歴代の横綱を一覧で!初代から73代横綱・照ノ富士までの詳細な横綱リスト-Part4

この記事の目次

昭和年間の横綱

玉錦 三右エ門

  • 四股名 :玉錦 三右エ門(たまにしき さんえもん)
  • 最高位 :第32代横綱
  • 年寄名跡:6代二所ノ関
  • 出身地 :高知県高知市
  • 本 名 :西ノ内 彌寿喜
  • 生年月日:明治36年(1903)12月15日
  • 没年月日:昭和13年(1938)12月4日(享年34歳)
  • 所属部屋:二所ノ関部屋
  • 初土俵 :大正8年(1919)1月(15歳1ヵ月)
  • 新十両 :大正14年(1925)1月(21歳1ヵ月)
  • 新入幕 :大正15年(1926)1月(22歳1ヵ月)
  • 新三役 :昭和3年(1928)1月(24歳1ヵ月)
  • 新大関 :昭和5年(1930)5月(26歳5ヵ月)
  • 横綱昇進:昭和8年(1933)1月(29歳1ヵ月)
  • 最終場所:昭和13年(1938)5月(34歳5ヵ月)
  • 生涯戦歴:350勝114敗17休3分1預/466出場(53場所)
  • 生涯勝率:75.4%
  • 優勝等 :幕内優勝9回(次点11)
  • 成 績 :金星1個
  • 幕内戦歴:308勝92敗17休3分(39場所)勝率:77.0%
  •   横綱:104勝18敗15休1分(12場所)勝率:85.2%
  •   大関:86勝20敗(11場所)勝率:81.1%
  •   関脇:67勝21敗(8場所)勝率:76.1%
  •   小結:14勝7敗1分(2場所)勝率:66.7%
  •   前頭:37勝26敗2休1分(6場所)勝率:58.7%
  • 十両戦歴:10勝3敗(2場所)勝率:76.9%

武藏山 武

神奈川県横浜市出身、出羽海部屋の元力士で最高位は横綱。初土俵から一気に番付を駆け上がるも、痛めていた右肘は横綱で悲鳴をあげた。

  • 四股名 :武藏山 武(むさしやま たけし)
  • 最高位 :第33代横綱
  • 年寄名跡:10代出来山⇒7代不知火
  • 出身地 :神奈川県横浜市
  • 本 名 :横山 武
  • 生年月日:明治42年(1909)12月5日
  • 没年月日:昭和44年(1969)3月15日(享年59歳)
  • 所属部屋:出羽海部屋
  • 初土俵 :大正15年(1926)1月(16歳1ヵ月)
  • 新十両 :昭和4年(1929)1月(19歳1ヵ月)
  • 新入幕 :昭和4年(1929)5月(19歳5ヵ月)
  • 新三役 :昭和5年(1930)5月(20歳5ヵ月)
  • 新大関 :昭和7年(1932)1月(22歳1ヵ月)
  • 横綱昇進:昭和11年(1936)1月(26歳1ヵ月)
  • 最終場所:昭和14年(1939)5月(29歳5ヵ月)
  • 生涯戦歴:240勝79敗71休2分/318出場(41場所)
  • 生涯勝率:75.2%
  • 優勝等 :幕内優勝1回(次点7),十両優勝1回,幕下優勝1回,序二段優勝1回
  • 成 績 :金星2個
  • 幕内戦歴:174勝69敗71休2分(29場所)勝率:71.6%
  •   横綱:15勝15敗70休(8場所)勝率:50.0%
  •   大関:76勝28敗2分(11場所)勝率:73.1%
  •   小結:50勝15敗1休(6場所)勝率:76.9%
  •   前頭:33勝11敗(4場所)勝率:75.0%
  • 十両戦歴:20勝2敗(2場所)勝率:90.9%

男女ノ川 登三

男女ノ川 登三(みなのがわ とうぞう)茨城県筑波郡菅間村(現・つくば市)出身、高砂 → 佐渡ヶ嶽部屋の元力士で、最高位は第34代横綱

大正13年(1924)1月場所に20歳3ヶ月で初土俵を踏み、昭和17年(1942)1月場所を最後に引退(38歳4ヶ月)。

通算成績は294勝155敗34休1分449出場。生涯勝率.655。通算46場所中、34場所を勝ち越した(勝ち越し率.756)。

主な成績は幕内優勝2回(次点5),三段目優勝1回金星2個(常ノ花1個、玉錦1個)。

本名は坂田 供次郎。明治36年(1903)9月17日生まれ。昭和46年(1971)1月20日逝去(享年67歳)。

四股名は筑波山に源流を持つ川の名から。仁王様のような風貌と怪力で強かったが、勝負にムラがあり意外に脆い面も。引退後は理事を務めたこともあったがその後、衆院選に出馬したり、保険の外交員や私立探偵をしたりと転々とした後半生を送った。

四股名
男女ノ川 登三(みなのがわ とうぞう)
最高位
第34代横綱
年寄名跡
特権年寄 男女ノ川 登三
出身地
茨城県筑波郡菅間村(現・つくば市)
本名
坂田 供次郎
生年月日
明治36年(1903)9月17日
没年月日
昭和46年(1971)1月20日(享年67歳)
所属部屋
高砂 → 佐渡ヶ嶽 → 高砂 → 佐渡ヶ嶽部屋
改名歴
男女ノ川 供二郎 → 男女ノ川 供治郎 → 男女ノ川 供次郎 → 朝潮 供次郎 → 男女ノ川 登三
初土俵
大正13年(1924)1月 前相撲(20歳3ヶ月)
新十両
昭和2年(1927)1月(所要6場所)
23歳3ヶ月(初土俵から3年0ヶ月)
新入幕
昭和3年(1928)1月(所要10場所)
24歳3ヶ月(初土俵から4年0ヶ月)
新小結
昭和5年(1930)1月(所要18場所)
26歳3ヶ月(初土俵から6年0ヶ月)
新関脇
昭和6年(1931)1月(所要22場所)
27歳3ヶ月(初土俵から7年0ヶ月)
新大関
昭和9年(1934)5月(所要30場所)
30歳7ヶ月(初土俵から10年4ヶ月)
横綱昇進
昭和11年(1936)5月(所要34場所)
32歳7ヶ月(初土俵から12年4ヶ月)
最終場所
昭和17年(1942)1月(38歳4ヶ月)
大相撲歴
46場所(18年0ヶ月)
通算成績
294勝155敗34休1分449出場(勝率.655)
通算46場所
勝ち越し34場所(勝ち越し率.756)
優勝等
幕内優勝2回(次点5),三段目優勝1回
受賞・金星
金星2個
幕内戦歴
247勝136敗33休1分383出場(勝率.645)
在位36場所(在位率.783)
勝ち越し27場所(勝ち越し率.750)
横綱戦歴
87勝55敗22休141出場(勝率.613)
在位12場所(在位率.261)
勝ち越し9場所(勝ち越し率.750)
大関戦歴
31勝13敗0休44出場(勝率.705)
在位4場所(在位率.087)
勝ち越し3場所(勝ち越し率.750)
三役戦歴
49勝28敗11休77出場(勝率.636)
在位8場所(在位率.174)
勝ち越し6場所(勝ち越し率.750)
関脇戦歴
27勝17敗11休44出場(勝率.614)
在位5場所(在位率.109)
勝ち越し3場所(勝ち越し率.600)
小結戦歴
22勝11敗0休33出場(勝率.667)
在位3場所(在位率.065)
勝ち越し3場所(勝ち越し率1.000)
前頭戦歴
80勝40敗0休1分121出場(勝率.667)
在位12場所(在位率.261)
勝ち越し9場所(勝ち越し率.750)
十両戦歴
23勝13敗1休36出場(勝率.639)
在位4場所(在位率.087)
勝ち越し2場所(勝ち越し率.500)
関取戦歴
270勝149敗34休1分419出場(勝率.644)
在位40場所(在位率.870)
勝ち越し29場所(勝ち越し率.725)
幕下以下歴
24勝6敗0休30出場(勝率.800)
在位5場所(在位率.109)
勝ち越し5場所(勝ち越し率1.000)


双葉山 定次

大分県宇佐市出身、立浪部屋の元力士で最高位は横綱。昭和の大横綱。

  • 四股名 :双葉山 定次(ふたばやま さだじ)
  • 最高位 :第35代横綱
  • 年寄名跡:横綱特権・双葉山12代時津風
  • 出身地 :大分県宇佐市
  • 本 名 :穐吉 定次
  • 生年月日:明治45年(1912)2月9日
  • 没年月日:昭和43年(1968)12月16日(享年56歳)
  • 所属部屋:立浪⇒双葉山相撲道場
  • 初土俵 :昭和2年(1927)3月(15歳1ヵ月)
  • 新十両 :昭和6年(1931)5月(19歳3ヵ月)
  • 新入幕 :昭和7年(1932)2月(20歳0ヵ月)
  • 新三役 :昭和10年(1935)1月(22歳11ヵ月)
  • 新大関 :昭和12年(1937)1月(24歳11ヵ月)
  • 横綱昇進:昭和13年(1938)1月(25歳11ヵ月)
  • 最終場所:昭和20年(1945)11月(33歳9ヵ月)
  • 生涯戦歴:348勝116敗33休1分/463出場(51場所)
  • 生涯勝率:75.0%
  • 優勝等 :幕内優勝12回(次点4)
  • 成 績 :金星1個
  • 幕内戦歴:276勝68敗33休1分(31場所)勝率:80.2%
  •   横綱:180勝24敗22休(17場所)勝率:88.2%
  •   大関:24勝0敗(2場所)勝率:100.0%
  •   関脇:11勝0敗(1場所)勝率:100.0%
  •   小結:4勝6敗1分(1場所)勝率:40.0%
  •   前頭:57勝38敗11休(10場所)勝率:60.0%
  • 十両戦歴:10勝12敗(3場所)勝率:45.5%

羽黒山 政司

  • 四股名 :羽黒山 政司(はぐろやま まさじ)
  • 最高位 :第36代横綱
  • 年寄名跡:横綱特権・羽黒山⇒5代立浪
  • 出身地 :新潟県西蒲原郡
  • 本 名 :小林 正治
  • 生年月日:大正3年(1914)11月18日
  • 没年月日:昭和44年(1969)10月14日(享年54歳)
  • 所属部屋:立浪部屋
  • 初土俵 :昭和9年(1934)1月(19歳2ヵ月)
  • 新十両 :昭和12年(1937)1月(22歳2ヵ月)
  • 新入幕 :昭和12年(1937)5月(22歳6ヵ月)
  • 新三役 :昭和13年(1938)5月(23歳6ヵ月)
  • 新大関 :昭和15年(1940)1月(25歳2ヵ月)
  • 横綱昇進:昭和17年(1942)1月(27歳2ヵ月)
  • 最終場所:昭和28年(1953)9月(38歳10ヵ月)
  • 生涯戦歴:359勝99敗117休1分/452出場(46場所)
  • 生涯勝率:78.4%
  • 優勝等 :幕内優勝7回(次点6),十両優勝1回,幕下優勝1回,三段目優勝1回,序二段優勝1回,序ノ口優勝1回
  • 幕内戦歴:321勝94敗117休1分(39場所)勝率:77.3%
  •   横綱:230勝62敗114休(30場所)勝率:78.8%
  •   大関:46勝11敗3休(4場所)勝率:80.7%
  •   関脇:11勝4敗(1場所)勝率:73.3%
  •   小結:15勝10敗1分(2場所)勝率:60.0%
  •   前頭:19勝7敗(2場所)勝率:73.1%
  • 十両戦歴:9勝2敗(1場所)勝率:81.8%

安藝ノ海 節男

安藝ノ海 節男(あきのうみ せつお)広島県広島市出身、出羽海部屋の元力士で、最高位は第37代横綱

昭和7年(1932)2月場所に17歳8ヶ月で初土俵を踏み、昭和21年(1946)11月場所を最後に引退(32歳5ヶ月)。

通算成績は209勝101敗38休309出場。生涯勝率.674。通算32場所中、21場所を勝ち越した(勝ち越し率.700)。

主な成績は幕内優勝1回(次点3),序ノ口優勝1回金星1個(双葉山1個)。

本名は永田 節男。大正3年(1914)5月30日生まれ。昭和54年(1979)3月25日逝去(享年64歳)。

双葉山の連勝を止めた世紀の1番は前頭4枚目の時、のちに横綱へと昇進。

四股名
安藝ノ海 節男(あきのうみ せつお)
最高位
第37代横綱
年寄名跡
8代不知火 節男 → 10代藤島 康博
出身地
広島県広島市
本名
永田 節男
生年月日
大正3年(1914)5月30日
没年月日
昭和54年(1979)3月25日(享年64歳)
所属部屋
出羽海部屋
改名歴
永田 節雄 → 安藝ノ海 節男 → 安藝ノ海 節雄 → 安藝ノ海 節男 → 安藝ノ海 節雄 → 安藝ノ海 節男
初土俵
昭和7年(1932)2月 前相撲(17歳8ヶ月)
新十両
昭和11年(1936)1月(所要10場所)
21歳7ヶ月(初土俵から3年11ヶ月)
新入幕
昭和13年(1938)1月(所要14場所)
23歳7ヶ月(初土俵から5年11ヶ月)
新関脇
昭和15年(1940)1月(所要18場所)
25歳7ヶ月(初土俵から7年11ヶ月)
新大関
昭和16年(1941)1月(所要20場所)
26歳7ヶ月(初土俵から8年11ヶ月)
横綱昇進
昭和18年(1943)1月(所要24場所)
28歳7ヶ月(初土俵から10年11ヶ月)
最終場所
昭和21年(1946)11月(32歳5ヶ月)
大相撲歴
32場所(14年9ヶ月)
通算成績
209勝101敗38休309出場(勝率.674)
通算32場所
勝ち越し21場所(勝ち越し率.700)
優勝等
幕内優勝1回(次点3),序ノ口優勝1回
受賞・金星
金星1個
幕内戦歴
142勝59敗38休200出場(勝率.706)
在位18場所(在位率.563)
勝ち越し12場所(勝ち越し率.667)
横綱戦歴
38勝19敗38休56出場(勝率.667)
在位8場所(在位率.250)
勝ち越し3場所(勝ち越し率.375)
大関戦歴
47勝13敗0休60出場(勝率.783)
在位4場所(在位率.125)
勝ち越し4場所(勝ち越し率1.000)
関脇戦歴
24勝6敗0休30出場(勝率.800)
在位2場所(在位率.063)
勝ち越し2場所(勝ち越し率1.000)
前頭戦歴
33勝21敗0休54出場(勝率.611)
在位4場所(在位率.125)
勝ち越し3場所(勝ち越し率.750)
十両戦歴
28勝18敗0休46出場(勝率.609)
在位4場所(在位率.125)
勝ち越し3場所(勝ち越し率.750)
関取戦歴
170勝77敗38休246出場(勝率.688)
在位22場所(在位率.688)
勝ち越し15場所(勝ち越し率.682)
幕下以下歴
39勝24敗0休63出場(勝率.619)
在位8場所(在位率.250)
勝ち越し6場所(勝ち越し率.750)


照國 万藏

「桜色の音楽」と形容さた巧みな前さばきとリズミカルな寄り身は天才的。優勝のないまま横綱に昇進、その後もなかなか賜杯に届かなかったが実に昇進7年目にして初優勝を遂げた。引退後は10代荒磯、そして6代伊勢ヶ濱として大関・清國らを育てあげた

  • 四股名 :照國 万藏(てるくに まんぞう)
  • 最高位 :第38代横綱
  • 年寄名跡:10代荒磯6代伊勢ヶ濱
  • 出身地 :秋田県雄勝郡
  • 本 名 :菅 萬藏⇒大野 萬藏
  • 生年月日:大正8年(1919)1月10日
  • 没年月日:昭和52年(1977)3月20日(享年58歳)
  • 所属部屋:伊勢ヶ濱部屋
  • 初土俵 :昭和10年(1935)1月(16歳0ヵ月)
  • 新十両 :昭和13年(1938)1月(19歳0ヵ月)
  • 新入幕 :昭和14年(1939)5月(20歳4ヵ月)
  • 新三役 :昭和15年(1940)5月(21歳4ヵ月)
  • 新大関 :昭和17年(1942)1月(23歳0ヵ月)
  • 横綱昇進:昭和18年(1943)1月(24歳0ヵ月)
  • 最終場所:昭和28年(1953)1月(34歳0ヵ月)
  • 生涯戦歴:318勝112敗74休/422出場(41場所)
  • 生涯勝率:74.0%
  • 優勝等 :幕内優勝2回(次点5),十両優勝1回,幕下優勝1回
  • 成 績 :金星1個
  • 幕内戦歴:271勝91敗74休(32場所)勝率:74.9%
  •   横綱:187勝70敗74休(25場所)勝率:72.8%
  •   大関:25勝5敗(2場所)勝率:83.3%
  •   関脇:36勝9敗(3場所)勝率:80.0%
  •   前頭:23勝7敗(2場所)勝率:76.7%
  • 十両戦歴:17勝9敗(2場所)勝率:65.4%

前田山 英五郎

前田山 英五郎(まえだやま えいごろう)愛媛県西宇和郡出身、高砂部屋の元力士で、最高位は第39代横綱

昭和4年(1929)1月場所に14歳8ヶ月で初土俵を踏み、昭和24年(1949)10月場所を最後に引退(35歳5ヶ月)。

通算成績は306勝153敗73休451出場。生涯勝率.667。通算52場所中、33場所を勝ち越した(勝ち越し率.660)。

主な成績は幕内優勝1回(同点1,次点2),十両優勝1回幕下優勝1回

本名は萩森 金松。大正3年(1914)5月4日生まれ。昭和46年(1971)8月17日逝去(享年57歳)。

休場中の日米野球観戦が問題となり引退勧告、横綱としては短命に終わったが名大関だったとの評価も。

四股名
前田山 英五郎(まえだやま えいごろう)
最高位
第39代横綱
年寄名跡
4代高砂 浦五郎
出身地
愛媛県西宇和郡
本名
萩森 金松
生年月日
大正3年(1914)5月4日
没年月日
昭和46年(1971)8月17日(享年57歳)
所属部屋
高砂部屋
改名歴
喜木山 → 佐田岬 英五郎 → 前田山 英五郎
初土俵
昭和4年(1929)1月 前相撲(14歳8ヶ月)
新十両
昭和9年(1934)1月(所要19場所)
19歳8ヶ月(初土俵から5年0ヶ月)
新入幕
昭和12年(1937)1月(所要25場所)
22歳8ヶ月(初土俵から8年0ヶ月)
新小結
昭和13年(1938)1月(所要27場所)
23歳8ヶ月(初土俵から9年0ヶ月)
新大関
昭和13年(1938)5月(所要28場所)
24歳0ヶ月(初土俵から9年4ヶ月)
横綱昇進
昭和22年(1947)11月(所要46場所)
33歳5ヶ月(初土俵から18年10ヶ月)
最終場所
昭和24年(1949)10月(35歳5ヶ月)
大相撲歴
52場所(20年9ヶ月)
通算成績
306勝153敗73休451出場(勝率.667)
通算52場所
勝ち越し33場所(勝ち越し率.660)
優勝等
幕内優勝1回(同点1,次点2),十両優勝1回幕下優勝1回
幕内戦歴
206勝104敗39休303出場(勝率.665)
在位27場所(在位率.519)
勝ち越し20場所(勝ち越し率.741)
横綱戦歴
24勝27敗25休46出場(勝率.471)
在位6場所(在位率.115)
勝ち越し2場所(勝ち越し率.333)
大関戦歴
155勝67敗14休220出場(勝率.698)
在位18場所(在位率.346)
勝ち越し15場所(勝ち越し率.833)
小結戦歴
11勝2敗0休13出場(勝率.846)
在位1場所(在位率.019)
勝ち越し1場所(勝ち越し率1.000)
前頭戦歴
16勝8敗0休24出場(勝率.667)
在位2場所(在位率.038)
勝ち越し2場所(勝ち越し率1.000)
十両戦歴
18勝4敗11休22出場(勝率.818)
在位3場所(在位率.058)
勝ち越し2場所(勝ち越し率.667)
関取戦歴
224勝108敗50休325出場(勝率.675)
在位30場所(在位率.577)
勝ち越し22場所(勝ち越し率.733)
幕下以下歴
82勝45敗23休126出場(勝率.646)
在位20場所(在位率.385)
勝ち越し11場所(勝ち越し率.550)


東富士 欽壹

東富士 欽壹(あずまふじ きんいち)東京都台東区出身、高砂部屋の元力士で、最高位は第40代横綱

昭和11年(1936)1月場所に14歳2ヶ月で初土俵を踏み、昭和29年(1954)9月場所を最後に引退(32歳11ヶ月)。

通算成績は335勝137敗54休1分1預466出場。生涯勝率.710。通算46場所中、30場所を勝ち越した(勝ち越し率.714)。

主な成績は幕内優勝6回(同点2,次点4),十両優勝1回幕下優勝1回

本名は井上 謹一。大正10年(1921)10月28日生まれ。昭和48年(1973)7月31日逝去(享年51歳)。

左を差し、自慢の巨体を活かした重量感溢れる寄りは「怒涛の寄り身」と称された。若手の頃から大横綱双葉山にかわいがられて「キン坊!一丁来い!」と、よく稽古をつけてもらい「双葉山の後継者」としての期待が大きかった、史上初の「江戸っ子横綱」。

四股名
東富士 欽壹(あずまふじ きんいち)
最高位
第40代横綱
年寄名跡
7代錦戸 欽壹
出身地
東京都台東区
本名
井上 謹一
生年月日
大正10年(1921)10月28日
没年月日
昭和48年(1973)7月31日(享年51歳)
所属部屋
高砂部屋
改名歴
東冨士 謹一 → 東冨士 欽壹 → 東富士 欽壹
初土俵
昭和11年(1936)1月 前相撲(14歳2ヶ月)
新十両
昭和17年(1942)1月(所要12場所)
20歳2ヶ月(初土俵から6年0ヶ月)
新入幕
昭和18年(1943)5月(所要15場所)
21歳6ヶ月(初土俵から7年4ヶ月)
新関脇
昭和19年(1944)11月(所要18場所)
23歳0ヶ月(初土俵から8年10ヶ月)
新大関
昭和20年(1945)11月(所要20場所)
24歳0ヶ月(初土俵から9年10ヶ月)
横綱昇進
昭和24年(1949)1月(所要26場所)
27歳2ヶ月(初土俵から13年0ヶ月)
最終場所
昭和29年(1954)9月(32歳11ヶ月)
大相撲歴
46場所(18年9ヶ月)
通算成績
335勝137敗54休1分1預466出場(勝率.710)
通算46場所
勝ち越し30場所(勝ち越し率.714)
優勝等
幕内優勝6回(同点2,次点4),十両優勝1回幕下優勝1回
幕内戦歴
261勝104敗54休1分1預359出場(勝率.715)
在位31場所(在位率.674)
勝ち越し22場所(勝ち越し率.710)
横綱戦歴
172勝74敗50休1分1預241出場(勝率.699)
在位20場所(在位率.435)
勝ち越し12場所(勝ち越し率.600)
大関戦歴
51勝15敗0休66出場(勝率.773)
在位6場所(在位率.130)
勝ち越し6場所(勝ち越し率1.000)
関脇戦歴
15勝2敗0休17出場(勝率.882)
在位2場所(在位率.043)
勝ち越し2場所(勝ち越し率1.000)
前頭戦歴
23勝13敗4休35出場(勝率.639)
在位3場所(在位率.065)
勝ち越し2場所(勝ち越し率.667)
十両戦歴
33勝12敗0休45出場(勝率.733)
在位3場所(在位率.065)
勝ち越し2場所(勝ち越し率.667)
関取戦歴
294勝116敗54休1分1預404出場(勝率.717)
在位34場所(在位率.739)
勝ち越し24場所(勝ち越し率.706)
幕下以下歴
41勝21敗0休62出場(勝率.661)
在位8場所(在位率.174)
勝ち越し6場所(勝ち越し率.750)


千代の山 雅信

千代の山 雅信(ちよのやま まさのぶ)北海道松前郡出身、出羽海部屋の元力士で、最高位は第41代横綱

昭和17年(1942)1月場所に15歳7ヶ月で初土俵を踏み、昭和34年(1959)1月場所を最後に引退(32歳7ヶ月)。

通算成績は407勝158敗147休2分561出場。生涯勝率.720。通算54場所中、39場所を勝ち越した(勝ち越し率.750)。

主な成績は幕内優勝6回(次点6),十両優勝2回殊勲賞1回,敢闘賞1回,金星3個(羽黒山1個、前田山1個、照國1個)。

本名は杉村 昌治。大正15年(1926)6月2日生まれ。昭和52年(1977)10月29日逝去(享年51歳)。

部屋の継承を巡って耐え忍んだが出羽海一門からの破門を条件に独立、大関だった北の富士らを連れて九重部屋を興す。

四股名
千代の山 雅信(ちよのやま まさのぶ)
最高位
第41代横綱
年寄名跡
特権年寄 千代の山 雅信 → 11代九重 雅信
出身地
北海道松前郡
本名
杉村 昌治
生年月日
大正15年(1926)6月2日
没年月日
昭和52年(1977)10月29日(享年51歳)
所属部屋
出羽海部屋
改名歴
杉村 昌治 → 千代ノ山 昌治 → 千代ノ山 雅信 → 千代の山 雅信
初土俵
昭和17年(1942)1月 本中(15歳7ヶ月)
新十両
昭和19年(1944)11月(所要5場所)
18歳5ヶ月(初土俵から2年10ヶ月)
新入幕
昭和20年(1945)11月(所要7場所)
19歳5ヶ月(初土俵から3年10ヶ月)
新関脇
昭和22年(1947)6月(所要9場所)
20歳11ヶ月(初土俵から5年5ヶ月)
新大関
昭和24年(1949)10月(所要15場所)
23歳4ヶ月(初土俵から7年9ヶ月)
横綱昇進
昭和26年(1951)9月(所要21場所)
25歳3ヶ月(初土俵から9年8ヶ月)
最終場所
昭和34年(1959)1月(32歳7ヶ月)
大相撲歴
54場所(17年0ヶ月)
通算成績
407勝158敗147休2分561出場(勝率.720)
通算54場所
勝ち越し39場所(勝ち越し率.750)
優勝等
幕内優勝6回(次点6),十両優勝2回
受賞・金星
殊勲賞1回,敢闘賞1回,金星3個
幕内戦歴
366勝149敗147休2分511出場(勝率.711)
在位46場所(在位率.852)
勝ち越し32場所(勝ち越し率.696)
横綱戦歴
239勝103敗137休1分337出場(勝率.699)
在位32場所(在位率.593)
勝ち越し20場所(勝ち越し率.625)
大関戦歴
67勝23敗0休90出場(勝率.744)
在位6場所(在位率.111)
勝ち越し6場所(勝ち越し率1.000)
関脇戦歴
24勝14敗10休1分39出場(勝率.632)
在位4場所(在位率.074)
勝ち越し2場所(勝ち越し率.500)
前頭戦歴
36勝9敗0休45出場(勝率.800)
在位4場所(在位率.074)
勝ち越し4場所(勝ち越し率1.000)
十両戦歴
14勝3敗0休17出場(勝率.824)
在位2場所(在位率.037)
勝ち越し2場所(勝ち越し率1.000)
関取戦歴
380勝152敗147休2分528出場(勝率.714)
在位48場所(在位率.889)
勝ち越し34場所(勝ち越し率.708)
幕下以下歴
27勝6敗0休33出場(勝率.818)
在位6場所(在位率.111)
勝ち越し5場所(勝ち越し率.833)


鏡里 喜代治

鏡里 喜代治(かがみさと きよじ)青森県三戸郡出身、粂川 → 双葉山~時津風部屋の元力士で、最高位は第42代横綱

昭和16年(1941)1月場所に17歳8ヶ月で初土俵を踏み、昭和33年(1958)1月場所を最後に引退(34歳8ヶ月)。

通算成績は415勝189敗28休602出場。生涯勝率.687。通算50場所中、43場所を勝ち越した(勝ち越し率.878)。

主な成績は幕内優勝4回(次点5),三段目優勝1回序二段優勝1回殊勲賞1回,敢闘賞1回,金星2個(前田山1個、東富士1個)。

本名は奥山 喜世治。大正12年(1923)4月30日生まれ。平成16年(2004)2月29日逝去(享年80歳)。

8代粂川(大関・鏡岩)の弟子で師匠とともに双葉山道場に合流、その双葉山の手で育てられた横綱は堂々とした太鼓腹で土俵入りが美しかった。時津風(双葉山)の死後、いっとき時津風を襲名したが先代の遺志は大関・豊山への継承を望んでいたと知り、部屋を去った。

四股名
鏡里 喜代治(かがみさと きよじ)
最高位
第42代横綱
年寄名跡
特権年寄 鏡里 喜世司 → 10代粂川 喜久司 → 13代立田川 喜世司 → 13代時津風 喜世司13代立田川 喜世司 → 10代二十山 喜世司
出身地
青森県三戸郡
本名
奥山 喜世治
生年月日
大正12年(1923)4月30日
没年月日
平成16年(2004)2月29日(享年80歳)
所属部屋
粂川 → 双葉山 → 時津風部屋
改名歴
鏡里 喜代司 → 鏡里 喜代治
初土俵
昭和16年(1941)1月 前相撲(17歳8ヶ月)
新十両
昭和20年(1945)11月(所要10場所)
22歳6ヶ月(初土俵から4年10ヶ月)
新入幕
昭和22年(1947)6月(所要12場所)
24歳1ヶ月(初土俵から6年5ヶ月)
新関脇
昭和25年(1950)1月(所要19場所)
26歳8ヶ月(初土俵から9年0ヶ月)
新大関
昭和26年(1951)5月(所要23場所)
28歳0ヶ月(初土俵から10年4ヶ月)
横綱昇進
昭和28年(1953)3月(所要29場所)
29歳10ヶ月(初土俵から12年2ヶ月)
最終場所
昭和33年(1958)1月(34歳8ヶ月)
大相撲歴
50場所(17年0ヶ月)
通算成績
415勝189敗28休602出場(勝率.687)
通算50場所
勝ち越し43場所(勝ち越し率.878)
優勝等
幕内優勝4回(次点5),三段目優勝1回序二段優勝1回
受賞・金星
殊勲賞1回,敢闘賞1回,金星2個
幕内戦歴
360勝163敗28休521出場(勝率.688)
在位38場所(在位率.760)
勝ち越し34場所(勝ち越し率.895)
横綱戦歴
199勝88敗28休285出場(勝率.693)
在位21場所(在位率.420)
勝ち越し18場所(勝ち越し率.857)
大関戦歴
70勝20敗0休90出場(勝率.778)
在位6場所(在位率.120)
勝ち越し6場所(勝ち越し率1.000)
関脇戦歴
39勝21敗0休60出場(勝率.650)
在位4場所(在位率.080)
勝ち越し4場所(勝ち越し率1.000)
前頭戦歴
52勝34敗0休86出場(勝率.605)
在位7場所(在位率.140)
勝ち越し6場所(勝ち越し率.857)
十両戦歴
15勝8敗0休23出場(勝率.652)
在位2場所(在位率.040)
勝ち越し2場所(勝ち越し率1.000)
関取戦歴
375勝171敗28休544出場(勝率.687)
在位40場所(在位率.800)
勝ち越し36場所(勝ち越し率.900)
幕下以下歴
40勝18敗0休58出場(勝率.690)
在位9場所(在位率.180)
勝ち越し7場所(勝ち越し率.778)


吉葉山 潤之輔

伸び盛りの時期に応召、6年間の戦地で銃弾を浴びたことも。自身初であり唯一の優勝は全勝優勝、大雪降るなか行われた優勝パレードは全国からファンが集まり「雪の全勝行進」と呼ばれた

  • 四股名 :吉葉山 潤之輔(よしばやま じゅんのすけ)
  • 最高位 :第43代横綱
  • 年寄名跡:横綱特権・吉葉山⇒8代宮城野
  • 出身地 :北海道厚田郡
  • 本 名 :池田 潤之輔
  • 生年月日:大正9年(1920)4月3日
  • 没年月日:昭和52年(1977)11月26日(享年57歳)
  • 所属部屋:高島部屋
  • 改名歴 :北糖山⇒吉葉山
  • 初土俵 :昭和13年(1938)5月(18歳1ヵ月)
  • 新十両 :昭和22年(1947)6月(27歳2ヵ月)
  • 新入幕 :昭和22年(1947)11月(27歳7ヵ月)
  • 新三役 :昭和25年(1950)9月(30歳5ヵ月)
  • 新大関 :昭和26年(1951)5月(31歳1ヵ月)
  • 横綱昇進:昭和29年(1954)3月(33歳11ヵ月)
  • 最終場所:昭和33年(1958)1月(37歳9ヵ月)
  • 生涯戦歴:357勝171敗85休1預/521出場(47場所)
  • 生涯勝率:67.6%
  • 優勝等 :幕内優勝1回(同点1・次点4),十両同点1回,幕下優勝1回
  • 成 績 :殊勲賞3回,金星2個
  • 幕内戦歴:304勝151敗85休1預(37場所)勝率:66.8%
  •   横綱:109勝67敗79休(17場所)勝率:61.9%
  •   大関:109勝34敗6休1預(10場所)勝率:76.2%
  •   関脇:26勝4敗(2場所)勝率:86.7%
  •   前頭:60勝46敗(8場所)勝率:56.6%
  • 十両戦歴:9勝1敗(1場所)勝率:90.0%

栃錦 清隆

東京都江戸川区出身、春日野部屋の元力士で最高位は横綱。若乃花との「栃若」はテレビを通じて全国のファンを熱狂させた。

  • 四股名 :栃錦 清隆(とちにしき きよたか)
  • 最高位 :第44代横綱
  • 年寄名跡:9代春日野
  • 出身地 :東京都江戸川区
  • 本 名 :大塚 清⇒中田 清
  • 生年月日:大正14年(1925)2月20日
  • 没年月日:平成2年(1990)1月10日(享年64歳)
  • 所属部屋:春日野部屋
  • 改名歴 :大塚⇒栃錦
  • 初土俵 :昭和14年(1939)1月(13歳11ヵ月)
  • 新十両 :昭和19年(1944)5月(19歳3ヵ月)
  • 新入幕 :昭和22年(1947)6月(22歳4ヵ月)
  • 新三役 :昭和25年(1950)1月(24歳11ヵ月)
  • 新大関 :昭和28年(1953)1月(27歳11ヵ月)
  • 横綱昇進:昭和30年(1955)1月(29歳11ヵ月)
  • 最終場所:昭和35年(1960)5月(35歳3ヵ月)
  • 生涯戦歴:578勝245敗44休1分1預/821出場(66場所)
  • 生涯勝率:70.2%
  • 優勝等 :幕内優勝10回(同点1・次点8)
  • 成 績 :殊勲賞1回,技能賞9回,金星1個
  • 幕内戦歴:513勝203敗44休1分(52場所)勝率:71.6%
  •   横綱:292勝84敗44休(28場所)勝率:77.7%
  •   大関:92勝28敗(8場所)勝率:76.7%
  •   関脇:43勝17敗(4場所)勝率:71.7%
  •   小結:22勝23敗(3場所)勝率:48.9%
  •   前頭:64勝51敗1分(9場所)勝率:55.7%
  • 十両戦歴:18勝14敗1預(3場所)勝率:56.3%

若乃花 幹士(初代)

若乃花 幹士(わかのはな かんじ)青森県弘前市出身、二所ノ関 → 芝田山 ~ 花籠部屋の元力士で、最高位は第45代横綱

昭和21年(1946)11月場所に18歳7ヶ月で初土俵を踏み、昭和37年(1962)3月場所を最後に引退(34歳0ヶ月)(※番付上は昭和37年5月場所が最後)

通算成績は593勝253敗55休4分844出場。生涯勝率.701。通算64場所中、52場所を勝ち越した(勝ち越し率.825)。

主な成績は幕内優勝10回(全勝1回)(同点1,次点6),十両同点1回,三段目優勝1回序二段優勝1回殊勲賞2回,敢闘賞2回,技能賞1回,金星6個(羽黒山2個、東富士2個、千代の山2個)。

本名は花田 勝治。昭和3年(1928)3月16日生まれ。平成22年(2010)9月1日逝去(享年82歳)。

盟友栃錦と共に「栃若時代」と呼ばれる相撲黄金期を築く。栃錦との史上初横綱同士の千秋楽全勝対決を制した「土俵の鬼」は、師匠としても数々の名力士を育てた。

四股名
若乃花 幹士(わかのはな かんじ)
最高位
第45代横綱
年寄名跡
10代二子山 勝治 → 13代藤島 勝治
出身地
北海道室蘭市 → 青森県弘前市
本名
花田 勝治
生年月日
昭和3年(1928)3月16日
没年月日
平成22年(2010)9月1日(享年82歳)
所属部屋
二所ノ関 → 芝田山 ~ 花籠部屋
改名歴
若ノ花 義美 → 若ノ花 勝治 → 若乃花 勝治 → 若乃花 幹士
初土俵
昭和21年(1946)11月 前相撲(18歳7ヶ月)
新十両
昭和24年(1949)5月(所要6場所)
21歳1ヶ月(初土俵から2年6ヶ月)
新入幕
昭和25年(1950)1月(所要8場所)
21歳9ヶ月(初土俵から3年2ヶ月)
新小結
昭和26年(1951)9月(所要13場所)
23歳6ヶ月(初土俵から4年10ヶ月)
新関脇
昭和29年(1954)1月(所要21場所)
25歳9ヶ月(初土俵から7年2ヶ月)
新大関
昭和31年(1956)1月(所要29場所)
27歳9ヶ月(初土俵から9年2ヶ月)
横綱昇進
昭和33年(1958)3月(所要39場所)
29歳11ヶ月(初土俵から11年4ヶ月)
最終場所
昭和37年(1962)3月(34歳0ヶ月)※番付上は昭和37年5月場所
大相撲歴
64場所(15年4ヶ月)
通算成績
593勝253敗55休4分844出場(勝率.701)
通算64場所
勝ち越し52場所(勝ち越し率.825)(勝ち越し星360)
優勝等
幕内優勝10回(全勝1回)(同点1,次点6),十両同点1回,三段目優勝1回序二段優勝1回
受賞・金星
殊勲賞2回,敢闘賞2回,技能賞1回,金星6個
持給金
605円(勝ち越し星360個 優勝10回(全勝1回) 金星6個)
幕内戦歴
546勝235敗55休4分779出場(勝率.699)
在位56場所(在位率.875)
勝ち越し46場所(勝ち越し率.821)
横綱戦歴
254勝66敗54休1分317出場(勝率.794)
在位25場所(在位率.391)
勝ち越し20場所(勝ち越し率.800)
大関戦歴
117勝32敗1休147出場(勝率.785)
在位10場所(在位率.156)
勝ち越し10場所(勝ち越し率1.000)
三役戦歴
92勝70敗0休3分165出場(勝率.568)
在位11場所(在位率.172)
勝ち越し8場所(勝ち越し率.727)
関脇戦歴
72勝45敗0休3分120出場(勝率.615)
在位8場所(在位率.125)
勝ち越し7場所(勝ち越し率.875)
小結戦歴
20勝25敗0休45出場(勝率.444)
在位3場所(在位率.047)
勝ち越し1場所(勝ち越し率.333)
前頭戦歴
83勝67敗0休150出場(勝率.553)
在位10場所(在位率.156)
勝ち越し8場所(勝ち越し率.800)
十両戦歴
20勝10敗0休30出場(勝率.667)
在位2場所(在位率.031)
勝ち越し2場所(勝ち越し率1.000)
関取戦歴
566勝245敗55休4分809出場(勝率.698)
在位58場所(在位率.906)
勝ち越し48場所(勝ち越し率.828)
幕下以下歴
27勝8敗0休35出場(勝率.771)
在位5場所(在位率.078)
勝ち越し4場所(勝ち越し率.800)


朝汐 太郎(3代)

鹿児島県大島郡徳之島町出身、高砂部屋の元力士。最高位は横綱。太い眉毛と胸毛がトレードマーク、横綱昇進後は脊椎分離症に悩まされた。引退後は部屋を継承し4代朝潮や小錦、水戸泉らを育てた。

  • 四股名 :朝汐 太郎(3代)(あさしお たろう)
  • 最高位 :第46代横綱
  • 年寄名跡:横綱5年・朝潮⇒13代振分5代高砂
  • 出身地 :鹿児島県大島郡徳之島町(出生地は兵庫県神戸市)
  • 本 名 :米川 文敏
  • 生年月日:昭和4年(1929)11月13日
  • 没年月日:昭和63年(1988)10月23日(享年58歳)
  • 所属部屋:高砂部屋
  • 改名歴 :米川⇒朝潮⇒朝汐⇒朝潮
  • 初土俵 :昭和23年(1948)10月・新序(18歳11ヵ月)
  • 新十両 :昭和25年(1950)9月(20歳10ヵ月)
  • 新入幕 :昭和26年(1951)1月(21歳2ヵ月)
  • 新三役 :昭和28年(1953)1月(23歳2ヵ月)
  • 新大関 :昭和32年(1957)5月(27歳6ヵ月)
  • 横綱昇進:昭和34年(1959)5月(29歳6ヵ月)
  • 最終場所:昭和37年(1962)1月(32歳2ヵ月)
  • 生涯戦歴:501勝270敗101休/766出場(59場所)
  • 生涯勝率:65.0%
  • 優勝等 :幕内優勝5回(次点3),十両優勝1回
  • 成 績 :殊勲賞4回,金星7個
  • 幕内戦歴:431勝248敗101休(52場所)勝率:63.5%
  •   横綱:102勝58敗95休(17場所)勝率:63.8%
  •   大関:117勝42敗6休(11場所)勝率:73.6%
  •   関脇:94勝56敗(10場所)勝率:62.7%
  •   小結:47勝43敗(6場所)勝率:52.2%
  •   前頭:71勝49敗(8場所)勝率:59.2%
  • 十両戦歴:14勝1敗(1場所)勝率:93.3%

柏戸 剛

山形県東田川郡櫛引町出身、伊勢ノ海部屋の元力士で最高位は横綱。大鵬と共に横綱同時昇進、互いに切磋琢磨して「柏鵬時代」と呼ばれる相撲黄金期を築いた。引退後は鏡山部屋を興す。

  • 四股名 :柏戸 剛(かしわど つよし)
  • 最高位 :第47代横綱
  • 年寄名跡:7代鏡山
  • 出身地 :山形県東田川郡櫛引町
  • 本 名 :富樫 剛
  • 生年月日:昭和13年(1938)11月29日
  • 没年月日:平成8年(1996)12月8日(享年58歳)
  • 所属部屋:伊勢ノ海部屋
  • 改名歴 :富樫⇒柏戸
  • 初土俵 :昭和29年(1954)9月(15歳10ヵ月)
  • 新十両 :昭和32年(1957)11月(19歳0ヵ月)
  • 新入幕 :昭和33年(1958)9月(19歳10ヵ月)
  • 新三役 :昭和34年(1959)11月(21歳0ヵ月)
  • 新大関 :昭和35年(1960)9月(21歳10ヵ月)
  • 横綱昇進:昭和36年(1961)11月(23歳0ヵ月)
  • 最終場所:昭和44年(1969)7月(30歳8ヵ月)
  • 生涯戦歴:715勝295敗140休/1003出場(84場所)
  • 生涯勝率:70.8%
  • 優勝等 :幕内優勝5回(同点2・次点13),十両優勝1回(同点1),幕下優勝1回
  • 成 績 :殊勲賞2回,敢闘賞2回,技能賞4回
  • 幕内戦歴:599勝240敗140休(66場所)勝率:71.4%
  •   横綱:407勝147敗140休(47場所)勝率:73.5%
  •   大関:81勝24敗(7場所)勝率:77.1%
  •   関脇:30勝15敗(3場所)勝率:66.7%
  •   小結:17勝13敗(2場所)勝率:56.7%
  •   前頭:64勝41敗(7場所)勝率:61.0%
  • 十両戦歴:50勝25敗(5場所)勝率:66.7%

大鵬 幸喜

大鵬 幸喜(たいほう こうき)北海道川上郡弟子屈町出身、二所ノ関部屋の元力士で、最高位は第48代横綱

昭和31年(1956)9月場所に16歳3ヶ月で初土俵を踏み、昭和46年(1971)5月場所を最後に引退(30歳11ヶ月)。

通算成績は872勝182敗136休1045出場。生涯勝率.827。通算87場所中、72場所を勝ち越した(勝ち越し率.837)。

主な成績は幕内優勝32回(同点2,次点10),十両優勝1回,幕下同点1回,三段目優勝1回敢闘賞2回,技能賞1回,金星1個(朝潮1個)。

本名は納谷 幸喜。昭和15年(1940)5月29日生まれ。平成25年(2013)1月19日逝去(享年72歳)。

6連覇2回を含む優勝32回など数々の記録を樹立、柏戸と共に「柏鵬時代」を築く。没後に角界2人目となる国民栄誉賞が贈られた。

四股名
大鵬 幸喜(たいほう こうき)
最高位
第48代横綱
年寄名跡
一代年寄 大鵬 幸喜
出身地
北海道川上郡弟子屈町
本名
納谷 幸喜→住吉 幸喜→納谷 幸喜
生年月日
昭和15年(1940)5月29日
没年月日
平成25年(2013)1月19日(享年72歳)
所属部屋
二所ノ関部屋
改名歴
納谷 幸喜 → 大鵬 幸喜
初土俵
昭和31年(1956)9月 前相撲(16歳3ヶ月)
新十両
昭和34年(1959)5月(所要14場所)
18歳11ヶ月(初土俵から2年8ヶ月)
新入幕
昭和35年(1960)1月(所要18場所)
19歳7ヶ月(初土俵から3年4ヶ月)
新小結
昭和35年(1960)7月(所要21場所)
20歳0ヶ月(初土俵から3年9ヶ月)
新関脇
昭和35年(1960)9月(所要22場所)
20歳3ヶ月(初土俵から4年0ヶ月)
新大関
昭和36年(1961)1月(所要24場所)
20歳7ヶ月(初土俵から4年4ヶ月)
横綱昇進
昭和36年(1961)11月(所要29場所)
21歳5ヶ月(初土俵から5年2ヶ月)
最終場所
昭和46年(1971)5月(30歳11ヶ月)
大相撲歴
87場所(14年8ヶ月)
通算成績
872勝182敗136休1045出場(勝率.827)
通算87場所
勝ち越し72場所(勝ち越し率.837)
優勝等
幕内優勝32回(同点2,次点10),十両優勝1回,幕下同点1回,三段目優勝1回
受賞・金星
敢闘賞2回,技能賞1回,金星1個
幕内戦歴
746勝144敗136休881出場(勝率.838)
在位69場所(在位率.793)
勝ち越し56場所(勝ち越し率.812)
横綱戦歴
622勝103敗136休716出場(勝率.858)
在位58場所(在位率.667)
勝ち越し46場所(勝ち越し率.793)
大関戦歴
58勝17敗0休75出場(勝率.773)
在位5場所(在位率.057)
勝ち越し5場所(勝ち越し率1.000)
三役戦歴
36勝9敗0休45出場(勝率.800)
在位3場所(在位率.034)
勝ち越し3場所(勝ち越し率1.000)
関脇戦歴
25勝5敗0休30出場(勝率.833)
在位2場所(在位率.023)
勝ち越し2場所(勝ち越し率1.000)
小結戦歴
11勝4敗0休15出場(勝率.733)
在位1場所(在位率.011)
勝ち越し1場所(勝ち越し率1.000)
前頭戦歴
30勝15敗0休45出場(勝率.667)
在位3場所(在位率.034)
勝ち越し2場所(勝ち越し率.667)
十両戦歴
44勝16敗0休60出場(勝率.733)
在位4場所(在位率.046)
勝ち越し4場所(勝ち越し率1.000)
関取戦歴
790勝160敗136休941出場(勝率.832)
在位73場所(在位率.839)
勝ち越し60場所(勝ち越し率.822)
幕下以下歴
82勝22敗0休104出場(勝率.788)
在位13場所(在位率.149)
勝ち越し12場所(勝ち越し率.923)


栃ノ海 晃嘉

青森県南津軽郡田舎館村出身、春日野部屋の元力士で最高位は横綱。小柄ながら相撲巧者で横綱に昇進。しかし度重なる病と怪我に苦しんだ。

  • 四股名 :栃ノ海 晃嘉(とちのうみ てるよし)
  • 最高位 :第49代横綱
  • 年寄名跡:横綱5年・栃ノ海⇒9代中立⇒10代春日野⇒18代竹縄
  • 出身地 :青森県南津軽郡田舎館村
  • 本 名 :花田 茂廣⇒宮古 茂廣⇒花田 茂廣
  • 生年月日:昭和13年(1938)3月13日
  • 所属部屋:春日野部屋
  • 改名歴 :花田⇒栃ノ海
  • 初土俵 :昭和30年(1955)9月(17歳6ヵ月)
  • 新十両 :昭和34年(1959)1月(20歳10ヵ月)
  • 新入幕 :昭和35年(1960)3月(22歳0ヵ月)
  • 新三役 :昭和36年(1961)7月(23歳4ヵ月)
  • 新大関 :昭和37年(1962)7月(24歳4ヵ月)
  • 横綱昇進:昭和39年(1964)3月(26歳0ヵ月)
  • 最終場所:昭和41年(1966)11月(28歳8ヵ月)
  • 生涯戦歴:478勝261敗104休/733出場(64場所)
  • 生涯勝率:64.7%
  • 優勝等 :幕内優勝3回,十両優勝1回,幕下優勝1回,三段目同点1回
  • 成 績 :敢闘賞1回,技能賞6回,金星1個
  • 幕内戦歴:315勝181敗104休(40場所)勝率:63.5%
  •   横綱:102勝69敗84休(17場所)勝率:59.6%
  •   大関:101勝44敗5休(10場所)勝率:69.7%
  •   関脇:49勝26敗(5場所)勝率:65.3%
  •   小結:11勝4敗(1場所)勝率:73.3%
  •   前頭:52勝38敗15休(7場所)勝率:57.8%
  • 十両戦歴:77勝43敗(8場所)勝率:64.2%

佐田の山 晋松

部屋では「不許分家独立」の不文律を取り払い、理事長としては改革案を掲げて孤軍奮闘

  • 四股名 :佐田の山 晋松(さだのやま しんまつ)
  • 最高位 :第50代横綱
  • 年寄名跡:9代出羽海⇒12代境川⇒13代中立
  • 出身地 :長崎県南松浦郡有川町
  • 本 名 :佐々田 晋松⇒市川 晋松
  • 生年月日:昭和13年(1938)2月18日
  • 没年月日:平成29年(2017)4月27日(享年79歳)
  • 所属部屋:出羽海部屋
  • 改名歴 :佐々田⇒佐田ノ山⇒佐田の山⇒佐田乃山⇒佐田の山
  • 初土俵 :昭和31年(1956)1月(17歳11ヵ月)
  • 新十両 :昭和35年(1960)3月(22歳1ヵ月)
  • 新入幕 :昭和36年(1961)1月(22歳11ヵ月)
  • 新三役 :昭和36年(1961)9月(23歳7ヵ月)
  • 新大関 :昭和37年(1962)5月(24歳3ヵ月)
  • 横綱昇進:昭和40年(1965)3月(27歳1ヵ月)
  • 最終場所:昭和43年(1968)3月(30歳1ヵ月)
  • 生涯戦歴:591勝251敗61休/837出場(71場所)
  • 生涯勝率:70.2%
  • 優勝等 :幕内優勝6回(同点3・次点7)
  • 成 績 :殊勲賞1回,敢闘賞1回,技能賞1回,金星2個
  • 幕内戦歴:435勝164敗61休(44場所)勝率:72.6%
  •   横綱:188勝64敗33休(19場所)勝率:74.6%
  •   大関:176勝66敗13休(17場所)勝率:72.7%
  •   関脇:38勝22敗(4場所)勝率:63.3%
  •   前頭:33勝12敗15休(4場所)勝率:73.3%
  • 十両戦歴:47勝28敗(5場所)勝率:62.7%

玉の海 正洋

玉の海 正洋(たまのうみ まさひろ)愛知県蒲郡市出身、二所ノ関 → 片男波部屋の元力士で、最高位は第51代横綱

昭和34年(1959)3月場所に15歳1ヶ月で初土俵を踏み、昭和46年(1971)9月場所後に現役のまま逝去(享年27歳)。

通算成績は619勝305敗0休924出場。生涯勝率.670。通算76場所中、64場所を勝ち越した(勝ち越し率.853)。

主な成績は幕内優勝6回(同点2,次点10),序二段優勝1回殊勲賞4回,敢闘賞2回,金星4個(栃ノ海2個、佐田の山2個)。

本名は谷口 正夫。昭和19年(1944)2月5日生まれ。昭和46年(1971)10月11日逝去(享年27歳)。

のちに12代片男波となる玉乃海 太三郎(元関脇)に誘われて二所ノ関部屋へと入門。12代が独立した時に片男波部屋へと移籍した。

大鵬の胸を借りて稽古に励み、大関で2度の優勝。昭和45年(1970)1月場所後に「盟友」北の富士と共に横綱へと昇進。昭和46年(1971)7月場所では自身6度目となる優勝を全勝で飾るが、その頃に急性虫垂炎を発症。しかし横綱の責任感から痛み止めを用いて9月場所も強行出場。大鵬の引退相撲でも横綱土俵入りで太刀持ちを務めるなど無理を重ねたことがたたり10月11日に肺血栓のため現役のまま27歳で急逝。

四股名
玉の海 正洋(たまのうみ まさひろ)
最高位
第51代横綱
出身地
愛知県蒲郡市
本名
善竹 正夫→谷口 正夫→竹内 正夫→谷口 正夫
生年月日
昭和19年(1944)2月5日
没年月日
昭和46年(1971)10月11日(享年27歳)
所属部屋
二所ノ関 → 片男波部屋
改名歴
玉乃嶋 正夫 → 玉乃島 正夫 → 玉の海 正洋
初土俵
昭和34年(1959)3月 前相撲(15歳1ヶ月)
新十両
昭和38年(1963)9月(所要27場所)
19歳7ヶ月(初土俵から4年6ヶ月)
新入幕
昭和39年(1964)3月(所要30場所)
20歳1ヶ月(初土俵から5年0ヶ月)
新小結
昭和40年(1965)1月(所要35場所)
20歳11ヶ月(初土俵から5年10ヶ月)
新関脇
昭和40年(1965)7月(所要38場所)
21歳4ヶ月(初土俵から6年3ヶ月)
新大関
昭和41年(1966)11月(所要46場所)
22歳9ヶ月(初土俵から7年8ヶ月)
横綱昇進
昭和45年(1970)3月(所要66場所)
26歳1ヶ月(初土俵から11年0ヶ月)
最終場所
昭和46年(1971)9月(27歳7ヶ月)
大相撲歴
76場所(12年6ヶ月)
通算成績
619勝305敗0休924出場(勝率.670)
通算76場所
勝ち越し64場所(勝ち越し率.853)
優勝等
幕内優勝6回(同点2,次点10),序二段優勝1回
受賞・金星
殊勲賞4回,敢闘賞2回,金星4個
幕内戦歴
469勝221敗0休690出場(勝率.680)
在位46場所(在位率.605)
勝ち越し41場所(勝ち越し率.891)
横綱戦歴
130勝20敗0休150出場(勝率.867)
在位10場所(在位率.132)
勝ち越し10場所(勝ち越し率1.000)
大関戦歴
206勝94敗0休300出場(勝率.687)
在位20場所(在位率.263)
勝ち越し19場所(勝ち越し率.950)
三役戦歴
49勝41敗0休90出場(勝率.544)
在位6場所(在位率.079)
勝ち越し4場所(勝ち越し率.667)
関脇戦歴
36勝24敗0休60出場(勝率.600)
在位4場所(在位率.053)
勝ち越し3場所(勝ち越し率.750)
小結戦歴
13勝17敗0休30出場(勝率.433)
在位2場所(在位率.026)
勝ち越し1場所(勝ち越し率.500)
前頭戦歴
84勝66敗0休150出場(勝率.560)
在位10場所(在位率.132)
勝ち越し8場所(勝ち越し率.800)
十両戦歴
30勝15敗0休45出場(勝率.667)
在位3場所(在位率.039)
勝ち越し3場所(勝ち越し率1.000)
関取戦歴
499勝236敗0休735出場(勝率.679)
在位49場所(在位率.645)
勝ち越し44場所(勝ち越し率.898)
幕下以下歴
120勝69敗0休189出場(勝率.635)
在位26場所(在位率.342)
勝ち越し20場所(勝ち越し率.769)


北の富士 勝昭

北海道旭川市十条通出身、九重部屋の元力士で最高位は横綱。長身の美男子で左四つから一気に出る速攻相撲は大いにファンを魅了した。また引退後は九重親方として弟弟子でもあった千代の富士と直弟子の北勝海を横綱へと導いた。

野球少年だった竹沢少年は北海道巡業中の千代の山に「相撲をやって東京見物をしないか?」と誘われる。これがきっかけで相撲に興味を持ち始めた竹沢少年は中学卒業と共に上京、出羽海部屋の門を叩いた。

しかし出世は遅く序二段では2年間も足踏み状態。ようやく三段目に上がったが今度は北海道巡業中に急性虫垂炎と腹膜炎を併発してしまい入院生活を余儀なくされた。後輩たちにも追い抜かれていったんは力士を辞めようかとも思ったが奮起して復帰、四股名も北の冨士へと改めてからは順調に番付を上げていき昭和38年(1963)3月場所で新十両昇進となった。

十両5場所目となる昭和38年11月場所は15戦全勝で十両優勝をあげ翌場所での新入幕を決める。その新入幕場所では新入幕力士最多勝新記録となる13勝2敗をあげて敢闘賞を受賞、一気に小結へと番付を進めた。以降、三役と平幕を往復しながら地力を蓄えていった北の冨士は昭和41年(1966)7月の場所後に新大関昇進の使者を迎える。しかし直近3場所28勝で、本人もまさかの昇進であったため何の準備もしていなかった北の富士は、兄弟子の佐田の山から紋付きを、足袋は柏戸から借りて何とか大関昇進伝達式を迎えることができた。

大関3場所目の昭和42年1月場所後、11代九重(元横綱・千代の山)が出羽海部屋からの独立を申し入れたことから北の冨士の力士人生は大きく変わる。角界入りのきっかけをつくってくれた九重か、育ててくれた出羽海かで大きく揺れ動いた北の冨士だったが、九重と行動を共にすることを決意。出羽海一門からの破門を受けてのほろ苦い船出となった。

高砂一門の九重部屋として初めて迎えた昭和42年(1967)3月場所では大いに活躍、かつての兄弟子だった横綱・佐田の山への「恩返し」も果たすなど14勝1敗で初優勝を決めた。

「ライバル」である片男波部屋の玉乃島との切磋琢磨の猛稽古が実り、北の富士は昭和44年(1969)11月と翌1月場所で連続優勝、場所後に玉乃島改め玉の海とともに横綱へと推挙された。

  • 四股名 :北の富士 勝昭(きたのふじ かつあき)
  • 最高位 :第52代横綱
  • 年寄名跡:12代井筒12代九重⇒18代陣幕
  • 出身地 :北海道旭川市
  • 本 名 :竹沢 勝昭
  • 生年月日:昭和17年(1942)3月28日(82歳)
  • 所属部屋:出羽海⇒九重部屋
  • 改名歴 :竹沢⇒竹美山⇒北の冨士⇒北の富士
  • 初土俵 :昭和32年(1957)1月(14歳10ヵ月)
  • 新十両 :昭和38年(1963)3月(21歳0ヵ月)
  • 新入幕 :昭和39年(1964)1月(21歳10ヵ月)
  • 新三役 :昭和39年(1964)3月(22歳0ヵ月)
  • 新大関 :昭和41年(1966)9月(24歳6ヵ月)
  • 横綱昇進:昭和45年(1970)3月(28歳0ヵ月)
  • 最終場所:昭和49年(1974)7月(32歳4ヵ月)
  • 生涯戦歴:786勝427敗69休/1208出場(105場所)
  • 生涯勝率:64.8%
  • 優勝等 :幕内優勝10回(同点1・次点3),十両優勝1回,三段目同点1回
  • 成 績 :殊勲賞2回,敢闘賞1回,技能賞3回,金星1個
  • 幕内戦歴:592勝294敗62休(64場所)勝率:66.8%
  •   横綱:247勝84敗62休(27場所)勝率:74.6%
  •   大関:208勝107敗(21場所)勝率:66.0%
  •   関脇:75勝60敗(9場所)勝率:55.6%
  •   小結:14勝16敗(2場所)勝率:46.7%
  •   前頭:48勝27敗(5場所)勝率:64.0%
  • 十両戦歴:49勝26敗(5場所)勝率:65.3%

琴櫻 傑將

32歳2ヶ月での横綱昇進で「姥桜の狂い咲き」とも、師匠として佐渡ヶ嶽部屋の全盛期を築く

  • 四股名 :琴櫻 傑將(ことざくら まさかつ)
  • 最高位 :第53代横綱
  • 年寄名跡:11代白玉⇒12代佐渡ヶ嶽
  • 出身地 :鳥取県倉吉市
  • 本 名 :鎌谷 紀雄
  • 生年月日:昭和15年(1940)11月26日
  • 没年月日:平成19年(2007)8月14日(享年66歳)
  • 所属部屋:佐渡ヶ嶽部屋
  • 改名歴 :鎌谷⇒琴桜⇒琴櫻
  • 初土俵 :昭和34年(1959)1月(18歳2ヵ月)
  • 新十両 :昭和37年(1962)7月(21歳8ヵ月)
  • 新入幕 :昭和38年(1963)3月(22歳4ヵ月)
  • 新三役 :昭和39年(1964)1月(23歳2ヵ月)
  • 新大関 :昭和42年(1967)11月(27歳0ヵ月)
  • 横綱昇進:昭和48年(1973)3月(32歳4ヵ月)
  • 最終場所:昭和49年(1974)7月(33歳8ヵ月)
  • 生涯戦歴:723勝428敗77休/1144出場(93場所)
  • 生涯勝率:62.8%
  • 優勝等 :幕内優勝5回(次点3),十両優勝2回,幕下同点1回,三段目優勝1回
  • 成 績 :殊勲賞4回,敢闘賞2回,金星2個
  • 幕内戦歴:553勝345敗77休(65場所)勝率:61.6%
  •   横綱:66勝34敗20休(8場所)勝率:66.0%
  •   大関:287勝159敗34休(32場所)勝率:64.3%
  •   関脇:58勝47敗(7場所)勝率:55.2%
  •   小結:63勝49敗8休(8場所)勝率:56.3%
  •   前頭:79勝56敗15休(10場所)勝率:58.5%
  • 十両戦歴:69勝36敗(7場所)勝率:65.7%

輪島 大士

学生相撲出身唯一の横綱「黄金の左」と讃えられた下手投げは絶品で北の湖と共に「輪湖時代」を築く

  • 四股名 :輪島 大士(わじま ひろし)
  • 最高位 :第54代横綱
  • 年寄名跡:12代花籠
  • 出身地 :石川県七尾市
  • 本 名 :輪島 博
  • 生年月日:昭和23年(1948)1月11日
  • 没年月日:平成30年(2018)10月8日(享年70歳)
  • 出身大学:日本大学
  • 所属部屋:花籠部屋
  • 初土俵 :昭和45年(1970)1月・幕下60番付外(22歳0ヵ月)
  • 新十両 :昭和45年(1970)5月(22歳4ヵ月)
  • 新入幕 :昭和46年(1971)1月(23歳0ヵ月)
  • 新三役 :昭和47年(1972)1月(24歳0ヵ月)
  • 新大関 :昭和47年(1972)11月(24歳10ヵ月)
  • 横綱昇進:昭和48年(1973)7月(25歳6ヵ月)
  • 最終場所:昭和56年(1981)3月(33歳2ヵ月)
  • 生涯戦歴:673勝234敗85休/899出場(68場所)
  • 生涯勝率:74.2%
  • 優勝等 :幕内優勝14回(同点1・次点13),十両優勝1回,幕下優勝2回
  • 成 績 :殊勲賞3回,敢闘賞2回
  • 幕内戦歴:620勝213敗85休(62場所)勝率:74.4%
  •   横綱:466勝142敗85休(47場所)勝率:76.6%
  •   大関:50勝10敗(4場所)勝率:83.3%
  •   関脇:42勝18敗(4場所)勝率:70.0%
  •   小結:10勝5敗(1場所)勝率:66.7%
  •   前頭:52勝38敗(6場所)勝率:57.8%
  • 十両戦歴:39勝21敗(4場所)勝率:65.0%

北の湖 敏満

北の湖 敏満(きたのうみ としみつ)北海道有珠郡壮瞥町出身、三保ヶ関部屋の元力士で、最高位は第55代横綱

昭和42年(1967)1月場所に13歳7ヶ月で初土俵を踏み、昭和60年(1985)1月場所を最後に引退(31歳8ヶ月)。

通算成績は951勝350敗107休1293出場。生涯勝率.731。通算109場所中、87場所を勝ち越した(勝ち越し率.806)。

主な成績は幕内優勝24回(同点5,次点11),序二段同点1回。殊勲賞2回,敢闘賞1回,金星1個(北の富士1個)。

本名は小畑 敏満。昭和28年(1953)5月16日生まれ。平成27年(2015)11月20日逝去(享年62歳)。

「怪童」と呼ばれ史上最年少での横綱昇進を果たす。「憎らしいほど強い」と評された。引退後は一代年寄を贈られて自身の部屋を創設、理事長としても手腕を発揮した。平成27年の九州場所中である11月20日に急逝、享年62歳。

四股名
北の湖 敏満(きたのうみ としみつ)
最高位
第55代横綱
年寄名跡
一代年寄 北の湖 敏満
出身地
北海道有珠郡壮瞥町
本名
小畑 敏満
生年月日
昭和28年(1953)5月16日
没年月日
平成27年(2015)11月20日(享年62歳)
所属部屋
三保ヶ関部屋
改名歴
北の湖 敏満
初土俵
昭和42年(1967)1月 前相撲(13歳7ヶ月)
新十両
昭和46年(1971)5月(所要26場所)
17歳11ヶ月(初土俵から4年4ヶ月)
新入幕
昭和47年(1972)1月(所要30場所)
18歳7ヶ月(初土俵から5年0ヶ月)
新小結
昭和48年(1973)1月(所要36場所)
19歳7ヶ月(初土俵から6年0ヶ月)
新関脇
昭和48年(1973)11月(所要41場所)
20歳5ヶ月(初土俵から6年10ヶ月)
新大関
昭和49年(1974)3月(所要43場所)
20歳9ヶ月(初土俵から7年2ヶ月)
横綱昇進
昭和49年(1974)9月(所要46場所)
21歳3ヶ月(初土俵から7年8ヶ月)
最終場所
昭和60年(1985)1月(31歳8ヶ月)
大相撲歴
109場所(18年0ヶ月)
通算成績
951勝350敗107休1293出場(勝率.731)
通算109場所
勝ち越し87場所(勝ち越し率.806)
優勝等
幕内優勝24回(同点5,次点11),序二段同点1回
受賞・金星
殊勲賞2回,敢闘賞1回,金星1個
幕内戦歴
804勝247敗107休1043出場(勝率.765)
在位78場所(在位率.716)
勝ち越し64場所(勝ち越し率.821)
横綱戦歴
670勝156敗107休818出場(勝率.811)
在位63場所(在位率.578)
勝ち越し53場所(勝ち越し率.841)
大関戦歴
36勝9敗0休45出場(勝率.800)
在位3場所(在位率.028)
勝ち越し3場所(勝ち越し率1.000)
三役戦歴
36勝24敗0休60出場(勝率.600)
在位4場所(在位率.037)
勝ち越し3場所(勝ち越し率.750)
関脇戦歴
24勝6敗0休30出場(勝率.800)
在位2場所(在位率.018)
勝ち越し2場所(勝ち越し率1.000)
小結戦歴
12勝18敗0休30出場(勝率.400)
在位2場所(在位率.018)
勝ち越し1場所(勝ち越し率.500)
前頭戦歴
62勝58敗0休120出場(勝率.517)
在位8場所(在位率.073)
勝ち越し5場所(勝ち越し率.625)
十両戦歴
43勝32敗0休75出場(勝率.573)
在位5場所(在位率.046)
勝ち越し4場所(勝ち越し率.800)
関取戦歴
847勝279敗107休1118出場(勝率.752)
在位83場所(在位率.761)
勝ち越し68場所(勝ち越し率.819)
幕下以下歴
104勝71敗0休175出場(勝率.594)
在位25場所(在位率.229)
勝ち越し19場所(勝ち越し率.760)


若乃花 幹士(2代)

若乃花 幹士(わかのはな かんじ)青森県南津軽郡大鰐町出身、二子山部屋の元力士で、最高位は第56代横綱

昭和43年(1968)7月場所に15歳3ヶ月で初土俵を踏み、昭和58年(1983)1月場所を最後に引退(29歳9ヶ月)。

通算成績は656勝323敗85休975出場。生涯勝率.670。通算88場所中、69場所を勝ち越した(勝ち越し率.793)。

主な成績は幕内優勝4回(全勝1回)(同点2,次点11)。殊勲賞2回,技能賞4回,金星3個(北の湖3個)。

本名は下山 勝則。昭和28年(1953)4月3日生まれ。令和4年(2022)7月16日逝去(享年69歳)。

横綱昇進時に若三杉だった四股名を若乃花へと改名、偉大な師匠の名を継いだ。引退後は間垣部屋を興して若ノ鵬や五城楼などの幕内力士を育てた。

四股名
若乃花 幹士(わかのはな かんじ)
最高位
第56代横綱
年寄名跡
五年年寄 若乃花 幹士 → 18代間垣 勝晴
出身地
青森県南津軽郡大鰐町
本名
下山 勝則
生年月日
昭和28年(1953)4月3日
没年月日
令和4年(2022)7月16日(享年69歳)
所属部屋
二子山部屋
改名歴
下山 → 朝ノ花 勝則 → 若三杉 幹士 → 若三杉 壽人 → 若乃花 幹士
初土俵
昭和43年(1968)7月 前相撲(15歳3ヶ月)
新十両
昭和48年(1973)7月(所要30場所)
20歳2ヶ月(初土俵から5年0ヶ月)
新入幕
昭和48年(1973)11月(所要32場所)
20歳7ヶ月(初土俵から5年4ヶ月)
新小結
昭和49年(1974)11月(所要38場所)
21歳7ヶ月(初土俵から6年4ヶ月)
新関脇
昭和50年(1975)1月(所要39場所)
21歳9ヶ月(初土俵から6年6ヶ月)
新大関
昭和52年(1977)3月(所要52場所)
23歳11ヶ月(初土俵から8年8ヶ月)
横綱昇進
昭和53年(1978)7月(所要60場所)
25歳2ヶ月(初土俵から10年0ヶ月)
最終場所
昭和58年(1983)1月(29歳9ヶ月)
大相撲歴
88場所(14年6ヶ月)
通算成績
656勝323敗85休975出場(勝率.670)
通算88場所
勝ち越し69場所(勝ち越し率.793)(勝ち越し星367)
優勝等
幕内優勝4回(全勝1回)(同点2,次点11)
受賞・金星
殊勲賞2回,技能賞4回,金星3個
持給金
380円50銭(勝ち越し星367個 優勝4回(全勝1回) 金星3個)
幕内戦歴
512勝234敗70休742出場(勝率.686)
在位55場所(在位率.625)
勝ち越し45場所(勝ち越し率.818)
横綱戦歴
260勝86敗65休343出場(勝率.751)
在位28場所(在位率.318)
勝ち越し22場所(勝ち越し率.786)
大関戦歴
92勝28敗0休120出場(勝率.767)
在位8場所(在位率.091)
勝ち越し8場所(勝ち越し率1.000)
三役戦歴
83勝62敗5休144出場(勝率.572)
在位10場所(在位率.114)
勝ち越し7場所(勝ち越し率.700)
関脇戦歴
53勝32敗5休84出場(勝率.624)
在位6場所(在位率.068)
勝ち越し5場所(勝ち越し率.833)
小結戦歴
30勝30敗0休60出場(勝率.500)
在位4場所(在位率.045)
勝ち越し2場所(勝ち越し率.500)
前頭戦歴
77勝58敗0休135出場(勝率.570)
在位9場所(在位率.102)
勝ち越し8場所(勝ち越し率.889)
十両戦歴
28勝17敗0休45出場(勝率.622)
在位3場所(在位率.034)
勝ち越し3場所(勝ち越し率1.000)
関取戦歴
540勝251敗70休787出場(勝率.683)
在位58場所(在位率.659)
勝ち越し48場所(勝ち越し率.828)
幕下以下歴
116勝72敗15休188出場(勝率.617)
在位29場所(在位率.330)
勝ち越し21場所(勝ち越し率.724)


三重ノ海 剛司

三重県松阪市出身、出羽海部屋の元力士で最高位は横綱。入門まで相撲未経験も大人数の出羽海部屋のなか自らの努力で大成した。大関から陥落経験のある唯一の横綱、武蔵川部屋を興して数々の名力士を育てた。

  • 四股名 :三重ノ海 剛司(みえのうみ つよし)
  • 最高位 :第57代横綱
  • 年寄名跡:11代山科⇒14代武蔵川
  • 出身地 :三重県松阪市
  • 本 名 :石山 五郎
  • 生年月日:昭和23年(1948)2月4日
  • 所属部屋:出羽海部屋
  • 改名歴 :石山⇒三重ノ海
  • 初土俵 :昭和38年(1963)7月(15歳5ヵ月)
  • 新十両 :昭和44年(1969)3月(21歳1ヵ月)
  • 新入幕 :昭和44年(1969)9月(21歳7ヵ月)
  • 新三役 :昭和45年(1970)7月(22歳5ヵ月)
  • 新大関 :昭和51年(1976)1月(27歳11ヵ月)
  • 横綱昇進:昭和54年(1979)9月(31歳7ヵ月)
  • 最終場所:昭和55年(1980)11月(32歳9ヵ月)
  • 生涯戦歴:695勝525敗56休1分/1214出場(105場所)
  • 生涯勝率:57.0%
  • 優勝等 :幕内優勝3回(同点1・次点5),三段目優勝1回
  • 成 績 :殊勲賞5回,敢闘賞1回,技能賞3回,金星5個
  • 幕内戦歴:543勝413敗51休1分(68場所)勝率:56.8%
  •   横綱:55勝23敗30休(8場所)勝率:70.5%
  •   大関:180勝123敗12休(21場所)勝率:59.4%
  •   関脇:99勝73敗8休(12場所)勝率:57.6%
  •   小結:29勝16敗(3場所)勝率:64.4%
  •   前頭:180勝178敗1休1分(24場所)勝率:50.3%
  • 十両戦歴:28勝17敗(3場所)勝率:62.2%

千代の富士 貢

千代の富士 貢(ちよのふじ みつぐ)北海道松前郡福島町出身、九重部屋の元力士で、最高位は第58代横綱

昭和45年(1970)9月場所に15歳3ヶ月で初土俵を踏み、平成3年(1991)5月場所を最後に引退(35歳11ヶ月)。

通算成績は1045勝437敗170休1473出場。生涯勝率.705。通算125場所中、95場所を勝ち越した(勝ち越し率.766)。

主な成績は幕内優勝31回(次点11),幕下優勝1回殊勲賞1回,敢闘賞1回,技能賞5回,金星3個(三重ノ海2個、若乃花1個)。

本名は秋元 貢。昭和30年(1955)6月1日生まれ。平成28年(2016)7月31日逝去(享年61歳)。

80年代の大相撲界を支えた国民的な大横綱、角界初となる国民栄誉賞も受賞、引退後は九重部屋を継承し多くの関取を育てた。

四股名
千代の富士 貢(ちよのふじ みつぐ)
最高位
第58代横綱
年寄名跡
17代陣幕 貢 → 13代九重 貢
出身地
北海道松前郡福島町
本名
秋元 貢
生年月日
昭和30年(1955)6月1日
没年月日
平成28年(2016)7月31日(享年61歳)
所属部屋
九重部屋
改名歴
秋元 貢 → 大秋元 貢 → 千代の冨士 貢 → 千代の富士 貢
初土俵
昭和45年(1970)9月 前相撲(15歳3ヶ月)
新十両
昭和49年(1974)11月(所要25場所)
19歳5ヶ月(初土俵から4年2ヶ月)
新入幕
昭和50年(1975)9月(所要30場所)
20歳3ヶ月(初土俵から5年0ヶ月)
新小結
昭和53年(1978)7月(所要47場所)
23歳1ヶ月(初土俵から7年10ヶ月)
新関脇
昭和55年(1980)11月(所要61場所)
25歳5ヶ月(初土俵から10年2ヶ月)
新大関
昭和56年(1981)3月(所要63場所)
25歳9ヶ月(初土俵から10年6ヶ月)
横綱昇進
昭和56年(1981)9月(所要66場所)
26歳3ヶ月(初土俵から11年0ヶ月)
最終場所
平成3年(1991)5月(35歳11ヶ月)
大相撲歴
125場所(20年8ヶ月)
通算成績
1045勝437敗170休1473出場(勝率.705)
通算125場所
勝ち越し95場所(勝ち越し率.766)
優勝等
幕内優勝31回(次点11),幕下優勝1回
受賞・金星
殊勲賞1回,敢闘賞1回,技能賞5回,金星3個
幕内戦歴
807勝253敗155休1052出場(勝率.761)
在位81場所(在位率.648)
勝ち越し63場所(勝ち越し率.778)
横綱戦歴
625勝112敗148休730出場(勝率.848)
在位59場所(在位率.472)
勝ち越し48場所(勝ち越し率.814)
大関戦歴
38勝7敗0休45出場(勝率.844)
在位3場所(在位率.024)
勝ち越し3場所(勝ち越し率1.000)
三役戦歴
46勝29敗0休75出場(勝率.613)
在位5場所(在位率.040)
勝ち越し3場所(勝ち越し率.600)
関脇戦歴
25勝5敗0休30出場(勝率.833)
在位2場所(在位率.016)
勝ち越し2場所(勝ち越し率1.000)
小結戦歴
21勝24敗0休45出場(勝率.467)
在位3場所(在位率.024)
勝ち越し1場所(勝ち越し率.333)
前頭戦歴
98勝105敗7休202出場(勝率.483)
在位14場所(在位率.112)
勝ち越し9場所(勝ち越し率.643)
十両戦歴
130勝120敗5休249出場(勝率.520)
在位17場所(在位率.136)
勝ち越し12場所(勝ち越し率.706)
関取戦歴
937勝373敗160休1301出場(勝率.715)
在位98場所(在位率.784)
勝ち越し75場所(勝ち越し率.765)
幕下以下歴
108勝64敗10休172出場(勝率.628)
在位26場所(在位率.208)
勝ち越し20場所(勝ち越し率.769)


隆の里 俊英

隆の里 俊英(たかのさと としひで)青森県南津軽郡浪岡町出身、二子山部屋の元力士で、最高位は第59代横綱

昭和43年(1968)7月場所に15歳9ヶ月で初土俵を踏み、昭和61年(1986)1月場所を最後に引退(33歳3ヶ月)。

通算成績は693勝493敗80休1180出場。生涯勝率.584。通算106場所中、68場所を勝ち越した(勝ち越し率.648)。

主な成績は幕内優勝4回(次点8),十両優勝1回(同点1)。殊勲賞2回,敢闘賞5回,金星2個(輪島1個、北の湖1個)。

本名は高谷 俊英。昭和27年(1952)9月29日生まれ。平成23年(2011)11月7日逝去(享年59歳)。

吊りが得意で千代の富士には16勝12敗と強かったが、若い頃の暴飲暴食がたたって糖尿病に苦しんだ。引退後は鳴戸部屋を興して若の里や稀勢の里を育てるも平成23年(2011)九州場所開幕直前に急逝。

四股名
隆の里 俊英(たかのさと としひで)
最高位
第59代横綱
年寄名跡
13代鳴戸 俊英
出身地
青森県南津軽郡浪岡町
本名
高谷 俊英
生年月日
昭和27年(1952)9月29日
没年月日
平成23年(2011)11月7日(享年59歳)
所属部屋
二子山部屋
改名歴
高谷 俊英 → 隆ノ里 俊英 → 隆の里 俊英
初土俵
昭和43年(1968)7月 前相撲(15歳9ヶ月)
新十両
昭和49年(1974)11月(所要38場所)
22歳1ヶ月(初土俵から6年4ヶ月)
新入幕
昭和50年(1975)5月(所要41場所)
22歳7ヶ月(初土俵から6年10ヶ月)
新小結
昭和52年(1977)3月(所要52場所)
24歳5ヶ月(初土俵から8年8ヶ月)
新関脇
昭和54年(1979)9月(所要67場所)
26歳11ヶ月(初土俵から11年2ヶ月)
新大関
昭和57年(1982)3月(所要82場所)
29歳5ヶ月(初土俵から13年8ヶ月)
横綱昇進
昭和58年(1983)9月(所要91場所)
30歳11ヶ月(初土俵から15年2ヶ月)
最終場所
昭和61年(1986)1月(33歳3ヶ月)
大相撲歴
106場所(17年6ヶ月)
通算成績
693勝493敗80休1180出場(勝率.584)
通算106場所
勝ち越し68場所(勝ち越し率.648)
優勝等
幕内優勝4回(次点8),十両優勝1回(同点1)
受賞・金星
殊勲賞2回,敢闘賞5回,金星2個
幕内戦歴
464勝313敗80休771出場(勝率.597)
在位58場所(在位率.547)
勝ち越し36場所(勝ち越し率.621)
横綱戦歴
95勝42敗75休132出場(勝率.693)
在位15場所(在位率.142)
勝ち越し8場所(勝ち越し率.533)
大関戦歴
106勝29敗0休135出場(勝率.785)
在位9場所(在位率.085)
勝ち越し9場所(勝ち越し率1.000)
三役戦歴
87勝63敗0休150出場(勝率.580)
在位10場所(在位率.094)
勝ち越し7場所(勝ち越し率.700)
関脇戦歴
73勝47敗0休120出場(勝率.608)
在位8場所(在位率.075)
勝ち越し6場所(勝ち越し率.750)
小結戦歴
14勝16敗0休30出場(勝率.467)
在位2場所(在位率.019)
勝ち越し1場所(勝ち越し率.500)
前頭戦歴
176勝179敗5休354出場(勝率.496)
在位24場所(在位率.226)
勝ち越し12場所(勝ち越し率.500)
十両戦歴
85勝65敗0休150出場(勝率.567)
在位10場所(在位率.094)
勝ち越し9場所(勝ち越し率.900)
関取戦歴
549勝378敗80休921出場(勝率.592)
在位68場所(在位率.642)
勝ち越し45場所(勝ち越し率.662)
幕下以下歴
144勝115敗0休259出場(勝率.556)
在位37場所(在位率.349)
勝ち越し23場所(勝ち越し率.622)


双羽黒 光司

双羽黒 光司(ふたはぐろ こうじ)三重県津市出身、立浪部屋の元力士で、最高位は第60代横綱

昭和54年(1979)3月場所に15歳6ヶ月で初土俵を踏み、昭和62年(1987)11月場所を最後に引退(24歳3ヶ月)(※番付上は昭和63年1月場所が最後)

通算成績は348勝184敗24休529出場。生涯勝率.654。通算53場所中、43場所を勝ち越した(勝ち越し率.827)。

主な成績は幕内同点2回(次点5),十両優勝1回,幕下同点2回,序ノ口優勝1回殊勲賞5回,技能賞2回,金星3個(北の湖1個、千代の富士1個、隆の里1個)。

本名は北尾 光司。昭和38年(1963)8月12日生まれ。平成31年(2019)2月10日逝去(享年55歳)。

優勝経験がないまま横綱になった未完の大器。

四股名
双羽黒 光司(ふたはぐろ こうじ)
最高位
第60代横綱
出身地
三重県津市
本名
北尾 光司
生年月日
昭和38年(1963)8月12日
没年月日
平成31年(2019)2月10日(享年55歳)
所属部屋
立浪部屋
改名歴
北尾 光司 → 双羽黒 光司
初土俵
昭和54年(1979)3月 前相撲(15歳6ヶ月)
新十両
昭和59年(1984)1月(所要29場所)
20歳4ヶ月(初土俵から4年10ヶ月)
新入幕
昭和59年(1984)9月(所要33場所)
21歳0ヶ月(初土俵から5年6ヶ月)
新小結
昭和60年(1985)1月(所要35場所)
21歳5ヶ月(初土俵から5年10ヶ月)
新関脇
昭和60年(1985)5月(所要37場所)
21歳9ヶ月(初土俵から6年2ヶ月)
新大関
昭和61年(1986)1月(所要41場所)
22歳5ヶ月(初土俵から6年10ヶ月)
横綱昇進
昭和61年(1986)9月(所要45場所)
23歳1ヶ月(初土俵から7年6ヶ月)
最終場所
昭和62年(1987)11月(24歳3ヶ月)※番付上は昭和63年1月場所
大相撲歴
53場所(8年8ヶ月)
通算成績
348勝184敗24休529出場(勝率.654)
通算53場所
勝ち越し43場所(勝ち越し率.827)
優勝等
幕内同点2回(次点5),十両優勝1回,幕下同点2回,序ノ口優勝1回
受賞・金星
殊勲賞5回,技能賞2回,金星3個
幕内戦歴
197勝87敗16休281出場(勝率.694)
在位20場所(在位率.377)
勝ち越し17場所(勝ち越し率.850)
横綱戦歴
74勝33敗13休105出場(勝率.692)
在位8場所(在位率.151)
勝ち越し6場所(勝ち越し率.750)
大関戦歴
46勝14敗0休60出場(勝率.767)
在位4場所(在位率.075)
勝ち越し4場所(勝ち越し率1.000)
三役戦歴
49勝23敗3休71出場(勝率.681)
在位5場所(在位率.094)
勝ち越し4場所(勝ち越し率.800)
関脇戦歴
29勝13敗3休41出場(勝率.690)
在位3場所(在位率.057)
勝ち越し2場所(勝ち越し率.667)
小結戦歴
20勝10敗0休30出場(勝率.667)
在位2場所(在位率.038)
勝ち越し2場所(勝ち越し率1.000)
前頭戦歴
28勝17敗0休45出場(勝率.622)
在位3場所(在位率.057)
勝ち越し3場所(勝ち越し率1.000)
十両戦歴
40勝20敗0休60出場(勝率.667)
在位4場所(在位率.075)
勝ち越し4場所(勝ち越し率1.000)
関取戦歴
237勝107敗16休341出場(勝率.689)
在位24場所(在位率.453)
勝ち越し21場所(勝ち越し率.875)
幕下以下歴
111勝77敗8休188出場(勝率.590)
在位28場所(在位率.528)
勝ち越し22場所(勝ち越し率.786)


北勝海 信芳

北勝海 信芳(ほくとうみ のぶよし)北海道広尾郡広尾町出身、九重部屋の元力士で、最高位は第61代横綱

昭和54年(1979)3月場所に15歳8ヶ月で初土俵を踏み、平成4年(1992)3月場所を最後に引退(28歳9ヶ月)(※番付上は平成4年5月場所が最後)

通算成績は591勝286敗109休874出場。生涯勝率.674。通算79場所中、59場所を勝ち越した(勝ち越し率.756)。

主な成績は幕内優勝8回(同点2,次点6),十両優勝1回幕下優勝1回序二段優勝1回殊勲賞3回,敢闘賞3回,技能賞5回,金星1個(北の湖1個)。

昭和38年(1963)6月22日生まれ。本名は保志 信芳。

千代の富士との稽古で強くなった努力家。引退後は八角部屋を興す。第13代日本相撲協会理事長。

年寄
8代・八角 信芳
四股名
北勝海 信芳(ほくとうみ のぶよし)
最高位
第61代横綱
年寄名跡
五年年寄 北勝海 信芳 → 8代八角 信芳
出身地
北海道広尾郡広尾町
本名
保志 信芳
生年月日
昭和38年(1963)6月22日(61歳)
所属部屋
九重部屋
改名歴
保志 信芳 → 富士若 信芳 → 保志 信芳 → 保志 延芳 → 北勝海 信芳
初土俵
昭和54年(1979)3月 前相撲(15歳8ヶ月)
新十両
昭和58年(1983)3月(所要24場所)
19歳8ヶ月(初土俵から4年0ヶ月)
新入幕
昭和58年(1983)9月(所要27場所)
20歳2ヶ月(初土俵から4年6ヶ月)
新小結
昭和59年(1984)1月(所要29場所)
20歳6ヶ月(初土俵から4年10ヶ月)
新関脇
昭和59年(1984)3月(所要30場所)
20歳8ヶ月(初土俵から5年0ヶ月)
新大関
昭和61年(1986)9月(所要45場所)
23歳2ヶ月(初土俵から7年6ヶ月)
横綱昇進
昭和62年(1987)7月(所要50場所)
24歳0ヶ月(初土俵から8年4ヶ月)
最終場所
平成4年(1992)3月(28歳9ヶ月)※番付上は平成4年5月場所
大相撲歴
79場所(13年0ヶ月)
通算成績
591勝286敗109休874出場(勝率.674)
通算79場所
勝ち越し59場所(勝ち越し率.756)
優勝等
幕内優勝8回(同点2,次点6),十両優勝1回幕下優勝1回序二段優勝1回
受賞・金星
殊勲賞3回,敢闘賞3回,技能賞5回,金星1個
幕内戦歴
465勝206敗109休668出場(勝率.693)
在位52場所(在位率.658)
勝ち越し40場所(勝ち越し率.769)
横綱戦歴
250勝76敗109休323出場(勝率.767)
在位29場所(在位率.367)
勝ち越し21場所(勝ち越し率.724)
大関戦歴
56勝19敗0休75出場(勝率.747)
在位5場所(在位率.063)
勝ち越し5場所(勝ち越し率1.000)
三役戦歴
118勝77敗0休195出場(勝率.605)
在位13場所(在位率.165)
勝ち越し10場所(勝ち越し率.769)
関脇戦歴
84勝51敗0休135出場(勝率.622)
在位9場所(在位率.114)
勝ち越し7場所(勝ち越し率.778)
小結戦歴
34勝26敗0休60出場(勝率.567)
在位4場所(在位率.051)
勝ち越し3場所(勝ち越し率.750)
前頭戦歴
41勝34敗0休75出場(勝率.547)
在位5場所(在位率.063)
勝ち越し4場所(勝ち越し率.800)
十両戦歴
26勝19敗0休45出場(勝率.578)
在位3場所(在位率.038)
勝ち越し3場所(勝ち越し率1.000)
関取戦歴
491勝225敗109休713出場(勝率.686)
在位55場所(在位率.696)
勝ち越し43場所(勝ち越し率.782)
幕下以下歴
100勝61敗0休161出場(勝率.621)
在位23場所(在位率.291)
勝ち越し16場所(勝ち越し率.696)


大乃国 康

大乃国 康(おおのくに やすし)北海道河西郡芽室町出身、花籠 → 放駒部屋の元力士で、最高位は第62代横綱

昭和37年(1962)10月9日生まれ、本名は青木 康。

昭和53年(1978)3月場所に15歳5ヶ月で初土俵を踏み、平成3年(1991)7月場所を最後に引退(28歳9ヶ月)。通算81場所中、59場所を勝ち越した(勝ち越し率.728)。

通算成績は560勝319敗107休876出場。生涯勝率.637。

主な成績は幕内優勝2回(次点7),十両優勝1回殊勲賞5回,敢闘賞2回,金星4個(千代の富士1個、隆の里2個、北の湖1個)。

北海道の芽室中学時代には柔道で活躍し、1年後輩の保志(現八角親方)と共に名が知れ渡っていた。元大関・魁傑(17代放駒)の熱心なスカウトにより内弟子として花籠部屋へと入門、放駒部屋の創設に伴って移籍した。十分な素質と出稽古先である二子山部屋での猛稽古によって頭角を現し22歳で大関へと昇進、25歳で横綱にまで昇りつめた。しかし周囲の期待に反して横綱昇進後は皆勤で負け越すなど成績は振るわず28歳で引退となった。相撲解説には定評がありスイーツ親方としても有名。

年寄
12代芝田山 康
四股名
大乃国 康(おおのくに やすし)
最高位
第62代横綱
年寄名跡
五年年寄 大乃国 康 → 12代芝田山 康
出身地
北海道河西郡芽室町
本名
青木 康
生年月日
昭和37年(1962)10月9日(62歳)
所属部屋
花籠 → 放駒部屋
改名歴
青木 康 → 大ノ国 康 → 大乃国 康
初土俵
昭和53年(1978)3月 前相撲(15歳5ヶ月)
新十両
昭和57年(1982)3月(所要24場所)
19歳5ヶ月(初土俵から4年0ヶ月)
新入幕
昭和58年(1983)3月(所要30場所)
20歳5ヶ月(初土俵から5年0ヶ月)
新小結
昭和58年(1983)9月(所要33場所)
20歳11ヶ月(初土俵から5年6ヶ月)
新関脇
昭和59年(1984)1月(所要35場所)
21歳2ヶ月(初土俵から5年10ヶ月)
新大関
昭和60年(1985)9月(所要45場所)
22歳10ヶ月(初土俵から7年6ヶ月)
横綱昇進
昭和62年(1987)11月(所要58場所)
25歳0ヶ月(初土俵から9年8ヶ月)
最終場所
平成3年(1991)7月(28歳9ヶ月)
大相撲歴
81場所(13年4ヶ月)
通算成績
560勝319敗107休876出場(勝率.637)
通算81場所
勝ち越し59場所(勝ち越し率.728)
優勝等
幕内優勝2回(次点7),十両優勝1回
受賞・金星
殊勲賞5回,敢闘賞2回,金星4個
幕内戦歴
426勝228敗105休651出場(勝率.651)
在位51場所(在位率.630)
勝ち越し38場所(勝ち越し率.745)
横綱戦歴
155勝79敗105休231出場(勝率.662)
在位23場所(在位率.284)
勝ち越し13場所(勝ち越し率.565)
大関戦歴
140勝55敗0休195出場(勝率.718)
在位13場所(在位率.160)
勝ち越し13場所(勝ち越し率1.000)
三役戦歴
89勝61敗0休150出場(勝率.593)
在位10場所(在位率.123)
勝ち越し8場所(勝ち越し率.800)
関脇戦歴
83勝52敗0休135出場(勝率.615)
在位9場所(在位率.111)
勝ち越し8場所(勝ち越し率.889)
小結戦歴
6勝9敗0休15出場(勝率.400)
在位1場所(在位率.012)
勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
前頭戦歴
42勝33敗0休75出場(勝率.560)
在位5場所(在位率.062)
勝ち越し4場所(勝ち越し率.800)
十両戦歴
26勝19敗0休45出場(勝率.578)
在位3場所(在位率.037)
勝ち越し2場所(勝ち越し率.667)
関取戦歴
452勝247敗105休696出場(勝率.647)
在位54場所(在位率.667)
勝ち越し40場所(勝ち越し率.741)
幕下以下歴
108勝72敗2休180出場(勝率.600)
在位27場所(在位率.333)
勝ち越し19場所(勝ち越し率.704)


カテゴリー : 相撲データ

公開日:2018-11-15
投稿者:レイ

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