出羽海(でわのうみ)部屋の過去から現在までの主な所属力士をご紹介する出羽海部屋の大相撲力士まとめ!
この記事では出羽海部屋の主な関取を中心に紹介していきます。過去の力士については最高位や改名歴、初土俵や各段の昇進時期と最終場所、さらに生涯戦歴と生涯勝率、成績等を中心にご紹介していきます。また、現役力士については最高位と昇進時期、主な成績などを載せています。
なお、年寄名跡欄の
現役の出羽海部屋力士の最新番付や成績、詳細なデータをご覧になりたい方はこちら
相撲部屋や出身地ごとの場所の成績からランキングを作成しております。初場所、好調な相撲部屋や力士の出身地はどこ?
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- 一門 :出羽海一門
- 創設 :文久2年(1862年)
- 創設者: 3代・出羽ノ海(元幕下・桂川 立吉)
- 現師匠:11代・出羽海 昭和(元前頭2枚目・小城ノ花)
- 所在地:東京都墨田区両国2-3-15
- サイト:出羽海部屋部屋公式サイト
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出羽海部屋の優勝力士
優勝制度が制定された明治42年(1909)6月場所以降、出羽海部屋の幕内最高優勝力士は16人が誕生しており、総優勝回数は51回にもなります。出羽海部屋の初優勝はいつで誰?
出羽海部屋の初優勝力士は、明治43年(1910)1月場所のことで横綱・常陸山でした。常陸山の優勝はこの1回だけですが、それ以前にも優勝相当の成績を6度おさめています。その後は横綱・栃木山や常ノ花、そして千代の山など歴代の横綱たちが続いていきました。
出羽海部屋の優勝力士一覧
では、歴代の出羽海部屋の幕内優勝力士を年月順で一覧表にして見てみましょう。
№ | 四股名 | 優勝場所 | 回数 | 優勝時の番付 | 出身 | 部屋 | 最高位 | 成績 | 四股名 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 常陸山 | 明治43年1月 | 初 | 東横綱 | 茨城県 | 出羽海 | 19代横綱 | 7勝0敗1休2分 | 常陸山 | 茨城出身力士初の優勝 ※優勝制度制定以前に7回の優勝相当成績 |
2 | 両國 | 大正3年5月 | 初 | 東前頭14枚目 | 秋田県 | 出羽海 | 関脇 | 9勝0敗1休 | 両國 | 秋田出身力士初の優勝 新入幕場所での優勝 |
3 | 大錦 | 大正6年1月 | 初 | 西大関 | 大阪府 | 出羽海 | 26代横綱 | 10勝0敗 | 大錦 | 大阪府出身力士初の優勝 |
4 | 栃木山 | 大正6年5月 | 初 | 西大関 | 栃木県 | 出羽海 | 27代横綱 | 9勝0敗1預 | 栃木山 | |
5 | 栃木山 | 大正7年1月 | 2回目 | 東大関 | 栃木県 | 出羽海 | 27代横綱 | 10勝0敗 | 栃木山 | |
6 | 栃木山 | 大正7年5月 | 3回目 | 東横綱(張出) | 栃木県 | 出羽海 | 27代横綱 | 9勝1敗 | 栃木山 | |
7 | 栃木山 | 大正8年1月 | 4回目 | 東横綱 | 栃木県 | 出羽海 | 27代横綱 | 9勝0敗1休 | 栃木山 | |
8 | 栃木山 | 大正8年5月 | 5回目 | 東横綱 | 栃木県 | 出羽海 | 27代横綱 | 10勝0敗 | 栃木山 | |
9 | 大錦 | 大正9年1月 | 2回目 | 東横綱(張出) | 大阪府 | 出羽海 | 26代横綱 | 8勝1敗1分 | 大錦 | |
10 | 大錦 | 大正9年5月 | 3回目 | 西横綱 | 大阪府 | 出羽海 | 26代横綱 | 9勝1敗 | 大錦 | |
11 | 大錦 | 大正10年1月 | 4回目 | 西横綱 | 大阪府 | 出羽海 | 26代横綱 | 10勝0敗 | 大錦 | |
12 | 常ノ花 | 大正10年5月 | 初 | 東大関 | 岡山県 | 出羽海 | 31代横綱 | 10勝0敗 | 常ノ花 | 岡山出身力士初の優勝を全勝で飾る |
13 | 大錦 | 大正11年5月 | 5回目 | 西横綱(張出) | 大阪府 | 出羽海 | 26代横綱 | 8勝1敗1分 | 大錦 | |
14 | 栃木山 | 大正12年1月 | 6回目 | 東横綱(張出) | 栃木県 | 出羽海 | 27代横綱 | 8勝1敗1分 | 栃木山 | |
15 | 常ノ花 | 大正12年5月 | 2回目 | 西大関 | 岡山県 | 出羽海 | 31代横綱 | 9勝0敗1分1預 | 常ノ花 | |
16 | 栃木山 | 大正13年1月 | 7回目 | 西横綱 | 栃木県 | 出羽海 | 27代横綱 | 9勝0敗1分 | 栃木山 | |
17 | 栃木山 | 大正13年5月 | 8回目 | 東横綱(張出) | 栃木県 | 出羽海 | 27代横綱 | 10勝1敗 | 栃木山 | |
18 | 栃木山 | 大正14年1月 | 9回目 | 東横綱(張出) | 栃木県 | 出羽海 | 27代横綱 | 10勝0敗1分 | 栃木山 | |
19 | 常ノ花 | 大正15年1月 | 3回目 | 西横綱 | 岡山県 | 出羽海 | 31代横綱 | 11勝0敗 | 常ノ花 | 横綱昇進後初の優勝を全勝で飾る |
20 | 常ノ花 | 昭和2年3月 | 4回目 | 西横綱 | 岡山県 | 出羽海 | 31代横綱 | 10勝1敗 | 常ノ花 | |
21 | 常ノ花 | 昭和2年5月 | 5回目 | 西横綱 | 岡山県 | 出羽海 | 31代横綱 | 10勝1敗 | 常ノ花 | |
22 | 常ノ花 | 昭和2年10月 | 6回目 | 東横綱 | 岡山県 | 出羽海 | 31代横綱 | 10勝1敗 | 常ノ花 | |
23 | 常陸岩 | 昭和3年1月 | 初 | 東大関 | 東京都 | 出羽海 | 大関 | 10勝1敗 | 常陸岩 | |
24 | 常ノ花 | 昭和3年5月 | 7回目 | 西横綱 | 岡山県 | 出羽海 | 31代横綱 | 11勝0敗 | 常ノ花 | 3度目の全勝優勝 |
25 | 常ノ花 | 昭和4年5月 | 8回目 | 東横綱 | 岡山県 | 出羽海 | 31代横綱 | 10勝1敗 | 常ノ花 | |
26 | 常ノ花 | 昭和4年9月 | 9回目 | 東横綱 | 岡山県 | 出羽海 | 31代横綱 | 8勝3敗 | 常ノ花 | 3敗での優勝だったが 「3敗した者が天皇賜杯とは不敬」と物議を醸す |
27 | 常ノ花 | 昭和5年3月 | 10回目 | 東横綱 | 岡山県 | 出羽海 | 31代横綱 | 10勝1敗 | 常ノ花 | |
28 | 山錦 | 昭和5年5月 | 初 | 東前頭5枚目 | 大阪府 | 出羽海 | 関脇 | 11勝0敗 | 山錦 | 史上初の平幕全勝優勝 |
29 | 武藏山 | 昭和6年5月 | 初 | 東小結 | 神奈川県 | 出羽海 | 33代横綱 | 10勝1敗 | 武藏山 | |
30 | 綾櫻 | 昭和6年10月 | 初 | 東前頭4枚目 | 青森県 | 出羽海 | 関脇 | 10勝1敗 | 綾櫻 | 青森出身力士初の優勝 |
31 | 出羽湊 | 昭和14年1月 | 初 | 西前頭17枚目 | 秋田県 | 出羽海 | 関脇 | 13勝0敗 | 出羽湊 | |
32 | 安藝ノ海 | 昭和15年5月 | 初 | 西関脇 | 広島県 | 出羽海 | 37代横綱 | 14勝1敗 | 安藝ノ海 | |
33 | 増位山(初代) | 昭和23年10月 | 初 | 西関脇 | 兵庫県 | 出羽海 | 大関 | 10勝1敗 | 増位山(初代) | 兵庫出身力士初の優勝 |
34 | 増位山(初代) | 昭和24年5月 | 2回目 | 西大関 | 兵庫県 | 出羽海 | 大関 | 13勝2敗 | 増位山(初代) | |
35 | 千代ノ山 | 昭和24年10月 | 初 | 西大関 | 北海道 | 出羽海 | 41代横綱 | 13勝2敗 | 千代ノ山 | 北海道出身力士初の優勝 |
36 | 千代ノ山 | 昭和25年1月 | 2回目 | 東大関 | 北海道 | 出羽海 | 41代横綱 | 12勝3敗 | 千代ノ山 | |
37 | 千代ノ山 | 昭和26年5月 | 3回目 | 東大関 | 北海道 | 出羽海 | 41代横綱 | 14勝1敗 | 千代ノ山 | 3度目の優勝後、横綱へと昇進 |
38 | 千代の山 | 昭和30年1月 | 4回目 | 東横綱 | 北海道 | 出羽海 | 41代横綱 | 12勝3敗 | 千代の山 | 横綱昇進から3年余り、13場所目にて初の横綱での優勝 |
39 | 千代の山 | 昭和30年3月 | 5回目 | 東横綱 | 北海道 | 出羽海 | 41代横綱 | 13勝2敗 | 千代の山 | |
40 | 千代の山 | 昭和32年1月 | 6回目 | 西横綱(張出) | 北海道 | 出羽海 | 41代横綱 | 15勝0敗 | 千代の山 | |
41 | 佐田の山 | 昭和36年5月 | 初 | 西前頭13枚目 | 長崎県 | 出羽海 | 50代横綱 | 12勝3敗 | 佐田の山 | |
42 | 佐田の山 | 昭和37年3月 | 2回目 | 東関脇(張出) | 長崎県 | 出羽海 | 50代横綱 | 13勝2敗 | 佐田の山 | |
43 | 佐田の山 | 昭和40年1月 | 3回目 | 東大関 | 長崎県 | 出羽海 | 50代横綱 | 13勝2敗 | 佐田の山 | |
44 | 佐田の山 | 昭和40年5月 | 4回目 | 西横綱 | 長崎県 | 出羽海 | 50代横綱 | 14勝1敗 | 佐田の山 | |
45 | 佐田の山 | 昭和42年11月 | 5回目 | 西横綱 | 長崎県 | 出羽海 | 50代横綱 | 12勝3敗 | 佐田の山 | |
46 | 佐田の山 | 昭和43年1月 | 6回目 | 東横綱 | 長崎県 | 出羽海 | 50代横綱 | 13勝2敗 | 佐田の山 | |
47 | 三重ノ海 | 昭和50年11月 | 初 | 東関脇 | 三重県 | 出羽海 | 57代横綱 | 13勝2敗 | 三重ノ海 | |
48 | 三重ノ海 | 昭和54年11月 | 2回目 | 西横綱(横綱大関) | 三重県 | 出羽海 | 57代横綱 | 14勝1敗 | 三重ノ海 | |
49 | 三重ノ海 | 昭和55年1月 | 3回目 | 東横綱 | 三重県 | 出羽海 | 57代横綱 | 15勝0敗 | 三重ノ海 | |
50 | 御嶽海 | 平成30年7月 | 初 | 西関脇 | 長野県 | 出羽海 | 大関 | 13勝2敗 | 御嶽海 | 長野県出身初の幕内優勝 優勝制度制定以前に遡ると、伝説の大関・雷電が文文化7年(1810)に挙げた「優勝相当」以来208年ぶりの快挙 |
51 | 御嶽海 | 令和元年9月 | 2回目 | 東関脇 | 長野県 | 出羽海 | 大関 | 12勝3敗 | 御嶽海 | |
52 | 御嶽海 | 令和4年1月 | 3回目 | 東関脇 | 長野県 | 出羽海 | 大関 | 13勝2敗 | 御嶽海 | 横綱・照ノ富士を破って自身3度目の優勝 |
出羽海部屋の優勝力士ランキング
次は出羽海部屋力士の優勝回数と成績のランキングです。
順位 | 四股名 | 優勝 | 最高位 | 出身地 | 勝数 | 敗数 | 横綱 | 大関 | 関脇 | 小結 | 前頭 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1位 | 常ノ花 | 10回 | 31代横綱 | 岡山県 | 99勝 | 8敗 | 8回 | 2回 | 0回 | 0回 | 0回 |
2位 | 栃木山 | 9回 | 27代横綱 | 栃木県 | 84勝 | 3敗 | 7回 | 2回 | 0回 | 0回 | 0回 |
3位 | 千代の山 | 6回 | 41代横綱 | 北海道 | 79勝 | 11敗 | 3回 | 3回 | 0回 | 0回 | 0回 |
3位 | 佐田の山 | 6回 | 50代横綱 | 長崎県 | 77勝 | 13敗 | 3回 | 1回 | 1回 | 0回 | 1回 |
5位 | 大錦 | 5回 | 26代横綱 | 大阪府 | 45勝 | 3敗 | 4回 | 1回 | 0回 | 0回 | 0回 |
6位 | 三重ノ海 | 3回 | 57代横綱 | 三重県 | 42勝 | 3敗 | 2回 | 0回 | 1回 | 0回 | 0回 |
6位 | 御嶽海 | 3回 | 大関 | 長野県 | 38勝 | 7敗 | 0回 | 0回 | 3回 | 0回 | 0回 |
8位 | 増位山(初代) | 2回 | 大関 | 兵庫県 | 23勝 | 3敗 | 0回 | 1回 | 1回 | 0回 | 0回 |
9位 | 安藝ノ海 | 1回 | 37代横綱 | 広島県 | 14勝 | 1敗 | 0回 | 0回 | 1回 | 0回 | 0回 |
9位 | 出羽湊 | 1回 | 関脇 | 秋田県 | 13勝 | 0敗 | 0回 | 0回 | 0回 | 0回 | 1回 |
9位 | 山錦 | 1回 | 関脇 | 大阪府 | 11勝 | 0敗 | 0回 | 0回 | 0回 | 0回 | 1回 |
9位 | 常陸岩 | 1回 | 大関 | 東京都 | 10勝 | 1敗 | 0回 | 1回 | 0回 | 0回 | 0回 |
9位 | 武藏山 | 1回 | 33代横綱 | 神奈川県 | 10勝 | 1敗 | 0回 | 0回 | 0回 | 1回 | 0回 |
9位 | 綾櫻 | 1回 | 関脇 | 青森県 | 10勝 | 1敗 | 0回 | 0回 | 0回 | 0回 | 1回 |
9位 | 両國 | 1回 | 関脇 | 秋田県 | 9勝 | 0敗 | 0回 | 0回 | 0回 | 0回 | 1回 |
9位 | 常陸山 | 1回 | 19代横綱 | 茨城県 | 7勝 | 0敗 | 1回 | 0回 | 0回 | 0回 | 0回 |
最高位が大関の現役力士
御嶽海 久司
御嶽海 久司(みたけうみ ひさし)は長野県 木曽郡上松町出身、出羽海部屋の力士で最高位は大関。令和6年11月場所の番付は西 前頭7枚目。
東洋大4年次に学生横綱とアマチュア横綱を獲得で史上3人目となる幕下10枚目格付出資格を獲得。しかし当初は角界入りする気がなく和歌山県庁への就職も内定していた。一転、入門に転じたのは部屋を継承して間もない11代出羽海(元幕内・小城ノ花)からの「部屋の再興の為に力を貸して欲しい」という言葉。高昇以来84年ぶりの長野出身三役力士。次は「伝説の力士」雷電以来の郷土大関を目指す。
長野初の優勝力士誕生
平成30年(2018)7月場所で念願だった初優勝を果たす。これは優勝制度が制定されて以降、初の長野出身優勝力士という快挙。さらに出羽海部屋にとっても昭和55年(1980)1月場所の横綱・三重ノ海以来、約38年ぶりの賜杯となった。
- 四股名
- 御嶽海 久司(みたけうみ ひさし)
- 最高位
- 大関
- 最新番付
- 西 前頭7枚目
- 出身地
- 長野県 木曽郡上松町
- 本名
- 大道 久司
- 生年月日
- 平成4年(1992)12月25日(31歳)
- 出身高校
- 木曽青峰高校
- 出身大学
- 東洋大学
- 所属部屋
- 出羽海部屋
- 初土俵
- 平成27年(2015)3月・幕下10付出(22歳3ヵ月)
- 新十両
- 平成27年(2015)7月(22歳7ヵ月)
- 新入幕
- 平成27年(2015)11月(22歳11ヵ月)
- 新小結
- 平成28年(2016)11月(23歳11ヵ月)
- 新関脇
- 平成29年(2017)7月(24歳7ヵ月)
- 新大関
- 令和4年(2022)3月(29歳3ヵ月)
- 優勝
- 幕内優勝3回,十両優勝1回
- 受賞・金星
- 殊勲賞6回,敢闘賞1回,技能賞3回,金星2個
- 通算成績
- 469勝372敗13休/838出場(勝率:56%)
- 直近7場所
- 49勝56敗
- 7場所勝率
- 46.7%
- 令6年11月
- 西 前頭7枚目(4枚半降下)
- 7勝8敗
- ○●○○○|○●●●○|●●○●●
- 令6年9月
- 東 前頭3枚目(半枚降下)
- 4勝11敗
- ○●●●●|●○●○●|●●○●●
- 令6年7月
- 西 前頭2枚目(5枚上昇)
- 7勝8敗
- ○●●●○|○●●●○|●○○●○
- 令6年5月
- 西 前頭7枚目(3枚上昇)
- 8勝7敗
- ○○○○○|●●○○●|○●●●●
- 令6年3月
- 西 前頭10枚目(1枚半降下)
- 9勝6敗
- ○●○●○|○○○●○|●●●○○
- 令6年1月
- 東 前頭9枚目(変動なし)
- 6勝9敗
- ○●○○●|●○●●●|○●●●○
- 令5年11月
- 東 前頭9枚目
- 8勝7敗
- ●●○●○|●○○○○|○●○●●
出羽海部屋の横綱
長い歴史を誇る名門、出羽海部屋では実に9人もの横綱が誕生しています。大関の時に九重部屋へと移籍し、のちに横綱へと昇進した北の富士も含めると実に10人もの横綱が育ったと言えるまさに名門です。
常陸山 谷右エ門
茨城県水戸市出身、出羽ノ海部屋の元力士で最高位は横綱。明治後期の相撲黄金時代を築いた「角聖」は一代で部屋を角界一の大部屋へ、国技館建設などにも尽力。
- 四股名 :常陸山 谷右エ門(ひたちやま たにえもん)
- 最高位 :第19代横綱
- 年寄名跡:
5代出羽ノ海 - 出身地 :茨城県水戸市
- 本 名 :市毛 谷⇒市毛 谷右衛門
- 生年月日:明治7年(1874)1月19日
- 没年月日:大正11年(1922)6月19日(享年48歳)
- 所属部屋:入間川⇒出羽ノ海⇒三ツ湊(名古屋)⇒中村(大阪)⇒出羽ノ海部屋
- 改名歴 :御西山⇒常陸山
- 初土俵 :明治25年(1892)6月・序ノ口(18歳5ヵ月)
- 新十両 :明治31年(1898)5月(24歳4ヵ月)
- 新入幕 :明治32年(1899)1月(25歳0ヵ月)
- 新三役 :明治33年(1900)5月(26歳4ヵ月)
- 新大関 :明治34年(1901)5月(27歳4ヵ月)
- 横綱昇進:明治37年(1904)1月(30歳0ヵ月)
- 最終場所:大正3年(1914)5月(40歳4ヵ月)
- 生涯戦歴:159勝15敗131休23分2預/199出場(33場所)
- 生涯勝率:91.4%
- 優勝等 :幕内優勝1回(次点2)優勝相当6回
- 幕内戦歴:150勝15敗131休22分2預(32場所)勝率:90.9%
- 横綱:83勝10敗108休17分2預(22場所)勝率:89.2%
- 大関:37勝3敗9休1分(5場所)勝率:92.5%
- 関脇:15勝1敗2休2分(2場所)勝率:93.8%
- 前頭:15勝1敗12休2分(3場所)勝率:93.8%
- 十両戦歴:9勝0敗1分(1場所)勝率:100.0%
大錦 夘一郎
大阪府大阪市出身、出羽海部屋の元力士で最高位は横綱。無敵の太刀山を破る活躍で入幕わずか6場所で横綱へと昇進。
- 四股名 :大錦 夘一郎(おおにしき ういちろう)
- 最高位 :第26代横綱
- 出身地 :大阪府大阪市
- 本 名 :細川 夘一郎
- 生年月日:明治24年(1891)11月25日
- 没年月日:昭和16年(1941)5月13日(享年49歳)
- 所属部屋:出羽海部屋
- 初土俵 :明治43年(1910)1月(18歳2ヵ月)
- 新十両 :大正3年(1914)1月(22歳2ヵ月)
- 新入幕 :大正4年(1915)1月(23歳2ヵ月)
- 新三役 :大正4年(1915)6月(23歳7ヵ月)
- 新大関 :大正5年(1916)1月(24歳2ヵ月)
- 横綱昇進:大正6年(1917)5月(25歳6ヵ月)
- 最終場所:大正12年(1923)1月(31歳2ヵ月)
- 生涯戦歴:134勝16敗32休3分2預/155出場(21場所)
- 生涯勝率:89.3%
- 優勝等 :幕内優勝5回(次点4),十両優勝1回,序二段優勝1回
- 幕内戦歴:119勝16敗32休3分(17場所)勝率:88.1%
- 横綱:77勝9敗31休3分(12場所)勝率:89.5%
- 大関:25勝5敗(3場所)勝率:83.3%
- 小結:9勝1敗(1場所)勝率:90.0%
- 前頭:8勝1敗1休(1場所)勝率:88.9%
- 十両戦歴:10勝0敗2預(2場所)勝率:100.0%
栃木山 守也
栃木県下都賀郡出身、出羽海部屋の元力士で最高位は横綱。序ノ口から驚異的なスピードで番付を駆け上がり所要8場所で新入幕、この間に喫した黒星はわずか3つだった。
入幕後も勢いが衰えることはなく新三役の場所で56連勝中だった横綱・太刀山を破るなど大活躍をみせた。さらに新大関昇進場所で初優勝、そして翌場所も優勝と連覇で場所後には横綱へと推移された。横綱在位中の勝率は93.5%で近代最強力士との声も。しかし3場所連続優勝の真っ只中で「今が華だと思うから」と突如の引退を表明し世間を驚かせた。
「分家を許さず」の出羽海部屋だったが生前の5代出羽ノ海(元横綱・常陸山)から異例の分家を認められていた栃木山は8代春日野を襲名すると独立して春日野部屋を興した。
- 四股名 :栃木山 守也(とちぎやま もりや)
- 最高位 :第27代横綱
- 年寄名跡:
8代春日野 - 出身地 :栃木県下都賀郡
- 本 名 :横田 守也⇒中田 守也
- 生年月日:明治25年(1892)2月5日
- 没年月日:昭和34年(1959)10月3日(享年67歳)
- 所属部屋:出羽海部屋
- 初土俵 :明治44年(1911)2月(19歳0ヵ月)
- 新十両 :大正3年(1914)1月(21歳11ヵ月)
- 新入幕 :大正4年(1915)1月(22歳11ヵ月)
- 新三役 :大正5年(1916)5月(24歳3ヵ月)
- 新大関 :大正6年(1917)5月(25歳3ヵ月)
- 横綱昇進:大正7年(1918)5月(26歳3ヵ月)
- 最終場所:大正14年(1925)5月(33歳3ヵ月)
- 生涯戦歴:197勝26敗24休7分5預/235出場(30場所)
- 生涯勝率:88.3%
- 優勝等 :幕内優勝9回(次点4),幕下優勝1回
- 成 績 :金星2個
- 幕内戦歴:166勝23敗24休7分4預(22場所)勝率:87.8%
- 横綱:115勝8敗22休6分3預(15場所)勝率:93.5%
- 大関:19勝0敗1預(2場所)勝率:100.0%
- 関脇:6勝3敗1休(1場所)勝率:66.7%
- 小結:6勝3敗1休(1場所)勝率:66.7%
- 前頭:20勝9敗1分(3場所)勝率:69.0%
- 十両戦歴:9勝2敗(2場所)勝率:81.8%
常ノ花 寛市
岡山県岡山市出身、出羽海部屋の元力士で最高位は横綱。華やかな投技で人気だった横綱、戦後の混乱期には理事長として敏腕を振るい協会の礎を築く。
- 四股名 :常ノ花 寛市(つねのはな かんいち)
- 最高位 :第31代横綱
- 年寄名跡:9代藤島⇒
7代出羽海 - 出身地 :岡山県岡山市
- 本 名 :山野辺 寛一
- 生年月日:明治29年(1896)11月23日
- 没年月日:昭和35年(1960)11月28日(享年64歳)
- 所属部屋:出羽海部屋
- 初土俵 :明治43年(1910)1月(13歳2ヵ月)
- 新十両 :大正4年(1915)6月(18歳7ヵ月)
- 新入幕 :大正6年(1917)5月(20歳6ヵ月)
- 新三役 :大正8年(1919)1月(22歳2ヵ月)
- 新大関 :大正9年(1920)5月(23歳6ヵ月)
- 横綱昇進:大正13年(1924)5月(27歳6ヵ月)
- 最終場所:昭和5年(1930)10月(33歳11ヵ月)
- 生涯戦歴:263勝81敗66休8分10預/361出場(49場所)
- 生涯勝率:76.5%
- 優勝等 :幕内優勝10回(次点4),十両優勝1回
- 幕内戦歴:221勝58敗66休8分6預(34場所)勝率:79.2%
- 横綱:131勝31敗52休3分1預(20場所)勝率:80.9%
- 大関:52勝13敗10休4分2預(8場所)勝率:80.0%
- 関脇:19勝6敗2休1分2預(3場所)勝率:76.0%
- 前頭:19勝8敗2休1預(3場所)勝率:70.4%
- 十両戦歴:14勝8敗2預(4場所)勝率:63.6%
武藏山 武
神奈川県横浜市出身、出羽海部屋の元力士で最高位は横綱。初土俵から一気に番付を駆け上がるも、痛めていた右肘は横綱で悲鳴をあげた。
- 四股名 :武藏山 武(むさしやま たけし)
- 最高位 :第33代横綱
- 年寄名跡:10代出来山⇒7代不知火
- 出身地 :神奈川県横浜市
- 本 名 :横山 武
- 生年月日:明治42年(1909)12月5日
- 没年月日:昭和44年(1969)3月15日(享年59歳)
- 所属部屋:出羽海部屋
- 初土俵 :大正15年(1926)1月(16歳1ヵ月)
- 新十両 :昭和4年(1929)1月(19歳1ヵ月)
- 新入幕 :昭和4年(1929)5月(19歳5ヵ月)
- 新三役 :昭和5年(1930)5月(20歳5ヵ月)
- 新大関 :昭和7年(1932)1月(22歳1ヵ月)
- 横綱昇進:昭和11年(1936)1月(26歳1ヵ月)
- 最終場所:昭和14年(1939)5月(29歳5ヵ月)
- 生涯戦歴:240勝79敗71休2分/318出場(41場所)
- 生涯勝率:75.2%
- 優勝等 :幕内優勝1回(次点7),十両優勝1回,幕下優勝1回,序二段優勝1回
- 成 績 :金星2個
- 幕内戦歴:174勝69敗71休2分(29場所)勝率:71.6%
- 横綱:15勝15敗70休(8場所)勝率:50.0%
- 大関:76勝28敗2分(11場所)勝率:73.1%
- 小結:50勝15敗1休(6場所)勝率:76.9%
- 前頭:33勝11敗(4場所)勝率:75.0%
- 十両戦歴:20勝2敗(2場所)勝率:90.9%
安藝ノ海 節男
安藝ノ海 節男(あきのうみ せつお)は広島県広島市出身、出羽海部屋の元力士で、最高位は第37代横綱。
昭和7年(1932)2月場所に17歳8ヶ月で初土俵を踏み、昭和21年(1946)11月場所を最後に引退(32歳5ヶ月)。
通算成績は209勝101敗38休309出場。生涯勝率.674。通算32場所中、21場所を勝ち越した(勝ち越し率.700)。
主な成績は幕内優勝1回(次点3),序ノ口優勝1回。金星1個(双葉山1個)。
本名は永田 節男。大正3年(1914)5月30日生まれ。昭和54年(1979)3月25日逝去(享年64歳)。
双葉山の連勝を止めた世紀の1番は前頭4枚目の時、のちに横綱へと昇進。
- 四股名
- 安藝ノ海 節男(あきのうみ せつお)
- 最高位
- 第37代横綱
- 年寄名跡
- 8代不知火 節男 → 10代藤島 康博
- 出身地
- 広島県広島市
- 本名
- 永田 節男
- 生年月日
- 大正3年(1914)5月30日
- 没年月日
- 昭和54年(1979)3月25日(享年64歳)
- 所属部屋
- 出羽海部屋
- 改名歴
- 永田 節雄 → 安藝ノ海 節男 → 安藝ノ海 節雄 → 安藝ノ海 節男 → 安藝ノ海 節雄 → 安藝ノ海 節男
- 初土俵
- 昭和7年(1932)2月 前相撲(17歳8ヶ月)
- 新十両
- 昭和11年(1936)1月(所要10場所)
- 21歳7ヶ月(初土俵から3年11ヶ月)
- 新入幕
- 昭和13年(1938)1月(所要14場所)
- 23歳7ヶ月(初土俵から5年11ヶ月)
- 新関脇
- 昭和15年(1940)1月(所要18場所)
- 25歳7ヶ月(初土俵から7年11ヶ月)
- 新大関
- 昭和16年(1941)1月(所要20場所)
- 26歳7ヶ月(初土俵から8年11ヶ月)
- 横綱昇進
- 昭和18年(1943)1月(所要24場所)
- 28歳7ヶ月(初土俵から10年11ヶ月)
- 最終場所
- 昭和21年(1946)11月(32歳5ヶ月)
- 大相撲歴
- 32場所(14年9ヶ月)
- 通算成績
- 209勝101敗38休309出場(勝率.674)
- 通算32場所
- 勝ち越し21場所(勝ち越し率.700)
- 優勝等
- 幕内優勝1回(次点3),序ノ口優勝1回
- 受賞・金星
- 金星1個
- 幕内戦歴
- 142勝59敗38休200出場(勝率.706)
- 在位18場所(在位率.563)
- 勝ち越し12場所(勝ち越し率.667)
- 横綱戦歴
- 38勝19敗38休56出場(勝率.667)
- 在位8場所(在位率.250)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率.375)
- 大関戦歴
- 47勝13敗0休60出場(勝率.783)
- 在位4場所(在位率.125)
- 勝ち越し4場所(勝ち越し率1.000)
- 関脇戦歴
- 24勝6敗0休30出場(勝率.800)
- 在位2場所(在位率.063)
- 勝ち越し2場所(勝ち越し率1.000)
- 前頭戦歴
- 33勝21敗0休54出場(勝率.611)
- 在位4場所(在位率.125)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率.750)
- 十両戦歴
- 28勝18敗0休46出場(勝率.609)
- 在位4場所(在位率.125)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率.750)
- 関取戦歴
- 170勝77敗38休246出場(勝率.688)
- 在位22場所(在位率.688)
- 勝ち越し15場所(勝ち越し率.682)
- 幕下以下歴
- 39勝24敗0休63出場(勝率.619)
- 在位8場所(在位率.250)
- 勝ち越し6場所(勝ち越し率.750)
千代の山 雅信
千代の山 雅信(ちよのやま まさのぶ)は北海道松前郡出身、出羽海部屋の元力士で、最高位は第41代横綱。
昭和17年(1942)1月場所に15歳7ヶ月で初土俵を踏み、昭和34年(1959)1月場所を最後に引退(32歳7ヶ月)。
通算成績は407勝158敗147休2分561出場。生涯勝率.720。通算54場所中、39場所を勝ち越した(勝ち越し率.750)。
主な成績は幕内優勝6回(次点6),十両優勝2回。殊勲賞1回,敢闘賞1回,金星3個(羽黒山1個、前田山1個、照國1個)。
本名は杉村 昌治。大正15年(1926)6月2日生まれ。昭和52年(1977)10月29日逝去(享年51歳)。
部屋の継承を巡って耐え忍んだが出羽海一門からの破門を条件に独立、大関だった北の富士らを連れて九重部屋を興す。
- 四股名
- 千代の山 雅信(ちよのやま まさのぶ)
- 最高位
- 第41代横綱
- 年寄名跡
- 特権年寄 千代の山 雅信 →
11代九重 雅信 - 出身地
- 北海道松前郡
- 本名
- 杉村 昌治
- 生年月日
- 大正15年(1926)6月2日
- 没年月日
- 昭和52年(1977)10月29日(享年51歳)
- 所属部屋
- 出羽海部屋
- 改名歴
- 杉村 昌治 → 千代ノ山 昌治 → 千代ノ山 雅信 → 千代の山 雅信
- 初土俵
- 昭和17年(1942)1月 本中(15歳7ヶ月)
- 新十両
- 昭和19年(1944)11月(所要5場所)
- 18歳5ヶ月(初土俵から2年10ヶ月)
- 新入幕
- 昭和20年(1945)11月(所要7場所)
- 19歳5ヶ月(初土俵から3年10ヶ月)
- 新関脇
- 昭和22年(1947)6月(所要9場所)
- 20歳11ヶ月(初土俵から5年5ヶ月)
- 新大関
- 昭和24年(1949)10月(所要15場所)
- 23歳4ヶ月(初土俵から7年9ヶ月)
- 横綱昇進
- 昭和26年(1951)9月(所要21場所)
- 25歳3ヶ月(初土俵から9年8ヶ月)
- 最終場所
- 昭和34年(1959)1月(32歳7ヶ月)
- 大相撲歴
- 54場所(17年0ヶ月)
- 通算成績
- 407勝158敗147休2分561出場(勝率.720)
- 通算54場所
- 勝ち越し39場所(勝ち越し率.750)
- 優勝等
- 幕内優勝6回(次点6),十両優勝2回
- 受賞・金星
- 殊勲賞1回,敢闘賞1回,金星3個
- 幕内戦歴
- 366勝149敗147休2分511出場(勝率.711)
- 在位46場所(在位率.852)
- 勝ち越し32場所(勝ち越し率.696)
- 横綱戦歴
- 239勝103敗137休1分337出場(勝率.699)
- 在位32場所(在位率.593)
- 勝ち越し20場所(勝ち越し率.625)
- 大関戦歴
- 67勝23敗0休90出場(勝率.744)
- 在位6場所(在位率.111)
- 勝ち越し6場所(勝ち越し率1.000)
- 関脇戦歴
- 24勝14敗10休1分39出場(勝率.632)
- 在位4場所(在位率.074)
- 勝ち越し2場所(勝ち越し率.500)
- 前頭戦歴
- 36勝9敗0休45出場(勝率.800)
- 在位4場所(在位率.074)
- 勝ち越し4場所(勝ち越し率1.000)
- 十両戦歴
- 14勝3敗0休17出場(勝率.824)
- 在位2場所(在位率.037)
- 勝ち越し2場所(勝ち越し率1.000)
- 関取戦歴
- 380勝152敗147休2分528出場(勝率.714)
- 在位48場所(在位率.889)
- 勝ち越し34場所(勝ち越し率.708)
- 幕下以下歴
- 27勝6敗0休33出場(勝率.818)
- 在位6場所(在位率.111)
- 勝ち越し5場所(勝ち越し率.833)
佐田の山 晋松
部屋では「不許分家独立」の不文律を取り払い、理事長としては改革案を掲げて孤軍奮闘
- 四股名 :佐田の山 晋松(さだのやま しんまつ)
- 最高位 :第50代横綱
- 年寄名跡:
9代出羽海 ⇒12代境川⇒13代中立 - 出身地 :長崎県南松浦郡有川町
- 本 名 :佐々田 晋松⇒市川 晋松
- 生年月日:昭和13年(1938)2月18日
- 没年月日:平成29年(2017)4月27日(享年79歳)
- 所属部屋:出羽海部屋
- 改名歴 :佐々田⇒佐田ノ山⇒佐田の山⇒佐田乃山⇒佐田の山
- 初土俵 :昭和31年(1956)1月(17歳11ヵ月)
- 新十両 :昭和35年(1960)3月(22歳1ヵ月)
- 新入幕 :昭和36年(1961)1月(22歳11ヵ月)
- 新三役 :昭和36年(1961)9月(23歳7ヵ月)
- 新大関 :昭和37年(1962)5月(24歳3ヵ月)
- 横綱昇進:昭和40年(1965)3月(27歳1ヵ月)
- 最終場所:昭和43年(1968)3月(30歳1ヵ月)
- 生涯戦歴:591勝251敗61休/837出場(71場所)
- 生涯勝率:70.2%
- 優勝等 :幕内優勝6回(同点3・次点7)
- 成 績 :殊勲賞1回,敢闘賞1回,技能賞1回,金星2個
- 幕内戦歴:435勝164敗61休(44場所)勝率:72.6%
- 横綱:188勝64敗33休(19場所)勝率:74.6%
- 大関:176勝66敗13休(17場所)勝率:72.7%
- 関脇:38勝22敗(4場所)勝率:63.3%
- 前頭:33勝12敗15休(4場所)勝率:73.3%
- 十両戦歴:47勝28敗(5場所)勝率:62.7%
三重ノ海 剛司
三重県松阪市出身、出羽海部屋の元力士で最高位は横綱。入門まで相撲未経験も大人数の出羽海部屋のなか自らの努力で大成した。大関から陥落経験のある唯一の横綱、武蔵川部屋を興して数々の名力士を育てた。
- 四股名 :三重ノ海 剛司(みえのうみ つよし)
- 最高位 :第57代横綱
- 年寄名跡:11代山科⇒
14代武蔵川 - 出身地 :三重県松阪市
- 本 名 :石山 五郎
- 生年月日:昭和23年(1948)2月4日
- 所属部屋:出羽海部屋
- 改名歴 :石山⇒三重ノ海
- 初土俵 :昭和38年(1963)7月(15歳5ヵ月)
- 新十両 :昭和44年(1969)3月(21歳1ヵ月)
- 新入幕 :昭和44年(1969)9月(21歳7ヵ月)
- 新三役 :昭和45年(1970)7月(22歳5ヵ月)
- 新大関 :昭和51年(1976)1月(27歳11ヵ月)
- 横綱昇進:昭和54年(1979)9月(31歳7ヵ月)
- 最終場所:昭和55年(1980)11月(32歳9ヵ月)
- 生涯戦歴:695勝525敗56休1分/1214出場(105場所)
- 生涯勝率:57.0%
- 優勝等 :幕内優勝3回(同点1・次点5),三段目優勝1回
- 成 績 :殊勲賞5回,敢闘賞1回,技能賞3回,金星5個
- 幕内戦歴:543勝413敗51休1分(68場所)勝率:56.8%
- 横綱:55勝23敗30休(8場所)勝率:70.5%
- 大関:180勝123敗12休(21場所)勝率:59.4%
- 関脇:99勝73敗8休(12場所)勝率:57.6%
- 小結:29勝16敗(3場所)勝率:64.4%
- 前頭:180勝178敗1休1分(24場所)勝率:50.3%
- 十両戦歴:28勝17敗(3場所)勝率:62.2%