緋縅 力彌 (ひおどし りきや)は京都府出身、玉垣部屋の元力士で、最高位は大関。
文化15年(1818)2月場所に初土俵を踏み、天保7年(1836)2月場所を最後に引退。
通算成績は91勝32敗52休5分12預1無141出場(通算34場所)。
主な成績は幕内優勝相当2回。(優勝相当は現行制度に換算した参考記録)
本名は森脇 幸太郎。寛政11年(1799)生まれ。天保7年(1836)8月15日逝去(享年38歳)。
緋縅 力彌の来歴
緋縅力彌は、江戸時代後期の文化から天保年間にかけて活躍した大関である。最高位は西大関。堂々たる太鼓腹を活かした重厚な取り口を武器に、第6代横綱・阿武松緑之助、第7代横綱・稲妻雷五郎とともに「文政角界の三傑」と称された。憂いを帯びた童顔の美男子としても知られ、描かれた錦絵が飛ぶように売れるなど江戸市中で絶大な人気を博した。文政11年(1828年)には2場所連続で幕内最高優勝相当の成績を収め、平戸藩のお抱え力士として大関へと登り詰めた。
入門と初代緋縅との養子縁組
山城国(現・京都府)で生まれた森脇幸太郎は、相撲の道を志して江戸へ下り、玉垣部屋へと入門した。文化14年(1817年)10月場所において、「錦幸太郎」の四股名で初土俵を踏む。
入門後は着実に力を蓄え、当時部屋の重鎮であり大関を務めた初代・緋縅力弥の養子となった。文政6年(1823年)2月場所に十両格(二段目)へと昇進し、同年10月場所からは養父の名跡を継承して四股名を「緋縅力彌」へと改めた。170センチ台半ばの身長ながら140キロを超える重量感あふれる体躯に成長し、太鼓腹を活かした寄り身を武器に関取の地位を固めていく。文政7年(1824年)10月場所で幕下上位(二段目5枚目)で勝ち越すと、文政8年(1825年)1月場所に新入幕を果たした。
新入幕での快進撃と「文政の三傑」
新入幕の翌場所である文政8年(1825年)10月場所、西前頭3枚目に上がった緋縅は一躍脚光を浴びる。大関・源氏山吉太夫や関脇・小柳(のちの手柄山)といった幕内上位の実力者を連破し、8勝1敗1休の好成績を収めた。小結・稲妻と同点ながら当時の番付上位者優勝制度により優勝こそ譲ったものの、優勝次点の好成績を残して江戸の相撲界にその名をとどろかせた。
肥前国平戸藩主・松浦家のお抱え力士となった緋縅は、幕内上位に定着する。当時は阿武松緑之助と稲妻雷五郎が土俵を牛耳っていた黄金期であったが、緋縅はこの両横綱に割って入る実力者として台頭し、並み居る強豪の中で「文政角界の三傑」と称賛される存在となった。
また、土俵上の強さだけでなく、憂いを帯びた童顔の美男子であったことからも大きな注目を集めた。歌川国貞をはじめとする浮世絵師たちがこぞってその姿を描き、緋縅の錦絵は飛ぶように売れるほどの絶大な人気を誇った。
2場所連続の優勝相当成績と大関昇進
文政11年(1828年)は、緋縅の現役生活において最大の充実期となった。同年3月場所、西前頭2枚目の地位で7勝1敗2休の成績を挙げ、自身初となる幕内最高優勝相当の成績を収める。この好成績により、同年10月場所には新関脇へと昇進した。西関脇の地位で迎えた同場所では、上位陣を圧倒して初日から白星を並べ、8戦全勝(2休)で見事に関脇全勝優勝相当の成績を達成。2場所連続で幕内最高成績を記録し、名実ともに大相撲の頂点に立つ実力を証明した。
上位に稲妻がいたため、その後も関脇の地位が続いたが、文政から天保へと改元した天保年間にかけても安定した相撲を取り続けた。天保4年(1833年)2月場所に西関脇で6勝1敗1休1分1預の好成績を挙げると、同年11月場所において悲願の西大関へと昇進を果たした。
怪我による無念の全休と現役中の急逝
しかし、頂点に立った緋縅を過酷な試練が襲った。新大関の場所を前に重い怪我に見舞われ、天保4年11月場所を初日から全休した。翌天保5年(1834年)1月場所も怪我の回復が叶わず全休を余儀なくされ、大関の土俵に一度も上がることができないまま、通算2場所の大関在位を終えた。
天保6年(1835年)1月場所、西張出関脇として土俵に復帰する。怪我を抱えながらも不屈の闘志で土俵を務め、同年11月場所は西関脇で4勝3敗1休2分と勝ち越した。さらに天保7年(1836年)2月場所でも4勝0敗1休1分と無敗の好成績を記録し、大関経験者としての存在感を示した。
だが、これが最後の土俵となった。同年8月15日、現役力士のまま38歳でこの世を去った。文政の黄金期を支え、怪我に泣かされながらも最後まで土俵に誇りを捧げた名大関は、古今無双の大力であり、その鉄砲突きは禁じ手になったほどと伝えられているが、盆栽を趣味とする風流な一面もあったという。
緋縅 力彌のプロフィール
緋縅 力彌 (ひおどし りきや)の基礎情報です。※年齢は、データ算出の都合上、本場所の中頃(その月の15日)を基準日として計算しております。番付外の期間は通算場所数にカウントしておりません。
- 四股名
- 緋縅 力彌 (ひおどし りきや)
- 最高位
- 大関
- 出身地
- 京都府
- 本名
- 森脇 幸太郎
- 生年月日
- 寛政11年(1799)
- 没年月日
- 天保7年(1836)8月15日(享年38歳)
- 所属部屋
- 玉垣部屋
- 改名歴
- 錦幸太郎 → 緋縅 力彌 → 緋縅 力弥 → 緋縅 力彌
- 初土俵
- 文化15年(1818)2月 西 序ノ口5枚目
- 最終場所
- 天保7年(1836)2月場所
- 大相撲歴
- 34場所(18年0ヶ月)
- 通算成績
- 91勝32敗52休5分12預1無141出場
- 通算34場所
- 優勝等
- 幕内優勝相当2回
- 大関戦歴
- 0勝0敗18休0出場
- 在位2場所
- 幕内戦歴
- 88勝29敗52休5分11預1無134出場
- 在位20場所
- 三役戦歴
- 61勝17敗22休5分5預1無89出場
- 在位12場所
- 関脇戦歴
- 61勝17敗22休5分5預1無89出場
- 在位12場所
- 前頭戦歴
- 27勝12敗12休6預45出場
- 在位6場所
- 十両戦歴
- 3勝3敗0休1預7出場
- 在位1場所
- 関取戦歴
- 91勝32敗52休5分12預1無141出場
- 在位21場所
- 幕下以下歴
- 0勝0敗0休0出場
- 在位13場所
緋縅 力彌の全成績・各場所情報
緋縅 力彌の初土俵から最終場所まで、場所ごとの星取り表と成績一覧です。各場所時点での通算成績も併せて掲載。年齢は、データ算出の都合上、本場所の中頃(その月の15日)を基準日として計算しております。
※江戸期の番付については、番付の段組み・呼称・東西の表記が現在とは異なり、また記録が断片的なため不明な場所もあります。本表の番付呼称は便宜上、現在の呼称に近づけて表記している場合があります。
- 四股名
- 錦幸太郎
- 文化14年10月1817年
- 番付不明(成績不明)
- 文化15年2月1818年
- 西 序ノ口5枚目(成績不明)
- 文政元年10月1818年
- 西 序ノ口5枚目(成績不明)
- 文政2年3月1819年
- 西 序二段20枚目(成績不明)
- 文政2年11月1819年
- 西 序二段17枚目(成績不明)
- 文政3年3月1820年
- 西 序二段9枚目(成績不明)
- 文政3年10月1820年
- 西 序二段3枚目(成績不明)
- 文政4年2月1821年
- 西 三段目23枚目(成績不明)
- 文政4年10月1821年
- 西 三段目16枚目(成績不明)
- 文政5年1月1822年
- 西 三段目18枚目(成績不明)
- 文政5年10月1822年
- 西 三段目筆頭(成績不明)
- 文政6年2月1823年
- 西 幕下25枚目(成績不明)
- 文政6年10月1823年
- 西 幕下17枚目(成績不明)
- 文政7年1月1824年
- 西 幕下11枚目(成績不明)
- 四股名
- 緋縅 力彌 (ひおどし りきや)
- 文政7年10月1824年
- 西 十両5枚目(初土俵)
- 3勝3敗0休1預
- 14場所目
- 通算成績 3勝3敗0休1預7出場
- 初土俵から6年8ヶ月
- 文政8年1月1825年
- 西 前頭8枚目(新入幕)
- 2勝3敗3休2預
- 15場所目
- 通算成績 5勝6敗3休3預14出場
- 初土俵から6年11ヶ月
- 文政8年10月1825年
- 西 前頭3枚目
- 8勝1敗1休
- 16場所目
- 通算成績 13勝7敗4休3預23出場
- 初土俵から7年8ヶ月
- 文政9年1月1826年
- 西 前頭3枚目
- 4勝1敗2休3預
- 17場所目
- 通算成績 17勝8敗6休6預31出場
- 初土俵から7年11ヶ月
- 文政9年10月1826年
- 西 前頭2枚目
- 4勝4敗2休
- 18場所目
- 通算成績 21勝12敗8休6預39出場
- 初土俵から8年8ヶ月
- 文政10年3月1827年
- 西 前頭2枚目
- 2勝2敗2休1預
- 19場所目
- 通算成績 23勝14敗10休7預44出場
- 初土俵から9年1ヶ月
- 文政11年3月1828年
- 西 前頭2枚目
- 7勝1敗2休 (優勝相当)
- 20場所目
- 通算成績 30勝15敗12休7預52出場
- 初土俵から10年1ヶ月
- 文政11年10月1828年
- 西 関脇(新関脇昇進)
- 8勝0敗2休 (優勝相当)
- 21場所目
- 通算成績 38勝15敗14休7預60出場
- 初土俵から10年8ヶ月
- 文政12年2月1829年
- 西 関脇
- 5勝1敗1休
- 22場所目
- 通算成績 43勝16敗15休7預66出場
- 初土俵から11年0ヶ月
- 四股名
- 緋縅 力弥 (ひおどし りきや)
- 文政12年10月1829年
- 西 関脇
- 5勝0敗2休2預1無
- 23場所目
- 通算成績 48勝16敗17休9預1無74出場
- 初土俵から11年8ヶ月
- 四股名
- 緋縅 力彌 (ひおどし りきや)
- 文政13年3月1830年
- 西 関脇
- 7勝1敗2休
- 24場所目
- 通算成績 55勝17敗19休9預1無82出場
- 初土俵から12年1ヶ月
- 文政13年11月1830年
- 西 関脇
- 6勝2敗2休
- 25場所目
- 通算成績 61勝19敗21休9預1無90出場
- 初土俵から12年9ヶ月
- 天保2年2月1831年
- 西 関脇
- 5勝1敗2休1分1預
- 26場所目
- 通算成績 66勝20敗23休1分10預1無98出場
- 初土俵から13年0ヶ月
- 天保2年11月1831年
- 西 関脇
- 5勝3敗0休
- 27場所目
- 通算成績 71勝23敗23休1分10預1無106出場
- 初土俵から13年9ヶ月
- 天保3年11月1832年
- 西 関脇
- 4勝3敗3休
- 28場所目
- 通算成績 75勝26敗26休1分10預1無113出場
- 初土俵から14年9ヶ月
- 天保4年2月1833年
- 西 関脇
- 6勝1敗1休1分1預
- 29場所目
- 通算成績 81勝27敗27休2分11預1無122出場
- 初土俵から15年0ヶ月
- 天保4年11月1833年
- 西 大関(新大関)
- 0勝0敗8休
- 30場所目
- 通算成績 81勝27敗35休2分11預1無122出場
- 初土俵から15年9ヶ月
- 天保5年1月1834年
- 西 大関
- 0勝0敗10休
- 31場所目
- 通算成績 81勝27敗45休2分11預1無122出場
- 初土俵から15年11ヶ月
- 天保5年11月1834年
- 番付不明(番付外陥落)(成績不明)
- 天保6年1月1835年
- 西 関脇張出(関脇陥落)
- 2勝2敗5休1預
- 32場所目
- 通算成績 83勝29敗50休2分12預1無127出場
- 初土俵から16年11ヶ月
- 天保6年11月1835年
- 西 関脇
- 4勝3敗1休2分
- 33場所目
- 通算成績 87勝32敗51休4分12預1無136出場
- 初土俵から17年9ヶ月
- 天保7年2月1836年
- 西 関脇(引退)
- 4勝0敗1休1分
- 34場所目
- 通算成績 91勝32敗52休5分12預1無141出場
- 初土俵から18年0ヶ月
▼ すべての場所成績を展開する
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