この記事の目次
モンゴル出身の関脇
旭天鵬 勝
旭天鵬 勝(きょくてんほう まさる)はモンゴル・ナライハ市ナラフ区ナライハ町出身、大島 → 友綱部屋の元力士で、最高位は関脇。
平成4年(1992)3月場所に17歳5ヶ月で初土俵を踏み、平成27年(2015)7月場所を最後に引退(40歳10ヶ月)。
通算成績は927勝944敗22休1870出場。生涯勝率.495。通算140場所中、79場所を勝ち越した(勝ち越し率.568)。
主な成績は幕内優勝1回(次点1),十両同点1回,幕下同点1回。敢闘賞7回,金星2個(貴乃花1個、朝青龍1個)。
昭和49年(1974)9月13日生まれ。本名は太田 勝(モンゴル名はニャムジャブ・ツェベクニャム)。
入門は3代大島(元大関・旭國)の大島部屋。平成24年(2012)4月の部屋閉鎖に伴い友綱部屋へと移籍。その移籍直後となる5月場所で37歳8か月での幕内初優勝を達成。これは史上最年長記録。
引退後は4代大島を襲名し後進の指導にあたっていたが、平成29年(2017)6月に10代友綱(元関脇・魁輝)と名跡交換を行い11代友綱を襲名、モンゴル出身力士初となる師匠の座についた。
令和4年(2022)2月1日付で名跡を再度交換して5代大島を襲名、部屋の名称も大島部屋へと改めた。
- 年寄
5代・大島 勝 - 四股名
- 旭天鵬 勝(きょくてんほう まさる)
- 最高位
- 関脇
- 年寄名跡
- 4代大島 勝 →
11代友綱 勝 →5代大島 勝 - 出身地
- モンゴル・ナライハ市ナラフ区ナライハ町
- 本名
- ニャムジャブ・ツェベクニャム→太田 勝
- 生年月日
- 昭和49年(1974)9月13日(50歳)
- 所属部屋
- 大島 → 友綱部屋
- 改名歴
- 旭天鵬 勝
- 初土俵
- 平成4年(1992)3月 前相撲(17歳5ヶ月)
- 新十両
- 平成8年(1996)3月(所要24場所)
- 21歳5ヶ月(初土俵から4年0ヶ月)
- 新入幕
- 平成10年(1998)1月(所要35場所)
- 23歳3ヶ月(初土俵から5年10ヶ月)
- 新小結
- 平成14年(2002)1月(所要59場所)
- 27歳4ヶ月(初土俵から9年10ヶ月)
- 新関脇
- 平成15年(2003)7月(所要68場所)
- 28歳9ヶ月(初土俵から11年4ヶ月)
- 最終場所
- 平成27年(2015)7月(40歳10ヶ月)
- 大相撲歴
- 140場所(23年4ヶ月)
- 通算成績
- 927勝944敗22休1870出場(勝率.495)
- 通算140場所
- 勝ち越し79場所(勝ち越し率.568)
- 優勝等
- 幕内優勝1回(次点1),十両同点1回,幕下同点1回
- 受賞・金星
- 敢闘賞7回,金星2個
- 幕内戦歴
- 697勝773敗15休1470出場(勝率.474)
- 在位99場所(在位率.707)
- 勝ち越し48場所(勝ち越し率.485)
- 三役戦歴
- 73勝107敗0休180出場(勝率.406)
- 在位12場所(在位率.086)
- 勝ち越し2場所(勝ち越し率.167)
- 関脇戦歴
- 16勝29敗0休45出場(勝率.356)
- 在位3場所(在位率.021)
- 勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
- 小結戦歴
- 57勝78敗0休135出場(勝率.422)
- 在位9場所(在位率.064)
- 勝ち越し2場所(勝ち越し率.222)
- 前頭戦歴
- 624勝666敗15休1290出場(勝率.484)
- 在位87場所(在位率.621)
- 勝ち越し46場所(勝ち越し率.529)
- 十両戦歴
- 128勝112敗0休240出場(勝率.533)
- 在位16場所(在位率.114)
- 勝ち越し12場所(勝ち越し率.750)
- 関取戦歴
- 825勝885敗15休1710出場(勝率.482)
- 在位115場所(在位率.821)
- 勝ち越し60場所(勝ち越し率.522)
- 幕下以下歴
- 102勝59敗7休160出場(勝率.634)
- 在位24場所(在位率.171)
- 勝ち越し19場所(勝ち越し率.792)
朝赤龍 太郎
朝赤龍 太郎(あさせきりゅう たろう)はモンゴル・ウランバートル市出身、若松~高砂部屋の元力士で、最高位は関脇。
平成12年(2000)1月場所に18歳5ヶ月で初土俵を踏み、平成29年(2017)3月場所を最後に引退(35歳7ヶ月)(※番付上は平成29年5月場所が最後)。
通算成績は687勝679敗36休1361出場。生涯勝率.503。通算103場所中、51場所を勝ち越した(勝ち越し率.500)。
主な成績は幕内次点2回,十両優勝1回,序二段優勝1回。殊勲賞1回,敢闘賞1回,技能賞2回。
昭和56年(1981)8月7日生まれ。本名はバダルチ・ダシニャム(日本名同じ)。
第68代横綱・朝青龍とともに明徳義塾高へ相撲留学。十両からの陥落により138年続いた高砂部屋関取在位記録が途絶えたことを、誰よりも悔しがった。平成29年(2017)4月に日本国籍を取得(日本名はモンゴル名と同じ)。
令和2年(2020)11月26日付で8代高砂を襲名。
- 年寄
8代高砂 浦五郎 - 四股名
- 朝赤龍 太郎(あさせきりゅう たろう)
- 最高位
- 関脇
- 年寄名跡
- 17代錦島 太郎 →
8代高砂 浦五郎 - 出身地
- モンゴル・ウランバートル市
- 本名
- バダルチ・ダシニャム → バダルチ・ダシニャム(日本国籍)
- 生年月日
- 昭和56年(1981)8月7日(43歳)
- 出身高校
- 明徳義塾高校
- 所属部屋
- 若松~高砂部屋
- 改名歴
- 朝赤龍 太郎
- 初土俵
- 平成12年(2000)1月 前相撲(18歳5ヶ月)
- 新十両
- 平成14年(2002)7月(所要15場所)
- 20歳11ヶ月(初土俵から2年6ヶ月)
- 新入幕
- 平成15年(2003)3月(所要19場所)
- 21歳7ヶ月(初土俵から3年2ヶ月)
- 新小結
- 平成18年(2006)7月(所要39場所)
- 24歳11ヶ月(初土俵から6年6ヶ月)
- 新関脇
- 平成19年(2007)9月(所要46場所)
- 26歳1ヶ月(初土俵から7年8ヶ月)
- 最終場所
- 平成29年(2017)3月(35歳7ヶ月)※番付上は平成29年5月場所
- 大相撲歴
- 103場所(17年2ヶ月)
- 通算成績
- 687勝679敗36休1361出場(勝率.503)
- 通算103場所
- 勝ち越し51場所(勝ち越し率.500)
- 優勝等
- 幕内次点2回,十両優勝1回,序二段優勝1回
- 受賞・金星
- 殊勲賞1回,敢闘賞1回,技能賞2回
- 幕内戦歴
- 410勝442敗33休848出場(勝率.481)
- 在位59場所(在位率.573)
- 勝ち越し26場所(勝ち越し率.441)
- 三役戦歴
- 22勝41敗12休62出場(勝率.349)
- 在位5場所(在位率.049)
- 勝ち越し1場所(勝ち越し率.200)
- 関脇戦歴
- 11勝19敗0休30出場(勝率.367)
- 在位2場所(在位率.019)
- 勝ち越し1場所(勝ち越し率.500)
- 小結戦歴
- 11勝22敗12休32出場(勝率.333)
- 在位3場所(在位率.029)
- 勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
- 前頭戦歴
- 388勝401敗21休786出場(勝率.492)
- 在位54場所(在位率.524)
- 勝ち越し25場所(勝ち越し率.463)
- 十両戦歴
- 203勝199敗3休401出場(勝率.505)
- 在位27場所(在位率.262)
- 勝ち越し13場所(勝ち越し率.481)
- 関取戦歴
- 613勝641敗36休1249出場(勝率.489)
- 在位86場所(在位率.835)
- 勝ち越し39場所(勝ち越し率.453)
- 幕下以下歴
- 74勝38敗0休112出場(勝率.661)
- 在位16場所(在位率.155)
- 勝ち越し12場所(勝ち越し率.750)
逸ノ城 駿
逸ノ城 駿(いちのじょう たかし)はモンゴル・アルハンガイ県出身、湊部屋の元力士で、最高位は関脇。
平成26年(2014)1月場所に20歳9ヶ月で初土俵を踏み、令和5年(2023)3月場所を最後に引退(29歳11ヶ月)(※番付上は令和5年5月場所が最後)。
通算成績は408勝328敗73休734出場。生涯勝率.554。通算55場所中、34場所を勝ち越した(勝ち越し率.618)。
主な成績は幕内優勝1回(次点2),十両優勝2回(同点1)。殊勲賞3回,敢闘賞1回,金星9個。
平成5年(1993)4月7日生まれ。本名はアルタンホヤグ・イチンノロブ。日本名は三浦 駿。
モンゴルでは遊牧民として、ウランバートルから400キロ離れた草原で家畜を飼いながら暮らしていた。幼い頃からモンゴル相撲に親しむ。ウランバートルで柔道に取り組んでいた頃に鳥取城北高校相撲部の石浦監督に才能を見出されて相撲留学が決定。同じ柔道道場に通っていたのちの照ノ富士とは同じ飛行機で来日し、高校の寮も同じという仲だった。
高校では合計5つのタイトルを獲得したが「高校横綱」は逃す。石浦監督から幕下付け出しの資格を取得してから入門するほうがよいと説得されたこともあり、高校卒業後は鳥取県体育協会員として社会人相撲に取り組み、平成25(2013)年に全日本実業団相撲選手権大会で優勝して実業団横綱を獲得。幕下15枚目格付出資格を得て湊部屋から初土俵を踏むこととなった。
四股名は本名の「イチンノロブ」と「逸材」という意味を込めて「逸」と、鳥取城北高校「城」を取り名付けられた。
平成26(2014)年1月場所、幕下15枚目格付出で初土俵を踏むと怒濤の勢いで昇進を重ねる。所要2場所で新十両昇進、さらに2場所で新入幕を決める。
平成26(2014)年9月場所では初日からの6連勝、11日目に大関・稀勢の里、12日目に大関・豪栄道、13日目に横綱鶴竜を破り、1敗で横綱・白鵬と並ぶ優勝争いトップに立った。14日目に白鵬に敗れて優勝は逃したが、初土俵から5場所目での大関・横綱戦勝利は史上最速であり、新入幕での横綱と2人の大関を倒したのも史上初となる快挙であった。
翌11月場所では西関脇へと昇進。幕下付出から所要5場所での新三役昇進は昭和以降1位のスピード出世。
- 四股名
- 逸ノ城 駿(いちのじょう たかし)
- 最高位
- 関脇
- 出身地
- モンゴル・アルハンガイ県
- 本名
- アルタンホヤグ・イチンノロブ⇒三浦 駿
- 生年月日
- 平成5年(1993)4月7日
- 所属部屋
- 湊部屋
- 改名歴
- 逸ノ城 駿
- 初土俵
- 平成26年(2014)1月 幕下15枚目格付出(20歳9ヶ月)
- 新十両
- 平成26年(2014)5月(所要2場所)
- 21歳1ヶ月(初土俵から0年4ヶ月)
- 新入幕
- 平成26年(2014)9月(所要4場所)
- 21歳5ヶ月(初土俵から0年8ヶ月)
- 新小結
- 平成27年(2015)5月(所要8場所)
- 22歳1ヶ月(初土俵から1年4ヶ月)
- 新関脇
- 平成26年(2014)11月(所要5場所)
- 21歳7ヶ月(初土俵から0年10ヶ月)
- 最終場所
- 令和5年(2023)3月(29歳11ヶ月)※番付上は令和5年5月場所
- 大相撲歴
- 55場所(9年2ヶ月)
- 通算成績
- 408勝328敗73休734出場(勝率.554)
- 通算55場所
- 勝ち越し34場所(勝ち越し率.618)(勝ち越し星144)
- 優勝等
- 幕内優勝1回(次点2),十両優勝2回(同点1)
- 受賞・金星
- 殊勲賞3回,敢闘賞1回,金星9個
- 持給金
- 227円(勝ち越し星144個 優勝1回 金星9個)
- 幕内戦歴
- 334勝298敗73休630出場(勝率.528)
- 在位47場所(在位率.855)
- 勝ち越し27場所(勝ち越し率.574)
- 三役戦歴
- 89勝103敗3休191出場(勝率.464)
- 在位13場所(在位率.236)
- 勝ち越し7場所(勝ち越し率.538)
- 関脇戦歴
- 53勝64敗3休116出場(勝率.453)
- 在位8場所(在位率.145)
- 勝ち越し4場所(勝ち越し率.500)
- 小結戦歴
- 36勝39敗0休75出場(勝率.480)
- 在位5場所(在位率.091)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率.600)
- 前頭戦歴
- 245勝195敗70休439出場(勝率.557)
- 在位34場所(在位率.618)
- 勝ち越し20場所(勝ち越し率.588)
- 十両戦歴
- 62勝28敗0休90出場(勝率.689)
- 在位6場所(在位率.109)
- 勝ち越し5場所(勝ち越し率.833)
- 関取戦歴
- 396勝326敗73休720出場(勝率.548)
- 在位53場所(在位率.964)
- 勝ち越し32場所(勝ち越し率.604)
- 幕下以下歴
- 12勝2敗0休14出場(勝率.857)
- 在位2場所(在位率.036)
- 勝ち越し2場所(勝ち越し率1.000)
モンゴル出身の小結
旭鷲山 昇
旭鷲山 昇(きょくしゅうざん のぼる)はモンゴル・ウランバートル市出身、大島部屋の元力士で、最高位は小結。
平成4年(1992)3月場所に19歳0ヶ月で初土俵を踏み、平成18年(2006)11月場所を最後に引退(33歳8ヶ月)。
通算成績は560勝601敗2休1159出場。生涯勝率.482。通算89場所中、49場所を勝ち越した(勝ち越し率.557)。
主な成績は幕内次点2回,十両優勝2回,幕下優勝1回。殊勲賞1回,敢闘賞2回,技能賞2回,金星5個(曙1個、若乃花2個、武蔵丸1個、朝青龍1個)。
昭和48年(1973)3月8日生まれ。本名はダワーギーン・バトバヤル。
大島部屋が平成3年(1991)にモンゴルで行った新弟子公募に応募し、旭天鵬や旭天山らとともに選ばれたモンゴル出身初の力士。入門当初は厳しい稽古や日本の生活習慣になじめずに部屋を脱走して駐日モンゴル大使館に駆け込んだこともあったが、親方らの説得により部屋へと戻った。
初土俵から所要18場所で新十両昇進。平成8年(1996)9月場所で新入幕昇進を果たした。幕内では多彩な技で観客を魅了し「技のデパート・モンゴル支店」と評された。
- 四股名
- 旭鷲山 昇(きょくしゅうざん のぼる)
- 最高位
- 小結
- 出身地
- モンゴル・ウランバートル市
- 本名
- ダワーギーン・バトバヤル
- 生年月日
- 昭和48年(1973)3月8日
- 所属部屋
- 大島部屋
- 改名歴
- 旭鷲山 昇
- 初土俵
- 平成4年(1992)3月 前相撲(19歳0ヶ月)
- 新十両
- 平成7年(1995)3月(所要18場所)
- 22歳0ヶ月(初土俵から3年0ヶ月)
- 新入幕
- 平成8年(1996)9月(所要27場所)
- 23歳6ヶ月(初土俵から4年6ヶ月)
- 新小結
- 平成9年(1997)3月(所要30場所)
- 24歳0ヶ月(初土俵から5年0ヶ月)
- 最終場所
- 平成18年(2006)11月(33歳8ヶ月)
- 大相撲歴
- 89場所(14年8ヶ月)
- 通算成績
- 560勝601敗2休1159出場(勝率.482)
- 通算89場所
- 勝ち越し49場所(勝ち越し率.557)
- 優勝等
- 幕内次点2回,十両優勝2回,幕下優勝1回
- 受賞・金星
- 殊勲賞1回,敢闘賞2回,技能賞2回,金星5個
- 幕内戦歴
- 408勝507敗2休913出場(勝率.446)
- 在位62場所(在位率.697)
- 勝ち越し28場所(勝ち越し率.452)
- 小結戦歴
- 4勝11敗0休15出場(勝率.267)
- 在位1場所(在位率.011)
- 勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
- 前頭戦歴
- 404勝496敗2休898出場(勝率.449)
- 在位61場所(在位率.685)
- 勝ち越し28場所(勝ち越し率.459)
- 十両戦歴
- 67勝53敗0休120出場(勝率.558)
- 在位8場所(在位率.090)
- 勝ち越し6場所(勝ち越し率.750)
- 関取戦歴
- 475勝560敗2休1033出場(勝率.459)
- 在位70場所(在位率.787)
- 勝ち越し34場所(勝ち越し率.486)
- 幕下以下歴
- 85勝41敗0休126出場(勝率.675)
- 在位18場所(在位率.202)
- 勝ち越し15場所(勝ち越し率.833)
白馬 毅
白馬 毅(はくば たけし)はモンゴル・ウランバートル市出身、立田川 → 陸奥部屋の元力士で、最高位は小結。
平成12年(2000)1月場所に16歳8ヶ月で初土俵を踏み、平成23年(2011)1月場所を最後に引退(27歳8ヶ月)(※番付上は平成23年5月場所が最後)。
通算成績は347勝303敗12休650出場。生涯勝率.534。通算67場所中、40場所を勝ち越した(勝ち越し率.606)。
主な成績は十両同点1回,幕下優勝1回(同点1),序二段優勝1回。
昭和58年(1983)5月5日生まれ。本名はアリオンバヤル・ウヌルジャラガラ。
モンゴル相撲の経験は無かったが陸奥部屋に見習い生として身を寄せていた。外国人枠の影響により同じ時津風一門の立田川部屋に入門、平成12年(2000)1月場所に初土俵を踏んだ。同年9月に立田川部屋が閉鎖したため陸奥部屋へと移籍した。
平成19年(2007)1月場所で新十両昇進、平成20年(2008)5月場所で新入幕昇進を果たす。初顔で大関日馬富士と琴欧洲を破るなど大器の片鱗も見せたが、平成23年(2011)に発覚した大相撲八百長問題に関与した疑いで引退勧告を受け角界を去った。夫人は亡くなった時天空の妹。
- 四股名
- 白馬 毅(はくば たけし)
- 最高位
- 小結
- 出身地
- モンゴル・ウランバートル市
- 本名
- アリオンバヤル・ウヌルジャラガラ
- 生年月日
- 昭和58年(1983)5月5日
- 所属部屋
- 立田川 → 陸奥部屋
- 改名歴
- 白馬 毅
- 初土俵
- 平成12年(2000)1月 前相撲(16歳8ヶ月)
- 新十両
- 平成19年(2007)1月(所要42場所)
- 23歳8ヶ月(初土俵から7年0ヶ月)
- 新入幕
- 平成20年(2008)5月(所要50場所)
- 25歳0ヶ月(初土俵から8年4ヶ月)
- 新小結
- 平成22年(2010)7月(所要63場所)
- 27歳2ヶ月(初土俵から10年6ヶ月)
- 最終場所
- 平成23年(2011)1月(27歳8ヶ月)※番付上は平成23年5月場所
- 大相撲歴
- 67場所(11年0ヶ月)
- 通算成績
- 347勝303敗12休650出場(勝率.534)
- 通算67場所
- 勝ち越し40場所(勝ち越し率.606)
- 優勝等
- 十両同点1回,幕下優勝1回(同点1),序二段優勝1回
- 幕内戦歴
- 55勝65敗0休120出場(勝率.458)
- 在位8場所(在位率.119)
- 勝ち越し5場所(勝ち越し率.625)
- 小結戦歴
- 4勝11敗0休15出場(勝率.267)
- 在位1場所(在位率.015)
- 勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
- 前頭戦歴
- 51勝54敗0休105出場(勝率.486)
- 在位7場所(在位率.104)
- 勝ち越し5場所(勝ち越し率.714)
- 十両戦歴
- 131勝124敗0休255出場(勝率.514)
- 在位17場所(在位率.254)
- 勝ち越し10場所(勝ち越し率.588)
- 関取戦歴
- 186勝189敗0休375出場(勝率.496)
- 在位25場所(在位率.373)
- 勝ち越し15場所(勝ち越し率.600)
- 幕下以下歴
- 161勝114敗12休275出場(勝率.585)
- 在位41場所(在位率.612)
- 勝ち越し25場所(勝ち越し率.610)
時天空 慶晃
時天空 慶晃(ときてんくう よしあき)はモンゴル・トゥブ県アルタンボラグ市出身、時津風部屋の元力士で、最高位は小結。
平成14年(2002)7月場所に22歳9ヶ月で初土俵を踏み、平成28年(2016)7月場所を最後に引退(36歳10ヶ月)(※番付上は平成28年9月場所が最後)。
通算成績は548勝545敗56休1092出場。生涯勝率.501。通算84場所中、38場所を勝ち越した(勝ち越し率.458)。
主な成績は十両優勝2回,三段目優勝1回,序二段優勝1回,序ノ口優勝1回。技能賞1回。
本名は時天空 慶晃(モンゴル名はアルタンガダシーン・フチットバータル)。昭和54年(1979)9月10日生まれ。平成29年(2017)1月31日逝去(享年37歳)。
農業の勉強のため東農大に留学したが、少年時代の柔道仲間だった朝青龍の活躍に刺激され22歳で入門、多彩な足技で対戦相手を翻弄した。悪性リンパ腫のため現役を引退し19代間垣を襲名するも5ヶ月後に永眠。
- 四股名
- 時天空 慶晃(ときてんくう よしあき)
- 最高位
- 小結
- 年寄名跡
- 19代間垣 慶晃
- 出身地
- モンゴル・トゥブ県アルタンボラグ市
- 本名
- アルタンガダシーン・フチットバータル → 時天空 慶晃
- 生年月日
- 昭和54年(1979)9月10日
- 没年月日
- 平成29年(2017)1月31日(享年37歳)
- 出身大学
- 東京農業大学
- 所属部屋
- 時津風部屋
- 改名歴
- 時天空 慶晃
- 初土俵
- 平成14年(2002)7月 前相撲(22歳9ヶ月)
- 新十両
- 平成16年(2004)3月(所要10場所)
- 24歳6ヶ月(初土俵から1年8ヶ月)
- 新入幕
- 平成16年(2004)7月(所要12場所)
- 24歳9ヶ月(初土俵から2年0ヶ月)
- 新小結
- 平成19年(2007)3月(所要28場所)
- 27歳6ヶ月(初土俵から4年8ヶ月)
- 最終場所
- 平成28年(2016)7月(36歳10ヶ月)※番付上は平成28年9月場所
- 大相撲歴
- 84場所(14年0ヶ月)
- 通算成績
- 548勝545敗56休1092出場(勝率.501)
- 通算84場所
- 勝ち越し38場所(勝ち越し率.458)
- 優勝等
- 十両優勝2回,三段目優勝1回,序二段優勝1回,序ノ口優勝1回
- 受賞・金星
- 技能賞1回
- 幕内戦歴
- 431勝494敗20休924出場(勝率.466)
- 在位63場所(在位率.750)
- 勝ち越し23場所(勝ち越し率.365)
- 小結戦歴
- 18勝27敗0休45出場(勝率.400)
- 在位3場所(在位率.036)
- 勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
- 前頭戦歴
- 413勝467敗20休879出場(勝率.469)
- 在位60場所(在位率.714)
- 勝ち越し23場所(勝ち越し率.383)
- 十両戦歴
- 71勝34敗15休105出場(勝率.676)
- 在位8場所(在位率.095)
- 勝ち越し7場所(勝ち越し率.875)
- 関取戦歴
- 502勝528敗35休1029出場(勝率.487)
- 在位71場所(在位率.845)
- 勝ち越し30場所(勝ち越し率.423)
- 幕下以下歴
- 46勝17敗21休63出場(勝率.730)
- 在位12場所(在位率.143)
- 勝ち越し8場所(勝ち越し率.667)