境川部屋の力士一覧!過去から現在、中立~境川部屋の主な関取を網羅しました

境川(さかいがわ)部屋の過去から現在までの主な所属力士をご紹介する境川部屋の大相撲力士まとめ!

この記事では境川部屋と、その前身である中立部屋の主な関取を中心に紹介していきます。過去の力士については最高位や改名歴、初土俵や各段の昇進時期と最終場所、さらに生涯戦歴と生涯勝率、成績等を中心にご紹介していきます。また、現役力士については最高位と昇進時期、主な成績などを載せています。

なお、年寄名跡欄のマークは、その代で師匠(部屋持ち親方)になったことがあるという意味です。

現役の境川部屋力士の最新番付や成績、詳細なデータをご覧になりたい方はこちら



相撲部屋や出身地ごとの成績から、場所中はリアルタイムでランキングを作成しております。今場所好調な相撲部屋や力士の出身地はどこ?

境川部屋の基本情報
一門
:出羽海一門
創設
:平成10年(1998年)5月25日 中立部屋として創設
創設者
:第12代・中立 秀昭 (元小結・両国 秀昭)
改称
:平成15年(2003年)1月27日 境川部屋へと改称
改称者
:第13代・境川 豪章 (元小結・両国 秀昭)
現師匠
:同上
所在地
:東京都足立区舎人4-3-16 📍地図
サイト
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境川部屋とは

境川部屋は、平成4(1992)年12月に現役を引退し、出羽海部屋の部屋付き親方を務めていた12代中立(元小結・両国:出羽海部屋)が、平成10(1998)年5月に内弟子2人を連れて独立して創設した中立部屋を前身とする相撲部屋です。

12代中立の師匠である12代境川(元横綱・佐田の海)が停年を迎える直前の平成15(2003)年1月に、お互いの名跡を交換して12代中立は13代境川を襲名、部屋の名を境川部屋と改めました。

境川部屋の系譜

境川部屋の成り立ちを系譜でご紹介します。

境川部屋の系譜

境川部屋の優勝力士

優勝制度が制定された明治42年(1909)6月場所以降、現在の境川部屋からは1人の幕内最高優勝力士が誕生しています。

境川部屋の初優勝はいつで誰?

境川部屋の初優勝力士は、平成28年(2016)9月場所で東大関だった豪栄道です。

境川部屋の優勝力士一覧

では、歴代の境川部屋の幕内優勝力士を年月順で一覧表にして見てみましょう。

四股名 優勝場所 回数 優勝時の番付 出身 部屋 最高位 成績 四股名 備考
1 豪栄道 平成28年9月 東大関2 大阪府 境川 大関 15勝0敗 豪栄道 86年ぶりの大阪府出身力士の優勝
全勝での初優勝は武蔵丸以来22年ぶり
境川部屋としても初の幕内優勝力士誕生

境川部屋の優勝力士ランキング

次は境川部屋力士の優勝回数と成績のランキングです。

順位 四股名 優勝 最高位 出身地 勝数 敗数 横綱 大関 関脇 小結 前頭
1位 豪栄道 1回 大関 大阪府 15勝 0敗 0回 1回 0回 0回 0回
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中立~境川部屋力士を検索

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中立~境川部屋の最高位:大関

豪栄道 豪太郎

豪栄道 豪太郎(ごうえいどう ごうたろう)大阪府寝屋川市出身、境川部屋の元力士で、最高位は大関

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平成17年(2005)1月場所に18歳9ヶ月で初土俵を踏み、令和2年(2020)1月場所を最後に引退(33歳9ヶ月)。

通算成績は696勝493敗66休1180出場。生涯勝率.585。通算90場所中、62場所を勝ち越した(勝ち越し率.697)。

主な成績は幕内優勝1回(同点1,次点6),十両同点1回,幕下優勝2回三段目優勝1回序ノ口優勝1回殊勲賞5回,敢闘賞3回,技能賞3回,金星1個(朝青龍1個)。

昭和61年(1986)4月6日生まれ。本名は澤井 豪太郎。

小5でわんぱく横綱。「相撲の名門」埼玉栄高校では11個の個人タイトルを獲得。初の「高卒幕下付出」を期待された全日本相撲選手権大会では高校生として史上4人目となる3位を獲得した。

春日野部屋の栃煌山とは幼少時から切磋琢磨してきたライバル。昭和以降1位となる関脇在位連続14場所を経て平成26年9月場所に大関昇進。平成28年9月場所では悲願の幕内初優勝を全勝で達成。日本人力士の全勝優勝は平成8年(1996)9月場所の横綱・貴乃花以来20年ぶりのもの。

カド番で迎えた令和2年初場所、12日目に朝乃山に敗れて負け越しが決定、千秋楽では阿武咲に敗れて5勝10敗と大きく負け越した。大関在位33場所、約5年半戦い抜いた座からの陥落が決まった翌日、潔い現役引退が報じられた。14代武隈を襲名。

令和4年(2022)2月1日付で境川部屋から分家独立、武隈部屋を創設した。

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年寄
14代・武隈 豪太郎
四股名
豪栄道 豪太郎(ごうえいどう ごうたろう)
最高位
大関
年寄名跡
14代武隈 豪太郎14代武隈 豪太郎
出身地
大阪府寝屋川市
本名
澤井 豪太郎
生年月日
昭和61年(1986)4月6日(40歳)
出身高校
埼玉栄高校
所属部屋
境川部屋
改名歴
澤井 豪太郎 → 豪栄道 豪太郎
初土俵
平成17年(2005)1月 前相撲(18歳9ヶ月)
新十両
平成18年(2006)11月(所要11場所)
20歳7ヶ月(初土俵から1年10ヶ月)
新入幕
平成19年(2007)9月(所要16場所)
21歳5ヶ月(初土俵から2年8ヶ月)
新小結
平成20年(2008)11月(所要23場所)
22歳7ヶ月(初土俵から3年10ヶ月)
新関脇
平成21年(2009)5月(所要26場所)
23歳1ヶ月(初土俵から4年4ヶ月)
新大関
平成26年(2014)9月(所要57場所)
28歳5ヶ月(初土俵から9年8ヶ月)
最終場所
令和2年(2020)1月(33歳9ヶ月)
大相撲歴
90場所(15年0ヶ月)
通算成績
696勝493敗66休1180出場(勝率.585)
通算90場所
勝ち越し62場所(勝ち越し率.697)
優勝等
幕内優勝1回(同点1,次点6),十両同点1回,幕下優勝2回三段目優勝1回序ノ口優勝1回
受賞・金星
殊勲賞5回,敢闘賞3回,技能賞3回,金星1個
幕内戦歴
587勝442敗66休1020出場(勝率.570)
在位73場所(在位率.811)
勝ち越し49場所(勝ち越し率.671)
大関戦歴
260勝194敗41休447出場(勝率.573)
在位33場所(在位率.367)
勝ち越し23場所(勝ち越し率.697)
三役戦歴
158勝126敗1休283出場(勝率.556)
在位19場所(在位率.211)
勝ち越し13場所(勝ち越し率.684)
関脇戦歴
132勝92敗1休223出場(勝率.589)
在位15場所(在位率.167)
勝ち越し12場所(勝ち越し率.800)
小結戦歴
26勝34敗0休60出場(勝率.433)
在位4場所(在位率.044)
勝ち越し1場所(勝ち越し率.250)
前頭戦歴
169勝122敗24休290出場(勝率.581)
在位21場所(在位率.233)
勝ち越し13場所(勝ち越し率.619)
十両戦歴
57勝33敗0休90出場(勝率.633)
在位6場所(在位率.067)
勝ち越し5場所(勝ち越し率.833)
関取戦歴
644勝475敗66休1110出場(勝率.576)
在位79場所(在位率.878)
勝ち越し54場所(勝ち越し率.684)
幕下以下歴
52勝18敗0休70出場(勝率.743)
在位10場所(在位率.111)
勝ち越し8場所(勝ち越し率.800)


中立~境川部屋の最高位:関脇

妙義龍 泰成

妙義龍 泰成 (みょうぎりゅう やすなり)兵庫県高砂市出身、境川部屋の元力士で、最高位は関脇

平成21年(2009)5月場所に22歳6ヶ月で初土俵を踏み、令和6年(2024)9月場所を最後に引退(37歳10ヶ月)。

通算成績は601勝597敗79休1193出場。生涯勝率.504。通算91場所中、48場所を勝ち越した(勝ち越し率.527)。

主な成績は幕内(次点1)、十両優勝3回、幕下優勝1回、三段目(同点1)技能賞6回、金星6個(白鵬2個、日馬富士1個、稀勢の里1個、鶴竜2個)

昭和61年(1986)10月22日生まれ。本名は宮本 泰成。

強豪・埼玉栄高校から日本体育大学を経て角界入りし、度重なる大怪我を乗り越えて長く幕内上位で活躍した妙義龍は、アスリート然とした洗練された押し相撲で土俵を沸かせた名力士である。新十両での大怪我による三段目への陥落というどん底から這い上がり、技能賞を6度獲得するなど、その不屈の闘志と卓越した技術は多くの相撲ファンの記憶に刻まれている。

「テッポウ」で培われた強靭な下半身とアマチュア時代

兵庫県高砂市に生まれ、相撲の強豪である埼玉栄高校へ進学した。高校時代は、同級生の澤井(のちの大関・豪栄道)らと共に主力としてチームを牽引し、手の皮が剥けて血が滲むほど一心不乱に鉄砲柱を打ち続ける稽古で、自身の相撲の土台となる強靭な足腰を築き上げた。

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日本体育大学へ進学後も順調に実績を重ね、4年次には大分国体(成年の部)で個人の部優勝を果たし、幕下15枚目格付出の資格を獲得する。卒業後は、高校時代の同級生である豪栄道が所属する境川部屋への入門を決意し、平成21年(2009年)5月場所に本名の「宮本」で初土俵を踏んだ。

新十両での大怪我と、三段目からの劇的な復活

幕下付出から着実に星を伸ばし、所要4場所で新十両昇進を決める。この昇進を機に、「多彩な技を繰り出せるように」という願いを込めて四股名を「妙義龍」へと改名した。

しかし、関取として初めて土俵に上がった平成22年(2010年)1月場所の2日目に、左膝前十字靭帯断裂という選手生命を脅かす大怪我を負い、途中休場を余儀なくされる。その後3場所にわたり全休し、番付は西三段目94枚目まで陥落するという試練を味わった。

それでも決して腐ることなく怪我の完治と体作りに励み、同年9月場所で土俵に復帰すると、7戦全勝の三段目優勝を皮切りに破竹の勢いで勝ち星を重ねる。幕下と十両で計3度の優勝を飾る快進撃で一気に番付を駆け上がり、復帰からわずか7場所となる平成23年(2011年)11月場所で新入幕を果たした。

スピード感あふれる押し相撲と上位戦線での躍進

幕内の土俵においても、怪我を乗り越えてさらに凄みを増した妙義龍の相撲は旋風を巻き起こした。絶え間ない鍛錬により発達した、ふくらはぎの筋肉が生み出す鋭い出足と、膝を曲げた低い体勢からの一気呵成の押し相撲で、平成24年(2012年)1月場所には9勝を挙げて自身初となる技能賞を獲得する。

その後も勢いは止まらず、同年5月場所から3場所連続で技能賞を獲得し、7月場所には新小結、翌9月場所には新関脇へと昇進。従来の押し相撲のイメージを覆すようなスピード感と技術の高さで、三役の地位に定着していった。

平成25年(2013年)1月場所の3日目には、圧倒的な強さを誇っていた横綱・白鵬を初めて破り、自身初となる金星を獲得した。この一番を、のちに本人は「最も思い出に残る取組」として挙げている。

ベテランとしての奮闘と現役引退

その後も長く幕内上位で存在感を示し続け、最高位である関脇には通算8場所在位した。しかし、長年の激闘による左変形性膝関節症や網膜剥離など、相次ぐ怪我との戦いを強いられる土俵人生でもあった。

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令和3年(2021年)9月場所では、西前頭10枚目で11勝4敗の好成績を挙げて優勝争いに加わり、通算6度目となる技能賞を獲得するなど、ベテランの意地を見せた。しかし怪我の影響で思うような相撲が取れなくなり、令和6年(2024年)5月場所で十両へ陥落。左膝の怪我により西十両9枚目で全休となった同年9月場所を最後に現役引退を決断した。

引退後は年寄・振分を襲名して日本相撲協会に残り、引き続き境川部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたっている。初土俵から15年余り、幕内在位71場所を数え、度重なる試練を不屈の精神力で乗り越えたその歩みは、後進の力士たちにとって大きな模範となっている。

四股名
妙義龍 泰成 (みょうぎりゅう やすなり)
最高位
関脇
年寄名跡
20代振分 泰成(境川)
出身地
兵庫県高砂市
本名
宮本 泰成
生年月日
昭和61年(1986)10月22日(39歳)
出身高校
埼玉栄高校
出身大学
日本体育大学
所属部屋
境川部屋
改名歴
宮本 泰成 → 妙義龍 泰成
初土俵
平成21年(2009)5月 幕下15枚目付出(22歳6ヶ月)
新十両
平成22年(2010)1月(所要4場所)
23歳2ヶ月(初土俵から0年8ヶ月)
新入幕
平成23年(2011)11月(所要14場所)
25歳0ヶ月(初土俵から2年6ヶ月)
新小結
平成24年(2012)7月(所要18場所)
25歳8ヶ月(初土俵から3年2ヶ月)
新関脇
平成24年(2012)9月(所要19場所)
25歳10ヶ月(初土俵から3年4ヶ月)
最終場所
令和6年(2024)9月場所(37歳10ヶ月)
大相撲歴
91場所(15年4ヶ月)
通算成績
601勝597敗79休1193出場(勝率.504)
通算91場所
勝ち越し48場所(勝ち越し率.527)(勝ち越し星152)
優勝等
幕内(次点1),十両優勝3回,幕下優勝1回,三段目(同点1)
受賞・金星
技能賞6回,金星6個(白鵬2個、日馬富士1個、稀勢の里1個、鶴竜2個)
持給金
161円(勝ち越し星152個 金星6個)
幕内戦歴
495勝539敗31休1030出場(勝率.481)
在位71場所(在位率.780)
勝ち越し35場所(勝ち越し率.493)
三役戦歴
76勝93敗26休168出場(勝率.452)
在位13場所(在位率.143)
勝ち越し6場所(勝ち越し率.462)
関脇戦歴
47勝58敗15休105出場(勝率.448)
在位8場所(在位率.088)
勝ち越し3場所(勝ち越し率.375)
小結戦歴
29勝35敗11休63出場(勝率.460)
在位5場所(在位率.055)
勝ち越し3場所(勝ち越し率.600)
前頭戦歴
419勝446敗5休862出場(勝率.486)
在位58場所(在位率.637)
勝ち越し29場所(勝ち越し率.500)
十両戦歴
63勝45敗27休107出場(勝率.589)
在位9場所(在位率.099)
勝ち越し5場所(勝ち越し率.556)
関取戦歴
558勝584敗58休1137出場(勝率.491)
在位80場所(在位率.879)
勝ち越し40場所(勝ち越し率.500)
幕下以下歴
43勝13敗21休56出場(勝率.768)
在位11場所(在位率.121)
勝ち越し8場所(勝ち越し率.727)

妙義龍 泰成の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

  • ✅ 勝った決まり手1位:押し出し(220回 / 36.3%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(117回 / 19.6%)
  • ✅ 得意な相手:宝富士(20勝10敗 / 勝率.667)
  • ✅ 苦手な相手:白鵬(2勝20敗 / 勝率.091)

中立~境川部屋の最高位:小結

岩木山 竜太

岩木山 竜太 (いわきやま りゅうた)青森県弘前市出身、中立~境川部屋の元力士で、最高位は小結

平成12年(2000)7月場所に24歳4ヶ月で初土俵を踏み、平成22年(2010)9月場所を最後に引退(34歳6ヶ月)。

通算成績は407勝365敗78休769出場。生涯勝率.529。通算62場所中、34場所を勝ち越した(勝ち越し率.548)。

主な成績は幕内(次点1)、十両優勝2回、三段目優勝1回敢闘賞1回、技能賞1回、金星1個(朝青龍1個)

昭和51年(1976)3月2日生まれ。本名は對馬 竜太。

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青森大学相撲部出身として初めて幕内の土俵を踏んだ岩木山は、立ち合いからの圧倒的な馬力を武器に三役まで駆け上がった名力士である。社会人を経てからの入門でありながら猛スピードで出世を果たし、志半ばで病魔に倒れるまで、記憶に残る激しい相撲でファンを魅了し続けた。

親友の急逝と角界への挑戦

青森県に生まれ、青森大学へ進学して相撲部で活躍した。卒業後は青森山田高校の職員兼相撲部コーチとして働きながらアマチュア相撲を続け、平成10年(1998年)の全日本相撲選手権大会で8位入賞を果たすなど実績を重ねていた。

しかし、ともにアマチュア相撲で汗を流していた友人が、24歳で交通事故死を遂げるという悲しい出来事が起こる。これを機に自身の相撲への情熱と人生を見つめ直し、亡き友への思いを胸にプロ入りを決意した。

アマチュア時代の実績から幕下付出の資格を得て、11代中立(元小結・両国)が率いる中立部屋(のちの境川部屋)へ入門。平成12年(2000年)7月場所に本名の「對馬」で初土俵を踏んだ。

怒涛のスピード出世と「岩木山」の誕生

初土俵、翌場所から怪我で休場したこともあり一度は三段目へ番付を落としたが、平成13年(2001年)1月場所から故郷の山にちなんだ「岩木山」へと改名する。すると直後の3月場所において7戦全勝で三段目優勝を飾り、ここから一気に番付を駆け上がっていった。

翌平成14年(2002年)3月場所で新十両へ昇進し、続く5月場所では11勝4敗の好成績を挙げて十両優勝を果たす。勢いそのままに白星を重ね、同年11月場所において新入幕を果たした。青森大学出身者として初の幕内力士誕生という快挙であった。

規格外の破壊力と上位戦線での躍進

185センチ、170キロを超える巨体を活かした立ち合いのぶちかましと、突き押しの破壊力は幕内でも群を抜いていた。新入幕の場所で10勝5敗の好成績を挙げて敢闘賞を獲得すると、幕内上位の土俵へと定着していく。

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平成15年(2003年)9月場所では東前頭5枚目で11勝4敗の成績を残し、優勝した横綱・朝青龍に次ぐ星を挙げて初の技能賞を獲得。この活躍により、翌11月場所では新小結へと昇進を果たした。さらに平成16年(2004年)9月場所では、圧倒的な強さを誇っていた横綱・朝青龍を破り、自身初にして唯一の金星を獲得するなど、上位陣を大いに脅かす存在となった。

首の負傷とベテランとしての奮闘

激しい相撲の代償として、現役後半は怪我に苦しめられた。主に首を負傷したことで得意のぶちかましができなくなり、膝にも爆弾を抱えるようになる。馬力に陰りが見え始めた平成18年(2006年)11月場所以降は負け越しが続き、十両陥落も経験したが、そのたびにベテランの意地で幕内へ復帰し、長く土俵を務め続けた。

病魔との闘いとイレギュラーな番付残留

その後も幕内と十両の土俵で存在感を示し続けたが、平成22年(2010年)4月に小脳梗塞という大病を発症してしまう。

命に関わる重篤な状態からは回復したものの、土俵への復帰は極めて困難な状況であった。この5月場所から連続で全休を余儀なくされ、7月場所を終えた時点で幕下への陥落が濃厚となり、引退の方向で話が進んでいた。しかし、この7月場所は大相撲野球賭博問題の影響で多数の謹慎力士が出た場所であり、「病気による全休と謹慎休場は区別する」という相撲協会の特例措置により、翌9月場所も十両の番付に留まることとなった。

この9月場所(西十両14枚目)も全休し、同場所の千秋楽に現役引退を発表。引退後はすでに取得していた年寄「関ノ戸」を襲名し、日本相撲協会に残って境川部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたっている。友人の死を乗り越えて遅咲きの花を咲かせ、規格外の馬力で土俵を沸かせたその歩みは、指導者となった現在も後輩力士たちへと受け継がれている。

四股名
岩木山 竜太 (いわきやま りゅうた)
最高位
小結
年寄名跡
18代関ノ戸 竜太(境川)
出身地
青森県中津軽郡岩木町 → 青森県弘前市
本名
對馬 竜太
生年月日
昭和51年(1976)3月2日(50歳)
出身高校
弘前実業高校
出身大学
青森大学
所属部屋
中立~境川部屋
改名歴
對馬 竜太 → 岩木山 竜太
初土俵
平成12年(2000)7月 幕下60枚目付出(24歳4ヶ月)
新十両
平成14年(2002)3月(所要10場所)
26歳0ヶ月(初土俵から1年8ヶ月)
新入幕
平成14年(2002)11月(所要14場所)
26歳8ヶ月(初土俵から2年4ヶ月)
新小結
平成15年(2003)11月(所要20場所)
27歳8ヶ月(初土俵から3年4ヶ月)
最終場所
平成22年(2010)9月場所(34歳6ヶ月)
大相撲歴
62場所(10年2ヶ月)
通算成績
407勝365敗78休769出場(勝率.529)
通算62場所
勝ち越し34場所(勝ち越し率.548)(勝ち越し星123)
優勝等
幕内(次点1),十両優勝2回,三段目優勝1回
受賞・金星
敢闘賞1回,技能賞1回,金星1個(朝青龍1個)
持給金
96円(勝ち越し星123個 金星1個)
幕内戦歴
293勝318敗34休608出場(勝率.482)
在位43場所(在位率.694)
勝ち越し20場所(勝ち越し率.465)
三役戦歴
10勝20敗0休30出場(勝率.333)
在位2場所(在位率.032)
勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
小結戦歴
10勝20敗0休30出場(勝率.333)
在位2場所(在位率.032)
勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
前頭戦歴
283勝298敗34休578出場(勝率.490)
在位41場所(在位率.661)
勝ち越し20場所(勝ち越し率.488)
十両戦歴
72勝33敗30休105出場(勝率.686)
在位9場所(在位率.145)
勝ち越し7場所(勝ち越し率.778)
関取戦歴
365勝351敗64休713出場(勝率.512)
在位52場所(在位率.839)
勝ち越し27場所(勝ち越し率.519)
幕下以下歴
42勝14敗14休56出場(勝率.750)
在位10場所(在位率.161)
勝ち越し7場所(勝ち越し率.700)

岩木山 竜太の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

  • ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(132回 / 32.1%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(132回 / 36.2%)
  • ✅ 得意な相手:垣添(17勝1敗 / 勝率.944)
  • ✅ 苦手な相手:朝青龍(1勝15敗 / 勝率.062)

平戸海 雄貴

平戸海 雄貴(ひらどうみ ゆうき)は長崎県 平戸市出身、境川部屋の力士で最高位は小結。令和8年5月場所の番付は東 前頭3枚目。

小学1年生の時に地元の紐差相撲クラブで相撲と出会った。小学4年生から3年連続でわんぱく相撲全国大会に出場し、4年時にはベスト16へ進出。平戸市立中部中学校3年次には全国中学校相撲選手権大会でベスト8に入った。複数の強豪高校からの勧誘もあったが、中学時代に全国大会で宿泊した縁があった13代境川(元小結・両国)に声をかけられ、卒業と同時に境川部屋の門を叩いた。小学校の卒業式で発表した「関取になりたい」という夢を追いかけ、平成28年(2016年)3月場所で初土俵を踏む。

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故郷の名を背負う四股名

当初は本名の「坂口」で土俵に上がっていたが、序二段や三段目で地力をつけていた平成29年(2017年)3月場所より「平戸海」へと改名した。「平戸」は生まれ育った長崎県平戸市そのものであり、故郷への誇りと覚悟を四股名に刻んだものであった。

幕下での長い修行と関取への道

幕下上位の壁には幾度も跳ね返されたが、ひたすら前に出る押し相撲を磨き、徐々に実力を蓄えていった。令和3年(2021年)9月場所を東幕下2枚目で5勝2敗と勝ち越し、場所後の番付編成会議で新十両昇進を確定させた。平成17年(2005年)の市町村合併以降、平戸市出身力士としては初の関取誕生であった。令和3年11月場所、西十両13枚目で新十両の土俵に上がる。

新入幕と三役への躍進

十両を5場所で通過し、令和4年(2022年)9月場所において西前頭16枚目で新入幕を果たした。新入幕場所は7勝8敗と負け越したものの、続く11月場所で10勝5敗と2桁勝利を挙げ、前頭上位へと番付を伸ばした。幕内の土俵においても「引いたら負け」という信念のもと、力強い突き押しと右四つからの寄りを武器に白星を積み重ねた。令和6年(2024年)3月場所、そして5月場所で9勝6敗と幕内上位で勝ち越しを続け、同年7月場所において西小結へと昇進した。新三役の場所では10勝5敗の好成績を収め、前に出る積極的な相撲が評価されて自身初となる技能賞を獲得した。

💡 長崎県出身一覧💡 境川部屋の力士

四股名
平戸海 雄貴(ひらどうみ ゆうき)
最高位
小結
最新番付
東 前頭3枚目
出身地
長崎県 平戸市
本名
坂口 雄貴
生年月日
平成12年(2000)4月20日(26歳)
身長・体重
178cm・140kg
所属部屋
境川部屋
改名歴
坂口 → 平戸海
初土俵
平成28年(2016)3月(15歳11ヵ月)
新十両
令和3年(2021)11月(21歳7ヵ月)
新入幕
令和4年(2022)9月(22歳5ヵ月)
優勝
無し
受賞・金星
技能賞1回
通算成績
338勝294敗8休/631出場(勝率:53.6%)
直近7場所
46勝55敗
7場所勝率
45.5%
得意技
突き・押し・右四つ・寄り
決まり手傾向(直近7場所)
平戸海が勝ちの決まり手(42勝)
寄り切り21
押し出し8
叩き込み3
寄り倒し3
送り出し2
突き出し2
その他3
平戸海が負けの決まり手(48敗)
押し出し9
掬い投げ6
寄り切り5
突き落とし5
叩き込み4
押し倒し4
その他15
令8年5月
東 前頭3枚目(変動なし)
4勝7敗
●○○●●|○●○●●|●    
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年3月
東 前頭3枚目(3枚上昇)
7勝8敗
○○●○○|●●○●●|●○●●○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年1月
東 前頭6枚目(3枚降下)
9勝6敗
○●○●○|●○○○○|●○○●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

▼ さらに過去の成績(4場所分)を見る
令7年11
東 前頭3枚目(1枚上昇)
4勝11敗
○●○●●|●●●●●|○●○●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年9月
東 前頭4枚目(1枚上昇)
8勝7敗
○●○○○|●●●○○|●●○●○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年7月
東 前頭5枚目(1枚半降下)
8勝7敗
●●●○○|○○○●●|●○○●○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年5月
西 前頭3枚目
6勝9敗
●○○●●|○●●●○|●○○●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

中立~境川部屋の最高位:前頭

佐田の海 貴士

佐田の海 貴士(さだのうみ たかし)は熊本県 熊本市東区出身、境川部屋の力士で最高位は前頭筆頭。令和8年5月場所の番付は東 十両2枚目。

右四つの速攻相撲で活躍した出羽海部屋所属の元小結・佐田の海の長男として東京都に生まれ育つ。幼稚園の頃から力士を志していたが、父親からは「勉強はしなくていいから、何でも好きなことをやれ」と言われ、あえて相撲のアマチュア経験を積まずに野球に打ち込んでいた。小学6年次から中学2年次までは父親の相撲協会退職に伴い愛知県犬山市で過ごした。

中学卒業が近づくと父親の現役時代に憧れ、角界入りを決意する。本人は当初、当然のように父親の古巣である出羽海部屋へ進むものと考えていた。しかし、父親から「男を磨くならこの部屋だ」と熱心な説得を受け、出羽海部屋時代に父親の弟弟子であった13代境川(元小結・両國)が師匠を務める境川部屋への入門を決断した。

平成15年(2003年)3月場所において、本名の「松村」で初土俵を踏む。日本相撲協会には父親の故郷である熊本県熊本市(現在の東区)を出身地として届け出ている。入門当初は軽量に苦労しながらも、師匠の厳しくも愛情あふれる指導のもとで着実に実力を身につけていった。

父の四股名継承と怪我の試練

平成16年(2004年)1月場所において、父親の現役時代の四股名である「佐田の海」を継承した。本人は当初「名乗るのは恐れ多い」と遠慮したものの、師匠から「来場所から佐田の海で行くぞ。親父さんには俺から言っておくから」と力強く背中を押され、父親の四股名を背負うこととなった。

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長らく幕下の土俵で実力を磨き、平成22年(2010年)1月場所において幕下優勝を飾り、同年7月場所において念願の新十両昇進を果たす。栃東親子以来14年ぶりとなる史上9組目の親子関取誕生であった。十両昇進後は8場所にわたり十両に定着したが、平成23年(2011年)9月場所千秋楽に大きな悲劇が襲う。7勝7敗で迎えたこの一番で、寄り倒されそうになりながらも勝ち越しへの執念から無理な体勢で残そうとした結果、右足首を脱臼骨折する大怪我を負い、十両からの陥落を余儀なくされた。

陥落後は豪栄道の付け人やちゃんこ番をこなす生活へと戻り、関取経験者でありながら雑務をこなす惨めさや辛さを味わったが、父親からの温かい励ましを受けて再起を図っていた。ところが、平成25年(2013年)3月場所では左目の眼底骨折という更なる不運に見舞われ、一度は引退も頭をよぎった。しかし、懸念された手術が無事に成功したことに加え、知人から浴びせられた手厳しい叱咤の言葉に発奮して現役続行を決断する。本人は怪我の要因を「下がりながらの投げ技が足首に負担をかけていた」と分析し、稽古を重ねて出足を重視した相撲へと磨き上げ、翌平成26年(2014年)1月場所に13場所ぶりとなる十両復帰を果たした。

新入幕と史上初の「親子三賞」

十両復帰後は好調を維持し、平成26年(2014年)5月場所において初土俵から所要66場所で新入幕を果たした。これにより史上8組目の親子幕内力士となる。幕内昇進会見では「父を超えることが親孝行」と意欲を語り、師匠の13代境川も「お父さんから15歳の彼を預かった時からの男の約束だった」と感慨深げに語った。

新入幕の同場所では、持ち味を存分に発揮して10勝5敗の好成績を収め、自身初となる敢闘賞を受賞した。父親も新入幕の場所に敢闘賞を受賞しており、この受賞によって大相撲史上初となる「親子での新入幕場所三賞獲得」という歴史的な快挙を成し遂げた。

幕内の土俵に定着した翌平成27年(2015年)5月場所では、東前頭3枚目の地位で横綱・日馬富士を取り直しの末に破り、自身初となる金星を獲得して場内を大いに沸かせた。

ベテランとしての存在感と取り口

その後も長く幕内と十両の土俵を務め、平成30年(2018年)3月場所では11勝4敗の好成績で自身初の十両優勝を飾っている。令和4年(2022年)5月場所では西前頭12枚目で千秋楽まで優勝争いに絡み、11勝4敗の優勝次点の成績を残して2度目の敢闘賞を受賞した。さらに令和7年(2025年)5月場所でも西前頭13枚目で10勝5敗の好成績を挙げて3度目の敢闘賞を受賞するなど、衰えぬ実力を証明し続けている。

取り口は、父親と同じく右四つに組んでからの速攻や力強い寄り、真っ向勝負を最大の持ち味とする。一方で父親よりも手足が長いため、「俺にはない投げがある」と父親から評されている。厳しい稽古で培われた足の裏の感覚が良く、土俵際での並外れた粘り腰を見せることから「行司泣かせ」の異名をとることもある。

ベテランとなってからは引き技に沈む場面も指摘されるが、父親譲りの四股名と伝統の相撲型を胸に、持ち前のしぶとさと豊富な経験を生かして最高峰の土俵で長きにわたり奮闘を続けている。

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💡 熊本県出身一覧💡 境川部屋の力士

四股名
佐田の海 貴士(さだのうみ たかし)
最高位
前頭筆頭
最新番付
東 十両2枚目
出身地
熊本県 熊本市東区
本名
松村 要
生年月日
昭和62年(1987)5月11日(39歳)
身長・体重
183cm・144kg
所属部屋
境川部屋
改名歴
松村 → 佐田の海
初土俵
平成15年(2003)3月(15歳10ヵ月)
新十両
平成22年(2010)7月(23歳2ヵ月)
新入幕
平成26年(2014)5月(27歳0ヵ月)
優勝
十両優勝1回,幕下優勝1回,三段目優勝1回
受賞・金星
敢闘賞3回,金星1個
通算成績
783勝806敗22休/1589出場(勝率:49.3%)
直近7場所
20勝21敗(幕内:24勝36敗)
7場所勝率
43.6%
得意技
右四つ・寄り
決まり手傾向(直近7場所)
佐田の海が勝ちの決まり手(40勝)
寄り切り17
押し出し7
上手投げ3
寄り倒し3
突き落とし2
引っ掛け1
その他7
佐田の海が負けの決まり手(50敗)
寄り切り16
押し出し7
突き出し5
叩き込み5
掬い投げ3
送り出し3
その他11
令8年5月
東 十両2枚目(半枚降下)
4勝7敗
●●●○○|●○○●●|●    
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年3月
西 十両筆頭(2枚半上昇)
7勝8敗
○●●○●|●○○●○|●●●○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年1月
東 十両4枚目(4枚半降下)
9勝6敗
○○○○●|●○○○○|●●●○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

▼ さらに過去の成績(4場所分)を見る
令7年11
西 前頭16枚目(2枚半降下)
4勝11敗
●○●●●|●○●○●|●●○●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年9月
東 前頭14枚目(6枚降下)
6勝9敗
○●○○●|●●●●○|●○●○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年7月
東 前頭8枚目(5枚半上昇)
4勝11敗
●●●○●|●○●●●|●●○○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年5月
西 前頭13枚目
10勝5敗(敢闘賞)
●○●○○|○○●○○|●○○○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

佐田の富士 哲博

長崎県南島原市出身、境川部屋の元力士で最高位は前頭2枚目。小学5年生から柔道を始め、長崎の小浜高校柔道部では県大会準優勝の成績をあげた。卒業後に境川部屋に入門すると柔道の「お家芸」である投げ技を封印、突きと押し相撲に徹した。境川部屋初の長崎出身関取。入幕後は一進一退を繰り返して幕内と十両を往復。やがて股関節の状態は悪化し、日常生活に支障をきたすまでとなり引退を決意。

  • 四股名 :佐田の富士 哲博(さだのふじ あきひろ)
  • 最高位 :前頭2枚目
  • 年寄名跡:12代中村⇒14代山科
  • 出身地 :長崎県南島原市
  • 本 名 :山本 哲博
  • 生年月日:昭和59年(1984)12月25日
  • 所属部屋:境川部屋
  • 改名歴 :山本⇒佐田の富士
  • 初土俵 :平成15年(2003)1月(18歳1ヵ月)
  • 新十両 :平成22年(2010)3月(25歳3ヵ月)
  • 新入幕 :平成23年(2011)11月(26歳11ヵ月)
  • 最終場所:平成29年(2017)5月(32歳5ヵ月)
  • 生涯戦歴:434勝459敗14休/893出場(86場所)
  • 生涯勝率:48.6%
  • 優勝等 :十両優勝1回,幕下同点1回
  • 幕内戦歴:137勝193敗(22場所)勝率:41.5%
  • 十両戦歴:124勝131敗(17場所)勝率:48.6%

豊響 隆太

豊響 隆太 (とよひびき りゅうた)山口県下関市出身、境川部屋の元力士で、最高位は前頭2枚目

平成17年(2005)1月場所に20歳1ヶ月で初土俵を踏み、令和3年(2021)5月場所を最後に引退(36歳5ヶ月)※番付上は令和3年(2021)7月場所

通算成績は569勝565敗66休1134出場。生涯勝率.502。通算97場所中、47場所を勝ち越した(勝ち越し率.490)。

主な成績は幕内(次点1)、十両優勝3回(同点1)、序二段優勝1回敢闘賞3回、金星1個(白鵬1個)

昭和59年(1984)11月16日生まれ。本名は門元 隆太。

高校卒業後にトラック運転手などを経て角界へ飛び込み、初土俵からわずか2年半で幕内の土俵へ駆け上がった豊響は、「平成の猛牛」の異名で土俵を沸かせた名力士である。一度は入門が破談になりながらも師匠の男気に触れて角界入りを果たし、網膜剥離や不整脈といった幾多の病に見舞われながらも、自身の代名詞である突き押し相撲を頑なに貫き通した。

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入門の破談と師匠の男気

幼少期に両親が離婚し、母の手一つで育てられた。小学2年生の時に山口県豊浦郡豊浦町(現在の山口県下関市)へ移り、地元のスポーツ少年団で相撲を始める。山口県立響高校に在学中、境川親方(元小結・両国)が勧誘に訪れたが、入門を勧める母に対して「だったらお前が行けよ」とぞんざいな口を利いてしまう。これを見た境川親方は「親に向かってそんな口を叩く奴はこっちからごめんだ」と激怒して席を立ち、入門は一度破談となった。

高校卒業後はすぐには相撲界へ進まず、造船所でのアルバイトやトラック運転手などをして生計を立てていた。しかし、平成16年(2004年)の埼玉国体(成年の部)で個人ベスト16に入ったことを機に、相撲への情熱が再燃する。自身の非を叱ってくれた境川親方の男気に惹かれていたこともあり、自ら部屋へ出向いて母への態度を詫びて入門を志願。「命を懸けて来い」と受け入れられ、平成17年(2005年)1月場所において、20歳で本名の「門元」を四股名として初土俵を踏んだ。

怒涛のスピード出世と「豊響」の誕生

社会人を経てからの遅咲きのスタートであったが、出世の足取りは驚異的であった。序二段優勝を飾るなど各段で結果を残し、初土俵からちょうど2年となる平成19年(2007年)1月場所において新十両昇進を果たす。この昇進に合わせて四股名を「豊響」へと改名した。「豊」の字は出身地である豊浦町と母である豊美さんの一字から、「響」の字は母校である響高校に由来しており、迷惑をかけた母と故郷への感謝が込められた四股名であった。

新十両の場所を見事に10勝5敗の成績で十両優勝で飾ると、続く同年7月場所では早くも新入幕を果たした。幕内として初めて臨んだこの場所でも11勝4敗の好成績を挙げて敢闘賞を受賞し、一気に上位戦線へと番付を駆け上がった。

網膜剥離の試練と大金星

立ち合いからの猛烈なぶちかましと、愚直なまでに前に出る突き押し相撲を武器とし、その迫力ある取り口からいつしか「平成の猛牛」と称されるようになった。しかし、自己最高位となる東前頭2枚目で迎えた平成20年(2008年)11月場所の直前、左目の網膜剥離という力士として致命的な病が判明し、自己最高位の場所を全休するという大きな試練に見舞われる。

それでも「相手に当たる怖さはあったが、押しへのこだわりがあった」と真っ向勝負を貫き通し、土俵へ復帰した。平成22年(2010年)1月場所では西前頭16枚目で12勝3敗の好成績を挙げて優勝争いに加わり、自身3度目となる敢闘賞を獲得する。さらに、東前頭3枚目で迎えた平成24年(2012年)5月場所では、圧倒的な強さを誇っていた横綱・白鵬を破り、自身初にして唯一の金星を獲得した。のちに本人は、この横綱戦での白星を引退会見にて「最も思い出に残る取組」として挙げている。

不整脈との闘いと母への恩返し

その後も幕内中位から上位の土俵で長く存在感を示し続けたが、現役生活の晩年は再び病に苦しめられた。平成30年(2018年)1月場所の直前に不整脈を発症して全休を余儀なくされ、この休場により長く守り続けた関取の座から陥落してしまう。

心臓への負担という大きなリスクを抱え、何度も引退が頭をよぎったというが、「家族に相撲を取る姿を見せたい」「母に恩返しをしたい」という強い思いから決して土俵を諦めることはなかった。その後も3年間にわたり幕下で現役続行への道を模索してもがき続けたが、次第に休場がちとなり、「幕下暮らしで気力がなくなった」と限界を悟る。三段目で全休した令和3年(2021年)5月場所の終了後に引退を決断した。初土俵から16年半、生涯戦歴は569勝565敗であった。

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引退後は年寄「山科」を襲名し、日本相撲協会に残って後進の指導にあたっている。引退に際し、入門時の破談から見守り続けてきた師匠の境川親方からは「せっかく『平成の猛牛』という素晴らしいニックネームを頂いたので、『令和の猛牛』を育ててほしい」と愛のあるエールが送られた。度重なる不運や体の故障に泣きながらも、愚直に己の相撲道と家族への思いを貫き通したその歩みは、指導者となった現在も若い力士たちへと受け継がれている。

四股名
豊響 隆太 (とよひびき りゅうた)
最高位
前頭2枚目
年寄名跡
15代山科 隆太(境川)
出身地
山口県豊浦郡豊浦町 → 山口県下関市
本名
門元 隆太
生年月日
昭和59年(1984)11月16日(41歳)
出身高校
響高校
所属部屋
境川部屋
改名歴
門元 隆太 → 豊響 隆太
初土俵
平成17年(2005)1月 前相撲(20歳1ヶ月)
新十両
平成19年(2007)1月(所要12場所)
22歳1ヶ月(初土俵から2年0ヶ月)
新入幕
平成19年(2007)7月(所要15場所)
22歳7ヶ月(初土俵から2年6ヶ月)
最終場所
令和3年(2021)5月場所(36歳5ヶ月)※番付上は令和3年(2021)7月場所
大相撲歴
97場所(16年4ヶ月)
通算成績
569勝565敗66休1134出場(勝率.502)
通算97場所
勝ち越し47場所(勝ち越し率.490)(勝ち越し星147)
優勝等
幕内(次点1),十両優勝3回(同点1),序二段優勝1回
受賞・金星
敢闘賞3回,金星1個(白鵬1個)
持給金
86円50銭(勝ち越し星147個 金星1個)
幕内戦歴
347勝403敗30休750出場(勝率.463)
在位52場所(在位率.536)
勝ち越し21場所(勝ち越し率.404)
前頭戦歴
347勝403敗30休750出場(勝率.463)
在位52場所(在位率.536)
勝ち越し21場所(勝ち越し率.404)
十両戦歴
111勝84敗15休195出場(勝率.569)
在位14場所(在位率.144)
勝ち越し9場所(勝ち越し率.643)
関取戦歴
458勝487敗45休945出場(勝率.485)
在位66場所(在位率.680)
勝ち越し30場所(勝ち越し率.455)
幕下以下歴
111勝78敗21休189出場(勝率.587)
在位30場所(在位率.309)
勝ち越し17場所(勝ち越し率.567)

豊響 隆太の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

  • ✅ 勝った決まり手1位:押し出し(262回 / 45.6%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:叩き込み(84回 / 14.8%)
  • ✅ 得意な相手:北太樹(17勝4敗 / 勝率.810)
  • ✅ 苦手な相手:宝富士(3勝11敗 / 勝率.214)

豪ノ山 登輝

豪ノ山 登輝(ごうのやま とうき)は大阪府 寝屋川市出身、武隈部屋の力士で最高位は前頭2枚目。令和8年5月場所の番付は西 前頭4枚目。

寝屋川市立啓明小学1年生の頃、体が大きかったことをきっかけに地元・大阪府寝屋川市の相撲連盟で相撲を始めた。幼少期より、近所に大阪場所の宿舎を構えていた境川部屋に出入りし、力士たちと親交を深めながら相撲への情熱を育んでいった。小学4年次には全日本小学生相撲優勝大会でベスト8入りを果たし、寝屋川市立第九中学校3年次に全国中学校相撲選手権大会でベスト8の成績を残す。卒業後は、同郷の憧れである豪栄道(現・14代武隈)の母校であり、相撲の強豪として知られる埼玉栄高校へ進学した。

中央大学での活躍と付出資格の取得

高校時代に数々の大会で活躍した後、中央大学へ進学。3年次には全国学生相撲宇和島大会で3位、全国学生相撲個人体重別選手権大会などで優勝を果たし頭角を現した。主将を務めた4年次には、全国学生選手権の個人戦で準優勝の成績を収め、三段目100枚目格付出の資格を取得した。

境川部屋からの初土俵と武隈部屋への移籍

令和3年(2021年)3月場所、本名の「西川」で境川部屋から初土俵を踏んだ。三段目100枚目格付出での初土俵を6勝1敗で終えると、その後も着実に番付を上げていき、令和4年(2022年)1月場所では東幕下35枚目で7戦全勝の幕下優勝をあげた。この場所後の2月、14代武隈(元大関・豪栄道)が創設した武隈部屋へと移籍した。

新十両昇進と「豪ノ山」への改名

移籍後も幕下上位の土俵で着実に白星を重ね、令和4年(2022年)5月場所において西幕下筆頭で4勝3敗と勝ち越して、翌7月場所での新十両昇進を決めた。この昇進を機に、師匠の現役時代の四股名から「豪」の一字をもらい、本名の「登輝(とうき)」と掛け合わせて「強く山を登って輝く」という願いを込めた「豪ノ山」へと改名。武隈部屋から誕生した初の関取として、新たな一歩を踏み出した。

十両優勝と新入幕での躍進

その後も持ち味である強烈な突き押しを武器に十両の土俵で力をつけ、令和5年(2023年)5月場所では、東十両筆頭で14勝1敗を挙げて十両優勝を果たした。続く同年7月場所において東前頭13枚目で新入幕を果たすと、持ち前の気迫あふれる相撲で10勝5敗の成績を残し、自身初となる三賞(敢闘賞)を獲得した。

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幕内の土俵で貫く突き押し相撲

新入幕以降も、気迫あふれる相撲で幕内の土俵を沸かせている。立ち合いから頭で厳しく当たり、一気に相手を持っていこうとする強烈な出足は、上位陣にとっても脅威となっている。恩師の教えと自らの四股名のごとく、力強く番付の山を登り続けるべく、持ち味である突き押しにさらなる磨きをかけている。

💡 大阪府出身一覧💡 武隈部屋の力士

四股名
豪ノ山 登輝(ごうのやま とうき)
最高位
前頭2枚目
最新番付
西 前頭4枚目
出身地
大阪府 寝屋川市
本名
西川 登輝
生年月日
平成10年(1998)4月7日(28歳)
身長・体重
178cm・161kg
出身高校
埼玉栄高校
出身大学
中央大学
所属部屋
境川 → 武隈部屋
改名歴
西川 → 豪ノ山
初土俵
令和3年(2021)3月・三段目100付出(22歳11ヵ月)
新十両
令和4年(2022)7月(24歳3ヵ月)
新入幕
令和5年(2023)7月(25歳3ヵ月)
優勝
十両優勝1回,幕下優勝1回
受賞・金星
敢闘賞1回
通算成績
229勝181敗2休/409出場(勝率:56%)
直近7場所
48勝53敗
7場所勝率
47.5%
得意技
突き・押し
決まり手傾向(直近7場所)
豪ノ山が勝ちの決まり手(40勝)
押し出し22
押し倒し4
寄り切り3
叩き込み2
突き出し2
突き落とし2
その他5
豪ノ山が負けの決まり手(50敗)
押し出し11
叩き込み7
寄り切り6
突き落とし6
上手投げ5
上手出し投げ4
その他11
令8年5月
西 前頭4枚目(5枚半上昇)
8勝3敗
○●○○○|○●○○○|●    
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年3月
東 前頭10枚目(1枚降下)
10勝5敗
○○○●○|○○○○○|●●●●○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年1月
東 前頭9枚目(4枚上昇)
7勝8敗
●●○●●|●○●○○|●○○○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

▼ さらに過去の成績(4場所分)を見る
令7年11
東 前頭13枚目(9枚半降下)
9勝6敗
○●●○●|○○○○●|●●○○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年9月
西 前頭3枚目(3枚上昇)
1勝14敗
●●●●●|●●●●●|●○●●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年7月
西 前頭6枚目(4枚降下)
9勝6敗
○○●○○|●○●●○|●○○●○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年5月
西 前頭2枚目
4勝11敗
●●●●●|●○●○○|●●○●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

寶智山 幸観

寶智山 幸観(ほうちやま こうかん)青森県弘前市出身、中立~境川部屋の元力士で、最高位は前頭14枚目

平成12年(2000)3月場所に18歳1ヶ月で初土俵を踏み、平成25年(2013)11月場所を最後に引退(31歳9ヶ月)※番付上は平成26年(2014)1月場所

通算成績は399勝400敗0休799出場。生涯勝率.499。通算82場所中、41場所を勝ち越した(勝ち越し率.506)。

主な成績は十両優勝1回(同点1)、幕下(同点1)、三段目優勝1回、序二段(同点1)、序ノ口優勝1回

昭和57年(1982)1月18日生まれ。本名は棟方 幸観。

相撲の名門校から先輩の熱烈なスカウトを受けて角界入りし、持ち前の馬力で幕内の土俵を経験した寶千山は、十両での優勝争いなど印象に残る活躍を見せた力士である。

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舞の海のスカウトと角界入り

青森県弘前市に生まれ、相撲の名門である青森県立木造高校へと進学した。同校の相撲部で活躍していた頃、高校の先輩にあたる元小結・舞の海から直接「君は大学相撲よりもプロに向いている」とスカウトを受けたことが大きな転機となる。

この言葉に背中を押されて角界への挑戦を決意し、11代中立(元小結・両国)が率いる中立部屋(平成16年に境川部屋へと名称変更)へ入門。平成12年(2000年)3月場所において「寶智山 幸観(ほうちやま ゆきみ)」の四股名で初土俵を踏んだ。

序ノ口優勝と新十両への道

東序ノ口14枚目で迎えた同年5月場所では、7戦全勝優勝で幸先のよい船出となった。その後は幕下中位から下位の分厚い壁に挑み、じっくりと実力を養う時期が続いた。

初土俵から約6年となる平成18年(2006年)3月場所において新十両へ昇進し、念願の関取の座を掴む。ここから、蓄えていた実力が一気に開花することとなる。

十両での快進撃と新入幕

新十両の場所を8勝7敗と勝ち越すと、続く同年5月場所では10勝5敗の好成績を挙げて十両の優勝決定戦へと進出した。ここでは惜しくも敗れて優勝同点となったものの、さらに東十両6枚目で迎えた翌7月場所では、13勝2敗の素晴らしい成績で十両優勝を飾った。

関取となってから「優勝同点」「十両優勝」と急激に番付を駆け上がり、翌9月場所において新入幕を果たした。「先輩」舞の海の見立て通り、大相撲の厳しい世界で確かな結果を残してみせたのである。

糖尿病との闘いと三段目での有終の美

幕内の土俵では厚い壁に跳ね返され、平成20年(2008年)には糖尿病による体調不良が悪化して幕下への陥落も味わった。それでも不屈の闘志で体調を戻して関取へ復帰し、その後も3度の再入幕を果たすなど、長年にわたり十両や幕内下位の土俵で激闘を繰り広げた。

平成23年(2011年)9月場所より下の名前を「幸勘」へ改め、さらに平成25年(2013年)7月場所からは「寶智山」から「寶千山」へと1字を改めた。しかし、改名の場所で大きく負け越し、ついに同年11月場所では約11年ぶりとなる三段目への降格を経験する。それでも決して土俵を諦めることはなく、西三段目7枚目で迎えたこの場所で7戦全勝とし、優勝決定戦を制して自身初となる三段目優勝を飾った。

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特例規定による引退と指導者への道

三段目優勝で有終の美を飾る形となり、翌平成26年(2014年)1月場所の番付に名前を残したまま、場所前の12月に現役引退を発表した。

引退にあたっては年寄「君ヶ濱」を襲名したが、当時の関取在位は28場所であり、従来の規定(在位30場所)を満たしていなかった。しかし、引退直前の理事会で「在位28場所でも要件を満たせば取得できる」とする規定が新たに追加されており、その特例の恩恵を受ける形での襲名となった。この規定は俗に「寶千山ルール」とも呼ばれている。

引退後は日本相撲協会に残り、境川部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたる道を選んだ。その後は「振分」「出来山」「立田川」と名跡を変更しながらも、一貫して力士たちの育成に尽力している。自らが病や不調を乗り越えて幕内まで登り詰めたその歩みと経験は、指導者となった現在も若い力士たちへの良き手本として受け継がれている。

四股名
寶智山 幸観(ほうちやま こうかん)
最高位
前頭14枚目
年寄名跡
11代君ヶ濱 幸観(境川) → 17代振分 幸観(境川) → 17代出来山 幸観(境川) → 20代立田川 幸観(境川)
出身地
青森県弘前市
本名
棟方 幸観
生年月日
昭和57年(1982)1月18日(44歳)
出身高校
木造高校
所属部屋
中立~境川部屋
改名歴
寶智山 幸観 → 寶智山 幸勘 → 寶千山 幸勘
初土俵
平成12年(2000)3月 前相撲(18歳1ヶ月)
新十両
平成18年(2006)3月(所要36場所)
24歳1ヶ月(初土俵から6年0ヶ月)
新入幕
平成18年(2006)9月(所要39場所)
24歳7ヶ月(初土俵から6年6ヶ月)
最終場所
平成25年(2013)11月場所(31歳9ヶ月)※番付上は平成26年(2014)1月場所
大相撲歴
82場所(13年8ヶ月)
通算成績
399勝400敗0休799出場(勝率.499)
通算82場所
勝ち越し41場所(勝ち越し率.506)(勝ち越し星115)
優勝等
十両優勝1回(同点1),幕下(同点1),三段目優勝1回,序二段(同点1),序ノ口優勝1回
持給金
60円50銭(勝ち越し星115個)
幕内戦歴
27勝63敗0休90出場(勝率.300)
在位6場所(在位率.073)
勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
前頭戦歴
27勝63敗0休90出場(勝率.300)
在位6場所(在位率.073)
勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
十両戦歴
169勝176敗0休345出場(勝率.490)
在位23場所(在位率.280)
勝ち越し11場所(勝ち越し率.478)
関取戦歴
196勝239敗0休435出場(勝率.451)
在位29場所(在位率.354)
勝ち越し11場所(勝ち越し率.379)
幕下以下歴
203勝161敗0休364出場(勝率.558)
在位52場所(在位率.634)
勝ち越し30場所(勝ち越し率.577)

寶智山 幸観の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

  • ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(132回 / 32.8%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(84回 / 20.8%)
  • ✅ 得意な相手:龍巍(7勝1敗 / 勝率.875)
  • ✅ 苦手な相手:皇司(0勝6敗 / 勝率.000)

中立~境川部屋の最高位:十両

城ノ龍 康允

モンゴル・トゥブ市出身、境川部屋の元力士で最高位は十両筆頭。鳥取城北高校から師匠の人望に魅せられて入門。

  • 四股名 :城ノ龍 康允(しろのりゅう やすまさ)
  • 最高位 :十両筆頭
  • 出身地 :モンゴル・トゥブ市
  • 本 名 :エレデンツォグト・オドゲレル⇒小林 光星
  • 生年月日:昭和58年(1983)9月7日
  • 出身高校:鳥取城北高校
  • 所属部屋:境川部屋
  • 改名歴 :城錦⇒城ノ龍
  • 初土俵 :平成15年(2003)1月(19歳4ヵ月)
  • 新十両 :平成22年(2010)9月(27歳0ヵ月)
  • 最終場所:平成25年(2013)9月(30歳0ヵ月)
  • 生涯戦歴:261勝234敗18休/493出場(64場所)
  • 生涯勝率:52.7%
  • 優勝等 :なし
  • 十両戦歴:51勝76敗8休(9場所)勝率:40.2%

西ノ龍 龍太朗

西ノ龍 龍太朗(にしのりゅう りゅうたろう)は大阪府 大阪市中央区出身、境川部屋の力士で最高位は十両4枚目。令和8年5月場所の番付は東 十両9枚目。

父は出羽海部屋の元前頭12枚目・常の山(平成5年引退)。近畿大学附属中学校時代は陸上競技の砲丸投げに取り組んでいたが、相撲を志す思いが強く、中学2年の2学期に強豪の埼玉栄中学校へと転校した。そのまま埼玉栄高校へと進学して鍛錬を重ね、数々の大会で実績を残すと、高校卒業を待たずに平成30年(2018年)11月場所に境川部屋から本名の「下村」で初土俵を踏んだ。埼玉栄高校の出身者が多い環境に加え、父と師匠(13代境川・元小結両国)が出羽海部屋の兄弟弟子であり、父からの勧めもあったことが境川部屋入門の決め手となった。

父ゆかりの四股名と相撲の進化

序ノ口、序二段と順調に通過し、令和2年(2020年)3月場所より、父親が十両時代まで名乗っていた四股名を受け継ぎ「西乃龍」へと改名した。その後は左肩の不調により番付が伸び悩む時期もあったが、令和6年(2024年)5月場所より、父の考案により同郷(種子島)の第25代横綱・2代西ノ海にあやかり、表記を「西ノ龍」へと改める。同場所後には左肩鎖関節亜脱臼の手術に踏み切り、これを機に元来の持ち味である突き押し相撲だけでなく、左四つの型も磨いて相撲の幅を広げていった。

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新十両昇進と史上14組目の親子関取

幕下の土俵で着実に地力を養っていった西ノ龍は、令和7年(2025年)に入ると幕下上位での戦いが続く。同年7月場所において東幕下5枚目で5勝2敗と勝ち越すと、場所後の番付編成会議を経て同年9月場所での新十両昇進が決定した。これにより、大相撲史上14組目となる「親子関取」の快挙を達成している。

新十両として迎えた9月場所を8勝7敗で勝ち越すと、以降もコンスタントに白星を重ねて十両の土俵に定着している。偉大な父の背中を追いかけ、突き押しと左四つを交えた自らの相撲にさらに磨きをかけながら、大相撲の土俵で奮闘を続けている。

💡 大阪府出身一覧💡 境川部屋の力士

四股名
西ノ龍 龍太朗(にしのりゅう りゅうたろう)
最高位
十両4枚目
最新番付
東 十両9枚目
出身地
大阪府 大阪市中央区
本名
下村 龍太朗
生年月日
平成12年(2000)8月20日(25歳)
身長・体重
182cm・141kg
出身高校
埼玉栄高校
所属部屋
境川部屋
改名歴
下村⇒西乃龍 → 西ノ龍
初土俵
平成30年(2018)11月(18歳3ヵ月)
新十両
令和7年(2025)9月(25歳1ヵ月)
優勝
無し
通算成績
189勝155敗0休/344出場(勝率:54.9%)
直近7場所
37勝34敗(幕下以下:9勝5敗)
7場所勝率
54.1%
得意技
突き・押し
決まり手傾向(直近7場所)
西ノ龍が勝ちの決まり手(40勝)※不戦勝1含む
押し出し10
上手投げ8
寄り切り6
突き落とし4
肩透かし3
掬い投げ2
その他6
西ノ龍が負けの決まり手(34敗)
寄り切り11
押し出し7
叩き込み5
寄り倒し4
送り出し2
浴せ倒し1
その他4
令8年5月
東 十両9枚目(5枚降下)
6勝5敗
○○●○○|●○●●○|●    
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年3月
東 十両4枚目(2枚半上昇・最高位更新)
6勝9敗
●○●○●|●○●○●|●●○●○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年1月
西 十両6枚目(3枚上昇・最高位更新)
9勝6敗
○○●○●|●○●○○|●○○○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

▼ さらに過去の成績(4場所分)を見る
令7年11
西 十両9枚目(5枚上昇・最高位更新)
8勝7敗
○●○○●|●●○●●|○□○○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年9月
西 十両14枚目(4枚半上昇・最高位更新)
8勝7敗
○○●○●|○●●○○|●●○○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年7月
東 幕下5枚目(3枚上昇)
5勝2敗
-●-○○|-○-●○|---○-
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年5月
東 幕下8枚目
4勝3敗
-○-○-|○-○●-|-●-●-
取組詳細(対戦相手・決まり手)

對馬洋 勝満

對馬洋 勝満(つしまなだ まさみつ)は長崎県 諫早市出身、境川部屋の力士で最高位は十両9枚目。令和8年5月場所の番付は東 幕下34枚目。

諫早市立湯江小学校の頃から地元の両国少年相撲クラブに通い始めた。中学時代はバスケットボール部だったが引退後に出場した全国中学校相撲選手権大会で勝ち進んだことで諫早農業高校相撲より勧誘があり、同校へと進学して相撲を本格的に再開することとなった。

進学した日本大学では1年次に東日本学生相撲個人体重別選手権大会100㎏未満級優勝、2年次には東日本学生相撲競技会優勝、3年次には東日本学生相撲個人体重別選手権大会115㎏未満級優勝と順調に実績を積み上げていたが、4年次に出場した全日本大学選抜相撲宇和島大会で左膝半月板損傷と左膝前十字靭帯損傷という大怪我を負い、大学最後の年は満足な成績を残すことは出来なかった。

大学卒業後は同郷長崎出身で大学の先輩にもあたる境川親方(元小結・両国)の境川部屋へと入門。平成29年3月場所からは同じ長崎出身の大正時代の大関「對馬洋」の四股名を名乗ることに。直接の血縁関係はないが自身の父親は対馬出身。

💡 長崎県出身一覧💡 境川部屋の力士

四股名
對馬洋 勝満(つしまなだ まさみつ)
最高位
十両9枚目
最新番付
東 幕下34枚目
出身地
長崎県 諫早市
本名
梅野 勝満
生年月日
平成5年(1993)6月27日(32歳)
身長・体重
185.3cm・140.2kg
出身高校
諫早農業高校
出身大学
日本大学
所属部屋
境川部屋
改名歴
梅野 → 對馬洋
初土俵
平成28年(2016)5月(22歳11ヵ月)
新十両
令和4年(2022)11月(29歳5ヵ月)
優勝
無し
通算成績
241勝206敗23休/446出場(勝率:54%)
直近7場所
24勝23敗
7場所勝率
51.1%
得意技
右四つ・寄り
決まり手傾向(直近7場所)
對馬洋が勝ちの決まり手(20勝)
叩き込み6
寄り切り4
上手投げ4
突き落とし3
送り出し1
寄り倒し1
その他1
對馬洋が負けの決まり手(22敗)
寄り切り4
押し出し4
叩き込み3
突き落とし3
送り出し1
つき手1
その他6
令8年5月
東 幕下34枚目(10枚半上昇)
4勝1敗
-●-○-|○-○○-|-    
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年3月
西 幕下44枚目(17枚半降下)
4勝3敗
○--●●|--○●-|-○-○-
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年1月
東 幕下27枚目(8枚上昇)
2勝5敗
●-○-●|-○--●|-●●--
取組詳細(対戦相手・決まり手)

▼ さらに過去の成績(4場所分)を見る
令7年11
東 幕下35枚目(9枚上昇)
4勝3敗
●-○--|●-○●-|○--○-
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年9月
東 幕下44枚目(9枚半降下)
4勝3敗
-○-○○|-●-●-|-○-●-
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年7月
西 幕下34枚目(8枚降下)
3勝4敗
-●○-●|--●-○|-○-●-
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年5月
西 幕下26枚目
3勝4敗
●-○-●|--○-●|-●-○-
取組詳細(対戦相手・決まり手)

中立~境川部屋の最高位:幕下

諫誠 章道

長崎県諫早市出身、境川部屋の元力士で最高位は幕下3枚目。小学生の頃から相撲と空手を習い、わんぱく相撲へも出場したが本当は相撲もスポーツも嫌いだった。しかし、サポートしてくれていた母親のことを想うと「辞めたい」とはとても言えなかった。母子家庭で育てあげてくれた母親孝行のため、高校相撲部の大先輩でもある境川親方のもとへ入門。左膝の負傷による休場で、一時は番付を序ノ口にまで落としたが平成27初場所と3月場所で序ノ口、序二段全勝優勝を遂げ復活をアピールした。

  • 四股名 :諫誠 章道(かんせい あきみち)
  • 最高位 :幕下3枚目
  • 出身地 :長崎県諫早市
  • 本 名 :三木 章道
  • 生年月日:平成元年(1989)8月25日
  • 所属部屋:境川部屋
  • 改名歴 :三木⇒諫乃國⇒諫誠
  • 初土俵 :平成20年(2008)3月(18歳7ヵ月)
  • 最終場所:平成31年(2019)1月(29歳5ヵ月)
  • 生涯戦歴:233勝169敗46休/401出場(65場所)
  • 生涯勝率:58.0%
  • 優勝等 :序二段優勝1回,序ノ口優勝1回

中立~境川部屋の歴代師匠

第12代・中立 秀昭~第13代・境川 豪章 (元小結・両国)

在任期間(平成10年(1998年)5月25日~  )

両国 梶之助 (りょうごく かじのすけ)長崎県長崎市出身、出羽海部屋の元力士で、最高位は小結

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昭和60年(1985)3月場所に22歳7ヶ月で初土俵を踏み、平成4年(1992)11月場所を最後に引退(30歳3ヶ月)※番付上は平成5年(1993)1月場所

通算成績は316勝313敗20休626出場。生涯勝率.505。通算47場所中、25場所を勝ち越した(勝ち越し率.532)。

主な成績は十両優勝1回(同点2)殊勲賞1回、敢闘賞1回、金星3個(千代の富士3個)

昭和37年(1962)7月30日生まれ。本名は小林 秀昭。

日本大学相撲部で活躍し、幕下付出で角界入りした両国は、大横綱・千代の富士から3つの金星を奪うなど、持ち前の闘志あふれる相撲で幕内上位で活躍した力士である。引退後は自ら部屋を創設し、男気あふれる熱血親方として数多くの名力士を育て上げている。

アマチュア時代のライバルと角界への挑戦

長崎県長崎市で生まれ育ち、日本大学へ進学して相撲部で活躍する。同級生であり明治大学相撲部で活躍していた綛田(かせだ)(のちの関脇・栃乃和歌(11代春日野))とは、アマチュア時代から互いに鎬を削る良きライバル関係にあった。

大学時代の実績から幕下付出の資格を得て、出羽海部屋へ入門。昭和60年(1985年)3月場所において、本名を交えた「小林山」の四股名で、ライバルである綛田と共に幕下60枚目格付出として初土俵を踏んだ。

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伝統の四股名襲名と新三役への飛躍

初めて大相撲の土俵に上がった場所は2勝5敗と負け越し、翌場所は三段目へ番付を落としたものの、そこから地力を発揮して一気に番付を駆け上がる。昭和61年(1986年)3月場所で新十両へ昇進。同年7月場所での再十両以降は関取の座に定着し、昭和62年(1987年)3月場所において新入幕を果たした。

この新入幕を機に、出羽海部屋に代々伝わる伝統の四股名である「両国」を襲名した。幕内の土俵でも持ち味を遺憾なく発揮し、同年7月場所では新小結へと昇進して三役の座を掴み取る。大関候補として期待を集めたが関脇にはあと一歩届かず、その後は幕内中位から上位の土俵で激闘を演じることとなる。

大横綱との激闘と3つの金星

幕内上位の土俵では、絶対的な強さを誇っていた第58代横綱・千代の富士に対して無類の強さを発揮した。平成元年(1989年)9月場所より四股名を「両国 梶之助」へと改めると、続く11月場所では東前頭3枚目で10勝5敗の好成績を挙げ、千代の富士から自身初となる金星を獲得し、殊勲賞を受賞する。

さらに、翌平成2年(1990年)3月場所では11勝4敗で敢闘賞と金星を獲得し、同年7月場所においても金星を奪ってみせた。自身が獲得した通算3個の金星はすべて大横綱・千代の富士から挙げたものであり、「千代の富士キラー」として館内を大いに沸かせた。

怪我との闘いと現役引退

その後も再度の三役昇進を目指して奮闘したが、平成4年(1992年)7月場所で左大腿部を挫傷する重傷を負って途中休場を余儀なくされる。さらに、大学時代から抱えていた腰の怪我も悪化したことで本来の相撲が取れなくなり、同年9月場所では2勝13敗と大きく負け越して十両へと陥落してしまう。

続く11月場所は西十両7枚目で迎えたが、初日から1勝5敗としたのち休場し、翌場所の幕下陥落が確定的となった。このため、場所後の12月に現役引退を発表した。

男気あふれる熱血親方として

引退後は年寄「中立」を襲名して出羽海部屋で後進の指導にあたったのち、平成10年(1998年)に独立して中立部屋を創設する。平成15年(2003年)には自身の名跡変更に伴い、部屋の名称を「境川部屋」へと改称した。

指導者としては、人情に厚い「熱血親方」として広く知られている。入門を志願した門元少年(のちの幕内・豊響)が母親にぞんざいな口を利いた際には激怒して入門を破談にしたが、2年後に非礼を詫びて再志願してきた際には「命を懸けて来い」と快く迎え入れた。また、「先人を敬う気持ち」を大切にし、部屋の旅行で訪れたサイパンで慰霊碑の落書きを見た際には、急遽予定を変更して弟子たちと共に汗だくになって清掃にあたったというエピソードも残る。

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師匠としての矜持も強く、弟子に現役時代の番付を抜かれても「偉そうなことが言えなくなるからな」と奢られることは一切なかった。平成26年(2014年)7月、愛弟子である豪栄道の大関昇進を伝える使者を迎えた日は奇しくも自身の52歳の誕生日であったが、周囲が用意したケーキを「今日は豪太郎の日や」と固辞し、弟子の出世を祝うことを優先したという。厳しくも温かいその信念のもと、数多くの関取を育て上げ、現在も大相撲の発展に多大な貢献を果たしている。

四股名
両国 梶之助 (りょうごく かじのすけ)
最高位
小結
年寄名跡
12代中立 秀昭(出羽海) → 12代中立 秀昭12代中立 嗣人13代境川 豪章
出身地
長崎県長崎市
本名
小林 秀昭
生年月日
昭和37年(1962)7月30日(63歳)
出身高校
諫早農業高校
出身大学
日本大学
所属部屋
出羽海部屋
改名歴
小林山 秀昭 → 両国 秀昭 → 両国 梶之助
初土俵
昭和60年(1985)3月 幕下60枚目付出(22歳7ヶ月)
新十両
昭和61年(1986)3月(所要6場所)
23歳7ヶ月(初土俵から1年0ヶ月)
新入幕
昭和62年(1987)3月(所要12場所)
24歳7ヶ月(初土俵から2年0ヶ月)
新小結
昭和62年(1987)7月(所要14場所)
24歳11ヶ月(初土俵から2年4ヶ月)
最終場所
平成4年(1992)11月場所(30歳3ヶ月)※番付上は平成5年(1993)1月場所
大相撲歴
47場所(7年8ヶ月)
通算成績
316勝313敗20休626出場(勝率.505)
通算47場所
勝ち越し25場所(勝ち越し率.532)(勝ち越し星93)
優勝等
十両優勝1回(同点2)
受賞・金星
殊勲賞1回,敢闘賞1回,金星3個(千代の富士3個)
持給金
79円50銭(勝ち越し星93個 金星3個)
幕内戦歴
217勝252敗11休467出場(勝率.465)
在位32場所(在位率.681)
勝ち越し13場所(勝ち越し率.406)
三役戦歴
21勝39敗0休60出場(勝率.350)
在位4場所(在位率.085)
勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
小結戦歴
21勝39敗0休60出場(勝率.350)
在位4場所(在位率.085)
勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
前頭戦歴
196勝213敗11休407出場(勝率.482)
在位28場所(在位率.596)
勝ち越し13場所(勝ち越し率.464)
十両戦歴
64勝47敗9休110出場(勝率.582)
在位8場所(在位率.170)
勝ち越し6場所(勝ち越し率.750)
関取戦歴
281勝299敗20休577出場(勝率.487)
在位40場所(在位率.851)
勝ち越し19場所(勝ち越し率.475)
幕下以下歴
35勝14敗0休49出場(勝率.714)
在位7場所(在位率.149)
勝ち越し6場所(勝ち越し率.857)

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  • ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(109回 / 38.5%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(125回 / 41.5%)
  • ✅ 得意な相手:薩洲洋(10勝2敗 / 勝率.833)
  • ✅ 苦手な相手:大乃国(0勝12敗 / 勝率.000)

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カテゴリー : 出羽海一門

公開日:2018-08-16
投稿者:レイ

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