大分県出身では、これまでに4人の力士が幕内優勝を達成しており、優勝回数はあわせて18回になります。
最多優勝は双葉山で12回の幕内優勝を達成しています。
連覇記録では、双葉山が5連覇を1回、4連覇を1回、2連覇を1回達成しています。
大分県出身初の優勝力士は豊國で、いまから97年2ヶ月前の昭和4年(1929年)3月場所のことでした。
また、直近の大分県出身優勝力士は千代大海で、いまから23年3ヶ月前の平成15年(2003年)3月場所です。
受賞回数は、1位が嘉風で10回(殊勲賞2回・技能賞4回・敢闘賞4回)、2位が千代大海と玉乃海の2人で5回ずつ、4位が板井と豊國の2人で2回ずつとなっています。4位以下含む全順位の詳細は、以下の表をご覧ください。
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該当力士:16 名
第35代横綱 双葉山 定次
双葉山 定次 (ふたばやま さだじ)は大分県宇佐市出身、立浪 → 双葉山相撲道場の元力士で、最高位は第35代横綱。
昭和2年(1927)3月場所に15歳1ヶ月で初土俵を踏み、昭和20年(1945)11月場所を最後に引退(33歳9ヶ月)。
通算成績は348勝116敗33休1分463出場。生涯勝率.752。通算51場所中、36場所を勝ち越した(勝ち越し率.720)。
主な成績は幕内優勝12回(次点4)、金星1個(武藏山1個)。
本名は穐吉 定次。明治45年(1912)2月9日生まれ。昭和43年(1968)12月16日逝去(享年56歳)。
大相撲史上最長となる69連勝の記録を樹立し、幕内最高優勝12回(うち全勝優勝8回)を誇る第35代横綱・双葉山。右目が半失明状態というハンデを背負いながらも、「後の先」の立合いと右四つの型を完成させ、昭和の相撲黄金期を築き上げた。現役時代に自身が興した双葉山道場を引退後に時津風部屋へと改称して後進を育て、日本相撲協会理事長としても角界の近代化に大きく貢献した不世出の大横綱である。
幼少期の事故と立浪部屋への入門
5歳の時に吹き矢が右目に直撃する事故に遭い、右目が半失明状態となるハンデを負った。当初は相撲に強い関心を持っていなかったが、初めて出場した相撲大会において、見物人からの声援を受けて相手を押し倒した一番が地元の新聞に掲載された。この記事を目にした大分県警察部長・双川喜一の勧誘を受け、立浪部屋へ入門。昭和2年(1927年)3月場所に初土俵を踏んだ。
四股名の「双葉山」は、「栴檀は双葉より芳し」という諺と、入門の世話役となった双川の一字から命名された。入門前に海運業で鍛え上げた肉体を土台に、午前4時から開始するほどの猛稽古を重ねた。当時の指導係であった高浪(のちの幕下・旭川)からは「相撲っぷりは平凡だが、どんなに叩きつけられても決して弱音を吐かない」と評されるなど、強靭な精神力で下積み時代を過ごした。
春秋園事件による新入幕と「後の先」の開眼
昭和7年(1932年)1月場所を前に発生した春秋園事件において、天竜ら脱退力士の主張に同調しかけたものの、部屋の女将の慰留もあって残留を決意した。この大量脱退の余波を受けて番付が大幅に再編され、続く2月場所において西前頭4枚目で新入幕を果たした。
入幕初期は土俵際での逆転が多く「うっちゃり双葉」と皮肉られることもあったが、当時の第一人者であった玉錦だけはその素質を高く評価していた。その後、昭和10年(1935年)の蓄膿症の手術を機に体重が増加すると、相撲ぶりが一変する。相手より一瞬遅れて立ちながら先手を取る「後の先」の立合いと、右四つに組み止めてからの寄り、または左上手投げを武器とする盤石の型を完成させた。
前人未到の69連勝と「木鶏」の精神
昭和11年(1936年)1月場所の7日目から、歴史的な連勝街道が幕を開けた。翌5月場所で全勝優勝を果たして大関へ昇進すると、その後も他を圧倒して全勝優勝を重ね、昭和13年(1938年)1月場所において第35代横綱に推挙された。
同年5月場所には谷風の記録を抜き、連勝は「69」まで到達した。しかし、昭和14年(1939年)1月場所の4日目、西前頭3枚目の安藝ノ海(のちの横綱)と対戦する。双葉山の右目の死角を突く「右足を狙え」という出羽海一門の周到な対策の前に、外掛けからの掬い投げに屈し、ついに連勝が止まった。館内が座布団や火鉢が飛び交う騒乱状態となる中、敗れた双葉山は平然と一礼して土俵を下り、その夜、師と仰ぐ安岡正篤へ「イマダモッケイタリエズ(未だ木鶏たりえず)」と打電したエピソードは広く知られている。
二枚鑑札による道場設立と引退
現役のうちに自身の相撲を後進へ伝えたいという思いから、昭和16年(1941年)に特例(二枚鑑札)として内弟子を連れての独立が認められ、双葉山相撲道場を設立した。
晩年は戦前の満州巡業で感染したアメーバ赤痢の後遺症などにより、体調を崩すことが増えた。さらに昭和20年(1945年)11月場所では、GHQの占領政策の影響で導入された16尺土俵(従来は15尺)に対し、「相撲の歴史を逆行させるもの」と異議を唱えて土俵への登場を拒否。直前の場所で東冨士(のちの横綱)に敗れて体力の限界を感じていたことも重なり、この場所を最後に現役を引退して年寄・時津風を襲名し、道場名も時津風部屋へ改称した。
引退後は日本相撲協会の理事長に就任し、相撲界の近代化と発展に大きく貢献した。昭和43年(1968年)12月16日、劇症肝炎により56歳で死去。
- 四股名
- 双葉山 定次 (ふたばやま さだじ)
- 最高位
- 第35代横綱
- 年寄名跡
- 特権年寄 双葉山 定次 → 12代時津風 定次
- 出身地
- 大分県宇佐市
- 本名
- 穐吉 定次
- 生年月日
- 明治45年(1912)2月9日
- 没年月日
- 昭和43年(1968)12月16日(享年56歳)
- 所属部屋
- 立浪 → 双葉山相撲道場
- 改名歴
- 双葉山 定吉 → 双葉山 定治 → 双葉山 定兵衛 → 双葉山 定兵衞 → 双葉山 定兵衛 → 双葉山 定次
- 初土俵
- 昭和2年(1927)3月 前相撲(15歳1ヶ月)
- 新十両
- 昭和6年(1931)5月(所要17場所)
- 19歳3ヶ月(初土俵から4年2ヶ月)
- 新入幕
- 昭和7年(1932)2月(所要20場所)
- 20歳0ヶ月(初土俵から4年11ヶ月)
- 新小結
- 昭和10年(1935)1月(所要28場所)
- 22歳11ヶ月(初土俵から7年10ヶ月)
- 新関脇
- 昭和11年(1936)5月(所要31場所)
- 24歳3ヶ月(初土俵から9年2ヶ月)
- 新大関
- 昭和12年(1937)1月(所要32場所)
- 24歳11ヶ月(初土俵から9年10ヶ月)
- 新横綱
- 昭和13年(1938)1月(所要34場所)
- 25歳11ヶ月(初土俵から10年10ヶ月)
- 最終場所
- 昭和20年(1945)11月場所(33歳9ヶ月)
- 大相撲歴
- 51場所(18年8ヶ月)
- 通算成績
- 348勝116敗33休1分463出場(勝率.752)
- 通算51場所
- 勝ち越し36場所(勝ち越し率.720)(勝ち越し星245)
- 優勝等
- 幕内優勝12回(次点4)
- 受賞・金星
- 金星1個(武藏山1個)
- 持給金
- 598円(勝ち越し星245個 優勝12回 金星1個)
- 横綱戦歴
- 180勝24敗22休202出場(勝率.891)
- 在位17場所(在位率.333)
- 勝ち越し16場所(勝ち越し率.941)
- 大関戦歴
- 24勝0敗0休24出場(勝率1.000)
- 在位2場所(在位率.039)
- 勝ち越し2場所(勝ち越し率1.000)
- 幕内戦歴
- 276勝68敗33休1分343出場(勝率.805)
- 在位31場所(在位率.608)
- 勝ち越し26場所(勝ち越し率.839)
- 三役戦歴
- 15勝6敗0休1分22出場(勝率.682)
- 在位2場所(在位率.039)
- 勝ち越し1場所(勝ち越し率.500)
- 関脇戦歴
- 11勝0敗0休11出場(勝率1.000)
- 在位1場所(在位率.020)
- 勝ち越し1場所(勝ち越し率1.000)
- 小結戦歴
- 4勝6敗0休1分11出場(勝率.364)
- 在位1場所(在位率.020)
- 勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
- 前頭戦歴
- 57勝38敗11休95出場(勝率.600)
- 在位10場所(在位率.196)
- 勝ち越し7場所(勝ち越し率.700)
- 十両戦歴
- 10勝12敗0休22出場(勝率.455)
- 在位3場所(在位率.059)
- 勝ち越し1場所(勝ち越し率.333)
- 関取戦歴
- 286勝80敗33休1分365出場(勝率.784)
- 在位34場所(在位率.667)
- 勝ち越し27場所(勝ち越し率.794)
- 幕下以下歴
- 62勝36敗0休98出場(勝率.633)
- 在位16場所(在位率.314)
- 勝ち越し9場所(勝ち越し率.562)
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- ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(67回 / 24.2%)
- ✅ 負けた決まり手1位:寄り倒し(11回 / 16.2%)
- ✅ 得意な相手:笠置山(17勝0敗 / 勝率1.000)
- ✅ 苦手な相手:羽後響(1勝3敗 / 勝率.250)
豊國 福馬
- 四股名 :豊國 福馬(とよくに ふくま)
- 最高位 :大関
- 年寄名跡:8代九重
- 出身地 :大分県大分市
- 本 名 :高橋 福馬
- 生年月日:明治26年(1893)8月26日
- 没年月日:昭和17年(1942)5月5日(享年48歳)
- 所属部屋:井筒部屋
- 改名歴 :陸錦⇒小野川⇒豊國
- 初土俵 :大正4年(1915)1月(21歳5ヵ月)
- 新十両 :大正8年(1919)1月(25歳5ヵ月)
- 新入幕 :大正10年(1921)5月(27歳9ヵ月)
- 新三役 :大正15年(1926)5月(32歳9ヵ月)
- 新大関 :昭和2年(1927)10月(34歳2ヵ月)
- 最終場所:昭和5年(1930)10月(37歳2ヵ月)
- 生涯戦歴:208勝101敗36休2分3預/313出場(40場所)
- 生涯勝率:67.3%
- 優勝等 :幕内優勝2回(次点4),序二段優勝1回
- 幕内戦歴:162勝87敗31休1分1預(26場所)勝率:65.1%
- 大関:82勝43敗18休(13場所)勝率:65.6%
- 関脇:25勝8敗(3場所)勝率:75.8%
- 小結:9勝2敗(1場所)勝率:81.8%
- 前頭:46勝34敗13休1分1預(9場所)勝率:57.5%
- 十両戦歴:17勝9敗1分1預(5場所)勝率:65.4%
千代大海 龍二
千代大海 龍二(ちよたいかい りゅうじ)は大分県大分市出身、九重部屋の元力士で、最高位は大関。
平成4年(1992)11月場所に16歳6ヶ月で初土俵を踏み、平成22年(2010)1月場所を最後に引退(33歳8ヶ月)。
通算成績は771勝528敗115休1288出場。生涯勝率.594。通算104場所中、76場所を勝ち越した(勝ち越し率.738)。
主な成績は幕内優勝3回(同点1,次点6),十両優勝2回,三段目優勝1回,序ノ口優勝1回。殊勲賞1回,敢闘賞1回,技能賞3回,金星1個(貴乃花1個)。
昭和51年(1976)4月29日生まれ。本名は須藤 龍二。
13代九重(千代の富士)が育てた初の幕内力士、入幕9場所目の初優勝で大関に昇進。大関在位65場所は魁皇と共に歴代1位。千代の富士の急逝によって九重部屋を継承。
- 年寄名跡
- 14代・九重 龍二
- 四股名
- 千代大海 龍二(ちよたいかい りゅうじ)
- 最高位
- 大関
- 年寄名跡
- 20代佐ノ山 龍二 → 14代九重 龍二
- 出身地
- 大分県大分市
- 本名
- 廣嶋 龍二→須藤 龍二
- 生年月日
- 昭和51年(1976)4月29日(50歳)
- 所属部屋
- 九重部屋
- 改名歴
- 廣嶋 龍二 → 千代大海 龍二
- 初土俵
- 平成4年(1992)11月 前相撲(16歳6ヶ月)
- 新十両
- 平成7年(1995)7月(所要16場所)
- 19歳2ヶ月(初土俵から2年8ヶ月)
- 新入幕
- 平成9年(1997)9月(所要29場所)
- 21歳4ヶ月(初土俵から4年10ヶ月)
- 新小結
- 平成10年(1998)5月(所要33場所)
- 22歳0ヶ月(初土俵から5年6ヶ月)
- 新関脇
- 平成10年(1998)7月(所要34場所)
- 22歳2ヶ月(初土俵から5年8ヶ月)
- 新大関
- 平成11年(1999)3月(所要38場所)
- 22歳10ヶ月(初土俵から6年4ヶ月)
- 最終場所
- 平成22年(2010)1月(33歳8ヶ月)
- 大相撲歴
- 104場所(17年2ヶ月)
- 通算成績
- 771勝528敗115休1288出場(勝率.594)
- 通算104場所
- 勝ち越し76場所(勝ち越し率.738)(勝ち越し星324)
- 優勝等
- 幕内優勝3回(同点1,次点6),十両優勝2回,三段目優勝1回,序ノ口優勝1回
- 受賞・金星
- 殊勲賞1回,敢闘賞1回,技能賞3回,金星1個
- 持給金
- 286円(勝ち越し星324個 優勝3回 金星1個)
- 幕内戦歴
- 597勝402敗115休988出場(勝率.598)
- 在位75場所(在位率.721)
- 勝ち越し54場所(勝ち越し率.720)
- 大関戦歴
- 515勝345敗115休850出場(勝率.599)
- 在位65場所(在位率.625)
- 勝ち越し46場所(勝ち越し率.708)
- 三役戦歴
- 51勝28敗0休78出場(勝率.646)
- 在位6場所(在位率.058)
- 勝ち越し5場所(勝ち越し率.833)
- 関脇戦歴
- 43勝21敗0休63出場(勝率.672)
- 在位5場所(在位率.048)
- 勝ち越し4場所(勝ち越し率.800)
- 小結戦歴
- 8勝7敗0休15出場(勝率.533)
- 在位1場所(在位率.010)
- 勝ち越し1場所(勝ち越し率1.000)
- 前頭戦歴
- 31勝29敗0休60出場(勝率.517)
- 在位4場所(在位率.038)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率.750)
- 十両戦歴
- 104勝91敗0休195出場(勝率.533)
- 在位13場所(在位率.125)
- 勝ち越し10場所(勝ち越し率.769)
- 関取戦歴
- 701勝493敗115休1183出場(勝率.587)
- 在位88場所(在位率.846)
- 勝ち越し64場所(勝ち越し率.727)
- 幕下以下歴
- 70勝35敗0休105出場(勝率.667)
- 在位15場所(在位率.144)
- 勝ち越し12場所(勝ち越し率.800)
玉乃海 太三郎
玉乃海 太三郎(たまのうみ だいさぶろう)は大分県大分市出身、二所ノ関部屋の元力士で、最高位は関脇。
昭和12年(1937)5月場所に14歳4ヶ月で初土俵を踏み、昭和36年(1961)1月場所を最後に引退(38歳0ヶ月)。
通算成績は403勝331敗35休730出場。生涯勝率.549。通算56場所中、30場所を勝ち越した(勝ち越し率.556)。
主な成績は幕内優勝1回(次点2),序ノ口優勝1回。殊勲賞2回,敢闘賞3回,金星9個(羽黒山1個、栃錦4個、鏡里1個、吉葉山1個、千代の山2個)。
本名は三浦 朝弘。大正12年(1923)1月2日生まれ。昭和62年(1987)9月27日逝去(享年64歳)。
6代・二所ノ関(玉錦)率いる二所ノ関の巡業を見たことで力士を志望するようになる。はじめは郷土の大横綱・双葉山への弟子入りを希望していたが、二枚鑑札で玉錦が師匠を務めていた二所ノ関部屋に入門した。
順調に番付を上げていた福住(当時の四股名)だったが酒癖の悪さが祟った。幕下だった昭和15年(1940)の上海巡業で、酔いにまかせて憲兵を叩きのめしてしまい、駆け付けた仲間の憲兵が拳銃を抜く騒ぎであわや殺されそうになる。その場は当時大関だった羽黒山(のち横綱)と、亡くなった玉錦の後を継いだ7代・二所ノ関(玉ノ海)が懸命に詫びを入れてくれたお陰で収まったが、条件として協会からの破門を突き付けられた福住は除名処分となり大日本相撲協会を去った。
その後、太平洋戦争では海軍の軍属としてトラック諸島などで飛行場建設に従事。アメリカ軍の攻撃で大勢の犠牲者が出るなか僅かな生存者として救出されて帰国した。
昭和25年(1950)に二所ノ関から破門が解かれて協会への復帰が叶う。除名から約10年、このとき27歳であった。
昭和27年(1952)9月場所で新入幕。そして昭和28年(1953)5月場所2日目に組まれた相手は「命の恩人」横綱・羽黒山。玉乃海は殊勲の金星で恩返しができた。敗れた羽黒山は翌日から休場、結果的にこれが最後の土俵となった。
新小結昇進となった昭和31年(1956)9月場所を9勝6敗、さらに昇進した関脇で2場所連続11勝をあげた玉乃海は大関昇進でもおかしくなかったが、同じく活躍していた朝潮(のち横綱)の大関昇進に阻まれる形になった。
その後マラリアに罹り2場所連続の休場、さらに体重も落ちてしまった玉乃海は引退を覚悟。最後の土俵と聞いた時津風理事長(双葉山)から特別に許可を得て、金色のまわしを締めてあがった昭和32年(1957)九州場所ではなんと平幕全勝優勝を達成した。
慰留された玉乃海は現役を続行、昭和36年(1961)1月場所を最後に引退して12代・片男波を襲名した。
二所ノ関部屋からの分家独立は8代・二所ノ関(元大関・佐賀の花)が許さずに大いに揉めたが、先代二所ノ関の取りなしで何とか独立。横綱・玉の海をはじめ、関脇・玉ノ富士、小結・玉輝山、玉龍などを育て上げた。
- 四股名
- 玉乃海 太三郎(たまのうみ だいさぶろう)
- 最高位
- 関脇
- 年寄名跡
- 12代片男波 嶽太郎
- 出身地
- 高知県高知市 → 大分県大分市
- 本名
- 三浦 朝弘
- 生年月日
- 大正12年(1923)1月2日
- 没年月日
- 昭和62年(1987)9月27日(享年64歳)
- 所属部屋
- 二所ノ関部屋
- 改名歴
- 福住 朝廣 → 玉ノ海 朝弘 → 玉ノ海 大三郎 → 玉乃海 太三郎 → 玉乃海 代太郎
- 初土俵
- 昭和12年(1937)5月 前相撲(14歳4ヶ月)
- 新十両
- 昭和26年(1951)5月(所要11場所)
- 28歳4ヶ月(初土俵から14年0ヶ月)
- 新入幕
- 昭和27年(1952)9月(所要15場所)
- 29歳8ヶ月(初土俵から15年4ヶ月)
- 新小結
- 昭和31年(1956)9月(所要31場所)
- 33歳8ヶ月(初土俵から19年4ヶ月)
- 新関脇
- 昭和32年(1957)1月(所要32場所)
- 34歳0ヶ月(初土俵から19年8ヶ月)
- 最終場所
- 昭和36年(1961)1月(38歳0ヶ月)
- 大相撲歴
- 56場所(23年8ヶ月)
- 通算成績
- 403勝331敗35休730出場(勝率.549)
- 通算56場所
- 勝ち越し30場所(勝ち越し率.556)
- 優勝等
- 幕内優勝1回(次点2),序ノ口優勝1回
- 受賞・金星
- 殊勲賞2回,敢闘賞3回,金星9個
- 幕内戦歴
- 303勝280敗32休579出場(勝率.520)
- 在位41場所(在位率.732)
- 勝ち越し20場所(勝ち越し率.488)
- 三役戦歴
- 67勝72敗11休137出場(勝率.482)
- 在位10場所(在位率.179)
- 勝ち越し5場所(勝ち越し率.500)
- 関脇戦歴
- 35勝29敗11休62出場(勝率.547)
- 在位5場所(在位率.089)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率.600)
- 小結戦歴
- 32勝43敗0休75出場(勝率.427)
- 在位5場所(在位率.089)
- 勝ち越し2場所(勝ち越し率.400)
- 前頭戦歴
- 236勝208敗21休442出場(勝率.532)
- 在位31場所(在位率.554)
- 勝ち越し15場所(勝ち越し率.484)
- 十両戦歴
- 38勝20敗2休58出場(勝率.655)
- 在位4場所(在位率.071)
- 勝ち越し4場所(勝ち越し率1.000)
- 関取戦歴
- 341勝300敗34休637出場(勝率.532)
- 在位45場所(在位率.804)
- 勝ち越し24場所(勝ち越し率.533)
- 幕下以下歴
- 62勝31敗1休93出場(勝率.667)
- 在位10場所(在位率.179)
- 勝ち越し6場所(勝ち越し率.600)
嘉風 雅継
嘉風 雅継(よしかぜ まさつぐ)は大分県佐伯市出身、尾車部屋の元力士で、最高位は関脇。
平成16年(2004)1月場所に21歳9ヶ月で初土俵を踏み、令和元年(2019)9月場所を最後に引退(37歳6ヶ月)。
通算成績は649勝642敗30休1288出場。生涯勝率.503。通算94場所中、47場所を勝ち越した(勝ち越し率.505)。
主な成績は幕内次点1回,三段目優勝1回,序ノ口優勝1回。殊勲賞2回,敢闘賞4回,技能賞4回,金星8個(日馬富士2個、鶴竜3個、白鵬2個、稀勢の里1個)。
昭和57年(1982)3月19日生まれ。本名は大西 雅継。
日体大3年次にアマチュア横綱のタイトルを獲得し幕下15枚目格付出資格を得たが大学卒業を選んだため、前相撲からの初土俵となった。その初土俵からわずか13場所目には新入幕を果たす。
年齢を重ねるごとに増していた相撲力でファンを魅了し続けていたが、令和元年6月に故郷である大分県佐伯市が企画したPRイベントに参加し渓流下りを行った際に右膝を痛めて緊急手術。
7月場所を全休し十両へと陥落、負った怪我の影響はおおきく令和元年9月場所5日目に引退を表明。年寄・中村の襲名が承認された。
- 年寄
- 13代・中村 雅継
- 四股名
- 嘉風 雅継(よしかぜ まさつぐ)
- 最高位
- 関脇
- 年寄名跡
- 13代中村 雅継
- 出身地
- 大分県佐伯市
- 本名
- 大西 雅継
- 生年月日
- 昭和57年(1982)3月19日(44歳)
- 出身高校
- 中津工業高校
- 出身大学
- 日本体育大学
- 所属部屋
- 尾車部屋
- 改名歴
- 大西 雅継 → 嘉風 雅継
- 初土俵
- 平成16年(2004)1月 前相撲(21歳9ヶ月)
- 新十両
- 平成17年(2005)7月(所要9場所)
- 23歳3ヶ月(初土俵から1年6ヶ月)
- 新入幕
- 平成18年(2006)1月(所要12場所)
- 23歳9ヶ月(初土俵から2年0ヶ月)
- 新小結
- 平成26年(2014)5月(所要61場所)
- 32歳1ヶ月(初土俵から10年4ヶ月)
- 新関脇
- 平成28年(2016)1月(所要71場所)
- 33歳9ヶ月(初土俵から12年0ヶ月)
- 最終場所
- 令和元年(2019)9月(37歳6ヶ月)
- 大相撲歴
- 94場所(15年8ヶ月)
- 通算成績
- 649勝642敗30休1288出場(勝率.503)
- 通算94場所
- 勝ち越し47場所(勝ち越し率.505)
- 優勝等
- 幕内次点1回,三段目優勝1回,序ノ口優勝1回
- 受賞・金星
- 殊勲賞2回,敢闘賞4回,技能賞4回,金星8個
- 幕内戦歴
- 561勝600敗24休1158出場(勝率.483)
- 在位79場所(在位率.840)
- 勝ち越し35場所(勝ち越し率.443)
- 三役戦歴
- 57勝63敗0休120出場(勝率.475)
- 在位8場所(在位率.085)
- 勝ち越し5場所(勝ち越し率.625)
- 関脇戦歴
- 26勝34敗0休60出場(勝率.433)
- 在位4場所(在位率.043)
- 勝ち越し2場所(勝ち越し率.500)
- 小結戦歴
- 31勝29敗0休60出場(勝率.517)
- 在位4場所(在位率.043)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率.750)
- 前頭戦歴
- 504勝537敗24休1038出場(勝率.484)
- 在位71場所(在位率.755)
- 勝ち越し30場所(勝ち越し率.423)
- 十両戦歴
- 44勝30敗6休74出場(勝率.595)
- 在位6場所(在位率.064)
- 勝ち越し5場所(勝ち越し率.833)
- 関取戦歴
- 605勝630敗30休1232出場(勝率.490)
- 在位85場所(在位率.904)
- 勝ち越し40場所(勝ち越し率.471)
- 幕下以下歴
- 44勝12敗0休56出場(勝率.786)
- 在位8場所(在位率.085)
- 勝ち越し7場所(勝ち越し率.875)
豊國 範
- 四股名 :豊國 範(とよくに すすむ)
- 最高位 :小結
- 出身地 :大分県中津市
- 本 名 :大塚 範
- 生年月日:昭和12年(1937)11月30日
- 出身大学:中央大学
- 所属部屋:時津風部屋
- 改名歴 :大塚⇒豊國
- 初土俵 :昭和35年(1960)5月・幕下85番付外(22歳6ヵ月)
- 新十両 :昭和36年(1961)1月(23歳2ヵ月)
- 新入幕 :昭和36年(1961)11月(24歳0ヵ月)
- 新三役 :昭和37年(1962)5月(24歳6ヵ月)
- 最終場所:昭和43年(1968)1月(30歳2ヵ月)
- 生涯戦歴:318勝336敗20休/651出場(47場所)
- 生涯勝率:48.6%
- 優勝等 :十両優勝1回,幕下優勝1回
- 成 績 :敢闘賞1回,技能賞1回,金星7個
- 幕内戦歴:249勝293敗13休(37場所)勝率:45.9%
- 小結:4勝11敗(1場所)勝率:26.7%
- 前頭:245勝282敗13休(36場所)勝率:46.5%
- 十両戦歴:46勝37敗7休(6場所)勝率:55.4%
板井 圭介
- 四股名 :板井 圭介(いたい けいすけ)
- 最高位 :小結
- 出身地 :大分県臼杵市
- 本 名 :板井 圭介
- 生年月日:昭和31年(1956)3月21日
- 没年月日:平成30年(2018)8月14日(享年62歳)
- 所属部屋:大鳴戸部屋
- 改名歴 :板井⇒高鐵山⇒板井
- 初土俵 :昭和53年(1978)9月(22歳6ヵ月)
- 新十両 :昭和54年(1979)9月(23歳6ヵ月)
- 新入幕 :昭和55年(1980)9月(24歳6ヵ月)
- 新三役 :平成元年(1989)5月(33歳2ヵ月)
- 最終場所:平成3年(1991)9月(35歳6ヵ月)
- 生涯戦歴:493勝515敗98休/1003出場(79場所)
- 生涯勝率:48.9%
- 優勝等 :十両優勝2回(同点1),幕下優勝1回(同点1),三段目優勝1回,序二段優勝1回,序ノ口優勝1回
- 成 績 :殊勲賞1回,技能賞1回,金星3個
- 幕内戦歴:331勝438敗41休(54場所)勝率:43.0%
- 小結:3勝12敗(1場所)勝率:20.0%
- 前頭:328勝426敗41休(53場所)勝率:43.5%
- 十両戦歴:117勝69敗54休(16場所)勝率:62.9%
垣添 徹
垣添 徹 (かきぞえ とおる)は大分県宇佐市出身、武蔵川~藤島部屋の元力士で、最高位は小結。
平成13年(2001)9月場所に23歳1ヶ月で初土俵を踏み、平成24年(2012)3月場所を最後に引退(33歳7ヶ月)※番付上は平成24年(2012)5月場所。
通算成績は388勝430敗15休817出場。生涯勝率.475。通算63場所中、30場所を勝ち越した(勝ち越し率.476)。
主な成績は十両優勝1回、技能賞1回。
昭和53年(1978)8月12日生まれ。本名は垣添 徹。
大分県宇佐市出身の垣添は、アマチュア時代に中学横綱、学生横綱のタイトルを獲得して角界入り。日本体育大学出身として初の幕内力士となり、馬力ある突き押しを武器に自己最高位となる小結まで昇進した。引退後は指導者としての道を歩み、現在は雷部屋の師匠として後進の育成に尽力している。
学生横綱から角界へ
宇佐北部中学校時代に全国中学校相撲選手権大会で個人優勝を果たし、中学生横綱の栄冠に輝く。進学した日本体育大学でも活躍を続け、4年次には全国学生相撲選手権大会で優勝して学生横綱のタイトルを獲得した。この実績により幕下15枚目格付出の規定を満たして武蔵川部屋へ入門する。当初は平成13年(2001年)3月場所での初土俵を予定していたが、前年に出場した世界相撲選手権大会で左膝前十字靱帯を断裂する大怪我を負い、手術を受けた影響で見送っていた。しかし、付出資格の有効期限が迫っていたため、苦渋の決断として同年9月場所において本名の「垣添」で初土俵を踏む。依然として怪我が癒えていなかったため同場所は全休となり、有望株として期待を集める中、初土俵から休場という苦難の船出となった。
日体大初の幕内力士誕生と三役昇進
全休の影響で翌11月場所は東幕下55枚目まで番付を下げたものの、持ち前の突き押しを武器に着実に地力をつけていく。腰や膝の怪我を抱えながらも平成15年(2003年)3月場所で新十両に昇進すると、同年7月場所では11勝4敗の成績を収めて十両優勝を飾った。続く9月場所で新入幕を果たし、日本体育大学出身者として初の幕内力士誕生という快挙を成し遂げる。幕内の土俵でも持ち味を発揮し、平成16年(2004年)1月場所では11勝4敗の好成績で自身初となる技能賞を獲得。翌3月場所では自己最高位となる新小結に昇進した。同場所は負け越し三役在位はこの1場所のみとなったが、その後の平幕の土俵では魁皇や千代大海といった大関陣から白星を挙げるなど、上位を脅かす存在として活躍した。
幕内への定着と苦闘の晩年
新入幕以降は一度も十両へ陥落することなく、長らく幕内中位から下位に定着して土俵を務めた。しかし、平成22年(2010年)は1場所も勝ち越しを果たせず、同年11月場所において43場所連続で務めた幕内から十両へ陥落する。翌年の1月場所でも負け越して幕下へ陥落し、一度は引退を決意したが、大学の同級生で長く付け人を務めてきた剣武の説得を受け現役続行を決断した。陥落して迎えた同年5月の技量審査場所では西幕下筆頭で3勝4敗と負け越したものの、大相撲八百長問題による大量引退の影響により、負け越しでの昇進という異例の形で十両復帰を果たす。しかし、再十両となった翌7月場所で1勝14敗と大敗を喫して関取に定着することはできず、平成24年(2012年)3月場所では、三役経験者として史上初となる幕下で7戦全敗を喫する。負け越し決定後、全日本新相撲元王者である妻からの励ましを受け、全盛期を知らない長男のために白星を目指して奮戦したが結果は伴わなかった。同年4月、同級生である剣武と時を同じくして現役引退を表明し、土俵人生に幕を下ろした。
指導者の道と雷部屋の継承
引退直後は豪風から名跡を借りて年寄「押尾川」を襲名し、藤島部屋の部屋付き親方となった。同年10月に空き名跡となっていた「雷(いかずち)」を正式に取得して名跡を変更。平成25年(2013年)8月に15代武蔵川(元横綱・武蔵丸)が率いる武蔵川部屋へ移籍し、令和2年(2020年)9月には入間川部屋へと転籍した。その後、令和5年(2023年)2月に停年を迎えた16代入間川(元関脇・栃司)から部屋を継承。部屋の名称を「雷部屋」へと改め、62年ぶりとなる名称復活を果たした。部屋継承に際しては「もう1回初心に戻っていい部屋にしていきたい」と抱負を語り、現在は師匠として新たな力士の育成に情熱を注いでいる。
- 四股名
- 垣添 徹 (かきぞえ とおる)
- 最高位
- 小結
- 年寄名跡
- 21代押尾川 徹(藤島) → 17代雷 徹(藤島) → 17代雷 徹(武蔵川) → 17代雷 徹(入間川) → 17代雷 徹
- 出身地
- 大分県宇佐市
- 本名
- 垣添 徹
- 生年月日
- 昭和53年(1978)8月12日(47歳)
- 出身高校
- 大分県立宇佐産業科学高校
- 出身大学
- 日本体育大学
- 所属部屋
- 武蔵川~藤島部屋
- 改名歴
- 垣添 徹
- 初土俵
- 平成13年(2001)9月 幕下15枚目付出(23歳1ヶ月)
- 新十両
- 平成15年(2003)3月(所要9場所)
- 24歳7ヶ月(初土俵から1年6ヶ月)
- 新入幕
- 平成15年(2003)9月(所要12場所)
- 25歳1ヶ月(初土俵から2年0ヶ月)
- 新小結
- 平成16年(2004)3月(所要15場所)
- 25歳7ヶ月(初土俵から2年6ヶ月)
- 最終場所
- 平成24年(2012)3月場所(33歳7ヶ月)※番付上は平成24年(2012)5月場所
- 大相撲歴
- 63場所(10年6ヶ月)
- 通算成績
- 388勝430敗15休817出場(勝率.475)
- 通算63場所
- 勝ち越し30場所(勝ち越し率.476)(勝ち越し星82)
- 優勝等
- 十両優勝1回
- 受賞・金星
- 技能賞1回
- 持給金
- 44円(勝ち越し星82個)
- 幕内戦歴
- 299勝343敗3休641出場(勝率.466)
- 在位43場所(在位率.683)
- 勝ち越し19場所(勝ち越し率.442)
- 三役戦歴
- 6勝9敗0休15出場(勝率.400)
- 在位1場所(在位率.016)
- 勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
- 小結戦歴
- 6勝9敗0休15出場(勝率.400)
- 在位1場所(在位率.016)
- 勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
- 前頭戦歴
- 293勝334敗3休626出場(勝率.468)
- 在位42場所(在位率.667)
- 勝ち越し19場所(勝ち越し率.452)
- 十両戦歴
- 42勝48敗0休90出場(勝率.467)
- 在位6場所(在位率.095)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率.500)
- 関取戦歴
- 341勝391敗3休731出場(勝率.466)
- 在位49場所(在位率.778)
- 勝ち越し22場所(勝ち越し率.449)
- 幕下以下歴
- 47勝39敗12休86出場(勝率.547)
- 在位14場所(在位率.222)
- 勝ち越し8場所(勝ち越し率.571)
垣添 徹の更に詳細なデータは力士名鑑で!
名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。
- ✅ 勝った決まり手1位:押し出し(165回 / 42.5%)
- ✅ 負けた決まり手1位:押し出し(83回 / 19.3%)
- ✅ 得意な相手:北勝力(14勝4敗 / 勝率.778)
- ✅ 苦手な相手:岩木山(1勝17敗 / 勝率.056)
双見山 又五郎
- 四股名 :双見山 又五郎(ふたみやま またごろう)
- 最高位 :前頭筆頭
- 年寄名跡:6代錦戸
- 出身地 :大分県津久見市
- 本 名 :大星 一夫⇒金田 一夫
- 生年月日:大正4年(1915)8月4日
- 没年月日:昭和49年(1974)3月5日(享年58歳)
- 所属部屋:立浪部屋
- 改名歴 :大星⇒双見山
- 初土俵 :昭和12年(1937)1月・西幕下30付出(21歳5ヵ月)
- 新十両 :昭和15年(1940)1月(24歳5ヵ月)
- 新入幕 :昭和16年(1941)5月(25歳9ヵ月)
- 最終場所:昭和22年(1947)6月(31歳10ヵ月)
- 生涯戦歴:116勝103敗23休/219出場(21場所)
- 生涯勝率:53.0%
- 優勝等 :十両優勝1回
- 成 績 :金星2個
- 幕内戦歴:60勝69敗21休(12場所)勝率:46.5%
- 十両戦歴:32勝13敗(3場所)勝率:71.1%
琴別府 要平
十両から序ノ口に陥落しても入幕を果たした不屈の力士
- 四股名 :琴別府 要平(ことべっぷ ようへい)
- 最高位 :前頭筆頭
- 出身地 :大分県別府市
- 本 名 :三浦 要平
- 生年月日:昭和40年(1965)10月17日
- 所属部屋:佐渡ヶ嶽部屋
- 改名歴 :三浦⇒琴別府
- 初土俵 :昭和56年(1981)3月(15歳5ヵ月)
- 新十両 :平成元年(1989)7月(23歳9ヵ月)
- 新入幕 :平成4年(1992)11月(27歳1ヵ月)
- 最終場所:平成9年(1997)11月(32歳1ヵ月)
- 生涯戦歴:457勝433敗82休/888出場(101場所)
- 生涯勝率:51.3%
- 優勝等 :十両優勝1回,幕下優勝2回,序二段優勝1回
- 成 績 :敢闘賞1回
- 幕内戦歴:164勝210敗16休(26場所)勝率:43.9%
- 十両戦歴:45勝53敗22休(8場所)勝率:45.9%
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