対戦力士情報

対戦力士同士の詳細な情報です。

東方:朝乃山 広暉 (高砂部屋・富山県富山市)

朝乃山 広暉(あさのやま ひろき)は富山県 富山市出身、高砂部屋の力士で最高位は大関。令和8年7月場所の番付は東 前頭10枚目。

小学4年の頃からハンドボールと並行して相撲を始め、富山市立呉羽中学校で相撲部へ入部した。中学3年次に左肘を負傷して競技を辞めることも考えたが、富山商業高校の浦山英樹監督から「俺が強くしてやる」と声を掛けられて同校へ進学する。高校時代には浦山から徹底的に鍛えられて相撲の基礎を仕込まれた。近畿大学へ進むと国体の団体優勝などに貢献し、4年次に全日本相撲選手権大会でベスト4に入り、三段目最下位格(100枚目格)付出の資格を獲得した。

高砂部屋入門と恩師の死

大学卒業後は帰郷するつもりであったが、恩師の浦山監督からの強い後押しと、15代若松(元前頭筆頭・朝乃若)からの勧誘により高砂部屋への入門を決めた。平成28年(2016年)3月場所に三段目付出制度の初適用第1号として本名の「石橋」で初土俵を踏んだ。

初土俵から順調に番付を上げていき、西幕下7枚目で迎えた平成29年(2017年)1月場所で7戦全勝で幕下優勝を果たし、翌場所での新十両昇進を決めた。この1月場所は、高砂部屋創設以来138年間続いていた関取が不在となっていた場所であったが、1場所での不在解消となった。新十両昇進を機に四股名を「朝乃山 英樹」へと改めた。これは部屋伝統の「朝」に、故郷の富山、同郷の横綱・太刀山、そして恩師である浦山の「山」を頂いたもの。下の名前は、幕下優勝を決めた一番を病床で見届けた翌日に、膵臓がんで逝去した恩師・浦山の名を頂いたものであった。

令和初の優勝と大関昇進

新十両場所では優勝決定戦に進出。惜しくも十両優勝は逃したが、その後も順調に番付を上げて平成29年(2017年)9月場所で新入幕。この場所では14日目まで優勝争いに加わる活躍で敢闘賞を獲得した。その後も幕内中位で奮闘していたが、西前頭8枚目で迎えた令和元年(2019年)5月場所において、12勝3敗で自身初となる幕内最高優勝を飾る。富山県出身力士として103年ぶりの賜杯であり、新元号「令和」における初の幕内優勝力士として相撲史に名を刻んだ。この年は年6場所制以降の最少勝ち星となる55勝で年間最多勝も獲得している。

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令和2年(2020年)3月場所後に大関へ昇進。学生出身力士としては元大関・琴光喜以来13年ぶりの大関誕生であった。昇進伝達式では「相撲を愛し、力士として正義を全うし、一生懸命努力します」と誓いの言葉を述べた。

出場停止処分と広暉への原点回帰

大関として土俵を務めていたが、令和3年(2021年)5月場所中、日本相撲協会の新型コロナウイルス対応ガイドラインに違反する不適切な行動があったとして、6場所の出場停止という重い懲戒処分を受ける。謹慎期間中には父親が急逝する悲運にも見舞われた。

「不祥事を起こした今、先生の名前を名乗れない」との思いから、四股名の下の名前を本名の「広暉」へと戻して迎えた令和4年(2022年)7月場所、西三段目22枚目にて土俵復帰を果たす。この場所を優勝し「一番つらかったのは不祥事を起こした時に相撲協会にウソをついたこと」と懺悔の思いを口にした。

度重なる大怪我と二度目の奇跡

ここから順調に番付を上げていき、令和5年(2023年)5月に幕内へと復帰。令和6年(2024年)5月場所では東小結にまで番付を戻していたが、場所前の巡業中に右膝を負傷したことで三役復帰場所を全休。さらに翌7月場所の4日目に左膝前十字靭帯断裂の大怪我を負い、再び長期休場を余儀なくされる。大関経験者が2度にわたり幕下以下へ陥落するのは大相撲史上初の出来事であった。

それでも過酷なリハビリに耐え抜き、令和7年(2025年)3月場所の三段目で土俵へ復帰して全勝優勝を果たす。その後も勝ち星を重ね、令和8年(2026年)1月場所において二度目となる幕内への返り咲きを果たした。

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本格派の四つ相撲

取り口は正攻法の本格的な四つ相撲を主体とする。右を差して左の上手を深く引き、恵まれた体格を生かして胸を合わせ、一気に出る力強い寄りを最大の武器としている。天国と地獄を味わい、度重なる試練に見舞われながらも不屈の精神で土俵へと這い上がり、スケールの大きな相撲を展開している。

💡 富山県出身一覧💡 高砂部屋の力士

四股名
朝乃山 広暉(あさのやま ひろき)
最高位
大関
最新番付
東 前頭10枚目
出身地
富山県 富山市
本名
石橋 広暉
生年月日
平成6年(1994)3月1日(32歳)
身長・体重
188cm・175kg
出身高校
富山商業高校
出身大学
近畿大学
所属部屋
高砂部屋
改名歴
石橋 → 朝乃山
初土俵
平成28年(2016)3月・三段目100付出(22歳0ヵ月)
新十両
平成29年(2017)3月(23歳0ヵ月)
新入幕
平成29年(2017)9月(23歳6ヵ月)
新小結
令和1年(2019)11月(25歳8ヵ月)
新関脇
令和2年(2020)1月(25歳10ヵ月)
新大関
令和2年(2020)7月(26歳4ヵ月)
優勝
幕内優勝1回,十両優勝1回,幕下優勝1回,三段目優勝2回
受賞・金星
殊勲賞2回,敢闘賞3回,技能賞1回,金星1個
通算成績
428勝210敗159休/632出場(勝率:67.7%)
直近7場所
32勝20敗3休(十両:24勝6敗)(幕下以下:5勝2敗)
7場所勝率
69.3%
得意技
押し・右四つ・寄り
決まり手傾向(直近7場所)
朝乃山が勝ちの決まり手(46勝)
寄り切り22
押し出し8
掬い投げ5
寄り倒し3
上手出し投げ3
叩き込み2
その他3
朝乃山が負けの決まり手(22敗)※不戦敗1含む
寄り切り6
上手投げ6
押し出し3
肩透かし2
突き落とし1
寄り倒し1
その他2
令8年7月
東 前頭10枚目(変動なし)
8勝2敗
○●●○○|○○○○○|     
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年5月
東 前頭10枚目(2枚半上昇)
7勝5敗3休
○●○●○|○●○○○|●■ややや
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年3月
西 前頭12枚目(3枚半上昇)
8勝7敗
●○●○○|○●●○○|○○●●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

▼ さらに過去の成績(4場所分)を見る
令8年1月
東 前頭16枚目(5枚半上昇)
9勝6敗
●○○○○|●○●○○|○○●●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年11
西 十両4枚目(9枚上昇)
12勝3敗
●●○○○|○○○●○|○○○○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年9月
西 十両13枚目(2枚上昇)
12勝3敗
○●○○○|○○●○○|○○●○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年7月
西 幕下筆頭
5勝2敗
○●--○|-●-○-|○--○-
取組詳細(対戦相手・決まり手)

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西方:阿武剋 一弘 (阿武松部屋・モンゴルオブス県)

阿武剋 一弘(おうのかつ かずひろ)はモンゴル オブス県出身、阿武松部屋の力士で最高位は前頭3枚目。令和8年7月場所の番付は東 前頭15枚目。

モンゴルのオブス県に生まれ、幼少期から中学時代にかけてはサッカーに親しんだ。数学オリンピックのオブス県大会で優勝するほどの頭脳明晰な一面を持っていたが、15歳で来日し、新名学園旭丘高校(神奈川県)の相撲部留学生1期生として本格的に相撲を始めた。語学も堪能で、高校2年次には日本語のノートをつける必要がなくなるほど習熟していたという。

学生横綱のタイトルと幕下付出

相撲においても高校3年次に全国高校総体(インターハイ)の個人戦で優勝力士に次ぐ成績を収めた。高校卒業後は日本体育大学へ進学し、中村(横綱・大の里)ら強力な同期たちと切磋琢磨した。4年次に全国学生相撲選手権大会で優勝して「学生横綱」のタイトルを獲得し、これにより幕下15枚目格付出の資格を取得した。大学3年時に大相撲の土俵へ進むことを決心しており、卒業後は阿武松部屋の門を叩いた。

恩師の名を刻んだ四股名とスピード出世

令和5年(2023年)9月場所に新弟子検査に合格し、興行ビザの取得を経て同年11月場所に幕下15枚目格付出で初土俵を踏んだ。同年9月の理事会で付出資格が改定され、幕下付出が最下位(60枚目)格に一本化されたことに伴い、旧制度である「幕下15枚目格付出」として初土俵を踏む最後の力士となった。四股名は「自分に打ち勝つ」という意味を込めて下剋上の「剋」の字を入れ、下の名前である「一弘」は、日体大相撲部の齊藤一雄監督の「一」と、旭丘高校相撲部の岸田光弘監督の「弘」からそれぞれ一字を頂戴したものであり、自身を育ててくれた二人の恩師への感謝が込められていた。

初土俵の場所を5勝2敗で勝ち越すと、続く令和6年(2024年)1月場所は東幕下8枚目で6勝1敗の成績を収めた。同年3月場所を西幕下2枚目で5勝2敗とし、所要3場所での新十両昇進を確定させた。

十両通過と幕内の土俵での戦い

同年5月場所、東十両12枚目で迎えた新十両の土俵では13勝2敗という優勝力士に次ぐ成績を挙げた。続く7月場所も西十両筆頭で9勝6敗と勝ち越し、十両をわずか2場所で通過して同年9月場所において西前頭14枚目で新入幕を果たした。新入幕の場所は7勝8敗と負け越したものの、続く11月場所で9勝6敗と勝ち越すなど、右四つからの力強い寄りや突き押しを武器に前頭の地位に定着した。

令和7年(2025年)3月場所から2場所連続で10勝5敗の2桁勝利を挙げ、上位陣との対戦圏内へと番付を伸ばした。令和8年(2026年)3月場所では左足を負傷し、途中休場と再出場を挟んで再び休場するという初土俵以来初の休場を経験した。

入幕間もない頃、13代二所ノ関(元横綱・稀勢の里)からは、左の使い方の巧さを高く評価される一方で、「圧力のない日馬富士関」とかつてのライバルに例えてパワー不足を指摘されたこともあった。この課題を克服し、自身の四股名に込めた「自分に打ち勝つ」という信念を胸に、日々の激しい稽古に励みながら厳しい勝負の世界で踏ん張り続けている。

大相撲の歴史や教養を学ぶ相撲教習所を「優等賞」で卒業するなど、数学オリンピックの県大会で優勝した経歴に違わぬ知性を角界でも発揮している。昇進会見では流暢な日本語で受け答えを行い、好きな日本の歌に河島英五の『時代おくれ』を挙げるなど、日本の文化にも深く馴染んでおり、今後のさらなる飛躍が期待されている。

💡 モンゴル出身一覧💡 阿武松部屋の力士

四股名
阿武剋 一弘(おうのかつ かずひろ)
最高位
前頭3枚目
最新番付
東 前頭15枚目
出身地
モンゴル オブス県
本名
バトジャルガル・チョイジルスレン
生年月日
平成12年(2000)5月5日(26歳)
身長・体重
185cm・165kg
出身高校
新名学園旭丘高校
出身大学
日本体育大学
所属部屋
阿武松部屋
初土俵
令和5年(2023)11月・幕下15付出(23歳6ヵ月)
新十両
令和6年(2024)5月(24歳0ヵ月)
新入幕
令和6年(2024)9月(24歳4ヵ月)
優勝
無し
通算成績
120勝98敗8休/216出場(勝率:55.6%)
直近7場所
30勝47敗8休(十両:9勝6敗)
7場所勝率
43.3%
得意技
右四つ・寄り
決まり手傾向(直近7場所)
阿武剋が勝ちの決まり手(28勝)※不戦勝2含む
寄り切り18
押し出し3
反則1
突き落とし1
寄り倒し1
上手出し投げ1
その他1
阿武剋が負けの決まり手(39敗)※不戦敗2含む
寄り切り15
押し出し10
叩き込み3
突き落とし2
送り出し2
寄り倒し1
その他4
令8年7月
東 前頭15枚目(2枚上昇)
2勝8敗
●●●●●|○●●○●|     
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年5月
東 十両筆頭(11枚降下)
9勝6敗
●○○●●|○○○○●|○●○●○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年3月
西 前頭6枚目(変動なし)
1勝6敗8休
●■やや●|○●●■や|ややややや
取組詳細(対戦相手・決まり手)

▼ さらに過去の成績(4場所分)を見る
令8年1月
西 前頭6枚目(変動なし)
7勝8敗
●●○●○|○●●●○|○□□●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年11
西 前頭6枚目(半枚降下)
7勝8敗
●○●●○|●○●○●|○●●○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年9月
東 前頭6枚目(3枚降下)
7勝8敗
○○●○●|●○○●●|●●●○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年7月
東 前頭3枚目
6勝9敗
●●○●●|●○●○○|○●●○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)