この記事の目次
この記事の目次
明治年間の横綱
鬼面山 谷五郎
徳島藩のお抱え力士として陣幕久五郎らと共に「阿波四天王」と称された攻めの力士。明治になって初の横綱免許は鬼面山で、この時すでに43歳。これは歴代横綱のなかでも最高齢授与記録
- 四股名 :鬼面山 谷五郎(きめんざん たにごろう)
- 最高位 :大関(横綱免許)第13代横綱
- 年寄名跡:横綱特権・鬼面山
- 出身地 :岐阜県養老郡
- 本 名 :田中 新一
- 生年月日:文政9年(1826)
- 没年月日:明治4年(1871)7月23日(享年45歳)
- 所属部屋:武隈部屋
- 改名歴 :浜碇⇒弥高山⇒鬼面山
- 初土俵 :嘉永5年(1852)2月・二段目付出(26歳)
- 新入幕 :安政4年(1857)1月(31歳)
- 新大関 :慶応元年(1865)11月(39歳)
- 横綱免許:明治2年(1869)2月(43歳)
- 最終場所:明治3年(1870)11月(44歳)
- 生涯戦歴:143勝24敗62休16分8預/191出場(27場所)
- 生涯勝率:85.6%
- 優勝等 :優勝相当7回
- 幕内戦歴:143勝24敗62休16分8預(27場所)勝率:85.6%
- 大関:38勝5敗27休6分3預(8場所)勝率:88.4%
- 関脇:35勝8敗9休5分2預(6場所)勝率:81.4%
- 小結:52勝6敗21休5分3預(9場所)勝率:89.7%
- 前頭:18勝5敗5休(4場所)勝率:78.3%
境川 浪右エ門
相手十分で相撲を取らせてから勝ちに出るその土俵態度は対戦相手から好感を持たれた
- 四股名 :境川 浪右エ門(さかいがわ なみえもん)
- 最高位 :大関(横綱免許)第14代横綱
- 年寄名跡:
6代境川 - 出身地 :千葉県市川市
- 本 名 :宇田川 政吉⇒市川 浪右衛門
- 生年月日:天保12年(1842)4月8日
- 没年月日:明治20年(1887)9月16日(享年46歳)
- 所属部屋:境川部屋
- 改名歴 :小西川⇒四方山⇒増位山⇒境川
- 初土俵 :安政4年(1857)11月・序ノ口(15歳7ヵ月)
- 新入幕 :慶応3年(1867)4月(25歳0ヵ月)
- 新大関 :明治3年(1870)4月(28歳0ヵ月)
- 横綱免許:明治9年(1876)12月(34歳8ヶ月)京都五条家
- 承認 :明治10年(1877)2月(34歳10ヶ月)吉田司家
- 最終場所:明治14年(1881)1月(38歳9ヵ月)
- 生涯戦歴:130勝26敗63休73分6預/235出場(30場所)
- 生涯勝率:83.3%
- 優勝等 :優勝相当5回
- 幕内戦歴:118勝23敗63休71分5預(28場所)勝率:83.7%
- 大関:83勝19敗57休56分5預(22場所)勝率:81.4%
- 関脇:15勝0敗2休3分(2場所)勝率:100.0%
- 小結:4勝2敗1休3分(1場所)勝率:66.7%
- 前頭:16勝2敗3休9分(3場所)勝率:88.9%
- 十両戦歴:12勝3敗2分1預(2場所)勝率:80.0%
梅ヶ谷 藤太郎(初代)
現役の功績はもちろん、引退後も相撲界を牽引し「相撲道中興の祖」と仰がれた「大雷」
- 四股名 :梅ヶ谷 藤太郎(初代)(うめがたに とうたろう)
- 最高位 :大関(横綱免許)第15代横綱
- 年寄名跡:梅ヶ谷⇒
10代雷 - 出身地 :福岡県朝倉郡
- 本 名 :小江 藤太郎
- 生年月日:弘化2年(1845)2月9日
- 没年月日:昭和3年(1928)6月15日(享年83歳)
- 所属部屋:湊(大阪)⇒玉垣⇒梅ケ谷⇒雷部屋
- 初土俵 :明治4年(1871)3月・二段目付出(26歳)
- 新十両 :明治4年(1871)11月(26歳)
- 新入幕 :明治7年(1874)12月(29歳)
- 新三役 :明治10年(1877)6月(32歳)
- 新大関 :明治12年(1879)1月(34歳)
- 横綱免許:明治17年(1884)3月(38歳)
- 最終場所:明治18年(1885)5月(40歳)
- 生涯戦歴:151勝13敗78休22分2預/188出場(28場所)
- 生涯勝率:92.1%
- 優勝等 :優勝相当9回
- 幕内戦歴:116勝6敗78休18分2預(22場所)勝率:95.1%
- 大関:66勝3敗57休13分1預(14場所)勝率:95.7%
- 関脇:13勝0敗5休1分1預(2場所)勝率:100.0%
- 小結:7勝0敗2休1分(1場所)勝率:100.0%
- 前頭:30勝3敗14休3分(5場所)勝率:90.9%
- 十両戦歴:35勝7敗4分(6場所)勝率:83.3%
明治年間の横綱(これ以降、横綱は番付上最高位)
西ノ海 嘉治郎(初代)
鹿児島県薩摩川内市出身、高砂部屋の元力士で最高位は横綱。京都相撲の鯨波(ときのこえ)部屋に入門、西ノ海の四股名で明治7年(1875)に初土俵を踏み、明治14年(1881)には京都相撲で小結まで番付を上げていた。
この頃、改革をうたって東京相撲会所を脱退した初代高砂浦五郎率いる「高砂改正組」の巡業に参加した西ノ海は、高砂に大いに認められ、高砂が東京相撲会所に復帰するや乞われて上京、西ノ海は高砂部屋所属となる。
高砂のはからいで明治15年(1882)1月の初土俵は幕内格付け出しという特別待遇でのスタート。この期待に違わず西ノ海は順調に番付を上げていくと3年後の明治18年(1885)1月場所では当時の相撲界の「最高位」である大関にまで昇進した。
しかしここからが不運の始まり。翌場所も6勝1敗2分と好成績の西ノ海だったが、それを関脇・大達が8勝1敗と上回ると、なんと翌場所は大達に大関を譲る形で関脇に落とされてしまった。その後も好成績を上げても他の力士との兼ね合いでなかなか大関に戻れず、ようやく西ノ海が大関に復帰できたのは4年半後の明治23年(1890)1月場所だった。
大関復帰の場所を7勝2敗で終えた西ノ海は、場所後の天覧相撲に合わせて横綱免許が授与された。
こうして第16代横綱の「名誉称号」を得た西ノ海だったが翌場所の番付では他の優秀な大関候補に押される形で「張出大関」にさせられそうになる。これには「横綱を許されたのに張り出されるのは侮辱だ」と納得のいかない西ノ海。散々もめた末に編み出された解決策は、大関ではなく「横綱」として張り出すというものだった。
従来の階級では「大関」が番付の最高位であり「横綱」はあくまで名誉称号だったが、番付史上初めて「横綱」と明記されることとなった。こののち、横綱が「最高位」として認められて現代に至ることになる。
こうして横綱として6年12場所を務めた西ノ海は明治29年(1896)1月場所で引退。7代井筒を襲名した後、独立して井筒部屋を開くと西ノ海嘉治郎(2代)や駒ヶ嶽國力、大江山松太郎に逆鉾与治郎などを育て上げた。現代へと続く「井筒の系譜」の礎を築く。
- 四股名 :西ノ海 嘉治郎(初代)(にしのうみ かじろう)
- 最高位 :第16代横綱
- 年寄名跡:
7代井筒 - 出身地 :鹿児島県薩摩川内市
- 本 名 :小園 嘉次郎
- 生年月日:安政2年(1855)1月3日
- 没年月日:明治41年(1908)11月30日(享年53歳)
- 所属部屋:鯨波(京都)⇒高砂部屋
- 初土俵 :明治15年(1882)1月・幕内付出(27歳0ヵ月)
- 新入幕 :明治15年(1882)1月(27歳0ヵ月)
- 新三役 :明治16年(1883)5月(28歳4ヵ月)
- 新大関 :明治18年(1885)1月(30歳0ヵ月)
- 横綱昇進:明治23年(1890)5月(35歳4ヵ月)
- 最終場所:明治29年(1896)1月(41歳0ヵ月)
- 生涯戦歴:127勝37敗97休25分4預/193出場(29場所)
- 生涯勝率:77.4%
- 優勝等 :優勝相当2回
- 幕内戦歴:127勝37敗97休25分4預(29場所)勝率:77.4%
- 横綱:44勝13敗60休1分2預(12場所)勝率:77.2%
- 大関:16勝3敗4休7分(3場所)勝率:84.2%
- 関脇:38勝10敗10休10分2預(7場所)勝率:79.2%
- 小結:15勝5敗17休3分(4場所)勝率:75.0%
- 前頭:14勝6敗6休4分(3場所)勝率:70.0%
小錦 八十吉(初代)
新入幕から4年間で39連勝、立ち合い鋭くまた臨機応変で俊敏な取り口で絶大な人気を誇った。引退後は二十山部屋を興し、次期高砂の後継者に内定していたが先代の後を追うように亡くなる
- 四股名 :小錦 八十吉(初代)(こにしき やそきち)
- 最高位 :第17代横綱
- 年寄名跡:
6代二十山 - 出身地 :千葉県山武郡
- 本 名 :岩井 八十吉
- 生年月日:慶応2(1866)年10月15日
- 没年月日:大正3年(1914)10月22日(享年48歳)
- 所属部屋:高砂部屋
- 初土俵 :明治16年(1883)5月・序ノ口(16歳7ヶ月)
- 新十両 :明治21年(1888)1月(21歳3ヶ月)
- 新入幕 :明治21年(1888)5月(21歳7ヶ月)
- 新三役 :明治22年(1889)5月(22歳7ヶ月)
- 新大関 :明治23年(1890)5月(23歳7ヶ月)
- 横綱昇進:明治29年(1896)5月(29歳7ヶ月)
- 最終場所:明治34年(1901)1月(35歳3ヶ月)
- 生涯戦歴:127勝26敗101休9分7預/169出場(27場所)
- 生涯勝率:83.0%
- 優勝等 :優勝相当7回
- 幕内戦歴:119勝24敗101休9分7預(26場所)勝率:83.2%
- 横綱:37勝17敗37休6分3預(10場所)勝率:68.5%
- 大関:52勝7敗59休1分1預(12場所)勝率:88.1%
- 小結:15勝0敗3休1分1預(2場所)勝率:100.0%
- 前頭:15勝0敗2休1分2預(2場所)勝率:100.0%
- 十両戦歴:8勝2敗(1場所)勝率:80.0%
大砲 万右エ門
巨体で、組めば強かったが慎重すぎて引き分けが多く横綱ならぬ「分け綱」と揶揄された
- 四股名 :大砲 万右エ門(おおづつ まんえもん)
- 最高位 :第18代横綱
- 年寄名跡:
7代待乳山 - 出身地 :宮城県白石市
- 本 名 :角張 万次
- 生年月日:明治2年(1869)11月28日
- 没年月日:大正7年(1918)5月27日(享年48歳)
- 所属部屋:尾車部屋
- 改名歴 :三沢滝⇒大砲⇒大炮⇒大砲⇒大炮⇒大砲
- 初土俵 :明治20年(1887)1月・序ノ口(17歳2ヵ月)
- 新十両 :明治25年(1892)1月(22歳2ヵ月)
- 新入幕 :明治25年(1892)6月(22歳7ヵ月)
- 新三役 :明治26年(1893)1月(23歳2ヵ月)
- 新大関 :明治32年(1899)5月(29歳6ヵ月)
- 横綱昇進:明治34年(1901)5月(31歳6ヵ月)
- 最終場所:明治41年(1908)1月(38歳2ヵ月)
- 生涯戦歴:106勝30敗138休52分4預/192出場(33場所)
- 生涯勝率:77.9%
- 優勝等 :優勝相当2回
- 幕内戦歴:98勝29敗138休51分4預(32場所)勝率:77.2%
- 横綱:34勝7敗68休29分2預(14場所)勝率:82.9%
- 大関:14勝0敗19休5分2預(4場所)勝率:100.0%
- 関脇:15勝4敗14休7分(4場所)勝率:78.9%
- 小結:17勝4敗32休7分(6場所)勝率:81.0%
- 前頭:18勝14敗5休3分(4場所)勝率:56.3%
- 十両戦歴:8勝1敗1分(1場所)勝率:88.9%
常陸山 谷右エ門
茨城県水戸市出身、出羽ノ海部屋の元力士で最高位は横綱。明治後期の相撲黄金時代を築いた「角聖」は一代で部屋を角界一の大部屋へ、国技館建設などにも尽力。
- 四股名 :常陸山 谷右エ門(ひたちやま たにえもん)
- 最高位 :第19代横綱
- 年寄名跡:
5代出羽ノ海 - 出身地 :茨城県水戸市
- 本 名 :市毛 谷⇒市毛 谷右衛門
- 生年月日:明治7年(1874)1月19日
- 没年月日:大正11年(1922)6月19日(享年48歳)
- 所属部屋:入間川⇒出羽ノ海⇒三ツ湊(名古屋)⇒中村(大阪)⇒出羽ノ海部屋
- 改名歴 :御西山⇒常陸山
- 初土俵 :明治25年(1892)6月・序ノ口(18歳5ヵ月)
- 新十両 :明治31年(1898)5月(24歳4ヵ月)
- 新入幕 :明治32年(1899)1月(25歳0ヵ月)
- 新三役 :明治33年(1900)5月(26歳4ヵ月)
- 新大関 :明治34年(1901)5月(27歳4ヵ月)
- 横綱昇進:明治37年(1904)1月(30歳0ヵ月)
- 最終場所:大正3年(1914)5月(40歳4ヵ月)
- 生涯戦歴:159勝15敗131休23分2預/199出場(33場所)
- 生涯勝率:91.4%
- 優勝等 :幕内優勝1回(次点2)優勝相当6回
- 幕内戦歴:150勝15敗131休22分2預(32場所)勝率:90.9%
- 横綱:83勝10敗108休17分2預(22場所)勝率:89.2%
- 大関:37勝3敗9休1分(5場所)勝率:92.5%
- 関脇:15勝1敗2休2分(2場所)勝率:93.8%
- 前頭:15勝1敗12休2分(3場所)勝率:93.8%
- 十両戦歴:9勝0敗1分(1場所)勝率:100.0%
梅ヶ谷 藤太郎(2代)
明治後期の相撲黄金期「梅・常陸時代」を築いた立役者
- 四股名 :梅ヶ谷 藤太郎(2代)(うめがたに とうたろう)
- 最高位 :第20代横綱
- 年寄名跡:
11代雷 - 出身地 :富山県富山市
- 本 名 :押田 音次郎⇒小江 音次郎(音松)
- 生年月日:明治11年(1878)3月11日
- 没年月日:昭和2年(1927)9月2日(享年49歳)
- 所属部屋:雷部屋
- 改名歴 :梅ノ谷⇒梅ヶ谷
- 初土俵 :明治25年(1892)6月・序ノ口(14歳3ヵ月)
- 新十両 :明治30年(1897)1月(18歳10ヵ月)
- 新入幕 :明治31年(1898)1月(19歳10ヵ月)
- 新三役 :明治32年(1899)1月(20歳10ヵ月)
- 新大関 :明治33年(1900)5月(22歳2ヵ月)
- 横綱昇進:明治37年(1904)1月(25歳10ヵ月)
- 最終場所:大正4年(1915)6月(37歳3ヵ月)
- 生涯戦歴:183勝31敗116休48分2預/264出場(39場所)
- 生涯勝率:85.5%
- 優勝等 :優勝相当3回
- 幕内戦歴:168勝27敗116休47分2預(36場所)勝率:86.2%
- 横綱:90勝13敗99休37分1預(24場所)勝率:87.4%
- 大関:48勝6敗12休4分(7場所)勝率:88.9%
- 関脇:6勝2敗1休1分(1場所)勝率:75.0%
- 小結:12勝3敗2休3分(2場所)勝率:80.0%
- 前頭:12勝3敗2休2分1預(2場所)勝率:80.0%
- 十両戦歴:15勝4敗1分(2場所)勝率:78.9%
若嶌 権四郎
東京相撲では男前がたたって土俵が疎かになり脱走、大阪相撲に加入すると頭角を現して無敵の存在に。大阪力士として初めて吉田司家から横綱免許を正式に授与された
- 四股名 :若嶌 権四郎(わかしま ごんしろう)
- 最高位 :第21代横綱
- 年寄名跡:若島(大阪相撲)
- 出身地 :千葉県市川市
- 本 名 :高橋 権四郎⇒加藤 権四郎
- 生年月日:明治9年(1876)1月19日
- 没年月日:昭和18年(1943)10月23日(享年67歳)
- 所属部屋:楯山⇒粂川⇒友綱⇒草風(京都)⇒中村(大阪)部屋
- 改名歴 :松若⇒楯甲⇒若嶌
- 初土俵 :明治24年(1891)5月・序ノ口(15歳4ヵ月)
- 新十両 :明治28年(1895)6月(19歳5ヶ月)
- 新入幕 :明治29年(1896)1月(20歳0ヵ月)(東京)
- 新入幕 :明治31年(1898)10月(22歳9ヵ月)(大阪)
- 新大関 :明治34年(1901)5月(25歳4ヶ月)(大阪)
- 準横綱 :明治35年(1902)6月(26歳5ヶ月)(大阪)
- 横綱昇進:明治38年(1905)4月(29歳3ヶ月)(大阪)吉田司家
- 最終場所:明治40年(1907)1月(31歳0ヵ月)
- 生涯戦歴:82勝32敗16休8分4預/126出場(20場所)
- 生涯勝率:33.3%
- 優勝等 :優勝4回(大阪相撲)
- 幕内戦歴:13勝26敗16休4分1預(6場所)勝率:33.3%(東京)
- 幕内戦歴:69勝6敗4分3預(14場所)勝率:92.0%(大阪)
太刀山 峰右衛門
太刀山 峰右衛門(たちやま みねえもん)は富山県富山市出身、友綱部屋の元力士で、最高位は第22代横綱。
明治33年(1900)5月場所に22歳9ヶ月で初土俵を踏み、大正7年(1918)1月場所を最後に引退(40歳5ヶ月)。
通算成績は211勝30敗73休11分5預257出場。生涯勝率.876。通算36場所中、24場所を勝ち越した(勝ち越し率.667)。
主な成績は幕内優勝9回(次点4)。
本名は老本 弥次郎。明治10年(1877)8月15日生まれ。昭和16年(1941)4月3日逝去(享年63歳)。
強力な突っ張りで「45日の鉄砲」(一月半=一突き半)と恐れられた。
- 四股名
- 太刀山 峰右衛門(たちやま みねえもん)
- 最高位
- 第22代横綱
- 年寄名跡
7代東関 峰右衛門 - 出身地
- 富山県富山市
- 本名
- 老本 弥次郎
- 生年月日
- 明治10年(1877)8月15日
- 没年月日
- 昭和16年(1941)4月3日(享年63歳)
- 所属部屋
- 友綱部屋
- 改名歴
- 太刀山 峰右衛門 → 太刀山 藤太郎 → 太刀山 峰右衛門
- 初土俵
- 明治33年(1900)5月 幕下付出(22歳9ヶ月)
- 新十両
- 明治35年(1902)1月(所要3場所)
- 24歳4ヶ月(初土俵から1年8ヶ月)
- 新入幕
- 明治36年(1903)1月(所要5場所)
- 25歳4ヶ月(初土俵から2年8ヶ月)
- 新関脇
- 明治38年(1905)5月(所要10場所)
- 27歳9ヶ月(初土俵から5年0ヶ月)
- 新大関
- 明治42年(1909)6月(所要18場所)
- 31歳9ヶ月(初土俵から9年1ヶ月)
- 横綱昇進
- 明治44年(1911)6月(所要22場所)
- 33歳9ヶ月(初土俵から11年1ヶ月)
- 最終場所
- 大正7年(1918)1月(40歳5ヶ月)
- 大相撲歴
- 36場所(17年8ヶ月)
- 通算成績
- 211勝30敗73休11分5預257出場(勝率.876)
- 通算36場所
- 勝ち越し24場所(勝ち越し率.667)
- 優勝等
- 幕内優勝9回(次点4)
- 幕内戦歴
- 195勝27敗73休10分5預237出場(勝率.878)
- 在位31場所(在位率.861)
- 勝ち越し22場所(勝ち越し率.710)
- 横綱戦歴
- 84勝3敗51休1分1預89出場(勝率.966)
- 在位14場所(在位率.389)
- 勝ち越し9場所(勝ち越し率.643)
- 大関戦歴
- 31勝2敗1休4分2預39出場(勝率.939)
- 在位4場所(在位率.111)
- 勝ち越し4場所(勝ち越し率1.000)
- 関脇戦歴
- 48勝11敗16休4分1預64出場(勝率.814)
- 在位8場所(在位率.222)
- 勝ち越し5場所(勝ち越し率.625)
- 前頭戦歴
- 32勝11敗5休1分1預45出場(勝率.744)
- 在位5場所(在位率.139)
- 勝ち越し4場所(勝ち越し率.800)
- 十両戦歴
- 16勝3敗0休1分20出場(勝率.842)
- 在位2場所(在位率.056)
- 勝ち越し2場所(勝ち越し率1.000)
- 関取戦歴
- 211勝30敗73休11分5預257出場(勝率.876)
- 在位33場所(在位率.917)
- 勝ち越し24場所(勝ち越し率.727)
大木戸 森右衛門
- 四股名 :大木戸 森右衛門(おおきど もりえもん)
- 最高位 :第23代横綱
- 年寄名跡:
14代湊 - 出身地 :兵庫県神戸市東灘区魚崎南町
- 本 名 :米川 文敏
- 生年月日:明治9年(1876)5月13日
- 没年月日:昭和5年(1930)11月7日(享年54歳)
- 所属部屋:湊部屋(大阪)
- 改名歴 :大城戸⇒大木戸
- 初土俵 :明治30年(1896)9月・見習(20歳)
- 新十両 :明治35年(1902)6月(26歳)
- 新入幕 :明治36年(1903)1月(27歳)
- 新三役 :明治37年(1904)1月(28歳)
- 新大関 :明治38年(1905)5月(29歳)
- 横綱免許:明治43年(1910)1月(34歳)(大阪協会)
- 横綱昇進:大正元年(1912)12月(36歳)(東京・吉田司家)
- 最終場所:大正3年(1914)1月(38歳)
- 優勝等 :幕内優勝10回(大阪)
- 幕内戦歴:143勝20敗6分4預(22場所)勝率:87.7%