山口県出身の力士一覧!過去から現在、山口の主な関取を網羅しました

山口出身の過去から現在までの主な力士をご紹介する山口県の大相撲力士まとめ!この記事では山口出身の関取を中心に、山口の郷土力士をご紹介していきます。

過去の力士については最高位や改名歴、初土俵や各段の昇進時期と最終場所、さらに生涯戦歴と生涯勝率、成績等を中心にご紹介していきます。また、現役力士については最高位と昇進時期、主な成績などを載せています。

なお、年寄名跡欄のマークは、その代で師匠(部屋持ち親方)になったことがあるという意味です。

現役の山口県出身力士の最新番付や成績、詳細なデータをご覧になりたい方はこちら


相撲部屋や出身地ごとの場所の成績からランキングを作成しております。初場所、好調な相撲部屋や力士の出身地はどこ?

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山口県出身の優勝力士

優勝制度が制定された明治42年(1909)6月場所以降、1人の山口県出身の幕内最高優勝力士が誕生しています。

山口県出身初優勝はいつで誰?

山口県出身の初優勝力士は、昭和49年(1974)11月場所で西小結(張出)だった魁傑です。

山口県出身の優勝力士一覧

では山口県出身の幕内優勝力士を年月順で一覧表にして見てみましょう。

四股名 優勝場所 回数 優勝時の番付 部屋 出身地 最高位 成績 四股名 備考
1 魁傑 昭和49年11月 西小結(張出) 花籠
1985
山口県 大関 12勝3敗 魁傑
2 魁傑 昭和51年9月 2回目 西前頭4枚目 花籠
1985
山口県 大関 14勝1敗 魁傑

山口県出身の優勝力士ランキング

次は山口県出身力士の優勝回数と成績のランキングです。

順位 四股名 優勝 最高位 部屋 出身地 勝数 敗数 横綱 大関 関脇 小結 前頭
1位 魁傑 2回 大関 花籠
1985
山口県 26勝 4敗 0回 0回 0回 1回 1回
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山口県出身力士を検索

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山口県出身の最高位:大関

魁傑 將晃

魁傑 將晃 (かいけつ まさてる)山口県岩国市出身、花籠部屋の元力士で、最高位は大関

昭和41年(1966)9月場所に18歳6ヶ月で初土俵を踏み、昭和54年(1979)1月場所を最後に引退(30歳10ヶ月)。

通算成績は528勝410敗0休937出場。生涯勝率.564。通算75場所中、45場所を勝ち越した(勝ち越し率.608)。

主な成績は幕内優勝2回(同点1 次点4)、三段目優勝1回、序ノ口優勝1回殊勲賞2回、敢闘賞7回、技能賞1回、金星3個(北の富士1個、琴櫻1個、北の湖1個)

本名は西森 輝門。昭和23年(1948)2月16日生まれ。平成26年(2014)5月18日逝去(享年66歳)。

「クリーン大関」と称されるほどの実直な人柄と、柔道仕込みの強靭な足腰を武器に大相撲の土俵を沸かせた魁傑。輪島、貴ノ花とともに「阿佐ヶ谷トリオ」として絶大な人気を誇った。大関陥落後に平幕まで番付を下げながらも、不屈の闘志で幕内最高優勝を飾り、再び大関の座へ返り咲くという史上初の快挙を成し遂げた伝説の力士である。

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柔道のエリートから予期せぬ角界入り

山口県岩国市に生まれ、幼少期から柔道に打ち込んだ。講道館の紅白試合で6人抜きを達成するなど輝かしい実績を挙げ、特待生として日本大学へ進学。将来の五輪代表と目されるほどの素質を持っていた。その才能に目を付けた花籠親方(元前頭・大ノ海)から熱心なスカウトを受け、当初は相撲取りになる気は全くなかったものの、親方の強引な説得に折れる形で日大を中退し、花籠部屋への入門を受け入れた。

昭和41年(1966年)9月場所、本名の「西森」で初土俵を踏む。十両昇進を機に「花錦」を名乗ったが本人は気に入らず、女将さんの提案で「魁傑」へと改名した。当初は昼寝の間に決まっていた四股名に戸惑ったものの、中国の武将に由来する勝負師にふさわしい名であると知り、大いに気に入ったという。

阿佐ヶ谷トリオ旋風と大関昇進

昭和46年(1971年)9月場所の新入幕以降、朴訥で気は優しそうな顔立ちが女学生に受けて「魁傑ギャル」と呼ばれるファンを生み出し、同部屋の輪島、貴ノ花とともに「阿佐ヶ谷トリオ」として土俵を牽引した。

昭和47年(1972年)3月場所では西前頭7枚目で横綱・北の富士を破るなど12勝を挙げて優勝決定戦に進出。決定戦では関脇・長谷川に敗れて惜しくも優勝は逃したが、初の三賞(技能賞・殊勲賞)と金星を獲得する大活躍をみせた。

その後、昭和49年(1974年)11月場所に西小結で12勝3敗の成績を収め、自身初となる幕内最高優勝の栄冠に輝く。続く昭和50年(1975年)1月場所でも11勝を挙げ、同年3月場所で大関昇進を果たした。

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「休場は試合放棄」、大関陥落からの史上初復帰

新大関となった昭和50年(1975年)3月場所で11勝、翌5月場所でも優勝に次ぐ12勝と順調なスタートを切った。しかし綱取りを懸けた7月場所では、2日目から4連敗するなど星が上がらず、周囲から休場を勧められるが「力士は土俵あってこその命。休場は試合放棄と同じ」と言い放ち、千秋楽まで戦い抜いて8勝7敗と勝ち越した。

だが、深刻な左肘の故障により得意の攻めが出せず、翌9月、そして11月場所と2場所連続の負け越しを喫し、在位わずか5場所での大関陥落となってしまった。その後、平幕まで番付を落とし、周囲からは暗に引退も勧められたが、魁傑の闘志は消えていなかった。昭和51年(1976年)9月場所、西前頭4枚目で14勝1敗と圧倒的な強さを見せ、元大関として史上初となる平幕優勝を果たす。

その後も関脇で11勝を連発し、直近3場所で36勝という見事な成績を残して昭和52年(1977年)3月場所に大関復帰を果たした。大関から平幕まで陥落した力士が再び大関に返り咲くのは、大相撲史上初の快挙であった。復帰の昇進伝達式では「一度大関の名を汚してしまった」という実直な思いから、「謹んでお受けします」とだけ口上を述べた。

引退、そして角界を救った実直な相撲道

その後、肘の怪我が限界に達して再び大関から陥落し、昭和54年(1979年)1月場所を最後に現役を引退した。初土俵から一度の休場もなく「13年間、精一杯やって来て悔いはない」と笑顔で語った。

引退後は年寄「放駒」を襲名して独立し、横綱・大乃国らを育て上げた。のちに日本相撲協会の理事長に就任すると、野球賭博問題や八百長問題といった未曾有の危機に直面するが、強い責任感と厳格な姿勢で難局を乗り越え、伝統ある大相撲の存続に尽力した。平成26年(2014年)に66歳でこの世を去ったが、幾度もの絶望的な状況から立ち上がり、不言実行を貫いたその歩みは、大相撲の歴史に燦然と輝く伝説として今も語り継がれている。

四股名
魁傑 將晃 (かいけつ まさてる)
最高位
大関
年寄名跡
17代放駒 輝門(花籠) → 17代放駒 輝門 → 17代放駒 輝門(芝田山)
出身地
山口県岩国市
本名
西森 輝門
生年月日
昭和23年(1948)2月16日
没年月日
平成26年(2014)5月18日(享年66歳)
出身高校
下関中央工業高校
出身大学
日本大学・中退
所属部屋
花籠部屋
改名歴
西森 輝門 → 花錦 輝之 → 魁傑 輝之 → 魁傑 將晃
初土俵
昭和41年(1966)9月 前相撲(18歳6ヶ月)
新十両
昭和45年(1970)1月(所要20場所)
21歳10ヶ月(初土俵から3年4ヶ月)
新入幕
昭和46年(1971)9月(所要30場所)
23歳6ヶ月(初土俵から5年0ヶ月)
新小結
昭和47年(1972)5月(所要34場所)
24歳2ヶ月(初土俵から5年8ヶ月)
新関脇
昭和47年(1972)7月(所要35場所)
24歳4ヶ月(初土俵から5年10ヶ月)
新大関
昭和50年(1975)3月(所要51場所)
27歳0ヶ月(初土俵から8年6ヶ月)
最終場所
昭和54年(1979)1月場所(30歳10ヶ月)
大相撲歴
75場所(12年4ヶ月)
通算成績
528勝410敗0休937出場(勝率.564)
通算75場所
勝ち越し45場所(勝ち越し率.608)(勝ち越し星195)
優勝等
幕内優勝2回(同点1 次点4),三段目優勝1回,序ノ口優勝1回
受賞・金星
殊勲賞2回,敢闘賞7回,技能賞1回,金星3個(北の富士1個、琴櫻1個、北の湖1個)
持給金
210円50銭(勝ち越し星195個 優勝2回 金星3個)
大関戦歴
70勝65敗0休135出場(勝率.519)
在位9場所(在位率.120)
勝ち越し5場所(勝ち越し率.556)
幕内戦歴
367勝304敗0休670出場(勝率.548)
在位45場所(在位率.600)
勝ち越し25場所(勝ち越し率.556)
三役戦歴
175勝140敗0休315出場(勝率.556)
在位21場所(在位率.280)
勝ち越し12場所(勝ち越し率.571)
関脇戦歴
107勝88敗0休195出場(勝率.549)
在位13場所(在位率.173)
勝ち越し7場所(勝ち越し率.538)
小結戦歴
68勝52敗0休120出場(勝率.567)
在位8場所(在位率.107)
勝ち越し5場所(勝ち越し率.625)
前頭戦歴
122勝99敗0休220出場(勝率.555)
在位15場所(在位率.200)
勝ち越し8場所(勝ち越し率.533)
十両戦歴
66勝54敗0休120出場(勝率.550)
在位8場所(在位率.107)
勝ち越し5場所(勝ち越し率.625)
関取戦歴
433勝358敗0休790出場(勝率.548)
在位53場所(在位率.707)
勝ち越し30場所(勝ち越し率.566)
幕下以下歴
95勝52敗0休147出場(勝率.646)
在位21場所(在位率.280)
勝ち越し15場所(勝ち越し率.714)

魁傑 將晃の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

  • ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(117回 / 26.8%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(115回 / 31.9%)
  • ✅ 得意な相手:富士櫻(25勝12敗 / 勝率.676)
  • ✅ 苦手な相手:北の湖(9勝27敗 / 勝率.250)

山口県出身の最高位:小結

旭道山 和泰

真っ向勝負の「南海のハブ」は敢闘精神の塊!弟は行司の木村寿之介

  • 四股名 :旭道山 和泰(きょくどうざん かずやす)
  • 最高位 :小結
  • 出身地 :山口県佐波郡徳地町 ⇒ 鹿児島県大島郡徳之島町
  • 本 名 :波田 和泰
  • 生年月日:昭和39年(1964)10月14日
  • 所属部屋:大島部屋
  • 初土俵 :昭和55年(1980)5月(15歳7ヵ月)
  • 新十両 :昭和63年(1988)7月(23歳9ヵ月)
  • 新入幕 :平成元年(1989)1月(24歳3ヵ月)
  • 新三役 :平成4年(1992)9月(27歳11ヵ月)
  • 最終場所:平成8年(1996)11月(32歳1ヵ月)
  • 生涯戦歴:537勝549敗/1086出場(99場所)
  • 生涯勝率:49.4%
  • 優勝等 :十両同点1回,序ノ口優勝1回
  • 成 績 :殊勲賞2回,敢闘賞2回,金星1個
  • 幕内戦歴:325勝380敗(47場所)勝率:46.1%
  •   小結:16勝29敗(3場所)勝率:35.6%
  •   前頭:309勝351敗(44場所)勝率:46.8%
  • 十両戦歴:28勝17敗(3場所)勝率:62.2%

豊真将 紀行

豊真将 紀行(ほうましょう のりゆき)山口県下関市出身、錣山部屋の元力士で、最高位は小結

平成16年(2004)3月場所に22歳10ヶ月で初土俵を踏み、平成27年(2015)1月場所を最後に引退(33歳9ヶ月)。

通算成績は415勝344敗113休756出場。生涯勝率.547。通算65場所中、37場所を勝ち越した(勝ち越し率.578)。

主な成績は幕内次点3回,十両優勝1回三段目優勝1回敢闘賞5回,技能賞2回

昭和56年(1981)4月16日生まれ。本名は山本 洋介。

「相撲留学」の埼玉栄高校を経て日本大学へと進学、当初からレギュラーで活躍していたが蜂窩織炎の悪化により1年で相撲部を退部。一時は相撲から離れていたが、症状が回復したこともあり再び相撲を志して創設間もない錣山部屋の門を叩いた。

序ノ口から順調に勝ち越しを続けて所要11場所で新十両昇進、錣山部屋初の関取となった。さらに勢いは止まらず序ノ口から12場所連続勝ち越し、所要13場所で一気に新入幕を果たした。山口県出身力士では魁傑(大関)以来35年ぶりとなる幕内力士誕生だった。丁寧な所作と取組後の礼が清々しかった相撲道の体現者。

年寄
21代・錣山 矩幸
四股名
豊真将 紀行(ほうましょう のりゆき)
最高位
小結
年寄名跡
19代立田川 洋介⇒21代錣山 矩幸
出身地
山口県下関市
本名
山本 洋介
生年月日
昭和56年(1981)4月16日(44歳)
出身高校
埼玉栄高校
出身大学
日本大学(中退)
所属部屋
錣山部屋
改名歴
山本 洋介 → 豊真将 紀行
初土俵
平成16年(2004)3月 前相撲(22歳10ヶ月)
新十両
平成18年(2006)1月(所要11場所)
24歳8ヶ月(初土俵から1年10ヶ月)
新入幕
平成18年(2006)5月(所要13場所)
25歳0ヶ月(初土俵から2年2ヶ月)
新小結
平成23年(2011)11月(所要45場所)
30歳6ヶ月(初土俵から7年8ヶ月)
最終場所
平成27年(2015)1月(33歳9ヶ月)
大相撲歴
65場所(10年10ヶ月)
通算成績
415勝344敗113休756出場(勝率.547)
通算65場所
勝ち越し37場所(勝ち越し率.578)
優勝等
幕内次点3回,十両優勝1回三段目優勝1回
受賞・金星
敢闘賞5回,技能賞2回
幕内戦歴
309勝304敗77休611出場(勝率.504)
在位46場所(在位率.708)
勝ち越し22場所(勝ち越し率.478)
小結戦歴
12勝33敗0休45出場(勝率.267)
在位3場所(在位率.046)
勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
前頭戦歴
297勝271敗77休566出場(勝率.523)
在位43場所(在位率.662)
勝ち越し22場所(勝ち越し率.512)
十両戦歴
54勝22敗29休75出場(勝率.711)
在位7場所(在位率.108)
勝ち越し5場所(勝ち越し率.714)
関取戦歴
363勝326敗106休686出場(勝率.527)
在位53場所(在位率.815)
勝ち越し27場所(勝ち越し率.509)
幕下以下歴
52勝18敗7休70出場(勝率.743)
在位11場所(在位率.169)
勝ち越し10場所(勝ち越し率.909)


山口県出身の最高位:前頭

豊響 隆太

豊響 隆太 (とよひびき りゅうた)山口県下関市出身、境川部屋の元力士で、最高位は前頭2枚目

平成17年(2005)1月場所に20歳1ヶ月で初土俵を踏み、令和3年(2021)5月場所を最後に引退(36歳5ヶ月)※番付上は令和3年(2021)7月場所

通算成績は569勝565敗66休1134出場。生涯勝率.502。通算97場所中、47場所を勝ち越した(勝ち越し率.490)。

主な成績は幕内(次点1)、十両優勝3回(同点1)、序二段優勝1回敢闘賞3回、金星1個(白鵬1個)

昭和59年(1984)11月16日生まれ。本名は門元 隆太。

高校卒業後にトラック運転手などを経て角界へ飛び込み、初土俵からわずか2年半で幕内の土俵へ駆け上がった豊響は、「平成の猛牛」の異名で土俵を沸かせた名力士である。一度は入門が破談になりながらも師匠の男気に触れて角界入りを果たし、網膜剥離や不整脈といった幾多の病に見舞われながらも、自身の代名詞である突き押し相撲を頑なに貫き通した。

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入門の破談と師匠の男気

幼少期に両親が離婚し、母の手一つで育てられた。小学2年生の時に山口県豊浦郡豊浦町(現在の山口県下関市)へ移り、地元のスポーツ少年団で相撲を始める。山口県立響高校に在学中、境川親方(元小結・両国)が勧誘に訪れたが、入門を勧める母に対して「だったらお前が行けよ」とぞんざいな口を利いてしまう。これを見た境川親方は「親に向かってそんな口を叩く奴はこっちからごめんだ」と激怒して席を立ち、入門は一度破談となった。

高校卒業後はすぐには相撲界へ進まず、造船所でのアルバイトやトラック運転手などをして生計を立てていた。しかし、平成16年(2004年)の埼玉国体(成年の部)で個人ベスト16に入ったことを機に、相撲への情熱が再燃する。自身の非を叱ってくれた境川親方の男気に惹かれていたこともあり、自ら部屋へ出向いて母への態度を詫びて入門を志願。「命を懸けて来い」と受け入れられ、平成17年(2005年)1月場所において、20歳で本名の「門元」を四股名として初土俵を踏んだ。

怒涛のスピード出世と「豊響」の誕生

社会人を経てからの遅咲きのスタートであったが、出世の足取りは驚異的であった。序二段優勝を飾るなど各段で結果を残し、初土俵からちょうど2年となる平成19年(2007年)1月場所において新十両昇進を果たす。この昇進に合わせて四股名を「豊響」へと改名した。「豊」の字は出身地である豊浦町と母である豊美さんの一字から、「響」の字は母校である響高校に由来しており、迷惑をかけた母と故郷への感謝が込められた四股名であった。

新十両の場所を見事に10勝5敗の成績で十両優勝で飾ると、続く同年7月場所では早くも新入幕を果たした。幕内として初めて臨んだこの場所でも11勝4敗の好成績を挙げて敢闘賞を受賞し、一気に上位戦線へと番付を駆け上がった。

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網膜剥離の試練と大金星

立ち合いからの猛烈なぶちかましと、愚直なまでに前に出る突き押し相撲を武器とし、その迫力ある取り口からいつしか「平成の猛牛」と称されるようになった。しかし、自己最高位となる東前頭2枚目で迎えた平成20年(2008年)11月場所の直前、左目の網膜剥離という力士として致命的な病が判明し、自己最高位の場所を全休するという大きな試練に見舞われる。

それでも「相手に当たる怖さはあったが、押しへのこだわりがあった」と真っ向勝負を貫き通し、土俵へ復帰した。平成22年(2010年)1月場所では西前頭16枚目で12勝3敗の好成績を挙げて優勝争いに加わり、自身3度目となる敢闘賞を獲得する。さらに、東前頭3枚目で迎えた平成24年(2012年)5月場所では、圧倒的な強さを誇っていた横綱・白鵬を破り、自身初にして唯一の金星を獲得した。のちに本人は、この横綱戦での白星を引退会見にて「最も思い出に残る取組」として挙げている。

不整脈との闘いと母への恩返し

その後も幕内中位から上位の土俵で長く存在感を示し続けたが、現役生活の晩年は再び病に苦しめられた。平成30年(2018年)1月場所の直前に不整脈を発症して全休を余儀なくされ、この休場により長く守り続けた関取の座から陥落してしまう。

心臓への負担という大きなリスクを抱え、何度も引退が頭をよぎったというが、「家族に相撲を取る姿を見せたい」「母に恩返しをしたい」という強い思いから決して土俵を諦めることはなかった。その後も3年間にわたり幕下で現役続行への道を模索してもがき続けたが、次第に休場がちとなり、「幕下暮らしで気力がなくなった」と限界を悟る。三段目で全休した令和3年(2021年)5月場所の終了後に引退を決断した。初土俵から16年半、生涯戦歴は569勝565敗であった。

引退後は年寄「山科」を襲名し、日本相撲協会に残って後進の指導にあたっている。引退に際し、入門時の破談から見守り続けてきた師匠の境川親方からは「せっかく『平成の猛牛』という素晴らしいニックネームを頂いたので、『令和の猛牛』を育ててほしい」と愛のあるエールが送られた。度重なる不運や体の故障に泣きながらも、愚直に己の相撲道と家族への思いを貫き通したその歩みは、指導者となった現在も若い力士たちへと受け継がれている。

四股名
豊響 隆太 (とよひびき りゅうた)
最高位
前頭2枚目
年寄名跡
15代山科 隆太(境川)
出身地
山口県豊浦郡豊浦町 → 山口県下関市
本名
門元 隆太
生年月日
昭和59年(1984)11月16日(41歳)
出身高校
響高校
所属部屋
境川部屋
改名歴
門元 隆太 → 豊響 隆太
初土俵
平成17年(2005)1月 前相撲(20歳1ヶ月)
新十両
平成19年(2007)1月(所要12場所)
22歳1ヶ月(初土俵から2年0ヶ月)
新入幕
平成19年(2007)7月(所要15場所)
22歳7ヶ月(初土俵から2年6ヶ月)
最終場所
令和3年(2021)5月場所(36歳5ヶ月)※番付上は令和3年(2021)7月場所
大相撲歴
97場所(16年4ヶ月)
通算成績
569勝565敗66休1134出場(勝率.502)
通算97場所
勝ち越し47場所(勝ち越し率.490)(勝ち越し星147)
優勝等
幕内(次点1),十両優勝3回(同点1),序二段優勝1回
受賞・金星
敢闘賞3回,金星1個(白鵬1個)
持給金
86円50銭(勝ち越し星147個 金星1個)
幕内戦歴
347勝403敗30休750出場(勝率.463)
在位52場所(在位率.536)
勝ち越し21場所(勝ち越し率.404)
前頭戦歴
347勝403敗30休750出場(勝率.463)
在位52場所(在位率.536)
勝ち越し21場所(勝ち越し率.404)
十両戦歴
111勝84敗15休195出場(勝率.569)
在位14場所(在位率.144)
勝ち越し9場所(勝ち越し率.643)
関取戦歴
458勝487敗45休945出場(勝率.485)
在位66場所(在位率.680)
勝ち越し30場所(勝ち越し率.455)
幕下以下歴
111勝78敗21休189出場(勝率.587)
在位30場所(在位率.309)
勝ち越し17場所(勝ち越し率.567)

豊響 隆太の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

  • ✅ 勝った決まり手1位:押し出し(262回 / 45.6%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:叩き込み(84回 / 14.8%)
  • ✅ 得意な相手:北太樹(17勝4敗 / 勝率.810)
  • ✅ 苦手な相手:宝富士(3勝11敗 / 勝率.214)

防長山 源治

  • 四股名 :防長山 源治(ぼうちょうざん げんじ)
  • 最高位 :前頭11枚目
  • 出身地 :山口県豊浦郡
  • 本 名 :坂本 源治
  • 生年月日:明治42年(1909)7月29日
  • 没年月日:昭和46年(1971)5月29日(享年61歳)
  • 所属部屋:出羽海部屋
  • 改名歴 :坂本⇒防長山
  • 初土俵 :昭和2年(1927)1月(17歳6ヵ月)
  • 新十両 :昭和7年(1932)5月(22歳10ヵ月)
  • 新入幕 :昭和10年(1935)5月(25歳10ヵ月)
  • 最終場所:昭和13年(1938)5月(28歳10ヵ月)
  • 生涯戦歴:68勝81敗/149出場(15場所)
  • 生涯勝率:45.6%
  • 優勝等 :なし
  • 幕内戦歴:19勝40敗(5場所)勝率:32.2%
  • 十両戦歴:49勝41敗(8場所)勝率:54.4%

山口県出身の最高位:十両

白法山 旺三

  • 四股名 :白法山 旺三(びゃくほうやま おうぞう)
  • 最高位 :十両7枚目
  • 出身地 :山口県玖珂郡玖珂町
  • 本 名 :金本 龍雄
  • 生年月日:昭和23年(1948)4月26日
  • 所属部屋:春日山部屋
  • 改名歴 :金本⇒金龍山⇒春日峰⇒白法山
  • 初土俵 :昭和39年(1964)3月(15歳11ヵ月)
  • 新十両 :昭和46年(1971)3月(22歳11ヵ月)
  • 最終場所:昭和48年(1973)1月(24歳9ヵ月)
  • 生涯戦歴:213勝192敗14休/405出場(54場所)
  • 生涯勝率:52.6%
  • 優勝等 :なし
  • 十両戦歴:38勝52敗(6場所)勝率:42.2%

太刀光 昭洋

  • 四股名 :太刀光 昭洋(たちひかり あきひろ)
  • 最高位 :十両7枚目
  • 出身地 :山口県下関市
  • 本 名 :小戸 昭洋
  • 生年月日:昭和18年(1943)5月19日
  • 出身高校:山口県立水産高校
  • 出身大学:拓殖大学
  • 所属部屋:高砂部屋
  • 改名歴 :小戸⇒太刀光
  • 初土俵 :昭和41年(1966)1月・幕下50番付外(22歳8ヵ月)
  • 新十両 :昭和45年(1970)3月(26歳10ヵ月)
  • 最終場所:昭和45年(1970)11月(27歳6ヵ月)
  • 生涯戦歴:116勝111敗7休/227出場(30場所)
  • 生涯勝率:51.1%
  • 優勝等 :なし
  • 十両戦歴:19勝26敗(3場所)勝率:42.2%

栃忠 秀昭

  • 四股名 :栃忠 秀昭(とちただ ひであき)
  • 最高位 :十両9枚目
  • 出身地 :山口県佐波郡徳地町
  • 本 名 :友景 通忠
  • 生年月日:昭和16年(1941)3月1日
  • 所属部屋:春日野部屋
  • 改名歴 :友景⇒栃忠
  • 初土俵 :昭和34年(1959)5月(18歳2ヵ月)
  • 新十両 :昭和40年(1965)5月(24歳2ヵ月)
  • 最終場所:昭和42年(1967)9月(26歳6ヵ月)
  • 生涯戦歴:230勝190敗8休/420出場(51場所)
  • 生涯勝率:54.8%
  • 優勝等 :幕下優勝2回,三段目同点1回
  • 十両戦歴:61勝74敗(9場所)勝率:45.2%

琴岩国 剛志

  • 四股名 :琴岩国 剛志(こといわくに たけし)
  • 最高位 :十両12枚目
  • 出身地 :山口県岩国市
  • 本 名 :藤本 武志
  • 生年月日:昭和47年(1972)10月21日
  • 所属部屋:佐渡ヶ嶽部屋
  • 改名歴 :藤本⇒琴藤本⇒琴岩国
  • 初土俵 :昭和63年(1988)3月(15歳5ヵ月)
  • 新十両 :平成11年(1999)9月(26歳11ヵ月)
  • 最終場所:平成16年(2004)9月(31歳11ヵ月)
  • 生涯戦歴:367勝333敗18休/699出場(100場所)
  • 生涯勝率:52.4%
  • 優勝等 :三段目優勝1回
  • 十両戦歴:16勝29敗(3場所)勝率:35.6%

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カテゴリー : 中国地方

公開日:2018-08-15
投稿者:レイ

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