平成最後となる天覧相撲が話題の大相撲ですが、この天覧相撲とは通常とはどのように違うのでしょうか?また、天覧相撲はいつ頃から行われているのでしょうか。
今回は天覧相撲の流れと歴史を振り返って解説していきたいと思います。
この記事の目次
天覧相撲とは
まずはじめに天覧相撲についてあらためて説明しておきましょう。
「天覧相撲(てんらんずもう)」とは天皇が観戦する相撲のことで、現在は天皇陛下が皇后さまと共に国技館に赴き、貴賓席にて大相撲を観戦することになっています。
慣例的には初日、中日、千秋楽など日曜日に行われることが多く、また平成年間では年の初めである初場所(1月場所)に行わることが多いです。
皇族が観戦する台覧相撲
天覧相撲は天皇臨席の相撲のことを指しますが、天皇以外の皇族が観戦する相撲のことを「台覧相撲(たいらんずもう)」と呼びます。つまり皇太子様ご臨席がされた際には台覧相撲と称されるわけですね。
この台覧とは「高貴な方が御覧になる」という意味があり、相撲以外でも様々なスポーツの際に台覧試合と呼ばれています。
天覧相撲の流れ
次に、現在の天覧相撲がどのように行われているのか見ていきましょう。
相撲協会からのご臨席の要請
天覧相撲は、天皇にとって公務ではなく私的な活動と位置づけられています。原則的には相撲協会が宮内庁に対し両陛下のご臨席を要請し、それを受けた宮内庁が検討したうえで行われることとなっています。
相撲協会にとって陛下をお迎えして行う天覧相撲はたいへん名誉なことでありますが、不祥事などにより協会が招待を辞退する場合や、宮内庁から招待を見送るように伝えられることもあります。
役力士や協会理事がお出迎え
国技館に到着した天皇陛下をお出迎えするのは横綱以下の役力士全員か、相撲協会理事など役員の親方衆と決まっています。
これは天皇陛下のご到着時間により変わるようで、取組中であれば親方衆のお出迎えとなるようです。
また理事長は、国技館2階の正面最前列に備え付けられている貴賓席にまで天皇皇后両陛下をご案内し、観戦中は席の後ろに控えてご説明役を務めています。
「天皇」専用だったエレベーター
少し話が逸れますが、国技館にはつい最近まで一般人が使用できるエレベーターがなかった、と聞くと驚きませんか?
両国国技館のエレベーターは、正面エントランスホールの先にあるトロフィーケースの向かって右側にあるのですが、これは平成30年(2018)5月頃になってようやく一般客も使用できるようになりました。
これまでは皇室や国賓など主に来賓用にしか使用が許されていなかったエレベーターですが、ようやく妊婦さんや子供連れ、障害のある方など階段やエスカレーターの使用が困難な観客に対しても開放されたのです。
相撲協会曰く「ファンサービス拡大」とのことですが、今頃感があるのは否めませんね。
まあそれでも、私も使用した時は「以前は皇室関係者しか使えなかったエレベーターに乗っているのか!」という気持ちになれたことも事実です。
幕内土俵入り前にご入場
では両陛下はいつ頃、何時から大相撲観戦をされるのでしょうか。
御入場の時間は幕内の土俵入り前、もしくは幕内後半の取組からとなります。このとき館内には「両陛下ご入場」の場内アナウンスが流れ、観客は起立して両陛下を迎えることになります。
特別な「御前掛り土俵入り」
さて、幕内をすべてご観戦頂くスケジュールの場合には特別な土俵入りがあります。いつもは丸く並ぶ幕内土俵入りですが、天覧相撲や台覧相撲の時はちょっと違う土俵入りを見ることができますよ。
それは「御前掛かり(ごぜんがかり)土俵入り」というもので、天皇陛下や皇太子様などが観戦する際の特別な作法の土俵入りです。力士たちは正面に向かって4列5段で並ぶのですが、ここでは流れを箇条書きにして説明してみましょう。
- 呼出が柝(き)を打つ
- 行司の先導で花道に1列に並び貴賓席に向かって一礼する
- 再び呼出の柝が入り1人ずつ土俵に上がっていく
- 全員が正面に向かい4列5段で並ぶ
- 柏手を打ち、右足で2回、左足で1回四股を踏んだあと蹲踞する
- 行司の名がアナウンスされる
- 下位の力士から順に呼び上げられる
- 呼び上げられた力士は順次立ち上がり、正面に一礼して土俵を下りる
このような流れになっています。
呼び上げ内容の順番も少し違い、いつもは三役の場合で①地位、②四股名、③出身地、④所属部屋の順番ですが、御前掛かりの時は③⇒④⇒①⇒②の順番でアナウンスされます。
この御前掛かり土俵入りは「御前掛かり揃い踏み」や「天覧相撲土俵入り」ともいい、略称としては「御前掛かり」と呼ばれることが多いようです。
この特別な作法の土俵入りですが、本来であれば「本式」の土俵入りなんです。つまり裏を返せばいつもは略式の土俵入りが行われているんですね。
では横綱土俵入りはどうなの?というと、この横綱の土俵入りは普段から「本式」であるため、天覧相撲の際にも特に変更点はないようです。
結びの一番の触れ
立行司による結びの一番の触れもいつもとは違います。
初日から14日目までは「この相撲一番にて本日の打ち止め」と口上される結びの触れですが、御前掛かりの時には「打ち止め」を言い換えて「本日の結び」と口上することになっています。
なお、千秋楽は場所全体の最後の取組という意味もあるため、いつも通り「この相撲一番にて千秋楽にござります」と口上されます。
弓取式のあとに御退場
最後の取組が終了し、弓取式も終わると両陛下の退席となります。この時にも観客一同は起立してお送りすることになります。
基本的には年に一度となる天覧相撲です。実際にその場に居ると独特な雰囲気があり、観戦もひと味違ったものに感じるものです。どうです?初場所の日曜日を狙って国技館観戦にいらっしゃってはいかがでしょうか。
天覧相撲の歴史
ここからは天覧相撲の歴史を振り返ってみましょう。
古まで遡れば相撲節(すまいのせち)を観覧する宮廷儀式も天覧相撲かもしれませんが、ここでは「江戸以降の大相撲」観戦という意味でいきましょう。
最初の天覧相撲は明治天皇が慶応4年(1868)4月に大阪の坐摩(いかすり)神社で京都力士の相撲を観戦したのがはじまりだと言われています。
大相撲復活のきっかけ
ときは明治に移り、明治17年(1884)3月に行われた天覧相撲は大規模なもので、大相撲にとって大きなターニングポイントとなったようです。
このときの天覧相撲は旧浜離宮庭園にあった延遼館で行われましたが、明治維新後の時代変化と圧力により衰退ぎみであった相撲人気が上向き、大相撲復活のきっかけとなった天覧相撲だったようです。
国技館での天覧相撲はいつからか?
以降も続く天覧相撲ですが、これらはすべて「特別な場所」で行われるものであり、本場所とは別物でした。
では、いつから現在のように本場所を観客と共に天皇が観戦するようになったのでしょうか。
これは昭和天皇が昭和30年(1955)5月場所10日目に行った天覧相撲が最初となります。この時は蔵前国技館でしたが、それ以前にあった初代の両国国技館の時から天覧相撲は想定されており、貴賓席を当初から備え付けて設計していたそうです。
「好角家」だった昭和天皇
昭和天皇は好角家、すなわち「相撲ファン」としても知られており、これ以降も国技館での相撲観戦を楽しみにされていたようです。
天覧相撲の際には双眼鏡をご持参されたり、力士呼び上げの間違いを指摘されたり、アナウンスされた決まり手が訂正される前に今の決まり手は違っているのでは?とご指摘されたりと、解説役の理事長も顔負けのご観戦ぶりだったようです。
天覧相撲一覧
最後に、これまでの天覧相撲がいつどこで行われたのかを一覧で作成しました。更に、国技館での天覧相撲には結びの一番の取組とその結果を載せてみました。
様々な時代が蘇ってくる気がしませんか。なかには国技館で陛下とご一緒に観戦した方もいらっしゃるのではないでしょうか。
どうぞ、じっくりとご覧ください。
年月日 | 場所 開催日 | 結びの一番 |
---|---|---|
慶応4年4月17日 (1868) | 大阪坐摩神社 (京都相撲) | |
明治5年6月6日 (1872) | 大阪造幣寮 (大阪相撲) | |
明治14年5月9日 (1939) | 麻布島津忠義別邸 | |
明治17年3月10日 (1884) | 芝延遼館 | |
明治18年11月27日 (1885) | 芝三田黒田清隆邸 | |
明治21年1月14日 (1888) | 芝公園弥生社 (警視庁招魂社) | |
明治22年5月24日 (1889) | 上目黒西郷従道別邸 | |
明治23年2月15日 (1890) | 九段偕行社 | |
明治25年7月9日 (1890) | 永田亮鍋島直大邸 | |
昭和3年5月27日 (1928) | 芝水交社 | |
昭和4年3月10日 (1929) | 九段偕行社 | |
昭和4年5月27日 (1929) | 芝水交社 | |
昭和5年4月29日 (1930) | 宮城内覆馬場 | |
昭和5年5月27日 (1930) | 芝水交社 | |
昭和6年4月29日 (1931) | 宮城内覆馬場 | |
昭和6年5月27日 (1931) | 芝水交社 | |
昭和8年5月27日 (1933) | 芝水交社 | |
昭和9年5月27日 (1934) | 海軍経理学校 | |
昭和10年5月27日 (1935) | 芝水交社 | |
昭和12年5月27日 (1937) | 芝水交社 | |
昭和30年5月24日 (1955) | 蔵前国技館 10日目 | 西大関 西横綱 ●三根山×栃錦〇 |
昭和31年5月27日 (1956) | 蔵前国技館 8日目 | 西前1 西横綱 ●若前田×栃錦〇 |
昭和32年6月2日 (1957) | 蔵前国技館 千秋楽 | 東横綱 西横綱 〇栃錦×鏡里● |
昭和33年5月11日 (1958) | 蔵前国技館 8日目 | 東小結 西横綱 ●栃光×若乃花〇 |
昭和34年5月10日 (1959) | 蔵前国技館 8日目 | 西関脇 西横綱大関 〇栃光×朝汐● |
昭和35年5月20日 (1960) | 蔵前国技館 13日目 | 東横綱 西関脇 ●若乃花×柏戸〇 |
昭和36年5月14日 (1961) | 蔵前国技館 8日目 | 東小結 西横綱 〇富士錦×若乃花● |
昭和37年5月13日 (1962) | 蔵前国技館 8日目 | 西大関 西横綱 〇佐田の山×柏戸● |
昭和38年5月12日 (1963) | 蔵前国技館 初日 | 東横綱 東前1 〇大鵬×開隆山● |
昭和39年5月22日 (1964) | 蔵前国技館 13日目 | 東横綱 東大関 ●大鵬×北葉山〇 |
昭和40年5月21日 (1965) | 蔵前国技館 13日目 | 東横綱 西横綱張 ●大鵬×柏戸〇 |
昭和41年5月22日 (1966) | 蔵前国技館 8日目 | 西関脇 西横綱 ●玉乃島×柏戸〇 |
昭和42年5月21日 (1967) | 蔵前国技館 8日目 | 東大関 西横綱 ●北の冨士×柏戸〇 |
昭和44年9月21日 (1969) | 蔵前国技館 8日目 | 東横綱 西大関張 ●大鵬×玉乃島〇 |
昭和45年9月20日 (1970) | 蔵前国技館 8日目 | 東関脇 西横綱 ●大麒麟×玉の海〇 |
昭和46年5月16日 (1971) | 蔵前国技館 8日目 | 東横綱 東関脇 〇玉の海×大受● |
昭和47年9月17日 (1972) | 蔵前国技館 8日目 | 東横綱 東関脇張 〇北の富士×輪島● |
昭和49年1月13日 (1974) | 蔵前国技館 8日目 | 東横綱 東前2 〇輪島×増位山● |
昭和50年5月18日 (1975) | 蔵前国技館 8日目 | 東横綱 西関脇 〇北の湖×三重ノ海● |
昭和51年5月16日 (1976) | 蔵前国技館 8日目 | 西大関 西横綱 ●貴ノ花×北の湖〇 |
昭和52年5月15日 (1977) | 蔵前国技館 8日目 | 東大関 西横綱 〇貴ノ花×輪島● |
昭和53年9月15日 (1978) | 蔵前国技館 6日目 | 東横綱 西大関 〇北の湖×旭國● |
昭和54年5月13日 (1979) | 蔵前国技館 8日目 | 東前2 西横綱 ●富士櫻×若乃花〇 |
昭和55年5月18日 (1980) | 蔵前国技館 8日目 | 西小結 西横綱 ●千代の富士×若乃花〇 |
昭和55年9月28日 (1980) | 蔵前国技館 千秋楽 | 東横綱 西横綱 ●北の湖×若乃花〇 |
昭和56年5月10日 (1981) | 蔵前国技館 初日 | 東横綱 東小結 〇北の湖×栃赤城● |
昭和56年9月20日 (1981) | 蔵前国技館 8日目 | 東横綱大関 西前1 ●北の湖×大寿山〇 |
昭和57年5月16日 (1982) | 蔵前国技館 8日目 | 西関脇 西横綱 ●若島津×北の湖〇 |
昭和57年9月15日 (1982) | 蔵前国技館 4日目 | 東大関 西横綱 ●琴風×若乃花〇 |
昭和58年5月15日 (1983) | 蔵前国技館 8日目 | 西大関張 西大関 〇若島津×琴風● |
昭和58年9月18日 (1983) | 蔵前国技館 8日目 | 西大関張 西横綱 ●朝潮×隆の里〇 |
昭和59年5月13日 (1984) | 蔵前国技館 8日目 | 西大関張 西横綱 ●朝潮×北の湖〇 |
昭和59年9月16日 (1984) | 蔵前国技館 8日目 | 西大関張 西横綱 ●琴風×隆の里〇 |
昭和60年1月13日 (1985) | 両国国技館 初日 | 東横綱 西小結 〇千代の富士×北尾● |
昭和60年5月19日 (1985) | 両国国技館 8日目 | 東横綱 東大関張 〇千代の富士×北天佑● |
昭和60年9月15日 (1985) | 両国国技館 8日目 | 東横綱 西関脇 〇千代の富士×北尾● |
昭和61年1月12日 (1986) | 両国国技館 初日 | 東横綱 西小結 〇千代の富士×小錦● |
昭和61年5月18日 (1986) | 両国国技館 8日目 | 東横綱 西大関張 ●千代の富士×大乃国〇 |
昭和61年9月21日 (1986) | 両国国技館 8日目 | 東横綱 東大関張 〇千代の富士×北天佑● |
昭和62年5月16日 (1987) | 両国国技館 7日目 | 東横綱 西大関張 〇千代の富士×若島津● |
平成2年5月13日 (1990) | 両国国技館 初日 | 東横綱 西小結 〇北勝海×琴ヶ梅● |
平成3年5月19日 (1991) | 両国国技館 8日目 | 東横綱張 東前5 〇旭富士×隆三杉● |
平成4年1月12日 (1992) | 両国国技館 初日 | 西小結 西横綱 〇曙×旭富士● |
平成5年1月10日 (1993) | 両国国技館 初日 | 東大関 西小結 〇曙×隆三杉● |
平成6年1月16日 (1994) | 両国国技館 8日目 | 東横綱 西関脇張 〇曙×小錦● |
平成7年1月15日 (1995) | 両国国技館 8日目 | 西横綱 西前1 ●曙×貴闘力〇 |
平成8年1月14日 (1996) | 両国国技館 8日目 | 東横綱 東小結 〇貴乃花×土佐ノ海● |
平成9年9月7日 (1997) | 両国国技館 初日 | 東横綱 西小結 〇曙×安芸乃島● |
平成10年1月18日 (1998) | 両国国技館 8日目 | 東関脇 西横綱 ●武双山×曙〇 |
平成11年1月10日 (1999) | 両国国技館 初日 | 東横綱 東小結 ●貴乃花×琴錦〇 |
平成12年1月16日 (2000) | 両国国技館 8日目 | 東関脇 西横綱 ●魁皇×曙〇 |
平成13年1月20日 (2001) | 両国国技館 14日目 | 東横綱 東大関 〇貴乃花×出島● |
平成14年1月13日 (2002) | 両国国技館 初日 | 東横綱 東小結 〇武蔵丸×若の里● |
平成16年1月18日 (2004) | 両国国技館 8日目 | 東横綱 西前2 〇朝青龍×旭鷲山● |
平成17年1月9日 (2005) | 両国国技館 初日 | 東横綱 西小結 〇朝青龍×白鵬● |
平成18年1月20日 (2006) | 両国国技館 13日目 | 東横綱 東前6 ●朝青龍×安馬〇 |
平成19年1月19日 (2007) | 両国国技館 13日目 | 東横綱 東大関 〇朝青龍×魁皇● |
平成22年1月10日 (2010) | 両国国技館 初日 | 東横綱 西小結 〇白鵬×鶴竜● |
平成23年1月9日 (2011) | 両国国技館 初日 | 東横綱 西小結 〇白鵬×鶴竜● |
平成27年1月18日 (2015) | 両国国技館 8日目 | 東関脇 西横綱 ●碧山×鶴竜〇 |
平成28年1月10日 (2016) | 両国国技館 初日 | 東横綱 西小結 〇日馬富士×栃ノ心● |
平成29年1月8日 (2017) | 両国国技館 初日 | 東横綱 西小結 〇鶴竜×栃ノ心● |
平成31年1月20日 (2019) | 両国国技館 8日目 | 東前5 西横綱 ●碧山×白鵬〇 |
令和2年1月25日 (2020) | 両国国技館 14日目 | 東前7 西大関 〇松鳳山×豪栄道● |
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