琴錦 功宗
琴錦 功宗 (ことにしき かつひろ)は群馬県群馬郡箕郷町出身、佐渡ヶ嶽部屋の元力士で、最高位は関脇。
昭和59年(1984)3月場所に15歳9ヶ月で初土俵を踏み、平成12年(2000)9月場所を最後に引退(32歳3ヶ月)。
通算成績は663勝557敗58休1216出場。生涯勝率.545。通算100場所中、65場所を勝ち越した(勝ち越し率.657)。
主な成績は幕内優勝2回(次点4)、十両(同点1)、幕下(同点1)、殊勲賞7回、敢闘賞3回、技能賞8回、金星8個(北勝海1個、千代の富士1個、貴乃花3個、曙1個、若乃花2個)。
昭和43年(1968)6月8日生まれ。本名は松澤 英行。
「F1相撲」と称された圧倒的なスピードと出足を武器に土俵を席巻し、大相撲史上初となる「2度の平幕優勝」を成し遂げた名関脇である。大関に匹敵する実力を持ちながらも最高位は関脇にとどまったが、三賞受賞18回、金星8個という輝かしい金字塔を打ち立てた。引退後は自前の年寄名跡を取得できず、複数の借株を渡り歩くという異例の苦労を重ねたが、相撲への情熱を失うことなく、遂に念願の部屋創設を果たした。
柔道からの転向と「F1相撲」
中学時代は柔道部で活躍し、全国大会での実績からロサンゼルス五輪金メダリストの山下泰裕からスカウトされるほどであった。当初は高校進学が決まっていたが、全国大会の会場で12代佐渡ヶ嶽(元横綱・琴櫻)に見出され、角界入りを決意する。昭和59年(1984年)3月場所に本名の「松沢」の四股名で前相撲を取り、初土俵を踏んだ。
翌場所の序ノ口からは「琴松沢」を名乗り、着実に番付を上げていく。小柄な体格ゆえの苦闘もあったが、出稽古先の井筒部屋で逆鉾から「肩幅を広げて相手から大きく見せなさい」という助言を受けたことを機に開眼した。そして西幕下5枚目の地位で迎えた昭和62年(1987年)9月場所において、先代師匠である11代佐渡ヶ嶽(元小結・琴錦登)の現役名「琴錦」へと改名する。
昭和63年(1988年)3月場所で新十両、平成元年(1989年)5月場所で新入幕を果たす。立ち合いから一気に相手を土俵際へ持っていく取り口は「F1相撲」と評され、当時一大ブームを巻き起こしていた貴花田・若花田の「若貴」に対しても分が良かったことから、「若貴キラー」として多くのファンを魅了した。
挫折と史上初の「二度の平幕優勝」
大関昇進のチャンスを幾度となく掴んだが、あと一歩で逃し続けた。平成3年(1991年)には女性問題による謹慎処分や平幕陥落を味わうなど、大きな挫折を経験する。廃業もよぎったが、師匠の命による故郷での休養を経て闘志を取り戻し、同年9月場所で13勝2敗を挙げて自身初の幕内最高優勝を飾った。
その後も三役の常連として存在感を示したが、30歳を迎えた平成10年(1998年)には気力体力の衰えを感じ、親方へ引退を相談する。しかし「琴稲妻を見ろ!今でも頑張ってるじゃないか!甘ったれるのもいい加減にしろ、もう一度死ぬ気になってやれ!」と激しく叱責されて翻意した。この言葉で完全に目が覚め、同年11月場所では初日から11連勝を記録するなど神憑り的な強さを見せ、14勝1敗という圧倒的な成績で2度目の幕内最高優勝を成し遂げる。「平幕で2度の優勝」は長い大相撲の歴史において史上初(唯一)の記録であり、生涯で獲得した三賞18個は歴代3位の記録となった。
流浪の親方生活と「朝日山部屋」再興
長年の激闘による右肘などの怪我が限界に達し、平成12年(2000年)9月場所の途中で現役引退を表明した。現役時代の実績からすぐに自身の部屋を持つと期待されたが、予定していた甲山襲名が土壇場で白紙になる不運に見舞われる。自前の名跡を取得できず、若松、竹縄、浅香山、荒磯、秀ノ山、中村と、一門の枠を超えて空いている借株を渡り歩くという、実力者としては極めて異例で苦難に満ちた親方生活が長く続いた。
それでも決して腐ることなく、中村襲名時には尾車部屋へ移籍し、豪風や嘉風に自身の速攻相撲を伝授して彼らの幕内定着に大きく貢献した。引退から15年以上の流浪を経て、平成28年(2016年)1月についに年寄「朝日山」を正式に取得する。同年6月に尾車部屋から独立する形で、念願であった自身の「朝日山部屋」を創設した。度重なる不運と試練を乗り越え、現在は部屋の師匠として、かつての自身のような活きの良い力士を育てるべく情熱を注いでいる。
- 四股名
- 琴錦 功宗 (ことにしき かつひろ)
- 最高位
- 関脇
- 年寄名跡
- 13代若松 秀行(佐渡ヶ嶽) → 19代竹縄 英行(佐渡ヶ嶽) → 12代浅香山 英行(佐渡ヶ嶽) → 13代荒磯 英行(佐渡ヶ嶽) → 12代秀ノ山 英行(佐渡ヶ嶽) → 12代秀ノ山 穣憲(佐渡ヶ嶽) → 11代中村 英行(尾車) → 19代朝日山 宗功(尾車) → 19代朝日山 宗功
- 出身地
- 群馬県群馬郡箕郷町
- 本名
- 松澤 英行
- 生年月日
- 昭和43年(1968)6月8日(58歳)
- 所属部屋
- 佐渡ヶ嶽部屋
- 改名歴
- 松沢 英行 → 琴松沢 英行 → 琴錦 功宗 → 琴錦 玄教 → 琴錦 英行 → 琴錦 功宗
- 初土俵
- 昭和59年(1984)3月 前相撲(15歳9ヶ月)
- 新十両
- 昭和63年(1988)3月(所要24場所)
- 19歳9ヶ月(初土俵から4年0ヶ月)
- 新入幕
- 平成元年(1989)5月(所要31場所)
- 20歳11ヶ月(初土俵から5年2ヶ月)
- 新小結
- 平成2年(1990)9月(所要39場所)
- 22歳3ヶ月(初土俵から6年6ヶ月)
- 新関脇
- 平成2年(1990)11月(所要40場所)
- 22歳5ヶ月(初土俵から6年8ヶ月)
- 最終場所
- 平成12年(2000)9月場所(32歳3ヶ月)
- 大相撲歴
- 100場所(16年6ヶ月)
- 通算成績
- 663勝557敗58休1216出場(勝率.545)
- 通算100場所
- 勝ち越し65場所(勝ち越し率.657)(勝ち越し星223)
- 優勝等
- 幕内優勝2回(次点4),十両(同点1),幕下(同点1)
- 受賞・金星
- 殊勲賞7回,敢闘賞3回,技能賞8回,金星8個(北勝海1個、千代の富士1個、貴乃花3個、曙1個、若乃花2個)
- 持給金
- 264円50銭(勝ち越し星223個 優勝2回 金星8個)
- 幕内戦歴
- 506勝441敗43休944出場(勝率.536)
- 在位66場所(在位率.660)
- 勝ち越し43場所(勝ち越し率.652)
- 三役戦歴
- 260勝232敗18休490出場(勝率.531)
- 在位34場所(在位率.340)
- 勝ち越し21場所(勝ち越し率.618)
- 関脇戦歴
- 156勝153敗6休308出場(勝率.506)
- 在位21場所(在位率.210)
- 勝ち越し13場所(勝ち越し率.619)
- 小結戦歴
- 104勝79敗12休182出場(勝率.571)
- 在位13場所(在位率.130)
- 勝ち越し8場所(勝ち越し率.615)
- 前頭戦歴
- 246勝209敗25休454出場(勝率.542)
- 在位32場所(在位率.320)
- 勝ち越し22場所(勝ち越し率.688)
- 十両戦歴
- 48勝50敗15休97出場(勝率.495)
- 在位8場所(在位率.080)
- 勝ち越し4場所(勝ち越し率.500)
- 関取戦歴
- 554勝491敗58休1041出場(勝率.532)
- 在位74場所(在位率.740)
- 勝ち越し47場所(勝ち越し率.635)
- 幕下以下歴
- 109勝66敗0休175出場(勝率.623)
- 在位25場所(在位率.250)
- 勝ち越し18場所(勝ち越し率.720)
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- ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(158回 / 28.3%)
- ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(83回 / 16.8%)
- ✅ 得意な相手:安芸乃島(40勝9敗 / 勝率.816)
- ✅ 苦手な相手:貴乃花(13勝34敗 / 勝率.277)
琴稲妻 佳弘
琴稲妻 佳弘 (こといなずま よしひろ)は群馬県利根郡新治村出身、佐渡ヶ嶽部屋の元力士で、最高位は小結。
昭和53年(1978)3月場所に15歳10ヶ月で初土俵を踏み、平成11年(1999)7月場所を最後に引退(37歳2ヶ月)。
通算成績は752勝802敗30休1551出場。生涯勝率.485。通算129場所中、72場所を勝ち越した(勝ち越し率.562)。
主な成績は十両(同点1)、三段目(同点1)、殊勲賞1回、敢闘賞1回。
昭和37年(1962)4月26日生まれ。本名は田村 昌浩。
初土俵から引退まで21年、通算129場所の長きにわたり土俵を務め上げた「いぶし銀」の力士である。右四つからの寄りや突き押し、肩透かしなどの巧い相撲と、次第に薄くなっていく頭頂部を含めた独特の風貌でファンや関係者から長く愛された。引退後は13代粂川として後進の指導に当たっている。
栃赤城への憧れと入門
群馬県利根郡新治村(現・みなかみ町)出身。中学の頃、当時活躍していた同郷の関脇・栃赤城に憧れ「あのようになりたい」と語っていたところ、その噂を聞きつけた当時の12代佐渡ヶ嶽(元横綱・琴櫻)から誘いを受け、中学校卒業後の昭和53年(1978年)3月場所に名門・佐渡ヶ嶽部屋から初土俵を踏んだ。前相撲では本名の「田村」を名乗ったが、翌場所からは第7代横綱・稲妻雷五郎に因んだ「琴稲妻」を生涯の四股名としている。
苦労の下積み時代と2度の「7戦全敗」
入門後は体重の増加に苦労し、出世は決して早いものではなかった。のちに小結まで昇進する琴稲妻だが、取的(幕下以下)時代には昭和54年(1979年)11月場所と昭和56年(1981年)9月場所で2度、「7戦全敗」を経験している。これは幕内まで昇進した力士としては極めて珍しい記録である。特に昭和54年の全敗は、直前の9月場所において三段目で7戦全勝を記録して幕下へ昇進した直後の出来事であった(ちなみに横綱・北の湖も序二段で全勝した翌場所の三段目で全敗を記録している)。これらの事実からも、いかに長く苦しい下積みであったかが窺える。
初土俵から9年半での新入幕
それでも腐ることなく地道な稽古を重ね、初土俵から7年が経過した昭和60年(1985年)5月場所でようやく新十両に昇進し、ついに関取の座を掴む。そこからさらに2年半を要し、昭和62年(1987年)11月場所で新入幕を果たした。初土俵からは9年半の歳月が流れていた。
持ち味である突き押しや右四つからの寄り、そして絶妙なタイミングで放つ「肩透かし」など、派手さはないものの巧さの光る取り口で徐々に番付を上げ、平成に入ってからは幕内に定着していった。
33歳での新三役と唯一の大金星
入幕後しばらくは幕内中位に留まっていたが、平成5年(1993年)頃から攻めに巧さが加わり上位陣を脅かすようになる。平成6年(1994年)9月場所では、大関・貴ノ浪と同・若ノ花を連破して8勝7敗と勝ち越し、自身初の三賞となる殊勲賞を獲得。さらに平成7年(1995年)9月場所では、西前頭筆頭で大関・若乃花を破るなど9勝6敗の好成績で敢闘賞を受賞した。
これにより、続く11月場所では33歳6ヶ月にして新三役(小結)へと昇進した。序ノ口から所要106場所での新小結は、所要107場所の玉龍(片男波部屋)に次ぐ大相撲史上2位のスロー三役昇進記録であった。この新小結の場所の初日、全盛期を迎えていた横綱・貴乃花を上手投げで破り、周囲を大いに驚かせた。しかし、この場所は6勝9敗と負け越し、三役経験はこの1場所のみに終わった。また横綱戦での勝利もこの一度のみであり、小結であったため金星は獲得できなかったが、引退時のインタビューでは「思い出の一番」としてこの貴乃花戦を挙げている。
愛された風貌と「自虐ネタ」
若手時代に痛風を患い、その治療のために服用していた内服薬の副作用により髪の毛が抜けて、額が大きく広がってしまった。これが後年、琴稲妻のトレードマークとして定着した。
相撲に対する厳しさとは対照的に、ファンやマスコミとのやり取りにおいては積極的に“自虐ネタ”として利用する明るい人柄であった。頭髪について触れられても「立ち合い頭で当たっている証拠です」と冗談で返し、新小結の記者会見では、当時の師匠が琴稲妻の小さな髷を指して「これが本当の小結(こむすび)だ」と発言して記者の笑いを誘った。
また、自身の髷結いを担当する床山には、髷結いの最中に髪が抜けたら「1本あたり1000円の罰金」を科していたとされる(実際には徴収していない)。
引退直後の取材で「長く現役を務めることができた秘訣」を尋ねられた折には、照れくさそうに自身の頭をなでながら「怪我(毛が)無かったことですかねえ」と嬉しそうに答え、周囲を爆笑させたというエピソードも残っている。
引退と断髪式
ベテランになってもその巧みな相撲で土俵を沸かせ続けたが、平成11年(1999年)7月場所、西十両5枚目の地位で3勝12敗と負け越したことを機に、37歳で現役を引退した。初土俵から丸21年、生涯通算129場所という非常に息の長い力士生活であった。
長年の土俵生活により、引退時にはすでに頭頂部の髪がかなり薄くなっていたため、引退後の断髪式では、参列者が鋏を入れる髪がなく、ハサミを空中で「チョン」と鳴らすだけの者が多かったという。一門の代表として参列した間垣親方(元横綱・2代若乃花)からは「おい、切る髪がないぞ」と冗談を言われ、本人が苦笑いする一幕もあった。
引退後は13代粂川を襲名し、佐渡ヶ嶽部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたる傍ら、勝負審判なども務め、現在も角界を裏から支え続けている。
- 四股名
- 琴稲妻 佳弘 (こといなずま よしひろ)
- 最高位
- 小結
- 年寄名跡
- 13代粂川 佳弘(佐渡ヶ嶽)
- 出身地
- 群馬県利根郡新治村
- 本名
- 田村 昌浩
- 生年月日
- 昭和37年(1962)4月26日(64歳)
- 所属部屋
- 佐渡ヶ嶽部屋
- 改名歴
- 田村 昌浩 → 琴稲妻 佳弘
- 初土俵
- 昭和53年(1978)3月 前相撲(15歳10ヶ月)
- 新十両
- 昭和60年(1985)5月(所要43場所)
- 23歳0ヶ月(初土俵から7年2ヶ月)
- 新入幕
- 昭和62年(1987)11月(所要58場所)
- 25歳6ヶ月(初土俵から9年8ヶ月)
- 新小結
- 平成7年(1995)11月(所要106場所)
- 33歳6ヶ月(初土俵から17年8ヶ月)
- 最終場所
- 平成11年(1999)7月場所(37歳2ヶ月)
- 大相撲歴
- 129場所(21年4ヶ月)
- 通算成績
- 752勝802敗30休1551出場(勝率.485)
- 通算129場所
- 勝ち越し72場所(勝ち越し率.562)(勝ち越し星144)
- 優勝等
- 十両(同点1),三段目(同点1)
- 受賞・金星
- 殊勲賞1回,敢闘賞1回
- 持給金
- 81円(勝ち越し星144個)
- 幕内戦歴
- 405勝480敗15休882出場(勝率.459)
- 在位60場所(在位率.465)
- 勝ち越し28場所(勝ち越し率.467)
- 三役戦歴
- 6勝9敗0休15出場(勝率.400)
- 在位1場所(在位率.008)
- 勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
- 小結戦歴
- 6勝9敗0休15出場(勝率.400)
- 在位1場所(在位率.008)
- 勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
- 前頭戦歴
- 399勝471敗15休867出場(勝率.460)
- 在位59場所(在位率.457)
- 勝ち越し28場所(勝ち越し率.475)
- 十両戦歴
- 190勝185敗15休375出場(勝率.507)
- 在位26場所(在位率.202)
- 勝ち越し16場所(勝ち越し率.615)
- 関取戦歴
- 595勝665敗30休1257出場(勝率.473)
- 在位86場所(在位率.667)
- 勝ち越し44場所(勝ち越し率.512)
- 幕下以下歴
- 157勝137敗0休294出場(勝率.534)
- 在位42場所(在位率.326)
- 勝ち越し28場所(勝ち越し率.667)
琴稲妻 佳弘の更に詳細なデータは力士名鑑で!
名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。
- ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(121回 / 20.3%)
- ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(209回 / 31.3%)
- ✅ 得意な相手:三杉里(17勝10敗 / 勝率.630)
- ✅ 苦手な相手:武蔵丸(0勝7敗 / 勝率.000)