静岡出身の過去から現在までの主な力士をご紹介する静岡県の大相撲力士まとめ!この記事では静岡出身の関取を中心に、静岡の郷土力士をご紹介していきます。
過去の力士については最高位や改名歴、初土俵や各段の昇進時期と最終場所、さらに生涯戦歴と生涯勝率、成績等を中心にご紹介していきます。また、現役力士については最高位と昇進時期、主な成績などを載せています。
なお、年寄名跡欄の
現役の静岡県出身力士の最新番付や成績、詳細なデータをご覧になりたい方はこちら
相撲部屋や出身地ごとの場所の成績からランキングを作成しております。初場所、好調な相撲部屋や力士の出身地はどこ?
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この記事の目次
静岡出身の優勝力士
優勝制度が制定された明治42年(1909)6月場所からですが、それ以降まだ静岡県の幕内最高優勝力士は出ていません。今後に期待したいですね。最高位が前頭の現役力士
翠富士 一成
翠富士 一成(みどりふじ かずなり)は静岡県 焼津市出身、伊勢ヶ濱部屋の力士で最高位は前頭筆頭。令和6年11月場所の番付は東 前頭9枚目。
小学生の頃から相撲を始めてわんぱく相撲全国大会に出場。中学時代はいっとき相撲から離れていたが中3次に再開して全国中学校相撲選手権大会団体でベスト8に。
高校は飛龍高校に進学、2年次には全国高等学校総合体育大会相撲競技大会団体で埼玉栄高の佐藤貴信(現・貴景勝)を破り埼玉栄の4連覇を阻み、飛龍高校初の団体3位に貢献。また個人でも全日本ジュニア体重別選手権80キロ未満級、全国選抜100キロ未満級でそれぞれ優勝と実績を積んだ。
大学は近畿大学に進学、1年次には全国学生相撲個人体重別選手権大会100㎏未満級で優勝と活躍したが「いずれプロになろうと思っていたので早い方がいいと思った」と、大学を中退しての角界入りを決意。時を同じく近大を中退して伊勢ヶ濱部屋へと入門した錦富士とは良きライバル関係。
平成28年11月場所では序ノ口、翌29年初場所では序二段の優勝決定戦でいずれもその錦富士と対戦して敗れてしまったが、その後も切磋琢磨しながら番付を上げていった翠富士は、東幕下2枚目で迎えた令和2年初場所で5勝2敗で勝ち越して令和2年3月場所での新十両昇進を決めた。
静岡県出身力士としては平成25年(2013)3月場所の栃飛龍(元十両)以来7年ぶりの新十両誕生、焼津出身としては平成16年(2004)7月場所新十両昇進の片山(元・幕内)以来、約16年ぶりの関取誕生。
東十両2枚目で迎えた令和2年11月場所では千秋楽で旭秀鵬との優勝決定戦に勝利して十両優勝となった。
- 四股名
- 翠富士 一成(みどりふじ かずなり)
- 最高位
- 前頭筆頭
- 最新番付
- 東 前頭9枚目
- 出身地
- 静岡県 焼津市
- 本名
- 庵原 一成
- 生年月日
- 平成8年(1996)8月30日(28歳)
- 出身高校
- 飛龍高校
- 出身大学
- 近畿大学・中退
- 所属部屋
- 伊勢ヶ濱部屋
- 改名歴
- 庵原⇒翠富士
- 初土俵
- 平成28年(2016)9月(20歳1ヵ月)
- 新十両
- 令和2年(2020)3月(23歳7ヵ月)
- 新入幕
- 令和3年(2021)1月(24歳5ヵ月)
- 優勝
- 十両優勝1回
- 受賞・金星
- 技能賞1回
- 通算成績
- 297勝248敗15休/545出場(勝率:54.5%)
- 直近7場所
- 48勝57敗
- 7場所勝率
- 45.7%
- 令6年11月
- 東 前頭9枚目(半枚降下)
- 7勝8敗
- ○●●●○|○●●○○|●●○●○
- 令6年9月
- 西 前頭8枚目(2枚上昇)
- 7勝8敗
- ●●○○○|●●○●●|●○○○●
- 令6年7月
- 西 前頭10枚目(4枚降下)
- 8勝7敗
- ○●●○□|○●○○●|○●●○●
- 令6年5月
- 西 前頭6枚目(1枚半降下)
- 5勝10敗
- ○●○●●|●●○○●|○●●●●
- 令6年3月
- 東 前頭5枚目(3枚降下)
- 7勝8敗
- ●○●●○|●○●○○|○○●●●
- 令6年1月
- 東 前頭2枚目(3枚上昇)
- 5勝10敗
- ●●●○●|●○●●○|●●○○●
- 令5年11月
- 東 前頭5枚目
- 9勝6敗
- ●○○○○|○●○●○|○●○●●
熱海富士 朔太郎
熱海富士 朔太郎(あたみふじ さくたろう)は静岡県 熱海市出身、伊勢ヶ濱部屋の力士で最高位は前頭筆頭。令和6年11月場所の番付は西 前頭3枚目。
熱海市立第二小6年の頃から三島相撲クラブで相撲を始める。熱海中学3年次に全国都道府県中学生相撲選手権大会と全国中学校相撲選手権大会でともに個人8強入り。高校は飛龍高校へと進学、東海大会団体優勝をはじめ数々の大会で優秀な成績をおさめた。高校の先輩である颯富士や伊勢ヶ濱親方から誘われたこともあり伊勢ヶ濱部屋へと入門。令和3年(2021)1月場所での序ノ口優勝、翌3月場所で序二段優勝と幸先のよいスタートを切った。
- 四股名
- 熱海富士 朔太郎(あたみふじ さくたろう)
- 最高位
- 前頭筆頭
- 最新番付
- 西 前頭3枚目
- 出身地
- 静岡県 熱海市
- 本名
- 武井 朔太郎
- 生年月日
- 平成14年(2002)9月3日(22歳)
- 出身高校
- 飛龍高校
- 所属部屋
- 伊勢ヶ濱部屋
- 初土俵
- 令和2年(2020)11月(18歳2ヵ月)
- 新十両
- 令和4年(2022)3月(19歳6ヵ月)
- 新入幕
- 令和4年(2022)11月(20歳2ヵ月)
- 優勝
- 十両優勝1回,序二段優勝1回,序ノ口優勝1回
- 受賞・金星
- 敢闘賞2回
- 通算成績
- 177勝123敗4休/299出場(勝率:59.2%)
- 直近7場所
- 54勝51敗
- 7場所勝率
- 51.4%
- 令6年11月
- 西 前頭3枚目(1枚半降下)
- 8勝7敗
- ○○○○●|●●●●●|○○○●○
- 令6年9月
- 東 前頭2枚目(半枚降下)
- 7勝8敗
- ●●○●○|●○●○●|○●●○○
- 令6年7月
- 西 前頭筆頭(半枚降下)
- 7勝8敗
- ○●○●●|●●○○●|●●○○○
- 令6年5月
- 東 前頭筆頭(1枚上昇)
- 7勝8敗
- ○●○●●|●●●○○|●○○○●
- 令6年3月
- 東 前頭2枚目(半枚降下)
- 8勝7敗
- ●○●○○|○●●●○|○○○●●
- 令6年1月
- 西 前頭筆頭(6枚半上昇・最高位更新)
- 6勝9敗
- ●●●●○|○○○●●|○●○●●
- 令5年11月
- 東 前頭8枚目
- 11勝4敗(敢闘賞)
- ○○○○○|●●○○○|○○○●●
静岡出身の関脇
天竜 三郎
静岡県浜松市出身、出羽海部屋の元力士で最高位は関脇。相撲史に残る「春秋園事件」の中心人物。長身の美男子で吊りを得意とし人気があった。また知識人でもあった天竜は、角界の風雲児として大井町の「春秋園」に立て籠り相撲協会に対して改革を要求。これが物別れに終わると協会脱退を宣言、のちに関西角力協会を興して運営に尽力したが昭和12年暮れには解散となった。戦後は民放ラジオの相撲解説者としてその辛口な語り口が人気を博した。
- 四股名 :天竜 三郎(てんりゅう さぶろう)
- 最高位 :関脇
- 出身地 :静岡県浜松市
- 本 名 :和久田 三郎
- 生年月日:明治36年(1903)11月1日
- 没年月日:平成元年(1989)8月20日(享年85歳)
- 所属部屋:出羽海部屋
- 改名歴 :三方ヶ原⇒天竜
- 初土俵 :大正9年(1920)1月(16歳2ヵ月)
- 新十両 :昭和2年(1927)5月(23歳6ヵ月)
- 新入幕 :昭和3年(1928)5月(24歳6ヵ月)
- 新三役 :昭和5年(1930)5月(26歳6ヵ月)
- 最終場所:昭和7年(1932)1月(28歳2ヵ月)
- 生涯戦歴:171勝85敗18休6分/262出場(34場所)
- 生涯勝率:66.8%
- 優勝等 :幕内次点2回,十両優勝1回,三段目優勝1回
- 幕内戦歴:98勝44敗11休1分(14場所)勝率:69.0%
- 関脇:44勝21敗1分(6場所)勝率:67.7%
- 前頭:54勝23敗11休(8場所)勝率:70.1%
- 十両戦歴:26勝13敗(4場所)勝率:66.7%
静岡出身の小結
和田ヶ原 甚四郎
静岡出身としては昭和初期に天竜三郎が出るまで唯一の三役経験者だった。同郷の初代追手風喜多郎の弟子で引退後は2代追手風甚四郎を襲名、部屋を率いた
- 四股名 :和田ヶ原 甚四郎(わだがはら じんしろう)
- 最高位 :小結
- 年寄名跡:
2代追手風 - 出身地 :静岡県静岡市
- 本 名 :小川 伊之助
- 生年月日:宝暦10年(1760)
- 没年月日:文政5年(1822)8月16日(享年63歳)
- 所属部屋:追手風部屋
- 初土俵 :安永6年(1777)10月・五段目(17歳頃)
- 新入幕 :寛政3年(1791)11月(31歳頃)
- 新三役 :寛政4年(1792)11月(32歳頃)
- 最終場所:寛政11年(1799)11月(39歳頃)
- 生涯戦歴:74勝34敗23休9分14預10無/141出場(21場所)
- 生涯勝率:68.5%
- 優勝等 :なし
- 幕内戦歴:31勝22敗23休6分9預6無(11場所)勝率:58.5%
- 小結:6勝4敗2預(2場所)勝率:60.0%
- 前頭:25勝18敗23休6分7預6無(9場所)勝率:58.1%
- 十両戦歴:43勝12敗3分5預4無(10場所)勝率:78.2%
静岡出身の前頭
和田ヶ原 甚四郎(2代)
現役時代は苦労人で遅咲きだったが幕内中堅力士として活躍。4代大嶽を襲名した和田ヶ原はその手腕を大いに発揮し、遂には年寄の最上位である取締にまで昇格した。第15代横綱・梅ヶ谷(初代)は娘婿
- 四股名 :和田ヶ原 甚四郎(2代)(わだがはら じんしろう)
- 最高位 :前頭2枚目
- 年寄名跡:
4代大嶽 - 出身地 :静岡県榛原郡
- 本 名 :不明⇒大嶽 門左衛門
- 生年月日:文化12年(1815)
- 没年月日:明治20年(1887)10月4日(享年73歳)
- 所属部屋:追手風部屋
- 改名歴 :東川⇒和田ヶ原⇒大嶽
- 初土俵 :天保7年(1836)11月・序ノ口(21歳頃)
- 二段目 :天保14年(1843)1月(28歳頃)
- 新入幕 :嘉永6年(1853)11月(38歳頃)
- 最終場所:万延2年(1861)2月(46歳頃)
- 生涯戦歴:68勝89敗52休16分4預1無/178出場(32場所)
- 生涯勝率:43.3%
- 優勝等 :なし
- 幕内戦歴:28勝33敗52休10分2預(15場所)勝率:45.9%
- 十両戦歴:40勝56敗6分2預1無(17場所)勝率:41.7%
飛龍 喜三太
遠州金谷宿(現在の静岡県島田市)出身。山桂の名で前相撲からはじめて嘉永3年(1850)11月に二段目に昇進、5日目より帆ノ山と改めた。安政5年(1858)11月場所より飛龍喜三太に改名。
万延元年(1860)年10月場所で新入幕、文久2年(1862)11月には2枚鑑札で熊ヶ谷弥三郎を襲名。これ以降、全休を続けながら文久3年(1863)11月場所では前頭4枚目まで進んだ。幕内在位8場所中、出場したのはわずか3場所のみであった。年寄専務となってからは中改め(審判委員)を務めた。
- 四股名 :飛龍 喜三太(ひりゅう きそた)
- 最高位 :前頭4枚目
- 年寄名跡:
7代熊ヶ谷 - 出身地 :静岡県島田市(旧・榛原郡金谷町東町)
- 本 名 :村井 喜太八
- 生年月日:文政6年(1823)5月
- 没年月日:明治20年(1887)10月3日(享年64歳)
- 所属部屋:追手風⇒雷⇒追手風部屋
- 改名歴 :山桂⇒帆ノ山⇒飛龍(飛竜)⇒熊ヶ谷
- 初土俵 :弘化3年(1846)11月・序ノ口(23歳頃)
- 二段目 :嘉永3年(1850)11月(27歳頃)
- 新入幕 :万延元年(1860)10月(37歳頃)
- 最終場所:元治元年(1864)4月(41歳頃)
- 生涯戦歴:17勝23敗56休3預/43出場(12場所)
- 生涯勝率:42.5%
- 優勝等 :なし
- 幕内戦歴:6勝13敗56休1預(8場所)勝率:31.6%
- 十両戦歴:11勝10敗2預(4場所)勝率:52.4%
綾鬼 喜一郎
入門はわずか9歳の頃、巡業地では子供土俵入りを行っていた。当初は弱くて番付に載るまで2年もかかったが、激しい突っ張りと押しという自分の型を掴んでからは順調に出世した。横綱・西ノ海(3代)を破る金星をあげたことも
- 四股名 :綾鬼 喜一郎(あやおに きいちろう)
- 最高位 :前頭5枚目
- 出身地 :静岡県三島市
- 本 名 :杉山 喜一郎
- 生年月日:明治33年(1900)6月17日
- 没年月日:昭和20年(1945)10月5日(享年45歳)
- 所属部屋:中川部屋
- 初土俵 :大正2年(1913)1月(12歳7ヵ月)
- 新十両 :大正9年(1920)1月(19歳7ヵ月)
- 新入幕 :大正11年(1922)5月(21歳11ヵ月)
- 最終場所:昭和4年(1929)3月(28歳9ヵ月)
- 生涯戦歴:101勝126敗35休5分4預/236出場(38場所)
- 生涯勝率:44.5%
- 優勝等 :なし
- 成 績 :金星1個
- 幕内戦歴:38勝66敗18休5分2預(12場所)勝率:36.5%
- 十両戦歴:33勝42敗5休(10場所)勝率:44.0%
磋牙司 洋之
磋牙司 洋之(さがつかさ ひろゆき)は静岡県三島市出身、入間川部屋の元力士で、最高位は前頭9枚目。
平成16年(2004)3月場所に22歳2ヶ月で初土俵を踏み、令和3年(2021)7月場所を最後に引退(39歳6ヶ月)(※番付上は令和3年9月場所が最後)。
通算成績は467勝452敗21休917出場。生涯勝率.508。通算103場所中、56場所を勝ち越した(勝ち越し率.549)。
主な成績は十両優勝1回,幕下優勝1回。
昭和56年(1981)12月21日生まれ。本名は磯部 洋之。
三島市錦田小学6年生の時、わんぱく相撲全国大会で優勝してわんぱく横綱に、中学では静岡県代表として全国都道府県中学生相撲選手権大会に出場して個人と団体で優勝に輝く。さらに沼津学園(現・飛龍高)2年次には高校総体優勝で高校横綱に、3年次には高等学校相撲金沢大会で優勝と輝かしい実績を残した。
しかし進学した東洋大学では目立った活躍はなく付出資格となるタイトルを獲得できないまま4年間を終えることとなった。
身長が低かった為に第2新弟子検査を経て前相撲からのスタートとなった磯部だったが、粘り強い相撲で番付をあげていき初土俵から約3年半で新十両昇進を決めた。その後しばらくは十両と幕下を行き来していたが平成22年(2010)3月場所で新入幕を果たす。
怪我の影響で十両、さらに幕下陥落も経験したがそのたびに這い上がり3度の帰り入幕を遂げている。その3回目の入幕となった平成25年(2013)3月場所7日目に全治1か月の怪我を負ったことが影響して番付を大きく下げた。変化に頼らない取り口には一定の評価があった実力者。
39歳6ヶ月、東の三段目77枚目で迎えた令和3年(2021)7月場所では1番相撲から6連勝と好調であった磋牙司。7番相撲で勝利すれば各段優勝の最年長記録更新と翌場所での幕下復帰が確実であったが、木瀬部屋の鳩岡に敗れて三段目優勝を逃した。場所後の8月11日に引退を表明。
- 四股名
- 磋牙司 洋之(さがつかさ ひろゆき)
- 最高位
- 前頭9枚目
- 出身地
- 静岡県三島市
- 本名
- 磯部 洋之
- 生年月日
- 昭和56年(1981)12月21日
- 出身高校
- 沼津学園高校
- 出身大学
- 東洋大学
- 所属部屋
- 入間川部屋
- 改名歴
- 磯部 洋之 → 磋牙司 洋之
- 初土俵
- 平成16年(2004)3月 前相撲(22歳2ヶ月)
- 新十両
- 平成19年(2007)11月(所要22場所)
- 25歳10ヶ月(初土俵から3年8ヶ月)
- 新入幕
- 平成22年(2010)3月(所要36場所)
- 28歳2ヶ月(初土俵から6年0ヶ月)
- 最終場所
- 令和3年(2021)7月(39歳6ヶ月)※番付上は令和3年9月場所
- 大相撲歴
- 103場所(17年4ヶ月)
- 通算成績
- 467勝452敗21休917出場(勝率.508)
- 通算103場所
- 勝ち越し56場所(勝ち越し率.549)
- 優勝等
- 十両優勝1回,幕下優勝1回
- 前頭戦歴
- 33勝50敗7休82出場(勝率.398)
- 在位6場所(在位率.058)
- 勝ち越し1場所(勝ち越し率.167)
- 十両戦歴
- 155勝175敗0休330出場(勝率.470)
- 在位22場所(在位率.214)
- 勝ち越し9場所(勝ち越し率.409)
- 関取戦歴
- 188勝225敗7休412出場(勝率.455)
- 在位28場所(在位率.272)
- 勝ち越し10場所(勝ち越し率.357)
- 幕下以下歴
- 279勝227敗14休505出場(勝率.551)
- 在位74場所(在位率.718)
- 勝ち越し46場所(勝ち越し率.622)
潮丸 元康
静岡県静岡市出身、東関部屋の元力士で最高位は前頭10枚目。相撲経験はなかったが中学を卒業とともに東関部屋へと入門、堅実な努力により平成14年1月場所で新十両、9月場所で新入幕となった。これは東関部屋として曙、高見盛に次ぐ3人目の幕内力士。また静岡出身として昭和以降、天竜、天城山、駿河海、和錦に次ぐ5人目の幕内力士。
あんこ型の典型を活かした突き押し相撲が得意で、また差し身も良く、もろ差しからの寄りにも定評があった。相撲人形のような体型と童顔も愛された人気力士。
師匠の停年にあわせて引退し東関部屋を継承。頭脳明晰な13代東関は平成24年には平年寄から一気に勝負審判に抜擢された。原則としては現役時代の最高位が前頭2枚目以上の委員の年寄が勝負審判を務めるといわれていた為、これは異例のこと。ここからもその秀才ぶりが窺える。勝負審判としての土俵下の鋭い眼光は印象的だった。
血管肉腫という血管の内皮細胞から発生する極めて稀な癌の為、令和元年12月13日に永眠。亡くなる前日には平成30年1月場所後に移転したばかりだった柴又の東関部屋に戻り、弟子たちひとりひとりの手を握りながら名前を呼んで別れを惜しんだ。
- 四股名 :潮丸 元康(うしおまる もとやす)
- 最高位 :前頭10枚目
- 年寄名跡:24代小野川⇒
13代東関 - 出身地 :静岡県静岡市
- 本 名 :佐野 元泰
- 生年月日:昭和53年(1978)5月11日
- 没年月日:令和元年(2019)12月13日(享年41歳)
- 所属部屋:東関部屋
- 改名歴 :高見佐野⇒天福⇒潮丸
- 初土俵 :平成6年(1994)3月(15歳10ヵ月)
- 新十両 :平成14年(2002)1月(23歳8ヵ月)
- 新入幕 :平成14年(2002)9月(24歳4ヵ月)
- 最終場所:平成21年(2009)5月(31歳0ヵ月)
- 生涯戦歴:482勝448敗51休/927出場(92場所)
- 生涯勝率:51.8%
- 優勝等 :十両優勝1回,幕下優勝1回
- 幕内戦歴:68勝92敗20休(12場所)勝率:42.5%
- 十両戦歴:222勝212敗31休(31場所)勝率:51.2%
片山 伸次
静岡県焼津市出身、阿武松部屋の元力士で最高位は前頭13枚目。「四股の片山」と呼ばれた美しい四股踏みで喝采を浴びる。
- 四股名 :片山 伸次(かたやま しんじ)
- 最高位 :前頭13枚目
- 出身地 :静岡県焼津市
- 本 名 :片山 伸次
- 生年月日:昭和54年(1979)9月6日
- 出身大学:専修大学
- 所属部屋:阿武松部屋
- 初土俵 :平成14年(2002)3月(22歳6ヵ月)
- 新十両 :平成16年(2004)7月(24歳10ヵ月)
- 新入幕 :平成17年(2005)5月(25歳8ヵ月)
- 最終場所:平成21年(2009)1月(29歳4ヵ月)
- 生涯戦歴:241勝239敗6休/480出場(42場所)
- 生涯勝率:50.2%
- 優勝等 :序ノ口優勝1回
- 幕内戦歴:36勝54敗(6場所)勝率:40.0%
- 十両戦歴:137勝148敗(19場所)勝率:48.1%
和錦 克年
初土俵から74場所目に念願の入幕も左手首を痛めて1場所で陥落
- 四股名 :和錦 克年(かつにしき かつとし)
- 最高位 :前頭13枚目
- 出身地 :静岡県庵原郡由比町
- 本 名 :和田 歳夫
- 生年月日:昭和21年(1946)7月2日
- 所属部屋:春日野部屋
- 改名歴 :和田錦⇒和錦
- 初土俵 :昭和38年(1963)9月(17歳2ヵ月)
- 新十両 :昭和47年(1972)7月(26歳0ヵ月)
- 新入幕 :昭和51年(1976)1月(29歳6ヵ月)
- 最終場所:昭和53年(1978)3月(31歳8ヵ月)
- 生涯戦歴:421勝383敗29休/802出場(88場所)
- 生涯勝率:52.4%
- 優勝等 :なし
- 幕内戦歴:5勝10敗(1場所)勝率:33.3%
- 十両戦歴:190勝211敗4休(27場所)勝率:47.4%
駿河海 光夫
関西相撲からの加入、将来を嘱望されていたが入幕後に膝を痛めて廃業、のちに力道山に請われてプロレスラーに
- 四股名 :駿河海 光夫(するがうみ みつお)
- 最高位 :前頭14枚目
- 出身地 :静岡県静岡市
- 本 名 :杉山 光夫
- 生年月日:大正9年(1920)1月1日
- 没年月日:平成22年(2010)11月24日(享年90歳)
- 所属部屋:出羽海部屋
- 改名歴 :葵龍⇒駿河海
- 初土俵 :昭和13年(1938)1月・東幕下35付出(18歳0ヵ月)
- 新十両 :昭和17年(1942)1月(22歳0ヵ月)
- 新入幕 :昭和18年(1943)1月(23歳0ヵ月)
- 最終場所:昭和20年(1945)11月(25歳10ヵ月)
- 生涯戦歴:94勝69敗14休1分/162出場(17場所)
- 生涯勝率:57.7%
- 優勝等 :十両優勝2回
- 幕内戦歴:13勝19敗14休1分(4場所)勝率:40.6%
- 十両戦歴:45勝20敗(5場所)勝率:69.2%
天城山 猪太夫
現役では幕内1場所だが廃業後は人柄と明晰な頭脳をかわれて協会理事に、大いに手腕を発揮した
- 四股名 :天城山 猪太夫(あまぎやま いだゆう)
- 最高位 :前頭17枚目
- 年寄名跡:9代東関
- 出身地 :静岡県伊東市
- 本 名 :石川 徳郎
- 生年月日:明治39年(1906)8月17日
- 没年月日:平成9年(1997)9月23日(享年91歳)
- 所属部屋:友綱部屋
- 改名歴 :天城山⇒初嶋⇒天城山
- 初土俵 :大正14年(1925)1月(18歳5ヵ月)
- 新十両 :昭和7年(1932)2月(25歳6ヵ月)
- 新入幕 :昭和11年(1936)5月(29歳9ヵ月)
- 最終場所:昭和13年(1938)1月(31歳5ヵ月)
- 生涯戦歴:78勝87敗/165出場(16場所)
- 生涯勝率:47.3%
- 優勝等 :なし
- 幕内戦歴:3勝8敗(1場所)勝率:27.3%
- 十両戦歴:69勝74敗(13場所)勝率:48.3%
静岡出身の十両
龍ヶ浜 広宣
- 四股名 :龍ヶ浜 広宣(りゅうがはま ひろのぶ)
- 最高位 :十両7枚目
- 出身地 :静岡県浜松市
- 本 名 :柴田 広宜
- 生年月日:昭和38年(1963)8月16日
- 所属部屋:時津風部屋
- 改名歴 :柴田⇒龍ヶ浜
- 初土俵 :昭和56年(1981)1月(17歳5ヵ月)
- 新十両 :平成2年(1990)9月(27歳1ヵ月)
- 最終場所:平成4年(1992)1月(28歳5ヵ月)
- 生涯戦歴:256勝239敗7休/495出場(67場所)
- 生涯勝率:51.7%
- 優勝等 :なし
- 十両戦歴:32勝43敗(5場所)勝率:42.7%
栃飛龍 幸也
静岡県三島市出身、春日野部屋の元力士で最高位は十両7枚目。四股名は出身校である飛龍高校から。素早い動きの押し相撲が武器。
- 四股名 :栃飛龍 幸也(とちひりゅう ゆきや)
- 最高位 :十両7枚目
- 出身地 :静岡県三島市
- 本 名 :本間 幸也
- 生年月日:昭和62年(1987)4月23日
- 所属部屋:春日野部屋
- 初土俵 :平成18年(2006)3月(18歳11ヵ月)
- 新十両 :平成25年(2013)3月(25歳11ヵ月)
- 最終場所:令和元年(2019)5月(32歳1ヵ月)
- 生涯戦歴:315勝289敗14休/604出場(79場所)
- 生涯勝率:52.2%
- 優勝等 :幕下優勝1回(同点1),序二段優勝2回
- 十両戦歴:50勝85敗(9場所)勝率:37.0%
山錦 喜章
引退後は相撲協会の営繕部職員に
- 四股名 :山錦 喜章(やまにしき よしあき)
- 最高位 :十両10枚目
- 出身地 :静岡県田方郡修善寺町
- 本 名 :山崎 喜章
- 生年月日:昭和40年(1965)5月22日
- 所属部屋:出羽海部屋
- 改名歴 :山崎⇒山錦
- 初土俵 :昭和56年(1981)3月(15歳10ヵ月)
- 新十両 :平成2年(1990)11月(25歳6ヵ月)
- 最終場所:平成5年(1993)1月(27歳8ヵ月)
- 生涯戦歴:266勝247敗/513出場(72場所)
- 生涯勝率:51.9%
- 優勝等 :幕下優勝1回
- 十両戦歴:10勝20敗(2場所)勝率:33.3%
立富士 祐司
- 四股名 :立富士 祐司(たつふじ ゆうじ)
- 最高位 :十両11枚目
- 出身地 :静岡県富士宮市
- 本 名 :渡辺 裕次
- 生年月日:昭和35年(1960)7月26日
- 所属部屋:立浪部屋
- 改名歴 :立富士⇒立の富士
- 初土俵 :昭和54年(1979)3月(18歳8ヵ月)
- 新十両 :昭和60年(1985)7月(25歳0ヵ月)
- 最終場所:平成元年(1989)9月(29歳2ヵ月)
- 生涯戦歴:242勝197敗18休/439出場(64場所)
- 生涯勝率:55.1%
- 優勝等 :序二段同点1回,序ノ口同点1回
- 十両戦歴:10勝20敗(2場所)勝率:33.3%
清の富士 猛
引退後はボディビルダーに転向、従兄弟はタレントの薬丸裕英氏。
- 四股名 :清の富士 猛(きよのふじ たけし)
- 最高位 :十両11枚目
- 出身地 :静岡県伊東市
- 本 名 :薬丸 猛
- 生年月日:昭和41年(1966)2月11日
- 所属部屋:伊勢ヶ濱部屋
- 改名歴 :薬丸⇒清の富士
- 初土俵 :昭和56年(1981)3月(15歳1ヵ月)
- 新十両 :平成5年(1993)9月(27歳7ヵ月)
- 最終場所:平成10年(1998)9月(32歳7ヵ月)
- 生涯戦歴:386勝347敗18休/733出場(106場所)
- 生涯勝率:52.7%
- 優勝等 :なし
- 十両戦歴:13勝17敗(2場所)勝率:43.3%
静岡出身の幕下
関取にはあと一歩届きませんでしたが、代表的な幕下力士もご紹介しておきましょう。駿河司 章洋
静岡県袋井市出身、入間川部屋の元力士で最高位は幕下筆頭。幕下筆頭まで昇ったが、番付運がなくあと一歩で関取に届かなかった。
- 四股名 :駿河司 章洋(するがつかさ あきひろ)
- 最高位 :幕下筆頭
- 出身地 :静岡県袋井市
- 本 名 :名倉 章洋
- 生年月日:昭和55年(1980)8月11日
- 所属部屋:入間川部屋
- 改名歴 :名倉⇒駿河司
- 初土俵 :平成10年(1998)11月(18歳3ヵ月)
- 最終場所:平成22年(2010)9月(30歳1ヵ月)
- 生涯戦歴:259勝209敗29休/468出場(72場所)
- 生涯勝率:55.3%
- 優勝等 :三段目同点1回
静岡出身力士の最新情報はこちら
いかがでしたでしょうか?ここまでは過去から現在までの静岡出身の主な力士をご紹介してきましたが、静岡出身の現役力士の最新番付や成績を知りたい方の為に最適な記事もご用意しています。相撲観戦と予習におススメです!
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