対戦力士情報

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  • キャリア16年差!大相撲歴23年4ヶ月の【佐田の海】と、同7年4ヶ月の【時疾風】の対決!

東方:時疾風 秀喜 (時津風部屋・宮城県栗原市)

時疾風 秀喜(ときはやて ひでき)は宮城県 栗原市出身、時津風部屋の力士で最高位は前頭9枚目。令和8年7月場所の番付は東 十両2枚目。

小学2年生の時に同級生より体が大きいという理由で勧誘を受け、地元の瀬峰少年相撲クラブで相撲を始めた。小牛田農林高校3年時にはインターハイ相撲競技で個人3位に入賞。卒業後は教員を志して東京農業大学へ進学したが、同世代のライバルたちの角界入りに刺激を受け、次第に大相撲への思いも抱くようになっていた。

時津風部屋への入門と序二段優勝

教員の道か、角界入りか。進路に迷いを抱えていたが、大学時代最後となる4年次の全日本選手権で予選落ちを喫したことが、かえって大相撲入門への決意を固める契機となった。こうして卒業を控えた平成31年(2019年)3月場所に、時津風部屋から初土俵を踏んだ。前相撲には本名の「冨栄(とみえ)」で出場したが、新序出世のタイミングで「時栄」へと改名。当時、伊勢ヶ濱部屋に「富栄(とみさかえ)」という力士が在籍しており、紛らわしさを避ける意味合いもあったという。

令和元年(2019年)5月場所において序ノ口で6勝1敗の好成績を挙げると、続く7月場所では7戦全勝で序二段優勝を果たした。以降も順調に番付を上げ、同年11月場所では幕下へ昇進した。

怪我の試練と「時疾風」への改名

幕下でも勝ち越しを続けて番付を着実に上げていたが、令和3年(2021年)9月場所では左太腿の肉離れにより途中休場を余儀なくされた。さらに右膝の内側靱帯も損傷する苦しい時期であったが、翌11月場所で復帰して5勝2敗と勝ち越した。

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令和4年(2022年)3月場所からは、「速い相撲を取れ」という願いを込めて四股名を「時疾風」へと改名した。改名後はさらに地力を増し、幕下上位の壁に挑み続けた。

十両昇進と幕下全勝優勝での復帰

令和5年(2023年)5月場所、東十両14枚目の地位で新十両昇進を果たした。この場所は6勝9敗と負け越して1場所で幕下へ陥落したものの、決して歩みを止めることはなかった。続く同年7月場所では、東幕下筆頭の地位で7戦全勝の幕下優勝を飾り、わずか1場所での関取復帰を決めた。

再十両となった同年9月場所を8勝7敗で勝ち越すと、以降も十両の土俵で安定した成績を残し、着実に力を蓄えていった。

幕内の土俵へ

令和6年(2024年)5月場所において、東前頭15枚目で新入幕を果たした。しかし、この場所を6勝9敗と負け越し、1場所で十両へと陥落。陥落直後の場所でも負け越しを喫したが、続く同年9月場所を9勝6敗で乗り切り、同年11月場所で再入幕を果たした。以降は幕内に定着し、令和7年(2025年)3月場所では10勝5敗の好成績を残すなど、確かな実力を示している。

得意とする右四つからの寄りや、持ち味であるスピードを生かした出し投げを武器に土俵を沸かせている。大きな怪我や番付の降下を乗り越え、自らの四股名のごとく疾風のような攻めを磨きながら、最高峰の土俵で厳しい勝負の世界を生き抜いている。

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💡 宮城県出身一覧💡 時津風部屋の力士

四股名
時疾風 秀喜(ときはやて ひでき)
最高位
前頭9枚目
最新番付
東 十両2枚目
出身地
宮城県 栗原市
本名
冨栄 秀喜
生年月日
平成8年(1996)8月25日(29歳)
身長・体重
179cm・136kg
出身高校
小牛田農林高校
出身大学
東京農業大学
所属部屋
時津風部屋
改名歴
時栄 → 時疾風
初土俵
平成31年(2019)3月(22歳7ヵ月)
新十両
令和5年(2023)5月(26歳9ヵ月)
新入幕
令和6年(2024)5月(27歳9ヵ月)
優勝
幕下優勝1回,序二段優勝1回
通算成績
242勝198敗3休/439出場(勝率:55.1%)
直近7場所
3勝2敗(幕内:39勝51敗)
7場所勝率
44.2%
得意技
左四つ・寄り・上手投げ
決まり手傾向(直近7場所)
時疾風が勝ちの決まり手(35勝)
寄り切り11
押し出し5
上手投げ4
下手投げ4
上手出し投げ3
押し倒し2
その他6
時疾風が負けの決まり手(40敗)
寄り切り14
押し出し10
上手投げ5
引き落とし2
送り出し1
突き落とし1
その他7
令8年7月
東 十両2枚目(5枚半降下)
3勝2敗
○●●○○|     |     
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年5月
西 前頭12枚目(3枚半降下)
4勝11敗
●●●○●|●○○●●|○●●●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年3月
東 前頭9枚目(1枚上昇・最高位更新)
5勝10敗
○●●○●|●○○●●|○●●●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

▼ さらに過去の成績(4場所分)を見る
令8年1月
東 前頭10枚目(4枚半上昇・最高位更新)
8勝7敗
○●●○○|●○●○●|○●○○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年11
西 前頭14枚目(1枚降下)
9勝6敗
○○●○○|○●○○●|○○●●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年9月
西 前頭13枚目(2枚降下)
7勝8敗
●○○●●|●○●●○|○○●●○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年7月
西 前頭11枚目
6勝9敗
●●○●○|○●●○●|○●○●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

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西方:佐田の海 貴士 (境川部屋・熊本県熊本市東区)

佐田の海 貴士(さだのうみ たかし)は熊本県 熊本市東区出身、境川部屋の力士で最高位は前頭筆頭。令和8年7月場所の番付は西 十両2枚目。

右四つの速攻相撲で活躍した出羽海部屋所属の元小結・佐田の海の長男として東京都に生まれ育つ。幼稚園の頃から力士を志していたが、父親からは「勉強はしなくていいから、何でも好きなことをやれ」と言われ、あえて相撲のアマチュア経験を積まずに野球に打ち込んでいた。小学6年次から中学2年次までは父親の相撲協会退職に伴い愛知県犬山市で過ごした。

中学卒業が近づくと父親の現役時代に憧れ、角界入りを決意する。本人は当初、当然のように父親の古巣である出羽海部屋へ進むものと考えていた。しかし、父親から「男を磨くならこの部屋だ」と熱心な説得を受け、出羽海部屋時代に父親の弟弟子であった13代境川(元小結・両國)が師匠を務める境川部屋への入門を決断した。

平成15年(2003年)3月場所において、本名の「松村」で初土俵を踏む。日本相撲協会には父親の故郷である熊本県熊本市(現在の東区)を出身地として届け出ている。入門当初は軽量に苦労しながらも、師匠の厳しくも愛情あふれる指導のもとで着実に実力を身につけていった。

父の四股名継承と怪我の試練

平成16年(2004年)1月場所において、父親の現役時代の四股名である「佐田の海」を継承した。本人は当初「名乗るのは恐れ多い」と遠慮したものの、師匠から「来場所から佐田の海で行くぞ。親父さんには俺から言っておくから」と力強く背中を押され、父親の四股名を背負うこととなった。

長らく幕下の土俵で実力を磨き、平成22年(2010年)1月場所において幕下優勝を飾り、同年7月場所において念願の新十両昇進を果たす。栃東親子以来14年ぶりとなる史上9組目の親子関取誕生であった。十両昇進後は8場所にわたり十両に定着したが、平成23年(2011年)9月場所千秋楽に大きな悲劇が襲う。7勝7敗で迎えたこの一番で、寄り倒されそうになりながらも勝ち越しへの執念から無理な体勢で残そうとした結果、右足首を脱臼骨折する大怪我を負い、十両からの陥落を余儀なくされた。

陥落後は豪栄道の付け人やちゃんこ番をこなす生活へと戻り、関取経験者でありながら雑務をこなす惨めさや辛さを味わったが、父親からの温かい励ましを受けて再起を図っていた。ところが、平成25年(2013年)3月場所では左目の眼底骨折という更なる不運に見舞われ、一度は引退も頭をよぎった。しかし、懸念された手術が無事に成功したことに加え、知人から浴びせられた手厳しい叱咤の言葉に発奮して現役続行を決断する。本人は怪我の要因を「下がりながらの投げ技が足首に負担をかけていた」と分析し、稽古を重ねて出足を重視した相撲へと磨き上げ、翌平成26年(2014年)1月場所に13場所ぶりとなる十両復帰を果たした。

新入幕と史上初の「親子三賞」

十両復帰後は好調を維持し、平成26年(2014年)5月場所において初土俵から所要66場所で新入幕を果たした。これにより史上8組目の親子幕内力士となる。幕内昇進会見では「父を超えることが親孝行」と意欲を語り、師匠の13代境川も「お父さんから15歳の彼を預かった時からの男の約束だった」と感慨深げに語った。

新入幕の同場所では、持ち味を存分に発揮して10勝5敗の好成績を収め、自身初となる敢闘賞を受賞した。父親も新入幕の場所に敢闘賞を受賞しており、この受賞によって大相撲史上初となる「親子での新入幕場所三賞獲得」という歴史的な快挙を成し遂げた。

幕内の土俵に定着した翌平成27年(2015年)5月場所では、東前頭3枚目の地位で横綱・日馬富士を取り直しの末に破り、自身初となる金星を獲得して場内を大いに沸かせた。

ベテランとしての存在感と取り口

その後も長く幕内と十両の土俵を務め、平成30年(2018年)3月場所では11勝4敗の好成績で自身初の十両優勝を飾っている。令和4年(2022年)5月場所では西前頭12枚目で千秋楽まで優勝争いに絡み、11勝4敗の優勝次点の成績を残して2度目の敢闘賞を受賞した。さらに令和7年(2025年)5月場所でも西前頭13枚目で10勝5敗の好成績を挙げて3度目の敢闘賞を受賞するなど、衰えぬ実力を証明し続けている。

取り口は、父親と同じく右四つに組んでからの速攻や力強い寄り、真っ向勝負を最大の持ち味とする。一方で父親よりも手足が長いため、「俺にはない投げがある」と父親から評されている。厳しい稽古で培われた足の裏の感覚が良く、土俵際での並外れた粘り腰を見せることから「行司泣かせ」の異名をとることもある。

ベテランとなってからは引き技に沈む場面も指摘されるが、父親譲りの四股名と伝統の相撲型を胸に、持ち前のしぶとさと豊富な経験を生かして最高峰の土俵で長きにわたり奮闘を続けている。

💡 熊本県出身一覧💡 境川部屋の力士

四股名
佐田の海 貴士(さだのうみ たかし)
最高位
前頭筆頭
最新番付
西 十両2枚目
出身地
熊本県 熊本市東区
本名
松村 要
生年月日
昭和62年(1987)5月11日(39歳)
身長・体重
183cm・146kg
所属部屋
境川部屋
改名歴
松村 → 佐田の海
初土俵
平成15年(2003)3月(15歳10ヵ月)
新十両
平成22年(2010)7月(23歳2ヵ月)
新入幕
平成26年(2014)5月(27歳0ヵ月)
優勝
十両優勝1回,幕下優勝1回,三段目優勝1回
受賞・金星
敢闘賞3回,金星1個
通算成績
788勝810敗22休/1598出場(勝率:49.3%)
直近7場所
25勝25敗(幕内:14勝31敗)
7場所勝率
41.1%
得意技
右四つ・寄り
決まり手傾向(直近7場所)
佐田の海が勝ちの決まり手(30勝)
寄り切り12
押し出し5
突き落とし2
上手投げ2
寄り倒し2
引っ掛け1
その他6
佐田の海が負けの決まり手(45敗)
寄り切り15
押し出し5
突き出し5
叩き込み5
掬い投げ3
小手投げ2
その他10
令8年7月
西 十両2枚目(半枚降下)
2勝3敗
●●●○○|     |     
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年5月
東 十両2枚目(半枚降下)
7勝8敗
●●●○○|●○○●●|●○●○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年3月
西 十両筆頭(2枚半上昇)
7勝8敗
○●●○●|●○○●○|●●●○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

▼ さらに過去の成績(4場所分)を見る
令8年1月
東 十両4枚目(4枚半降下)
9勝6敗
○○○○●|●○○○○|●●●○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年11
西 前頭16枚目(2枚半降下)
4勝11敗
●○●●●|●○●○●|●●○●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年9月
東 前頭14枚目(6枚降下)
6勝9敗
○●○○●|●●●●○|●○●○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年7月
東 前頭8枚目
4勝11敗
●●●○●|●○●●●|●●○○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)