対戦力士情報

対戦力士同士の詳細な情報です。

北の若 大輔 (八角部屋・山形県酒田市)

北の若 大輔(きたのわか だいすけ)は山形県 酒田市出身、八角部屋の力士で最高位は前頭14枚目。令和8年5月場所の番付は西 十両5枚目。

酒田市立宮野浦小学校の3年次から地元の酒田相撲教室に通い始めて相撲の基礎を学んだ。4年次からは3年連続でわんぱく相撲全国大会に出場する活躍を見せ、4年次には全国3位、6年次には全国2位に輝くなど、早くから全国トップクラスの実力を誇っていた。

中学校卒業後は、さらなる高みを目指して相撲の名門である埼玉栄高校へと相撲留学する。3年次には高校総体の個人戦で優勝して高校横綱のタイトルを獲得したほか、高校総体の団体優勝、国体の個人・団体優勝、全日本選手権への出場など輝かしい実績を残した。

高校横綱の栄光と八角部屋入門

小学生時代に同部屋へ宿泊した際に大岩戸ら関係者に優しくしてもらった思い出や、8代八角(元横綱・北勝海)の師匠にあたる第52代横綱・北の富士の親族が酒田市で営むちゃんこ料理店で、北の富士本人から直接声を掛けられた縁から、八角部屋への入門を決意した。平成31年(2019年)3月場所に、北の富士にちなんで命名された「北の若」の四股名で初土俵を踏んだ。

鳴り物入りで角界入りしたが、すぐにプロの壁に直面する。序二段では大学出身の実力者や相撲未経験者の力士にも敗れ、高校横綱経験者が序二段で2敗を喫し、さらに2場所以上にわたり在位するという史上初の屈辱を味わった。三段目でも優勝決定の7番相撲で敗れるなど、もどかしい足踏みが続いた。

プライドの呪縛とプロの壁

入門当初は差しに行ったり、変化気味に深い上手を取りに行ったりする安易な相撲が目立っていた。師匠の8代八角からは「高校横綱としてのプライドが邪魔をして、前に出る押し相撲の重要性を理解するのに2年かかった」と指摘されるほどであったが、部屋の厳しい指導によって次第に前に出る相撲へとモデルチェンジしていった。

前へ出る相撲に徹するようになると着実に星を伸ばし、令和3年(2021年)11月場所に念願の新十両昇進を決めた。酒田市からの関取昇進は史上4人目であり、入門の世話をした大師匠の北の富士からは「努力すれば普通に三役になれる」と大きな期待を寄せられた。

足踏みと北の富士からの辛口エール

しかし十両昇進後もプロの壁に苦しみ、実に11場所にわたって足踏み状態が続いた。北の富士からもその停滞ぶりを嘆かれていたが、令和5年(2023年)9月場所で勝ち越して翌11月場所でついに新入幕を果たした。酒田市からの幕内昇進は史上2人目であったが、入幕の報告を受けた北の富士からは「遅い」と辛口の激励を受けている。

新入幕の場所は5勝10敗と負け越し、1場所で十両へと陥落する。その後も幕内への復帰と十両陥落を繰り返すなど、上位の分厚い壁に跳ね返される苦しい土俵が続いていた。

大師匠への誓いと大怪我からの復活

幕内定着を目指す中、令和6年(2024年)11月場所中に自身を気にかけてくれた北の富士がこの世を去る。北の富士の命日は奇しくも北の若の誕生日であり、場所後に地元で開催された激励会で「亡くなった日は自分の誕生日でもあり、何かメッセージを残してくれたように感じる。来年は幕内で初めての勝ち越しを地元に届けたい」と恩返しへの強い決意を語った。

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その誓いを胸に、令和7年(2025年)1月場所で4度目の入幕を果たし、序盤は4勝3敗と白星を先行させた。しかし、中日の取組で敗れた際に右腓骨骨幹部を骨折する大怪我を負い、無念の途中休場を余儀なくされてしまう。

この深刻な怪我の影響は長引き、続く同年3月場所を全休したことで幕下へと陥落する。東幕下筆頭で迎えた同年5月場所でも抜け抜けの星から13日目に敗れて負け越すなど、関取復帰を逃す大きな試練を味わった。

それでも決して腐ることなく土俵に立ち続け、同年7月場所で勝ち越しを決めると、続く9月場所では西幕下筆頭の地位で5勝2敗の好成績を収め、4場所ぶりとなる十両復帰を果たした。高校横綱のプライドを捨てて身につけた相撲と、亡き大師匠への報恩の思いを胸に、持ち前のスケールの大きな相撲で幕内への定着を目指して奮闘を続けている。

💡 山形県出身一覧💡 八角部屋の力士

四股名
北の若 大輔(きたのわか だいすけ)
最高位
前頭14枚目
最新番付
西 十両5枚目
出身地
山形県 酒田市
本名
齋藤 大輔
生年月日
平成12年(2000)11月12日(25歳)
身長・体重
191cm・161kg
出身高校
埼玉栄高校
所属部屋
八角部屋
初土俵
平成31年(2019)3月(18歳4ヵ月)
新十両
令和4年(2022)1月(21歳2ヵ月)
新入幕
令和5年(2023)11月(23歳0ヵ月)
優勝
無し
通算成績
244勝199敗28休/440出場(勝率:55.5%)
直近7場所
24勝21敗(幕下以下:12勝9敗)
7場所勝率
54.5%
得意技
突っ張り・右四つ・寄り・上手投げ
決まり手傾向(直近7場所)
北の若が勝ちの決まり手(36勝)
押し出し8
寄り切り8
叩き込み6
突き出し3
突き落とし3
寄り倒し2
その他6
北の若が負けの決まり手(30敗)
押し出し8
寄り切り8
叩き込み3
突き落とし2
寄り倒し2
掬い投げ2
その他5
令8年5月
西 十両5枚目(3枚上昇)
0勝0敗
令8年3月
西 十両8枚目(変動なし)
9勝6敗
●○○○○|○●○●●|○●○○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年1月
西 十両8枚目(3枚半上昇)
7勝8敗
●○○○●|○●●●●|●●○○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

▼ さらに過去の成績(4場所分)を見る
令7年11
東 十両12枚目(3枚半上昇)
8勝7敗
○●○●●|○○○○●|○●●○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年9月
西 幕下筆頭(2枚上昇)
5勝2敗
○-○-○|-○-○-|●-●--
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年7月
西 幕下3枚目(2枚半降下)
4勝3敗
-●○-○|-○○--|●---●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年5月
東 幕下筆頭
3勝4敗
●-○-●|-○-●-|○-●--
取組詳細(対戦相手・決まり手)

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剣翔 桃太郎 (追手風部屋・東京都葛飾区)

剣翔 桃太郎(つるぎしょう ももたろう)は東京都 葛飾区出身、追手風部屋の力士で最高位は前頭6枚目。令和8年5月場所の番付は東 幕下11枚目。

埼玉栄高校から日本大学を経て角界入りし、190キロを超える巨体を活かした右四つの力相撲で幕内上位を脅かした剣翔は、度重なる膝の大怪我と闘いながらも不屈の闘志で土俵を務め上げた大型力士である。同郷や同窓の力士たちと切磋琢磨しながら土俵を沸かせ、引退後は日本相撲協会を離れて新たな道を歩む決断を下した。

小遣い目当てからの目覚めと仲間たち

東京都葛飾区に生まれ、小学2年生の時に祖父から「優勝したら小遣いをやる」と言われ、わんぱく相撲に参加した。葛飾区内で無敵の強さを誇るようになったが、小学4年生で臨んだ都大会で1回戦負けを喫する。この時初めて「負けた悔しさ」を味わったことで本格的に相撲に打ち込む決意を固めた。

地元の葛飾白鳥相撲教室で稽古を積み、幼稚園からの幼馴染である岩崎(のちの幕内・翔猿)やその兄(のちの幕内・英乃海)、さらには同郷の明月院(のちの小結・千代大龍)や渡邊(のちの十両・千代嵐)たちと切磋琢磨した。葛飾区立大道中学校では全国都道府県別中学選手権で3位に入賞。先輩である岩崎(兄)の後を追うように相撲の名門・埼玉栄高校へ進学し、3年次には高校総体団体優勝や全日本ジュニア体重別選手権100キロ以上級優勝を飾るなど、アマチュア時代で最も充実した時期を過ごした。

大学時代の挫折と追手風部屋入門

日本大学文理学部へ進学。相撲部には1学年上に遠藤、同学年にのちに同部屋となる川端(のちの幕内・大翔丸)がいた。入学当初は稽古に身が入らず遊んでしまう時期もあったが、2年次の終わりに改心して団体戦のレギュラーを掴む。しかし3年次に左肘の靭帯を負傷する不運もあり、個人戦では全日本選手権に出場しながらもタイトルに手が届かず無冠に終わった。

大学卒業を控えた平成26年(2014年)1月場所において、大学の先輩である11代追手風(元前頭・大翔山)が率いる追手風部屋から本名の「安彦」で初土俵を踏んだ。

昇進の苦労と「剣翔 桃太郎」の誕生

初めて番付に載った翌3月場所で序ノ口優勝、続く5月場所で序二段優勝、さらに同年9月場所では幕下優勝を飾るなど、怒涛のスピード出世を見せる。しかし、幕下上位の分厚い壁に苦しみ、幕下5枚目以内で勝ち越しを3度も重ねながら十両昇進が見送られるという不運にも見舞われた(相撲雑誌に「珍しいケース」と投書が掲載されるほどであった)。それでも決して腐らず、平成27年(2015年)11月場所を5勝2敗で乗り切り、翌場所での新十両昇進を決定づけた。

この関取昇進を機に、本名の「剣」と師匠の四股名から「翔」の字を組み合わせた「剣翔」に改名。下の名も、周囲からそう呼ばれていて強いイメージのある「桃太郎」とした。

新入幕での敢闘賞と上位での奮闘

十両の土俵で一進一退の攻防を繰り広げたのち、令和元年(2019年)7月場所において13勝2敗の好成績で自身初となる十両優勝を飾る。この活躍により、翌9月場所で悲願の新入幕を果たした。

幕内として初めて臨んだこの場所でも持ち前の馬力を発揮し、10勝5敗の二桁勝利を挙げて見事に敢闘賞を獲得した。190キロを超える堂々たる体格を活かし、右を差して胸を合わせる力強い四つ相撲を武器に、その後も長く幕内と十両の土俵で存在感を示し続けた。令和3年(2021年)1月場所では12勝3敗で自身2度目の十両優勝も果たしている。

壮絶な怪我と15戦全敗、そして引退

しかし、その巨体を支える膝には限界が近づいていた。左膝前十字靱帯断裂などの大怪我に苦しめられ、令和6年(2024年)3月場所の平戸海戦では、取組中に古傷の左膝から鈍い音が鳴って土俵上で動けなくなり、車いすで搬送されるという壮絶なアクシデントに見舞われた。

満身創痍となりながらもサポーターで膝を固めて土俵に立ち続けたが、令和8年(2026年)1月に結婚したばかりで迎えた続く3月場所では、西十両12枚目で膝や右足首、背中などの痛みに耐えきれず、精彩を欠いて初日から15戦全敗という苦しい結果に終わる。場所中には「100%引退するとは決めていない。もしかしたら来場所も出るかもしれない」と現役続行への未練をのぞかせていたが、幕下陥落が確実となった同場所後の4月6日に引退届が受理され、現役を退いた。

引退後は日本相撲協会を離れて新たな道へと進むこととなった。持ち前の明るいキャラクターとスケールの大きな相撲でファンを魅了し、限界まで怪我に耐え抜いたその土俵人生は、多くの人々の記憶に深く刻まれている。

💡 東京都出身一覧💡 追手風部屋の力士

四股名
剣翔 桃太郎(つるぎしょう ももたろう)
最高位
前頭6枚目
最新番付
東 幕下11枚目
出身地
東京都 葛飾区
本名
安彦 剣太郎
生年月日
平成3年(1991)7月27日(34歳)
身長・体重
185cm・200kg
出身高校
埼玉栄高校
出身大学
日本大学
所属部屋
追手風部屋
改名歴
安彦 → 剣翔
初土俵
平成26年(2014)1月(22歳6ヵ月)
新十両
平成28年(2016)1月(24歳6ヵ月)
新入幕
令和1年(2019)9月(28歳2ヵ月)
優勝
十両優勝2回,幕下優勝1回,序二段優勝1回,序ノ口優勝1回
受賞・金星
敢闘賞1回
通算成績
485勝484敗23休/964出場(勝率:50.3%)
直近7場所
(十両:32勝58敗)
7場所勝率
35.6%
得意技
右四つ・寄り
決まり手傾向(直近7場所)
剣翔が勝ちの決まり手(32勝)
寄り切り12
上手投げ7
叩き込み3
押し出し3
掬い投げ2
寄り倒し1
その他4
剣翔が負けの決まり手(58敗)
寄り切り23
押し出し12
送り出し5
突き出し4
叩き込み4
突き落とし3
その他7
令8年5月
東 幕下11枚目(12枚半降下)
0勝0敗
令8年3月
西 十両12枚目(1枚降下)
0勝15敗
●●●●●|●●●●●|●●●●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年1月
西 十両11枚目(変動なし)
6勝9敗
●●○●○|●○○○●|●○●●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

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令7年11
西 十両11枚目(2枚降下)
7勝8敗
●●○○○|●○●○●|○●●●○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年9月
西 十両9枚目(変動なし)
5勝10敗
●●●●●|●○●○○|○●●○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年7月
西 十両9枚目(変動なし)
7勝8敗
●○●○○|●●○●○|●●●○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年5月
西 十両9枚目
7勝8敗
●○○●○|●●●○○|○○●●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)