対戦力士情報

対戦力士同士の詳細な情報です。

阿武剋 一弘 (阿武松部屋・モンゴルオブス県)

阿武剋 一弘(おうのかつ かずひろ)はモンゴル オブス県出身、阿武松部屋の力士で最高位は前頭3枚目。令和8年5月場所の番付は東 十両筆頭。

モンゴルのオブス県に生まれ、幼少期から中学時代にかけてはサッカーに親しんだ。数学オリンピックのオブス県大会で優勝するほどの頭脳明晰な一面を持っていたが、15歳で来日し、新名学園旭丘高校(神奈川県)の相撲部留学生1期生として本格的に相撲を始めた。語学も堪能で、高校2年次には日本語のノートをつける必要がなくなるほど習熟していたという。

学生横綱のタイトルと幕下付出

相撲においても高校3年次に全国高校総体(インターハイ)の個人戦で優勝力士に次ぐ成績を収めた。高校卒業後は日本体育大学へ進学し、中村(横綱・大の里)ら強力な同期たちと切磋琢磨した。4年次に全国学生相撲選手権大会で優勝して「学生横綱」のタイトルを獲得し、これにより幕下15枚目格付出の資格を取得した。大学3年時に大相撲の土俵へ進むことを決心しており、卒業後は阿武松部屋の門を叩いた。

恩師の名を刻んだ四股名とスピード出世

令和5年(2023年)9月場所に新弟子検査に合格し、興行ビザの取得を経て同年11月場所に幕下15枚目格付出で初土俵を踏んだ。同年9月の理事会で付出資格が改定され、幕下付出が最下位(60枚目)格に一本化されたことに伴い、旧制度である「幕下15枚目格付出」として初土俵を踏む最後の力士となった。四股名は「自分に打ち勝つ」という意味を込めて下剋上の「剋」の字を入れ、下の名前である「一弘」は、日体大相撲部の齊藤一雄監督の「一」と、旭丘高校相撲部の岸田光弘監督の「弘」からそれぞれ一字を頂戴したものであり、自身を育ててくれた二人の恩師への感謝が込められていた。

初土俵の場所を5勝2敗で勝ち越すと、続く令和6年(2024年)1月場所は東幕下8枚目で6勝1敗の成績を収めた。同年3月場所を西幕下2枚目で5勝2敗とし、所要3場所での新十両昇進を確定させた。

十両通過と幕内の土俵での戦い

同年5月場所、東十両12枚目で迎えた新十両の土俵では13勝2敗という優勝力士に次ぐ成績を挙げた。続く7月場所も西十両筆頭で9勝6敗と勝ち越し、十両をわずか2場所で通過して同年9月場所において西前頭14枚目で新入幕を果たした。新入幕の場所は7勝8敗と負け越したものの、続く11月場所で9勝6敗と勝ち越すなど、右四つからの力強い寄りや突き押しを武器に前頭の地位に定着した。

令和7年(2025年)3月場所から2場所連続で10勝5敗の2桁勝利を挙げ、上位陣との対戦圏内へと番付を伸ばした。令和8年(2026年)3月場所では左足を負傷し、途中休場と再出場を挟んで再び休場するという初土俵以来初の休場を経験した。

入幕間もない頃、13代二所ノ関(元横綱・稀勢の里)からは、左の使い方の巧さを高く評価される一方で、「圧力のない日馬富士関」とかつてのライバルに例えてパワー不足を指摘されたこともあった。この課題を克服し、自身の四股名に込めた「自分に打ち勝つ」という信念を胸に、日々の激しい稽古に励みながら厳しい勝負の世界で踏ん張り続けている。

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大相撲の歴史や教養を学ぶ相撲教習所を「優等賞」で卒業するなど、数学オリンピックの県大会で優勝した経歴に違わぬ知性を角界でも発揮している。昇進会見では流暢な日本語で受け答えを行い、好きな日本の歌に河島英五の『時代おくれ』を挙げるなど、日本の文化にも深く馴染んでおり、今後のさらなる飛躍が期待されている。

💡 モンゴル出身一覧💡 阿武松部屋の力士

四股名
阿武剋 一弘(おうのかつ かずひろ)
最高位
前頭3枚目
最新番付
東 十両筆頭
出身地
モンゴル オブス県
本名
バトジャルガル・チョイジルスレン
生年月日
平成12年(2000)5月5日(26歳)
身長・体重
185cm・171kg
出身高校
新名学園旭丘高校
出身大学
日本体育大学
所属部屋
阿武松部屋
初土俵
令和5年(2023)11月・幕下15付出(23歳6ヵ月)
新十両
令和6年(2024)5月(24歳0ヵ月)
新入幕
令和6年(2024)9月(24歳4ヵ月)
優勝
無し
通算成績
115勝87敗8休/200出場(勝率:57.5%)
直近7場所
6勝3敗(幕内:38勝44敗8休)
7場所勝率
49.4%
得意技
右四つ・寄り
決まり手傾向(直近7場所)
阿武剋が勝ちの決まり手(38勝)※不戦勝2含む
寄り切り25
押し出し4
寄り倒し2
突き落とし1
反則1
上手出し投げ1
その他2
阿武剋が負けの決まり手(44敗)※不戦敗2含む
寄り切り17
押し出し10
叩き込み3
送り出し3
寄り倒し2
突き落とし2
その他5
令8年5月
東 十両筆頭(11枚降下)
6勝3敗
●○○●●|○○○○ |     
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年3月
西 前頭6枚目(変動なし)
1勝6敗8休
●■やや●|○●●■や|ややややや
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年1月
西 前頭6枚目(変動なし)
7勝8敗
●●○●○|○●●●○|○□□●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

▼ さらに過去の成績(4場所分)を見る
令7年11
西 前頭6枚目(半枚降下)
7勝8敗
●○●●○|●○●○●|○●●○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年9月
東 前頭6枚目(3枚降下)
7勝8敗
○○●○●|●○○●●|●●●○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年7月
東 前頭3枚目(5枚上昇・最高位更新)
6勝9敗
●●○●●|●○●○○|○●●○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年5月
東 前頭8枚目
10勝5敗
○○●●○|●●○○○|○○○●○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

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友風 想大 (中村部屋・神奈川県川崎市川崎区)

友風 想大(ともかぜ そうだい)は神奈川県 川崎市川崎区出身、中村部屋の力士で最高位は前頭3枚目。令和8年5月場所の番付は東 十両5枚目。

神奈川県川崎市に生まれ、幼少期は極真空手やバスケットボール、中学時代は柔道に打ち込むなど多くのスポーツを経験した。中学の柔道部顧問が相撲経験者であった縁から大会に出場し、関東大会で団体優勝を経験する。進学した向の岡工業高校から本格的に相撲へ打ち込み、2年次に出場した全国選抜高校相撲弘前大会において準優勝を果たした。なお、この時の優勝者はアルタンホヤグ・イチンノロブ(のちの関脇・逸ノ城)であった。

高校卒業後は日本体育大学へと進学し、4年次に全日本大学選抜宇和島大会で優勝を飾るなど数々の実績を残した。大学時代から同校の先輩にあたる嘉風(元関脇、のちの13代中村)より技術指導を受けており、その深い縁から尾車部屋への入門を決断する。入門にあたり「嘉風関と同じ、初土俵から所要9場所での十両昇進」という目標を掲げ、平成29年(2017年)5月場所において本名の「南」で初土俵を踏んだ。

驚異のスピード出世と大記録

翌場所から四股名を「友風 勇太」と改名して本格的に角界での歩みを開始し、序ノ口と三段目で全勝優勝を飾る。入門時の思いを胸に快進撃を続け、平成30年(2018年)11月場所において見事に目標通りの所要9場所で新十両への昇進を果たし、そのまま12勝3敗で新十両優勝を飾った。

さらに十両も所要2場所で通過し、平成31年(2019年)3月場所において初土俵から所要11場所という史上4位タイのスピード記録で新入幕を果たす。これは「嘉風関の所要12場所での新入幕記録を抜く」という目標を見事にクリアするものであった。令和元年(2019年)7月場所では横綱・鶴竜から初金星を獲得し、初土俵から所要14場所という当時の史上最速タイ記録を打ち立て、殊勲賞を受賞した。翌9月場所でも鶴竜を破って2場所連続で金星を獲得し、同場所中に引退した兄弟子・嘉風への恩返しを果たした。

凄絶な大怪我と絶望の淵

しかし、西前頭3枚目で迎えた令和元年(2019年)11月場所の2日目、取組中に土俵下へ転落して右膝に凄絶な大怪我を負ってしまう。4本の靭帯断裂や大腿骨・脛骨の骨折、半月板損傷などに加え、右膝から下は皮膚と内側側副靭帯、血管1本だけが繋がっているような状態であった。「切断寸前の重傷で、一生歩くことができない可能性もある」と医師から宣告されるほどの深刻な事態であった。

初土俵以来初の休場から計4回の大手術を受け、5ヶ月にも及ぶ入院生活を余儀なくされる。腓骨神経麻痺の後遺症が残り、装具の支えがなければ日常の歩行にも支障をきたす状態で、後に身体障害者手帳の交付も受けた。当初は引退を疑わず、日常生活に戻れるかどうかの不安に苛まれる絶望の淵に立たされた。

不屈の復活劇と恩師との歩み

それでも、毎日看病に駆けつけた母親の献身的な支えや、リハビリ施設で懸命に頑張る小さな子供たちの姿に勇気をもらい、現役続行を決意する。過酷なリハビリ期間中には、同じく怪我で引退した13代中村からの科学的な指導にも支えられ、痛みに耐え抜いて再び土俵へと向かった。

令和3年(2021年)3月場所、1年4ヶ月の長期休場を経て西序二段55枚目の地位で土俵への復帰を果たす。その後、令和4年(2022年)2月に尾車部屋の閉鎖に伴って二所ノ関部屋へと移籍する。新しい師匠となった二所ノ関親方(元横綱・稀勢の里)からも「ケガをしてなかったら三役に上がっていただろう」と何度も励まされ、恐怖心と闘いながら白星を重ねていった。

令和5年(2023年)1月場所後の番付編成会議で17場所ぶりとなる再十両昇進が決定し、幕内経験力士が序二段まで降格した後に再十両となる史上3人目の快挙を達成する。同年11月場所においてはついに幕内の土俵へと復帰し、大相撲史に残る奇跡の復活劇を成し遂げた。令和6年(2024年)6月には、恩師である13代中村が中村部屋を創設したことに伴い同部屋へと転籍している。四股名も「友風 想大」へと改め、大怪我の後遺症を抱えながらも押し相撲を主体としつつ、機を見た叩き込みなどの引き技を交えながら、不屈の精神で土俵を務め上げている。

異色の「ピアノ力士」

趣味は小学2年次から始めたピアノの演奏である。一時は音楽大学への進学を勧められたほどの腕前を持ち、小学生時代に作曲した運動会の曲は卒業後も母校で使われ続けているという。トークショーで「引退後はピアニストを目指す」と語ったこともある。

リチャード・クレイダーマンやX JAPANのYOSHIKIを好み、大相撲入門後も巡業先の食事会場に置かれたピアノで見事な演奏を披露して関取衆からのリクエストに応えるなど、角界では異色の「ピアノ力士」として多くのファンに親しまれている。

💡 神奈川県出身一覧💡 中村部屋の力士

四股名
友風 想大(ともかぜ そうだい)
最高位
前頭3枚目
最新番付
東 十両5枚目
出身地
神奈川県 川崎市川崎区
本名
南 友太
生年月日
平成6年(1994)12月2日(31歳)
身長・体重
185cm・179kg
出身高校
向の岡工業高校
出身大学
日本体育大学
所属部屋
尾車 → 二所ノ関 → 中村部屋
改名歴
南 → 友風
初土俵
平成29年(2017)5月(22歳5ヵ月)
新十両
平成30年(2018)11月(23歳11ヵ月)
新入幕
平成31年(2019)3月(24歳3ヵ月)
優勝
十両優勝1回,幕下優勝1回,三段目優勝1回,序ノ口優勝1回
受賞・金星
殊勲賞1回,金星2個
通算成績
302勝222敗73休/522出場(勝率:57.9%)
直近7場所
30勝24敗(幕内:20勝25敗)
7場所勝率
50.5%
得意技
突き・押し
決まり手傾向(直近7場所)
友風が勝ちの決まり手(45勝)※不戦勝1含む
叩き込み28
押し出し10
寄り切り1
突き落とし1
上手投げ1
掬い投げ1
その他2
友風が負けの決まり手(45敗)
押し出し25
叩き込み5
引き落とし4
押し倒し4
寄り倒し2
寄り切り2
その他3
令8年5月
東 十両5枚目(2枚半降下)
5勝4敗
●●●○○|○○○● |     
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年3月
西 十両2枚目(6枚降下)
6勝9敗
●●○●●|○●●○●|○○●○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年1月
西 前頭13枚目(1枚降下)
4勝11敗
●○●●○|○●●●○|●●●●●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

▼ さらに過去の成績(4場所分)を見る
令7年11
西 前頭12枚目(3枚半上昇)
7勝8敗
●●●●●|○●○○●|○○●○○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年9月
東 前頭16枚目(4枚上昇)
9勝6敗
○●○○○|○●●○●|○●○○●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年7月
西 十両2枚目(4枚半上昇)
9勝6敗
○●○●○|○●○●○|●○○●○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年5月
東 十両7枚目
10勝5敗
●○●○○|○○●○○|○●□●○
取組詳細(対戦相手・決まり手)