ)
- 最高位
- 前頭9枚目
- 年寄名跡
- 15代荒磯 大輔(片男波) → 17代熊ヶ谷 大輔(片男波) → 17代熊ヶ谷 大輔(大嶽) → 18代大嶽 大輔
- 出身地
- 愛知県名古屋市熱田区
- 本名
- 高橋 大輔
- 生年月日
- 昭和58年(1983)1月26日(43歳)
- 所属部屋
- 片男波部屋
- 改名歴
- 玉飛鳥 大輔
- 初土俵
- 平成10年(1998)3月 前相撲(15歳1ヶ月)
- 新十両
- 平成16年(2004)11月(所要40場所)
- 21歳9ヶ月(初土俵から6年8ヶ月)
- 新入幕
- 平成17年(2005)7月(所要44場所)
- 22歳5ヶ月(初土俵から7年4ヶ月)
- 最終場所
- 平成28年(2016)9月場所(33歳7ヶ月)※番付上は平成28年(2016)11月場所
- 大相撲歴
- 111場所(18年6ヶ月)
- 通算成績
- 580勝569敗29休1146出場(勝率.506)
- 通算111場所
- 勝ち越し61場所(勝ち越し率.555)(勝ち越し星177)
- 優勝等
- 十両優勝2回(同点1),幕下優勝2回(同点1)
- 持給金
- 91円50銭(勝ち越し星177個)
- 幕内戦歴
- 54勝109敗17休161出場(勝率.335)
- 在位12場所(在位率.108)
- 勝ち越し1場所(勝ち越し率.083)
- 前頭戦歴
- 54勝109敗17休161出場(勝率.335)
- 在位12場所(在位率.108)
- 勝ち越し1場所(勝ち越し率.083)
- 十両戦歴
- 282勝291敗12休572出場(勝率.493)
- 在位39場所(在位率.351)
- 勝ち越し21場所(勝ち越し率.538)
- 関取戦歴
- 336勝400敗29休733出場(勝率.458)
- 在位51場所(在位率.459)
- 勝ち越し22場所(勝ち越し率.431)
- 幕下以下歴
- 244勝169敗0休413出場(勝率.591)
- 在位59場所(在位率.532)
- 勝ち越し39場所(勝ち越し率.661)
名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。
- ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(229回 / 39.5%)
- ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(134回 / 23.5%)
- ✅ 得意な相手:安壮富士(7勝1敗 / 勝率.875)
- ✅ 苦手な相手:時天空(0勝8敗 / 勝率.000)
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