鹿児島出身の過去から現在までの主な力士をご紹介する鹿児島県の大相撲力士まとめ!この記事では鹿児島出身の関取を中心に、鹿児島の郷土力士をご紹介していきます。
過去の力士については最高位や改名歴、初土俵や各段の昇進時期と最終場所、さらに生涯戦歴と生涯勝率、成績等を中心にご紹介していきます。また、現役力士については最高位と昇進時期、主な成績などを載せています。
なお、年寄名跡欄の
現役の鹿児島県出身力士の最新番付や成績、詳細なデータをご覧になりたい方はこちら
相撲部屋や出身地ごとの場所の成績からランキングを作成しております。初場所、好調な相撲部屋や力士の出身地はどこ?
この記事の目次
鹿児島出身の優勝力士一覧
鹿児島県出身の幕内最高優勝力士を紹介します。
鹿児島県出身の優勝力士一覧
では鹿児島県出身の幕内優勝力士を年月順で一覧表にして見てみましょう。
| № | 四股名 | 優勝場所 | 回数 | 優勝時の番付 | 部屋 | 出身地 | 最高位 | 成績 | 四股名 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 西ノ海(2代) | 大正5年1月 | 初 | 東大関 | 井筒 1944 |
鹿児島県 | 25代横綱 | 8勝0敗1休1分 | 西ノ海(2代) | 鹿児島出身力士初の幕内優勝 |
| 2 | 西ノ海(3代) | 大正14年5月 | 初 | 東横綱 | 井筒 1944 |
鹿児島県 | 30代横綱 | 9勝2敗 | 西ノ海(3代) | |
| 3 | 若嶋津 | 昭和59年3月 | 初 | 東大関 | 二子山 (貴乃花2018) |
鹿児島県 | 大関 | 14勝1敗 | 若嶋津 | 西ノ海(3代)以来、約59年ぶりの鹿児島出身力士の幕内優勝 |
| 4 | 若嶋津 | 昭和59年7月 | 2回目 | 東大関(張出) | 二子山 (貴乃花2018) |
鹿児島県 | 大関 | 15勝0敗 | 若嶋津 | |
| 5 | 霧島 | 平成3年1月 | 初 | 東大関 | 井筒 2019 |
鹿児島県 | 大関 | 14勝1敗 | 霧島 | 初土俵から96場所目での幕内初優勝は当時歴代1位のスロー記録 |
鹿児島県出身の優勝力士ランキング
次は鹿児島県出身力士の優勝回数と成績のランキングです。
| 順位 | 四股名 | 優勝 | 最高位 | 部屋 | 出身地 | 勝数 | 敗数 | 横綱 | 大関 | 関脇 | 小結 | 前頭 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1位 | 若嶋津 | 2回 | 大関 | 二子山 (貴乃花2018) |
鹿児島県 | 29勝 | 1敗 | 0回 | 2回 | 0回 | 0回 | 0回 |
| 2位 | 霧島 | 1回 | 大関 | 井筒 2019 |
鹿児島県 | 14勝 | 1敗 | 0回 | 1回 | 0回 | 0回 | 0回 |
| 2位 | 西ノ海(3代) | 1回 | 30代横綱 | 井筒 1944 |
鹿児島県 | 9勝 | 2敗 | 1回 | 0回 | 0回 | 0回 | 0回 |
| 2位 | 西ノ海(2代) | 1回 | 25代横綱 | 井筒 1944 |
鹿児島県 | 8勝 | 0敗 | 0回 | 1回 | 0回 | 0回 | 0回 |
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鹿児島県出身の最高位:横綱
第16代横綱 西ノ海 嘉治郎
鹿児島県薩摩川内市出身、高砂部屋の元力士で最高位は横綱。京都相撲の鯨波(ときのこえ)部屋に入門、西ノ海の四股名で明治7年(1875)に初土俵を踏み、明治14年(1881)には京都相撲で小結まで番付を上げていた。
この頃、改革をうたって東京相撲会所を脱退した初代高砂浦五郎率いる「高砂改正組」の巡業に参加した西ノ海は、高砂に大いに認められ、高砂が東京相撲会所に復帰するや乞われて上京、西ノ海は高砂部屋所属となる。
高砂のはからいで明治15年(1882)1月の初土俵は幕内格付け出しという特別待遇でのスタート。この期待に違わず西ノ海は順調に番付を上げていくと3年後の明治18年(1885)1月場所では当時の相撲界の「最高位」である大関にまで昇進した。
しかしここからが不運の始まり。翌場所も6勝1敗2分と好成績の西ノ海だったが、それを関脇・大達が8勝1敗と上回ると、なんと翌場所は大達に大関を譲る形で関脇に落とされてしまった。その後も好成績を上げても他の力士との兼ね合いでなかなか大関に戻れず、ようやく西ノ海が大関に復帰できたのは4年半後の明治23年(1890)1月場所だった。
大関復帰の場所を7勝2敗で終えた西ノ海は、場所後の天覧相撲に合わせて横綱免許が授与された。
こうして第16代横綱の「名誉称号」を得た西ノ海だったが翌場所の番付では他の優秀な大関候補に押される形で「張出大関」にさせられそうになる。これには「横綱を許されたのに張り出されるのは侮辱だ」と納得のいかない西ノ海。散々もめた末に編み出された解決策は、大関ではなく「横綱」として張り出すというものだった。
従来の階級では「大関」が番付の最高位であり「横綱」はあくまで名誉称号だったが、番付史上初めて「横綱」と明記されることとなった。こののち、横綱が「最高位」として認められて現代に至ることになる。
こうして横綱として6年12場所を務めた西ノ海は明治29年(1896)1月場所で引退。7代井筒を襲名した後、独立して井筒部屋を開くと西ノ海嘉治郎(2代)や駒ヶ嶽國力、大江山松太郎に逆鉾与治郎などを育て上げた。現代へと続く「井筒の系譜」の礎を築く。
- 四股名 :西ノ海 嘉治郎(初代)(にしのうみ かじろう)
- 最高位 :第16代横綱
- 年寄名跡:
7代井筒 - 出身地 :鹿児島県薩摩川内市
- 本 名 :小園 嘉次郎
- 生年月日:安政2年(1855)1月3日
- 没年月日:明治41年(1908)11月30日(享年53歳)
- 所属部屋:鯨波(京都)⇒高砂部屋
- 初土俵 :明治15年(1882)1月・幕内付出(27歳0ヵ月)
- 新入幕 :明治15年(1882)1月(27歳0ヵ月)
- 新三役 :明治16年(1883)5月(28歳4ヵ月)
- 新大関 :明治18年(1885)1月(30歳0ヵ月)
- 横綱昇進:明治23年(1890)5月(35歳4ヵ月)
- 最終場所:明治29年(1896)1月(41歳0ヵ月)
- 生涯戦歴:127勝37敗97休25分4預/193出場(29場所)
- 生涯勝率:77.4%
- 優勝等 :優勝相当2回
- 幕内戦歴:127勝37敗97休25分4預(29場所)勝率:77.4%
- 横綱:44勝13敗60休1分2預(12場所)勝率:77.2%
- 大関:16勝3敗4休7分(3場所)勝率:84.2%
- 関脇:38勝10敗10休10分2預(7場所)勝率:79.2%
- 小結:15勝5敗17休3分(4場所)勝率:75.0%
- 前頭:14勝6敗6休4分(3場所)勝率:70.0%
第25代横綱 西ノ海 嘉治郎
35歳11ヶ月での高齢初優勝、協会取締役として東西合併にも尽力した
- 四股名 :西ノ海 嘉治郎(2代)(にしのうみ かじろう)
- 最高位 :第25代横綱
- 年寄名跡:
8代井筒 - 出身地 :鹿児島県西之表市
- 本 名 :牧瀬 休八⇒近藤 休八
- 生年月日:明治13年(1880)2月6日
- 没年月日:昭和6年(1931)1月27日(享年50歳)
- 所属部屋:高砂⇒佐ノ山⇒井筒部屋
- 改名歴 :種子ヶ島⇒星甲⇒錦洋⇒西ノ海
- 初土俵 :明治33年(1900)1月(19歳11ヵ月)
- 新十両 :明治38年(1905)5月(25歳3ヵ月)
- 新入幕 :明治39年(1906)5月(26歳3ヵ月)
- 新三役 :明治41年(1908)1月(27歳11ヵ月)
- 新大関 :明治43年(1910)1月(29歳11ヵ月)
- 横綱昇進:大正5年(1916)5月(36歳3ヵ月)
- 最終場所:大正7年(1918)5月(38歳3ヵ月)
- 生涯戦歴:117勝43敗70休29分11預/200出場(28場所)
- 生涯勝率:73.1%
- 優勝等 :幕内優勝1回(次点1)
- 幕内戦歴:106勝38敗70休27分9預(25場所)勝率:73.6%
- 横綱:12勝5敗33休(5場所)勝率:70.6%
- 大関:63勝22敗19休18分8預(13場所)勝率:74.1%
- 関脇:19勝5敗10休6分(4場所)勝率:79.2%
- 前頭:12勝6敗8休3分1預(3場所)勝率:66.7%
- 十両戦歴:11勝5敗2分2預(2場所)勝率:68.8%
第30代横綱 西ノ海 嘉治郎
「三河島事件」の影響で幕内優勝経験のないまま横綱に推された
- 四股名 :西ノ海 嘉治郎(3代)(にしのうみ かじろう)
- 最高位 :第30代横綱
- 年寄名跡:
5代浅香山 - 出身地 :鹿児島県姶良郡
- 本 名 :松山 伊勢助
- 生年月日:明治23年(1890)11月2日
- 没年月日:昭和8年(1933)7月28日(享年42歳)
- 所属部屋:井筒部屋
- 改名歴 :源氏山⇒西ノ海
- 初土俵 :明治43年(1910)1月(19歳2ヵ月)
- 新十両 :大正4年(1915)1月(24歳2ヵ月)
- 新入幕 :大正5年(1916)1月(25歳2ヵ月)
- 新三役 :大正7年(1918)5月(27歳6ヵ月)
- 新大関 :大正11年(1922)1月(31歳2ヵ月)
- 横綱昇進:大正12年(1923)5月(32歳6ヵ月)
- 最終場所:昭和3年(1928)10月(37歳11ヵ月)
- 生涯戦歴:176勝69敗121休4分2預/250出場(42場所)
- 生涯勝率:71.8%
- 優勝等 :幕内優勝1回(次点4),十両優勝1回,幕下優勝1回,序二段優勝1回
- 成 績 :金星1個
- 幕内戦歴:134勝60敗116休2分2預(30場所)勝率:69.1%
- 横綱:49勝19敗95休1預(15場所)勝率:72.1%
- 大関:15勝4敗10休1分(3場所)勝率:78.9%
- 関脇:17勝12敗1預(3場所)勝率:58.6%
- 小結:12勝5敗3休(2場所)勝率:70.6%
- 前頭:41勝20敗8休1分(7場所)勝率:67.2%
- 十両戦歴:10勝2敗1分(2場所)勝率:83.3%
第46代横綱 朝汐 太郎
鹿児島県大島郡徳之島町出身、高砂部屋の元力士。最高位は横綱。太い眉毛と胸毛がトレードマーク、横綱昇進後は脊椎分離症に悩まされた。引退後は部屋を継承し4代朝潮や小錦、水戸泉らを育てた。
- 四股名 :朝汐 太郎(3代)(あさしお たろう)
- 最高位 :第46代横綱
- 年寄名跡:横綱5年・朝潮⇒
13代振分 ⇒5代高砂 - 出身地 :鹿児島県大島郡徳之島町(出生地は兵庫県神戸市)
- 本 名 :米川 文敏
- 生年月日:昭和4年(1929)11月13日
- 没年月日:昭和63年(1988)10月23日(享年58歳)
- 所属部屋:高砂部屋
- 改名歴 :米川⇒朝潮⇒朝汐⇒朝潮
- 初土俵 :昭和23年(1948)10月・新序(18歳11ヵ月)
- 新十両 :昭和25年(1950)9月(20歳10ヵ月)
- 新入幕 :昭和26年(1951)1月(21歳2ヵ月)
- 新三役 :昭和28年(1953)1月(23歳2ヵ月)
- 新大関 :昭和32年(1957)5月(27歳6ヵ月)
- 横綱昇進:昭和34年(1959)5月(29歳6ヵ月)
- 最終場所:昭和37年(1962)1月(32歳2ヵ月)
- 生涯戦歴:501勝270敗101休/766出場(59場所)
- 生涯勝率:65.0%
- 優勝等 :幕内優勝5回(次点3),十両優勝1回
- 成 績 :殊勲賞4回,金星7個
- 幕内戦歴:431勝248敗101休(52場所)勝率:63.5%
- 横綱:102勝58敗95休(17場所)勝率:63.8%
- 大関:117勝42敗6休(11場所)勝率:73.6%
- 関脇:94勝56敗(10場所)勝率:62.7%
- 小結:47勝43敗(6場所)勝率:52.2%
- 前頭:71勝49敗(8場所)勝率:59.2%
- 十両戦歴:14勝1敗(1場所)勝率:93.3%
鹿児島県出身の最高位:大関
若嶋津 六男
若嶋津 六夫 (わかしまづ むつお)は鹿児島県熊毛郡中種子町出身、二子山部屋の元力士で、最高位は大関。
昭和50年(1975)3月場所に18歳2ヶ月で初土俵を踏み、昭和62年(1987)7月場所を最後に引退(30歳6ヶ月)。
通算成績は515勝330敗21休840出場。生涯勝率.613。通算75場所中、54場所を勝ち越した(勝ち越し率.730)。
主な成績は幕内優勝2回(次点6)、十両優勝1回、序二段(同点1)、序ノ口優勝1回、敢闘賞2回、技能賞3回、金星2個(北の湖2個)。
本名は日高 六男。昭和32年(1957)1月12日生まれ。令和8年(2026)3月15日逝去(享年69歳)。
褐色の肌と精悍な顔立ちから「南海の黒豹」と称され、日本中を熱狂させた元大関・若嶋津。記録にも記憶にも残る華々しい土俵人生を歩み、引退後は部屋を興して後進の育成に尽力。幾多の試練を乗り越え、大相撲の発展に生涯を捧げた昭和を代表する名力士である。
二子山部屋への入門と、軽量に苦しんだ下積み時代
鹿児島県種子島に生まれ、幼少期から大自然の中で足腰を鍛えられた。地元の中学校を卒業後、鹿児島商工高校(現・樟南高校)へ進学して相撲部で活躍する。高校卒業後、「土俵の鬼」こと初代若乃花が率いる二子山部屋へ入門し、昭和50年(1975年)3月場所、本名の「日高」で初土俵を踏んだ。
入門当初は体重が100キロに満たず、周囲の大きな力士に弾き飛ばされる苦しい時期が続いた。しかし、地道な稽古で少しずつ体を大きくしながら、左四つ右上手を取って胸を合わせる正攻法の相撲を身につけていく。初土俵から約5年の歳月をかけ、昭和55年(1980年)3月場所で待望の新十両昇進。これを機に四股名を「若島津」へと改め、関取の座を掴むとその才能を一気に開花させていった。
「南海の黒豹」の躍進と大関昇進
昭和56年(1981年)1月場所で新入幕を果たすと、均整の取れた体格と南国出身の凛々しい容貌、そしてバネを生かしたしなやかな相撲から「南海の黒豹」の異名を取り、一躍角界のスターへと成長する。同年11月場所からは2場所連続で横綱・北の湖から金星を奪うなど、上位陣を脅かす存在として猛威を振るった。
昭和57年(1982年)には技能賞と敢闘賞を次々と獲得し、直近3場所で合計34勝という申し分のない好成績を挙げる。そして昭和58年(1983年)1月場所、念願の大関昇進を果たし、同年9月場所より四股名を「若嶋津」へと改めた。
全勝優勝と年間最多勝、絶頂期の輝き
大関としての絶頂期は昭和59年(1984年)に訪れる。3月場所で14勝1敗と初賜杯を抱くと、続く7月場所では15戦全勝で2度目の幕内最高優勝を達成する。綱取りを懸けた9月場所でも終盤まで優勝争いに加わったが、小錦や多賀竜に敗れて11勝4敗に終わり、惜しくも連続優勝と横綱昇進を逃した。それでもこの年は年間最多勝となる71勝(19敗)を記録し、名実ともに大相撲の看板力士として君臨。翌年には、当時絶大な人気を誇っていたアイドル歌手の高田みづえとの結婚を発表し、世紀のビッグカップル誕生は社会現象となるほどの大きな話題を呼んだ。
怪我との闘いと「二所ノ関」の復活
しかし、度重なる怪我や病がその無類なき才能を蝕んでいく。昭和60年(1985年)7月場所で大錦戦で負った左肩と肘の負傷を機に休場や負け越しが増え、苦しい土俵が続いた。満身創痍の中、限界まで戦い抜き、昭和62年(1987年)7月場所を最後に現役を引退した。
引退後は年寄「松ヶ根」を襲名して独立し、のちに小結となる松鳳山らを育成する。平成26年(2014年)末には由緒ある名跡「二所ノ関」を襲名して部屋の看板を掛け替え、一時的に途絶えていた一門の総帥部屋を復活させるという大任を果たした。
角界への献身と次代への継承
平成29年(2017年)には路上で転倒し一時は意識不明の重体に陥るが、懸命の治療と家族の献身的な支えにより奇跡的な回復を見せる。自身の停年を控えた令和3年(2021年)12月、元横綱・稀勢の里と名跡を交換し、二所ノ関の由緒ある看板を次代のホープへ託した。同時に、自身が率いた旧二所ノ関部屋は部屋付きの18代放駒(元関脇・玉乃島)へと継承されて「放駒部屋」へと改称。師匠を退任した自身は17代荒磯として同部屋付きとなり、後進に道を譲る潔い決断を下した。
停年に際しては「今はただ相撲協会や支えてくれた方々に感謝しかありません。いい相撲人生を送らせていただきました」と角界への深い感謝の言葉を残している。停年後も再雇用制度による参与として協会を支えたが、令和5年(2023年)7月に年寄名跡を後進へ譲り、日本相撲協会を退職。そして令和8年(2026年)3月15日、肺炎のため69歳で永眠。幾多の熱戦と色褪せぬカリスマ性は、大相撲の歴史に輝かしい伝説として永遠に語り継がれていく。
- 四股名
- 若嶋津 六夫 (わかしまづ むつお)
- 最高位
- 大関
- 年寄名跡
- 9代松ヶ根 六男(二子山) → 9代松ヶ根 六男 → 12代二所ノ関 六男 → 17代荒磯 六男(放駒)
- 出身地
- 鹿児島県熊毛郡中種子町
- 本名
- 日高 六男
- 生年月日
- 昭和32年(1957)1月12日
- 没年月日
- 令和8年(2026)3月15日(享年69歳)
- 出身高校
- 鹿児島商工高校
- 所属部屋
- 二子山部屋
- 改名歴
- 日高 六男 → 若島津 六男 → 若嶋津 六夫
- 初土俵
- 昭和50年(1975)3月 前相撲(18歳2ヶ月)
- 新十両
- 昭和55年(1980)3月(所要30場所)
- 23歳2ヶ月(初土俵から5年0ヶ月)
- 新入幕
- 昭和56年(1981)1月(所要35場所)
- 24歳0ヶ月(初土俵から5年10ヶ月)
- 新小結
- 昭和57年(1982)7月(所要44場所)
- 25歳6ヶ月(初土俵から7年4ヶ月)
- 新関脇
- 昭和57年(1982)3月(所要42場所)
- 25歳2ヶ月(初土俵から7年0ヶ月)
- 新大関
- 昭和58年(1983)1月(所要47場所)
- 26歳0ヶ月(初土俵から7年10ヶ月)
- 最終場所
- 昭和62年(1987)7月場所(30歳6ヶ月)
- 大相撲歴
- 75場所(12年4ヶ月)
- 通算成績
- 515勝330敗21休840出場(勝率.613)
- 通算75場所
- 勝ち越し54場所(勝ち越し率.730)(勝ち越し星238)
- 優勝等
- 幕内優勝2回(次点6),十両優勝1回,序二段(同点1),序ノ口優勝1回
- 受賞・金星
- 敢闘賞2回,技能賞3回,金星2個(北の湖2個)
- 持給金
- 244円50銭(勝ち越し星238個 優勝2回 金星2個)
- 大関戦歴
- 250勝145敗13休391出場(勝率.639)
- 在位28場所(在位率.373)
- 勝ち越し22場所(勝ち越し率.786)
- 幕内戦歴
- 356勝219敗13休571出場(勝率.623)
- 在位40場所(在位率.533)
- 勝ち越し31場所(勝ち越し率.775)
- 三役戦歴
- 49勝26敗0休75出場(勝率.653)
- 在位5場所(在位率.067)
- 勝ち越し4場所(勝ち越し率.800)
- 関脇戦歴
- 39勝21敗0休60出場(勝率.650)
- 在位4場所(在位率.053)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率.750)
- 小結戦歴
- 10勝5敗0休15出場(勝率.667)
- 在位1場所(在位率.013)
- 勝ち越し1場所(勝ち越し率1.000)
- 前頭戦歴
- 57勝48敗0休105出場(勝率.543)
- 在位7場所(在位率.093)
- 勝ち越し5場所(勝ち越し率.714)
- 十両戦歴
- 44勝30敗1休73出場(勝率.603)
- 在位5場所(在位率.067)
- 勝ち越し4場所(勝ち越し率.800)
- 関取戦歴
- 400勝249敗14休644出場(勝率.621)
- 在位45場所(在位率.600)
- 勝ち越し35場所(勝ち越し率.778)
- 幕下以下歴
- 115勝81敗7休196出場(勝率.587)
- 在位29場所(在位率.387)
- 勝ち越し19場所(勝ち越し率.655)
名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。
- ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(150回 / 37.1%)
- ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(97回 / 38.8%)
- ✅ 得意な相手:巨砲(23勝3敗 / 勝率.885)
- ✅ 苦手な相手:千代の富士(3勝25敗 / 勝率.107)
霧島 一博
霧島 一博(きりしま かずひろ)は鹿児島県姶良郡牧園町出身、君ヶ濱~井筒部屋の元力士で、最高位は大関。
昭和50年(1975)3月場所に15歳11ヶ月で初土俵を踏み、平成8年(1996)3月場所を最後に引退(36歳11ヶ月)。
通算成績は754勝696敗40休1447出場。生涯勝率.520。通算127場所中、74場所を勝ち越した(勝ち越し率.587)。
主な成績は幕内優勝1回(同点1,次点6)。殊勲賞3回,敢闘賞1回,技能賞4回,金星2個(大乃国2個)。
昭和34年(1959)4月3日生まれ。本名は吉永 一美。
ウェイトトレーニングで鍛えあげた「和製ヘラクレス」、引退後は井筒部屋の部屋付親方を経て陸奥部屋を継承。
- 年寄
9代・陸奥 一博 - 四股名
- 霧島 一博(きりしま かずひろ)
- 最高位
- 大関
- 年寄名跡
- 18代錣山 一博 → 10代勝ノ浦 一博 →
9代陸奥 一博 - 出身地
- 鹿児島県姶良郡牧園町
- 本名
- 吉永 一美
- 生年月日
- 昭和34年(1959)4月3日(66歳)
- 所属部屋
- 君ヶ濱~井筒部屋
- 改名歴
- 吉永 一美 → 霧島 一美 → 霧島 一博 → 霧島 和博 → 霧島 一博
- 初土俵
- 昭和50年(1975)3月 前相撲(15歳11ヶ月)
- 新十両
- 昭和57年(1982)5月(所要43場所)
- 23歳1ヶ月(初土俵から7年2ヶ月)
- 新入幕
- 昭和59年(1984)7月(所要56場所)
- 25歳2ヶ月(初土俵から9年4ヶ月)
- 新小結
- 平成元年(1989)1月(所要83場所)
- 29歳9ヶ月(初土俵から13年10ヶ月)
- 新関脇
- 昭和62年(1987)1月(所要71場所)
- 27歳9ヶ月(初土俵から11年10ヶ月)
- 新大関
- 平成2年(1990)5月(所要91場所)
- 31歳1ヶ月(初土俵から15年2ヶ月)
- 最終場所
- 平成8年(1996)3月(36歳11ヶ月)
- 大相撲歴
- 127場所(21年0ヶ月)
- 通算成績
- 754勝696敗40休1447出場(勝率.520)
- 通算127場所
- 勝ち越し74場所(勝ち越し率.587)
- 優勝等
- 幕内優勝1回(同点1,次点6)
- 受賞・金星
- 殊勲賞3回,敢闘賞1回,技能賞4回,金星2個
- 幕内戦歴
- 518勝507敗40休1022出場(勝率.505)
- 在位71場所(在位率.559)
- 勝ち越し40場所(勝ち越し率.563)
- 大関戦歴
- 139勝76敗25休212出場(勝率.647)
- 在位16場所(在位率.126)
- 勝ち越し11場所(勝ち越し率.688)
- 三役戦歴
- 50勝55敗15休105出場(勝率.476)
- 在位8場所(在位率.063)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率.375)
- 関脇戦歴
- 21勝24敗15休45出場(勝率.467)
- 在位4場所(在位率.031)
- 勝ち越し1場所(勝ち越し率.250)
- 小結戦歴
- 29勝31敗0休60出場(勝率.483)
- 在位4場所(在位率.031)
- 勝ち越し2場所(勝ち越し率.500)
- 前頭戦歴
- 329勝376敗0休705出場(勝率.467)
- 在位47場所(在位率.370)
- 勝ち越し26場所(勝ち越し率.553)
- 十両戦歴
- 42勝33敗0休75出場(勝率.560)
- 在位5場所(在位率.039)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率.600)
- 関取戦歴
- 560勝540敗40休1097出場(勝率.509)
- 在位76場所(在位率.598)
- 勝ち越し43場所(勝ち越し率.566)
- 幕下以下歴
- 194勝156敗0休350出場(勝率.554)
- 在位50場所(在位率.394)
- 勝ち越し31場所(勝ち越し率.620)
鹿児島県出身の最高位:関脇
錦洋 与三郎
春秋園事件で天竜三郎に呼応し関西角力協会の中心となって奔走
- 四股名 :錦洋 与三郎(にしきなだ よさぶろう)
- 最高位 :関脇
- 出身地 :鹿児島県姶良郡
- 本 名 :豊平 才藏
- 生年月日:明治33年(1900)7月5日
- 没年月日:昭和35年(1960)3月1日(享年59歳)
- 所属部屋:井筒部屋
- 改名歴 :福山⇒錦洋
- 初土俵 :大正6年(1917)5月(16歳10ヵ月)
- 新十両 :大正12年(1923)5月(22歳10ヵ月)
- 新入幕 :大正14年(1925)1月(24歳6ヵ月)
- 新三役 :昭和2年(1927)10月(27歳3ヵ月)
- 最終場所:昭和7年(1932)1月(31歳6ヵ月)
- 生涯戦歴:188勝125敗23休1分3預/315出場(39場所)
- 生涯勝率:60.1%
- 優勝等 :幕内次点1回,十両優勝1回,幕下優勝1回
- 成 績 :金星1個
- 幕内戦歴:137勝101敗23休1分2預(24場所)勝率:57.6%
- 関脇:37勝34敗6休(7場所)勝率:52.1%
- 小結:7勝4敗(1場所)勝率:63.6%
- 前頭:93勝63敗17休1分2預(16場所)勝率:59.6%
- 十両戦歴:13勝5敗(3場所)勝率:72.2%
鶴ヶ嶺 昭男
鹿児島県姶良郡加治木町出身、井筒部屋(現・陸奥部屋)の元力士で最高位は関脇。もろ差しの名人と呼ばれた技能相撲、師匠としては実子の「井筒三兄弟」を関取に、また霧島を大関にまで育てあげた名伯楽。
- 四股名 :鶴ヶ嶺 昭男(つるがみね あきお)
- 最高位 :関脇
- 年寄名跡:
8代君ヶ濱 ⇒13代井筒 - 出身地 :鹿児島県姶良郡加治木町
- 本 名 :福薗 昭男
- 生年月日:昭和4年(1929)4月26日
- 没年月日:平成18年(2006)5月29日(享年77歳)
- 所属部屋:時津風⇒井筒部屋
- 改名歴 :福薗⇒鶴嶺山⇒鶴ヶ嶺
- 初土俵 :昭和22年(1947)6月(18歳2ヵ月)
- 新十両 :昭和27年(1952)5月(23歳1ヵ月)
- 新入幕 :昭和28年(1953)3月(23歳11ヵ月)
- 新三役 :昭和31年(1956)3月(26歳11ヵ月)
- 最終場所:昭和42年(1967)7月(38歳3ヵ月)
- 生涯戦歴:685勝678敗22休/1358出場(95場所)
- 生涯勝率:50.3%
- 優勝等 :幕内同点1・次点1回,十両優勝1回,序ノ口優勝1回
- 成 績 :殊勲賞2回,敢闘賞2回,技能賞10回,金星10個
- 幕内戦歴:550勝583敗22休(77場所)勝率:48.5%
- 関脇:14勝16敗(2場所)勝率:46.7%
- 小結:49勝86敗(9場所)勝率:36.3%
- 前頭:487勝481敗22休(66場所)勝率:50.3%
- 十両戦歴:38勝22敗(4場所)勝率:63.3%
逆鉾 昭廣
鹿児島県姶良郡加治木町出身、井筒部屋の元力士で最高位は関脇。「井筒三兄弟」の次兄。勝負度胸がよく、父親(元関脇・鶴ヶ峰)譲りのもろ差しで大物を倒す反面、ムラっ気な性格であっさり勝負を投げる癖も。
引退後は18代春日山を経て父親の停年後に部屋を継承、横綱・鶴竜らを育てた。長らく勝負審判を務め、副理事だった頃には審判部副部長の要職も務めた。審判長として土俵下についていた平成28年(2016)3月場所8日目、白鵬に寄り切られて土俵から転落してきた嘉風の下敷きとなって左足を骨折する災難にあったことも。
令和元年(2019)7月場所後に糖尿病が悪化、検査により膵臓がんが発覚して入院していたが9月16日に容態が急変し58歳の若さでこの世を去った。
- 四股名 :逆鉾 昭廣(さかほこ あきひろ)
- 最高位 :関脇
- 年寄名跡:18代春日山⇒
14代井筒 - 出身地 :鹿児島県姶良郡加治木町
- 本 名 :福薗 好昭
- 生年月日:昭和36年(1961)6月18日
- 没年月日:令和元年(2019)9月16日(享年58歳)
- 所属部屋:井筒部屋
- 改名歴 :福薗⇒逆鉾
- 初土俵 :昭和53年(1978)1月(16歳7ヵ月)
- 新十両 :昭和56年(1981)7月(20歳1ヵ月)
- 新入幕 :昭和57年(1982)11月(21歳5ヵ月)
- 新三役 :昭和59年(1984)7月(23歳1ヵ月)
- 最終場所:平成4年(1992)9月(31歳3ヵ月)
- 生涯戦歴:549勝566敗29休/1113出場(89場所)
- 生涯勝率:49.2%
- 優勝等 :幕下同点1回,序ノ口優勝1回
- 成 績 :殊勲賞5回,技能賞4回,金星7個
- 幕内戦歴:392勝447敗16休(57場所)勝率:46.7%
- 関脇:90勝90敗(12場所)勝率:50.0%
- 小結:26勝34敗(4場所)勝率:43.3%
- 前頭:276勝323敗16休(41場所)勝率:46.1%
- 十両戦歴:65勝70敗(9場所)勝率:48.1%
寺尾 常史
寺尾 常史 (てらお つねふみ)は鹿児島県姶良郡加治木町出身、井筒部屋の元力士で、最高位は関脇。
昭和54年(1979)7月場所に16歳5ヶ月で初土俵を踏み、平成14年(2002)9月場所を最後に引退(39歳7ヶ月)。
通算成績は858勝937敗58休1792出場。生涯勝率.479。通算140場所中、70場所を勝ち越した(勝ち越し率.504)。
主な成績は十両優勝2回(同点1)、殊勲賞3回、敢闘賞3回、技能賞1回、金星7個(大乃国3個、千代の富士1個、北勝海1個、貴乃花1個、武蔵丸1個)。
本名は福薗 好文。昭和38年(1963)2月2日生まれ。令和5年(2023)12月17日逝去(享年60歳)。
甘いマスクと回転の速い突っ張りで人気だった井筒三兄弟の三男。四股名は入門前に亡くなった母方の姓。
- 四股名
- 寺尾 常史 (てらお つねふみ)
- 最高位
- 関脇
- 年寄名跡
- 20代錣山 常史(井筒) → 20代錣山 矩幸(井筒) → 20代錣山 矩幸 → 20代錣山 瑛一
- 出身地
- 鹿児島県姶良郡加治木町
- 本名
- 福薗 好文
- 生年月日
- 昭和38年(1963)2月2日
- 没年月日
- 令和5年(2023)12月17日(享年60歳)
- 所属部屋
- 井筒部屋
- 改名歴
- 寺尾 常史 → 源氏山 力三郎 → 寺尾 節男 → 寺尾 常史
- 初土俵
- 昭和54年(1979)7月 前相撲(16歳5ヶ月)
- 新十両
- 昭和59年(1984)7月(所要30場所)
- 21歳5ヶ月(初土俵から5年0ヶ月)
- 新入幕
- 昭和60年(1985)3月(所要34場所)
- 22歳1ヶ月(初土俵から5年8ヶ月)
- 新小結
- 平成2年(1990)3月(所要64場所)
- 27歳1ヶ月(初土俵から10年8ヶ月)
- 新関脇
- 平成元年(1989)3月(所要58場所)
- 26歳1ヶ月(初土俵から9年8ヶ月)
- 最終場所
- 平成14年(2002)9月場所(39歳7ヶ月)
- 大相撲歴
- 140場所(23年2ヶ月)
- 通算成績
- 858勝937敗58休1792出場(勝率.479)
- 通算140場所
- 勝ち越し70場所(勝ち越し率.504)(勝ち越し星152)
- 優勝等
- 十両優勝2回(同点1)
- 受賞・金星
- 殊勲賞3回,敢闘賞3回,技能賞1回,金星7個(大乃国3個、千代の富士1個、北勝海1個、貴乃花1個、武蔵丸1個)
- 持給金
- 160円50銭(勝ち越し星152個 金星7個)
- 幕内戦歴
- 626勝753敗16休1378出場(勝率.454)
- 在位93場所(在位率.664)
- 勝ち越し42場所(勝ち越し率.452)
- 三役戦歴
- 90勝105敗0休195出場(勝率.462)
- 在位13場所(在位率.093)
- 勝ち越し7場所(勝ち越し率.538)
- 関脇戦歴
- 49勝56敗0休105出場(勝率.467)
- 在位7場所(在位率.050)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率.429)
- 小結戦歴
- 41勝49敗0休90出場(勝率.456)
- 在位6場所(在位率.043)
- 勝ち越し4場所(勝ち越し率.667)
- 前頭戦歴
- 536勝648敗16休1183出場(勝率.453)
- 在位80場所(在位率.571)
- 勝ち越し35場所(勝ち越し率.438)
- 十両戦歴
- 113勝100敗42休211出場(勝率.536)
- 在位17場所(在位率.121)
- 勝ち越し9場所(勝ち越し率.529)
- 関取戦歴
- 739勝853敗58休1589出場(勝率.465)
- 在位110場所(在位率.786)
- 勝ち越し51場所(勝ち越し率.464)
- 幕下以下歴
- 119勝84敗0休203出場(勝率.586)
- 在位29場所(在位率.207)
- 勝ち越し19場所(勝ち越し率.655)
名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。
- ✅ 勝った決まり手1位:叩き込み(110回 / 14.9%)
- ✅ 負けた決まり手1位:押し出し(211回 / 24.7%)
- ✅ 得意な相手:栃司(13勝0敗 / 勝率1.000)
- ✅ 苦手な相手:旭富士(2勝24敗 / 勝率.077)
明生 力
明生 力(めいせい ちから)は鹿児島県 大島郡瀬戸内町出身、立浪部屋の力士で最高位は関脇。令和8年3月場所の番付は東 十両7枚目。
しかし中学時代には目立った成績を残せず角界入りか進学かで迷ったが父親に一喝されて入門を決意した。
ヘルニアに苦しみ引退を覚悟したこともあったが、努力によって平成30年7月場所での新入幕を掴んだ“叩き上げ”。
そこから着実に力をつけてきた明生だが令和元年年末、部屋での稽古で左上腕部と肘の筋肉の部分断裂という大怪我を負ってしまう。
十両へと番付を落とした令和2年7月場所では6人による優勝決定戦に進出。最後は立浪部屋力士3人による巴戦になったが豊昇龍、そして天空海を破って自身初の十両優勝を決めた。
四股名は本名の下の名からで「あきお」さんかと思いきや、実は読みも同じ「めいせい」。
- 四股名
- 明生 力(めいせい ちから)
- 最高位
- 関脇
- 最新番付
- 東 十両7枚目
- 出身地
- 鹿児島県 大島郡瀬戸内町
- 本名
- 川畑 明生
- 生年月日
- 平成7年(1995)7月24日(30歳)
- 身長・体重
- 180cm・150kg
- 所属部屋
- 立浪部屋
- 初土俵
- 平成23年(2011)5月(15歳10ヵ月)
- 新十両
- 平成28年(2016)11月(21歳4ヵ月)
- 新入幕
- 平成30年(2018)7月(23歳0ヵ月)
- 新小結
- 令和3年(2021)7月(26歳0ヵ月)
- 新関脇
- 令和3年(2021)9月(26歳2ヵ月)
- 優勝
- 十両優勝1回
- 受賞・金星
- 殊勲賞1回,敢闘賞1回,金星2個
- 通算成績
- 525勝503敗16休/1027出場(勝率:51.1%)
- 直近7場所
- 14勝12敗(幕内:27勝39敗9休)
- 7場所勝率
- 44.6%
- 得意技
- 左四つ・寄り
- 決まり手傾向(直近7場所)
-
明生が勝ちの決まり手(41勝)寄り切り12叩き込み5突き落とし4押し出し4寄り倒し3引き落とし3その他10明生が負けの決まり手(51敗)叩き込み11寄り切り9押し出し7押し倒し4突き出し3上手投げ3その他14
- 令8年3月
- 東 十両7枚目(1枚上昇)
- 6勝5敗
- ●●●○○|○●○○●|○
-
取組詳細(対戦相手・決まり手)
- 1日目●押し出し西十両6 嘉陽
- 2日目●押し出し東十両8 湘南乃海
- 3日目●寄り倒し西十両7 旭海雄
- 4日目〇引き落とし東十両5 輝
- 5日目〇引き落とし西十両5 白熊
- 6日目〇押し出し東十両9 玉正鳳
- 7日目●上手投げ西十両9 羽出山
- 8日目〇寄り切り東十両4 西ノ龍
- 9日目〇突き落とし西十両8 北の若
- 10日目●寄り切り東十両10 出羽ノ龍
- 11日目〇寄り切り西十両筆頭 佐田の海
- 12日目東十両筆頭 竜電
- 令8年1月
- 東 十両8枚目(7枚降下)
- 8勝7敗
- ○○○●●|○●●○○|●●●○○
-
取組詳細(対戦相手・決まり手)
- 1日目〇寄り倒し西十両8 北の若
- 2日目〇寄り切り西十両7 朝翠龍
- 3日目〇突き落とし東十両7 栃大海
- 4日目●押し出し西十両6 西ノ龍
- 5日目●寄り切り東十両9 日翔志
- 6日目〇送り出し東十両6 荒篤山
- 7日目●突き出し東十両11 若ノ勝
- 8日目●切り返し東十両4 佐田の海
- 9日目〇叩き込み西十両4 湘南乃海
- 10日目〇寄り切り東十両3 藤凌駕
- 11日目●突き出し西十両2 輝
- 12日目●押し出し西十両筆頭 藤青雲
- 13日目●寄り切り西十両14 一意
- 14日目〇上手投げ西十両13 出羽ノ龍
- 15日目〇寄り倒し東十両2 大青山
- 令7年11月
- 東 前頭18枚目(5枚降下)
- 1勝5敗9休
- ややややや|やややや●|○●●●●
-
取組詳細(対戦相手・決まり手)
- 1日目や
- 2日目や
- 3日目や
- 4日目や
- 5日目や
- 6日目や
- 7日目や
- 8日目や
- 9日目や
- 10日目●寄り切り東前頭15 錦富士
- 11日目〇肩透かし西前頭13 御嶽海
- 12日目●上手捻り東前頭14 竜電
- 13日目●押し倒し東前頭13 豪ノ山
- 14日目●叩き込み西前頭12 友風
- 15日目●押し倒し東前頭11 獅司
- 令7年9月
- 東 前頭13枚目(7枚半降下)
- 5勝10敗
- ○●●○●|●●●○●|●●○○●
-
取組詳細(対戦相手・決まり手)
- 1日目〇押し出し西前頭13 時疾風
- 2日目●上手投げ西前頭11 狼雅
- 3日目●押し出し東前頭14 佐田の海
- 4日目〇寄り倒し西前頭14 朝紅龍
- 5日目●押し出し西前頭12 御嶽海
- 6日目●叩き込み東前頭16 友風
- 7日目●送り倒し東前頭10 大栄翔
- 8日目●寄り切り東前頭18 獅司
- 9日目〇寄り切り西前頭16 錦木
- 10日目●送り出し東前頭17 竜電
- 11日目●小手投げ西前頭15 湘南乃海
- 12日目●叩き込み西前頭7 欧勝馬
- 13日目〇叩き込み西前頭5 一山本
- 14日目〇叩き込み東前頭3 熱海富士
- 15日目●叩き込み西前頭17 日翔志
- 令7年7月
- 西 前頭5枚目(4枚半上昇)
- 3勝12敗
- ●●○●○|●●○●●|●●●●●
-
取組詳細(対戦相手・決まり手)
- 1日目●突き出し東前頭6 尊富士
- 2日目●突き落とし西前頭4 玉鷲
- 3日目〇叩き込み西前頭6 豪ノ山
- 4日目●叩き込み東前頭7 翔猿
- 5日目〇外掛け西前頭3 金峰山
- 6日目●下手投げ東前頭4 伯桜鵬
- 7日目●突き落とし東前頭5 平戸海
- 8日目〇突き出し東前頭8 佐田の海
- 9日目●叩き込み西前頭2 阿炎
- 10日目●押し倒し西前頭8 一山本
- 11日目●寄り倒し東前頭2 王鵬
- 12日目●叩き込み東前頭9 宇良
- 13日目●叩き込み東小結 欧勝馬
- 14日目●突き倒し西前頭筆頭 若元春
- 15日目●押し倒し東前頭16 嘉陽
- 令7年5月
- 東 前頭10枚目(1枚半上昇)
- 9勝6敗
- ○●○●○|●○○○○|●●○○●
-
取組詳細(対戦相手・決まり手)
- 1日目〇叩き込み西前頭9 翠富士
- 2日目●寄り切り東前頭11 遠藤
- 3日目〇寄り切り西前頭8 金峰山
- 4日目●上手出し投げ東前頭9 安青錦
- 5日目〇突き落とし西前頭11 獅司
- 6日目●小手投げ東前頭12 熱海富士
- 7日目〇寄り切り西前頭10 正代
- 8日目〇小手投げ東前頭7 伯桜鵬
- 9日目〇押し出し西前頭7 美ノ海
- 10日目〇寄り切り西前頭6 翔猿
- 11日目●叩き込み東前頭6 欧勝馬
- 12日目●寄り切り西前頭13 佐田の海
- 13日目〇とったり西前頭14 狼雅
- 14日目〇上手投げ東前頭16 嘉陽
- 15日目●寄り倒し東前頭8 阿武剋
- 令7年3月
- 西 前頭11枚目
- 9勝6敗
- ●○●○○|○○○●○|●●●○○
-
取組詳細(対戦相手・決まり手)
- 1日目●叩き込み東前頭12 宝富士
- 2日目〇押し出し西前頭10 湘南乃海
- 3日目●寄り切り西前頭12 阿武剋
- 4日目〇寄り切り東前頭10 錦木
- 5日目〇寄り切り東前頭11 翠富士
- 6日目〇突き落とし東前頭9 伯桜鵬
- 7日目〇掬い投げ西前頭13 獅司
- 8日目〇寄り切り東前頭14 竜電
- 9日目●寄り切り東前頭8 熱海富士
- 10日目〇小手投げ西前頭17 白熊
- 11日目●叩き込み西前頭16 琴勝峰
- 12日目●押し出し東前頭15 安青錦
- 13日目●上手投げ東前頭18 時疾風
- 14日目〇寄り切り東前頭17 御嶽海
- 15日目〇引き落とし西前頭2 千代翔馬
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鹿児島県出身の最高位:小結
陣岳 隆
長身を活かした突っ張りは威力があったが、攻めが遅く長い相撲が多かった。四股名は故郷・志布志町の山の名前
- 四股名 :陣岳 隆(じんがく たかし)
- 最高位 :小結
- 年寄名跡:17代春日山
- 出身地 :鹿児島県曽於郡志布志町
- 本 名 :中山 隆
- 生年月日:昭和34年(1959)12月24日
- 所属部屋:君ヶ濱⇒井筒部屋
- 初土俵 :昭和52年(1977)5月(17歳5ヵ月)
- 新十両 :昭和57年(1982)7月(22歳7ヵ月)
- 新入幕 :昭和58年(1983)1月(23歳1ヵ月)
- 新三役 :昭和62年(1987)11月(27歳11ヵ月)
- 最終場所:平成3年(1991)9月(31歳9ヵ月)
- 生涯戦歴:499勝538敗13休/1036出場(87場所)
- 生涯勝率:48.1%
- 優勝等 :十両同点1回,序ノ口同点1回
- 成 績 :金星2個
- 幕内戦歴:309勝396敗(47場所)勝率:43.8%
- 小結:5勝25敗(2場所)勝率:16.7%
- 前頭:304勝371敗(45場所)勝率:45.0%
- 十両戦歴:68勝54敗13休(9場所)勝率:55.7%
千代鳳 祐樹
千代鳳 祐樹(ちよおおとり ゆうき)は鹿児島県志布志市出身、九重部屋の元力士で、最高位は小結。
平成20年(2008)5月場所に15歳7ヶ月で初土俵を踏み、令和3年(2021)11月場所を最後に引退(29歳1ヶ月)。
通算成績は430勝363敗104休784出場。生涯勝率.542。通算80場所中、39場所を勝ち越した(勝ち越し率.494)。
主な成績は十両優勝1回,幕下同点2回,序二段優勝1回。
平成4年(1992)10月11日生まれ。本名は木下 祐樹。
小学生の頃から柔道と相撲。柔道は黒帯の腕前で全国大会などで活躍。相撲では小6の時わんぱく相撲全国大会でベスト16入り。
中学卒業後、兄と同じ九重部屋に入門。初土俵から約4年で十両昇進、5年目に新入幕を果たす。三役も経験したが右肩の脱臼と左膝の怪我の影響で番付を大きく落とした。叩きに滅法つよく、容易なことでは前に落ちない相撲が強みだった。
- 年寄
13代大山 祐樹(九重部屋) - 四股名
- 千代鳳 祐樹(ちよおおとり ゆうき)
- 最高位
- 小結
- 年寄名跡
- 23代佐ノ山 祐樹⇒13代大山 祐樹
- 出身地
- 鹿児島県志布志市
- 本名
- 木下 祐樹
- 生年月日
- 平成4年(1992)10月11日(33歳)
- 所属部屋
- 九重部屋
- 改名歴
- 大木下 祐樹 → 千代鳳 祐樹
- 初土俵
- 平成20年(2008)5月 前相撲(15歳7ヶ月)
- 新十両
- 平成24年(2012)3月(所要22場所)
- 19歳5ヶ月(初土俵から3年10ヶ月)
- 新入幕
- 平成25年(2013)5月(所要29場所)
- 20歳7ヶ月(初土俵から5年0ヶ月)
- 新小結
- 平成26年(2014)5月(所要35場所)
- 21歳7ヶ月(初土俵から6年0ヶ月)
- 最終場所
- 令和3年(2021)11月(29歳1ヶ月)
- 大相撲歴
- 80場所(13年6ヶ月)
- 通算成績
- 430勝363敗104休784出場(勝率.542)
- 通算80場所
- 勝ち越し39場所(勝ち越し率.494)
- 優勝等
- 十両優勝1回,幕下同点2回,序二段優勝1回
- 幕内戦歴
- 125勝138敗22休259出場(勝率.475)
- 在位19場所(在位率.238)
- 勝ち越し8場所(勝ち越し率.421)
- 小結戦歴
- 5勝10敗0休15出場(勝率.333)
- 在位1場所(在位率.013)
- 勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
- 前頭戦歴
- 120勝128敗22休244出場(勝率.484)
- 在位18場所(在位率.225)
- 勝ち越し8場所(勝ち越し率.444)
- 十両戦歴
- 164勝143敗53休303出場(勝率.534)
- 在位24場所(在位率.300)
- 勝ち越し10場所(勝ち越し率.417)
- 関取戦歴
- 289勝281敗75休562出場(勝率.507)
- 在位43場所(在位率.538)
- 勝ち越し18場所(勝ち越し率.419)
- 幕下以下歴
- 141勝82敗29休222出場(勝率.632)
- 在位36場所(在位率.450)
- 勝ち越し21場所(勝ち越し率.583)
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