藤島部屋の歴代力士一覧|武蔵川から藤島までの全関取と優勝・三賞記録

藤島(ふじしま)部屋の過去から現在までの主な所属力士をご紹介する藤島部屋の大相撲力士まとめ!

この記事では藤島部屋と、その前身である武蔵川部屋の主な関取を中心に紹介していきます。過去の力士については最高位や改名歴、初土俵や各段の昇進時期と最終場所、さらに生涯戦歴と生涯勝率、成績等を中心にご紹介していきます。また、現役力士については最高位と昇進時期、主な成績などを載せています。

現役の藤島部屋力士の最新番付や成績、詳細なデータをご覧になりたい方はこちら

5月場所千秋楽の取組結果はこちら。


5月場所の各段の成績順はこちらで確認ができます。

相撲部屋や出身地ごとの成績から、場所中はリアルタイムでランキングを作成しております。今場所好調な相撲部屋や力士の出身地はどこ?

藤島部屋の基本情報
一門
:出羽海一門
創設
:昭和56年(1981年)8月29日 武蔵川部屋として創設
創設者
:第14代・武蔵川 晃偉 (元横綱・三重ノ海 剛司)
改称
:平成22年(2010年)9月29日 藤島部屋へと改称
改称者
:第18代・藤島 武人 (元大関・武双山 正士)
現師匠
:同上
所在地
:東京都荒川区東日暮里4-27-1 📍地図
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藤島部屋の概略

現在の相撲部屋のなかで屈指のややこしさを誇るのが、この藤島部屋と武蔵川部屋の関係性ではないでしょうか?ちょっと整理しておきましょう。

藤島部屋とは

藤島部屋とは、14代武蔵川(元横綱・三重ノ海)が興した武蔵川部屋を前身とする相撲部屋です。

出羽海部屋からの分家で武蔵川部屋の創設

昭和55年(1980年)11月場所中に引退した横綱・三重ノ海は、14代武蔵川として出羽海部屋の部屋付親方を努めていましたが、昭和56年(1981年)8月29日に分家独立を果たして武蔵川部屋を創設しました。 「不許分家独立」の不文律がある出羽海部屋からの円満分家は、大正14年(1925年)5月の元横綱・栃木山による春日野部屋創設以来、実に56年ぶりとなる分家でした。

武蔵川部屋から藤島部屋へ、そして「新生」武蔵川部屋

数々の名力士を育て上げた14代は、平成22年(2010年)9月に師匠の座を18代藤島(元大関・武双山)へと譲りますが、名跡の交換はせずに部屋の名称は武蔵川部屋から藤島部屋へと改称されました。

そして、この藤島部屋の部屋付親方だった15代武蔵川(元横綱武蔵丸)が平成25年(2013年)4月1日に分家独立をして創設したのが現在の武蔵川部屋となります。

つまり、「本家は名称を変更して、分家が本家の名を継いだ」と言う関係性にあるのです。

藤島部屋の系譜

藤島部屋の成り立ちを系譜でご紹介します。

武蔵川部屋の系譜

藤島部屋の優勝力士

藤島部屋 歴代幕内優勝力士一覧

藤島部屋と、その前身である武蔵川部屋では、これまでに3人の力士が幕内優勝を達成しており、優勝回数はあわせて14回になります。

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最多優勝は武蔵丸で12回の幕内優勝を達成しています。

連覇記録では、武蔵丸が2連覇を3回達成しています。

藤島部屋(当時は武蔵川部屋)初の優勝力士は武蔵丸で、いまから31年10ヶ月前の平成6年(1994年)7月場所のことでした。

また、直近の優勝力士も同じく武蔵丸で、いまから23年8ヶ月前の平成14年(2002年)9月場所です。

場所年月四股名番付成績年齢出身地最高位部屋備考
平成14年9月
(2002年)
H14.9
2002
武蔵丸
[12回目]
東横綱13勝2敗31歳4ヶ月ハワイ横綱武蔵川
長期休場明けの貴乃花を破り、現役最後となる12回目の優勝
平成14年5月
(2002年)
H14.5
2002
武蔵丸
[11回目]
2連覇
東横綱13勝2敗31歳0ヶ月ハワイ横綱武蔵川
平成14年3月
(2002年)
H14.3
2002
武蔵丸
[10回目]
東横綱13勝2敗30歳10ヶ月ハワイ横綱武蔵川
武蔵丸、10回目の優勝
平成13年11月
(2001年)
H13.11
2001
武蔵丸
[9回目]
東横綱13勝2敗30歳6ヶ月ハワイ横綱武蔵川
平成12年9月
(2000年)
H12.9
2000
武蔵丸
[8回目]
西横綱14勝1敗29歳4ヶ月ハワイ横綱武蔵川
平成12年1月
(2000年)
H12.1
2000
武双山
[初]
東関脇13勝2敗27歳11ヶ月茨城県大関武蔵川
平成11年11月
(1999年)
H11.11
1999
武蔵丸
[7回目]
2連覇
東横綱12勝3敗28歳6ヶ月ハワイ横綱武蔵川
平成11年9月
(1999年)
H11.9
1999
武蔵丸
[6回目]
西横綱12勝3敗28歳4ヶ月ハワイ横綱武蔵川
平成11年7月
(1999年)
H11.7
1999
出島
[初]
西関脇13勝2敗25歳3ヶ月石川県大関武蔵川
横綱・曙との優勝決定戦、立ち合い左にいなす注文相撲で勝利
平成11年5月
(1999年)
H11.5
1999
武蔵丸
[5回目]
2連覇
東大関13勝2敗28歳0ヶ月ハワイ横綱武蔵川
2場所連続優勝、場所後に横綱へと昇進
平成11年3月
(1999年)
H11.3
1999
武蔵丸
[4回目]
東大関13勝2敗27歳10ヶ月ハワイ横綱武蔵川
平成10年1月
(1998年)
H10.1
1998
武蔵丸
[3回目]
西大関12勝3敗26歳8ヶ月ハワイ横綱武蔵川
平成8年11月
(1996年)
H8.11
1996
武蔵丸
[2回目]
西大関11勝4敗25歳6ヶ月ハワイ横綱武蔵川
平成6年7月
(1994年)
H6.7
1994
武蔵丸
[初]
西大関全勝15勝0敗23歳2ヶ月ハワイ横綱武蔵川
武蔵丸、初優勝を全勝で飾る

藤島部屋 幕内優勝回数ランキング

藤島部屋の幕内優勝回数ランキングです。1位が武蔵丸で12回、2位が出島と武双山の2人で1回ずつとなっています。

※勝利合計と敗戦合計・勝率は、幕内優勝場所での成績合計です。

順位四股名最高位優勝
回数
横綱大関関脇小結前頭勝利
合計
敗戦
合計
勝率部屋出身地
1位武蔵丸横綱12回75000154勝26敗.856武蔵川ハワイ
2位出島大関1回010013勝2敗.867武蔵川石川県
2位武双山大関1回010013勝2敗.867武蔵川茨城県
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藤島部屋の三賞受賞力士

藤島部屋 歴代三賞受賞力士一覧

藤島部屋と、その前身である武蔵川部屋では、これまでに9人の力士が三賞を受賞しており、獲得数はあわせて41回になります。

受賞の内訳は、技能賞が11回、殊勲賞が11回、敢闘賞が19回となっています。

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また、トリプル受賞は出島が1回。ダブル受賞は武双山が3回、出島が2回、雅山が1回ずつ達成しています。

場所年月 番付 受賞力士 受賞 成績 受賞時
年齢
出身地 部屋 初土俵 生年月日
令和8年3月
(2026年)
R8.3
(2026)
西前頭13西前頭13藤青雲敢闘賞 [初]10勝5敗28歳3ヶ月熊本県藤島令和3年3月
(2021年)
平成9年12月5日
(1997年)
平成21年11月
(2009年)
H21.11
(2009)
西前頭9西前頭9雅山敢闘賞 [5回目]12勝3敗32歳4ヶ月茨城県武蔵川平成10年7月
(1998年)
昭和52年7月28日
(1977年)
平成21年7月
(2009年)
H21.7
(2009)
東前頭10東前頭10翔天狼敢闘賞 [初]11勝4敗27歳5ヶ月モンゴル武蔵川平成13年3月
(2001年)
昭和57年1月31日
(1982年)
平成19年5月
(2007年)
H19.5
(2007)
東前頭10東前頭10出島敢闘賞 [4回目]12勝3敗33歳2ヶ月石川県武蔵川平成8年3月
(1996年)
昭和49年3月21日
(1974年)
平成18年5月
(2006年)
H18.5
(2006)
西関脇西関脇雅山
ダブル
殊勲賞 [2回目]14勝1敗28歳9ヶ月茨城県武蔵川平成10年7月
(1998年)
昭和52年7月28日
(1977年)
技能賞 [初]
平成17年11月
(2005年)
H17.11
(2005)
東前頭4東前頭4雅山敢闘賞 [4回目]10勝5敗28歳3ヶ月茨城県武蔵川平成10年7月
(1998年)
昭和52年7月28日
(1977年)
平成16年1月
(2004年)
H16.1
(2004)
東前頭5東前頭5垣添技能賞 [初]11勝4敗25歳5ヶ月大分県武蔵川平成13年9月
(2001年)
昭和53年8月12日
(1978年)
平成14年1月
(2002年)
H14.1
(2002)
東前頭8東前頭8武雄山敢闘賞 [2回目]11勝4敗27歳5ヶ月愛知県武蔵川平成9年3月
(1997年)
昭和49年7月29日
(1974年)
平成13年11月
(2001年)
H13.11
(2001)
西前頭15西前頭15武雄山敢闘賞 [初]10勝5敗27歳3ヶ月愛知県武蔵川平成9年3月
(1997年)
昭和49年7月29日
(1974年)
平成13年1月
(2001年)
H13.1
(2001)
東前頭3東前頭3和歌乃山敢闘賞 [初]9勝6敗28歳8ヶ月和歌山県武蔵川昭和63年3月
(1988年)
昭和47年5月12日
(1972年)
平成12年5月
(2000年)
H12.5
(2000)
東関脇東関脇雅山敢闘賞 [3回目]11勝4敗22歳9ヶ月茨城県武蔵川平成10年7月
(1998年)
昭和52年7月28日
(1977年)
平成12年3月
(2000年)
H12.3
(2000)
東関脇東関脇武双山技能賞 [4回目]12勝3敗28歳1ヶ月茨城県武蔵川平成5年1月
(1993年)
昭和47年2月14日
(1972年)
平成12年3月
(2000年)
H12.3
(2000)
西関脇西関脇雅山敢闘賞 [2回目]11勝4敗22歳7ヶ月茨城県武蔵川平成10年7月
(1998年)
昭和52年7月28日
(1977年)
平成12年1月
(2000年)
H12.1
(2000)
東関脇東関脇武双山
ダブル
殊勲賞 [5回目]13勝2敗
優勝
27歳11ヶ月茨城県武蔵川平成5年1月
(1993年)
昭和47年2月14日
(1972年)
技能賞 [3回目]
平成12年1月
(2000年)
H12.1
(2000)
西小結西小結雅山殊勲賞 [初]12勝3敗22歳5ヶ月茨城県武蔵川平成10年7月
(1998年)
昭和52年7月28日
(1977年)
平成11年7月
(1999年)
H11.7
(1999)
西関脇西関脇出島
トリプル
殊勲賞 [3回目]13勝2敗
優勝
25歳3ヶ月石川県武蔵川平成8年3月
(1996年)
昭和49年3月21日
(1974年)
敢闘賞 [3回目]
技能賞 [3回目]
平成11年3月
(1999年)
H11.3
(1999)
東前頭7東前頭7雅山敢闘賞 [初]9勝6敗21歳8ヶ月茨城県武蔵川平成10年7月
(1998年)
昭和52年7月28日
(1977年)
平成11年1月
(1999年)
H11.1
(1999)
西関脇西関脇武双山殊勲賞 [4回目]10勝5敗26歳11ヶ月茨城県武蔵川平成5年1月
(1993年)
昭和47年2月14日
(1972年)
平成10年7月
(1998年)
H10.7
(1998)
西前頭4西前頭4出島殊勲賞 [2回目]10勝5敗24歳3ヶ月石川県武蔵川平成8年3月
(1996年)
昭和49年3月21日
(1974年)
平成10年5月
(1998年)
H10.5
(1998)
西前頭11西前頭11出島敢闘賞 [2回目]10勝5敗24歳2ヶ月石川県武蔵川平成8年3月
(1996年)
昭和49年3月21日
(1974年)
平成10年1月
(1998年)
H10.1
(1998)
東関脇東関脇武双山敢闘賞 [4回目]10勝5敗25歳11ヶ月茨城県武蔵川平成5年1月
(1993年)
昭和47年2月14日
(1972年)
平成9年11月
(1997年)
H9.11
(1997)
東前頭6東前頭6武双山敢闘賞 [3回目]11勝4敗25歳9ヶ月茨城県武蔵川平成5年1月
(1993年)
昭和47年2月14日
(1972年)
平成9年9月
(1997年)
H9.9
(1997)
東前頭筆頭東前頭筆頭出島
ダブル
殊勲賞 [初]11勝4敗23歳6ヶ月石川県武蔵川平成8年3月
(1996年)
昭和49年3月21日
(1974年)
技能賞 [2回目]
平成9年3月
(1997年)
H9.3
(1997)
東前頭13東前頭13出島
ダブル
敢闘賞 [初]11勝4敗23歳0ヶ月石川県武蔵川平成8年3月
(1996年)
昭和49年3月21日
(1974年)
技能賞 [初]
平成8年3月
(1996年)
H8.3
(1996)
東関脇東関脇武双山技能賞 [2回目]12勝3敗24歳1ヶ月茨城県武蔵川平成5年1月
(1993年)
昭和47年2月14日
(1972年)
平成7年7月
(1995年)
H7.7
(1995)
西関脇西関脇武双山技能賞 [初]10勝5敗23歳5ヶ月茨城県武蔵川平成5年1月
(1993年)
昭和47年2月14日
(1972年)
平成7年5月
(1995年)
H7.5
(1995)
西前頭4西前頭4武双山
ダブル
敢闘賞 [2回目]11勝4敗23歳3ヶ月茨城県武蔵川平成5年1月
(1993年)
昭和47年2月14日
(1972年)
殊勲賞 [3回目]
平成6年9月
(1994年)
H6.9
(1994)
東関脇東関脇武双山
ダブル
殊勲賞 [2回目]13勝2敗22歳7ヶ月茨城県武蔵川平成5年1月
(1993年)
昭和47年2月14日
(1972年)
敢闘賞 [初]
平成6年1月
(1994年)
H6.1
(1994)
西前頭3西前頭3武双山殊勲賞 [初]10勝5敗21歳11ヶ月茨城県武蔵川平成5年1月
(1993年)
昭和47年2月14日
(1972年)
平成6年1月
(1994年)
H6.1
(1994)
東関脇東関脇武蔵丸技能賞 [2回目]12勝3敗22歳8ヶ月ハワイ武蔵川平成元年9月
(1989年)
昭和46年5月2日
(1971年)
平成5年11月
(1993年)
H5.11
(1993)
西関脇張出西関脇張出武蔵丸殊勲賞 [初]13勝2敗22歳6ヶ月ハワイ武蔵川平成元年9月
(1989年)
昭和46年5月2日
(1971年)
平成4年7月
(1992年)
H4.7
(1992)
東小結東小結武蔵丸技能賞 [初]11勝4敗21歳2ヶ月ハワイ武蔵川平成元年9月
(1989年)
昭和46年5月2日
(1971年)
平成3年11月
(1991年)
H3.11
(1991)
東前頭12東前頭12武蔵丸敢闘賞 [初]11勝4敗20歳6ヶ月ハワイ武蔵川平成元年9月
(1989年)
昭和46年5月2日
(1971年)

藤島部屋 三賞受賞回数ランキング

受賞回数は、1位が武双山で13回(殊勲賞5回・技能賞4回・敢闘賞4回)、2位が出島で10回(殊勲賞3回・技能賞3回・敢闘賞4回)、3位が雅山で8回(殊勲賞2回・技能賞1回・敢闘賞5回)となっています。4位以下含む全順位の詳細は、以下の表をご覧ください。

順位 四股名 三賞
合計
技能賞 殊勲賞 敢闘賞 最高位 部屋 出身地
1位 武双山 13回 4 5 4 大関 武蔵川 茨城県
2位 出島 10回 3 3 4 大関 武蔵川 石川県
3位 雅山 8回 1 2 5 大関 武蔵川 茨城県
4位 武蔵丸 4回 2 1 1 横綱 武蔵川 ハワイ
5位 武雄山 2回 0 0 2 前頭筆頭 武蔵川 愛知県
6位 和歌乃山 1回 0 0 1 小結 武蔵川 和歌山県
6位 垣添 1回 1 0 0 小結 武蔵川 大分県
6位 翔天狼 1回 0 0 1 前頭2 武蔵川 モンゴル
6位 藤青雲 1回 0 0 1 前頭6 藤島 熊本県

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武蔵川部屋の最高位:横綱

第67代横綱 武蔵丸 光洋

武蔵丸 光洋 (むさしまる こうよう)アメリカ・ハワイ州オアフ島出身、武蔵川部屋の元力士で、最高位は第67代横綱

平成元年(1989)9月場所に18歳4ヶ月で初土俵を踏み、平成15年(2003)11月場所を最後に引退(32歳6ヶ月)。

通算成績は779勝294敗115休1068出場。生涯勝率.729。通算86場所中、75場所を勝ち越した(勝ち越し率.882)。

主な成績は幕内優勝12回(同点6 次点8)、十両優勝1回、三段目優勝1回、序ノ口優勝1回殊勲賞1回、敢闘賞1回、技能賞2回

昭和46年(1971)5月2日生まれ。本名はペニタニ フィアマル→武蔵丸 光洋。

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アメリカ領サモアに生まれ、ハワイで育ち、外国出身力士として2人目の横綱へと昇進した第67代横綱・武蔵丸。強靱な肉体と突き押しを武器に、曙や貴乃花ら強力なライバルたちと激しい覇権争いを繰り広げた。大関在位32場所という長い期間において一度も負け越しや角番を経験せず、幕内55場所連続勝ち越しという歴代1位の金字塔を打ち立てるなど、類まれな安定感で大相撲の一時代を力強く支えた。

言葉の壁と家計を助けるための角界入り

6歳の時に一家でハワイに移住したが、当初はサモア語しか話せず、環境に馴染むのに苦労したという。小学校時代にアメリカンフットボールを始め、高校時代には授業料免除の特待生としてディフェンスラインで活躍し、プロを目指していた。大学からも勧誘を受けたが、経済的な理由から進学を断念。「大きな体を生かして家計を助けよう」と決心し、14代武蔵川(元横綱・三重ノ海)からのスカウトを受けて角界入りを決意した。四股名は所属する武蔵川部屋と本名の「フィアマル」から取って「武蔵丸」と名付けられた。

平成元年(1989年)9月場所に初土俵を踏む。幕下時代は1日100番の猛稽古で鍛え上げ、苦手だった納豆を含めて何でも食べるよう心掛けた。幕下2場所目となる平成2年(1990年)9月場所に2勝5敗で入門後初の負け越しを経験したが、これ以降、平成12年(2000年)1月場所まで約10年間にわたり一度も負け越しを喫しないこととなる。順調に番付を上げ、平成3年(1991年)7月場所に新十両へ昇進。その場所を11勝4敗の成績で十両優勝を果たすと、翌9月場所も10勝を挙げて十両を2場所で通過し、同年11月場所には新入幕を果たした。

大関昇進と外国出身力士初の全勝優勝

幕内上位に定着すると、突き押しに加えて右差しからの攻めを覚え、安定感を増していく。平成4年(1992年)5月場所に小結へ昇進し、同年9月場所で関脇へ昇進。平成5年(1993年)11月場所では13勝2敗の好成績で初の殊勲賞を獲得するなど実績を重ね、平成6年(1994年)3月場所後に大関昇進を果たした。

同年7月場所では15戦全勝の圧倒的な成績を残し、外国出身力士として史上初となる幕内全勝優勝を達成する。大雨と暴風の中で行われた優勝パレードの後、武蔵丸本人が「関脇や小結に本当に強い力士がいっぱいいた中での全勝だから価値がある」と語った通り、当時の層の厚い幕内上位において極めて価値の高い初優勝であった。

分厚い上位の壁と日本国籍取得

全勝優勝を成し遂げたものの、当時の上位陣は曙や貴乃花をはじめとする強力なライバルがひしめき合う分厚い壁が存在しており、幾度も優勝争いに加わりながらも横綱にはあと一歩届かない場所が続いた。現状を打破するため、右差しで腕を返して寄る相撲へと型を磨き、上位陣への対抗策を模索し続けた。

土俵外では、平成8年(1996年)1月22日に日本国籍を取得し、本名を「武蔵丸光洋」としている。同年11月場所では幕内史上最多となる5人での優勝決定巴戦を制し、14場所ぶり2度目の幕内優勝を果たした。

記録的な連続勝ち越しと横綱昇進

平成11年(1999年)3月場所は当時の3横綱が全員休場する異例の事態となったが、武蔵丸は千秋楽に大関・貴ノ浪との12勝2敗同士の相星決戦を制して13勝2敗で4度目の優勝を果たした。同時に、幕下時代から続く連続勝ち越し記録を「51場所」へと伸ばし、歴代1位の新記録を樹立する。

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続く同年5月場所でも、千秋楽に横綱・曙を破って13勝2敗で連続優勝を飾った。当時の分厚い上位陣に阻まれて大関在位は32場所におよんだが、その間に一度も負け越しや角番を経験しない無類の安定感と優勝5回の実績が評価され、場所後に第67代横綱への昇進を決めた。大関在位32場所での横綱昇進は、琴櫻と並ぶ史上1位タイのスロー記録であった。

貴乃花との激闘と一人横綱の重責

横綱昇進後も持ち前の力強さを発揮し、平成11年には自身初の年間最多勝を獲得する。しかし、平成12年(2000年)1月場所に左手首の負傷で初土俵以来初の途中休場を喫し、連続勝ち越し記録は「55場所」で途切れた。

以降はケガとの戦いが続く中、ライバル・貴乃花との激闘は歴史に深く刻まれている。平成13年(2001年)5月場所では、右膝に大ケガを負った貴乃花との優勝決定戦に敗れ、そのショックから体調を崩すほど悩み苦しんだが、猛稽古で自らを奮い立たせて同年11月場所で優勝を果たし、復活を遂げた。平成14年(2002年)9月場所の千秋楽では、長期休場明けの貴乃花との相星決戦に勝利して12度目の優勝を飾り、「心を鬼にした横綱」と称えられた。両横綱の切磋琢磨は、当時の大相撲の土俵を大いに盛り上げた。

満身創痍の引退と武蔵川部屋の再興

平成14年11月場所に左手首のケガが悪化して途中休場し、手術を受けたものの全快には至らなかった。左手の握力が20kgを切るほど深刻な状態となり、6場所連続の休場を経て復帰した平成15年(2003年)11月場所の7日目、土佐ノ海の引っ掛けにあえなく土俵を割り、かつての相撲勘を取り戻すことはできず引退を決断する。

その日の夜、師匠に「これ以上、横綱としての相撲が千秋楽まで取れない」と引退の意向を伝えると、その報告を聞かされた弟弟子である武双山や雅山たちは揃って号泣したという。

引退会見では、高校時代のアメフトでの負傷により、入門当初から左肩にはほとんど力が入らなかったという衝撃の事実を明かした。見えないハンデを抱えながらも分厚い上位の壁に挑み続けた14年間であり、通算1068回の出場を果たし、779勝294敗115休の生涯成績を残して、その歴史的な土俵人生に幕を下ろした。

引退後は「横綱5年」の制度を利用して武蔵川部屋付きの親方となり、「振分」「大島」と名跡を変えながら指導にあたった。平成25年(2013年)2月に14代武蔵川の停年退職に伴って年寄「武蔵川」を取得し、15代武蔵川を襲名。同年4月に独立して武蔵川部屋を再興し、おおらかな指導方針で後進の育成に尽力している。

四股名
武蔵丸 光洋 (むさしまる こうよう)
最高位
第67代横綱
年寄名跡
15代振分 光洋(武蔵川) → 15代振分 光洋(藤島) → 3代大島 光洋(藤島) → 15代武蔵川 光偉(藤島) → 15代武蔵川 光偉
出身地
アメリカ・ハワイ州オアフ島
本名
ペニタニ フィアマル→武蔵丸 光洋
生年月日
昭和46年(1971)5月2日(55歳)
出身高校
ワイアナエ高校
所属部屋
武蔵川部屋
改名歴
武蔵丸 光洋
初土俵
平成元年(1989)9月 前相撲(18歳4ヶ月)
新十両
平成3年(1991)7月(所要11場所)
20歳2ヶ月(初土俵から1年10ヶ月)
新入幕
平成3年(1991)11月(所要13場所)
20歳6ヶ月(初土俵から2年2ヶ月)
新小結
平成4年(1992)5月(所要16場所)
21歳0ヶ月(初土俵から2年8ヶ月)
新関脇
平成4年(1992)9月(所要18場所)
21歳4ヶ月(初土俵から3年0ヶ月)
新大関
平成6年(1994)3月(所要27場所)
22歳10ヶ月(初土俵から4年6ヶ月)
新横綱
平成11年(1999)7月(所要59場所)
28歳2ヶ月(初土俵から9年10ヶ月)
最終場所
平成15年(2003)11月場所(32歳6ヶ月)
大相撲歴
86場所(14年2ヶ月)
通算成績
779勝294敗115休1068出場(勝率.729)
通算86場所
勝ち越し75場所(勝ち越し率.882)(勝ち越し星494)
優勝等
幕内優勝12回(同点6 次点8),十両優勝1回,三段目優勝1回,序ノ口優勝1回
受賞・金星
殊勲賞1回,敢闘賞1回,技能賞2回
持給金
670円50銭(勝ち越し星494個 優勝12回)
横綱戦歴
216勝67敗115休278出場(勝率.777)
在位27場所(在位率.314)
勝ち越し18場所(勝ち越し率.667)
大関戦歴
353勝127敗0休480出場(勝率.735)
在位32場所(在位率.372)
勝ち越し32場所(勝ち越し率1.000)
幕内戦歴
706勝267敗115休968出場(勝率.729)
在位73場所(在位率.849)
勝ち越し64場所(勝ち越し率.877)
三役戦歴
108勝57敗0休165出場(勝率.655)
在位11場所(在位率.128)
勝ち越し11場所(勝ち越し率1.000)
関脇戦歴
89勝46敗0休135出場(勝率.659)
在位9場所(在位率.105)
勝ち越し9場所(勝ち越し率1.000)
小結戦歴
19勝11敗0休30出場(勝率.633)
在位2場所(在位率.023)
勝ち越し2場所(勝ち越し率1.000)
前頭戦歴
29勝16敗0休45出場(勝率.644)
在位3場所(在位率.035)
勝ち越し3場所(勝ち越し率1.000)
十両戦歴
21勝9敗0休30出場(勝率.700)
在位2場所(在位率.023)
勝ち越し2場所(勝ち越し率1.000)
関取戦歴
727勝276敗115休998出場(勝率.728)
在位75場所(在位率.872)
勝ち越し66場所(勝ち越し率.880)
幕下以下歴
52勝18敗0休70出場(勝率.743)
在位10場所(在位率.116)
勝ち越し9場所(勝ち越し率.900)

武蔵丸 光洋の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

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  • ✅ 勝った決まり手1位:押し出し(235回 / 32.0%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(91回 / 32.0%)
  • ✅ 得意な相手:貴闘力(37勝8敗 / 勝率.822)
  • ✅ 苦手な相手:貴乃花(19勝29敗 / 勝率.396)

武蔵川部屋の最高位:大関

武双山 正士

武双山 正士 (むそうやま まさし)茨城県水戸市出身、武蔵川部屋の元力士で、最高位は大関

平成5年(1993)1月場所に20歳11ヶ月で初土俵を踏み、平成16年(2004)11月場所を最後に引退(32歳9ヶ月)。

通算成績は554勝377敗122休921出場。生涯勝率.602。通算72場所中、53場所を勝ち越した(勝ち越し率.736)。

主な成績は幕内優勝1回(次点4)、幕下優勝2回殊勲賞5回、敢闘賞4回、技能賞4回、金星2個(曙1個、貴乃花1個)

昭和47年(1972)2月14日生まれ。本名は尾曽 武人。

アマチュア横綱を獲得して角界入りした「平成の怪物」、魁皇は最大のライバルであり良き親友。

四股名
武双山 正士 (むそうやま まさし)
最高位
大関
年寄名跡
18代藤島 武人(武蔵川) → 18代藤島 武人
出身地
茨城県水戸市
本名
尾曽 武人
生年月日
昭和47年(1972)2月14日(54歳)
出身高校
水戸農業高校
出身大学
専修大学
所属部屋
武蔵川部屋
改名歴
尾曽 武人 → 武双山 正士
初土俵
平成5年(1993)1月 幕下60枚目付出(20歳11ヶ月)
新十両
平成5年(1993)5月(所要2場所)
21歳3ヶ月(初土俵から0年4ヶ月)
新入幕
平成5年(1993)9月(所要4場所)
21歳7ヶ月(初土俵から0年8ヶ月)
新小結
平成7年(1995)1月(所要12場所)
22歳11ヶ月(初土俵から2年0ヶ月)
新関脇
平成6年(1994)3月(所要7場所)
22歳1ヶ月(初土俵から1年2ヶ月)
新大関
平成12年(2000)5月(所要44場所)
28歳3ヶ月(初土俵から7年4ヶ月)
最終場所
平成16年(2004)11月場所(32歳9ヶ月)
大相撲歴
72場所(11年10ヶ月)
通算成績
554勝377敗122休921出場(勝率.602)
通算72場所
勝ち越し53場所(勝ち越し率.736)(勝ち越し星222)
優勝等
幕内優勝1回(次点4),幕下優勝2回
受賞・金星
殊勲賞5回,敢闘賞4回,技能賞4回,金星2個(曙1個、貴乃花1個)
持給金
209円(勝ち越し星222個 優勝1回 金星2個)
大関戦歴
186勝148敗60休327出場(勝率.569)
在位27場所(在位率.375)
勝ち越し19場所(勝ち越し率.704)
幕内戦歴
520勝367敗122休877出場(勝率.593)
在位68場所(在位率.944)
勝ち越し49場所(勝ち越し率.721)
三役戦歴
255勝178敗32休430出場(勝率.593)
在位31場所(在位率.431)
勝ち越し22場所(勝ち越し率.710)
関脇戦歴
177勝111敗12休287出場(勝率.617)
在位20場所(在位率.278)
勝ち越し14場所(勝ち越し率.700)
小結戦歴
78勝67敗20休143出場(勝率.545)
在位11場所(在位率.153)
勝ち越し8場所(勝ち越し率.727)
前頭戦歴
79勝41敗30休120出場(勝率.658)
在位10場所(在位率.139)
勝ち越し8場所(勝ち越し率.800)
十両戦歴
20勝10敗0休30出場(勝率.667)
在位2場所(在位率.028)
勝ち越し2場所(勝ち越し率1.000)
関取戦歴
540勝377敗122休907出場(勝率.595)
在位70場所(在位率.972)
勝ち越し51場所(勝ち越し率.729)
幕下以下歴
14勝0敗0休14出場(勝率1.000)
在位2場所(在位率.028)
勝ち越し2場所(勝ち越し率1.000)

武双山 正士の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

  • ✅ 勝った決まり手1位:押し出し(225回 / 40.6%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(112回 / 29.7%)
  • ✅ 得意な相手:琴錦(22勝7敗 / 勝率.759)
  • ✅ 苦手な相手:貴乃花(10勝26敗 / 勝率.278)

出島 武春

出島 武春 (でじま たけはる)石川県金沢市出身、武蔵川部屋の元力士で、最高位は大関

平成8年(1996)3月場所に21歳11ヶ月で初土俵を踏み、平成21年(2009)7月場所を最後に引退(35歳3ヶ月)。

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通算成績は595勝495敗98休1085出場。生涯勝率.548。通算81場所中、45場所を勝ち越した(勝ち越し率.556)。

主な成績は幕内優勝1回(次点2)、十両優勝1回、幕下優勝1回殊勲賞3回、敢闘賞4回、技能賞3回、金星6個(貴乃花2個、曙2個、若乃花1個、朝青龍1個)

昭和49年(1974)3月21日生まれ。本名は出島 武春。

平成11年の名古屋場所では優勝と三賞を総なめする大活躍、立ち合いからの鋭い出足が武器で「出る出る出島」と称された。

四股名
出島 武春 (でじま たけはる)
最高位
大関
年寄名跡
15代大鳴戸 武春(武蔵川) → 15代大鳴戸 武春(藤島)
出身地
石川県金沢市
本名
出島 武春
生年月日
昭和49年(1974)3月21日(52歳)
出身高校
金沢市立工業高等学校
出身大学
中央大学
所属部屋
武蔵川部屋
改名歴
出島 武春
初土俵
平成8年(1996)3月 幕下60枚目付出(21歳11ヶ月)
新十両
平成8年(1996)9月(所要3場所)
22歳5ヶ月(初土俵から0年6ヶ月)
新入幕
平成9年(1997)3月(所要6場所)
22歳11ヶ月(初土俵から1年0ヶ月)
新小結
平成10年(1998)9月(所要15場所)
24歳5ヶ月(初土俵から2年6ヶ月)
新関脇
平成9年(1997)11月(所要10場所)
23歳7ヶ月(初土俵から1年8ヶ月)
新大関
平成11年(1999)9月(所要21場所)
25歳5ヶ月(初土俵から3年6ヶ月)
最終場所
平成21年(2009)7月場所(35歳3ヶ月)
大相撲歴
81場所(13年4ヶ月)
通算成績
595勝495敗98休1085出場(勝率.548)
通算81場所
勝ち越し45場所(勝ち越し率.556)(勝ち越し星186)
優勝等
幕内優勝1回(次点2),十両優勝1回,幕下優勝1回
受賞・金星
殊勲賞3回,敢闘賞4回,技能賞3回,金星6個(貴乃花2個、曙2個、若乃花1個、朝青龍1個)
持給金
227円(勝ち越し星186個 優勝1回 金星6個)
大関戦歴
100勝71敗9休170出場(勝率.588)
在位12場所(在位率.148)
勝ち越し9場所(勝ち越し率.750)
幕内戦歴
546勝478敗98休1019出場(勝率.536)
在位75場所(在位率.926)
勝ち越し39場所(勝ち越し率.520)
三役戦歴
86勝72敗22休157出場(勝率.548)
在位12場所(在位率.148)
勝ち越し8場所(勝ち越し率.667)
関脇戦歴
41勝27敗7休67出場(勝率.612)
在位5場所(在位率.062)
勝ち越し3場所(勝ち越し率.600)
小結戦歴
45勝45敗15休90出場(勝率.500)
在位7場所(在位率.086)
勝ち越し5場所(勝ち越し率.714)
前頭戦歴
360勝335敗67休692出場(勝率.520)
在位51場所(在位率.630)
勝ち越し22場所(勝ち越し率.431)
十両戦歴
32勝13敗0休45出場(勝率.711)
在位3場所(在位率.037)
勝ち越し3場所(勝ち越し率1.000)
関取戦歴
578勝491敗98休1064出場(勝率.543)
在位78場所(在位率.963)
勝ち越し42場所(勝ち越し率.538)
幕下以下歴
17勝4敗0休21出場(勝率.810)
在位3場所(在位率.037)
勝ち越し3場所(勝ち越し率1.000)

出島 武春の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

  • ✅ 勝った決まり手1位:押し出し(219回 / 36.7%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(137回 / 27.7%)
  • ✅ 得意な相手:旭鷲山(21勝6敗 / 勝率.778)
  • ✅ 苦手な相手:栃東(9勝26敗 / 勝率.257)

藤島部屋の最高位:大関

雅山 哲士

雅山 哲士 (みやびやま てつし)茨城県水戸市出身、武蔵川~藤島部屋の元力士で、最高位は大関

平成10年(1998)7月場所に20歳11ヶ月で初土俵を踏み、平成25年(2013)3月場所を最後に引退(35歳7ヶ月)。

通算成績は654勝582敗68休1233出場。生涯勝率.530。通算88場所中、49場所を勝ち越した(勝ち越し率.557)。

主な成績は幕内(同点1 次点3)、十両優勝2回、幕下優勝2回殊勲賞2回、敢闘賞5回、技能賞1回、金星2個(朝青龍2個)

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昭和52年(1977)7月28日生まれ。本名は竹内 雅人。

初土俵から所要12場所という戦後最速タイ記録で大関へと駆け上がり、「平成の新怪物」として土俵に旋風を巻き起こした雅山は、大相撲史に残る名力士である。怪我により短期間で大関の座を失った後も不屈の闘志で土俵に立ち続け、十両陥落から三役に返り咲くという史上初の快挙を成し遂げた。引退後は自ら部屋を創設し、師匠として後進の育成に情熱を注いでいる。

「平成の新怪物」と戦後最速の大関昇進

茨城県水戸市に生まれ、小学生の頃から地元の水戸尾曽相撲道場に通い、尾曽(のちの大関・武双山(18代藤島))の父から相撲の指導を受けた。明治大学に進学すると、2年次に東日本学生相撲個人体重無差別級で優勝、3年次に全日本大学選抜相撲宇和島大会で優勝して大学タイトル2冠を達成する。

この実績を引っ提げて大学を中退し、平成10年(1998年)7月場所に武蔵川部屋から幕下60枚目格付出で初土俵を踏んだ。入門当初は本名の「竹内」を名乗っていたが、幕下で2場所連続の全勝優勝を飾ると、同年11月場所での新十両昇進を機に「雅山」へと改名した。十両の地位も2場所連続優勝で通過し、初土俵から4場所連続優勝という圧倒的な強さで平成11年(1999年)3月場所に新入幕を果たす。

その強烈な突き押し相撲から「平成の新怪物(20世紀最後の怪童)」と称され、勢いそのままに番付を駆け上がった。平成12年(2000年)5月場所後に22歳で大関へ昇進。初土俵から所要12場所での大関昇進は、年6場所制となった昭和33年以降では豊山と並ぶ戦後最速タイという歴史的スピード出世であった。

怪我による大関陥落と不屈の闘志

将来の横綱を嘱望されたが、大関昇進後は右肩の腱板断裂寸前という重傷や足の怪我に苦しめられることとなる。怪我を押して強行出場を続けたものの、大関在位中は一度も二桁勝利を挙げることができず、在位わずか8場所で大関から陥落してしまう。

一気に番付を駆け上がった勇姿から一転して苦難の道を歩むことになったが、雅山の真の凄みはここからの戦いざまにあった。「自分も大関の頃、下位力士の抵抗に苦しめられた。そういう存在になれればいい」とあえて敵役に徹し、若手力士たちに対して徹底的に「怖い存在」としてのプレッシャーを与え、彼らの高い壁となって立ちはだかった。また、「元大関」と呼ばれることを嫌って再び大関へ戻るという強い矜持を持っていたため、大関戦で勝利してもインタビュールームへは足を運ばなかった。

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大関陥落後しばらくは四つ相撲も交えていたが、やがて突き押しと引き技に徹するようになる。特に、相手の足が揃うのを一瞬で見極めて繰り出す「叩き」には並々ならぬこだわりを持ち、「誰からも教わることができないからこそ、最高の技術なのではないかと自負している」と、自身の真骨頂として誇っていた。独自の相撲スタイルと強烈な意地を武器に幕内上位から中位の土俵で存在感を示し続け、平成18年(2006年)5月場所では14勝1敗の好成績を挙げて白鵬と優勝決定戦を演じている。結果的に、大関から陥落したのち、関脇以下の地位を68場所にわたって務め上げることとなる。

史上初の元大関による十両からの三役復帰

平成22年(2010年)に発覚した大相撲野球賭博問題に関与したとして、同年7月場所で1場所の出場停止処分を受け、翌9月場所では十両へ陥落する。大関経験者の十両陥落は大受以来、史上2人目のことであった。

この大きな試練の中にあっても自らの相撲と向き合い続け、陥落した十両を12勝3敗の好成績でわずか1場所で通過して幕内へ復帰する。その後も徐々に番付を上げ、平成24年(2012年)1月場所において小結に返り咲いた。十両に陥落した元大関が三役復帰を果たしたのは、大相撲史上初の快挙であった。

満身創痍の引退と二子山部屋の創設

晩年は両膝の慢性的な痛みや内臓疾患を抱え、満身創痍の状態で土俵を務めた。平成25年(2013年)3月場所で再び十両へ陥落し、東十両9枚目で3勝12敗となったこの場所を最後に、現役引退を決断。「まだ負けないという気力はあるが、体がついていかない」と心境を語り、波乱万丈な土俵人生に幕を下ろした。

引退後は年寄「二子山」を襲名し、藤島部屋(旧・武蔵川部屋)の部屋付き親方として後進の指導にあたったのち、平成30年(2018年)4月に独立して二子山部屋を創設した。解説者としては立ち合いの変化に厳しい苦言を呈するなど、真っ向勝負の突き押し相撲への強いこだわりを見せており、その信念は現在も自らの弟子たちへと熱く受け継がれている。

四股名
雅山 哲士 (みやびやま てつし)
最高位
大関
年寄名跡
14代二子山 雅人(藤島) → 14代二子山 雅高(藤島) → 14代二子山 雅高
出身地
茨城県水戸市
本名
竹内 雅人
生年月日
昭和52年(1977)7月28日(48歳)
出身高校
水戸農業高校
出身大学
明治大学・中退
所属部屋
武蔵川~藤島部屋
改名歴
竹内 雅人 → 雅山 哲士
初土俵
平成10年(1998)7月 幕下60枚目付出(20歳11ヶ月)
新十両
平成10年(1998)11月(所要2場所)
21歳3ヶ月(初土俵から0年4ヶ月)
新入幕
平成11年(1999)3月(所要4場所)
21歳7ヶ月(初土俵から0年8ヶ月)
新小結
平成12年(2000)1月(所要9場所)
22歳5ヶ月(初土俵から1年6ヶ月)
新関脇
平成12年(2000)3月(所要10場所)
22歳7ヶ月(初土俵から1年8ヶ月)
新大関
平成12年(2000)7月(所要12場所)
22歳11ヶ月(初土俵から2年0ヶ月)
最終場所
平成25年(2013)3月場所(35歳7ヶ月)
大相撲歴
88場所(14年8ヶ月)
通算成績
654勝582敗68休1233出場(勝率.530)
通算88場所
勝ち越し49場所(勝ち越し率.557)(勝ち越し星213)
優勝等
幕内(同点1 次点3),十両優勝2回,幕下優勝2回
受賞・金星
殊勲賞2回,敢闘賞5回,技能賞1回,金星2個(朝青龍2個)
持給金
159円50銭(勝ち越し星213個 金星2個)
大関戦歴
57勝58敗5休114出場(勝率.500)
在位8場所(在位率.091)
勝ち越し4場所(勝ち越し率.500)
幕内戦歴
599勝563敗68休1159出場(勝率.517)
在位82場所(在位率.932)
勝ち越し44場所(勝ち越し率.537)
三役戦歴
145勝125敗30休270出場(勝率.537)
在位20場所(在位率.227)
勝ち越し11場所(勝ち越し率.550)
関脇戦歴
104勝76敗30休180出場(勝率.578)
在位14場所(在位率.159)
勝ち越し9場所(勝ち越し率.643)
小結戦歴
41勝49敗0休90出場(勝率.456)
在位6場所(在位率.068)
勝ち越し2場所(勝ち越し率.333)
前頭戦歴
397勝380敗33休775出場(勝率.512)
在位54場所(在位率.614)
勝ち越し29場所(勝ち越し率.537)
十両戦歴
41勝19敗0休60出場(勝率.683)
在位4場所(在位率.045)
勝ち越し3場所(勝ち越し率.750)
関取戦歴
640勝582敗68休1219出場(勝率.525)
在位86場所(在位率.977)
勝ち越し47場所(勝ち越し率.547)
幕下以下歴
14勝0敗0休14出場(勝率1.000)
在位2場所(在位率.023)
勝ち越し2場所(勝ち越し率1.000)

雅山 哲士の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

  • ✅ 勝った決まり手1位:押し出し(179回 / 27.4%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(129回 / 22.1%)
  • ✅ 得意な相手:玉乃島(19勝3敗 / 勝率.864)
  • ✅ 苦手な相手:朝青龍(5勝34敗 / 勝率.128)

武蔵川部屋の最高位:小結

和歌乃山 洋

和歌山県御坊市出身、武蔵川部屋の元力士で最高位は小結。糖尿病で幕下まで陥落したが精進を重ねて29場所ぶりに再入幕、小結まで昇進した。引退後は部屋付親方として後進の指導にあたっていたが、ちゃんこ番への行き過ぎた指導が体罰だとして問題となり、のちに退職。

  • 四股名 :和歌乃山 洋(わかのやま ひろし)
  • 最高位 :小結
  • 年寄名跡:13代山分
  • 出身地 :和歌山県御坊市
  • 本 名 :西崎 洋
  • 生年月日:昭和47年(1972)5月12日
  • 所属部屋:武蔵川部屋
  • 改名歴 :西崎⇒和歌乃山
  • 初土俵 :昭和63年(1988)3月(15歳10ヵ月)
  • 新十両 :平成3年(1991)7月(19歳2ヵ月)
  • 新入幕 :平成4年(1992)5月(20歳0ヵ月)
  • 新三役 :平成13年(2001)3月(28歳10ヵ月)
  • 最終場所:平成17年(2005)9月(33歳4ヵ月)
  • 生涯戦歴:629勝618敗40休/1245出場(106場所)
  • 生涯勝率:50.4%
  • 優勝等 :十両優勝2回,幕下優勝3回,三段目同点1回
  • 成 績 :敢闘賞1回
  • 幕内戦歴:204勝254敗22休(32場所)勝率:44.5%
  •   小結:6勝9敗(1場所)勝率:40.0%
  •   前頭:198勝245敗22休(31場所)勝率:44.7%
  • 十両戦歴:278勝276敗1休(37場所)勝率:50.2%

藤島部屋の最高位:小結

垣添 徹

垣添 徹 (かきぞえ とおる)大分県宇佐市出身、武蔵川~藤島部屋の元力士で、最高位は小結

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平成13年(2001)9月場所に23歳1ヶ月で初土俵を踏み、平成24年(2012)3月場所を最後に引退(33歳7ヶ月)※番付上は平成24年(2012)5月場所

通算成績は388勝430敗15休817出場。生涯勝率.475。通算63場所中、30場所を勝ち越した(勝ち越し率.476)。

主な成績は十両優勝1回技能賞1回

昭和53年(1978)8月12日生まれ。本名は垣添 徹。

大分県宇佐市出身の垣添は、アマチュア時代に中学横綱、学生横綱のタイトルを獲得して角界入り。日本体育大学出身として初の幕内力士となり、馬力ある突き押しを武器に自己最高位となる小結まで昇進した。引退後は指導者としての道を歩み、現在は雷部屋の師匠として後進の育成に尽力している。

学生横綱から角界へ

宇佐北部中学校時代に全国中学校相撲選手権大会で個人優勝を果たし、中学生横綱の栄冠に輝く。進学した日本体育大学でも活躍を続け、4年次には全国学生相撲選手権大会で優勝して学生横綱のタイトルを獲得した。この実績により幕下15枚目格付出の規定を満たして武蔵川部屋へ入門する。当初は平成13年(2001年)3月場所での初土俵を予定していたが、前年に出場した世界相撲選手権大会で左膝前十字靱帯を断裂する大怪我を負い、手術を受けた影響で見送っていた。しかし、付出資格の有効期限が迫っていたため、苦渋の決断として同年9月場所において本名の「垣添」で初土俵を踏む。依然として怪我が癒えていなかったため同場所は全休となり、有望株として期待を集める中、初土俵から休場という苦難の船出となった。

日体大初の幕内力士誕生と三役昇進

全休の影響で翌11月場所は東幕下55枚目まで番付を下げたものの、持ち前の突き押しを武器に着実に地力をつけていく。腰や膝の怪我を抱えながらも平成15年(2003年)3月場所で新十両に昇進すると、同年7月場所では11勝4敗の成績を収めて十両優勝を飾った。続く9月場所で新入幕を果たし、日本体育大学出身者として初の幕内力士誕生という快挙を成し遂げる。幕内の土俵でも持ち味を発揮し、平成16年(2004年)1月場所では11勝4敗の好成績で自身初となる技能賞を獲得。翌3月場所では自己最高位となる新小結に昇進した。同場所は負け越し三役在位はこの1場所のみとなったが、その後の平幕の土俵では魁皇や千代大海といった大関陣から白星を挙げるなど、上位を脅かす存在として活躍した。

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幕内への定着と苦闘の晩年

新入幕以降は一度も十両へ陥落することなく、長らく幕内中位から下位に定着して土俵を務めた。しかし、平成22年(2010年)は1場所も勝ち越しを果たせず、同年11月場所において43場所連続で務めた幕内から十両へ陥落する。翌年の1月場所でも負け越して幕下へ陥落し、一度は引退を決意したが、大学の同級生で長く付け人を務めてきた剣武の説得を受け現役続行を決断した。陥落して迎えた同年5月の技量審査場所では西幕下筆頭で3勝4敗と負け越したものの、大相撲八百長問題による大量引退の影響により、負け越しでの昇進という異例の形で十両復帰を果たす。しかし、再十両となった翌7月場所で1勝14敗と大敗を喫して関取に定着することはできず、平成24年(2012年)3月場所では、三役経験者として史上初となる幕下で7戦全敗を喫する。負け越し決定後、全日本新相撲元王者である妻からの励ましを受け、全盛期を知らない長男のために白星を目指して奮戦したが結果は伴わなかった。同年4月、同級生である剣武と時を同じくして現役引退を表明し、土俵人生に幕を下ろした。

指導者の道と雷部屋の継承

引退直後は豪風から名跡を借りて年寄「押尾川」を襲名し、藤島部屋の部屋付き親方となった。同年10月に空き名跡となっていた「雷(いかずち)」を正式に取得して名跡を変更。平成25年(2013年)8月に15代武蔵川(元横綱・武蔵丸)が率いる武蔵川部屋へ移籍し、令和2年(2020年)9月には入間川部屋へと転籍した。その後、令和5年(2023年)2月に停年を迎えた16代入間川(元関脇・栃司)から部屋を継承。部屋の名称を「雷部屋」へと改め、62年ぶりとなる名称復活を果たした。部屋継承に際しては「もう1回初心に戻っていい部屋にしていきたい」と抱負を語り、現在は師匠として新たな力士の育成に情熱を注いでいる。

四股名
垣添 徹 (かきぞえ とおる)
最高位
小結
年寄名跡
21代押尾川 徹(藤島) → 17代雷 徹(藤島) → 17代雷 徹(武蔵川) → 17代雷 徹(入間川) → 17代雷 徹
出身地
大分県宇佐市
本名
垣添 徹
生年月日
昭和53年(1978)8月12日(47歳)
出身高校
大分県立宇佐産業科学高校
出身大学
日本体育大学
所属部屋
武蔵川~藤島部屋
改名歴
垣添 徹
初土俵
平成13年(2001)9月 幕下15枚目付出(23歳1ヶ月)
新十両
平成15年(2003)3月(所要9場所)
24歳7ヶ月(初土俵から1年6ヶ月)
新入幕
平成15年(2003)9月(所要12場所)
25歳1ヶ月(初土俵から2年0ヶ月)
新小結
平成16年(2004)3月(所要15場所)
25歳7ヶ月(初土俵から2年6ヶ月)
最終場所
平成24年(2012)3月場所(33歳7ヶ月)※番付上は平成24年(2012)5月場所
大相撲歴
63場所(10年6ヶ月)
通算成績
388勝430敗15休817出場(勝率.475)
通算63場所
勝ち越し30場所(勝ち越し率.476)(勝ち越し星82)
優勝等
十両優勝1回
受賞・金星
技能賞1回
持給金
44円(勝ち越し星82個)
幕内戦歴
299勝343敗3休641出場(勝率.466)
在位43場所(在位率.683)
勝ち越し19場所(勝ち越し率.442)
三役戦歴
6勝9敗0休15出場(勝率.400)
在位1場所(在位率.016)
勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
小結戦歴
6勝9敗0休15出場(勝率.400)
在位1場所(在位率.016)
勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
前頭戦歴
293勝334敗3休626出場(勝率.468)
在位42場所(在位率.667)
勝ち越し19場所(勝ち越し率.452)
十両戦歴
42勝48敗0休90出場(勝率.467)
在位6場所(在位率.095)
勝ち越し3場所(勝ち越し率.500)
関取戦歴
341勝391敗3休731出場(勝率.466)
在位49場所(在位率.778)
勝ち越し22場所(勝ち越し率.449)
幕下以下歴
47勝39敗12休86出場(勝率.547)
在位14場所(在位率.222)
勝ち越し8場所(勝ち越し率.571)

垣添 徹の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

  • ✅ 勝った決まり手1位:押し出し(165回 / 42.5%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:押し出し(83回 / 19.3%)
  • ✅ 得意な相手:北勝力(14勝4敗 / 勝率.778)
  • ✅ 苦手な相手:岩木山(1勝17敗 / 勝率.056)

武蔵川部屋の最高位:前頭

武雄山 喬義

武雄山 喬義 (ぶゆうざん たけよし)愛知県豊橋市出身、武蔵川部屋の元力士で、最高位は前頭筆頭

平成9年(1997)3月場所に22歳7ヶ月で初土俵を踏み、平成19年(2007)11月場所を最後に引退(33歳3ヶ月)。

通算成績は353勝370敗12休722出場。生涯勝率.489。通算65場所中、31場所を勝ち越した(勝ち越し率.477)。

主な成績は十両優勝1回(同点1)敢闘賞2回

昭和49年(1974)7月29日生まれ。本名は富永 丈喜。

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イチローと同じ愛工大名電高出身。平成13年(2001)7月場所では8人で争われた十両の優勝決定戦を制した。

四股名
武雄山 喬義 (ぶゆうざん たけよし)
最高位
前頭筆頭
年寄名跡
14代大鳴戸 喬義(武蔵川) → 17代関ノ戸 丈義(武蔵川) → 14代山分 喬喜(武蔵川) → 14代山分 喬喜(藤島)
出身地
愛知県豊橋市
本名
富永 丈喜
生年月日
昭和49年(1974)7月29日(51歳)
出身高校
愛知工業大学名電高校
出身大学
明治大学
所属部屋
武蔵川部屋
改名歴
富永山 丈喜 → 武雄山 喬義
初土俵
平成9年(1997)3月 幕下60枚目付出(22歳7ヶ月)
新十両
平成12年(2000)5月(所要19場所)
25歳9ヶ月(初土俵から3年2ヶ月)
新入幕
平成13年(2001)11月(所要28場所)
27歳3ヶ月(初土俵から4年8ヶ月)
最終場所
平成19年(2007)11月場所(33歳3ヶ月)
大相撲歴
65場所(10年8ヶ月)
通算成績
353勝370敗12休722出場(勝率.489)
通算65場所
勝ち越し31場所(勝ち越し率.477)(勝ち越し星97)
優勝等
十両優勝1回(同点1)
受賞・金星
敢闘賞2回
持給金
51円50銭(勝ち越し星97個)
幕内戦歴
167勝196敗12休362出場(勝率.461)
在位25場所(在位率.385)
勝ち越し10場所(勝ち越し率.400)
前頭戦歴
167勝196敗12休362出場(勝率.461)
在位25場所(在位率.385)
勝ち越し10場所(勝ち越し率.400)
十両戦歴
72勝78敗0休150出場(勝率.480)
在位10場所(在位率.154)
勝ち越し4場所(勝ち越し率.400)
関取戦歴
239勝274敗12休512出場(勝率.467)
在位35場所(在位率.538)
勝ち越し14場所(勝ち越し率.400)
幕下以下歴
114勝96敗0休210出場(勝率.543)
在位30場所(在位率.462)
勝ち越し17場所(勝ち越し率.567)

武雄山 喬義の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

  • ✅ 勝った決まり手1位:押し出し(209回 / 58.7%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:叩き込み(72回 / 19.4%)
  • ✅ 得意な相手:若兎馬(9勝0敗 / 勝率1.000)
  • ✅ 苦手な相手:玉乃島(1勝10敗 / 勝率.091)

大輝煌 正人

和歌山県御坊市出身、武蔵川部屋の元力士で最高位は前頭15枚目。学生横綱で期待されながらも怪我の影響によりわずか3年で引退。

  • 四股名 :大輝煌 正人(だいきこう まさと)
  • 最高位 :前頭15枚目
  • 出身地 :和歌山県御坊市
  • 本 名 :林 正人
  • 生年月日:昭和42年(1967)9月15日
  • 没年月日:平成21年(2009)6月6日(享年41歳)
  • 出身高校:箕島高校
  • 出身大学:近畿大学
  • 所属部屋:武蔵川部屋
  • 改名歴 :林⇒大輝煌⇒林⇒輝ノ海
  • 初土俵 :平成2年(1990)3月・幕下60付出(22歳6ヵ月)
  • 新十両 :平成2年(1990)11月(23歳2ヵ月)
  • 新入幕 :平成3年(1991)1月(23歳4ヵ月)
  • 最終場所:平成5年(1993)5月(25歳8ヵ月)
  • 生涯戦歴:100勝87敗33休/186出場(20場所)
  • 生涯勝率:53.5%
  • 優勝等 :十両優勝1回,幕下優勝3回
  • 幕内戦歴:5勝10敗(1場所)勝率:33.3%
  • 十両戦歴:51勝58敗26休(9場所)勝率:46.8%

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武蔵川~藤島部屋の歴代師匠

第14代・武蔵川 晃偉 (元横綱・三重ノ海)

在任期間(昭和56年(1981年)8月29日~平成22年(2010年)9月28日)

三重県松阪市出身、出羽海部屋の元力士で最高位は横綱。入門まで相撲未経験も大人数の出羽海部屋のなか自らの努力で大成した。大関から陥落経験のある唯一の横綱、武蔵川部屋を興して数々の名力士を育てた。

  • 四股名 :三重ノ海 剛司(みえのうみ つよし)
  • 最高位 :第57代横綱
  • 年寄名跡:11代山科⇒14代武蔵川
  • 出身地 :三重県松阪市
  • 本 名 :石山 五郎
  • 生年月日:昭和23年(1948)2月4日
  • 所属部屋:出羽海部屋
  • 改名歴 :石山⇒三重ノ海
  • 初土俵 :昭和38年(1963)7月(15歳5ヵ月)
  • 新十両 :昭和44年(1969)3月(21歳1ヵ月)
  • 新入幕 :昭和44年(1969)9月(21歳7ヵ月)
  • 新三役 :昭和45年(1970)7月(22歳5ヵ月)
  • 新大関 :昭和51年(1976)1月(27歳11ヵ月)
  • 横綱昇進:昭和54年(1979)9月(31歳7ヵ月)
  • 最終場所:昭和55年(1980)11月(32歳9ヵ月)
  • 生涯戦歴:695勝525敗56休1分/1214出場(105場所)
  • 生涯勝率:57.0%
  • 優勝等 :幕内優勝3回(同点1・次点5),三段目優勝1回
  • 成 績 :殊勲賞5回,敢闘賞1回,技能賞3回,金星5個
  • 幕内戦歴:543勝413敗51休1分(68場所)勝率:56.8%
  •   横綱:55勝23敗30休(8場所)勝率:70.5%
  •   大関:180勝123敗12休(21場所)勝率:59.4%
  •   関脇:99勝73敗8休(12場所)勝率:57.6%
  •   小結:29勝16敗(3場所)勝率:64.4%
  •   前頭:180勝178敗1休1分(24場所)勝率:50.3%
  • 十両戦歴:28勝17敗(3場所)勝率:62.2%

第18代・藤島 武人 (元大関・武双山)

在任期間(平成22年(2010年)9月29日~  )

武双山 正士 (むそうやま まさし)茨城県水戸市出身、武蔵川部屋の元力士で、最高位は大関

平成5年(1993)1月場所に20歳11ヶ月で初土俵を踏み、平成16年(2004)11月場所を最後に引退(32歳9ヶ月)。

通算成績は554勝377敗122休921出場。生涯勝率.602。通算72場所中、53場所を勝ち越した(勝ち越し率.736)。

主な成績は幕内優勝1回(次点4)、幕下優勝2回殊勲賞5回、敢闘賞4回、技能賞4回、金星2個(曙1個、貴乃花1個)

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昭和47年(1972)2月14日生まれ。本名は尾曽 武人。

アマチュア横綱を獲得して角界入りした「平成の怪物」、魁皇は最大のライバルであり良き親友。

四股名
武双山 正士 (むそうやま まさし)
最高位
大関
年寄名跡
18代藤島 武人(武蔵川) → 18代藤島 武人
出身地
茨城県水戸市
本名
尾曽 武人
生年月日
昭和47年(1972)2月14日(54歳)
出身高校
水戸農業高校
出身大学
専修大学
所属部屋
武蔵川部屋
改名歴
尾曽 武人 → 武双山 正士
初土俵
平成5年(1993)1月 幕下60枚目付出(20歳11ヶ月)
新十両
平成5年(1993)5月(所要2場所)
21歳3ヶ月(初土俵から0年4ヶ月)
新入幕
平成5年(1993)9月(所要4場所)
21歳7ヶ月(初土俵から0年8ヶ月)
新小結
平成7年(1995)1月(所要12場所)
22歳11ヶ月(初土俵から2年0ヶ月)
新関脇
平成6年(1994)3月(所要7場所)
22歳1ヶ月(初土俵から1年2ヶ月)
新大関
平成12年(2000)5月(所要44場所)
28歳3ヶ月(初土俵から7年4ヶ月)
最終場所
平成16年(2004)11月場所(32歳9ヶ月)
大相撲歴
72場所(11年10ヶ月)
通算成績
554勝377敗122休921出場(勝率.602)
通算72場所
勝ち越し53場所(勝ち越し率.736)(勝ち越し星222)
優勝等
幕内優勝1回(次点4),幕下優勝2回
受賞・金星
殊勲賞5回,敢闘賞4回,技能賞4回,金星2個(曙1個、貴乃花1個)
持給金
209円(勝ち越し星222個 優勝1回 金星2個)
大関戦歴
186勝148敗60休327出場(勝率.569)
在位27場所(在位率.375)
勝ち越し19場所(勝ち越し率.704)
幕内戦歴
520勝367敗122休877出場(勝率.593)
在位68場所(在位率.944)
勝ち越し49場所(勝ち越し率.721)
三役戦歴
255勝178敗32休430出場(勝率.593)
在位31場所(在位率.431)
勝ち越し22場所(勝ち越し率.710)
関脇戦歴
177勝111敗12休287出場(勝率.617)
在位20場所(在位率.278)
勝ち越し14場所(勝ち越し率.700)
小結戦歴
78勝67敗20休143出場(勝率.545)
在位11場所(在位率.153)
勝ち越し8場所(勝ち越し率.727)
前頭戦歴
79勝41敗30休120出場(勝率.658)
在位10場所(在位率.139)
勝ち越し8場所(勝ち越し率.800)
十両戦歴
20勝10敗0休30出場(勝率.667)
在位2場所(在位率.028)
勝ち越し2場所(勝ち越し率1.000)
関取戦歴
540勝377敗122休907出場(勝率.595)
在位70場所(在位率.972)
勝ち越し51場所(勝ち越し率.729)
幕下以下歴
14勝0敗0休14出場(勝率1.000)
在位2場所(在位率.028)
勝ち越し2場所(勝ち越し率1.000)

武双山 正士の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

  • ✅ 勝った決まり手1位:押し出し(225回 / 40.6%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(112回 / 29.7%)
  • ✅ 得意な相手:琴錦(22勝7敗 / 勝率.759)
  • ✅ 苦手な相手:貴乃花(10勝26敗 / 勝率.278)

現役の藤島部屋力士の最新情報はこちら

ここまでは過去から現在までの武蔵川~藤島部屋の主な力士たちをご紹介してきましたが、藤島部屋の現役力士の最新番付や成績を知りたい方の為に最適な記事もご用意しています。相撲観戦と予習におススメです!

出身地別、力士別、初土俵別など様々な方法で力士データをまとめています。

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カテゴリー : 出羽海一門

公開日:2018-08-17
投稿者:レイ

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