山響部屋の歴代力士一覧|北の湖から山響までの全関取と優勝・三賞記録

山響(やまひびき)部屋の過去から現在までの主な所属力士をご紹介する山響部屋の大相撲力士まとめ!

この記事では山響部屋と、その前身である北の湖部屋の主な関取を中心に紹介していきます。過去の力士については最高位や改名歴、初土俵や各段の昇進時期と最終場所、さらに生涯戦歴と生涯勝率、成績等を中心にご紹介していきます。また、現役力士については最高位と昇進時期、主な成績などを載せています。

現役の山響部屋力士の最新番付や成績、詳細なデータをご覧になりたい方はこちら

5月場所千秋楽の取組結果はこちら。


5月場所の各段の成績順はこちらで確認ができます。

相撲部屋や出身地ごとの成績から、場所中はリアルタイムでランキングを作成しております。今場所好調な相撲部屋や力士の出身地はどこ?

山響部屋の基本情報
一門
:出羽海一門
創設
:昭和60年(1985年)12月1日 北の湖部屋として創設
創設者
:一代年寄・北の湖 敏満 (元横綱・北の湖 敏満)
改称
:平成27年(2015年)11月23日 山響部屋へと改称
改称者
:第20代・山響 謙司 (元前頭筆頭・巌雄 謙治)
現師匠
:同上
所在地
:東京都江東区東砂6-6-3 📍地図
サイト
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山響部屋とは

山響部屋は、三保ヶ関部屋の元横綱・北の湖が創設した北の湖部屋を前身とする相撲部屋です。

昭和60(1985)年1月場所を最後に現役を引退した北の湖は一代年寄・北の湖を襲名。同年12月1日に村井(のち十両9・太晨)や金親(のち十両2)ら力士10人を連れて三保ヶ関部屋から分家独立、北の湖部屋を興しました。

二十山部屋からの移籍

平成18(2006)年6月23日に三保ヶ関部屋時代の弟弟子だった13代二十山(元大関・北天佑)が45歳という若さで亡くなります。生前に後事を託されていた北の湖は、二十山部屋の弟子たちを北の湖部屋へと引き取りました。

ところが平成20(2008)年8月に角界を揺るがした大相撲力士大麻問題では、その二十山部屋から移籍してきた白露山が大麻取締法違反の容疑で家宅捜索を受けます。

大麻所持の証拠は発見されませんでしたが精密検査で陽性反応が出たため、白露山は日本相撲協会から解雇処分となりました。これらの責任を取り北の湖は理事長を辞任します。

木瀬部屋の一時預り

平成22(2010)年5月には三保ヶ関部屋の弟弟子にあたる11代木村瀬平(元前頭筆頭・肥後ノ海)の不祥事で木瀬部屋の閉鎖処分が決定。出羽海一門として北の湖部屋が木瀬部屋一同を預かることとなります。

平成24(2012)年3月場所では木瀬部屋から移籍してきた臥牙丸が小結に昇進。北の湖部屋初の三役力士誕生となりました。

木瀬部屋の閉鎖処分は平成24(2012)年4月に解除され、11代木村瀬平と力士26人は再開された木瀬部屋へと移籍していきました。

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北の湖急逝、山響部屋へ

平成27(2015)年九州場所13日目(11月20日)、北の湖急逝。

現職の理事長であり、一代年寄だった北の湖の死を受けた相撲協会は、緊急措置として千秋楽まで部屋付き親方20代山響(元前頭筆頭・厳雄)の師匠代行を認めます。また所属力士たちが北の湖部屋の力士として出場することも認めました。

そして場所後に行われた理事会により20代山響が部屋を継承することが承認されます。こうして部屋の名称は山響部屋へと改められました。

山響部屋の系譜

山響部屋の成り立ちを系譜でご紹介します。

山響部屋の系譜

山響部屋の優勝力士

残念ながら、山響部屋の優勝力士はこれまで1人もいません。

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山響部屋の三賞受賞力士

山響部屋 歴代三賞受賞力士一覧

山響部屋と、その前身である北の湖部屋では、これまでに1人の力士が三賞を受賞しており、獲得数はあわせて2回になります。

受賞の内訳は、敢闘賞が2回となっています。

場所年月 番付 受賞力士 受賞 成績 受賞時
年齢
出身地 部屋 初土俵 生年月日
平成24年1月
(2012年)
H24.1
(2012)
西前頭10西前頭10臥牙丸敢闘賞 [2回目]12勝3敗24歳10ヶ月ジョージア北の湖平成17年11月
(2005年)
昭和62年2月23日
(1987年)
平成23年9月
(2011年)
H23.9
(2011)
西前頭11西前頭11臥牙丸敢闘賞 [初]11勝4敗24歳7ヶ月ジョージア北の湖平成17年11月
(2005年)
昭和62年2月23日
(1987年)

山響部屋 三賞受賞回数ランキング

受賞回数は、1位が臥牙丸で2回(敢闘賞2回)となっています。

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順位 四股名 三賞
合計
技能賞 殊勲賞 敢闘賞 最高位 部屋 出身地
1位 臥牙丸 2回 0 0 2 小結 北の湖 ジョージア

北の湖~山響部屋力士を検索

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北の湖部屋の最高位:小結

臥牙丸 勝

臥牙丸 勝(ががまる まさる)はジョージア トビリシ市出身、木瀬部屋の元力士で最高位は小結。

平成17年(2005)の世界ジュニア相撲選手権大会で無差別級3位。取組後に見せる豊かな表情も魅力のひとつであった愛すべき「ガガ様」

  • 四股名 :臥牙丸 勝(ががまる まさる)
  • 最高位 :小結
  • 出身地 :グルジア国トビリシ市 ⇒ ジョージア国トビリシ市
  • 本 名 :ティムラズ ジュゲリ
  • 生年月日:昭和62年(1987)2月23日(33歳)
  • 所属部屋:木瀬⇒北の湖⇒木瀬部屋
  • 初土俵 :平成17年(2005)11月(18歳9ヵ月)
  • 新十両 :平成21年(2009)11月(22歳9ヵ月)
  • 新入幕 :平成22年(2010)7月(23歳5ヵ月)
  • 新三役 :平成24年(2012)3月(25歳1ヵ月)
  • 最終場所:令和2年(2020)11月(33歳9ヵ月)
  • 生涯戦歴:516勝538敗32休/1052出場(89場所)
  • 生涯勝率:49.0%
  • 優勝等 :幕内次点1回,十両優勝1回,幕下優勝1回,序ノ口優勝1回
  • 成 績 :敢闘賞2回,金星1個
  • 幕内戦歴:242勝298敗(36場所)勝率:44.8%
  •   小結:6勝9敗(1場所)勝率:40.0%
  •   前頭:236勝289敗(35場所)勝率:45.0%
  • 十両戦歴:169勝174敗2休(23場所)勝率:49.3%

常幸龍 貴之

常幸龍 貴之(じょうこうりゅう たかゆき)東京都北区出身、北の湖 → 木瀬部屋の元力士で、最高位は小結

平成23年(2011)5月場所に22歳9ヶ月で初土俵を踏み、令和4年(2022)9月場所を最後に引退(34歳1ヶ月)。

通算成績は358勝340敗27休695出場。生涯勝率.513。通算68場所中、33場所を勝ち越した(勝ち越し率.493)。

主な成績は十両優勝1回幕下優勝1回三段目優勝2回,序二段同点1回,序ノ口優勝1回金星1個(日馬富士1個)。

昭和63年(1988)8月7日生まれ。本名は佐久間 貴之。

初土俵からの27連勝は史上1位の記録。四股名の「幸」は亡くなられた父親の名から1字を授かった。初土俵から所要20場所での新三役昇進を果たす。これは木瀬部屋初の三役力士でもあった。

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四股名
常幸龍 貴之(じょうこうりゅう たかゆき)
最高位
小結
出身地
東京都北区
本名
佐久間 貴之
生年月日
昭和63年(1988)8月7日
出身高校
埼玉栄高校
出身大学
日本大学
所属部屋
北の湖 → 木瀬部屋
改名歴
佐久間山 貴之 → 常幸龍 貴之
初土俵
平成23年(2011)5月 前相撲(22歳9ヶ月)
新十両
平成24年(2012)5月(所要6場所)
23歳8ヶ月(初土俵から1年0ヶ月)
新入幕
平成24年(2012)11月(所要9場所)
24歳3ヶ月(初土俵から1年6ヶ月)
新小結
平成26年(2014)9月(所要20場所)
26歳1ヶ月(初土俵から3年4ヶ月)
最終場所
令和4年(2022)9月(34歳1ヶ月)
大相撲歴
68場所(11年4ヶ月)
通算成績
358勝340敗27休695出場(勝率.513)
通算68場所
勝ち越し33場所(勝ち越し率.493)(勝ち越し星121)
優勝等
十両優勝1回幕下優勝1回三段目優勝2回,序二段同点1回,序ノ口優勝1回
受賞・金星
金星1個
持給金
73円50銭(勝ち越し星121個 金星1個)
幕内戦歴
92勝121敗12休211出場(勝率.432)
在位15場所(在位率.221)
勝ち越し6場所(勝ち越し率.400)
小結戦歴
4勝11敗0休15出場(勝率.267)
在位1場所(在位率.015)
勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
前頭戦歴
88勝110敗12休196出場(勝率.444)
在位14場所(在位率.206)
勝ち越し6場所(勝ち越し率.429)
十両戦歴
130勝124敗1休253出場(勝率.512)
在位17場所(在位率.250)
勝ち越し10場所(勝ち越し率.588)
関取戦歴
222勝245敗13休464出場(勝率.475)
在位32場所(在位率.471)
勝ち越し16場所(勝ち越し率.500)
幕下以下歴
136勝95敗14休231出場(勝率.589)
在位35場所(在位率.515)
勝ち越し17場所(勝ち越し率.486)


北の湖部屋の最高位:前頭

巌雄 謙治

兵庫県姫路市出身、北の湖部屋の元力士で最高位は前頭筆頭。北の湖の一番弟子。新十両場所では大負けして一時は三段目にまで落ちてしまったが、約3年半20場所をかけて再十両を果たした。その後、入幕は北の湖部屋初の幕内力士。平成27年11月の先代の急逝により部屋を継承、名を山響部屋へと改めての再出発となった。

  • 20代・山響 謙司
  • 四股名 :巌雄 謙治(がんゆう けんじ)
  • 最高位 :前頭筆頭
  • 年寄名跡:巌雄⇒小野川⇒山響
  • 出身地 :兵庫県姫路市
  • 本 名 :平野 建司⇒平野 兼司
  • 生年月日:昭和45年(1970)8月6日
  • 所属部屋:北の湖部屋
  • 改名歴 :平野⇒巌雄
  • 初土俵 :昭和61年(1986)3月(15歳7ヵ月)
  • 新十両 :平成4年(1992)1月(21歳5ヵ月)
  • 新入幕 :平成8年(1996)3月(25歳7ヵ月)
  • 最終場所:平成12年(2000)5月(29歳9ヵ月)
  • 生涯戦歴:400勝382敗53休/779出場(86場所)
  • 生涯勝率:51.2%
  • 優勝等 :幕下優勝2回,序二段優勝1回
  • 幕内戦歴:144勝195敗6休(23場所)勝率:42.5%
  • 十両戦歴:47勝58敗(7場所)勝率:44.8%

白露山 佑太

ロシア出身、北の湖部屋の元力士で最高位は前頭2枚目。入門は二十山部屋。初土俵が一緒の実兄は大鵬・大嶽部屋で幕内力士となった露鵬。兄に遅れること5場所での入幕は、外国人力士として初の兄弟同時幕内だった。二十山親方の急逝により北の湖部屋へと移籍。平成20年9月、大麻の陽性反応が出たことが問題となって協会より解雇

  • 四股名 :白露山 佑太(はくろざん ゆうた)
  • 最高位 :前頭2枚目
  • 出身地 :ロシア連邦北オセチア・アラニヤ共和国ヴラジカヴカーズ市
  • 本 名 :バトラズ・フェーリクソヴィッチ・ボラーゾフ
  • 生年月日:昭和57年(1982)2月6日
  • 所属部屋:二十山⇒北の湖部屋
  • 初土俵 :平成14年(2002)5月(20歳3ヵ月)
  • 新十両 :平成16年(2004)9月(22歳7ヵ月)
  • 新入幕 :平成17年(2005)7月(23歳5ヵ月)
  • 最終場所:平成20年(2008)9月(26歳7ヵ月)
  • 生涯戦歴:233勝218敗/451出場(38場所)
  • 生涯勝率:51.7%
  • 優勝等 :なし
  • 幕内戦歴:97勝128敗(15場所)勝率:43.1%
  • 十両戦歴:74勝61敗(9場所)勝率:54.8%

徳勝龍 誠

徳勝龍 誠 (とくしょうりゅう まこと)奈良県奈良市出身、木瀬 → 北の湖 → 木瀬部屋の元力士で、最高位は前頭2枚目

平成21年(2009)1月場所に22歳4ヶ月で初土俵を踏み、令和5年(2023)9月場所を最後に引退(37歳0ヶ月)。

通算成績は553勝570敗1休1123出場。生涯勝率.492。通算87場所中、41場所を勝ち越した(勝ち越し率.477)。

主な成績は幕内優勝1回(次点1)、十両優勝1回、三段目優勝1回、序ノ口優勝1回殊勲賞1回、敢闘賞1回、金星1個(鶴竜1個)

昭和61年(1986)8月22日生まれ。本名は青木 誠。

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奈良県奈良市出身の徳勝龍は、近畿大学を経て角界入りし、突き押しと左四つからの寄りを武器に活躍した力士である。最高位は前頭2枚目。令和2年(2020年)1月場所においては幕尻の地位で歴史的な幕内最高優勝を果たし、故郷に98年ぶりとなる賜杯をもたらした。愛嬌のある人柄から「マコ」の愛称で広く親しまれ、引退後は年寄・千田川を襲名して後進の指導にあたっている。

恩師のスカウトとタイトル獲得

小学4年の時に橿原市のけはや道場で相撲を始め、中学からは大阪府の右門道場へ通って稽古を重ねた。中学3年次には大阪での大会で澤井豪太郎(のちの大関・豪栄道)を破る活躍を見せ、これが明徳義塾高等学校相撲部の浜村敏之監督の目に留まり、同校への相撲留学を決断する。高校2年次にはインターハイ団体優勝に貢献し、この時のチームメイトには影山(のちの関脇・栃煌山)がいた。近畿大学へ進学後も、同級生である杉山(のちの関脇・宝富士)らと切磋琢磨し、西日本学生相撲選手権大会で優勝するなど5つのタイトルを獲得。大学の相撲部監督であった伊東勝人氏からは「前に出た後なら、はたいてもいい」と相撲の幅を広げる指導を受けた。卒業後は木瀬部屋へ入門し、平成21年(2009年)1月場所において本名の「青木」で初土俵を踏んだ。

四股名の改名と新入幕

初土俵からわずか1年で幕下上位まで番付を上げるスピード出世を見せた。平成22年(2010年)には木瀬部屋の閉鎖に伴い一時北の湖部屋へ移籍したが、この時期に北の湖親方から指導を受け、突き押しから左四つへと相撲の幅を広げている。平成23年(2011年)1月場所より、出身高校の「德」と恩師・伊東監督の「勝」から字をいただいた「徳勝龍」へと四股名を改名し、同年11月場所で新十両に昇進。その後、肘の怪我で一度幕下へ陥落したが、平成24年(2012年)4月の木瀬部屋再興に伴って元の所属へ戻ると着実に地力をつけ、平成25年(2013年)7月場所で新入幕を果たした。奈良県からの新入幕は、戦後3人目のことであった。

十両での苦闘と優勝

入幕後は幕内と十両の往復が続いた。平成29年(2017年)1月場所では十両の地位で優勝争いを演じて11勝を挙げ、復活を印象付ける。平成30年(2018年)9月場所では、自ら「大事な勝負に弱い」と認めていた中で、本割で敗れた大奄美を優勝決定戦で下し、自身初となる十両優勝を飾った。

歴史的な幕尻優勝

土俵人生のハイライトとなったのは、西前頭17枚目(幕尻)で迎えた令和2年(2020年)1月場所である。初日から快進撃を続け、14日目には1敗で並ぶ正代との大一番に勝利。千秋楽では幕尻力士として大相撲史上初となる「これより三役」および結びの一番に登場し、大関・貴景勝を破って14勝1敗で自身初の幕内最高優勝を飾った。番付上に自身より下位の力士がいない「歴代最低地位」での優勝であり、返り入幕での優勝も史上初、さらに三役未経験力士の優勝としては年6場所制以降で史上4人目という記録ずくめの賜杯となった。優勝インタビューで「自分なんかが優勝して、いいんでしょうか?」と語って館内を沸かせるとともに、場所中に急逝した恩師・伊東監督への思いを問われると「一緒に戦ってくれていたような気がします」と涙を浮かべた。

不屈の闘志と引退

優勝後は自己最高位の西前頭2枚目まで番付を上げるが、その後は徐々に降下し、優勝から5場所で十両へ陥落する。令和3年(2021年)11月場所では、十両の土俵において史上初となる幕内優勝経験者同士の対戦(対 朝乃山)を経験した。令和5年(2023年)1月場所では幕下へ陥落したが、1場所で十両へ復帰し、戦後4位となる36歳6か月での高齢昇進記録を作るなど不屈の闘志を見せた。しかし再び幕下へ陥落し、同年9月場所にて現役引退を表明。幕内最高優勝経験者として歴代最低の最高位(三役未経験)のまま土俵を去ることとなった。引退会見では、師匠の木瀬親方からの「まだ老け込むのは早い」という言葉が支えであったと涙ながらに語っている。引退後は年寄「千田川」を襲名し、令和7年(2025年)4月に錦戸部屋へ転籍した。

四股名
徳勝龍 誠 (とくしょうりゅう まこと)
最高位
前頭2枚目
年寄名跡
21代千田川 誠(木瀬) → 21代千田川 誠(錦戸)
出身地
奈良県奈良市
本名
青木 誠
生年月日
昭和61年(1986)8月22日(39歳)
出身高校
明徳義塾高校
出身大学
近畿大学
所属部屋
木瀬 → 北の湖 → 木瀬部屋
改名歴
青木 誠 → 徳勝龍 誠
初土俵
平成21年(2009)1月 前相撲(22歳4ヶ月)
新十両
平成23年(2011)11月(所要16場所)
25歳2ヶ月(初土俵から2年10ヶ月)
新入幕
平成25年(2013)7月(所要26場所)
26歳10ヶ月(初土俵から4年6ヶ月)
最終場所
令和5年(2023)9月場所(37歳0ヶ月)
大相撲歴
87場所(14年8ヶ月)
通算成績
553勝570敗1休1123出場(勝率.492)
通算87場所
勝ち越し41場所(勝ち越し率.477)(勝ち越し星145)
優勝等
幕内優勝1回(次点1),十両優勝1回,三段目優勝1回,序ノ口優勝1回
受賞・金星
殊勲賞1回,敢闘賞1回,金星1個(鶴竜1個)
持給金
115円50銭(勝ち越し星145個 優勝1回 金星1個)
幕内戦歴
211勝269敗0休480出場(勝率.440)
在位32場所(在位率.368)
勝ち越し11場所(勝ち越し率.344)
前頭戦歴
211勝269敗0休480出場(勝率.440)
在位32場所(在位率.368)
勝ち越し11場所(勝ち越し率.344)
十両戦歴
261勝249敗0休510出場(勝率.512)
在位34場所(在位率.391)
勝ち越し17場所(勝ち越し率.500)
関取戦歴
472勝518敗0休990出場(勝率.477)
在位66場所(在位率.759)
勝ち越し28場所(勝ち越し率.424)
幕下以下歴
81勝52敗1休133出場(勝率.609)
在位20場所(在位率.230)
勝ち越し13場所(勝ち越し率.650)

徳勝龍 誠の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

  • ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(171回 / 30.6%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(169回 / 29.6%)
  • ✅ 得意な相手:豪風(10勝3敗 / 勝率.769)
  • ✅ 苦手な相手:遠藤(0勝11敗 / 勝率.000)

北桜 英敏

広島県広島市安佐北区出身、北の湖部屋の元力士で最高位は前頭9枚目。北の湖部屋2人目の幕内力士誕生は初土俵から約15年の遅咲き。大量の塩まきで「ソルトシェーカー」の異名を水戸泉から継いだ。時間前にも積極的に立っていくその熱い戦いぶりと、サービス精神旺盛なその姿勢で人気者だった。引退後は北の湖部屋の部屋付親方を経て式秀部屋を継承。

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  • 9代・式守 秀五郎
  • 四股名 :北桜 英敏(きたざくら ひでとし)
  • 最高位 :前頭9枚目
  • 年寄名跡:26代小野川⇒9代式秀
  • 出身地 :広島県広島市安佐北区
  • 本 名 :向 英俊
  • 生年月日:昭和46年(1971)12月15日(54歳)
  • 所属部屋:北の湖部屋
  • 改名歴 :向⇒北桜⇒向⇒北桜
  • 初土俵 :昭和62年(1987)3月(15歳3ヵ月)
  • 新十両 :平成10年(1998)7月(26歳7ヵ月)
  • 新入幕 :平成13年(2001)7月(29歳7ヵ月)
  • 最終場所:平成22年(2010)3月(38歳3ヵ月)
  • 生涯戦歴:713勝711敗15休/1424出場(138場所)
  • 生涯勝率:50.1%
  • 優勝等 :十両優勝1回,幕下優勝1回
  • 幕内戦歴:70勝110敗(12場所)勝率:38.9%
  • 十両戦歴:350勝355敗15休(48場所)勝率:49.6%

明瀬山 光彦

明瀬山 光彦 (あきせやま みつひこ)愛知県春日井市出身、木瀬 → 北の湖 → 木瀬部屋の元力士で、最高位は前頭12枚目

平成20年(2008)1月場所に22歳5ヶ月で初土俵を踏み、令和5年(2023)9月場所を最後に引退(38歳1ヶ月)。

通算成績は472勝473敗29休944出場。生涯勝率.500。通算93場所中、51場所を勝ち越した(勝ち越し率.554)。

主な成績は十両(同点1)、幕下優勝1回、序二段(同点1)、序ノ口優勝1回

昭和60年(1985)7月18日生まれ。本名は深尾 光彦。

愛嬌のある垂れた胸と大きなおなかという独特の風貌と、解説者に指摘されるほど緩く巻かれた締め込みでファンに愛され、右四つからの攻めを武器に関取として活躍。幾度も幕下陥落を経験しながらも不屈の闘志で土俵に上がり続け、38歳まで15年間の土俵人生を全うした。

市原の背中を追って角界入り

小学生時代、「中京クラブ」で相撲を始める。そこで1学年先輩にあたる市原(のちの前頭13枚目・市原(清瀬海))に出会ったことが、その後の相撲人生を大きく決定づけた。自身も2年連続わんぱく横綱に輝くなど頭角を現し、市原の背中を追うように埼玉栄高校から日本大学へと進学した。

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小学6年生の時に地元春日井市の巡業で見た大相撲の熱気に憧れを抱いていたこともあり、大学4年時に角界入りを決意。入門先には、市原が所属する木瀬部屋を選んだ。

巨漢と俊敏さを武器に関取へ

平成20年(2008年)1月場所、本名の「深尾」で初土俵を踏む。200キロ近い巨漢ながら素早い動きを武器に、序ノ口で全勝優勝、続く序二段でも全勝で優勝決定戦に進出するなど順調に番付を上げた。一気に幕下上位にまで番付を上げ、西幕下16枚目で迎えた平成21年(2009年)7月場所では6人による優勝決定戦を制するなど、関取はすぐかと思われていた。

だが慢心もあり、幕下上位の厚い壁に跳ね返されて暗中模索となっていた。しかし、師匠の11代木瀬(元前頭筆頭・肥後ノ海)からの「悔しいか」「だまされたと思って俺の言うことを聞くか?」という言葉で一から相撲に向き合い、「右を取ったら強いんだ」という言葉を信じて稽古に励み、平成22年(2010年)11月場所で新十両昇進を果たす。

これに合わせて四股名を「明瀬山」へと改名。これは両親の名前から「明」の一字、木瀬部屋から「瀬」、アマチュア時代の2人の恩師の名字である「山田」から「山」を頂戴した四股名であった。

取り口の改造と悲願の新入幕

関取の座を掴んだものの、平成23年(2011年)7月場所で2勝13敗と大きく負け越して十両4場所で幕下へと陥落。その後は腰のヘルニアにも悩まされて1年以上も幕下から十両へと戻ることができなかった。しかし気落ちは折れること無く、突き押し主体の相撲から、師匠と映像を見ながら研究した右四つの速攻へと取り口を改造し、徐々に成績を安定させていった。こうして西幕下5枚目で迎えた平成24年(2012年)9月場所で6勝1敗と勝ち越して再十両を果たした。

その後、2度の幕下陥落を経験するが、そのたびに十両の土俵へと這い上がり、平成27年(2015年)7月場所から4場所連続十両で勝ち越しを決めて、平成28年(2016年)3月場所に初土俵から所要48場所という学生相撲出身者としては極めてスローな記録で新入幕を果たした。

28場所ぶりの再入幕と大怪我

こうしてたどり着いた新入幕の土俵だったが、4勝11敗と大きく負け越して1場所で十両へと陥落、さらに西十両5枚目で1勝14敗と大敗を喫すると新入幕から2場所で幕下へと陥落してしまった。

失意の幕下陥落後は幕下上位でもがき続けて平成30年(2018年)3月場所で11場所ぶりに十両へと復帰、その後もいちど幕下へと陥落したが、十両へと帰還して地道に勝ち越しを積み重ねて令和3年(2021年)1月場所に28場所ぶりとなる再入幕を果たす。この場所では初日から連勝を重ね、35歳6か月という高齢で幕内での初勝ち越しを決めた。

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しかし、同年5月場所に右下顎骨骨折という重傷を負い中日から自身初となる休場。場所後に手術を行い2場所連続休場で、復帰した令和3年(2021年)11月場所は西幕下45枚目まで大きく後退していた。

限界まで挑み続けた15年

深刻な負傷からも不屈の闘志で復帰し、幕下で勝ち越しを続けて着実に番付を戻していく。しかし令和5年(2023年)5月場所で、2勝5敗と負け越しを喫した明瀬山は「ここが限界なのかな」と、場所後に師匠に相談して、最後は地元・愛知の名古屋場所でと決意。

集大成として臨んだ同年7月場所では、ご当地場所の土俵で5勝2敗と勝ち越しを決めたが、決心は変わらなかった。場所後に引退を表明して17代井筒の襲名が発表された。会見では「目いっぱい相撲をやったので、悔いはありません。想像以上でした。38歳までやれるとは思っていなかった。師匠のおかげでした。」と思いを語ると、同席した師匠は「素直で真面目な力士だった」と頑張りを称えた。

四股名
明瀬山 光彦 (あきせやま みつひこ)
最高位
前頭12枚目
年寄名跡
17代井筒 光彦(木瀬)
出身地
愛知県春日井市
本名
深尾 光彦
生年月日
昭和60年(1985)7月18日(40歳)
出身高校
埼玉栄高校
出身大学
日本大学
所属部屋
木瀬 → 北の湖 → 木瀬部屋
改名歴
深尾 光彦 → 明瀬山 光彦
初土俵
平成20年(2008)1月 前相撲(22歳5ヶ月)
新十両
平成22年(2010)11月(所要17場所)
25歳3ヶ月(初土俵から2年10ヶ月)
新入幕
平成28年(2016)3月(所要48場所)
30歳7ヶ月(初土俵から8年2ヶ月)
最終場所
令和5年(2023)9月場所(38歳1ヶ月)
大相撲歴
93場所(15年8ヶ月)
通算成績
472勝473敗29休944出場(勝率.500)
通算93場所
勝ち越し51場所(勝ち越し率.554)(勝ち越し星133)
優勝等
十両(同点1),幕下優勝1回,序二段(同点1),序ノ口優勝1回
持給金
69円50銭(勝ち越し星133個)
幕内戦歴
21勝32敗7休52出場(勝率.404)
在位4場所(在位率.043)
勝ち越し1場所(勝ち越し率.250)
前頭戦歴
21勝32敗7休52出場(勝率.404)
在位4場所(在位率.043)
勝ち越し1場所(勝ち越し率.250)
十両戦歴
254勝301敗15休555出場(勝率.458)
在位38場所(在位率.409)
勝ち越し15場所(勝ち越し率.395)
関取戦歴
275勝333敗22休607出場(勝率.453)
在位42場所(在位率.452)
勝ち越し16場所(勝ち越し率.381)
幕下以下歴
197勝140敗7休337出場(勝率.585)
在位50場所(在位率.538)
勝ち越し35場所(勝ち越し率.700)

明瀬山 光彦の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

  • ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(208回 / 43.5%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(183回 / 38.5%)
  • ✅ 得意な相手:千代ノ皇(16勝8敗 / 勝率.667)
  • ✅ 苦手な相手:千代鳳(1勝8敗 / 勝率.111)

山響部屋の最高位:前頭

北太樹 明義

北太樹 明義 (きたたいき あけよし)東京都町田市出身、北の湖~山響部屋の元力士で、最高位は前頭2枚目

平成10年(1998)3月場所に15歳5ヶ月で初土俵を踏み、平成30年(2018)1月場所を最後に引退(35歳3ヶ月)。

通算成績は649勝649敗2休1298出場。生涯勝率.500。通算119場所中、58場所を勝ち越した(勝ち越し率.492)。

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主な成績は十両優勝2回

昭和57年(1982)10月5日生まれ。本名は讃岐 明義。

中学校卒業後に角界へ飛び込み、初土俵から約9年半の歳月をかけて関取の座を掴み取った北太樹は、右四つからの力強い相撲で長く幕内を務めた大器である。偉大な恩師の教えを胸に、不屈の闘志で土俵に立ち続けたその歩みは、多くの相撲ファンの記憶に刻まれている。

大横綱との出会いと角界入り

東京都町田市で育ち、幼少期は水泳やサッカー、柔道など様々なスポーツに打ち込んだ。相撲の経験はなかったが、小学4年生の時に父の知人の紹介で第55代横綱・北の湖と対面したことが大きな転機となる。圧倒的な存在感を放つ大横綱から「相撲は私が教える。今は走るスポーツをやりなさい」と声をかけられ、その言葉に導かれるように角界への憧れを抱いた。

中学校卒業にあたり、「普通でない道を歩みたい」という決意を固め、北の湖が率いる北の湖部屋へ入門。平成10年(1998年)3月場所で本名の「讃岐」を四股名として初土俵を踏んだ。

長きにわたる下積みと関取昇進

相撲未経験での入門ということもあり、出世の足取りは決して早いものではなかった。序二段や三段目の土俵で一進一退を続けながらも、師匠である北の湖から叩き込まれた四股やすり足といった基本動作を反復し、着実に地力を蓄えていく。平成12年(2000年)3月場所には「北大樹」へと改名し、徐々に番付を上げていった。

幕下上位の壁に跳ね返される時期も長く経験したが、決して腐ることはなかった。足踏みが続いていた平成19年(2007年)3月場所、四股名を「北太樹」へと改める。これには「地に根を張り、上に向かって大きく育つように」という父の願いが込められていた。本来は十両昇進を機に「大」の字を「太」に改める予定だったが、昇進を待たずしての改名であった。この親心のこもった改名が契機となったのか、同年5月場所を東幕下3枚目で5勝2敗の好成績で終えると、翌7月場所、初土俵から約9年半の歳月を経て、ついに悲願の新十両昇進を果たした。

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幕内での飛躍と二度の十両優勝

関取昇進後は持ち味である右四つからの寄りや突き押しに磨きがかかり、平成20年(2008年)9月場所で新入幕を果たす。その後十両へ陥落したものの、平成21年(2009年)11月場所において10勝5敗の成績で初の十両優勝を果たし、再び幕内の土俵へ舞い戻った。

再入幕後は幕内中位から上位の土俵に定着し、平成25年(2013年)5月場所では自己最高位となる東前頭2枚目まで番付を上げた。その後、十両へ下がることもあったが、平成27年(2015年)1月場所では13勝2敗の好成績を挙げて2度目の十両優勝を飾るなど、確かな実力を示し続けた。

恩師との別れと指導者への道

平成27年(2015年)11月、本場所の開催中に師匠である北の湖が急逝するという歴史的な出来事に見舞われる。これに伴い、部屋付きの20代山響(元前頭筆頭・巌雄)が部屋を継承して山響部屋へと名称が変更された。

ベテランとなってからも十両や幕下上位で土俵を務め続けたが、東幕下3枚目で迎えた平成30年(2018年)1月場所の初日に不戦敗となって休場し、現役引退を発表。引退後は年寄「小野川」を襲名した。大横綱から直々に基本を叩き込まれたその相撲の型と精神は、指導者となった現在も後進へと受け継がれている。

四股名
北太樹 明義 (きたたいき あけよし)
最高位
前頭2枚目
年寄名跡
29代小野川 明義(山響)
出身地
東京都町田市
本名
讃岐 明義
生年月日
昭和57年(1982)10月5日(43歳)
所属部屋
北の湖~山響部屋
改名歴
讃岐 明義 → 北大樹 明義 → 北太樹 明義
初土俵
平成10年(1998)3月 前相撲(15歳5ヶ月)
新十両
平成19年(2007)7月(所要56場所)
24歳9ヶ月(初土俵から9年4ヶ月)
新入幕
平成20年(2008)9月(所要63場所)
25歳11ヶ月(初土俵から10年6ヶ月)
最終場所
平成30年(2018)1月場所(35歳3ヶ月)
大相撲歴
119場所(19年10ヶ月)
通算成績
649勝649敗2休1298出場(勝率.500)
通算119場所
勝ち越し58場所(勝ち越し率.492)(勝ち越し星182)
優勝等
十両優勝2回
持給金
94円(勝ち越し星182個)
幕内戦歴
255勝315敗0休570出場(勝率.447)
在位38場所(在位率.319)
勝ち越し15場所(勝ち越し率.395)
前頭戦歴
255勝315敗0休570出場(勝率.447)
在位38場所(在位率.319)
勝ち越し15場所(勝ち越し率.395)
十両戦歴
174勝156敗0休330出場(勝率.527)
在位22場所(在位率.185)
勝ち越し12場所(勝ち越し率.545)
関取戦歴
429勝471敗0休900出場(勝率.477)
在位60場所(在位率.504)
勝ち越し27場所(勝ち越し率.450)
幕下以下歴
220勝178敗2休398出場(勝率.553)
在位58場所(在位率.487)
勝ち越し31場所(勝ち越し率.534)

北太樹 明義の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

  • ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(223回 / 34.3%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(197回 / 30.4%)
  • ✅ 得意な相手:豊桜(11勝2敗 / 勝率.846)
  • ✅ 苦手な相手:豊響(4勝17敗 / 勝率.190)

北はり磨 聖也

北はり磨 聖也(きたはりま せいや)は兵庫県 龍野市出身、山響部屋の力士で最高位は前頭15枚目。令和8年5月場所の番付は西 幕下40枚目。

小学4年生までは柔道だったが、わんぱく相撲で全国大会にまで進んだことを機に相撲へと転向。稀勢の里とは同期生。非常に稽古熱心で周囲からも一目を置かれている。

💡 兵庫県出身一覧💡 山響部屋の力士

四股名
北はり磨 聖也(きたはりま せいや)
最高位
前頭15枚目
最新番付
西 幕下40枚目
出身地
兵庫県 龍野市
本名
嶋田 聖也
生年月日
昭和61年(1986)7月28日(39歳)
身長・体重
182cm・129.3kg
所属部屋
北の湖 → 山響部屋
改名歴
嶋田 → 北はり磨
初土俵
平成14年(2002)3月(15歳8ヵ月)
新十両
平成24年(2012)1月(25歳6ヵ月)
新入幕
平成28年(2016)7月(30歳0ヵ月)
優勝
三段目優勝1回
通算成績
602勝608敗7休/1210出場(勝率:49.8%)
直近7場所
20勝29敗
7場所勝率
40.8%
得意技
突き・押し
決まり手傾向(直近7場所)
北はり磨が勝ちの決まり手(19勝)
押し出し13
突き落とし2
引き落とし2
送り倒し1
叩き込み1
北はり磨が負けの決まり手(23敗)
突き落とし5
叩き込み5
押し出し3
小手投げ2
突き出し2
寄り切り2
その他4
令8年5月
西 幕下40枚目(9枚降下)
1勝6敗
-●●--|●○-●-|-●--●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年3月
西 幕下31枚目(20枚半上昇)
3勝4敗
●--●○|--○-●|-○-●-
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年1月
東 幕下52枚目(20枚降下)
5勝2敗
○--●-|●○-○-|-○--○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

▼ さらに過去の成績(4場所分)を見る
令7年11
東 幕下32枚目(14枚降下)
2勝5敗
-●○--|●○--●|●-●--
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年9月
東 幕下18枚目(6枚半上昇)
2勝5敗
-●●-●|--●●-|○---○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年7月
西 幕下24枚目(7枚半降下)
4勝3敗
●--○-|●○--○|-○-●-
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年5月
東 幕下17枚目
3勝4敗
●-○--|○-●-●|-○●--
取組詳細(対戦相手・決まり手)

鳰の湖 真二

鳰の湖 真二(におのうみ しんじ)は滋賀県 大津市出身、山響部屋の力士で最高位は前頭16枚目。令和8年5月場所の番付は西 三段目16枚目。

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大津市立皇子山中では柔道部でキャプテンを務め、全国大会では個人戦ベスト16。四股名は琵琶湖の古称で「水鳥が集まる湖」との意味が。平成24年1月場所での新入幕は滋賀県出身者として蒼樹山以来18年10ヵ月ぶりのこと。

💡 滋賀県出身一覧💡 山響部屋の力士

四股名
鳰の湖 真二(におのうみ しんじ)
最高位
前頭16枚目
最新番付
西 三段目16枚目
出身地
滋賀県 大津市
本名
田中 真二
生年月日
昭和61年(1986)12月16日(39歳)
身長・体重
173.5cm・158kg
所属部屋
北の湖 → 山響部屋
初土俵
平成14年(2002)3月(15歳3ヵ月)
新十両
平成23年(2011)1月(24歳1ヵ月)
新入幕
平成24年(2012)1月(25歳1ヵ月)
優勝
無し
通算成績
557勝534敗14休/1091出場(勝率:51.1%)
直近7場所
26勝23敗
7場所勝率
53.1%
得意技
押し
決まり手傾向(直近7場所)
鳰の湖が勝ちの決まり手(20勝)
押し出し11
叩き込み3
上手投げ1
押し倒し1
寄り倒し1
突き落とし1
その他2
鳰の湖が負けの決まり手(22敗)
叩き込み6
押し出し5
寄り切り3
引き落とし2
送り出し2
首投げ1
その他3
令8年5月
西 三段目16枚目(11枚半降下)
6勝1敗
○--●○|--○○-|○-○--
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年3月
東 三段目5枚目(11枚半上昇)
3勝4敗
○--●-|●-○-○|-●-●-
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年1月
西 三段目16枚目(13枚半上昇)
4勝3敗
-●-○○|-●--○|●--○-
取組詳細(対戦相手・決まり手)

▼ さらに過去の成績(4場所分)を見る
令7年11
東 三段目30枚目(11枚半降下)
4勝3敗
○--○-|●○--○|-●--●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年9月
西 三段目18枚目(12枚半降下)
3勝4敗
○-●--|○●--●|-○-●-
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年7月
東 三段目6枚目(11枚半降下)
3勝4敗
○--●-|●○--●|-○-●-
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年5月
東 幕下55枚目
3勝4敗
○--●-|●-●○-|-●--○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

次ページ以降の番付を見る

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北の湖~山響部屋の歴代師匠

一代年寄・北の湖 敏満 (元横綱・北の湖)

在任期間(昭和60年(1985年)12月1日~平成27年(2015年)11月20日)

北の湖 敏満(きたのうみ としみつ)北海道有珠郡壮瞥町出身、三保ヶ関部屋の元力士で、最高位は第55代横綱

昭和42年(1967)1月場所に13歳7ヶ月で初土俵を踏み、昭和60年(1985)1月場所を最後に引退(31歳8ヶ月)。

通算成績は951勝350敗107休1293出場。生涯勝率.731。通算109場所中、87場所を勝ち越した(勝ち越し率.806)。

主な成績は幕内優勝24回(同点5,次点11),序二段同点1回。殊勲賞2回,敢闘賞1回,金星1個(北の富士1個)。

本名は小畑 敏満。昭和28年(1953)5月16日生まれ。平成27年(2015)11月20日逝去(享年62歳)。

「怪童」と呼ばれ史上最年少での横綱昇進を果たす。「憎らしいほど強い」と評された。引退後は一代年寄を贈られて自身の部屋を創設、理事長としても手腕を発揮した。平成27年の九州場所中である11月20日に急逝、享年62歳。

四股名
北の湖 敏満(きたのうみ としみつ)
最高位
第55代横綱
年寄名跡
一代年寄 北の湖 敏満
出身地
北海道有珠郡壮瞥町
本名
小畑 敏満
生年月日
昭和28年(1953)5月16日
没年月日
平成27年(2015)11月20日(享年62歳)
所属部屋
三保ヶ関部屋
改名歴
北の湖 敏満
初土俵
昭和42年(1967)1月 前相撲(13歳7ヶ月)
新十両
昭和46年(1971)5月(所要26場所)
17歳11ヶ月(初土俵から4年4ヶ月)
新入幕
昭和47年(1972)1月(所要30場所)
18歳7ヶ月(初土俵から5年0ヶ月)
新小結
昭和48年(1973)1月(所要36場所)
19歳7ヶ月(初土俵から6年0ヶ月)
新関脇
昭和48年(1973)11月(所要41場所)
20歳5ヶ月(初土俵から6年10ヶ月)
新大関
昭和49年(1974)3月(所要43場所)
20歳9ヶ月(初土俵から7年2ヶ月)
横綱昇進
昭和49年(1974)9月(所要46場所)
21歳3ヶ月(初土俵から7年8ヶ月)
最終場所
昭和60年(1985)1月(31歳8ヶ月)
大相撲歴
109場所(18年0ヶ月)
通算成績
951勝350敗107休1293出場(勝率.731)
通算109場所
勝ち越し87場所(勝ち越し率.806)
優勝等
幕内優勝24回(同点5,次点11),序二段同点1回
受賞・金星
殊勲賞2回,敢闘賞1回,金星1個
幕内戦歴
804勝247敗107休1043出場(勝率.765)
在位78場所(在位率.716)
勝ち越し64場所(勝ち越し率.821)
横綱戦歴
670勝156敗107休818出場(勝率.811)
在位63場所(在位率.578)
勝ち越し53場所(勝ち越し率.841)
大関戦歴
36勝9敗0休45出場(勝率.800)
在位3場所(在位率.028)
勝ち越し3場所(勝ち越し率1.000)
三役戦歴
36勝24敗0休60出場(勝率.600)
在位4場所(在位率.037)
勝ち越し3場所(勝ち越し率.750)
関脇戦歴
24勝6敗0休30出場(勝率.800)
在位2場所(在位率.018)
勝ち越し2場所(勝ち越し率1.000)
小結戦歴
12勝18敗0休30出場(勝率.400)
在位2場所(在位率.018)
勝ち越し1場所(勝ち越し率.500)
前頭戦歴
62勝58敗0休120出場(勝率.517)
在位8場所(在位率.073)
勝ち越し5場所(勝ち越し率.625)
十両戦歴
43勝32敗0休75出場(勝率.573)
在位5場所(在位率.046)
勝ち越し4場所(勝ち越し率.800)
関取戦歴
847勝279敗107休1118出場(勝率.752)
在位83場所(在位率.761)
勝ち越し68場所(勝ち越し率.819)
幕下以下歴
104勝71敗0休175出場(勝率.594)
在位25場所(在位率.229)
勝ち越し19場所(勝ち越し率.760)


第20代・山響 謙司 (元前頭筆頭・巌雄)

在任期間(平成27年(2015年)11月23日~  )

兵庫県姫路市出身、北の湖部屋の元力士で最高位は前頭筆頭。北の湖の一番弟子。新十両場所では大負けして一時は三段目にまで落ちてしまったが、約3年半20場所をかけて再十両を果たした。その後、入幕は北の湖部屋初の幕内力士。平成27年11月の先代の急逝により部屋を継承、名を山響部屋へと改めての再出発となった。

  • 20代・山響 謙司
  • 四股名 :巌雄 謙治(がんゆう けんじ)
  • 最高位 :前頭筆頭
  • 年寄名跡:巌雄⇒小野川⇒山響
  • 出身地 :兵庫県姫路市
  • 本 名 :平野 建司⇒平野 兼司
  • 生年月日:昭和45年(1970)8月6日
  • 所属部屋:北の湖部屋
  • 改名歴 :平野⇒巌雄
  • 初土俵 :昭和61年(1986)3月(15歳7ヵ月)
  • 新十両 :平成4年(1992)1月(21歳5ヵ月)
  • 新入幕 :平成8年(1996)3月(25歳7ヵ月)
  • 最終場所:平成12年(2000)5月(29歳9ヵ月)
  • 生涯戦歴:400勝382敗53休/779出場(86場所)
  • 生涯勝率:51.2%
  • 優勝等 :幕下優勝2回,序二段優勝1回
  • 幕内戦歴:144勝195敗6休(23場所)勝率:42.5%
  • 十両戦歴:47勝58敗(7場所)勝率:44.8%

現役の山響部屋力士の最新情報はこちら

ここまでは過去から現在までの北の湖~山響部屋の主な力士たちをご紹介してきましたが、山響部屋の現役力士の最新番付や成績を知りたい方の為に最適な記事もご用意しています。相撲観戦と予習におススメです!

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カテゴリー : 出羽海一門

公開日:2018-08-13
投稿者:レイ

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