対戦力士情報

対戦力士同士の詳細な情報です。

金峰山 晴樹 (木瀬部屋・カザフスタンアルマティ)

金峰山 晴樹(きんぼうざん はるき)はカザフスタン アルマティ出身、木瀬部屋の力士で最高位は前頭3枚目。令和8年5月場所の番付は西 前頭11枚目。

14歳の頃から柔道に打ち込み、母国カザフスタンで3位に入賞するほどの実力を持っていた。相撲との出会いは18歳の時、元横綱・朝青龍の紹介で来日したことがきっかけである。東京の私立日出高校(現・目黒日本大学高校)に編入して相撲を始め、基礎を学んだ。高校卒業後は相撲の名門・日本大学へと進学し、その才能をさらに開花させていく。

日本大学時代、3年次に全日本相撲選手権大会で2位の好成績を挙げて三段目付け出し資格を取得したが、この時は行使せずに失効した。しかし4年次の令和2年(2020年)、全国学生相撲選手権大会で3位に入賞し、再び三段目付け出し資格を獲得。大学を卒業後、日大OBである11代木瀬(元幕内・肥後ノ海)が率いる木瀬部屋へと入門した。

四股名の由来

四股名の「金峰山」は、師匠の故郷である熊本市内にある火山の名から。金峰山自身は当初、「金峰山」を富士山級の山と想像していたが、実際は高尾山ほどのスケールだと知り驚いたという。また下の名「晴樹」は、元高校横綱で11代木瀬の日大時代の同期でもある成田晴樹氏に由来する。成田氏は日大学在学中に惜しくも亡くなられた。

三段目付出からの快進撃、そして幕内へ

令和3年(2021年)11月場所に三段目最下位格付出(100枚目格付出)で初土俵を踏むやいなや、7戦全勝の三段目優勝で圧倒的な力の差を見せつける。さらに令和4年(2022年)3月場所でも幕下で7戦全勝の優勝を遂げた。西幕下筆頭で迎えた同年7月場所に6勝1敗の好成績を挙げ、翌場所での新十両昇進を決めた。初土俵から所要5場所での新十両昇進であった。その十両もわずか3場所で通過し、令和5年(2023年)3月場所には新入幕、この新入幕場所で11勝4敗の大活躍で初の敢闘賞を受賞した。

不屈の再起、そして優勝決定戦の激闘

その後も幕内上位を目指して少しずつ積み上げていたが、東前頭7枚目で迎えた令和6年(2024年)3月場所では首を負傷し、5日目から途中休場を余儀なくされた。8日目から再出場したものの、この場所を6勝7敗2休で負け越し、その後も2場所連続で4勝11敗と大きく負け越した。これにより10場所守った幕内の座から十両への陥落を経験する。しかし金峰山はめげなかった。再起をかけた同年11月場所では西十両筆頭で12勝3敗の成績を挙げ、自身初となる十両優勝を達成。ひと場所で幕内の土俵へと返り咲いた。

幕内復帰直後の令和7年(2025年)1月場所、西前頭14枚目で初日から9連勝を記録するなど快進撃を見せる。12勝2敗で迎えた千秋楽。本割で王鵬に敗れると豊昇龍、王鵬、金峰山による三つ巴の優勝決定戦へと進出。この決定戦では大関(当時)豊昇龍に敗れて幕内優勝こそは逃したが、優勝同点の成績と二度目の敢闘賞を受賞。不屈の精神で再び幕内上位へと番付を戻した。

相撲スタイル、そしてムスリムの教え

幕内屈指の長身とリーチを活かし、入門当初はもろ手突きからの突き押しに加え、四つに組み止める相撲も使い分けるスタイルであった。しかし、首の怪我を抱えて以降は突き押し一本に絞る相撲へと変化を遂げている。また、大砂嵐(元幕内・大嶽部屋)に次ぐ史上2人目のムスリム(イスラム教徒)の幕内力士としても知られる。宗教上の戒律に従い豚肉や酒は口にしないため、部屋でのちゃんこもハラール食で英気を養う。異国の地でムスリムとして、そして力士として精進を続けている。カザフスタン出身者として初の幕内力士となったその背中には、母国からの期待も厚い。

💡 カザフスタン出身一覧💡 木瀬部屋の力士

四股名
金峰山 晴樹(きんぼうざん はるき)
最高位
前頭3枚目
最新番付
西 前頭11枚目
出身地
カザフスタン アルマティ
本名
バルタグル・イェルシン
生年月日
平成9年(1997)6月24日(28歳)
身長・体重
195cm・173kg
出身高校
日出高校
出身大学
日本大学
所属部屋
木瀬部屋
初土俵
令和3年(2021)11月(24歳5ヵ月)
新十両
令和4年(2022)9月(25歳3ヵ月)
新入幕
令和5年(2023)3月(25歳9ヵ月)
優勝
十両優勝1回,幕下優勝1回,三段目優勝1回
受賞・金星
敢闘賞2回
通算成績
198勝165敗2休/362出場(勝率:54.7%)
直近7場所
41勝49敗
7場所勝率
45.6%
得意技
突き・押し
決まり手傾向(直近7場所)
金峰山が勝ちの決まり手(41勝)
突き出し10
寄り切り8
押し出し6
叩き込み6
上手投げ5
引き落とし3
その他3
金峰山が負けの決まり手(49敗)
寄り切り17
押し出し7
送り出し4
上手投げ3
引き落とし3
下手投げ2
その他13
令8年5月
西 前頭11枚目(5枚上昇)
0勝0敗
令8年3月
西 前頭16枚目(8枚降下)
9勝6敗
○●○●○|○●●●○|○○○●○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年1月
西 前頭8枚目(変動なし)
4勝11敗
●○●●●|○●○●●|○●●●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

▼ さらに過去の成績(4場所分)を見る
令7年11
西 前頭8枚目(変動なし)
7勝8敗
○●●●●|●○○●○|●○●○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年9月
西 前頭8枚目(5枚降下)
7勝8敗
●●○●●|●○○●○|○●○○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年7月
西 前頭3枚目(5枚上昇・最高位更新)
4勝11敗
○●●●●|●●●○●|○●●●○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年5月
西 前頭8枚目
10勝5敗
○●●○○|○○○●●|○○●○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

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千代翔馬 富士雄 (九重部屋・モンゴルウランバートル市)

千代翔馬 富士雄(ちよしょうま ふじお)はモンゴル ウランバートル市出身、九重部屋の力士で最高位は前頭2枚目。令和8年5月場所の番付は東 前頭7枚目。

父親はモンゴル相撲の大関であり、幼い頃はどこへ行くにも父親に同行し、柔道や相撲の練習に連れられて育った。第68代横綱・朝青龍の父親とも交友があり、いずれ角界入りする思いを抱いていたという。地元モンゴルを訪れていた13代九重(元横綱・千代の富士)の紹介を受け、明徳義塾高校へ相撲留学するために来日した。

九重部屋への入門と試行錯誤

高校2年次に同校を中退し、13代九重が率いる九重部屋へと入門。平成21年(2009年)5月場所において初土俵を踏んだ。入門当初の体重は87キロしかなく、初土俵が同じ田子ノ浦部屋の碧山(のちに春日野部屋の関脇)など、既に体格の出来上がっていた同期には全く歯が立たなかった。圧力に欠けるため上手投げ主体で引き技を多用し、まともな寄りや押しに屈する場面が多かったという。それでも、母国で人気を集めていた父親の顔を潰してはならないと諦めずに相撲に打ち込んだ。

初土俵からは「翔馬」を名乗っていたが、新三段目昇進に合わせて「千代翔馬」へ改名する。幕下に定着するまでは同い年の千代皇や千代丸に先を越されて悔しい思いをした時期もあったが、猛稽古によって体重が120キロに迫るようになると、次第に引き技が影を潜めた。代わって廻しを引いてのしぶとさが生きるようになり、特に両廻しを取った際の力強さには定評があった。稽古場ではその引き付けを生かして180キロの千代丸を圧倒することもあったが、一方で本場所に弱い一面があり、弟弟子の千代大龍から不思議がられることもあった。

先代の秘蔵っ子と恩師の急逝

師匠である13代九重は弟子を滅多に褒めないことで知られていたが、千代翔馬の際立った稽古熱心さに対しては「一番稽古するのは千代翔馬だ」と珍しく称賛の言葉を口にしていた。毎日師匠の現役時代の相撲を映像で見て勉強し、翌日の稽古で試す研究熱心さがあり、「先代の秘蔵っ子」として手塩にかけて育てられた。

平成28年(2016年)1月場所において新十両へ昇進。会見で13代九重から「まあ、しょせん無理だろうけど」と愛のある厳しい言葉で釘を刺されつつも、「親方のように前褌を取って攻める相撲を取りたい」と力強く抱負を語った。しかし、関取として歩み始めた矢先の同年7月、最大の理解者であり目標であった恩師・13代九重が急逝する。突然の悲報による深い喪失感と悲しみは計り知れないものであったが、その試練を乗り越え、直後の同年9月場所において見事に新入幕を果たした。14代九重(元大関・千代大海)が部屋を継承して初の入幕力士となり、新入幕の会見では「先代の相撲を毎日、映像で見て勉強していた」と亡き恩師への尽きせぬ思慕を語った。

幕内での長年の活躍と相撲スタイル

幕内に昇進して以降は、長きにわたって幕内の土俵に定着している。しぶとさと思い切りの良さで動きながら勝つ相撲を身上とする一方で、入幕当初は引き技や変化が多く、「投げばかり」と評されたり、「変化を減らして踏み込んで上手を早く取る相撲を」と注文を付けられたりすることもあった。本人も「立ち合いだけしっかり当たって、あとは体に任せる」「自分の持ち味がない」と語っており、得意の張り差しを多用しすぎて相手に読まれ、諸手突きで露骨に対処されるなど課題を露呈する場面もあった。

それでも、気迫あふれる闘志と長年培った技術を武器に、金星を獲得するなどベテランの域に達してからもなお上位陣を脅かす確かな存在感を示し続けている。

💡 モンゴル出身一覧💡 九重部屋の力士

四股名
千代翔馬 富士雄(ちよしょうま ふじお)
最高位
前頭2枚目
最新番付
東 前頭7枚目
出身地
モンゴル ウランバートル市
本名
ガンバータル・ムンクサイハン→石橋 翔馬
生年月日
平成3年(1991)7月20日(34歳)
身長・体重
184cm・140kg
出身高校
明徳義塾高校・中退
所属部屋
九重部屋
改名歴
翔馬 → 千代翔馬
初土俵
平成21年(2009)7月(18歳0ヵ月)
新十両
平成28年(2016)1月(24歳6ヵ月)
新入幕
平成28年(2016)9月(25歳2ヵ月)
優勝
幕下優勝1回
受賞・金星
金星1個
通算成績
585勝569敗20休/1153出場(勝率:50.7%)
直近7場所
31勝44敗(十両:9勝6敗)
7場所勝率
44.4%
得意技
押し・左四つ・寄り
決まり手傾向(直近7場所)
千代翔馬が勝ちの決まり手(40勝)
寄り切り11
上手投げ5
押し出し4
叩き込み4
下手投げ2
送り出し2
その他12
千代翔馬が負けの決まり手(50敗)
寄り切り13
押し出し13
上手出し投げ4
掬い投げ3
押し倒し3
下手投げ2
その他12
令8年5月
東 前頭7枚目(7枚上昇)
0勝0敗
令8年3月
東 前頭14枚目(3枚降下)
10勝5敗
●○○●●|○○○●●|○○○○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年1月
東 前頭11枚目(6枚上昇)
6勝9敗
●○○●●|●●○●○|●○●○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

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令7年11
東 前頭17枚目(3枚上昇)
10勝5敗
○○●●●|○○○●○|○○●○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年9月
西 十両2枚目(10枚半降下)
9勝6敗
●○●○●|●○○●○|○○○●○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年7月
西 前頭9枚目(4枚降下)
1勝14敗
●●●●●|●●●●●|●○●●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年5月
西 前頭5枚目
4勝11敗
●●●●●|○○●●●|○○●●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)