境川部屋は、平成4(1992)年12月に現役を引退し、出羽海部屋の部屋付き親方を務めていた12代中立(元小結・両国:出羽海部屋)が、平成10(1998)年5月に内弟子2人を連れて独立して創設した中立部屋を前身とする相撲部屋です。
12代中立の師匠である12代境川(元横綱・佐田の海)が停年を迎える直前の平成15(2003)年1月に、お互いの名跡を交換して12代中立は13代境川を襲名、部屋の名を境川部屋と改めました。
受賞回数は、1位が豪栄道で11回(殊勲賞5回・技能賞3回・敢闘賞3回)、2位が妙義龍で6回(技能賞6回)、3位が佐田の海と豊響の2人で3回ずつとなっています。4位以下含む全順位の詳細は、以下の表をご覧ください。
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該当力士:13 名
豪栄道 豪太郎
豪栄道 豪太郎 (ごうえいどう ごうたろう)は大阪府寝屋川市出身、境川部屋の元力士で、最高位は大関。
平成17年(2005)1月場所に18歳9ヶ月で初土俵を踏み、令和2年(2020)1月場所を最後に引退(33歳9ヶ月)。
通算成績は696勝493敗66休1180出場。生涯勝率.590。通算90場所中、62場所を勝ち越した(勝ち越し率.697)。
主な成績は幕内優勝1回(同点1 次点6)、十両(同点1)、幕下優勝2回、三段目優勝1回、序ノ口優勝1回、殊勲賞5回、敢闘賞3回、技能賞3回、金星1個(朝青龍1個)。
昭和61年(1986)4月6日生まれ。本名は澤井 豪太郎。
豪栄道は、アマチュア相撲で数々のタイトルを獲得して角界入りし、昭和以降単独1位となる関脇連続在位14場所の実績を経て大関へと昇進した力士である。大関在位は歴代10位となる33場所を数え、平成28年(2016年)9月場所では、大相撲史上初となるカド番大関による全勝優勝を達成した。引退後は年寄を襲名し、自らの部屋を創設して後進の指導にあたっている。
生い立ちと入門経緯
大阪府寝屋川市に生まれ育つ。出生時の体重が4380グラムと大きかったことや、「最も豪華で大きな太郎になってほしい」という願いから、本名を「豪太郎」と名付けられた。小学1年次から相撲を始め、市の大会で思いがけず優勝したことを機に相撲の魅力にのめり込む。小学3年次からは交野市の古市道場(元十両・古市の実家)へ通って本格的な手ほどきを受け、小学5年次には「わんぱく横綱」の栄冠を手にした。
中学卒業後は相撲の名門である埼玉栄高校へ進学し、高校横綱や世界ジュニア相撲選手権大会無差別級優勝など、11個の個人タイトルを獲得する。高校3年次には、周囲から「高卒での幕下付出資格取得」を期待されるなか、全日本相撲選手権大会に出場し、高校生として史上4人目となる3位入賞を果たした。惜しくも付出資格取得には届かなかったが高い実力を証明した。卒業後は日本大学への推薦入学が内々定していたが、本人は角界入りを強く希望して進学を辞退する。その結果、直後に控えていた国民体育大会へ向けた稽古場所を失うことになったが、高校の監督の先輩にあたる13代境川(元小結・両国)を頼り、境川部屋へ出稽古に向かった。そこで幕下力士を圧倒する実力を見せ、そのまま同部屋へ入門して平成17年(2005年)1月場所で初土俵を踏んだ。
小手先の相撲からの脱却と関取昇進
各段を1場所で通過し、幕下2場所目には7戦全勝で優勝を果たす。しかし、幕下上位の壁に直面し、西幕下2枚目で迎えた平成18年(2006年)1月場所で入門後初となる負け越しを喫した。翌場所も負け越したことで「勝ちたい気持ちが強すぎて、固くなって自分の相撲が取れなくなった」と猛省し、立合いで変化する小手先の相撲を封印する。正面から当たる相撲を徹底したことで攻めのスピードが増し、同年9月場所では西幕下6枚目で全勝優勝を飾った。
翌11月場所で新十両への昇進を果たした。これを機に、四股名を「豪栄道」へと改めた。この四股名は、本名の「豪」、母校である埼玉栄高校の「栄」、そして相撲道と高校の恩師の名前から「道」の一字を採り、「力強く栄え、相撲道に精進する」という意味に由来する。十両を順調に通過し、平成19年(2007年)9月場所で新入幕を果たすと、11勝4敗の好成績を残して初の三賞となる敢闘賞を受賞した。以降も着実に番付を上げ、平成22年(2010年)1月場所では朝青龍を破り、自身初となる金星を獲得する。この場所後に朝青龍が引退を表明したため、結果として朝青龍にとって最後の金星配給相手となった。
関脇連続14場所と大関昇進
幕内上位に定着し、平成24年(2012年)5月場所で関脇に昇進すると、そこから長期間にわたって三役の地位を守り続ける。平成26年(2014年)3月場所から3場所連続で12勝、8勝、12勝という成績を残し、直近3場所で合計32勝を挙げた。大関昇進の目安とされる33勝には届かなかったものの、昭和以降単独1位となる「関脇連続在位14場所」という安定した実績が評価された。昇進を懸けた7月場所では、千秋楽の取組で大関・琴奨菊に勝利することを条件として理事会で昇進の方針が決定され、見事に琴奨菊を下して大関昇進を決定づけた。大阪府出身力士としては、昭和45年(1970年)の前の山以来44年ぶりの大関誕生であった。
史上初のカド番全勝優勝
大関昇進後は度重なる怪我に苦しんだ。左外側半月板損傷や左肩峰剥離骨折などにより休場や負け越しを経験し、カド番を繰り返す苦難の場所が続く。しかし、自身4度目のカド番で迎えた平成28年(2016年)9月場所では、初日から白星を重ねて順調にカド番を脱出する。13日目には横綱・日馬富士を逆転で破り、14日目に玉鷲を下して幕内最高優勝を決定させた。千秋楽でも大関・琴奨菊を破り、15戦全勝で賜杯を手にする。日本人力士の全勝優勝は平成8年(1996年)9月場所の横綱・貴乃花以来20年ぶりであり、大阪府出身力士の優勝は昭和5年(1930年)の山錦以来86年ぶりであった。カド番大関による全勝優勝は、大相撲史上初となる記録であった。
現役引退と武隈部屋創設
その後も大関として土俵を務めたが、令和元年(2019年)11月場所を途中休場し、カド番として令和2年(2020年)1月場所を迎える。この場所で序盤から苦戦を強いられ、12日目に朝乃山に敗れて負け越しが決定し、歴代10位となる大関在位33場所での陥落が決まった。地元開催となる翌月の大阪場所を前に、「気力のない相撲を皆さんの前で取るわけにはいかない」と決断を下し、千秋楽を終えた直後の1月28日に日本相撲協会へ引退届を提出した。
引退後は年寄・14代武隈を襲名して境川部屋で後進の指導にあたり、令和4年(2022年)2月1日付で分家独立して武隈部屋を創設した。
- 四股名
- 豪栄道 豪太郎 (ごうえいどう ごうたろう)
- 最高位
- 大関
- 年寄名跡
- 14代武隈 豪太郎(境川) → 14代武隈 豪太郎
- 出身地
- 大阪府寝屋川市
- 本名
- 澤井 豪太郎
- 生年月日
- 昭和61年(1986)4月6日(40歳)
- 出身高校
- 埼玉栄高校
- 所属部屋
- 境川部屋
- 改名歴
- 澤井 豪太郎 → 豪栄道 豪太郎
- 初土俵
- 平成17年(2005)1月 前相撲(18歳9ヶ月)
- 新十両
- 平成18年(2006)11月(所要11場所)
- 20歳7ヶ月(初土俵から1年10ヶ月)
- 新入幕
- 平成19年(2007)9月(所要16場所)
- 21歳5ヶ月(初土俵から2年8ヶ月)
- 新小結
- 平成20年(2008)11月(所要23場所)
- 22歳7ヶ月(初土俵から3年10ヶ月)
- 新関脇
- 平成21年(2009)5月(所要26場所)
- 23歳1ヶ月(初土俵から4年4ヶ月)
- 新大関
- 平成26年(2014)9月(所要57場所)
- 28歳5ヶ月(初土俵から9年8ヶ月)
- 最終場所
- 令和2年(2020)1月場所(33歳9ヶ月)
- 大相撲歴
- 90場所(15年0ヶ月)
- 通算成績
- 696勝493敗66休1180出場(勝率.590)
- 通算90場所
- 勝ち越し62場所(勝ち越し率.697)(勝ち越し星272)
- 優勝等
- 幕内優勝1回(同点1 次点6),十両(同点1),幕下優勝2回,三段目優勝1回,序ノ口優勝1回
- 受賞・金星
- 殊勲賞5回,敢闘賞3回,技能賞3回,金星1個(朝青龍1個)
- 持給金
- 218円(勝ち越し星272個 優勝1回 金星1個)
- 大関戦歴
- 260勝194敗41休447出場(勝率.582)
- 在位33場所(在位率.367)
- 勝ち越し23場所(勝ち越し率.697)
- 幕内戦歴
- 587勝442敗66休1020出場(勝率.575)
- 在位73場所(在位率.811)
- 勝ち越し49場所(勝ち越し率.671)
- 三役戦歴
- 158勝126敗1休283出場(勝率.558)
- 在位19場所(在位率.211)
- 勝ち越し13場所(勝ち越し率.684)
- 関脇戦歴
- 132勝92敗1休223出場(勝率.592)
- 在位15場所(在位率.167)
- 勝ち越し12場所(勝ち越し率.800)
- 小結戦歴
- 26勝34敗0休60出場(勝率.433)
- 在位4場所(在位率.044)
- 勝ち越し1場所(勝ち越し率.250)
- 前頭戦歴
- 169勝122敗24休290出場(勝率.583)
- 在位21場所(在位率.233)
- 勝ち越し13場所(勝ち越し率.619)
- 十両戦歴
- 57勝33敗0休90出場(勝率.633)
- 在位6場所(在位率.067)
- 勝ち越し5場所(勝ち越し率.833)
- 関取戦歴
- 644勝475敗66休1110出場(勝率.580)
- 在位79場所(在位率.878)
- 勝ち越し54場所(勝ち越し率.684)
- 幕下以下歴
- 52勝18敗0休70出場(勝率.743)
- 在位10場所(在位率.111)
- 勝ち越し8場所(勝ち越し率.800)
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- ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(213回 / 30.6%)
- ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(92回 / 18.6%)
- ✅ 得意な相手:碧山(23勝3敗 / 勝率.885)
- ✅ 苦手な相手:白鵬(6勝38敗 / 勝率.136)
妙義龍 泰成
妙義龍 泰成 (みょうぎりゅう やすなり)は兵庫県高砂市出身、境川部屋の元力士で、最高位は関脇。
平成21年(2009)5月場所に22歳6ヶ月で初土俵を踏み、令和6年(2024)9月場所を最後に引退(37歳10ヶ月)。
通算成績は601勝597敗79休1193出場。生涯勝率.504。通算91場所中、48場所を勝ち越した(勝ち越し率.527)。
主な成績は幕内(次点1)、十両優勝3回、幕下優勝1回、三段目(同点1)、技能賞6回、金星6個(白鵬2個、日馬富士1個、稀勢の里1個、鶴竜2個)。
昭和61年(1986)10月22日生まれ。本名は宮本 泰成。
強豪・埼玉栄高校から日本体育大学を経て角界入りし、度重なる大怪我を乗り越えて長く幕内上位で活躍した妙義龍は、アスリート然とした洗練された押し相撲で土俵を沸かせた名力士である。新十両での大怪我による三段目への陥落というどん底から這い上がり、技能賞を6度獲得するなど、その不屈の闘志と卓越した技術は多くの相撲ファンの記憶に刻まれている。
「テッポウ」で培われた強靭な下半身とアマチュア時代
兵庫県高砂市に生まれ、相撲の強豪である埼玉栄高校へ進学した。高校時代は、同級生の澤井(のちの大関・豪栄道)らと共に主力としてチームを牽引し、手の皮が剥けて血が滲むほど一心不乱に鉄砲柱を打ち続ける稽古で、自身の相撲の土台となる強靭な足腰を築き上げた。
日本体育大学へ進学後も順調に実績を重ね、4年次には大分国体(成年の部)で個人の部優勝を果たし、幕下15枚目格付出の資格を獲得する。卒業後は、高校時代の同級生である豪栄道が所属する境川部屋への入門を決意し、平成21年(2009年)5月場所に本名の「宮本」で初土俵を踏んだ。
新十両での大怪我と、三段目からの劇的な復活
幕下付出から着実に星を伸ばし、所要4場所で新十両昇進を決める。この昇進を機に、「多彩な技を繰り出せるように」という願いを込めて四股名を「妙義龍」へと改名した。
しかし、関取として初めて土俵に上がった平成22年(2010年)1月場所の2日目に、左膝前十字靭帯断裂という選手生命を脅かす大怪我を負い、途中休場を余儀なくされる。その後3場所にわたり全休し、番付は西三段目94枚目まで陥落するという試練を味わった。
それでも決して腐ることなく怪我の完治と体作りに励み、同年9月場所で土俵に復帰すると、7戦全勝の三段目優勝を皮切りに破竹の勢いで勝ち星を重ねる。幕下と十両で計3度の優勝を飾る快進撃で一気に番付を駆け上がり、復帰からわずか7場所となる平成23年(2011年)11月場所で新入幕を果たした。
スピード感あふれる押し相撲と上位戦線での躍進
幕内の土俵においても、怪我を乗り越えてさらに凄みを増した妙義龍の相撲は旋風を巻き起こした。絶え間ない鍛錬により発達した、ふくらはぎの筋肉が生み出す鋭い出足と、膝を曲げた低い体勢からの一気呵成の押し相撲で、平成24年(2012年)1月場所には9勝を挙げて自身初となる技能賞を獲得する。
その後も勢いは止まらず、同年5月場所から3場所連続で技能賞を獲得し、7月場所には新小結、翌9月場所には新関脇へと昇進。従来の押し相撲のイメージを覆すようなスピード感と技術の高さで、三役の地位に定着していった。
平成25年(2013年)1月場所の3日目には、圧倒的な強さを誇っていた横綱・白鵬を初めて破り、自身初となる金星を獲得した。この一番を、のちに本人は「最も思い出に残る取組」として挙げている。
ベテランとしての奮闘と現役引退
その後も長く幕内上位で存在感を示し続け、最高位である関脇には通算8場所在位した。しかし、長年の激闘による左変形性膝関節症や網膜剥離など、相次ぐ怪我との戦いを強いられる土俵人生でもあった。
令和3年(2021年)9月場所では、西前頭10枚目で11勝4敗の好成績を挙げて優勝争いに加わり、通算6度目となる技能賞を獲得するなど、ベテランの意地を見せた。しかし怪我の影響で思うような相撲が取れなくなり、令和6年(2024年)5月場所で十両へ陥落。左膝の怪我により西十両9枚目で全休となった同年9月場所を最後に現役引退を決断した。
引退後は年寄・振分を襲名して日本相撲協会に残り、引き続き境川部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたっている。初土俵から15年余り、幕内在位71場所を数え、度重なる試練を不屈の精神力で乗り越えたその歩みは、後進の力士たちにとって大きな模範となっている。
- 四股名
- 妙義龍 泰成 (みょうぎりゅう やすなり)
- 最高位
- 関脇
- 年寄名跡
- 20代振分 泰成(境川)
- 出身地
- 兵庫県高砂市
- 本名
- 宮本 泰成
- 生年月日
- 昭和61年(1986)10月22日(39歳)
- 出身高校
- 埼玉栄高校
- 出身大学
- 日本体育大学
- 所属部屋
- 境川部屋
- 改名歴
- 宮本 泰成 → 妙義龍 泰成
- 初土俵
- 平成21年(2009)5月 幕下15枚目付出(22歳6ヶ月)
- 新十両
- 平成22年(2010)1月(所要4場所)
- 23歳2ヶ月(初土俵から0年8ヶ月)
- 新入幕
- 平成23年(2011)11月(所要14場所)
- 25歳0ヶ月(初土俵から2年6ヶ月)
- 新小結
- 平成24年(2012)7月(所要18場所)
- 25歳8ヶ月(初土俵から3年2ヶ月)
- 新関脇
- 平成24年(2012)9月(所要19場所)
- 25歳10ヶ月(初土俵から3年4ヶ月)
- 最終場所
- 令和6年(2024)9月場所(37歳10ヶ月)
- 大相撲歴
- 91場所(15年4ヶ月)
- 通算成績
- 601勝597敗79休1193出場(勝率.504)
- 通算91場所
- 勝ち越し48場所(勝ち越し率.527)(勝ち越し星152)
- 優勝等
- 幕内(次点1),十両優勝3回,幕下優勝1回,三段目(同点1)
- 受賞・金星
- 技能賞6回,金星6個(白鵬2個、日馬富士1個、稀勢の里1個、鶴竜2個)
- 持給金
- 161円(勝ち越し星152個 金星6個)
- 幕内戦歴
- 495勝539敗31休1030出場(勝率.481)
- 在位71場所(在位率.780)
- 勝ち越し35場所(勝ち越し率.493)
- 三役戦歴
- 76勝93敗26休168出場(勝率.452)
- 在位13場所(在位率.143)
- 勝ち越し6場所(勝ち越し率.462)
- 関脇戦歴
- 47勝58敗15休105出場(勝率.448)
- 在位8場所(在位率.088)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率.375)
- 小結戦歴
- 29勝35敗11休63出場(勝率.460)
- 在位5場所(在位率.055)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率.600)
- 前頭戦歴
- 419勝446敗5休862出場(勝率.486)
- 在位58場所(在位率.637)
- 勝ち越し29場所(勝ち越し率.500)
- 十両戦歴
- 63勝45敗27休107出場(勝率.589)
- 在位9場所(在位率.099)
- 勝ち越し5場所(勝ち越し率.556)
- 関取戦歴
- 558勝584敗58休1137出場(勝率.491)
- 在位80場所(在位率.879)
- 勝ち越し40場所(勝ち越し率.500)
- 幕下以下歴
- 43勝13敗21休56出場(勝率.768)
- 在位11場所(在位率.121)
- 勝ち越し8場所(勝ち越し率.727)
妙義龍 泰成の更に詳細なデータは力士名鑑で!
名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。
- ✅ 勝った決まり手1位:押し出し(220回 / 36.3%)
- ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(117回 / 19.6%)
- ✅ 得意な相手:宝富士(20勝10敗 / 勝率.667)
- ✅ 苦手な相手:白鵬(2勝20敗 / 勝率.091)
岩木山 竜太
岩木山 竜太 (いわきやま りゅうた)は青森県弘前市出身、中立~境川部屋の元力士で、最高位は小結。
平成12年(2000)7月場所に24歳4ヶ月で初土俵を踏み、平成22年(2010)9月場所を最後に引退(34歳6ヶ月)。
通算成績は407勝365敗78休769出場。生涯勝率.529。通算62場所中、34場所を勝ち越した(勝ち越し率.548)。
主な成績は幕内(次点1)、十両優勝2回、三段目優勝1回、敢闘賞1回、技能賞1回、金星1個(朝青龍1個)。
昭和51年(1976)3月2日生まれ。本名は對馬 竜太。
青森大学相撲部出身として初めて幕内の土俵を踏んだ岩木山は、立ち合いからの圧倒的な馬力を武器に三役まで駆け上がった名力士である。社会人を経てからの入門でありながら猛スピードで出世を果たし、志半ばで病魔に倒れるまで、記憶に残る激しい相撲でファンを魅了し続けた。
親友の急逝と角界への挑戦
青森県に生まれ、青森大学へ進学して相撲部で活躍した。卒業後は青森山田高校の職員兼相撲部コーチとして働きながらアマチュア相撲を続け、平成10年(1998年)の全日本相撲選手権大会で8位入賞を果たすなど実績を重ねていた。
しかし、ともにアマチュア相撲で汗を流していた友人が、24歳で交通事故死を遂げるという悲しい出来事が起こる。これを機に自身の相撲への情熱と人生を見つめ直し、亡き友への思いを胸にプロ入りを決意した。
アマチュア時代の実績から幕下付出の資格を得て、11代中立(元小結・両国)が率いる中立部屋(のちの境川部屋)へ入門。平成12年(2000年)7月場所に本名の「對馬」で初土俵を踏んだ。
怒涛のスピード出世と「岩木山」の誕生
初土俵、翌場所から怪我で休場したこともあり一度は三段目へ番付を落としたが、平成13年(2001年)1月場所から故郷の山にちなんだ「岩木山」へと改名する。すると直後の3月場所において7戦全勝で三段目優勝を飾り、ここから一気に番付を駆け上がっていった。
翌平成14年(2002年)3月場所で新十両へ昇進し、続く5月場所では11勝4敗の好成績を挙げて十両優勝を果たす。勢いそのままに白星を重ね、同年11月場所において新入幕を果たした。青森大学出身者として初の幕内力士誕生という快挙であった。
規格外の破壊力と上位戦線での躍進
185センチ、170キロを超える巨体を活かした立ち合いのぶちかましと、突き押しの破壊力は幕内でも群を抜いていた。新入幕の場所で10勝5敗の好成績を挙げて敢闘賞を獲得すると、幕内上位の土俵へと定着していく。
平成15年(2003年)9月場所では東前頭5枚目で11勝4敗の成績を残し、優勝した横綱・朝青龍に次ぐ星を挙げて初の技能賞を獲得。この活躍により、翌11月場所では新小結へと昇進を果たした。さらに平成16年(2004年)9月場所では、圧倒的な強さを誇っていた横綱・朝青龍を破り、自身初にして唯一の金星を獲得するなど、上位陣を大いに脅かす存在となった。
首の負傷とベテランとしての奮闘
激しい相撲の代償として、現役後半は怪我に苦しめられた。主に首を負傷したことで得意のぶちかましができなくなり、膝にも爆弾を抱えるようになる。馬力に陰りが見え始めた平成18年(2006年)11月場所以降は負け越しが続き、十両陥落も経験したが、そのたびにベテランの意地で幕内へ復帰し、長く土俵を務め続けた。
病魔との闘いとイレギュラーな番付残留
その後も幕内と十両の土俵で存在感を示し続けたが、平成22年(2010年)4月に小脳梗塞という大病を発症してしまう。
命に関わる重篤な状態からは回復したものの、土俵への復帰は極めて困難な状況であった。この5月場所から連続で全休を余儀なくされ、7月場所を終えた時点で幕下への陥落が濃厚となり、引退の方向で話が進んでいた。しかし、この7月場所は大相撲野球賭博問題の影響で多数の謹慎力士が出た場所であり、「病気による全休と謹慎休場は区別する」という相撲協会の特例措置により、翌9月場所も十両の番付に留まることとなった。
この9月場所(西十両14枚目)も全休し、同場所の千秋楽に現役引退を発表。引退後はすでに取得していた年寄「関ノ戸」を襲名し、日本相撲協会に残って境川部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたっている。友人の死を乗り越えて遅咲きの花を咲かせ、規格外の馬力で土俵を沸かせたその歩みは、指導者となった現在も後輩力士たちへと受け継がれている。
- 四股名
- 岩木山 竜太 (いわきやま りゅうた)
- 最高位
- 小結
- 年寄名跡
- 18代関ノ戸 竜太(境川)
- 出身地
- 青森県中津軽郡岩木町 → 青森県弘前市
- 本名
- 對馬 竜太
- 生年月日
- 昭和51年(1976)3月2日(50歳)
- 出身高校
- 弘前実業高校
- 出身大学
- 青森大学
- 所属部屋
- 中立~境川部屋
- 改名歴
- 對馬 竜太 → 岩木山 竜太
- 初土俵
- 平成12年(2000)7月 幕下60枚目付出(24歳4ヶ月)
- 新十両
- 平成14年(2002)3月(所要10場所)
- 26歳0ヶ月(初土俵から1年8ヶ月)
- 新入幕
- 平成14年(2002)11月(所要14場所)
- 26歳8ヶ月(初土俵から2年4ヶ月)
- 新小結
- 平成15年(2003)11月(所要20場所)
- 27歳8ヶ月(初土俵から3年4ヶ月)
- 最終場所
- 平成22年(2010)9月場所(34歳6ヶ月)
- 大相撲歴
- 62場所(10年2ヶ月)
- 通算成績
- 407勝365敗78休769出場(勝率.529)
- 通算62場所
- 勝ち越し34場所(勝ち越し率.548)(勝ち越し星123)
- 優勝等
- 幕内(次点1),十両優勝2回,三段目優勝1回
- 受賞・金星
- 敢闘賞1回,技能賞1回,金星1個(朝青龍1個)
- 持給金
- 96円(勝ち越し星123個 金星1個)
- 幕内戦歴
- 293勝318敗34休608出場(勝率.482)
- 在位43場所(在位率.694)
- 勝ち越し20場所(勝ち越し率.465)
- 三役戦歴
- 10勝20敗0休30出場(勝率.333)
- 在位2場所(在位率.032)
- 勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
- 小結戦歴
- 10勝20敗0休30出場(勝率.333)
- 在位2場所(在位率.032)
- 勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
- 前頭戦歴
- 283勝298敗34休578出場(勝率.490)
- 在位41場所(在位率.661)
- 勝ち越し20場所(勝ち越し率.488)
- 十両戦歴
- 72勝33敗30休105出場(勝率.686)
- 在位9場所(在位率.145)
- 勝ち越し7場所(勝ち越し率.778)
- 関取戦歴
- 365勝351敗64休713出場(勝率.512)
- 在位52場所(在位率.839)
- 勝ち越し27場所(勝ち越し率.519)
- 幕下以下歴
- 42勝14敗14休56出場(勝率.750)
- 在位10場所(在位率.161)
- 勝ち越し7場所(勝ち越し率.700)
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- ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(132回 / 32.1%)
- ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(132回 / 36.2%)
- ✅ 得意な相手:垣添(17勝1敗 / 勝率.944)
- ✅ 苦手な相手:朝青龍(1勝15敗 / 勝率.062)
平戸海 雄貴
平戸海 雄貴(ひらどうみ ゆうき)は長崎県 平戸市出身、境川部屋の力士で最高位は小結。令和8年7月場所の番付は東 前頭3枚目。
小学1年生の時に地元の紐差相撲クラブで相撲と出会った。小学4年生から3年連続でわんぱく相撲全国大会に出場し、4年時にはベスト16へ進出。平戸市立中部中学校3年次には全国中学校相撲選手権大会でベスト8に入った。複数の強豪高校からの勧誘もあったが、中学時代に全国大会で宿泊した縁があった13代境川(元小結・両国)に声をかけられ、卒業と同時に境川部屋の門を叩いた。小学校の卒業式で発表した「関取になりたい」という夢を追いかけ、平成28年(2016年)3月場所で初土俵を踏む。
故郷の名を背負う四股名
当初は本名の「坂口」で土俵に上がっていたが、序二段や三段目で地力をつけていた平成29年(2017年)3月場所より「平戸海」へと改名した。「平戸」は生まれ育った長崎県平戸市そのものであり、故郷への誇りと覚悟を四股名に刻んだものであった。
幕下での長い修行と関取への道
幕下上位の壁には幾度も跳ね返されたが、ひたすら前に出る押し相撲を磨き、徐々に実力を蓄えていった。令和3年(2021年)9月場所を東幕下2枚目で5勝2敗と勝ち越し、場所後の番付編成会議で新十両昇進を確定させた。平成17年(2005年)の市町村合併以降、平戸市出身力士としては初の関取誕生であった。令和3年11月場所、西十両13枚目で新十両の土俵に上がる。
新入幕と三役への躍進
十両を5場所で通過し、令和4年(2022年)9月場所において西前頭16枚目で新入幕を果たした。新入幕場所は7勝8敗と負け越したものの、続く11月場所で10勝5敗と2桁勝利を挙げ、前頭上位へと番付を伸ばした。幕内の土俵においても「引いたら負け」という信念のもと、力強い突き押しと右四つからの寄りを武器に白星を積み重ねた。令和6年(2024年)3月場所、そして5月場所で9勝6敗と幕内上位で勝ち越しを続け、同年7月場所において西小結へと昇進した。新三役の場所では10勝5敗の好成績を収め、前に出る積極的な相撲が評価されて自身初となる技能賞を獲得した。
- 四股名
- 平戸海 雄貴(ひらどうみ ゆうき)
- 最高位
- 小結
- 最新番付
- 東 前頭3枚目
- 出身地
- 長崎県 平戸市
- 本名
- 坂口 雄貴
- 生年月日
- 平成12年(2000)4月20日(26歳)
- 身長・体重
- 178cm・141kg
- 所属部屋
- 境川部屋
- 改名歴
- 坂口 → 平戸海
- 初土俵
- 平成28年(2016)3月(15歳11ヵ月)
- 新十両
- 令和3年(2021)11月(21歳7ヵ月)
- 新入幕
- 令和4年(2022)9月(22歳5ヵ月)
- 優勝
- 無し
- 受賞・金星
- 技能賞1回
- 通算成績
- 341勝295敗8休/635出場(勝率:53.7%)
- 直近7場所
- 43勝47敗
- 7場所勝率
- 47.8%
- 得意技
- 突き・押し・右四つ・寄り
- 令8年7月
- 東 前頭3枚目(変動なし)
- 0勝0敗
- 令8年5月
- 東 前頭3枚目(変動なし)
- 7勝8敗
- ●○○●●|○●○●●|●○○●○
-
取組詳細(対戦相手・決まり手)
- 1日目●東小結 若隆景
- 2日目〇東関脇 熱海富士
- 3日目〇西小結 高安
- 4日目●西前頭4 豪ノ山
- 5日目●東大関2 霧島
- 6日目〇東大関 琴櫻
- 7日目●西関脇 琴勝峰
- 8日目〇東前頭6 美ノ海
- 9日目●西前頭筆頭 隆の勝
- 10日目●東前頭筆頭 藤ノ川
- 11日目●東前頭2 義ノ富士
- 12日目〇西前頭2 一山本
- 13日目〇東前頭4 大栄翔
- 14日目●西前頭6 藤青雲
- 15日目〇西前頭13 玉鷲
- 令8年3月
- 東 前頭3枚目(3枚上昇)
- 7勝8敗
- ○○●○○|●●○●●|●○●●○
-
取組詳細(対戦相手・決まり手)
- 1日目〇寄り切り西前頭3 王鵬
- 2日目〇押し出し東前頭4 大栄翔
- 3日目●叩き込み西前頭4 隆の勝
- 4日目〇寄り切り東前頭6 一山本
- 5日目〇送り出し西小結 熱海富士
- 6日目●押し出し東横綱 豊昇龍
- 7日目●引き落とし東関脇 霧島
- 8日目〇寄り切り西大関 琴櫻
- 9日目●うっちゃり東小結 若元春
- 10日目●上手投げ東大関 安青錦
- 11日目●上手投げ東前頭筆頭 若隆景
- 12日目〇寄り切り西関脇 高安
- 13日目●掬い投げ西前頭筆頭 義ノ富士
- 14日目●掬い投げ東前頭2 藤ノ川
- 15日目〇押し出し西前頭2 美ノ海
▼ さらに過去の成績(4場所分)を見る
- 令8年1月
- 東 前頭6枚目(3枚降下)
- 9勝6敗
- ○●○●○|●○○○○|●○○●●
-
取組詳細(対戦相手・決まり手)
- 1日目〇寄り切り西前頭6 阿武剋
- 2日目●押し倒し西前頭7 藤ノ川
- 3日目〇寄り切り東前頭5 玉鷲
- 4日目●押し出し東前頭7 欧勝馬
- 5日目〇寄り切り西前頭5 美ノ海
- 6日目●寄り切り西前頭4 熱海富士
- 7日目〇寄り切り東前頭8 正代
- 8日目〇寄り切り東前頭9 豪ノ山
- 9日目〇寄り切り西前頭8 金峰山
- 10日目〇押し出し東前頭10 時疾風
- 11日目●寄り切り東前頭16 朝乃山
- 12日目〇寄り切り西小結 若元春
- 13日目〇寄り切り東小結 王鵬
- 14日目●浴せ倒し西前頭16 欧勝海
- 15日目●肩透かし西前頭2 若隆景
- 令7年11月
- 東 前頭3枚目(1枚上昇)
- 4勝11敗
- ○●○●●|●●●●●|○●○●●
-
取組詳細(対戦相手・決まり手)
- 1日目〇押し出し東小結 隆の勝
- 2日目●上手投げ西小結 高安
- 3日目〇寄り切り西関脇 王鵬
- 4日目●首捻り東前頭4 玉鷲
- 5日目●叩き込み西横綱 豊昇龍
- 6日目●押し倒し東横綱 大の里
- 7日目●寄り切り東前頭5 義ノ富士
- 8日目●掬い投げ東大関 琴櫻
- 9日目●寄り倒し東関脇 安青錦
- 10日目●寄り切り西前頭2 若元春
- 11日目〇突き落とし西前頭筆頭 若隆景
- 12日目●掬い投げ東前頭筆頭 伯桜鵬
- 13日目〇押し出し東前頭7 美ノ海
- 14日目●寄り倒し東前頭16 欧勝海
- 15日目●突き落とし西前頭4 欧勝馬
- 令7年9月
- 東 前頭4枚目(1枚上昇)
- 8勝7敗
- ○●○○○|●●●○○|●●○●○
-
取組詳細(対戦相手・決まり手)
- 1日目〇叩き込み西前頭3 豪ノ山
- 2日目●突き落とし東前頭5 琴勝峰
- 3日目〇押し出し西前頭4 若元春
- 4日目〇寄り切り東前頭3 熱海富士
- 5日目〇突き出し東前頭2 伯桜鵬
- 6日目●小手投げ東大関 琴櫻
- 7日目●掬い投げ西横綱 豊昇龍
- 8日目●押し出し東横綱 大の里
- 9日目〇押し出し東前頭6 阿武剋
- 10日目〇寄り切り東関脇 若隆景
- 11日目●突き出し西前頭6 草野
- 12日目●押し倒し東小結 高安
- 13日目〇寄り切り東前頭筆頭 玉鷲
- 14日目●叩き込み西小結 安青錦
- 15日目〇送り出し西前頭8 金峰山
- 令7年7月
- 東 前頭5枚目
- 8勝7敗
- ●●●○○|○○○●●|●○○●○
-
取組詳細(対戦相手・決まり手)
- 1日目●突き落とし西前頭4 玉鷲
- 2日目●押し出し東前頭6 尊富士
- 3日目●押し出し東前頭4 伯桜鵬
- 4日目〇寄り切り西前頭3 金峰山
- 5日目〇寄り切り東前頭7 翔猿
- 6日目〇押し出し西前頭8 一山本
- 7日目〇突き落とし西前頭5 明生
- 8日目〇寄り切り西前頭6 豪ノ山
- 9日目●寄り切り西関脇2 若隆景
- 10日目●寄り倒し西関脇 霧島
- 11日目●叩き込み西前頭筆頭 若元春
- 12日目〇寄り倒し東小結 欧勝馬
- 13日目〇叩き込み東前頭3 阿武剋
- 14日目●掬い投げ東大関 琴櫻
- 15日目〇寄り倒し西前頭10 狼雅
佐田の海 貴士
佐田の海 貴士(さだのうみ たかし)は熊本県 熊本市東区出身、境川部屋の力士で最高位は前頭筆頭。令和8年7月場所の番付は西 十両2枚目。
右四つの速攻相撲で活躍した出羽海部屋所属の元小結・佐田の海の長男として東京都に生まれ育つ。幼稚園の頃から力士を志していたが、父親からは「勉強はしなくていいから、何でも好きなことをやれ」と言われ、あえて相撲のアマチュア経験を積まずに野球に打ち込んでいた。小学6年次から中学2年次までは父親の相撲協会退職に伴い愛知県犬山市で過ごした。
中学卒業が近づくと父親の現役時代に憧れ、角界入りを決意する。本人は当初、当然のように父親の古巣である出羽海部屋へ進むものと考えていた。しかし、父親から「男を磨くならこの部屋だ」と熱心な説得を受け、出羽海部屋時代に父親の弟弟子であった13代境川(元小結・両國)が師匠を務める境川部屋への入門を決断した。
平成15年(2003年)3月場所において、本名の「松村」で初土俵を踏む。日本相撲協会には父親の故郷である熊本県熊本市(現在の東区)を出身地として届け出ている。入門当初は軽量に苦労しながらも、師匠の厳しくも愛情あふれる指導のもとで着実に実力を身につけていった。
父の四股名継承と怪我の試練
平成16年(2004年)1月場所において、父親の現役時代の四股名である「佐田の海」を継承した。本人は当初「名乗るのは恐れ多い」と遠慮したものの、師匠から「来場所から佐田の海で行くぞ。親父さんには俺から言っておくから」と力強く背中を押され、父親の四股名を背負うこととなった。
長らく幕下の土俵で実力を磨き、平成22年(2010年)1月場所において幕下優勝を飾り、同年7月場所において念願の新十両昇進を果たす。栃東親子以来14年ぶりとなる史上9組目の親子関取誕生であった。十両昇進後は8場所にわたり十両に定着したが、平成23年(2011年)9月場所千秋楽に大きな悲劇が襲う。7勝7敗で迎えたこの一番で、寄り倒されそうになりながらも勝ち越しへの執念から無理な体勢で残そうとした結果、右足首を脱臼骨折する大怪我を負い、十両からの陥落を余儀なくされた。
陥落後は豪栄道の付け人やちゃんこ番をこなす生活へと戻り、関取経験者でありながら雑務をこなす惨めさや辛さを味わったが、父親からの温かい励ましを受けて再起を図っていた。ところが、平成25年(2013年)3月場所では左目の眼底骨折という更なる不運に見舞われ、一度は引退も頭をよぎった。しかし、懸念された手術が無事に成功したことに加え、知人から浴びせられた手厳しい叱咤の言葉に発奮して現役続行を決断する。本人は怪我の要因を「下がりながらの投げ技が足首に負担をかけていた」と分析し、稽古を重ねて出足を重視した相撲へと磨き上げ、翌平成26年(2014年)1月場所に13場所ぶりとなる十両復帰を果たした。
新入幕と史上初の「親子三賞」
十両復帰後は好調を維持し、平成26年(2014年)5月場所において初土俵から所要66場所で新入幕を果たした。これにより史上8組目の親子幕内力士となる。幕内昇進会見では「父を超えることが親孝行」と意欲を語り、師匠の13代境川も「お父さんから15歳の彼を預かった時からの男の約束だった」と感慨深げに語った。
新入幕の同場所では、持ち味を存分に発揮して10勝5敗の好成績を収め、自身初となる敢闘賞を受賞した。父親も新入幕の場所に敢闘賞を受賞しており、この受賞によって大相撲史上初となる「親子での新入幕場所三賞獲得」という歴史的な快挙を成し遂げた。
幕内の土俵に定着した翌平成27年(2015年)5月場所では、東前頭3枚目の地位で横綱・日馬富士を取り直しの末に破り、自身初となる金星を獲得して場内を大いに沸かせた。
ベテランとしての存在感と取り口
その後も長く幕内と十両の土俵を務め、平成30年(2018年)3月場所では11勝4敗の好成績で自身初の十両優勝を飾っている。令和4年(2022年)5月場所では西前頭12枚目で千秋楽まで優勝争いに絡み、11勝4敗の優勝次点の成績を残して2度目の敢闘賞を受賞した。さらに令和7年(2025年)5月場所でも西前頭13枚目で10勝5敗の好成績を挙げて3度目の敢闘賞を受賞するなど、衰えぬ実力を証明し続けている。
取り口は、父親と同じく右四つに組んでからの速攻や力強い寄り、真っ向勝負を最大の持ち味とする。一方で父親よりも手足が長いため、「俺にはない投げがある」と父親から評されている。厳しい稽古で培われた足の裏の感覚が良く、土俵際での並外れた粘り腰を見せることから「行司泣かせ」の異名をとることもある。
ベテランとなってからは引き技に沈む場面も指摘されるが、父親譲りの四股名と伝統の相撲型を胸に、持ち前のしぶとさと豊富な経験を生かして最高峰の土俵で長きにわたり奮闘を続けている。
- 四股名
- 佐田の海 貴士(さだのうみ たかし)
- 最高位
- 前頭筆頭
- 最新番付
- 西 十両2枚目
- 出身地
- 熊本県 熊本市東区
- 本名
- 松村 要
- 生年月日
- 昭和62年(1987)5月11日(39歳)
- 身長・体重
- 183cm・146kg
- 所属部屋
- 境川部屋
- 改名歴
- 松村 → 佐田の海
- 初土俵
- 平成15年(2003)3月(15歳10ヵ月)
- 新十両
- 平成22年(2010)7月(23歳2ヵ月)
- 新入幕
- 平成26年(2014)5月(27歳0ヵ月)
- 優勝
- 十両優勝1回,幕下優勝1回,三段目優勝1回
- 受賞・金星
- 敢闘賞3回,金星1個
- 通算成績
- 786勝807敗22休/1593出場(勝率:49.3%)
- 直近7場所
- 23勝22敗(幕内:14勝31敗)
- 7場所勝率
- 41.1%
- 得意技
- 右四つ・寄り
- 令8年7月
- 西 十両2枚目(半枚降下)
- 0勝0敗
- 令8年5月
- 東 十両2枚目(半枚降下)
- 7勝8敗
- ●●●○○|●○○●●|●○●○○
-
取組詳細(対戦相手・決まり手)
- 1日目●西十両2 尊富士
- 2日目●東十両筆頭 阿武剋
- 3日目●西十両筆頭 大青山
- 4日目〇東十両3 出羽ノ龍
- 5日目〇東十両4 旭海雄
- 6日目●西十両4 朝翠龍
- 7日目〇西十両3 羽出山
- 8日目〇東前頭16 若ノ勝
- 9日目●東十両6 一意
- 10日目●西十両6 明生
- 11日目●東十両5 友風
- 12日目〇西十両5 北の若
- 13日目●西十両9 嘉陽
- 14日目〇東十両7 輝
- 15日目〇西十両11 錦木
- 令8年3月
- 西 十両筆頭(2枚半上昇)
- 7勝8敗
- ○●●○●|●○○●○|●●●○○
-
取組詳細(対戦相手・決まり手)
- 1日目〇寄り切り東十両2 朝翠龍
- 2日目●押し出し東前頭17 藤凌駕
- 3日目●寄り切り東十両筆頭 竜電
- 4日目〇押し出し西十両2 友風
- 5日目●下手投げ東十両3 大青山
- 6日目●突き出し西十両3 若ノ勝
- 7日目〇突き落とし西十両4 尊富士
- 8日目〇寄り切り東十両5 輝
- 9日目●叩き込み東十両6 日翔志
- 10日目〇上手投げ西十両5 白熊
- 11日目●寄り切り東十両7 明生
- 12日目●寄り切り西十両6 嘉陽
- 13日目●寄り倒し西十両7 旭海雄
- 14日目〇押し出し東十両9 玉正鳳
- 15日目〇送り倒し東十両8 湘南乃海
▼ さらに過去の成績(4場所分)を見る
- 令8年1月
- 東 十両4枚目(4枚半降下)
- 9勝6敗
- ○○○○●|●○○○○|●●●○●
-
取組詳細(対戦相手・決まり手)
- 1日目〇寄り切り西十両4 湘南乃海
- 2日目〇寄り切り西十両3 白熊
- 3日目〇寄り切り東十両3 藤凌駕
- 4日目〇引っ掛け西十両2 輝
- 5日目●上手出し投げ西十両筆頭 藤青雲
- 6日目●寄り切り東十両筆頭 琴栄峰
- 7日目〇寄り倒し東十両2 大青山
- 8日目〇切り返し東十両8 明生
- 9日目〇掬い投げ西十両8 北の若
- 10日目〇寄り切り東十両9 日翔志
- 11日目●突き出し東十両11 若ノ勝
- 12日目●寄り切り西十両11 剣翔
- 13日目●押し倒し西十両12 旭海雄
- 14日目〇寄り切り西十両9 嘉陽
- 15日目●寄り切り東前頭17 朝白龍
- 令7年11月
- 西 前頭16枚目(2枚半降下)
- 4勝11敗
- ●○●●●|●○●○●|●●○●●
-
取組詳細(対戦相手・決まり手)
- 1日目●下手出し投げ東前頭17 千代翔馬
- 2日目〇上手投げ西前頭15 湘南乃海
- 3日目●寄り切り東十両2 琴栄峰
- 4日目●掬い投げ西前頭14 時疾風
- 5日目●小手投げ西前頭17 朝紅龍
- 6日目●押し出し東前頭13 豪ノ山
- 7日目〇寄り切り東前頭14 竜電
- 8日目●押し出し東前頭15 錦富士
- 9日目〇寄り切り西前頭13 御嶽海
- 10日目●押し出し東前頭16 欧勝海
- 11日目●叩き込み西前頭12 友風
- 12日目●掬い投げ東前頭12 藤ノ川
- 13日目〇首捻り東前頭11 獅司
- 14日目●寄り切り西前頭6 阿武剋
- 15日目●叩き込み西前頭8 金峰山
- 令7年9月
- 東 前頭14枚目(6枚降下)
- 6勝9敗
- ○●○○●|●●●●○|●○●○●
-
取組詳細(対戦相手・決まり手)
- 1日目〇寄り切り西前頭14 朝紅龍
- 2日目●引き落とし東前頭15 翔猿
- 3日目〇押し出し東前頭13 明生
- 4日目〇寄り倒し西前頭13 時疾風
- 5日目●上手投げ西前頭15 湘南乃海
- 6日目●叩き込み西前頭17 日翔志
- 7日目●上手投げ東前頭17 竜電
- 8日目●寄り切り西前頭16 錦木
- 9日目●寄り切り西十両5 藤青雲
- 10日目〇上手出し投げ西前頭9 藤ノ川
- 11日目●小手投げ東前頭18 獅司
- 12日目〇寄り切り西前頭8 金峰山
- 13日目●叩き込み東前頭16 友風
- 14日目〇突き落とし西前頭10 美ノ海
- 15日目●寄り切り東前頭9 翠富士
- 令7年7月
- 東 前頭8枚目
- 4勝11敗
- ●●●○●|●○●●●|●●○○●
-
取組詳細(対戦相手・決まり手)
- 1日目●寄り切り西前頭8 一山本
- 2日目●突き出し西前頭6 豪ノ山
- 3日目●押し出し東前頭9 宇良
- 4日目〇とったり西前頭9 千代翔馬
- 5日目●寄り切り東前頭10 熱海富士
- 6日目●寄り切り東前頭6 尊富士
- 7日目〇押し出し東前頭7 翔猿
- 8日目●突き出し西前頭5 明生
- 9日目●寄り切り東前頭15 琴勝峰
- 10日目●掬い投げ西前頭13 正代
- 11日目●送り出し西前頭12 朝紅龍
- 12日目●送り出し東前頭13 美ノ海
- 13日目〇寄り切り西前頭15 英乃海
- 14日目〇押し出し東小結 欧勝馬
- 15日目●突き出し西前頭3 金峰山
佐田の富士 哲博
長崎県南島原市出身、境川部屋の元力士で最高位は前頭2枚目。小学5年生から柔道を始め、長崎の小浜高校柔道部では県大会準優勝の成績をあげた。卒業後に境川部屋に入門すると柔道の「お家芸」である投げ技を封印、突きと押し相撲に徹した。境川部屋初の長崎出身関取。入幕後は一進一退を繰り返して幕内と十両を往復。やがて股関節の状態は悪化し、日常生活に支障をきたすまでとなり引退を決意。
- 四股名 :佐田の富士 哲博(さだのふじ あきひろ)
- 最高位 :前頭2枚目
- 年寄名跡:12代中村⇒14代山科
- 出身地 :長崎県南島原市
- 本 名 :山本 哲博
- 生年月日:昭和59年(1984)12月25日
- 所属部屋:境川部屋
- 改名歴 :山本⇒佐田の富士
- 初土俵 :平成15年(2003)1月(18歳1ヵ月)
- 新十両 :平成22年(2010)3月(25歳3ヵ月)
- 新入幕 :平成23年(2011)11月(26歳11ヵ月)
- 最終場所:平成29年(2017)5月(32歳5ヵ月)
- 生涯戦歴:434勝459敗14休/893出場(86場所)
- 生涯勝率:48.6%
- 優勝等 :十両優勝1回,幕下同点1回
- 幕内戦歴:137勝193敗(22場所)勝率:41.5%
- 十両戦歴:124勝131敗(17場所)勝率:48.6%
豊響 隆太
豊響 隆太 (とよひびき りゅうた)は山口県下関市出身、境川部屋の元力士で、最高位は前頭2枚目。
平成17年(2005)1月場所に20歳1ヶ月で初土俵を踏み、令和3年(2021)5月場所を最後に引退(36歳5ヶ月)※番付上は令和3年(2021)7月場所。
通算成績は569勝565敗66休1134出場。生涯勝率.502。通算97場所中、47場所を勝ち越した(勝ち越し率.490)。
主な成績は幕内(次点1)、十両優勝3回(同点1)、序二段優勝1回、敢闘賞3回、金星1個(白鵬1個)。
昭和59年(1984)11月16日生まれ。本名は門元 隆太。
高校卒業後にトラック運転手などを経て角界へ飛び込み、初土俵からわずか2年半で幕内の土俵へ駆け上がった豊響は、「平成の猛牛」の異名で土俵を沸かせた名力士である。一度は入門が破談になりながらも師匠の男気に触れて角界入りを果たし、網膜剥離や不整脈といった幾多の病に見舞われながらも、自身の代名詞である突き押し相撲を頑なに貫き通した。
入門の破談と師匠の男気
幼少期に両親が離婚し、母の手一つで育てられた。小学2年生の時に山口県豊浦郡豊浦町(現在の山口県下関市)へ移り、地元のスポーツ少年団で相撲を始める。山口県立響高校に在学中、境川親方(元小結・両国)が勧誘に訪れたが、入門を勧める母に対して「だったらお前が行けよ」とぞんざいな口を利いてしまう。これを見た境川親方は「親に向かってそんな口を叩く奴はこっちからごめんだ」と激怒して席を立ち、入門は一度破談となった。
高校卒業後はすぐには相撲界へ進まず、造船所でのアルバイトやトラック運転手などをして生計を立てていた。しかし、平成16年(2004年)の埼玉国体(成年の部)で個人ベスト16に入ったことを機に、相撲への情熱が再燃する。自身の非を叱ってくれた境川親方の男気に惹かれていたこともあり、自ら部屋へ出向いて母への態度を詫びて入門を志願。「命を懸けて来い」と受け入れられ、平成17年(2005年)1月場所において、20歳で本名の「門元」を四股名として初土俵を踏んだ。
怒涛のスピード出世と「豊響」の誕生
社会人を経てからの遅咲きのスタートであったが、出世の足取りは驚異的であった。序二段優勝を飾るなど各段で結果を残し、初土俵からちょうど2年となる平成19年(2007年)1月場所において新十両昇進を果たす。この昇進に合わせて四股名を「豊響」へと改名した。「豊」の字は出身地である豊浦町と母である豊美さんの一字から、「響」の字は母校である響高校に由来しており、迷惑をかけた母と故郷への感謝が込められた四股名であった。
新十両の場所を見事に10勝5敗の成績で十両優勝で飾ると、続く同年7月場所では早くも新入幕を果たした。幕内として初めて臨んだこの場所でも11勝4敗の好成績を挙げて敢闘賞を受賞し、一気に上位戦線へと番付を駆け上がった。
網膜剥離の試練と大金星
立ち合いからの猛烈なぶちかましと、愚直なまでに前に出る突き押し相撲を武器とし、その迫力ある取り口からいつしか「平成の猛牛」と称されるようになった。しかし、自己最高位となる東前頭2枚目で迎えた平成20年(2008年)11月場所の直前、左目の網膜剥離という力士として致命的な病が判明し、自己最高位の場所を全休するという大きな試練に見舞われる。
それでも「相手に当たる怖さはあったが、押しへのこだわりがあった」と真っ向勝負を貫き通し、土俵へ復帰した。平成22年(2010年)1月場所では西前頭16枚目で12勝3敗の好成績を挙げて優勝争いに加わり、自身3度目となる敢闘賞を獲得する。さらに、東前頭3枚目で迎えた平成24年(2012年)5月場所では、圧倒的な強さを誇っていた横綱・白鵬を破り、自身初にして唯一の金星を獲得した。のちに本人は、この横綱戦での白星を引退会見にて「最も思い出に残る取組」として挙げている。
不整脈との闘いと母への恩返し
その後も幕内中位から上位の土俵で長く存在感を示し続けたが、現役生活の晩年は再び病に苦しめられた。平成30年(2018年)1月場所の直前に不整脈を発症して全休を余儀なくされ、この休場により長く守り続けた関取の座から陥落してしまう。
心臓への負担という大きなリスクを抱え、何度も引退が頭をよぎったというが、「家族に相撲を取る姿を見せたい」「母に恩返しをしたい」という強い思いから決して土俵を諦めることはなかった。その後も3年間にわたり幕下で現役続行への道を模索してもがき続けたが、次第に休場がちとなり、「幕下暮らしで気力がなくなった」と限界を悟る。三段目で全休した令和3年(2021年)5月場所の終了後に引退を決断した。初土俵から16年半、生涯戦歴は569勝565敗であった。
引退後は年寄「山科」を襲名し、日本相撲協会に残って後進の指導にあたっている。引退に際し、入門時の破談から見守り続けてきた師匠の境川親方からは「せっかく『平成の猛牛』という素晴らしいニックネームを頂いたので、『令和の猛牛』を育ててほしい」と愛のあるエールが送られた。度重なる不運や体の故障に泣きながらも、愚直に己の相撲道と家族への思いを貫き通したその歩みは、指導者となった現在も若い力士たちへと受け継がれている。
- 四股名
- 豊響 隆太 (とよひびき りゅうた)
- 最高位
- 前頭2枚目
- 年寄名跡
- 15代山科 隆太(境川)
- 出身地
- 山口県豊浦郡豊浦町 → 山口県下関市
- 本名
- 門元 隆太
- 生年月日
- 昭和59年(1984)11月16日(41歳)
- 出身高校
- 響高校
- 所属部屋
- 境川部屋
- 改名歴
- 門元 隆太 → 豊響 隆太
- 初土俵
- 平成17年(2005)1月 前相撲(20歳1ヶ月)
- 新十両
- 平成19年(2007)1月(所要12場所)
- 22歳1ヶ月(初土俵から2年0ヶ月)
- 新入幕
- 平成19年(2007)7月(所要15場所)
- 22歳7ヶ月(初土俵から2年6ヶ月)
- 最終場所
- 令和3年(2021)5月場所(36歳5ヶ月)※番付上は令和3年(2021)7月場所
- 大相撲歴
- 97場所(16年4ヶ月)
- 通算成績
- 569勝565敗66休1134出場(勝率.502)
- 通算97場所
- 勝ち越し47場所(勝ち越し率.490)(勝ち越し星147)
- 優勝等
- 幕内(次点1),十両優勝3回(同点1),序二段優勝1回
- 受賞・金星
- 敢闘賞3回,金星1個(白鵬1個)
- 持給金
- 86円50銭(勝ち越し星147個 金星1個)
- 幕内戦歴
- 347勝403敗30休750出場(勝率.463)
- 在位52場所(在位率.536)
- 勝ち越し21場所(勝ち越し率.404)
- 前頭戦歴
- 347勝403敗30休750出場(勝率.463)
- 在位52場所(在位率.536)
- 勝ち越し21場所(勝ち越し率.404)
- 十両戦歴
- 111勝84敗15休195出場(勝率.569)
- 在位14場所(在位率.144)
- 勝ち越し9場所(勝ち越し率.643)
- 関取戦歴
- 458勝487敗45休945出場(勝率.485)
- 在位66場所(在位率.680)
- 勝ち越し30場所(勝ち越し率.455)
- 幕下以下歴
- 111勝78敗21休189出場(勝率.587)
- 在位30場所(在位率.309)
- 勝ち越し17場所(勝ち越し率.567)
豊響 隆太の更に詳細なデータは力士名鑑で!
名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。
- ✅ 勝った決まり手1位:押し出し(262回 / 45.6%)
- ✅ 負けた決まり手1位:叩き込み(84回 / 14.8%)
- ✅ 得意な相手:北太樹(17勝4敗 / 勝率.810)
- ✅ 苦手な相手:宝富士(3勝11敗 / 勝率.214)
豪ノ山 登輝
豪ノ山 登輝(ごうのやま とうき)は大阪府 寝屋川市出身、武隈部屋の力士で最高位は前頭2枚目。令和8年7月場所の番付は最高位に並ぶ東 前頭2枚目。
寝屋川市立啓明小学1年生の頃、体が大きかったことをきっかけに地元・大阪府寝屋川市の相撲連盟で相撲を始めた。幼少期より、近所に大阪場所の宿舎を構えていた境川部屋に出入りし、力士たちと親交を深めながら相撲への情熱を育んでいった。小学4年次には全日本小学生相撲優勝大会でベスト8入りを果たし、寝屋川市立第九中学校3年次に全国中学校相撲選手権大会でベスト8の成績を残す。卒業後は、同郷の憧れである豪栄道(現・14代武隈)の母校であり、相撲の強豪として知られる埼玉栄高校へ進学した。
中央大学での活躍と付出資格の取得
高校時代に数々の大会で活躍した後、中央大学へ進学。3年次には全国学生相撲宇和島大会で3位、全国学生相撲個人体重別選手権大会などで優勝を果たし頭角を現した。主将を務めた4年次には、全国学生選手権の個人戦で準優勝の成績を収め、三段目100枚目格付出の資格を取得した。
境川部屋からの初土俵と武隈部屋への移籍
令和3年(2021年)3月場所、本名の「西川」で境川部屋から初土俵を踏んだ。三段目100枚目格付出での初土俵を6勝1敗で終えると、その後も着実に番付を上げていき、令和4年(2022年)1月場所では東幕下35枚目で7戦全勝の幕下優勝をあげた。この場所後の2月、14代武隈(元大関・豪栄道)が創設した武隈部屋へと移籍した。
新十両昇進と「豪ノ山」への改名
移籍後も幕下上位の土俵で着実に白星を重ね、令和4年(2022年)5月場所において西幕下筆頭で4勝3敗と勝ち越して、翌7月場所での新十両昇進を決めた。この昇進を機に、師匠の現役時代の四股名から「豪」の一字をもらい、本名の「登輝(とうき)」と掛け合わせて「強く山を登って輝く」という願いを込めた「豪ノ山」へと改名。武隈部屋から誕生した初の関取として、新たな一歩を踏み出した。
十両優勝と新入幕での躍進
その後も持ち味である強烈な突き押しを武器に十両の土俵で力をつけ、令和5年(2023年)5月場所では、東十両筆頭で14勝1敗を挙げて十両優勝を果たした。続く同年7月場所において東前頭13枚目で新入幕を果たすと、持ち前の気迫あふれる相撲で10勝5敗の成績を残し、自身初となる三賞(敢闘賞)を獲得した。
幕内の土俵で貫く突き押し相撲
新入幕以降も、気迫あふれる相撲で幕内の土俵を沸かせている。立ち合いから頭で厳しく当たり、一気に相手を持っていこうとする強烈な出足は、上位陣にとっても脅威となっている。恩師の教えと自らの四股名のごとく、力強く番付の山を登り続けるべく、持ち味である突き押しにさらなる磨きをかけている。
- 四股名
- 豪ノ山 登輝(ごうのやま とうき)
- 最高位
- 前頭2枚目
- 最新番付
- 東 前頭2枚目
- 出身地
- 大阪府 寝屋川市
- 本名
- 西川 登輝
- 生年月日
- 平成10年(1998)4月7日(28歳)
- 身長・体重
- 178cm・156kg
- 出身高校
- 埼玉栄高校
- 出身大学
- 中央大学
- 所属部屋
- 境川 → 武隈部屋
- 改名歴
- 西川 → 豪ノ山
- 初土俵
- 令和3年(2021)3月・三段目100付出(22歳11ヵ月)
- 新十両
- 令和4年(2022)7月(24歳3ヵ月)
- 新入幕
- 令和5年(2023)7月(25歳3ヵ月)
- 優勝
- 十両優勝1回,幕下優勝1回
- 受賞・金星
- 敢闘賞1回
- 通算成績
- 229勝185敗2休/413出場(勝率:55.4%)
- 直近7場所
- 44勝46敗
- 7場所勝率
- 48.9%
- 得意技
- 突き・押し
- 令8年7月
- 東 前頭2枚目(2枚半上昇)
- 0勝0敗
- 令8年5月
- 西 前頭4枚目(5枚半上昇)
- 8勝7敗
- ○●○○○|○●○○○|●●●●●
-
取組詳細(対戦相手・決まり手)
- 1日目〇東前頭5 若元春
- 2日目●西前頭3 王鵬
- 3日目〇東前頭4 大栄翔
- 4日目〇東前頭3 平戸海
- 5日目〇西前頭5 正代
- 6日目〇東関脇 熱海富士
- 7日目●東前頭2 義ノ富士
- 8日目〇東大関2 霧島
- 9日目〇東大関 琴櫻
- 10日目〇西関脇 琴勝峰
- 11日目●西前頭2 一山本
- 12日目●東小結 若隆景
- 13日目●西前頭10 伯乃富士
- 14日目●東前頭6 美ノ海
- 15日目●西前頭14 狼雅
- 令8年3月
- 東 前頭10枚目(1枚降下)
- 10勝5敗
- ○○○●○|○○○○○|●●●●○
-
取組詳細(対戦相手・決まり手)
- 1日目〇押し出し西前頭10 狼雅
- 2日目〇寄り切り東前頭9 時疾風
- 3日目〇押し出し東前頭11 獅司
- 4日目●突き落とし西前頭8 正代
- 5日目〇浴せ倒し西前頭11 欧勝海
- 6日目〇押し出し西前頭9 玉鷲
- 7日目〇押し倒し東前頭8 宇良
- 8日目〇押し出し西前頭16 金峰山
- 9日目〇押し出し西前頭17 琴栄峰
- 10日目〇叩き込み東前頭12 朝紅龍
- 11日目●突き落とし東関脇 霧島
- 12日目●押し出し西大関 琴櫻
- 13日目●押し出し西小結 熱海富士
- 14日目●上手出し投げ東前頭16 朝白龍
- 15日目〇押し出し西前頭4 隆の勝
▼ さらに過去の成績(4場所分)を見る
- 令8年1月
- 東 前頭9枚目(4枚上昇)
- 7勝8敗
- ●●○●●|●○●○○|●○○○●
-
取組詳細(対戦相手・決まり手)
- 1日目●押し出し西前頭9 狼雅
- 2日目●上手投げ西前頭8 金峰山
- 3日目〇押し出し東前頭10 時疾風
- 4日目●突き落とし東前頭8 正代
- 5日目●首投げ西前頭10 琴勝峰
- 6日目●押し倒し西前頭7 藤ノ川
- 7日目〇押し出し東前頭7 欧勝馬
- 8日目●寄り切り東前頭6 平戸海
- 9日目〇押し出し西前頭6 阿武剋
- 10日目〇押し出し西前頭5 美ノ海
- 11日目●叩き込み西前頭14 御嶽海
- 12日目〇押し出し東前頭5 玉鷲
- 13日目〇叩き込み東前頭12 翠富士
- 14日目〇押し出し西前頭17 羽出山
- 15日目●押し出し西前頭15 朝紅龍
- 令7年11月
- 東 前頭13枚目(9枚半降下)
- 9勝6敗
- ○●●○●|○○○○●|●●○○○
-
取組詳細(対戦相手・決まり手)
- 1日目〇引き落とし西前頭12 友風
- 2日目●突き落とし東前頭12 藤ノ川
- 3日目●寄り切り東前頭14 竜電
- 4日目〇押し出し西前頭13 御嶽海
- 5日目●叩き込み東前頭15 錦富士
- 6日目〇押し出し西前頭16 佐田の海
- 7日目〇押し出し西前頭10 琴勝峰
- 8日目〇押し出し西前頭11 狼雅
- 9日目〇押し出し東前頭16 欧勝海
- 10日目●送り出し西前頭15 湘南乃海
- 11日目●上手出し投げ西前頭14 時疾風
- 12日目●上手投げ東前頭17 千代翔馬
- 13日目〇押し倒し東前頭18 明生
- 14日目〇押し出し東前頭11 獅司
- 15日目〇押し出し西前頭7 阿炎
- 令7年9月
- 西 前頭3枚目(3枚上昇)
- 1勝14敗
- ●●●●●|●●●●●|●○●●●
-
取組詳細(対戦相手・決まり手)
- 1日目●叩き込み東前頭4 平戸海
- 2日目●押し出し西前頭4 若元春
- 3日目●押し出し東前頭5 琴勝峰
- 4日目●上手出し投げ西関脇 霧島
- 5日目●押し出し東大関 琴櫻
- 6日目●突き落とし東関脇 若隆景
- 7日目●押し倒し東横綱 大の里
- 8日目●押し出し西横綱 豊昇龍
- 9日目●押し出し西前頭5 一山本
- 10日目●寄り切り東小結 高安
- 11日目●押し倒し東前頭筆頭 玉鷲
- 12日目〇押し出し西前頭筆頭 阿炎
- 13日目●寄り切り東前頭3 熱海富士
- 14日目●寄り倒し西前頭9 藤ノ川
- 15日目●叩き込み東前頭10 大栄翔
- 令7年7月
- 西 前頭6枚目
- 9勝6敗
- ○○●○○|●○●●○|●○○●○
-
取組詳細(対戦相手・決まり手)
- 1日目〇押し出し東前頭7 翔猿
- 2日目〇突き出し東前頭8 佐田の海
- 3日目●叩き込み西前頭5 明生
- 4日目〇引っ掛け東前頭6 尊富士
- 5日目〇押し出し東前頭4 伯桜鵬
- 6日目●押し倒し西前頭4 玉鷲
- 7日目〇押し倒し東前頭9 宇良
- 8日目●寄り切り東前頭5 平戸海
- 9日目●引き落とし西前頭8 一山本
- 10日目〇上手投げ西前頭9 千代翔馬
- 11日目●送り出し東前頭13 美ノ海
- 12日目〇寄り切り西前頭10 狼雅
- 13日目〇突き倒し東前頭12 翠富士
- 14日目●叩き込み東前頭2 王鵬
- 15日目〇突き出し西前頭筆頭 若元春
寶智山 幸観
寶智山 幸観(ほうちやま こうかん)は青森県弘前市出身、中立~境川部屋の元力士で、最高位は前頭14枚目。
平成12年(2000)3月場所に18歳1ヶ月で初土俵を踏み、平成25年(2013)11月場所を最後に引退(31歳9ヶ月)※番付上は平成26年(2014)1月場所。
通算成績は399勝400敗0休799出場。生涯勝率.499。通算82場所中、41場所を勝ち越した(勝ち越し率.506)。
主な成績は十両優勝1回(同点1)、幕下(同点1)、三段目優勝1回、序二段(同点1)、序ノ口優勝1回。
昭和57年(1982)1月18日生まれ。本名は棟方 幸観。
相撲の名門校から先輩の熱烈なスカウトを受けて角界入りし、持ち前の馬力で幕内の土俵を経験した寶千山は、十両での優勝争いなど印象に残る活躍を見せた力士である。
舞の海のスカウトと角界入り
青森県弘前市に生まれ、相撲の名門である青森県立木造高校へと進学した。同校の相撲部で活躍していた頃、高校の先輩にあたる元小結・舞の海から直接「君は大学相撲よりもプロに向いている」とスカウトを受けたことが大きな転機となる。
この言葉に背中を押されて角界への挑戦を決意し、11代中立(元小結・両国)が率いる中立部屋(平成16年に境川部屋へと名称変更)へ入門。平成12年(2000年)3月場所において「寶智山 幸観(ほうちやま ゆきみ)」の四股名で初土俵を踏んだ。
序ノ口優勝と新十両への道
東序ノ口14枚目で迎えた同年5月場所では、7戦全勝優勝で幸先のよい船出となった。その後は幕下中位から下位の分厚い壁に挑み、じっくりと実力を養う時期が続いた。
初土俵から約6年となる平成18年(2006年)3月場所において新十両へ昇進し、念願の関取の座を掴む。ここから、蓄えていた実力が一気に開花することとなる。
十両での快進撃と新入幕
新十両の場所を8勝7敗と勝ち越すと、続く同年5月場所では10勝5敗の好成績を挙げて十両の優勝決定戦へと進出した。ここでは惜しくも敗れて優勝同点となったものの、さらに東十両6枚目で迎えた翌7月場所では、13勝2敗の素晴らしい成績で十両優勝を飾った。
関取となってから「優勝同点」「十両優勝」と急激に番付を駆け上がり、翌9月場所において新入幕を果たした。「先輩」舞の海の見立て通り、大相撲の厳しい世界で確かな結果を残してみせたのである。
糖尿病との闘いと三段目での有終の美
幕内の土俵では厚い壁に跳ね返され、平成20年(2008年)には糖尿病による体調不良が悪化して幕下への陥落も味わった。それでも不屈の闘志で体調を戻して関取へ復帰し、その後も3度の再入幕を果たすなど、長年にわたり十両や幕内下位の土俵で激闘を繰り広げた。
平成23年(2011年)9月場所より下の名前を「幸勘」へ改め、さらに平成25年(2013年)7月場所からは「寶智山」から「寶千山」へと1字を改めた。しかし、改名の場所で大きく負け越し、ついに同年11月場所では約11年ぶりとなる三段目への降格を経験する。それでも決して土俵を諦めることはなく、西三段目7枚目で迎えたこの場所で7戦全勝とし、優勝決定戦を制して自身初となる三段目優勝を飾った。
特例規定による引退と指導者への道
三段目優勝で有終の美を飾る形となり、翌平成26年(2014年)1月場所の番付に名前を残したまま、場所前の12月に現役引退を発表した。
引退にあたっては年寄「君ヶ濱」を襲名したが、当時の関取在位は28場所であり、従来の規定(在位30場所)を満たしていなかった。しかし、引退直前の理事会で「在位28場所でも要件を満たせば取得できる」とする規定が新たに追加されており、その特例の恩恵を受ける形での襲名となった。この規定は俗に「寶千山ルール」とも呼ばれている。
引退後は日本相撲協会に残り、境川部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたる道を選んだ。その後は「振分」「出来山」「立田川」と名跡を変更しながらも、一貫して力士たちの育成に尽力している。自らが病や不調を乗り越えて幕内まで登り詰めたその歩みと経験は、指導者となった現在も若い力士たちへの良き手本として受け継がれている。
- 四股名
- 寶智山 幸観(ほうちやま こうかん)
- 最高位
- 前頭14枚目
- 年寄名跡
- 11代君ヶ濱 幸観(境川) → 17代振分 幸観(境川) → 17代出来山 幸観(境川) → 20代立田川 幸観(境川)
- 出身地
- 青森県弘前市
- 本名
- 棟方 幸観
- 生年月日
- 昭和57年(1982)1月18日(44歳)
- 出身高校
- 木造高校
- 所属部屋
- 中立~境川部屋
- 改名歴
- 寶智山 幸観 → 寶智山 幸勘 → 寶千山 幸勘
- 初土俵
- 平成12年(2000)3月 前相撲(18歳1ヶ月)
- 新十両
- 平成18年(2006)3月(所要36場所)
- 24歳1ヶ月(初土俵から6年0ヶ月)
- 新入幕
- 平成18年(2006)9月(所要39場所)
- 24歳7ヶ月(初土俵から6年6ヶ月)
- 最終場所
- 平成25年(2013)11月場所(31歳9ヶ月)※番付上は平成26年(2014)1月場所
- 大相撲歴
- 82場所(13年8ヶ月)
- 通算成績
- 399勝400敗0休799出場(勝率.499)
- 通算82場所
- 勝ち越し41場所(勝ち越し率.506)(勝ち越し星115)
- 優勝等
- 十両優勝1回(同点1),幕下(同点1),三段目優勝1回,序二段(同点1),序ノ口優勝1回
- 持給金
- 60円50銭(勝ち越し星115個)
- 幕内戦歴
- 27勝63敗0休90出場(勝率.300)
- 在位6場所(在位率.073)
- 勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
- 前頭戦歴
- 27勝63敗0休90出場(勝率.300)
- 在位6場所(在位率.073)
- 勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
- 十両戦歴
- 169勝176敗0休345出場(勝率.490)
- 在位23場所(在位率.280)
- 勝ち越し11場所(勝ち越し率.478)
- 関取戦歴
- 196勝239敗0休435出場(勝率.451)
- 在位29場所(在位率.354)
- 勝ち越し11場所(勝ち越し率.379)
- 幕下以下歴
- 203勝161敗0休364出場(勝率.558)
- 在位52場所(在位率.634)
- 勝ち越し30場所(勝ち越し率.577)
寶智山 幸観の更に詳細なデータは力士名鑑で!
名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。
- ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(132回 / 32.8%)
- ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(84回 / 20.8%)
- ✅ 得意な相手:龍巍(7勝1敗 / 勝率.875)
- ✅ 苦手な相手:皇司(0勝6敗 / 勝率.000)
次ページ以降の番付を見る
全勝での初優勝は武蔵丸以来22年ぶり
境川部屋としても初の幕内優勝力士誕生