対戦力士情報

対戦力士同士の詳細な情報です。

大青山 大介 (荒汐部屋・中国内モンゴル自治区)

大青山 大介(だいせいざん だいすけ)は中国 内モンゴル自治区出身、荒汐部屋の力士で最高位は十両筆頭。令和8年5月場所の番付は最高位に並ぶ西 十両筆頭。

中国内モンゴル自治区に生まれ、幼少期はモンゴル相撲やレスリングなどの格闘技に親しんで育った。中学2年次に中国代表として白鵬杯に出場したことをきっかけに本格的に相撲を始め、平成28年(2016年)に日本へ相撲留学する。

この留学は、父親がレスリング時代に蒼国来(のちの8代荒汐)の先輩にあたるという深い縁があったことから、同郷の蒼国来を頼って実現したものであった。静岡県の飛龍高校へと進学し、2年次に出場した全国大会の団体戦では、途中出場ながら同校の全国優勝に大きく貢献するなど確かな実績を残した。

高校卒業後は荒汐部屋への入門を希望したが、当時は蒼国来が現役力士として在籍しており、「外国出身力士は1部屋につき1人まで」という規定によりすぐには入門できなかった。そのため、在留資格(留学ビザ)を維持する事情から、約3年間にわたって部屋の研修生として生活することとなる。

日本語学校やスポーツ専門学校に通いながら稽古を積むという苦労を重ね、令和2年(2020年)3月に蒼国来が引退して親方となり外国枠が空いたことで正式に入門。興行ビザの取得を待って令和4年(2022年)1月場所の前相撲において初土俵を踏んだ。

「大青山」としての歩みと同世代との対戦

四股名は、自身の故郷にある陰山山脈の「大青山」と、飛龍高校時代の恩師の名に由来して「大青山 大介」と名付けられた。初めて番付に名前が載った令和4年(2022年)3月場所は序ノ口で6勝1敗の好成績を挙げる。

続く同年5月場所は序二段で七番相撲に敗れて6勝1敗となったが、この時の対戦相手は初土俵同期生の琴手計(のちの琴栄峰)であった。さらに翌7月場所でも七番相撲で出場停止明けの大関経験者・朝乃山に敗れて6勝1敗となるなど、実力者との対戦を経験しながら順調に番付を上げていった。

右手首の骨折と新十両昇進

令和4年(2022年)9月場所では三段目上位まで番付を上げたが、場所前の稽古中に右手首を骨折して手術を受けた影響で、2場所連続の全休を余儀なくされる。復帰場所となった翌令和5年(2023年)1月場所では、七番相撲で尊富士に敗れて6勝1敗となるなど、同世代の出世頭たちと鎬を削りながら実力を伸ばした。

同年7月場所で新幕下に昇進し、着実に上位へと定着していく。東幕下2枚目の地位で迎えた令和6年(2024年)7月場所においては、初日から持ち前の力強い相撲で白星を重ねて見事に7戦全勝で幕下優勝を飾った。

この好成績が評価され、場所後の番付編成会議にて念願の新十両昇進が決定した。中国出身の関取は、湊部屋の仲の国(元十両12枚目)以来4人目で、内モンゴル自治区出身としては師匠である8代荒汐以来2人目の関取誕生となった。

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十両での奮闘と取り口

新十両として迎えた令和6年(2024年)9月場所では、関取の壁にぶつかり7勝8敗と負け越したものの、番付運に恵まれて翌11月場所も東十両12枚目に据え置かれる。この場所を9勝6敗の成績で終え、十両での初勝ち越しを決めた。

その後は十両の土俵に定着し、一進一退の攻防を続けながらも実力を伸ばしていく。令和7年(2025年)7月場所では西十両6枚目で10勝5敗の好成績を収め、翌9月場所には東十両筆頭にまで番付を上げた。

取り口は、190センチを超える長身と160キロ以上の恵まれた体格を生かした右四つからの寄りや、強烈な押しを最大の武器とする。長い下積み期間や怪我による休場という試練を乗り越え、持ち前のスケールの大きな相撲で上位の土俵を目指している。

💡 中国出身一覧💡 荒汐部屋の力士

四股名
大青山 大介(だいせいざん だいすけ)
最高位
十両筆頭
最新番付
西 十両筆頭
出身地
中国 内モンゴル自治区
本名
アスハダ
生年月日
平成12年(2000)5月22日(25歳)
身長・体重
192cm・165kg
出身高校
飛龍高校
所属部屋
荒汐部屋
初土俵
令和4年(2022)1月(21歳8ヵ月)
新十両
令和6年(2024)9月(24歳4ヵ月)
優勝
幕下優勝1回
通算成績
146勝95敗14休/241出場(勝率:60.6%)
直近7場所
48勝42敗
7場所勝率
53.3%
得意技
押し・右四つ・寄り
決まり手傾向(直近7場所)
大青山が勝ちの決まり手(48勝)※不戦勝2含む
寄り切り20
上手投げ4
叩き込み4
押し出し4
掬い投げ3
押し倒し2
その他9
大青山が負けの決まり手(42敗)
寄り切り12
押し出し7
突き落とし5
寄り倒し4
叩き込み4
送り出し3
その他7
令8年5月
西 十両筆頭(1枚半上昇)
0勝0敗
令8年3月
東 十両3枚目(1枚降下)
8勝7敗
○●●○○|○○●○●|○●●●○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年1月
東 十両2枚目(1枚半上昇)
7勝8敗
○●●○●|○●○●□|●○○●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

▼ さらに過去の成績(4場所分)を見る
令7年11
西 十両3枚目(2枚半降下)
9勝6敗
○○□●○|○○○○●|●○●●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年9月
東 十両筆頭(5枚半上昇・最高位更新)
7勝8敗
○●●○○|●●●●○|●○●○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年7月
西 十両6枚目(変動なし)
10勝5敗
●○○○○|○○○●○|○●○●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年5月
西 十両6枚目
7勝8敗
○●●○○|●○○●●|○●●○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

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佐田の海 貴士 (境川部屋・熊本県熊本市東区)

佐田の海 貴士(さだのうみ たかし)は熊本県 熊本市東区出身、境川部屋の力士で最高位は前頭筆頭。令和8年5月場所の番付は東 十両2枚目。

右四つの速攻相撲で活躍した出羽海部屋所属の元小結・佐田の海の長男として東京都に生まれ育つ。幼稚園の頃から力士を志していたが、父親からは「勉強はしなくていいから、何でも好きなことをやれ」と言われ、あえて相撲のアマチュア経験を積まずに野球に打ち込んでいた。小学6年次から中学2年次までは父親の相撲協会退職に伴い愛知県犬山市で過ごした。

中学卒業が近づくと父親の現役時代に憧れ、角界入りを決意する。本人は当初、当然のように父親の古巣である出羽海部屋へ進むものと考えていた。しかし、父親から「男を磨くならこの部屋だ」と熱心な説得を受け、出羽海部屋時代に父親の弟弟子であった13代境川(元小結・両國)が師匠を務める境川部屋への入門を決断した。

平成15年(2003年)3月場所において、本名の「松村」で初土俵を踏む。日本相撲協会には父親の故郷である熊本県熊本市(現在の東区)を出身地として届け出ている。入門当初は軽量に苦労しながらも、師匠の厳しくも愛情あふれる指導のもとで着実に実力を身につけていった。

父の四股名継承と怪我の試練

平成16年(2004年)1月場所において、父親の現役時代の四股名である「佐田の海」を継承した。本人は当初「名乗るのは恐れ多い」と遠慮したものの、師匠から「来場所から佐田の海で行くぞ。親父さんには俺から言っておくから」と力強く背中を押され、父親の四股名を背負うこととなった。

長らく幕下の土俵で実力を磨き、平成22年(2010年)1月場所において幕下優勝を飾り、同年7月場所において念願の新十両昇進を果たす。栃東親子以来14年ぶりとなる史上9組目の親子関取誕生であった。十両昇進後は8場所にわたり十両に定着したが、平成23年(2011年)9月場所千秋楽に大きな悲劇が襲う。7勝7敗で迎えたこの一番で、寄り倒されそうになりながらも勝ち越しへの執念から無理な体勢で残そうとした結果、右足首を脱臼骨折する大怪我を負い、十両からの陥落を余儀なくされた。

陥落後は豪栄道の付け人やちゃんこ番をこなす生活へと戻り、関取経験者でありながら雑務をこなす惨めさや辛さを味わったが、父親からの温かい励ましを受けて再起を図っていた。ところが、平成25年(2013年)3月場所では左目の眼底骨折という更なる不運に見舞われ、一度は引退も頭をよぎった。しかし、懸念された手術が無事に成功したことに加え、知人から浴びせられた手厳しい叱咤の言葉に発奮して現役続行を決断する。本人は怪我の要因を「下がりながらの投げ技が足首に負担をかけていた」と分析し、稽古を重ねて出足を重視した相撲へと磨き上げ、翌平成26年(2014年)1月場所に13場所ぶりとなる十両復帰を果たした。

新入幕と史上初の「親子三賞」

十両復帰後は好調を維持し、平成26年(2014年)5月場所において初土俵から所要66場所で新入幕を果たした。これにより史上8組目の親子幕内力士となる。幕内昇進会見では「父を超えることが親孝行」と意欲を語り、師匠の13代境川も「お父さんから15歳の彼を預かった時からの男の約束だった」と感慨深げに語った。

新入幕の同場所では、持ち味を存分に発揮して10勝5敗の好成績を収め、自身初となる敢闘賞を受賞した。父親も新入幕の場所に敢闘賞を受賞しており、この受賞によって大相撲史上初となる「親子での新入幕場所三賞獲得」という歴史的な快挙を成し遂げた。

幕内の土俵に定着した翌平成27年(2015年)5月場所では、東前頭3枚目の地位で横綱・日馬富士を取り直しの末に破り、自身初となる金星を獲得して場内を大いに沸かせた。

ベテランとしての存在感と取り口

その後も長く幕内と十両の土俵を務め、平成30年(2018年)3月場所では11勝4敗の好成績で自身初の十両優勝を飾っている。令和4年(2022年)5月場所では西前頭12枚目で千秋楽まで優勝争いに絡み、11勝4敗の優勝次点の成績を残して2度目の敢闘賞を受賞した。さらに令和7年(2025年)5月場所でも西前頭13枚目で10勝5敗の好成績を挙げて3度目の敢闘賞を受賞するなど、衰えぬ実力を証明し続けている。

取り口は、父親と同じく右四つに組んでからの速攻や力強い寄り、真っ向勝負を最大の持ち味とする。一方で父親よりも手足が長いため、「俺にはない投げがある」と父親から評されている。厳しい稽古で培われた足の裏の感覚が良く、土俵際での並外れた粘り腰を見せることから「行司泣かせ」の異名をとることもある。

ベテランとなってからは引き技に沈む場面も指摘されるが、父親譲りの四股名と伝統の相撲型を胸に、持ち前のしぶとさと豊富な経験を生かして最高峰の土俵で長きにわたり奮闘を続けている。

💡 熊本県出身一覧💡 境川部屋の力士

四股名
佐田の海 貴士(さだのうみ たかし)
最高位
前頭筆頭
最新番付
東 十両2枚目
出身地
熊本県 熊本市東区
本名
松村 要
生年月日
昭和62年(1987)5月11日(38歳)
身長・体重
183cm・144kg
所属部屋
境川部屋
改名歴
松村 → 佐田の海
初土俵
平成15年(2003)3月(15歳10ヵ月)
新十両
平成22年(2010)7月(23歳2ヵ月)
新入幕
平成26年(2014)5月(27歳0ヵ月)
優勝
十両優勝1回,幕下優勝1回,三段目優勝1回
受賞・金星
敢闘賞3回,金星1個
通算成績
779勝799敗22休/1578出場(勝率:49.4%)
直近7場所
16勝14敗(幕内:24勝36敗)
7場所勝率
44.4%
得意技
右四つ・寄り
決まり手傾向(直近7場所)
佐田の海が勝ちの決まり手(40勝)
寄り切り17
押し出し7
上手投げ3
寄り倒し3
突き落とし2
引っ掛け1
その他7
佐田の海が負けの決まり手(50敗)
寄り切り16
押し出し7
突き出し5
叩き込み5
掬い投げ3
送り出し3
その他11
令8年5月
東 十両2枚目(半枚降下)
0勝0敗
令8年3月
西 十両筆頭(2枚半上昇)
7勝8敗
○●●○●|●○○●○|●●●○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年1月
東 十両4枚目(4枚半降下)
9勝6敗
○○○○●|●○○○○|●●●○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

▼ さらに過去の成績(4場所分)を見る
令7年11
西 前頭16枚目(2枚半降下)
4勝11敗
●○●●●|●○●○●|●●○●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年9月
東 前頭14枚目(6枚降下)
6勝9敗
○●○○●|●●●●○|●○●○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年7月
東 前頭8枚目(5枚半上昇)
4勝11敗
●●●○●|●○●●●|●●○○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年5月
西 前頭13枚目
10勝5敗(敢闘賞)
●○●○○|○○●○○|●○○○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)