山響(やまひびき)部屋の過去から現在までの主な所属力士をご紹介する山響部屋の大相撲力士まとめ!
この記事では山響部屋と、その前身である北の湖部屋の主な関取を中心に紹介していきます。過去の力士については最高位や改名歴、初土俵や各段の昇進時期と最終場所、さらに生涯戦歴と生涯勝率、成績等を中心にご紹介していきます。また、現役力士については最高位と昇進時期、主な成績などを載せています。
現役の山響部屋力士の最新番付や成績、詳細なデータをご覧になりたい方はこちら
7月場所千秋楽の取組結果はこちら。
7月場所の各段の成績順はこちらで確認ができます。
相撲部屋や出身地ごとの成績から、場所中はリアルタイムでランキングを作成しております。今場所好調な相撲部屋や力士の出身地はどこ?
山響部屋の基本情報
- 一門
- :出羽海一門
- 創設
- :昭和60年(1985年)12月1日 北の湖部屋として創設
- 創設者
- :一代年寄・北の湖 敏満 (元横綱・北の湖 敏満)
- 改称
- :平成27年(2015年)11月23日 山響部屋へと改称
- 改称者
- :第20代・山響 謙司 (元前頭筆頭・巌雄 謙治)
- 現師匠
- :同上
山響部屋とは
山響部屋は、三保ヶ関部屋の元横綱・北の湖が創設した北の湖部屋を前身とする相撲部屋です。
昭和60(1985)年1月場所を最後に現役を引退した北の湖は一代年寄・北の湖を襲名。同年12月1日に村井(のち十両9・太晨)や金親(のち十両2)ら力士10人を連れて三保ヶ関部屋から分家独立、北の湖部屋を興しました。
二十山部屋からの移籍
平成18(2006)年6月23日に三保ヶ関部屋時代の弟弟子だった13代二十山(元大関・北天佑)が45歳という若さで亡くなります。生前に後事を託されていた北の湖は、二十山部屋の弟子たちを北の湖部屋へと引き取りました。
ところが平成20(2008)年8月に角界を揺るがした大相撲力士大麻問題では、その二十山部屋から移籍してきた白露山が大麻取締法違反の容疑で家宅捜索を受けます。
大麻所持の証拠は発見されませんでしたが精密検査で陽性反応が出たため、白露山は日本相撲協会から解雇処分となりました。これらの責任を取り北の湖は理事長を辞任します。
木瀬部屋の一時預り
平成22(2010)年5月には三保ヶ関部屋の弟弟子にあたる11代木村瀬平(元前頭筆頭・肥後ノ海)の不祥事で木瀬部屋の閉鎖処分が決定。出羽海一門として北の湖部屋が木瀬部屋一同を預かることとなります。
平成24(2012)年3月場所では木瀬部屋から移籍してきた臥牙丸が小結に昇進。北の湖部屋初の三役力士誕生となりました。
木瀬部屋の閉鎖処分は平成24(2012)年4月に解除され、11代木村瀬平と力士26人は再開された木瀬部屋へと移籍していきました。
北の湖急逝、山響部屋へ
平成27(2015)年九州場所13日目(11月20日)、北の湖急逝。
現職の理事長であり、一代年寄だった北の湖の死を受けた相撲協会は、緊急措置として千秋楽まで部屋付き親方20代山響(元前頭筆頭・厳雄)の師匠代行を認めます。また所属力士たちが北の湖部屋の力士として出場することも認めました。
そして場所後に行われた理事会により20代山響が部屋を継承することが承認されます。こうして部屋の名称は山響部屋へと改められました。
山響部屋の系譜
山響部屋の成り立ちを系譜でご紹介します。
山響部屋の優勝力士
残念ながら、山響部屋の優勝力士はこれまで1人もいません。
山響部屋の三賞受賞力士
山響部屋 歴代三賞受賞力士一覧
山響部屋と、その前身である北の湖部屋では、これまでに1人の力士が三賞を受賞しており、獲得数はあわせて2回になります。
受賞の内訳は、敢闘賞が2回となっています。
| 場所年月 |
番付 |
受賞力士 |
受賞 |
成績 |
受賞時 年齢 |
出身地 |
部屋 |
初土俵 |
生年月日 |
平成24年1月 (2012年)H24.1 (2012) | 西前頭10 | 西前頭10臥牙丸 | 敢闘賞 [2回目] | 12勝3敗 | 24歳10ヶ月 | ジョージア | 北の湖 | 平成17年11月 (2005年) | 昭和62年2月23日 (1987年) |
平成23年9月 (2011年)H23.9 (2011) | 西前頭11 | 西前頭11臥牙丸 | 敢闘賞 [初] | 11勝4敗 | 24歳7ヶ月 | ジョージア | 北の湖 | 平成17年11月 (2005年) | 昭和62年2月23日 (1987年) |
山響部屋 三賞受賞回数ランキング
受賞回数は、1位が臥牙丸で2回(敢闘賞2回)となっています。
| 順位 |
四股名 |
三賞 合計 |
技能賞 |
殊勲賞 |
敢闘賞 |
最高位 |
部屋 |
出身地 |
| 1位 |
臥牙丸 |
2回 |
0 |
0 |
2 |
小結 |
北の湖 |
ジョージア |
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該当力士:19 名
金親 和憲
神奈川県横浜市鶴見区出身、三保ヶ関~北の湖部屋の元力士で最高位は十両2枚目。引退後、故9代宮城野の次女と結婚。これにより10代宮城野(元幕内・竹葉山)と交代で11代宮城野を襲名、宮城野部屋を継承する事となった。しかし、週刊誌に掲載された記事が問題となって理事会より師匠交代勧告を受け、再び竹葉山が宮城野を名乗ることとなった。その後、16代熊ヶ谷として部屋付き親方を務めていたが次女とは離婚、そして個人マネージャへの暴行で逮捕され平成25年10月に協会から解雇された。
- 四股名 :金親 和憲(かねちか かずのり)
- 最高位 :十両2枚目
- 年寄名跡:11代宮城野⇒16代熊ヶ谷
- 出身地 :神奈川県横浜市鶴見区
- 本 名 :金親 和行⇒山村 和行
- 生年月日:昭和44年(1969)11月12日
- 所属部屋:三保ヶ関⇒北の湖部屋
- 改名歴 :金親⇒月山⇒金親
- 初土俵 :昭和60年(1985)9月(15歳10ヵ月)
- 新十両 :平成4年(1992)3月(22歳4ヵ月)
- 最終場所:平成16年(2004)9月(34歳10ヵ月)
- 生涯戦歴:491勝481敗18休/972出場(115場所)
- 生涯勝率:50.5%
- 優勝等 :なし
- 十両戦歴:167勝193敗(24場所)勝率:46.4%
須佐の湖 善誉
愛知県知多市出身、北の湖部屋の元力士で最高位は十両2枚目。一時は武器である体重が240㎏を記録するも、内臓疾患による体重減少と共に低迷。
- 四股名 :須佐の湖 善誉(すさのうみ よしたか)
- 最高位 :十両2枚目
- 出身地 :愛知県知多市
- 本 名 :金作 善治
- 生年月日:昭和47年(1972)8月30日
- 所属部屋:北の湖部屋
- 改名歴 :金作⇒将兜⇒金作⇒須佐の湖
- 初土俵 :昭和63年(1988)3月(15歳7ヵ月)
- 新十両 :平成5年(1993)9月(21歳1ヵ月)
- 最終場所:平成15年(2003)3月(30歳7ヵ月)
- 生涯戦歴:381勝376敗17休/756出場(91場所)
- 生涯勝率:50.3%
- 優勝等 :十両同点1回,幕下優勝2回,三段目優勝1回,序二段同点1回
- 十両戦歴:120勝150敗(18場所)勝率:44.4%
徳真鵬 元久
徳真鵬 元久(とくしんほう もとひさ)は三重県 松阪市出身、木瀬部屋の元力士で最高位は十両6枚目。大学4年次に西日本選抜学生相撲大会で個人戦優勝。朝日大学出身初の関取。200キロを超える巨体を活かした寄り倒しが武器。中止となった令和2年5月場所を最後に現役を引退。
- 四股名 :徳真鵬 元久(とくしんほう もとひさ)
- 最高位 :十両6枚目
- 出身地 :三重県松阪市
- 本 名 :白塚 元久
- 生年月日:昭和59年(1984)5月13日
- 出身大学:朝日大学
- 所属部屋:木瀬⇒北の湖⇒木瀬部屋
- 改名歴 :白塚⇒徳真鵬
- 初土俵 :平成19年(2007)3月(22歳10ヵ月)
- 新十両 :平成21年(2009)9月(25歳4ヵ月)
- 最終場所:令和2年(2020)7月(36歳2ヵ月)
- 生涯戦歴:382勝373敗/755出場(79場所)
- 生涯勝率:50.6%
- 優勝等 :幕下優勝1回
- 十両戦歴:187勝218敗(27場所)勝率:46.2%
太晨 光真
大阪府東大阪市出身、北の湖部屋の元力士で最高位は十両9枚目。北の湖の内弟子として三保ヶ関部屋に入門、北の湖部屋の創設とともに移籍。平成3年11場所に十両への昇進を果たし北の湖部屋初の関取となった。
- 四股名 :太晨 光真(たいしん みつまさ)
- 最高位 :十両9枚目
- 出身地 :大阪府東大阪市
- 本 名 :村井 修二
- 生年月日:昭和42年(1967)4月25日
- 所属部屋:三保ヶ関⇒北の湖部屋
- 改名歴 :村井⇒弥刀の湖⇒村井⇒太晨⇒村井⇒太晨⇒村井
- 初土俵 :昭和59年(1984)3月(16歳11ヵ月)
- 新十両 :平成3年(1991)11月(24歳7ヵ月)
- 最終場所:平成6年(1994)9月(27歳5ヵ月)
- 生涯戦歴:239勝218敗/457出場(64場所)
- 生涯勝率:52.3%
- 優勝等 :なし
- 十両戦歴:11勝19敗(2場所)勝率:36.7%
肥後ノ城 政和
肥後ノ城 政和(ひごのじょう まさかず)は熊本県熊本市南区出身、木瀬~北の湖~木瀬部屋の元力士で、最高位は十両9枚目。
平成19年(2007)11月場所に23歳0ヶ月で初土俵を踏み、令和3年(2021)11月場所を最後に引退(37歳0ヶ月)。
通算成績は307勝295敗4休601出場。生涯勝率.510。通算83場所中、44場所を勝ち越した(勝ち越し率.537)。
主な成績は幕下優勝1回(同点1),三段目優勝1回,序ノ口優勝1回。
昭和59年(1984)11月5日生まれ。本名は緒方 政和。
日本体育大では主将を務めた。大学卒業後、地元でスポーツインストラクターとして勤務していたが一念発起して大相撲界入りを決意。
- 四股名
- 肥後ノ城 政和(ひごのじょう まさかず)
- 最高位
- 十両9枚目
- 出身地
- 熊本県下益城郡城南町 → 熊本県熊本市 → 熊本県熊本市南区
- 本名
- 緒方 政和
- 生年月日
- 昭和59年(1984)11月5日
- 出身高校
- 熊本農業高校
- 出身大学
- 日本体育大学
- 所属部屋
- 木瀬~北の湖~木瀬部屋
- 改名歴
- 緒方 政和 → 肥後ノ城 政和
- 初土俵
- 平成19年(2007)11月 前相撲(23歳0ヶ月)
- 新十両
- 平成25年(2013)11月(所要35場所)
- 29歳0ヶ月(初土俵から6年0ヶ月)
- 最終場所
- 令和3年(2021)11月(37歳0ヶ月)
- 大相撲歴
- 83場所(14年0ヶ月)
- 通算成績
- 307勝295敗4休601出場(勝率.510)
- 通算83場所
- 勝ち越し44場所(勝ち越し率.537)
- 優勝等
- 幕下優勝1回(同点1),三段目優勝1回,序ノ口優勝1回
- 十両戦歴
- 26勝34敗0休60出場(勝率.433)
- 在位4場所(在位率.048)
- 勝ち越し1場所(勝ち越し率.250)
- 幕下以下歴
- 281勝261敗4休541出場(勝率.518)
- 在位78場所(在位率.940)
- 勝ち越し43場所(勝ち越し率.551)
希善龍 貴司
希善龍 貴司 (きぜんりゅう たかし)は香川県善通寺市出身、木瀬 → 北の湖 → 木瀬部屋の元力士で、最高位は十両11枚目。
平成20年(2008)3月場所に22歳10ヶ月で初土俵を踏み、令和2年(2020)7月場所を最後に引退(35歳2ヶ月)。
通算成績は296勝275敗5休570出場。生涯勝率.519。通算73場所中、43場所を勝ち越した(勝ち越し率.597)。
主な成績は幕下優勝1回(同点1)、三段目(同点1)、序二段優勝1回。
昭和60年(1985)4月30日生まれ。本名は亀井 貴司。
幼少期から相撲に親しみ、日本大学を経て角界の門を叩いた亀井(のちの希善龍)は、大相撲史上最多となる「9回」の十両昇進という類を見ない記録を残した力士である。関取の座を掴んでは幕下へ陥落するという過酷な道のりを歩みながらも、そのたびに這い上がる不屈の精神は、多くの相撲ファンの記憶に刻まれている。
怪我を乗り越えたアマチュア時代
小学4年生で相撲を始め、香川県内の小学生横綱に輝くなど早くから頭角を現した。相撲の強豪である香川県立高松南高校へ進学し、3年次には全国大会で個人3位に入賞する活躍を見せる。高校卒業後は日本大学へ進学して相撲部に入部した。
しかし、入部直後に膝を痛める大怪我を負い、約1年にわたって相撲が取れない苦しい時期を過ごすこととなる。それでも腐ることなく、地道な筋力トレーニングで恵まれた体格をさらに鍛え上げた。その結果、大学3年次には全国学生相撲個人体重別選手権大会の135キロ未満で公式記録上の準優勝を果たし、4年次には全日本相撲選手権大会でベスト16に入るなど、確かな実力を身につけていった。
日大の縁が結ぶ木瀬部屋入門と初土俵
大学卒業後は、1学年上の先輩である清瀬海が在籍し、日本大学OBの11代木瀬(元幕内・肥後ノ海)が師匠を務める木瀬部屋への入門を決めた。同部屋では、同級生で相撲部主将も務めた明瀬山が、亀井に先んじて1場所早く初土俵を踏んでいる。
平成20年(2008年)3月場所で本名の「亀井」を四股名として初土俵を踏んだ。順調に番付を上げ、同年7月場所では西序二段62枚目で7戦全勝の序二段優勝を果たしている。なお、平成22年(2010年)には所属する木瀬部屋の一時閉鎖に伴い北の湖部屋へ移籍したが、平成24年(2012年)の部屋再興と同時に元の木瀬部屋へ帰属するという歴史も経験している。
故郷の文字を背負い、悲願の関取へ
幕下上位の壁に跳ね返される時期もあったが、着実に地力をつけていった。大きな転機となったのは、東幕下7枚目で迎えた平成25年(2013年)3月場所である。この場所で力強い相撲を展開し、7戦全勝の成績を挙げて見事に幕下優勝を飾った。
この好成績により、翌5月場所での新十両昇進を決める。この関取昇進という節目を機に、故郷である香川県善通寺市の「善」の字を入れ、「希善龍」へと四股名を改名した。初土俵から約5年、幾多の苦労を重ねてようやく掴み取った関取の座であった。
史上最多9度の十両昇進と不屈の土俵
しかし、関取の壁は厚かった。新十両として臨んだ平成25年(2013年)5月場所は6勝9敗と負け越し、わずか1場所で幕下への陥落を味わうこととなった。
ここから、希善龍の真骨頂とも言える土俵人生が始まる。幕下に陥落して以降も決して諦めることなく、右四つからの寄りや上手投げを武器に幕下上位で勝ち越しを続け、幾度も十両の土俵へ返り咲いた。現役生活の中で果たした十両昇進の回数は、大相撲史上最多となる「9回」を数える。
昇進した9つの場所はすべて負け越し、あるいは休場に終わり、十両の地位を2場所連続で維持することは一度も叶わなかった。関取の座を掴んでは突き落とされるという事実だけを見れば残酷だが、それは裏を返せば、何度幕下へ転落してもそのたびに地力を発揮し、関取の座を奪い返すだけの力と精神力を備えていたことの証でもある。
長年にわたり幕下上位と十両の土俵で激闘を繰り広げたが、令和2年(2020年)7月場所を最後に現役を引退した。決して派手な記録や長期にわたる関取在位を残したわけではない。しかし、土俵に上がり続け、何度でも這い上がったその泥臭くも力強い相撲の型と歩みは、記録以上に確かな熱を帯びて大相撲の歴史に刻まれている。
- 四股名
- 希善龍 貴司 (きぜんりゅう たかし)
- 最高位
- 十両11枚目
- 出身地
- 香川県善通寺市
- 本名
- 亀井 貴司
- 生年月日
- 昭和60年(1985)4月30日
- 出身高校
- 高松南高校
- 出身大学
- 日本大学
- 所属部屋
- 木瀬 → 北の湖 → 木瀬部屋
- 改名歴
- 亀井 貴司 → 希善龍 貴司
- 初土俵
- 平成20年(2008)3月 前相撲(22歳10ヶ月)
- 新十両
- 平成25年(2013)5月(所要30場所)
- 28歳0ヶ月(初土俵から5年2ヶ月)
- 最終場所
- 令和2年(2020)7月場所(35歳2ヶ月)
- 大相撲歴
- 73場所(12年4ヶ月)
- 通算成績
- 296勝275敗5休570出場(勝率.519)
- 通算73場所
- 勝ち越し43場所(勝ち越し率.597)(勝ち越し星89)
- 優勝等
- 幕下優勝1回(同点1),三段目(同点1),序二段優勝1回
- 持給金
- 47円50銭(勝ち越し星89個)
- 十両戦歴
- 47勝85敗3休131出場(勝率.359)
- 在位9場所(在位率.123)
- 勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
- 関取戦歴
- 47勝85敗3休131出場(勝率.359)
- 在位9場所(在位率.123)
- 勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
- 幕下以下歴
- 249勝190敗2休439出場(勝率.567)
- 在位63場所(在位率.863)
- 勝ち越し43場所(勝ち越し率.683)
希善龍 貴司の更に詳細なデータは力士名鑑で!
名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。
- ✅ 勝った決まり手1位:上手投げ(143回 / 48.0%)
- ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(97回 / 34.9%)
- ✅ 得意な相手:翔猿(5勝0敗 / 勝率1.000)
- ✅ 苦手な相手:天風(0勝8敗 / 勝率.000)
大成龍 喜悌
大成龍 喜悌(だいせいりゅう よしとも)は青森県 八戸市出身、木瀬部屋の力士で最高位は十両12枚目。令和6年9月場所の番付は東 三段目78枚目。
小1から相撲を始めて秋山相撲道場で腕を磨く。八戸水産高校時代には数々の大会で優秀な成績をおさめた。同部屋だった元幕下・笹山は実の兄。ヘルニアで伸び悩んだ時期もあったが座禅に取り組み心身ともに磨きをかけて平成29年9月場所で新十両昇進。この時は兄が付け人をしてくれた。
- 四股名
- 大成龍 喜悌(だいせいりゅう よしとも)
- 最高位
- 十両12枚目
- 最新番付
- 東 三段目78枚目
- 出身地
- 青森県 八戸市
- 本名
- 笹山 喜悌
- 生年月日
- 平成4年(1992)12月30日(33歳)
- 出身高校
- 八戸水産高校
- 所属部屋
- 北の湖⇒木瀬部屋
- 改名歴
- 笹ノ山⇒大成道⇒大成龍
- 初土俵
- 平成23年(2011)5月(18歳5ヵ月)
- 新十両
- 平成29年(2017)9月(24歳9ヵ月)
- 優勝
- 幕下優勝1回
- 通算成績
- 291勝279敗7休/570出場(勝率:51.1%)
- 直近7場所
- 19勝30敗
- 7場所勝率
- 38.8%
- 令6年9月
- 東 三段目78枚目(15枚半降下)
- 3勝4敗
- -○-●-|●○-○-|●---●
- 令6年7月
- 西 三段目62枚目(25枚降下)
- 3勝4敗
- ●-○-●|-○--○|●-●--
- 令6年5月
- 西 三段目37枚目(15枚半降下)
- 2勝5敗
- ●--●●|--○-●|●-○--
- 令6年3月
- 東 三段目22枚目(10枚半降下)
- 3勝4敗
- ●--●○|--○●-|-○●--
- 令6年1月
- 西 三段目11枚目(28枚半降下)
- 3勝4敗
- -●-○○|--○●-|-●●--
- 令5年11月
- 東 幕下43枚目(10枚上昇)
- 1勝6敗
- -●●--|●●-○-|-●-●-
- 令5年9月
- 東 幕下53枚目
- 4勝3敗
- ●--○○|-●--●|-○○--
吐合 明文
吐合 明文 (はきあい あきふみ)は愛媛県松山市出身、北の湖部屋の元力士で、最高位は幕下2枚目。
平成17年(2005)3月場所に22歳10ヶ月で初土俵を踏み、平成27年(2015)5月場所を最後に引退(33歳0ヶ月)。
通算成績は183勝166敗43休349出場。生涯勝率.524。通算57場所中、26場所を勝ち越した(勝ち越し率.464)。
主な成績は幕下(同点1)、三段目(同点1)、序二段(同点1)。
昭和57年(1982)5月11日生まれ。本名は吐合 明文。
近畿大学時代に学生横綱のタイトルを獲得し、幕下15枚目格付出で角界入り。しかし度重なる怪我により、戦後初となる「幕下付出の番付外陥落」を味わった。前相撲から復帰を果たし関取昇進目前にまで迫ったが、怪我によりあと一歩及ばず角界を去ることとなった。
相撲との出会いと学生横綱への軌跡
小学校3年生から地元の松山道場で相撲を始める。道後中学校を経て、親元を離れ富山県の強豪・高岡向陵高校へ進学。近畿大学では持ち前のスピードを生かした相撲で頭角を現し、平成16年(2004年)の全国学生相撲選手権大会で優勝を果たす。愛媛県出身者として初となる学生横綱のタイトルを獲得し、幕下15枚目格付出の資格を得て角界入りを決断した。
しかし、入門直前に出場した同年12月の全日本相撲選手権大会では、高校生であった澤井(のちの大関・豪栄道)に2連敗を喫するなど、角界の土俵に向けて課題を残す結果となった。
試練の初土俵と番付外への降格
入門先には、師匠の誠実な人柄に惹かれた北の湖部屋を選び、平成17年(2005年)3月場所で幕下15枚目格付出として初土俵を踏む。
しかし大相撲特有の立合いの難しさに直面し、持ち味である突き放しの威力を発揮しきれなかった。初土俵から2場所連続で勝ち越して西幕下5枚目まで番付を上げたものの、同年7月場所で1勝6敗と大きく負け越す。さらに翌9月場所からは深刻な怪我により4場所連続で休場し、再出場後も怪我が重なり休場を余儀なくされた。その結果、平成18年(2006年)11月場所では、戦後初めて幕下付出力士として番付外へ陥落するという事態となった。
医師から一生に関わる後遺症のリスクを宣告されたことで、同年暮れには師匠(一代年寄・北の湖)に引退を申し入れた。しかし、「もう数場所は様子を見よう」と慰留され、過酷なリハビリテーションを経て再び土俵へ戻る決意を固めた。
前相撲からの復活と関取への挑戦
約2年間に及ぶ長期休場を経て、平成19年(2007年)7月場所に前相撲から再出世を果たす。同年11月場所の序二段、翌平成20年(2008年)5月場所の三段目でそれぞれ7戦全勝を記録し、いずれも優勝決定戦へ進出するなど順調に幕下への復帰を遂げた。
その後は幕下中位を主戦場として一進一退の攻防を続けたが、平成24年(2012年)1月場所は西幕下11枚目で初日から6連勝を記録する。7戦全勝であれば新十両昇進が確実という関取の座が懸かった7番相撲、東幕下筆頭の里山と激突した。結果は惜しくも敗北を喫して翌場所での昇進は逃したものの、翌3月場所では自己最高位となる東幕下2枚目まで躍進し、ついに関取の座を射程圏内に捉えた。
度重なる負傷と引退
しかし、新十両昇進が懸かったこの場所も、再び負傷により休場を余儀なくされる。この途中休場による番付降下は大きく、以降も幕下の土俵に立ち続けたが、再び幕下上位へ戻ることは叶わず、入門から10年という区切りを迎えた平成27年(2015年)5月場所を最後に現役引退を決断。西幕下60枚目で臨んだ最後の取組を終えた花道では、近畿大学の先輩である元幕内・大岩戸が出迎えて労をねぎらった。
幕下15枚目格付出の初土俵で、順風満帆かと思われた土俵人生は、大相撲の壁と怪我により番付外陥落という大きな挫折を味わった。しかしそこから這い上がり、あと一歩で関取というところまで諦めなかった10年間の土俵であった。
- 四股名
- 吐合 明文 (はきあい あきふみ)
- 最高位
- 幕下2枚目
- 出身地
- 愛媛県松山市
- 本名
- 吐合 明文
- 生年月日
- 昭和57年(1982)5月11日
- 出身高校
- 高岡向陵高校
- 出身大学
- 近畿大学
- 所属部屋
- 北の湖部屋
- 改名歴
- 吐合 明文
- 初土俵
- 平成17年(2005)3月 幕下15枚目付出(22歳10ヶ月)
- 最終場所
- 平成27年(2015)5月場所(33歳0ヶ月)
- 大相撲歴
- 57場所(10年2ヶ月)
- 通算成績
- 183勝166敗43休349出場(勝率.524)
- 通算57場所
- 勝ち越し26場所(勝ち越し率.464)(勝ち越し星65)
- 優勝等
- 幕下(同点1),三段目(同点1),序二段(同点1)
- 持給金
- 35円50銭(勝ち越し星65個)
- 幕下以下歴
- 183勝166敗43休349出場(勝率.524)
- 在位56場所(在位率.982)
- 勝ち越し26場所(勝ち越し率.464)
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- ✅ 勝った決まり手1位:押し出し(107回 / 57.5%)
- ✅ 負けた決まり手1位:押し出し(32回 / 18.9%)
- ✅ 得意な相手:武蔵海(5勝1敗 / 勝率.833)
- ✅ 苦手な相手:朝弁慶(0勝3敗 / 勝率.000)
大露羅 敏
ロシア出身、北の湖~山響部屋の元力士で最高位は幕下43枚目。大相撲史上最重量の288㎏!日本語堪能な愛すべきロシア人力士。先代の師匠・北の湖にたいへん可愛がられ、亡くなるまでの14年間付け人を務めた。生前に交わした約束「北の湖が停年を迎えるまでは現役を続ける」を守り、先代が存命であれば停年を迎えた5月場所を経て、先代が亡くなった11月場所を前にして引退を決意した。
- 四股名 :大露羅 敏(おおろら さとし)
- 最高位 :幕下43枚目
- 出身地 :ロシア連邦ブリヤート共和国ザイグライフスキー
- 本 名 :アナトリイ・ヴァレリエヴィチ・ミハハノフ
- 生年月日:昭和58年(1983)4月26日
- 所属部屋:北の湖⇒山響部屋
- 初土俵 :平成12年(2000)3月(16歳11ヵ月)
- 最終場所:平成30年(2018)9月(35歳5ヵ月)
- 生涯戦歴:376勝382敗12休/756出場(111場所)
- 生涯勝率:49.6%
- 優勝等 :なし
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一代年寄・北の湖 敏満 (元横綱・北の湖)
在任期間(昭和60年(1985年)12月1日~平成27年(2015年)11月20日)
北の湖 敏満(きたのうみ としみつ)は北海道有珠郡壮瞥町出身、三保ヶ関部屋の元力士で、最高位は第55代横綱。
昭和42年(1967)1月場所に13歳7ヶ月で初土俵を踏み、昭和60年(1985)1月場所を最後に引退(31歳8ヶ月)。
通算成績は951勝350敗107休1293出場。生涯勝率.731。通算109場所中、87場所を勝ち越した(勝ち越し率.806)。
主な成績は幕内優勝24回(同点5,次点11),序二段同点1回。殊勲賞2回,敢闘賞1回,金星1個(北の富士1個)。
本名は小畑 敏満。昭和28年(1953)5月16日生まれ。平成27年(2015)11月20日逝去(享年62歳)。
「怪童」と呼ばれ史上最年少での横綱昇進を果たす。「憎らしいほど強い」と評された。引退後は一代年寄を贈られて自身の部屋を創設、理事長としても手腕を発揮した。平成27年の九州場所中である11月20日に急逝、享年62歳。
- 四股名
- 北の湖 敏満(きたのうみ としみつ)
- 最高位
- 第55代横綱
- 年寄名跡
- 一代年寄 北の湖 敏満
- 出身地
- 北海道有珠郡壮瞥町
- 本名
- 小畑 敏満
- 生年月日
- 昭和28年(1953)5月16日
- 没年月日
- 平成27年(2015)11月20日(享年62歳)
- 所属部屋
- 三保ヶ関部屋
- 改名歴
- 北の湖 敏満
- 初土俵
- 昭和42年(1967)1月 前相撲(13歳7ヶ月)
- 新十両
- 昭和46年(1971)5月(所要26場所)
- 17歳11ヶ月(初土俵から4年4ヶ月)
- 新入幕
- 昭和47年(1972)1月(所要30場所)
- 18歳7ヶ月(初土俵から5年0ヶ月)
- 新小結
- 昭和48年(1973)1月(所要36場所)
- 19歳7ヶ月(初土俵から6年0ヶ月)
- 新関脇
- 昭和48年(1973)11月(所要41場所)
- 20歳5ヶ月(初土俵から6年10ヶ月)
- 新大関
- 昭和49年(1974)3月(所要43場所)
- 20歳9ヶ月(初土俵から7年2ヶ月)
- 横綱昇進
- 昭和49年(1974)9月(所要46場所)
- 21歳3ヶ月(初土俵から7年8ヶ月)
- 最終場所
- 昭和60年(1985)1月(31歳8ヶ月)
- 大相撲歴
- 109場所(18年0ヶ月)
- 通算成績
- 951勝350敗107休1293出場(勝率.731)
- 通算109場所
- 勝ち越し87場所(勝ち越し率.806)
- 優勝等
- 幕内優勝24回(同点5,次点11),序二段同点1回
- 受賞・金星
- 殊勲賞2回,敢闘賞1回,金星1個
- 幕内戦歴
- 804勝247敗107休1043出場(勝率.765)
- 在位78場所(在位率.716)
- 勝ち越し64場所(勝ち越し率.821)
- 横綱戦歴
- 670勝156敗107休818出場(勝率.811)
- 在位63場所(在位率.578)
- 勝ち越し53場所(勝ち越し率.841)
- 大関戦歴
- 36勝9敗0休45出場(勝率.800)
- 在位3場所(在位率.028)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率1.000)
- 三役戦歴
- 36勝24敗0休60出場(勝率.600)
- 在位4場所(在位率.037)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率.750)
- 関脇戦歴
- 24勝6敗0休30出場(勝率.800)
- 在位2場所(在位率.018)
- 勝ち越し2場所(勝ち越し率1.000)
- 小結戦歴
- 12勝18敗0休30出場(勝率.400)
- 在位2場所(在位率.018)
- 勝ち越し1場所(勝ち越し率.500)
- 前頭戦歴
- 62勝58敗0休120出場(勝率.517)
- 在位8場所(在位率.073)
- 勝ち越し5場所(勝ち越し率.625)
- 十両戦歴
- 43勝32敗0休75出場(勝率.573)
- 在位5場所(在位率.046)
- 勝ち越し4場所(勝ち越し率.800)
- 関取戦歴
- 847勝279敗107休1118出場(勝率.752)
- 在位83場所(在位率.761)
- 勝ち越し68場所(勝ち越し率.819)
- 幕下以下歴
- 104勝71敗0休175出場(勝率.594)
- 在位25場所(在位率.229)
- 勝ち越し19場所(勝ち越し率.760)
第20代・山響 謙司 (元前頭筆頭・巌雄)
在任期間(平成27年(2015年)11月23日~ )
兵庫県姫路市出身、北の湖部屋の元力士で最高位は前頭筆頭。北の湖の一番弟子。新十両場所では大負けして一時は三段目にまで落ちてしまったが、約3年半20場所をかけて再十両を果たした。その後、入幕は北の湖部屋初の幕内力士。平成27年11月の先代の急逝により部屋を継承、名を山響部屋へと改めての再出発となった。
- 20代・山響 謙司
- 四股名 :巌雄 謙治(がんゆう けんじ)
- 最高位 :前頭筆頭
- 年寄名跡:巌雄⇒小野川⇒山響
- 出身地 :兵庫県姫路市
- 本 名 :平野 建司⇒平野 兼司
- 生年月日:昭和45年(1970)8月6日
- 所属部屋:北の湖部屋
- 改名歴 :平野⇒巌雄
- 初土俵 :昭和61年(1986)3月(15歳7ヵ月)
- 新十両 :平成4年(1992)1月(21歳5ヵ月)
- 新入幕 :平成8年(1996)3月(25歳7ヵ月)
- 最終場所:平成12年(2000)5月(29歳9ヵ月)
- 生涯戦歴:400勝382敗53休/779出場(86場所)
- 生涯勝率:51.2%
- 優勝等 :幕下優勝2回,序二段優勝1回
- 幕内戦歴:144勝195敗6休(23場所)勝率:42.5%
- 十両戦歴:47勝58敗(7場所)勝率:44.8%
現役の山響部屋力士の最新情報はこちら
ここまでは過去から現在までの北の湖~山響部屋の主な力士たちをご紹介してきましたが、山響部屋の現役力士の最新番付や成績を知りたい方の為に最適な記事もご用意しています。相撲観戦と予習におススメです!
出身地別、力士別、初土俵別など様々な方法で力士データをまとめています。
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