峰崎(みねざき)部屋の主な所属力士をご紹介する峰崎部屋の大相撲力士まとめ!
この記事では峰崎部屋の主な関取を中心に紹介していきます。最高位や改名歴、初土俵や各段の昇進時期と最終場所、さらに生涯戦歴と生涯勝率、成績等を中心にご紹介していきます。
- 一門
- :二所ノ関一門
- 創設
- :昭和63年(1988年)12月1日
- 創設者
- :第7代・峰崎 修豪 (元前頭2枚目・三杉磯 秀人)
- 最終師匠
- :同上
- 閉鎖
- :令和3年(2021年)3月31日
この記事の目次
峰崎部屋の系図
峰崎部屋の成り立ちを図にしてみました。
峰崎部屋の優勝力士
峰崎部屋の優勝力士は1人もいませんでした。
峰崎部屋の三賞受賞力士
峰崎部屋の三賞受賞力士は1人もいませんでした。
峰崎部屋の歴代師匠
第7代・峰崎 修豪 (元前頭2枚目・三杉磯)
三杉磯 拓也 (みすぎいそ たくや)は青森県八戸市出身、花籠 → 放駒部屋の元力士で、最高位は前頭2枚目。
昭和46年(1971)3月場所に14歳10ヶ月で初土俵を踏み、昭和61年(1986)9月場所を最後に引退(30歳4ヶ月)。
通算成績は545勝567敗5休1119出場。生涯勝率.487。通算94場所中、50場所を勝ち越した(勝ち越し率.538)。
主な成績は十両優勝1回(同点2)、金星2個(北の湖1個、重ノ海1個)。
昭和31年(1956)5月11日生まれ。本名は上沢 秀則。
青森県八戸市出身の三杉磯は、花籠部屋(のちに放駒部屋へ移籍)に所属し、蔵間や出羽の花と並ぶ端正な顔立ちの力士として人気を集めた。最高位は前頭2枚目。北の湖と三重ノ海の両横綱から2日連続で金星を獲得するなど上位を脅かす活躍を見せた。引退後は峰崎部屋を創設して長年にわたり後進の育成に尽力したほか、多趣味な素顔から「ドローン親方」としても広く親しまれた。
異例のスカウトと角界入り
幼い頃は内気な性格であったが、当時からひときわ目を引く長身の持ち主であった。中学生の相撲大会に出場した際に複数のスカウトから声をかけられ、当初は角界入りに及び腰であったものの、花籠部屋OBからの「飛行機に乗せてあげる」という子供心に響く誘い文句が入門の決め手となった。14代常盤山(元関脇・若秩父)の勧誘で故郷の青森県八戸市立大館中学校から杉並区立阿佐ヶ谷中学校へと転校し(当時は中学在学中の入門が認められていた)、昭和46年(1971年)3月場所において本名の「上沢」で初土俵を踏む。
胴長で下半身が発達した相撲向きの体型に加え、非常に稽古熱心な姿勢で早くから嘱望された。18歳の頃には親孝行の思いから一念発起し、午前3時に起床して寝る間も惜しんで稽古に打ち込んだという。その血の滲むような努力が実を結び、昭和51年(1976年)11月場所に新十両へ昇進。そして、その1年後となる昭和52年(1977年)11月場所において、21歳の若さで新入幕を果たした。
幕内での飛躍と苦難の晩年
土俵人生の大きなハイライトとなったのは、西前頭3枚目で迎えた昭和54年(1979年)9月場所である。北の湖と三重ノ海という当時の両横綱から2日連続で金星を獲得し、館内を大きく沸かせた。左四つからの寄りや突っ張りを武器としたが、控えめな性格が土俵上の攻防に影響したのか上位陣の壁を打ち破るには至らず、また下位での大勝ちもなかったため、結果として三役や三賞には手が届かなかった。
現役時代は本名を含めて7つの四股名を名乗ったことで知られ、その中の「東洋(あずまなだ)」時代である昭和56年(1981年)5月場所では十両優勝も飾っている。昭和60年(1985年)12月に師匠である12代花籠(元横綱・輪島)の不祥事に伴って花籠部屋が消滅したため、同門の放駒部屋へ移籍した。しかし、環境の変化を境に負け越しが続くようになり、昭和61年(1986年)9月場所を最後に30歳で現役を引退し、7代峰崎を襲名した。
峰崎部屋の創設と弟子の育成
引退後は放駒部屋の部屋付き親方を経て、昭和63年(1988年)に独立し、練馬区初となる相撲部屋「峰崎部屋」を創設する。一時は所属力士が3人まで減少し、閉鎖も視野に入れるほどの衰退期もあったが、再興された花籠部屋との合併を機に勢いを取り戻し、「誰一人欠かさず弟子を守る」と誓い再起を図った。荒磯部屋で初土俵を踏み、花籠部屋を経て預かることとなった荒鷲を厳しく指導して見事に幕内へと育て上げ、荒鷲からは「峰崎親方が厳しく指導してくださったからこそ、自分を変えることができた」と深い恩義を語られている。
角界での幅広い活動と多趣味な素顔
平成から令和にかけて長きにわたり師匠を務めたが、自身の停年(定年)退職が目前に迫ったことに伴い、令和3年(2021年)4月1日をもって峰崎部屋を閉鎖。自身は所属力士らと共に芝田山部屋へと移籍した。停年後は再雇用されて参与となり、令和4年(2022年)5月からは相撲と関わりの深い野見宿禰神社の管理責任者も務めたが、令和8年(2026年)5月10日の再雇用期間満了に伴い、日本相撲協会を退職した。
親方としての一方で、子供の頃からの熱狂的な鉄道ファンであり、鉄道模型の製作を趣味としていた。現役時代に関連雑誌の取材を受けたり、巡業中に魁輝らと別行動をして鉄道を楽しんだりした思い出を、相撲と鉄道に関する書籍の対談で明かしている。さらに、部屋持ち時代に夏合宿先の長野県平谷村で、認知症予防のつもりで始めたドローン飛行にも熱中。280時間以上の飛行実績を積んで国家試験に合格するなどプロ並みの腕前を誇った。自宅に数十万円の機体を所有し、令和3年(2021年)12月には協会からの依頼で両国国技館を空撮するなど「ドローン親方」として広く脚光を浴びた。
- 四股名
- 三杉磯 拓也 (みすぎいそ たくや)
- 最高位
- 前頭2枚目
- 年寄名跡
- 7代峰崎 修豪(放駒) → 7代峰崎 修豪 → 7代峰崎 修豪(芝田山)
- 出身地
- 青森県八戸市
- 本名
- 上沢 秀則
- 生年月日
- 昭和31年(1956)5月11日
- 所属部屋
- 花籠 → 放駒部屋
- 改名歴
- 上沢 → 三杉磯 秀人 → 三杉磯 吉明 → 三杉磯 豊秀 → 三杉磯 秀人 → 東洋 公大 → 三杉磯 秀人 → 三杉磯 拓也
- 初土俵
- 昭和46年(1971)3月 前相撲(14歳10ヶ月)
- 新十両
- 昭和51年(1976)11月(所要34場所)
- 20歳6ヶ月(初土俵から5年8ヶ月)
- 新入幕
- 昭和52年(1977)11月(所要40場所)
- 21歳6ヶ月(初土俵から6年8ヶ月)
- 最終場所
- 昭和61年(1986)9月場所(30歳4ヶ月)
- 大相撲歴
- 94場所(15年6ヶ月)
- 通算成績
- 545勝567敗5休1119出場(勝率.487)
- 通算94場所
- 勝ち越し50場所(勝ち越し率.538)(勝ち越し星124)
- 優勝等
- 十両優勝1回(同点2)
- 受賞・金星
- 金星2個(北の湖1個、重ノ海1個)
- 持給金
- 94円50銭(勝ち越し星124個 金星2個)
- 幕内戦歴
- 233勝287敗5休519出場(勝率.449)
- 在位35場所(在位率.372)
- 勝ち越し14場所(勝ち越し率.400)
- 前頭戦歴
- 233勝287敗5休519出場(勝率.449)
- 在位35場所(在位率.372)
- 勝ち越し14場所(勝ち越し率.400)
- 十両戦歴
- 188勝187敗0休375出場(勝率.501)
- 在位25場所(在位率.266)
- 勝ち越し15場所(勝ち越し率.600)
- 関取戦歴
- 421勝474敗5休894出場(勝率.471)
- 在位60場所(在位率.638)
- 勝ち越し29場所(勝ち越し率.483)
- 幕下以下歴
- 124勝93敗0休225出場(勝率.551)
- 在位33場所(在位率.351)
- 勝ち越し21場所(勝ち越し率.636)
名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。
- ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(114回 / 27.0%)
- ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(169回 / 35.4%)
- ✅ 得意な相手:青葉城(19勝3敗 / 勝率.864)
- ✅ 苦手な相手:隆の里(1勝10敗 / 勝率.091)
出身地別、力士別、初土俵別など様々な方法で力士データをまとめています。
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