片男波部屋」タグアーカイブ

片男波部屋の歴代力士一覧|全関取の戦歴と優勝・三賞記録

片男波(かたおなみ)部屋の過去から現在までの主な所属力士をご紹介する片男波部屋の大相撲力士まとめ!

この記事では片男波部屋の主な関取を中心に紹介していきます。過去の力士については最高位や改名歴、初土俵や各段の昇進時期と最終場所、さらに生涯戦歴と生涯勝率、成績等を中心にご紹介していきます。また、現役力士については最高位と昇進時期、主な成績などを載せています。

現役の片男波部屋力士の最新番付や成績、詳細なデータをご覧になりたい方はこちら

5月場所千秋楽の取組結果はこちら。


5月場所の各段の成績順はこちらで確認ができます。

相撲部屋や出身地ごとの成績から、場所中はリアルタイムでランキングを作成しております。今場所好調な相撲部屋や力士の出身地はどこ?

片男波部屋の基本情報
一門
:二所ノ関一門
創設
:昭和36年(1961年)5月1日
創設者
:第12代・片男波 嶽太郎 (元関脇・玉乃海 太三郎)
現師匠
:第14代・片男波 良二 (元関脇・玉春日 良二)
所在地
:東京都墨田区石原1-33-9 📍地図
サイト

片男波部屋の優勝力士

片男波部屋 歴代幕内優勝力士一覧

片男波部屋では、これまでに2人の力士が幕内優勝を達成しており、優勝回数はあわせて8回になります。

最多優勝は玉の海(玉乃島)で6回の幕内優勝を達成しています。

連覇記録では、玉の海(玉乃島)が2連覇を1回達成しています。

片男波部屋初の優勝力士は玉乃島で、いまから58年前の昭和43年(1968年)5月場所のことでした。

また、直近の片男波部屋優勝力士は玉鷲で、いまから3年9ヶ月前の令和4年(2022年)9月場所です。

場所年月四股名番付成績年齢出身地最高位部屋備考
令和4年9月
(2022年)
R4.9
2022
玉鷲
[2回目]
東前頭313勝2敗37歳10ヶ月モンゴル関脇片男波
平成31年1月
(2019年)
H31.1
2019
玉鷲
[初]
西関脇13勝2敗34歳2ヶ月モンゴル関脇片男波
34歳2ヵ月での幕内初優勝(史上2位となる高齢記録)
初土俵から所要90場所、新入幕から所要62場所目でのスロー優勝
昭和46年7月
(1971年)
S46.7
1971
玉の海
[6回目]
西横綱全勝15勝0敗27歳5ヶ月愛知県横綱片男波
全勝優勝からわずか3か月後に27歳の若さで急逝
昭和46年3月
(1971年)
S46.3
1971
玉の海
[5回目]
東横綱14勝1敗27歳1ヶ月愛知県横綱片男波
昭和45年11月
(1970年)
S45.11
1970
玉の海
[4回目]
2連覇
東横綱14勝1敗26歳9ヶ月愛知県横綱片男波
昭和45年9月
(1970年)
S45.9
1970
玉の海
[3回目]
西横綱14勝1敗26歳7ヶ月愛知県横綱片男波
昭和44年9月
(1969年)
S44.9
1969
玉乃島
[2回目]
西大関(張出)13勝2敗25歳7ヶ月愛知県横綱片男波
のちに玉の海に改名
昭和43年5月
(1968年)
S43.5
1968
玉乃島
[初]
東大関13勝2敗24歳3ヶ月愛知県横綱片男波
愛知出身力士初の優勝

片男波部屋 幕内優勝回数ランキング

片男波部屋の幕内優勝回数ランキングです。1位が玉の海で6回、2位が玉鷲で2回となっています。

※勝利合計と敗戦合計・勝率は、幕内優勝場所での成績合計です。

順位四股名最高位優勝
回数
横綱大関関脇小結前頭勝利
合計
敗戦
合計
勝率部屋出身地
1位玉の海横綱6回4200083勝7敗.922片男波愛知県
2位玉鷲関脇2回10126勝4敗.867片男波モンゴル

片男波部屋の三賞受賞力士

片男波部屋 歴代三賞受賞力士一覧

片男波部屋では、これまでに5人の力士が三賞を受賞しており、獲得数はあわせて25回になります。

受賞の内訳は、技能賞が4回、殊勲賞が9回、敢闘賞が12回となっています。

また、ダブル受賞は玉鷲が1回ずつ達成しています。

場所年月 番付 受賞力士 受賞 成績 受賞時
年齢
出身地 部屋 初土俵 生年月日
令和7年7月
(2025年)
R7.7
(2025)
西前頭4西前頭4玉鷲殊勲賞 [3回目]11勝4敗40歳8ヶ月モンゴル片男波平成16年1月
(2004年)
昭和59年11月16日
(1984年)
令和4年9月
(2022年)
R4.9
(2022)
東前頭3東前頭3玉鷲殊勲賞 [2回目]13勝2敗
優勝
37歳10ヶ月モンゴル片男波平成16年1月
(2004年)
昭和59年11月16日
(1984年)
平成31年1月
(2019年)
H31.1
(2019)
西関脇西関脇玉鷲
ダブル
敢闘賞 [初]13勝2敗
優勝
34歳2ヶ月モンゴル片男波平成16年1月
(2004年)
昭和59年11月16日
(1984年)
殊勲賞 [初]
平成28年11月
(2016年)
H28.11
(2016)
西小結西小結玉鷲技能賞 [初]10勝5敗32歳0ヶ月モンゴル片男波平成16年1月
(2004年)
昭和59年11月16日
(1984年)
平成18年7月
(2006年)
H18.7
(2006)
西前頭12西前頭12玉春日技能賞 [2回目]11勝4敗34歳6ヶ月愛媛県片男波平成6年1月
(1994年)
昭和47年1月7日
(1972年)
平成18年7月
(2006年)
H18.7
(2006)
東前頭10東前頭10玉乃島敢闘賞 [5回目]11勝4敗28歳10ヶ月福島県片男波平成10年3月
(1998年)
昭和52年9月15日
(1977年)
平成17年3月
(2005年)
H17.3
(2005)
西前頭7西前頭7玉乃島敢闘賞 [4回目]12勝3敗27歳6ヶ月福島県片男波平成10年3月
(1998年)
昭和52年9月15日
(1977年)
平成16年5月
(2004年)
H16.5
(2004)
西前頭5西前頭5玉乃島技能賞 [初]12勝3敗26歳8ヶ月福島県片男波平成10年3月
(1998年)
昭和52年9月15日
(1977年)
平成15年11月
(2003年)
H15.11
(2003)
西前頭3西前頭3玉乃島敢闘賞 [3回目]10勝5敗26歳2ヶ月福島県片男波平成10年3月
(1998年)
昭和52年9月15日
(1977年)
平成13年7月
(2001年)
H13.7
(2001)
西前頭7西前頭7玉乃島敢闘賞 [2回目]12勝3敗23歳10ヶ月福島県片男波平成10年3月
(1998年)
昭和52年9月15日
(1977年)
平成13年3月
(2001年)
H13.3
(2001)
東前頭10東前頭10玉乃島敢闘賞 [初]11勝4敗23歳6ヶ月福島県片男波平成10年3月
(1998年)
昭和52年9月15日
(1977年)
平成9年5月
(1997年)
H9.5
(1997)
東前頭筆頭東前頭筆頭玉春日殊勲賞 [初]8勝7敗25歳4ヶ月愛媛県片男波平成6年1月
(1994年)
昭和47年1月7日
(1972年)
平成9年3月
(1997年)
H9.3
(1997)
東前頭6東前頭6玉春日敢闘賞 [2回目]10勝5敗25歳2ヶ月愛媛県片男波平成6年1月
(1994年)
昭和47年1月7日
(1972年)
平成8年5月
(1996年)
H8.5
(1996)
東前頭6東前頭6玉春日技能賞 [初]9勝6敗24歳4ヶ月愛媛県片男波平成6年1月
(1994年)
昭和47年1月7日
(1972年)
平成8年1月
(1996年)
H8.1
(1996)
東前頭16東前頭16玉春日敢闘賞 [初]10勝5敗24歳0ヶ月愛媛県片男波平成6年1月
(1994年)
昭和47年1月7日
(1972年)
昭和54年11月
(1979年)
S54.11
(1979)
東小結東小結玉ノ富士敢闘賞 [2回目]8勝7敗30歳0ヶ月栃木県片男波昭和42年5月
(1967年)
昭和24年11月24日
(1949年)
昭和54年9月
(1979年)
S54.9
(1979)
西前頭筆頭西前頭筆頭玉ノ富士殊勲賞 [初]8勝7敗29歳9ヶ月栃木県片男波昭和42年5月
(1967年)
昭和24年11月24日
(1949年)
昭和53年1月
(1978年)
S53.1
(1978)
西小結西小結玉ノ富士敢闘賞 [初]11勝4敗28歳1ヶ月栃木県片男波昭和42年5月
(1967年)
昭和24年11月24日
(1949年)
昭和41年9月
(1966年)
S41.9
(1966)
東関脇東関脇玉乃島殊勲賞 [4回目]11勝4敗22歳7ヶ月愛知県片男波昭和34年3月
(1959年)
昭和19年2月5日
(1944年)
昭和41年7月
(1966年)
S41.7
(1966)
西関脇西関脇玉乃島殊勲賞 [3回目]9勝6敗22歳5ヶ月愛知県片男波昭和34年3月
(1959年)
昭和19年2月5日
(1944年)
昭和41年5月
(1966年)
S41.5
(1966)
西関脇西関脇玉乃島敢闘賞 [2回目]10勝5敗22歳3ヶ月愛知県片男波昭和34年3月
(1959年)
昭和19年2月5日
(1944年)
昭和41年1月
(1966年)
S41.1
(1966)
西前頭8西前頭8玉乃島敢闘賞 [初]13勝2敗21歳11ヶ月愛知県片男波昭和34年3月
(1959年)
昭和19年2月5日
(1944年)
昭和40年5月
(1965年)
S40.5
(1965)
西小結西小結玉乃島殊勲賞 [2回目]8勝7敗21歳3ヶ月愛知県片男波昭和34年3月
(1959年)
昭和19年2月5日
(1944年)
昭和40年3月
(1965年)
S40.3
(1965)
東前頭3東前頭3玉乃島殊勲賞 [初]9勝6敗21歳1ヶ月愛知県片男波昭和34年3月
(1959年)
昭和19年2月5日
(1944年)

片男波部屋 三賞受賞回数ランキング

受賞回数は、1位が玉乃島と玉乃島(玉の海)の2人で6回ずつ、3位が玉鷲と玉春日の2人で5回ずつ、5位が玉ノ富士で3回(殊勲賞1回・敢闘賞2回)となっています。

順位 四股名 三賞
合計
技能賞 殊勲賞 敢闘賞 最高位 部屋 出身地
1位 玉乃島
(玉の海)
6回 0 4 2 横綱 片男波 愛知県
1位 玉乃島 6回 1 0 5 関脇 片男波 福島県
3位 玉春日 5回 2 1 2 関脇 片男波 愛媛県
3位 玉鷲 5回 1 3 1 関脇 片男波 モンゴル
5位 玉ノ富士 3回 0 1 2 関脇 片男波 栃木県

片男波部屋力士を検索

文字サイズ:
Sponsored
他のページ(番付)を見る

片男波部屋の最高位:前頭

玉響 克巳

玉響 克巳(たまひびき かつみ)大分県別府市出身、二所ノ関 → 片男波部屋の元力士で、最高位は前頭2枚目

昭和29年(1954)1月場所に18歳3ヶ月で初土俵を踏み、昭和37年(1962)9月場所を最後に引退(26歳11ヶ月)。

通算成績は289勝257敗3休545出場。生涯勝率.529。通算46場所中、27場所を勝ち越した(勝ち越し率.600)。

主な成績は十両同点1回,三段目優勝1回

昭和10年(1935)10月3日生まれ。本名は新川 克巳。

昭和33年(1958)5月場所で新十両昇進。この場所で11勝4敗の好成績を挙げ7人による十両優勝決定戦に進出した。北葉山、若秩父、富樫(のちの柏戸)、若三杉、明歩谷、冨士錦、そして玉響による優勝決定戦は当時話題となり「7人の侍」と称された。因みにこの時の優勝は若秩父。

右四つからの上手投げには定評があったが、反面その投げにこだわり過ぎなきらいもあり三役には届かなかった。

四股名
玉響 克巳(たまひびき かつみ)
最高位
前頭2枚目
出身地
大分県別府市
本名
新川 克巳→灘 克巳
生年月日
昭和10年(1935)10月3日
出身高校
大分県立水産高校
所属部屋
二所ノ関 → 片男波部屋
改名歴
新川 克巳 → 玉響 克巳 → 玉響 昌延 → 新川 克巳
初土俵
昭和29年(1954)1月 前相撲(18歳3ヶ月)
新十両
昭和33年(1958)5月(所要19場所)
22歳7ヶ月(初土俵から4年4ヶ月)
新入幕
昭和34年(1959)3月(所要24場所)
23歳5ヶ月(初土俵から5年2ヶ月)
最終場所
昭和37年(1962)9月(26歳11ヶ月)
大相撲歴
46場所(8年8ヶ月)
通算成績
289勝257敗3休545出場(勝率.529)
通算46場所
勝ち越し27場所(勝ち越し率.600)
優勝等
十両同点1回,三段目優勝1回
前頭戦歴
107勝115敗3休221出場(勝率.482)
在位15場所(在位率.326)
勝ち越し7場所(勝ち越し率.467)
十両戦歴
91勝89敗0休180出場(勝率.506)
在位12場所(在位率.261)
勝ち越し8場所(勝ち越し率.667)
関取戦歴
198勝204敗3休401出場(勝率.493)
在位27場所(在位率.587)
勝ち越し15場所(勝ち越し率.556)
幕下以下歴
91勝53敗0休144出場(勝率.632)
在位18場所(在位率.391)
勝ち越し12場所(勝ち越し率.667)


玉嵐 孝平

玉嵐 孝平(たまあらし こうへい)北海道河西郡芽室町出身、二所ノ関 → 片男波部屋の元力士で、最高位は前頭4枚目

昭和31年(1956)9月場所に15歳1ヶ月で初土俵を踏み、昭和42年(1967)7月場所を最後に引退(25歳11ヶ月)。

通算成績は377勝322敗15休3分700出場。生涯勝率.539。通算64場所中、37場所を勝ち越した(勝ち越し率.587)。

主な成績は十両優勝2回幕下優勝1回(同点1)。

本名は成田 孝平。昭和16年(1941)8月1日生まれ。平成5年(1993)2月28日逝去(享年51歳)。

玉乃海の内弟子として二所ノ関部屋へと入門。同郷同期の納谷(後の大鵬)とはいつも一緒に行動していた。のちに玉嵐が入幕すると、既に横綱に昇進していた大鵬の露払いや太刀持ちも務めた。

昭和37年(1962)3月場所で新十両昇進、同年7月場所で新入幕。昭和38年(1963)9月場所前に、すでに分家独立していた12代片男波(玉乃海)の片男波部屋への移籍が叶った。童顔のアンコ型でいつもニコニコしていた玉嵐は「相撲人形」のようだと人気があった。

四股名
玉嵐 孝平(たまあらし こうへい)
最高位
前頭4枚目
出身地
北海道河西郡芽室町
本名
成田 孝平
生年月日
昭和16年(1941)8月1日
没年月日
平成5年(1993)2月28日(享年51歳)
所属部屋
二所ノ関 → 片男波部屋
改名歴
成田 孝平 → 玉嵐 孝平
初土俵
昭和31年(1956)9月 前相撲(15歳1ヶ月)
新十両
昭和37年(1962)3月(所要31場所)
20歳7ヶ月(初土俵から5年6ヶ月)
新入幕
昭和37年(1962)7月(所要33場所)
20歳10ヶ月(初土俵から5年9ヶ月)
最終場所
昭和42年(1967)7月(25歳11ヶ月)
大相撲歴
64場所(10年10ヶ月)
通算成績
377勝322敗15休3分700出場(勝率.539)
通算64場所
勝ち越し37場所(勝ち越し率.587)
優勝等
十両優勝2回幕下優勝1回(同点1)
前頭戦歴
79勝93敗8休170出場(勝率.459)
在位12場所(在位率.188)
勝ち越し5場所(勝ち越し率.417)
十両戦歴
155勝144敗0休1分300出場(勝率.518)
在位20場所(在位率.313)
勝ち越し11場所(勝ち越し率.550)
関取戦歴
234勝237敗8休1分470出場(勝率.497)
在位32場所(在位率.500)
勝ち越し16場所(勝ち越し率.500)
幕下以下歴
143勝85敗7休2分230出場(勝率.627)
在位31場所(在位率.484)
勝ち越し21場所(勝ち越し率.677)


玉海力 剛

玉海力 剛(たまかいりき つよし)東京都渋谷区出身、片男波部屋の元力士で、最高位は前頭8枚目

昭和57年(1982)3月場所に15歳7ヶ月で初土俵を踏み、平成8年(1996)3月場所を最後に引退(29歳8ヶ月)。

通算成績は408勝413敗23休820出場。生涯勝率.497。通算85場所中、46場所を勝ち越した(勝ち越し率.548)。

主な成績は幕下同点1回,三段目優勝1回序二段優勝1回

昭和41年(1966)7月16日生まれ。本名は河辺 幸夫。

「玉怪力」と異名をとるほどの怪力で、右四つに組んでの左上手からの投げが得意だった。しかし右親指骨折の手術を失敗してからは腕力も落ちてしまい序二段まで番付を落として廃業。

四股名
玉海力 剛(たまかいりき つよし)
最高位
前頭8枚目
出身地
東京都渋谷区
本名
河辺 幸夫
生年月日
昭和41年(1966)7月16日
所属部屋
片男波部屋
改名歴
玉桜 右左エ門 → 玉櫻 右左エ門 → 玉海力 剛
初土俵
昭和57年(1982)3月 前相撲(15歳7ヶ月)
新十両
平成元年(1989)9月(所要45場所)
23歳1ヶ月(初土俵から7年6ヶ月)
新入幕
平成3年(1991)9月(所要57場所)
25歳1ヶ月(初土俵から9年6ヶ月)
最終場所
平成8年(1996)3月(29歳8ヶ月)
大相撲歴
85場所(14年0ヶ月)
通算成績
408勝413敗23休820出場(勝率.497)
通算85場所
勝ち越し46場所(勝ち越し率.548)
優勝等
幕下同点1回,三段目優勝1回序二段優勝1回
前頭戦歴
43勝75敗2休117出場(勝率.364)
在位8場所(在位率.094)
勝ち越し3場所(勝ち越し率.375)
十両戦歴
181勝179敗0休360出場(勝率.503)
在位24場所(在位率.282)
勝ち越し15場所(勝ち越し率.625)
関取戦歴
224勝254敗2休477出場(勝率.469)
在位32場所(在位率.376)
勝ち越し18場所(勝ち越し率.563)
幕下以下歴
184勝159敗21休343出場(勝率.536)
在位52場所(在位率.612)
勝ち越し28場所(勝ち越し率.538)


玉力道 栄来

玉力道 栄来 (たまりきどう ひでき)東京都江戸川区出身、片男波部屋の元力士で、最高位は前頭8枚目

平成9年(1997)3月場所に22歳10ヶ月で初土俵を踏み、平成22年(2010)1月場所を最後に引退(35歳8ヶ月)。

通算成績は376勝354敗120休725出場。生涯勝率.519。通算78場所中、37場所を勝ち越した(勝ち越し率.474)。

主な成績は十両優勝1回(同点2)、幕下(同点1)、三段目優勝1回

昭和49年(1974)4月19日生まれ。本名は趙 榮來→安本 栄来。

東京都江戸川区出身の玉力道は、明治大学を経て角界入りし、突き押し相撲を武器に最高位は前頭8枚目まで昇進した力士である。度重なる大怪我による長期休場や大幅な番付降下を経験しながらも、そのたびに不屈の闘志で這い上がった苦労人として知られる。

現役晩年に日本国籍を取得しており、引退後は年寄名跡を取得して親方となり、複数の部屋や名跡の変遷を経て、現在は放駒部屋で後進の指導にあたっている。

学生時代と角界への挑戦

明治大学付属中野中学校・高等学校を経て、明治大学商学部へ進学し相撲部でも確かな実績を残した。なお、明大中野中時代の2学年先輩には花田光司(のちの第65代横綱・貴乃花)がいた。

大学では同級生の富永(のちの幕内・武雄山)や3年後輩の竹内(のちの大関・雅山)らと共に全国大会で活躍。平成8年(1996年)の全日本相撲選手権大会個人戦で3位入賞を果たし、幕下付出の資格を取得した。

在日韓国人3世(当時の本名・韓国名は趙榮來=チョ・ヨンレ)として生まれ育った背景から、四股名は同胞の先人として大相撲や格闘技界に偉大な足跡を残した第51代横綱・玉の海と力道山にあやかり、「玉力道 栄来(ひでき)」と名付けられた。片男波部屋へ入門し、平成9年(1997年)3月場所において幕下60枚目格付出で初土俵を踏む。

新入幕と左膝の大怪我

恵まれた体格を生かした相撲で幕下上位に定着し、平成11年(1999年)9月場所で玉ノ洋と共に新十両へ昇進する。同部屋力士の同時十両昇進は6年ぶりのことであった。

一時幕下へ陥落したもののすぐに復帰し、平成13年(2001年)1月場所で待望の新入幕を果たした。以降は幕内と十両を往復する時期が続いたが、平成14年(2002年)9月場所では西十両4枚目で11勝4敗の好成績を収め、自身初となる十両優勝を飾っている。

平成15年(2003年)には幕内に定着しつつあったが、同年11月場所で左膝を故障する。しかし、無理をして出場を続けたことでかえって状態を悪化させてしまい、本来の相撲が取れなくなり幕下、そして三段目へと大きく番付を落としてしまった。

奇跡の復活と右膝の負傷

一時は西三段目80枚目まで転落するどん底を味わったが、不屈の闘志で過酷なリハビリを乗り越え、怪我の回復と歩調を合わせるようにして再び番付を上昇させていく。平成17年(2005年)3月場所では7戦全勝で三段目優勝を果たした。

平成18年(2006年)1月場所で東幕下5枚目で勝ち越すと、翌3月場所で見事に十両への返り咲きを果たした。この三段目からの劇的な復活劇は、多くの相撲ファンに感動を与えた。

その後は十両の土俵に復帰して定着していたが、平成19年(2007年)7月場所の境澤戦で右膝を負傷し途中休場を余儀なくされる。翌場所はなんとか関取の座を維持して迎えたものの、奇しくも再び境澤との取組で同じ箇所を痛める不運に見舞われた。この影響から3勝12敗と大敗を喫し、再び幕下へと陥落してしまう。

日本国籍取得と引退後の歩み

以降は再び関取に復帰することは叶わず、幕下中位以下に低迷する時期が続いた。現役晩年となる平成21年(2009年)に日本国籍を取得し、本名を「安本栄来」とした。

満身創痍の中、平成22年(2010年)1月場所の取組を最後に現役引退を表明し、初土俵から78場所を務めた土俵人生に幕を下ろした。

引退直後は年寄「荒磯」を襲名し、平成25年(2013年)には「二所ノ関」を取得して名跡変更。平成26年(2014年)11月に松ヶ根部屋へ移籍すると、翌月に9代松ヶ根(元大関・若嶋津)と名跡を交換して10代松ヶ根を襲名した。令和3年(2021年)12月に所属部屋が名称変更されたことに伴い、現在は放駒部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたっている。

四股名
玉力道 栄来 (たまりきどう ひでき)
最高位
前頭8枚目
年寄名跡
14代荒磯 栄来(片男波) → 11代二所ノ関 栄来(片男波) → 11代二所ノ関 栄来(松ヶ根) → 10代松ヶ根 栄来(二所ノ関) → 10代松ヶ根 栄来(放駒)
出身地
東京都江戸川区
本名
趙 榮來→安本 栄来
生年月日
昭和49年(1974)4月19日(52歳)
出身高校
明治大学付属中野高校
出身大学
明治大学
所属部屋
片男波部屋
改名歴
玉力道 栄来
初土俵
平成9年(1997)3月 幕下60枚目付出(22歳10ヶ月)
新十両
平成11年(1999)9月(所要15場所)
25歳4ヶ月(初土俵から2年6ヶ月)
新入幕
平成13年(2001)1月(所要23場所)
26歳8ヶ月(初土俵から3年10ヶ月)
最終場所
平成22年(2010)1月場所(35歳8ヶ月)
大相撲歴
78場所(12年10ヶ月)
通算成績
376勝354敗120休725出場(勝率.519)
通算78場所
勝ち越し37場所(勝ち越し率.474)(勝ち越し星115)
優勝等
十両優勝1回(同点2),幕下(同点1),三段目優勝1回
持給金
60円50銭(勝ち越し星115個)
幕内戦歴
65勝93敗7休157出場(勝率.414)
在位11場所(在位率.141)
勝ち越し3場所(勝ち越し率.273)
前頭戦歴
65勝93敗7休157出場(勝率.414)
在位11場所(在位率.141)
勝ち越し3場所(勝ち越し率.273)
十両戦歴
163勝154敗88休313出場(勝率.521)
在位27場所(在位率.346)
勝ち越し12場所(勝ち越し率.444)
関取戦歴
228勝247敗95休470出場(勝率.485)
在位38場所(在位率.487)
勝ち越し15場所(勝ち越し率.395)
幕下以下歴
148勝107敗25休255出場(勝率.580)
在位40場所(在位率.513)
勝ち越し22場所(勝ち越し率.550)

玉力道 栄来の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

  • ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(134回 / 35.1%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(129回 / 36.1%)
  • ✅ 得意な相手:壽山(6勝1敗 / 勝率.857)
  • ✅ 苦手な相手:栃乃花(1勝8敗 / 勝率.111)

玉飛鳥 大輔

玉飛鳥 大輔 (たまあすか だいすけ)愛知県名古屋市熱田区出身、片男波部屋の元力士で、最高位は前頭9枚目

平成10年(1998)3月場所に15歳1ヶ月で初土俵を踏み、平成28年(2016)9月場所を最後に引退(33歳7ヶ月)※番付上は平成28年(2016)11月場所

通算成績は580勝569敗29休1146出場。生涯勝率.506。通算111場所中、61場所を勝ち越した(勝ち越し率.555)。

主な成績は十両優勝2回(同点1)、幕下優勝2回(同点1)

昭和58年(1983)1月26日生まれ。本名は高橋 大輔。

中学生横綱のタイトルを引っ提げて15歳で角界へ飛び込み、怪我や病と闘いながら関取の座を幾度も失い、そのたびに這い上がった不屈の土俵人生であった。押しや左四つからの寄りを得意とし、中学生横綱を獲得して中学卒業と同時に入門した力士としては、唯一の幕内力士となった。

中学生横綱から15歳での角界入り

父の勧めで小学生の頃から相撲に親しみ、わんぱく相撲などの大会に出場する。名古屋市立日比野中学校へ進学後も実力を伸ばし、3年次に出場した全国中学校相撲選手権大会で個人優勝を果たし、見事中学生横綱の栄冠に輝いた。卒業後は高校へ進学する予定であったが、当時の13代片男波(元関脇・玉ノ富士)からの熱心なスカウトに加え、相撲関係者から「同学年で一番強いのだから、早く角界に入るべきだ」と後押しを受け、中学卒業と同時に片男波部屋への入門を決意する。

四股名の「玉飛鳥(たまあすか)」は、入門の直前に亡くなった父が名付けたものである。「飛ぶ鳥を落とす勢い」で出世してほしいという願いと、日本古来の歴史を連想させる「飛鳥時代」に因んで命名された。父の思いを背負い、平成10年(1998年)3月場所において15歳1ヶ月で初土俵を踏んだ。

幕内昇進と襲いかかる怪我・病

入門後は着実に番付を上げ、平成16年(2004年)9月場所では西幕下4枚目の地位で7戦全勝の幕下優勝を飾り、翌11月場所での新十両昇進を決めた。その後も十両上位で好成績を収め、平成17年(2005年)7月場所で新入幕を果たす。東前頭14枚目で迎えた新入幕の場所は9勝6敗と勝ち越し、幕内の土俵にも適応する姿を見せた。

順調な出世に見えたが、幕内3場所目となる同年11月場所で足を骨折し、途中休場を余儀なくされる。この怪我は深刻であり、それまで糖尿病に罹っても挫けなかった玉飛鳥も引退を思い詰めるほどであった。しかし、師匠から「力士は一度引退したら二度と復帰できない」と説得され、土俵に踏みとどまる決意を固める。

不屈の復活劇と度重なる昇降格

足首の故障と糖尿病が重なり、幕下上位から一時は西幕下31枚目まで番付を下げるなど苦しい時期が続いた。しかし、平成20年(2008年)5月場所で2度目の幕下優勝を果たし、翌7月場所には地元・名古屋の地で10場所ぶりの関取復帰を果たす。さらに、平成21年(2009年)5月場所では12勝3敗で十両優勝を飾り、同年9月場所において23場所ぶりとなる幕内復帰を果たした。

その後も怪我の影響などで番付を落とし、幕下から幕内までを往復する激動の土俵生活となる。それでも決して諦めることなく這い上がり、平成24年(2012年)5月場所では12勝3敗で2度目の十両優勝を飾り、再び幕内の土俵へ返り咲いた。現役生活を通して再十両と再入幕をそれぞれ7回ずつ経験する苦労人であったが、玉飛鳥は関取や幕内へ復帰した際の喜びについて「毎回(新十両や新入幕の時と)同じくらいうれしかった。辛かったことの方が多かったけど、うれしさの方が大きかった」と語っており、相撲への純粋な情熱を燃やし続けた。

引退と大嶽部屋継承

ベテランとなってからも若手の高い壁として奮闘を続けたが、平成27年(2015年)11月場所で大きく負け越し、翌場所での幕下陥落を喫した頃から引退の二文字がよぎるようになる。周囲からの「まだやれる」という励ましを受けながら土俵を務めたものの、関取復帰の壁は厚く、平成28年(2016年)9月場所を最後に現役引退を決断した。引退に際しては「父は横綱になってくれと言っていた。父からみればまだまだと言われるかもしれませんが、ここまでやれてよかった」と、亡き父への思いを口にしている。

引退後は年寄・15代荒磯を襲名して日本相撲協会に残り、のちに17代熊ヶ谷へと名跡を変更する。指導者として後進の育成に尽力していたが、令和7年(2025年)に転機が訪れる。同じ二所ノ関一門の大嶽部屋において、17代大嶽(元十両・大竜)の停年退職に伴う後継者問題が浮上し、部屋付き親方が不在であったことから、一門内で白羽の矢が立ったのである。同年9月1日付で大嶽部屋へ転籍し、同月29日付で18代大嶽を襲名して部屋を継承。新たな師匠として、部屋の歴史を紡いでいる。

四股名
玉飛鳥 大輔 (たまあすか だいすけ)
最高位
前頭9枚目
年寄名跡
15代荒磯 大輔(片男波) → 17代熊ヶ谷 大輔(片男波) → 17代熊ヶ谷 大輔(大嶽) → 18代大嶽 大輔
出身地
愛知県名古屋市熱田区
本名
高橋 大輔
生年月日
昭和58年(1983)1月26日(43歳)
所属部屋
片男波部屋
改名歴
玉飛鳥 大輔
初土俵
平成10年(1998)3月 前相撲(15歳1ヶ月)
新十両
平成16年(2004)11月(所要40場所)
21歳9ヶ月(初土俵から6年8ヶ月)
新入幕
平成17年(2005)7月(所要44場所)
22歳5ヶ月(初土俵から7年4ヶ月)
最終場所
平成28年(2016)9月場所(33歳7ヶ月)※番付上は平成28年(2016)11月場所
大相撲歴
111場所(18年6ヶ月)
通算成績
580勝569敗29休1146出場(勝率.506)
通算111場所
勝ち越し61場所(勝ち越し率.555)(勝ち越し星177)
優勝等
十両優勝2回(同点1),幕下優勝2回(同点1)
持給金
91円50銭(勝ち越し星177個)
幕内戦歴
54勝109敗17休161出場(勝率.335)
在位12場所(在位率.108)
勝ち越し1場所(勝ち越し率.083)
前頭戦歴
54勝109敗17休161出場(勝率.335)
在位12場所(在位率.108)
勝ち越し1場所(勝ち越し率.083)
十両戦歴
282勝291敗12休572出場(勝率.493)
在位39場所(在位率.351)
勝ち越し21場所(勝ち越し率.538)
関取戦歴
336勝400敗29休733出場(勝率.458)
在位51場所(在位率.459)
勝ち越し22場所(勝ち越し率.431)
幕下以下歴
244勝169敗0休413出場(勝率.591)
在位59場所(在位率.532)
勝ち越し39場所(勝ち越し率.661)

玉飛鳥 大輔の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

  • ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(229回 / 39.5%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(134回 / 23.5%)
  • ✅ 得意な相手:安壮富士(7勝1敗 / 勝率.875)
  • ✅ 苦手な相手:時天空(0勝8敗 / 勝率.000)

玉正鳳 萬平

玉正鳳 萬平(たましょうほう まんぺい)はモンゴル ウランバートル市出身、片男波部屋の力士で最高位は前頭17枚目。令和8年5月場所の番付は西 十両12枚目。

モンゴル・ウランバートル市に生まれ育つ。父親はモンゴル相撲と柔道の監督を務め、のちに大相撲で活躍する朝青龍や日馬富士、朝赤龍や時天空などを教え子に持つ名将であった。太りにくい体質であったが、食事稽古に励みながらプロの土俵を目指した。

13代高島(元関脇・高望山)が率いる高島部屋への入門を目指して来日したが、新弟子検査を受ける前に所属力士が不在となり同部屋が閉鎖される不測の事態に見舞われる。急遽、20代春日山(元幕内・春日富士)の春日山部屋へ引き取られる形で新弟子検査を受け、平成23年(2011年)9月場所に「高春日 望」の四股名で初土俵を踏んだ。この四股名は、入門予定であった高島部屋の「高望山」から「高」と「望」、そして春日山部屋の「春日富士」から「春日」を頂いて命名された。

5つの部屋を渡り歩く数奇な運命と改名

入門後はお家騒動や師匠の不祥事などに度々巻き込まれ、所属部屋と一門を次々と変える数奇な運命を辿ることになる。平成28年(2016年)の春日山部屋閉鎖に伴って追手風部屋へ移籍し、翌年には独立した15代中川(元幕内・旭里)に従って新設された中川部屋へ移籍した。この間、後援者の名前に由来する「種子島 万来」への改名を経て、15代中川の四股名とモンゴルの空に因んだ「旭蒼天 万来」へと改名している。

しかし、令和2年(2020年)7月場所前にはその中川部屋も閉鎖処分を受ける。これに伴い、実の姉の夫であり義理の兄にあたる玉鷲が所属する片男波部屋への移籍が決定した。この移籍を機に、14代片男波(元関脇・玉春日)の「玉」と、正しく生きてほしいという願いを込めた「玉正鳳 萬平」へと改名し、偉大な義兄と同じ環境で猛稽古に励んだ。

大物食いの幕下優勝とスロー出世

長く幕下以下の土俵で下積みを続けたが、片男波部屋へ移籍して以降は着実に地力を蓄えていく。東幕下23枚目で迎えた令和4年(2022年)11月場所では、元大関の朝乃山を破る活躍を見せ、7戦全勝の好成績で幕下優勝を飾った。

東幕下筆頭まで番付を上げた翌令和5年(2023年)1月場所でも4勝3敗と勝ち越しを決め、翌3月場所で念願の新十両昇進を果たす。片男波部屋からの新関取誕生は義兄の玉鷲以来15年ぶりであり、初土俵から所要68場所での新関取は外国出身力士として史上2番目のスロー記録であった。

外国出身最遅の新入幕と取り口

十両昇進後は肉離れなどの怪我による足踏みも経験したが、東十両4枚目で迎えた令和6年(2024年)11月場所を10勝5敗の好成績で終え、翌令和7年(2025年)1月場所で見事に新入幕を果たした。31歳9ヶ月での新入幕は戦後8位の高齢記録であり、初土俵から所要79場所での新入幕は外国出身力士として史上最も遅いスロー出世記録であった。師匠からは「奇跡」と称されたが、本人は「スロー出世は気にしていない。これからという感じ」と力強く語り、念願であった義兄・玉鷲との幕内での揃い踏みを実現させた。

取り口は、春日山部屋時代までは四つ相撲であったが、中川部屋への移籍を境に押し相撲へとスタイルを変えている。突き放してからの叩き込みや、上手からの出し投げを得意とし、「右前みつを取れば負けない」と語るように右を引いての攻めにも絶対の自信を持つ。幾度も部屋の消滅劇に翻弄されながらも決して相撲への情熱を失うことなく、身近で背中を見せ続ける義兄からの刺激を胸に、持ち前のしぶとさで幕内の土俵への定着を目指して奮闘を続けている。

💡 モンゴル出身一覧💡 片男波部屋の力士

四股名
玉正鳳 萬平(たましょうほう まんぺい)
最高位
前頭17枚目
最新番付
西 十両12枚目
出身地
モンゴル ウランバートル市
本名
エルデンビィールグ・エンクマンライ
生年月日
平成5年(1993)3月6日(33歳)
身長・体重
189cm・121kg
所属部屋
春日山 → 追手風 → 中川 → 片男波部屋
改名歴
高春日⇒種子島⇒旭蒼天 → 玉正鳳
初土俵
平成23年(2011)9月(18歳6ヵ月)
新十両
令和5年(2023)3月(30歳0ヵ月)
新入幕
令和7年(2025)1月(31歳10ヵ月)
優勝
幕下優勝1回
通算成績
390勝379敗0休/768出場(勝率:50.8%)
直近7場所
39勝51敗(幕内:4勝11敗)
7場所勝率
41.0%
得意技
右四つ・寄り・投げ
決まり手傾向(直近7場所)
玉正鳳が勝ちの決まり手(35勝)
叩き込み14
寄り切り6
押し出し4
突き落とし3
上手投げ2
引き落とし2
その他4
玉正鳳が負けの決まり手(55敗)
押し出し25
寄り切り15
叩き込み5
突き出し4
上手出し投げ2
引っ掛け1
その他3
令8年5月
西 十両12枚目(3枚半降下)
8勝7敗
○○○●●|○○●○○|●○●●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年3月
東 十両9枚目(4枚降下)
6勝9敗
○●●●●|●●●○○|●○○●○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年1月
東 十両5枚目(6枚上昇)
5勝10敗
○●●○●|○●●○●|●●●●○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

▼ さらに過去の成績(4場所分)を見る
令7年11
東 十両11枚目(4枚降下)
10勝5敗
○○●○○|○●○●○|○●●○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年9月
東 十両7枚目(3枚半降下)
4勝11敗
●●○○●|●○●●●|●●○●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年7月
西 十両3枚目(3枚半降下)
6勝9敗
○○●●●|○○●●●|●○●○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年5月
東 前頭17枚目
4勝11敗
●●○●●|○●○○●|●●●●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

片男波部屋の最高位:十両

玉ノ国 光国

玉ノ国 光国(たまのくに みつくに)福島県西白河郡泉崎村出身、片男波部屋の元力士で、最高位は十両7枚目

平成10年(1998)3月場所に22歳2ヶ月で初土俵を踏み、平成20年(2008)1月場所を最後に引退(32歳0ヶ月)。

通算成績は244勝219敗31休461出場。生涯勝率.527。通算60場所中、32場所を勝ち越した(勝ち越し率.533)。

主な成績は幕下優勝2回(同点1)。

昭和50年(1975)12月28日生まれ。本名は岡部 光国。

放駒親方(元関脇・玉乃島)の実兄で大関・清國の甥。育ったのは東京都文京区だが父親の故郷である福島県を出身地として名乗っていた。

東洋大学を卒業とともに片男波部屋から幕下60枚目格付出で初土俵を踏む。このとき実弟である玉乃島(当時は玉ノ洋)も東洋大学を中退して同部屋から初土俵を踏んでおり、これは史上初の兄弟同時幕下付け出しであった。

弟より1場所早い所要8場所で新十両昇進となったが椎間板ヘルニアを患ってからは精細を欠き、最高位は十両7枚目であった。あだ名は本名の光国(みつくに)にちなんで「黄門様」。

四股名
玉ノ国 光国(たまのくに みつくに)
最高位
十両7枚目
出身地
福島県西白河郡泉崎村
本名
岡部 光国
生年月日
昭和50年(1975)12月28日
出身高校
目黒高校
出身大学
東洋大学
所属部屋
片男波部屋
改名歴
玉ノ国 光国 → 玉光国 喜太郎
初土俵
平成10年(1998)3月 幕下60枚目格付出(22歳2ヶ月)
新十両
平成11年(1999)7月(所要8場所)
23歳6ヶ月(初土俵から1年4ヶ月)
最終場所
平成20年(2008)1月(32歳0ヶ月)
大相撲歴
60場所(9年10ヶ月)
通算成績
244勝219敗31休461出場(勝率.527)
通算60場所
勝ち越し32場所(勝ち越し率.533)
優勝等
幕下優勝2回(同点1)
十両戦歴
54勝80敗1休133出場(勝率.403)
在位9場所(在位率.150)
勝ち越し1場所(勝ち越し率.111)
幕下以下歴
190勝139敗30休328出場(勝率.578)
在位51場所(在位率.850)
勝ち越し31場所(勝ち越し率.608)


浪速龍 功

浪速龍 功(なにわりゅう いさお)大阪府大阪市住吉区出身、片男波部屋の元力士で、最高位は十両10枚目

昭和38年(1963)5月場所に14歳7ヶ月で初土俵を踏み、昭和51年(1976)9月場所を最後に引退(28歳0ヶ月)。

通算成績は286勝271敗12休557出場。生涯勝率.513。通算81場所中、40場所を勝ち越した(勝ち越し率.506)。

主な成績は幕下優勝2回,三段目同点1回。

昭和23年(1948)9月26日生まれ。本名は吉村 義彦。

昭和38年(1963)5月場所の初土俵から約12年、東幕下19枚目で迎えた昭和50年(1975)3月場所で幕下全優勝を達成、翌場所の新十両昇進を決めた。しかしその十両の座も僅か2場所で陥落となり昭和51年(1976)9月場所を最後に廃業した。

四股名
浪速龍 功(なにわりゅう いさお)
最高位
十両10枚目
出身地
大阪府大阪市住吉区
本名
吉村 義彦
生年月日
昭和23年(1948)9月26日
所属部屋
片男波部屋
改名歴
大波 → 大騰山 功 → 浪速龍 功
初土俵
昭和38年(1963)5月 前相撲(14歳7ヶ月)
新十両
昭和50年(1975)5月(所要72場所)
26歳7ヶ月(初土俵から12年0ヶ月)
最終場所
昭和51年(1976)9月(28歳0ヶ月)
大相撲歴
81場所(13年4ヶ月)
通算成績
286勝271敗12休557出場(勝率.513)
通算81場所
勝ち越し40場所(勝ち越し率.506)
優勝等
幕下優勝2回,三段目同点1回
十両戦歴
11勝19敗0休30出場(勝率.367)
在位2場所(在位率.025)
勝ち越し1場所(勝ち越し率.500)
幕下以下歴
275勝252敗12休527出場(勝率.522)
在位77場所(在位率.951)
勝ち越し39場所(勝ち越し率.506)


他の番付を見る

1 ページ目
2 ページ目

片男波部屋の歴代師匠

第12代・片男波 嶽太郎 (元関脇・玉乃海)

在任期間(昭和36年(1961年)5月~昭和62年(1987年)9月27日)

玉乃海 太三郎(たまのうみ だいさぶろう)大分県大分市出身、二所ノ関部屋の元力士で、最高位は関脇

昭和12年(1937)5月場所に14歳4ヶ月で初土俵を踏み、昭和36年(1961)1月場所を最後に引退(38歳0ヶ月)。

通算成績は403勝331敗35休730出場。生涯勝率.549。通算56場所中、30場所を勝ち越した(勝ち越し率.556)。

主な成績は幕内優勝1回(次点2),序ノ口優勝1回殊勲賞2回,敢闘賞3回,金星9個(羽黒山1個、栃錦4個、鏡里1個、吉葉山1個、千代の山2個)。

本名は三浦 朝弘。大正12年(1923)1月2日生まれ。昭和62年(1987)9月27日逝去(享年64歳)。

6代・二所ノ関(玉錦)率いる二所ノ関の巡業を見たことで力士を志望するようになる。はじめは郷土の大横綱・双葉山への弟子入りを希望していたが、二枚鑑札で玉錦が師匠を務めていた二所ノ関部屋に入門した。

順調に番付を上げていた福住(当時の四股名)だったが酒癖の悪さが祟った。幕下だった昭和15年(1940)の上海巡業で、酔いにまかせて憲兵を叩きのめしてしまい、駆け付けた仲間の憲兵が拳銃を抜く騒ぎであわや殺されそうになる。その場は当時大関だった羽黒山(のち横綱)と、亡くなった玉錦の後を継いだ7代・二所ノ関(玉ノ海)が懸命に詫びを入れてくれたお陰で収まったが、条件として協会からの破門を突き付けられた福住は除名処分となり大日本相撲協会を去った。

その後、太平洋戦争では海軍の軍属としてトラック諸島などで飛行場建設に従事。アメリカ軍の攻撃で大勢の犠牲者が出るなか僅かな生存者として救出されて帰国した。

昭和25年(1950)に二所ノ関から破門が解かれて協会への復帰が叶う。除名から約10年、このとき27歳であった。

昭和27年(1952)9月場所で新入幕。そして昭和28年(1953)5月場所2日目に組まれた相手は「命の恩人」横綱・羽黒山。玉乃海は殊勲の金星で恩返しができた。敗れた羽黒山は翌日から休場、結果的にこれが最後の土俵となった。

新小結昇進となった昭和31年(1956)9月場所を9勝6敗、さらに昇進した関脇で2場所連続11勝をあげた玉乃海は大関昇進でもおかしくなかったが、同じく活躍していた朝潮(のち横綱)の大関昇進に阻まれる形になった。

その後マラリアに罹り2場所連続の休場、さらに体重も落ちてしまった玉乃海は引退を覚悟。最後の土俵と聞いた時津風理事長(双葉山)から特別に許可を得て、金色のまわしを締めてあがった昭和32年(1957)九州場所ではなんと平幕全勝優勝を達成した。

慰留された玉乃海は現役を続行、昭和36年(1961)1月場所を最後に引退して12代・片男波を襲名した。

二所ノ関部屋からの分家独立は8代・二所ノ関(元大関・佐賀の花)が許さずに大いに揉めたが、先代二所ノ関の取りなしで何とか独立。横綱・玉の海をはじめ、関脇・玉ノ富士、小結・玉輝山、玉龍などを育て上げた。

四股名
玉乃海 太三郎(たまのうみ だいさぶろう)
最高位
関脇
年寄名跡
12代片男波 嶽太郎
出身地
高知県高知市 → 大分県大分市
本名
三浦 朝弘
生年月日
大正12年(1923)1月2日
没年月日
昭和62年(1987)9月27日(享年64歳)
所属部屋
二所ノ関部屋
改名歴
福住 朝廣 → 玉ノ海 朝弘 → 玉ノ海 大三郎 → 玉乃海 太三郎 → 玉乃海 代太郎
初土俵
昭和12年(1937)5月 前相撲(14歳4ヶ月)
新十両
昭和26年(1951)5月(所要11場所)
28歳4ヶ月(初土俵から14年0ヶ月)
新入幕
昭和27年(1952)9月(所要15場所)
29歳8ヶ月(初土俵から15年4ヶ月)
新小結
昭和31年(1956)9月(所要31場所)
33歳8ヶ月(初土俵から19年4ヶ月)
新関脇
昭和32年(1957)1月(所要32場所)
34歳0ヶ月(初土俵から19年8ヶ月)
最終場所
昭和36年(1961)1月(38歳0ヶ月)
大相撲歴
56場所(23年8ヶ月)
通算成績
403勝331敗35休730出場(勝率.549)
通算56場所
勝ち越し30場所(勝ち越し率.556)
優勝等
幕内優勝1回(次点2),序ノ口優勝1回
受賞・金星
殊勲賞2回,敢闘賞3回,金星9個
幕内戦歴
303勝280敗32休579出場(勝率.520)
在位41場所(在位率.732)
勝ち越し20場所(勝ち越し率.488)
三役戦歴
67勝72敗11休137出場(勝率.482)
在位10場所(在位率.179)
勝ち越し5場所(勝ち越し率.500)
関脇戦歴
35勝29敗11休62出場(勝率.547)
在位5場所(在位率.089)
勝ち越し3場所(勝ち越し率.600)
小結戦歴
32勝43敗0休75出場(勝率.427)
在位5場所(在位率.089)
勝ち越し2場所(勝ち越し率.400)
前頭戦歴
236勝208敗21休442出場(勝率.532)
在位31場所(在位率.554)
勝ち越し15場所(勝ち越し率.484)
十両戦歴
38勝20敗2休58出場(勝率.655)
在位4場所(在位率.071)
勝ち越し4場所(勝ち越し率1.000)
関取戦歴
341勝300敗34休637出場(勝率.532)
在位45場所(在位率.804)
勝ち越し24場所(勝ち越し率.533)
幕下以下歴
62勝31敗1休93出場(勝率.667)
在位10場所(在位率.179)
勝ち越し6場所(勝ち越し率.600)


第13代・片男波 大造 (元関脇・玉ノ富士)

在任期間(昭和62年(1987年)10月3日~平成22年(2010年)2月3日)
  • 四股名 :玉ノ富士 茂(たまのふじ しげる)
  • 最高位 :関脇
  • 年寄名跡:11代湊川⇒13代片男波⇒16代楯山
  • 出身地 :栃木県那須郡小川町
  • 本 名 :阿久津 茂⇒大野 茂
  • 生年月日:昭和24年(1949)11月24日
  • 所属部屋:片男波部屋
  • 改名歴 :阿久津⇒玉ノ冨士⇒玉ノ富士
  • 初土俵 :昭和42年(1967)5月(17歳6ヵ月)
  • 新十両 :昭和48年(1973)11月(24歳0ヵ月)
  • 新入幕 :昭和49年(1974)9月(24歳10ヵ月)
  • 新三役 :昭和51年(1976)9月(26歳10ヵ月)
  • 最終場所:昭和56年(1981)11月(32歳0ヵ月)
  • 生涯戦歴:431勝420敗23休/850出場(73場所)
  • 生涯勝率:50.6%
  • 優勝等 :幕下同点1回,序二段優勝1回,序ノ口優勝1回
  • 成 績 :殊勲賞1回,敢闘賞2回,金星2個
  • 幕内戦歴:289勝326敗(41場所)勝率:47.0%
  •   関脇:44勝46敗(6場所)勝率:48.9%
  •   小結:40勝50敗(6場所)勝率:44.4%
  •   前頭:205勝230敗(29場所)勝率:47.1%
  • 十両戦歴:53勝50敗2休(8場所)勝率:51.5%

第14代・片男波 良二 (元関脇・玉春日)

在任期間(平成22年(2010年)2月4日~  )

玉春日 良二(たまかすが りょうじ)愛媛県東宇和郡野村町出身、片男波部屋の元力士で、最高位は関脇

平成6年(1994)1月場所に22歳0ヶ月で初土俵を踏み、平成20年(2008)9月場所を最後に引退(36歳8ヶ月)。

通算成績は603勝636敗39休1235出場。生涯勝率.487。通算89場所中、46場所を勝ち越した(勝ち越し率.517)。

主な成績は十両優勝1回殊勲賞1回,敢闘賞2回,技能賞2回,金星7個(貴乃花3個、曙1個、若乃花2個、武蔵丸1個)。

昭和47年(1972)1月7日生まれ。本名は松本 良二。

小学生の頃から身体が大きく運動能力も高かったことから乙亥大相撲をはじめ様々な競技で活躍していた。中央大学時代は際立った成績を残せなかったが幕下最下位格付出で角界入りすると、徹底的に押し相撲を磨くことで頭角を現し、長らく幕内の土俵を務めることができた。

「玉春日」の四股名は小惑星の名として空に残されている。これは平成10年(1998)6月に愛媛県の久万高原天体観測館の職員が発見した小惑星で、当時活躍していた郷土力士にあやかって「(8432)Tamakasuga」として登録された。

引退後は15代楯山を襲名し部屋付親方として後進の指導にあたっていたが、平成12年(2010)2月に13代片男波(玉ノ富士)と名跡を交換、14代片男波を襲名して部屋を継承した。

年寄名跡
14代・片男波 良二
四股名
玉春日 良二(たまかすが りょうじ)
最高位
関脇
年寄名跡
15代楯山 良二 → 14代片男波 良二
出身地
愛媛県東宇和郡野村町
本名
松本 良二
生年月日
昭和47年(1972)1月7日(54歳)
出身高校
愛媛県立野村高校
出身大学
中央大学
所属部屋
片男波部屋
改名歴
玉春日 良二 → 玉春日 公二 → 玉春日 良二
初土俵
平成6年(1994)1月 幕下60枚目格付出(22歳0ヶ月)
新十両
平成7年(1995)3月(所要7場所)
23歳2ヶ月(初土俵から1年2ヶ月)
新入幕
平成8年(1996)1月(所要12場所)
24歳0ヶ月(初土俵から2年0ヶ月)
新関脇
平成9年(1997)7月(所要21場所)
25歳5ヶ月(初土俵から3年6ヶ月)
最終場所
平成20年(2008)9月(36歳8ヶ月)
大相撲歴
89場所(14年8ヶ月)
通算成績
603勝636敗39休1235出場(勝率.487)
通算89場所
勝ち越し46場所(勝ち越し率.517)
優勝等
十両優勝1回
受賞・金星
殊勲賞1回,敢闘賞2回,技能賞2回,金星7個
幕内戦歴
444勝537敗24休977出場(勝率.453)
在位67場所(在位率.753)
勝ち越し28場所(勝ち越し率.418)
三役戦歴
15勝30敗0休45出場(勝率.333)
在位3場所(在位率.034)
勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
関脇戦歴
7勝8敗0休15出場(勝率.467)
在位1場所(在位率.011)
勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
小結戦歴
8勝22敗0休30出場(勝率.267)
在位2場所(在位率.022)
勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
前頭戦歴
429勝507敗24休932出場(勝率.458)
在位64場所(在位率.719)
勝ち越し28場所(勝ち越し率.438)
十両戦歴
126勝83敗15休209出場(勝率.603)
在位15場所(在位率.169)
勝ち越し11場所(勝ち越し率.733)
関取戦歴
570勝620敗39休1186出場(勝率.479)
在位82場所(在位率.921)
勝ち越し39場所(勝ち越し率.476)
幕下以下歴
33勝16敗0休49出場(勝率.673)
在位7場所(在位率.079)
勝ち越し7場所(勝ち越し率1.000)


現役の片男波部屋力士の最新情報はこちら

ここまでは過去から現在までの片男波部屋の主な力士たちをご紹介してきましたが、片男波部屋の現役力士の最新番付や成績を知りたい方の為に最適な記事もご用意しています。相撲観戦と予習におススメです!

出身地別、力士別、初土俵別など様々な方法で力士データをまとめています。

大相撲用語について知りたい方は大相撲大事典をご活用ください。

決まり手の解説記事へのリンクは、以下の一覧ページをご覧ください。

おすすめの記事をご紹介

ここからは当サイトのおすすめ記事をご紹介します。

ネットでの大相撲観戦といえばAbemaTV!「AbemaTV」での視聴方法について解説しています。序ノ口から結びの一番まで完全無料生中継!ぜひ確認してみてください。

当サイトのいろんな記事へのリンクをまとめたナビゲーションページです。