北海道出身の歴代力士一覧|過去から現在までの全関取と優勝・三賞記録

北海道出身の過去から現在までの主な力士をご紹介する北海道の大相撲力士まとめ!この記事では北海道出身の関取を中心に、北海道の郷土力士をご紹介していきます。

過去の力士については最高位や改名歴、初土俵や各段の昇進時期と最終場所、さらに生涯戦歴と生涯勝率、成績等を中心にご紹介していきます。また、現役力士については最高位と昇進時期、主な成績などを載せています。

なお、年寄名跡欄のマークは、その代で師匠(部屋持ち親方)になったことがあるという意味です。

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北海道出身の優勝力士

北海道出身 歴代幕内優勝力士一覧

北海道出身では、これまでに13人の力士が幕内優勝を達成しており、優勝回数はあわせて120回になります。

最多優勝は大鵬で32回の幕内優勝を達成しています。

連覇記録では、大鵬が6連覇を2回、4連覇を1回、3連覇を1回、2連覇を2回、北の湖が5連覇を1回、3連覇を1回、2連覇を2回、千代の富士が5連覇を1回、4連覇を1回、3連覇を2回、2連覇を2回、千代の山(千代ノ山)が2連覇を2回、北の富士(北の冨士)が2連覇を3回達成しています。

北海道出身初の優勝力士は千代ノ山で、いまから76年7ヶ月前の昭和24年(1949年)10月場所のことでした。

また、直近の北海道出身優勝力士は北勝海で、いまから35年2ヶ月前の平成3年(1991年)3月場所です。

場所年月四股名番付成績部屋出身地最高位年齢備考
平成3年3月
(1991年)
H3.3
1991
北勝海
[8回目]
東横綱13勝2敗九重北海道横綱27歳9ヶ月
平成2年11月
(1990年)
H2.11
1990
千代の富士
[31回目]
東横綱(張出)13勝2敗九重北海道横綱35歳5ヶ月
千代の富士、現役最後となる31回目の優勝(歴代3位)
平成2年9月
(1990年)
H2.9
1990
北勝海
[7回目]
東横綱(張出)14勝1敗九重北海道横綱27歳3ヶ月
平成2年3月
(1990年)
H2.3
1990
北勝海
[6回目]
西横綱13勝2敗九重北海道横綱26歳9ヶ月
平成2年1月
(1990年)
H2.1
1990
千代の富士
[30回目]
東横綱14勝1敗九重北海道横綱34歳7ヶ月
千代の富士、30回目の優勝
平成元年9月
(1989年)
H1.9
1989
千代の富士
[29回目]
2連覇
西横綱全勝15勝0敗九重北海道横綱34歳3ヶ月
千代の富士、7度目の全勝優勝
平成元年7月
(1989年)
H1.7
1989
千代の富士
[28回目]
東横綱(張出)12勝3敗九重北海道横綱34歳1ヶ月
平成元年5月
(1989年)
H1.5
1989
北勝海
[5回目]
東横綱(張出)13勝2敗九重北海道横綱25歳10ヶ月
平成元年3月
(1989年)
H1.3
1989
千代の富士
[27回目]
西横綱14勝1敗九重北海道横綱33歳9ヶ月
平成元年1月
(1989年)
H1.1
1989
北勝海
[4回目]
東横綱(張出)14勝1敗九重北海道横綱25歳7ヶ月
平成初の優勝
昭和63年11月
(1988年)
S63.11
1988
千代の富士
[26回目]
4連覇
東横綱14勝1敗九重北海道横綱33歳5ヶ月
千秋楽、大乃国に敗れるまで53連勝
昭和63年9月
(1988年)
S63.9
1988
千代の富士
[25回目]
3連覇
東横綱全勝15勝0敗九重北海道横綱33歳3ヶ月
昭和63年7月
(1988年)
S63.7
1988
千代の富士
[24回目]
2連覇
東横綱全勝15勝0敗九重北海道横綱33歳1ヶ月
千代の富士、5度目の全勝優勝
昭和63年5月
(1988年)
S63.5
1988
千代の富士
[23回目]
東横綱(張出)14勝1敗九重北海道横綱32歳11ヶ月
昭和63年3月
(1988年)
S63.3
1988
大乃国
[2回目]
東横綱(張出)13勝2敗放駒北海道横綱25歳5ヶ月
昭和62年11月
(1987年)
S62.11
1987
千代の富士
[22回目]
東横綱(張出)全勝15勝0敗九重北海道横綱32歳5ヶ月
昭和62年9月
(1987年)
S62.9
1987
北勝海
[3回目]
西横綱14勝1敗九重北海道横綱24歳3ヶ月
北勝海、横綱昇進後初の優勝
昭和62年7月
(1987年)
S62.7
1987
千代の富士
[21回目]
東横綱14勝1敗九重北海道横綱32歳1ヶ月
昭和62年5月
(1987年)
S62.5
1987
大乃国
[初]
西大関全勝15勝0敗放駒北海道横綱24歳7ヶ月
昭和62年3月
(1987年)
S62.3
1987
北勝海
[2回目]
西大関12勝3敗九重北海道横綱23歳9ヶ月
10場所連続、九重部屋力士が幕内優勝
(1985年9月場所から)
昭和62年1月
(1987年)
S62.1
1987
千代の富士
[20回目]
5連覇
東横綱12勝3敗九重北海道横綱31歳7ヶ月
千代の富士、20回目の優勝
5連覇を達成(1986年5月場所から)
昭和61年11月
(1986年)
S61.11
1986
千代の富士
[19回目]
4連覇
東横綱13勝2敗九重北海道横綱31歳5ヶ月
昭和61年9月
(1986年)
S61.9
1986
千代の富士
[18回目]
3連覇
東横綱14勝1敗九重北海道横綱31歳3ヶ月
昭和61年7月
(1986年)
S61.7
1986
千代の富士
[17回目]
2連覇
東横綱14勝1敗九重北海道横綱31歳1ヶ月
昭和61年5月
(1986年)
S61.5
1986
千代の富士
[16回目]
東横綱13勝2敗九重北海道横綱30歳11ヶ月
昭和61年3月
(1986年)
S61.3
1986
保志
[初]
西関脇13勝2敗九重北海道横綱22歳9ヶ月
のちに北勝海へと改名
昭和61年1月
(1986年)
S61.1
1986
千代の富士
[15回目]
3連覇
東横綱13勝2敗九重北海道横綱30歳7ヶ月
昭和60年11月
(1985年)
S60.11
1985
千代の富士
[14回目]
2連覇
東横綱14勝1敗九重北海道横綱30歳5ヶ月
昭和60年9月
(1985年)
S60.9
1985
千代の富士
[13回目]
東横綱全勝15勝0敗九重北海道横綱30歳3ヶ月
昭和60年7月
(1985年)
S60.7
1985
北天佑
[2回目]
東大関(張出)13勝2敗三保ヶ関北海道大関24歳11ヶ月
昭和60年5月
(1985年)
S60.5
1985
千代の富士
[12回目]
東横綱14勝1敗九重北海道横綱29歳11ヶ月
昭和60年1月
(1985年)
S60.1
1985
千代の富士
[11回目]
2連覇
東横綱全勝15勝0敗九重北海道横綱29歳7ヶ月
昭和59年11月
(1984年)
S59.11
1984
千代の富士
[10回目]
西横綱14勝1敗九重北海道横綱29歳5ヶ月
千代の富士、10回目の優勝
昭和59年5月
(1984年)
S59.5
1984
北の湖
[24回目]
西横綱全勝15勝0敗三保ヶ関北海道横綱31歳0ヶ月
北の湖、現役最後となる24回目の優勝を7回目の全勝で飾る
昭和58年11月
(1983年)
S58.11
1983
千代の富士
[9回目]
西横綱14勝1敗九重北海道横綱28歳5ヶ月
昭和58年5月
(1983年)
S58.5
1983
北天佑
[初]
東関脇14勝1敗三保ヶ関北海道大関22歳9ヶ月
昭和58年3月
(1983年)
S58.3
1983
千代の富士
[8回目]
東横綱全勝15勝0敗九重北海道横綱27歳9ヶ月
千代の富士、初の全勝優勝
昭和57年11月
(1982年)
S57.11
1982
千代の富士
[7回目]
東横綱14勝1敗九重北海道横綱27歳5ヶ月
昭和57年7月
(1982年)
S57.7
1982
千代の富士
[6回目]
3連覇
東横綱12勝3敗九重北海道横綱27歳1ヶ月
昭和57年5月
(1982年)
S57.5
1982
千代の富士
[5回目]
2連覇
東横綱13勝2敗九重北海道横綱26歳11ヶ月
昭和57年3月
(1982年)
S57.3
1982
千代の富士
[4回目]
西横綱13勝2敗九重北海道横綱26歳9ヶ月
昭和57年1月
(1982年)
S57.1
1982
北の湖
[23回目]
西横綱(横綱大関)13勝2敗三保ヶ関北海道横綱28歳8ヶ月
昭和56年11月
(1981年)
S56.11
1981
千代の富士
[3回目]
東横綱(張出)12勝3敗九重北海道横綱26歳5ヶ月
昭和56年7月
(1981年)
S56.7
1981
千代の富士
[2回目]
東大関14勝1敗九重北海道横綱26歳1ヶ月
昭和56年5月
(1981年)
S56.5
1981
北の湖
[22回目]
2連覇
東横綱14勝1敗三保ヶ関北海道横綱28歳0ヶ月
昭和56年3月
(1981年)
S56.3
1981
北の湖
[21回目]
東横綱13勝2敗三保ヶ関北海道横綱27歳10ヶ月
昭和56年1月
(1981年)
S56.1
1981
千代の富士
[初]
東関脇14勝1敗九重北海道横綱25歳7ヶ月
千秋楽本割は北の湖に敗れたが優勝決定戦では見事破り、
自身初の幕内優勝を遂げた。優勝決定の瞬間視聴率65.3%は大相撲中継歴代最高記録
昭和55年7月
(1980年)
S55.7
1980
北の湖
[20回目]
3連覇
東横綱全勝15勝0敗三保ヶ関北海道横綱27歳2ヶ月
北の湖、20回目の優勝を6回目の全勝で飾る
昭和55年5月
(1980年)
S55.5
1980
北の湖
[19回目]
2連覇
東横綱14勝1敗三保ヶ関北海道横綱27歳0ヶ月
昭和55年3月
(1980年)
S55.3
1980
北の湖
[18回目]
西横綱13勝2敗三保ヶ関北海道横綱26歳10ヶ月
昭和54年9月
(1979年)
S54.9
1979
北の湖
[17回目]
西横綱13勝2敗三保ヶ関北海道横綱26歳4ヶ月
昭和54年3月
(1979年)
S54.3
1979
北の湖
[16回目]
2連覇
東横綱全勝15勝0敗三保ヶ関北海道横綱25歳10ヶ月
5回目の全勝優勝
昭和54年1月
(1979年)
S54.1
1979
北の湖
[15回目]
東横綱(張出)14勝1敗三保ヶ関北海道横綱25歳8ヶ月
昭和53年9月
(1978年)
S53.9
1978
北の湖
[14回目]
5連覇
東横綱14勝1敗三保ヶ関北海道横綱25歳4ヶ月
昭和53年7月
(1978年)
S53.7
1978
北の湖
[13回目]
4連覇
東横綱全勝15勝0敗三保ヶ関北海道横綱25歳2ヶ月
昭和53年5月
(1978年)
S53.5
1978
北の湖
[12回目]
3連覇
東横綱14勝1敗三保ヶ関北海道横綱25歳0ヶ月
昭和53年3月
(1978年)
S53.3
1978
北の湖
[11回目]
2連覇
東横綱13勝2敗三保ヶ関北海道横綱24歳10ヶ月
昭和53年1月
(1978年)
S53.1
1978
北の湖
[10回目]
西横綱全勝15勝0敗三保ヶ関北海道横綱24歳8ヶ月
北の湖、10回目の優勝を3回目の全勝で飾る
昭和52年9月
(1977年)
S52.9
1977
北の湖
[9回目]
西横綱全勝15勝0敗三保ヶ関北海道横綱24歳4ヶ月
昭和52年3月
(1977年)
S52.3
1977
北の湖
[8回目]
西横綱全勝15勝0敗三保ヶ関北海道横綱23歳10ヶ月
昭和51年11月
(1976年)
S51.11
1976
北の湖
[7回目]
西横綱14勝1敗三保ヶ関北海道横綱23歳6ヶ月
昭和51年5月
(1976年)
S51.5
1976
北の湖
[6回目]
西横綱13勝2敗三保ヶ関北海道横綱23歳0ヶ月
昭和51年1月
(1976年)
S51.1
1976
北の湖
[5回目]
東横綱13勝2敗三保ヶ関北海道横綱22歳8ヶ月
昭和50年7月
(1975年)
S50.7
1975
金剛
[初]
西前頭筆頭13勝2敗二所ノ関北海道関脇26歳8ヶ月
昭和50年5月
(1975年)
S50.5
1975
北の湖
[4回目]
東横綱13勝2敗三保ヶ関北海道横綱22歳0ヶ月
昭和50年1月
(1975年)
S50.1
1975
北の湖
[3回目]
東横綱12勝3敗三保ヶ関北海道横綱21歳8ヶ月
昭和49年5月
(1974年)
S49.5
1974
北の湖
[2回目]
東大関13勝2敗三保ヶ関北海道横綱21歳0ヶ月
昭和49年1月
(1974年)
S49.1
1974
北の湖
[初]
東関脇14勝1敗三保ヶ関北海道横綱20歳8ヶ月
北の湖初の優勝
昭和48年3月
(1973年)
S48.3
1973
北の富士
[10回目]
西横綱14勝1敗九重北海道横綱30歳11ヶ月
昭和47年9月
(1972年)
S47.9
1972
北の富士
[9回目]
東横綱全勝15勝0敗九重北海道横綱30歳5ヶ月
3度目の全勝優勝
昭和47年3月
(1972年)
S47.3
1972
長谷川
[初]
東関脇12勝3敗佐渡ヶ嶽北海道関脇27歳8ヶ月
昭和46年11月
(1971年)
S46.11
1971
北の富士
[8回目]
2連覇
東横綱13勝2敗九重北海道横綱29歳8ヶ月
昭和46年9月
(1971年)
S46.9
1971
北の富士
[7回目]
西横綱全勝15勝0敗九重北海道横綱29歳5ヶ月
昭和46年5月
(1971年)
S46.5
1971
北の富士
[6回目]
東横綱(張出)全勝15勝0敗九重北海道横綱29歳1ヶ月
昭和46年1月
(1971年)
S46.1
1971
大鵬
[32回目]
西横綱14勝1敗二所ノ関北海道横綱30歳7ヶ月
大鵬、現役最後となる32回目の優勝
(白鵬に抜かれるまで歴代最多記録)
昭和45年7月
(1970年)
S45.7
1970
北の富士
[5回目]
2連覇
東横綱13勝2敗九重北海道横綱28歳3ヶ月
昭和45年5月
(1970年)
S45.5
1970
北の富士
[4回目]
西横綱14勝1敗九重北海道横綱28歳1ヶ月
昭和45年3月
(1970年)
S45.3
1970
大鵬
[31回目]
東横綱(張出)14勝1敗二所ノ関北海道横綱29歳9ヶ月
昭和45年1月
(1970年)
S45.1
1970
北の富士
[3回目]
2連覇
東大関13勝2敗九重北海道横綱27歳9ヶ月
場所後に玉乃島と共に横綱へと昇進
昭和44年11月
(1969年)
S44.11
1969
北の富士
[2回目]
西大関13勝2敗九重北海道横綱27歳7ヶ月
昭和44年5月
(1969年)
S44.5
1969
大鵬
[30回目]
西横綱13勝2敗二所ノ関北海道横綱28歳11ヶ月
大鵬、30回目の優勝
昭和44年1月
(1969年)
S44.1
1969
大鵬
[29回目]
3連覇
東横綱全勝15勝0敗二所ノ関北海道横綱28歳7ヶ月
8度目の全勝優勝(当時歴代1位タイ)
昭和43年11月
(1968年)
S43.11
1968
大鵬
[28回目]
2連覇
東横綱全勝15勝0敗二所ノ関北海道横綱28歳5ヶ月
昭和43年9月
(1968年)
S43.9
1968
大鵬
[27回目]
西横綱14勝1敗二所ノ関北海道横綱28歳4ヶ月
昭和42年9月
(1967年)
S42.9
1967
大鵬
[26回目]
東横綱(張出)全勝15勝0敗二所ノ関北海道横綱27歳3ヶ月
昭和42年5月
(1967年)
S42.5
1967
大鵬
[25回目]
東横綱14勝1敗二所ノ関北海道横綱26歳11ヶ月
昭和42年3月
(1967年)
S42.3
1967
北の冨士
[初]
東大関14勝1敗九重北海道横綱24歳11ヶ月
出羽海部屋からの移籍後初の本場所を、自身初の幕内優勝で飾った
昭和42年1月
(1967年)
S42.1
1967
大鵬
[24回目]
6連覇
東横綱全勝15勝0敗二所ノ関北海道横綱26歳8ヶ月
5度目の全勝優勝
2度目の6連覇(1966年3月場所から)
昭和41年11月
(1966年)
S41.11
1966
大鵬
[23回目]
5連覇
東横綱全勝15勝0敗二所ノ関北海道横綱26歳5ヶ月
昭和41年9月
(1966年)
S41.9
1966
大鵬
[22回目]
4連覇
東横綱13勝2敗二所ノ関北海道横綱26歳3ヶ月
昭和41年7月
(1966年)
S41.7
1966
大鵬
[21回目]
3連覇
東横綱14勝1敗二所ノ関北海道横綱26歳1ヶ月
昭和41年5月
(1966年)
S41.5
1966
大鵬
[20回目]
2連覇
東横綱14勝1敗二所ノ関北海道横綱26歳0ヶ月
大鵬、20回目の優勝
昭和41年3月
(1966年)
S41.3
1966
大鵬
[19回目]
東横綱(張出)13勝2敗二所ノ関北海道横綱25歳9ヶ月
昭和40年11月
(1965年)
S40.11
1965
大鵬
[18回目]
東横綱(張出)13勝2敗二所ノ関北海道横綱25歳5ヶ月
昭和40年7月
(1965年)
S40.7
1965
大鵬
[17回目]
西横綱13勝2敗二所ノ関北海道横綱25歳1ヶ月
昭和40年3月
(1965年)
S40.3
1965
大鵬
[16回目]
東横綱14勝1敗二所ノ関北海道横綱24歳9ヶ月
昭和39年11月
(1964年)
S39.11
1964
大鵬
[15回目]
2連覇
東横綱14勝1敗二所ノ関北海道横綱24歳5ヶ月
昭和39年9月
(1964年)
S39.9
1964
大鵬
[14回目]
西横綱14勝1敗二所ノ関北海道横綱24歳3ヶ月
昭和39年3月
(1964年)
S39.3
1964
大鵬
[13回目]
2連覇
東横綱全勝15勝0敗二所ノ関北海道横綱23歳9ヶ月
柏戸との全勝同士相星決戦を制して優勝
昭和39年1月
(1964年)
S39.1
1964
大鵬
[12回目]
東横綱全勝15勝0敗二所ノ関北海道横綱23歳7ヶ月
昭和38年7月
(1963年)
S38.7
1963
北葉山
[初]
東大関(張出2)13勝2敗時津風北海道大関28歳1ヶ月
大関・佐田乃山(のち横綱・佐田の山)との優勝決定戦を制して初優勝を果たす
昭和38年5月
(1963年)
S38.5
1963
大鵬
[11回目]
6連覇
東横綱全勝15勝0敗二所ノ関北海道横綱22歳11ヶ月
昭和37年(1962)7月場所からの6連覇を初の全勝優勝で飾る
昭和38年3月
(1963年)
S38.3
1963
大鵬
[10回目]
5連覇
東横綱14勝1敗二所ノ関北海道横綱22歳9ヶ月
大鵬、10回目の優勝
昭和38年1月
(1963年)
S38.1
1963
大鵬
[9回目]
4連覇
東横綱14勝1敗二所ノ関北海道横綱22歳7ヶ月
昭和37年11月
(1962年)
S37.11
1962
大鵬
[8回目]
3連覇
東横綱13勝2敗二所ノ関北海道横綱22歳5ヶ月
昭和37年9月
(1962年)
S37.9
1962
大鵬
[7回目]
2連覇
東横綱13勝2敗二所ノ関北海道横綱22歳3ヶ月
昭和37年7月
(1962年)
S37.7
1962
大鵬
[6回目]
東横綱14勝1敗二所ノ関北海道横綱22歳1ヶ月
昭和37年1月
(1962年)
S37.1
1962
大鵬
[5回目]
4連覇
東横綱13勝2敗二所ノ関北海道横綱21歳7ヶ月
昭和36年11月
(1961年)
S36.11
1961
大鵬
[4回目]
3連覇
西横綱13勝2敗二所ノ関北海道横綱21歳5ヶ月
昭和36年9月
(1961年)
S36.9
1961
大鵬
[3回目]
2連覇
東大関12勝3敗二所ノ関北海道横綱21歳3ヶ月
場所後に21歳3ヵ月で横綱へと昇進。(柏戸との同時昇進)
昭和36年7月
(1961年)
S36.7
1961
大鵬
[2回目]
東大関13勝2敗二所ノ関北海道横綱21歳1ヶ月
昭和35年11月
(1960年)
S35.11
1960
大鵬
[初]
東関脇13勝2敗二所ノ関北海道横綱20歳5ヶ月
当時の史上最年少記録である20歳5ヵ月での幕内優勝
昭和32年5月
(1957年)
S32.5
1957
安念山
[初]
西小結13勝2敗立浪北海道関脇23歳3ヶ月
のちに羽黒山へと改名
昭和32年1月
(1957年)
S32.1
1957
千代の山
[6回目]
西横綱(張出)全勝15勝0敗出羽海北海道横綱30歳7ヶ月
昭和30年3月
(1955年)
S30.3
1955
千代の山
[5回目]
2連覇
東横綱13勝2敗出羽海北海道横綱28歳9ヶ月
昭和30年1月
(1955年)
S30.1
1955
千代の山
[4回目]
東横綱12勝3敗出羽海北海道横綱28歳7ヶ月
横綱昇進から3年余り、13場所目にて初の横綱での優勝
昭和29年1月
(1954年)
S29.1
1954
吉葉山
[初]
東大関全勝15勝0敗高島北海道横綱33歳9ヶ月
全勝で悲願の初優勝。大雪のなか行われた優勝パレードは
「雪の全勝行進」と称され、大勢のファンが歓喜した
昭和26年5月
(1951年)
S26.5
1951
千代ノ山
[3回目]
東大関14勝1敗出羽海北海道横綱24歳11ヶ月
3度目の優勝後、横綱へと昇進
昭和25年1月
(1950年)
S25.1
1950
千代ノ山
[2回目]
2連覇
東大関12勝3敗出羽海北海道横綱23歳7ヶ月
昭和24年10月
(1949年)
S24.10
1949
千代ノ山
[初]
西大関13勝2敗出羽海北海道横綱23歳4ヶ月
北海道出身力士初の優勝

北海道出身 幕内優勝回数ランキング

北海道出身力士の幕内優勝回数ランキングです。1位が大鵬で32回、2位が千代の富士で31回、3位が北の湖で24回となっています。4位以下含む全順位の詳細は、以下の表をご覧ください。

※勝利合計と敗戦合計・勝率は、幕内優勝場所での成績合計です。

順位四股名優勝
回数
最高位横綱大関関脇小結前頭勝利
合計
敗戦
合計
勝率
1位大鵬32回横綱292100443勝37敗.923
2位千代の富士31回横綱291100427勝38敗.918
3位北の湖24回横綱221100332勝28敗.922
4位北の富士10回横綱73000139勝11敗.927
5位北勝海8回横綱61100106勝14敗.883
6位千代の山6回横綱3300079勝11敗.878
7位大乃国2回横綱1100028勝2敗.933
7位北天佑2回大関110027勝3敗.900
9位吉葉山1回横綱0100015勝0敗.1000
9位北葉山1回大関100013勝2敗.867
9位安念山1回関脇01013勝2敗.867
9位金剛1回関脇00113勝2敗.867
9位長谷川1回関脇10012勝3敗.800

北海道出身の三賞受賞力士

北海道出身 歴代三賞受賞力士一覧

北海道出身では、これまでに29人の力士が三賞を受賞しており、獲得数はあわせて129回になります。

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受賞の内訳は、技能賞が40回、殊勲賞が45回、敢闘賞が44回となっています。

また、トリプル受賞は大受が1回。ダブル受賞は藤ノ川が2回、大受、北ノ洋(北の洋)、千代の富士、北天佑、大乃国、そして保志(北勝海)が1回ずつ達成しています。

場所年月 番付 受賞力士 受賞 成績 受賞時
年齢
部屋 出身地 初土俵 生年月日
令和7年11月
(2025年)
R7.11
(2025)
東前頭8東前頭8一山本敢闘賞 [2回目]11勝4敗32歳1ヶ月放駒北海道平成29年1月
(2017年)
平成5年10月1日
(1993年)
令和5年11月
(2023年)
R5.11
(2023)
西前頭14西前頭14一山本敢闘賞 [初]11勝4敗30歳1ヶ月放駒北海道平成29年1月
(2017年)
平成5年10月1日
(1993年)
平成30年5月
(2018年)
H30.5
(2018)
西前頭15西前頭15旭大星敢闘賞 [初]10勝5敗28歳7ヶ月友綱北海道平成20年1月
(2008年)
平成元年10月18日
(1989年)
平成7年1月
(1995年)
H7.1
(1995)
西前頭11西前頭11大翔鳳敢闘賞 [2回目]11勝4敗27歳8ヶ月立浪北海道平成2年1月
(1990年)
昭和42年5月7日
(1967年)
平成4年9月
(1992年)
H4.9
(1992)
西前頭8西前頭8大翔鳳敢闘賞 [初]11勝4敗25歳4ヶ月立浪北海道平成2年1月
(1990年)
昭和42年5月7日
(1967年)
昭和61年7月
(1986年)
S61.7
(1986)
東関脇東関脇保志殊勲賞 [3回目]12勝3敗23歳0ヶ月九重北海道昭和54年3月
(1979年)
昭和38年6月22日
(1963年)
昭和61年5月
(1986年)
S61.5
(1986)
東関脇東関脇保志敢闘賞 [3回目]11勝4敗22歳11ヶ月九重北海道昭和54年3月
(1979年)
昭和38年6月22日
(1963年)
昭和61年3月
(1986年)
S61.3
(1986)
西関脇西関脇保志
ダブル
殊勲賞 [2回目]13勝2敗
優勝
22歳9ヶ月九重北海道昭和54年3月
(1979年)
昭和38年6月22日
(1963年)
技能賞 [5回目]
昭和61年1月
(1986年)
S61.1
(1986)
東関脇東関脇保志技能賞 [4回目]8勝7敗22歳7ヶ月九重北海道昭和54年3月
(1979年)
昭和38年6月22日
(1963年)
昭和60年11月
(1985年)
S60.11
(1985)
西関脇西関脇保志技能賞 [3回目]9勝6敗22歳5ヶ月九重北海道昭和54年3月
(1979年)
昭和38年6月22日
(1963年)
昭和60年7月
(1985年)
S60.7
(1985)
西小結西小結保志技能賞 [2回目]10勝5敗22歳0ヶ月九重北海道昭和54年3月
(1979年)
昭和38年6月22日
(1963年)
昭和60年7月
(1985年)
S60.7
(1985)
東関脇東関脇大乃国敢闘賞 [2回目]12勝3敗22歳9ヶ月放駒北海道昭和53年3月
(1978年)
昭和37年10月9日
(1962年)
昭和60年5月
(1985年)
S60.5
(1985)
東関脇東関脇大乃国殊勲賞 [5回目]10勝5敗22歳7ヶ月放駒北海道昭和53年3月
(1978年)
昭和37年10月9日
(1962年)
昭和60年1月
(1985年)
S60.1
(1985)
西関脇西関脇保志殊勲賞 [初]10勝5敗21歳7ヶ月九重北海道昭和54年3月
(1979年)
昭和38年6月22日
(1963年)
昭和59年11月
(1984年)
S59.11
(1984)
東前頭筆頭東前頭筆頭保志技能賞 [初]9勝6敗21歳5ヶ月九重北海道昭和54年3月
(1979年)
昭和38年6月22日
(1963年)
昭和59年7月
(1984年)
S59.7
(1984)
東前頭筆頭東前頭筆頭大乃国殊勲賞 [4回目]10勝5敗21歳9ヶ月放駒北海道昭和53年3月
(1978年)
昭和37年10月9日
(1962年)
昭和59年3月
(1984年)
S59.3
(1984)
東関脇東関脇大乃国
ダブル
殊勲賞 [3回目]10勝5敗21歳5ヶ月放駒北海道昭和53年3月
(1978年)
昭和37年10月9日
(1962年)
敢闘賞 [初]
昭和59年1月
(1984年)
S59.1
(1984)
東小結東小結保志敢闘賞 [2回目]9勝6敗20歳7ヶ月九重北海道昭和54年3月
(1979年)
昭和38年6月22日
(1963年)
昭和59年1月
(1984年)
S59.1
(1984)
東関脇東関脇大ノ国殊勲賞 [2回目]9勝6敗21歳3ヶ月放駒北海道昭和53年3月
(1978年)
昭和37年10月9日
(1962年)
昭和58年11月
(1983年)
S58.11
(1983)
東前頭7東前頭7保志敢闘賞 [初]9勝6敗20歳5ヶ月九重北海道昭和54年3月
(1979年)
昭和38年6月22日
(1963年)
昭和58年11月
(1983年)
S58.11
(1983)
東前頭3東前頭3大ノ国殊勲賞 [初]10勝5敗21歳1ヶ月放駒北海道昭和53年3月
(1978年)
昭和37年10月9日
(1962年)
昭和58年5月
(1983年)
S58.5
(1983)
東関脇東関脇北天佑
ダブル
殊勲賞 [2回目]14勝1敗
優勝
22歳9ヶ月三保ヶ関北海道昭和51年3月
(1976年)
昭和35年8月8日
(1960年)
技能賞 [初]
昭和58年3月
(1983年)
S58.3
(1983)
西関脇西関脇北天佑敢闘賞 [4回目]12勝3敗22歳7ヶ月三保ヶ関北海道昭和51年3月
(1976年)
昭和35年8月8日
(1960年)
昭和58年1月
(1983年)
S58.1
(1983)
東関脇東関脇北天佑敢闘賞 [3回目]11勝4敗22歳5ヶ月三保ヶ関北海道昭和51年3月
(1976年)
昭和35年8月8日
(1960年)
昭和57年11月
(1982年)
S57.11
(1982)
西小結西小結北天佑殊勲賞 [初]8勝7敗22歳3ヶ月三保ヶ関北海道昭和51年3月
(1976年)
昭和35年8月8日
(1960年)
昭和57年9月
(1982年)
S57.9
(1982)
東前頭5東前頭5北天佑敢闘賞 [2回目]10勝5敗22歳1ヶ月三保ヶ関北海道昭和51年3月
(1976年)
昭和35年8月8日
(1960年)
昭和56年5月
(1981年)
S56.5
(1981)
東前頭2東前頭2北天佑敢闘賞 [初]9勝6敗20歳9ヶ月三保ヶ関北海道昭和51年3月
(1976年)
昭和35年8月8日
(1960年)
昭和56年1月
(1981年)
S56.1
(1981)
東関脇東関脇千代の富士
ダブル
殊勲賞 [初]14勝1敗
優勝
25歳7ヶ月九重北海道昭和45年9月
(1970年)
昭和30年6月1日
(1955年)
技能賞 [5回目]
昭和55年11月
(1980年)
S55.11
(1980)
東関脇東関脇千代の富士技能賞 [4回目]11勝4敗25歳5ヶ月九重北海道昭和45年9月
(1970年)
昭和30年6月1日
(1955年)
昭和55年9月
(1980年)
S55.9
(1980)
東小結東小結千代の富士技能賞 [3回目]10勝5敗25歳3ヶ月九重北海道昭和45年9月
(1970年)
昭和30年6月1日
(1955年)
昭和55年7月
(1980年)
S55.7
(1980)
西前頭2西前頭2千代の富士技能賞 [2回目]9勝6敗25歳1ヶ月九重北海道昭和45年9月
(1970年)
昭和30年6月1日
(1955年)
昭和55年3月
(1980年)
S55.3
(1980)
東前頭3東前頭3千代の富士技能賞 [初]8勝7敗24歳9ヶ月九重北海道昭和45年9月
(1970年)
昭和30年6月1日
(1955年)
昭和53年5月
(1978年)
S53.5
(1978)
東前頭5東前頭5千代の富士敢闘賞 [初]9勝6敗22歳11ヶ月九重北海道昭和45年9月
(1970年)
昭和30年6月1日
(1955年)
昭和52年3月
(1977年)
S52.3
(1977)
東前頭筆頭東前頭筆頭北瀬海技能賞 [初]9勝6敗28歳8ヶ月九重北海道昭和39年7月
(1964年)
昭和23年7月2日
(1948年)
昭和51年5月
(1976年)
S51.5
(1976)
西小結西小結北瀬海殊勲賞 [2回目]10勝5敗27歳10ヶ月九重北海道昭和39年7月
(1964年)
昭和23年7月2日
(1948年)
昭和51年3月
(1976年)
S51.3
(1976)
東関脇東関脇旭國技能賞 [6回目]13勝2敗28歳11ヶ月立浪北海道昭和38年7月
(1963年)
昭和22年4月25日
(1947年)
昭和51年3月
(1976年)
S51.3
(1976)
西前頭11西前頭11北瀬海殊勲賞 [初]12勝3敗27歳8ヶ月九重北海道昭和39年7月
(1964年)
昭和23年7月2日
(1948年)
昭和51年1月
(1976年)
S51.1
(1976)
東関脇東関脇旭國敢闘賞 [初]12勝3敗28歳9ヶ月立浪北海道昭和38年7月
(1963年)
昭和22年4月25日
(1947年)
昭和50年9月
(1975年)
S50.9
(1975)
西関脇西関脇旭國技能賞 [5回目]9勝6敗28歳5ヶ月立浪北海道昭和38年7月
(1963年)
昭和22年4月25日
(1947年)
昭和50年7月
(1975年)
S50.7
(1975)
西前頭筆頭西前頭筆頭金剛殊勲賞 [3回目]13勝2敗
優勝
26歳8ヶ月二所ノ関北海道昭和39年5月
(1964年)
昭和23年11月18日
(1948年)
昭和50年7月
(1975年)
S50.7
(1975)
東小結東小結旭國技能賞 [4回目]11勝4敗28歳2ヶ月立浪北海道昭和38年7月
(1963年)
昭和22年4月25日
(1947年)
昭和50年5月
(1975年)
S50.5
(1975)
西前頭9西前頭9金剛殊勲賞 [2回目]10勝5敗26歳6ヶ月二所ノ関北海道昭和39年5月
(1964年)
昭和23年11月18日
(1948年)
昭和50年5月
(1975年)
S50.5
(1975)
東前頭4東前頭4旭國技能賞 [3回目]11勝4敗28歳1ヶ月立浪北海道昭和38年7月
(1963年)
昭和22年4月25日
(1947年)
昭和49年9月
(1974年)
S49.9
(1974)
東前頭筆頭東前頭筆頭金剛殊勲賞 [初]9勝6敗25歳10ヶ月二所ノ関北海道昭和39年5月
(1964年)
昭和23年11月18日
(1948年)
昭和49年7月
(1974年)
S49.7
(1974)
東前頭5東前頭5長谷川技能賞 [2回目]10勝5敗30歳0ヶ月佐渡ヶ嶽北海道昭和35年3月
(1960年)
昭和19年7月20日
(1944年)
昭和49年3月
(1974年)
S49.3
(1974)
東前頭2東前頭2長谷川敢闘賞 [3回目]10勝5敗29歳8ヶ月佐渡ヶ嶽北海道昭和35年3月
(1960年)
昭和19年7月20日
(1944年)
昭和49年3月
(1974年)
S49.3
(1974)
西前頭9西前頭9旭國技能賞 [2回目]11勝4敗26歳10ヶ月立浪北海道昭和38年7月
(1963年)
昭和22年4月25日
(1947年)
昭和49年1月
(1974年)
S49.1
(1974)
東関脇東関脇北の湖殊勲賞 [2回目]14勝1敗
優勝
20歳8ヶ月三保ヶ関北海道昭和42年1月
(1967年)
昭和28年5月16日
(1953年)
昭和48年11月
(1973年)
S48.11
(1973)
東関脇東関脇北の湖殊勲賞 [初]10勝5敗20歳6ヶ月三保ヶ関北海道昭和42年1月
(1967年)
昭和28年5月16日
(1953年)
昭和48年7月
(1973年)
S48.7
(1973)
東関脇東関脇大受
トリプル
殊勲賞 [4回目]13勝2敗23歳3ヶ月高島北海道昭和40年3月
(1965年)
昭和25年3月19日
(1950年)
敢闘賞 [初]
技能賞 [6回目]
昭和48年5月
(1973年)
S48.5
(1973)
東関脇東関脇大受
ダブル
殊勲賞 [3回目]11勝4敗23歳2ヶ月高島北海道昭和40年3月
(1965年)
昭和25年3月19日
(1950年)
技能賞 [5回目]
昭和48年3月
(1973年)
S48.3
(1973)
東小結東小結大受殊勲賞 [2回目]10勝5敗23歳0ヶ月高島北海道昭和40年3月
(1965年)
昭和25年3月19日
(1950年)
昭和48年3月
(1973年)
S48.3
(1973)
西前頭5西前頭5北の湖敢闘賞 [初]9勝6敗19歳10ヶ月三保ヶ関北海道昭和42年1月
(1967年)
昭和28年5月16日
(1953年)
昭和48年1月
(1973年)
S48.1
(1973)
東前頭筆頭東前頭筆頭大受技能賞 [4回目]10勝5敗22歳10ヶ月高島北海道昭和40年3月
(1965年)
昭和25年3月19日
(1950年)
昭和47年9月
(1972年)
S47.9
(1972)
西前頭3西前頭3旭國技能賞 [初]10勝5敗25歳4ヶ月立浪北海道昭和38年7月
(1963年)
昭和22年4月25日
(1947年)
昭和47年3月
(1972年)
S47.3
(1972)
東関脇東関脇長谷川敢闘賞 [2回目]12勝3敗
優勝
27歳8ヶ月佐渡ヶ嶽北海道昭和35年3月
(1960年)
昭和19年7月20日
(1944年)
昭和46年9月
(1971年)
S46.9
(1971)
東関脇東関脇長谷川殊勲賞 [3回目]8勝7敗27歳2ヶ月佐渡ヶ嶽北海道昭和35年3月
(1960年)
昭和19年7月20日
(1944年)
昭和46年5月
(1971年)
S46.5
(1971)
東関脇東関脇大受技能賞 [3回目]8勝7敗21歳2ヶ月高島北海道昭和40年3月
(1965年)
昭和25年3月19日
(1950年)
昭和46年3月
(1971年)
S46.3
(1971)
西関脇西関脇大受殊勲賞 [初]8勝7敗21歳0ヶ月高島北海道昭和40年3月
(1965年)
昭和25年3月19日
(1950年)
昭和46年1月
(1971年)
S46.1
(1971)
西前頭5西前頭5大受技能賞 [2回目]11勝4敗20歳10ヶ月高島北海道昭和40年3月
(1965年)
昭和25年3月19日
(1950年)
昭和45年11月
(1970年)
S45.11
(1970)
西前頭2西前頭2長谷川殊勲賞 [2回目]8勝7敗26歳4ヶ月佐渡ヶ嶽北海道昭和35年3月
(1960年)
昭和19年7月20日
(1944年)
昭和45年5月
(1970年)
S45.5
(1970)
東前頭6東前頭6大受技能賞 [初]9勝6敗20歳2ヶ月高島北海道昭和40年3月
(1965年)
昭和25年3月19日
(1950年)
昭和44年7月
(1969年)
S44.7
(1969)
東前頭5東前頭5藤ノ川
ダブル
敢闘賞 [2回目]12勝3敗22歳9ヶ月伊勢ノ海北海道昭和36年5月
(1961年)
昭和21年9月26日
(1946年)
技能賞 [4回目]
昭和44年3月
(1969年)
S44.3
(1969)
西小結西小結藤ノ川技能賞 [3回目]8勝7敗22歳5ヶ月伊勢ノ海北海道昭和36年5月
(1961年)
昭和21年9月26日
(1946年)
昭和44年1月
(1969年)
S44.1
(1969)
西前頭2西前頭2藤ノ川技能賞 [2回目]9勝6敗22歳4ヶ月伊勢ノ海北海道昭和36年5月
(1961年)
昭和21年9月26日
(1946年)
昭和43年5月
(1968年)
S43.5
(1968)
東前頭5東前頭5藤ノ川敢闘賞 [初]10勝5敗21歳8ヶ月伊勢ノ海北海道昭和36年5月
(1961年)
昭和21年9月26日
(1946年)
昭和42年7月
(1967年)
S42.7
(1967)
東小結東小結長谷川殊勲賞 [初]9勝6敗22歳11ヶ月佐渡ヶ嶽北海道昭和35年3月
(1960年)
昭和19年7月20日
(1944年)
昭和42年5月
(1967年)
S42.5
(1967)
西前頭7西前頭7長谷川敢闘賞 [初]13勝2敗22歳10ヶ月佐渡ヶ嶽北海道昭和35年3月
(1960年)
昭和19年7月20日
(1944年)
昭和42年3月
(1967年)
S42.3
(1967)
東前頭4東前頭4藤ノ川
ダブル
殊勲賞 [初]12勝3敗20歳6ヶ月伊勢ノ海北海道昭和36年5月
(1961年)
昭和21年9月26日
(1946年)
技能賞 [初]
昭和42年1月
(1967年)
S42.1
(1967)
西前頭4西前頭4明武谷敢闘賞 [4回目]11勝4敗29歳9ヶ月宮城野北海道昭和29年3月
(1954年)
昭和12年4月29日
(1937年)
昭和41年11月
(1966年)
S41.11
(1966)
西前頭4西前頭4高鐵山技能賞 [初]12勝3敗24歳4ヶ月朝日山北海道昭和32年3月
(1957年)
昭和17年7月9日
(1942年)
昭和41年9月
(1966年)
S41.9
(1966)
西前頭12西前頭12禊鳳敢闘賞 [初]12勝3敗22歳9ヶ月出羽海北海道昭和36年1月
(1961年)
昭和18年12月10日
(1943年)
昭和41年5月
(1966年)
S41.5
(1966)
東関脇東関脇北の冨士技能賞 [3回目]10勝5敗24歳2ヶ月出羽海北海道昭和32年1月
(1957年)
昭和17年3月28日
(1942年)
昭和41年3月
(1966年)
S41.3
(1966)
西前頭9西前頭9高鐵山敢闘賞 [初]11勝4敗23歳8ヶ月朝日山北海道昭和32年3月
(1957年)
昭和17年7月9日
(1942年)
昭和41年3月
(1966年)
S41.3
(1966)
東関脇東関脇北の冨士殊勲賞 [2回目]8勝7敗23歳11ヶ月出羽海北海道昭和32年1月
(1957年)
昭和17年3月28日
(1942年)
昭和41年1月
(1966年)
S41.1
(1966)
東関脇東関脇北の冨士殊勲賞 [初]10勝5敗23歳10ヶ月出羽海北海道昭和32年1月
(1957年)
昭和17年3月28日
(1942年)
昭和40年11月
(1965年)
S40.11
(1965)
西小結張出西小結張出明武谷殊勲賞 [4回目]9勝6敗28歳6ヶ月宮城野北海道昭和29年3月
(1954年)
昭和12年4月29日
(1937年)
昭和40年9月
(1965年)
S40.9
(1965)
東前頭5東前頭5明武谷敢闘賞 [3回目]12勝3敗28歳4ヶ月宮城野北海道昭和29年3月
(1954年)
昭和12年4月29日
(1937年)
昭和40年9月
(1965年)
S40.9
(1965)
東前頭2東前頭2長谷川技能賞 [初]10勝5敗21歳1ヶ月佐渡ヶ嶽北海道昭和35年3月
(1960年)
昭和19年7月20日
(1944年)
昭和40年1月
(1965年)
S40.1
(1965)
東関脇東関脇明武谷殊勲賞 [3回目]9勝6敗27歳8ヶ月宮城野北海道昭和29年3月
(1954年)
昭和12年4月29日
(1937年)
昭和39年11月
(1964年)
S39.11
(1964)
東関脇東関脇明武谷殊勲賞 [2回目]8勝7敗27歳6ヶ月宮城野北海道昭和29年3月
(1954年)
昭和12年4月29日
(1937年)
昭和39年11月
(1964年)
S39.11
(1964)
東前頭筆頭東前頭筆頭北の冨士技能賞 [2回目]10勝5敗22歳7ヶ月出羽海北海道昭和32年1月
(1957年)
昭和17年3月28日
(1942年)
昭和39年9月
(1964年)
S39.9
(1964)
東前頭筆頭東前頭筆頭明武谷敢闘賞 [2回目]8勝7敗27歳4ヶ月宮城野北海道昭和29年3月
(1954年)
昭和12年4月29日
(1937年)
昭和39年7月
(1964年)
S39.7
(1964)
西前頭筆頭西前頭筆頭明武谷殊勲賞 [初]8勝7敗27歳2ヶ月宮城野北海道昭和29年3月
(1954年)
昭和12年4月29日
(1937年)
昭和39年5月
(1964年)
S39.5
(1964)
東前頭4東前頭4沢光殊勲賞 [初]8勝7敗22歳11ヶ月時津風北海道昭和31年9月
(1956年)
昭和16年6月18日
(1941年)
昭和39年5月
(1964年)
S39.5
(1964)
東前頭5東前頭5北の冨士技能賞 [初]9勝6敗22歳1ヶ月出羽海北海道昭和32年1月
(1957年)
昭和17年3月28日
(1942年)
昭和39年1月
(1964年)
S39.1
(1964)
東前頭10東前頭10北の冨士敢闘賞 [初]13勝2敗21歳9ヶ月出羽海北海道昭和32年1月
(1957年)
昭和17年3月28日
(1942年)
昭和38年11月
(1963年)
S38.11
(1963)
東前頭12東前頭12沢光敢闘賞 [初]10勝5敗22歳5ヶ月時津風北海道昭和31年9月
(1956年)
昭和16年6月18日
(1941年)
昭和36年9月
(1961年)
S36.9
(1961)
西前頭4西前頭4明武谷敢闘賞 [初]12勝3敗24歳4ヶ月宮城野北海道昭和29年3月
(1954年)
昭和12年4月29日
(1937年)
昭和36年5月
(1961年)
S36.5
(1961)
東関脇東関脇北葉山殊勲賞 [初]11勝4敗26歳0ヶ月時津風北海道昭和29年5月
(1954年)
昭和10年5月17日
(1935年)
昭和35年11月
(1960年)
S35.11
(1960)
東前頭10東前頭10羽黒花敢闘賞 [初]11勝4敗24歳7ヶ月立浪北海道昭和30年9月
(1955年)
昭和11年3月28日
(1936年)
昭和35年9月
(1960年)
S35.9
(1960)
東関脇東関脇北葉山敢闘賞 [2回目]11勝4敗25歳4ヶ月時津風北海道昭和29年5月
(1954年)
昭和10年5月17日
(1935年)
昭和35年9月
(1960年)
S35.9
(1960)
西関脇西関脇大鵬技能賞 [初]12勝3敗20歳3ヶ月二所ノ関北海道昭和31年9月
(1956年)
昭和15年5月29日
(1940年)
昭和35年5月
(1960年)
S35.5
(1960)
東前頭6東前頭6大鵬敢闘賞 [2回目]11勝4敗19歳11ヶ月二所ノ関北海道昭和31年9月
(1956年)
昭和15年5月29日
(1940年)
昭和35年3月
(1960年)
S35.3
(1960)
東関脇東関脇北葉山敢闘賞 [初]10勝5敗24歳10ヶ月時津風北海道昭和29年5月
(1954年)
昭和10年5月17日
(1935年)
昭和35年3月
(1960年)
S35.3
(1960)
東前頭筆頭東前頭筆頭北の洋技能賞 [5回目]9勝6敗37歳1ヶ月立浪北海道昭和15年1月
(1940年)
大正12年2月1日
(1923年)
昭和35年1月
(1960年)
S35.1
(1960)
西前頭13西前頭13大鵬敢闘賞 [初]12勝3敗19歳7ヶ月二所ノ関北海道昭和31年9月
(1956年)
昭和15年5月29日
(1940年)
昭和35年1月
(1960年)
S35.1
(1960)
東前頭3東前頭3北の洋殊勲賞 [4回目]9勝6敗36歳11ヶ月立浪北海道昭和15年1月
(1940年)
大正12年2月1日
(1923年)
昭和34年11月
(1959年)
S34.11
(1959)
西関脇張出西関脇張出安念山殊勲賞 [3回目]12勝3敗25歳8ヶ月立浪北海道昭和25年1月
(1950年)
昭和9年2月23日
(1934年)
昭和34年3月
(1959年)
S34.3
(1959)
西前頭筆頭西前頭筆頭北の洋殊勲賞 [3回目]8勝7敗36歳1ヶ月立浪北海道昭和15年1月
(1940年)
大正12年2月1日
(1923年)
昭和33年11月
(1958年)
S33.11
(1958)
東前頭筆頭東前頭筆頭北の洋殊勲賞 [2回目]8勝7敗35歳9ヶ月立浪北海道昭和15年1月
(1940年)
大正12年2月1日
(1923年)
昭和33年11月
(1958年)
S33.11
(1958)
東前頭2東前頭2安念山敢闘賞 [初]10勝5敗24歳9ヶ月立浪北海道昭和25年1月
(1950年)
昭和9年2月23日
(1934年)
昭和33年7月
(1958年)
S33.7
(1958)
西前頭4西前頭4安念山殊勲賞 [2回目]11勝4敗24歳4ヶ月立浪北海道昭和25年1月
(1950年)
昭和9年2月23日
(1934年)
昭和33年1月
(1958年)
S33.1
(1958)
西前頭筆頭西前頭筆頭北ノ洋技能賞 [4回目]9勝6敗34歳11ヶ月立浪北海道昭和15年1月
(1940年)
大正12年2月1日
(1923年)
昭和32年9月
(1957年)
S32.9
(1957)
東小結東小結北ノ洋殊勲賞 [初]11勝4敗34歳7ヶ月立浪北海道昭和15年1月
(1940年)
大正12年2月1日
(1923年)
昭和32年5月
(1957年)
S32.5
(1957)
西小結西小結安念山殊勲賞 [初]13勝2敗
優勝
23歳3ヶ月立浪北海道昭和25年1月
(1950年)
昭和9年2月23日
(1934年)
昭和32年3月
(1957年)
S32.3
(1957)
東前頭11東前頭11北ノ洋技能賞 [3回目]12勝3敗34歳1ヶ月立浪北海道昭和15年1月
(1940年)
大正12年2月1日
(1923年)
昭和31年5月
(1956年)
S31.5
(1956)
西前頭9西前頭9大晃敢闘賞 [初]12勝3敗28歳8ヶ月出羽海北海道昭和19年1月
(1944年)
昭和2年9月24日
(1927年)
昭和29年5月
(1954年)
S29.5
(1954)
東前頭10東前頭10北ノ洋
ダブル
敢闘賞 [初]11勝4敗31歳3ヶ月立浪北海道昭和15年1月
(1940年)
大正12年2月1日
(1923年)
技能賞 [2回目]
昭和28年5月
(1953年)
S28.5
(1953)
西前頭9西前頭9北ノ洋技能賞 [初]12勝3敗30歳3ヶ月立浪北海道昭和15年1月
(1940年)
大正12年2月1日
(1923年)
昭和27年9月
(1952年)
S27.9
(1952)
西前頭3西前頭3名寄岩敢闘賞 [2回目]9勝6敗38歳0ヶ月立浪北海道昭和7年5月
(1932年)
大正3年9月27日
(1914年)
昭和27年1月
(1952年)
S27.1
(1952)
西前頭8西前頭8輝昇敢闘賞 [2回目]12勝3敗30歳0ヶ月高島北海道昭和12年5月
(1937年)
大正11年1月26日
(1922年)
昭和25年9月
(1950年)
S25.9
(1950)
東関脇張出東関脇張出吉葉山殊勲賞 [3回目]13勝2敗30歳5ヶ月高島北海道昭和13年5月
(1938年)
大正9年4月3日
(1920年)
昭和25年5月
(1950年)
S25.5
(1950)
東前頭筆頭東前頭筆頭吉葉山殊勲賞 [2回目]10勝5敗30歳1ヶ月高島北海道昭和13年5月
(1938年)
大正9年4月3日
(1920年)
昭和25年5月
(1950年)
S25.5
(1950)
西前頭14西前頭14名寄岩敢闘賞 [初]9勝6敗35歳8ヶ月立浪北海道昭和7年5月
(1932年)
大正3年9月27日
(1914年)
昭和25年1月
(1950年)
S25.1
(1950)
東前頭3東前頭3吉葉山殊勲賞 [初]10勝5敗29歳9ヶ月高島北海道昭和13年5月
(1938年)
大正9年4月3日
(1920年)
昭和24年5月
(1949年)
S24.5
(1949)
東関脇東関脇千代ノ山殊勲賞 [初]12勝3敗22歳11ヶ月出羽海北海道昭和17年1月
(1942年)
昭和元年6月2日
(1926年)
昭和23年10月
(1948年)
S23.10
(1948)
西前頭筆頭西前頭筆頭千代ノ山敢闘賞 [初]8勝3敗22歳4ヶ月出羽海北海道昭和17年1月
(1942年)
昭和元年6月2日
(1926年)
昭和22年11月
(1947年)
S22.11
(1947)
東小結東小結輝昇敢闘賞 [初]7勝4敗25歳9ヶ月高島北海道昭和12年5月
(1937年)
大正11年1月26日
(1922年)

北海道出身 三賞受賞回数ランキング

受賞回数は、1位が保志(北勝海)と大受の2人で11回ずつ、3位が北の洋で10回(殊勲賞4回・技能賞5回・敢闘賞1回)、4位が長谷川と明武谷の2人で8回ずつとなっています。4位以下含む全順位の詳細は、以下の表をご覧ください。

順位 四股名 三賞
合計
技能賞 殊勲賞 敢闘賞 最高位
1位 保志
(北勝海)
11回 5 3 3 横綱
1位 大受 11回 6 4 1 大関
3位 北の洋
(北ノ洋)
10回 5 4 1 関脇
4位 明武谷 8回 0 4 4 関脇
4位 長谷川 8回 2 3 3 関脇
6位 千代の富士 7回 5 1 1 横綱
6位 大乃国
(大ノ国)
7回 0 5 2 横綱
6位 北天佑 7回 1 2 4 大関
6位 旭國 7回 6 0 1 大関
6位 藤ノ川 7回 4 1 2 関脇
11位 北の冨士
(北の富士)
6回 3 2 1 横綱
12位 安念山 4回 0 3 1 関脇
13位 北の湖 3回 0 2 1 横綱
13位 吉葉山 3回 0 3 0 横綱
13位 大鵬 3回 1 0 2 横綱
13位 北葉山 3回 0 1 2 大関
13位 北瀬海 3回 1 2 0 関脇
13位 金剛 3回 0 3 0 関脇
19位 千代ノ山
(千代の山)
2回 0 1 1 横綱
19位 名寄岩 2回 0 0 2 大関
19位 輝昇 2回 0 0 2 関脇
19位 高鐵山 2回 1 0 1 関脇
19位 大翔鳳 2回 0 0 2 小結
19位 沢光 2回 0 1 1 小結
19位 一山本 2回 0 0 2 前頭筆頭
26位 羽黒花 1回 0 0 1 関脇
26位 大晃 1回 0 0 1 小結
26位 禊鳳 1回 0 0 1 前頭2
26位 旭大星 1回 0 0 1 前頭8
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北海道出身の最高位:横綱

第43代横綱 吉葉山 潤之輔

伸び盛りの時期に応召、6年間の戦地で銃弾を浴びたことも。自身初であり唯一の優勝は全勝優勝、大雪降るなか行われた優勝パレードは全国からファンが集まり「雪の全勝行進」と呼ばれた

  • 四股名 :吉葉山 潤之輔(よしばやま じゅんのすけ)
  • 最高位 :第43代横綱
  • 年寄名跡:横綱特権・吉葉山⇒8代宮城野
  • 出身地 :北海道厚田郡
  • 本 名 :池田 潤之輔
  • 生年月日:大正9年(1920)4月3日
  • 没年月日:昭和52年(1977)11月26日(享年57歳)
  • 所属部屋:高島部屋
  • 改名歴 :北糖山⇒吉葉山
  • 初土俵 :昭和13年(1938)5月(18歳1ヵ月)
  • 新十両 :昭和22年(1947)6月(27歳2ヵ月)
  • 新入幕 :昭和22年(1947)11月(27歳7ヵ月)
  • 新三役 :昭和25年(1950)9月(30歳5ヵ月)
  • 新大関 :昭和26年(1951)5月(31歳1ヵ月)
  • 横綱昇進:昭和29年(1954)3月(33歳11ヵ月)
  • 最終場所:昭和33年(1958)1月(37歳9ヵ月)
  • 生涯戦歴:357勝171敗85休1預/521出場(47場所)
  • 生涯勝率:67.6%
  • 優勝等 :幕内優勝1回(同点1・次点4),十両同点1回,幕下優勝1回
  • 成 績 :殊勲賞3回,金星2個
  • 幕内戦歴:304勝151敗85休1預(37場所)勝率:66.8%
  •   横綱:109勝67敗79休(17場所)勝率:61.9%
  •   大関:109勝34敗6休1預(10場所)勝率:76.2%
  •   関脇:26勝4敗(2場所)勝率:86.7%
  •   前頭:60勝46敗(8場所)勝率:56.6%
  • 十両戦歴:9勝1敗(1場所)勝率:90.0%

第41代横綱 千代の山 雅信

千代の山 雅信 (ちよのやま まさのぶ)北海道松前郡出身、出羽海部屋の元力士で、最高位は横綱

昭和17年(1942)1月場所に15歳7ヶ月で初土俵を踏み、昭和34年(1959)1月場所を最後に引退(32歳7ヶ月)。

通算成績は403勝158敗147休2分557出場。生涯勝率.724。通算54場所中、39場所を勝ち越した(勝ち越し率.750)。

主な成績は幕内優勝6回(次点6)、十両優勝2回殊勲賞1回、敢闘賞1回、金星3個(羽黒山1個、照國1個、田山1個)

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本名は杉村 昌治。大正15年(1926)6月2日生まれ。昭和52年(1977)10月29日逝去(享年51歳)。

部屋の継承を巡って耐え忍んだが出羽海一門からの破門を条件に独立、大関だった北の富士らを連れて九重部屋を興す。

四股名
千代の山 雅信 (ちよのやま まさのぶ)
最高位
横綱
年寄名跡
11代九重 雅信(出羽海) → 11代九重 雅信
出身地
北海道松前郡
本名
杉村 昌治
生年月日
大正15年(1926)6月2日
没年月日
昭和52年(1977)10月29日(享年51歳)
所属部屋
出羽海部屋
改名歴
杉村 昌治 → 千代ノ山 昌治 → 千代ノ山 雅信 → 千代の山 雅信
初土俵
昭和17年(1942)1月 本中(15歳7ヶ月)
新十両
昭和19年(1944)11月(所要6場所)
18歳5ヶ月(初土俵から2年10ヶ月)
新入幕
昭和20年(1945)11月(所要8場所)
19歳5ヶ月(初土俵から3年10ヶ月)
新関脇
昭和22年(1947)6月(所要10場所)
21歳0ヶ月(初土俵から5年5ヶ月)
新大関
昭和24年(1949)10月(所要16場所)
23歳4ヶ月(初土俵から7年9ヶ月)
新横綱
昭和26年(1951)9月(所要22場所)
25歳3ヶ月(初土俵から9年8ヶ月)
最終場所
昭和34年(1959)1月場所(32歳7ヶ月)
大相撲歴
54場所(17年0ヶ月)
通算成績
403勝158敗147休2分557出場(勝率.724)
通算54場所
勝ち越し39場所(勝ち越し率.750)(勝ち越し星257)
優勝等
幕内優勝6回(次点6),十両優勝2回
受賞・金星
殊勲賞1回,敢闘賞1回,金星3個(羽黒山1個、照國1個、田山1個)
持給金
404円50銭(勝ち越し星257個 優勝6回 金星3個)
横綱戦歴
239勝103敗137休1分337出場(勝率.709)
在位32場所(在位率.593)
勝ち越し21場所(勝ち越し率.656)
大関戦歴
67勝23敗0休90出場(勝率.744)
在位6場所(在位率.111)
勝ち越し6場所(勝ち越し率1.000)
幕内戦歴
366勝149敗147休2分511出場(勝率.716)
在位46場所(在位率.852)
勝ち越し33場所(勝ち越し率.717)
三役戦歴
24勝14敗10休1分39出場(勝率.615)
在位4場所(在位率.074)
勝ち越し2場所(勝ち越し率.500)
関脇戦歴
24勝14敗10休1分39出場(勝率.615)
在位4場所(在位率.074)
勝ち越し2場所(勝ち越し率.500)
前頭戦歴
36勝9敗0休45出場(勝率.800)
在位4場所(在位率.074)
勝ち越し4場所(勝ち越し率1.000)
十両戦歴
14勝3敗0休17出場(勝率.824)
在位2場所(在位率.037)
勝ち越し2場所(勝ち越し率1.000)
関取戦歴
380勝152敗147休2分528出場(勝率.720)
在位48場所(在位率.889)
勝ち越し35場所(勝ち越し率.729)
幕下以下歴
23勝6敗0休29出場(勝率.793)
在位4場所(在位率.074)
勝ち越し4場所(勝ち越し率1.000)

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  • ✅ 勝った決まり手1位:突き出し(75回 / 20.3%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(56回 / 37.6%)
  • ✅ 得意な相手:若葉山(11勝0敗 / 勝率1.000)
  • ✅ 苦手な相手:鏡里(8勝15敗 / 勝率.348)

第48代横綱 大鵬 幸喜

大鵬 幸喜(たいほう こうき)北海道川上郡弟子屈町出身、二所ノ関部屋の元力士で、最高位は第48代横綱

昭和31年(1956)9月場所に16歳3ヶ月で初土俵を踏み、昭和46年(1971)5月場所を最後に引退(30歳11ヶ月)。

通算成績は872勝182敗136休1045出場。生涯勝率.827。通算87場所中、72場所を勝ち越した(勝ち越し率.837)。

主な成績は幕内優勝32回(同点2,次点10),十両優勝1回,幕下同点1回,三段目優勝1回敢闘賞2回,技能賞1回,金星1個(朝潮1個)。

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本名は納谷 幸喜。昭和15年(1940)5月29日生まれ。平成25年(2013)1月19日逝去(享年72歳)。

6連覇2回を含む優勝32回など数々の記録を樹立、柏戸と共に「柏鵬時代」を築く。没後に角界2人目となる国民栄誉賞が贈られた。

四股名
大鵬 幸喜(たいほう こうき)
最高位
第48代横綱
年寄名跡
一代年寄 大鵬 幸喜
出身地
北海道川上郡弟子屈町
本名
納谷 幸喜→住吉 幸喜→納谷 幸喜
生年月日
昭和15年(1940)5月29日
没年月日
平成25年(2013)1月19日(享年72歳)
所属部屋
二所ノ関部屋
改名歴
納谷 幸喜 → 大鵬 幸喜
初土俵
昭和31年(1956)9月 前相撲(16歳3ヶ月)
新十両
昭和34年(1959)5月(所要14場所)
18歳11ヶ月(初土俵から2年8ヶ月)
新入幕
昭和35年(1960)1月(所要18場所)
19歳7ヶ月(初土俵から3年4ヶ月)
新小結
昭和35年(1960)7月(所要21場所)
20歳0ヶ月(初土俵から3年9ヶ月)
新関脇
昭和35年(1960)9月(所要22場所)
20歳3ヶ月(初土俵から4年0ヶ月)
新大関
昭和36年(1961)1月(所要24場所)
20歳7ヶ月(初土俵から4年4ヶ月)
横綱昇進
昭和36年(1961)11月(所要29場所)
21歳5ヶ月(初土俵から5年2ヶ月)
最終場所
昭和46年(1971)5月(30歳11ヶ月)
大相撲歴
87場所(14年8ヶ月)
通算成績
872勝182敗136休1045出場(勝率.827)
通算87場所
勝ち越し72場所(勝ち越し率.837)
優勝等
幕内優勝32回(同点2,次点10),十両優勝1回,幕下同点1回,三段目優勝1回
受賞・金星
敢闘賞2回,技能賞1回,金星1個
幕内戦歴
746勝144敗136休881出場(勝率.838)
在位69場所(在位率.793)
勝ち越し56場所(勝ち越し率.812)
横綱戦歴
622勝103敗136休716出場(勝率.858)
在位58場所(在位率.667)
勝ち越し46場所(勝ち越し率.793)
大関戦歴
58勝17敗0休75出場(勝率.773)
在位5場所(在位率.057)
勝ち越し5場所(勝ち越し率1.000)
三役戦歴
36勝9敗0休45出場(勝率.800)
在位3場所(在位率.034)
勝ち越し3場所(勝ち越し率1.000)
関脇戦歴
25勝5敗0休30出場(勝率.833)
在位2場所(在位率.023)
勝ち越し2場所(勝ち越し率1.000)
小結戦歴
11勝4敗0休15出場(勝率.733)
在位1場所(在位率.011)
勝ち越し1場所(勝ち越し率1.000)
前頭戦歴
30勝15敗0休45出場(勝率.667)
在位3場所(在位率.034)
勝ち越し2場所(勝ち越し率.667)
十両戦歴
44勝16敗0休60出場(勝率.733)
在位4場所(在位率.046)
勝ち越し4場所(勝ち越し率1.000)
関取戦歴
790勝160敗136休941出場(勝率.832)
在位73場所(在位率.839)
勝ち越し60場所(勝ち越し率.822)
幕下以下歴
82勝22敗0休104出場(勝率.788)
在位13場所(在位率.149)
勝ち越し12場所(勝ち越し率.923)


第52代横綱 北の富士 勝昭

北の富士 勝昭 (きたのふじ かつあき)北海道旭川市出身、出羽海 → 九重部屋の元力士で、最高位は横綱

昭和32年(1957)1月場所に14歳9ヶ月で初土俵を踏み、昭和49年(1974)7月場所を最後に引退(32歳3ヶ月)。

通算成績は784勝426敗69休1205出場。生涯勝率.651。通算105場所中、74場所を勝ち越した(勝ち越し率.718)。

主な成績は幕内優勝10回(同点1 次点3)、十両優勝1回、三段目(同点1)殊勲賞2回、敢闘賞1回、技能賞3回、金星1個(大鵬1個)

本名は竹沢 勝昭。昭和17年(1942)3月28日生まれ。令和6年(2024)11月12日逝去(享年82歳)。

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長身の美男子として人気を集め、左四つからのキレのある速攻相撲で大相撲ファンを魅了した第52代横綱である。玉の海と共に「北玉時代」と呼ばれる一時代を築き、引退後は九重親方として千代の富士と北勝海の2人の横綱を育て上げた。相撲協会退職後もNHKの大相撲中継で歯に衣着せぬ解説で長く愛された、昭和から令和にかけて相撲界を輝かせ続けた大輪の華であった。

船酔いと猛稽古の下積み時代

北海道網走郡美幌町に生まれ、留萌市で育つ。幼少期から野球少年であり、中学時代は軟式野球の主力投手として活躍していた。相撲との出会いは、北海道巡業に訪れていた当時の横綱・千代の山(のちの11代九重)から「相撲をやって東京見物をしないか?」と直々に声をかけられたことがきっかけである。この言葉で角界への興味を抱き、中学校卒業と同時に名門・出羽海部屋の門を叩いた。

しかし、上京時の青函連絡船で酷い船酔いに見舞われて体重が激減し、新弟子検査で体重不足として不合格になってしまう。特例である「自費養成力士」として辛くも前相撲に進み、昭和32年(1957年)1月場所に本名の「竹沢」で初土俵を踏んだ。細身であったため出世は遅れ、「30場所で幕下へ昇進できなければ廃業」という規約に抵触しかけるほど下積みが長引いた。

昭和34年(1959年)5月場所でようやく三段目に昇進し、四股名を「竹美山」へ改名。しかし、同年の夏巡業中、先輩力士からリンチに近い猛稽古の制裁を受け、急性虫垂炎と腹膜炎を併発してしまう。50日間もの入院生活を余儀なくされ、一度は力士を辞めることも考えた。それでも、後援者の勧めで四股名を「北の冨士」と改めてからは心機一転し、本来の素質を開花させていく。

十両全勝優勝と新入幕での活躍

地道に番付を上げ、昭和38年(1963年)3月場所で念願の新十両昇進を果たし、ついに関取の座を掴んだ。関取となってからは持ち前の相撲が冴え渡り、同年11月場所では十両で史上3人目となる15戦全勝優勝を達成する。翌昭和39年(1964年)1月場所の新入幕では13勝2敗を挙げ、新入幕力士としての最多勝新記録を打ち立てて敢闘賞を受賞した。

予期せぬドタバタの大関昇進

翌3月場所で一気に新小結へと昇進、同年7月場所で新関脇へと昇進し、その取り口は「スピード相撲」と称された。「腰高を直すか、スピードをつけるか」と問われた際に自らスピードを選び抜いた結果であり、立合いのかち上げから左四つ右上手を引いての速攻、前へ出ながらの投げや外掛けを交えた躍動感ある相撲を武器とした。勢いに乗ると手がつけられない強さを見せる反面、守勢に回ると無謀な首投げや二丁投げを打ってかえって体勢を崩す脆さも併せ持っていたが、その華麗でスピーディーな取り口は大いにファンを沸かせた。

こうして三役と平幕を往復しながらも地力を蓄え、昭和41年(1966年)7月場所後、大関昇進を果たす。しかし、昇進直前3場所の成績が合計28勝17敗であり、当時の基準でも「まさか大関に昇進するとは思っていなかった」ため、本人は伝達式の朝も熟睡していた。部屋の床山に叩き起こされて初めて事態を把握したが、本来立ち会うべき師匠(8代出羽海夫妻)すらも昇進を想定しておらず、外出して留守であった。そのため、急遽兄弟子の佐田の山が師匠代理を務めるという異例の事態となり、何の準備もしていなかった北の冨士は、慌てて佐田の山から紋付きを、足のサイズが同じだった伊勢ノ海部屋の柏戸からは足袋を借りて急場を凌ぎ、伝達式に臨んだ。

破門と独立、そして初優勝

大関として順調に土俵を務めていた昭和42年(1967年)1月場所後、相撲人生を揺るがす大きな転機が訪れる。恩師である11代九重(千代の山)が、常陸山以来の「分家独立不許」という厳しい不文律に悩みながらも、出羽海部屋からの分家独立を申し出ていたのである。「角界入りのきっかけを作ってくれた九重か、育ててくれた出羽海か」。大きな恩義の板挟みとなり深く思い悩んだが、最終的に九重と行動を共にすることを選んだ。弟子13名中10名までを連れての独立は許されたものの、弟子もろとも出羽海一門からは破門され、高砂一門へ移籍するという苦渋の決断であった。独立当初は経営も苦しく、九重と布団を譲り合う時期もあったという。

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こうして、高砂一門に合流して迎えた同年3月場所、北の冨士は土俵上で恩返しを果たす。かつての兄弟子であった横綱・佐田の山を破る活躍を見せ、14勝1敗で悲願の幕内初優勝を飾ったのである。

しかし、初の綱取りがかかった翌5月場所は緊張と稽古不足から5勝10敗と大きく負け越し、翌場所も7勝8敗と2場所連続で負け越してしまう。当時は3場所連続負け越しで角番だったため、初の大関角番で迎えた昭和42年(1967年)9月場所は心機一転、四股名をうかんむりの「北の富士」に改めて臨み、10勝5敗で終えてなんとか角番を脱した。

「北玉時代」と親友の急死

大の稽古嫌いで知られていたが、入門前に1ヶ月間自宅に引き取って面倒を見てくれた恩人が余命幾許もない状況となり、その恩人から「お前が綱を張ることを信じている」と激励されたことで発奮し、人が変わったように猛稽古に打ち込むようになる。良きライバルである片男波部屋の玉乃島(のちの横綱・玉の海)と切磋琢磨し、昭和45年(1970年)1月場所後に横綱審議委員会を経て、玉の海と共に同時に横綱へと推挙された。大関在位21場所での横綱昇進は当時の最長記録であった。

同時昇進した両者は激しく覇を競い合い、大相撲史に輝く「北玉時代」を築き上げた。土俵外では「北さん」「島ちゃん」と呼び合う親友であり、横綱会の余興では玉の海のギターに合わせて北の富士が歌を披露するなど、新時代の横綱像を見せた。しかし、昭和46年(1971年)10月、玉の海が虫垂炎手術後の急性冠症候群により突然この世を去る。巡業先で訃報を聞いた北の富士は人目をはばからず号泣し、翌11月場所で優勝を果たした際には、パレードを後回しにして玉の海の四十九日法要へ駆けつけた。

不眠症休場と現役引退

一人横綱となってからは、貴ノ花(初代)との取組で「つき手か、かばい手か」「勇み足か」と、二場所連続して同じ顔合わせで立行司が差し違えるという、大相撲史に残る取組をみせるなど孤軍奮闘を繰り広げた。

一方で、極度のスランプに陥った昭和47年(1972年)5月場所では、身体に怪我がないため医師に「最近寝付きが悪い」と答えて「不眠症」の診断書をもらい途中休場。さらに休場中にハワイ旅行をしていたことが発覚して厳重注意を受けるなど、豪放磊落な一面も見せた。

その後も復活優勝を果たすなど健在ぶりを示したが、次第に右膝などの怪我が重なり、昭和49年(1974年)7月場所の2日目に敗れた直後、「体力の限界」を理由に引退を表明した。引退会見では、過去の不眠症の逸話にかけるように「昨夜はよく眠れましたよ。きょうから相撲がないので思い切り飲んだ」と笑ってみせたが、報道を見て引退を自覚したその夜は、本当に眠れなかったという。

名伯楽、そして名解説者として

引退後は13代井筒を襲名し、プレハブ小屋に若い力士たちと枕を並べて寝泊まりし部屋を興した。時にはちゃんこ代にも事欠き、マネージャーと近くの中川でハゼを釣り、天ぷら丼にして腹をすかせた弟子たちに食べさせるなど、愛情と苦労を重ねて部屋を切り盛りした。その甲斐あって部屋創設から2年で弟子は20人程度に増え、関取予備軍も順調に育った。昭和52年(1977年)に11代九重が没すると、自身の部屋と合同させる形で九重部屋を継承。弟弟子であった千代の富士と、直弟子の北勝海を昭和の大横綱へと育て上げた。その指導法は「ガミガミ言わず、反発心を起こさせてやる気を引き出すコツを知っている」と千代の富士から高く評価されている。

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平成10年(1998年)、相撲協会の理事選を巡る派閥争いの末に日本相撲協会を退職。その後はNHK大相撲中継の専属解説者となり、愛のある辛口と軽妙洒脱な語り口で絶大な人気を博した。還暦を迎えた際には、協会を退職していたので国技館は使えなかったが、都内のホテルで千代の富士と北勝海を従えて還暦土俵入りを披露している。

平成28年(2016年)に千代の富士が61歳で急逝した際には、「何でだろうねえ、強い順番で逝っちゃうんだ…」と深いショックを隠せず、「これは、もう若いも何も…千代の富士本人が一番悔しいでしょう」と悲痛な追悼のコメントを残した。

自身は横綱経験者の最長寿記録(83歳)の更新に意欲を見せていたが、令和5年(2023年)春から体調を崩して解説を休業。令和6年(2024年)11月12日、東京都内の病院で82歳の華やかな生涯を閉じた。棺には、解説者としての誇りである原稿用紙とボールペン、そして愛用した国語辞典が納められたという。

同年12月18日、八角部屋にて「北の富士さんをしのぶ会」が営まれた。式典内で、直弟子である八角理事長(元横綱・北勝海)は「本日は親方と呼ばせていただきます」と語り始めると、目頭をおさえて声を詰まらせながら「14歳で親方に出会えたこと、そのお陰で今の私があります」と、恩師への深い感謝と別れの言葉を捧げた。

四股名
北の富士 勝昭 (きたのふじ かつあき)
最高位
横綱
年寄名跡
13代井筒 勝昭(九重) → 13代井筒 勝昭12代九重 勝昭 → 18代陣幕 純樹(九重) → 18代陣幕 純樹(八角) → 18代陣幕 克昭(八角)
出身地
北海道旭川市
本名
竹沢 勝昭
生年月日
昭和17年(1942)3月28日
没年月日
令和6年(2024)11月12日(享年82歳)
所属部屋
出羽海 → 九重部屋
改名歴
竹沢 勝昭 → 竹美山 勝明 → 北の冨士 勝明 → 北の富士 勝明 → 北の富士 洋行 → 北の富士 勝昭 → 北の富士 勝晃 → 北の富士 勝昭
初土俵
昭和32年(1957)1月 前相撲(14歳9ヶ月)
新十両
昭和38年(1963)3月(所要36場所)
20歳11ヶ月(初土俵から6年2ヶ月)
新入幕
昭和39年(1964)1月(所要41場所)
21歳9ヶ月(初土俵から7年0ヶ月)
新小結
昭和39年(1964)3月(所要42場所)
21歳11ヶ月(初土俵から7年2ヶ月)
新関脇
昭和39年(1964)7月(所要44場所)
22歳3ヶ月(初土俵から7年6ヶ月)
新大関
昭和41年(1966)9月(所要57場所)
24歳5ヶ月(初土俵から9年8ヶ月)
新横綱
昭和45年(1970)3月(所要78場所)
27歳11ヶ月(初土俵から13年2ヶ月)
最終場所
昭和49年(1974)7月場所(32歳3ヶ月)
大相撲歴
105場所(17年6ヶ月)
通算成績
784勝426敗69休1205出場(勝率.651)
通算105場所
勝ち越し74場所(勝ち越し率.718)(勝ち越し星425)
優勝等
幕内優勝10回(同点1 次点3),十両優勝1回,三段目(同点1)
受賞・金星
殊勲賞2回,敢闘賞1回,技能賞3回,金星1個(大鵬1個)
持給金
599円50銭(勝ち越し星425個 優勝10回 金星1個)
横綱戦歴
247勝84敗62休326出場(勝率.758)
在位27場所(在位率.257)
勝ち越し20場所(勝ち越し率.741)
大関戦歴
208勝107敗0休315出場(勝率.660)
在位21場所(在位率.200)
勝ち越し19場所(勝ち越し率.905)
幕内戦歴
592勝294敗62休881出場(勝率.672)
在位64場所(在位率.610)
勝ち越し52場所(勝ち越し率.812)
三役戦歴
89勝76敗0休165出場(勝率.539)
在位11場所(在位率.105)
勝ち越し8場所(勝ち越し率.727)
関脇戦歴
75勝60敗0休135出場(勝率.556)
在位9場所(在位率.086)
勝ち越し7場所(勝ち越し率.778)
小結戦歴
14勝16敗0休30出場(勝率.467)
在位2場所(在位率.019)
勝ち越し1場所(勝ち越し率.500)
前頭戦歴
48勝27敗0休75出場(勝率.640)
在位5場所(在位率.048)
勝ち越し5場所(勝ち越し率1.000)
十両戦歴
49勝26敗0休75出場(勝率.653)
在位5場所(在位率.048)
勝ち越し4場所(勝ち越し率.800)
関取戦歴
641勝320敗62休956出場(勝率.671)
在位69場所(在位率.657)
勝ち越し56場所(勝ち越し率.812)
幕下以下歴
143勝106敗7休249出場(勝率.574)
在位34場所(在位率.324)
勝ち越し18場所(勝ち越し率.529)

北の富士 勝昭の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

  • ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(151回 / 23.4%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(69回 / 21.4%)
  • ✅ 得意な相手:清國(39勝15敗 / 勝率.722)
  • ✅ 苦手な相手:大鵬(5勝26敗 / 勝率.161)

第58代横綱 千代の富士 貢

千代の富士 貢 (ちよのふじ みつぐ)北海道松前郡福島町出身、九重部屋の元力士で、最高位は横綱

昭和45年(1970)9月場所に15歳3ヶ月で初土俵を踏み、平成3年(1991)5月場所を最後に引退(35歳11ヶ月)。

通算成績は1045勝437敗170休1473出場。生涯勝率.709。通算125場所中、96場所を勝ち越した(勝ち越し率.774)。

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主な成績は幕内優勝31回(次点11)、幕下優勝1回殊勲賞1回、敢闘賞1回、技能賞5回、金星3個(重ノ海2個、若乃花1個)

本名は秋元 貢。昭和30年(1955)6月1日生まれ。平成28年(2016)7月31日逝去(享年61歳)。

幕内最高優勝31回、通算勝星1045勝、53連勝など数々の大記録を打ち立て、昭和から平成にかけて相撲界に一時代を築いた第58代横綱である。引き締まった肉体と精悍な顔立ちから「ウルフ」の愛称で親しまれ、大相撲界で初となる国民栄誉賞を受賞した。小兵ながら速攻と上手投げを得意にして一時代を築いたが、一直線にのぼりつめたエリートではなく、新入幕後に幕下陥落を経験した苦労人でもある。

麻酔切れの手術と飛行機への憧れ

北海道松前郡福島町に生まれ、幼少期から漁師である父親の手伝いをして自然に足腰を鍛え上げた。抜群の運動神経を持ち、中学時代は走り高跳びや三段跳びで松前郡大会で優勝するなど、「オリンピック選手にもなれる」と評されるほどであったが、本人は相撲が大嫌いであった。

転機となったのは中学1年生の時である。盲腸炎の手術を受けた際、腹の筋肉が厚すぎて手術が長引き、途中で麻酔が切れてしまったが、それに必死に耐える姿を見た病院長の紹介により、11代九重(元横綱・千代の山)から直々の勧誘を受けることとなった。当初は本人も両親も猛反対して断ったが、「とりあえず東京に行こう。入門するなら飛行機に乗っけてあげるよ」「中学の間だけでもやってみて、後のことを考えたらどうだ?」と熱心に誘い続ける11代九重の言葉に、どうしても飛行機に乗りたかった貢は入門を決意する。

上京して九重部屋を訪れた際、まだ現役であった横綱・北の富士(のちの12代九重)と対面している。当時について12代九重は「小さかったよ。だけど、物おじしないで平気な顔で部屋に来たのを覚えている。『おれのこと知ってるか』と聞いたら、『知らない。大鵬なら知ってるけど』。それが初めての会話だった」と振り返っている。

昭和45年(1970年)9月場所、中学3年生にして本名の「秋元」で初土俵を踏んだ。翌11月場所で序ノ口につき「大秋元」と改名。昭和46年(1971年)1月場所に序二段へ昇進すると、11代九重の四股名である「千代の山」と、同部屋の先輩横綱「北の富士」から一文字ずつを取って「千代の冨士(のちに千代の富士)」と命名された。師匠からそれだけの大器と見込まれての四股名であった。

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脱臼との闘いと「筋肉の鎧」

幕下時代までは、類い稀な運動神経を生かした力任せの強引な投げ技を多用していた。小兵ながら気性の激しさを見せる取り口で順調に出世し、昭和49年(1974年)11月場所には19歳5ヶ月にして新十両へ昇進、四股名をうかんむりの「千代の富士」に改めた。この頃、ちゃんこ番として魚を捌いている姿を見た11代九重から「狼みたいだな」と言われ、以降「ウルフ」という異名が定着していく。

昭和50年(1975年)9月場所では、昭和30年代生まれの力士として第1号となる新入幕を果たす。しかし、強引な投げ技は先天的に関節のかみ合わせが浅かった左肩へ大きな負担をかけており、この頃から「肩の脱臼癖」という致命的な弱点が顕在化し始めた。相撲の粗さもあって幕下へ陥落するなど、入幕前後の時期にかけて公式戦だけで7回、部屋での稽古も含めれば10回を超える脱臼を繰り返し、2年間の十両生活を強いられることとなる。

昭和52年(1977年)10月に11代九重が逝去し、12代九重(北の富士)が部屋を継承する。新師匠から「脇を締めて左の下手を取って引き付ける相撲」を徹底的に叩き込まれたことで脱臼は幾分治まり、昭和53年(1978年)1月場所に再入幕を果たした。同年5月場所には大関・貴ノ花を会心の相撲で破って9勝を挙げ、初の三賞となる敢闘賞を受賞。同年7月場所には新小結へと昇進した。

しかし、幕内定着が見えてきた昭和54年(1979年)3月場所で右肩を脱臼し、全治1年〜2年という重大な怪我を負ってしまう。診察で「肩関節の臼が左右とも普通の人の3分の2しかない」ことが判明し、医師から「手術をせずに2ヶ月で治したいなら、筋力トレーニングを行って肩の周辺を筋肉で固めなさい」との助言を受けた。これを機に、1日500回の腕立て伏せやウエイトトレーニングをいち早く導入し、「筋肉の鎧」を身に纏うことで肩を保護する画期的な怪我防止策を見出した。

同年5月場所は西十両2枚目へ下がり、公傷制度を利用して治療に専念する予定であったが、担当親方の書類提出忘れという不手際により公傷が認められない事態となる。休場し続ければ幕下陥落の危機であったため、3日目から強行出場して9勝を挙げ、同年7月場所での幕内復帰を掴み取った。以降は、肩の脱臼を防ぐため「前廻しを取ってからの一気の寄り」という新しい形を完成させ、昭和55年(1980年)3月場所からは幕内上位に定着した。

ウルフフィーバーと大横綱への道

昭和55年(1980年)9月場所には小結の地位で横綱・北の湖の連勝を24で止め、初の2桁勝利(10勝)を記録。翌11月場所で新関脇に昇進し、11勝4敗の好成績を挙げて大関昇進の機運を高めた。

昭和56年(1981年)1月場所、西関脇の地位で初日から14連勝の快進撃を見せる。千秋楽の本割で北の湖に敗れて全勝優勝は逃したものの、直後の優勝決定戦において、本割で吊り出された際に北の湖の足の状態が不完全であることに気付いて立てた作戦が見事に的中し、右からの上手出し投げで北の湖を下して待望の幕内初優勝を果たした。この瞬間のテレビ最高視聴率は65.3%に達し、現在でも大相撲中継の最高記録となっている。土俵下の審判委員として控えていた師匠の12代九重も「初優勝した時は、姿を見て涙が出ましたから」と回顧するほど劇的な勝利であり、場所後に大関へと昇進した。

大関昇進後も勢いは止まらず、同年7月場所では千秋楽で再び北の湖を破り、14勝1敗で2度目の優勝を飾った。7年間横綱に君臨していた北の湖を破って賜杯を手にしたこの一番は「覇者交代の一番」と位置付けられており、場所後の横綱審議委員会では満場一致で推挙され、第58代横綱への昇進を果たす。この年は関脇・大関・横綱の3つの地位で優勝するという史上初の記録を打ち立て、その精悍なルックスと豪快な相撲から「ウルフフィーバー」と呼ばれる社会現象を巻き起こした。

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53連勝と国民栄誉賞

横綱昇進後は圧倒的な強さで賜杯を重ね、数々の大記録を打ち立てていく。体格で上回る相手に対し、凄まじい集中力と研究熱心さで挑んだ。本場所で負けた相手には自ら出向いて稽古し、攻略法を身につけた。「横綱になったら勝った相撲は新聞に載せてもらえない。それなら勝っても取り上げてもらえるような相撲を取ろう」という思いから編み出された、相手の頭を抑えつけるような強烈な上手投げは「ウルフスペシャル」と称され、ファンを熱狂させた。また、横綱土俵入りは四股が非常に美しく、上げた足が頭より高い位置に達するなど、類い稀な運動能力と几帳面な礼儀作法を土俵上で体現し続けた。

昭和63年(1988年)5月場所の7日目から同年11月場所の14日目にかけては、昭和以降において双葉山に次ぐ歴代2位となる53連勝を記録した。平成元年(1989年)9月場所では、通算勝ち星で大鵬を抜いて歴代単独1位(当時)となる通算873勝目を達成し、相撲界で初となる国民栄誉賞を授与された。30代半ばを迎えてもなお第一線で君臨し続け、幾度も綱の権威を示した。

引退と名門・九重部屋の継承

平成2年(1990年)11月場所には史上初の通算1000勝を達成し、結果的に最後となる31度目の幕内最高優勝を飾った。しかし、肉体はすでに限界に近づいていた。平成3年(1991年)1月場所の初日に幕内通算805勝(当時単独1位)を達成するも、翌日に左腕を負傷して途中休場し、翌場所も全休を余儀なくされる。

復帰を懸けた同年5月場所、初日に当時18歳の新鋭・貴花田(のちの横綱・貴乃花)と対戦するが、まわしを取れず寄り切りで敗れた。続く2日目の板井戦には勝利したものの納得のいく相撲とは程遠く、「もう1敗したら引退する」と決意して3日目の貴闘力戦に挑んだが、とったりを受けて完敗を喫した。その日の夜に緊急記者会見を開き、「体力の限界、気力もなくなり引退することになりました」との言葉を残して現役引退を表明した。横綱昇進の夜、師匠から「辞めるときはスパッと潔く辞めような。ちんたらと横綱を務めるんじゃねえぞ」と言われたその言葉通りの、潔い幕引きであった。

引退にあたり相撲協会からは一代年寄を打診されたが、「部屋を一代限りで終えたくない」とこれを辞退。年寄・陣幕を襲名し、平成4年(1992年)には12代九重と名跡を交換する形で13代九重を襲名して九重部屋を継承した。師匠として大関・千代大海など多くの関取を育成し、日本相撲協会の理事としても多方面で手腕を振るった。

平成27年(2015年)5月31日には、両国国技館にて現役横綱を従えて還暦土俵入りを行った。しかしこの頃からがんによる闘病生活が始まり、平成28年(2016年)7月31日、膵臓がんのため61歳で逝去した。弔問に訪れた前師匠の北の富士は「穏やかな表情だった。千代の富士とは縁もあって、横綱になってくれて先代に面目が立った」と、不世出の大横綱の死を悼んだ。

四股名
千代の富士 貢 (ちよのふじ みつぐ)
最高位
横綱
年寄名跡
17代陣幕 貢(九重) → 13代九重 貢
出身地
北海道松前郡福島町
本名
秋元 貢
生年月日
昭和30年(1955)6月1日
没年月日
平成28年(2016)7月31日(享年61歳)
所属部屋
九重部屋
改名歴
秋元 貢 → 大秋元 貢 → 千代の冨士 貢 → 千代の富士 貢
初土俵
昭和45年(1970)9月 前相撲(15歳3ヶ月)
新十両
昭和49年(1974)11月(所要25場所)
19歳5ヶ月(初土俵から4年2ヶ月)
新入幕
昭和50年(1975)9月(所要30場所)
20歳3ヶ月(初土俵から5年0ヶ月)
新小結
昭和53年(1978)7月(所要47場所)
23歳1ヶ月(初土俵から7年10ヶ月)
新関脇
昭和55年(1980)11月(所要61場所)
25歳5ヶ月(初土俵から10年2ヶ月)
新大関
昭和56年(1981)3月(所要63場所)
25歳9ヶ月(初土俵から10年6ヶ月)
新横綱
昭和56年(1981)9月(所要66場所)
26歳3ヶ月(初土俵から11年0ヶ月)
最終場所
平成3年(1991)5月場所(35歳11ヶ月)
大相撲歴
125場所(20年8ヶ月)
通算成績
1045勝437敗170休1473出場(勝率.709)
通算125場所
勝ち越し96場所(勝ち越し率.774)(勝ち越し星670)
優勝等
幕内優勝31回(次点11),幕下優勝1回
受賞・金星
殊勲賞1回,敢闘賞1回,技能賞5回,金星3個(重ノ海2個、若乃花1個)
持給金
1450円(勝ち越し星670個 優勝31回 金星3個)
横綱戦歴
625勝112敗148休730出場(勝率.856)
在位59場所(在位率.472)
勝ち越し49場所(勝ち越し率.831)
大関戦歴
38勝7敗0休45出場(勝率.844)
在位3場所(在位率.024)
勝ち越し3場所(勝ち越し率1.000)
幕内戦歴
807勝253敗155休1052出場(勝率.767)
在位81場所(在位率.648)
勝ち越し64場所(勝ち越し率.790)
三役戦歴
46勝29敗0休75出場(勝率.613)
在位5場所(在位率.040)
勝ち越し3場所(勝ち越し率.600)
関脇戦歴
25勝5敗0休30出場(勝率.833)
在位2場所(在位率.016)
勝ち越し2場所(勝ち越し率1.000)
小結戦歴
21勝24敗0休45出場(勝率.467)
在位3場所(在位率.024)
勝ち越し1場所(勝ち越し率.333)
前頭戦歴
98勝105敗7休202出場(勝率.485)
在位14場所(在位率.112)
勝ち越し9場所(勝ち越し率.643)
十両戦歴
130勝120敗5休249出場(勝率.522)
在位17場所(在位率.136)
勝ち越し12場所(勝ち越し率.706)
関取戦歴
937勝373敗160休1301出場(勝率.720)
在位98場所(在位率.784)
勝ち越し76場所(勝ち越し率.776)
幕下以下歴
108勝64敗10休172出場(勝率.628)
在位26場所(在位率.208)
勝ち越し20場所(勝ち越し率.769)

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  • ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(392回 / 41.4%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(131回 / 35.0%)
  • ✅ 得意な相手:巨砲(37勝4敗 / 勝率.902)
  • ✅ 苦手な相手:北の湖(6勝12敗 / 勝率.333)

第61代横綱 北勝海 信芳

北勝海 信芳(ほくとうみ のぶよし)北海道広尾郡広尾町出身、九重部屋の元力士で、最高位は第61代横綱

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昭和54年(1979)3月場所に15歳8ヶ月で初土俵を踏み、平成4年(1992)3月場所を最後に引退(28歳9ヶ月)(※番付上は平成4年5月場所が最後)

通算成績は591勝286敗109休874出場。生涯勝率.674。通算79場所中、59場所を勝ち越した(勝ち越し率.756)。

主な成績は幕内優勝8回(同点2,次点6),十両優勝1回幕下優勝1回序二段優勝1回殊勲賞3回,敢闘賞3回,技能賞5回,金星1個(北の湖1個)。

昭和38年(1963)6月22日生まれ。本名は保志 信芳。

千代の富士との稽古で強くなった努力家。引退後は八角部屋を興す。第13代日本相撲協会理事長。

年寄
8代・八角 信芳
四股名
北勝海 信芳(ほくとうみ のぶよし)
最高位
第61代横綱
年寄名跡
五年年寄 北勝海 信芳 → 8代八角 信芳
出身地
北海道広尾郡広尾町
本名
保志 信芳
生年月日
昭和38年(1963)6月22日(62歳)
所属部屋
九重部屋
改名歴
保志 信芳 → 富士若 信芳 → 保志 信芳 → 保志 延芳 → 北勝海 信芳
初土俵
昭和54年(1979)3月 前相撲(15歳8ヶ月)
新十両
昭和58年(1983)3月(所要24場所)
19歳8ヶ月(初土俵から4年0ヶ月)
新入幕
昭和58年(1983)9月(所要27場所)
20歳2ヶ月(初土俵から4年6ヶ月)
新小結
昭和59年(1984)1月(所要29場所)
20歳6ヶ月(初土俵から4年10ヶ月)
新関脇
昭和59年(1984)3月(所要30場所)
20歳8ヶ月(初土俵から5年0ヶ月)
新大関
昭和61年(1986)9月(所要45場所)
23歳2ヶ月(初土俵から7年6ヶ月)
横綱昇進
昭和62年(1987)7月(所要50場所)
24歳0ヶ月(初土俵から8年4ヶ月)
最終場所
平成4年(1992)3月(28歳9ヶ月)※番付上は平成4年5月場所
大相撲歴
79場所(13年0ヶ月)
通算成績
591勝286敗109休874出場(勝率.674)
通算79場所
勝ち越し59場所(勝ち越し率.756)
優勝等
幕内優勝8回(同点2,次点6),十両優勝1回幕下優勝1回序二段優勝1回
受賞・金星
殊勲賞3回,敢闘賞3回,技能賞5回,金星1個
幕内戦歴
465勝206敗109休668出場(勝率.693)
在位52場所(在位率.658)
勝ち越し40場所(勝ち越し率.769)
横綱戦歴
250勝76敗109休323出場(勝率.767)
在位29場所(在位率.367)
勝ち越し21場所(勝ち越し率.724)
大関戦歴
56勝19敗0休75出場(勝率.747)
在位5場所(在位率.063)
勝ち越し5場所(勝ち越し率1.000)
三役戦歴
118勝77敗0休195出場(勝率.605)
在位13場所(在位率.165)
勝ち越し10場所(勝ち越し率.769)
関脇戦歴
84勝51敗0休135出場(勝率.622)
在位9場所(在位率.114)
勝ち越し7場所(勝ち越し率.778)
小結戦歴
34勝26敗0休60出場(勝率.567)
在位4場所(在位率.051)
勝ち越し3場所(勝ち越し率.750)
前頭戦歴
41勝34敗0休75出場(勝率.547)
在位5場所(在位率.063)
勝ち越し4場所(勝ち越し率.800)
十両戦歴
26勝19敗0休45出場(勝率.578)
在位3場所(在位率.038)
勝ち越し3場所(勝ち越し率1.000)
関取戦歴
491勝225敗109休713出場(勝率.686)
在位55場所(在位率.696)
勝ち越し43場所(勝ち越し率.782)
幕下以下歴
100勝61敗0休161出場(勝率.621)
在位23場所(在位率.291)
勝ち越し16場所(勝ち越し率.696)


第55代横綱 北の湖 敏満

北の湖 敏満(きたのうみ としみつ)北海道有珠郡壮瞥町出身、三保ヶ関部屋の元力士で、最高位は第55代横綱

昭和42年(1967)1月場所に13歳7ヶ月で初土俵を踏み、昭和60年(1985)1月場所を最後に引退(31歳8ヶ月)。

通算成績は951勝350敗107休1293出場。生涯勝率.731。通算109場所中、87場所を勝ち越した(勝ち越し率.806)。

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主な成績は幕内優勝24回(同点5,次点11),序二段同点1回。殊勲賞2回,敢闘賞1回,金星1個(北の富士1個)。

本名は小畑 敏満。昭和28年(1953)5月16日生まれ。平成27年(2015)11月20日逝去(享年62歳)。

「怪童」と呼ばれ史上最年少での横綱昇進を果たす。「憎らしいほど強い」と評された。引退後は一代年寄を贈られて自身の部屋を創設、理事長としても手腕を発揮した。平成27年の九州場所中である11月20日に急逝、享年62歳。

四股名
北の湖 敏満(きたのうみ としみつ)
最高位
第55代横綱
年寄名跡
一代年寄 北の湖 敏満
出身地
北海道有珠郡壮瞥町
本名
小畑 敏満
生年月日
昭和28年(1953)5月16日
没年月日
平成27年(2015)11月20日(享年62歳)
所属部屋
三保ヶ関部屋
改名歴
北の湖 敏満
初土俵
昭和42年(1967)1月 前相撲(13歳7ヶ月)
新十両
昭和46年(1971)5月(所要26場所)
17歳11ヶ月(初土俵から4年4ヶ月)
新入幕
昭和47年(1972)1月(所要30場所)
18歳7ヶ月(初土俵から5年0ヶ月)
新小結
昭和48年(1973)1月(所要36場所)
19歳7ヶ月(初土俵から6年0ヶ月)
新関脇
昭和48年(1973)11月(所要41場所)
20歳5ヶ月(初土俵から6年10ヶ月)
新大関
昭和49年(1974)3月(所要43場所)
20歳9ヶ月(初土俵から7年2ヶ月)
横綱昇進
昭和49年(1974)9月(所要46場所)
21歳3ヶ月(初土俵から7年8ヶ月)
最終場所
昭和60年(1985)1月(31歳8ヶ月)
大相撲歴
109場所(18年0ヶ月)
通算成績
951勝350敗107休1293出場(勝率.731)
通算109場所
勝ち越し87場所(勝ち越し率.806)
優勝等
幕内優勝24回(同点5,次点11),序二段同点1回
受賞・金星
殊勲賞2回,敢闘賞1回,金星1個
幕内戦歴
804勝247敗107休1043出場(勝率.765)
在位78場所(在位率.716)
勝ち越し64場所(勝ち越し率.821)
横綱戦歴
670勝156敗107休818出場(勝率.811)
在位63場所(在位率.578)
勝ち越し53場所(勝ち越し率.841)
大関戦歴
36勝9敗0休45出場(勝率.800)
在位3場所(在位率.028)
勝ち越し3場所(勝ち越し率1.000)
三役戦歴
36勝24敗0休60出場(勝率.600)
在位4場所(在位率.037)
勝ち越し3場所(勝ち越し率.750)
関脇戦歴
24勝6敗0休30出場(勝率.800)
在位2場所(在位率.018)
勝ち越し2場所(勝ち越し率1.000)
小結戦歴
12勝18敗0休30出場(勝率.400)
在位2場所(在位率.018)
勝ち越し1場所(勝ち越し率.500)
前頭戦歴
62勝58敗0休120出場(勝率.517)
在位8場所(在位率.073)
勝ち越し5場所(勝ち越し率.625)
十両戦歴
43勝32敗0休75出場(勝率.573)
在位5場所(在位率.046)
勝ち越し4場所(勝ち越し率.800)
関取戦歴
847勝279敗107休1118出場(勝率.752)
在位83場所(在位率.761)
勝ち越し68場所(勝ち越し率.819)
幕下以下歴
104勝71敗0休175出場(勝率.594)
在位25場所(在位率.229)
勝ち越し19場所(勝ち越し率.760)


第62代横綱 大乃国 康

大乃国 康(おおのくに やすし)北海道河西郡芽室町出身、花籠 → 放駒部屋の元力士で、最高位は第62代横綱

昭和37年(1962)10月9日生まれ、本名は青木 康。

昭和53年(1978)3月場所に15歳5ヶ月で初土俵を踏み、平成3年(1991)7月場所を最後に引退(28歳9ヶ月)。通算81場所中、59場所を勝ち越した(勝ち越し率.728)。

通算成績は560勝319敗107休876出場。生涯勝率.637。

主な成績は幕内優勝2回(次点7),十両優勝1回殊勲賞5回,敢闘賞2回,金星4個(千代の富士1個、隆の里2個、北の湖1個)。

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北海道の芽室中学時代には柔道で活躍し、1年後輩の保志(現八角親方)と共に名が知れ渡っていた。元大関・魁傑(17代放駒)の熱心なスカウトにより内弟子として花籠部屋へと入門、放駒部屋の創設に伴って移籍した。十分な素質と出稽古先である二子山部屋での猛稽古によって頭角を現し22歳で大関へと昇進、25歳で横綱にまで昇りつめた。しかし周囲の期待に反して横綱昇進後は皆勤で負け越すなど成績は振るわず28歳で引退となった。相撲解説には定評がありスイーツ親方としても有名。

年寄
12代芝田山 康
四股名
大乃国 康(おおのくに やすし)
最高位
第62代横綱
年寄名跡
五年年寄 大乃国 康 → 12代芝田山 康
出身地
北海道河西郡芽室町
本名
青木 康
生年月日
昭和37年(1962)10月9日(63歳)
所属部屋
花籠 → 放駒部屋
改名歴
青木 康 → 大ノ国 康 → 大乃国 康
初土俵
昭和53年(1978)3月 前相撲(15歳5ヶ月)
新十両
昭和57年(1982)3月(所要24場所)
19歳5ヶ月(初土俵から4年0ヶ月)
新入幕
昭和58年(1983)3月(所要30場所)
20歳5ヶ月(初土俵から5年0ヶ月)
新小結
昭和58年(1983)9月(所要33場所)
20歳11ヶ月(初土俵から5年6ヶ月)
新関脇
昭和59年(1984)1月(所要35場所)
21歳2ヶ月(初土俵から5年10ヶ月)
新大関
昭和60年(1985)9月(所要45場所)
22歳10ヶ月(初土俵から7年6ヶ月)
横綱昇進
昭和62年(1987)11月(所要58場所)
25歳0ヶ月(初土俵から9年8ヶ月)
最終場所
平成3年(1991)7月(28歳9ヶ月)
大相撲歴
81場所(13年4ヶ月)
通算成績
560勝319敗107休876出場(勝率.637)
通算81場所
勝ち越し59場所(勝ち越し率.728)
優勝等
幕内優勝2回(次点7),十両優勝1回
受賞・金星
殊勲賞5回,敢闘賞2回,金星4個
幕内戦歴
426勝228敗105休651出場(勝率.651)
在位51場所(在位率.630)
勝ち越し38場所(勝ち越し率.745)
横綱戦歴
155勝79敗105休231出場(勝率.662)
在位23場所(在位率.284)
勝ち越し13場所(勝ち越し率.565)
大関戦歴
140勝55敗0休195出場(勝率.718)
在位13場所(在位率.160)
勝ち越し13場所(勝ち越し率1.000)
三役戦歴
89勝61敗0休150出場(勝率.593)
在位10場所(在位率.123)
勝ち越し8場所(勝ち越し率.800)
関脇戦歴
83勝52敗0休135出場(勝率.615)
在位9場所(在位率.111)
勝ち越し8場所(勝ち越し率.889)
小結戦歴
6勝9敗0休15出場(勝率.400)
在位1場所(在位率.012)
勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
前頭戦歴
42勝33敗0休75出場(勝率.560)
在位5場所(在位率.062)
勝ち越し4場所(勝ち越し率.800)
十両戦歴
26勝19敗0休45出場(勝率.578)
在位3場所(在位率.037)
勝ち越し2場所(勝ち越し率.667)
関取戦歴
452勝247敗105休696出場(勝率.647)
在位54場所(在位率.667)
勝ち越し40場所(勝ち越し率.741)
幕下以下歴
108勝72敗2休180出場(勝率.600)
在位27場所(在位率.333)
勝ち越し19場所(勝ち越し率.704)


北海道出身の最高位:大関

太刀光 電右衛門

北海道三笠市幌内町出身、高砂部屋の元力士で最高位は大関。背は低かったが、組んでも離れても巧みな相撲で左右からの投げと足技も得意。さらに左からのおっつけは名人芸とまで言われた。大相撲史上初の北海道出身大関。

22代横綱・太刀山の内弟子として友綱部屋に入門、大正2年(1913)初場所で初土俵を踏む。太刀山が大正7年(1918)1月場所で引退、独立して東関部屋を興すと移籍した。しかし翌年、相撲界に嫌気がさした7代東関(太刀山)は部屋を閉鎖、部屋の施設ごと弟子たちは高砂部屋に譲られた。

紆余曲折あったが太刀光は大正12年(1921)1月場所で新入幕。幕内4場所目となる大正11年(1922)5月場所の千秋楽では、師匠太刀山に引導を渡した横綱・大錦卯一郎を突き出して破る大金星をあげた。この大錦は翌場所前に三河島事件の責任を取り、全盛期のまま突然の引退。文字通り「仇討ちの一番」となった。

太刀光は大正12年(1923)5月場所で大関に昇進、これは北海道出身の大関第1号となる快挙であった。その後、大正15年(1926)5月場所に出羽ケ嶽に浴びせ倒された際に右足を痛めたことで以降、満足に土俵に上がれなくなった太刀光は昭和2年(1927)10月場所を最後に現役引退、年寄鳴戸を襲名した。

頭脳明晰で協会では監事の要職を務め、また新聞では相撲評を執筆するなど活躍したが、高砂部屋を継承した前田山に反発して立浪部屋へと移籍。しかしその後も高砂との対立は続いたことで協会に嫌気がさして昭和26年(1951)角界を去った。

  • 四股名 :太刀光 電右衛門(たちひかり でんえもん)
  • 最高位 :大関
  • 年寄名跡:8代鳴戸
  • 出身地 :北海道三笠市幌内町
  • 本 名 :八田 政次
  • 生年月日:明治30年(1897)3月29日
  • 没年月日:昭和27年(1952)5月15日(享年55歳)
  • 所属部屋:友綱⇒東関⇒高砂部屋
  • 初土俵 :大正2年(1913)1月(15歳10ヵ月)
  • 新十両 :大正7年(1918)5月(21歳2ヵ月)
  • 新入幕 :大正10年(1921)1月(23歳10ヵ月)
  • 新三役 :大正12年(1923)1月(25歳10ヵ月)
  • 新大関 :大正12年(1923)5月(26歳2ヵ月)
  • 最終場所:昭和2年(1927)10月(30歳7ヵ月)
  • 生涯戦歴:114勝53敗71休8分6預/181出場(32場所)
  • 生涯勝率:68.3%
  • 優勝等 :なし
  • 成 績 :金星1個
  • 幕内戦歴:67勝26敗69休6分2預(16場所)勝率:72.0%
  •   大関:35勝14敗45休2分2預(9場所)勝率:71.4%
  •   関脇:7勝1敗23休1分(3場所)勝率:87.5%
  •   前頭:25勝11敗1休3分(4場所)勝率:69.4%
  • 十両戦歴:19勝11敗1分1預(5場所)勝率:63.3%

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