田子ノ浦部屋の力士一覧!過去から現在、鳴戸~田子ノ浦部屋の主な関取を網羅しました

田子ノ浦(たごのうら)部屋の過去から現在までの主な所属力士をご紹介する田子ノ浦部屋の大相撲力士まとめ!

この記事では田子ノ浦部屋と、その前身である鳴戸部屋の主な関取を中心に紹介していきます。過去の力士については最高位や改名歴、初土俵や各段の昇進時期と最終場所、さらに生涯戦歴と生涯勝率、成績等を中心にご紹介していきます。また、現役力士については最高位と昇進時期、主な成績などを載せています。

なお、年寄名跡欄のマークは、その代で師匠(部屋持ち親方)になったことがあるという意味です。

現役の田子ノ浦部屋力士の最新番付や成績、詳細なデータをご覧になりたい方はこちら


相撲部屋や出身地ごとの場所の成績からランキングを作成しております。初場所、好調な相撲部屋や力士の出身地はどこ?

田子ノ浦部屋の基本情報
一門
:二所ノ関一門
創設
:平成元年(1989年)2月1日 鳴戸部屋として創設
創設者
:第13代・鳴戸 俊英 (元横綱・隆の里 俊英)
改称
:平成25年(2013年)12月25日 田子ノ浦部屋へと改称
改称者
:第16代・田子ノ浦 伸一 (元前頭8枚目・隆の鶴 伸一)
現師匠
:同上
所在地
:東京都江戸川区東小岩4-9-20 📍地図
サイト
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田子ノ浦部屋とは

田子ノ浦部屋は、二子山部屋の元横綱・隆の里が創設した鳴戸部屋を前身とする相撲部屋です。

昭和61(1986)年1月場所を最後に現役を引退した隆の里は13代・鳴戸を襲名し、二子山部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたっていました。その後、平成元(1989)年2月1日に内弟子6人を連れて独立し鳴戸部屋を興します。

13代の急逝

関脇・若の里や隆乃若、そして稀勢の里や高安など多くの力士を育てた13代でしたが、九州場所を6日後に控えた平成23(2011)年11月7日に急逝、この世を去りました。

9代・西岩(隆の鶴)が継承

初日を6日後に控えての13代・鳴戸(元横綱・隆の里)の急逝は、所属力士はもちろん二所ノ関一門にとっても衝撃でした。当時35歳であった若の里のもとには「現役を引退して鳴戸部屋を継いでくれないか」という打診が二所ノ関一門内からあったようですが、若の里は現役続行を希望しました。その結果、9代・西岩(元前頭8・隆の鶴)が鳴戸部屋を継承することが決まりました。

この悲しみのなか10勝5敗(技能賞)で勝ち越した稀勢の里は、場所後に大関昇進を決めます。

年寄名跡証書問題

平成26(2014)年からの公益財団法人への移行を控えていた日本相撲協会は、年寄名跡を協会側で一括管理するために平成25(2013)年12月20日までに、全年寄に対して年寄名跡証書を提出することを求めていました。しかし14代(元前頭8・隆の鶴)と、「鳴戸」の名跡証書を所有していた13代(隆の里)夫人との間で話し合いが付かず、14代は期限までに証書を提出することが出来ませんでした。

田子ノ浦部屋に改称

このままでは部屋の存続も危ぶまれた隆の鶴は「田子ノ浦」の名跡取得に動きます。前年の平成24(2012)年2月に急逝された14代・田子ノ浦(元前頭筆頭・久島海)夫人が所有していた「田子ノ浦」の名跡を正式に取得した隆の鶴は協会へ田子ノ浦の名跡証書を提出し16代・田子ノ浦を襲名、部屋の名称も田子ノ浦部屋へと改めました。

これまで使用していた鳴戸部屋の施設は13代鳴戸夫人が所有していた為、証書を提出した翌日(平成25(2013)年12月26日)には旧・三保ヶ関部屋の施設に移転したのでした。その後、平成26(2014)年12月14日に新築した施設で部屋開きを行いました。

横綱・稀勢の里

平成29(2017)年1月場所で悲願の初優勝を飾った大関・稀勢の里は、場所後に全会一致で横綱に推挙されました。これは貴乃花が平成15(2003)年1月場所を最後に引退してから14年間途絶えていた日本出身横綱の誕生となりました。

西岩部屋が分家

平成30(2018)年2月1日付で12代西岩(元関脇・若の里)が分家独立し、西岩部屋を興しました。

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荒磯部屋が分家

令和3(2021)年8月1日付で16代荒磯(元横綱・稀勢の里)が分家独立し、荒磯部屋部屋を興しました。その後、同年12月24日に二所ノ関部屋へと改称しています。

田子ノ浦部屋の系譜

田子ノ浦部屋の成り立ちを系譜でご紹介します。

田子ノ浦部屋の系譜
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田子ノ浦部屋の優勝力士

優勝制度が制定された明治42年(1909)6月場所以降、現在の田子ノ浦部屋からは1人の幕内最高優勝力士が誕生しています。

田子ノ浦部屋の初優勝はいつで誰?

田子ノ浦部屋の初優勝力士は、平成29年(2017)1月場所で東大関だった稀勢の里です。

田子ノ浦部屋の優勝力士一覧

では、歴代の田子ノ浦部屋の幕内優勝力士を年月順で一覧表にして見てみましょう。

四股名 優勝場所 回数 優勝時の番付 出身 部屋 最高位 成績 四股名 備考
1 稀勢の里 平成29年1月 東大関 茨城県 田子ノ浦 72代横綱 14勝1敗 稀勢の里
2 稀勢の里 平成29年3月 2回目 西横綱2 茨城県 田子ノ浦 72代横綱 13勝2敗 稀勢の里 22年ぶり史上9人目の
新横綱昇進場所優勝

田子ノ浦部屋の優勝力士ランキング

次は田子ノ浦部屋力士の優勝回数と成績のランキングです。

順位 四股名 優勝 最高位 出身地 勝数 敗数 横綱 大関 関脇 小結 前頭
1位 稀勢の里 2回 72代横綱 茨城県 27勝 3敗 1回 1回 0回 0回 0回

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田子ノ浦部屋の最高位:横綱

第72代横綱 稀勢の里 寛

稀勢の里 寛 (きせのさと ゆたか)茨城県牛久市出身、鳴戸~田子ノ浦部屋の元力士で、最高位は横綱

平成14年(2002)3月場所に15歳8ヶ月で初土俵を踏み、平成31年(2019)1月場所を最後に引退(32歳6ヶ月)。

通算成績は800勝496敗97休1289出場。生涯勝率.621。通算101場所中、73場所を勝ち越した(勝ち越し率.730)。

主な成績は幕内優勝2回(次点12)、幕下優勝1回、三段目(同点1)殊勲賞5回、敢闘賞3回、技能賞1回、金星3個(朝青龍1個、白鵬2個)

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昭和61年(1986)7月3日生まれ。本名は萩原 寛。

左四つからの力強い寄りや突き押しを武器に第72代横綱にまで昇りつめた。不器用ながらも猛稽古で実直に自らを鍛え上げ、白鵬をはじめとする絶対的な横綱陣の前に立ちはだかった。幾度となく綱取りの壁に跳ね返される苦闘の末に悲願の賜杯を抱き、晩年は深刻な怪我と闘いながら土俵を務め上げるなど、人々の心を強く揺さぶる力士人生であった。

相撲との出会いと鳴戸部屋入門

初めて相撲を経験したのは小学2年のとき、地元に造られた通称「たつのこ公園」の落成式での相撲大会であった。親に説得されて嫌々ながら出場したものの、5人抜きを果たして優勝する。中学時代は野球部の投手として活躍し、強豪校から勧誘を受けたが、「自分は体が大きいだけ」と辞退した。

相撲への道を意識し始めたのは中学1年のときに観た大相撲中継で「角界一の稽古量」と紹介されていた鳴戸部屋に心を惹かれた頃から。中学2年の冬に13代鳴戸(元横綱・隆の里)の元を訪ねると「末は必ず大関横綱になる」と太鼓判を押され、両親を熱心に説得した師匠の情熱に応える形で入門を決意した。

厳格な師匠の教えとスピード出世

平成14年(2002年)3月場所において本名の「萩原」で初土俵を踏む。入門後は兄弟子の若の里(のちの12代西岩)の付け人を務め、周囲から止められるほどの猛稽古で力をつけた。さらに、13代鳴戸からは土俵上の技術以上に、礼儀作法や食事の順序に至るまで非常に厳格な指導を受け、相撲道における精神的な土台を徹底的に叩き込まれた。

平成15年(2003年)5月場所では三段目優勝を逃し、花道で涙を流していたところを、新横綱であった朝青龍から「その気持ちがあればお前は強くなる」と声をかけられる一幕もあった。

その成果は早くから表れ、平成16年(2004年)5月場所において、貴花田(のちの横綱・貴乃花)に次ぐ年少2番目の若さ(17歳9ヶ月)で新十両へ昇進する。続く同年11月場所では新入幕を果たし、これに合わせて四股名を「稀勢の里」へ改名した。この四股名は、13代鳴戸が自身の横綱昇進時に永平寺の高僧から贈られた掛け軸の「作稀勢(さくきせい)」、「稀有な勢いを作り出す」という意味の文字に由来し、「稀な勢いで駆け上がる」という師匠の強い祈りが込められていた。

朝青龍への「恩返し」と白鵬の連勝ストップ、そして師匠の急逝

幕内上位に定着した後は、不屈の闘志でモンゴル出身横綱たちと熱戦を繰り広げる。平成20年(2008年)1月場所では、三段目時代に励ましの言葉を受けた横綱・朝青龍を破り、自身初となる金星を獲得した。さらに平成22年(2010年)11月場所では、横綱・白鵬を寄り切りで破り、その連勝記録を「63」でストップさせる大金星を挙げた。普段は滅多に褒めない師匠が、この時ばかりは鯛を用意して褒め称えたという。

大関昇進への機運が高まる中、平成23年(2011年)11月場所の直前、手塩にかけて育ててくれた13代鳴戸が急逝する事態に見舞われる。大関昇進という最大の恩返しを目前にしての突然の別れであった。深い悲しみと計り知れない重圧がのしかかる中、稀勢の里は土俵に立ち続け、同場所を東関脇筆頭で10勝5敗と勝ち越した。直近3場所で合計32勝の成績を残し、亡き師匠へ手向ける大関昇進を決定させた。

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繰り返される綱取りの挫折と年間最多勝

大関昇進後は幾度となく優勝争いに絡み、11回の優勝次点を記録した(通算では12回優勝次点)。しかし、重圧からか勝負所での脆さを露呈し、幾度となく挑んだ綱取りの挑戦はことごとく失敗に終わる。もどかしい停滞が続く中、平成26年(2014年)1月場所の千秋楽には右足親指の負傷により休場し、初土俵からの連続出場が953回で途切れる試練も味わった。

それでも体幹トレーニング等で一から立て直し、平成28年(2016年)にはすべての場所で安定した成績を残す。度重なる綱取り失敗のプレッシャーに耐えながら年間を通じて自己最多となる69勝を挙げ、史上初となる「優勝なしでの年間最多勝」を獲得した。

悲願の初優勝と日本出身横綱の誕生

幾多の挫折を経て迎えた平成29年(2017年)1月場所、稀勢の里はついに殻を破る。重圧を跳ね返し、14勝1敗の成績で念願の幕内最高優勝を果たした。亡き師匠への思いを問われた優勝インタビューでは、堪えきれず大粒の涙を流した。場所後の番付編成会議および理事会を経て、7度目の綱取り挑戦でついに第72代横綱への昇進が決定。日本出身力士の横綱昇進は、実に19年ぶりのことであった。

横綱土俵入りは、不知火型であった師匠・13代鳴戸とは異なり、「元々憧れていた」という雲龍型を選択し、二所ノ関一門の先輩横綱である大乃国(のちの12代芝田山)から指導を受けた。師弟で異なる土俵入りの型を披露したのは、大師匠の初代若乃花と師匠・隆の里の例以来のことであった。

怪我を押しての連覇と引退、そして独立

新横綱として臨んだ同年3月場所では、13日目の日馬富士との取組で左大胸筋等に深刻な負傷を負う。休場が濃厚と見られたが強行出場を続け、千秋楽の本割と優勝決定戦で連勝を収め、13勝2敗で逆転による2場所連続優勝を飾った。

しかし、この負傷の影響は極めて大きく、横綱としてワーストとなる8場所連続休場を余儀なくされる。土俵復帰を目指したが本来の相撲を取り戻すには至らず、平成31年(2019年)1月場所4日目に現役引退を決断した。在位12場所と短命横綱に終わったが引退会見では「私の土俵人生において一片の悔いもございません」と涙ながらに、これまで支えてくれた人たちへの感謝の言葉を繰り返した。引退後は年寄・荒磯を襲名して後進の指導に当たり、令和3年(2021年)8月に田子ノ浦部屋から独立して荒磯部屋を創設。同年12月には、停年退職を控えていた12代二所ノ関(元大関・若嶋津)と名跡を交換する形で二所ノ関を襲名し、部屋名を二所ノ関部屋と改称している。

四股名
稀勢の里 寛 (きせのさと ゆたか)
最高位
横綱
年寄名跡
16代荒磯 寛(田子ノ浦) → 16代荒磯 寛13代二所ノ関 寛
出身地
茨城県牛久市
本名
萩原 寛
生年月日
昭和61年(1986)7月3日(39歳)
所属部屋
鳴戸~田子ノ浦部屋
改名歴
萩原 寛 → 稀勢の里 寛
初土俵
平成14年(2002)3月 前相撲(15歳8ヶ月)
新十両
平成16年(2004)5月(所要13場所)
17歳10ヶ月(初土俵から2年2ヶ月)
新入幕
平成16年(2004)11月(所要16場所)
18歳4ヶ月(初土俵から2年8ヶ月)
新小結
平成18年(2006)7月(所要26場所)
20歳0ヶ月(初土俵から4年4ヶ月)
新関脇
平成21年(2009)3月(所要42場所)
22歳8ヶ月(初土俵から7年0ヶ月)
新大関
平成24年(2012)1月(所要58場所)
25歳6ヶ月(初土俵から9年10ヶ月)
新横綱
平成29年(2017)3月(所要89場所)
30歳8ヶ月(初土俵から15年0ヶ月)
最終場所
平成31年(2019)1月場所(32歳6ヶ月)
大相撲歴
101場所(16年10ヶ月)
通算成績
800勝496敗97休1289出場(勝率.621)
通算101場所
勝ち越し73場所(勝ち越し率.730)(勝ち越し星365)
優勝等
幕内優勝2回(次点12),幕下優勝1回,三段目(同点1)
受賞・金星
殊勲賞5回,敢闘賞3回,技能賞1回,金星3個(朝青龍1個、白鵬2個)
持給金
310円(勝ち越し星365個 優勝2回 金星3個)
横綱戦歴
36勝36敗97休66出場(勝率.545)
在位12場所(在位率.119)
勝ち越し3場所(勝ち越し率.250)
大関戦歴
332勝133敗0休464出場(勝率.716)
在位31場所(在位率.307)
勝ち越し30場所(勝ち越し率.968)
幕内戦歴
714勝453敗97休1160出場(勝率.616)
在位85場所(在位率.842)
勝ち越し60場所(勝ち越し率.706)
三役戦歴
177勝153敗0休330出場(勝率.536)
在位22場所(在位率.218)
勝ち越し14場所(勝ち越し率.636)
関脇戦歴
86勝64敗0休150出場(勝率.573)
在位10場所(在位率.099)
勝ち越し7場所(勝ち越し率.700)
小結戦歴
91勝89敗0休180出場(勝率.506)
在位12場所(在位率.119)
勝ち越し7場所(勝ち越し率.583)
前頭戦歴
169勝131敗0休300出場(勝率.563)
在位20場所(在位率.198)
勝ち越し13場所(勝ち越し率.650)
十両戦歴
26勝19敗0休45出場(勝率.578)
在位3場所(在位率.030)
勝ち越し3場所(勝ち越し率1.000)
関取戦歴
740勝472敗97休1205出場(勝率.614)
在位88場所(在位率.871)
勝ち越し63場所(勝ち越し率.716)
幕下以下歴
60勝24敗0休84出場(勝率.714)
在位12場所(在位率.119)
勝ち越し10場所(勝ち越し率.833)

稀勢の里 寛の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

  • ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(328回 / 40.9%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(146回 / 29.4%)
  • ✅ 得意な相手:豊ノ島(33勝9敗 / 勝率.786)
  • ✅ 苦手な相手:白鵬(16勝45敗 / 勝率.262)

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田子ノ浦部屋の最高位:大関

高安 晃

高安 晃(たかやす あきら)は茨城県 土浦市出身、田子ノ浦部屋の力士で最高位は大関。令和8年5月場所の番付は西 小結。

茨城県土浦市に生まれ、小中学校時代は野球に打ち込んでおり相撲には関心がなかった。しかし、父の勧めで中学卒業後に鳴戸部屋へ入門し、平成17年(2005年)3月場所に本名で初土俵を踏んだ。

父の大手術と猛稽古による飛躍

恵まれた体格を持っていたものの、入門当初は厳しい環境に馴染めず、松戸の部屋から土浦の実家まで自転車を漕いで逃げ帰るなど、部屋からの脱走を都合7度も繰り返した。そのため、周囲からの期待は決して高くはなかった。この相撲に対する姿勢が変わる転機となったのは、父が癌の大手術を受けたことであった。

これを機に心機一転して稽古に打ち込むようになり、同部屋の兄弟子である稀勢の里(のちの第72代横綱)の胸を借りた厳しい稽古によって実力を開花させた。着実に地力をつけ、平成22年(2010年)11月場所において、平成生まれの力士として初めてとなる新十両昇進を果たした。

師匠の急逝と、平成生まれ初の三役

さらに平成23年(2011年)7月場所で新入幕を果たす。しかし同年11月、初代師匠である13代鳴戸(元横綱・隆の里)が場所直前に急逝するという悲報に見舞われる。「入門して7年、温かく見守ってくれていた師匠に恩返しができなかった」その言葉を胸に刻み、高安は土俵に立ち続けた。

平成25年(2013年)9月場所では平成生まれとして初めて三役(小結)に昇進。一進一退を繰り返しながらも、着実に番付を上げていった。

大関昇進と、口上に込めた四文字

関脇の地位に定着した平成29年(2017年)は、3月場所で12勝3敗、続く5月場所でも11勝4敗の好成績を収め、場所後に念願の大関昇進を果たした。フィリピンにルーツを持つ力士として史上初の大関誕生でもあった。昇進伝達式の口上では「大関の名に恥じぬよう、正々堂々精進します」と述べた。「正々堂々」は三役に定着する1年ほど前から温めていた言葉であり、亡き師匠への誓いが凝縮されていた。

土俵入り後の突如休場と大関陥落

大関昇進後も幾度となく優勝力士に次ぐ好成績を残したが、怪我の影響などもあり苦しい土俵が続いた。3度目の角番で迎えた令和元年(2019年)11月場所では、中日に土俵入りを済ませた直後、支度部屋での準備中に腰痛の悪化を訴えて突如休場を発表。土俵入りの後にいきなり休場が発表されるという大相撲史上初の出来事は、客席を大きくざわつかせた。この場所を負け越したことで、大関在位15場所での陥落が決まった。

不屈の土俵と、懐の深い相撲

大関陥落後も幕内の上位に留まり続け、幾度も優勝争いへ加わった。令和7年(2025年)3月場所でも平幕の地位で12勝3敗を挙げて9回目となる優勝次点の成績を残す。さらに技能賞と金星を獲得するなど、ベテランの域に達してもなお第一線で実力を示している。

突き押しで前に出て四つに組み止める相撲は「型がない」と評されることもあるが、本人は「理想は相手を組み止めて寄っていく相撲。一番安定して勝てるスタイル」と語っている。突き、押し、左四つ、上手ひねりを状況に応じて使い分ける懐の深さが、角界入り20年を超えてなお幕内上位で戦い続ける原動力となっている。

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💡 茨城県出身一覧💡 田子ノ浦部屋の力士

四股名
高安 晃(たかやす あきら)
最高位
大関
最新番付
西 小結
出身地
茨城県 土浦市
本名
高安 晃
生年月日
平成2年(1990)2月28日(36歳)
身長・体重
188cm・173kg
所属部屋
鳴戸 → 田子ノ浦部屋
初土俵
平成17年(2005)3月(15歳1ヵ月)
新十両
平成22年(2010)11月(20歳9ヵ月)
新入幕
平成23年(2011)7月(21歳5ヵ月)
新小結
平成25年(2013)9月(23歳7ヵ月)
新関脇
平成28年(2016)9月(26歳7ヵ月)
新大関
平成29年(2017)7月(27歳5ヵ月)
優勝
幕下優勝1回
受賞・金星
殊勲賞4回,敢闘賞6回,技能賞3回,金星6個
通算成績
817勝623敗156休/1427出場(勝率:57.3%)
直近7場所
46勝44敗
7場所勝率
51.1%
得意技
突き・押し
決まり手傾向(直近7場所)
高安が勝ちの決まり手(46勝)
寄り切り7
突き出し7
押し倒し5
上手投げ5
叩き込み3
突き落とし3
その他16

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高安が負けの決まり手(44敗)
寄り切り13
押し出し8
突き落とし3
送り出し3
叩き込み3
上手出し投げ2
その他12
令8年5月
西 小結(1枚降下)
0勝0敗
令8年3月
西 関脇(変動なし)
7勝8敗
○○○○○|●○●●●|●●●●○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年1月
西 関脇(1枚上昇)
8勝7敗
○●○○○|●○○●○|●●○●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

▼ さらに過去の成績(4場所分)を見る
令7年11
西 小結(半枚降下)
8勝7敗
●○○○○|●●○●●|●●○○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年9月
東 小結(半枚上昇)
7勝8敗
●●●●●|●○○●○|●○○○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年7月
西 小結(半枚降下)
10勝5敗
●○○○○|○●○●○|○●●○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年5月
東 小結
6勝9敗
●●○●●|●○●●●|●○○○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

鳴戸部屋の最高位:関脇

隆乃若 勇紀

中学ではバスケ部だったが3年生の時に相撲大会に出場し大活躍、これを知った鳴戸親方(元横綱・隆の里)に熱心にスカウトされたことで入門を決意。同期は若の里と隆の鶴。早くから注目されており順調な出世で関脇にまで上がったが、場所中に負った怪我により以降は平幕と十両生活が続いた

  • 四股名 :隆乃若 勇紀(たかのわか ゆうき)
  • 最高位 :関脇
  • 出身地 :長崎県北松浦郡生月町
  • 本 名 :尾崎 勇記
  • 生年月日:昭和51年(1976)4月2日
  • 所属部屋:鳴戸部屋
  • 改名歴 :尾崎⇒隆尾崎⇒隆乃若
  • 初土俵 :平成4年(1992)3月(15歳11ヵ月)
  • 新十両 :平成11年(1999)5月(23歳1ヵ月)
  • 新入幕 :平成11年(1999)11月(23歳7ヵ月)
  • 新三役 :平成13年(2001)1月(24歳9ヵ月)
  • 最終場所:平成19年(2007)9月(31歳5ヵ月)
  • 生涯戦歴:505勝470敗69休/972出場(94場所)
  • 生涯勝率:51.8%
  • 優勝等 :幕内次点1回,十両優勝1回,幕下優勝1回(同点1)
  • 成 績 :敢闘賞3回,金星1個
  • 幕内戦歴:229勝242敗39休(34場所)勝率:48.6%
  •   関脇:9勝6敗15休(2場所)勝率:60.0%
  •   小結:15勝15敗(2場所)勝率:50.0%
  •   前頭:205勝221敗24休(30場所)勝率:48.1%
  • 十両戦歴:109勝101敗15休(15場所)勝率:51.9%

田子ノ浦部屋の最高位:関脇

若の里 忍

四股名は師匠である隆の里と、その師匠だった初代・若乃花から。大関取りも期待されたが膝の怪我が悔やまれる。引退後は田子ノ浦部屋の部屋付親方を経て念願の部屋を創設

  • 12代・西岩 忍
  • 四股名 :若の里 忍(わかのさと しのぶ)
  • 最高位 :関脇
  • 年寄名跡:12代西岩
  • 出身地 :青森県弘前市
  • 本 名 :古川 忍
  • 生年月日:昭和51年(1976)7月10日(49歳)
  • 所属部屋:鳴戸⇒田子ノ浦部屋
  • 改名歴 :古川⇒若の里
  • 初土俵 :平成4年(1992)3月(15歳8ヵ月)
  • 新十両 :平成9年(1997)11月(21歳4ヵ月)
  • 新入幕 :平成10年(1998)5月(21歳10ヵ月)
  • 新三役 :平成12年(2000)11月(24歳4ヵ月)
  • 最終場所:平成27年(2015)9月(39歳2ヵ月)
  • 生涯戦歴:914勝783敗124休/1691出場(140場所)
  • 生涯勝率:53.9%
  • 優勝等 :幕内次点2回,十両優勝4回,幕下優勝1回,序ノ口優勝1回
  • 成 績 :殊勲賞4回,敢闘賞4回,技能賞2回,金星2個
  • 幕内戦歴:613勝568敗124休(87場所)勝率:51.9%
  •   関脇:144勝103敗8休(17場所)勝率:58.3%
  •   小結:76勝59敗(9場所)勝率:56.3%
  •   前頭:393勝406敗116休(61場所)勝率:49.2%
  • 十両戦歴:165勝120敗(19場所)勝率:57.9%

鳴戸部屋の最高位:前頭

力櫻 猛

13代鳴戸親方(元横綱・隆の里)の内弟子として二子山部屋へと入門、鳴戸部屋創設に同行はしたが本当は二子山部屋に残りたかった。厳しい指導法に反発しながらもその稽古は実り、鳴戸部屋初の幕内力士に。しかし平成9年9月場所を前に師匠と大喧嘩して部屋を飛び出しそのまま引退となった。その後は「力皇」のリングネームで全日本プロレス~ノアのマットで活躍した

  • 四股名 :力櫻 猛(りきおう たけし)
  • 最高位 :前頭4枚目
  • 出身地 :奈良県桜井市
  • 本 名 :井上 猛
  • 生年月日:昭和47年(1972)12月20日
  • 所属部屋:二子山⇒鳴戸部屋
  • 改名歴 :井上⇒二子桜⇒力桜⇒力櫻
  • 初土俵 :昭和63年(1988)3月(15歳3ヵ月)
  • 新十両 :平成5年(1993)7月(20歳7ヵ月)
  • 新入幕 :平成8年(1996)7月(23歳7ヵ月)
  • 最終場所:平成9年(1997)9月(24歳9ヵ月)
  • 生涯戦歴:307勝248敗20休/555出場(58場所)
  • 生涯勝率:55.3%
  • 優勝等 :十両優勝2回,序二段同点1回
  • 幕内戦歴:54勝51敗15休(8場所)勝率:51.4%
  • 十両戦歴:114勝96敗(14場所)勝率:54.3%

隆の鶴 伸一

若の里と隆乃若とは同じ初土俵の同期生。三段目のときに幼い頃からの足の病が悪化したため、両足親指を切断、神経を除去して再度親指を縫い合わせるという大手術を行った。このため5場所連続休場となり一時は番付外に。しかしそこから奮起して約6年をかけて入幕を果たした。先代師匠の急逝により急遽14代鳴戸を襲名するも、先代夫人との話し合いがつかずに16代田子ノ浦へと名跡を変え現在に至る

  • 16代・田子ノ浦 伸一
  • 四股名 :隆の鶴 伸一(たかのつる しんいち)
  • 最高位 :前頭8枚目
  • 年寄名跡:準年寄・隆の鶴⇒9代西岩⇒14代鳴戸16代田子ノ浦
  • 出身地 :鹿児島県出水市
  • 本 名 :積山 伸一
  • 生年月日:昭和51年(1976)6月18日(49歳)
  • 所属部屋:鳴戸部屋
  • 改名歴 :積山⇒隆の鶴
  • 初土俵 :平成4年(1992)3月(15歳9ヵ月)
  • 新十両 :平成13年(2001)3月(24歳9ヵ月)
  • 新入幕 :平成15年(2003)1月(26歳7ヵ月)
  • 最終場所:平成18年(2006)5月(29歳11ヵ月)
  • 生涯戦歴:393勝364敗70休/754出場(86場所)
  • 生涯勝率:51.9%
  • 優勝等 :序二段優勝1回(同点1)
  • 幕内戦歴:26勝45敗4休(5場所)勝率:36.6%
  • 十両戦歴:174勝186敗15休(25場所)勝率:48.3%

田子ノ浦部屋の最高位:前頭

隆の山 俊太郎

チェコ出身初の幕内力士で「チェコの山」との異名も。幼い頃に柔道を始め、また相撲にも取り組むと平成12年(2000)の世界ジュニア相撲選手権では軽量級で3位に入賞。この活躍により世界志向があった鳴戸親方のもとへと入門、体重は100キロに満たなかったが幕内力士にまでなった

  • 四股名 :隆の山 俊太郎(たかのやま しゅんたろう)
  • 最高位 :前頭12枚目
  • 出身地 :チェコ プラハ市
  • 本 名 :パヴェル・ボヤル
  • 生年月日:昭和58年(1983)2月21日
  • 所属部屋:鳴戸⇒田子ノ浦部屋
  • 初土俵 :平成13年(2001)11月(18歳9ヵ月)
  • 新十両 :平成23年(2011)7月(28歳5ヵ月)
  • 新入幕 :平成23年(2011)9月(28歳7ヵ月)
  • 最終場所:平成26年(2014)7月(31歳5ヵ月)
  • 生涯戦歴:325勝318敗9休/642出場(76場所)
  • 生涯勝率:50.5%
  • 優勝等 :なし
  • 幕内戦歴:26勝49敗(5場所)勝率:34.7%
  • 十両戦歴:76勝89敗(11場所)勝率:46.1%

鳴戸~田子ノ浦部屋の歴代師匠

第13代・鳴戸 俊英 (元横綱・隆の里)

在任期間(平成元年(1989年)2月1日~平成23年(2011年)11月7日)

隆の里 俊英(たかのさと としひで)青森県南津軽郡浪岡町出身、二子山部屋の元力士で、最高位は第59代横綱

昭和43年(1968)7月場所に15歳9ヶ月で初土俵を踏み、昭和61年(1986)1月場所を最後に引退(33歳3ヶ月)。

通算成績は693勝493敗80休1180出場。生涯勝率.584。通算106場所中、68場所を勝ち越した(勝ち越し率.648)。

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主な成績は幕内優勝4回(次点8),十両優勝1回(同点1)。殊勲賞2回,敢闘賞5回,金星2個(輪島1個、北の湖1個)。

本名は高谷 俊英。昭和27年(1952)9月29日生まれ。平成23年(2011)11月7日逝去(享年59歳)。

吊りが得意で千代の富士には16勝12敗と強かったが、若い頃の暴飲暴食がたたって糖尿病に苦しんだ。引退後は鳴戸部屋を興して若の里や稀勢の里を育てるも平成23年(2011)九州場所開幕直前に急逝。

四股名
隆の里 俊英(たかのさと としひで)
最高位
第59代横綱
年寄名跡
13代鳴戸 俊英
出身地
青森県南津軽郡浪岡町
本名
高谷 俊英
生年月日
昭和27年(1952)9月29日
没年月日
平成23年(2011)11月7日(享年59歳)
所属部屋
二子山部屋
改名歴
高谷 俊英 → 隆ノ里 俊英 → 隆の里 俊英
初土俵
昭和43年(1968)7月 前相撲(15歳9ヶ月)
新十両
昭和49年(1974)11月(所要38場所)
22歳1ヶ月(初土俵から6年4ヶ月)
新入幕
昭和50年(1975)5月(所要41場所)
22歳7ヶ月(初土俵から6年10ヶ月)
新小結
昭和52年(1977)3月(所要52場所)
24歳5ヶ月(初土俵から8年8ヶ月)
新関脇
昭和54年(1979)9月(所要67場所)
26歳11ヶ月(初土俵から11年2ヶ月)
新大関
昭和57年(1982)3月(所要82場所)
29歳5ヶ月(初土俵から13年8ヶ月)
横綱昇進
昭和58年(1983)9月(所要91場所)
30歳11ヶ月(初土俵から15年2ヶ月)
最終場所
昭和61年(1986)1月(33歳3ヶ月)
大相撲歴
106場所(17年6ヶ月)
通算成績
693勝493敗80休1180出場(勝率.584)
通算106場所
勝ち越し68場所(勝ち越し率.648)
優勝等
幕内優勝4回(次点8),十両優勝1回(同点1)
受賞・金星
殊勲賞2回,敢闘賞5回,金星2個
幕内戦歴
464勝313敗80休771出場(勝率.597)
在位58場所(在位率.547)
勝ち越し36場所(勝ち越し率.621)
横綱戦歴
95勝42敗75休132出場(勝率.693)
在位15場所(在位率.142)
勝ち越し8場所(勝ち越し率.533)
大関戦歴
106勝29敗0休135出場(勝率.785)
在位9場所(在位率.085)
勝ち越し9場所(勝ち越し率1.000)
三役戦歴
87勝63敗0休150出場(勝率.580)
在位10場所(在位率.094)
勝ち越し7場所(勝ち越し率.700)
関脇戦歴
73勝47敗0休120出場(勝率.608)
在位8場所(在位率.075)
勝ち越し6場所(勝ち越し率.750)
小結戦歴
14勝16敗0休30出場(勝率.467)
在位2場所(在位率.019)
勝ち越し1場所(勝ち越し率.500)
前頭戦歴
176勝179敗5休354出場(勝率.496)
在位24場所(在位率.226)
勝ち越し12場所(勝ち越し率.500)
十両戦歴
85勝65敗0休150出場(勝率.567)
在位10場所(在位率.094)
勝ち越し9場所(勝ち越し率.900)
関取戦歴
549勝378敗80休921出場(勝率.592)
在位68場所(在位率.642)
勝ち越し45場所(勝ち越し率.662)
幕下以下歴
144勝115敗0休259出場(勝率.556)
在位37場所(在位率.349)
勝ち越し23場所(勝ち越し率.622)


第14代・鳴戸 伸一~第16代・田子ノ浦 伸一 (元前頭8枚目・隆の鶴)

在任期間(平成23年(2011年)11月8日~  )

若の里と隆乃若とは同じ初土俵の同期生。三段目のときに幼い頃からの足の病が悪化したため、両足親指を切断、神経を除去して再度親指を縫い合わせるという大手術を行った。このため5場所連続休場となり一時は番付外に。しかしそこから奮起して約6年をかけて入幕を果たした。先代師匠の急逝により急遽14代鳴戸を襲名するも、先代夫人との話し合いがつかずに16代田子ノ浦へと名跡を変え現在に至る

  • 16代・田子ノ浦 伸一
  • 四股名 :隆の鶴 伸一(たかのつる しんいち)
  • 最高位 :前頭8枚目
  • 年寄名跡:準年寄・隆の鶴⇒9代西岩⇒14代鳴戸16代田子ノ浦
  • 出身地 :鹿児島県出水市
  • 本 名 :積山 伸一
  • 生年月日:昭和51年(1976)6月18日(49歳)
  • 所属部屋:鳴戸部屋
  • 改名歴 :積山⇒隆の鶴
  • 初土俵 :平成4年(1992)3月(15歳9ヵ月)
  • 新十両 :平成13年(2001)3月(24歳9ヵ月)
  • 新入幕 :平成15年(2003)1月(26歳7ヵ月)
  • 最終場所:平成18年(2006)5月(29歳11ヵ月)
  • 生涯戦歴:393勝364敗70休/754出場(86場所)
  • 生涯勝率:51.9%
  • 優勝等 :序二段優勝1回(同点1)
  • 幕内戦歴:26勝45敗4休(5場所)勝率:36.6%
  • 十両戦歴:174勝186敗15休(25場所)勝率:48.3%

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