若くないけれど若者頭?本場所の進行には欠かせない!若者頭について解説

相撲のテレビ中継を観ていると解説者として「若者頭の○○さん」と紹介されているのを聞いたことがありませんか?(BS放送の幕下以下の取組です) 初めて聞いたときは「わかいものがしら?」って疑問に思ったものでした。 紹介された当の本人が全然若くないことも疑問に拍車をかけるんです。

このように相撲の世界にはいろんな職種の人がいます。力士をはじめ、年寄や行司、呼出、床山など様々ですが、若者頭もそのなかのひとりなんです。

そこで今回は、大相撲の若者頭(わかいものがしら)について紹介します。

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若者頭はどんな人がなれるの?

まずは若者頭の採用基準から見ていきましょう。行司や呼出、床山は相撲未経験者でもなれますが、若者頭は、親方衆と同じく引退した力士であることが第一条件です。それでは条件を詳細に見ていきましょう。

若者頭の採用基準

若者頭は引退した十両・幕下力士、つまり幕下以上経験者である必要があります。これには、年寄名跡の取得基準にあるような現役中の成績などは関係ないようです。

また、年寄名跡取得が叶わなかった幕内経験者からの採用もあるようで、実際のところ現在採用されている若者頭は幕内・十両経験者で占められています。

相撲協会による若者頭の定員は8名、さらに停年は65歳なので、条件を満たしていても引退のタイミングによってはなれないことも。「若者頭に欠員が出たから引退するなら今だぞ」と、転身を勧められるケースもあるそうです。若者頭は相撲部屋に在籍するわけですが、呼出や床山とは違い定員が8名と少ないため、すべての部屋に若者頭がいるわけではありません。

ちなみに「相撲協会による定員」と書きましたが、相撲に携わる人たちはすべて相撲協会所属です。それぞれの部屋は親方を主として、力士や行司などが在籍しているわけですが、実はすべて協会所属で給料も協会から貰っています。つまり、若者頭になるには部屋の親方から協会に対して申請が出され、理事会の議決によって、相撲協会に採用されるわけです。

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若者頭はどんな仕事をしているの?

次に若者頭がどんな仕事をしているのかを見ていきましょう。冒頭でご紹介したようにテレビの解説席に座ることもある若者頭ですが、メインの仕事は他にあります。それは本場所の取組の進行補助と若手の指導・育成です。

取組の進行補助

勝負結果の記録はもちろん、懸賞金の準備や土俵下の控え力士の指揮や監督、取り組みで怪我をした力士がいたら、様子を見て力士専用の車椅子を準備したりと裏方として進行をサポートします。

そして、千秋楽では目立つ仕事が待っています。表彰式で優勝力士からトロフィーや優勝旗を土俵下で受け取るスーツ姿の人を見たことがありませんか?その人が若者頭なんです。お客さんの入りがまだ少ない三段目あたりの取組中には、相撲協会の青ジャンパーに草履姿のラフな格好で観客席でくつろいでいる姿を見かけますが、この時ばかりはスーツ姿なのが見どころです。

また、千秋楽で各段の力士優勝決定戦がある場合は、組合せ抽選から進行の段取りを受け持っています。

さらに、前相撲では裏方としてではなく全面的に取り仕切ることになります。取組を決めたり進行の世話をする他にも、まわしを直してあげたり、土俵上の作法を教えたりと、これから相撲の世界に入る新弟子たちの指導にあたります。晴れて出世披露を迎えた力士たちのお世話ももちろん若者頭の仕事です。

本場所以外では巡業や花相撲で取組の進行役も務めます。

⇒【解説】前相撲とはどんな相撲?

若手の指導と育成

所属部屋では幕下以下の力士の指導や監督にあたります。特に相撲界は未成年の力士も少なくない世界ですから、生活面での監督・指導も欠かせません。稽古だけではなく生活面でもサポートして力士をひっぱていく若者頭の仕事は、まさに若い者の頭といえますね。

若者頭の歴史

江戸の頃まで遡ると、その頃は「若い者」と呼ばれ、現在とは違い現役力士のままなることも出来たそうです。明治の頃には準年寄の待遇を得ていました。

また、昔は若者頭から年寄を襲名した者もいたようですが、昭和以降では、昭和5年(1930年)に10代濱風の養子となった若者頭の元十両・雷ヶ浦が11代濱風を襲名した例があるのみです。

若者頭一覧

千代丸 一樹(九重部屋)

千代丸 一樹 (ちよまる かずき)鹿児島県志布志市出身、九重部屋の元力士で、最高位は前頭5枚目

平成19年(2007)5月場所に16歳0ヶ月で初土俵を踏み、令和8年(2026)3月場所を最後に引退(34歳10ヶ月)。

通算成績は614勝631敗44休1240出場。生涯勝率.495。通算112場所中、61場所を勝ち越した(勝ち越し率.550)。

主な成績は十両優勝1回

平成3年(1991)4月17日生まれ。本名は木下 一樹。

突き押し相撲と愛敬あふれる風貌で館内を沸かせた千代丸は、弟とともに史上初の十両連続優勝などを成し遂げた名力士である。長年にわたり大相撲の人気を牽引し、引退後も相撲協会に残って裏方として若い力士たちを支える道を選んだ。

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大横綱の部屋への入門と四股名の由来

鹿児島県志布志市で育ち、中学校卒業後の平成19年(2007年)5月場所、13代九重(第58代横綱・千代の富士)が率いる九重部屋へと入門。本名の「木下」で初土俵を踏んだ。入門後は勝ち越しと負け越しを交互に繰り返す場所が続いたが、着実に地力をつけ、初土俵から約3年半で幕下へ昇進する。

三段目昇進を機に、四股名を「千代丸」へと改名した。当初、親からは「千代大志」という四股名が考案されていたが、当時部屋には大関・千代大海が現役でおり、「『大』の字を使うのは顔じゃない」と遠慮した。すると師匠の13代九重から「よし、丸いから千代丸だ!」と鶴の一声がかかり、この親しみやすい四股名が誕生した。

実家の全焼と兄弟関取の誕生

平成20年(2008年)5月場所には、実弟の千代鳳(当時の四股名は大木下)も同部屋へ入門し、兄弟で切磋琢磨する環境となる。大きな転機となったのは、平成23年(2011年)4月1日に、実家が火事によって全焼するという悲劇であった。この試練を前に、兄弟で「2人で頑張って新しい家を建てたい」と固く誓い合い、猛稽古に励むようになる。

さらに、弟の千代鳳が平成24年(2012年)3月場所で、10代での新十両昇進を果たすと、兄としての意地から大いに発奮した。持ち前の大きな体格を活かした重い突き押しに磨きをかけ、自身も平成25年(2013年)9月場所で悲願の新十両昇進を果たす。これにより、大相撲史上17組目となる兄弟関取が誕生した。

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兄弟連続優勝と人気力士への道

新十両の場所は7勝8敗と負け越したが、翌11月場所は11勝4敗の好成績を挙げる。この場所では弟の千代鳳が十両優勝、さらに翌平成26年(2014年)1月場所では、千代丸自身が13勝2敗で十両優勝を飾った。これにより、「史上初の兄弟による十両連続優勝」という歴史的快挙を成し遂げた。続く同年3月場所では新入幕を果たし、史上10組目の兄弟幕内力士となっている。

土俵上での激しい突き押し相撲の一方で、その丸々とした体型や愛らしい笑顔は見る者を惹きつけた。いつしかファンやメディアの間で「千代丸たん」という愛称が定着し、相撲界屈指の人気力士として長年にわたり大相撲の土俵を盛り上げた。

現役引退と若者頭としての新たな道

ベテランの域に入ってからも幕内と十両を行き来しながら土俵を務め続けたが、令和5年(2023年)3月場所に十両へ降格して以降、主戦場は十両に移る。その後は休場も重なり、幕下、さらには三段目へと番付を落としながらも土俵に上がり続けた。しかし、西三段目筆頭で迎えた令和8年(2026年)3月場所を最後に現役引退を発表し、約19年にわたる土俵人生に幕を下ろした。

引退後は若者頭として日本相撲協会に残る道を選択した。ファンから愛されたその温和な人柄と長年の土俵経験は、今後も裏方として後進の指導や協会の運営に注がれていく。

四股名
千代丸 一樹 (ちよまる かずき)
最高位
前頭5枚目
出身地
鹿児島県志布志市
本名
木下 一樹
生年月日
平成3年(1991)4月17日
所属部屋
九重部屋
改名歴
木下 一樹 → 千代丸 一樹
初土俵
平成19年(2007)5月 前相撲(16歳0ヶ月)
新十両
平成25年(2013)9月(所要37場所)
22歳4ヶ月(初土俵から6年4ヶ月)
新入幕
平成26年(2014)3月(所要40場所)
22歳10ヶ月(初土俵から6年10ヶ月)
最終場所
令和8年(2026)3月場所(34歳10ヶ月)
大相撲歴
112場所(18年10ヶ月)
通算成績
614勝631敗44休1240出場(勝率.495)
通算112場所
勝ち越し61場所(勝ち越し率.550)(勝ち越し星144)
優勝等
十両優勝1回
持給金
75円(勝ち越し星144個)
幕内戦歴
201勝262敗2休461出場(勝率.436)
在位31場所(在位率.277)
勝ち越し12場所(勝ち越し率.387)
前頭戦歴
201勝262敗2休461出場(勝率.436)
在位31場所(在位率.277)
勝ち越し12場所(勝ち越し率.387)
十両戦歴
234勝232敗29休463出場(勝率.505)
在位33場所(在位率.295)
勝ち越し18場所(勝ち越し率.545)
関取戦歴
435勝494敗31休924出場(勝率.471)
在位64場所(在位率.571)
勝ち越し30場所(勝ち越し率.469)
幕下以下歴
179勝137敗13休316出場(勝率.566)
在位47場所(在位率.420)
勝ち越し31場所(勝ち越し率.660)

千代丸 一樹の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

  • ✅ 勝った決まり手1位:押し出し(155回 / 25.1%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(238回 / 37.7%)
  • ✅ 得意な相手:東龍(15勝6敗 / 勝率.714)
  • ✅ 苦手な相手:大奄美(4勝15敗 / 勝率.211)

琴裕将 由拡(佐渡ヶ嶽部屋)

琴裕将 由拡 (ことゆうしょう よしひろ)奈良県橿原市出身、佐渡ヶ嶽部屋の元力士で、最高位は十両13枚目

平成28年(2016)3月場所に21歳10ヶ月で初土俵を踏み、令和6年(2024)9月場所を最後に引退(30歳4ヶ月)。

通算成績は186勝178敗2休364出場。生涯勝率.511。通算51場所中、32場所を勝ち越した(勝ち越し率.640)。

平成6年(1994)5月14日生まれ。本名は稲垣 善之。

レスリングでの全国的な実績をひっさげて角界へ飛び込み、長く険しい下積みを耐え抜いて関取の座を掴んだ琴裕将は、持ち前の足腰の強さを武器に不屈の闘志を見せた力士である。引退後は若者頭として相撲協会に残り、裏方として大相撲を支える道を選んだ。

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レスリングでの活躍と角界入り

奈良県橿原市に生まれ、奈良県立大和広陵高校時代は相撲や柔道に加え、レスリング競技に打ち込んだ。レスリングでは平成24年(2012年)の国民体育大会(少年男子グレコローマンスタイル120kg級)で優勝を果たすなど、数々の全国大会で実績を残している。

高校卒業後は法政大学へ進学してレスリング部に所属したが、中学時代に親方から誘いを受けていたこともあり、相撲にだけ集中できる大相撲の世界に魅力を感じて中退を決意。佐渡ヶ嶽部屋へと入門し、平成28年(2016年)3月場所において本名を交えた「琴稲垣」の四股名で初土俵を踏んだ。

長きにわたる下積みと新十両昇進

レスリングで培った足腰の強さや体格を生かして各段で地力をつけ、長く幕下で相撲を取り続けた。平成31年(2019年)3月場所より、四股名を「琴裕将」へと改名する。

その後も幕下上位の分厚い壁に挑み続け、初土俵から約5年半となる令和3年(2021年)11月場所において、西幕下筆頭で4勝3敗と勝ち越しを決める。これにより、翌令和4年(2022年)1月場所での新十両昇進を果たし、念願の関取の座を掴み取った。

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十両陥落と若者頭への転身

新十両の場所は6勝9敗で負け越し、続く同年3月場所も4勝11敗となって幕下へ陥落する。その後は番付を下げるなど苦労を重ねたが、不屈の闘志で土俵を務め続けた。しかし、東幕下11枚目で迎えた令和6年(2024年)9月場所を最後に現役引退を発表した。

引退後は若者頭として日本相撲協会に残る道を選択し、協会の業務にあたっている。

四股名
琴裕将 由拡 (ことゆうしょう よしひろ)
最高位
十両13枚目
出身地
奈良県橿原市
本名
稲垣 善之
生年月日
平成6年(1994)5月14日
出身高校
大和広陵高校
出身大学
法政大学・中退
所属部屋
佐渡ヶ嶽部屋
改名歴
琴稲垣 善之 → 琴裕将 由拡
初土俵
平成28年(2016)3月 前相撲(21歳10ヶ月)
新十両
令和4年(2022)1月(所要34場所)
27歳8ヶ月(初土俵から5年10ヶ月)
最終場所
令和6年(2024)9月場所(30歳4ヶ月)
大相撲歴
51場所(8年6ヶ月)
通算成績
186勝178敗2休364出場(勝率.511)
通算51場所
勝ち越し32場所(勝ち越し率.640)(勝ち越し星64)
持給金
35円(勝ち越し星64個)
十両戦歴
10勝20敗0休30出場(勝率.333)
在位2場所(在位率.039)
勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
関取戦歴
10勝20敗0休30出場(勝率.333)
在位2場所(在位率.039)
勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
幕下以下歴
176勝158敗2休334出場(勝率.527)
在位48場所(在位率.941)
勝ち越し32場所(勝ち越し率.667)

琴裕将 由拡の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

  • ✅ 勝った決まり手1位:押し出し(69回 / 37.1%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:押し出し(42回 / 23.6%)
  • ✅ 得意な相手:北勝翼(4勝0敗 / 勝率1.000)
  • ✅ 苦手な相手:王輝(0勝3敗 / 勝率.000)

栃乃藤 達之(春日野部屋)

栃乃藤 達之 (とちのふじ たつゆき)福岡県糸島郡志摩町出身、春日野部屋の元力士で、最高位は前頭11枚目

昭和60年(1985)3月場所に15歳4ヶ月で初土俵を踏み、平成12年(2000)11月場所を最後に引退(31歳0ヶ月)※番付上は平成13年(2001)1月場所

通算成績は414勝387敗17休799出場。生涯勝率.518。通算95場所中、59場所を勝ち越した(勝ち越し率.628)。

主な成績は幕下優勝1回

昭和44年(1969)11月15日生まれ。本名は草野 達之。

重い腰とがっしりとした体格を活かした重量感のある突き押し相撲で幕内を務め、その愛嬌ある姿からファンや力士仲間に親しまれた栃乃藤は、不屈の闘志で長く土俵に立ち続けた力士である。引退後は若者頭に就任し、日本相撲協会に残る道を選んだ。

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春日野部屋への入門と四股名の変遷

福岡県糸島郡志摩町(現在の糸島市)に生まれ、中学校卒業後に春日野部屋へ入門。昭和60年(1985年)3月場所において本名の「草野」で初土俵を踏んだ。

序ノ口から地道に番付を上げていき、昭和62年(1987年)1月場所で「栃ノ藤」へ改名。さらに平成元年(1989年)1月場所より、「栃乃藤」へと四股名を改名した。

十両突破と新入幕

持ち前の恵まれた体格を生かした突き押し相撲で着実に地力を蓄え、初土俵から約7年となる平成4年(1992年)7月場所において新十両へ昇進し、念願の関取の座を掴んだ。

十両昇進後はさらに勢いを増し、わずか4場所で十両を通過して平成5年(1993年)3月場所において新入幕を果たした。幕内の土俵では苦戦を強いられて在位は2場所にとどまったが、そのがっしりとした大きな体型から、元関脇・寺尾に「タンス」というユニークなあだ名を付けられるなど、周囲から広く親しまれた。

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幕下優勝と若者頭への就任

幕内から陥落した後も、故障を抱えながら十両や幕下で長く土俵を務め続けた。東幕下26枚目で迎えた平成10年(1998年)3月場所では、7戦全勝の好成績を挙げて自身唯一となる幕下優勝を飾っている。

その後も不屈の闘志で相撲を取り続けたが、平成12年(2000年)11月場所後、兄弟子である元十両・栃天晃が若者頭への就任を辞退したことに伴い、代わりに栃乃藤が抜擢されることとなった。これにより、西幕下25枚目の地位にあった平成13年(2001年)1月場所の番付に名前を残したまま、同年1月1日付で現役を引退して若者頭へと転身し、協会の業務にあたっている。

四股名
栃乃藤 達之 (とちのふじ たつゆき)
最高位
前頭11枚目
出身地
福岡県糸島郡志摩町
本名
草野 達之
生年月日
昭和44年(1969)11月15日
所属部屋
春日野部屋
改名歴
草野 達之 → 栃ノ藤 達之 → 栃乃藤 達之
初土俵
昭和60年(1985)3月 前相撲(15歳4ヶ月)
新十両
平成4年(1992)7月(所要44場所)
22歳8ヶ月(初土俵から7年4ヶ月)
新入幕
平成5年(1993)3月(所要48場所)
23歳4ヶ月(初土俵から8年0ヶ月)
最終場所
平成12年(2000)11月場所(31歳0ヶ月)※番付上は平成13年(2001)1月場所
大相撲歴
95場所(15年8ヶ月)
通算成績
414勝387敗17休799出場(勝率.518)
通算95場所
勝ち越し59場所(勝ち越し率.628)(勝ち越し星134)
優勝等
幕下優勝1回
持給金
70円(勝ち越し星134個)
幕内戦歴
12勝18敗0休30出場(勝率.400)
在位2場所(在位率.021)
勝ち越し1場所(勝ち越し率.500)
前頭戦歴
12勝18敗0休30出場(勝率.400)
在位2場所(在位率.021)
勝ち越し1場所(勝ち越し率.500)
十両戦歴
121勝143敗6休262出場(勝率.462)
在位18場所(在位率.189)
勝ち越し9場所(勝ち越し率.500)
関取戦歴
133勝161敗6休292出場(勝率.455)
在位20場所(在位率.211)
勝ち越し10場所(勝ち越し率.500)
幕下以下歴
281勝226敗11休507出場(勝率.554)
在位74場所(在位率.779)
勝ち越し49場所(勝ち越し率.662)

栃乃藤 達之の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

  • ✅ 勝った決まり手1位:押し出し(106回 / 38.3%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(99回 / 36.3%)
  • ✅ 得意な相手:前進山(7勝1敗 / 勝率.875)
  • ✅ 苦手な相手:富風(0勝6敗 / 勝率.000)

虎伏山 義幸(春日野部屋)

虎伏山 義幸 (とらふすやま よしゆき)和歌山県和歌山市出身、三保ヶ関部屋の元力士で、最高位は幕下2枚目

昭和62年(1987)3月場所に15歳9ヶ月で初土俵を踏み、平成15年(2003)11月場所を最後に引退(32歳5ヶ月)※番付上は平成16年(2004)1月場所

通算成績は360勝340敗0休700出場。生涯勝率.514。通算101場所中、54場所を勝ち越した(勝ち越し率.540)。

昭和46年(1971)6月6日生まれ。本名は田丸 智幸。

恵まれた体格を生かして初土俵から100場所を超える長きにわたり土俵を務め、引退後は相撲協会の裏方として尽力している虎伏山は、世話人から若者頭へと職務変更を果たした珍しい経歴を持つ力士である。惜しくも関取の座には届かなかったものの、その真摯な姿勢で長年大相撲を支え続けている。

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三保ヶ関部屋への入門と四股名の由来

和歌山県和歌山市に生まれ、昭和62年(1987年)3月場所において三保ヶ関部屋から初土俵を踏んだ。この場所の初土俵組には、のちの大関・貴ノ浪や小結・小城錦など、数多くの関取が名を連ねている。

入門当初は本名の「田丸」を四股名として土俵に上がっていたが、平成5年(1993年)3月場所より「虎伏山」へと改名した。この四股名は、郷土である和歌山城が建つ山の名称にちなんだものである。

幕下での長きにわたる奮闘

188センチ、130キロを超える恵まれた体格を生かして地力をつけ、各段で長く土俵を務めた。平成13年(2001年)5月場所には自己最高位となる東幕下2枚目まで番付を上げたが、惜しくも関取(十両)への昇進を果たすことはできなかった。

関取には届かなかったものの、初土俵から101場所にわたり相撲を取り続け、その土俵人生の半分を幕下で戦い抜いた。部屋や後輩力士の稽古相手としても大きな役割を果たした。

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現役引退と世話人への就任

西幕下23枚目の地位にあった平成16年(2004年)1月場所の番付に名前を残したまま、同場所前に現役引退を発表した。引退後は日本相撲協会に残り、世話人に就任する。世話人として、競技用具の運搬・管理や本場所・巡業での各種サポート業務など、協会の裏方として力士たちを支える任務を全うした。

その後、平成25年(2013年)に所属していた三保ヶ関部屋が閉鎖されたことに伴い、春日野部屋へと移籍している。

若者頭への転向

長年にわたり世話人として協会の業務に尽力していたが、令和2年(2020年)4月1日付で若者頭へと職務変更となった。世話人から若者頭へ転向するケースは珍しい出来事であった。

四股名
虎伏山 義幸 (とらふすやま よしゆき)
最高位
幕下2枚目
出身地
和歌山県和歌山市
本名
田丸 智幸
生年月日
昭和46年(1971)6月6日
所属部屋
三保ヶ関部屋
改名歴
田丸 智幸 → 虎伏山 義幸
初土俵
昭和62年(1987)3月 前相撲(15歳9ヶ月)
最終場所
平成15年(2003)11月場所(32歳5ヶ月)※番付上は平成16年(2004)1月場所
大相撲歴
101場所(16年8ヶ月)
通算成績
360勝340敗0休700出場(勝率.514)
通算101場所
勝ち越し54場所(勝ち越し率.540)(勝ち越し星114)
持給金
60円(勝ち越し星114個)
幕下以下歴
360勝340敗0休700出場(勝率.514)
在位100場所(在位率.990)
勝ち越し54場所(勝ち越し率.540)

虎伏山 義幸の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

  • ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(61回 / 22.6%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(110回 / 43.1%)
  • ✅ 得意な相手:輝面龍(6勝1敗 / 勝率.857)
  • ✅ 苦手な相手:小椋(0勝3敗 / 勝率.000)

福ノ里 邦男(音羽山部屋)

福ノ里 邦男 (ふくのさと くにお)岩手県九戸郡軽米町出身、立田川部屋の元力士で、最高位は十両13枚目

昭和53年(1978)7月場所に17歳1ヶ月で初土俵を踏み、平成5年(1993)5月場所を最後に引退(31歳11ヶ月)。

通算成績は330勝294敗7休624出場。生涯勝率.529。通算90場所中、50場所を勝ち越した(勝ち越し率.562)。

主な成績は三段目優勝1回、序ノ口優勝1回

昭和36年(1961)6月4日生まれ。本名は福田 邦男。

小兵ながら右四つからの上手投げや寄りを武器に長く幕下上位で奮闘し、初土俵から約11年の歳月をかけて関取の座を掴んだ福ノ里は、引退後に若者頭へと転身し、複数の部屋を渡り歩きながら長年裏方として大相撲を支え続けている力士である。

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立田川部屋への入門と各段での優勝

岩手県九戸郡軽米町に生まれ、岩手県立軽米高校で野球部に所属していたが同校を中退する。知人の紹介を通じて、14代立田川(元関脇・青ノ里)が創設した立田川部屋へ入門し、昭和53年(1978年)7月場所において本名の「福田」で初土俵を踏んだ。

初めて番付に名前が載った続く同年9月場所では、6勝1敗の好成績を挙げて序ノ口優勝を飾る。昭和55年(1980年)11月場所より四股名を「福ノ里」へと改め、昭和58年(1983年)1月場所には7戦全勝で三段目優勝を果たすなど、各段で地道に実力を培っていった。

新十両昇進と幕下での奮闘

持ち前の右四つからの相撲に磨きをかけ、長く幕下上位の土俵で奮闘を続ける。そして初土俵から約11年となる平成元年(1989年)9月場所において、ついに新十両へ昇進し、念願の関取の座を掴み取った。

関取在位はこの1場所にとどまり幕下へ陥落したが、その後も大きく番付を下げることなく幕下上位で相撲を取り続けた。現役晩年となる平成4年(1992年)1月場所からは「福之里」へと改名した。

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若者頭への転身と度重なる移籍

東幕下3枚目の地位にあった平成5年(1993年)5月場所を最後に現役を引退した。定員のある若者頭に欠員が生じ、その就任を打診されたことに伴う引退であった。引退後は若者頭に就任し、日本相撲協会に残って協会の業務にあたることとなる。

その後、平成12年(2000年)9月場所後の立田川部屋閉鎖に伴って陸奥部屋へと転属した。さらに、令和6年(2024年)春の陸奥部屋閉鎖に伴い音羽山部屋へと移籍している。長年にわたり複数の部屋で後進の指導にあたるほか、本場所での競技進行をサポートするなど、協会の裏方として職務を全うしている。

四股名
福ノ里 邦男 (ふくのさと くにお)
最高位
十両13枚目
出身地
岩手県九戸郡軽米町
本名
福田 邦男
生年月日
昭和36年(1961)6月4日
出身高校
軽米高校・中退
所属部屋
立田川部屋
改名歴
福田 邦男 → 福ノ里 邦男 → 福之里 邦男
初土俵
昭和53年(1978)7月 前相撲(17歳1ヶ月)
新十両
平成元年(1989)9月(所要67場所)
28歳3ヶ月(初土俵から11年2ヶ月)
最終場所
平成5年(1993)5月場所(31歳11ヶ月)
大相撲歴
90場所(14年10ヶ月)
通算成績
330勝294敗7休624出場(勝率.529)
通算90場所
勝ち越し50場所(勝ち越し率.562)(勝ち越し星120)
優勝等
三段目優勝1回,序ノ口優勝1回
持給金
63円(勝ち越し星120個)
十両戦歴
5勝10敗0休15出場(勝率.333)
在位1場所(在位率.011)
勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
関取戦歴
5勝10敗0休15出場(勝率.333)
在位1場所(在位率.011)
勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
幕下以下歴
325勝284敗7休609出場(勝率.534)
在位88場所(在位率.978)
勝ち越し50場所(勝ち越し率.568)

福ノ里 邦男の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

  • ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(12回 / 21.8%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(14回 / 26.4%)
  • ✅ 得意な相手:高見王(4勝0敗 / 勝率1.000)
  • ✅ 苦手な相手:安芸の嶺(0勝5敗 / 勝率.000)

前進山 良太(高田川部屋)

前進山 良太 (ぜんしんやま りょうた)神奈川県横浜市金沢区出身、高田川部屋の元力士で、最高位は十両2枚目

昭和57年(1982)11月場所に16歳6ヶ月で初土俵を踏み、平成11年(1999)9月場所を最後に引退(33歳4ヶ月)。

通算成績は480勝467敗56休946出場。生涯勝率.507。通算102場所中、56場所を勝ち越した(勝ち越し率.554)。

主な成績は幕下優勝2回

昭和41年(1966)4月22日生まれ。本名は秋元 良太。

野球の強豪校から未経験で相撲界へ飛び込み、分厚い壁に挑み続けた前進山は、その巨体と強烈な突き押しを武器に関取の座を掴んだ力士である。怪我に苦しみながらも通算37場所にわたり十両の地位を務め上げ、引退後は若者頭として日本相撲協会に残る道を選んだ。

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野球からの転身と「前進山」の誕生

神奈川県横浜市金沢区に生まれ、野球の名門である横浜高校の野球部に所属していたが、1年次で同校を中退する。相撲は未経験であったが、知人の紹介を通じて8代高田川(元大関・前の山)が率いる高田川部屋へ入門し、昭和57年(1982年)11月場所において初土俵を踏んだ。

入門当初は本名の「秋元」で土俵に上がっていたが、昭和58年(1983年)5月場所より「前進山」へと四股名を改名した。この四股名は、部屋の行司より考案されたものであり、「どんどん前に攻めるように」という願いが込められている。

幕下優勝と新十両昇進

四股名に込められた願いのとおり、持ち前の巨体を活かした突き押し相撲で着実に地力を養っていく。初土俵から約6年半となる平成元年(1989年)3月場所において、西幕下9枚目で7戦全勝の幕下優勝を飾る。この好成績により、続く同年5月場所での新十両昇進を果たし、関取の座を掴み取った。

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歴代屈指の十両在位と若者頭への就任

関取昇進後は度重なる負傷に苦しめられ、幕下への陥落も経験したが、そのたびに不屈の闘志で這い上がった。平成5年(1993年)11月場所では東幕下5枚目で7戦全勝とし、自身2度目となる幕下優勝を果たして十両へ復帰している。その後は十両の地位に定着し、幕内への昇進には一歩届かなかったものの、最高位が十両の力士としては歴代屈指の記録となる通算37場所を十両の地位で務め上げた。

西幕下44枚目で迎えた平成11年(1999年)9月場所を最後に現役を引退。引退後は若者頭に就任し、日本相撲協会に残って協会の業務にあたっている。

四股名
前進山 良太 (ぜんしんやま りょうた)
最高位
十両2枚目
出身地
神奈川県横浜市金沢区
本名
秋元 良太
生年月日
昭和41年(1966)4月22日
所属部屋
高田川部屋
改名歴
秋元 良太 → 前進山 良太
初土俵
昭和57年(1982)11月 前相撲(16歳6ヶ月)
新十両
平成元年(1989)5月(所要39場所)
23歳0ヶ月(初土俵から6年6ヶ月)
最終場所
平成11年(1999)9月場所(33歳4ヶ月)
大相撲歴
102場所(16年10ヶ月)
通算成績
480勝467敗56休946出場(勝率.507)
通算102場所
勝ち越し56場所(勝ち越し率.554)(勝ち越し星111)
優勝等
幕下優勝2回
持給金
58円50銭(勝ち越し星111個)
十両戦歴
244勝280敗31休523出場(勝率.467)
在位37場所(在位率.363)
勝ち越し17場所(勝ち越し率.459)
関取戦歴
244勝280敗31休523出場(勝率.467)
在位37場所(在位率.363)
勝ち越し17場所(勝ち越し率.459)
幕下以下歴
236勝187敗25休423出場(勝率.558)
在位64場所(在位率.627)
勝ち越し39場所(勝ち越し率.609)

前進山 良太の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

  • ✅ 勝った決まり手1位:押し出し(122回 / 40.4%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:押し出し(83回 / 25.6%)
  • ✅ 得意な相手:日立龍(8勝2敗 / 勝率.800)
  • ✅ 苦手な相手:栃乃藤(1勝7敗 / 勝率.125)

伊予櫻 政行(高砂部屋)

伊予櫻 政行 (いよざくら まさゆき)愛媛県伊予郡松前町出身、高砂部屋の元力士で、最高位は十両11枚目

昭和51年(1976)3月場所に14歳11ヶ月で初土俵を踏み、昭和63年(1988)3月場所を最後に引退(26歳11ヶ月)。

通算成績は262勝234敗16休496出場。生涯勝率.528。通算73場所中、40場所を勝ち越した(勝ち越し率.556)。

昭和36年(1961)3月20日生まれ。本名は市来 政行。

初土俵から約8年半という長い下積み時代を経て、愛媛県に23年ぶりとなる関取の座をもたらした元十両・伊予櫻。決して華やかなエリート街道ではなかったものの、ひたむきに土俵と向き合い続け、引退後も若者頭として角界を支える職人気質の苦労人である。

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長きにわたる下積み時代と幕下での奮闘

昭和51年(1976年)3月場所、高砂部屋から本名の「市来」で初土俵を踏む。序ノ口、序二段と少しずつ番付を上げていくが、三段目と幕下の壁は厚く、昇降を繰り返すもどかしい時期が長く続いた。

それでも腐ることなく地道に稽古を重ね、昭和57年(1982年)頃から幕下の地位に定着し始める。昭和59年(1984年)1月場所には東幕下58枚目で6勝1敗の好成績を挙げると、その後も勝ち越しを続け、着実に十両昇進圏内へと歩みを進めていった。

23年ぶりの快挙、悲願の新十両昇進と改名

迎えた昭和59年(1984年)9月場所、西幕下2枚目の地位で6勝1敗という見事な成績を収める。この活躍により、初土俵から所要52場所という長い道のりを経て、同年11月場所での悲願の新十両昇進を決定づけた。

この新十両昇進を機に、四股名を本名の「市来」から、故郷にちなんだ「伊予櫻」へと改名。愛媛県出身力士の関取誕生は、宮ノ花(元前頭12枚目)以来、実に23年ぶりという歴史的な出来事であり、故郷を大いに沸かせた。

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十両の壁と引退、そして若者頭として角界を支える道へ

しかし、念願であった関取の土俵は甘くはなかった。新十両として臨んだ昭和59年(1984年)11月場所は、2勝13敗という厳しい結果に終わる。高く厚い十両の壁に跳ね返され、わずか1場所で幕下へと陥落する悔しい経験となった。

その後も幕下の地位で相撲を取り続けたが、関取への復帰は叶わず、昭和63年(1988年)3月場所を最後に現役を引退。引退後は高砂部屋の若者頭に就任し、若手力士の指導や監督をはじめ、本場所の進行を裏から支える「縁の下の力持ち」として大相撲の世界に貢献し続けていた。令和8年(2026年)3月場所を最後に停年を迎えた。

四股名
伊予櫻 政行 (いよざくら まさゆき)
最高位
十両11枚目
出身地
愛媛県伊予郡松前町
本名
市来 政行
生年月日
昭和36年(1961)3月20日
所属部屋
高砂部屋
改名歴
市来 政行 → 伊予櫻 政行
初土俵
昭和51年(1976)3月 前相撲(14歳11ヶ月)
新十両
昭和59年(1984)11月(所要52場所)
23歳7ヶ月(初土俵から8年8ヶ月)
最終場所
昭和63年(1988)3月場所(26歳11ヶ月)
大相撲歴
73場所(12年0ヶ月)
通算成績
262勝234敗16休496出場(勝率.528)
通算73場所
勝ち越し40場所(勝ち越し率.556)(勝ち越し星96)
持給金
51円(勝ち越し星96個)
十両戦歴
2勝13敗0休15出場(勝率.133)
在位1場所(在位率.014)
勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
関取戦歴
2勝13敗0休15出場(勝率.133)
在位1場所(在位率.014)
勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
幕下以下歴
260勝221敗16休481出場(勝率.541)
在位71場所(在位率.973)
勝ち越し40場所(勝ち越し率.563)

伊予櫻 政行の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

  • ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(4回 / 66.7%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(5回 / 35.7%)
  • ✅ 得意な相手:弘ノ花(3勝0敗 / 勝率1.000)
  • ✅ 苦手な相手:前乃臻(0勝3敗 / 勝率.000)



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カテゴリー : 若者頭

公開日:2017-10-16
投稿者:レイ

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