山響(やまひびき)部屋の過去から現在までの主な所属力士をご紹介する山響部屋の大相撲力士まとめ!
この記事では山響部屋と、その前身である北の湖部屋の主な関取を中心に紹介していきます。過去の力士については最高位や改名歴、初土俵や各段の昇進時期と最終場所、さらに生涯戦歴と生涯勝率、成績等を中心にご紹介していきます。また、現役力士については最高位と昇進時期、主な成績などを載せています。
なお、年寄名跡欄の
現役の山響部屋力士の最新番付や成績、詳細なデータをご覧になりたい方はこちら
相撲部屋や出身地ごとの場所の成績からランキングを作成しております。初場所、好調な相撲部屋や力士の出身地はどこ?
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- 一門 :出羽海一門
- 創設 :昭和60年(1985)12月1日 ※北の湖部屋として創設
- 創設者:一代年寄・北の湖 敏満(第55代横綱・北の湖)
- 改称 :平成27年(2015)11月30日
- 改称者:20代・山響 謙司(元前頭筆頭・巌雄)
- 現師匠:同上
- 所在地:東京都江東区東砂6-6-3
- SNS:山響部屋facebook
- SNS:山響部屋Twitter
この記事の目次
山響部屋とは
山響部屋は、三保ヶ関部屋の元横綱・北の湖が創設した北の湖部屋を前身とする相撲部屋です。
昭和60(1985)年1月場所を最後に現役を引退した北の湖は一代年寄・北の湖を襲名。同年12月1日に村井(のち十両9・太晨)や金親(のち十両2)ら力士10人を連れて三保ヶ関部屋から分家独立、北の湖部屋を興しました。
二十山部屋からの移籍
平成18(2006)年6月23日に三保ヶ関部屋時代の弟弟子だった13代二十山(元大関・北天佑)が45歳という若さで亡くなります。生前に後事を託されていた北の湖は、二十山部屋の弟子たちを北の湖部屋へと引き取りました。
ところが平成20(2008)年8月に角界を揺るがした大相撲力士大麻問題では、その二十山部屋から移籍してきた白露山が大麻取締法違反の容疑で家宅捜索を受けます。
大麻所持の証拠は発見されませんでしたが精密検査で陽性反応が出たため、白露山は日本相撲協会から解雇処分となりました。これらの責任を取り北の湖は理事長を辞任します。
木瀬部屋の一時預り
平成22(2010)年5月には三保ヶ関部屋の弟弟子にあたる11代木村瀬平(元前頭筆頭・肥後ノ海)の不祥事で木瀬部屋の閉鎖処分が決定。出羽海一門として北の湖部屋が木瀬部屋一同を預かることとなります。
平成24(2012)年3月場所では木瀬部屋から移籍してきた臥牙丸が小結に昇進。北の湖部屋初の三役力士誕生となりました。
木瀬部屋の閉鎖処分は平成24(2012)年4月に解除され、11代木村瀬平と力士26人は再開された木瀬部屋へと移籍していきました。
北の湖急逝、山響部屋へ
平成27(2015)年九州場所13日目(11月20日)、北の湖急逝。
現職の理事長であり、一代年寄だった北の湖の死を受けた相撲協会は、緊急措置として千秋楽まで部屋付き親方20代山響(元前頭筆頭・厳雄)の師匠代行を認めます。また所属力士たちが北の湖部屋の力士として出場することも認めました。
そして場所後に行われた理事会により20代山響が部屋を継承することが承認されます。こうして部屋の名称は山響部屋へと改められました。
山響部屋の系譜
山響部屋の成り立ちを系譜でご紹介します。
最高位が前頭の現役力士
北はり磨 聖也
北はり磨 聖也(きたはりま せいや)は兵庫県 龍野市出身、山響部屋の力士で最高位は前頭15枚目。令和6年11月場所の番付は西 幕下42枚目。
小学4年生までは柔道だったが、わんぱく相撲で全国大会にまで進んだことを機に相撲へと転向。稀勢の里とは同期生。非常に稽古熱心で周囲からも一目を置かれている。
- 四股名
- 北はり磨 聖也(きたはりま せいや)
- 最高位
- 前頭15枚目
- 最新番付
- 西 幕下42枚目
- 出身地
- 兵庫県 龍野市
- 本名
- 嶋田 聖也
- 生年月日
- 昭和61年(1986)7月28日(38歳)
- 所属部屋
- 北の湖⇒山響部屋
- 改名歴
- 嶋田⇒北はり磨
- 初土俵
- 平成14年(2002)3月(15歳8ヵ月)
- 新十両
- 平成24年(2012)1月(25歳6ヵ月)
- 新入幕
- 平成28年(2016)7月(30歳0ヵ月)
- 優勝
- 三段目優勝1回
- 通算成績
- 574勝573敗7休/1147出場(勝率:50%)
- 直近7場所
- 21勝21敗(十両:4勝11敗)
- 7場所勝率
- 43.9%
- 令6年11月
- 西 幕下42枚目(22枚降下)
- 5勝2敗
- -○●-○|--●○-|○--○-
- 令6年9月
- 西 幕下20枚目(18枚降下)
- 1勝6敗
- -●●--|○-●●-|-●-●-
- 令6年7月
- 西 幕下2枚目(1枚半上昇)
- 1勝6敗
- -●●-●|-●-○-|●---●
- 令6年5月
- 東 幕下4枚目(4枚降下)
- 4勝3敗
- -●●-○|-○-○●|----○
- 令6年3月
- 東 十両14枚目(2枚半上昇)
- 4勝11敗
- ●●●○●|○○●●●|●●○●●
- 令6年1月
- 西 幕下2枚目(8枚半上昇)
- 4勝3敗
- -○●-○|-●-○●|---○-
- 令5年11月
- 東 幕下11枚目
- 6勝1敗
- -○○--|○○-○-|○-●--
鳰の湖 真二
鳰の湖 真二(におのうみ しんじ)は滋賀県 大津市出身、山響部屋の力士で最高位は前頭16枚目。令和6年11月場所の番付は東 幕下42枚目。
大津市立皇子山中では柔道部でキャプテンを務め、全国大会では個人戦ベスト16。四股名は琵琶湖の古称で「水鳥が集まる湖」との意味が。平成24年1月場所での新入幕は滋賀県出身者として蒼樹山以来18年10ヵ月ぶりのこと。
- 四股名
- 鳰の湖 真二(におのうみ しんじ)
- 最高位
- 前頭16枚目
- 最新番付
- 東 幕下42枚目
- 出身地
- 滋賀県 大津市
- 本名
- 田中 真二
- 生年月日
- 昭和61年(1986)12月16日(38歳)
- 所属部屋
- 北の湖⇒山響部屋
- 初土俵
- 平成14年(2002)3月(15歳3ヵ月)
- 新十両
- 平成23年(2011)1月(24歳1ヵ月)
- 新入幕
- 平成24年(2012)1月(25歳1ヵ月)
- 優勝
- 無し
- 通算成績
- 524勝504敗14休/1028出場(勝率:51%)
- 直近7場所
- 24勝25敗
- 7場所勝率
- 49.0%
- 令6年11月
- 東 幕下42枚目(9枚半上昇)
- 3勝4敗
- ●--○●|-○-●-|-●--○
- 令6年9月
- 西 幕下51枚目(24枚上昇)
- 4勝3敗
- -●-○-|●-○-●|○-○--
- 令6年7月
- 東 三段目15枚目(25枚半降下)
- 5勝2敗
- -○○--|●-○-○|-●--○
- 令6年5月
- 西 幕下50枚目(14枚半降下)
- 2勝5敗
- -○-○●|--●●-|●---●
- 令6年3月
- 東 幕下36枚目(3枚半降下)
- 2勝5敗
- -●●-●|--○-●|●---○
- 令6年1月
- 西 幕下32枚目(13枚半上昇)
- 3勝4敗
- ●--●○|--●●-|○---○
- 令5年11月
- 東 幕下46枚目
- 5勝2敗
- ○-●--|○○--○|●-○--
北の湖~山響部屋の前頭
巌雄 謙治
兵庫県姫路市出身、北の湖部屋の元力士で最高位は前頭筆頭。北の湖の一番弟子。新十両場所では大負けして一時は三段目にまで落ちてしまったが、約3年半20場所をかけて再十両を果たした。その後、入幕は北の湖部屋初の幕内力士。平成27年11月の先代の急逝により部屋を継承、名を山響部屋へと改めての再出発となった。
20代・山響 謙司 - 四股名 :巌雄 謙治(がんゆう けんじ)
- 最高位 :前頭筆頭
- 年寄名跡:巌雄⇒小野川⇒山響
- 出身地 :兵庫県姫路市
- 本 名 :平野 建司⇒平野 兼司
- 生年月日:昭和45年(1970)8月6日
- 所属部屋:北の湖部屋
- 改名歴 :平野⇒巌雄
- 初土俵 :昭和61年(1986)3月(15歳7ヵ月)
- 新十両 :平成4年(1992)1月(21歳5ヵ月)
- 新入幕 :平成8年(1996)3月(25歳7ヵ月)
- 最終場所:平成12年(2000)5月(29歳9ヵ月)
- 生涯戦歴:400勝382敗53休/779出場(86場所)
- 生涯勝率:51.2%
- 優勝等 :幕下優勝2回,序二段優勝1回
- 幕内戦歴:144勝195敗6休(23場所)勝率:42.5%
- 十両戦歴:47勝58敗(7場所)勝率:44.8%
白露山 佑太
ロシア出身、北の湖部屋の元力士で最高位は前頭2枚目。入門は二十山部屋。初土俵が一緒の実兄は大鵬・大嶽部屋で幕内力士となった露鵬。兄に遅れること5場所での入幕は、外国人力士として初の兄弟同時幕内だった。二十山親方の急逝により北の湖部屋へと移籍。平成20年9月、大麻の陽性反応が出たことが問題となって協会より解雇
- 四股名 :白露山 佑太(はくろざん ゆうた)
- 最高位 :前頭2枚目
- 出身地 :ロシア連邦北オセチア・アラニヤ共和国ヴラジカヴカーズ市
- 本 名 :バトラズ・フェーリクソヴィッチ・ボラーゾフ
- 生年月日:昭和57年(1982)2月6日
- 所属部屋:二十山⇒北の湖部屋
- 初土俵 :平成14年(2002)5月(20歳3ヵ月)
- 新十両 :平成16年(2004)9月(22歳7ヵ月)
- 新入幕 :平成17年(2005)7月(23歳5ヵ月)
- 最終場所:平成20年(2008)9月(26歳7ヵ月)
- 生涯戦歴:233勝218敗/451出場(38場所)
- 生涯勝率:51.7%
- 優勝等 :なし
- 幕内戦歴:97勝128敗(15場所)勝率:43.1%
- 十両戦歴:74勝61敗(9場所)勝率:54.8%
北太樹 明義
北太樹 明義(きたたいき あけよし)は東京都町田市出身、北の湖~山響部屋の元力士で、最高位は前頭2枚目。
平成10年(1998)3月場所に15歳5ヶ月で初土俵を踏み、平成30年(2018)1月場所を最後に引退(35歳3ヶ月)。
通算成績は649勝649敗2休1297出場。生涯勝率.500。通算118場所中、58場所を勝ち越した(勝ち越し率.496)。
主な成績は十両優勝2回。
昭和57年(1982)10月5日生まれ。本名は讃岐 明義。
四股名は父親によって「地に根を張り、上に向かって大きく育つように」との想いで命名。北の湖親方急逝の平成27年(2015)九州場所・千秋楽では白星を師匠へと手向けた。
- 年寄
29代・小野川 明義(山響部屋) - 四股名
- 北太樹 明義(きたたいき あけよし)
- 最高位
- 前頭2枚目
- 年寄名跡
- 29代小野川 明義
- 出身地
- 東京都町田市
- 本名
- 讃岐 明義
- 生年月日
- 昭和57年(1982)10月5日(42歳)
- 所属部屋
- 北の湖~山響部屋
- 改名歴
- 讃岐 明義 → 北大樹 明義 → 北太樹 明義
- 初土俵
- 平成10年(1998)3月 前相撲(15歳5ヶ月)
- 新十両
- 平成19年(2007)7月(所要56場所)
- 24歳9ヶ月(初土俵から9年4ヶ月)
- 新入幕
- 平成20年(2008)9月(所要63場所)
- 25歳11ヶ月(初土俵から10年6ヶ月)
- 最終場所
- 平成30年(2018)1月(35歳3ヶ月)
- 大相撲歴
- 118場所(19年10ヶ月)
- 通算成績
- 649勝649敗2休1297出場(勝率.500)
- 通算118場所
- 勝ち越し58場所(勝ち越し率.496)
- 優勝等
- 十両優勝2回
- 前頭戦歴
- 255勝315敗0休570出場(勝率.447)
- 在位38場所(在位率.322)
- 勝ち越し15場所(勝ち越し率.395)
- 十両戦歴
- 174勝156敗0休330出場(勝率.527)
- 在位22場所(在位率.186)
- 勝ち越し12場所(勝ち越し率.545)
- 関取戦歴
- 429勝471敗0休900出場(勝率.477)
- 在位60場所(在位率.508)
- 勝ち越し27場所(勝ち越し率.450)
- 幕下以下歴
- 220勝178敗2休397出場(勝率.553)
- 在位57場所(在位率.483)
- 勝ち越し31場所(勝ち越し率.544)
北桜 英敏
広島県広島市安佐北区出身、北の湖部屋の元力士で最高位は前頭9枚目。北の湖部屋2人目の幕内力士誕生は初土俵から約15年の遅咲き。大量の塩まきで「ソルトシェーカー」の異名を水戸泉から継いだ。時間前にも積極的に立っていくその熱い戦いぶりと、サービス精神旺盛なその姿勢で人気者だった。引退後は北の湖部屋の部屋付親方を経て式秀部屋を継承。
9代・式守 秀五郎 - 四股名 :北桜 英敏(きたざくら ひでとし)
- 最高位 :前頭9枚目
- 年寄名跡:26代小野川⇒
9代式秀 - 出身地 :広島県広島市安佐北区
- 本 名 :向 英俊
- 生年月日:昭和46年(1971)12月15日(53歳)
- 所属部屋:北の湖部屋
- 改名歴 :向⇒北桜⇒向⇒北桜
- 初土俵 :昭和62年(1987)3月(15歳3ヵ月)
- 新十両 :平成10年(1998)7月(26歳7ヵ月)
- 新入幕 :平成13年(2001)7月(29歳7ヵ月)
- 最終場所:平成22年(2010)3月(38歳3ヵ月)
- 生涯戦歴:713勝711敗15休/1424出場(138場所)
- 生涯勝率:50.1%
- 優勝等 :十両優勝1回,幕下優勝1回
- 幕内戦歴:70勝110敗(12場所)勝率:38.9%
- 十両戦歴:350勝355敗15休(48場所)勝率:49.6%
北の湖部屋の十両
金親 和憲
神奈川県横浜市鶴見区出身、三保ヶ関~北の湖部屋の元力士で最高位は十両2枚目。引退後、故9代宮城野の次女と結婚。これにより10代宮城野(元幕内・竹葉山)と交代で11代宮城野を襲名、宮城野部屋を継承する事となった。しかし、週刊誌に掲載された記事が問題となって理事会より師匠交代勧告を受け、再び竹葉山が宮城野を名乗ることとなった。その後、16代熊ヶ谷として部屋付き親方を務めていたが次女とは離婚、そして個人マネージャへの暴行で逮捕され平成25年10月に協会から解雇された。
- 四股名 :金親 和憲(かねちか かずのり)
- 最高位 :十両2枚目
- 年寄名跡:
11代宮城野 ⇒16代熊ヶ谷 - 出身地 :神奈川県横浜市鶴見区
- 本 名 :金親 和行⇒山村 和行
- 生年月日:昭和44年(1969)11月12日
- 所属部屋:三保ヶ関⇒北の湖部屋
- 改名歴 :金親⇒月山⇒金親
- 初土俵 :昭和60年(1985)9月(15歳10ヵ月)
- 新十両 :平成4年(1992)3月(22歳4ヵ月)
- 最終場所:平成16年(2004)9月(34歳10ヵ月)
- 生涯戦歴:491勝481敗18休/972出場(115場所)
- 生涯勝率:50.5%
- 優勝等 :なし
- 十両戦歴:167勝193敗(24場所)勝率:46.4%
須佐の湖 善誉
愛知県知多市出身、北の湖部屋の元力士で最高位は十両2枚目。一時は武器である体重が240㎏を記録するも、内臓疾患による体重減少と共に低迷。
- 四股名 :須佐の湖 善誉(すさのうみ よしたか)
- 最高位 :十両2枚目
- 出身地 :愛知県知多市
- 本 名 :金作 善治
- 生年月日:昭和47年(1972)8月30日
- 所属部屋:北の湖部屋
- 改名歴 :金作⇒将兜⇒金作⇒須佐の湖
- 初土俵 :昭和63年(1988)3月(15歳7ヵ月)
- 新十両 :平成5年(1993)9月(21歳1ヵ月)
- 最終場所:平成15年(2003)3月(30歳7ヵ月)
- 生涯戦歴:381勝376敗17休/756出場(91場所)
- 生涯勝率:50.3%
- 優勝等 :十両同点1回,幕下優勝2回,三段目優勝1回,序二段同点1回
- 十両戦歴:120勝150敗(18場所)勝率:44.4%
太晨 光真
大阪府東大阪市出身、北の湖部屋の元力士で最高位は十両9枚目。北の湖の内弟子として三保ヶ関部屋に入門、北の湖部屋の創設とともに移籍。平成3年11場所に十両への昇進を果たし北の湖部屋初の関取となった。
- 四股名 :太晨 光真(たいしん みつまさ)
- 最高位 :十両9枚目
- 出身地 :大阪府東大阪市
- 本 名 :村井 修二
- 生年月日:昭和42年(1967)4月25日
- 所属部屋:三保ヶ関⇒北の湖部屋
- 改名歴 :村井⇒弥刀の湖⇒村井⇒太晨⇒村井⇒太晨⇒村井
- 初土俵 :昭和59年(1984)3月(16歳11ヵ月)
- 新十両 :平成3年(1991)11月(24歳7ヵ月)
- 最終場所:平成6年(1994)9月(27歳5ヵ月)
- 生涯戦歴:239勝218敗/457出場(64場所)
- 生涯勝率:52.3%
- 優勝等 :なし
- 十両戦歴:11勝19敗(2場所)勝率:36.7%
北の湖~山響部屋の幕下
吐合 明文
愛媛県松山市出身、北の湖部屋の元力士で最高位は幕下2枚目。近大で学生横綱を獲得し華々しくデビューも度重なる怪我の影響もあり関取の壁は厚かった。
- 四股名 :吐合 明文(はきあい あきふみ)
- 最高位 :幕下2枚目
- 出身地 :愛媛県松山市
- 本 名 :吐合 明文
- 生年月日:昭和57年(1982)5月11日
- 出身高校:高岡向陵高校
- 出身大学:近畿大学
- 所属部屋:北の湖部屋
- 初土俵 :平成17年(2005)3月・幕下15付出(22歳10ヵ月)
- 最終場所:平成27年(2015)5月(33歳0ヵ月)
- 生涯戦歴:183勝166敗43休/348出場(57場所)
- 生涯勝率:52.4%
- 優勝等 :幕下同点1回,三段目同点1回,序二段同点1回
大露羅 敏
ロシア出身、北の湖~山響部屋の元力士で最高位は幕下43枚目。大相撲史上最重量の288㎏!日本語堪能な愛すべきロシア人力士。先代の師匠・北の湖にたいへん可愛がられ、亡くなるまでの14年間付け人を務めた。生前に交わした約束「北の湖が停年を迎えるまでは現役を続ける」を守り、先代が存命であれば停年を迎えた5月場所を経て、先代が亡くなった11月場所を前にして引退を決意した。
- 四股名 :大露羅 敏(おおろら さとし)
- 最高位 :幕下43枚目
- 出身地 :ロシア連邦ブリヤート共和国ザイグライフスキー
- 本 名 :アナトリイ・ヴァレリエヴィチ・ミハハノフ
- 生年月日:昭和58年(1983)4月26日
- 所属部屋:北の湖⇒山響部屋
- 初土俵 :平成12年(2000)3月(16歳11ヵ月)
- 最終場所:平成30年(2018)9月(35歳5ヵ月)
- 生涯戦歴:376勝382敗12休/756出場(111場所)
- 生涯勝率:49.6%
- 優勝等 :なし
北の湖~山響部屋の歴代師匠
山響部屋の歴代師匠をご紹介いたします。
一代年寄・北の湖 敏満
北の湖 敏満(きたのうみ としみつ)は北海道有珠郡壮瞥町出身、三保ヶ関部屋の元力士で、最高位は第55代横綱。
昭和42年(1967)1月場所に13歳7ヶ月で初土俵を踏み、昭和60年(1985)1月場所を最後に引退(31歳8ヶ月)。
通算成績は951勝350敗107休1293出場。生涯勝率.731。通算109場所中、87場所を勝ち越した(勝ち越し率.806)。
主な成績は幕内優勝24回(同点5,次点11),序二段同点1回。殊勲賞2回,敢闘賞1回,金星1個(北の富士1個)。
本名は小畑 敏満。昭和28年(1953)5月16日生まれ。平成27年(2015)11月20日逝去(享年62歳)。
「怪童」と呼ばれ史上最年少での横綱昇進を果たす。「憎らしいほど強い」と評された。引退後は一代年寄を贈られて自身の部屋を創設、理事長としても手腕を発揮した。平成27年の九州場所中である11月20日に急逝、享年62歳。
- 四股名
- 北の湖 敏満(きたのうみ としみつ)
- 最高位
- 第55代横綱
- 年寄名跡
一代年寄 北の湖 敏満 - 出身地
- 北海道有珠郡壮瞥町
- 本名
- 小畑 敏満
- 生年月日
- 昭和28年(1953)5月16日
- 没年月日
- 平成27年(2015)11月20日(享年62歳)
- 所属部屋
- 三保ヶ関部屋
- 改名歴
- 北の湖 敏満
- 初土俵
- 昭和42年(1967)1月 前相撲(13歳7ヶ月)
- 新十両
- 昭和46年(1971)5月(所要26場所)
- 17歳11ヶ月(初土俵から4年4ヶ月)
- 新入幕
- 昭和47年(1972)1月(所要30場所)
- 18歳7ヶ月(初土俵から5年0ヶ月)
- 新小結
- 昭和48年(1973)1月(所要36場所)
- 19歳7ヶ月(初土俵から6年0ヶ月)
- 新関脇
- 昭和48年(1973)11月(所要41場所)
- 20歳5ヶ月(初土俵から6年10ヶ月)
- 新大関
- 昭和49年(1974)3月(所要43場所)
- 20歳9ヶ月(初土俵から7年2ヶ月)
- 横綱昇進
- 昭和49年(1974)9月(所要46場所)
- 21歳3ヶ月(初土俵から7年8ヶ月)
- 最終場所
- 昭和60年(1985)1月(31歳8ヶ月)
- 大相撲歴
- 109場所(18年0ヶ月)
- 通算成績
- 951勝350敗107休1293出場(勝率.731)
- 通算109場所
- 勝ち越し87場所(勝ち越し率.806)
- 優勝等
- 幕内優勝24回(同点5,次点11),序二段同点1回
- 受賞・金星
- 殊勲賞2回,敢闘賞1回,金星1個
- 幕内戦歴
- 804勝247敗107休1043出場(勝率.765)
- 在位78場所(在位率.716)
- 勝ち越し64場所(勝ち越し率.821)
- 横綱戦歴
- 670勝156敗107休818出場(勝率.811)
- 在位63場所(在位率.578)
- 勝ち越し53場所(勝ち越し率.841)
- 大関戦歴
- 36勝9敗0休45出場(勝率.800)
- 在位3場所(在位率.028)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率1.000)
- 三役戦歴
- 36勝24敗0休60出場(勝率.600)
- 在位4場所(在位率.037)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率.750)
- 関脇戦歴
- 24勝6敗0休30出場(勝率.800)
- 在位2場所(在位率.018)
- 勝ち越し2場所(勝ち越し率1.000)
- 小結戦歴
- 12勝18敗0休30出場(勝率.400)
- 在位2場所(在位率.018)
- 勝ち越し1場所(勝ち越し率.500)
- 前頭戦歴
- 62勝58敗0休120出場(勝率.517)
- 在位8場所(在位率.073)
- 勝ち越し5場所(勝ち越し率.625)
- 十両戦歴
- 43勝32敗0休75出場(勝率.573)
- 在位5場所(在位率.046)
- 勝ち越し4場所(勝ち越し率.800)
- 関取戦歴
- 847勝279敗107休1118出場(勝率.752)
- 在位83場所(在位率.761)
- 勝ち越し68場所(勝ち越し率.819)
- 幕下以下歴
- 104勝71敗0休175出場(勝率.594)
- 在位25場所(在位率.229)
- 勝ち越し19場所(勝ち越し率.760)
20代・山響 謙司
兵庫県姫路市出身、北の湖部屋の元力士で最高位は前頭筆頭。北の湖の一番弟子。新十両場所では大負けして一時は三段目にまで落ちてしまったが、約3年半20場所をかけて再十両を果たした。その後、入幕は北の湖部屋初の幕内力士。平成27年11月の先代の急逝により部屋を継承、名を山響部屋へと改めての再出発となった。
20代・山響 謙司 - 四股名 :巌雄 謙治(がんゆう けんじ)
- 最高位 :前頭筆頭
- 年寄名跡:巌雄⇒小野川⇒山響
- 出身地 :兵庫県姫路市
- 本 名 :平野 建司⇒平野 兼司
- 生年月日:昭和45年(1970)8月6日
- 所属部屋:北の湖部屋
- 改名歴 :平野⇒巌雄
- 初土俵 :昭和61年(1986)3月(15歳7ヵ月)
- 新十両 :平成4年(1992)1月(21歳5ヵ月)
- 新入幕 :平成8年(1996)3月(25歳7ヵ月)
- 最終場所:平成12年(2000)5月(29歳9ヵ月)
- 生涯戦歴:400勝382敗53休/779出場(86場所)
- 生涯勝率:51.2%
- 優勝等 :幕下優勝2回,序二段優勝1回
- 幕内戦歴:144勝195敗6休(23場所)勝率:42.5%
- 十両戦歴:47勝58敗(7場所)勝率:44.8%
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