福岡出身の過去から現在までの主な力士をご紹介する福岡県の大相撲力士まとめ!この記事では福岡出身の関取を中心に、福岡の郷土力士をご紹介していきます。
過去の力士については最高位や改名歴、初土俵や各段の昇進時期と最終場所、さらに生涯戦歴と生涯勝率、成績等を中心にご紹介していきます。また、現役力士については最高位と昇進時期、主な成績などを載せています。
なお、年寄名跡欄の
現役の福岡県出身力士の最新番付や成績、詳細なデータをご覧になりたい方はこちら
5月場所千秋楽の取組結果はこちら。
5月場所の各段の成績順はこちらで確認ができます。
相撲部屋や出身地ごとの成績から、場所中はリアルタイムでランキングを作成しております。今場所好調な相撲部屋や力士の出身地はどこ?
この記事の目次
福岡出身の優勝力士一覧
優勝制度が制定された明治42年(1909)6月場所以降、福岡出身の幕内最高優勝力士は3人が誕生しています。総優勝回数では7回になります。福岡出身初優勝はいつで誰?
福岡出身力士で初の優勝は、昭和7年(1932)3月場所で西小結だった沖ツ海でした。その後は長らく優勝力士が現れませんでしたが、平成12年5月場所で魁皇が福岡出身力士として約68年ぶりの優勝を果たしました。
福岡県出身の優勝力士一覧
では福岡県出身の幕内優勝力士を年月順で一覧表にして見てみましょう。
| № | 四股名 | 優勝場所 | 回数 | 優勝時の番付 | 部屋 | 出身地 | 最高位 | 成績 | 四股名 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 沖ッ海 | 昭和7年3月 | 初 | 西小結 | 若藤 1948 | 福岡県 | 関脇 | 9勝1敗 | 沖ッ海 | 福岡出身力士初の優勝 21歳10ヵ月での幕内優勝は、当時史上2位の最年少記録 |
| 2 | 魁皇 | 平成12年5月 | 初 | 西小結 | 友綱 | 福岡県 | 大関 | 14勝1敗 | 魁皇 | 沖ッ海以来68年ぶりの福岡出身優勝 |
| 3 | 魁皇 | 平成13年3月 | 2回目 | 東大関 | 友綱 | 福岡県 | 大関 | 13勝2敗 | 魁皇 | |
| 4 | 魁皇 | 平成13年7月 | 3回目 | 東大関3 | 友綱 | 福岡県 | 大関 | 13勝2敗 | 魁皇 | |
| 5 | 魁皇 | 平成15年7月 | 4回目 | 東大関 | 友綱 | 福岡県 | 大関 | 12勝3敗 | 魁皇 | |
| 6 | 魁皇 | 平成16年9月 | 5回目 | 東大関 | 友綱 | 福岡県 | 大関 | 13勝2敗 | 魁皇 | |
| 7 | 琴奨菊 | 平成28年1月 | 初 | 東大関2 | 佐渡ヶ嶽 | 福岡県 | 大関 | 14勝1敗 | 琴奨菊 | 栃東以来10年ぶりの日本出身力士の優勝 |
福岡県出身の優勝力士ランキング
次は福岡県出身力士の優勝回数と成績のランキングです。
| 順位 | 四股名 | 優勝 | 最高位 | 部屋 | 出身地 | 勝数 | 敗数 | 横綱 | 大関 | 関脇 | 小結 | 前頭 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1位 | 魁皇 | 5回 | 大関 | 友綱 | 福岡県 | 65勝 | 10敗 | 0回 | 4回 | 0回 | 1回 | 0回 |
| 2位 | 琴奨菊 | 1回 | 大関 | 佐渡ヶ嶽 | 福岡県 | 14勝 | 1敗 | 0回 | 1回 | 0回 | 0回 | 0回 |
| 2位 | 沖ッ海 | 1回 | 関脇 | 若藤 1948 | 福岡県 | 9勝 | 1敗 | 0回 | 0回 | 0回 | 1回 | 0回 |
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福岡県出身の最高位:横綱
第10代横綱 雲龍 久吉
土俵入りの「雲龍型」に名を残したが、実際は不知火型だったらしい
- 四股名 :雲龍 久吉(うんりゅう ひさきち)
- 最高位 :大関(横綱免許)第10代横綱
- 年寄名跡:
5代追手風 - 出身地 :福岡県山門郡
- 本 名 :塩塚 久吉⇒佐藤 喜太郎
- 生年月日:文政5年(1823)9月
- 没年月日:明治23年(1890)6月15日(享年67歳)
- 所属部屋:陣幕(大阪)⇒追手風⇒雷⇒追手風部屋
- 初土俵 :弘化4年(1847)11月・十両(24歳)
- 新入幕 :嘉永5年(1853)2月(30歳)
- 新大関 :安政5年(1858)1月(34歳)
- 横綱免許:文久2年(1861)9月(38歳)
- 最終場所:元治2年(1865)2月(41歳)
- 生涯戦歴:140勝37敗55休16分7預/200出場(29場所)
- 生涯勝率:79.1%
- 優勝等 :優勝相当7回
- 幕内戦歴:127勝32敗55休15分5預(26場所)勝率:79.9%
- 大関:63勝24敗41休7分1預(15場所)勝率:72.4%
- 関脇:23勝2敗2休1預(3場所)勝率:92.0%
- 小結:12勝5敗6休5分2預(4場所)勝率:70.6%
- 前頭:29勝1敗6休3分1預(4場所)勝率:96.7%
- 十両戦歴:13勝5敗1分2預(3場所)勝率:72.2%
第15代横綱 梅ヶ谷 藤太郎
現役の功績はもちろん、引退後も相撲界を牽引し「相撲道中興の祖」と仰がれた「大雷」
- 四股名 :梅ヶ谷 藤太郎(初代)(うめがたに とうたろう)
- 最高位 :大関(横綱免許)第15代横綱
- 年寄名跡:梅ヶ谷⇒
10代雷 - 出身地 :福岡県朝倉郡
- 本 名 :小江 藤太郎
- 生年月日:弘化2年(1845)2月9日
- 没年月日:昭和3年(1928)6月15日(享年83歳)
- 所属部屋:湊(大阪)⇒玉垣⇒梅ケ谷⇒雷部屋
- 初土俵 :明治4年(1871)3月・二段目付出(26歳)
- 新十両 :明治4年(1871)11月(26歳)
- 新入幕 :明治7年(1874)12月(29歳)
- 新三役 :明治10年(1877)6月(32歳)
- 新大関 :明治12年(1879)1月(34歳)
- 横綱免許:明治17年(1884)3月(38歳)
- 最終場所:明治18年(1885)5月(40歳)
- 生涯戦歴:151勝13敗78休22分2預/188出場(28場所)
- 生涯勝率:92.1%
- 優勝等 :優勝相当9回
- 幕内戦歴:116勝6敗78休18分2預(22場所)勝率:95.1%
- 大関:66勝3敗57休13分1預(14場所)勝率:95.7%
- 関脇:13勝0敗5休1分1預(2場所)勝率:100.0%
- 小結:7勝0敗2休1分(1場所)勝率:100.0%
- 前頭:30勝3敗14休3分(5場所)勝率:90.9%
- 十両戦歴:35勝7敗4分(6場所)勝率:83.3%
福岡県出身の最高位:大関
九州山 十郎
将来の横綱候補と期待されたこともあったが病魔に襲われて叶わず
- 四股名 :九州山 十郎(きゅうしゅうざん じゅうろう)
- 最高位 :大関
- 年寄名跡:6代稲川
- 出身地 :福岡県北九州市
- 本 名 :青山 十郎⇒中西 十郎
- 生年月日:明治22年(1889)5月12日
- 没年月日:昭和2年(1927)1月7日(享年37歳)
- 所属部屋:入間川部屋
- 初土俵 :明治44年(1911)6月・(22歳1ヵ月)
- 新十両 :大正3年(1914)1月(24歳8ヵ月)
- 新入幕 :大正4年(1915)6月(26歳1ヵ月)
- 新三役 :大正6年(1917)5月(28歳0ヵ月)
- 新大関 :大正7年(1918)5月(29歳0ヵ月)
- 最終場所:大正11年(1922)1月(32歳8ヵ月)
- 生涯戦歴:72勝44敗41休6預/122出場(19場所)
- 生涯勝率:62.1%
- 優勝等 :幕下優勝1回
- 成 績 :金星1個
- 幕内戦歴:57勝37敗41休5預(14場所)勝率:60.6%
- 大関:6勝5敗8休1預(2場所)勝率:54.5%
- 関脇:4勝3敗2休1預(1場所)勝率:57.1%
- 小結:7勝3敗10休(2場所)勝率:70.0%
- 前頭:40勝26敗21休3預(9場所)勝率:60.6%
- 十両戦歴:10勝7敗1預(3場所)勝率:58.8%
魁皇 博之
魁皇 博之 (かいおう ひろゆき)は福岡県直方市出身、友綱部屋の元力士で、最高位は大関。
昭和63年(1988)3月場所に15歳7ヶ月で初土俵を踏み、平成23年(2011)7月場所を最後に引退(38歳11ヶ月)。
通算成績は1047勝700敗158休1731出場。生涯勝率.605。通算140場所中、104場所を勝ち越した(勝ち越し率.748)。
主な成績は幕内優勝5回(同点2 次点9)、幕下優勝1回、三段目優勝1回、序二段(同点1)、殊勲賞10回、敢闘賞5回、金星6個(曙2個、貴乃花3個、若乃花1個)。
昭和47年(1972)7月24日生まれ。本名は古賀 博之。
通算1047勝、大関在位65場所、幕内最高優勝5回という数々の金字塔を打ち立てた「鉄人」の相撲人生であった。
花の六三組として角界入り
福岡県直方市に生まれ、幼少期から立派な体格に恵まれていた。小学4年次より地元の相撲大会に出場し、中学2年次からは柔道も始めるなど心身を鍛え上げる。その後、相撲大会を観戦していた後援者や、のちの10代友綱(元関脇・魁輝)から熱心なスカウトを受け、中学卒業とともに友綱部屋へ入門した。
昭和63年(1988年)3月場所において、本名の「古賀」を四股名として初土俵を踏む。この場所は、のちに横綱や大関へと昇進する若乃花、貴乃花、曙ら多士済々な新弟子が集ったことから、後年「花の六三組」と称される黄金世代の一員としてのスタートであった。入門当初は慣れない環境と厳しい稽古から脱走を試みたこともあったが、思い留まり部屋へ戻る。その後は持ち前の力強い相撲で着実に番付を上げ、平成4年(1992年)1月場所で19歳にして新十両への昇進を果たす。これを機に、師匠の「頂点を極めてほしい」という願いから四股名を「魁皇」へと改名した。
破壊王の異名と大関昇進
平成5年(1993年)5月場所において新入幕を果たし、平成6年(1994年)3月場所では横綱・曙から初金星を獲得するとともに、初の三賞となる殊勲賞を受賞。翌5月場所には新三役となる小結へ昇進した。魁皇の代名詞は、規格外の怪力を生かした右四つからの豪快な上手投げや小手投げであった。その威力は、200キロを超える巨漢力士をも土俵外へ吹き飛ばすほどであり、対戦相手が腕や肩を負傷することも少なくなく、いつしか「破壊王」の異名を取るまでになった。しかし、その強大な力を生み出す代償として自身の肉体にも負担がかかり、重度の腰痛や左太股の負傷といった深刻な怪我に長年悩まされることとなる。
三役に定着しながらも大関昇進の壁に跳ね返される時期が続いたが、転機となったのは平成12年(2000年)5月場所である。西小結の地位で14勝1敗の好成績を挙げ、自身初の幕内最高優勝を果たした。さらに翌7月場所でも東関脇で11勝4敗と勝ち越し、場所後に待望の大関昇進を果たす。初土俵から所要75場所、12年以上の歳月をかけての到達であった。
綱取りの重圧と5度の優勝
大関昇進後も、魁皇の相撲人生は怪我との壮絶な戦いであった。幾度となく休場と角番を繰り返しながらも、平成13年(2001年)3月場所での大関としての初優勝(自身2度目の優勝)をはじめ、大関在位中に4度の賜杯を抱いている。横綱未昇進力士による通算優勝5回は歴代最多の記録である。平成16年(2004年)には年間を通じて好成績を残し、同年9月場所では13勝2敗で5度目の優勝を果たした。翌11月場所では悲願の横綱昇進を懸けて土俵に上がったが、序盤での取りこぼしが響き、惜しくも綱取りを果たすことは叶わなかった。
通算1047勝の金字塔
現役晩年は、自身の肉体的な限界と向き合いながら、大相撲の歴史に残る数々の大記録を更新していく道のりとなった。平成22年(2010年)1月場所では、千代の富士の持つ幕内通算勝利記録(807勝)を更新。さらに同年5月場所には、史上2人目となる通算1000勝の大台に到達するなど、30代後半となっても幕内の第一線で戦い続けた。
そして平成23年(2011年)7月場所、5日目に通算1046勝目を挙げて歴代最多勝利記録を更新。続く7日目に挙げた通算1047勝目が、現役最後の白星となった。10日目に敗れて負け越しが確定的となった直後、現役引退を表明し、23年間にわたる長い土俵人生に静かに幕を下ろした。大関在位記録は65場所であり、休場による角番制度を利用すれば歴代単独1位となる66場所に伸ばすことも可能であったが、あえてそれをせず、同時代を共に戦った千代大海と並ぶ史上1位タイの記録で土俵を去った。
通算1047勝をはじめ、大関在位65場所、大関として戦後最年長となる38歳11ヶ月での土俵など、彼が刻んだ偉大な数字は今も色褪せることはない。引退後は年寄・浅香山を襲名し、平成26年(2014年)には独立して浅香山部屋を創設。現在は師匠として後進の指導にあたっている。
- 四股名
- 魁皇 博之 (かいおう ひろゆき)
- 最高位
- 大関
- 年寄名跡
- 15代浅香山 博之(友綱) → 15代浅香山 博之
- 出身地
- 福岡県直方市
- 本名
- 古賀 博之
- 生年月日
- 昭和47年(1972)7月24日(53歳)
- 所属部屋
- 友綱部屋
- 改名歴
- 古賀 博之 → 魁皇 博之
- 初土俵
- 昭和63年(1988)3月 前相撲(15歳7ヶ月)
- 新十両
- 平成4年(1992)1月(所要23場所)
- 19歳5ヶ月(初土俵から3年10ヶ月)
- 新入幕
- 平成5年(1993)5月(所要31場所)
- 20歳9ヶ月(初土俵から5年2ヶ月)
- 新小結
- 平成6年(1994)5月(所要37場所)
- 21歳9ヶ月(初土俵から6年2ヶ月)
- 新関脇
- 平成7年(1995)1月(所要41場所)
- 22歳5ヶ月(初土俵から6年10ヶ月)
- 新大関
- 平成12年(2000)9月(所要75場所)
- 28歳1ヶ月(初土俵から12年6ヶ月)
- 最終場所
- 平成23年(2011)7月場所(38歳11ヶ月)
- 大相撲歴
- 140場所(23年4ヶ月)
- 通算成績
- 1047勝700敗158休1731出場(勝率.605)
- 通算140場所
- 勝ち越し104場所(勝ち越し率.748)(勝ち越し星426)
- 優勝等
- 幕内優勝5回(同点2 次点9),幕下優勝1回,三段目優勝1回,序二段(同点1)
- 受賞・金星
- 殊勲賞10回,敢闘賞5回,金星6個(曙2個、貴乃花3個、若乃花1個)
- 持給金
- 448円50銭(勝ち越し星426個 優勝5回 金星6個)
- 大関戦歴
- 524勝328敗119休838出場(勝率.625)
- 在位65場所(在位率.464)
- 勝ち越し52場所(勝ち越し率.800)
- 幕内戦歴
- 879勝581敗141休1444出場(勝率.609)
- 在位107場所(在位率.764)
- 勝ち越し85場所(勝ち越し率.794)
- 三役戦歴
- 271勝187敗22休456出場(勝率.594)
- 在位32場所(在位率.229)
- 勝ち越し25場所(勝ち越し率.781)
- 関脇戦歴
- 192勝120敗3休311出場(勝率.617)
- 在位21場所(在位率.150)
- 勝ち越し18場所(勝ち越し率.857)
- 小結戦歴
- 79勝67敗19休145出場(勝率.545)
- 在位11場所(在位率.079)
- 勝ち越し7場所(勝ち越し率.636)
- 前頭戦歴
- 84勝66敗0休150出場(勝率.560)
- 在位10場所(在位率.071)
- 勝ち越し8場所(勝ち越し率.800)
- 十両戦歴
- 76勝57敗17休133出場(勝率.571)
- 在位10場所(在位率.071)
- 勝ち越し7場所(勝ち越し率.700)
- 関取戦歴
- 955勝638敗158休1577出場(勝率.606)
- 在位117場所(在位率.836)
- 勝ち越し92場所(勝ち越し率.786)
- 幕下以下歴
- 92勝62敗0休154出場(勝率.597)
- 在位22場所(在位率.157)
- 勝ち越し12場所(勝ち越し率.545)
名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。
- ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(328回 / 33.7%)
- ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(274回 / 42.4%)
- ✅ 得意な相手:旭天鵬(34勝4敗 / 勝率.895)
- ✅ 苦手な相手:白鵬(5勝26敗 / 勝率.161)
琴奨菊 和弘
琴奨菊 和弘(ことしょうぎく かずひろ)は福岡県柳川市出身、佐渡ヶ嶽部屋の元力士で、最高位は大関。
平成14年(2002)1月場所に17歳11ヶ月で初土俵を踏み、令和2年(2020)11月場所を最後に引退(36歳9ヶ月)。
通算成績は828勝676敗41休1496出場。生涯勝率.551。通算112場所中、70場所を勝ち越した(勝ち越し率.631)。
主な成績は幕内優勝1回(次点3),十両優勝1回,序二段同点1回。殊勲賞3回,技能賞4回,金星3個(日馬富士1個、稀勢の里1個、白鵬1個)。
昭和59年(1984)1月30日生まれ。本名は菊次 一弘。
小学3年生の頃から相撲を始めて、中学は高知県の明徳義塾中に相撲留学、3年次に中学横綱の栄冠を獲得。明徳義塾高校進学を経て平成14年(2002)1月場所、琴菊次(こときくつぐ)の四股名で初土俵を踏んだ。
幕下で少し苦労もあったが当時の竹縄親方(現・朝日山親方の琴錦)の指導により、圧力を増した琴菊次は平成16年(2004)7月場所で新十両昇進、四股名も琴奨菊へと改めた。
平成17年(2005)1月で新入幕、平成23年(2011)9月場所後に大関へと昇進。平成28年(2016)初場所では日本出身力士として10年ぶりに幕内優勝を飾った。
しかしその1年後、カド番で迎えた平成29年初場所で大関から陥落。西前頭9枚目で迎えた令和2年9月場所を2勝10敗3休の成績で十両へと陥落、翌11月場所7日目を休場し、引退を発表した。14代秀ノ山を襲名。
- 年寄
14代秀ノ山 和弘 - 四股名
- 琴奨菊 和弘(ことしょうぎく かずひろ)
- 最高位
- 大関
- 年寄名跡
14代秀ノ山 和弘 - 出身地
- 福岡県柳川市
- 本名
- 菊次 一弘
- 生年月日
- 昭和59年(1984)1月30日(42歳)
- 所属部屋
- 佐渡ヶ嶽部屋
- 改名歴
- 琴菊次 一弘 → 琴奨菊 一弘 → 琴奨菊 和弘
- 初土俵
- 平成14年(2002)1月 前相撲(17歳11ヶ月)
- 新十両
- 平成16年(2004)7月(所要15場所)
- 20歳5ヶ月(初土俵から2年6ヶ月)
- 新入幕
- 平成17年(2005)1月(所要18場所)
- 20歳11ヶ月(初土俵から3年0ヶ月)
- 新関脇
- 平成19年(2007)3月(所要31場所)
- 23歳1ヶ月(初土俵から5年2ヶ月)
- 新大関
- 平成23年(2011)11月(所要58場所)
- 27歳9ヶ月(初土俵から9年10ヶ月)
- 最終場所
- 令和2年(2020)11月(36歳9ヶ月)
- 大相撲歴
- 112場所(18年10ヶ月)
- 通算成績
- 828勝676敗41休1496出場(勝率.551)
- 通算112場所
- 勝ち越し70場所(勝ち越し率.631)
- 優勝等
- 幕内優勝1回(次点3),十両優勝1回,序二段同点1回
- 受賞・金星
- 殊勲賞3回,技能賞4回,金星3個
- 幕内戦歴
- 718勝621敗41休1332出場(勝率.536)
- 在位92場所(在位率.821)
- 勝ち越し55場所(勝ち越し率.598)
- 大関戦歴
- 256勝192敗32休444出場(勝率.571)
- 在位32場所(在位率.286)
- 勝ち越し24場所(勝ち越し率.750)
- 三役戦歴
- 161勝137敗2休297出場(勝率.540)
- 在位20場所(在位率.179)
- 勝ち越し11場所(勝ち越し率.550)
- 関脇戦歴
- 100勝80敗0休180出場(勝率.556)
- 在位12場所(在位率.107)
- 勝ち越し7場所(勝ち越し率.583)
- 小結戦歴
- 61勝57敗2休117出場(勝率.517)
- 在位8場所(在位率.071)
- 勝ち越し4場所(勝ち越し率.500)
- 前頭戦歴
- 301勝292敗7休591出場(勝率.508)
- 在位40場所(在位率.357)
- 勝ち越し20場所(勝ち越し率.500)
- 十両戦歴
- 43勝24敗0休66出場(勝率.642)
- 在位5場所(在位率.045)
- 勝ち越し4場所(勝ち越し率.800)
- 関取戦歴
- 761勝645敗41休1398出場(勝率.541)
- 在位97場所(在位率.866)
- 勝ち越し59場所(勝ち越し率.608)
- 幕下以下歴
- 67勝31敗0休98出場(勝率.684)
- 在位14場所(在位率.125)
- 勝ち越し11場所(勝ち越し率.786)
福岡県出身の最高位:関脇
大潮 清治郎
横綱・男女ノ川から39歳5ヶ月で金星を獲得した金星最年長記録者
- 四股名 :大潮 清治郎(おおしお せいじろう)
- 最高位 :関脇
- 年寄名跡:
4代陸奥 - 出身地 :福岡県大川市
- 本 名 :石橋 清治郎
- 生年月日:明治33年(1900)8月10日
- 没年月日:昭和54年(1979)3月29日(享年78歳)
- 所属部屋:陸奥部屋
- 改名歴 :若汐⇒若潮⇒大潮
- 初土俵 :大正8年(1919)1月(18歳5ヵ月)
- 新十両 :昭和3年(1928)3月(27歳7ヵ月)
- 新入幕 :昭和7年(1932)1月(31歳5ヵ月)
- 新三役 :昭和7年(1932)5月(31歳9ヵ月)
- 最終場所:昭和16年(1941)5月(40歳9ヵ月)
- 生涯戦歴:238勝250敗37休2分/487出場(59場所)
- 生涯勝率:48.8%
- 優勝等 :十両優勝1回,幕下優勝1回
- 成 績 :金星3個
- 幕内戦歴:97勝134敗35休(23場所)勝率:42.0%
- 関脇:1勝10敗(1場所)勝率:9.1%
- 小結:4勝20敗20休(4場所)勝率:16.7%
- 前頭:92勝104敗15休(18場所)勝率:46.9%
- 十両戦歴:69勝72敗2休(13場所)勝率:48.9%
沖ツ海 福雄
沖ッ海 福雄 (おきつうみ ふくお)は福岡県宗像市出身、若藤部屋の元力士で、最高位は関脇。
大正13年(1924)5月場所に13歳11ヶ月で初土俵を踏み、昭和8年(1933)5月場所を最後に引退(22歳11ヶ月)。
通算成績は113勝53敗0休3分169出場。生涯勝率.669。通算19場所中、14場所を勝ち越した(勝ち越し率.778)。
主な成績は幕内優勝1回(次点1)、十両優勝2回、序二段優勝1回。
本名は北城戸 福松。明治43年(1910)5月28日生まれ。昭和8年(1933)9月30日逝去(享年23歳)。
沖ッ海福雄は、昭和初期に活躍した若藤部屋所属の元関脇。大坂相撲から移籍後に頭角を現し、春秋園事件による繰り上げ編成後に21歳10ヶ月の若さで幕内最高優勝を果たした。峻烈な下手投げを武器に大関昇進を嘱望されていたが、婚約と部屋継承が決まった矢先にフグ中毒により23歳で急逝した悲劇の力士である。
大坂相撲からの移籍と十両昇進
明治43年(1910年)に福岡県宗像郡(現・宗像市)で生まれる。はじめ大坂相撲の千田川部屋へ入門したが、大正12年(1923年)に発生した大坂相撲の紛擾事件である龍神事件の影響で師匠が廃業したため、東京の若藤部屋へと移籍した。大正13年(1924年)5月場所に「上ヶ汐」の四股名で初土俵を踏むと、順調に番付を上げていく。昭和2年(1927年)5月場所には「沖ッ海」と改名して序二段優勝を果たし、昭和5年(1930年)1月場所に新十両へ昇進。同年3月場所と10月場所でそれぞれ9勝2敗の成績を挙げて2度の十両優勝を飾り、昭和6年(1931年)1月場所において新入幕を果たした。
春秋園事件と21歳での幕内最高優勝
入幕初年は負け越しも経験したが、徐々に幕内の土俵に対応していく。昭和7年(1932年)1月に勃発した春秋園事件で多くの力士が脱退するなか、沖ッ海は日本相撲協会に残留した。これに伴う2月場所の繰り上げ編成により、前頭筆頭から一気に西小結に抜擢される。この場所は2勝6敗と負け越したものの、続く3月場所では9勝1敗の好成績を挙げ、見事に幕内最高優勝を果たした。21歳10ヶ月での賜杯獲得は、当時の同世代である武蔵山の21歳5ヶ月に次ぐ史上2位の若年記録であった。
この優勝により、同年5月場所では新関脇に昇進。続く同年10月場所でも大関・清水川に並ぶ9勝2敗の好成績を挙げたが、当時は同星の場合に番付上位者が優勝となる制度であったため、東関脇の沖ッ海は賜杯を譲る形となった。
峻烈な取り口と凄絶な土俵態度
土俵を降りると温厚な性格であったが、ひとたび本場所の土俵に上がれば闘志溢れる相撲を見せた。特に左からの下手投げは峻烈を極め、対戦相手から恐れられた。昭和6年(1931年)10月場所では、大関昇進を懸けていた武蔵山の右肘を負傷させるほどの激しい相撲を取っている。
また、昭和8年(1933年)1月場所の千秋楽では、結びの一番で玉錦と対戦。激しい攻防の末に玉錦の鼻血が止まらなくなり、痛み分けとなって弓取式が中止される事態となった。同場所で協会に帰参し、全勝であった男女ノ川と対戦する日には、付き人に対して遺体を運ぶための戸板を用意して迎えに来るよう命じたと伝えられており、協会に残留した看板力士として、脱退組には負けられないという悲壮な覚悟がうかがえる。
巡業先での悲報と短すぎる土俵人生
大関昇進を目前に控えていた昭和8年(1933年)9月30日、巡業先の山口県萩市において、師匠・若藤の娘との婚約、および部屋の継承が決定する。しかし、この祝杯を挙げるために自らフグを調理したことが悲劇を招く。親友であった幕内・幡瀬川からの忠告を聞き入れず、幕下・越ノ海(のちの前頭)と共に食した直後に激しく苦しみ出し、そのまま急逝した。23歳での早すぎる死であった。
婚約と部屋継承という幸福の絶頂で起きた不慮の事故は、春秋園事件で多くの力士を失った師匠にさらなる打撃を与え、師匠も失意の中で2年後にこの世を去っている。なお、遺された師匠の娘とは、共にフグを食して難を逃れた越ノ海が後に結婚し、部屋を支えることとなる。生涯成績は161勝78敗3分(34場所)。関脇在位4場所をはじめ、幕内には11場所在位した。
- 四股名
- 沖ッ海 福雄 (おきつうみ ふくお)
- 最高位
- 関脇
- 出身地
- 福岡県宗像市
- 本名
- 北城戸 福松
- 生年月日
- 明治43年(1910)5月28日
- 没年月日
- 昭和8年(1933)9月30日(享年23歳)
- 所属部屋
- 若藤部屋
- 改名歴
- 上ヶ汐 → 沖ッ海 福夫 → 沖ッ海 福雄 → 沖ッ海 福夫 → 沖津海 福夫 → 沖ッ海 福雄 → 沖ッ海 福夫 → 沖ッ海 福雄
- 初土俵
- 大正13年(1924)5月 前相撲(13歳11ヶ月)
- 新十両
- 昭和5年(1930)1月(所要4場所)
- 19歳7ヶ月(初土俵から5年8ヶ月)
- 新入幕
- 昭和6年(1931)1月(所要8場所)
- 20歳7ヶ月(初土俵から6年8ヶ月)
- 新小結
- 昭和7年(1932)2月(所要13場所)
- 21歳8ヶ月(初土俵から7年9ヶ月)
- 新関脇
- 昭和7年(1932)5月(所要15場所)
- 21歳11ヶ月(初土俵から8年0ヶ月)
- 最終場所
- 昭和8年(1933)5月場所(22歳11ヶ月)
- 大相撲歴
- 19場所(9年0ヶ月)
- 通算成績
- 113勝53敗0休3分169出場(勝率.669)
- 通算19場所
- 勝ち越し14場所(勝ち越し率.778)(勝ち越し星66)
- 優勝等
- 幕内優勝1回(次点1),十両優勝2回,序二段優勝1回
- 幕内戦歴
- 64勝39敗0休3分106出場(勝率.604)
- 在位11場所(在位率.579)
- 勝ち越し7場所(勝ち越し率.636)
- 三役戦歴
- 39勝20敗0休3分62出場(勝率.629)
- 在位6場所(在位率.316)
- 勝ち越し5場所(勝ち越し率.833)
- 関脇戦歴
- 28勝13敗0休3分44出場(勝率.636)
- 在位4場所(在位率.211)
- 勝ち越し4場所(勝ち越し率1.000)
- 小結戦歴
- 11勝7敗0休18出場(勝率.611)
- 在位2場所(在位率.105)
- 勝ち越し1場所(勝ち越し率.500)
- 前頭戦歴
- 25勝19敗0休44出場(勝率.568)
- 在位5場所(在位率.263)
- 勝ち越し2場所(勝ち越し率.400)
- 十両戦歴
- 32勝12敗0休44出場(勝率.727)
- 在位4場所(在位率.211)
- 勝ち越し4場所(勝ち越し率1.000)
- 関取戦歴
- 96勝51敗0休3分150出場(勝率.640)
- 在位15場所(在位率.789)
- 勝ち越し11場所(勝ち越し率.733)
- 幕下以下歴
- 17勝2敗0休19出場(勝率.895)
- 在位3場所(在位率.158)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率1.000)
名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。
- ✅ 勝った決まり手1位:寄り倒し(18回 / 22.2%)
- ✅ 負けた決まり手1位:寄り倒し(13回 / 30.2%)
- ✅ 得意な相手:大嶋(6勝0敗 / 勝率1.000)
- ✅ 苦手な相手:高登(0勝5敗 / 勝率.000)
益荒雄 広生
17代押尾川(元大関・大麒麟)の熱心な勧誘を受け高校を中退して角界入り。4度目の入幕からは一気に番付を上げて新三役に。その場所での2横綱4大関を破る活躍は「益荒雄旋風」と呼ばれ「白いウルフ」と親しまれた。引退後は紆余曲折を経て阿武松部屋を創設。平成30年(2018)2月2日に相撲協会理事に初当選。審判部長の要職にあたっていたが体調不良のため令和元年(2019)7月場所を全休。8月中に退職の意向を示していた阿武松は9月場所も全休、9月26日付で退職が承認された
- 四股名 :益荒雄 広生(ますらお ひろお)
- 最高位 :関脇
- 年寄名跡:15代錣山⇒
12代阿武松 ⇒22代音羽山 - 出身地 :福岡県田川郡糸田町
- 本 名 :手島 広生
- 生年月日:昭和36年(1961)6月27日
- 所属部屋:押尾川部屋
- 改名歴 :手島⇒益荒雄⇒手島⇒益荒雄
- 初土俵 :昭和54年(1979)3月(17歳9ヵ月)
- 新十両 :昭和58年(1983)7月(22歳1ヵ月)
- 新入幕 :昭和60年(1985)9月(24歳3ヵ月)
- 新三役 :昭和62年(1987)3月(25歳9ヵ月)
- 最終場所:平成2年(1990)7月(29歳1ヵ月)
- 生涯戦歴:387勝329敗73休/711出場(69場所)
- 生涯勝率:54.1%
- 優勝等 :十両優勝5回(同点2),幕下同点1回
- 成 績 :殊勲賞2回,敢闘賞2回,技能賞1回,金星2個
- 幕内戦歴:111勝125敗64休(20場所)勝率:47.0%
- 関脇:4勝11敗(1場所)勝率:26.7%
- 小結:19勝11敗(2場所)勝率:63.3%
- 前頭:88勝103敗64休(17場所)勝率:46.1%
- 十両戦歴:163勝135敗2休(21場所)勝率:54.7%
福岡県出身の最高位:小結
大起 男右エ門
子供たちの人気者だった大きな体の温厚な力士
- 四股名 :大起 男右エ門(おおたち だんえもん)
- 最高位 :小結
- 年寄名跡:10代境川
- 出身地 :福岡県嘉穂郡
- 本 名 :山本 男次郎⇒石田 男次郎
- 生年月日:大正12年(1923)10月6日
- 没年月日:昭和45年(1970)1月31日(享年46歳)
- 所属部屋:出羽海部屋
- 改名歴 :山本⇒穗波山⇒大起
- 初土俵 :昭和13年(1938)5月(14歳7ヵ月)
- 新十両 :昭和20年(1945)6月(21歳8ヵ月)
- 新入幕 :昭和21年(1946)11月(23歳1ヵ月)
- 新三役 :昭和30年(1955)3月(31歳5ヵ月)
- 最終場所:昭和33年(1958)5月(34歳7ヵ月)
- 生涯戦歴:328勝350敗22休1分/677出場(57場所)
- 生涯勝率:48.4%
- 優勝等 :序二段優勝1回
- 成 績 :金星2個
- 幕内戦歴:265勝306敗22休1分(41場所)勝率:46.4%
- 小結:5勝10敗(1場所)勝率:33.3%
- 前頭:260勝296敗22休1分(40場所)勝率:46.8%
- 十両戦歴:12勝5敗(2場所)勝率:70.6%
若葉山 貞雄
若葉山 貞雄(わかばやま さだお)は埼玉県北足立郡(現・さいたま市)出身、双葉山 → 時津風部屋の元力士で、最高位は小結。
昭和17年(1942)1月場所に19歳2ヶ月で初土俵を踏み、昭和36年(1961)1月場所を最後に引退(38歳2ヶ月)。
通算成績は413勝466敗6休1分879出場。生涯勝率.470。通算66場所中、30場所を勝ち越した(勝ち越し率.462)。
主な成績は十両優勝1回。殊勲賞1回,金星4個。
本名は岩平 貞雄→青山 貞雄。大正11年(1922)11月9日生まれ。平成13年(2001)1月17日逝去(享年78歳)。
生まれは中華民国の北京市。幼い頃に生き別れとなった両親を探すために日本行きを目指し、それには力士になるのが近道と考えていた。その頃、朝鮮巡業で双葉山一行が京城を訪れており、京城の呉服店で働いていた岩平(本名)は、双葉山に弟子入りを志願、入門が叶った。
昭和17(1942)年1月場所で双葉山相撲道場の力士として初土俵を踏む。序ノ口から順調に番付を上げていき昭和21(1946)年11月場所で新十両昇進、その場所で十両優勝をあげて翌昭和22(1947)年6月場所で新入幕を果たした。
新入幕まで本名の「岩平」で土俵に上がり続けていた。これは生き別れになった両親を探すためであり、この四股名に気づいてくれたらとの想いがあってのことだった。本名のままでの幕内力士は初とのこと。
幕内2場所目を迎えるにあたり、北京の後援関係者から「満寿山」という四股名はどうかとの話があった。12代・時津風(元横綱・双葉山)は“戦争で負けたのに満寿山では駄目だ”と代わりに「若葉山」という四股名を提案。これを岩平は受けた。
「若葉山」という四股名は、戦前の二十山部屋の関脇・双葉山鐘が名乗っていたもので、引退後に10代・錣山を襲名、二十山部屋閉鎖後は時津風部屋(当初は双葉山相撲道場)で後進の指導にあたっていた。この10代・錣山の四股名を受け継いだかたちとなった。
小兵ながら速い突っ張りからの右差しと、小股掬いや蹴手繰り、内無双に下手捻りなど多彩な技を繰り出して相手を翻弄する取り口が得意であり、なかでも足取りが見事で「足取り名人」と評された。
前頭2枚目で迎えた昭和26(1951)年5月場所では照國と東富士の両横綱を破っての金星など活躍をみせて殊勲賞を獲得、翌場所で新小結昇進を果たす。
その新小結場所は6勝9敗と負け越して1場所で小結陥落。以降は平幕から十両で昭和36(1961)年1月場所の引退まで長く関取の座で土俵を沸かせた。
引退後は12代・錣山として後進の指導にあたり、昭和46(1971)年には13代・立田川(元横綱・鏡里)の分家独立に同行して立田川部屋に移籍した。
孫は荒汐部屋の若隆元、若元春、若隆景の3兄弟。
- 四股名
- 若葉山 貞雄(わかばやま さだお)
- 最高位
- 小結
- 年寄名跡
- 12代錣山 貞雄
- 出身地
- 福岡県八女市 → 埼玉県北足立郡(現・さいたま市)
- 本名
- 岩平 貞雄→青山 貞雄
- 生年月日
- 大正11年(1922)11月9日
- 没年月日
- 平成13年(2001)1月17日(享年78歳)
- 所属部屋
- 双葉山 → 時津風部屋
- 改名歴
- 岩平 貞雄 → 若葉山 貞雄
- 初土俵
- 昭和17年(1942)1月 前相撲(19歳2ヶ月)
- 新十両
- 昭和21年(1946)11月(所要9場所)
- 23歳11ヶ月(初土俵から4年10ヶ月)
- 新入幕
- 昭和22年(1947)6月(所要10場所)
- 24歳6ヶ月(初土俵から5年5ヶ月)
- 新小結
- 昭和26年(1951)9月(所要22場所)
- 28歳10ヶ月(初土俵から9年8ヶ月)
- 最終場所
- 昭和36年(1961)1月(38歳2ヶ月)
- 大相撲歴
- 66場所(19年0ヶ月)
- 通算成績
- 413勝466敗6休1分879出場(勝率.470)
- 通算66場所
- 勝ち越し30場所(勝ち越し率.462)
- 優勝等
- 十両優勝1回
- 受賞・金星
- 殊勲賞1回,金星4個
- 幕内戦歴
- 326勝383敗6休1分709出場(勝率.460)
- 在位49場所(在位率.742)
- 勝ち越し20場所(勝ち越し率.408)
- 小結戦歴
- 6勝9敗0休15出場(勝率.400)
- 在位1場所(在位率.015)
- 勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
- 前頭戦歴
- 320勝374敗6休1分694出場(勝率.461)
- 在位48場所(在位率.727)
- 勝ち越し20場所(勝ち越し率.417)
- 十両戦歴
- 49勝69敗0休118出場(勝率.415)
- 在位8場所(在位率.121)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率.375)
- 関取戦歴
- 375勝452敗6休1分827出場(勝率.453)
- 在位57場所(在位率.864)
- 勝ち越し23場所(勝ち越し率.404)
- 幕下以下歴
- 38勝14敗0休52出場(勝率.731)
- 在位8場所(在位率.121)
- 勝ち越し7場所(勝ち越し率.875)
時錦 恒則
のちの改名時「出釈迦山」にしたかったが番付に間違えて書かれて「四釈迦山」に
- 四股名 :時錦 恒則(ときにしき つねのり)
- 最高位 :小結
- 出身地 :福岡県糟屋郡新宮町
- 本 名 :小林 恒則
- 生年月日:昭和6年(1931)2月13日
- 所属部屋:時津風部屋
- 改名歴 :小林⇒時錦⇒四釈迦山
- 初土俵 :昭和24年(1949)5月(18歳3ヵ月)
- 新十両 :昭和29年(1954)9月(23歳7ヵ月)
- 新入幕 :昭和31年(1956)1月(24歳11ヵ月)
- 新三役 :昭和33年(1958)3月(27歳1ヵ月)
- 最終場所:昭和38年(1963)5月(32歳3ヵ月)
- 生涯戦歴:445勝448敗25休/892出場(65場所)
- 生涯勝率:49.8%
- 優勝等 :三段目優勝1回
- 成 績 :金星1個
- 幕内戦歴:136勝146敗18休(20場所)勝率:48.2%
- 小結:4勝11敗(1場所)勝率:26.7%
- 前頭:132勝135敗18休(19場所)勝率:49.4%
- 十両戦歴:188勝210敗7休(27場所)勝率:47.2%
大潮 憲司
福岡県北九州市八幡東区出身、時津風部屋の元力士で最高位は小結。十両と幕内の往復が激しく入幕13回という最多記録を持つ。小結にまで昇ったあと足の怪我で一時は幕下まで番付を下げたが、堅実な努力で幕内復帰を果たす。通算出場1891回は大相撲史上1位の記録。
- 四股名 :大潮 憲司(おおしお けんじ)
- 最高位 :小結
- 年寄名跡:13代錣山⇒
8代式秀 - 出身地 :福岡県北九州市八幡東区
- 本 名 :波多野 兼二
- 生年月日:昭和23年(1948)1月4日
- 所属部屋:時津風部屋
- 改名歴 :波多野⇒大潮
- 初土俵 :昭和37年(1962)1月(14歳0ヵ月)
- 新十両 :昭和44年(1969)11月(21歳10ヵ月)
- 新入幕 :昭和46年(1971)9月(23歳8ヵ月)
- 新三役 :昭和53年(1978)1月(30歳0ヵ月)
- 最終場所:昭和63年(1988)1月(40歳0ヵ月)
- 生涯戦歴:964勝929敗32休/1891出場(157場所)
- 生涯勝率:50.9%
- 優勝等 :十両優勝3回(同点2)
- 成 績 :敢闘賞1回,技能賞1回,金星3個
- 幕内戦歴:335勝413敗17休(51場所)勝率:44.8%
- 小結:3勝12敗(1場所)勝率:20.0%
- 前頭:332勝401敗17休(50場所)勝率:45.3%
- 十両戦歴:436勝359敗15休(55場所)勝率:54.8%
玉輝山 正則
玉輝山 正則(たまきやま まさのり)は福岡県前原市出身、片男波部屋の元力士で、最高位は小結。
昭和39年(1964)5月場所に13歳0ヶ月で初土俵を踏み、昭和59年(1984)3月場所を最後に引退(32歳10ヶ月)。
通算成績は652勝655敗15休1305出場。生涯勝率.499。通算120場所中、64場所を勝ち越した(勝ち越し率.542)。
主な成績は十両優勝2回,幕下優勝1回。
昭和26年(1951)4月29日生まれ。本名は萩尾 正則。
13歳で初土俵を踏み、兄弟子である玉の海の稽古で相撲を磨いた。その相撲ぶりや体付きから「玉の海2世」と期待された玉輝山は昭和46年(1971)9月場所で新十両昇進を果たす。
新十両場所を勝ち越して、兄弟子に少しでも恩返しができたと思った矢先、なんと場所後にその玉の海が急逝してしまう。このショックは大きく、しばらくは十両と幕下を往復して出世が遅れた。
弟弟子・玉ノ富士が躍進し始めるとようやく奮起をみせ昭和49年(1974)5月場所に新入幕、昭和54年(1979)7月場所には所要91場所で新小結昇進を遂げた。
- 四股名
- 玉輝山 正則(たまきやま まさのり)
- 最高位
- 小結
- 年寄名跡
- 16代北陣 正則
- 出身地
- 福岡県前原市
- 本名
- 萩尾 正則
- 生年月日
- 昭和26年(1951)4月29日
- 所属部屋
- 片男波部屋
- 改名歴
- 玉輝山 正則
- 初土俵
- 昭和39年(1964)5月 前相撲(13歳0ヶ月)
- 新十両
- 昭和46年(1971)9月(所要44場所)
- 20歳4ヶ月(初土俵から7年4ヶ月)
- 新入幕
- 昭和49年(1974)5月(所要60場所)
- 23歳0ヶ月(初土俵から10年0ヶ月)
- 新小結
- 昭和54年(1979)7月(所要91場所)
- 28歳2ヶ月(初土俵から15年2ヶ月)
- 最終場所
- 昭和59年(1984)3月(32歳10ヶ月)
- 大相撲歴
- 120場所(19年10ヶ月)
- 通算成績
- 652勝655敗15休1305出場(勝率.499)
- 通算120場所
- 勝ち越し64場所(勝ち越し率.542)
- 優勝等
- 十両優勝2回,幕下優勝1回
- 幕内戦歴
- 153勝195敗12休347出場(勝率.440)
- 在位24場所(在位率.200)
- 勝ち越し10場所(勝ち越し率.417)
- 小結戦歴
- 4勝11敗0休15出場(勝率.267)
- 在位1場所(在位率.008)
- 勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
- 前頭戦歴
- 149勝184敗12休332出場(勝率.447)
- 在位23場所(在位率.192)
- 勝ち越し10場所(勝ち越し率.435)
- 十両戦歴
- 283勝284敗3休566出場(勝率.499)
- 在位38場所(在位率.317)
- 勝ち越し18場所(勝ち越し率.474)
- 関取戦歴
- 436勝479敗15休913出場(勝率.477)
- 在位62場所(在位率.517)
- 勝ち越し28場所(勝ち越し率.452)
- 幕下以下歴
- 216勝176敗0休392出場(勝率.551)
- 在位56場所(在位率.467)
- 勝ち越し36場所(勝ち越し率.643)
前乃臻 康夫
福岡県嘉穂郡筑穂町出身、高田川部屋の元力士で最高位は小結。引退後の山響時代に失踪し解雇処分を受けた。
- 四股名 :前乃臻 康夫(まえのしん やすお)
- 最高位 :小結
- 年寄名跡:16代山響
- 出身地 :福岡県嘉穂郡筑穂町
- 本 名 :沢辺 康夫
- 生年月日:昭和36年(1961)4月17日
- 所属部屋:高田川部屋
- 改名歴 :前の海⇒沢辺⇒前乃臻⇒前乃森
- 初土俵 :昭和52年(1977)3月(15歳11ヵ月)
- 新十両 :昭和59年(1984)1月(22歳9ヵ月)
- 新入幕 :昭和60年(1985)11月(24歳7ヵ月)
- 新三役 :昭和62年(1987)9月(26歳5ヵ月)
- 最終場所:平成2年(1990)3月(28歳11ヵ月)
- 生涯戦歴:412勝407敗7休/819出場(79場所)
- 生涯勝率:50.3%
- 優勝等 :幕下同点1回
- 幕内戦歴:62勝88敗(10場所)勝率:41.3%
- 小結:4勝11敗(1場所)勝率:26.7%
- 前頭:58勝77敗(9場所)勝率:43.0%
- 十両戦歴:188勝187敗(25場所)勝率:50.1%
松鳳山 裕也
松鳳山 裕也(しょうほうざん ゆうや)は福岡県築上郡築上町出身、松ヶ根~二所ノ関~放駒部屋の元力士で、最高位は小結。
平成18年(2006)3月場所に22歳1ヶ月で初土俵を踏み、令和4年(2022)5月場所を最後に引退(38歳3ヶ月)(※番付上は令和4年7月場所が最後)。
通算成績は582勝605敗22休1187出場。生涯勝率.490。通算96場所中、47場所を勝ち越した(勝ち越し率.495)。
主な成績は幕内次点1回,十両優勝1回,幕下優勝2回(同点1),序二段優勝1回。殊勲賞1回,敢闘賞3回,金星5個。
昭和59年(1984)2月9日生まれ。本名は松谷 裕也。
椎田中学時代に身体の大きさを見込まれて野球部から柔道部へと転身。さらにその体格の良さを見込まれて隣県の大分県立宇佐産業科学高校相撲部の真砂監督から誘いを受け、相撲へと転身した。
高校2、3年次に出場した選抜高校相撲宇佐大会では共に菊次(琴奨菊)に敗れてベスト8。大学は駒澤大学へと進学して数々の大会で優秀な成績をおさめていた。この活躍により当時の松ヶ根親方(元大関・若嶋津)から声をかけられた松谷は入門を決意し、松ヶ根部屋の門を叩いた。
入門から約4年の平成22年5月場所で新十両へと昇進、順調にみえたが大相撲野球賭博問題で野球賭博に関与していたことが発覚して2場所の出場停止処分を受けた。一時は引退も考えたがお世話になった方々への恩返しのために心を入れ替えて稽古に精進、謹慎明けの平成13年1月場所を西幕下51枚目で迎えた松谷は7戦全勝で幕下優勝、さらに翌5月技量審査場所でも幕下全勝優勝をあげて十両復帰を決める。
平成23年11月で新入幕、四股名を松鳳山へと改めた。気迫のこもった激しい相撲と土俵下での笑顔が魅力だった。
- 四股名
- 松鳳山 裕也(しょうほうざん ゆうや)
- 最高位
- 小結
- 出身地
- 福岡県築上郡築上町
- 本名
- 松谷 裕也
- 生年月日
- 昭和59年(1984)2月9日
- 出身高校
- 宇佐産業科学高校
- 出身大学
- 駒澤大学
- 所属部屋
- 松ヶ根~二所ノ関~放駒部屋
- 改名歴
- 松谷 裕也 → 松鳳山 裕也
- 初土俵
- 平成18年(2006)3月 前相撲(22歳1ヶ月)
- 新十両
- 平成22年(2010)5月(所要25場所)
- 26歳3ヶ月(初土俵から4年2ヶ月)
- 新入幕
- 平成23年(2011)11月(所要33場所)
- 27歳9ヶ月(初土俵から5年8ヶ月)
- 新小結
- 平成25年(2013)1月(所要40場所)
- 28歳11ヶ月(初土俵から6年10ヶ月)
- 最終場所
- 令和4年(2022)5月(38歳3ヶ月)※番付上は令和4年7月場所
- 大相撲歴
- 96場所(16年2ヶ月)
- 通算成績
- 582勝605敗22休1187出場(勝率.490)
- 通算96場所
- 勝ち越し47場所(勝ち越し率.495)(勝ち越し星157)
- 優勝等
- 幕内次点1回,十両優勝1回,幕下優勝2回(同点1),序二段優勝1回
- 受賞・金星
- 殊勲賞1回,敢闘賞3回,金星5個
- 持給金
- 131円50銭(勝ち越し星157個 金星5個)
- 幕内戦歴
- 350勝415敗0休765出場(勝率.458)
- 在位51場所(在位率.531)
- 勝ち越し23場所(勝ち越し率.451)
- 小結戦歴
- 23勝52敗0休75出場(勝率.307)
- 在位5場所(在位率.052)
- 勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
- 前頭戦歴
- 327勝363敗0休690出場(勝率.474)
- 在位46場所(在位率.479)
- 勝ち越し23場所(勝ち越し率.500)
- 十両戦歴
- 114勝126敗15休240出場(勝率.475)
- 在位17場所(在位率.177)
- 勝ち越し6場所(勝ち越し率.353)
- 関取戦歴
- 464勝541敗15休1005出場(勝率.462)
- 在位68場所(在位率.708)
- 勝ち越し29場所(勝ち越し率.426)
- 幕下以下歴
- 118勝64敗7休182出場(勝率.648)
- 在位27場所(在位率.281)
- 勝ち越し18場所(勝ち越し率.667)
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