井筒(いづつ)部屋の過去から現在までの主な所属力士をご紹介する井筒部屋の大相撲力士まとめ!
この記事では井筒部屋と、その前身である君ヶ濱部屋の主な関取を中心に紹介していきます。過去の力士については最高位や改名歴、初土俵や各段の昇進時期と最終場所、さらに生涯戦歴と生涯勝率、成績等を中心にご紹介していきます。また、現役力士については最高位と昇進時期、主な成績などを載せています。
なお、年寄名跡欄の
現役の元・井筒部屋力士の最新番付や成績、詳細なデータをご覧になりたい方はこちら
相撲部屋や出身地ごとの場所の成績からランキングを作成しております。初場所、好調な相撲部屋や力士の出身地はどこ?
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創設 :昭和47年(1972)5月 ※創設時は君ヶ濱部屋
創設者:8代・君ヶ濱 昭男(元関脇・鶴ヶ嶺)
改称 :昭和52年(1977)12月6日
改称者:13代・井筒 昭男(元関脇・鶴ヶ嶺)
師匠 :14代・井筒 好昭(元関脇・逆鉾)
閉鎖 :令和元年(2019)9月27日(井筒親方の逝去により閉鎖)
所在地:東京都墨田区両国2-2-7
この記事の目次
井筒部屋創設の概略
14代・井筒が亡くなる令和元年9月まで存在していた井筒部屋は、10代井筒(元前頭2・鶴ヶ嶺)が再興した旧井筒部屋での後継者争いに敗れた8代君ヶ濱(元関脇・鶴ヶ嶺)が分家独立して興した君ヶ濱部屋が前身でした。
旧井筒部屋の方は、部屋を継いだ11代井筒(元前頭4・星甲)が後に井筒から陸奥へと名跡を変更したことで現在の陸奥部屋へと続いています。
高砂系列の井筒部屋
その後、井筒の名跡は元横綱・北の富士へと渡って高砂系列の井筒部屋を興していましたが、出身部屋の先代九重親方(元横綱・千代の山)の急逝によって、昭和52年(1977)11月に旧九重部屋の力士を全員引き取り12代・九重を襲名、部屋の名称を九重部屋へと改称しました。これによって井筒の名を持つ部屋はいったん消滅します。
時津風系統への回帰を果たす
そして、ここからがのちに鶴竜が在籍していた井筒部屋の誕生です。8代・君ヶ濱は昭和52年(1977)10月に、自身の名跡を北の富士が所有していた井筒の名跡と交換して、部屋の名称を井筒部屋へと改称します。これにより出身部屋の名称を時を経て継承することができ、また井筒の名は時津風一門に戻りました。
この13代・井筒が、14代・井筒親方(元関脇・逆鉾)と錣山親方(元関脇・寺尾)の父親なのは有名なところですね。
始まりは高砂部屋だった
ちなみに9代でいったん途切れた井筒の源流となる7代井筒は、高砂部屋の元横綱・西ノ海なので高砂系列が本来とも言えそうです。この西ノ海は鹿児島出身だったことから、井筒部屋には伝統的に同県出身者が多く入門しているようです。
井筒部屋の優勝力士
優勝制度が制定された明治42年(1909)6月場所以降、井筒部屋からは2人の幕内最高優勝力士が誕生しました。
井筒部屋の初優勝はいつで誰?
井筒部屋の初優勝力士は、平成3年(1991)1月場所で東大関だった霧島です。
井筒部屋の優勝力士一覧
では、歴代の井筒部屋の幕内優勝力士を年月順で一覧表にして見てみましょう。
№ | 四股名 | 優勝場所 | 回数 | 優勝時の番付 | 出身 | 部屋 | 最高位 | 成績 | 四股名 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 霧島 | 平成3年1月 | 初 | 東大関 | 鹿児島県 | 井筒 2019 |
大関 | 14勝1敗 | 霧島 | 初土俵から96場所目での幕内初優勝は当時歴代1位のスロー記録 |
2 | 鶴竜 | 平成26年3月 | 初 | 東大関 | モンゴル | 井筒 2019 |
71代横綱 | 14勝1敗 | 鶴竜 | 鶴竜、念願の初優勝。場所後に横綱へと昇進 幕内優勝制度が制定されてから通算100人目の優勝力士 |
3 | 鶴竜 | 平成27年9月 | 2回目 | 西横綱 | モンゴル | 井筒 2019 |
71代横綱 | 12勝3敗 | 鶴竜 | |
4 | 鶴竜 | 平成28年11月 | 3回目 | 西横綱 | モンゴル | 井筒 2019 |
71代横綱 | 14勝1敗 | 鶴竜 | |
5 | 鶴竜 | 平成30年3月 | 4回目 | 東横綱 | モンゴル | 井筒 2019 |
71代横綱 | 13勝2敗 | 鶴竜 | |
6 | 鶴竜 | 平成30年5月 | 5回目 | 東横綱 | モンゴル | 井筒 2019 |
71代横綱 | 14勝1敗 | 鶴竜 | 鶴竜、初の連覇 |
7 | 鶴竜 | 令和元年7月 | 6回目 | 東横綱 | モンゴル | 井筒 2019 |
71代横綱 | 14勝1敗 | 鶴竜 |
井筒部屋の優勝力士ランキング
次は井筒部屋力士の優勝回数と成績のランキングです。
順位 | 四股名 | 優勝 | 最高位 | 出身地 | 勝数 | 敗数 | 横綱 | 大関 | 関脇 | 小結 | 前頭 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1位 | 鶴竜 | 6回 | 71代横綱 | モンゴル | 81勝 | 9敗 | 5回 | 1回 | 0回 | 0回 | 0回 |
2位 | 霧島 | 1回 | 大関 | 鹿児島県 | 14勝 | 1敗 | 0回 | 1回 | 0回 | 0回 | 0回 |
井筒部屋の横綱
鶴竜 力三郎
鶴竜 力三郎(かくりゅう りきさぶろう)はモンゴル・スフバートル市出身、井筒 → 陸奥部屋の元力士で、最高位は第71代横綱。
平成13年(2001)11月場所に16歳3ヶ月で初土俵を踏み、令和3年(2021)3月場所を最後に引退(35歳7ヶ月)。
通算成績は785勝497敗231休1270出場。生涯勝率.612。通算115場所中、74場所を勝ち越した(勝ち越し率.649)。
主な成績は幕内優勝6回(同点2,次点6),三段目優勝1回。殊勲賞2回,技能賞7回。
昭和60年(1985)8月10日生まれ。本名はマンガラジャラブ・アナンダ(日本名同じ)。
「日本で力士になりたい」との決意を手紙にしたためて日本相撲振興会の会長に送ったことで井筒部屋の入門が決まったが、線の細かった鶴竜に初めて会った親方は「床山にでもするか」と思ったほど華奢だった。
平成29年(2017)は4場所連続休場と引退も危ぶまれたが、平成30年(2018)は自身初の連覇も達成し復活をアピール。師匠の急逝により令和元年(2019)9月27日付で陸奥部屋へと転属となった。
令和3年3月場所10日目に引退を発表、5年年寄・鶴竜を襲名した。
- 年寄
24代・音羽山 力三郎 - 四股名
- 鶴竜 力三郎(かくりゅう りきさぶろう)
- 最高位
- 第71代横綱
- 年寄名跡
- 五年年寄 鶴竜 力三郎⇒
24代・音羽山 - 出身地
- モンゴル・ウランバートル市 → モンゴル・スフバートル市
- 本名
- マンガラジャラブ・アナンダ → マンガラジャラブ・アナンダ(日本国籍)
- 生年月日
- 昭和60年(1985)8月10日(39歳)
- 所属部屋
- 井筒 → 陸奥部屋
- 改名歴
- 鶴竜 力三郎
- 初土俵
- 平成13年(2001)11月 前相撲(16歳3ヶ月)
- 新十両
- 平成17年(2005)11月(所要24場所)
- 20歳3ヶ月(初土俵から4年0ヶ月)
- 新入幕
- 平成18年(2006)11月(所要30場所)
- 21歳3ヶ月(初土俵から5年0ヶ月)
- 新小結
- 平成21年(2009)5月(所要45場所)
- 23歳9ヶ月(初土俵から7年6ヶ月)
- 新関脇
- 平成21年(2009)7月(所要46場所)
- 23歳11ヶ月(初土俵から7年8ヶ月)
- 新大関
- 平成24年(2012)5月(所要62場所)
- 26歳8ヶ月(初土俵から10年6ヶ月)
- 横綱昇進
- 平成26年(2014)5月(所要74場所)
- 28歳9ヶ月(初土俵から12年6ヶ月)
- 最終場所
- 令和3年(2021)3月(35歳7ヶ月)
- 大相撲歴
- 115場所(19年4ヶ月)
- 通算成績
- 785勝497敗231休1270出場(勝率.612)
- 通算115場所
- 勝ち越し74場所(勝ち越し率.649)
- 優勝等
- 幕内優勝6回(同点2,次点6),三段目優勝1回
- 受賞・金星
- 殊勲賞2回,技能賞7回
- 幕内戦歴
- 645勝394敗231休1027出場(勝率.621)
- 在位85場所(在位率.739)
- 勝ち越し52場所(勝ち越し率.612)
- 横綱戦歴
- 266勝117敗227休372出場(勝率.695)
- 在位41場所(在位率.357)
- 勝ち越し22場所(勝ち越し率.537)
- 大関戦歴
- 119勝61敗0休180出場(勝率.661)
- 在位12場所(在位率.104)
- 勝ち越し12場所(勝ち越し率1.000)
- 三役戦歴
- 116勝79敗0休195出場(勝率.595)
- 在位13場所(在位率.113)
- 勝ち越し9場所(勝ち越し率.692)
- 関脇戦歴
- 71勝49敗0休120出場(勝率.592)
- 在位8場所(在位率.070)
- 勝ち越し5場所(勝ち越し率.625)
- 小結戦歴
- 45勝30敗0休75出場(勝率.600)
- 在位5場所(在位率.043)
- 勝ち越し4場所(勝ち越し率.800)
- 前頭戦歴
- 144勝137敗4休280出場(勝率.512)
- 在位19場所(在位率.165)
- 勝ち越し9場所(勝ち越し率.474)
- 十両戦歴
- 41勝34敗0休75出場(勝率.547)
- 在位5場所(在位率.043)
- 勝ち越し4場所(勝ち越し率.800)
- 関取戦歴
- 686勝428敗231休1102出場(勝率.616)
- 在位90場所(在位率.783)
- 勝ち越し56場所(勝ち越し率.622)
- 幕下以下歴
- 99勝69敗0休168出場(勝率.589)
- 在位24場所(在位率.209)
- 勝ち越し18場所(勝ち越し率.750)
君ヶ濱~井筒部屋の大関
霧島 一博
霧島 一博(きりしま かずひろ)は鹿児島県姶良郡牧園町出身、君ヶ濱~井筒部屋の元力士で、最高位は大関。
昭和50年(1975)3月場所に15歳11ヶ月で初土俵を踏み、平成8年(1996)3月場所を最後に引退(36歳11ヶ月)。
通算成績は754勝696敗40休1447出場。生涯勝率.520。通算127場所中、74場所を勝ち越した(勝ち越し率.587)。
主な成績は幕内優勝1回(同点1,次点6)。殊勲賞3回,敢闘賞1回,技能賞4回,金星2個(大乃国2個)。
昭和34年(1959)4月3日生まれ。本名は吉永 一美。
ウェイトトレーニングで鍛えあげた「和製ヘラクレス」、引退後は井筒部屋の部屋付親方を経て陸奥部屋を継承。
- 年寄
9代・陸奥 一博 - 四股名
- 霧島 一博(きりしま かずひろ)
- 最高位
- 大関
- 年寄名跡
- 18代錣山 一博 → 10代勝ノ浦 一博 →
9代陸奥 一博 - 出身地
- 鹿児島県姶良郡牧園町
- 本名
- 吉永 一美
- 生年月日
- 昭和34年(1959)4月3日(65歳)
- 所属部屋
- 君ヶ濱~井筒部屋
- 改名歴
- 吉永 一美 → 霧島 一美 → 霧島 一博 → 霧島 和博 → 霧島 一博
- 初土俵
- 昭和50年(1975)3月 前相撲(15歳11ヶ月)
- 新十両
- 昭和57年(1982)5月(所要43場所)
- 23歳1ヶ月(初土俵から7年2ヶ月)
- 新入幕
- 昭和59年(1984)7月(所要56場所)
- 25歳2ヶ月(初土俵から9年4ヶ月)
- 新小結
- 平成元年(1989)1月(所要83場所)
- 29歳9ヶ月(初土俵から13年10ヶ月)
- 新関脇
- 昭和62年(1987)1月(所要71場所)
- 27歳9ヶ月(初土俵から11年10ヶ月)
- 新大関
- 平成2年(1990)5月(所要91場所)
- 31歳1ヶ月(初土俵から15年2ヶ月)
- 最終場所
- 平成8年(1996)3月(36歳11ヶ月)
- 大相撲歴
- 127場所(21年0ヶ月)
- 通算成績
- 754勝696敗40休1447出場(勝率.520)
- 通算127場所
- 勝ち越し74場所(勝ち越し率.587)
- 優勝等
- 幕内優勝1回(同点1,次点6)
- 受賞・金星
- 殊勲賞3回,敢闘賞1回,技能賞4回,金星2個
- 幕内戦歴
- 518勝507敗40休1022出場(勝率.505)
- 在位71場所(在位率.559)
- 勝ち越し40場所(勝ち越し率.563)
- 大関戦歴
- 139勝76敗25休212出場(勝率.647)
- 在位16場所(在位率.126)
- 勝ち越し11場所(勝ち越し率.688)
- 三役戦歴
- 50勝55敗15休105出場(勝率.476)
- 在位8場所(在位率.063)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率.375)
- 関脇戦歴
- 21勝24敗15休45出場(勝率.467)
- 在位4場所(在位率.031)
- 勝ち越し1場所(勝ち越し率.250)
- 小結戦歴
- 29勝31敗0休60出場(勝率.483)
- 在位4場所(在位率.031)
- 勝ち越し2場所(勝ち越し率.500)
- 前頭戦歴
- 329勝376敗0休705出場(勝率.467)
- 在位47場所(在位率.370)
- 勝ち越し26場所(勝ち越し率.553)
- 十両戦歴
- 42勝33敗0休75出場(勝率.560)
- 在位5場所(在位率.039)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率.600)
- 関取戦歴
- 560勝540敗40休1097出場(勝率.509)
- 在位76場所(在位率.598)
- 勝ち越し43場所(勝ち越し率.566)
- 幕下以下歴
- 194勝156敗0休350出場(勝率.554)
- 在位50場所(在位率.394)
- 勝ち越し31場所(勝ち越し率.620)
井筒部屋の関脇
逆鉾 昭廣
鹿児島県姶良郡加治木町出身、井筒部屋の元力士で最高位は関脇。「井筒三兄弟」の次兄。勝負度胸がよく、父親(元関脇・鶴ヶ峰)譲りのもろ差しで大物を倒す反面、ムラっ気な性格であっさり勝負を投げる癖も。
引退後は18代春日山を経て父親の停年後に部屋を継承、横綱・鶴竜らを育てた。長らく勝負審判を務め、副理事だった頃には審判部副部長の要職も務めた。審判長として土俵下についていた平成28年(2016)3月場所8日目、白鵬に寄り切られて土俵から転落してきた嘉風の下敷きとなって左足を骨折する災難にあったことも。
令和元年(2019)7月場所後に糖尿病が悪化、検査により膵臓がんが発覚して入院していたが9月16日に容態が急変し58歳の若さでこの世を去った。
- 四股名 :逆鉾 昭廣(さかほこ あきひろ)
- 最高位 :関脇
- 年寄名跡:18代春日山⇒
14代井筒 - 出身地 :鹿児島県姶良郡加治木町
- 本 名 :福薗 好昭
- 生年月日:昭和36年(1961)6月18日
- 没年月日:令和元年(2019)9月16日(享年58歳)
- 所属部屋:井筒部屋
- 改名歴 :福薗⇒逆鉾
- 初土俵 :昭和53年(1978)1月(16歳7ヵ月)
- 新十両 :昭和56年(1981)7月(20歳1ヵ月)
- 新入幕 :昭和57年(1982)11月(21歳5ヵ月)
- 新三役 :昭和59年(1984)7月(23歳1ヵ月)
- 最終場所:平成4年(1992)9月(31歳3ヵ月)
- 生涯戦歴:549勝566敗29休/1113出場(89場所)
- 生涯勝率:49.2%
- 優勝等 :幕下同点1回,序ノ口優勝1回
- 成 績 :殊勲賞5回,技能賞4回,金星7個
- 幕内戦歴:392勝447敗16休(57場所)勝率:46.7%
- 関脇:90勝90敗(12場所)勝率:50.0%
- 小結:26勝34敗(4場所)勝率:43.3%
- 前頭:276勝323敗16休(41場所)勝率:46.1%
- 十両戦歴:65勝70敗(9場所)勝率:48.1%
寺尾 常史
寺尾 常史(てらお つねふみ)は鹿児島県姶良郡加治木町出身、井筒部屋の元力士で、最高位は関脇。
昭和54年(1979)7月場所に16歳4ヶ月で初土俵を踏み、平成14年(2002)9月場所を最後に引退(39歳7ヶ月)。
通算成績は858勝937敗58休1792出場。生涯勝率.478。通算140場所中、70場所を勝ち越した(勝ち越し率.504)。
主な成績は十両優勝2回(同点1)。殊勲賞3回,敢闘賞3回,技能賞1回,金星7個(大乃国3個、千代の富士1個、北勝海1個、貴乃花1個、武蔵丸1個)。
昭和38年(1963)2月2日生まれ。本名は福薗 好文。
甘いマスクと回転の速い突っ張りで人気だった井筒三兄弟の三男。四股名は入門前に亡くなった母方の姓
- 年寄
20代・錣山 瑛一 - 四股名
- 寺尾 常史(てらお つねふみ)
- 最高位
- 関脇
- 年寄名跡
- 20代錣山 常史 →
20代錣山 矩幸 →20代錣山 瑛一 - 出身地
- 鹿児島県姶良郡加治木町
- 本名
- 福薗 好文
- 生年月日
- 昭和38年(1963)2月2日
- 没年月日
- 令和5(2023)年12月17日(享年60歳)
- 所属部屋
- 井筒部屋
- 改名歴
- 寺尾 常史 → 源氏山 力三郎 → 寺尾 節男 → 寺尾 常史
- 初土俵
- 昭和54年(1979)7月 前相撲(16歳4ヶ月)
- 新十両
- 昭和59年(1984)7月(所要30場所)
- 21歳4ヶ月(初土俵から5年0ヶ月)
- 新入幕
- 昭和60年(1985)3月(所要34場所)
- 22歳1ヶ月(初土俵から5年8ヶ月)
- 新関脇
- 平成元年(1989)3月(所要58場所)
- 26歳1ヶ月(初土俵から9年8ヶ月)
- 最終場所
- 平成14年(2002)9月(39歳7ヶ月)
- 大相撲歴
- 140場所(23年2ヶ月)
- 通算成績
- 858勝937敗58休1792出場(勝率.478)
- 通算140場所
- 勝ち越し70場所(勝ち越し率.504)(勝ち越し星152)
- 優勝等
- 十両優勝2回(同点1)
- 受賞・金星
- 殊勲賞3回,敢闘賞3回,技能賞1回,金星7個
- 持給金
- 160円50銭(勝ち越し星152個 金星7個)
- 幕内戦歴
- 626勝753敗16休1378出場(勝率.454)
- 在位93場所(在位率.664)
- 勝ち越し42場所(勝ち越し率.452)
- 三役戦歴
- 90勝105敗0休195出場(勝率.462)
- 在位13場所(在位率.093)
- 勝ち越し7場所(勝ち越し率.538)
- 関脇戦歴
- 49勝56敗0休105出場(勝率.467)
- 在位7場所(在位率.050)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率.429)
- 小結戦歴
- 41勝49敗0休90出場(勝率.456)
- 在位6場所(在位率.043)
- 勝ち越し4場所(勝ち越し率.667)
- 前頭戦歴
- 536勝648敗16休1183出場(勝率.453)
- 在位80場所(在位率.571)
- 勝ち越し35場所(勝ち越し率.438)
- 十両戦歴
- 113勝100敗42休211出場(勝率.531)
- 在位17場所(在位率.121)
- 勝ち越し9場所(勝ち越し率.529)
- 関取戦歴
- 739勝853敗58休1589出場(勝率.464)
- 在位110場所(在位率.786)
- 勝ち越し51場所(勝ち越し率.464)
- 幕下以下歴
- 119勝84敗0休203出場(勝率.586)
- 在位29場所(在位率.207)
- 勝ち越し19場所(勝ち越し率.655)
君ヶ濱~井筒部屋の小結
陣岳 隆
長身を活かした突っ張りは威力があったが、攻めが遅く長い相撲が多かった。四股名は故郷・志布志町の山の名前
- 四股名 :陣岳 隆(じんがく たかし)
- 最高位 :小結
- 年寄名跡:17代春日山
- 出身地 :鹿児島県曽於郡志布志町
- 本 名 :中山 隆
- 生年月日:昭和34年(1959)12月24日
- 所属部屋:君ヶ濱⇒井筒部屋
- 初土俵 :昭和52年(1977)5月(17歳5ヵ月)
- 新十両 :昭和57年(1982)7月(22歳7ヵ月)
- 新入幕 :昭和58年(1983)1月(23歳1ヵ月)
- 新三役 :昭和62年(1987)11月(27歳11ヵ月)
- 最終場所:平成3年(1991)9月(31歳9ヵ月)
- 生涯戦歴:499勝538敗13休/1036出場(87場所)
- 生涯勝率:48.1%
- 優勝等 :十両同点1回,序ノ口同点1回
- 成 績 :金星2個
- 幕内戦歴:309勝396敗(47場所)勝率:43.8%
- 小結:5勝25敗(2場所)勝率:16.7%
- 前頭:304勝371敗(45場所)勝率:45.0%
- 十両戦歴:68勝54敗13休(9場所)勝率:55.7%
君ヶ濱~井筒部屋の前頭
錦洋 幸治
師匠の独立で君ヶ濱部屋へと同行、井筒伝統の「錦洋」を返上して四股名を大峩に
- 四股名 :錦洋 幸治(にしきなだ こうじ)
- 最高位 :前頭筆頭
- 出身地 :鹿児島県鹿屋市
- 本 名 :川崎 悟
- 生年月日:昭和25年(1950)1月3日
- 没年月日:平成21年(2009)7月16日(享年59歳)
- 所属部屋:井筒⇒君ヶ濱部屋
- 改名歴 :川崎⇒錦洋⇒川崎⇒大峩
- 初土俵 :昭和40年(1965)3月(15歳2ヵ月)
- 新十両 :昭和43年(1968)11月(18歳10ヵ月)
- 新入幕 :昭和44年(1969)7月(19歳6ヵ月)
- 最終場所:昭和52年(1977)5月(27歳4ヵ月)
- 生涯戦歴:446勝446敗19休/891出場(74場所)
- 生涯勝率:50.0%
- 優勝等 :十両優勝2回,幕下優勝1回,序ノ口同点1回
- 成 績 :技能賞1回,金星2個
- 幕内戦歴:183勝217敗5休(27場所)勝率:45.8%
- 十両戦歴:170勝175敗(23場所)勝率:49.3%
薩洲洋 康貴
約11年をかけて入幕を果たす、引退場所の全休まで休まず1077回連続出場
12代・立田山 裕教(陸奥部屋) - 四股名 :薩洲洋 康貴(さっしゅうなだ やすたか)
- 最高位 :前頭筆頭
- 年寄名跡:16代錣山⇒19代春日山⇒13代熊ヶ谷⇒12代立田山
- 出身地 :鹿児島県指宿市
- 本 名 :吉崎 克幸
- 生年月日:昭和32年(1957)6月7日(67歳)
- 所属部屋:君ヶ濱⇒井筒部屋
- 改名歴 :吉崎⇒薩洲洋
- 初土俵 :昭和51年(1976)1月(18歳7ヵ月)
- 新十両 :昭和59年(1984)7月(27歳1ヵ月)
- 新入幕 :昭和61年(1986)9月(29歳3ヵ月)
- 最終場所:平成4年(1992)9月(35歳3ヵ月)
- 生涯戦歴:545勝532敗7休/1077出場(101場所)
- 生涯勝率:50.6%
- 優勝等 :十両優勝1回,幕下優勝1回,序ノ口優勝1回
- 幕内戦歴:129勝156敗(19場所)勝率:45.3%
- 十両戦歴:218勝217敗(29場所)勝率:50.1%
貴ノ嶺 明彦
下積みが長かったが85場所目に十両昇進を果たすとわずか3場所で幕内に上がり周囲を驚かせた
- 四股名 :貴ノ嶺 明彦(たかのみね あきひこ)
- 最高位 :前頭12枚目
- 出身地 :福岡県遠賀郡水巻町
- 本 名 :岡崎 明彦
- 生年月日:昭和34年(1959)1月23日
- 所属部屋:君ヶ濱⇒井筒部屋
- 改名歴 :岡崎⇒貴ノ嶺
- 初土俵 :昭和49年(1974)9月(15歳8ヵ月)
- 新十両 :昭和63年(1988)9月(29歳8ヵ月)
- 新入幕 :平成元年(1989)3月(30歳2ヵ月)
- 最終場所:平成3年(1991)5月(32歳4ヵ月)
- 生涯戦歴:403勝376敗9休/779出場(101場所)
- 生涯勝率:51.7%
- 優勝等 :幕下優勝1回
- 幕内戦歴:4勝11敗(1場所)勝率:26.7%
- 十両戦歴:73勝77敗(10場所)勝率:48.7%
井筒部屋の前頭
安芸ノ州 法光
伸び悩んでいたが長く付き人を務めていた寺尾の励ましで一気に関取、そして入幕を果たす
- 四股名 :安芸ノ州 法光(あきのしゅう のりみつ)
- 最高位 :前頭9枚目
- 出身地 :広島県広島市中区
- 本 名 :今田 賢二
- 生年月日:昭和44年(1969)1月17日
- 所属部屋:井筒部屋
- 改名歴 :今田⇒安芸ノ竜⇒安芸ノ州⇒安芸乃州
- 初土俵 :昭和59年(1984)9月(15歳8ヵ月)
- 新十両 :平成9年(1997)1月(28歳0ヵ月)
- 新入幕 :平成9年(1997)9月(28歳8ヵ月)
- 最終場所:平成13年(2001)1月(32歳0ヵ月)
- 生涯戦歴:409勝387敗58休/796出場(99場所)
- 生涯勝率:51.4%
- 優勝等 :十両優勝1回,序二段同点1回
- 幕内戦歴:44勝61敗(7場所)勝率:41.9%
- 十両戦歴:98勝82敗30休(14場所)勝率:54.4%
君ヶ濱~井筒部屋の十両
鶴嶺山 宝一
鹿児島県姶良郡加治木町出身、井筒部屋(令和元年(2019)9月閉鎖)の元力士で最高位は十両2枚目。「井筒三兄弟」の長兄。昭和56年(1981)7月場所で弟の逆鉾(当時・福薗)と共に新十両昇進となったがその場所を負け越し、再十両まで1年を要した。
再十両後は徐々に安定していき入幕目前かと思われたが、稽古中に痛めた右肩が完治せず、残念ながら入幕を果たすことは出来なかった。
引退後は東京・両国で「相撲茶屋 寺尾」を経営し井筒部屋由来のちゃんこ鍋を提供してきた。令和2年3月28日、急性心不全の為、逝去。
- 四股名 :鶴嶺山 宝一(かくれいざん ほういち)
- 最高位 :十両2枚目
- 出身地 :鹿児島県姶良郡加治木町
- 本 名 :福薗 好政
- 生年月日:昭和34年(1959)11月24日
- 没年月日:令和2年(2020)3月28日(享年60歳)
- 所属部屋:君ヶ濱⇒井筒部屋
- 改名歴 :福薗⇒鶴嶺山⇒福薗⇒鶴ノ富士
- 初土俵 :昭和50年(1975)3月(15歳4ヵ月)
- 新十両 :昭和56年(1981)7月(21歳8ヵ月)
- 最終場所:平成2年(1990)1月(30歳2ヵ月)
- 生涯戦歴:326勝260敗93休/585出場(90場所)
- 生涯勝率:55.6%
- 優勝等 :三段目優勝1回,序二段優勝2回
- 十両戦歴:40勝48敗17休(7場所)勝率:45.5%
鶴ノ富士 智万
井筒三兄弟の従弟、本名の福薗での土俵が長い
- 四股名 :鶴ノ富士 智万(つるのふじ ともかず)
- 最高位 :十両9枚目
- 出身地 :鹿児島県霧島市
- 本 名 :福薗 洋一郎
- 生年月日:昭和48年(1973)1月29日
- 所属部屋:井筒部屋
- 改名歴 :福薗⇒鶴嶺山⇒福薗⇒鶴ノ富士⇒福薗
- 初土俵 :昭和63年(1988)3月(15歳2ヵ月)
- 新十両 :平成6年(1994)11月(21歳10ヵ月)
- 最終場所:平成19年(2007)5月(34歳4ヵ月)
- 生涯戦歴:424勝390敗23休/813出場(116場所)
- 生涯勝率:52.1%
- 優勝等 :幕下優勝1回
- 十両戦歴:27勝33敗(4場所)勝率:45.0%
佐賀ノ海 輝一
佐賀県佐賀郡諸富町(現・佐賀市)出身、井筒~君ヶ濱部屋の元力士で最高位は十両11枚目。高校を卒業後、近鉄バッファローズに投手で入団。2年間在籍したが一軍での登板はなく退団した。その後、井筒部屋へと入門し昭和45年(1970)5月場所で幕下昇進。8代君ヶ濱の独立に伴い昭和47年(1972)3月に君ヶ濱部屋に移籍した。同年7月場所で新十両昇進を果たす。
- 四股名 :佐賀ノ海 輝一(さがのうみ てるかず)
- 最高位 :十両11枚目
- 出身地 :佐賀県佐賀郡諸富町(現・佐賀市)
- 本 名 :土師 一男
- 生年月日:昭和20年(1945)10月20日
- 没年月日:平成11年(1999)10月3日(享年53歳)
- 所属部屋:井筒~君ヶ濱部屋
- 改名歴 :土師⇒佐賀ノ海⇒土師
- 初土俵 :昭和40年(1965)11月(20歳1ヵ月)
- 新十両 :昭和47年(1972)7月(26歳9ヵ月)
- 最終場所:昭和50年(1975)9月(29歳11ヵ月)
- 生涯戦歴:223勝199敗7休/422出場(60場所)
- 生涯勝率:52.8%
- 優勝等 :幕下同点1回
- 十両戦歴:9勝21敗(2場所)勝率:30.0%
君ヶ濱~井筒部屋の歴代師匠
君ヶ濱~井筒部屋の歴代師匠をご紹介いたします。
8代・君ヶ濱~13代・井筒 昭男
鹿児島県姶良郡加治木町出身、井筒部屋(現・陸奥部屋)の元力士で最高位は関脇。もろ差しの名人と呼ばれた技能相撲、師匠としては実子の「井筒三兄弟」を関取に、また霧島を大関にまで育てあげた名伯楽。
- 四股名 :鶴ヶ嶺 昭男(つるがみね あきお)
- 最高位 :関脇
- 年寄名跡:
8代君ヶ濱 ⇒13代井筒 - 出身地 :鹿児島県姶良郡加治木町
- 本 名 :福薗 昭男
- 生年月日:昭和4年(1929)4月26日
- 没年月日:平成18年(2006)5月29日(享年77歳)
- 所属部屋:時津風⇒井筒部屋
- 改名歴 :福薗⇒鶴嶺山⇒鶴ヶ嶺
- 初土俵 :昭和22年(1947)6月(18歳2ヵ月)
- 新十両 :昭和27年(1952)5月(23歳1ヵ月)
- 新入幕 :昭和28年(1953)3月(23歳11ヵ月)
- 新三役 :昭和31年(1956)3月(26歳11ヵ月)
- 最終場所:昭和42年(1967)7月(38歳3ヵ月)
- 生涯戦歴:685勝678敗22休/1358出場(95場所)
- 生涯勝率:50.3%
- 優勝等 :幕内同点1・次点1回,十両優勝1回,序ノ口優勝1回
- 成 績 :殊勲賞2回,敢闘賞2回,技能賞10回,金星10個
- 幕内戦歴:550勝583敗22休(77場所)勝率:48.5%
- 関脇:14勝16敗(2場所)勝率:46.7%
- 小結:49勝86敗(9場所)勝率:36.3%
- 前頭:487勝481敗22休(66場所)勝率:50.3%
- 十両戦歴:38勝22敗(4場所)勝率:63.3%
14代・井筒 好昭
鹿児島県姶良郡加治木町出身、井筒部屋の元力士で最高位は関脇。「井筒三兄弟」の次兄。勝負度胸がよく、父親(元関脇・鶴ヶ峰)譲りのもろ差しで大物を倒す反面、ムラっ気な性格であっさり勝負を投げる癖も。
引退後は18代春日山を経て父親の停年後に部屋を継承、横綱・鶴竜らを育てた。長らく勝負審判を務め、副理事だった頃には審判部副部長の要職も務めた。審判長として土俵下についていた平成28年(2016)3月場所8日目、白鵬に寄り切られて土俵から転落してきた嘉風の下敷きとなって左足を骨折する災難にあったことも。
令和元年(2019)7月場所後に糖尿病が悪化、検査により膵臓がんが発覚して入院していたが9月16日に容態が急変し58歳の若さでこの世を去った。
- 四股名 :逆鉾 昭廣(さかほこ あきひろ)
- 最高位 :関脇
- 年寄名跡:18代春日山⇒
14代井筒 - 出身地 :鹿児島県姶良郡加治木町
- 本 名 :福薗 好昭
- 生年月日:昭和36年(1961)6月18日
- 没年月日:令和元年(2019)9月16日(享年58歳)
- 所属部屋:井筒部屋
- 改名歴 :福薗⇒逆鉾
- 初土俵 :昭和53年(1978)1月(16歳7ヵ月)
- 新十両 :昭和56年(1981)7月(20歳1ヵ月)
- 新入幕 :昭和57年(1982)11月(21歳5ヵ月)
- 新三役 :昭和59年(1984)7月(23歳1ヵ月)
- 最終場所:平成4年(1992)9月(31歳3ヵ月)
- 生涯戦歴:549勝566敗29休/1113出場(89場所)
- 生涯勝率:49.2%
- 優勝等 :幕下同点1回,序ノ口優勝1回
- 成 績 :殊勲賞5回,技能賞4回,金星7個
- 幕内戦歴:392勝447敗16休(57場所)勝率:46.7%
- 関脇:90勝90敗(12場所)勝率:50.0%
- 小結:26勝34敗(4場所)勝率:43.3%
- 前頭:276勝323敗16休(41場所)勝率:46.1%
- 十両戦歴:65勝70敗(9場所)勝率:48.1%
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