強力な突き押しと、どんな相手にも怯まずに立ち向かっていく取り口で新三役へと昇進した貴景勝が所属する貴乃花部屋は言わずと知れた「平成の大横綱」貴乃花親方の部屋です。
今回は貴乃花部屋の歴史と注目ポイント、そして所属力士などをご紹介していきます。
改称 :平成16年(2004年)2月
師匠 :貴乃花 光司(第65代横綱・貴乃花)
所在地:東京都江東区東砂4-7-6
主な所属力士:貴景勝、貴ノ岩、貴源治、貴公俊 前身:二子山部屋 平成5年2月(合併)~平成16年2月
:藤島部屋 昭和57年2月~平成5年2月
:二子山部屋 昭和37年9月~平成5年2月
この記事の目次
貴乃花部屋の歴史
貴乃花部屋は、平成15年(2003)1月場所を最後に現役を引退し、二子山部屋の部屋付き親方となっていた元横綱・貴乃花の一代年寄・貴乃花親方が、平成16年(2004)2月1日付で二子山部屋を継承し、それと同時に部屋を貴ノ花部屋へと改称したのが始まりです。
この二子山部屋は、貴乃花の父である元大関・貴ノ花が創設した藤島部屋が元で、そこに名跡交換によって合併したのが初代若乃花が創設した二子山部屋。「藤島部屋って今もあるよ?」と思った方、そうですよね。相撲の世界では同じ名前でも違う部屋があって、こんがらがりますよね。
そこで、まずは藤島部屋と二子山部屋の歴史を簡単におさらいしましょう。
藤島部屋の創設
貴乃花親方の父である元大関・貴ノ花は、兄である10代二子山(第45代横綱・初代若乃花)が創設した二子山部屋に所属していました。
兄弟は22歳も年が離れており、初めは弟の入門を猛反対していた若乃花でしたが母親からの説得によって「兄弟の縁を切る」ことを条件に入門を許可、その後は「土俵の鬼」と呼ばれた若乃花の厳しい指導のもと、貴ノ花は人気と実力を兼ね備えた名大関となり「角界のプリンス」と呼ばれるほどでした。
この二子山部屋出身の力士は他にも、横綱・2代若乃花(のちの18代間垣)や、稀勢の里と高安にとっての「先代の親方」横綱・隆の里(のちの13代鳴戸)、大関・若島津(12代二所ノ関)に関脇・太寿山(15代花籠)、小結・隆三杉(20代千賀ノ浦)、そして小結・三杉里(17代浜風)等々…、多数の関取が誕生しています。
さて、貴ノ花は昭和56年(1981)1月場所を最後に30歳で現役を引退、年寄・10代鳴戸を経て昭和57年に12代藤島を襲名、二子山部屋から分家独立して藤島部屋を創設しました。
藤島部屋の台頭
この藤島部屋も、母体であった二子山部屋に勝るとも劣らず多くの関取を輩出することになります。大関・貴ノ浪(19代音羽山)、関脇・安芸乃島(9代高田川)、関脇・貴闘力(16代大嶽)等々。
そして何と言っても親方の息子である若花田(のちの3代若乃花)と貴花田(のちの2代貴乃花)の人気は凄まじく、兄弟が揃って入幕した頃から一大相撲ブームが巻き起こりました。
藤島部屋と二子山部屋の合併
そんな藤島部屋と二子山部屋はやがて合併の時を迎えます。平成5年(1993)3月に兄の10代二子山が停年を迎えるにあたり、前月の2月に藤島の名跡と交換、11代二子山を襲名しました。これに伴い藤島部屋所属の力士は二子山部屋へと移籍し、藤島部屋は閉鎖されました。とは言っても「閉鎖」は名ばかりで、合併後も使用している設備は旧藤島部屋のもの。つまり、手続き上は二子山部屋への合併ですが、実質は藤島部屋への吸収合併で名称だけを変更したようなものでした。
なんにしても、この合併により新二子山部屋はさらに多くの関取を擁することになります。どれほどかを合併直後の3月場所の番付で見ると、幕内力士が旧藤島部屋で6人、旧二子山部屋が4人で合計なんと10人!部屋全体でも力士50人という大所帯の相撲部屋になりました。
部屋 | 東 | 位 | 西 | 部屋 |
---|---|---|---|---|
東関 | 曙 | 横綱 | ||
二子山 (旧藤島) | 貴ノ花 | 大関 | 小錦 | 高砂 |
武蔵川 | 武蔵丸 | 関脇 | 安芸乃島 | 二子山 (旧藤島) |
張出関脇 | 霧島 | 井筒 | ||
二子山 (旧藤島) | 若花田 | 小結 | 若翔洋 | 二子山 (旧二子山) |
佐渡ヶ嶽 | 琴錦 | 張出小結 | ||
二子山 (旧藤島) | 貴ノ浪 | 前頭筆頭 | 栃乃和歌 | 春日野 |
大島 | 旭道山 | 前頭2 | 久島海 | 出羽海 |
立浪 | 大翔山 | 前頭3 | 三杉里 | 二子山 (旧二子山) |
出羽海 | 小城ノ花 | 前頭4 | 巴富士 | 九重 |
立浪 | 大翔鳳 | 前頭5 | 琴別府 | 佐渡ヶ嶽 |
二子山 (旧二子山) | 隆三杉 | 前頭6 | 豊ノ海 | 二子山 (旧藤島) |
二子山 (旧二子山) | 波ノ花 | 前頭7 | 水戸泉 | 高砂 |
佐渡ヶ嶽 | 琴稲妻 | 前頭8 | 北勝鬨 | 伊勢ノ海 |
佐渡ヶ嶽 | 琴椿 | 前頭9 | 寺尾 | 井筒 |
佐渡ヶ嶽 | 琴富士 | 前頭10 | 大善 | 二所ノ関 |
高田川 | 鬼雷砲 | 前頭11 | 舞の海 | 出羽海 |
二子山 (旧藤島) | 貴闘力 | 前頭12 | 琴の若 | 佐渡ヶ嶽 |
時津風 | 蒼樹山 | 前頭13 | 栃乃藤 | 春日野 |
押尾川 | 日立龍 | 前頭14 | 剣晃 | 高田川 |
安治川 | 春日富士 | 前頭15 | 恵那櫻 | 押尾川 |
三保ヶ関 | 肥後ノ海 | 前頭16 |
平成6年(1994)11月場所後には貴乃花が第65代横綱へと昇進。平成10年(1998)5月場所後には若乃花が第66代横綱へと昇進します。その他の所属力士も全盛期を迎えることになった90年代中期から後期にかけては、二子山部屋は相撲界の中心的存在となっていました。
貴乃花の引退と部屋の継承~花田家の結晶
「平成の大横綱」と呼ばれるほどの功績をあげた貴乃花でしたが、平成15年(2003)1月場所を最後に現役を引退、一代年寄・貴乃花として二子山部屋の部屋付き親方となっていました。そして、平成16年(2004)2月1日付で二子山部屋を継承、それと同時に名称を貴乃花部屋へと改称します。
伯父である若乃花が興した旧二子山部屋と、父である貴ノ花が興した旧藤島部屋が合体して現在の貴乃花部屋へと至る…こうして順を追ってみると「花田ファミリー」の歴史が詰まった部屋だということが分かりますね。
低迷期と内紛
大横綱の名を掲げた貴乃花部屋ですが、しばらくは低迷期が続くことになります。平成16年5月場所の途中に貴ノ浪が引退してか部屋から関取がいなくなり、所属力士も徐々に減少。さらに平成17年(2005)5月から平成20年(2008)3月までの約3年間は入門者ゼロという事態に。
この間には現役時の兄弟子であり、部屋付き親方となっていた17代藤島(元関脇・安芸乃島)と貴乃花との対立も表面化しており、安芸乃島は貴乃花から部屋への出勤停止と出入り禁止を言い渡されてしまいます。
進退窮まった安芸乃島は高田川部屋への移籍を希望しますが、その際の移籍許可書類への押印も貴乃花から拒否される始末。最終的には先代の師匠である11代二子山(初代貴ノ花)に病床で代理の判を押してもらい高田川部屋へと移籍、後に9代高田川として部屋を継承して現在に至っています。
いろんな問題を抱えてなかなか軌道に乗れなかった貴乃花部屋ですが、平成20年頃からはようやく入門者も増えてくるようになります。
貴乃花部屋生え抜き初の関取誕生
部屋を継承以来、日本人で中学卒の力士にこだわっていた貴乃花ですが、平成20年(2008)11月には部屋初となる外国人力士・貴ノ岩を入門させます。この貴ノ岩が入った頃から中卒以外の力士も取るようになり、徐々に入門者も増えて部屋も活気を取り戻しはじめました。
貴ノ岩は入門以降、徐々に番付をあげていき平成24年(2012)5月場所後の番付編成会議で十両昇進を決めます。貴ノ浪が引退してから実に8年ぶり、貴ノ岩は、貴乃花が部屋を継承後の入門力士として初の関取となりました。
二所ノ関一門を離脱
ちょっと時期が前後しますが平成22年(2010)1月に行われた相撲協会理事選挙で貴乃花親方は立候補を表明し問題になります。
というのも従来の理事選は定員以上の候補を出さない、いわゆる「無投票」によって行うことが暗黙の了解となっており、それぞれの一門があらかじめ候補者を選定して枠を埋めていくような「談合」が横行していたからです。
つまり問題というのは、このとき所属していた二所ノ関一門内では別の候補を擁立しようとしていたが、貴乃花が立候補すると「通常の」選挙が行われて誰かが落選してしまう、という世間的には普通のことが起きることでした。
一門は貴乃花に立候補を断念するよう求めましたが、貴乃花はこれを拒否、一門離脱を表明しました。
この貴乃花の行動を支持したのが18代間垣(元横綱・2代目若乃花)、12代阿武松(元関脇・益荒雄)、16代大嶽(元関脇・貴闘力)、12代二子山(元十両・大竜)、19代音羽山(元大関・貴ノ浪)、15代常磐山(元小結・隆三杉)の6人。この顔ぶれを見ていると旧二子山と旧藤島部屋出身力士の結束が伺えますね。しかし、この行動によって間垣部屋と阿武松部屋、そして大嶽部屋の3部屋と貴乃花部屋は二所ノ関一門から破門されることになります。
この波乱を巻き起こした理事選の結果は貴乃花が見事当選、その後も再選を繰り返し今日に至っています。
貴乃花グループから貴乃花一門へ
二所ノ関一門から離脱(事実上破門)した貴乃花部屋と3部屋は無所属ながらも「貴乃花グループ」と呼ばれる派閥を形成します。
その後、平成24年(2012)には立浪部屋が合流、翌25年には間垣部屋の閉鎖、そして野球賭博問題による16代大嶽(貴闘力)への解雇処分など紆余曲折がありましたが、平成26年(2014)5月に協会から各一門へと支給される助成金が貴乃花グループにも支払われるようになったことを受け「貴乃花一門」へと名称を変更。
また、部屋付き親方だった15代常磐山は平成28年(2016)4月に20代千賀ノ浦を襲名し千賀ノ浦部屋を継承したことで現在、同一門には5つの部屋が所属しています。
- 貴乃花部屋 一代年寄・貴乃花
- 大嶽部屋 17代大嶽(元十両・大竜)
- 阿武松部屋 12代阿武松(元関脇・益荒雄)
- 立浪部屋 7代立浪(元小結・旭豊)
- 千賀ノ浦部屋 20代千賀ノ浦(元小結・隆三杉)
音羽山親方の急逝、若手の躍進、そして部屋の移転
平成27年(2015)6月20日にショッキングなニュースが飛び込んできます。貴乃花現役時には兄弟子であり、部屋を継いでからは貴乃花親方の右腕として指導にあたっていた19代音羽山親方(元大関・貴ノ浪)が急逝されたのです。
平成8年と平成9年には優勝決定戦に進出し、貴乃花との同部屋対決を二度も制した実力者であり、また気さくな人柄と天性の明るさで誰からも親しまれた音羽山親方の死は貴乃花部屋にとって大きな痛手となりました。
しかし、そんな悲しい出来事を振り払うかのように若手の成長は着々と進んでいました。平成28年3月場所では東幕下9枚目だった佐藤が全勝優勝を決め、場所後の番付編成会議で十両昇進が決定。貴ノ岩に次ぐ二人目の関取となります。続く5月場所でも11勝4敗の好成績、7月は負け越しますが9月は10勝、そして11月では西十両3枚目で12勝をあげて見事優勝、翌場所の入幕を決めました。
また、この間に貴乃花部屋は旧藤島部屋創設以来35年近く使用してきた中野区本町の施設から江東区東砂へと部屋を移転、平成28年7月27日に土俵開きを行いました。
移転先となる江東区には一門である大嶽部屋をはじめ、貴乃花親方と「志を共にしている」といわれる時津風一門の錣山部屋と出羽海一門の山響部屋があります。それぞれの部屋との出稽古もしやすくなり、両国国技館へのアクセスもよくなったことで、さらに所属力士たちは力をつけていくかもしれませんね。
貴乃花部屋の注目ポイント
ここからは貴乃花部屋の注目ポイントをご紹介していきます。
爽快なまでに怯まない貴景勝
いま、相撲界では有力な若手が伸びてきていますが貴景勝もその一人。
平成26年(2014)9月の初土俵から所要13場所で初入幕を果たした佐藤は四股名を貴景勝(たかけいしょう)に改めます。この名は有名な戦国武将、上杉謙信の後を継いだ上杉景勝(かげかつ)にちなんだものです。なぜ景勝かというと、貴乃花親方は大の上杉謙信公好きで、その後を継いだ景勝の名を、親方として初めて関取に育て上げた日本人力士の佐藤(貴景勝)に重ね合わせて名付けたのです。
また、名前といえば、佐藤の本名は佐藤貴信で「貴」の字が入っています。これは貴乃花ファンだった父親がつけた名前でした。
高校在学のまま角界入り
子供の頃から空手を習っていた佐藤ですが、小学校3年生の時に空手の全国大会の決勝で判定敗けを受けたことに納得がいかず、「判定」がある競技はやりたくないとの思いから相撲に転向します。
中学は相撲の強豪校「報徳学園中学校」に進学し、三年生のときに全国中学生相撲選手権大会にて優勝、中学生横綱のタイトルを獲得しました。
高校はこれまた相撲の名門校「埼玉栄高校」に入学、数々のタイトルを獲得します。高校三年生の頃には角界入りへの気持ちが抑えきれずに、高校在学のまま平成26年9月に貴乃花部屋へと入門。翌11月場所では序ノ口で全勝優勝を決めると、続く1月場所でも全勝で序二段優勝、高校卒業となる3月場所では早くも三段目18枚目まで番付を上げていました。
そのまま番付を下げることなく1年後の平成28年3月場所では全勝で幕下優勝、十両昇進後の11月場所では12勝で十両優勝を決めると、平成29年(2017)1月場所の番付には東の前頭12枚目で貴景勝の四股名が載りました。
貴乃花部屋初の新三役
平成29年11月場所で西の前頭筆頭だった貴景勝は11勝4敗と好調、準優勝に値する成績を残しました。また金星もふたつ獲得しましたが、そのうちのひとつは奇しくも「貴乃花部屋因縁の相手」日馬富士で、しかも日馬富士にとっては現役最後の相手が貴景勝となったのでした。※1
この活躍によって平成30年初場所の番付発表では、貴乃花部屋に改称してからは初となる新三役へと昇進しました。
※1:貴景勝と日馬富士は平成29年11月場所2日目に対戦、翌日から休場となった日馬富士の3日目の成績は不戦敗で相手は玉鷲
阿武咲とのライバル関係
同じ年齢の阿武咲とは、実は子供の頃から切磋琢磨してきたライバル関係にあります。入門は高校中退で角界入りした阿武咲が1年半ほど先ですが、入幕は貴景勝の方が2場所ほど先。しかし平成29年5月に新入幕となった阿武咲の勢いは留まることを知らず、三役昇進は阿武咲が先に決めています。
土俵を降りると大の親友同士ですが、それが故に土俵上ではお互いに意識しあっているようで気合の入った取組を見ることができます。
ふてぶてしい態度とは裏腹の礼儀正しい力士
土俵上ではどんな相手でも物怖じせずにふてぶてしい態度で、塩をまくのも投げ捨てるような(最近は少しマシになった?)姿が印象的な貴景勝ですが、いざインタビューでの話を聞いていると本当に礼儀正しくて謙虚で、また自分の考えをしっかりと持っている貴景勝。
土俵上での取り口をあらためて見てみると、ちいさな身体ながら強力な突き押しでどんどん攻めていくのですが、しっかりと相手を見ているため効果的に突きが決まっている。また、押すだけではなく機を見ていなす相撲勘の良さも特徴です。
双子の貴源治と貴公俊
相撲界には兄弟力士は珍しくなく、兄弟揃って関取経験者という例がいくつもあります。有名なところで言えばもちろん貴乃花親方の若貴兄弟ですが、ほかにも逆鉾(井筒親方)、寺尾(錣山親方)、そして元十両・鶴嶺山の井筒三兄弟、小城ノ花(出羽海親方)と小城錦(中立親方)の小岩井兄弟、現役でみると千代丸と千代鳳の木下兄弟に英乃海と翔猿の岩崎兄弟等々…他にもたくさんいます。関取に限らなければさらに増えていきますよ。
では、双子での関取経験兄弟は?これは、「大相撲史上」貴源治(たかげんじ)に貴公俊(たかよしとし)の上山兄弟しかいないのです!
バスケットボールから相撲界へ
兄が貴公俊(剛)で弟が貴源治(賢)の上山兄弟ですが、中学の頃はバスケットボールの選手として茨城県選抜メンバーに選ばれて全国3位になるほどの腕前でした。当然、バスケの強豪高校からは多くのスカウトが来たようですが、父親の強い勧めもあり、相撲未経験でありながら中学卒業と同時に貴乃花部屋への入門を決めます。
前相撲ではともに2勝2敗の二番出世でしたが相撲未経験ということを考えれば上出来。その後は天性の運動能力の高さからそれぞれが番付を上げていき、入門から2年後の平成27年(2015)3月場所で共に幕下へと昇格しました。
貴源治が十両へ一歩リード
その後、幕下で揉まれながらも定着していった貴公俊に対して貴源治は幕下陥落を二度経験し、なかなか幕下で勝ち越せないでいました。1年ほどはそんな状態が続きましたが、三度目の幕下昇進となった平成28年の初場所で優勝決定戦を経験、そこから徐々に波に乗ってきた貴源治は平成29年(2017)3月の場所後には十両への昇進を決めました。翌5月場所では11敗の大負けであえなく陥落となりますが3場所で再び十両に戻ります。
史上初の双子関取が誕生
一方の貴公俊は幕下に定着したものの中位で足踏み状態が続いていました。
しかし、じわりじわりと番付をあげて平成30年(2018)1月場所は東の幕下6枚目で迎えます。この場所は4勝3敗とひとつの勝ち越しで、本来であればまだ十両に昇進できるような勝ち星でも番付でもありませんでしたが、ここで幸運が。
怪我や様々な理由で幕下陥落力士が7人ほど見込まれる状況が貴公俊の十両昇進を後押しして、平成30年(2018)1月31日の番付編成会議によって新十両昇進が決定しました。
貴源治の十両昇進の際には「涙が出そうなくらい悔しかった。うれしさ6割、悔しさ4割」と複雑な心境を語っていた貴公俊ですが、弟に遅れること1年で同じ十両の土俵を踏むことになりました。
兄弟揃って関取というのは珍しくないのですが、双子が揃って関取というのは、記録が残る限りでは大相撲史上初のことです。凄いですね!
ところで、ネットの一部では「貴景勝(たかけいしょう)・双子説」が流れているようですが、貴乃花部屋の双子は貴源治と貴公俊、そして平成26年に相次いで引退してしまいましたが貴斗志(たかとし)と貴月芳(たかげっぽう)の二組の双子です。
同部屋に二組の双子力士という珍しさのあまり、勢い余って貴景勝まで双子か!?となったのでしょうか?(笑)理由は不明ですが、デマ解消のために念のため書いておきます。
貴乃花部屋の所属人員
ここからは貴乃花部屋に所属する人員をご紹介いたします。
また、最新場所の機能的な番付表もご用意しています。様々な情報を並び替えて確認することができますよ。 ⇒ ⇒機能的な最新番付表
師匠
一代年寄・貴乃花(第65代横綱・貴乃花):東京都
生年月日:昭和47年8月12日(52歳)
生涯戦歴:794勝262敗201休1049出場
優勝歴:優勝22回
受賞歴:殊勲賞4回・敢闘賞2回・技能賞3回・金星1個
力士
貴乃花部屋所属力士の最新成績とより詳しい情報を知りたい方はこちらをどうぞ。 ⇒ 貴乃花部屋所属力士の最新場所成績と基礎情報
世話人
嵐望(らんぼー)(元幕下13枚目 ):東京都
生年月日:昭和47年7月2日(52歳)
生涯戦歴:502勝487敗54休988出場
優勝歴:三段目優勝1回・序二段優勝1回
床山
二等床山・床勝(とこかつ):東京都
歴代の師匠
- 10代二子山・二子山勝治(第45代横綱・若乃花):青森県
- 11代二子山・二子山満(大関・貴ノ花:青森県
- 一代年寄貴ノ花・貴乃花光司(第65代横綱):東京都
過去に在籍した主な力士
- 56代横綱・若乃花(2代目):青森県(旧二子山部屋)
- 59代横綱・隆の里:青森県(旧二子山部屋)
- 65代横綱・貴乃花:東京都(旧藤島部屋~新二子山部屋)
- 66代横綱・若乃花:東京都(旧藤島部屋~新二子山部屋)
- 大関・貴ノ花:青森県(旧二子山部屋)
- 大関・若島津:鹿児島県(旧二子山部屋)
- 大関・貴ノ浪:青森県(旧藤島部屋~新二子山部屋)
- 関脇・太寿山:新潟県(旧二子山部屋)
- 関脇・若翔洋:東京都(旧二子山部屋~新二子山部屋)
- 関脇・安芸乃島:広島県(旧藤島部屋~新二子山部屋)
- 関脇・貴闘力:兵庫県(旧藤島部屋~新二子山部屋)
- 小結・二子岳:青森県(旧二子山部屋)
- 小結・若獅子:青森県(旧二子山部屋)
- 小結・隆三杉:神奈川県(旧二子山部屋~新二子山部屋)
- 小結・三杉里:滋賀県(旧二子山部屋~新二子山部屋)
- 小結・波乃花:青森県(旧二子山部屋~新二子山部屋)