山形出身の過去から現在までの主な力士をご紹介する山形県の大相撲力士まとめ!この記事では山形出身の関取を中心に、山形の郷土力士をご紹介していきます。
過去の力士については最高位や改名歴、初土俵や各段の昇進時期と最終場所、さらに生涯戦歴と生涯勝率、成績等を中心にご紹介していきます。また、現役力士については最高位と昇進時期、主な成績などを載せています。
なお、年寄名跡欄の
現役の山形県出身力士の最新番付や成績、詳細なデータをご覧になりたい方はこちら
相撲部屋や出身地ごとの場所の成績からランキングを作成しております。初場所、好調な相撲部屋や力士の出身地はどこ?
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この記事の目次
山形県出身の優勝力士
優勝制度が制定された明治42年(1909)6月場所以降、1人の山形県出身の幕内最高優勝力士が誕生しています。
山形県出身初優勝はいつで誰?
山形県出身の初優勝力士は、昭和36年(1961)1月場所で西大関だった柏戸です。
柏戸は大関だった昭和36年(1961)1月場所での初優勝を皮切りに昭和42年(1967)7月場所の優勝までの間、5回の幕内優勝をあげました。まさに郷土が誇る横綱と言っていいでしょう。
山形県出身の優勝力士一覧
では山形県出身の幕内優勝力士を年月順で一覧表にして見てみましょう。
№ | 四股名 | 優勝場所 | 回数 | 優勝時の番付 | 部屋 | 出身地 | 最高位 | 成績 | 四股名 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 柏戸 | 昭和36年1月 | 初 | 西大関 | 伊勢ノ海 | 山形県 | 47代横綱 | 13勝2敗 | 柏戸 | |
2 | 柏戸 | 昭和38年9月 | 2回目 | 西横綱 | 伊勢ノ海 | 山形県 | 47代横綱 | 15勝0敗 | 柏戸 | |
3 | 柏戸 | 昭和40年9月 | 3回目 | 東横綱(張出) | 伊勢ノ海 | 山形県 | 47代横綱 | 12勝3敗 | 柏戸 | |
4 | 柏戸 | 昭和41年1月 | 4回目 | 西横綱(張出) | 伊勢ノ海 | 山形県 | 47代横綱 | 14勝1敗 | 柏戸 | |
5 | 柏戸 | 昭和42年7月 | 5回目 | 西横綱 | 伊勢ノ海 | 山形県 | 47代横綱 | 14勝1敗 | 柏戸 |
山形県出身の優勝力士ランキング
次は山形県出身力士の優勝回数と成績のランキングです。
順位 | 四股名 | 優勝 | 最高位 | 部屋 | 出身地 | 勝数 | 敗数 | 横綱 | 大関 | 関脇 | 小結 | 前頭 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1位 | 柏戸 | 5回 | 47代横綱 | 伊勢ノ海 | 山形県 | 68勝 | 7敗 | 4回 | 1回 | 0回 | 0回 | 0回 |
最高位が前頭の現役力士
北の若 大輔
北の若 大輔(きたのわか だいすけ)は山形県 酒田市出身、八角部屋の力士で最高位は前頭14枚目。令和6年11月場所の番付は東 十両筆頭。
酒田市立宮野浦小学3年次から酒田相撲教室に通い始めて小4から3年連続でわんぱく相撲全国大会に出場。小4で3位、小6で2位に。高校は埼玉栄高校に相撲留学し、数々の大会で個人・団体の優勝を飾るなど実績をあげた。
わんぱく相撲全国大会に出場した時に八角部屋に泊まった事や、北の富士さんの親戚が酒田市で営んでいる ちゃんこ屋に、小さな頃から通っていたことが縁で八角部屋への入門となった。
- 四股名
- 北の若 大輔(きたのわか だいすけ)
- 最高位
- 前頭14枚目
- 最新番付
- 東 十両筆頭
- 出身地
- 山形県 酒田市
- 本名
- 齋藤 大輔
- 生年月日
- 平成12年(2000)11月12日(24歳)
- 出身高校
- 埼玉栄高校
- 所属部屋
- 八角部屋
- 初土俵
- 平成31年(2019)3月(18歳4ヵ月)
- 新十両
- 令和4年(2022)1月(21歳2ヵ月)
- 新入幕
- 令和5年(2023)11月(23歳0ヵ月)
- 優勝
- 無し
- 通算成績
- 204勝164敗7休/366出場(勝率:55.7%)
- 直近7場所
- 35勝23敗2休(幕内:14勝31敗)
- 7場所勝率
- 48.0%
- 令6年11月
- 東 十両筆頭(1枚半降下)
- 9勝6敗
- ○○●●○|●●○●○|○○○●○
- 令6年9月
- 西 前頭16枚目(3枚上昇)
- 6勝9敗
- ●○○●●|●●●○○|○●●●○
- 令6年7月
- 東 十両3枚目(2枚半上昇)
- 8勝7敗
- ●○○●●|○○●●●|○○○●○
- 令6年5月
- 西 十両5枚目(7枚半降下)
- 8勝5敗2休
- ■やや○●|●●○○●|○○○○○
- 令6年3月
- 西 前頭14枚目(5枚半上昇・最高位更新)
- 3勝12敗
- ●●○●●|●●●●○|●○●●●
- 令6年1月
- 西 十両3枚目(3枚半降下)
- 10勝5敗
- ○○○○●|●○○●○|○●○○●
- 令5年11月
- 東 前頭17枚目
- 5勝10敗
- ○○●○●|●●○●●|●●○●●
最高位が十両の現役力士
白鷹山 亨将
白鷹山 亨将(はくようざん りょうすけ)は山形県 西置賜郡白鷹町出身、高田川部屋の力士で最高位は十両3枚目。令和6年11月場所の番付は西 十両8枚目。
白鷹町立鮎貝小学校時代は柔道。中学では陸上部に所属し砲丸投げで県大会新記録を出して優勝。相撲経験はなかったが父親の勧めと高田川親方からの熱心な勧誘により入門を決意。
当初は平成23年(2011)3月場所で初土俵を踏むはずだったが大相撲八百長問題により3月場所は中止となり、5月に行われた技量審査場所がデビューとなった。右膝前十字靭帯断裂の大怪我や糖尿病に悩まされたが平成30年(2018)5月場所で新十両に昇進。このときは1場所で跳ね返されたが翌場所は幕下全勝優勝で再び十両の土俵に挑む。兄弟子・輝も太鼓判の逸材
- 四股名
- 白鷹山 亨将(はくようざん りょうすけ)
- 最高位
- 十両3枚目
- 最新番付
- 西 十両8枚目
- 出身地
- 山形県 西置賜郡白鷹町
- 本名
- 齋藤 亨将
- 生年月日
- 平成7年(1995)4月13日(29歳)
- 所属部屋
- 高田川部屋
- 初土俵
- 平成23年(2011)5月(16歳1ヵ月)
- 新十両
- 平成30年(2018)5月(23歳1ヵ月)
- 優勝
- 十両優勝1回,幕下優勝1回
- 通算成績
- 395勝350敗47休/743出場(勝率:53.2%)
- 直近7場所
- 42勝48敗(幕下以下:4勝3敗)
- 7場所勝率
- 47.4%
- 令6年11月
- 西 十両8枚目(変動なし)
- 6勝9敗
- ○○●○●|●●○○●|●●●○●
- 令6年9月
- 西 十両8枚目(3枚半上昇)
- 7勝8敗
- ●●○○●|●●○●○|○○●○●
- 令6年7月
- 東 十両12枚目(1枚半降下)
- 9勝6敗
- ○○○●●|○●●○○|●□●○○
- 令6年5月
- 西 十両10枚目(4枚半降下)
- 6勝9敗
- ●●●●○|●○○○○|○●●●●
- 令6年3月
- 東 十両6枚目(4枚半上昇)
- 4勝11敗
- ●●●○●|●●●●●|○○●●○
- 令6年1月
- 西 十両10枚目(4枚半上昇)
- 10勝5敗
- ●●●●○|○○○○○|○○○●○
- 令5年11月
- 東 幕下筆頭
- 4勝3敗
- ○-○-○|-○-●-|●-●--
山形出身の横綱
柏戸 剛
山形県東田川郡櫛引町出身、伊勢ノ海部屋の元力士で最高位は横綱。大鵬と共に横綱同時昇進、互いに切磋琢磨して「柏鵬時代」と呼ばれる相撲黄金期を築いた。引退後は鏡山部屋を興す。
- 四股名 :柏戸 剛(かしわど つよし)
- 最高位 :第47代横綱
- 年寄名跡:
7代鏡山 - 出身地 :山形県東田川郡櫛引町
- 本 名 :富樫 剛
- 生年月日:昭和13年(1938)11月29日
- 没年月日:平成8年(1996)12月8日(享年58歳)
- 所属部屋:伊勢ノ海部屋
- 改名歴 :富樫⇒柏戸
- 初土俵 :昭和29年(1954)9月(15歳10ヵ月)
- 新十両 :昭和32年(1957)11月(19歳0ヵ月)
- 新入幕 :昭和33年(1958)9月(19歳10ヵ月)
- 新三役 :昭和34年(1959)11月(21歳0ヵ月)
- 新大関 :昭和35年(1960)9月(21歳10ヵ月)
- 横綱昇進:昭和36年(1961)11月(23歳0ヵ月)
- 最終場所:昭和44年(1969)7月(30歳8ヵ月)
- 生涯戦歴:715勝295敗140休/1003出場(84場所)
- 生涯勝率:70.8%
- 優勝等 :幕内優勝5回(同点2・次点13),十両優勝1回(同点1),幕下優勝1回
- 成 績 :殊勲賞2回,敢闘賞2回,技能賞4回
- 幕内戦歴:599勝240敗140休(66場所)勝率:71.4%
- 横綱:407勝147敗140休(47場所)勝率:73.5%
- 大関:81勝24敗(7場所)勝率:77.1%
- 関脇:30勝15敗(3場所)勝率:66.7%
- 小結:17勝13敗(2場所)勝率:56.7%
- 前頭:64勝41敗(7場所)勝率:61.0%
- 十両戦歴:50勝25敗(5場所)勝率:66.7%
山形出身の大関
大達 羽左エ門
明治天皇による天覧相撲において、梅ケ谷藤太郎と繰り広げた30分を超える熱戦は明治初期の名勝負のひとつ
- 四股名 :大達 羽左エ門(おおだて うざえもん)
- 最高位 :大関
- 年寄名跡:
5代千賀ノ浦 - 出身地 :山形県鶴岡市
- 本 名 :諏訪 辯治
- 生年月日:安政元年(1854)12月15日
- 没年月日:明治37年(1904)8月17日(享年50歳)
- 所属部屋:立田川⇒高砂⇒伊勢ノ海⇒千賀ノ浦部屋
- 改名歴 :大楯⇒大達
- 初土俵 :明治6年(1873)12月・序二段付出(19歳0ヵ月)
- 新十両 :明治13年(1880)5月(25歳5ヵ月)
- 新入幕 :明治15年(1882)6月(27歳6ヵ月)
- 新三役 :明治17年(1884)5月(29歳5ヵ月)
- 新大関 :明治18年(1885)1月(30歳1ヵ月)
- 最終場所:明治28年(1895)6月(40歳6ヵ月)
- 生涯戦歴:114勝52敗109休19分3預/188出場(30場所)
- 生涯勝率:68.7%
- 優勝等 :優勝相当4回
- 幕内戦歴:87勝47敗109休14分3預(26場所)勝率:64.9%
- 大関:33勝4敗30休3分(7場所)勝率:89.2%
- 関脇:8勝1敗1休(1場所)勝率:88.9%
- 小結:8勝0敗11休1分(2場所)勝率:100.0%
- 前頭:38勝42敗67休10分3預(16場所)勝率:47.5%
- 十両戦歴:27勝5敗5分(4場所)勝率:84.4%
山形出身の関脇
出羽ヶ嶽 文治郎
「文ちゃん」の愛称で大正末期の人気を独占した206㎝の巨人力士
- 四股名 :出羽ヶ嶽 文治郎(でわがたけ ぶんじろう)
- 最高位 :関脇
- 年寄名跡:10代田子ノ浦
- 出身地 :山形県上山市
- 本 名 :佐藤 文次郎⇒斎藤 文次郎
- 生年月日:明治35年(1902)12月20日
- 没年月日:昭和25年(1950)6月9日(享年47歳)
- 所属部屋:出羽海部屋
- 初土俵 :大正6年(1917)5月(14歳5ヵ月)
- 新十両 :大正11年(1922)1月(19歳1ヵ月)
- 新入幕 :大正14年(1925)1月(22歳1ヵ月)
- 新三役 :大正15年(1926)1月(23歳1ヵ月)
- 最終場所:昭和14年(1939)5月(36歳5ヵ月)
- 生涯戦歴:209勝179敗114休2預/390出場(56場所)
- 生涯勝率:53.9%
- 優勝等 :幕内次点1回
- 幕内戦歴:150勝138敗53休(32場所)勝率:52.1%
- 関脇:12勝10敗(2場所)勝率:54.5%
- 小結:34勝24敗30休(8場所)勝率:58.6%
- 前頭:104勝104敗23休(22場所)勝率:50.0%
- 十両戦歴:23勝21敗11休1預(7場所)勝率:52.3%
琴ノ若 晴將
琴ノ若 晴將(ことのわか てるまさ)は山形県尾花沢市出身、佐渡ヶ嶽部屋の元力士で、最高位は関脇。
昭和59年(1984)5月場所に15歳11ヶ月で初土俵を踏み、平成17年(2005)11月場所を最後に引退(37歳6ヶ月)。
通算成績は782勝764敗100休1541出場。生涯勝率.506。通算130場所中、65場所を勝ち越した(勝ち越し率.504)。
主な成績は十両同点1回,幕下同点1回,三段目優勝2回。殊勲賞2回,敢闘賞5回,金星8個(貴乃花3個、曙1個、若乃花2個、朝青龍2個)。
昭和43年(1968)5月15日生まれ。本名は鎌谷 満也(旧姓・今野)。
堂々とした体格と素質で期待されたが左膝の故障に苦しめられた。
12代・佐渡ヶ嶽(元横綱・琴櫻)の長女と婿入りで結婚していた琴ノ若は、先代の停年にあわせて平成17年(2005)11月場所13日目を最後に現役を引退、佐渡ヶ嶽部屋を継承した。
- 年寄
13代・佐渡ヶ嶽 満宗 - 四股名
- 琴ノ若 晴將(ことのわか てるまさ)
- 最高位
- 関脇
- 年寄名跡
13代佐渡ヶ嶽 満宗 - 出身地
- 山形県尾花沢市
- 本名
- 今野 満也→鎌谷 満也
- 生年月日
- 昭和43年(1968)5月15日(56歳)
- 所属部屋
- 佐渡ヶ嶽部屋
- 改名歴
- 今野 満也 → 琴今野 満也 → 琴の若 實哉 → 琴乃若 將勝 → 琴ノ若 晴將
- 初土俵
- 昭和59年(1984)5月 前相撲(15歳11ヶ月)
- 新十両
- 平成2年(1990)7月(所要37場所)
- 22歳1ヶ月(初土俵から6年2ヶ月)
- 新入幕
- 平成2年(1990)11月(所要39場所)
- 22歳5ヶ月(初土俵から6年6ヶ月)
- 新小結
- 平成5年(1993)9月(所要56場所)
- 25歳3ヶ月(初土俵から9年4ヶ月)
- 新関脇
- 平成11年(1999)1月(所要88場所)
- 30歳7ヶ月(初土俵から14年8ヶ月)
- 最終場所
- 平成17年(2005)11月(37歳6ヶ月)
- 大相撲歴
- 130場所(21年6ヶ月)
- 通算成績
- 782勝764敗100休1541出場(勝率.506)
- 通算130場所
- 勝ち越し65場所(勝ち越し率.504)
- 優勝等
- 十両同点1回,幕下同点1回,三段目優勝2回
- 受賞・金星
- 殊勲賞2回,敢闘賞5回,金星8個
- 幕内戦歴
- 608勝657敗84休1260出場(勝率.481)
- 在位90場所(在位率.692)
- 勝ち越し42場所(勝ち越し率.467)
- 三役戦歴
- 61勝74敗0休135出場(勝率.452)
- 在位9場所(在位率.069)
- 勝ち越し4場所(勝ち越し率.444)
- 関脇戦歴
- 14勝16敗0休30出場(勝率.467)
- 在位2場所(在位率.015)
- 勝ち越し1場所(勝ち越し率.500)
- 小結戦歴
- 47勝58敗0休105出場(勝率.448)
- 在位7場所(在位率.054)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率.429)
- 前頭戦歴
- 547勝583敗84休1125出場(勝率.484)
- 在位81場所(在位率.623)
- 勝ち越し38場所(勝ち越し率.469)
- 十両戦歴
- 30勝15敗0休45出場(勝率.667)
- 在位3場所(在位率.023)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率1.000)
- 関取戦歴
- 638勝672敗84休1305出場(勝率.487)
- 在位93場所(在位率.715)
- 勝ち越し45場所(勝ち越し率.484)
- 幕下以下歴
- 144勝92敗16休236出場(勝率.610)
- 在位36場所(在位率.277)
- 勝ち越し20場所(勝ち越し率.556)
山形出身の前頭
蔵玉錦 敏正
弟弟子の小沼と十両同時昇進で鏡山部屋生え抜きとして初の関取に。のちに四股名を改めた時、画数のために蔵王の「王」を「玉」にするも、これで「ざおう」と読むの?と問い合わせが殺到
- 四股名 :蔵玉錦 敏正(ざおうにしき としまさ)
- 最高位 :前頭筆頭
- 年寄名跡:11代立川⇒7代富士ヶ根⇒12代枝川⇒14代中川⇒15代白玉⇒18代佐ノ山⇒16代錦島⇒13代武隈
- 出身地 :山形県山形市
- 本 名 :安達 敏正
- 生年月日:昭和27年(1952)9月3日(72歳)
- 所属部屋:伊勢ノ海⇒鏡山部屋
- 改名歴 :安達⇒蔵玉錦
- 初土俵 :昭和45年(1970)9月(18歳0ヵ月)
- 新十両 :昭和50年(1975)7月(22歳10ヵ月)
- 新入幕 :昭和51年(1976)11月(24歳2ヵ月)
- 最終場所:昭和58年(1983)1月(30歳4ヵ月)
- 生涯戦歴:440勝446敗/886出場(75場所)
- 生涯勝率:49.7%
- 優勝等 :十両優勝1回
- 成 績 :金星1個
- 幕内戦歴:149勝211敗(24場所)勝率:41.4%
- 十両戦歴:176勝154敗(22場所)勝率:53.3%
若瀬川 剛充
温和な性格で誰からも愛された力士
- 四股名 :若瀬川 剛充(わかせがわ よしみつ)
- 最高位 :前頭筆頭
- 出身地 :山形県酒田市
- 本 名 :佐藤 亙
- 生年月日:昭和37年(1962)7月28日
- 没年月日:平成23年(2011)10月8日(享年49歳)
- 所属部屋:伊勢ヶ濱部屋
- 初土俵 :昭和53年(1978)3月(15歳8ヵ月)
- 新十両 :昭和55年(1980)9月(18歳2ヵ月)
- 新入幕 :昭和58年(1983)1月(20歳6ヵ月)
- 最終場所:平成4年(1992)7月(30歳0ヵ月)
- 生涯戦歴:546勝519敗26休/1063出場(87場所)
- 生涯勝率:51.3%
- 優勝等 :十両優勝3回,幕下優勝2回(同点2),序ノ口同点1回
- 成 績 :金星1個
- 幕内戦歴:216勝267敗12休(33場所)勝率:44.7%
- 十両戦歴:227勝208敗(30場所)勝率:52.2%
大ノ海 敬士
期待の新人だったが大学時に患った糖尿病の再発を理由に廃業、しかしすぐにプロレス転向で批判を浴びる
- 四股名 :大ノ海 敬士(おおのうみ たかし)
- 最高位 :前頭4枚目
- 出身地 :山形県東田川郡藤島町
- 本 名 :石川 孝志
- 生年月日:昭和28年(1953)2月5日
- 出身大学:日本大学
- 所属部屋:花籠部屋
- 改名歴 :石川⇒大ノ海
- 初土俵 :昭和50年(1975)3月・幕下60付出(22歳1ヵ月)
- 新十両 :昭和50年(1975)9月(22歳7ヵ月)
- 新入幕 :昭和52年(1977)1月(23歳11ヵ月)
- 最終場所:昭和52年(1977)7月(24歳5ヵ月)
- 生涯戦歴:98勝79敗/177出場(15場所)
- 生涯勝率:55.4%
- 優勝等 :幕下優勝1回
- 幕内戦歴:18勝27敗(3場所)勝率:40.0%
- 十両戦歴:48勝42敗(6場所)勝率:53.3%
柏山 吾郎
山形県西村山郡出身、伊勢ノ海部屋の元力士で最高位は前頭7枚目。十両に昇進するまでは8年かかったが、そこから3場所で幕内に。しかし幕内では一度も勝ち越せずに、結局幕下まで陥落して引退した。このように現役では目立った成績を残せなかったが、8代山科としては門下より関脇・柏山を育てあげた。人望が厚く、木戸部長、勝負検査役、理事をつとめて協会隆盛に尽力した。
- 四股名 :柏山 吾郎(かしわやま ごろう)
- 最高位 :前頭7枚目
- 年寄名跡:
8代山科 - 出身地 :山形県西村山郡河北町谷地
- 本 名 :斎藤⇒相澤⇒斎藤 定五郎
- 生年月日:明治12年(1879)12月8日
- 没年月日:昭和8年(1933)1月8日(享年53歳)
- 所属部屋:伊勢ノ海部屋
- 改名歴 :最上潟⇒柏山
- 初土俵 :明治32年(1899)1月・序ノ口(19歳1ヵ月)
- 新十両 :明治40年(1907)1月(27歳1ヵ月)
- 新入幕 :明治41年(1908)5月(28歳5ヵ月)
- 最終場所:大正2年(1913)1月(33歳1ヵ月)
- 優勝等 :なし
- 幕内戦歴:7勝20敗21休2分(5場所)勝率:25.9%
神幸 勝紀
初土俵から15年、83場所をかけて新入幕を果たす
- 四股名 :神幸 勝紀(しんこう かつのり)
- 最高位 :前頭8枚目
- 年寄名跡:9代中村⇒11代高島
- 出身地 :山形県西置賜郡小国町
- 本 名 :小林 二男
- 生年月日:昭和25年(1950)1月2日
- 所属部屋:伊勢ヶ濱部屋
- 改名歴 :小林⇒大神幸⇒神幸
- 初土俵 :昭和41年(1966)9月(16歳8ヵ月)
- 新十両 :昭和51年(1976)9月(26歳8ヵ月)
- 新入幕 :昭和55年(1980)5月(30歳4ヵ月)
- 最終場所:昭和58年(1983)11月(33歳10ヵ月)
- 生涯戦歴:497勝480敗/977出場(104場所)
- 生涯勝率:50.9%
- 優勝等 :十両同点1回,幕下優勝3回
- 幕内戦歴:50勝70敗(8場所)勝率:41.7%
- 十両戦歴:174勝186敗(24場所)勝率:48.3%
大岩戸 義之
平成29年5月場所では36歳0ヶ月の戦後最年長記録で幕下初優勝を果たした
- 四股名 :大岩戸 義之(おおいわと よしゆき)
- 最高位 :前頭16枚目
- 出身地 :山形県鶴岡市
- 本 名 :上林 義之
- 生年月日:昭和56年(1981)5月18日
- 出身高校:加茂水産高校
- 出身大学:近畿大学
- 所属部屋:八角部屋
- 改名歴 :上林⇒大岩戸
- 初土俵 :平成16年(2004)3月・幕下15付出(22歳10ヵ月)
- 新十両 :平成17年(2005)5月(24歳0ヵ月)
- 新入幕 :平成25年(2013)3月(31歳10ヵ月)
- 最終場所:平成30年(2018)5月(37歳0ヵ月)
- 生涯戦歴:383勝393敗4休/775出場(85場所)
- 生涯勝率:49.4%
- 優勝等 :幕下優勝1回
- 幕内戦歴:5勝10敗(1場所)勝率:33.3%
- 十両戦歴:150勝195敗(23場所)勝率:43.5%
山形出身の十両
魄龍 弘
山形県東田川郡藤島町出身、鏡山部屋の元力士で最高位は十両筆頭。横綱・柏戸の伊勢ノ海部屋からの分家独立に従い鏡山部屋へ。十両在位は47場所、鏡山親方(元関脇・多賀竜)は取的時代に魄龍の付け人だった。
現役引退後は若者頭に就任し長年鏡山部屋を支えてきたが、令和2年4月に65歳の停年を迎え日本相撲協会を退職。
- 四股名 :魄龍 弘(はくりゅう ひろし)
- 最高位 :十両筆頭
- 出身地 :山形県東田川郡藤島町
- 本 名 :大沼 弘
- 生年月日:昭和29年(1954)4月12日
- 所属部屋:伊勢ノ海⇒鏡山部屋
- 改名歴 :大沼⇒魄龍
- 初土俵 :昭和44年(1969)11月(15歳7ヵ月)
- 新十両 :昭和54年(1979)5月(25歳1ヵ月)
- 最終場所:昭和63年(1988)5月(34歳1ヵ月)
- 生涯戦歴:566勝573敗14休/1139出場(112場所)
- 生涯勝率:49.7%
- 優勝等 :なし
- 十両戦歴:334勝371敗(47場所)勝率:47.4%
北勝国 英明
- 四股名 :北勝国 英明(ほくとくに ひであき)
- 最高位 :十両6枚目
- 出身地 :山形県鶴岡市
- 本 名 :林 英明
- 生年月日:昭和60年(1985)6月7日
- 所属部屋:八角部屋
- 改名歴 :林⇒北勝国
- 初土俵 :平成13年(2001)3月(15歳9ヵ月)
- 新十両 :平成20年(2008)3月(22歳9ヵ月)
- 最終場所:平成25年(2013)1月(27歳7ヵ月)
- 生涯戦歴:251勝183敗105休/431出場(71場所)
- 生涯勝率:57.8%
- 優勝等 :三段目優勝1回,序二段同点1回,序ノ口優勝1回
- 十両戦歴:47勝51敗7休(7場所)勝率:48.0%
鳥海龍 秀俊
四股名は場所後の打ち上げで烏龍茶を飲んでいた時に思いついた。引退後は部屋のマネージャに就任
- 四股名 :鳥海龍 秀俊(ちょうかいりゅう ひでとし)
- 最高位 :十両9枚目
- 出身地 :山形県飽海郡遊佐町
- 本 名 :佐藤 秀俊
- 生年月日:昭和40年(1965)5月19日
- 所属部屋:鏡山部屋
- 改名歴 :遊佐⇒佐藤⇒鳥海龍
- 初土俵 :昭和56年(1981)3月(15歳10ヵ月)
- 新十両 :平成5年(1993)7月(28歳2ヵ月)
- 最終場所:平成12年(2000)1月(34歳8ヵ月)
- 生涯戦歴:401勝360敗62休/761出場(114場所)
- 生涯勝率:52.7%
- 優勝等 :三段目同点1回,序二段優勝1回
- 十両戦歴:27勝33敗(4場所)勝率:45.0%
山形出身の幕下
関取にはあと一歩届きませんでしたが、代表的な幕下力士もご紹介しておきましょう。
前田 勝
山形県鶴岡市出身、放駒~芝田山部屋の元力士で最高位は幕下3枚目。わんぱく相撲全国大会では2年連続優勝してわんぱく横綱の称号を獲得、中学生になっても様々な大会で活躍した前田は「山形の怪童」と呼ばれた。埼玉栄高校では主将としてチームを引っ張り、また世界ジュニア相撲選手権大会無差別級でも優勝を飾った。前田への期待は大きく、十両まであと一歩のところだったが及ばず、平成30年(2018)9月場所を最後に引退を表明した。
引退後は岩手県八幡平市の三研ソイルに就職。分析課で肥料成分の管理業務に携わりながら同社の相撲部にも所属し、市内の小中学生にも相撲を教えていた。令和2年8月26日も平館高校の相撲道場で子供たちの指導にあたっていたが、稽古終了直前に突然転倒。心臓マッサージやAEDなどの施術にも意識は戻らず市内の病院で亡くなられた。享年38歳。
- 四股名 :前田 勝(まえた まさる)
- 最高位 :幕下3枚目
- 出身地 :山形県鶴岡市
- 本 名 :前田 勝
- 生年月日:昭和57年(1982)6月24日
- 没年月日:令和2年(2020)8月26日(享年38歳)
- 出身大学:日本大学
- 所属部屋:放駒⇒芝田山部屋
- 初土俵 :平成17年(2005)3月(22歳9ヵ月)
- 最終場所:平成30年(2018)9月(36歳3ヵ月)
- 生涯戦歴:270勝263敗27休/532出場(81場所)
- 生涯勝率:50.7%
- 優勝等 :幕下優勝1回,三段目優勝1回(同点1)
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