test15出羽海部屋の力士一覧!過去から現在、出羽海部屋の主な関取を網羅しました-Part4

この記事の目次

スポンサーリンク

出羽海部屋の小結

両國 梶之助

長崎県諫早市貝津町出身、出羽海部屋の元力士で最高位は小結。小兵ながら俊敏であり、たすき反りや一本背負いなどの奇手に巧みであった。九と書いて「いちじく」の四股名で大阪相撲の土俵に上がり、一軸から国岩へと改めたころには、東京相撲で活躍していた荒岩と並んで「東西の両岩」と称された。

明治36年(1903)春場所に東上して両國と改名。太刀山に強く、4勝4敗と互角の成績を残す。性格は温厚で頭脳明快。引退後は入間川部屋を創設。また5代出羽ノ海の常陸山が亡くなると出羽ノ海部屋を引き継いた。このとき偉大な先代に敬意を表して「ノ」の字を外した出羽海を名乗る。持前の行動力を活かして部屋の隆盛につとめ、角界繁栄に尽くした功績は大きく評価されている。

  • 四股名 :両國 梶之助(りょうごく かじのすけ)
  • 最高位 :小結
  • 年寄名跡:12代入間川6代出羽海
  • 出身地 :長崎県諫早市貝津町
  • 本 名 :古川 九八
  • 生年月日:明治7年(1874)3月15日
  • 没年月日:昭和24年(1949)1月11日(享年74歳)
  • 所属部屋:時津風(大阪)⇒不知火(大阪)⇒出羽海部屋
  • 改名歴 :九⇒一軸⇒甲⇒国岩⇒両國
  • 初土俵 :明治36年(1903)1月・幕内格付出(28歳10ヵ月)
  • 新入幕 :明治36年(1903)1月・幕内格付出(28歳10ヵ月)
  • 新三役 :明治38年(1905)5月(31歳2ヵ月)
  • 最終場所:明治45年(1912)1月(37歳10ヵ月)
  • 生涯戦歴:48勝48敗69休20分5預/121出場(19場所)
  • 生涯勝率:50.0%
  • 優勝等 :なし
  • 幕内戦歴:48勝48敗69休20分5預(19場所)勝率:50.0%
  •   小結:0勝0敗10休(1場所)勝率:0%
  •   前頭:48勝48敗59休20分5預(18場所)勝率:50.0%

和歌嶋 三郎

  • 四股名 :和歌嶋 三郎(わかしま さぶろう)
  • 最高位 :小結
  • 年寄名跡:12代浜風⇒8代関ノ戸
  • 出身地 :和歌山県日高郡
  • 本 名 :松井 三郎
  • 生年月日:明治39年(1906)9月22日
  • 没年月日:昭和36年(1961)3月4日(享年54歳)
  • 所属部屋:出羽海部屋
  • 初土俵 :大正12年(1923)1月(16歳4ヵ月)
  • 新十両 :昭和3年(1928)5月(21歳8ヵ月)
  • 新入幕 :昭和4年(1929)1月(22歳4ヵ月)
  • 新三役 :昭和12年(1937)1月(30歳4ヵ月)
  • 最終場所:昭和14年(1939)5月(32歳8ヵ月)
  • 生涯戦歴:214勝170敗12休1預/385出場(43場所)
  • 生涯勝率:55.7%
  • 優勝等 :幕内次点1回,十両優勝2回
  • 成 績 :金星2個
  • 幕内戦歴:149勝145敗4休(27場所)勝率:50.7%
  •   小結:5勝6敗(1場所)勝率:45.5%
  •   前頭:144勝139敗4休(26場所)勝率:50.9%
  • 十両戦歴:19勝3敗(2場所)勝率:86.4%

九州山 義雄

櫻錦 利一

  • 四股名 :櫻錦 利一(さくらにしき りいち)
  • 最高位 :小結
  • 年寄名跡:12代高崎
  • 出身地 :青森県北津軽郡
  • 本 名 :会津 利一⇒加藤 利一
  • 生年月日:大正5年(1916)6月26日
  • 没年月日:昭和37年(1962)6月4日(享年45歳)
  • 所属部屋:出羽海部屋
  • 初土俵 :昭和13年(1938)1月・幕下35付出(21歳7ヵ月)
  • 新十両 :昭和14年(1939)1月(22歳7ヵ月)
  • 新入幕 :昭和15年(1940)1月(23歳7ヵ月)
  • 新三役 :昭和22年(1947)11月(31歳5ヵ月)
  • 最終場所:昭和26年(1951)5月(34歳11ヵ月)
  • 生涯戦歴:184勝158敗52休/340出場(30場所)
  • 生涯勝率:53.8%
  • 優勝等 :幕下優勝1回
  • 成 績 :技能賞1回,金星2個
  • 幕内戦歴:149勝146敗51休(26場所)勝率:50.5%
  •   小結:10勝12敗(2場所)勝率:45.5%
  •   前頭:139勝134敗51休(24場所)勝率:50.9%
  • 十両戦歴:20勝8敗(2場所)勝率:71.4%

大起 男右エ門

子供たちの人気者だった大きな体の温厚な力士

  • 四股名 :大起 男右エ門(おおたち だんえもん)
  • 最高位 :小結
  • 年寄名跡:10代境川
  • 出身地 :福岡県嘉穂郡
  • 本 名 :山本 男次郎⇒石田 男次郎
  • 生年月日:大正12年(1923)10月6日
  • 没年月日:昭和45年(1970)1月31日(享年46歳)
  • 所属部屋:出羽海部屋
  • 改名歴 :山本⇒穗波山⇒大起
  • 初土俵 :昭和13年(1938)5月(14歳7ヵ月)
  • 新十両 :昭和20年(1945)6月(21歳8ヵ月)
  • 新入幕 :昭和21年(1946)11月(23歳1ヵ月)
  • 新三役 :昭和30年(1955)3月(31歳5ヵ月)
  • 最終場所:昭和33年(1958)5月(34歳7ヵ月)
  • 生涯戦歴:328勝350敗22休1分/677出場(57場所)
  • 生涯勝率:48.4%
  • 優勝等 :序二段優勝1回
  • 成 績 :金星2個
  • 幕内戦歴:265勝306敗22休1分(41場所)勝率:46.4%
  •   小結:5勝10敗(1場所)勝率:33.3%
  •   前頭:260勝296敗22休1分(40場所)勝率:46.8%
  • 十両戦歴:12勝5敗(2場所)勝率:70.6%

五ッ海 義男

  • 四股名 :五ッ海 義男(いつつうみ よしお)
  • 最高位 :小結
  • 出身地 :長崎県南松浦郡
  • 本 名 :松竹 義雄
  • 生年月日:大正11年(1922)11月1日
  • 没年月日:平成20年(2008)8月29日(享年85歳)
  • 所属部屋:出羽海部屋
  • 改名歴 :松竹⇒五ッ海
  • 初土俵 :昭和15年(1940)1月(17歳2ヵ月)
  • 新十両 :昭和18年(1943)5月(20歳6ヵ月)
  • 新入幕 :昭和19年(1944)5月(21歳6ヵ月)
  • 新三役 :昭和24年(1949)10月(26歳11ヵ月)
  • 最終場所:昭和25年(1950)9月(27歳10ヵ月)
  • 生涯戦歴:125勝104敗30休/228出場(24場所)
  • 生涯勝率:54.6%
  • 優勝等 :なし
  • 成 績 :技能賞1回
  • 幕内戦歴:69勝82敗30休(15場所)勝率:45.7%
  •   小結:1勝14敗(1場所)勝率:6.7%
  •   前頭:68勝68敗30休(14場所)勝率:50.0%
  • 十両戦歴:19勝11敗(2場所)勝率:63.3%

大晃 定行

史上初の通算1000回連続出場を記録、額が広く四股名にかけて「大光り」といわれた

  • 四股名 :大晃 定行(おおひかり さだゆき)
  • 最高位 :小結
  • 年寄名跡:11代阿武松
  • 出身地 :北海道上磯郡上磯町
  • 本 名 :柴田 定行
  • 生年月日:昭和2年(1927)9月24日
  • 没年月日:平成8年(1996)1月14日(享年68歳)
  • 所属部屋:出羽海部屋
  • 改名歴 :柴田⇒巴浦⇒大晃
  • 初土俵 :昭和19年(1944)1月(16歳4ヵ月)
  • 新十両 :昭和24年(1949)1月(21歳4ヵ月)
  • 新入幕 :昭和25年(1950)9月(23歳0ヵ月)
  • 新三役 :昭和33年(1958)7月(30歳10ヵ月)
  • 最終場所:昭和38年(1963)11月(36歳2ヵ月)
  • 生涯戦歴:526勝539敗15休3分/1068出場(79場所)
  • 生涯勝率:49.4%
  • 優勝等 :幕内同点1回,幕下同点1回
  • 成 績 :敢闘賞1回,金星5個
  • 幕内戦歴:455勝489敗15休1分(64場所)勝率:48.2%
  •   小結:11勝19敗(2場所)勝率:36.7%
  •   前頭:444勝470敗15休1分(62場所)勝率:48.6%
  • 十両戦歴:41勝31敗1分(5場所)勝率:56.9%

大錦 一徹

新入幕場所で大活躍、割を崩して組まれた上位戦で横綱・琴櫻、大関・貴乃花を倒し11勝4敗の好成績をあげた。これにより殊勲、敢闘、技能の三賞を独占、新入幕での三賞独占は大錦ただひとり

スポンサーリンク
  • 四股名 :大錦 一徹(おおにしき いってつ)
  • 最高位 :小結
  • 年寄名跡:13代山科
  • 出身地 :新潟県佐渡郡羽茂町
  • 本 名 :尾堀 盛夫
  • 生年月日:昭和28年(1953)9月11日
  • 所属部屋:出羽海部屋
  • 改名歴 :尾堀⇒大錦
  • 初土俵 :昭和43年(1968)5月(14歳8ヵ月)
  • 新十両 :昭和48年(1973)5月(19歳8ヵ月)
  • 新入幕 :昭和48年(1973)9月(20歳0ヵ月)
  • 新三役 :昭和48年(1973)11月(20歳2ヵ月)
  • 最終場所:昭和63年(1988)1月(34歳4ヵ月)
  • 生涯戦歴:750勝745敗28休/1490出場(119場所)
  • 生涯勝率:50.2%
  • 優勝等 :幕内次点1回,十両優勝4回,幕下優勝1回,序二段優勝1回
  • 成 績 :殊勲賞1回,敢闘賞1回,技能賞1回,金星8個
  • 幕内戦歴:348勝428敗19休(53場所)勝率:44.8%
  •   小結:3勝12敗(1場所)勝率:20.0%
  •   前頭:345勝416敗19休(52場所)勝率:45.3%
  • 十両戦歴:287勝233敗5休(35場所)勝率:55.2%

金乃花 武夫

  • 四股名 :金乃花 武夫(かねのはな たけお)
  • 最高位 :小結
  • 出身地 :神奈川県横浜市鶴見区
  • 本 名 :金井 武夫
  • 生年月日:昭和11年(1936)10月11日
  • 所属部屋:出羽海部屋
  • 改名歴 :金ノ花⇒金乃花
  • 初土俵 :昭和27年(1952)5月(15歳7ヵ月)
  • 新十両 :昭和32年(1957)5月(20歳7ヵ月)
  • 新入幕 :昭和33年(1958)3月(21歳5ヵ月)
  • 新三役 :昭和37年(1962)9月(25歳11ヵ月)
  • 最終場所:昭和42年(1967)9月(30歳11ヵ月)
  • 生涯戦歴:536勝511敗27休/1044出場(82場所)
  • 生涯勝率:51.2%
  • 優勝等 :十両優勝1回
  • 成 績 :金星1個
  • 幕内戦歴:287勝335敗8休(42場所)勝率:46.1%
  •   小結:4勝11敗(1場所)勝率:26.7%
  •   前頭:283勝324敗8休(41場所)勝率:46.6%
  • 十両戦歴:162勝111敗12休(19場所)勝率:59.3%

佐田の海 鴻嗣

佐田の海 鴻嗣 (さだのうみ こうじ)大阪府堺市出身、出羽海部屋の元力士で、最高位は小結

昭和47年(1972)3月場所に15歳7ヶ月で初土俵を踏み、昭和63年(1988)7月場所を最後に引退(31歳11ヶ月)。

通算成績は544勝581敗7休1124出場。生涯勝率.484。通算99場所中、55場所を勝ち越した(勝ち越し率.561)。

主な成績は幕下優勝1回、序ノ口優勝1回殊勲賞1回、敢闘賞2回、技能賞1回

昭和31年(1956)7月19日生まれ。本名は松村 宏司。

スポンサーリンク

元小結・佐田の海は、出羽海部屋に所属し、昭和50年代から60年代にかけて活躍した力士である。持ち前の前捌きと二本差しての速攻を武器に幕内上位で奮闘し、三賞を4度受賞した。引退後は複数の年寄名跡を襲名して後進の指導にあたり、のちに長男も自身と同じ「佐田の海」の四股名で幕内へと昇進し、史上初となる父子二代での新入幕三賞受賞という記録を残したことでも知られる。

入門と「佐田の海」への改名

大阪府堺市で生まれ、中学校卒業とともに出羽海部屋へ入門。昭和47年(1972年)3月場所に本名の「松村」を名乗って初土俵を踏んだ。翌5月場所では序ノ口で6勝1敗の好成績を挙げて優勝を果たしている。その後も9代出羽海(第50代横綱・佐田の山)の指導を受け、同部屋の力士たちと稽古を重ねて着実に地力を強化し、初土俵から6年後の昭和53年(1978年)3月場所において新十両昇進を果たした。

しかし、新十両の土俵では3勝12敗と大きく負け越し、1場所で幕下へ陥落した。これを機に、師匠の現役名である「佐田の山」から「佐田」の字を譲り受け、四股名を「佐田の海」へと改めた。同年5月場所、7月場所を幕下で勝ち越して9月場所で十両へ復帰したものの、2勝13敗と跳ね返され再び幕下へ降下する。その後は幕下上位で一進一退の星が続いたが、昭和54年(1979年)7月場所において西幕下7枚目で7戦全勝の幕下優勝を飾り、3度目の十両昇進を決定づけた。

幕内定着と関脇の壁

以降は関取の座を維持し、昭和55年(1980年)11月場所で新入幕を果たす。西前頭12枚目に番付を置いたこの場所では初日から9連勝を記録し、最終的に11勝4敗で敢闘賞を受賞した。幕内に定着すると、師匠からの「引くな」という教えを体現する相撲で活躍を見せる。昭和56年(1981年)11月場所では10勝5敗で技能賞を獲得し、翌57年(1982年)1月場所で新三役となる東小結へ昇進した。

スポンサーリンク

新三役の場所では9日目に横綱・千代の富士を破り、8勝7敗と勝ち越して殊勲賞を獲得する。場所後、関脇の地位に空きが生じたため昇進が期待されたが、東関脇には西小結で10勝を挙げた出羽の花が、西関脇には平幕上位で12勝を挙げた若島津がそれぞれ座り、自身は東小結に据え置かれた。その後も幕内上位で幾度か勝ち越しを記録したが、ついに関脇へ昇進することは叶わなかった。

土俵外では同部屋の特等床山・床安と固い信頼関係を築いていた。関取として地位を確立した後は床安以外の者に自身の頭を触らせず、日頃から財布を預けるほどの仲であったという。ある日「俺の頭をやっている床山が、みっともない格好をしていては駄目だろう」と仕立てのジャケットを贈るなど気風が良く、床安からは「酒に強く、女にモテて、ええかっこしい。相撲取りらしい相撲取り」と評された。

怪我との闘い、受け継がれる四股名

土俵人生の後半は右肘の故障に苦しめられる。手術に踏み切ったものの状況は好転せず、徐々に番付を下げていった。昭和63年(1988年)3月場所では西前頭10枚目で15戦全敗を喫し、翌5月場所で十両へ陥落した。その5月場所も6勝9敗と負け越し、西十両11枚目で迎えた同年7月場所の途中で現役引退を表明した。

引退後は年寄・11代二十山を襲名、その後も10代中立、13代田子ノ浦と名跡を変更しながら出羽海部屋付きの親方として後進の指導にあたり、平成11年(1999年)8月に日本相撲協会を退職した。

その後、長男の松村要も中学校卒業後に相撲界へ入り、境川部屋へ入門する。父と同じ「佐田の海」の四股名を継承し、平成26年(2014年)5月場所で新入幕を果たした長男は、この場所で敢闘賞を獲得して史上初となる「父子二代での新入幕三賞受賞」という記録を残した。この時、境川親方(元小結・両国)の計らいにより、部屋の垣根を越えて長男の髪を結い上げたのは、かつて自身の髷を握り続けた床安であった。

スポンサーリンク

四股名
佐田の海 鴻嗣 (さだのうみ こうじ)
最高位
小結
年寄名跡
11代二十山 宏司(出羽海) → 10代中立 宏司(出羽海) → 13代田子ノ浦 宏司(出羽海) → 13代田子ノ浦 鴻嗣(出羽海)
出身地
大阪府堺市
本名
松村 宏司
生年月日
昭和31年(1956)7月19日
所属部屋
出羽海部屋
改名歴
松村 宏司 → 佐田の海 鴻嗣
初土俵
昭和47年(1972)3月 前相撲(15歳7ヶ月)
新十両
昭和53年(1978)3月(所要36場所)
21歳7ヶ月(初土俵から6年0ヶ月)
新入幕
昭和55年(1980)11月(所要52場所)
24歳3ヶ月(初土俵から8年8ヶ月)
新小結
昭和57年(1982)1月(所要59場所)
25歳5ヶ月(初土俵から9年10ヶ月)
最終場所
昭和63年(1988)7月場所(31歳11ヶ月)
大相撲歴
99場所(16年4ヶ月)
通算成績
544勝581敗7休1124出場(勝率.484)
通算99場所
勝ち越し55場所(勝ち越し率.561)(勝ち越し星149)
優勝等
幕下優勝1回,序ノ口優勝1回
受賞・金星
殊勲賞1回,敢闘賞2回,技能賞1回
持給金
77円50銭(勝ち越し星149個)
幕内戦歴
304勝371敗0休675出場(勝率.450)
在位45場所(在位率.455)
勝ち越し22場所(勝ち越し率.489)
三役戦歴
24勝36敗0休60出場(勝率.400)
在位4場所(在位率.040)
勝ち越し1場所(勝ち越し率.250)
小結戦歴
24勝36敗0休60出場(勝率.400)
在位4場所(在位率.040)
勝ち越し1場所(勝ち越し率.250)
前頭戦歴
280勝335敗0休615出場(勝率.455)
在位41場所(在位率.414)
勝ち越し21場所(勝ち越し率.512)
十両戦歴
70勝86敗7休155出場(勝率.452)
在位11場所(在位率.111)
勝ち越し5場所(勝ち越し率.455)
関取戦歴
374勝457敗7休830出場(勝率.451)
在位56場所(在位率.566)
勝ち越し27場所(勝ち越し率.482)
幕下以下歴
170勝124敗0休294出場(勝率.578)
在位42場所(在位率.424)
勝ち越し28場所(勝ち越し率.667)

佐田の海 鴻嗣の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

  • ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(191回 / 50.3%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(169回 / 36.7%)
  • ✅ 得意な相手:鳳凰(9勝2敗 / 勝率.818)
  • ✅ 苦手な相手:千代の富士(1勝19敗 / 勝率.050)

両国 梶之助

両国 梶之助 (りょうごく かじのすけ)長崎県長崎市出身、出羽海部屋の元力士で、最高位は小結

昭和60年(1985)3月場所に22歳7ヶ月で初土俵を踏み、平成4年(1992)11月場所を最後に引退(30歳3ヶ月)※番付上は平成5年(1993)1月場所

通算成績は316勝313敗20休626出場。生涯勝率.505。通算47場所中、25場所を勝ち越した(勝ち越し率.532)。

主な成績は十両優勝1回(同点2)殊勲賞1回、敢闘賞1回、金星3個(千代の富士3個)

スポンサーリンク

昭和37年(1962)7月30日生まれ。本名は小林 秀昭。

日本大学相撲部で活躍し、幕下付出で角界入りした両国は、大横綱・千代の富士から3つの金星を奪うなど、持ち前の闘志あふれる相撲で幕内上位で活躍した力士である。引退後は自ら部屋を創設し、男気あふれる熱血親方として数多くの名力士を育て上げている。

アマチュア時代のライバルと角界への挑戦

長崎県長崎市で生まれ育ち、日本大学へ進学して相撲部で活躍する。同級生であり明治大学相撲部で活躍していた綛田(かせだ)(のちの関脇・栃乃和歌(11代春日野))とは、アマチュア時代から互いに鎬を削る良きライバル関係にあった。

大学時代の実績から幕下付出の資格を得て、出羽海部屋へ入門。昭和60年(1985年)3月場所において、本名を交えた「小林山」の四股名で、ライバルである綛田と共に幕下60枚目格付出として初土俵を踏んだ。

スポンサーリンク

伝統の四股名襲名と新三役への飛躍

初めて大相撲の土俵に上がった場所は2勝5敗と負け越し、翌場所は三段目へ番付を落としたものの、そこから地力を発揮して一気に番付を駆け上がる。昭和61年(1986年)3月場所で新十両へ昇進。同年7月場所での再十両以降は関取の座に定着し、昭和62年(1987年)3月場所において新入幕を果たした。

この新入幕を機に、出羽海部屋に代々伝わる伝統の四股名である「両国」を襲名した。幕内の土俵でも持ち味を遺憾なく発揮し、同年7月場所では新小結へと昇進して三役の座を掴み取る。大関候補として期待を集めたが関脇にはあと一歩届かず、その後は幕内中位から上位の土俵で激闘を演じることとなる。

大横綱との激闘と3つの金星

幕内上位の土俵では、絶対的な強さを誇っていた第58代横綱・千代の富士に対して無類の強さを発揮した。平成元年(1989年)9月場所より四股名を「両国 梶之助」へと改めると、続く11月場所では東前頭3枚目で10勝5敗の好成績を挙げ、千代の富士から自身初となる金星を獲得し、殊勲賞を受賞する。

さらに、翌平成2年(1990年)3月場所では11勝4敗で敢闘賞と金星を獲得し、同年7月場所においても金星を奪ってみせた。自身が獲得した通算3個の金星はすべて大横綱・千代の富士から挙げたものであり、「千代の富士キラー」として館内を大いに沸かせた。

怪我との闘いと現役引退

その後も再度の三役昇進を目指して奮闘したが、平成4年(1992年)7月場所で左大腿部を挫傷する重傷を負って途中休場を余儀なくされる。さらに、大学時代から抱えていた腰の怪我も悪化したことで本来の相撲が取れなくなり、同年9月場所では2勝13敗と大きく負け越して十両へと陥落してしまう。

スポンサーリンク

続く11月場所は西十両7枚目で迎えたが、初日から1勝5敗としたのち休場し、翌場所の幕下陥落が確定的となった。このため、場所後の12月に現役引退を発表した。

男気あふれる熱血親方として

引退後は年寄「中立」を襲名して出羽海部屋で後進の指導にあたったのち、平成10年(1998年)に独立して中立部屋を創設する。平成15年(2003年)には自身の名跡変更に伴い、部屋の名称を「境川部屋」へと改称した。

指導者としては、人情に厚い「熱血親方」として広く知られている。入門を志願した門元少年(のちの幕内・豊響)が母親にぞんざいな口を利いた際には激怒して入門を破談にしたが、2年後に非礼を詫びて再志願してきた際には「命を懸けて来い」と快く迎え入れた。また、「先人を敬う気持ち」を大切にし、部屋の旅行で訪れたサイパンで慰霊碑の落書きを見た際には、急遽予定を変更して弟子たちと共に汗だくになって清掃にあたったというエピソードも残る。

師匠としての矜持も強く、弟子に現役時代の番付を抜かれても「偉そうなことが言えなくなるからな」と奢られることは一切なかった。平成26年(2014年)7月、愛弟子である豪栄道の大関昇進を伝える使者を迎えた日は奇しくも自身の52歳の誕生日であったが、周囲が用意したケーキを「今日は豪太郎の日や」と固辞し、弟子の出世を祝うことを優先したという。厳しくも温かいその信念のもと、数多くの関取を育て上げ、現在も大相撲の発展に多大な貢献を果たしている。

四股名
両国 梶之助 (りょうごく かじのすけ)
最高位
小結
年寄名跡
12代中立 秀昭(出羽海) → 12代中立 秀昭12代中立 嗣人13代境川 豪章
出身地
長崎県長崎市
本名
小林 秀昭
生年月日
昭和37年(1962)7月30日(63歳)
出身高校
諫早農業高校
出身大学
日本大学
所属部屋
出羽海部屋
改名歴
小林山 秀昭 → 両国 秀昭 → 両国 梶之助
初土俵
昭和60年(1985)3月 幕下60枚目付出(22歳7ヶ月)
新十両
昭和61年(1986)3月(所要6場所)
23歳7ヶ月(初土俵から1年0ヶ月)
新入幕
昭和62年(1987)3月(所要12場所)
24歳7ヶ月(初土俵から2年0ヶ月)
新小結
昭和62年(1987)7月(所要14場所)
24歳11ヶ月(初土俵から2年4ヶ月)
最終場所
平成4年(1992)11月場所(30歳3ヶ月)※番付上は平成5年(1993)1月場所
大相撲歴
47場所(7年8ヶ月)
通算成績
316勝313敗20休626出場(勝率.505)
通算47場所
勝ち越し25場所(勝ち越し率.532)(勝ち越し星93)
優勝等
十両優勝1回(同点2)
受賞・金星
殊勲賞1回,敢闘賞1回,金星3個(千代の富士3個)
持給金
79円50銭(勝ち越し星93個 金星3個)
幕内戦歴
217勝252敗11休467出場(勝率.465)
在位32場所(在位率.681)
勝ち越し13場所(勝ち越し率.406)
三役戦歴
21勝39敗0休60出場(勝率.350)
在位4場所(在位率.085)
勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
小結戦歴
21勝39敗0休60出場(勝率.350)
在位4場所(在位率.085)
勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
前頭戦歴
196勝213敗11休407出場(勝率.482)
在位28場所(在位率.596)
勝ち越し13場所(勝ち越し率.464)
十両戦歴
64勝47敗9休110出場(勝率.582)
在位8場所(在位率.170)
勝ち越し6場所(勝ち越し率.750)
関取戦歴
281勝299敗20休577出場(勝率.487)
在位40場所(在位率.851)
勝ち越し19場所(勝ち越し率.475)
幕下以下歴
35勝14敗0休49出場(勝率.714)
在位7場所(在位率.149)
勝ち越し6場所(勝ち越し率.857)

両国 梶之助の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

スポンサーリンク
  • ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(109回 / 38.5%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(125回 / 41.5%)
  • ✅ 得意な相手:薩洲洋(10勝2敗 / 勝率.833)
  • ✅ 苦手な相手:大乃国(0勝12敗 / 勝率.000)

小城錦 康年

父は技能相撲で鳴らした元関脇・小城ノ花、兄は元前頭2枚目で現出羽海親方の小城ノ花。右でまわしを引いて一気に寄る速攻相撲を得意とした

  • 14代・中立 康照(出羽海部屋)
  • 四股名 :小城錦 康年(おぎにしき やすとし)
  • 最高位 :小結
  • 年寄名跡:14代中立
  • 出身地 :千葉県市川市
  • 本 名 :小岩井 康年
  • 生年月日:昭和46年(1971)7月8日(54歳)
  • 所属部屋:出羽海部屋
  • 改名歴 :小岩井⇒小城ノ洲⇒小城錦
  • 初土俵 :昭和62年(1987)3月(15歳8ヵ月)
  • 新十両 :平成3年(1991)11月(20歳4ヵ月)
  • 新入幕 :平成5年(1993)5月(21歳10ヵ月)
  • 新三役 :平成9年(1997)7月(26歳0ヵ月)
  • 最終場所:平成16年(2004)1月(32歳6ヵ月)
  • 生涯戦歴:605勝585敗107休/1185出場(102場所)
  • 生涯勝率:50.8%
  • 優勝等 :十両優勝2回
  • 成 績 :殊勲賞1回,敢闘賞1回,技能賞2回,金星2個
  • 幕内戦歴:299勝359敗47休(47場所)勝率:45.4%
  •   小結:4勝11敗(1場所)勝率:26.7%
  •   前頭:295勝348敗47休(46場所)勝率:45.9%
  • 十両戦歴:195勝160敗48休(27場所)勝率:54.9%

舞の海 秀平

舞の海 秀平 (まいのうみ しゅうへい)青森県西津軽郡鯵ヶ沢町出身、出羽海部屋の元力士で、最高位は小結

平成2年(1990)5月場所に22歳2ヶ月で初土俵を踏み、平成11年(1999)11月場所を最後に引退(31歳8ヶ月)。

通算成績は385勝418敗27休801出場。生涯勝率.481。通算58場所中、34場所を勝ち越した(勝ち越し率.586)。

主な成績は幕下(同点1)技能賞5回

スポンサーリンク

昭和43年(1968)2月17日生まれ。本名は長尾 秀平。

青森県西津軽郡鰺ヶ沢町出身の舞の海は、角界屈指の小兵でありながら多彩な技を駆使して大型力士を倒す姿から「技のデパート」「平成の牛若丸」と称され、館内を熱狂させた力士である。自己最高位は小結。引退後は日本相撲協会に残らずタレントやスポーツキャスターへと転身。現在はNHK大相撲中継の専属解説者などを務め、独自の視点で相撲を伝えている。

恩師との出会いと苦難の新弟子検査

中学時代、小兵ゆえに相撲の強豪校から声がかからず内心傷ついていたところへ、青森県立木造高等学校相撲部顧問の岩城徹氏が自宅まで訪れて熱心に勧誘。これに心を動かされて同校へ進学し、後に「この出会いがなければ今はない」と語るほど重要な基礎を叩き込まれた。日本大学経済学部へ進学した当初は体重が70キロにも満たず、周囲との体格差に厳しい現実を痛感したが、「90キロになったらレギュラーで使ってやる」という田中英壽監督の言葉を信じて増量を敢行する。全日本相撲選手権大会でベスト32の実績を残し、幕下60枚目格付出の資格を取得。卒業後は教職に就くことが内定していたが、後輩の急死を機に角界入りを決断した。しかし、当時の新弟子検査の身長基準(173センチ以上)に満たず1度不合格となる。その後、頭部にシリコンを埋め込む手術を受けて基準を満たし、出羽海部屋へ入門。平成2年(1990年)5月場所において本名の「長尾」で初土俵を踏んだ。

「舞の海」の誕生と「技のデパート」

順調に勝ち星を重ね、平成3年(1991年)3月場所で新十両に昇進、四股名を郷里の舞戸町に因んだ「舞の海」へと改めた。同年9月場所では早くも新入幕を果たす。「猫だまし」や「八艘跳び」、さらに曙戦で見せた「三所攻め」など、多彩な技を駆使して遥かに体格の勝る大型力士を次々と翻弄し、「技のデパート」の異名を取って大相撲界を盛り上げた。一方で、本人は「左を深く差さないと相撲にならないため、小兵の中では不器用であった」と回顧している。

スポンサーリンク

三役昇進と大怪我による暗転

入幕からしばらくは幕内を維持できれば良いという感覚で相撲を取っていたが、兄弟子の両国からの叱咤や、大学時代の先輩だが教職を経て角界入りした「後輩」の智ノ花に先に三役昇進を越された悔しさから発奮する。自身が「生涯で最も強かった」と振り返る平成6年(1994年)7月場所で大関・貴ノ花を破るなど活躍し、翌9月場所で待望の新小結に昇進した。しかし、同場所2日目の貴闘力戦で生命線である左腕の腱を断裂して大きく負け越し、結果的に三役経験はこの1場所のみとなった。さらに平成8年(1996年)7月場所では、小錦を破った際に体重差約200キロの小錦が左膝へ倒れ込み、左膝内側側副靭帯損傷の大怪我を負って十両へ陥落した。

満身創痍の晩年と引退

一時は幕内へ復帰したものの下位に停滞し、平成10年(1998年)3月場所を最後に十両へ再び陥落する。その後も満身創痍で土俵を務め続けたが、平成11年(1999年)11月場所の13日目、水戸泉戦で敗れた際に左足首靭帯損傷と左ふくらはぎの肉離れを起こし休場。千秋楽に強行出場するも敗れて幕下陥落が濃厚となり、現役引退を表明した。現役時代は通算5度の技能賞を獲得するなど、記録にも記憶にも残る活躍を見せた。引退後は年寄名跡に空きがなく、自身も親方への希望を強く持っていなかったため、協会には残らずタレントやスポーツキャスターへ転身。現在はNHK大相撲中継の専属解説者を務めている。

四股名
舞の海 秀平 (まいのうみ しゅうへい)
最高位
小結
出身地
青森県西津軽郡鯵ヶ沢町
本名
長尾 秀平
生年月日
昭和43年(1968)2月17日
出身高校
青森県立木造高校
出身大学
日本大学
所属部屋
出羽海部屋
改名歴
長尾 秀平 → 舞の海 秀平
初土俵
平成2年(1990)5月 幕下60枚目付出(22歳2ヶ月)
新十両
平成3年(1991)3月(所要5場所)
23歳0ヶ月(初土俵から0年10ヶ月)
新入幕
平成3年(1991)9月(所要8場所)
23歳6ヶ月(初土俵から1年4ヶ月)
新小結
平成6年(1994)9月(所要26場所)
26歳6ヶ月(初土俵から4年4ヶ月)
最終場所
平成11年(1999)11月場所(31歳8ヶ月)
大相撲歴
58場所(9年6ヶ月)
通算成績
385勝418敗27休801出場(勝率.481)
通算58場所
勝ち越し34場所(勝ち越し率.586)(勝ち越し星82)
優勝等
幕下(同点1)
受賞・金星
技能賞5回
持給金
72円50銭(勝ち越し星82個)
幕内戦歴
241勝287敗12休527出場(勝率.457)
在位36場所(在位率.621)
勝ち越し18場所(勝ち越し率.500)
三役戦歴
2勝13敗0休15出場(勝率.133)
在位1場所(在位率.017)
勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
小結戦歴
2勝13敗0休15出場(勝率.133)
在位1場所(在位率.017)
勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
前頭戦歴
239勝274敗12休512出場(勝率.467)
在位35場所(在位率.603)
勝ち越し18場所(勝ち越し率.514)
十両戦歴
118勝122敗15休239出場(勝率.494)
在位17場所(在位率.293)
勝ち越し11場所(勝ち越し率.647)
関取戦歴
359勝409敗27休766出場(勝率.469)
在位53場所(在位率.914)
勝ち越し29場所(勝ち越し率.547)
幕下以下歴
26勝9敗0休35出場(勝率.743)
在位5場所(在位率.086)
勝ち越し5場所(勝ち越し率1.000)

舞の海 秀平の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

  • ✅ 勝った決まり手1位:下手投げ(105回 / 29.0%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(108回 / 26.3%)
  • ✅ 得意な相手:琴稲妻(14勝9敗 / 勝率.609)
  • ✅ 苦手な相手:若乃花(1勝12敗 / 勝率.077)

普天王 水

普天王 水 (ふてんおう いずみ)熊本県玉名市出身、出羽海部屋の元力士で、最高位は小結

平成15年(2003)1月場所に22歳4ヶ月で初土俵を踏み、平成23年(2011)1月場所を最後に引退(30歳4ヶ月)※番付上は平成23年(2011)5月場所

スポンサーリンク

通算成績は326勝347敗14休670出場。生涯勝率.487。通算49場所中、23場所を勝ち越した(勝ち越し率.469)。

主な成績は幕下(同点1)敢闘賞1回、技能賞1回

昭和55年(1980)8月28日生まれ。本名は内田 水。

熊本県玉名郡天水町(現・玉名市)出身の普天王は、アマチュア相撲で数々のタイトルを獲得して角界入りし、最高位は小結まで昇進した力士である。突き押しや左四つからの力強い攻めを武器に活躍したほか、現役力士として初めて個人ブログを開設して大相撲の裏側や日常を発信し、ファンから広く親しまれた。引退後は年寄・稲川を襲名し、複数の部屋での指導を経て、現在は木瀬部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたっている。

スポンサーリンク

アマチュア横綱から角界へ

恵まれた体格であったことから自然な流れで相撲を始め、天水町立小天小学校(当時)4年次に出場したわんぱく相撲全国大会で優勝を果たしてわんぱく横綱に輝くなど、早くから才能を発揮した。文徳高校時代には、当時明徳義塾高校へ相撲留学していた同い年の朝青龍と対戦して勝利を収めている。日本大学へ進学後も実力を伸ばし、2年次には全日本相撲選手権大会を制してアマチュア横綱のタイトルを獲得。大学時代に計14ものタイトルを獲得した。

この実績により幕下15枚目格付出の資格を取得。「自分の実力が角界でどれだけ通用するか」という挑戦心を胸に出羽海部屋へ入門し、平成15年(2003年)1月場所において本名の「内田」で初土俵を踏んだ。入門時は名門部屋の重圧を問われたが、「やるのは自分だからプレッシャーはない」と、後先を考えず強心臓ぶりを見せていた。

記録的昇進の逸機と新入幕

初土俵の場所では持ち味の左四つからの速攻で6連勝とし、史上初となる「所要1場所での十両昇進」の快挙に王手をかける。しかし、運命の7番相撲で琴乃峰の下手投げに敗れて偉業達成はならず、その後の7人による優勝決定戦でも黒海に敗れて幕下優勝を逃した。それでも翌3月場所で6勝1敗の好成績を収め、初土俵から所要2場所となる同年5月場所で新十両への昇進を果たす。この時に四股名を、世の全てを意味する「普天」と牛頭天王にちなんで父親が名付けた「普天王」へと改めた。十両の土俵でも着実に白星を重ね、平成16年(2004年)3月場所で新入幕を果たした。

幕内上位の壁に跳ね返される時期もあったが、平成17年(2005年)5月場所では東前頭10枚目で11勝4敗の好成績を収めて自身初となる敢闘賞を受賞。続く7月場所でも10勝を挙げて技能賞を獲得し、翌9月場所で自己最高位となる新小結への昇進を決めた。この小結昇進の場所では、初日に横綱・朝青龍から白星を挙げて大いに館内を沸かせている。

現役力士初のブログ開設と苦闘の晩年

土俵での活躍の一方で、新小結に昇進した平成17年(2005年)には現役力士として初めて自身の個人ブログを開設。巡業の様子や力士の素顔など、大相撲の裏側を親しみやすい文章で発信し、インターネットを通じて新たな相撲ファンを獲得する先駆けとなった。

スポンサーリンク

しかし土俵上では、小結昇進の場所で初日から連勝したのちに8連敗を喫するなど大きく負け越し、平幕へ降下する。その後も大関陣を破る活躍を見せながらも上位には定着できず、怪我の影響もあって幕内中位から下位にかけて長く定着するものの、再び三役の座へ戻ることは叶わなかった。

関取陥落と現役引退

平成21年(2009年)には年間を通じて負け越しが続き、同年11月場所で十両へ陥落する。翌平成22年(2010年)には関取の座を失い、さらに同年7月場所では大相撲野球賭博問題への関与による謹慎処分を受けて全休を余儀なくされた。番付を幕下下位まで落としたのちに勝ち越して復活の兆しを見せたものの、平成23年(2011年)5月の技量審査場所を前に「八百長問題による春場所中止で気持ちが続かなくなった」として現役引退を表明。初土俵から49場所、幕内を33場所務めた土俵人生に幕を下ろした。

指導者としての歩みと部屋移籍

引退後は年寄名跡を取得して「稲川」を襲名し、出羽海部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたっていた。その後、平成26年(2014年)6月に同門の千賀ノ浦部屋(現・湊川部屋)へと移籍する。しかし、その千賀ノ浦部屋が出羽海一門を離脱して貴乃花一門(当時)へと合流することになると、自身は行動を共にせず平成28年(2016年)5月に木瀬部屋へと転籍して出羽海一門に留まった。現在は相撲教習所の指導員を務めるなど、アマチュア相撲での経験も生かしながら弟子の育成に情熱を注いでいる。

四股名
普天王 水 (ふてんおう いずみ)
最高位
小結
年寄名跡
13代稲川 有樹(出羽海) → 13代稲川 有樹(千賀ノ浦) → 13代稲川 有樹(木瀬)
出身地
熊本県玉名郡天水町 → 熊本県玉名市
本名
内田 水
生年月日
昭和55年(1980)8月28日(45歳)
出身高校
文徳高校
出身大学
日本大学
所属部屋
出羽海部屋
改名歴
内田 水 → 普天王 水
初土俵
平成15年(2003)1月 幕下15枚目付出(22歳4ヶ月)
新十両
平成15年(2003)5月(所要2場所)
22歳8ヶ月(初土俵から0年4ヶ月)
新入幕
平成16年(2004)3月(所要7場所)
23歳6ヶ月(初土俵から1年2ヶ月)
新小結
平成17年(2005)9月(所要16場所)
25歳0ヶ月(初土俵から2年8ヶ月)
最終場所
平成23年(2011)1月場所(30歳4ヶ月)※番付上は平成23年(2011)5月場所
大相撲歴
49場所(8年0ヶ月)
通算成績
326勝347敗14休670出場(勝率.487)
通算49場所
勝ち越し23場所(勝ち越し率.469)(勝ち越し星78)
優勝等
幕下(同点1)
受賞・金星
敢闘賞1回,技能賞1回
持給金
42円(勝ち越し星78個)
幕内戦歴
231勝260敗4休489出場(勝率.472)
在位33場所(在位率.673)
勝ち越し14場所(勝ち越し率.424)
三役戦歴
5勝10敗0休15出場(勝率.333)
在位1場所(在位率.020)
勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
小結戦歴
5勝10敗0休15出場(勝率.333)
在位1場所(在位率.020)
勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
前頭戦歴
226勝250敗4休474出場(勝率.477)
在位32場所(在位率.653)
勝ち越し14場所(勝ち越し率.438)
十両戦歴
72勝75敗3休146出場(勝率.493)
在位10場所(在位率.204)
勝ち越し6場所(勝ち越し率.600)
関取戦歴
303勝335敗7休635出場(勝率.477)
在位43場所(在位率.878)
勝ち越し20場所(勝ち越し率.465)
幕下以下歴
23勝12敗7休35出場(勝率.657)
在位6場所(在位率.122)
勝ち越し3場所(勝ち越し率.500)

普天王 水の更に詳細なデータは力士名鑑で!

名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。

  • ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(193回 / 59.0%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(110回 / 31.6%)
  • ✅ 得意な相手:栃乃洋(12勝2敗 / 勝率.857)
  • ✅ 苦手な相手:北勝力(3勝13敗 / 勝率.188)

カテゴリー : 相撲部屋

公開日:2020-02-10
投稿者:レイ

コメントはお気軽にどうぞ

※当サイトは個人が運営するサイトであり、日本相撲協会及び、各相撲部屋とは関連がないことをご了承ください。

内容に問題なければ、下記の「コメントを送信する」ボタンを押してください。※当サイトは個人が運営するサイトです。