錣山(しころやま)部屋の過去から現在までの主な所属力士をご紹介する錣山部屋の大相撲力士まとめ!
この記事では錣山部屋の主な関取を中心に紹介していきます。過去の力士については最高位や改名歴、初土俵や各段の昇進時期と最終場所、さらに生涯戦歴と生涯勝率、成績等を中心にご紹介していきます。また、現役力士については最高位と昇進時期、主な成績などを載せています。
なお、年寄名跡欄の
現役の錣山部屋力士の最新番付や成績、詳細なデータをご覧になりたい方はこちら
相撲部屋や出身地ごとの成績から、場所中はリアルタイムでランキングを作成しております。今場所好調な相撲部屋や力士の出身地はどこ?
- 一門
- :二所ノ関一門
- 創設
- :平成16年(2004年)1月27日
- 創設者
- :第20代・錣山 矩幸 (元関脇・寺尾 常史)
- 現師匠
- :第21代・錣山 矩幸 (元小結・豊真将 紀行)
- 所在地
- :東京都江東区清澄3-6-2 📍地図
- サイト
- : 公式サイト / X(Twitter) / Instagram / YouTube
この記事の目次
錣山部屋の優勝力士
優勝制度が制定された明治42年(1909)6月場所以降、錣山部屋の幕内最高優勝力士はただ1人、阿炎です。
令和4(2022)年11月場所を西の前頭9枚目でのぞんだ阿炎は、阿炎、貴景勝、高安の三人よる優勝決定戦を制して自身初となる幕内最高優勝を果たしました。
錣山部屋の優勝力士一覧
では、錣山の木瀬部屋の幕内優勝力士を年月順で一覧表にして見てみましょう。
| № | 四股名 | 優勝場所 | 回数 | 優勝時の番付 | 出身 | 部屋 | 最高位 | 成績 | 四股名 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 阿炎 | 令和4年11月 | 初 | 前頭9 | 埼玉県 | 錣山 | 関脇 | 12勝3敗 | 阿炎 | 阿炎、貴景勝、高安との3人による優勝決定戦を制して自身初の優勝 錣山部屋から初の幕内優勝力士となった |
錣山部屋の優勝力士ランキング
次は錣山部屋力士の優勝回数と成績のランキングです。
| 順位 | 四股名 | 優勝 | 最高位 | 出身地 | 勝数 | 敗数 | 横綱 | 大関 | 関脇 | 小結 | 前頭 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1位 | 阿炎 | 1回 | 関脇 | 埼玉県 | 12勝 | 3敗 | 0回 | 0回 | 0回 | 0回 | 1回 |
錣山部屋創設の概略
平成14年(2002)9月場所を最後に現役を引退した元関脇・寺尾は、20代・錣山を襲名して井筒部屋の部屋付親方となっていましたが、平成16年(2004)1月27日に内弟子を連れて分家独立をし、錣山部屋を創設しました。
錣山部屋の歴代師匠
第20代・錣山 矩幸~瑛一 (元関脇・寺尾)
寺尾 常史 (てらお つねふみ)は鹿児島県姶良郡加治木町出身、井筒部屋の元力士で、最高位は関脇。
昭和54年(1979)7月場所に16歳5ヶ月で初土俵を踏み、平成14年(2002)9月場所を最後に引退(39歳7ヶ月)。
通算成績は858勝937敗58休1792出場。生涯勝率.479。通算140場所中、70場所を勝ち越した(勝ち越し率.504)。
主な成績は十両優勝2回(同点1)、殊勲賞3回、敢闘賞3回、技能賞1回、金星7個(大乃国3個、千代の富士1個、北勝海1個、貴乃花1個、武蔵丸1個)。
本名は福薗 好文。昭和38年(1963)2月2日生まれ。令和5年(2023)12月17日逝去(享年60歳)。
井筒三兄弟の三男として生まれ、甘いマスクと回転の速い突っ張りで絶大な人気を誇った寺尾は、細身でありながら不屈の闘志で幕内を長く務め上げた名関脇である。引退後は錣山部屋を創設し、弟子たちを家族のように愛する熱血親方として数多くの名力士を育て上げた。
相撲への目覚めと母の置きみやげ
父である元関脇・鶴ヶ嶺(13代井筒)が相撲部屋を構える東京都墨田区で生まれ育つ。長兄は鶴嶺山(十両)、次兄は逆鉾(関脇)という相撲一家であったが、小中学校時代は相撲に興味を持たず、安田学園高校へ進学してから先輩に誘われて相撲部へ入部した。厳しい稽古の末に勝つことの爽快感を知り、次第に角界入りを志すようになる。
入門に強硬に反対していた長兄の存在もあり言い出せずにいたが、昭和54年(1979年)5月場所の千秋楽、ガンで闘病中であった最愛の母を見舞った直後、その長兄から「お前、学校やめて相撲取りになったらどうだ」と背中を押される。亡き母が死に際に「相撲取りになって」と言い残していたこともあり、母の通夜の晩に入門を直訴し、高校を中退して井筒部屋へ入門した。
初土俵の際に名乗った「寺尾」の四股名は亡き母の旧姓から頂戴したものであり、長兄の言葉は母からの置きみやげであったと後年に振り返っている。また、大相撲入り後は父の故郷である鹿児島県姶良郡加治木町(現在の姶良市)を自身の出身地として届け出た。
執念の肉体改造と兄弟同時三役
初土俵の時点では85キロしかなく、体を大きくするために壮絶な努力を重ねた。食べた物を吐き出さないよう、夜は胃から腸へ下りるまで壁に寄りかかり、明け方から数時間だけ横になるという生活を約5年も続け、昭和59年(1984年)9月場所前にようやく100キロに到達している。
この直前となる同年7月場所の新十両時には、四股名を「源氏山」へと改名した。この四股名は、第30代横綱・西ノ海が横綱昇進直後の場所まで名乗ったものであり、父の憧れでもあったことから贈られたものである。1場所で元の「寺尾」へと戻したが、昭和60年(1985年)3月場所には新入幕を果たした。
幕内の土俵では110キロ台という非常に軽量な体格であったが、回転の速い突っ張りと激しい闘志を武器に大横綱・千代の富士ら上位陣に真っ向から挑む姿は、多くのファンを魅了した。次兄の逆鉾とは、昭和61年(1986年)9月場所で同時三賞受賞、平成元年(1989年)3月場所には自身が関脇へ昇進し、すでに関脇であった逆鉾と兄弟同時に三役(関脇)の地位に就くという大記録を達成して大相撲を盛り上げた。
大横綱たちからの金星と鉄人の誇り
現役時代を通じて獲得した金星は7個を数え、大乃国から3個、千代の富士、北勝海、貴乃花、武蔵丸からそれぞれ1個ずつ奪っている。特筆すべきは、衰えが見え始めた35歳から肉体改造に取り組み、36歳にして横綱・武蔵丸から自身7個目となる金星を獲得した不屈の精神である。
大きな怪我をすることなく土俵に立ち続け、幕内在位は93場所、通算出場数は1792回という大記録を打ち立てて「鉄人」と称された。平成12年(2000年)7月場所に十両へ陥落した際も、周囲の引退の声をよそに千秋楽の取組後「皆さん、また来場所お会いしましょう」と明るく宣言して現役を続行。翌平成13年(2001年)3月場所には38歳での再入幕を果たす執念を見せた。
しかし再び十両へ陥落し、平成14年(2002年)9月場所では歩けないほどの重度のギックリ腰に見舞われる。千秋楽の前日、寺尾は「明日は観に来てほしい」と出会って18年で初めて妻に頼んだ。引退を悟った妻は「じゃあ、絶対に勝ってよね」と、勝負の世界の厳しさを知ったうえで、あえて答えた。その千秋楽を見事白星で飾り、この場所を最後に39歳で現役を引退した。
「男の修行」と愛情深い部屋経営
引退後は年寄「錣山」を襲名し、平成16年(2004年)に独立して錣山部屋を創設する。指導者としては「相撲部屋は家族も同然」と考え、弟子たちを四股名ではなく下の名前で呼んで深い愛情を注いだ。稽古場には父の座右の銘であった山本五十六の「男の修行」の額縁を掲げ、稽古の終わりに全員で唱和する習慣を取り入れた。
また、「横綱から序ノ口に至るまでの全力士に期待している」という強い信念を持ち、序ノ口の力士の取組に対しても「一生懸命いい相撲を取ったら、お客さんはすごい声援を送ってくれる」とその価値を熱く語る、真摯な相撲人であった。
早すぎる別れと受け継がれる魂
熱血親方として豊真将や阿炎などの関取を育て上げたが、晩年は持病の不整脈により入退院を繰り返した。愛弟子の阿炎が初優勝を果たした令和4年(2022年)11月場所も心臓の病気で入院生活を送っており、「心臓で入院しているのにバクバクさせるなよ」と嬉しそうに語っていたという。そして令和5年(2023年)12月17日、阿炎ら部屋の弟子と家族に看取られながら、うっ血性心不全のため60歳という若さで惜しまれつつこの世を去った。
長兄の鶴嶺山、次兄の逆鉾も数年前に相次いで他界しており、わずか4年の間に福薗三兄弟全員がこの世を去るという悲しい巡り合わせとなった。しかし、その美しい突っ張りと相撲への深い愛情は、今もなお錣山部屋の弟子たちへと熱く受け継がれている。
- 四股名
- 寺尾 常史 (てらお つねふみ)
- 最高位
- 関脇
- 年寄名跡
- 20代錣山 常史(井筒) → 20代錣山 矩幸(井筒) → 20代錣山 矩幸 → 20代錣山 瑛一
- 出身地
- 鹿児島県姶良郡加治木町
- 本名
- 福薗 好文
- 生年月日
- 昭和38年(1963)2月2日
- 没年月日
- 令和5年(2023)12月17日(享年60歳)
- 出身高校
- 安田学園高校・中退
- 所属部屋
- 井筒部屋
- 改名歴
- 寺尾 常史 → 源氏山 力三郎 → 寺尾 節男 → 寺尾 常史
- 初土俵
- 昭和54年(1979)7月 前相撲(16歳5ヶ月)
- 新十両
- 昭和59年(1984)7月(所要30場所)
- 21歳5ヶ月(初土俵から5年0ヶ月)
- 新入幕
- 昭和60年(1985)3月(所要34場所)
- 22歳1ヶ月(初土俵から5年8ヶ月)
- 新小結
- 平成2年(1990)3月(所要64場所)
- 27歳1ヶ月(初土俵から10年8ヶ月)
- 新関脇
- 平成元年(1989)3月(所要58場所)
- 26歳1ヶ月(初土俵から9年8ヶ月)
- 最終場所
- 平成14年(2002)9月場所(39歳7ヶ月)
- 大相撲歴
- 140場所(23年2ヶ月)
- 通算成績
- 858勝937敗58休1792出場(勝率.479)
- 通算140場所
- 勝ち越し70場所(勝ち越し率.504)(勝ち越し星152)
- 優勝等
- 十両優勝2回(同点1)
- 受賞・金星
- 殊勲賞3回,敢闘賞3回,技能賞1回,金星7個(大乃国3個、千代の富士1個、北勝海1個、貴乃花1個、武蔵丸1個)
- 持給金
- 160円50銭(勝ち越し星152個 金星7個)
- 幕内戦歴
- 626勝753敗16休1378出場(勝率.454)
- 在位93場所(在位率.664)
- 勝ち越し42場所(勝ち越し率.452)
- 三役戦歴
- 90勝105敗0休195出場(勝率.462)
- 在位13場所(在位率.093)
- 勝ち越し7場所(勝ち越し率.538)
- 関脇戦歴
- 49勝56敗0休105出場(勝率.467)
- 在位7場所(在位率.050)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率.429)
- 小結戦歴
- 41勝49敗0休90出場(勝率.456)
- 在位6場所(在位率.043)
- 勝ち越し4場所(勝ち越し率.667)
- 前頭戦歴
- 536勝648敗16休1183出場(勝率.453)
- 在位80場所(在位率.571)
- 勝ち越し35場所(勝ち越し率.438)
- 十両戦歴
- 113勝100敗42休211出場(勝率.536)
- 在位17場所(在位率.121)
- 勝ち越し9場所(勝ち越し率.529)
- 関取戦歴
- 739勝853敗58休1589出場(勝率.465)
- 在位110場所(在位率.786)
- 勝ち越し51場所(勝ち越し率.464)
- 幕下以下歴
- 119勝84敗0休203出場(勝率.586)
- 在位29場所(在位率.207)
- 勝ち越し19場所(勝ち越し率.655)
名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。
- ✅ 勝った決まり手1位:叩き込み(110回 / 14.9%)
- ✅ 負けた決まり手1位:押し出し(211回 / 24.7%)
- ✅ 得意な相手:栃司(13勝0敗 / 勝率1.000)
- ✅ 苦手な相手:旭富士(2勝24敗 / 勝率.077)
第21代・錣山 矩幸 (元小結・豊真将)
豊真将 紀行 (ほうましょう のりゆき)は山口県下関市出身、錣山部屋の元力士で、最高位は小結。
平成16年(2004)3月場所に22歳10ヶ月で初土俵を踏み、平成27年(2015)1月場所を最後に引退(33歳8ヶ月)。
通算成績は415勝344敗109休756出場。生涯勝率.549。通算65場所中、37場所を勝ち越した(勝ち越し率.578)。
主な成績は幕内(次点3)、十両優勝1回、三段目優勝1回、敢闘賞5回、技能賞2回。
昭和56年(1981)4月16日生まれ。本名は山本 洋介。
一度は相撲から離れる挫折を味わいながらも、不屈の思いで創設間もない錣山部屋へ飛び込み、小結まで登り詰めた豊真将は、その美しい所作と真摯な土俵態度で「相撲道の体現者」と称された名力士である。引退後は急逝した恩師の跡を継ぎ、師匠として部屋を牽引している。
文武両道の学生時代と挫折
山口県下関市(旧・豊浦町)に生まれ、地元の中学校(現在の下関市立夢が丘中学校)にあった立派な土俵小屋で高校生らと混じって鍛えられた。地元の大会でも優秀な成績を収め、この時の後輩にはのちに境川部屋へ入門する豊響がいる。中学卒業後は「相撲留学」として名門である埼玉栄高校へと進学。全国大会で活躍しただけでなく、学業でも学年約1600人中で一桁の成績を取るなど、文武ともに極めて優秀であった。
高校卒業後は日本大学へと進学。相撲部では当初からレギュラー格として活躍していたが、蜂窩織炎(ほうかしきえん)の悪化により1年で退部し、大学も中退してしまう。一時は相撲から離れ、アルバイトで生計を立てる日々を送っていた。
恩師の言葉と怒涛のスピード出世
症状が回復したことや、大学時代の同期が角界入りしたことに刺激を受け、再び相撲を志す。知人の紹介を通じて、元関脇・寺尾が創設したばかりの錣山部屋の門を叩き、平成16年(2004年)3月場所において、22歳11ヶ月で本名の「山本」を名乗り初土俵を踏んだ。
しかし約3年間のブランクは大きく、入門当初は出稽古先である母校の埼玉栄高校で、エースの澤井(のちの大関・豪栄道)に全く歯が立たなかった。初めて番付に名前が載った同年5月場所の序ノ口の土俵でも、次々と電車道で押し出されて勝ち越すのがやっとという状態であり、師匠の錣山も「幕下に上がるまで4、5年はかかる」と感じていたという。
同期生が約80人もいる中で不安を抱えていたが、師匠から「お前は今この80人の中で一番弱いかも知れないが、俺と一緒に頑張ってみんなを抜かして一番上に立とう」と熱い言葉で励まされた。この言葉に発奮してひたむきに稽古を重ねた結果、徐々に本来の実力を取り戻していく。翌場所から四股名を「豊真将」へと改めると、そこから一気に番付を駆け上がり、初土俵から所要11場所で新十両、さらに所要13場所で新入幕を果たした。山口県出身力士としては、元大関・魁傑以来35年ぶりとなる待望の幕内力士誕生であった。
怪我との闘いと「相撲道の体現者」
入幕4場所目となる平成18年(2006年)11月場所では初日から10連勝の快進撃を見せ、12勝3敗の成績で敢闘賞と技能賞をダブル受賞する。その後、血中コレステロール値の異常や度重なる怪我による不振にも苦しんだ。平成21年(2009年)5月場所では初日から14連敗を喫する苦難を味わったが、師匠から「負けても腐るな。日に日に大きくなっていくお客さんの拍手が聞こえているのか」と励まされて土俵に立ち続けた。その言葉を胸に千秋楽で勝利をもぎ取ると、館内から相撲人生で一番とも言える大きな拍手と声援が送られ、土俵下で感極まって涙ぐんだ。右四つからの力強い寄りを武器に、平成23年(2011年)11月場所では自己最高位となる西小結へと昇進し、計3場所にわたり三役の地位を務め上げている。
土俵での強さ以上にファンを魅了したのが、武士を思わせる風貌と真摯な姿勢である。勝敗にかかわらず取組後に見せる深々と頭を下げる最敬礼や、美しく清々しい所作は「相撲道の体現者」として高く評価された。所作を丁寧に行うようになったのは、師匠からの「ピシッとやると、大きく見えて、相手を威圧できる」という教えがきっかけであった。その徹底した姿勢は、師匠からも「礼で始まり、礼で終わる相撲道を体現できる数少ない力士。弟子ながら尊敬している」と大いに称賛された。
大怪我による引退と部屋の継承
平成26年(2014年)7月場所の取組で右膝前十字靱帯損傷などの重傷を負う。これが結果として現役最後の一番となった。長期休場により番付は十両から幕下へと陥落し、懸命にリハビリを重ねて復帰を目指したものの回復は思わしくなかった。「自分が勝てないと分かっているのに、思い出作りのために土俵へ上がり、必死に関取を目指している幕下上位の相手と対戦するのは失礼だ」と、潔く現役引退を決意した。
引退後は年寄「立田川」を襲名して後進の指導にあたった。その後、令和5年(2023年)末に恩師である20代錣山が急逝。「感謝の気持ちしかない」と声を震わせ、その遺志を継ぐ形で翌令和6年(2024年)2月に名跡を継承して21代「錣山」を襲名し、錣山部屋の師匠に就任した。錣山襲名後は、下の名前も前師匠がかつて名乗っていた「矩幸(つねゆき)」へと改めている。遠回りしながらも真摯に相撲と向き合い続けたその魂は、現在も弟子たちへと熱く受け継がれている。
- 四股名
- 豊真将 紀行 (ほうましょう のりゆき)
- 最高位
- 小結
- 年寄名跡
- 19代立田川 豊英(錣山) → 21代錣山 矩幸
- 出身地
- 山口県下関市
- 本名
- 山本 洋介
- 生年月日
- 昭和56年(1981)4月16日(45歳)
- 出身高校
- 埼玉栄高校
- 出身大学
- 日本大学・中退
- 所属部屋
- 錣山部屋
- 改名歴
- 山本 洋介 → 豊真将 紀行
- 初土俵
- 平成16年(2004)3月 前相撲(22歳10ヶ月)
- 新十両
- 平成18年(2006)1月(所要11場所)
- 24歳8ヶ月(初土俵から1年10ヶ月)
- 新入幕
- 平成18年(2006)5月(所要13場所)
- 25歳0ヶ月(初土俵から2年2ヶ月)
- 新小結
- 平成23年(2011)11月(所要45場所)
- 30歳6ヶ月(初土俵から7年8ヶ月)
- 最終場所
- 平成27年(2015)1月場所(33歳8ヶ月)
- 大相撲歴
- 65場所(10年10ヶ月)
- 通算成績
- 415勝344敗109休756出場(勝率.549)
- 通算65場所
- 勝ち越し37場所(勝ち越し率.578)(勝ち越し星165)
- 優勝等
- 幕内(次点3),十両優勝1回,三段目優勝1回
- 受賞・金星
- 敢闘賞5回,技能賞2回
- 持給金
- 85円50銭(勝ち越し星165個)
- 幕内戦歴
- 309勝304敗77休611出場(勝率.506)
- 在位46場所(在位率.708)
- 勝ち越し22場所(勝ち越し率.478)
- 三役戦歴
- 12勝33敗0休45出場(勝率.267)
- 在位3場所(在位率.046)
- 勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
- 小結戦歴
- 12勝33敗0休45出場(勝率.267)
- 在位3場所(在位率.046)
- 勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
- 前頭戦歴
- 297勝271敗77休566出場(勝率.525)
- 在位43場所(在位率.662)
- 勝ち越し22場所(勝ち越し率.512)
- 十両戦歴
- 54勝22敗29休75出場(勝率.720)
- 在位7場所(在位率.108)
- 勝ち越し5場所(勝ち越し率.714)
- 関取戦歴
- 363勝326敗106休686出場(勝率.529)
- 在位53場所(在位率.815)
- 勝ち越し27場所(勝ち越し率.509)
- 幕下以下歴
- 52勝18敗3休70出場(勝率.743)
- 在位11場所(在位率.169)
- 勝ち越し10場所(勝ち越し率.909)
名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。
- ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(134回 / 32.2%)
- ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(99回 / 28.8%)
- ✅ 得意な相手:臥牙丸(9勝0敗 / 勝率1.000)
- ✅ 苦手な相手:白鵬(0勝17敗 / 勝率.000)
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