対戦力士情報

対戦力士同士の詳細な情報です。

千代丸 一樹 (九重部屋・鹿児島県志布志市)

千代丸 一樹 (ちよまる かずき)鹿児島県志布志市出身、九重部屋の元力士で、最高位は前頭5枚目

平成19年(2007)5月場所に16歳0ヶ月で初土俵を踏み、令和8年(2026)3月場所を最後に引退(34歳10ヶ月)。

通算成績は614勝631敗44休1240出場。生涯勝率.495。通算112場所中、61場所を勝ち越した(勝ち越し率.550)。

主な成績は十両優勝1回

平成3年(1991)4月17日生まれ。本名は木下 一樹。

突き押し相撲と愛敬あふれる風貌で館内を沸かせた千代丸は、弟とともに史上初の十両連続優勝などを成し遂げた名力士である。長年にわたり大相撲の人気を牽引し、引退後も相撲協会に残って裏方として若い力士たちを支える道を選んだ。

大横綱の部屋への入門と四股名の由来

鹿児島県志布志市で育ち、中学校卒業後の平成19年(2007年)5月場所、13代九重(第58代横綱・千代の富士)が率いる九重部屋へと入門。本名の「木下」で初土俵を踏んだ。入門後は勝ち越しと負け越しを交互に繰り返す場所が続いたが、着実に地力をつけ、初土俵から約3年半で幕下へ昇進する。

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三段目昇進を機に、四股名を「千代丸」へと改名した。当初、親からは「千代大志」という四股名が考案されていたが、当時部屋には大関・千代大海が現役でおり、「『大』の字を使うのは顔じゃない」と遠慮した。すると師匠の13代九重から「よし、丸いから千代丸だ!」と鶴の一声がかかり、この親しみやすい四股名が誕生した。

実家の全焼と兄弟関取の誕生

平成20年(2008年)5月場所には、実弟の千代鳳(当時の四股名は大木下)も同部屋へ入門し、兄弟で切磋琢磨する環境となる。大きな転機となったのは、平成23年(2011年)4月1日に、実家が火事によって全焼するという悲劇であった。この試練を前に、兄弟で「2人で頑張って新しい家を建てたい」と固く誓い合い、猛稽古に励むようになる。

さらに、弟の千代鳳が平成24年(2012年)3月場所で、10代での新十両昇進を果たすと、兄としての意地から大いに発奮した。持ち前の大きな体格を活かした重い突き押しに磨きをかけ、自身も平成25年(2013年)9月場所で悲願の新十両昇進を果たす。これにより、大相撲史上17組目となる兄弟関取が誕生した。

兄弟連続優勝と人気力士への道

新十両の場所は7勝8敗と負け越したが、翌11月場所は11勝4敗の好成績を挙げる。この場所では弟の千代鳳が十両優勝、さらに翌平成26年(2014年)1月場所では、千代丸自身が13勝2敗で十両優勝を飾った。これにより、「史上初の兄弟による十両連続優勝」という歴史的快挙を成し遂げた。続く同年3月場所では新入幕を果たし、史上10組目の兄弟幕内力士となっている。

土俵上での激しい突き押し相撲の一方で、その丸々とした体型や愛らしい笑顔は見る者を惹きつけた。いつしかファンやメディアの間で「千代丸たん」という愛称が定着し、相撲界屈指の人気力士として長年にわたり大相撲の土俵を盛り上げた。

現役引退と若者頭としての新たな道

ベテランの域に入ってからも幕内と十両を行き来しながら土俵を務め続けたが、令和5年(2023年)3月場所に十両へ降格して以降、主戦場は十両に移る。その後は休場も重なり、幕下、さらには三段目へと番付を落としながらも土俵に上がり続けた。しかし、西三段目筆頭で迎えた令和8年(2026年)3月場所を最後に現役引退を発表し、約19年にわたる土俵人生に幕を下ろした。

引退後は若者頭として日本相撲協会に残る道を選択した。ファンから愛されたその温和な人柄と長年の土俵経験は、今後も裏方として後進の指導や協会の運営に注がれていく。

四股名
千代丸 一樹 (ちよまる かずき)
最高位
前頭5枚目
出身地
鹿児島県志布志市
本名
木下 一樹
生年月日
平成3年(1991)4月17日
所属部屋
九重部屋
改名歴
木下 一樹 → 千代丸 一樹
初土俵
平成19年(2007)5月 前相撲(16歳0ヶ月)
新十両
平成25年(2013)9月(所要37場所)
22歳4ヶ月(初土俵から6年4ヶ月)
新入幕
平成26年(2014)3月(所要40場所)
22歳10ヶ月(初土俵から6年10ヶ月)
最終場所
令和8年(2026)3月場所(34歳10ヶ月)
大相撲歴
112場所(18年10ヶ月)
通算成績
614勝631敗44休1240出場(勝率.495)
通算112場所
勝ち越し61場所(勝ち越し率.550)(勝ち越し星144)
優勝等
十両優勝1回
持給金
75円(勝ち越し星144個)
幕内戦歴
201勝262敗2休461出場(勝率.436)
在位31場所(在位率.277)
勝ち越し12場所(勝ち越し率.387)
前頭戦歴
201勝262敗2休461出場(勝率.436)
在位31場所(在位率.277)
勝ち越し12場所(勝ち越し率.387)
十両戦歴
234勝232敗29休463出場(勝率.505)
在位33場所(在位率.295)
勝ち越し18場所(勝ち越し率.545)
関取戦歴
435勝494敗31休924出場(勝率.471)
在位64場所(在位率.571)
勝ち越し30場所(勝ち越し率.469)
幕下以下歴
179勝137敗13休316出場(勝率.566)
在位47場所(在位率.420)
勝ち越し31場所(勝ち越し率.660)

千代丸 一樹の更に詳細なデータは力士名鑑で!

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  • ✅ 勝った決まり手1位:押し出し(155回 / 25.1%)
  • ✅ 負けた決まり手1位:寄り切り(238回 / 37.7%)
  • ✅ 得意な相手:東龍(15勝6敗 / 勝率.714)
  • ✅ 苦手な相手:大奄美(4勝15敗 / 勝率.211)

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行徳 康佑 (玉ノ井部屋・東京都足立区)

行徳 康佑(ぎょうとく こうすけ)は東京都 足立区出身、玉ノ井部屋の力士で最高位は幕下14枚目。令和8年5月場所の番付は西 幕下41枚目。

小学1年生の頃、兄の誘いで文京・針ヶ谷相撲クラブで相撲を始め、東京都立足立新田高校では相撲部主将を務めた。しかし高校3年次に新型コロナウイルスの影響で目標としていた大会が次々と中止になり、一度は相撲から心が離れてしまう。拓殖大学へ進学後も、経済学の勉強に打ち込むため相撲部には所属しなかった。

転機となったのは、健康維持も兼ねて母校で後輩の指導を手伝い始めたことであった。相撲の楽しさを再確認し、他大学や社会人の稽古に参加して独自の環境で実戦感覚を磨いていく。その結果、大学4年次には国民スポーツ大会(国スポ)で成年個人3位に入賞し、大相撲の幕下60枚目格付出資格を獲得するという異色の経歴を歩んだ。

恩師の勧めもあり、高校の先輩である羽出山や東俊隆が所属する玉ノ井部屋を見学。的確な指導を行う部屋の雰囲気に惹かれて入門を決意し、令和7年(2025年)5月場所において本名の「行徳」を四股名として初土俵を踏んだ。

幕下付出の初陣から2場所連続で勝ち越したが、夏合宿中の虫刺されが原因とみられる心筋炎を発症。一時は集中治療室に入るほどの重い症状で休場を余儀なくされ、三段目へと番付を落とした。それでも懸命の治療とリハビリで大病を乗り越え、土俵へ復帰。独自の環境から這い上がった確かな実力と不屈の精神を武器に、関取昇進を目指して日々黙々と稽古に励んでいる。

💡 東京都出身一覧💡 玉ノ井部屋の力士

四股名
行徳 康佑(ぎょうとく こうすけ)
最高位
幕下14枚目
最新番付
西 幕下41枚目
出身地
東京都 足立区
本名
行徳 康佑
生年月日
平成14年(2002)10月22日(23歳)
身長・体重
177cm・138.4kg
出身高校
足立新田高校
出身大学
拓殖大学
所属部屋
玉ノ井部屋
初土俵
令和7年(2025)5月・幕下60付出(22歳7ヵ月)
優勝
無し
通算成績
24勝10敗12休/33出場(勝率:72.7%)
直近7場所
24勝10敗12休
7場所勝率
72.7%
決まり手傾向(直近7場所)
行徳が勝ちの決まり手(21勝)
寄り切り13
押し出し5
下手投げ1
送り出し1
押し倒し1
行徳が負けの決まり手(9敗)※不戦敗1含む
寄り切り2
押し出し2
引き落とし1
叩き込み1
寄り倒し1
送り倒し1
令8年5月
西 幕下41枚目(25枚上昇)
3勝1敗
○-●--|○○   |     
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年3月
西 三段目5枚目(24枚上昇)
5勝2敗
-○-○○|-●-○-|-○●--
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令8年1月
西 三段目29枚目(40枚半降下)
5勝2敗
○--○-|●-●-○|-○--○
取組詳細(対戦相手・決まり手)

▼ さらに過去の成績(4場所分)を見る
令7年11
西 幕下49枚目(35枚半降下)
0勝0敗7休
休場
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年9月
東 幕下14枚目(13枚半上昇・最高位更新)
0勝2敗5休
-●-■や|ややややや|ややややや
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年7月
西 幕下27枚目(32枚半上昇・最高位更新)
5勝2敗
-○○-○|-○-○-|●---●
取組詳細(対戦相手・決まり手)

令7年5月
幕下最下位格付出
6勝1敗
○-○--|○○-○-|●--○-
取組詳細(対戦相手・決まり手)