陸奥(みちのく)部屋の主な所属力士をご紹介する陸奥部屋の大相撲力士まとめ!
この記事では陸奥部屋と、その前身である井筒部屋の主な関取を中心に紹介していきます。最高位や改名歴、初土俵や各段の昇進時期と最終場所、さらに生涯戦歴と生涯勝率、成績等を中心にご紹介していきます。
陸奥部屋の基本情報
- 一門
- :時津風一門
- 創設
- :昭和22年(1947年)6月1日 井筒部屋として創設
- 創設者
- :第11代・井筒 友康 (元前頭2枚目・鶴ヶ嶺 道芳)
- 改称
- :昭和49年(1974年)4月30日 陸奥部屋へと改称
- 改称者
- :第7代・陸奥 良夫 (元前頭4枚目・星甲 昌男)
- 最終師匠
- :第9代・陸奥 一博 (元大関・霧島 一博)
- 閉鎖
- :令和6年(2024年)4月1日
陸奥部屋創設の概略
陸奥部屋は、元を辿ると実は井筒部屋に繋がっています。
昭和22年(1947)11月に10代・井筒(元前頭2枚目・鶴ヶ嶺)が再興した井筒部屋は、関脇・鶴ヶ嶺や幕内・逆鉾、太刀風、星甲らを輩出します。
しかし昭和47年(1972)3月に10代が逝去すると、8代君ヶ濱(元関脇・鶴ヶ嶺)と5代陸奥(元前頭4・星甲)との間で後継者争いが勃発。この争いに敗れた8代君ヶ濱は分家独立して君ヶ濱部屋を興し、そこから紆余曲折あって井筒部屋へと改称しました。
では本家だった井筒部屋はどうなったのでしょうか?
こちらは5代陸奥が11代井筒を襲名し部屋を継承。その後、昭和49年(1974)4月月に井筒の名跡を返上して7代・陸奥を襲名し、部屋の名称も陸奥部屋へと改称したのです。
つまり、陸奥部屋は元々は井筒部屋本家だったのですね。2本の糸が絡まったような関係性でいるのが、陸奥部屋と井筒部屋と言えそうです。
陸奥部屋の系譜
陸奥部屋の成り立ちを系譜でご紹介します。
陸奥部屋の優勝力士
陸奥部屋 歴代幕内優勝力士一覧
陸奥部屋では霧馬山が幕内優勝を達成し、優勝回数はあわせて2回でした。
初優勝は、3年5ヶ月前の令和5年(2023年)3月場所で、最後の優勝は2年9ヶ月前の令和5年(2023年)11月場所でした。
| 場所年月 | 四股名 | 番付 | 成績 | 年齢 | 出身地 | 最高位 | 部屋 | 備考 |
|---|
令和5年11月 (2023年)R5.11 2023 | 霧馬山 [2回目] | 西大関 | 13勝2敗 | 27歳7ヶ月 | モンゴル | 大関 | 陸奥 |
令和5年3月 (2023年)R5.3 2023 | 霧馬山 [初] | 東関脇 | 12勝3敗 | 26歳11ヶ月 | モンゴル | 大関 | 陸奥 |
陸奥部屋 幕内優勝回数ランキング
陸奥部屋の幕内優勝回数ランキングです。霧馬山は大関として1回、関脇で1回、合計で2回優勝しています。優勝した場所での本割の成績は25勝5敗で、勝率は.833となっています。
※勝利合計と敗戦合計・勝率は、幕内優勝場所での成績合計です。
| 順位 | 四股名 | 最高位 | 優勝 回数 | 横綱 | 大関 | 関脇 | 小結 | 前頭 | 勝利 合計 | 敗戦 合計 | 勝率 | 部屋 | 出身地 |
|---|
| 1位 | 霧馬山 | 大関 | 2回 | — | 1 | 1 | 0 | 0 | 25勝 | 5敗 | .833 | 陸奥 | モンゴル |
陸奥部屋の三賞受賞力士
陸奥部屋 歴代三賞受賞力士一覧
陸奥部屋と、その前身である井筒部屋では、5人の力士が三賞を受賞し、獲得数はあわせて21回でした。
受賞の内訳は、技能賞が14回、殊勲賞が2回、敢闘賞が5回となっています。
また、ダブル受賞は鶴ヶ嶺が1回ずつ達成しました。
| 場所年月 |
番付 |
受賞力士 |
受賞 |
成績 |
受賞時 年齢 |
出身地 |
部屋 |
初土俵 |
生年月日 |
令和5年5月 (2023年)R5.5 (2023) | 東関脇 | 東関脇霧馬山 | 技能賞 [3回目] | 11勝4敗 | 27歳1ヶ月 | モンゴル | 陸奥 | 平成27年3月 (2015年) | 平成8年4月24日 (1996年) |
令和5年3月 (2023年)R5.3 (2023) | 東関脇 | 東関脇霧馬山 | 技能賞 [2回目] | 12勝3敗 優勝 | 26歳11ヶ月 | モンゴル | 陸奥 | 平成27年3月 (2015年) | 平成8年4月24日 (1996年) |
令和5年1月 (2023年)R5.1 (2023) | 東小結 | 東小結霧馬山 | 技能賞 [初] | 11勝4敗 | 26歳8ヶ月 | モンゴル | 陸奥 | 平成27年3月 (2015年) | 平成8年4月24日 (1996年) |
令和2年1月 (2020年)R2.1 (2020) | 東前頭17 | 東前頭17霧馬山 | 敢闘賞 [初] | 11勝4敗 | 23歳9ヶ月 | モンゴル | 陸奥 | 平成27年3月 (2015年) | 平成8年4月24日 (1996年) |
平成16年7月 (2004年)H16.7 (2004) | 東前頭14 | 東前頭14豊桜 | 敢闘賞 [初] | 12勝3敗 | 30歳4ヶ月 | 広島県 | 陸奥 | 平成元年3月 (1989年) | 昭和49年3月12日 (1974年) |
昭和45年3月 (1970年)S45.3 (1970) | 東前頭4 | 東前頭4錦洋 | 技能賞 [初] | 9勝6敗 | 20歳2ヶ月 | 鹿児島県 | 井筒 | 昭和40年3月 (1965年) | 昭和25年1月3日 (1950年) |
昭和41年11月 (1966年)S41.11 (1966) | 西前頭10 | 西前頭10鶴ヶ嶺 | 敢闘賞 [2回目] | 11勝4敗 | 37歳7ヶ月 | 鹿児島県 | 井筒 | 昭和22年6月 (1947年) | 昭和4年4月26日 (1929年) |
昭和41年7月 (1966年)S41.7 (1966) | 東前頭11 | 東前頭11鶴ヶ嶺 ダブル | 敢闘賞 [初] | 11勝4敗 | 37歳2ヶ月 | 鹿児島県 | 井筒 | 昭和22年6月 (1947年) | 昭和4年4月26日 (1929年) |
| 技能賞 [10回目] |
昭和40年11月 (1965年)S40.11 (1965) | 西前頭7 | 西前頭7鶴ヶ嶺 | 技能賞 [9回目] | 11勝4敗 | 36歳6ヶ月 | 鹿児島県 | 井筒 | 昭和22年6月 (1947年) | 昭和4年4月26日 (1929年) |
昭和39年3月 (1964年)S39.3 (1964) | 西前頭9 | 西前頭9鶴ヶ嶺 | 技能賞 [8回目] | 11勝4敗 | 34歳10ヶ月 | 鹿児島県 | 井筒 | 昭和22年6月 (1947年) | 昭和4年4月26日 (1929年) |
昭和38年5月 (1963年)S38.5 (1963) | 西前頭14 | 西前頭14逆鉾 | 敢闘賞 [初] | 11勝4敗 | 20歳11ヶ月 | 鹿児島県 | 井筒 | 昭和33年7月 (1958年) | 昭和17年6月7日 (1942年) |
昭和38年5月 (1963年)S38.5 (1963) | 西前頭筆頭 | 西前頭筆頭鶴ヶ嶺 | 技能賞 [7回目] | 9勝6敗 | 34歳1ヶ月 | 鹿児島県 | 井筒 | 昭和22年6月 (1947年) | 昭和4年4月26日 (1929年) |
昭和38年3月 (1963年)S38.3 (1963) | 西前頭6 | 西前頭6鶴ヶ嶺 | 技能賞 [6回目] | 10勝5敗 | 33歳10ヶ月 | 鹿児島県 | 井筒 | 昭和22年6月 (1947年) | 昭和4年4月26日 (1929年) |
昭和37年7月 (1962年)S37.7 (1962) | 西前頭7 | 西前頭7鶴ヶ嶺 | 技能賞 [5回目] | 11勝4敗 | 33歳2ヶ月 | 鹿児島県 | 井筒 | 昭和22年6月 (1947年) | 昭和4年4月26日 (1929年) |
昭和36年1月 (1961年)S36.1 (1961) | 東前頭3 | 東前頭3鶴ヶ嶺 | 技能賞 [4回目] | 10勝5敗 | 31歳8ヶ月 | 鹿児島県 | 井筒 | 昭和22年6月 (1947年) | 昭和4年4月26日 (1929年) |
昭和34年9月 (1959年)S34.9 (1959) | 東前頭筆頭 | 東前頭筆頭鶴ヶ嶺 | 殊勲賞 [2回目] | 9勝6敗 | 30歳5ヶ月 | 鹿児島県 | 井筒 | 昭和22年6月 (1947年) | 昭和4年4月26日 (1929年) |
昭和34年7月 (1959年)S34.7 (1959) | 西前頭3 | 西前頭3鶴ヶ嶺 | 技能賞 [3回目] | 9勝6敗 | 30歳2ヶ月 | 鹿児島県 | 井筒 | 昭和22年6月 (1947年) | 昭和4年4月26日 (1929年) |
昭和33年5月 (1958年)S33.5 (1958) | 西前頭5 | 西前頭5鶴ヶ嶺 | 殊勲賞 [初] | 9勝6敗 | 29歳0ヶ月 | 鹿児島県 | 井筒 | 昭和22年6月 (1947年) | 昭和4年4月26日 (1929年) |
昭和31年3月 (1956年)S31.3 (1956) | 東小結張出 | 東小結張出鶴ヶ嶺 | 技能賞 [2回目] | 9勝6敗 | 26歳10ヶ月 | 鹿児島県 | 井筒 | 昭和22年6月 (1947年) | 昭和4年4月26日 (1929年) |
昭和31年1月 (1956年)S31.1 (1956) | 東前頭10 | 東前頭10鶴ヶ嶺 | 技能賞 [初] | 14勝1敗 | 26歳8ヶ月 | 鹿児島県 | 井筒 | 昭和22年6月 (1947年) | 昭和4年4月26日 (1929年) |
陸奥部屋 三賞受賞回数ランキング
受賞回数は、1位が鶴ヶ嶺で14回(殊勲賞2回・技能賞10回・敢闘賞2回)、2位が霧馬山(霧島)で4回(技能賞3回・敢闘賞1回)、3位が豊桜、錦洋、そして逆鉾の3人で1回ずつとなっています。
| 順位 |
四股名 |
三賞 合計 |
技能賞 |
殊勲賞 |
敢闘賞 |
最高位 |
部屋 |
出身地 |
| 1位 |
鶴ヶ嶺 |
14回 |
10 |
2 |
2 |
関脇 |
井筒 |
鹿児島県 |
| 2位 |
霧馬山 (霧島) |
4回 |
3 |
0 |
1 |
大関 |
陸奥 |
モンゴル |
| 3位 |
錦洋 |
1回 |
1 |
0 |
0 |
前頭筆頭 |
井筒 |
鹿児島県 |
| 3位 |
豊桜 |
1回 |
0 |
0 |
1 |
前頭5 |
陸奥 |
広島県 |
| 3位 |
逆鉾 |
1回 |
0 |
0 |
1 |
前頭6 |
井筒 |
鹿児島県 |
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該当力士:20 名
敷島 勝盛
敷島 勝盛 (しきしま かつもり)は千葉県船橋市出身、立田川 → 陸奥部屋の元力士で、最高位は前頭筆頭。
平成元年(1989)1月場所に18歳1ヶ月で初土俵を踏み、平成13年(2001)5月場所を最後に引退(30歳5ヶ月)。
通算成績は416勝418敗38休832出場。生涯勝率.500。通算75場所中、43場所を勝ち越した(勝ち越し率.581)。
主な成績は十両優勝1回(同点1)、幕下優勝1回、序ノ口(同点1)、金星2個(貴乃花2個)。
昭和45年(1970)12月15日生まれ。本名は吉種 弘道。
千葉県船橋市出身で立田川部屋(後に陸奥部屋)に所属した敷島は、左四つの相撲で幕内を長く務めた力士である。本場所では横綱から金星を挙げる活躍を見せる一方、土俵外では「角界のコメント王」や「渋谷系力士」と呼ばれるなど、ユーモアあふれる個性派としてファンに親しまれた。
入門から関取昇進と改名
千葉県立船橋古和釜高校時代は柔道部に所属して汗を流した。知人の紹介により、高校在学中であった平成元年(1989年)1月場所において、14代立田川(元関脇・青ノ里)が率いる立田川部屋から本名の「吉種」で初土俵を踏んだ。
着実に番付を上げ、平成4年(1992年)1月場所では西幕下46枚目で7戦全勝の幕下優勝を果たす。その後も幕下上位で成績を残し、平成5年(1993年)5月場所において新十両への昇進を決めた。この昇進に合わせて四股名を「敷島」へと改名した。この四股名は、本居宣長の和歌「敷島の大和心を人とはば朝日に匂う山桜花」から引用したもので、師匠の知人によって名付けられた。
幕内への定着と貴乃花からの金星
十両昇進後は一時幕下へ陥落したもののすぐに復帰し、平成6年(1994年)3月場所では12勝3敗の成績で十両優勝を飾った。同年11月場所において新入幕を果たすと、その後は長く幕内の土俵に定着した。
平成10年(1998年)3月場所においては自己最高位となる西前頭筆頭まで番付を上げ、この場所で横綱・貴乃花を破って自身初となる金星を獲得した。続く同年5月場所でも東前頭6枚目で再び貴乃花から勝利を挙げ、2場所連続で金星を獲得する活躍を見せた。
「角界のコメント王」とDJ活動
相撲の実力のみならず、その豊かな個性でも注目を集めた。取組後の支度部屋では、報道陣に対してユーモアを交えた独特な発言を連発して場を沸かせ、いつしか「角界のコメント王」と称されるようになった。
また、ジャズを中心としたクラブ系の音楽に非常に造詣が深く、現役時代から「DJ敷島(DJ Sikisima)」としてイベントでプレイするなど、「渋谷系力士」の異名をとった。同僚力士と共にピチカート・ファイヴのDVDジャケットやタワーレコードの広告に登場したほか、音楽雑誌でエッセイを連載するなど、大相撲の枠に収まらない多才な活動とサブカルチャー方面の厚い人脈で話題を呼んだ力士であった。
病による引退とその後
平成12年(2000年)11月場所後、師匠の停年退職に伴い立田川部屋が閉鎖されたため、陸奥部屋へと移籍した。しかし、直後の平成13年(2001年)1月場所の2日目から、心機能障害により入院となり途中休場を余儀なくされる。
十両、そして幕下へと番付を下げる中、土俵復帰を目指したものの医師からドクターストップがかかり、西幕下43枚目に名前を置いた同年5月場所中において引退を決断した。初土俵から所要75場所での引退であった。
引退後は数々の年寄名跡を襲名しながら部屋付き親方として後進の指導に当たり、平成25年(2013年)に年寄・17代浦風を正式に取得して襲名した。令和6年(2024年)4月には、9代陸奥(元大関・霧島)の停年退職に伴う陸奥部屋の閉鎖により、同じ時津風一門の荒汐部屋へと転籍している。
- 四股名
- 敷島 勝盛 (しきしま かつもり)
- 最高位
- 前頭筆頭
- 年寄名跡
- 15代立田川 勝盛(陸奥) → 8代富士ヶ根 勝盛(陸奥) → 8代富士ヶ根 誉基(陸奥) → 15代錦島 佑元(陸奥) → 23代小野川 佑元(陸奥) → 23代小野川 弘道(陸奥) → 11代谷川 弘道(陸奥) → 6代安治川 弘道(陸奥) → 17代浦風 弘道(陸奥) → 17代浦風 冨道(陸奥) → 17代浦風 冨道(荒汐)
- 出身地
- 千葉県船橋市
- 本名
- 吉種 弘道
- 生年月日
- 昭和45年(1970)12月15日(55歳)
- 出身高校
- 船橋古和釜高校
- 所属部屋
- 立田川 → 陸奥部屋
- 改名歴
- 吉種 弘道 → 敷島 勝盛
- 初土俵
- 平成元年(1989)1月 前相撲(18歳1ヶ月)
- 新十両
- 平成5年(1993)5月(所要26場所)
- 22歳5ヶ月(初土俵から4年4ヶ月)
- 新入幕
- 平成6年(1994)11月(所要35場所)
- 23歳11ヶ月(初土俵から5年10ヶ月)
- 最終場所
- 平成13年(2001)5月場所(30歳5ヶ月)
- 大相撲歴
- 75場所(12年4ヶ月)
- 通算成績
- 416勝418敗38休832出場(勝率.500)
- 通算75場所
- 勝ち越し43場所(勝ち越し率.581)(勝ち越し星107)
- 優勝等
- 十両優勝1回(同点1),幕下優勝1回,序ノ口(同点1)
- 受賞・金星
- 金星2個(貴乃花2個)
- 持給金
- 76円50銭(勝ち越し星107個 金星2個)
- 幕内戦歴
- 175勝228敗17休402出場(勝率.435)
- 在位28場所(在位率.373)
- 勝ち越し12場所(勝ち越し率.429)
- 前頭戦歴
- 175勝228敗17休402出場(勝率.435)
- 在位28場所(在位率.373)
- 勝ち越し12場所(勝ち越し率.429)
- 十両戦歴
- 128勝114敗13休241出場(勝率.531)
- 在位17場所(在位率.227)
- 勝ち越し11場所(勝ち越し率.647)
- 関取戦歴
- 303勝342敗30休643出場(勝率.471)
- 在位45場所(在位率.600)
- 勝ち越し23場所(勝ち越し率.511)
- 幕下以下歴
- 113勝76敗8休189出場(勝率.598)
- 在位29場所(在位率.387)
- 勝ち越し20場所(勝ち越し率.690)
敷島 勝盛の更に詳細なデータは力士名鑑で!
名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。
- ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(227回 / 63.4%)
- ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(177回 / 46.6%)
- ✅ 得意な相手:琴龍(17勝8敗 / 勝率.680)
- ✅ 苦手な相手:若乃花(0勝6敗 / 勝率.000)
豊桜 俊昭
父は時津風部屋の三段目力士、兄は北の湖部屋の北桜で兄弟同時幕内も。敢闘賞を受賞したこともあったが八百長問題で引退
- 四股名 :豊桜 俊昭(とよざくら としあき)
- 最高位 :前頭5枚目
- 出身地 :広島県広島市安佐北区
- 本 名 :向 俊明
- 生年月日:昭和49年(1974)3月12日
- 所属部屋:立田川⇒陸奥部屋
- 改名歴 :向⇒豊櫻⇒豊桜
- 初土俵 :平成元年(1989)3月(15歳0ヵ月)
- 新十両 :平成10年(1998)9月(24歳6ヵ月)
- 新入幕 :平成15年(2003)11月(29歳8ヵ月)
- 最終場所:平成23年(2011)5月(37歳2ヵ月)
- 生涯戦歴:683勝671敗20休/1353出場(132場所)
- 生涯勝率:50.4%
- 優勝等 :幕内次点1回,十両優勝1回(同点2),幕下優勝2回(同点1),三段目優勝1回
- 成 績 :敢闘賞1回
- 幕内戦歴:97勝158敗(17場所)勝率:38.0%
- 十両戦歴:298勝291敗11休(40場所)勝率:50.6%
十文字 友和
幕内には34場所在位したが2桁勝利は一度もなく横綱・大関戦もなかった。八百長問題で引退勧告
- 四股名 :十文字 友和(じゅうもんじ ともかず)
- 最高位 :前頭6枚目
- 出身地 :青森県三戸郡階上町
- 本 名 :十文字 友和
- 生年月日:昭和51年(1976)6月9日
- 所属部屋:立田川⇒陸奥部屋
- 改名歴 :十文字⇒階ヶ嶽⇒十文字
- 初土俵 :平成4年(1992)11月(16歳5ヵ月)
- 新十両 :平成10年(1998)1月(21歳7ヵ月)
- 新入幕 :平成12年(2000)5月(23歳11ヵ月)
- 最終場所:平成23年(2011)5月(34歳11ヵ月)
- 生涯戦歴:596勝606敗17休/1200出場(110場所)
- 生涯勝率:49.6%
- 優勝等 :十両優勝1回,幕下優勝1回(同点1),三段目優勝1回
- 幕内戦歴:222勝286敗2休(34場所)勝率:43.7%
- 十両戦歴:164勝166敗15休(23場所)勝率:49.7%
星岩涛 祐二
蹴手繰りが得意、十両が長かったが1場所だけ入幕が叶った。師匠の停年に伴い陸奥部屋を継承
- 四股名 :星岩涛 祐二(ほしいわと ゆうじ)
- 最高位 :前頭14枚目
- 年寄名跡:8代陸奥
- 出身地 :鹿児島県揖宿郡開聞町
- 本 名 :野口 祐二
- 生年月日:昭和30年(1955)7月25日
- 所属部屋:井筒⇒陸奥部屋
- 改名歴 :野口⇒開聞嶽⇒星兜⇒薩摩冨士⇒薩摩富士⇒星薩摩⇒大岩涛⇒星岩涛⇒星甲⇒星岩涛
- 初土俵 :昭和45年(1970)5月(14歳10ヵ月)
- 新十両 :昭和56年(1981)11月(26歳4ヵ月)
- 新入幕 :平成元年(1989)7月(34歳0ヵ月)
- 最終場所:平成3年(1991)1月(35歳6ヵ月)
- 生涯戦歴:552勝549敗15休/1101出場(125場所)
- 生涯勝率:50.1%
- 優勝等 :十両同点1回,幕下優勝1回
- 幕内戦歴:4勝11敗(1場所)勝率:26.7%
- 十両戦歴:208勝242敗(30場所)勝率:46.2%
琉鵬 正吉
琉鵬 政吉 (りゅうほう まさよし)は沖縄県中頭郡中城村出身、立田川 → 陸奥部屋の元力士で、最高位は前頭16枚目。
平成5年(1993)3月場所に15歳8ヶ月で初土俵を踏み、平成24年(2012)5月場所を最後に引退(34歳10ヶ月)。
通算成績は444勝427敗55休871出場。生涯勝率.510。通算115場所中、54場所を勝ち越した(勝ち越し率.474)。
主な成績は幕下(同点1)、序二段(同点1)。
昭和52年(1977)6月18日生まれ。本名は浦崎 桂助。
琉鵬は、平成期に陸奥部屋の土俵を務めた元幕内力士である。最高位は前頭16枚目。左四つからの力強い寄りを武器に、初土俵から所要81場所を費やして新入幕を果たした。十両での北桜との時間前対決など気風の良い相撲で親しまれたが、晩年は重い膝の負傷によって昭和以降初となる幕内経験者の序ノ口転落を記録するまで土俵を務め上げ、引退後は出家して僧侶となった異色の経歴を持つ。
入門と下積み、陸奥部屋への移籍
少年時代を沖縄県中頭郡中城村で過ごした。幼少期から旺盛な食欲を誇り、保育園に通う頃から空腹を覚えると自ら米をといで食べるなど、自然と力士としての身体の基礎を育んでいった。中学校を卒業した平成5年(1993年)春、角界入りを志して上京し、第47代横綱・柏戸の兄弟子であった14代立田川(元関脇・青ノ里)が率いる立田川部屋へと入門した。同年の3月場所において、本名の「浦崎」で初土俵を踏む。
入門後はプロの厚い壁に直面し、序二段と三段目の往復が続く長い下積みを経験した。平成9年(1997年)5月場所から四股名を「琉鵬」へと改め、泥臭く稽古を重ねていく。平成10年(1998年)7月場所に東幕下59枚目で新幕下昇進を果たしたものの、幕下に定着するまでにはさらなる歳月を要した。そうした中、平成12年(2000年)11月場所後に師匠の14代立田川が日本相撲協会の停年を迎えたため、立田川部屋が閉鎖される。琉鵬は所属力士らとともに、同じ時津風一門の陸奥部屋(師匠:9代陸奥・元大関・霧島)へと移籍した。
新十両昇進と所要81場所の新入幕
新たな師匠となった9代陸奥の指導のもと、徹底した下半身の鍛錬を重ねたことで相撲の安定感が増していった。左四つに組み止めてから力強く前へ出る寄り身を磨き、平成14年(2002年)7月場所に東幕下13枚目で6勝1敗、続く9月場所も東幕下2枚目で4勝3敗と勝ち越した。初土俵から所要58場所を費やし、平成14年11月場所で新十両昇進を果たす。しかし初の関取の土俵は5勝10敗と跳ね返され、わずか1場所で幕下への転落を余儀なくされた。
幕下へ逆戻りとなった後も腐ることなく稽古を重ね、16場所にわたって幕下上位で地力を固めていく。平成17年(2005年)7月場所、東幕下5枚目で5勝2敗と勝ち越し、同年9月場所に2年半ぶりとなる十両復帰を果たした。再十両後は勝ち越しを続け、平成18年(2006年)には十両上位へと番付を上げた。
平成18年7月場所、東十両筆頭で8勝7敗と勝ち越すと、翌9月場所において新入幕を果たす。初土俵から所要81場所での新入幕は、当時の大相撲史上9位タイとなるスロー出世記録であった。29歳で辿り着いた幕内の土俵では東前頭16枚目で4勝11敗と跳ね返され、1場所で十両へ転落したものの、苦節13年半の努力を結実させた重厚な相撲を見せた。
北桜との時間前対決と再十両
十両の土俵において、琉鵬の土俵態度は多くの相撲ファンに強い印象を残した。特に平成19年(2007年)初場所から夏場所にかけて、気合いのこもった塩撒きで知られた元前頭筆頭・北桜(のちの9代式秀)との間で、3場所連続して制限時間前に立ち合う熱戦を演じる。呼応するように時間前に立った琉鵬の気風の良さに対し、対戦相手の北桜も「ヤツも武士だな」と称賛の言葉を惜しまなかった。
しかし長年の激闘によって下半身の消耗が進み、平成19年11月場所には再び幕下へと陥落した。関取復帰を目指して幕下上位で土俵に上がり続け、平成22年(2010年)7月場所には西幕下11枚目で6勝1敗の好成績を挙げる。当時、野球賭博問題による謹慎処分で十両以上の力士に欠員が出たことも重なり、同年9月場所での再十両昇進を果たした。この昇進の際、琉鵬は「幕下11枚目の6番で上がれるなんて実力じゃない。謹慎して落ちた人がいたおかげ」と飾らない言葉で率直に振り返った。再十両の土俵は2場所で跳ね返され、平成23年(2011年)1月場所を最後に再び幕下へと押し戻された。
昭和以降初の序ノ口転落と僧侶への転身
平成23年(2011年)5月の技量審査場所、東幕下15枚目で相撲を取っていた琉鵬は、左膝の靱帯を激しく負傷して途中休場を余儀なくされる。この負傷は歩行すら困難になるほどの重症であり、膝と腰の長期治療とリハビリのため、翌7月場所以降は全休が続いた。相撲が取れない状態のまま番付は下降を続けたが、引退届を提出することなく現役にとどまり続けた。
平成24年(2012年)5月場所、西序ノ口4枚目まで番付を下げ、昭和以降初となる幕内経験者の序ノ口陥落を記録。この場所限りで現役引退を表明した。通算115場所を務め上げた土俵生活であった。
引退後は相撲界を離れ、仏門に入る道を選んだ。小学生の頃、信心深い母のために手彫りで仏像を作り、それを一心に拝む母の姿を見て「人間には頼るものが必要である」と仏教に関心を抱いた原体験があった。さらに現役時代、土俵で敗れた自分に対し、対戦相手の北桜から土俵の上から力強く手を差し伸べられ、互いの精一杯の取組を称えるように「ありがとう!」と声をかけられた。その真摯な姿に心を打たれ、「感謝する人は強い」という教えを深く胸に刻んだ。生かされていることに感謝する生き方を志し、平成24年、親戚の住職がいる沖縄県島尻郡与那原町の寺院で出家得度した。
僧名「道涯」を名乗り、沖縄県伊江島の照太寺副住職に就任した。現役時代の激闘によって左膝が曲がらない後遺症を抱え、椅子に座って読経を行う日々を送りながら、地域の相撲クラブで子どもたちに相撲と礼儀の指導を続けている。泥臭く土俵を務め上げ、挫折を乗り越えて第二の人生を歩むその姿は、郷土の人々に深く敬愛されている。
- 四股名
- 琉鵬 政吉 (りゅうほう まさよし)
- 最高位
- 前頭16枚目
- 出身地
- 沖縄県中頭郡中城村
- 本名
- 浦崎 桂助
- 生年月日
- 昭和52年(1977)6月18日
- 所属部屋
- 立田川 → 陸奥部屋
- 改名歴
- 浦崎 → 琉鵬 桂助 → 琉鵬 正吉 → 琉鵬 政吉
- 初土俵
- 平成5年(1993)3月 前相撲(15歳8ヶ月)
- 新十両
- 平成14年(2002)11月(所要58場所)
- 25歳4ヶ月(初土俵から9年8ヶ月)
- 新入幕
- 平成18年(2006)9月(所要81場所)
- 29歳2ヶ月(初土俵から13年6ヶ月)
- 最終場所
- 平成24年(2012)5月場所(34歳10ヶ月)
- 大相撲歴
- 115場所(19年2ヶ月)
- 通算成績
- 444勝427敗55休871出場(勝率.510)
- 通算115場所
- 勝ち越し54場所(勝ち越し率.474)(勝ち越し星136)
- 優勝等
- 幕下(同点1),序二段(同点1)
- 持給金
- 71円(勝ち越し星136個)
- 幕内戦歴
- 4勝11敗0休15出場(勝率.267)
- 在位1場所(在位率.009)
- 勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
- 前頭戦歴
- 4勝11敗0休15出場(勝率.267)
- 在位1場所(在位率.009)
- 勝ち越し0場所(勝ち越し率.000)
- 十両戦歴
- 101勝124敗0休225出場(勝率.449)
- 在位15場所(在位率.130)
- 勝ち越し5場所(勝ち越し率.333)
- 関取戦歴
- 105勝135敗0休240出場(勝率.438)
- 在位16場所(在位率.139)
- 勝ち越し5場所(勝ち越し率.312)
- 幕下以下歴
- 339勝292敗55休631出場(勝率.537)
- 在位98場所(在位率.852)
- 勝ち越し49場所(勝ち越し率.500)
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- ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(196回 / 44.0%)
- ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(118回 / 27.5%)
- ✅ 得意な相手:皇牙(6勝0敗 / 勝率1.000)
- ✅ 苦手な相手:霜鳳(0勝7敗 / 勝率.000)
伊集院 大八
連続28場所続いた十両からの陥落を機に廃業
- 四股名 :伊集院 大八(いじゅういん だいはち)
- 最高位 :十両7枚目
- 出身地 :鹿児島県日置郡
- 本 名 :東 幹男
- 生年月日:昭和3年(1928)11月20日
- 所属部屋:井筒部屋
- 改名歴 :東⇒鶴東山⇒鶴波⇒伊集院
- 初土俵 :昭和24年(1949)5月(20歳6ヵ月)
- 新十両 :昭和30年(1955)3月(26歳4ヵ月)
- 最終場所:昭和35年(1960)9月(31歳10ヵ月)
- 生涯戦歴:323勝327敗9休/649出場(49場所)
- 生涯勝率:49.7%
- 優勝等 :幕下優勝1回
- 十両戦歴:195勝223敗2休(28場所)勝率:46.7%
佐賀ノ海 輝一
佐賀県佐賀郡諸富町(現・佐賀市)出身、井筒~君ヶ濱部屋の元力士で最高位は十両11枚目。高校を卒業後、近鉄バッファローズに投手で入団。2年間在籍したが一軍での登板はなく退団した。その後、井筒部屋へと入門し昭和45年(1970)5月場所で幕下昇進。8代君ヶ濱の独立に伴い昭和47年(1972)3月に君ヶ濱部屋に移籍した。同年7月場所で新十両昇進を果たす。
- 四股名 :佐賀ノ海 輝一(さがのうみ てるかず)
- 最高位 :十両11枚目
- 出身地 :佐賀県佐賀郡諸富町(現・佐賀市)
- 本 名 :土師 一男
- 生年月日:昭和20年(1945)10月20日
- 没年月日:平成11年(1999)10月3日(享年53歳)
- 所属部屋:井筒~君ヶ濱部屋
- 改名歴 :土師⇒佐賀ノ海⇒土師
- 初土俵 :昭和40年(1965)11月(20歳1ヵ月)
- 新十両 :昭和47年(1972)7月(26歳9ヵ月)
- 最終場所:昭和50年(1975)9月(29歳11ヵ月)
- 生涯戦歴:223勝199敗7休/422出場(60場所)
- 生涯勝率:52.8%
- 優勝等 :幕下同点1回
- 十両戦歴:9勝21敗(2場所)勝率:30.0%
他の番付を見る
第11代・井筒 友康 (元前頭2枚目・鶴ヶ嶺)
在任期間(昭和22年(1947年)11月~昭和47年(1972年)3月18日)
9代井筒の急逝で双葉山のもとに身を寄せたが、引退後に途絶えた井筒部屋を再興した10代井筒
- 四股名 :鶴ヶ嶺 道芳(つるがみね みちよし)
- 最高位 :前頭2枚目
- 年寄名跡:10代井筒
- 出身地 :鹿児島県熊毛郡
- 本 名 :下家 道義
- 生年月日:明治45年(1912)1月17日
- 没年月日:昭和47年(1972)3月18日(享年60歳)
- 所属部屋:井筒⇒双葉山⇒時津風部屋
- 改名歴 :種子ヶ嶌⇒星甲⇒鶴ヶ嶺
- 初土俵 :昭和6年(1931)5月(19歳4ヵ月)
- 新十両 :昭和9年(1934)1月(22歳0ヵ月)
- 新入幕 :昭和12年(1937)5月(25歳4ヵ月)
- 最終場所:昭和22年(1947)6月(35歳5ヵ月)
- 生涯戦歴:181勝196敗24休/375出場(36場所)
- 生涯勝率:48.0%
- 優勝等 :なし
- 成 績 :金星2個
- 幕内戦歴:99勝139敗24休(20場所)勝率:41.6%
- 十両戦歴:43勝34敗(7場所)勝率:55.8%
第12代・井筒 良夫 (元前頭4枚目・星甲)
在任期間(昭和47年(1972年)4月27日~昭和49年(1974年)4月29日)
第7代・陸奥 良夫 (元前頭4枚目・星甲)
在任期間(昭和49年(1974年)4月30日~平成3年(1991年)2月4日)
井筒部屋源流となる9代井筒からの弟子、後継争いを経て11代井筒を襲名、のちに陸奥の名跡を再入手し部屋の名を改称した
- 四股名 :星甲 良夫(ほしかぶと よしお)
- 最高位 :前頭4枚目
- 年寄名跡:7代君ヶ濱⇒5代陸奥⇒11代井筒⇒7代陸奥
- 出身地 :千葉県浦安市
- 本 名 :小川 良夫
- 生年月日:大正15年(1926)2月20日
- 没年月日:平成12年(2000)12月5日(享年74歳)
- 所属部屋:井筒⇒双葉山⇒時津風⇒井筒部屋
- 改名歴 :小川⇒東都山⇒梅ヶ枝⇒小川⇒星甲⇒星兜⇒星甲
- 初土俵 :昭和17年(1942)5月(16歳3ヵ月)
- 新十両 :昭和27年(1952)9月(26歳7ヵ月)
- 新入幕 :昭和30年(1955)5月(29歳3ヵ月)
- 最終場所:昭和39年(1964)5月(38歳3ヵ月)
- 生涯戦歴:554勝585敗12休/1139出場(85場所)
- 生涯勝率:48.6%
- 優勝等 :十両優勝2回(同点1),三段目同点1回
- 幕内戦歴:173勝217敗(26場所)勝率:44.4%
- 十両戦歴:261勝264敗(35場所)勝率:49.7%
第8代・陸奥 祐二 (元前頭14枚目・星岩涛)
在任期間(平成3年(1991年)2月5日~平成9年(1997年)12月25日)
蹴手繰りが得意、十両が長かったが1場所だけ入幕が叶った。師匠の停年に伴い陸奥部屋を継承
- 四股名 :星岩涛 祐二(ほしいわと ゆうじ)
- 最高位 :前頭14枚目
- 年寄名跡:8代陸奥
- 出身地 :鹿児島県揖宿郡開聞町
- 本 名 :野口 祐二
- 生年月日:昭和30年(1955)7月25日
- 所属部屋:井筒⇒陸奥部屋
- 改名歴 :野口⇒開聞嶽⇒星兜⇒薩摩冨士⇒薩摩富士⇒星薩摩⇒大岩涛⇒星岩涛⇒星甲⇒星岩涛
- 初土俵 :昭和45年(1970)5月(14歳10ヵ月)
- 新十両 :昭和56年(1981)11月(26歳4ヵ月)
- 新入幕 :平成元年(1989)7月(34歳0ヵ月)
- 最終場所:平成3年(1991)1月(35歳6ヵ月)
- 生涯戦歴:552勝549敗15休/1101出場(125場所)
- 生涯勝率:50.1%
- 優勝等 :十両同点1回,幕下優勝1回
- 幕内戦歴:4勝11敗(1場所)勝率:26.7%
- 十両戦歴:208勝242敗(30場所)勝率:46.2%
第9代・陸奥 一博 (元大関・霧島)
在任期間(平成9年(1997年)12月26日~令和6年(2024年)4月1日)
霧島 一博 (きりしま かずひろ)は鹿児島県姶良郡牧園町出身、君ヶ濱~井筒部屋の元力士で、最高位は大関。
昭和50年(1975)3月場所に15歳11ヶ月で初土俵を踏み、平成8年(1996)3月場所を最後に引退(36歳11ヶ月)。
通算成績は754勝696敗40休1447出場。生涯勝率.521。通算127場所中、75場所を勝ち越した(勝ち越し率.595)。
主な成績は幕内優勝1回(同点1 次点6)、殊勲賞3回、敢闘賞1回、技能賞4回、金星2個(大乃国2個)。
昭和34年(1959)4月3日生まれ。本名は吉永 一美。
ウェイトトレーニングで鍛えあげた「和製ヘラクレス」、引退後は井筒部屋の部屋付親方を経て陸奥部屋を継承。
- 四股名
- 霧島 一博 (きりしま かずひろ)
- 最高位
- 大関
- 年寄名跡
- 18代錣山 一博(井筒) → 10代勝ノ浦 一博(井筒) → 9代陸奥 一博 → 9代陸奥 一博(音羽山)
- 出身地
- 鹿児島県姶良郡牧園町
- 本名
- 吉永 一美
- 生年月日
- 昭和34年(1959)4月3日(67歳)
- 所属部屋
- 君ヶ濱~井筒部屋
- 改名歴
- 吉永 一美 → 霧島 一美 → 霧島 一博 → 霧島 和博 → 霧島 一博
- 初土俵
- 昭和50年(1975)3月 前相撲(15歳11ヶ月)
- 新十両
- 昭和57年(1982)5月(所要43場所)
- 23歳1ヶ月(初土俵から7年2ヶ月)
- 新入幕
- 昭和59年(1984)7月(所要56場所)
- 25歳3ヶ月(初土俵から9年4ヶ月)
- 新小結
- 平成元年(1989)1月(所要83場所)
- 29歳9ヶ月(初土俵から13年10ヶ月)
- 新関脇
- 昭和62年(1987)1月(所要71場所)
- 27歳9ヶ月(初土俵から11年10ヶ月)
- 新大関
- 平成2年(1990)5月(所要91場所)
- 31歳1ヶ月(初土俵から15年2ヶ月)
- 最終場所
- 平成8年(1996)3月場所(36歳11ヶ月)
- 大相撲歴
- 127場所(21年0ヶ月)
- 通算成績
- 754勝696敗40休1447出場(勝率.521)
- 通算127場所
- 勝ち越し75場所(勝ち越し率.595)(勝ち越し星234)
- 優勝等
- 幕内優勝1回(同点1 次点6)
- 受賞・金星
- 殊勲賞3回,敢闘賞1回,技能賞4回,金星2個(大乃国2個)
- 持給金
- 185円(勝ち越し星234個 優勝1回 金星2個)
- 大関戦歴
- 139勝76敗25休212出場(勝率.656)
- 在位16場所(在位率.126)
- 勝ち越し12場所(勝ち越し率.750)
- 幕内戦歴
- 518勝507敗40休1022出場(勝率.507)
- 在位71場所(在位率.559)
- 勝ち越し41場所(勝ち越し率.577)
- 三役戦歴
- 50勝55敗15休105出場(勝率.476)
- 在位8場所(在位率.063)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率.375)
- 関脇戦歴
- 21勝24敗15休45出場(勝率.467)
- 在位4場所(在位率.031)
- 勝ち越し1場所(勝ち越し率.250)
- 小結戦歴
- 29勝31敗0休60出場(勝率.483)
- 在位4場所(在位率.031)
- 勝ち越し2場所(勝ち越し率.500)
- 前頭戦歴
- 329勝376敗0休705出場(勝率.467)
- 在位47場所(在位率.370)
- 勝ち越し26場所(勝ち越し率.553)
- 十両戦歴
- 42勝33敗0休75出場(勝率.560)
- 在位5場所(在位率.039)
- 勝ち越し3場所(勝ち越し率.600)
- 関取戦歴
- 560勝540敗40休1097出場(勝率.510)
- 在位76場所(在位率.598)
- 勝ち越し44場所(勝ち越し率.579)
- 幕下以下歴
- 194勝156敗0休350出場(勝率.554)
- 在位50場所(在位率.394)
- 勝ち越し31場所(勝ち越し率.620)
霧島 一博の更に詳細なデータは力士名鑑で!
名鑑ページでは、以下のような詳細な分析データをはじめ、豊富な表やグラフをご覧いただけます。
- ✅ 勝った決まり手1位:寄り切り(186回 / 32.9%)
- ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(195回 / 35.7%)
- ✅ 得意な相手:隆三杉(26勝9敗 / 勝率.743)
- ✅ 苦手な相手:千代の富士(2勝12敗 / 勝率.143)
出身地別、力士別、初土俵別など様々な方法で力士データをまとめています。
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